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2010年3月の63件の記事

2010年3月31日 (水)

Notes:不思議な接着剤 #49/バラバラでなかった歓び/『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読む #3

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#49
2010/3/31(Wed) バラバラでなかった歓び/『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読む #3

 カタリ派、グノーシス、ナグ・ハマディ文書……と関心を拡げていく過程で、知的好奇心を充たされる一方では、わたしのすばらしいと感じるものが、ことごとく異端とされて絶滅させられたり、エジプトにある洞窟の壷に封じ込められて、あまりに永い時間を過ごさなければならなかったりで、昏い鬱々とした気持ちにならざるをえなかった。

 しかし、『レンヌ=ル=シャトーの謎』を読み進めた今日の時点で、気持ちが晴れた。

 というのも、著者たちの克明な描写と執拗ともいえるような推理により(さすがはBBC放送の人材だっただけのことはある)、これまでの過去にわたしが(同じ薫りがすることから)関心を抱いてきた哲学的な事柄のその殆どが掬い上げられ、時系列的に並べられ、関連づけられているではないか。

 まるでパーティーのようだ!

 ピュタゴラス、プラトン、新プラトン、グノーシス、カバラ、ヘルメス(錬金術)。異端カタリ派、フリーメーソン、薔薇十字。

 ルネサンスと、フランス19世紀のオカルト運動は偶然ではなかったことになる。

 前掲の著書によると、ルネサンスの中心人物はルネ・ダンジュー。フランスの運動の中心人物はシャルル・ノディエ(ノディエか! 妙に気になっていたのだが)

 そこには、わたしの大好きなバルザックもいて〔※バルザックの出身に触れた過去記事はこちら。その記事からの抜粋を折り畳んでおきます〕、タロットを普及させたエリファス・レヴィは、わたしが考えた以上の役割を果たしていたことになる。

 これらの思想の特徴としては、古代思想とつながりがあり、また東洋思想とのつながりがあって、同じ花壇に咲く花々のようであることだ。

 著書によると、この花々は、ペテロ、パウロによる正統派キリスト教の裏側で、幾多の弾圧をくぐり抜けながら存続したマグダラのマリアによるもう一つのキリスト教に根差した文化現象ということになる。

 ブラヴァツキーは神智学の諸著書で、こうした秘教の流れについて繰り返し触れている。

 『レンヌ=ル=シャトーの謎』のテーマはイエスの血脈という別なところにあり、それが正しいのかどうかはわからないが(わたしはそこにはあまり興味がない)、バラバラなもののつながりを豊富な資料を用い、かなりのところまで証明してくれたという点で、興味深い。

 古代思想とも東洋思想とも断絶し、科学の足枷となってきた正統派キリスト教とは対照的に、古代思想とも東洋思想とも一体感を保ち、その基本的姿勢が科学的であるゆえに、科学とも一体である、マグダラのマリアの教えに根差したもう一つのキリスト教。

 現代科学は秘教の流れから切り離されて、暴走しかねない孤独な存在となっている。

 もしこのもう一つのキリスト教が正統派の地位を占めていたなら、世界は変わっていただろうが、真の正統派の資格があるゆえに非暴力を好み、地下に潜らざるをえなかったのだろう。その地下にあってさえ、馬鹿馬鹿しい誹謗、中傷を浴びて……。

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Notes:不思議な接着剤 #48/童話の舞台、中世風の町を考える/『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読む #2

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#48
2010/3/31(Wed) 童話の舞台、中世風の町を考える/『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読む #2

 マイケル・ベイジェント、リチャード・リー、ヘンリー・リンカーン『レンヌ=ル=シャトーの謎』(林和彦、柏書房、1997年)からの以下の抜粋は、歴史的事実を描いたものだ。そう思うと、本当に怖ろしい。

62-63頁
 1209年、約3万人の騎士や歩兵からなる軍隊が、北ヨーロッパから怒涛のようにピレネー山脈の北東の麓、現在の南フランスにあたるラングドック地方を襲った。この戦争によってラングドック全域が破壊しつくされ、作物は荒らされ、都市や町は蹂躙され、ほとんどの住民が刃に倒れた。この絶滅行為は恐ろしい規模で徹底的に行われ、近代ヨーロッパ史上、最初の「大虐殺」と位置づけられている。たとえば、ベジエの町だけでも、婦女子を含めて少なくとも1万5千人が、しかもその多くが教会という聖域で殺された。ある指揮官が、どのように正統と異端を区別するのかと教皇の代表団に問うと、「すべて殺せ。神は自らの民を選びたまう」と答えたといわれている。この有名な逸話の真偽はともかくとしても、暴虐をつくすにあたり、いかに狂信的な情熱と血に餓えた行動をしたかをよく言い表わしている。その教皇の代表団がローマのインノケンティウス3世に宛てた手紙には、「年齢や性別、地位を一切考慮せず、すべてを殺しました」と、誇らしげに書いている。
 侵入軍は、ベジエに続いてラングドック全域を掃討していった。ペルピニャン、ナルボンヌ、カルカソンヌ、トゥールーズがすべて陥落し、勝者の立ち去ったあとには、大虐殺の血と死の痕跡しか残らなかった。
 ほぼ40年も続いたこの戦争は、今日アルビ[アルビジョア]十字軍として知られている。これはまさに文字通りの十字軍で、教皇自らが呼びかけた戦争であった。パレスチナの十字軍と同じように、この十字軍の参戦者も上着に十字架を縫いつけていた。参戦の報酬も聖地の十字軍と同じで、すべての罪の免罪や贖罪、天国の約束、さらに略奪の戦利品が約束されていた。そのうえ、この十字軍は海をわたらなくてもよかったし、略奪に興味のない者は、当時の封建法によって40日以上は戦わなくてもよかった。
 この十字軍が終わるとラングドックはまったく変り果ててしまい、ヨーロッパのほかの地域のような野蛮な土地に逆戻りしてしまった。
 13世紀初頭、現在のラングドック地域は正式にはフランスの一部ではなかった。ここは独立した君主が統治しており、言語や文化や政治体制も、北フランスよりはスペインのレオンやアラゴン、カスティーリャ王国と多くの共通点があった。統治する貴族も数多くいて、なかでも代表的なのはトゥールーズ伯やトランカヴェルの有力一族であった。これらの君主たちのもと、当時のキリスト教国のなかではもっとも高度で洗練された文化が栄え、これを凌ぐのはビザンチンくらいしかなかった。

 戦争が40年も続いたという。40年……! 寿命の短かった中世である。一生を戦渦に過ごした人々も少なくなかったに違いない。十字軍の参戦者に約束された天国なるものがどんなものなのか、わたしには想像もつかない。

  アルビ十字軍が怒涛のようにラングドック地方を襲ったのが1209年。この戦争はほぼ40年続いたのだから1209+40=1249。1249年……13世紀半ばまで。法王グレゴリウス9世が、南仏における審問法廷設置を命じたのは、この間の1233年。わたしがモデルとしたいと考えたのは1250年。凄腕の異端審問官ジャック・フルニエがパミエの司教を勤めたのは1317年から26年。

 戦争が何とか終わっても、異端審問は続いたのだ。

 わたしは荒廃した町を描かなければならないのだろうか? ネット検索してみると、現代のその地から、ブログを発信しているかたがあった。その地は、今なお寂しいところのようだ。

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2010年3月30日 (火)

Notes:不思議な接着剤 #47/パウロについての疑問再び/『ユダヤ戦記』、『死海文書の謎』

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#47
2010/3/30(Tue) パウロについての疑問再び/『ユダヤ戦記』、『死海文書の謎』

 自作童話『不思議な接着剤』の舞台を中世ヨーロッパ風にする必要上、資料として読み始めた中に異端カタリ派関係があり、そこからグノーシス、ナグ・ハマディ文書へと読書は拡がって、今やその世界にすっかりのめり込んでしまった感がある。

 ここまで調べたら、『ユダヤ戦記』を読まないわけにはいかないだろうなと思い、書店に出かけたとき、カウンターのところで検索してみると、あった。

 新見宏訳で山本書店から、秦剛平訳でちくま学芸文庫から出ていた。どちらも3巻構成となっているが、それぞれ第1巻しかなかった。わたしは新見訳のほうが読みやすい。

 戦記物ということで、積極的に触手を伸ばそうという気になれなかったにも拘らず、格調の高い表現に、思わず読み耽ってしまった。書店で悪いと思ったが、ちょくちょく買うので、大目に見ていただこう。

 家のパソコンで、利用している図書館の蔵書検索へ。どちらもあった。新見訳を借りよう。今日、夫に図書館から借りてきて貰った、『レンヌ=ル=シャトーの謎』の著者たちの関連書もある。嬉しい悲鳴! 本を読んでばかりだと、童話の執筆が進まないのが困るけれど、この読書、決して無駄にはならないはず……。

 以下に、『ユダヤ』戦記について、ウィキペディアから記事の大部分を抜粋。

『ユダヤ戦記』(ユダヤせんき)は、1世紀にユダヤ人フラウィウス・ヨセフスによって書かれたユダヤ戦争の記録。全7巻。

 成立の経緯
ヨセフスはもともとユダヤ側の指揮官であったが、ガリラヤのヨタパタの陥落によってローマ軍に投降し、以後ティトゥスの配下としてエルサレムの陥落までユダヤ戦争の全期間にわたって従軍した。ヨセフスはティトゥスの凱旋にしたがってローマへ渡り、死ぬまで同地で暮らした。ローマにおいて厚遇され、豊富な資料と自らの体験をもとにして『ユダヤ戦記』を記した。『ユダヤ戦記』の最初の版は80年ごろに完成したと考えられている。ヨセフス自身の言葉によれば、もともとアラム語版が書かれ、それをもとにギリシャ語版が書かれたというが、このアラム語版は現存しない。

もともと6巻構成であった『ユダヤ戦記』に、後にヨセフスが7巻を付け加えている。

 各巻の内容
全7巻からなる『ユダヤ戦記』の各巻の内容と記述されている年代は以下のとおり。

 ●第一巻(紀元前200年ごろ-紀元前4年)
 執筆にいたる経緯、マカバイ戦争の勃発からハスモン朝の成立、ハスモン朝の終焉とヘロデ大王の登場、ヘロデ家の内紛とヘロデ大王の死。
 ●第二巻(紀元前4年-紀元66年)
 アルケラオの継承からローマによる属州化、ユダヤ教各派(エッセネ派、ファリサイ派、サドカイ派)の解説、ティベリウス帝の登場、ユダヤ戦争の発端、シリア知事ケスティオスの敗北、ヨセフスのガリラヤ防衛。
 ●第三巻(紀元67年)
 ネロ帝によるヴェスパシアヌスの派遣、ガリラヤの攻防、ヨセフスの投降。
 ●第四巻(紀元67-69年)
 ヴェスパシアヌスのエルサレムへの進撃、ユダヤ人内部の抗争、ネロの死とローマ帝国の混乱、ヴェスパシアヌスの皇帝推戴、司令官ティトゥスの派遣。
 ●第五巻(紀元70年)
 ティトゥスによるエルサレム攻囲、エルサレム内部の状況。
 ●第六巻(紀元70年)
 神殿の炎上とエルサレムの陥落、ティトゥスのエルサレム入城。
 ●第七巻(紀元70-75年)
 戦後処理とローマでの凱旋式、ヘロディオン・マカイロス・マサダにおけるユダヤ人残党の抗戦と鎮圧。各地でのユダヤ人の陰謀。

 内容と評価
『ユダヤ戦記』は古代のギリシャ・ローマの歴史書にならい、登場人物の演説を随所に挿入するというスタイルをとっている。内容に関しては全編を通して人数の極端な誇張がみられる。また、後に書かれた『自伝』との矛盾点がみられることなどから、ヨセフスが事実を自分の都合のいいように書き換えているという批判が古代からしばしばなされてきた。

しかし、執筆直後から戦勝国のローマ人による高い評価を得ることに成功した本書は、やがてエウセビオスなど初期のキリスト教の著述家によってさかんに取り上げられるようになる。それは『ユダヤ戦記』がマカバイ記と新約聖書をつなぐものであること、福音書と使徒行伝の時代の同時代史となっていることであり、何より執筆者の意図を無視してユダヤ人攻撃のための格好の資料として用いられたためである。

それはエルサレムの崩壊とユダヤ人の受難をイエスを死に追いやったことの報いとして位置づけたためと、福音書にみられるイエスのエルサレム崩壊の預言が成就したことを『ユダヤ戦記』において説明することでイエスの権威を増すことが出来たからであった。現代のリベラル派の高等批評による聖書研究においてはイエスのこの預言は、ユダヤ戦争の終末を知る福音記者がイエスの言葉として語らせた「事後預言」であると解釈されているが、近代初期に至るまで福音書の記述を疑うことは考えられなかった。現在も聖書信仰の教会では福音書の史実性は疑われていない。

ユダヤ戦記. (2010, 2月 6). Wikipedia, . Retrieved 09:25, 3月 25, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%88%A6%E8%A8%98&oldid=30390533.

 『ユダヤ戦記』について、ウィキペディアに、著者ヨセフスの記述の信憑性が疑われていることに触れられているが、著作による記述の変化に関しては、『死海文書の謎』に、その原因の一つと思われるものが挙げられている。以下に抜粋。

ヨセフスは、反乱の不安定な余波のなかで書かれた『ユダヤ戦記』のなかで、ガリラヤのユダスが「自らの奇妙なセクト」を創立したと述べている。しかしながら、ヨセフスの第二回の主要な著作『ユダヤ古代誌』は、一般的な雰囲気がどちらかといえばより不安でなくなったほぼ4半世紀後に編まれた。それゆえヨセフスは、この著作のなかでは、よりあからさまでありえた。

マイケル ベイジェント,リチャード リー
柏書房
発売日:1995-06

 『死海文書の謎』』(高尾利数訳、柏書房、19925年)は、『レンヌ=ル=シャトーの謎』の3人の著者のうち2人であるマイケル・ペイジェント、リチャード・リーによって著された。

 パウロに関してわたしが大学の頃から抱いてきて、前にノート#34
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/notes347-68b3.htmlで触れたような疑問についても分析がなされており、わたしの考えと一致する部分が多くて、興奮を誘う。

 考えがこうも似ていると、まるで自分が別の足を使って調べ回っているような錯覚を覚えるほどだ。

 パウロに関する部分も、『死海文書の謎』から抜粋しておきたい。以下。

 後に続くあらゆる浮き沈みのなかで、強調されなければならないのは、パウロが事実上最初の「キリスト教的」異端者であるということ、そして彼の教えが――それは後のキリスト教の基礎になるのだが――[エルサレム教会]の指導部によって激賞されていた「本来の」そして「純粋な」形態からの甚だけしからぬ逸脱であったということである。「主の兄弟ヤコブ」が、文字通りイエスの親族であったにせよそうでなかったにせよ(万事は親族であったことを明示しているのだが)、彼がイエスを――あるいは後にイエスとして記憶された人物を――個人的に知っていたことは明らかである。エルサレムの共同体、つまり「初代教会」の他のメンバーのほとんども――もちろんペテロも含めて――そうであった。彼らが語ったとき、彼らは直接的権威をもって語った。パウロは、自分が自らの「救い主」と見なし始めた人物をそのように個人的にはけっして知らなかった。彼はただ砂漠で半ば神秘的な体験をし、身体を持たない声を聞いただけであった。このことに基づいて自分に権威があるのだと称することは、控え目に言っても、思い上がったことであった。この経験に導かれて彼は、イエスの教えを、本来のものと見分けがつかないほどに歪曲してしまう――つまり彼は事実、彼自身のきわめて個人的な、そして独特な(特異体質的な)神学を形成するのであり、そしてそれを偽ってイエスに由来すると称して合法化するのである。厳密にユダヤの律法に固着していたイエスにとっては、彼自身を含めて、およそ死ぬべき人間を礼拝することを提唱するなどとは最も極端な冒涜であったであろう。イエスは福音書においてこのことを明らかにしている。彼は、自分の弟子たち、自分に従ってくる者たち、聴衆に、神のみを認めるように強く勧めていた。例えば、『ヨハネによる福音書』10:33―35において、イエスは自分が神であると主張しているとの廉で非難されている。彼は、『詩篇』82を引用しながら答える。「あなたたちの律法に〈わたし〉(詩篇」のなかの神の意)は言う。あなたたちは神々である〉と書いてあるではないか。神の言葉を受け入れた人たちが〈神々〉と言われている」と。
 パウロは実際、神を脇に押し退けて、初めて、イエスを礼拝することを創唱した――イエスは、アドニス、タンムズ、アッティス、その他の当時中東に住んでいた〈死んで甦る〉神々と一種同等の存在になるのである。これらのライヴァルの神々と競うために、イエスは、あらゆる点において一つ一つ、またすべての奇跡においても逐一、彼らと競合しなければならなかった。多くの奇跡的要素がイエスの伝記と結び付けられていったのは――十中八九、いわゆる処女降誕や死人のなかからの復活をも含めて――この段階のことであったであろう。それらは本質的にパウロの発明であって、エルサレム教会のヤコブや他の者たちによって広められていた「純粋」な教義とはしばしばひどく食い違うものであった。それゆえ、ヤコブや彼の側近たちが、パウロのやっていることに当惑させられたことは、ほとんど驚くに値しない。 

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テレビの楽しみ

 テレビの高校講座を何気なく見ていたら、これくらいのときにはもう苦手だったはずの数学の講座の内容がすんなり頭に入る。

 講師が優秀で、シリーズの途中から見たとしても、問題を解くために必要なことは、さり気なく繰り返されるので、わかる仕組みになっている。

 『ゲゲゲの女房』に、数学の講座に……と楽しみが増えた。

 わたしはあまりプロ野球は見ないが、高校野球は観てしまうので、これも楽しんでいる最中。

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2010年3月29日 (月)

久しぶりのエルモとココア

久しぶりのエルモとココア

 デパ地下にあるカフェ。

 いつもはコーヒーを頼むのですが、妙に寒いのでココア。

 エルモ、覚えていらっしゃいますか?

