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2010年2月の52件の記事

2010年2月28日 (日)

なんとまあ、灯台下暗し

 メモ代わりに携帯から投稿する癖がついてしまったが、これもそう。

 昨日、Notes:不思議な接着剤#42を書いているとき、死後の死者の行動に関してわたしと見解を同じくするカバラからの一文を捜し、箱崎総一『カバラ』(青土社、1988年)を本棚から手にとった。そのとき、田辺保『プロヴァンス――碧い海と碧い空と―― … 「生きる歓び」讃』(恒星出版、2003年)が近くにあったので、プロヴァンスにおける海の聖マリア伝説に触れられているかもしれないと思い、それも手にした。

 そして『カバラ』を開こうとしたところ、何かの拍子にフワッと開き、まるで読むことを促されているような気がして、そこに視線を落とした。「風光明媚な都市ナルボンヌには、〔略〕/なぜユダヤ神秘思想とナルボンヌが結びつくのだろうか。13世紀ごろまでこの街には多数のユダヤ人が居住していて、その頃ここ南フランス地方はユダヤ文化の中心地となっていた」

 まさに目から鱗……。本にはあちこちに線があり、昔丹念に読んだ形跡があるが、先の死者に関する一文を除けば、綺麗に忘れている。

 確かに、原田武『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991年)にも、「ここでは人々は早くからアラブの文化を受け入れ、カタリ派と微妙な交錯を見せるトゥルバドゥールの恋愛観についても、アラブ起源説がしばしばうんぬんされる。また、ユダヤ人が多く住んで南部の人々に彼らへの偏見は乏しく、その居留地は物質的な豊かさばかりか学問の盛んなことでも有名であった(ドウソン)」とあったが、そこに行ったことのない人間のかなしさか、ユダヤ人と南フランスが、わたしのなかで結びつかなかった。

 しかし、考えてみれば、イエスはユダヤ人であったし、マグダラのマリアもそうであった可能性が高い。

 改めて『カバラ』を読むことにして、田辺先生の『プロヴァンス』を確認。

 すると、まあ、灯台下暗しとはこのことだった。

 海の聖マリア伝説について、『フランス――詩のふるさと紀行』より詳しく触れられていた。また、そこに書かれていた自著紹介の言葉やタイトルからしても『フランスにやって来たキリストの弟子たち』では、さらに詳述されているのではないかとの期待を抱かされた。

 もう少し早く関心を持っていたら、生前の田辺先生に、お手紙で疑問点を質問することもできただろうにと悔しく思われる。わたしのような縁もゆかりもない人間にも親切な回答のお返事をくださった先生であれば、きっと稚拙な疑問にもお答えくださっただろうに。

 続きは、パソコンからNotes:不思議な接着剤#43に。

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2010年2月27日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #42/司祭の幽霊/子供たちの所持品

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#42
2010/2/26(Sat) 物語の細部を考える #3/司祭の幽霊/子供たちの所持品

〇司祭の幽霊

 囚われのマリーのもとにある日中、死んだ司祭の幽霊が姿をあらわす。純文学小説の題材にするはずだったが(それはそれとして書くかもしれない)、このネタをここで使うのも面白いかもしれない。マリーはその話を子供たちにする。

 面白いなどと書いてしまったが、勿論、これは真面目なテーマなのだ。

 以下は、小説のためのメモ。

 窓から木の枝が入り込むばかりだから、生者Aは2階に住んでいる。が、死者Bはその窓から入ってきたわけではない。

 気づかれないと思っていて、勝手なことを心のなかでつぶやきながら、この世に残された滞在時間を使って、BはAの本棚に何があるのか見にきた。

 だが、生者AにはBの心のなかのつぶやきが断片的に聴こえている。というのも、Aはときどき相手との距離の遠近とは関係なく、他人の心で紡がれる断片をキャッチすることがあり、心というのは、人が生きていようが死んでいようが性質が同じであるため、Bの心のつぶやきもキャッチしてしまったというわけだった。

 Bは、本棚を見て、何だこんなものか、普通じゃないかと思う。そのつぶやきが、Aを怒らせる。Bのその現在のありようが、自分の観察と思想の正しさを立証しているではないかとAは思うのだ。こんなときまで、自分をこの世的鋳型にはめようとしているBを殺したいほど憎らしいと思うが、残念ながら相手は死んでいて、ここにいる……

 自身の説教通りにはならなかった司祭。天国へ召されたはずの司祭が、鍾乳洞にあらわれた。

 マリーの異端審問に関り、その期間中に高齢だったため、風邪から肺炎になって死んだ司祭は、死後もマリーが魔女だったかどうかの好奇心を抑えられなくなってこっそりと見に来たのだった。魔女らしくない、普通に見えるマリーにがっかりする司祭。司祭のその俗っぽい行動を感じて、驚くマリー。

 死んで金メッキの剥げた司祭と、具体的な様々な知識をもたらして行方をくらました錬金術師の父親(時空を超えて商売の手を拡げる者たちにさらわれた)。

 人間の死後について、どちらのいったことが正しいのか、マリーにはわかりませんでした。でも、あの司祭さまにかんしては、あてはまっていました。

 マリーのおとうさんは、錬金術師でした。家には、あつい羊皮紙の書物がたくさんあり、実験するための道具がありました。

 おとうさんは物知りでした。人が死んだらどうなるのかというようなことも、おとうさんは知っているようでした。

「死んだ人は、7日のあいだ、透明な人になったようにすごすのだよ」と、いっていました。その期間をどう活用するかは、その人にまかされているようです。家族や友人にお別れをするために、その期間を使おうとする人が多いでしょう。

「心で心に語りかける第1歩は、こうして、この世からはじまるのだよ。たましいのよちよち歩き、とわたしはいっている」と、マリーのおとうさんはいいました。7日がすぎたら、その人は、来るようにいわれた場所へとおもむくのだそうです。

 でも、マリーの生まれたこの地方では、この時代に、そんなことをいえば、異端者と呼ばれ、下手をすれば、火刑台にのぼらなければなりませんでした。異端者は、間違った考えから、社会を混乱させ、悪魔につかえて正しい人を地獄へ落とす手伝いをすると思われていたからでした。

 人は、死んだらすぐに、天国か地獄か煉獄に行くことになっているからです。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

〇鍾乳洞に出かける際の子供たちの所持品について。

 子供たちは一番上にウインドブレーカーを着、紘平と瞳はリュックサックを背負う。

①LEDのヘッドランプ(紘平)、ランタン型ライト(瞳)、ストラップ型ライト(翔太)

