« テレビの楽しみ | トップページ | Notes:不思議な接着剤 #48/童話の舞台、中世風の町を考える/『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読む #2 »

2010年3月30日 (火)

Notes:不思議な接着剤 #47/パウロについての疑問再び/『ユダヤ戦記』、『死海文書の謎』

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#47
2010/3/30(Tue) パウロについての疑問再び/『ユダヤ戦記』、『死海文書の謎』

 自作童話『不思議な接着剤』の舞台を中世ヨーロッパ風にする必要上、資料として読み始めた中に異端カタリ派関係があり、そこからグノーシス、ナグ・ハマディ文書へと読書は拡がって、今やその世界にすっかりのめり込んでしまった感がある。

 ここまで調べたら、『ユダヤ戦記』を読まないわけにはいかないだろうなと思い、書店に出かけたとき、カウンターのところで検索してみると、あった。

 新見宏訳で山本書店から、秦剛平訳でちくま学芸文庫から出ていた。どちらも3巻構成となっているが、それぞれ第1巻しかなかった。わたしは新見訳のほうが読みやすい。

 戦記物ということで、積極的に触手を伸ばそうという気になれなかったにも拘らず、格調の高い表現に、思わず読み耽ってしまった。書店で悪いと思ったが、ちょくちょく買うので、大目に見ていただこう。

 家のパソコンで、利用している図書館の蔵書検索へ。どちらもあった。新見訳を借りよう。今日、夫に図書館から借りてきて貰った、『レンヌ=ル=シャトーの謎』の著者たちの関連書もある。嬉しい悲鳴! 本を読んでばかりだと、童話の執筆が進まないのが困るけれど、この読書、決して無駄にはならないはず……。

 以下に、『ユダヤ』戦記について、ウィキペディアから記事の大部分を抜粋。

『ユダヤ戦記』(ユダヤせんき)は、1世紀にユダヤ人フラウィウス・ヨセフスによって書かれたユダヤ戦争の記録。全7巻。

 成立の経緯
ヨセフスはもともとユダヤ側の指揮官であったが、ガリラヤのヨタパタの陥落によってローマ軍に投降し、以後ティトゥスの配下としてエルサレムの陥落までユダヤ戦争の全期間にわたって従軍した。ヨセフスはティトゥスの凱旋にしたがってローマへ渡り、死ぬまで同地で暮らした。ローマにおいて厚遇され、豊富な資料と自らの体験をもとにして『ユダヤ戦記』を記した。『ユダヤ戦記』の最初の版は80年ごろに完成したと考えられている。ヨセフス自身の言葉によれば、もともとアラム語版が書かれ、それをもとにギリシャ語版が書かれたというが、このアラム語版は現存しない。

もともと6巻構成であった『ユダヤ戦記』に、後にヨセフスが7巻を付け加えている。

 各巻の内容
全7巻からなる『ユダヤ戦記』の各巻の内容と記述されている年代は以下のとおり。

 ●第一巻(紀元前200年ごろ-紀元前4年)
 執筆にいたる経緯、マカバイ戦争の勃発からハスモン朝の成立、ハスモン朝の終焉とヘロデ大王の登場、ヘロデ家の内紛とヘロデ大王の死。
 ●第二巻(紀元前4年-紀元66年)
 アルケラオの継承からローマによる属州化、ユダヤ教各派(エッセネ派、ファリサイ派、サドカイ派)の解説、ティベリウス帝の登場、ユダヤ戦争の発端、シリア知事ケスティオスの敗北、ヨセフスのガリラヤ防衛。
 ●第三巻(紀元67年)
 ネロ帝によるヴェスパシアヌスの派遣、ガリラヤの攻防、ヨセフスの投降。
 ●第四巻(紀元67-69年)
 ヴェスパシアヌスのエルサレムへの進撃、ユダヤ人内部の抗争、ネロの死とローマ帝国の混乱、ヴェスパシアヌスの皇帝推戴、司令官ティトゥスの派遣。
 ●第五巻(紀元70年)
 ティトゥスによるエルサレム攻囲、エルサレム内部の状況。
 ●第六巻(紀元70年)
 神殿の炎上とエルサレムの陥落、ティトゥスのエルサレム入城。
 ●第七巻(紀元70-75年)
 戦後処理とローマでの凱旋式、ヘロディオン・マカイロス・マサダにおけるユダヤ人残党の抗戦と鎮圧。各地でのユダヤ人の陰謀。

 内容と評価
『ユダヤ戦記』は古代のギリシャ・ローマの歴史書にならい、登場人物の演説を随所に挿入するというスタイルをとっている。内容に関しては全編を通して人数の極端な誇張がみられる。また、後に書かれた『自伝』との矛盾点がみられることなどから、ヨセフスが事実を自分の都合のいいように書き換えているという批判が古代からしばしばなされてきた。

しかし、執筆直後から戦勝国のローマ人による高い評価を得ることに成功した本書は、やがてエウセビオスなど初期のキリスト教の著述家によってさかんに取り上げられるようになる。それは『ユダヤ戦記』がマカバイ記と新約聖書をつなぐものであること、福音書と使徒行伝の時代の同時代史となっていることであり、何より執筆者の意図を無視してユダヤ人攻撃のための格好の資料として用いられたためである。

それはエルサレムの崩壊とユダヤ人の受難をイエスを死に追いやったことの報いとして位置づけたためと、福音書にみられるイエスのエルサレム崩壊の預言が成就したことを『ユダヤ戦記』において説明することでイエスの権威を増すことが出来たからであった。現代のリベラル派の高等批評による聖書研究においてはイエスのこの預言は、ユダヤ戦争の終末を知る福音記者がイエスの言葉として語らせた「事後預言」であると解釈されているが、近代初期に至るまで福音書の記述を疑うことは考えられなかった。現在も聖書信仰の教会では福音書の史実性は疑われていない。

ユダヤ戦記. (2010, 2月 6). Wikipedia, . Retrieved 09:25, 3月 25, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%88%A6%E8%A8%98&oldid=30390533.