 エルモは元気をくれます。童話を仕上げられるよう、応援して貰うことにしました。

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NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』がスタート

 漫画家・水木しげるの妻・武良布枝の自伝「ゲゲゲの女房」をもとにしたドラマ。

 東京都調布市が結婚生活の舞台。鳥取県境港市が水木しげるの出身地。島根県安来市が妻・布美枝の出身地。

 第一話では、ヒロイン・布美枝と水木しげるの見合いの場面が冒頭に出て来た。亡くなった祖母が語り、見守る。

 大人のヒロイン役は長身の爽やかな美人、松下奈緒。水木しげる役は、向井理。水木しげる役にしては可愛らしすぎる気もしたが、癖のある感じを出そうとしていた(ちょっと違う気がするけれど)。ヒロインの父親役は大杉漣、母親役は古手川祐子、祖母役は野際陽子。

 見合いの日から、ヒロインの子供時代に遡る。大家族の中で、大人しい布美枝の小さな声は掻き消されてしまう。怖がりの彼女は妖気を感知しがち(?)で、その体験を誰かに聞いて貰いたかったのだが……。

 そんなヒロインを濃やかに気にかけて可愛がってくれたのは、叔母だった。商家に嫁いだ叔母が体調を崩したと聞いたヒロインは、ラジオ体操の皆勤賞で貰ったミルクキャラメルで見舞おうと、駆け出す。

 幸い、叔母は元気だった。

 しかし、行きはよいよい、帰りは怖いで、鎮守の森を通り抜けようとするヒロインは、背後に妖気を感じ、足音を聴く。画面では、水木ワールドから抜け出して来たようなユニークな何ものかが登場していた。

 子供のヒロインを演じる子役が、愛くるしい。演技も自然で、好感が持てる。昔めいた雰囲気が、心地よい。ミルクキャラメルが美味しそうだった。

 ヒロインの子供時代の舞台となっていた島根県の安来市には、昔、行ったことがある。

 その日は雪が降っていた。九州の家とは違った、屋根がどっしりとした造りで、山陰を感じさせた。どこかしら古風な趣のある、落ち着きのある街だった。

 水カレイの一夜干しを焼いたのが、しっとりとした美味しさで、あれほど美味しい一夜干しは、後にも先にも食べたことがない。

武良布枝
実業之日本社
発売日:2008-03-07

○当ブログにおける関連記事:
『鬼太郎が見た玉砕』を観て

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『鬼太郎が見た玉砕』を観て

 NHKスペシャルアンコール『鬼太郎が見た玉砕』を観た。

 水木しげるの自伝的戦記漫画『総員玉砕せよ!』をもとにドラマ化したものらしい。

 歩兵部隊、ラバウルと出て来るだけで、息苦しくなってくる設定だが、ドラマは、戦死した霊たちに促された水木がラバウルでの体験を漫画にするという二重の構成になっている。

 淡いオカルト色を背景に、漫画家としての地位の確立した水木の日常生活が描かれていたり、漫画から飛び出た鬼太郎たちが登場するなど、ほっとする場面が挟まっていて、救われる。

 ドラマの水木によって描かれる漫画のラバウルでは、戦況悪化の中で、主人公・丸山二等兵の所属する部隊に玉砕命令が下る。

 しかし、部隊は生き残ってしまうのだ。

 そのことを、司令部は全ラバラルの恥と考え、部隊の始末を決定する。

 玉砕こそ犬死にだ、と抗議した軍医の自決、責任をとらされた2名の小隊長の自決があり、残った部隊の全員で再玉砕を行うことになる。

 司令部から派遣されて指揮をとっていた参謀は玉砕直前に、一抜けた、で安全な司令部に戻る。

 丸山たちは『女郎の唄』を歌い、連合軍に向かって突撃を開始する。

 重傷を負いながらも、なかなか死にきれなかったらしい丸山は、『女郎の唄』をつぶやきながらさ迷い、最後の場面では力尽きて泥の中へ倒れ込む。

 原作の漫画も読んでみたい。ウィキペディアを見ると、水木しげるの部隊には玉砕命令が下ったが、実際には部隊の中尉の機転で作戦をゲリラ戦へと転じることができたらしい。

 集団自決を命じられ、逃れるすべのない中で、そうせざるをえないときの気持ちを想像すると、戦慄が走る。

 子供の頃、予防接種の順番が来るのを待つときの気持ちには独特の恐怖感があったものだが、死を待つ前の気分というのは、それを幾倍にもしたような感じだろうか……などと想像してしまう。

 病死であれば、最終的には血圧が低下して死ぬことになるだろうから、強い眠気で死に赴くと思うのだ(死んだとたんに、霊として目覚めることになるのだろうが)。

 が、自決や処刑の場合、意識は死の直前までギンギンに覚めているわけだ。

 この世に生きる人間としての覚醒と、彼の世に生きる霊としての覚醒がうまくつながるのだろうか……などと心配してしまう。

 眠りは、この世から彼の世に赴くためのトンネルだとわたしは考えている。一般人にとっては、昏睡の中で、彼の世の意識に穏やかに目覚めるのが理想的だという気がする。

 話題が逸れてしまった。朝ドラの『ゲゲゲの女房』も楽しみだ。

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2010年3月28日 (日)

川端茅舎の桜の句をご紹介

 木曜日に中心街に出たとき、袴姿の娘さんを見ました。卒業式があれば、入学式もあって、入学式といえば、桜の連想が働きます。

 今日は暖いのですが、昨日までの数日、馬鹿に冷え込みました。花冷え、だったのでしょう。冷えすぎる気もしましたし、その前には春とも思えない大風が吹いたりもしたとあって、定番の季語を当てはめていいものやら、何となく自信がありませんでしたが……。

 電話をしてきた息子が、東京は今月中に桜が咲くといっていました。息子も新入生ですが、博士課程の入学式はパスするようです。代わりにわたしが行きたいくらいですが、旅費と健康のことを考えて、諦めました。

 桜、こちらは東京より早く咲くはずですが、どうなのかしらと思い、夫に尋ねると、「五分咲きだと会社の人たちがいっていたよ」とのこと。先ほど、新聞の集金に見えたときに玄関から、敷地内の小さな公園にある桜の木が見えました。遠目でしたが、いくらか咲いているようでした。

 ○桜前線の情報に便利なサイトはこちら。
    ⇒『るるぶ:桜前線とれたて便2010

 入学式まで桜、うまく咲いていてくれるでしょうか? 

 句会に入ったといっていた東京在住の従姉は、桜の句を作ろうと待ち構えているのではないかと想像しています。できれば、わたしも作りたいと思っているのですが。

 それにしても、わが国の季節に潜むようになった異変、変化と、コピーまがいの短歌や俳句が流行り出したこととは、相関関係にあるような気もしてきます。

 もし四季が崩れてしまうと、季語をテーマとして構成される伝統的な俳句はどうなるだろうと心配になります。そんな心配のなかで読む、気韻のある俳句は、本当に貴重なものに感じられます。

 昨年は、杉田久女の桜の句をご紹介しました。こちら。
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/04/post-288d.html

 今年は、『川端茅舎 松本たかし集 現代俳句の世界 3』(朝日新聞社、昭和60年)に収録された川端茅舎の桜の句の中から、わたしの好きな句をご紹介したいと思います。既にご紹介したものがほとんどだと思いますが。左サイドバーに杉田久女・川端茅舎・松本たかし・三橋鷹女の俳句紹介があります。〕

初花や竹の奥より朝日かげ
花明かり蛙もなかぬ心字池
山高みこのもかのもに花の雲
花の雲鳩は五色に舞ひ遊ぶ
蹶(け)ちらして落花とあがる雀かな
花吹雪瀧つ岩ねのかゞやきぬ
花の奥鐘の響を撞きにけり
振袖に卒塔婆抱き来る櫻かげ
青淵に妙にも白き落花かな
花の雲谷は鉄橋千鳥がけ
花の中鐘のひゞきを撞くが見ゆ
母の忌の御空の春の雲仰ぎ
春の雲眺めひねもす玻璃戸中
花吹雪金の立札両大師  

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おなかパンパンな感じ&瞼が腫れる原因についてネット検索

おなかパンパンな感じ

 漢方クリニックの処方は、わたしの心臓には合わない気がしたが、叩くと太鼓の音がすると先生にいわれた腹部の状態はかなり改善されていた。

 治療に(心臓が)ついていけなくてやめてしまったが、近頃またガス抜きがうまくできないせいか、張り気味だ。

 食後はその苦しさがあるので、心臓の圧迫感と紛らわしかったが、苦しさが募るので、午前2時頃舌下錠を使った。

 まだ少し苦しい。おなかのガスのせいだろうか。

 昨日は、朝、バナナを1本食べた。あとは夕食を食べただけだが、早食いの癖が直らないこともあって(?)、ガスをため込んだのか、苦しいったらなかった。

 時間が経っても、おなかパンパンの感じは治らず、その刺激のせいか無関係なのか、胸が苦しくなった。

 瞼も、ずっと腫れていて憂鬱だ。同じ街に住む女友達と会う約束で、わたしのほうから連絡することになっているのだけれど、できたら腫れが引いてから会いたい。

 記事を書いているうちに胸の苦しさは消えた。やはり、腹部の問題とは別に発作が起きていたようだ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 瞼が腫れる原因について、ネット検索してみた。

 それによると、

  • アレルギー
  • 腎臓が悪いことによる浮腫
  • 心臓が悪いことによる浮腫
  • 甲状腺機能低下症

 など。

 心臓が原因なら、仕方がないと思うしかない。循環器クリニックにかかっている現状としては。

 ただ以前かかっていた総合病院で慢性心不全といわれ、息切れなど、その症状が強く出ていたとき、瞼はあまり腫れなかった。

 水は、ドクターによって、飲むようにおっしゃったり、控えるようにおっしゃたりするので、どうすればいいかわからなくなるが、控えすぎると結石ができることははっきりしている。飲みすぎると当然、瞼も腫れやすくなるだろうが、あまり飲まないでいても腫れる。毎日、同じような腫れ具体。一日中続く。顔全体も、何となく腫れぼったいというか、不健康な感じで、鏡を見るのが本当に嫌になる。

 わたしは病気をしていても、生き生きとした顔つきだったので、病人とは見られなかったのだが、瞼が腫れていると、普通の精神状態であっても、どんよりとした精神状態に見えてしまう。

 来月、副甲状腺で診て貰っている内科を半年振りに受診するので、U先生にお尋ねしてみたいと思うが、混んでいたりすると、副甲状腺以外のことはいいにくい。血液検査で副甲状腺関係の数値に大きな変化がなければ、卒業ということもありえるし。

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2010年3月27日 (土)

昨日の夕飯(土井善晴先生レシピ『青梗菜と牛肉の炒め物』)

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 昨日のメインディッシュは秋刀魚の塩焼きでした。

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 いや、こちらもメインディッシュ格ではありました。ごはんが進む美味しさで、夫が「うーん、うまい!」といいながら食べていました。参考にしたレシピ『青梗菜と牛肉の炒め物』を、「週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.4」(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

[材料・4人分]
青梗菜3~4株,牛肉切り落とし200g,
下味《砂糖大さじ2,酒・しょうゆ各大さじ1》,
サラダ油大さじ3~4,塩・赤唐辛子(小口切り)各適量

[作り方]

  1. 青梗菜は芯をつけたまま、大きさによって縦2~4割にする。
  2. フライパンに油大さじ2~3を熱し、青梗菜を入れて強火で焼きつける。こんがりと焼き色がついたら裏返し、塩と赤唐辛子を加え、両面を焼き上げ、一度取り出す。
  3. ②のフライパンに油大さじ1を足し、下味をつけた牛肉を入れて炒める。焼き色がついたら、②を戻して全体を炒め合わせる。

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 ゆでた大豆とゆで卵をマヨネーズであえた、↑こんな風なサラダが、書店でちらっと見た土井善晴先生のレシピにありました。なかなかの美味しさでした。  

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2010年3月26日 (金)

テンプレートの変更を試みましたが

 そろそろテンプレートを変更したいと思い、いくつか試してみましたが、字数の関係で本文の崩れる記事が出てきたり、引用の部分の改行が詰まってしまったりといった不都合が出てきて、挫折。

 以前はテンプレートに合わせて、記事の手直しをしたりもしていましたが、ここまで記事数が多くなると、それはちょっと難しい。

 まだ模様替えを諦めてはいませんので、しばらく、ブログにお見苦しいときがあるかもしれませんが、どうかご了承くださいませ。

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ポークソテー、火加減と焼き時間

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 写真は一昨日の夕飯です。

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 具沢山のわかめスープもありましたが、メインディッシュはポークソテー(これだけの写真はなし。うっかり消してしまいました)。

 このポークソテーの作り方ですが、以前は、厚みのある豚肉を焼き上げるための適切な火加減と時間がもう一つわからず、迷いがありました。

 が、脇雅世『しょうが焼きからステーキまで。』(小学館、2009年)を参考に作るようになってからは、何の迷いもなく、焼き上げることができるようになりました。

○ポークソテーの上手な焼き方は、豚肉を表になる面を下にして、中火で3分。返して、弱めの中火でさらに3分です。

 脇先生の本には、上手に焼くコツが詳しく、わかりやすく解説されています。

 厚みのある豚肉だけでなく、薄切り肉からステーキまで……ソースもいろいろ……肉を焼くのが楽しくなる本です。おすすめ!

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う……本がバラけそう

う……本がバラけそう

 『レンヌ=ル=シャトーの謎』の3人の著者のうち2人であるマイケル・ペイジェント、リチャード・リーによって著された『死海文書の謎』(高尾利数訳、柏書房、19925年)。

 図書館から借りたのはいいが、ほとんどバラけそうになっていた……ひどい状態で、頁をめくるとパラパラとれてきそう。

 これでは読めないので、必要最小限の修繕を行ったが、まずかっただろうか?