②お菓子の詰め合わせ
 チョコレートとクッキーの詰め合わせ。捕まった時点では、少し残っている。

③ティッシュ、ハンカチ、おしぼり

④恐竜のフィギュア
 翔太のポケットに入っている。

⑤ステンレス水筒

⑥レジャーシート

 子供たちは捕まりそうになったとき、ライトは現代的すぎると思って隠すが、服装自体が異質ではある。異端審問で、紘平は最初の穏和な異端審問官に、お菓子とティッシュを、文明国から来たことをアピールするために証拠物件として提出する。

 それらの品物は、趣味のよい、教養も深い異端審問官を驚かせる。しかし、当然ながら、それらが魔法の技によるものではないかとの疑いも異端審問官に抱かせる。

――中世のヨーロッパそっくりの世界に来ることがわかっていたら、香辛料、そのなかでもサフランを持ってくればよかったわ。わいろとして、使えたかもしれないのに。

 と、瞳はざんねんに思いました。

 本に、サフランはひじょうに高価で、「同じ重さの金と比べものにならないくらいの値段」とあったことを、思い出したからでした。

 サフランでしたら、瞳の家のキッチンのたなに、びんに入ってありました。おこづかいでスーパーマーケットのサフランを買いしめて持ってくれば、この世界では、大金持ちになれたことでしょう。

 以下は、J・ギース、F・ギース『中世ヨーロッパの都市の生活』(青島淑子訳、講談社学術文庫、2006年)より抜粋。瞳が本で読んだサフランのくだりも、この本からの引用。

部屋に窓はあるが小さく、油を塗った羊皮紙で閉じられているため、昼間でも暖炉の火が室内の照明代わりだった。オイルランプが壁から鎖で吊るされているが、その火は外が完全に暗くなってから灯されるのが常だった。家庭の主婦たちはロウソクも節約していた。料理用の脂をためてはロウソク職人に渡し、安価なロウソクを作ってもらうのである(煙がよく出て、刺激臭のするのが難点だった)。蜜蝋を使ったロウソクは教会か、儀式のときしか使用されなかった。

塩は安いが〔略〕コショウは〔略〕高く、砂糖はもっと高かった。ハチミツも高級品だった。中世の食卓においては、甘味料は希少価値だった。

紙も紙製品もなかったし、チョコレート、コーヒー、紅茶、じゃがいも、米、スパゲッティ、ヌードル、トマト、カボチャ、トウモロコシ、ベーキングパウダー、重曹、ゼラチンもなかった。かんきつ類はめったにお目にかかれないごちそうだった。

 上は、1250年におけるトロワの人々の生活なので、南フランスとは若干違う面があったのかもしれないが、参考にできるだろう。

 前掲の本に、「主婦は自宅の庭で栽培したハーブを多用していた」とあるので、マリーが錬金術師の娘でなくても、ハーブを用いて翔太の喘息の症状を改善させることは可能だったかもしれない。

 マリーは囚われてはいたが、彼女と親しかった近所のおばさんたちからの差し入れが豊富にあった。そのなかに子供たちが食べてもいいくらいの食べ物やハーブもあったことにしよう。いく晩か、子供たちはマリーにごちそうになるのだ。捕まってからは、食べ物は与えられる。

 瞳にお洒落なキャンドルとライターを持たせようかとも考えたが、火遊びになるので、やめた。

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童話は……(続)作品のこと

 前の記事に関連したことだが、完成したら童話は、希望は持てないながらも営業活動をしてみるつもり。

 それで形にならなければ、そのときの金銭事情に応じて、ソフトカバーの本(幸い文学仲間は本を自費出版している人が多いので、良心的な出版社を教わることができる。自分でも捜して、見積もりなどをとり、徹底したリサーチを行う)、印刷屋さんに頼んで冊子、手作り……と、どんな方法であっても形にする予定。

 シリーズものなので、模索しながら形にしていくことになるだろう。

 専業主婦という理想的な環境にありながら、創作のための時間を満足にとれないのが悔しいが〔Oさん、閲覧されているのかな? 外出する気になれないのは作品のためなんです〕、自作童話『不思議な接着剤』のプランは小さな太陽のように懐にあって、わたしを温めてくれている。

 このプランはまだ編集者Mさんとつき合いのあった頃からのものだから、7年は経っている。最初に原稿を書いたのはワープロでだった。

 Mさんには早く完成させなさいといわれ、いつもなら自分でもそうするところなのだが、それができなかった。かといって、プランを捨て去ることもできなかった。

 不思議な作品。

 作品に詰まるときは、作品が作者のわたしに必要な知識なり発見なりを求めているときだとわかった。

 自分が作品にふさわしいものを獲得しなければ、先には進めないのだ。それは苦しいことで、焦慮に苛まれることも多いけれど、この作品のプランが自身のうちに宿ってからは、幸福のヴェールにくるまれた妊婦のような気持ち……。

 この作品だけは世に出したいと思ってきたのは、そんないきさつからで、日本の純文界に失望したからとか、世に出たいからとかいうのは、こじつけにすぎない。

 だから、わたしは今あれこれ心配しているが、無事に出産……完成できれば、作品のほうで自ら世に出るだろうとも予感している。作品としては、早いとこ、このわたしという粗悪な媒体から解放されたいだろうさ。

 作品が仕上がってからのお楽しみだ。急ぐつもりは全くないので、いつ仕上がるかはわからないけれど、案外早いんじゃないかと思う。

 あとは肉をつけてやるだけだから。

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どちらにしよう……作品のこと

 Fさんと出すことにしている小冊子だが、『悪ふざけがすぎたかな?』(改題の必要。執筆途中で、内容は今の文学界を分析したもの)にするか、Notes:不思議な接着剤の副産物といえるもので、ここで展開した『マリヤによる福音書』に関する私的考察をまとめたものにするか……で、迷い始めた。

 後者は、素人がブログにひっそりと載せているものなので、誰も価値を認めないかもしれないが、独創的な考察ができたと思っている。形にしておきたいのだ。

 息子が「おふくろくらい書けたら、論文博士になれるんじゃない?」という。ホント、春樹に関するものなんか、ネット閲覧した大学の先生の論文よりよほどよくできていると思う。世間は肩書きに弱いから、素人のものは大したことないとしか思わないだろうけど。

 世に出るためには、今後、息子がいうような工夫も考える必要があるかもしれないと思ったりもしている。しかし、論文博士の制度は廃止されるとか何とか……。

 童話が完成したら、主要な作品をまとめて冊子にしておきたいと考えている。本はわたしの身分では贅沢だから、前に印刷屋さんに頼んだように、今度もそうするつもり。

 前に出した冊子には、相当な数の作品を載せて安く上がった。大阪の漫画誌を主に扱っている印刷屋さんだった。

 が、遠いと確認がしにくくて、文字が小さすぎ、老眼にはきつい仕上がりとなってしまった。今度は近くの印刷屋さんにしたい。

 健康に不安があると、作品をまとめておかなければ、という切迫感がたまに起きる。このブログの更新が急に止まるのではないかという不安を、複数の閲覧者に与えたりもしているようだ(ご心配おかけして、すみません)。

