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2010年2月25日 (木)

Notes:不思議な接着剤 #40/異端審問制度/『マリヤによる福音書』についての私的考察#2

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#40
2010/2/24(Wed) 異端審問制度/『マリヤによる福音書』についての私的考察#2

 前にメモ参考資料としてメモしたエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ『モンタイユー(上)』(井上幸治・渡邊昌美・波木居純一訳、刀水書房、1990年)から抜粋。

 被告は審理の進行中ずっと拘束されどおしとは限らない。
 次回尋問までパミエにある司教直轄の獄舎に監禁される場合もあったが、自分の教区あるいは司教管区内に居所を指定されるだけで、ある程度保釈が認められる場合もあった。反対に不慮の事故でもあれば、あらゆる強制手段が動員されて未決拘留は強化され、被告は自白するように仕向けられる。しかし拷問によって自白が引出されたとは思われない。被疑者の破門、「厳重」禁獄、「特別厳重」禁獄(脚に鎖をつけ、黒パンと水だけ与えて狭い独房に監禁)が効を奏したのである。ただ一度だけ、これはフランス王の役人が患者に癩患者に対して仕組んだでっち上げの事件だが、ジャック・フルニエは拷問を用い、ひき蛙の粉で泉を汚染したなどというわけのわからない自白を引出している。

 ジャック・フルニエがパミエの司教を勤めたのは1317年から26年までだから、参考になるとはいえ、わたしがモデルとしたい1250年頃とはだいぶん隔たりがある。もう少し、異端審問制度について見ていきたい。

 これも前にメモした参考資料だが、渡邊昌美『異端者の群れ』(八坂書房、2008年)によると、法王グレゴリウス9世が、南仏における審問法廷設置を命じたのは1233年。これは、アルビジョア十字軍の副産物ともいえるもので、「異端審問は司教をとびこえて法王に直結する、法理的にはあくまでも非常の、特設法廷」という位置づけとなる。この制度の問題点は、「他からの提訴をまたず、みずから告発し、みずから断罪する」審理手続きにあった(やり放題ではないか!)。13世紀における、異端審問の手続きを見てみよう。以下は、『異端者の群れ』からの抜粋。

〔略〕、13世紀の手続きは大体次のようだったらしい。まず特定の村や町に審問官が到着すると、住民を集めて協力を宣誓させ、異端者と幇助者に自首が勧告される。一定期間内に出頭すれば、当然、量刑に手ごころが加えられる。この「慈悲の期限」ののちは一方的に、嫌疑者に文書または口頭で出頭命令が出されるが、逃亡が予想されれば拘禁も妨げない。
 訊問には、聖職者2名と書記の立会い、応答要旨の記録が必要である。有罪判決のためには、被告の自白、または証人2名の供述が不可欠だが、証人はすでに捕縛された異端者でもよいし、被告と対面して証言する必要もない。被告に弁護人をつけるか否かは一次議論を呼んだが、神の敵に手を貸す法はないとの意見が有力で、ベルナール・ギイの『審問官提要』は、よしんば弁護人がいたところでこれに耳を傾けぬのが審問官たる者の心得だとしている。
 刑罰は、罪の軽重にしたがって、火(火刑)や壁(投獄)の重刑から、巡礼、笞、あるいは衣服に悔悛の黄十字を縫いつけるなど、何段階にもわかれ、重刑には必ず全財産が併課される。
 宣告の日には「大法廷」が召集され、審問官は20名前後の参集者に対して訊問の概要を説明し、その同意を得て判決を確定する。重罪宣告の場合には、さらに司教の承認が不可欠であったし、犠牲者は法王に再審を願い出ることも不可能ではなかった。