 これまでに住んできた別の街々の図書館でもこんなことがあり、つい修繕してしまって、一応報告すると、感謝されたが、勝手に下手な修繕を……と叱られそうで、ドキドキする。

 この本を含めて、このところ読んでいる本の著者たちが、解明の光を当てようとしているのは、皮で綴じられたパピルス文書や巻物に書かれた古代写本なので、そうしたものの扱いの大変さを想像してしまう。

 ところで、一つ前の記事に書いた『ユダヤ戦記』だが、ウィキペディアに著者ヨセフスの記述が著書によって食い違うとあったことについて、『死海文書の謎』に、その原因の一つと思われるものが挙げられている。以下に抜粋。

「ヨセフスは、反乱の不安定な余波のなかで書かれた『ユダヤ戦記』のなかで、ガリラヤのユダスが「自らの奇妙なセクト」を創立したと述べている。しかしながら、ヨセフスの第二回の主要な著作『ユダヤ古代誌』は、一般的な雰囲気がどちらかといえばより不安でなくなったほぼ4半世紀後に編まれた。それゆえヨセフスは、この著作のなかでは、よりあからさまでありえた」

 パウロに関してわたしが大学の頃から抱いてきて、過去記事でも触れた疑問についても分析がなされており、わたしの考えと一致する部分が多くて、興奮を誘う。

 考えがこうも似ていると、まるで自分が別の足を使って調べ回っているような錯覚を覚えるほどだ。

 パウロに関する部分からも抜粋しておきたいが、これは携帯からなので、また改めてパソコンから《Notes:不思議な接着剤》に。

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2010年3月25日 (木)

旬のケーキ~!

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 娘が、デパ地下から買ってきてくれました。嬉しい悲鳴! 

 上の抹茶は『ちひろば』、下のレアチーズは『洋菓子の店 あしながおじさん』。

○ちひろば
http://www.asahi-net.or.jp/~fk2m-kkc/index.html
大分市高城南町9番 第3清弥ビル 1階
TEL 097-552-6183/(フリーダイヤル)0120-10-6183

○洋菓子の店 あしながおじさん
大分県別府市鶴見7-3
TEL 0977-26-1580

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『ユダヤ戦記』に読み耽る

 自作童話『不思議な接着剤』の舞台を中世ヨーロッパ風にする必要上、資料として読み始めた中に異端カタリ派、グノーシス、ナグ・ハマディ文書関係があり、その世界にすっかりのめり込んでしまった感がある。

 循環器クリニックを受診したあとで、休日の夫と中心街に行き、書店へ行った。ここまで調べたら、『ユダヤ戦記』を読まないわけにはいかないだろうなと思い、カウンターのところで検索してみると、あった。

 山本書店とちくま学芸文庫から出ていた。どちらも3巻構成となっているが、それぞれ第1巻しかなかった。

 戦記物ということで、積極的に触手を伸ばそうという気になれなかったにも拘らず、格調の高い表現に、思わず読み耽ってしまった。書店で悪いと思ったが、ちょくちょく買うので、大目に見ていただこう。

 家のパソコンで、利用している図書館の蔵書検索へ。どちらもあった。山本書店版を借りよう。今日、夫に図書館から借りてきて貰った、『レンヌ=ル=シャトーの謎』の著者たちの関連書もある。嬉しい悲鳴! 本を読んでばかりだと、童話の執筆が進まないのが困るけれど、この読書、決して無駄にはならないはず……。

 以下に、『ユダヤ』戦記について、ウィキペディアから記事の大部分を抜粋。

『ユダヤ戦記』(ユダヤせんき)は、1世紀にユダヤ人フラウィウス・ヨセフスによって書かれたユダヤ戦争の記録。全7巻。

 成立の経緯
ヨセフスはもともとユダヤ側の指揮官であったが、ガリラヤのヨタパタの陥落によってローマ軍に投降し、以後ティトゥスの配下としてエルサレムの陥落までユダヤ戦争の全期間にわたって従軍した。ヨセフスはティトゥスの凱旋にしたがってローマへ渡り、死ぬまで同地で暮らした。ローマにおいて厚遇され、豊富な資料と自らの体験をもとにして『ユダヤ戦記』を記した。『ユダヤ戦記』の最初の版は80年ごろに完成したと考えられている。ヨセフス自身の言葉によれば、もともとアラム語版が書かれ、それをもとにギリシャ語版が書かれたというが、このアラム語版は現存しない。

もともと6巻構成であった『ユダヤ戦記』に、後にヨセフスが7巻を付け加えている。

 各巻の内容
全7巻からなる『ユダヤ戦記』の各巻の内容と記述されている年代は以下のとおり。

 ●第一巻(紀元前200年ごろ-紀元前4年)
 執筆にいたる経緯、マカバイ戦争の勃発からハスモン朝の成立、ハスモン朝の終焉とヘロデ大王の登場、ヘロデ家の内紛とヘロデ大王の死。
 ●第二巻(紀元前4年-紀元66年)
 アルケラオの継承からローマによる属州化、ユダヤ教各派(エッセネ派、ファリサイ派、サドカイ派)の解説、ティベリウス帝の登場、ユダヤ戦争の発端、シリア知事ケスティオスの敗北、ヨセフスのガリラヤ防衛。
 ●第三巻(紀元67年)
 ネロ帝によるヴェスパシアヌスの派遣、ガリラヤの攻防、ヨセフスの投降。
 ●第四巻(紀元67-69年)
 ヴェスパシアヌスのエルサレムへの進撃、ユダヤ人内部の抗争、ネロの死とローマ帝国の混乱、ヴェスパシアヌスの皇帝推戴、司令官ティトゥスの派遣。
 ●第五巻(紀元70年)
 ティトゥスによるエルサレム攻囲、エルサレム内部の状況。
 ●第六巻(紀元70年)
 神殿の炎上とエルサレムの陥落、ティトゥスのエルサレム入城。
 ●第七巻(紀元70-75年)
 戦後処理とローマでの凱旋式、ヘロディオン・マカイロス・マサダにおけるユダヤ人残党の抗戦と鎮圧。各地でのユダヤ人の陰謀。

 内容と評価
『ユダヤ戦記』は古代のギリシャ・ローマの歴史書にならい、登場人物の演説を随所に挿入するというスタイルをとっている。内容に関しては全編を通して人数の極端な誇張がみられる。また、後に書かれた『自伝』との矛盾点がみられることなどから、ヨセフスが事実を自分の都合のいいように書き換えているという批判が古代からしばしばなされてきた。

しかし、執筆直後から戦勝国のローマ人による高い評価を得ることに成功した本書は、やがてエウセビオスなど初期のキリスト教の著述家によってさかんに取り上げられるようになる。それは『ユダヤ戦記』がマカバイ記と新約聖書をつなぐものであること、福音書と使徒行伝の時代の同時代史となっていることであり、何より執筆者の意図を無視してユダヤ人攻撃のための格好の資料として用いられたためである。

それはエルサレムの崩壊とユダヤ人の受難をイエスを死に追いやったことの報いとして位置づけたためと、福音書にみられるイエスのエルサレム崩壊の預言が成就したことを『ユダヤ戦記』において説明することでイエスの権威を増すことが出来たからであった。現代のリベラル派の高等批評による聖書研究においてはイエスのこの預言は、ユダヤ戦争の終末を知る福音記者がイエスの言葉として語らせた「事後預言」であると解釈されているが、近代初期に至るまで福音書の記述を疑うことは考えられなかった。現在も聖書信仰の教会では福音書の史実性は疑われていない。

ユダヤ戦記. (2010, 2月 6). Wikipedia, . Retrieved 09:25, 3月 25, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%88%A6%E8%A8%98&oldid=30390533. 

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循環器クリニック受診

 薬局の待ち時間に書いています。

 ニトロ舌下錠を使う回数が多かったので、冠攣縮性狭心症の場合、軽いときは水を飲むだけでもとまることがあるそうで、試してみるようにとのことでした。

 が、前兆を感じたとき、すぐに舌下錠を使うことは悪くないそうです。

 舌下錠を使う回数が多いと、先生のムードが何となく神経質に……。

 瞼の腫れについて、質問しそびれました。

 なぜか今日、いつものようには目を診られなかったのですが、じっとわたしの目全体を注視していらしたので、気づかれたとは思うのですが……。

 ずっと腫れているので、こんな容貌だったかと錯覚を起こすほどですが、夫は「腫れているよ。どーしてだろうね」というので、間違いないようです。

 リンデロンのローションは、先生もお使いになっているそうで(アトピー体質みたいです。高校まで喘息だったそうですし)、週に3〜4回軽く塗っていらっしゃるとか。

「汗をかくと、出るんだよ。耳の後ろがガサガサになるんだよね」だそうで、同じような湿疹の症状です。薬剤師さんは、目元に湿疹が……。

 皆さん、悩んでいらっしゃるんですねー。

 いつもの飲み薬、インデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマート。舌下錠のニトロペン10錠。リンデロンのローション。

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Notes:不思議な接着剤 #46/太陽神の権化イエス?/『レンヌ=ル=シャトーの謎』を読む #1 

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#46
2010/3/23(Tue) 太陽神の権化イエス?/『レンヌ=ル=シャトーの謎』を読む #1

マイケル ベイジェント,ヘンリー リンカーン,リチャード リー
柏書房
発売日:1997-07
 『レンヌ=ル=シャトーの謎』は『ダ・ヴィンチ・コード』の作者に影響を与えたといわれるもので、トンデモ本かもしれないと思ったのだが、読んでおきたい本だった。
 序文を読んで作者の姿勢がわかり、わたしには納得のいくものだった。

 ざっと読んだところでは、残る三分の1くらいが事を急ぎすぎた印象だが、それこそ学生時代から疑問に思っていたキリスト教の教義に関して、コンスタンティヌス帝に関連した部分などは目から鱗だった。というのも、イエスはせいぜい紀元前7~4年に生まれたといわれている人で、滅茶苦茶古い時代の人というわけではない。

 それなのに、イエスが神さまで、それと続き物になっている最後の審判、死者の復活などは、どう考えても古代エジプト臭いではないか。

 モーセがエジプトを出たことを考えると、旧約聖書にエジプトの宗教の影響があることは不思議ではないにしても、イエスとあの組み合わせは、時代錯誤的すぎはしないか? おかしい、変だとずーっとわたしは弱い頭を悩ませ続けてきたのだった。みずみずしいイエスの教えと、古色蒼然としたキリスト教の教義が、あまりにちぐはぐに思えていたのだった。

 その疑問に答えるかのように、前掲のコンスタンティヌス帝関連の以下の記述があった。

“ 伝説とは異なり、コンスタンティヌス帝はキリスト教をローマ公認の国教にしたわけではない。事実、コンスタンティヌス帝治下のローマ国教は異教の太陽崇拝で、彼自身生涯を通じてこの神の第一の祭司長としてふるまっていた。実際、彼の治世は「太陽皇帝」と呼ばれ、国旗から領土内の貨幣にいたるまであらゆるところにソル・インヴィクタスが見出された。〔略〕
 シリア発祥のソル・インヴィクタス崇拝は、コンスタンティヌス帝の1世紀前のローマ皇帝によって民衆に強要された。これにはバールやアシュタルテ崇拝の要因が含まれていたが、本質的には一神教であった。実際、この崇拝では太陽神にほかの神々すべての特質を付与することにより、敵となる可能性のあるライバルを平和的にひとまとめにしてしまった。さらに、当時のローマや帝国内で勢力をもち、太陽崇拝も含まれていたミトラ神崇拝ともうまく調和させてしまった。
 コンスタンティヌス帝にとってソル・インヴィクタス崇拝は、ごく簡単にいえば好都合であった。彼が異常なほど気にかけていた最大の目的とは、すべての領土の政治的・宗教的な統一であった。あらゆる宗派の要素を含む国教がこの目的に敵っていた。そして、キリスト教も、ソル・インヴィクタス崇拝の名の庇護のもとにその地位を固めていった。
 正統派キリスト教はソル・インヴィクタス崇拝と多くの共通点があったので、後者の寛容の傘のもとに前者が繁栄するのにさしさわりはなかった。ソル・インヴィクタス崇拝も本質的には一神教なので、キリスト教の一神論への道を切り開いた。ソル・インヴィクタス崇拝はさまざまな点で好都合であり、これらの修正によってキリスト教の普及が進んでいった。
 たとえば紀元321年にコンスタンティヌス帝が発布した勅令では、「太陽の尊い日」には法廷を閉じて休息日とすることを命じている。それまでキリスト教はユダヤ教の安息日の土曜日を聖なる日としてきたが、このコンスタンティヌス帝の勅令にあわせて聖日を日曜日に移した。これによって現行体制にあわせられるだけでなく、ユダヤ的な起源からキリスト教を分離するのにも役立った。さらに、4世紀までイエスの誕生日は1月6日に祝われてきた。しかし、ソル・インヴィクタス崇拝のもっとも重要な日は、その日から1日が長くなり、太陽の誕生(復活)を意味するナタリス・インヴィクタスの祝祭日、12月25日であった。ここでも、キリスト教は、既存体制や確立した国教に自らを適応させた。
 ソル・インヴィクタス崇拝とミトラ教はあまりにうまく噛みあわされていたので、このふたつは混同されることが多い。どちらも太陽の地位を強調しており、日曜日が聖日である。どちらももっとも重要な生誕祭は12月25日である。この結果、キリスト教はミトラ教とも多くの共通点をもつことになり、そのうえ、ミトラ教が強調する霊魂の不滅や最後の審判、死者の復活まで同じであった。
 統一性を主眼においたコンスタンティヌス帝は、キリスト教、ミトラ教、ゾル・インヴィクタスの区別を意図的にぼかし、互いに矛盾のないように気を配った。そのうえでコンスタンティヌス帝は、キリスト教会を建てて母神キュベレと太陽神ソル・インヴィクタス両者の彫像をおき、後者に自分の特徴をもたせていた。この全面的な折衷主義によって統一性がいっそう強化された。一言でいえば、コンスタンティヌス帝の信仰とは政治的なもので、統一に益する信仰はどのようなものでも大目に見られた。
 したがって、コンスタンティヌス帝は後世の伝承のように模範的なキリスト教徒というわけではなかったが、統一性と一様性という名のもとに正統派キリスト教を堅固なものにしたのは確かである。たとえば、紀元325年、彼はニカイア公会議を招集した。この公会議では復活祭の日付や司教の権威についての規則が定められ、これによって教会の権力集中に道を開いた。このニカイア公会議でのもっとも重要な決定はイエスは神で、現世の預言者ではないと投票によって定められたことである。しかし、コンステンティヌス帝にとってなによりも重要なことは、敬虔さではなく、統一と便宜主義であることをもう一度強調しておこう。神としてのイエスはソル・インヴィクタスと便宜的に結つけられたが、人間としての預言者であればこうはうまくいかなかった。つまり、正統派キリスト教は、公認国教との政治的に望ましい融合に手を貸したわけで、この範囲内でコンスタンティヌス帝も正統派キリスト教を支持したのである。
 こうしてニカイア公会議の一年後、コンスタンティヌス帝は、イエスについて述べた異教の著作や「異端的」キリスト教徒が書いた正統の教義に反するすべての著作の没収と破棄を命じた。さらに、コンスタンティヌス帝は教会に一定の収入を与え、ローマのラテラノ宮殿に司教の座を据えつけた。紀元331年には財政的な援助のもとに聖書の編纂を委託した。これは「お告げの信奉者」としての正統派キリスト教に比類ない機会を与えたことになり、全キリスト教史のなかでも最大の決定的な要因となった。
 それより4世紀前の紀元303年、異教徒のディオクレティアヌス帝は、すべてのキリスト教文書を見つけしだい破棄するように命じていた。この結果、とくにローマではキリスト教文書はほとんど消え失せていた。コンスタンティヌス帝がこれらの文書の新版の作成を委託したので、正統派を奉じる人々は、自分たちの教義にあうように内容を改変し、編集し、改作できるようになった。おそらくこのときに新約聖書に決定的な変更が加えられ、それ以来イエスにも現在のような独特の地位が与えられた。このコンスタンティヌス帝の委託を決して過小評価してはならない。五千にものぼる新約聖書の初期の原稿は、どれも4世紀以前のものではない。現行の新約聖書は、本質的には正統を奉じる4世紀の「お告げの信奉者」の編纂者と著者の産物であり、彼らは自分たちが守りたい既得権をもっていたのである。”

 便宜主義が原理主義と結びついたというわけか……怖ろしい。

 便宜的に、太陽神の一変化(へんげ)ということにされたイエスが、さらに便宜的に――ニカイア公会議での投票によって――神ということにされたのだ。

 そして、この便宜上の産物の下で、おびただしい虐殺までが行われたということになる。カタリ派は、そのあまりにもこの世的産物によって撲滅させられたのだ。彼らは、何重かの便宜のために撲滅させられたといっても過言ではない。