 ネットサービスのお陰でわたしのような素人でも作品を公開でき、ありがたいが、更新がとまれば、いずれ削除される。主要な作品は活字にしておくほうが安全。活字にしておいたところで、これもいずれ紙屑になるだけと思わないでもないが……まあ、前に出したやつは少なくとも自分の役には立っている。

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2010年2月26日 (金)

キム・ヨナ、ダイヤの輝きを放つ

 フィギュアスケート女子。金メダルはキム・ヨナ(韓国)、銀メダルは浅田真央、銅メダルはジョアニー・ロシェット(カナダ)。安藤美姫は5位。

 キム・ヨナはまさに完璧といった滑りだった。少年のような硬質さと押しの強さを感じさせる選手だと思っていたが、テレビ観戦していて、ふと、氷上を人間ではない蝶か何かがひらひらと舞っているような錯覚を覚えた。

 浅田真央はミスが惜しかった。演技直後のインタビューでは涙、涙……。真央ちゃんは泣き顔もキュートで、おばさんは貰い泣きしそうになった。しかし、肉づきの優雅さは温かな女性美を感じさせ、それだけでも癒されるような感じがあった。
 また、ラフマニノフ『鐘』を背景にしたドラマチックな滑りは芸術的な深みを感じさせてくれ、そうした意味でのわたしの満足度は、彼女の滑りにおいて最も高かった。あれは何を表現したのか、片手を高々と上げ、カッと口を開いて前を見据えた表情は、忘れられそうにない。

 安藤美姫の滑りを、実はわたしは最も待っていた。人間的成熟と内面的ゆらぎが相まって醸し出す独特のナイーヴな表情、スケールの大きさを感じさせる滑りから、安藤美姫が、どんなクレオパトラを演じてみせてくれるのか、楽しみだったのだ。要所要所で、微かに危うさを感じさせるところのある滑りではあったが、ミスはなく、表現の綾も感じさせて、素敵なクレオパトラだった。
 
 宝石に喩えると、キム・ヨナは、圧倒的な輝きを放つダイヤモンド。浅田真央は、やわらかな輝きを放つ真珠。安藤美姫は、衣装に使われていた緑色が印象的だったからかもしれないが、神秘的な輝きを宿すエメラルドを連想させる。

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Notes:不思議な接着剤 #41/南仏におけるマグダラのマリア伝説

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#41
2010/2/26(Fri) 『マリヤによる福音書』に関する私的考察 #3/南仏におけるマグダラのマリア伝説

 南仏――カタリ派――グノーシス――ナグ・ハマディ文書の『マリヤによる福音書』――マグダラのマリア

 と連想して気になるのは、南仏におけるマグダラのマリア伝説だ。以下はウィキペディアより抜粋。

カトリック教会での伝承の概略

四福音書にはマグダラのマリアと特定されていない女性が何人か登場する。その中のベタニアのマリアなどがマグダラのマリアと同一視され、イエスの足に涙を落し、自らの髪で拭い、香油を塗ったとされる。それゆえ図像ではアラバスターの香油壺を手にする姿が代表的。

伝説中のマグダラのマリア、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』 (Golden_Legend)などによれば、マグダラのマリアは金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。娼婦をも意味する「罪の女」(the Sinner)との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」(The Penitent Mary Magdalene)を主題とする絵画、彫刻が多く制作される。このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。(罪の女を参照。)

イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ったのちにその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボーム(fr:Saint-Maximin-la-Sainte-Baume)に葬られたと信じられた。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張している。しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。

マグダラのマリア. (2010, 2月 23). Wikipedia, . Retrieved 18:50, 2月 25, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2&oldid=30673179.

 『マリヤによる福音書』を読むと、イエスの死後、弟子たちの間で分裂が起きたのではないかという疑念が起きる。イエスに教えられたことをマリアは話すが、アンドレアスは信じないといい、ペテロはそんなことはありえないといって怒る。

 それに対して、マリアは泣きながらも堂々と抗議している。マリアは知的であるだけでなく、弁の立つ女性であったことを窺わせる。

 レビが間に立ってとりなしをしているが、アンドレアスやペテロのような頑固そうな男性と、マリアのような簡単には引き下がらない女性とがこの先うまくいくとは考えにくい。

 この福音書の終わりかたも奇妙で、弟子たちがまとまりなく布教に出かけたようにもとれる。以下は、『ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書』(荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳、岩波書店、1998年)より、最後の部分を抜粋。

 彼らは[告げるため]、また宣べるために行き始めた。

 『フランス――詩のふるさと紀行』(田辺保、同文書院、1994年)には、マグダラのマリアが絡む「海の聖マリアたち」伝説が以下のように紹介されている。その部分を抜粋。

 そしてほどなく、かなたに、あの特徴のあるサント=マリー=ド=ラ=メールの教会の塔が見えてきます。〔略〕青い地中海の波打ちぎわはすぐそこです。
 サント=マリー=ド=ラ=メールとは、「海のマリアたち」という意味。なんとも美しいこの名が、わたしたちの心をひきつけます。そうです。ここは、マリアたち――三人のマリアたちが海の向こうから到着したところなのです。
 三人のマリアとは、マリア・ヤコベ、マリア・サロメ、そしてマグダラのマリアです。マリア・ヤコベ、マリア・サロメは、イエス・キリストの母マリアの姉妹、または義理の姉妹にあたる人と伝えられ、聖書に出てくるキリストの弟子たちの母でもありました。マグダラのマリアは、もと罪の女(娼婦)でしたが、キリストに救われ、師を慕ってその生涯の最後まで、すなわち十字架の下まで忠実に従いつづけた女性です。
 これらマリアたちとともに、先にも名をあげた老トロフィーム、聖マクシマン、リモージュやトゥールーズの町の伝道者マルシャル、サチュルナン、盲人であったがキリストに目を開けてもらったシドワーヌ、さらにマリアたちの召使いで黒人のサラなど、大勢の人たちがイエスの死後ユダヤの国を出て、嵐の海を渡って、このフランスの海岸にまでたどりついたというのです。
 南フランスの各地はじめ、フランスの主だった町々はこの人たちの尽力によってキリスト教信仰へとみちびかれたのです。

 大勢の名が挙げられ、しかも嵐の海を渡って来たとは、まるで政治亡命であるかのようだ。「イエスの死後ユダヤの国を出て」とあるのは、いつの頃だったのだろうか。

 ユダヤ戦争は66年から73年までで、イエスの死が30年頃であったとすると、戦争が起きるまでに36年が経過していて、マリアたちがもしその戦火を逃れたのだとすると、若くはなかったはずのマリアたちに、嵐の海を渡り、その上布教までするのは、年齢的に無理な気がする。