 『ユダヤ戦記』について、ウィキペディアに、著者ヨセフスの記述の信憑性が疑われていることに触れられているが、著作による記述の変化に関しては、『死海文書の謎』に、その原因の一つと思われるものが挙げられている。以下に抜粋。

ヨセフスは、反乱の不安定な余波のなかで書かれた『ユダヤ戦記』のなかで、ガリラヤのユダスが「自らの奇妙なセクト」を創立したと述べている。しかしながら、ヨセフスの第二回の主要な著作『ユダヤ古代誌』は、一般的な雰囲気がどちらかといえばより不安でなくなったほぼ4半世紀後に編まれた。それゆえヨセフスは、この著作のなかでは、よりあからさまでありえた。

マイケル ベイジェント,リチャード リー
柏書房
発売日:1995-06

 『死海文書の謎』』(高尾利数訳、柏書房、19925年)は、『レンヌ=ル=シャトーの謎』の3人の著者のうち2人であるマイケル・ペイジェント、リチャード・リーによって著された。

 パウロに関してわたしが大学の頃から抱いてきて、前にノート#34
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/notes347-68b3.htmlで触れたような疑問についても分析がなされており、わたしの考えと一致する部分が多くて、興奮を誘う。

 考えがこうも似ていると、まるで自分が別の足を使って調べ回っているような錯覚を覚えるほどだ。

 パウロに関する部分も、『死海文書の謎』から抜粋しておきたい。以下。

 後に続くあらゆる浮き沈みのなかで、強調されなければならないのは、パウロが事実上最初の「キリスト教的」異端者であるということ、そして彼の教えが――それは後のキリスト教の基礎になるのだが――[エルサレム教会]の指導部によって激賞されていた「本来の」そして「純粋な」形態からの甚だけしからぬ逸脱であったということである。「主の兄弟ヤコブ」が、文字通りイエスの親族であったにせよそうでなかったにせよ(万事は親族であったことを明示しているのだが)、彼がイエスを――あるいは後にイエスとして記憶された人物を――個人的に知っていたことは明らかである。エルサレムの共同体、つまり「初代教会」の他のメンバーのほとんども――もちろんペテロも含めて――そうであった。彼らが語ったとき、彼らは直接的権威をもって語った。パウロは、自分が自らの「救い主」と見なし始めた人物をそのように個人的にはけっして知らなかった。彼はただ砂漠で半ば神秘的な体験をし、身体を持たない声を聞いただけであった。このことに基づいて自分に権威があるのだと称することは、控え目に言っても、思い上がったことであった。この経験に導かれて彼は、イエスの教えを、本来のものと見分けがつかないほどに歪曲してしまう――つまり彼は事実、彼自身のきわめて個人的な、そして独特な(特異体質的な)神学を形成するのであり、そしてそれを偽ってイエスに由来すると称して合法化するのである。厳密にユダヤの律法に固着していたイエスにとっては、彼自身を含めて、およそ死ぬべき人間を礼拝することを提唱するなどとは最も極端な冒涜であったであろう。イエスは福音書においてこのことを明らかにしている。彼は、自分の弟子たち、自分に従ってくる者たち、聴衆に、神のみを認めるように強く勧めていた。例えば、『ヨハネによる福音書』10:33―35において、イエスは自分が神であると主張しているとの廉で非難されている。彼は、『詩篇』82を引用しながら答える。「あなたたちの律法に〈わたし〉(詩篇」のなかの神の意)は言う。あなたたちは神々である〉と書いてあるではないか。神の言葉を受け入れた人たちが〈神々〉と言われている」と。
 パウロは実際、神を脇に押し退けて、初めて、イエスを礼拝することを創唱した――イエスは、アドニス、タンムズ、アッティス、その他の当時中東に住んでいた〈死んで甦る〉神々と一種同等の存在になるのである。これらのライヴァルの神々と競うために、イエスは、あらゆる点において一つ一つ、またすべての奇跡においても逐一、彼らと競合しなければならなかった。多くの奇跡的要素がイエスの伝記と結び付けられていったのは――十中八九、いわゆる処女降誕や死人のなかからの復活をも含めて――この段階のことであったであろう。それらは本質的にパウロの発明であって、エルサレム教会のヤコブや他の者たちによって広められていた「純粋」な教義とはしばしばひどく食い違うものであった。それゆえ、ヤコブや彼の側近たちが、パウロのやっていることに当惑させられたことは、ほとんど驚くに値しない。 

|

« テレビの楽しみ | トップページ | Notes:不思議な接着剤 #48/童話の舞台、中世風の町を考える/『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読む #2 »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

メモ帳Ⅰ」カテゴリの記事

Notes:不思議な接着剤」カテゴリの記事

Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派」カテゴリの記事