 ナグ・ハマディー文書についても詳しい。以下に、一部を抜粋しておく。

“ ナグ・ハマディー文書は、本質的にはグノーシス的な聖書本文で、その制作年代は4世紀末期から5世紀初頭、つまり400年ごろにさかのぼると考えられる。そのなかのトマス福音書や真理の福音書、エジプト人福音書などは、アレクサンドリアのクレメンスやエイレナイオス、オリゲネスらの初期教父たちが述べていたものである。現代の学者は、この文書には新約聖書の標準的な四つの福音書よりも古いものが含まれているかもしれない。
 概してナグ・ハマディー文書は、四福音書に等しい権威をもつものを含む初期キリスト教文書の宝庫である。そのうえ、この文書は真正さに関して独自の主張が可能である。第一に、これらは後世の正統派ローマ教会の検閲や改変を逃れている。第二に、これらの文書はローマ人ではなくエジプト人のためにつくられたもので、ローマ人向けの歪みや偏見が含まれていない。第三に、これらは聖地を逃げだしたユダヤ人が喋ったり、イエスを個人的に知っている人や自らの経験を述べた証人が情報源の可能性があり、これらの人たちは四福音書には含まれていない史実を語ることができただろう。” 

 尚、序文にあった次のような部分にも、わたしは大いに共感を覚えた。

“キリスト教やキリスト教精神の核心はイエスの教えにあり、この教えはさまざまな面で独自性の高いものである。これらは、人類の歴史で過去に存在しなかった価値観なり態度なりを表わしており、人類に『新しいメッセージ』、『よき便り』を伝える、それ自体で意味をもつものである。その内容を支持するために、イエスの伝記物語に古代社会のほかの神々に見られるような奇跡の付随物は不要である。彼の教えにそのようなものが必要であるとすれば、それは教えに重大な欠陥があるか、あるいは信者側の信仰になんらかの問題があるかのどちらかである。” 

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2010年3月24日 (水)

あと100年くらいかるかな……

 朝発作が起きて不調でしたが、昼過ぎに調子が戻った(と思い)、家事をして(その間、胸の真ん中にごく軽い胸の痛みが数回)、パソコンを開きました。

 ストレッチングがてら、料理の記事を書きました。

 そのあとで、『レンヌ=ル=シャトーの謎』から《Notes:不思議な接着剤》に抜粋しておきたい箇所を写し、さらに童話の下書きしたぶんを写したら、(ここからが本日の予定の本編のはずだった)童話の続きを下書きするつもりでした。

 しかし、料理の記事だけで、力尽き、パソコンから離れてしまいました。

 不本意ながら、もう夜ですから、寝ます。このぶんですと、『不思議な接着剤』が仕上がるまでに、あと100年くらいかかりそうです(今年中に仕上げるつもりでしたが……)。

 あと100年も生きるのは無理なので、とりあえず、仙人になる修行をしますわ。ほほほ……

 おやすみなさい。(←明日病院なので、早く寝ます。)

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昨日の夕飯(石窯オーブンレシピ『銀だらの蒸しもの』)

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 薄塩した銀だらは、わが家の冷凍室の必需品です。それを使い、石窯オーブンレシピ『銀だらの蒸しもの』を参考にして作ったメインディッシュが美味しかったです。

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 石窯オーブンのレシピから、材料中心に、簡単にご紹介しておきます。4人分で、銀だら4切(一切50g)。一口大に切った銀だらに、下味《酒大さじ1/2,塩小さじ1/4,こしょう少々》をつけておき、《スープ50cc,酒大さじ1/2,砂糖小さじ1/2,塩小さじ1/4,こしょう少々》をかけて蒸します。最後に、ごま油小さじ2を回しかけます。

 うちで使った銀だらには薄塩がしてありましたので、下味をつけるときに塩は使いませんでした。最後に回しかけたごま油が、味を引き立てていました。

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 サイドディッシュは、キッコーマンのサイト・ホームクッキングのレシピ『アスパラガスと炒り卵のサラダ』を参考にしたものです。アスパラガスが安かったので、二束買い、美味しいサラダでささやかな贅沢気分。

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 上の写真は別の日の夕飯です。服部先生のレシピ『ごま豆腐丼』は、既にご紹介済みです。こちら。
 ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/10/post_ac75.html

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胸痛にニトロ

胸痛にニトロ

 軽い胸痛だったので、放っておいたら、繰り返して起きたので、3回目にニトロペン舌下。

 明日は循環器クリニック。使ったニトロペンの数を報告しなければなりませんが、カテゴリー「健康」をクリックして期間中の殻の写真を数えればよいので、助かります。

 写真を撮る前は、よく記録しそびれていました。

 ニトロペンを使った数が多かったりすると、発作の内容(圧迫感、胸痛、歯痛・喉の締めつけなどの前兆はあったか、舌下後すぐに鎮まったか……etc)、発作が起きた時間帯、日常生活はどうであったかなど、詳しく訊かれます。

 今回の期間中は、「こんなものかな」という感じでした。

 起きたときは気温の変化が大きかったり、(わたしにしては)オーバーワークがあったりしたときでした。

 わたしの場合、睡眠中(よく4時頃)か午前中に発作が起きることが多いです。

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2010年3月23日 (火)

読書のしすぎは、めまいを招く

 マイケル・ベイジェント、リチャード・リー、ヘンリー・リンカーン『レンヌ=ル=シャトーの謎』(林和彦、柏書房、1997年)を読み始めたら面白くて……読みすぎて、めまいと吐き気がしてきました。大きな本で、何しろ500頁もあるのです。

 『ダ・ヴィンチ・コード』の作者に影響を与えたといわれるので、トンデモ本かもしれないと思ったのですが、読んでおきたい本でした。

 『レンヌ=ル=シャトーの謎』の序文を読むと、作者の姿勢がわかり、それはわたしには納得のいくものでした。

 ざっと読んだところでは、残る三分の1くらいが事を急ぎすぎた印象ですが、それこそ学生時代から疑問に思っていたキリスト教の教義に関して、コンスタンティヌス帝に関連した部分などは目から鱗ですわ。

 だって、イエスはせいぜい紀元前7~4年に生まれたといわれている人で、滅茶苦茶古い時代の人というわけではありませんよ。

 それなのに、イエスが神様で、それと続き物になっている最後の審判、死者の復活などは、どう考えても古代エジプト臭いではありませんか。

 影響を受けたとしても、時代錯誤的すぎはしないでしょうか?

 おかしいわ、変だわとずーっとわたしは弱い頭を悩ませ続けてきたのでした。イエスの教えとキリスト教の教義が、あまりにちぐはぐに思えていたのでした。

 その疑問に答えるように、前掲のコンスタンティヌス帝関連の記述があったのです。

 これは携帯からなので、明日にでもパソコンから、その部分を抜粋しておきたいと思っています。めまいがするわりには、ここまでよく書いたものよ、我ながら。

 序文にあった次のような部分にも、わたしは大いに共感を覚えました。

キリスト教やキリスト教精神の核心はイエスの教えにあり、この教えはさまざまな面で独自性の高いものである。これらは、人類の歴史で過去に存在しなかった価値観なり態度なりを表わしており、人類に『新しいメッセージ』、『よき便り』を伝える、それ自体で意味をもつものである。その内容を支持するために、イエスの伝記物語に古代社会のほかの神々に見られるような奇跡の付随物は不要である。彼の教えにそのようなものが必要であるとすれば、それは教えに重大な欠陥があるか、あるいは信者側の信仰になんらかの問題があるかのどちらかである。

 13世紀、ヤコブス・デ・ウェラギネによる『黄金伝説』も、図書館から借りました。

 童話のほうも、進める予定です。

 好奇心と意欲の強さ、確認したい情報の大きさに比べて、肉体の脆弱なことがじれったいですけれど、とりあえずは休憩が必要なようです。

 昨年診て貰って、耳鼻科のドクターに完璧に綺麗といわれた鼻孔は両方とも中が腫れていて、アレルギーとしか思えませんが、やはり昨年に呼吸器科で受けたかなりの項目にわたるアレルギー検査では、ほぼアレルギー気なしとわかったのでした。

 でも、かなり腫れていて、鼻をかむとすぐに鼻血が出ます。例の瞼も腫れっぱなし。それでも読書と創作は楽しいものですが、とりあえず、読書に障るめまいをなおさなくては……

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家族ではまったコミックス『テルマエ・ロマエⅠ』

ヤマザキマリ
エンターブレイン
発売日:2009-11-26
 古代ローマで、風呂の設計をしている建築技師ルシウス・モデストゥス。発想の行き詰まりを感じていた彼は自分でも気づかないうちに、古代ローマの風呂から現代日本の風呂へと時間旅行する癖を身につける。

 彼は時間旅行のたびに、現代日本から風呂に関するアイディアを貰って帰る。

 帝国の前途を憂えるルシウスの情熱的なポーズと、仕事の鬼といってよい彼の仔細な観察及び一途な思考の展開が楽しい。

 一話終わるごとに作者の薀蓄が傾けられていて、勉強にもなる。

 そういえば昔、男性に魅力があるかどうかはお尻の形でわかるといった女友達がいたっけ。

 ルシウスは、《平たい顔族》の日本人と違って美形だし、ギリシア彫刻のような体形だが、お尻はあまり見えない。が、当然、締まったよい形をしているに違いない。

 普通はここまで男っぽい絵柄だとノー・サンキューとなるわたしだが、度をこした真面目さがユニークな人柄となっているルシウスに惹かれ、次巻も読みたくなった。きっと、家族が買ってくれるだろう。 

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国会中継を観ています

 防衛に関する川口順子氏の質疑は、さすがにしっかりしていて、きょとんとした目をして聴いているようないないような夢想家、鳩山首相に対して、まるで辛抱強く講義 しているかのようだ。

 自民が質疑に立つたびに、この光景が繰り返され、それは異様で、どう見ても、座る場所があべこべという印象を与える。

 近い過去に自民は、民主主義国家にあって独裁体制をつくり出してしまうという、あるまじき間違いを為出かした。

 政権交代した民主はそれを正すどころか、もっと危ないものにしてしまったが、そんな体制のなかでの民主のこの経験不足、知識不足、総合力不足、常識さえ不足している現状に、子供が政治ごっこしているのを見るような心細さだけが募っていく。

 自民の質疑には必死さがある。このままでは、再度の政権交代が行われて政権の座につくことができたとしても、修復可能だろうか……という不安に自民は駆られているに違いない。

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2010年3月22日 (月)

メロンパン~!

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 娘が買ってきてくれたメロンパン。どこのメロンパンなのか、娘は記憶していませんでしたが、はなまる、ドォーモで紹介されたメロンパンなのだそうです。

 メロンパンって、ほんのり甘い、香ばしい匂いがたまりませんよね。皮(?)が厚くて、硬いくらい……サクッとした歯応え充分、中身はやわらかな、とっても美味しいメロンパンでした。

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2010年3月21日 (日)

こんなおお風の日はニトロ日和?

こんなおお風の日はニトロ日和?

 春一番をはるかに上回る強風。

 夫を送り出したあと、うとうとしているときに発作が起きました。

 圧迫感次いで胸痛が起きるなかで、寝ぼけていたわたしは、一句捻り出さなくてはニトロ舌下錠が使えないと思い込み、必死で俳句を作ろうとしていました。

 また、昨日から膀胱炎気味。右腰下がいくらか痛いので、結石が移動しているのかもしれません。

 ニトロが効いて、胸の中はよい気持ち。

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Oさんとの文学的交際を振り返る

 そう長かったわけでもないのに、呪縛されていたような日々だった。

 彼が、文学仲間という現れかたをしたために、縁を切るのが難しかったのだろうと思う。

 彼は明敏な印象で、世知に長けた人だっが、知的な面で、部分的な欠落を感じさせた。

 わたしは、最初から彼が怖かったのだと思う。作品をマンションのポストに直に入れに来るなんて、気持ちが悪かった。その気持ちの悪さが、最初から最後まで通奏低音のように響いていた。

 今、しみじみと解放感がわいてくる。

 彼はわたしより7つも上の癖に、イカレタ青年のようにムード的にも性的にも落ち着きがなかった。

 わたしは彼にいったことがあった。奥さんとの壊れた関係に向き合うことこそ、あなたのテーマであり、そこには文学的鉱脈があるのではないかと。

 すると、電話が急に切れた。

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2010年3月20日 (土)

あらら雷が……

『当サイトで紹介した作家・思想家一覧』を昨年の10月から放置していたので、更新しようとメモ帳に人名・日付・アドレスをコピー作業していたら、雷。

 パソコンには落ちやすいと聞いたので、メモ帳を保存し、とりあえず電源を切った。

 が、すぐにやんだ。

 さしあたり、これと、童話の続きと、マグダラのマリアに関するノートをもとにエッセーにまとめるのと、エッセー『悪ふざけがすぎたかな?』……の4つの仕事がある。

 ブログをしていると、いや、書いているだけで、蜜の匂いでもさせているのか、いろんな虫が寄ってくる。

 嫌な虫には、猫になりきり、シャーアアア!

 でも、蝶や蜜蜂も来てくださるから、せっせとブログを更新しますわ。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 缶を開けた生クリームがあったので、ハンバーグにかけました。

 ちょっと元気のない日の夕飯には、大好きなハンバーグを作ることに決めています。

 デザートの八朔が美味しかった……!

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2010年3月19日 (金)

OさんのことでFさんにお電話。詩人と呼ぶ女友達にお電話。

 昨夜、大学の文芸部時代の先輩で、わたしが詩人と呼ぶ女友達にお電話した。

 彼女にはこのブログのことは知らせていないし、このところ記事で触れた男性の先輩のことも何も話していない。

 だから、打ち明け話をするつもりでお電話したのではなかった。彼女の声が聴きたかっただけだった。

 ドクターを替えるという彼女の断行は、よい状態をつくり出しているようだった。今度のドクターとは相性もよく、1回に8錠飲んでいた薬を徐々に減らして貰うことができ、ついに半分の4錠になったそうだ。

 殊に眠剤の減ったのが、嬉しいという。一日中眠かったのが改善されて、頭もすっきりとなったそうだ。作業所にも毎日通っていて、楽しいという。本当に、声も明るかった。

 民話風の童話を1編と、名犬ラッシー風のやはり童話を1編書いたそうで、送ってくれるそうだ。

「Nさんの童話は?」と彼女は静かに、窺うように訊いてきた。「まだ時間がかかると思いますが、できたら送りますね」とわたしはいった。

 彼女にお電話するたび、清涼な風が吹き込む心地がする。彼女の詩はこちら。
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/cat20484287/index.html

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 昨日の夕方、FさんにOさんのことでお電話をした。電話に出たFさんから、ふわっとした温かなものが伝わってきて、わたしはうっかり涙をこぼしそうになった。

 Oさんとは合わないところがあるので、Fさんの口から、そのように伝えていただけないかといった。

 OさんはFさんの文章教室の生徒さんというだけではなく、親しいつき合いもあるようなので、伝言を頼みやすかったが、また、そのことでわたしは、Fさんとのつながりもなくすことになるかもしれないと思った。

 わたしはFさんにお話しした。

 最初から、Oさんには危ないものを感じたので、作品をポストに入れに来ると彼がいったときに(郵送してほしいといったのに、彼はそうしてくれなかった)、夫に会わせたこと。そして、不倫めいたことをするつもりはないということを宣言したところから、文学づきあいがスタートしたこと。

 彼には素質があると思ったし、彼の誘惑的なところに不安を覚えながらも、わたしも一方ではいくらか面白がっていた。が、最後に電話したときに(わたしの考えすぎかもしれないが)はっきりと身の危険を覚えたといった。

 彼の口ぶりからすると、わたしに対してそうだというだけではなさそうで、彼には女性を誘惑する癖があり、文章教室の女性たちにもちょっかいを出している可能性があるので、荒らされたくなければ警戒する必要があると思うといった。

 わたしの打ち明け話に対して、Fさんは「おお……」と「ああ……」の間にあるような、言葉にならない曖昧な小さな声を発し、自分は何も知らなかったが、実は彼がちょこちょこ何かやっとるんじゃないかという懸念は覚えていたといった。