 もっと早い時期だったとすると、ペテロたちとの勢力争いに敗れて、新天地に活路を求めたということも考えられる。伝説によると、彼らは精力的に布教活動をしたようだから。 

 それが本当なら、南仏には、カトリック教以前に、マグダラのマリア一行による教えが根づいていたことになる。

 グノーシス派の文書として、エジプトの洞窟で長きを過ごさなければならなかった『マリヤによる福音書』――南仏の「海の聖マリアたち伝説」――「異端カタリ派」と並べてみると、一筋の流れを見事に形づくるパズルのようだ。

 しかも、『マリヤによる福音書』でマリアがイエスに教えられたと語る内容は東洋哲学そのもので、わたしが東西(の思想的分裂)をつなぐミッシング・リンクと衝撃を覚えたゆえんだ。カタリ派がときに、《西欧の仏教》と呼ばれたことを、思い出しておきたい。

 イエスが西洋人でなかったことを考えると、イエスの教えが西洋的でないといって驚くほうが不自然な気はするが、マリアの伝えるイエスの教えに対して、「異質な考えのように思われる」といったアンドレアスの言葉をどう解釈するかだ。

 ただわたしは思うのだが、もしこの『マリヤによる福音書』がでっちあげられたものだとすれば、マリアの言葉に対して、「異質な考え」とアンドレアスがいったり、ペテロが怒ったりしたといった図は生々しすぎる。イエスの教えに別の教えが作為的に挿入されたり、あるいはごく自然に混入してしまったのであれば、まるでドキュメンタリーのような、このような場面はむしろ存在しないのではないだろうか。 

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2010年2月25日 (木)

まだ石、いるみたい

 まだときに、右腰辺りを中心に痛みます。

 料理は無理と判断して、夫に弁当を頼みました。

 お産みたいに、動いたほうが、石を早く出せてよいとも聞きますが、しんどい。掃除をしているときに、ひどく痛みました。

 昨日の料理の記事とNotes:不思議な接着剤のメモをもう一つ、今日中に書いておきたいのですが、石次第かな。

 今はまだ痛みがあるので、無理です。

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Notes:不思議な接着剤 #40/異端審問制度/『マリヤによる福音書』についての私的考察#2

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#40
2010/2/24(Wed) 異端審問制度/『マリヤによる福音書』についての私的考察#2

 前にメモ参考資料としてメモしたエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ『モンタイユー(上)』(井上幸治・渡邊昌美・波木居純一訳、刀水書房、1990年)から抜粋。

 被告は審理の進行中ずっと拘束されどおしとは限らない。
 次回尋問までパミエにある司教直轄の獄舎に監禁される場合もあったが、自分の教区あるいは司教管区内に居所を指定されるだけで、ある程度保釈が認められる場合もあった。反対に不慮の事故でもあれば、あらゆる強制手段が動員されて未決拘留は強化され、被告は自白するように仕向けられる。しかし拷問によって自白が引出されたとは思われない。被疑者の破門、「厳重」禁獄、「特別厳重」禁獄(脚に鎖をつけ、黒パンと水だけ与えて狭い独房に監禁)が効を奏したのである。ただ一度だけ、これはフランス王の役人が患者に癩患者に対して仕組んだでっち上げの事件だが、ジャック・フルニエは拷問を用い、ひき蛙の粉で泉を汚染したなどというわけのわからない自白を引出している。

 ジャック・フルニエがパミエの司教を勤めたのは1317年から26年までだから、参考になるとはいえ、わたしがモデルとしたい1250年頃とはだいぶん隔たりがある。もう少し、異端審問制度について見ていきたい。

 これも前にメモした参考資料だが、渡邊昌美『異端者の群れ』(八坂書房、2008年)によると、法王グレゴリウス9世が、南仏における審問法廷設置を命じたのは1233年。これは、アルビジョア十字軍の副産物ともいえるもので、「異端審問は司教をとびこえて法王に直結する、法理的にはあくまでも非常の、特設法廷」という位置づけとなる。この制度の問題点は、「他からの提訴をまたず、みずから告発し、みずから断罪する」審理手続きにあった(やり放題ではないか!)。13世紀における、異端審問の手続きを見てみよう。以下は、『異端者の群れ』からの抜粋。

〔略〕、13世紀の手続きは大体次のようだったらしい。まず特定の村や町に審問官が到着すると、住民を集めて協力を宣誓させ、異端者と幇助者に自首が勧告される。一定期間内に出頭すれば、当然、量刑に手ごころが加えられる。この「慈悲の期限」ののちは一方的に、嫌疑者に文書または口頭で出頭命令が出されるが、逃亡が予想されれば拘禁も妨げない。
 訊問には、聖職者2名と書記の立会い、応答要旨の記録が必要である。有罪判決のためには、被告の自白、または証人2名の供述が不可欠だが、証人はすでに捕縛された異端者でもよいし、被告と対面して証言する必要もない。被告に弁護人をつけるか否かは一次議論を呼んだが、神の敵に手を貸す法はないとの意見が有力で、ベルナール・ギイの『審問官提要』は、よしんば弁護人がいたところでこれに耳を傾けぬのが審問官たる者の心得だとしている。
 刑罰は、罪の軽重にしたがって、火(火刑)や壁(投獄)の重刑から、巡礼、笞、あるいは衣服に悔悛の黄十字を縫いつけるなど、何段階にもわかれ、重刑には必ず全財産が併課される。
 宣告の日には「大法廷」が召集され、審問官は20名前後の参集者に対して訊問の概要を説明し、その同意を得て判決を確定する。重罪宣告の場合には、さらに司教の承認が不可欠であったし、犠牲者は法王に再審を願い出ることも不可能ではなかった。

