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2010年2月15日 (月)

悪ふざけがすぎたかな? ②「ある女のかたへのメール」 

 以下のメールは、当ブログをご訪問くださったある女のかたに宛てた返信です。そのかたが、これは作品のようだといってくださいました。

 今回のわたしのちょっとした悪ふざけは、そのメールで触れた、出版界の変遷(言葉にはしていませんが、児童書の細り)対するわたしの考えと無関係とはいえないことなので、恥ずかしながら抜粋します。あくまで一庶民の傍観から出た考えにすぎないので、間違っているかもしれません。

 わたしが返信したその女のかたは、わたしをとても応援してくださって、あれこれアドバイスしてくださいました。そして、純文学と絡んだ話の中で、もし体を売って世に出られるものなら、おいしい話といえないこともないのでは、という率直な意見などもお書きになっていました。それに対するわたしの考えを述べることからメールは始まります。

若い頃は、そりゃいろいろやりますよ。
わたしもそうでした。
今思えば、ひやっとするようなこともしましたもの。
その好奇心に満ちていた若い頃ではなく、今だからいえるのですが、
わたしは目的のために体を売るということを、単純に考えることはできません。

特に女性は閉経までは避妊をしたつもりでも、
妊娠の可能性があるということが一つ。
ちなみにわたしはまだ閉経前です……近いと思いますけれど。
それに、セックスをすれば、
どうしても相手の影響を強く受けがちだということです。

わたしは共稼ぎの両親に育てられました。
そして、留守を預かって貰っていた家政婦さんの息子2人から、
性的悪戯をされた経験があります。
自覚のない頃の一方的な出来事でしたから、ひじょうに惨めな出来事でした。

ですから、思春期の頃から家庭とは何か、性とは何かを考えてきて、
ときには若気の至りで、上に書いたように、
実験精神からだったとはいえ、愚かしいこともしました。
セックスから自由になりたいがゆえに、
セックスが何であるか知りたかったのですね。
いえ半分以上は、ただの若さに任せた遊び、
欲望の発散にすぎなかったのでしょうが。

が、そんな時期があったとしても、
ずっとわたしなりに若い頃からテーマを追い続けて、
それを書くために作家になりたいと思ったのであって、
稼ぐためだったら他のことをしました。
収録はできていませんが、
実際に、性と家庭をテーマにした作品を多く書いてきました。

稼ぐために体を売るというのはわかるのですが、
わたしは芸術をそういう手段が通用するものだとは思っていないので、
作家になるために体を売るというのは、全くぴんと来ないのです。
借りに体を売ってその世界に入れたとしても、
そこは本当は、芸術とは無関係の場所だろうと思うだけです。

昔から芸術家は報われないのが当たり前のようなものですから、
今のわたしの(作家の卵としての)状況は恵まれすぎているくらいです。

それに元々文学は知識層に支持されるものでした。
文学にもいろいろあって、
わたしが言っているのはギリシア哲学を土台にし、
西欧の近代化と共に生まれ、
自我意識や個人主義の成熟と共に生まれてきた
あちら生まれの輸入された文学のことです。
日本では純文学と呼ばれてきました。

人間が人間らしく生きるにはどうすればいいかということを、
追究する文学。
哲学がベースにあります。
これは、芸術でありながら、
本質は学問といってよいようなものだという気がします。

源氏物語は昔の小説なのに、純文学の体裁を備えているのが不思議でしたが、
円地文子が、源氏物語は外見は優雅な衣装になよやかに蔽われているが、
その内面には中国の古典、
例えば「史記」の冷厳な史観などから学びとった逞しい骨格が巧に隠されている、
と言っていて、
なるほどと思いました。
中国の古典、諸子百家の作品などはひじょうに哲学的で、
ギリシア哲学と似たところがありますね。

日本の大出版社は経営ミスをして、
ターゲットを間違ったことが、
経営不振につながる原因を作ったのではないかとわたしは思っています。

娯楽性に重きを置いた文学ほど人気はなくても、
芸術性の高い文学にも、固定客は存在するはずです。
わたしのブログにも、春樹ほどではありませんが毎日、
リルケやカリール・ジブランといった詩人、
バルザックやパムクといった文豪を検索して見える人々が結構いらっしゃるのですよ。
それを大出版社は、
どっちつかずの誰も買わないような、
中途半端な本を大量に生み出してきたのですから、
経営悪化も当然です。

また、そこには政治の失敗が根底にあるとわたしは考えています。
中学から高校に上がる頃に、
それまで教養の象徴だった文学が「本を読む人間は暗い」といわれ出したときに、
わたしは今日の事態をある程度予見していました。

高度成長期にあたり、
政府の方針が文系中心から理系中心に変わったのです。
生産に、儲けに走るようになり、文系的な価値を切り捨てて来たのです。
文系要素も理系要素もバランスがとれていなければならないところを。

言い出せば長くなるのでやめておきますが、
〇〇さまがおっしゃるように再び、純文学が浮上する日も来るでしょう。
その日は近いような気がしています。
生きることや人間とは何かといった根源的な人生の意味を、
真剣に考え出した人は増えているのではないでしょうか。

純文学は様々な人間を多様な角度から描いて見せますから、
人間に対する理解を深めてくれます。
教育には欠かせないはずですが、
学校では昔ほど読ませなくなっているようです。
政府が昔のように文系の教育に力を入れさえしたら、
学校関係だけでかなりの文学書が売れるはずです。
そうなれば、
現在のような学力の低下も教育現場の荒廃も食い止められるはずでしょうに。
出版社の経営は楽になり、かつての気品を取り戻せるでしょうに。

話は戻りますが、
天才ではない、わたしのような頭の悪い努力型の人間が、
頭の働きをなるべくよく保ち、感性を研ぎ澄ませておこうと思えば、
あまり馬鹿なことはできないのです。
馬鹿と寝て馬鹿になれば、
作家になる資格を喪失することだと考えています。
資格のない肩書きだけの作家が、ずいぶん増えました。
勿論、今の自分に作家の資格があるというつもりはなく、
だだ志だけは高く、途上にあると思っているのです。

文学は伝統的なものですから、
伝統芸能と同じように引き継ぐ者がなければ廃れてしまいます。
でも困難ながらも、伝統的な文学を引き継ごうとする者は案外いるのではないかと思われ、
わたしもその1人でありたいと思っています。

この先のことは見えませんが、
人類の歴史はこんなふうな幻滅と困難な出来事の連続だったと思いますよ。
何だか綺麗事に聴こえるかもしれませんが、
真剣に〇〇さまが書いてくださったので、わたしもそうしました。

 ちょっとこれからクリニックに出かけようと思うので、続きはまた。書きたくなくなって、やめるかもしれませんが……。

 それからTwitterはやめました。勿論、今回のわるふざけが目的というわけではありませんでしたが、ある目的のために始めたことは確かで、その目的が一応果たせましたから。

 フォローしてくださったかたがたに、お礼を申し上げます。短い間でしたが、アロマをお仕事となさっているかたや、獣兵衛というラーメン屋さんのことを書いていらしたかたの雰囲気には癒されました。他のかたがたも、ありがとうございました。 

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