 そのような感じをFさんから受けることがあったので、話やすいということがあったのだが、もしかしたら、OさんはFさんにわたしのことを面白おかしく話しているのではないかと想像したりもしていた。わたしの話が出なかったと知り、逆にぞっとした。

 彼の誘惑的な言葉は、社交辞令の延長としての装飾的なもの、遊戯的なものだとわたしは思い、Fさん、Oさん、高齢のOさんと集いを持った時点までは、Oさんのことを面白がったり、からかったりする余裕があった。

 交際に、文学的な色合いが強まるにつれ、Oさんのそうした悪い癖(とわたしはみなしていた)は出なくなると楽観していたのだった。むしろこの頃までは、男女間の性・結婚・不倫といった普通の男性とは話せない問題に言及できる異性の得がたい友人ができたように勘違いしていた。

 彼には離婚・再婚歴があるだけでなく、現役の女性通であるらしかったが、わたしにはそうした女性達とは別の意識で接してくれると自惚れてもいたような気がする。

 それに、夫と同じ年齢でわたしより7歳も上とは思えない若さがあり、弟とか、どうかすれば子供のように幼く見える不思議なところがあった。子供の頃からのことをあれこれ打ち明けられて、わたしが母性愛を刺激されていたことは確かだった。

 小さな賞をとったり、文学を通じた仲間にも囲まれ、彼も気分がよかったのだろうと思う。しかし、次第に賞というものはとれなくなりがちなのだ。Oさんもそうで、それは確率から考えると、むしろとれないほうが自然なのだった。

 わたしは賞狙いということ自体に批判的でありながらも、初心者が賞を励みにするのは当然といえば当然なのだから、彼を励ますように努めたいと思うようになった。

 その延長線上での最後の電話だった。最後と決めたのはわたしのほうで、彼はそのつもりではなかっただろうと思う。

 彼にとっては、刺激に乏しい、退屈な文学の精進に関する話題。学校の先生から指導を受ける少年のような立場。わたしのほうでは、文学に関心があるはずの彼との共通の話題が次第に見出せなくなる奇妙さを感じていた。

 読書量に乏しいようなのだ。

 しっかりとした文章が書け、人物の描写力もあるのだが、小説というものの骨組みが飲み込めていないほど、本を読んでいない。逆にいえば、彼はあまり本を読まないのに、小説らしきものが書ける、勘のよい人なのだろうと思った。文章がしっかりしているのは、経済ライターが父親代わりだったこと、小出版社を経営したことがあること、またFさんの文章教室のお蔭もあるのかもしれない。

 しかし、この最後の電話でわかったことは、彼は勉強めいたことが好きでないことだった。文学は、それを志す人間にとってはまるごとお勉強なのだが。わたしはノートを作ることを勧めたが、彼はあまり聞いていないようだった。

 わたしの病気も、わたしの毎日の文学的な営みも、彼にとっては会う障害と感じられるだけで、文学の忠告もうるさく感じられ出したのだろう、これまでにない粗野な感じがして、何か露骨だったため、わたしはいつものように応じながらも怯えていた。

 彼の本当の目的は文学などではない、とはっきりと感じた。「手間かけさせやがって! さっと出てきて寝ろ」とでもいわれているような、荒んだ、危険なものを感じた。

 考えてみれば、彼は夫と会っているのだ。そして、わたしが病気であることも知っている。それだけでも、普通はその気が失せたり、遠慮したりするのではないだろうか。彼とおかしなことになって、夫にそれがバレたとき、わたしに何も起こらないとでも思っているのだろうか。そんなことは考えもしないのか。

 文学をだしにして、女(男)にちょっかいを出す危険な男(女)が、世の中にはいるのだ。わたしは肝に銘じなければならない。彼はわたしの作品の一部を丹念に読んでいた。弱みを握るつもりもあったのかもしれないと思えば、いさささか悲しくなる。 

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2010年3月18日 (木)

今日は息子の誕生日

 今日は息子の誕生日でした。娘とバースデーメールを送っていたところ、23時過ぎにメールが来ました。

 長期出張中の息子は毎日遅くまで残業をしているようで、「ウィクリーアパートのパソコンがつながりにくくて帰ってから研究できないから、いっそ稼げるだけ稼ぐことにした」といっていましたが。

 これから研究所からウィクリーアパートに帰るところだったみたいで、アパートまでは1時間近くかかるのです。出張は3月の終わりまで。

 ゴールデンウィークにこちらへ来るそうなので、そのときに、誕生日のプレゼントとドクターコース進学のお祝いを兼ねて、何か贈りたいと思っています。

 

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娘に叱られました

 前の記事を見た娘が、プンプン怒りました。

 書かれた人がわかる人にはわかるので、こんな書きかたをすべきではないというのです。

 ホント、すべきじゃないわね、こんなことは。

 なるべくなら。

 娘にいわれなくても、わかっています。

 わかっていながら書いたのは、伝言板の役目を持たせたかったということが一つ。

 これくらい詳細に書かなければ、文学の名のもとにわたしに起こったことが伝わらないだろう、と思ったことが一つ。

 プライバシーという点では、幸い先輩を先輩と言葉に出して呼んだのは、30年も前の話で、当時の文芸部員で先輩を知っている人が、このブログを閲覧している可能性は、微々たるものです。

 それ以外にかけたご迷惑に関しては、お互い様ということで。奥様の検閲のご苦労もなくなるわけですから。

 Oさんを知る人で、このブログを閲覧している可能性のあるのは1人(女性)のはず。

 女性には、むしろ警告になってよいと思っています。

 それにしても、文学を愛し、創作しているというだけで、なぜ、今のわが国では、肉体派あるいは不倫派と邪推されてしまうのか……記事『悪ふざけがすぎたかな?』でその分析をしかけ、中断していたところでした。

 わたしの知っている、文学を長く愛して創作している人は、礼儀正しいという事実。これは清々しいことで、希望です。

 わが国の文学界の病根が、そう深くはないということを示していると思われるからです。

 ちなみにわたしが作家から連想するイメージは、ローデンバック、リルケ、チェーホフ、モーリアックといった繊細な知性派です。勿論、わたしにとって、燦然と輝く巨星は、バルザックですが。

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続・Oさんにお電話

 一つ前に書いた記事『Oさんにお電話』の続き。

 記事を書いたあと、いや、文学づきあいの始まりの段階から、お2人――Oさんと文芸部の先輩の一人――との交際は、続かないのではないかと懸念しながら、長いこと決断が下せなかった。

 ようやく決断した。この2つの交際をやめようと。

 おつき合いのスタートの時点で、わたしはどちらにも、賞絡みの交際はできないことをお断りしたはずだった。

 だからなのか、本当に純粋に文学をなさるおつもりだったのかは知らないが、丁度文学革命を起こせないだろうかとわたしが考え出した、その考えにリンクするような言葉をOさんから聞いたり(Oさんとの交際は電話中心だった)、読んだり(先輩との交際はメールと手紙だった)したため、何だか期待してしまったのだった。

 しかし、作品の書きかた自体が、どちらも労を少なくして効果は上げたいといった風な書きかたであり(これは単にわたしの読解力のなさであったり、偏見である可能性もあるが)、公募ガイドが変にちらつくところから見て、賞狙いとしか思えなかった。

 賞狙い、結構! 文学を純粋に試みるのも、不純に試みるのも、当人の自由だろう。大いに、やっていただきたいと思う。これからは、わたしと関わりなく。

 Oさんには少々危険なところがあり、電話のたびに誘惑してくる。先輩の場合は、奥様の検閲つきのメールあるいは手紙のやりとりという、Oさんとは対照的な交際方法だったが、どちらともごく普通のやりとりが出来ないという点では、共通するものがあった。ずいぶん失礼な話だと思うが、当人たちにはその自覚がないようだ。

 直接電話したり、メールしたりが億劫なのは、こうした通信上の齟齬があるからで、閲覧されるかどうかはわからないが、ブログのほうがまだしも、まともにわたしの意志を伝えられると思う。

 わたしはかつて賞狙いに走った長い期間があり、賞の情報交換や作品を読み合う交際を、多くの人々と賑やかにしていた。『くりえいと』『さくらんぼ爆弾』といった同人誌なども、今となってはなつかしい。

 やりとりは手紙、メール、電話、会う――といろいろだったが、いずれも礼儀に適った普通のやりかたであったし、文学的なレベルももう少しは上だったと思う。

 また、わたしたちは同じ賞狙いの立場にある、生活環境も似た者同士だった。仲間づくりという点でも、マナーに適ったものといえたと思う。異なる立場や生活環境にある人を引きずり込むような真似を、わたしたちはしなかった。

 先輩とは大学時代に同じ文芸部だったが、当時の先輩の作品としては、学園風の短編小説を1編読んだ記憶しかなかった。

 わたしは当時から、下手であってもよく書いていたほうで、『土曜会』という研究会に加わったり、あれこれ文学的な文通をしたりもしていた。先輩のことは、役職を引き受けてくれた真面目な人というくらいしか、認識がなかった。

 賞狙いから離れたのに、賞の臭気を吹きつけられたり、長い間に文字通り血と汗と涙をもって掴んだ情報を無料で提供したり、文学のイロハを一緒に復習したりするのは、もう真っ平である。

 編集者Mさんが昔、賞の乱立が同人誌活動を侵食していると分析していらしたが、多すぎる賞の弊害は依然として大きく、本来であれば文芸創作しないタイプの人々が多く流入してくる状態を継続的につくり出しており、今やわが国の純粋かつ自由な文学活動の息の根を止めようとしているとさえいえよう。

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2010年3月17日 (水)

Oさんにお電話:純文学の技法について。わたしの本音。 

 作品の感想をきちんといっていなかったので、Oさんにお電話した。

 筆任せに書かれているのではないかと思っていたが、やはりそのようだ。それでいながら、最後は決めていた様子。

 最後の場面(テーマの落とし処)を決めていたというのであればわかるが、そうではなく、どういったらよいのだろう……あらかじめ、テーマの追究の結果を限定してしまっているような、技法上の重大な欠陥があるように感じた。

 彼の文章には生命が宿っているのだから、大事なところだ。

 彼の創作姿勢は、エンター的というわけではない。エンター的な書きかたであれば、読者の意識に徹底して添ったサービス精神が備わっていなくてはならない。

 彼が備えているのはそれではなく、テーマの追究という純文学の意識であるから、そうした限定はどうかと思うのだ。

 純文学が読者に与える悦びは、いわば錬金術的変成の過程を公開することによる秘密と発見の分かち合いだとわたしは思う。

 作者の側の苦労は、ひとつの作品ごとに、1つ以上の発見をしなければならないことだ。俗にいう芸術家の苦悩というものは、ここから来るに違いない。

 ところがOさんの書きかただと、作品を通じた発見が期待できないばかりか、作品と共に味わう自己変容の神秘も、作品と共に成長する悦びも期待できなくなってしまう。芸術の悦びが。

 それに、構成もなしという行き当たりばったりの書きかたでは、掌編の場合に限り一筆書きも可能だろうが、長いものでは、それなりの下準備をしなくては、作品が死んだり、上手く育たなかったりしてしまうと思う。

 わたしは作品ごとに、薄いものでいいから、プランを練ったりメモしたりするためのノートを1冊作ることを勧めた。

 うるさくいい過ぎたかもしれない。彼はまだ、とにかく楽しく書いていたい、文学的な交際を賑やかにして触発されたい段階にあるようだから。

 時期的なずれを感じるので、病気を隠れ蓑にしているわけではないが、積極的に文学づきあいをしたい気持ちになれないのだと思う。

 盛んに交際して、技法を論じ合ったり、発表の場を求めて情報を交換し合ったり、作品を批評し合ったりという時期はわたしには長く続いたが、それは5年前に終わったのだ。

 今はひとり沈潜して、書いていたい。邪魔されたくない。他人の創作を見守る義務もなければ、その資格も持ち合わせていない。

 上に書いたことも、あくまでわたしの考えにすぎないのであって、親密な交際をすることで、押しつけになることを畏れる気持ちもある。

 わたしにも、再び交際の波がやってくる気もするが(ホロスコープからすると、2~3年先かしらね)、少なくとも今は沈潜期。無理に引きずり出させると、陸に揚げられた魚になってしまいそう。

 わたしが再び交際期に入る頃、今度はOさんが沈潜期に入っているかもしれないし、そもそも彼はまだ書いているだろうか? 素質のある人であることは間違いないけれど(だからこそ、視線を向けてきた)。

 Oさんと時期を同じくして創作を復活させた文芸部の先輩が思い浮かぶ。創作仲間にいいんじゃないかという気もするが、どうだろう?

 しかし本音でいうと、わたしはどちらも信用していない。こんな時期から文学だなんて、正直いって笑わせる。専業主婦は気軽に利用できる便利な存在なのだろうということも、彼らは感じさせる。

 作風は違い、欠点も違い、文学観も人生観も何もかも違うが、長く書き続けているFさん、ドクターのKさん、Kくんは、わたしを主婦としてより書く人間として見てくれる。それが感じられる。社会的評価とは別の、こんなところで、キャリアの違いがはっきりと出るのだ。

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2010年3月15日 (月)

アフタヌーンティーにて

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 娘と外食となると、昼も夜も軽食っぽいものに。この写真もランチの写真も、撮影は娘です。

 旬の柔らかいキャベツをたっぷり使った、春らしいパスタ。白いものはサワークリーム。美味!

 今日は、一日中遊んでしまいました。

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『シャネル&ストラヴィンスキー』は駄…

 シネマ『シャネル&ストラヴィンスキー』は、わたしはいただけなかった。安っぽいというか、えげつないというか……。

 せっかくのシャネルのモードも、生かされているとは思えなかった。

 シャネルなら黒だろう、異性を援助していたのなら肉体関係くらいあっただろう……といった先入観だけで成り立っているような映画だった。

 わたしが読んだ3冊の伝記と親交のあったゼッフィレッリによって書かれたシャネル像とは対照的な、やたらと性欲に飢えた女、冷淡そのものの身勝手な女にされていた。

 ミヤコ蝶々じゃなかった、シャーリー・マクレーンのシャネルのほうが遥かによかったんじゃないかと娘に訊いたら、娘はウイ……といった。

 なんか最近、シネ5で外ればかりだなあ。

●当ブログにおける関連記事:ポール・モラン著「シャネル―人生を語る」を読むhttp://elder.tea-nifty.com/blog/2008/06/diary0864_e872.html

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娘とランチ~!

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脳神経外科受診

 骨腫瘍らしき硬質の額と後頭部の腫瘤は、少しだけ育っていました。額のコブ2号のほうが、後頭部のコブ3号より成長のが速いようです。

 サイズを、メモしておけばよかったと思いますが、この程度であれば、心配要らないそうです。また、頭蓋骨に新しい腫瘤はできていないということでした。

 耳の後ろの骨腫瘍でない柔らかなコブ4号も、とらなければわからないが、気になることがなければ、そのまま観察していてよいそうです。

 急に大きくなる、腫れる、痛むなどの異変があれば、すぐに受診するように……とのこと。

 そんなことがなければ、次回は2~3年後の受診でよいそうです。

「額の腫瘤は、このペースでいくと、相当先まで放っておいてよいということになりますか?」と尋ねますと、先生は触ってから、「うーん、後ろのは髪に隠れるからいいけど、額はねー。あまり大きくなってからだと、傷が大きくなるからなあ」とおっしゃいました。

 そのあとで、すぐに牽制でもするかのように「でも、今とることはないと思うよ」と先生。

 そのあたりのことが微妙なので、すっきりしませんわ。

 オペは5~6年先くらいになるかしらね? 昨年の受診時にお尋ねした、先生おすすめの中村病院かアルメイダを紹介して貰って。

 この先、腫瘤が増えないかも気になるし……経過観察の間隔が開けば開くほど、すっきりしない気分はむしろ強まり、また呪いのドクロを見たせいか(自分のだけど)、沈鬱な気分。まあ、いいや。

 さあ、映画!