〔略〕

 手続きはしばしば省略され、大法廷は、被告のみか参集者一同に対する威嚇の儀式となる。とりわけ問題は、悔悛の言を聞こうと焦るあまり、拷問が法王勅令をもって励行されたことだ。その方法も、鎖、飢餓、不眠などの初歩的なものから、鞭、木馬、逆吊り、燠火の高等四法まで何段階にもわたって工夫がこらされる。カルカッソンヌに審問塔の語りぐさを残したように、効果をあげるためには何年でも暗黒の地下牢に投ずることもあった。
〔略〕
 この特設法廷はやがて一つの制度となって、全キリスト教世界に拡大し、土地によっては18世紀まで存続する。その間、1人で10万件を審理し、火刑台の煙をあげること2千回に達したという半ば伝説的なセゴビアの大審問官、トルクェマーダの如き人物も輩出する。異端審問こそ、私たちのアルビジョア騒乱が歴史に残した、おそらく最悪の落とし子である。
 ところで、この恐怖の法廷だけが、異端を追及したのではない。むしろこれがすべてを蔽い切れなかったところに問題があったかもしれないので、非専門的な個々の追及の中にかえって衝撃的な事件を見出すこともあるのだ。
 1234年、トゥールーズ司教レモン・ド・ミルモンがミサ聖祭をおえて食卓につくべく、手を洗っていた時、異端の老婆が重病の床にあるむねの密告を受けた。司教は病床に駆けつけ、現世の軽んずべきことを説いて完徳者と錯覚させる。交際関係をことごとく聞き出した上、信仰を持して変わらずやとただす。予期した返答を得ると、にわかに汝は異端であると宣言し、老婆を病床もろとも広場に運んで焚刑を執行した。「かくてのち、司教と会士らは食堂に帰り、心も軽く、用意されたものを食し、神と聖ドメニコに感謝の祈りを捧げた」。ペリッソンの伝えるところである。

 わたしが執筆しているのは児童文学作品であるから、物語として、子供にも読めるような淡い色調にしたいのだが、下書きのスケッチの段階では、歴史に根差したしっかりとしたものにしておきたい。

 竜を登場させる目的の一つは、物語にメルヘンの趣を添えたいということだ。また、竜の前に置かれた乙女という絵柄に拘りたい理由として、日本の生贄や人身御供の伝説を連想させたいということがある。

 カタリ派の悲劇、生贄や人身御供の悲劇からは、多数派のための少数派の犠牲という定式が透けて見える。社会というものは、いつの時代にも多かれ少なかれその定式を用いて存続してきたからこそ、文化の良心を代表する文学は、少数派や弱者を繰り返し描いては、犠牲の上に成り立つ多数派の幸福の本質とは如何なるものであるかの分析を行ってきたのだ。

 恥ずかしながら、わたしは自作童話『不思議な接着剤』を始めるまでは、ナグ・ハマディ文書、とりわけ『マリアによる福音書』ついてはほとんど知らなかった。その背後にどれだけの歴史的事実が隠されているのか、漠然としたことではあってもわかってきたとき、心底衝撃を覚えた。わたしにはそれは本当に、東西を結ぶミッシング・リンクと思われるのだ。

 何かしら不当な扱いを受けたことが窺えるマグダラのマリアは、少数派の象徴として描ける存在でもある。そこからは、男尊女卑の問題も濃厚に浮かび上がってくる。ネガとポジのように、知育絵本の段階にある男性使徒たちに対して、高等教科書の段階にあるともいえるほどのマリアの知的性格が伝わってくる。

 『マリヤによる福音書』から見える光景として、イエスは男性使徒たちには小学校の授業にあるような道徳的なことを、いわば大衆レベルで教え、マリアに対しては愛弟子として哲学を説いている。

 そのことに男性使徒たちは嫉妬して、そんなことは嘘だといっているのだ。理解力に応じたイエスの教育だったことが窺え、イエスは大衆レベルの教化が必要だと感じる一方で、彼しか知らないような高度な知識も教える必要を感じたのだろう。

 新訳聖書に、あれだけ優れた譬え話を残したイエスだ。あそこで語られたことが、大衆レベルに合わせて抑えられたものであることくらい、想像がつく。そう考えると、『マリアによる福音書』のような文書が多く残されていたとしても、少しも不思議ではない。むしろ、全くないのが不自然だろう。

 優れた児童文学作品を残した作家は、大抵大人向きの優れたものも残している。新約聖書は、わたしにはいわば児童文学作品のようなものに思われる。大人向きのものも読んでみたい、そんなものがないのは不自然だとずっと思ってきた。あるほうが自然ではないだろうか。

 いずれにしても、わたしはマグダラのマリアをモデルにしたマリーを描こうとしている。マグダラのマリアを描写しようなんて、大それた考えに、われながら怖気づく。

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どちらも休診だっ(-_-;)

 前の記事を携帯から送信したあとで寝て、起きたら腰から少し上くらいの背中が痛い。その辺りが痛くてだるくて、身の置きどころがない感じ。

 しばらくしたらケロリとよくなった。やっぱり石だと思うが、泌尿器科を受診したいと思い、前にも受診したことのあるレッドクロスの診療案内を見ると、今日は休診日。県立も受診したことがあったので、見てみると、ここも休診日(手術日)。

 他にも泌尿器科のある病院、泌尿器科専門病院はあるけれど、馴染みのないところでウロウロする気にはなれない。何となく熱っぽい感じもするが、熱はないと思う(測れば済むことだけれど、少なくとも高熱は出ていない)。

 仕方がないので、痛くないときは執筆に励もう。

(少しあとで)痛みが下腹部に移動した気がする。右下腹が痛い。間もなく出産か? 石の。

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背中が痛い……また石?

 料理の記事をアップしてから寝ようと思っていたところ、背中……腰に近い場所が痛くなった。

 一昨日から、時折、その辺が痛んで、痛むときは冷や汗が出るほどなのだが、しばらくすると、気のせいだったかと思うくらい、何ともなくなる。

 この症状は、覚えがありすぎる! たぶん石。石の大移動が始まりかけたのだ。

 明日も治らなければ、泌尿器科の受診を考えたいが、受診しても、わたしの石は、レントゲンにはなかなか写らない。

 いつだったか、排尿後にカツンと音がしたと思って見たら、石だった。あんなに小さいと、レントゲンには写らなくても不思議ではないと思う。

 小さくても、出てくるときは結構痛い。

 排出までしばらく悩まされるかと思うと、憂鬱だわ〜(/_;)

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2010年2月24日 (水)

Notes:不思議な接着剤 #39/異端審問官について

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#39
2010/2/24(Wed) 物語の細部を考える#2/異端審問官について

 #38で出した異端審問官は、紘平との会話に必要な最小限の仮の肉づけを行っただけで、実際の肉づけは、作品がその箇所に差しかかった時点で行うことになるだろう。

 その異端審問官についてだが、わたしは地裁で出会った最初の裁判官をモデルにしたいと考えている。

 あの冷淡さ、職務怠慢は、裁判を遅らせ、ボケの疑われる原告に訴えられた被告側に、無意味な準備書面の提出をどこまでも(と感じさせた。何しろ、いくら提出したところで、読んでいないことは明白だったから)強いるもので、わたしがお金持ちでさえあれば、訴えたいくらいだった〔カテゴリー:父の問題参照〕。あのような人物は、どんな国にも、どんな時代にも存在する、最も危険なタイプといえるだろう。

