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2010年3月 5日 (金)

石のこと。リルケの詩集。シャネルの映画3本目には……。

 結石はどうなったか、ビミョー。

 今日は痛みはあまりないが、腰の下辺りの背中の重苦しさはとれない。瞼はこの時間になっても、腫れている(人に会うのが嫌になるわ)。

 痛み止めを貰いに行こうかとも思ったが、そのために消費する時間と体力がもったいないので、やめた。

 月曜日に脳神経外科を受診するので、そのときまで長引くようなら泌尿器科も受診しよう。昨日は外食だったので、とにかく今日は料理したかった(外出したら、料理する体力が残らない)。それに、自作童話の新しく下書きしたぶんを整理して、ブログにアップしておかなければ。

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 昨日、クリニックの帰りにジュンク堂書店に寄ったら、岩波文庫から高安国世訳で『リルケ詩集』が出ていた。リルケがフランス語で書いた詩が結構収録され、特にわたしの好きな『薔薇』からの抄訳もあったので、購入。780円。

 『新潮世界文学32 リルケ』(1971年)の山崎栄治訳がすばらしく、それで読み慣れていたせいもあるが、別物の感じだ。

 娘も同じ感じを受けたらしく、「『おまえにあたいするものはない』という山崎訳と『おまえに比べられるものは何もない』という高安訳じゃ、意味が違うよ」という。

 そういわれると、高安訳だと優劣を競った上で軍配を上げている感じがし、山崎訳だと比べるものがあろうがなかろうが、唯一絶対のものとして謳いあげている感じがしてくる。そうなると、作者の精神性までいくらか違った風に感じられてしまう。

 わたしは、同じ章の山崎訳では『おお、やさしさのあまり/あるとしもそこにみえぬからだから咲きでた面輪(おもわ)よ、』となっている箇所が、高安訳では『あまりの美しさに、そこにあるとも/思えぬからだから生(お)い出た頭部。』となっているところが目にとまった。

 山崎訳でだと自然に読めるのだが、高安訳でだと、薔薇の、というより、人間の頭がにょっこり生えているような、デモーニッシュなイメージが喚起されてしまうのだ。

 リルケの詩は哲学的な思索から結晶したものだろうから、翻訳することの難しさは想像がつく。

 『新潮世界文学32 リルケ』に収録されているリルケの詩の訳者は富士川英郎、山崎栄治だが、詩によっては相当に読みづらかったり、そうでなくても、高安訳のほうがよいと感じるものもある。ただやはり『薔薇』の訳に関しては、山崎訳は一段優れていると思う。

当ブログにおける関連記事:薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介

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 シャネルの映画が立て続けに来る。今度は、『シャネル&ストラヴィンスキー』。わたしは前に来た2本は見ていない。娘は、シャーリー・マクレーンがシャネルを演じたものを観たが、わたしはマクレーンとシャネルがイメージ的にどうしても結びつかず、パス。

 『シャネル&ストラヴィンスキー』は、レビューでは、評判がよさそう。映画館に上映期間を確認したら、13~26日らしい。忘れずに観に行こうと思う。 

●当ブログにおける関連記事:ポール・モラン著「シャネル―人生を語る」を読む 

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