〔略〕

 手続きはしばしば省略され、大法廷は、被告のみか参集者一同に対する威嚇の儀式となる。とりわけ問題は、悔悛の言を聞こうと焦るあまり、拷問が法王勅令をもって励行されたことだ。その方法も、鎖、飢餓、不眠などの初歩的なものから、鞭、木馬、逆吊り、燠火の高等四法まで何段階にもわたって工夫がこらされる。カルカッソンヌに審問塔の語りぐさを残したように、効果をあげるためには何年でも暗黒の地下牢に投ずることもあった。
〔略〕
 この特設法廷はやがて一つの制度となって、全キリスト教世界に拡大し、土地によっては18世紀まで存続する。その間、1人で10万件を審理し、火刑台の煙をあげること2千回に達したという半ば伝説的なセゴビアの大審問官、トルクェマーダの如き人物も輩出する。異端審問こそ、私たちのアルビジョア騒乱が歴史に残した、おそらく最悪の落とし子である。
 ところで、この恐怖の法廷だけが、異端を追及したのではない。むしろこれがすべてを蔽い切れなかったところに問題があったかもしれないので、非専門的な個々の追及の中にかえって衝撃的な事件を見出すこともあるのだ。
 1234年、トゥールーズ司教レモン・ド・ミルモンがミサ聖祭をおえて食卓につくべく、手を洗っていた時、異端の老婆が重病の床にあるむねの密告を受けた。司教は病床に駆けつけ、現世の軽んずべきことを説いて完徳者と錯覚させる。交際関係をことごとく聞き出した上、信仰を持して変わらずやとただす。予期した返答を得ると、にわかに汝は異端であると宣言し、老婆を病床もろとも広場に運んで焚刑を執行した。「かくてのち、司教と会士らは食堂に帰り、心も軽く、用意されたものを食し、神と聖ドメニコに感謝の祈りを捧げた」。ペリッソンの伝えるところである。

 わたしが執筆しているのは児童文学作品であるから、物語として、子供にも読めるような淡い色調にしたいのだが、下書きのスケッチの段階では、歴史に根差したしっかりとしたものにしておきたい。

 竜を登場させる目的の一つは、物語にメルヘンの趣を添えたいということだ。また、竜の前に置かれた乙女という絵柄に拘りたい理由として、日本の生贄や人身御供の伝説を連想させたいということがある。

 カタリ派の悲劇、生贄や人身御供の悲劇からは、多数派のための少数派の犠牲という定式が透けて見える。社会というものは、いつの時代にも多かれ少なかれその定式を用いて存続してきたからこそ、文化の良心を代表する文学は、少数派や弱者を繰り返し描いては、犠牲の上に成り立つ多数派の幸福の本質とは如何なるものであるかの分析を行ってきたのだ。

 恥ずかしながら、わたしは自作童話『不思議な接着剤』を始めるまでは、ナグ・ハマディ文書、とりわけ『マリアによる福音書』ついてはほとんど知らなかった。その背後にどれだけの歴史的事実が隠されているのか、漠然としたことではあってもわかってきたとき、心底衝撃を覚えた。わたしにはそれは本当に、東西を結ぶミッシング・リンクと思われるのだ。

 何かしら不当な扱いを受けたことが窺えるマグダラのマリアは、少数派の象徴として描ける存在でもある。そこからは、男尊女卑の問題も濃厚に浮かび上がってくる。ネガとポジのように、知育絵本の段階にある男性使徒たちに対して、高等教科書の段階にあるともいえるほどのマリアの知的性格が伝わってくる。

 『マリヤによる福音書』から見える光景として、イエスは男性使徒たちには小学校の授業にあるような道徳的なことを、いわば大衆レベルで教え、マリアに対しては愛弟子として哲学を説いている。

 そのことに男性使徒たちは嫉妬して、そんなことは嘘だといっているのだ。理解力に応じたイエスの教育だったことが窺え、イエスは大衆レベルの教化が必要だと感じる一方で、彼しか知らないような高度な知識も教える必要を感じたのだろう。

 新訳聖書に、あれだけ優れた譬え話を残したイエスだ。あそこで語られたことが、大衆レベルに合わせて抑えられたものであることくらい、想像がつく。そう考えると、『マリアによる福音書』のような文書が多く残されていたとしても、少しも不思議ではない。むしろ、全くないのが不自然だろう。

 優れた児童文学作品を残した作家は、大抵大人向きの優れたものも残している。新約聖書は、わたしにはいわば児童文学作品のようなものに思われる。大人向きのものも読んでみたい、そんなものがないのは不自然だとずっと思ってきた。あるほうが自然ではないだろうか。

 いずれにしても、わたしはマグダラのマリアをモデルにしたマリーを描こうとしている。マグダラのマリアを描写しようなんて、大それた考えに、われながら怖気づく。

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