 無意味な裁判を速やかに終わらせてくれた、地裁の2番目の裁判官の温厚で飄々としたキャラも忘れられない。物語でも、異端審問の途中で異端審問官が交替するという設定にしたら、面白いかもしれない。あわやというところで、そんなトリックスター的な出来事が実人生でも起きることを、わたしは知ったのだから。

 土壇場で異端審問官が交替し、次の異端審問官は事件の全容を調べ直す。とすると、#38で下書きした問答は、この交替した人間味のある異端審問官との間でなされることになるわけで、もっと物柔らかなムードが異端審問官を包むことになるはずだ。

 最初の異端審問官は、偏見と独断をあらわにした、自分本位の質問しかして来ない。交替した異端審問官は優秀なので、疑念を抱いた部分に関しては、追及を和らげないだろう。そして、交替した異端審問官は、妥当な判断を示し、子どもたちに追放を命じる。子どもたちはマリーを救い出す。

 うーん、これでは面白くないなあ。手に汗握る、という展開にしたいわたしとしては。

 異端審問官の登場を逆にしようか? 最初に、職務熱心で教養が深くて、真の意味の敬虔を宿した異端審問官が担当し、追放という判決が下ろうとしていたところに、司教の異動があり、職務怠慢で冷淡な異端審問官が赴任してくるのだ。そして死刑――火あぶりの刑が下る。

 最初の異端審問官はなるべく異端審問を長引かせようとし、次の異端審問官はさっさと切り上げようとする。

 丁寧に作品を進めてきて、最後の仕上げという段階で、その作品を手放さなければならない画家のような心境で、最初の異端審問官は、新しい赴任地へむけて旅立ちました。

 あの3人の不思議な子供たち、美しい錬金術師の娘、そして魔物とおそれながらも、異端審問で火あぶりの刑を下す口実として自分たちが利用してきた竜のことが、かれの胸をよぎりました。

――竜のいる洞窟に被告を隔離し、竜に食べられたら被告は無実、食べられていなかったら魔物と結託した者として火刑台に送るという、馬鹿馬鹿しい裁判を自分たちは行ってきたのだ。それでも、わたしは、被告が逃げて、洞窟を無事に抜け出してくれることを願わずにはいられなかった。今回の事件では、あの美しい娘を救うのは無理でも、もう少しの時間さえあれば、3人の子どもたちを追放にしてあげることができたのだが……。

 最初の異端審問官がひそかにマリーに恋していたという設定にするのも、ほのかなロマンスが花を添えていいかもしれない。

 紘平たちの武器というと、翔太にくっついたピアノ協奏曲の泣き声と洞窟にいる大人しい竜だけだ。さて、どうなるのだ? 彼らがどうすれば助かるのか、今の時点ではどうにでも考えられるが、物語のテーマと絡み、核心をつくような案でないと、採用することはできない。

 物語がそこまで進むには、まだ時間がたっぷりとある。ゆっくりと考えていこう。

 いずれにしても、最終的に、神獣となった竜は、真珠色のすばらしいオーラを空間いっぱいに輝かせながら、マリーをのせて、もっと安全な場所、エジプトのナグ・ハマディの方角へ向けて飛び立つ。ここは、最高に壮大な描写にしたい。   

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2010年2月23日 (火)

Notes:不思議な接着剤 #38/異端審問官とのやりとり#1

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#38
2010/2/23(Tue) 物語の細部を考える#1/異端審問官とのやりとり#1

 うちの子たちが小学生の頃に使っていた、ジュニア用の歴史図鑑をとっておいてよかった。最近出た図鑑もチェックしておきたい。紘平の歴史の暗記度・理解度をどの程度のものにするか?

 紘平は、異端審問官に答えて、いいました。
「ぼくたちは、異教の地から来ました」
――少なくとも、キリスト教が国教というわけではないからね。

 異端審問官は眉根をぐっと寄せて、うっすらと微笑をうかべました。「異教の地だと? マニ教の地から来たというのだな?」

 紘平はマニ教ときいて、とまどいました。マ二の秘法は、紘平が熱中したことのあるゲームの必須アイテムだったからでした。
「えっと、そうですね。ぼくたちの国にはいろいろな宗教が存在しているんです。もちろん、あなたがたのキリスト教だってありますよ。キリスト教を国教と定めるまえのローマ帝国を想像していただくと、よいかもしれません。一つの宗教を信じている人もいますが、正月に神社へ行って願いごとをし、盆に寺の坊さんをよび、クリスマスにサンタクロースのプレゼントを待つ人がたくさんいるんです。信じられるのは、飼っている動物だけとか、お金だけとかって人もいます」

 もっとも、ザビエルによって日本にキリスト教が伝わったのは1549年、室町時代のことでした。13世紀のこの頃は、日本では鎌倉時代にあたります。仏教の革新運動が進んだ時代でした。元寇の勝利によって、日本は神の国であるという『神国思想』が生まれた時代でもありました。

 異端審問官の頭は、紘平のわけのわからない回答に、混乱していました。
「おまえは、何者なのだ? そして、どこから、何の目的で来たのか? わかりやすくのべよ」

 アジア、といえば、それだけでも、いくらかは通じたでしょうが、紘平は自分の国と身分を表現する、古風でわかりやすい言葉を記憶にもとめて、聖徳太子の飛鳥時代にまで、さかのぼってしまいました。
――そうだ、小野妹子だ。
「ぼくたちは、アジアの日出づる処から来た、親善使節の一行です。よきにおはからいのほどを。異端審問官さま」

 紘平はうまく答えたつもりでしたが、平静をとりもどしていた異端審問官は、眉根を寄せただけでした。

 異端審問官の頭のなかは、聖徳太子とも、また紘平とも、ちがっていたので、アジアの日の出るところから来た、という紘平の言葉は、異端審問官には特殊な印象をあたえました。

 中世ヨーロッパでえがかれた『TO図』とよばれる世界地図では、大陸は3つにわけられていました。上半分がアジア、左下がヨーロッパ、右下がアフリカでした。世界の中心はエルサレムで、上のはしっこにはエデンの園があるとされていたのです。

 異端審問官は、きびしい口調でいいました。
「その親善使節の一行が、ローマ教皇のもとへはおもむかず、魔物がすみ、魔女のうたがいのかかる人物がとらわれている洞窟に、何の用があったというのか? その目的をのべよ」

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2010年2月22日 (月)

ふと空を見上げると

ふと空を見上げると

 夕方、わさだタウンの駐車場でふと空を見上げると、パラグライダーをしている人がいました(写真が小さくて、わかりづらいかもしれませんが)。

 一体、どこに着地したのでしょうか?