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今日の予定

 脳神経外科を受診したあと、休日の娘とシネマ『シャネル&ストラヴィンスキー』を観に行きます。

 夫は夕方から飲み会なので、娘と外食するつもり。

 このところ家に籠もって読書に明け暮れていたので、開放感を覚えています。

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Notes:不思議な接着剤 #45/『ピスティス・ソフィア』におけるマリアの恐れ

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#45
2010/3/15(Mon) 『ピスティス・ソフィア』におけるマリアの恐れ

 一昨日、マービン・マイヤー&エスター・A・デ・ブール『イエスが愛した聖女 マグダラのマリア』(藤井留美案&村田綾子訳、日経ナショナル ジオグラフィック社、2006年)が届いた。

 パラパラと本をめくったとき、わたしの脳より先に霊が感応したらしく、久しぶりに自身のオーラが燦然と輝くのを見た。えもいわれぬ真珠色の幸福感に浸されて、ふわふわと体が浮く錯覚を覚え、うっかり気を抜けば、彼の世に行ってしまいそうなくらい。

 我に返ってから、どこがそんなにすばらしいのだろうと思い、改めて本の構成を見る。以下は、序章からの抜粋。

 イエスの使徒と呼ばれる人物のなかで、マグダラのマリアほどイエスに近い者はいない。彼女は独立心にあふれ、強い意志をもつ女性だった。
 マグダラのマリアという傑出した女性は、数多くの書物に取りあげられてきた。本書では、そのうち最も古く、最も信頼に足る文献を手がかりに、マグダラのマリアをめぐるさまざまな伝承を見直していきたい。
 次章以降で、新約聖書の福音書、聖書には収められていない正典外のキリスト教文書、それに「マリアの福音書」を含むグノーシス文書などから、関連する部分を紹介していく。

 具体的に挙げると、キリスト教の正典として新約聖書に収められたマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネによる福音書。それらと関係の深い断片的なペトロの福音書。グノーシス文書『マリアの福音書』『トマスの福音書』『フィリポの福音書』『救い主との対話』『ピスティス・ソフィア』。マニ教詩篇集『ヘラクレイデスの詩篇』である。

 取りあげられた文書についての解説――成立過程、内容、位置づけなど――に続いて、マリアに関連する部分が抜粋されている。マグダラのマリアのエッセンスを小壜に集めたような贅沢さだ。

 わたしの霊が悦んだのは、ブラヴァツキーが最も高尚な哲学体系といった『ピスティス・ソフィア』の断片にだろうか? タイトルとなっているピスティス・ソフィアとは、本によると、「信仰の知恵を意味し、神格が女性の姿で現れたものである」という。

 「ピスティス・ソフィア」には、数多くのイエスの信奉者たちが登場し、問いを投げかけたり、意見を述べたりしている。とりわけ重要な役割を担っているのがマグダラのマリアとヨハネであり、なかでもマグダラのマリアの存在が際立っている。

 『ピスティス・ソフィア』は「グノーシス的な考察と啓示を記したきわめて長い文書」ということだが、本で紹介された部分は5つの断片にすぎない。しかも、そのうちの《マリア、ペトロを恐れるが、正しさを認められる》と題された断片では、胸の潰れるようなマリアの言葉があった。以下に抜粋。

 【72】第一の神秘がこれらのことを弟子たちに言い終えたとき、マリアが進み出て言った。「わが主よ、私は心のうちに理解しました。私はいつでも前に進み出て、ピスティス・ソフィアが言ったことを解釈できます。ですが、私はペトロを恐れています。なぜなら彼は私を脅し、私たちの性(ジェンダー)を憎んでいるからです。
 彼女がこう言うと、第一の神秘が彼女に答えた。「光に満たされている者は誰でも、前に出て私の言葉を解釈するだろう。誰もそれに反対はできない」

 この文書の成立地はエジプトと推定され、4世紀後半のアスキュー写本に収められており、「少なくともその一部は、写本が書かれる1世紀半前には成立していたと考えられる」ということだ。

 その頃、マグダラのマリアとペトロの対立は、作品の中で、マリアにここまで劇的な言葉をいわせるまでに図式化して考えられていたのだろうか。南フランスの伝説と絡めて考えると、心穏やかでなくなる。

 様々な文書と伝説を総合して考えると、マグダラのマリアは、マグダラという土地の女性領主で、裕福であり、イエス一行を財政的に支援したばかりか、弟子として極めて有能な、イエスの信頼も厚い一番弟子といってよい立場にあった。

 地味に書かれている新約聖書にあってすら、イエスが捕らえられたことに恐れをなした男性弟子たちが逃げ出したあとも、マリアは他の数名の女性と共にイエスの傍に留まった。

 グノーシス文書においてはマリアは知的好奇心に溢れた、はっきりと物をいう、霊的成熟度の高い女性として描かれている。

 伝説によると、イエスの死後14年目に、マグダラのマリアを含む弟子の十人以上の人数が、櫂も舵もついていない小舟に乗せられて海に流されるという忌まわしい事件に巻き込まれた。しかし、彼女は不運な出来事に屈することなく、漂着した土地一帯にイエスの教えを広めた。後半生には一人霊的な探究の道を選び、洞窟に隠棲して修行を全うした。

 マグダラのマリアの志操堅固な気高い人柄は、新約聖書、グノーシス文書、伝説いずれをとっても、ぶれることがない。

 わたしは童話『不思議な接着剤』の着想を得たとき、洞窟に囚われた乙女を描きたいと思い、最初にそのイメージを掻き立ててくれたのは、わたしが詩人と呼ぶ文芸部時代の女性の先輩だった。彼女は過去に、カトリック教会の修道女を育成する学校でトラウマを形成していた。

 洞窟にいる人物に目を凝らすうちに、マグダラのマリアというモデルが現れてマリーという女性となった。それでも、子供たちと一緒に洞窟に入ってみなければ、どんな顔なのかがはっきりせず、声も聴こえない。

 実は恐いのだけれど、いい加減、洞窟に入らなくては……。 

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2010年3月13日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #44/南仏におけるマグダラのマリア伝説 #2

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#44
2010/3/13(Sat) 『マリヤによる福音書』に関する私的考察 #4/南仏におけるマグダラのマリア伝説 #2

 昨日、田辺保先生の『フランスにやって来たキリストの弟子たち――「レゲンデ」をはぐくんだ中世民衆の心性』(教文館、2002年)が届いた。

 深夜、その本を読んでいたのだが、そこに紹介されている南フランスに残るマグダラのマリア伝説があまりに具体的、かつ詳細なのには、呆れてしまった。

 これが伝説だって?

 カトリック教会による弾圧を畏れて、伝説にしてしまうより他に仕方がなかったのではあるまいか。

 『ダ・ヴィンチ・コード』 を連想させる記述もあるが、田辺先生の格調高い筆致で紹介されると、別物の趣がある。

 ヴィラギネのヤコブス〔1228―98〕による聖人伝説集『黄金伝説』からの引用を含む多彩な文献をさりげなく織り込んで、《伝説》が重層的に解説されていく。

 それによると、イエスの死から14年目に、マグダラのマリアを含む弟子たち10人以上の人数が、小舟に押し込まれ、海に流された。途中、嵐に遭いながらも、マルセイユの港に着いた。

 プロヴァンスには、サント=マリー=ド=ラ=メールの地に着いたという《レゲンデ》が語り伝えられた。

 弟子たちは、精力的に伝道に勤しんだらしい。

 マグダラとは、その出身地だそうで、マグダラはガリラヤ湖畔にあり、多くの民族が混じって住む漁業と産業の一大中心地であったとか。以下は、前掲の田辺先生の本からの抜粋。

『黄金伝説』は、ラザロたち三兄妹は、パレスチナ北部のガリラヤ湖畔にあるマグダラにも、ずっと南のエルサレム近くのベタニアにも、エルサレム近辺にも、広い土地を持っていて、エルサレムはラザロ、ベタニアはマルタ、そしてマグダラはマリアが相続していたとあります。ラザロは軍人として家を離れていることが多く、もっぱら家政の管理は、姉マルタが引き受け、マリアは自分にあてがわれたマグダラで、欲望のまま、自由奔放な生活にふけっていたのでした。けれども、イエス・キリストに出会ってからのマリアは、こんどはひたすら信仰にうちこみ、師のあとを慕ってついてまわり、さいごまでイエスに忠実に仕える態度をくずしませんでした。

 本では、『ダ・ヴィンチ・コード』でも出て来たようなレンヌ=ル=シャトーをめぐる伝説も紹介されている。

実は、マグダラは、イエスの妻であって、二人の間には少なくともひとり以上の子どもがあったといわれます。南フランスのユダヤ人共同体にまぎれこんでマグダラは子どもを育て上げ、その子孫が5世紀には、北方から進出してきたフランクの王族のある者と結ばれて、メロヴィング王朝(フランス最初の王朝)を創始したのだそうです。

 ところで、わたしの注意を惹いたのは、謎の財宝が隠されていた場所とされるレンヌ=ルー=シャトーというのは、フランス南西部ラングドッグにある丘の上の小村という箇所だ。

 ラングドッグ! ラングドッグといえば、そう、あの異端カタリ派が栄えたところではないか。

 レンヌ=ルー=シャトーをめぐる伝説では、この村は、マグダラのマリアがフランスに上陸後、移り住んだところという。

 伝説にせよ、歴史的事実にせよ、異端カタリ派とマグダラのマリアがつながった!

 マグダラのマリアは後半生をプロヴァンスの一角、サント=ボームの洞窟に完全に隠遁して過ごしたという。『黄金伝説』では、瞑想のためだったとあるそうだが、キリスト者田辺先生の解釈では、「愛になる」とはどういうことかを考えつめていたのではないかとある。

 しかし、マグダラのマリアの行動は、愛を観想していたにしては、「ときにからだを鞭うち、断食をして、自分を苦しめていた」「食事については、山にはえる草や木の根を集めて生のまま食べていた」とあって、いささか過激であり、むしろその姿は東洋の行者を連想させる。

 そして、その姿は、グノーシス主義の福音書文書中の白眉『マリアによる福音書』の中で、マリアがイエスから教わった秘伝的箇所を連想させるに余りあるではないか。

 わたしは当ブログでも公開している手記『枕許からのレポート』で書いたが、昔、重体の母の傍で、我知らず行者になりかけたことがあった。

 自分を追い詰める苦しさの果てに体験した神秘的な悦びから、ヨガなどの東洋思想に関心が向いた。

 その後オーラが見えたり、テレパシー的能力が身に付いたりもしたが(前世において獲得していた能力を思い出した、といったほうがよいかもしれない)、神智学によって、普通の人としての淡々とした暮らしの中でこそ、一番安全な霊的な道を辿れると学び、それからは行的なことは(前世の習慣として身に付いていた瞑想すら)していない。

 ただ、わたしは自身の乏しいながらも前世と今生の体験を通じ、洞窟でのマリアが『マリアによる福音書』に書かれていたような教えに従って隠遁していたとしたら、どんなことをしていたかの想像はつくのだ。

 それにしても、伝説のマグダラのマリアが後半生を洞窟に籠もって過ごしたとは! わたしの童話『不思議な接着剤』に出て来る、洞窟のマリーのイメージがようやく具体的な像を結んだ。

 ちなみに、伝説によると、「マグダラのマリアが、カマルグのサント=マリーに到着したのは、紀元45年、サント=ボームで亡くなったのは、75年2月」だそうだ。本当に、何て具体的な伝説なのだろう。

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2010年3月12日 (金)

ニトロ舌下

ニトロ舌下

 昨日から発作の前兆がありました。気温が大きく上下すると、それが刺激となるのか、大抵起きます。胸の真ん中に、胸痛。

 写真は、光ってよく撮れませんでしたが、ニトロペンの殻と、仕事帰りに娘が買ってきてくれたスタバのカフェミスト。。

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テレビの国会中継から占星術へ

 テレビで、国会中継を観ていた。参院予算委員会集中審議。

 日本共産党の大門実紀史氏によると、日本郵政が、小泉の改革以来、おかしなことになっているらしい。

 雇用関係である。契約・過酷なノルマ主義による首切り、人の入れ換えが恒常化しているという。

 自民から民主に政権交替しても、雇用という社会の動力となる部分の改善が一向に見られず、国民の不安をそそっている。

 日本社会がおかしくなった第一の原因は、小泉の郵政改革に端を発した雇用関係の改悪であった。

 自民は、何とかしようとしていたところではあった。バトンタッチした観念的な民主が、そこを放置したまま、少し足りない頭で想い描く社会の理想像に従い、懐具合にお構いなしに、あちこちいじり出したから、たまらない。

 小泉改革のとばっちりを真っ先に受けた娘たちの世代で、結婚した人の話はめったに聞かない。多くの男女が将来の設計もできないまま、年をとり、まだ若いうちから老後の不安ばかりがのしかかる。

 高校の無償化が実現しても、高校を卒業したあとで、不安定な雇用関係の嵐の中に出て行かなければならないのなら、まるで子羊を太らせておいて劣悪な雇用関係の餌食にするようなものではないか。

 ところで、占星術では郵便・雇用・初等教育はいずれも水星が司っている。郵便のブレはまさしく雇用のブレを意味していた。日本郵政の状態は、わが国の雇用状態を映し出す鏡ともいえるわけである。

 水星を支配星とするのは双子座と乙女座で、活動分野を意味する12ハウスのうち、双子座は第3ハウス、乙女座は第6ハウスに位置する。

 初等教育(義務教育)は双子座の第3ハウス、雇用は乙女座の第6ハウスが示す。

 第6ハウスまでは個人活動の領域とされ、ここが阻害されたままだと、その先のハウスが開けない(うまく機能できない)のだ。

 社会参加の第1歩。他人との共同関係、結婚相手は第7ハウスで見る。大企業・金融は第8ハウス。結婚生活もここ第8ハウス。学術・出版・外国は第9ハウス、大学や高等教育は通常ここで見る。キャリア・ステータスは第10ハウス。

 現在の日本では、12ハウスが有機的に機能していない。特に第6ハウスの阻害が著しい。

 第8ハウスの大企業はデモーニッシュなものとなって、雇用関係を示す第6ハウスを自分のいいようにしてきたが、第6ハウスがすこやかに機能していなければ、第8ハウスはうまく機能できないので、結局大企業は自分で自分の首を絞めることになるのだった。

 第8ハウスは結婚生活も示すので、大企業が横暴となると、荒れた結婚生活をしている人も多いのではないかと想像したくなる。子供に関する痛ましいニュースは、それと無関係ではあるまい。

 また、第6ハウスは雇用だけでなく、健康も示すので、ここが改善されないと、病人は増える一方だろう。

 占星術的に見れば、わたしが病人なのも、母の介護の必要から就職を諦めざるをえず、フリーターとなったことと関連している。

 正当な雇用関係が築けないまま(社会に自分の居場所を見つけられないまま)、結婚し、第7ハウスを無理に開いたが、第6ハウスが阻害されたままなので、第7ハウスの結婚相手、第8ハウスの結婚生活は阻害されたかたちで現れた。

 わたしが望む出版となると、さらにその先の第9ハウスが示すので、第9ハウスの出版界はわたしには、高飛車な、不当な、支離滅裂な、ときに痴呆とすら見える、おかしな現れかたをするわけだ。

 社会自体の第6ハウスが阻害されている現状では、それは現実の出版界の姿を多かれ少なかれ映し出したものといえるだろう。

 ●当ブログにおける関連記事:エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 

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2010年3月11日 (木)

今日の夕飯

今日の夕飯

 江戸崎愛先生のレシピを参考にした、ビーフストロガノフです。

 牛肉はお買い得品の切り落としですが、美味しくできました。

 レシピは既に紹介済みです。こちら。
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/09/post_11.html

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2010年3月10日 (水)

購入予定の本 その二…マグダラのマリア関係

 マグダラのマリア関係では、どうしても以下の本は読みたいと思った。

マービン マイヤー,エスター・A. デ・ブール
日経ナショナル ジオグラフィック社
発売日:2006-11-30

 マグダラのマリアは、わたしの自作童話『不思議な接着剤』に出てくる錬金術師の娘マリーを形成するためのシンボリックなモデルとして、調べ尽くしたい史実上の重要な女性だ。マグダラのマリアをモデルにしたいと思ったのは、彼女が東西の思想的分裂を調和する、というより全き一つにするかもしれない古代写本、『マリアによる福音書』における核心的人物だからだった。

 残念ながら、どれも図書館にはなかった。

 ナグ・ハマディ文書や原始キリスト教という大きな括りで、マグダラのマリアに関する部分を含む文献は、沢山ありそうだが、『マリアによる福音書』と、そこから浮かび上がるマグダラのマリア像に焦点を絞ったものは、そう多くはないようだ。