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2010年2月21日 (日)

昨日の夕飯(牛こま切れ肉と玉ねぎのトマト煮、ブロッコリーのミモザサラダ、豆腐のポタージュ)

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 昨日の夕飯は、牛こま切れ肉と玉ねぎのトマト煮、ブロッコリーのミモザサラダ、豆腐のポタージュでした。

 スープとサラダに使っている器は、無添加化粧品のファンケルから貰ったものです。ミニサイズの器もあるので、わが家ではファンケル3姉妹と呼ぶことになりそうです。

 一番新しい器はスープを入れているもので、まるっこいため、見かけより量が入ります。スープに、ご飯に、煮物にと、広い使い方ができそう。

P2060347

 服部先生のレシピを参考にした、ブロッコリーのミモザサラダ。

 ドレッシングの材料を「週刊 服部幸應のしあわせクッキング7号」(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介しますと、塩小さじ1/4強、ワインビネガーまたは酢大さじ1と1/3、マスタード小さじ1、コショウ少々、サラダ油1/4カップです。

P2060348

 「おいしい基本のイタリアン」(世界文化社、2004年)のレシピを見て作った『牛こま切れ肉と玉ねぎのトマト煮』。塩こしょうした牛こま切れ肉と玉ねぎを、赤唐辛子を入れて炒め、トマト・ソースで煮込んだ素朴なもの。以下はそのトマト・ソースの作り方です。

〇インスタント・トマトソース

[材料(でき上がり約300ml)]
ホールトマト(缶詰)500ml、塩小さじ1/3、EX・ヴァージン・オリーブ油大さじ2~3

[作り方]
 ①ホールトマトを握りつぶし、へたを取る。
 ②フライパンにEX・ヴァージン・オリーブ油と1を入れ、フライパンを動かしながら煮立つまでは強火、煮立ったら弱火にして煮込む。
 ③②が2/3量になったら塩で調味する。

P2060343

 「やりくりおかずと節約献立」(扶桑社、1999年)のレシピを参考にした、豆腐のポタージュ。

 4人分で、絹ごし豆腐1丁、牛乳2と1/2カップ、コーンスターチ大さじ1、いりごま大さじ1をミキサーにかけてスープにします。スープを裏ごしして鍋に入れ、固形スープ2個を加えて沸騰するまでかき混ぜます。塩コショウで味を調えます。

 ミキサーがないので、わたしは裏ごしだけで作りました。ミキサーは3度買って、3度とも、なぜかすぐに壊れました。トラウマになり、バナナジュースを飲みたいと思いながらも、5年以上ミキサーなしです。そろそろほしくなってきましたが(性能がよくなっているかもしれないし)。

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2010年2月20日 (土)

昨日の夕飯

昨日の夕飯

 塩鮭は、そのまま焼いただけのものがご飯には一番合うと思いますが、ハーブを採り入れたいわたし。

 タイム、にんにくをたっぷりのせ、黒こしょうを振って、オーブンで焼きました。

 あっさりとした、ヘルシーな味わいは、家族にも好評でした。

 タイムの効果か、食事のあと、体に清涼感を覚えました。カリッと焼けたにんにくと鮭がまたよく合って、美味しいこと!

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寝て過ごした1日

 2錠ニトロペンを使った後、寝てしまいました。

 でも、それがよかったみたいで、体が休まったのか、今はすっかり元気です。

 息子から電話で「明日誕生日だけど、何がいい?」とのこと。

 長期出張中なんだし、そのうちでいいわよ、といいました。いらないといわないところが……我ながら。ほほほ……。

 父夫婦の夢を見てしまいました。また何か起こすつもりかと、父たち自体の心配より、そうした心配の先に来るのが、情けないことではありますが〔カテゴリー:父の問題参照〕。

 わたしは童話を完成させたいの。邪魔しないで、お願い。

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2錠目

2錠目

 前の記事を投稿したあとすぐに、強めの胸痛がありました。

 鎮まるのを待っていましたが、波のうねりのように多彩な(?)痛みを伴って襲ってきます。刺し貫かれるようなフリーズしてしまう王様級の痛みではないのですが、またニトロペンを使いました。

 実はまだ時折、軽い痛みが来ます。今日のは何だかしつこい。白雪姫に出て来るお妃みたいに、陰険。

 ニトロ舌下錠は3錠まで使え、それで効果がなければ救急車を呼べと説明書にあります。わたしの場合は、循環器クリニックに電話することになります。

 こんな長文の記事を打てるくらいですから、大丈夫でしょう! 念のために、トイレに行っておこうかな。

 とりあえず、1時間くらい静かにして体調の回復を待ち、回復したら創作にGo!

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くまさんとニトロ

くまさんとニトロ

 くまさんと記念撮影してみましたが、やはりニトロはニトロ。あんまり可愛くない。

 でも、わたしにとっては窮地からすくい上げてくれる頼もしいおかた。

 鈍い胸痛が昼前に起き、シグマートの服用で治るかと思ったのですが、服用後も繰り返し起きるので、ニトロペンを舌下。

 一旦起きた発作は、軽くても、予防薬では鎮まらないみたいです。当然か。

 すぐによくなったので、もっと早く使えばよかったと思いました。使うとドッと疲れるのが……眠気まで。

 予定が狂うのは嫌だなー。携帯のキーを打ちながらも、瞼が重くなるばかり。

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2010年2月19日 (金)

栗原はるみさんのボール

栗原はるみさんのボール

 栗原はるみさんのキッチン雑貨のコーナーで見つけた、内径13㎝の片口ボール。栗原さん監修による、(株)ヨシカワの製品。

 注ぎ口があり、計量もでき、取っ手までついている小ぶりのボール。

 ドレッシング作りによさそう。

 ドレッシングを手作りすることの多いわたしは、一目惚れしてしまいましたが、税込1,995円というお値段はわが家の家計からすると、ちょっと思案したくなるものでした。

 このボールがなくても、普通のボールで作れているわけだし……と思うと、必需品というよりは贅沢品に分類せざるをえなかったのですね。

 栗原さんのコーナーに行くたび、このボールがあることを確かめてはホッして……そんな迷いをたっぷり、ひと月は繰り返して、ついに買っちゃいました~!