 上の3冊の購入を決意し、書店勤務の娘に取り寄せを頼んだ。

 真っ先にカレン・L・キングの『マグダラのマリアによる福音書』(山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2006年)が届いた。訳者あとがきによる著者のプロフィール。
 著者のカレン・キングは、現在ハーヴァード大学神学部に属する古代キリスト教史の正教授であり、今日ナグ・ハマディ文書として一括されるキリスト教グノーシス派の新訳聖書外典(コプト語パピルス古写本)の研究者として、アメリカが世界に誇る第一級の学者である。

 とりわけ、カレン・キングの名を一躍世界的なものにしたのはマグダラのマリアに関する研究であり、その成果を世に問うた本書によって、彼女に対する評価は、世界の学界に揺るぎないものとなった。

 また、続けて書かれている。

 それにしても、今、なぜマグダラのマリアなのか。
 問題は、こうした学問への関心がアメリカにおける聖書外典研究、わかりやすくいえばいわゆる異端文書にたいする関心と表裏一体をなしていることにある。それがアメリカにおける聖書外典研究の大きな流れとなり、今や世界の学界をリードしている。こうした流れの中から、先には、すでにわが国においても知名度の高いエレーヌ・ペイゲルスの『ナグ・ハマディ写本――初期キリスト教の正統と異端』(邦訳、1996)および『禁じられた福音書――ナグ・ハマディ文書の解明』(邦訳、2005)の研究が生み出され、そしてつい最近にはグノーシス研究の第一人者であるマービン・マイヤーによる『原典ユダの福音書』(邦訳、2006)が、そしてここにカレン・キングの『マグダラのマリアによる福音書』の研究が新たに加えられることになる。

 エレーヌ・ペイゲルスの著作は既に読んだ。三番目に挙げた本の著者はマービン・マイヤーだ。マグダラのマリア研究に関しては、現代の最高水準にある研究書を選択できているようだ。 

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購入予定の本 その一…山崎栄治関係

 先日から何度か、リルケの詩篇『薔薇』の訳者・山崎栄治について、短い記事を書いてきた。

 山崎自身が詩人であったことを知り、彼の詩集は勿論、評伝などもあれば読んでみたいと思ったが、利用している図書館の検索では訳者としての名しかヒットしなかった。

 ネット検索したところ、過去記事で書いたが、影山恒男『立原道造と山崎栄治――困難な時代の蜜房 』(双文社、2004年)が購入できるとわかり、書店勤務の娘に取り寄せを頼んでいた。

 その娘から電話があり、山崎が同人だった『同時代』の山崎栄治追悼特集号(発行所=黒の会、発売所=法政大学出版局、1993年1月)を取り寄せられそうだが、どうするかという話だった。

 年月を経ているため、表紙の色が褪せているという。それくらいは何でもない。『立原道造と山崎栄治――困難な時代の蜜房 』の注文を取り消し、同人誌の追悼号を取り寄せて貰うことにした。

 立原道造との関りも知りたくないわけではないが、正直いって、大学時代に購入して読んだ立原の甘い詩には、わたしは何の興味も惹かれなかった。読むとすれば、追悼号のほうを読みたい。

 娘が書店員として慣れてきて、わたしの資料集めによい働きをしてくれる。お金がないのを知っているので、より目的に合ったものを調べて調整してくれ、助かっている。

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記事移動のお知らせ

 一つ前に公開していた記事は、わたしの外部サイト『マダムNの体調日記』に移しました。

 コンディションの悪いときに書いたせいか、あまりに重たげな記事になっていましたから。

 当ブログは総合ブログですし、綺麗事だけを記録に残すつもりもないのですが、普段の自分からすると、ちょっと暗すぎる記事に思えましたので、妥当な置き場所に移したというわけでした。

 昨日……いえ、もう一昨日になりますが、脳神経外科で自分の頭蓋骨の写真をつくづくと観察して、別にだからといって、これまではどうということもなかったのですが、結果が悪かったわけでも何でもないのに、一昨日から昨日にかけては妙に暗澹とした気持ちになってしまったのでした(呪いのドクロ? 自分のだけれど)。

 実はその気分はまだ続いているのですが、それはそれとして、放っておいて、やるべきことをやろうと思います。

 百合を観察したことで(百合が語りかけてきたのです)、本来の自分に戻れました。

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2010年3月 9日 (火)

最期を生き始めた百合(自作詩)

強い香気を放ち、光るように白かった百合。
その色合いは弛緩し、
退廃と死の茶色が霧のように混じり始めた。

蕾がほころびかけた頃の花弁の一ひらが、
羽ばたきかけた白鳥の羽根に見えた。
その一ひらがもげて、落ちてきた。

すっくと立った百合が気炎を吐くので、
その周りで、
世界が寄せたり返したりしているかのようだった。
その反響も今はただの壁となって、
百合がもたれかかっている。

花瓶の水に、
自ら緑の脚を差し入れてきたかのようだった百合。
記憶をなくした囚人のように今は、
花瓶の水に茎の先を溶かしている。
もう何処へも行くつもりがないのだ。

精気そのもの、抽象的だった百合。
その百合が、
昆虫の硬さ、生臭さを備え出し、
最期を生き始めている。

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2010年3月 8日 (月)

脳神経外科受診

 変わったことはなかったかという問診、腫瘤の触診、CTの撮影でした。

 CTによる被曝量を心配した先生が、検査室に問い合わせてくださいました。腹部CTよりも少ないそうで、「じゃ、撮りましょうか」ということに。

 撮ったばかりの画像を、ざっと見せていただきました。

 前より見つけやすくなった気がしましたが、先生は「目立って飛び出たものはないから、安心していいよ」とおっしゃいました。

 そういわれると、複雑な気持ちですが、画像的にも大人しく静かに育っているだけみたいなので、ありがたいと思わなくてはなりません。

 15日、来週の月曜日に、CG処理した画像を見せて説明してくださるそうです。

 泌尿器科も受診したかったのですが、月曜日と木曜日は手術日で、月曜日は急患と紹介のみ9:30まででした。

 待っているときに、背中から腹部にかけて重苦しさが強まりましたが、我慢できないほどではありませんでした。

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2010年3月 7日 (日)

もたつく石の旅行&創作予定を若干

 依然として腰の下辺りの重苦しさが続いており、腎臓を出て膀胱へと向かう1個の結石が管の途中でまごまごしているのか、1個ではない多くの小さな結石が散発的に旅行に出ているのかわかりませんが、こうも長く不調が続くと、原因が他にあるのだろうか、と想像したくもなります。

 特に、昨日から今日にかけては少しおなかの具合もよくないので、原因は腸だろうかと思ったりもしましたが、おなかの具合がよかったときもこの不調はありました。また、昨日まで生理がだらだらと続いていたので、婦人科的なことが原因だろうかとも思っていたのですが、ようやくその生理も終わりました。

 となると、この背中の不快は、やはり結石の旅行に原因があるのかもしれません。これはこれで、結構体力の消耗を伴っているのか、料理や掃除を途中で投げ出して横になりたくなります。

 手近にある本は常に活性剤の役目を担ってくれているのですが、今は本を手にとる気にすらなれず、困っています。

 明日、脳神経外科を受診する前に泌尿器科を受診しようかと考えたりもしていますが、出かける支度をするのも億劫なので、脳神経外科に間に合わせるのが精々かもしれません。この曖昧な症状では、受診しても、大した成果は望めないだろうなと思うと、よけいに。いっそ強く痛んでくれたらと思ってしまいます。それはそれで、嫌ですが。

 瞼が腫れっぱなしなので、もとからこの容貌だったっけと思ってしまうくらいです。ずっと家にいるのに、外を歩き回ったみたいに脚がだるい。心臓も、胸のど真ん中がたまに軽く痛むことがありますが、舌下錠は使わず、いつもの飲み薬でつないでいます。

 こんな具合にパッとしない体調ですが、気分は乗らなくても、時間が無駄になるので、無理にでも創作に戻らなくては。

 文学状況を分析したエッセー『悪ふざけがすぎたかな?』の③④、自作童話『不思議な接着剤』のお話の続きの清書と、そのノートに加えておきたいマグダラのマリアのこと……わたしなりに気懸かりな創作の仕事は沢山あります。

 気懸かりといえば、気懸かりというより、気になる翻訳家、山崎栄治。そう、過去記事でご紹介した、リルケの『薔薇』の訳者です。

 別の訳で読んだことから、あの訳のすばらしさが意識に上ってきて気にかかり、ググってみました。

 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説に、以下のように出ていました。

山崎栄治 やまざき‐えいじ

1905‐1991
昭和-平成時代のフランス文学者、詩人。
明治38年8月9日生まれ。東京外国語学校(現東京外大)在学中、三好達治、堀口大学らを知る。戦後横浜国大教授をつとめ、雑誌「同時代」同人となる。端正な叙情詩をつくり、昭和39年詩集「聚落」で高村光太郎賞、58年「山崎栄治詩集」で読売文学賞。平成3年8月27日死去。86歳。佐賀県出身。

 このかた自らが詩人? 佐賀県出身?

 自らが詩人でなければ、あのような訳は無理ではないかと想像してはいたのですが、恥ずかしながら、わたしはこのかたが詩人でいらしたとは知りませんでした。

 参考になりそうな資料も少ない中で、以下の本でしたら入手できそうです。

 図書館にはなかったので、書店勤めの娘に取り寄せを頼みました。マグダラのマリア関係で、田辺先生の本を1冊既に取り寄せを頼んでしまったので(これも図書館にはなし)、出費だなあと思いましたが、どうしても知りたい。

 マグダラのマリア伝説の詳細も、香気ある『薔薇』の翻訳家・詩人のことも(1991年まで生きていらしたわりには、ググってヒット件数が少ないだけによけいに)。代わりに、太宰の映画とメリル・ストリープの映画は諦めます。

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2010年3月 6日 (土)

最近の夕飯から(五目煮。こんにゃくのきんぴら。豚バラ肉の梅干し煮)

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 写真は、昨日の夕飯に作った、うどの白煮。「nonnoお料理基本大百科」(集英社、1992年)を見て作った春の煮物です。

 作った本人がいっちゃいけませんが、実はわたしこれ、食べるのは苦手です。生のほうがまだしも……。ではなぜ作ったかというと、家族は嫌いではないし、レシピの写真が春らしくて可愛かったから。春の気分を味わえそうだと思いました。

 にんじんは、桜の花びらに見立ててあって。レシピでは、花が咲きかけた菜の花も、うどの横に少し添えてありました。

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 これも昨日の夕飯に作った、五目煮です。「週刊 服部幸應のしあわせクッキングNo.34」(デアゴスティーニ)から、4人分の作り方をご紹介します。

  1. 生しいたけ4個は4等分に切り、しめじ、えのきだけ各100gは根元を切ってほぐし、えのきだけは長さを半分に切る。にんじん1/4本、ごぼう1/3本、こんにゃく1/2枚は角切りにしてそれぞれ下ゆでする。鶏もも肉1/2枚は一口大に切って包丁の葉で軽くたたく。
  2. 鍋にごま油適量を熱して、①の鶏肉を軽く炒め、残りの①を加えて、油が全体にまわる程度に炒める。
  3. ②にだし3カップを加え、煮立ったらアクをとり、砂糖大さじ2、しょうゆ大さじ4~5、酒大さじ2を加え、煮汁がなくなるぐらいまで煮詰め、器に盛る。

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 最近はまっている焼き浸し。肉、魚、野菜など、好みのものを焼いて、漬け汁につけるだけ。市販のめんつゆ、ぽん酢などを利用すると、お手軽でいいですね。

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 ネットで閲覧して作ってみた、なすのタラコマヨネーズ焼きです。なかなか美味しい一品。

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 いつ作っても家族に好評、肉だんごとキャベツの煮物。レシピはこちら。
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/11/118-8b3e.html

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 ウインナーソーセージとチーズときゅうりを、フレンチドレッシングであえたもの。

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 カリフラワーの鶏そぼろあんかけ。

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 土井善晴先生のレシピを参考にした、こんにゃくのきんぴら。『週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.3』(デアゴスティーニ・ジャパン)から、材料(作りやすい分量)をご紹介しますと、こんにゃく1枚(360g)、赤唐辛子適量、砂糖・みりん各大さじ1、しょうゆ大さじ2、サラダ油大さじ1と1/2。

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  土井勝先生の豚バラ肉の梅干し煮を参考にして、作りました。

 わたしは豚バラ肉の塊ではなく薄切りを使い、さやいんげんも冷蔵庫になかったので入れず、ゆでたけのこも市販のものを利用して作りました。

 それだけ省略して作っても、梅の風味の生きた、とても美味しい一品に仕上がりました。レシピ通りに作ると、豪華な一品となるでしょう。『土井勝 日本のおかず500選』(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995年)から、レシピをご紹介します。

[材料・4人分]
豚バラ肉(塊)400g,ゆでたけのこ200g、梅干し3個、サラダ油大さじ2、
A《だし汁2カップ,酒2/3カップ,みりん大さじ3,しょうゆ大さじ3》,
さやいんげん10本,塩少々.

[作り方]

  1. 豚バラ肉は7~8mm厚さの色紙切り、たけのこは5mm厚さの同じく色紙切りにします。
  2. 梅干しは種を出し、身をほぐします。
  3. 鍋にサラダ油を熱して豚肉を入れ、表面に軽く焼き色をつけて炒め、たけのこを加えてさっと炒めます。
  4. 梅干しを加え、Aのだし汁、酒、みりんを入れて4~5分煮、それからしょうゆを入れて火が通るまで5~6分煮ます。
  5. さやいんげんは筋を取り、塩を入れた熱湯でゆでて3~4cm長さに切り④で一煮します。
  6. 器に④を盛って煮汁をかけ、⑤のさやいんげんを散らします。

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入学の季節

 独身寮に戻っていた息子から電話で、博士課程の合格通知が来ていたとのこと。

 その確認や手続きのために、帰っていたみたいだ。

 社会人ドクターは、仕事との兼ね合いが難しいだろうけれど、本人は研究が何より好きだから、大変でも真の悦びはそちらから来るのだろう。

 息子の場合は、そのままストレートに博士課程に進むには金銭的に無理があったので、社会人ドクターという選択肢しかなかった。

 息子が研究者タイプだということは早い時期にわかっていた。娘は研究者タイプではないと思ったが、学校の先生から純粋培養したみたいだといわれるようなところがあり、身を守るためにも、娘にも学問が必要だと感じた。

 それでわたしは、子供たちの学費のことを考え、狂おしいまでに作家になりたくて賞狙いに走った30代、40代だった。

 病気にならなければ、パートに出ていたかもしれないが、夫は家事に協力ができない不器用なタイプであるばかりか、羽目を外すところがあるから、外に働きに出るのは怖いということが第一にあった。自分より7歳も上の男性をしつけ直すのは至難の技だ。結婚するまでは、そうしたタイプの男性ほど、よきアッシーくんである。

 で、内職に手をつけてみたが、被害は少なかったとはいえ、どちらかというと、騙されて終わった。そうこうするうちに病気から来る症状も無視できないものとなって、働きに出るのはますます難しくなり、プロになるしか、選択肢がないところまで心理的に追い詰められた。

 賞の落選がわかるたびに、地団太踏み、髪を掻き毟って泣いた。自分より明らかに書けない連中が、どんどんデビューしていく。そんな傾向は、現在に至るまで変わっていない。

 落選すると、高いところから地面に叩きつけられる気がした。それでも、賞狙いしかないと思い、何度も、何度も、チャレンジを繰り返した。すぐ目の前にぶら下がった人参が、手を伸ばしたとたんに、ふっと目の前から消え、他人の口に入っているのだ。地獄みたいな日々だった。

 子供たちを、不甲斐ない自分の惨めな人生の道連れにしてしまうと思い込んだ。

 文学界の裏事情を知った今、その頃に作家になっていなくてよかったと思う。おそらく飼い殺しのその他大勢になっていたことだろう。そして、心配した息子は自分の力で研究の道に入った。

 息子の場合も、就活で困難を極め、もし狙っていたような企業に入っていたら、それはそれでよかったのかもしれないが、社会人ドクターになる環境を調えることは難しかったかもしれない。今の会社に入ってからも、所属するはずだった部署が入社したとたんに潰れるなどのアクシデントがトリックスターとなって、社会人ドクターになることを可能にした面もあった。

 今、息子はわたしを励ましてくれている。わたしも今は打算からではなく、社会の現状と自身の潜在能力を考えた判断から、世に出たいと考えているので、時間はかかっても、息子の気持ちに応えたいと思っている。

 息子にはもういったけれど、ブログにも刻んでおきたい。

 息子よ、合格おめでとう!

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百合たちの宴

百合たちの宴

 夜中に目覚めると、次々に開いた百合たちが、まるで宴を楽しんでいるかのようでした。

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2010年3月 5日 (金)

石のこと。リルケの詩集。シャネルの映画3本目には……。

 結石はどうなったか、ビミョー。

 今日は痛みはあまりないが、腰の下辺りの背中の重苦しさはとれない。瞼はこの時間になっても、腫れている(人に会うのが嫌になるわ)。

 痛み止めを貰いに行こうかとも思ったが、そのために消費する時間と体力がもったいないので、やめた。

 月曜日に脳神経外科を受診するので、そのときまで長引くようなら泌尿器科も受診しよう。昨日は外食だったので、とにかく今日は料理したかった(外出したら、料理する体力が残らない)。それに、自作童話の新しく下書きしたぶんを整理して、ブログにアップしておかなければ。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

 昨日、クリニックの帰りにジュンク堂書店に寄ったら、岩波文庫から高安国世訳で『リルケ詩集』が出ていた。リルケがフランス語で書いた詩が結構収録され、特にわたしの好きな『薔薇』からの抄訳もあったので、購入。780円。

 『新潮世界文学32 リルケ』(1971年)の山崎栄治訳がすばらしく、それで読み慣れていたせいもあるが、別物の感じだ。

 娘も同じ感じを受けたらしく、「『おまえにあたいするものはない』という山崎訳と『おまえに比べられるものは何もない』という高安訳じゃ、意味が違うよ」という。

 そういわれると、高安訳だと優劣を競った上で軍配を上げている感じがし、山崎訳だと比べるものがあろうがなかろうが、唯一絶対のものとして謳いあげている感じがしてくる。そうなると、作者の精神性までいくらか違った風に感じられてしまう。

 わたしは、同じ章の山崎訳では『おお、やさしさのあまり/あるとしもそこにみえぬからだから咲きでた面輪(おもわ)よ、』となっている箇所が、高安訳では『あまりの美しさに、そこにあるとも/思えぬからだから生(お)い出た頭部。』となっているところが目にとまった。

 山崎訳でだと自然に読めるのだが、高安訳でだと、薔薇の、というより、人間の頭がにょっこり生えているような、デモーニッシュなイメージが喚起されてしまうのだ。

 リルケの詩は哲学的な思索から結晶したものだろうから、翻訳することの難しさは想像がつく。

 『新潮世界文学32 リルケ』に収録されているリルケの詩の訳者は富士川英郎、山崎栄治だが、詩によっては相当に読みづらかったり、そうでなくても、高安訳のほうがよいと感じるものもある。ただやはり『薔薇』の訳に関しては、山崎訳は一段優れていると思う。

当ブログにおける関連記事:薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

 シャネルの映画が立て続けに来る。今度は、『シャネル&ストラヴィンスキー』。わたしは前に来た2本は見ていない。娘は、シャーリー・マクレーンがシャネルを演じたものを観たが、わたしはマクレーンとシャネルがイメージ的にどうしても結びつかず、パス。

 『シャネル&ストラヴィンスキー』は、レビューでは、評判がよさそう。映画館に上映期間を確認したら、13~26日らしい。忘れずに観に行こうと思う。 

●当ブログにおける関連記事:ポール・モラン著「シャネル―人生を語る」を読む 

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4日に、呼吸器クリニック受診

4日に、呼吸器クリニック受診

 喘息の訴えより先に、1週間くらい前から数日に渡って起きた結石と想われる痛みを訴えました。

 というのも、今朝からまた腰より下くらいの背中が少し痛だるい(痛い+だるい=痛だるい)のですね。

 米粒ほどの結石でも、大変痛むことがあるそうで、砂粒くらいのものを意識せずに出している人は沢山いるとか。

 レントゲンやエコーでは、めったに確認できないそうです。

 先生は、腎臓から膀胱までの絵を描いて解説してくださいました。

 腎臓で尿が固まって結石になっても、腎臓にある間は全く痛まないそうですが、そこから出て膀胱に落ちる間の管のどこかに引っかかると、強烈な痛みを引き起こすとか。

 といっても、人によって痛みかたが違い、わたしのように重苦しい感じが強い場合もあるそうです。

 朝は吐き気がし、最近よく瞼が腫れるので、その現象と関係あるのかどうか尋ねましたら、瞼の腫れは結石とは関係ないそうです。

 結石には、水をよく飲むことだそうです。飲んでいるんですけれどね。水の飲みすぎで、瞼が腫れるんじゃないなしら。

 痛み止めを出していただけないか、訊くつもりだったのですが、そのあと、先生が腰の辺りの何箇所かをトントンと軽く叩いて「痛い?」と訊かれたあと、胸と背中に聴診器を当てられたので、忘れてしまいました。

 叩かれると、いくらか響く感じがありましたが、それほど痛くはなかったので、そういいました。でも、叩かれて気持ちがいいという感じではなく、そっとしていてほしい……と思いました。

 喘息の発作が映画館で出かけて困ったとお話しし、「そんなときは外に出るしかありませんよね?」というと、先生は気の毒そうに笑いながら、「そんなもん、気にしない、気にしない。何かいわれたら、集中できないあなたが悪いといいなさい」ですって。わたしの主治医がこういいなさいといいました……と付け加えて?

 来月はコンサートに行く予定なので、そんなことにならないように体調を調え、予防を強化しなくてはと思います。

 写真は、今日出していただいた、いつものフルタイド(吸入ステロイド薬)。

 明日も背中の痛だるさが続くようなら、泌尿器科を受診して、今度こそ、痛み止めを出して貰えないか、訊きに行こうかしら。自由に動けるうちに。

 それにしても、もう水、飲みたくない……漢方の先生がこんなわたしを見たら、「砂漠の民でもないのに、愚かなことを」とおっしゃるの?

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2010年3月 4日 (木)

ペンギン柄のロング付せん紙〜!

ペンギン柄のロング付せん紙〜!

 株式会社デザインフィルミドリカンパニーから、かわゆい、胴長ペンギンの付せん紙が出ていました。

 付せん紙をよく使うわたしは、貼りすぎて、何に自身の注意を喚起したくて貼ったのか、わからなくなってしまうことがあります。

 でも、これだと、ペンギンの白いおなかにメモできて、便利そう。

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2010年3月 3日 (水)

最近の夕飯から(土井勝先生レシピ『かぼちゃと鶏肉の炒め煮』)

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 最近の夕飯から、とても美味しいと思った土井勝先生のレシピ『かぼちゃと鶏肉の炒め煮』を「土井勝 日本のおかず500選」(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995年)からご紹介します。お弁当のおかずにも、よさそうですね。

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[材料・4人分]
かぼちゃ600g,鶏モモ肉250g,サラダ油大さじ3,
A《水2カップ,砂糖大さじ5,みりん大さじ2,しょうゆ大さじ4》

[作り方]

  1. かぼちゃは縦2つ割りにしてスプーンで種を取り除き、3~4cm角に切り、角をむいて面取りし、皮をところどころむきます。
  2. 鶏モモ肉はひと口大に切ります。
  3. 鍋にサラダ油大さじ1を熱して②の鶏肉をさっと炒め、肉の色が変わったら皿に取り出します。
  4. ③の鍋に残りのサラダ油を加え、①のかぼちゃを入れて木杓子で混ぜながら炒めます。表面が透き通ってきたら、③の鶏肉をもどし入れ、Aのかぶるくらいの水を加え、沸騰したら、弱火にし、アクをすくい、砂糖とみりんを加えて4~5分煮ます。さらに、しょうゆを加え、煮汁が1/3量になるまでじっくり煮ます。途中、鍋を傾けて煮汁をすくい、全体にかけて味を含ませます。
  5. 器に④を盛り、煮汁をかけます。

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 この日のメインディッシュ『タラときのこの煮物』は、「nonno お料料理基本大百科」(集英社、1992年)の中のレシピで、優しい味わい。既にご紹介済みです。こちら。
 ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/03/post_f505.html

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コブたちのこと

 確か1年後にコブたちの経過を診て貰うことになっていたと思い、脳神経外科の外来に電話を入れた。

 ドクターが電話に出られ、(わっ、予約するだけだから看護師さんのほうがよかったのにな)と思いながら、お話ししたところ、案の定、「急にいわれてもわからないから、ID番号教えて」と問われ、面食らう。

 急に……かなあ? 急に受診に赴いたってわけでもないのに。ID番号って登録番号のこと? カルテ番号のこと? 両方? そんなこと、訊かれたの、初めてだ。

 登録番号とカルテ番号のことで、ドクターは混乱された様子。見かねた看護師さんが交代された雰囲気が伝わってきて、ほっとした。

 名前と生年月日でスムーズに予約完了。

 8日の10時枠。

 1年ぶりともなると、担当医の異動の心配からしなくてはならない。幸い、電話に出られたのは、オペのときのドクターだった。

 右耳の後ろの柔らなコブ4号は目立っているが、容貌に障るわけではないから、気にならない。柔らかいから、とるのも簡単だろうし。

 小さくても気になるのは、額の上のほうにあるコブ2号。これは骨腫瘍と想われる硬いもので、とるとなると、大変ではないだろうか。

 今はまだ見た目にはわからない。触ると、確実に育っていることがわかる。

 コブ1号のあったところは頭の右上で、物凄く陥没している。髪があって、救われている。

 2号も髪を垂らして隠せないことはないが、わたしは額を隠すのは好きではない。すっきりと、左から右に髪を流しているのが好き。髪が垂れてくると、苛々して発狂しそうになる。

 ドクターは、目立つようになってから(容貌に障るようになってから)とればいいとおっしゃるが、ツノみたいになってからだと嫌だな。

 大きくなってからだと、抉る度合いも大きくなるのではないだろうか。人工骨で充填することになるのだろうけど。

 3号は後頭部にあって、わたしにはよくはわからない。

 頭で、他に増えたりはしていないのだろうか?
 脳は特に、できるだけ被曝させないほうがよいとのことで、わたしもレントゲンは怖いが、確認したい気持ちもあり……今回はどうするのかな?

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雛の句(自作)

亡き母の寡黙と似たる雛(ひひな)かな

日もすがら眠りを知らぬ雛の面

紅さしてほの開(あ)く口の雛(ひひな)かな

佐賀錦着てゐる雛のなつかしき

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うさぎさんの絵

 うさぎさんがブログにアップされていたアイガモの2枚のイラスト。

 存在感があり、特に目が生きているみたいで、コーフンしてしまい、鼻血まで出ちゃった。

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2010年3月 2日 (火)

Notes:不思議な接着剤 #43/接着剤メーカー名の改名

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#43
2010/3/2(Tue) 接着剤メーカー名の改名

 この作品のプロット№1を書き上げて、ワープロで下書きを書いた段階では、シリーズ物にする計画はなかったので、深くは考えずに、不思議な接着剤クッツケールのメーカー名をアルケミー株式会社としていた。

 しかし、その後、単独の接着剤メーカーだったアルケミー株式会社は、時空を超えて商売の手を拡げようとする、太陽系を代表する企業連合の一つ、アルケミーグループに属する会社という役柄に変化した。

 この辺で改名しておいたほうがいいだろうと思い、接着剤メーカー一覧を検索して、どんなものにしようかと考えていた。アルケミーグループの一員なので、上にアルケミーはつけたい。下に何を持ってくるか。

 夫に話すと、「アルケミーボンドでいいやん」という。なるほど。シンプルでいいかも。それでも、アルケミーボンド工業とちょっと迷ったが、アルケミーボンドにした。株式会社を前につけるか、後につけるかでも迷ったが、アルケミーボンド株式会社にめでたく決定!

 紘平の父親が勤務するのは、アルケミー商事株式会社。瞳の家――電器店の倉庫には、一般の電気製品に混じって、アルケミー製品がちらほら置かれている。

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昨日の夕飯&健康

昨日の夕飯&自身の健康について

 近頃は創作に気をとられているため、レシピの紹介ができていませんが、家庭生活の記録のために写真だけでも。

 過日受けた循環器クリニックでの血液検査がパッとせず、ガックリきて、実はまだ心理的ショックから立ち直れていません(オーバーかな)。

 でも、今年に入ってから夫が職場検診で受けた血液検査の結果は例年通り良好で、彼が来年定年になる年齢であることや、酒・煙草など好むタイプであることを考えあわせてみても、わたしの手料理には狂いがないと考えては、自分を納得させています(夫の健康は、わたしの手料理で守ってきたという自負、自己満足!)。

 だいたい写真は娘のお皿で、わたしが食べる量は、それより少なめです。1品少ないときもあります。

 昔、当時のかかりつけだった総合病院で、アドバイザーのかたに献立を含んだ食生活のチェックをして貰いましたが、それには問題ないといわれました。

 長年病気をしているわりには安定した状態を長く保って来られて、それは病気の性質ということもあるでしょうが、毎日励んできた料理のお蔭ともいえるのではないかと。

 一時おなかのガスが原因で、1日1食しかとれない日々がありましたが、今はその点はだいぶん改善されました(漢方クリニックで、溜まったガスは、意識的にでもゲップなどして出す必要があることを教わったお蔭です。努力すれば、可能なものですね。難しいけれど) 。

 循環器クリニックでは、患者が血液検査をオーダーできるようになっているようなので、これからは半年に1度は検査をお願いし、チェックしていきたいと思っています。

 料理にはこれまでのように励み、ハーブをなるべく取り入れるように工夫しながら。夫も、もう若くはないんだから、煙草・お酒は控えめにしてほしいものです(さすがに、若い頃のような無茶はしなくなりましたが)。

 最近、体のしんどい日が増えて、弁当や外食に頼る割合が大きくなったということはいえます。週1~2回くらいの割合で、弁当や外食に頼れるお陰で、やっていけているようなものかも。以前でしたら考えられないことですから、その頃に比べれば体力、落ちています。

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2010年3月 1日 (月)

誕生日のお花

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 先月の21日に52歳になったのですが(あまり大きな声でいうことではない気もしますが)、息子からプレゼントは何がいいかと訊かれ、長期出張中で大変そうということもあり、そのうちでいいわよと答えました。

 すると、今日、ご前中に花束が届けられました。前に東京から送ってくれた花屋さんと同じ系統の花屋さんを見つけたということで、そこからこの街の花屋さんを中継して届けられたのです。

 最近は、自分でお花を買うことは、めったにありません。以前はたまに少量ながら買って楽しみにながめていたことを考えると、暮しがそのレベルから落ちてしまったのか、心理的にお花を楽しむゆとりがないのか……。

 子供たちはわたしの花好きを知っているので、何かのときはよくお花で祝ってくれます。ありがとう!

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 これは、包みから出してすぐの写真です。

 娘が撮ってくれ、「俺の画が足りないとはいわせない!」といいました。佐々木倫子のコミックス『チャンネルはそのまま!』(小学館)にはまっているみたいです。正面からのものもありましたが、これは横からのもの。

 お花は、なかなかシックな組み合わせです。記事を書いている夜になった今では、お花は存分に水を吸って、さらに生き生きとなり、花瓶からこぼれて(結構大きな花瓶なのですが)、元気いっぱいです。小さな花瓶に小分けして、あちこちで楽しもうと思います。

 ところで、「わたしからのプレゼントは何にするの?」と娘。こちらも思いつかず、保留にしていました。

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ニトロ舌下

ニトロ舌下

 調子がよかったので、掃除のときに、あちこちに備えたニトロを薬袋に仕舞おうかと思ったくらいだった。

 圧迫感。しばらく我慢して書き物をしていたが、苦しさが紛れない。テレビを観ていても、紛れない。我慢できなくなり、舌下。使うと苦痛がとれ、気持ちがよくなることはわかっていても、疲れるので、できれば使いたくなかった。

 発作は、気温の変化のあるときに出やすいようだけれど、津波なんかも関係あるのかしら。

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