 ドレッシング作り以外にも、いろいろと使えそうですね。料理が一段と楽しくなりそうです。

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麹花庵のどぶろく

麹花庵のどぶろく

 デパートの催し物場で、麹花庵のどぶろくを買いました。

 発酵中で、容器の破裂や液体の噴出の畏れがあるため、内容量からすると、かなり大きめのビンに入っていて、500mlが720mlのビンに充填されていました(写真のものは、前日夫が飲んだので、減っています)。

 どぶろくは初体験でした。

 能登産の米こしひかりと赤米(古代米)が使用されているということですが、フルーティーといいたくなる、さわやかな味わいに驚きました。

 夫に買ったつもりでしたが、忘れられない味わいに、わたしも今夜少し……。夫は昨晩飲んでみて、とても気に入ったみたいです。留守中に飲んでしまったら、怒るでしょうね。

 注意すべきことがあって、とぶろくは体内に入ってからも発酵を続けるために、時間が経ってから酔いが回るのだとか。

 飲みやすいからといってぐいぐい飲むと、ひっくり返るそうですよ。わたしも試飲して買い物を続けている間に酔いが回ってきました。

 体がきつくなるので、めったに飲まないお酒類ですが、このすばらしい味わいのどぶろくは飲みたくなります。

 甘口と辛口があり、どちらも美味しかったのですが、辛口は通向きかな。

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高橋大輔選手が、シネマ『道』のテーマで銅メダルの滑り

 フィギュアスケート男子。高橋大輔選手は、フリーを、シネマ『道』の「ジェルソミーナのテーマ」(ニーノ・ロータ作曲)で、軽やかに、コミカルに、切なげに滑り、舞った。

 銅メダルの滑りとなった。

 フィギュアスケートは、かつての日本選手のどちらかというと体操的な印象の滑りからすると、女子の荒川選手の滑りがその幕開きを高らかに宣言したかのように、芸術的になった。勿論、技術面もおろそかにはされていない。いや、確かな技術があってこそ、繊細な美的表現が可能になるのだろう。

 情感がスケートリンクにこぼれ散るかのような優雅な滑りは、観戦にゆたかな満足感をもたらしてくれる。

 旧ソ連時代、ソ連や東欧圏の選手がバレエを連想させる薫り高い滑りを披露してくれていたものだが、ロシア時代となってから揮わなくなり、ああいった育成には国家的な金銭の投入が必要なのだろうか、と物寂しい思いをしていた。

 それが、わが国から、あの時代を思い出させるような滑りが現れるようになったとは……。ロシア人の監督の指導を受けたり、あの時代の感動を知る日本の監督の指導を受けたりした日本の選手が活躍するようになったのだろう。喜ばしいことだと思う。

 高橋選手がテーマ曲に選んだ「ジェルソミーナのテーマ」は、シネマ『道』のテーマ曲で、『道』はイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニが1957年に監督した作品。

 貧しい旅芸人を描いた名作で、ヒロインのジェルソミーナは、仕事の役柄からだけではなく、人間的にも道化師を髣髴させる、知的障害を感じさせる女性。しかし、彼女は、聖性にさえ通じるような理解力と気品のある表情を垣間見せることがある。

 そんな彼女を自分のいいようにこき使う荒くれ男、ザンパノ。ジェルソミーナと男女の関係となってからも、その横柄な態度は変わらない。

 ザンパノに傷つけられるジェルソミーナを天使のように励ますイル・マット。その悲惨な死。マットの死後、ジェルソミーナは精神に異常を来たす。そのジェルソミーナをザンパノは捨ててしまうのだった。

 ザンパノの運転するオート三輪に引かれた幌車は、よろよろと進み、寒々とした景色の中に溶け込んでしまいそうで、幌車自体があたかも生きることの困難を訴えかけ、生きることの意味合いを求めている生き物のように見えた。

 以下は過去記事からの抜粋。

〇道
フェデリコ・フェリーニ監督。
時に浮世離れした聖性を感じさせる頭の弱い女ジェルソミーナを演じたジュリエット・マシーナも凄かったのですが、獣性むき出しの荒くれ男ザンパノを演じたアンソニー・クインも凄かったです。
人間の真心の化身ともいえるようなジェルソミーナを失った己の愚かさに気づき、人気のない浜辺で慟哭するザンパノの姿はまことに哀切で、美しいものでした。
大学時代から何度となく、観た映画です。
巷の映画サークルによって喫茶店で上映された『道』まで、漁って観ました。
観すぎたためか、現在は食傷気味です。
娘が夢中になっています。
フェリー二監督の妻でもあるマシーナは『魂のジュリエッタ』では一転して、知性美の勝る感受性の強い女性を演じていました。

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2010年2月18日 (木)

ストロベリーハーブティー

ストロベリーハーブティー

 アフタヌーンティーにて。

 小ポットの中は、エルダーフラワー。

 健康によさそうなティーです。血液検査の結果を気にしているわけではありませんが(やっぱり、してるかも)。

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但馬屋のぜんざい

但馬屋のぜんざい

 以前、栗ぜんざいを注文したことがありました。

 前の記事で書いた検査結果を考えてちょっと躊躇しましたが、今日は自作童話に入れたお祝いですから。

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循環器クリニック受診

 検査室で体重・血圧測定をしてくれた看護師さんが新しいかただったので、そちらに気をとられ、血圧値を聴きそびれました。

 呼ばれて診察室に入ると、わたしの血液検査の結果が、まるで捨てられたように3枚、ハラリと先生の机に置かれていました。

 いつものように脈拍、胸、目の診察。綿を突っ込んだわたしの耳に目をとめた先生、驚いたように「それは何ね?」

 「湿疹です。掻き毟って汁が出たので、綿を入れているんです」と答え、漢方クリニックで2週間だけ治療を受けたことをお話ししました。漢方薬の服用後に、心臓がぎんぎんしたり、パラパラ打ったりしたので、やめてしまったというと、先生は微かに苦笑。

 湿疹があるところは全部いうようにいわれ、うなじもお見せしました。「薄くステロイドの入ったリンデロンのローションをあげよう。それをつければ、すぐに治るよ」と先生。

 でも、またすぐになりますよね、といいたくなりましたが、大人しくそれを出していただきました。

 そしてついでのように、気がなさそうな感じで「あ、それから、それ、この間の血液検査の結果。全部いいよ。脂質以外は……」と先生。

 検査用紙に目をとめたわたしは、えっと思い、「先生。結構はみ出していますが……」といいました。「そうね、気をつけといて」と、先生はどこか遠くに行ってしまったようなムードでおっしゃいました。

 前回、検査値が大変よかったときは、「僕よりいいよ!」と先生は嬉しそうにおっしゃり、検査用紙を手にして、100点をとった子供のように、しばし悦に入っていらっしゃいました。

 今回のは面白くなかったんですね。わたしもそう。検査結果については極めて短時間で終了しました。でも、それで、いいんですか? 生活指導とか何とかは。

 脂質代謝は全滅。体重は減ったのに。他に、基準値内ではあるけれど、高いほうの崖っぷちがクレアチニンと血糖。低いほうの崖っぷちがナトリウムとクロール。

 ネットで見ると、慢性気管支炎でクロール値の低いことがあるとありました。

 血糖が危ないのは嫌ですね。ネットで見た基準値だと、はみ出てしまいます。クレアチニンもこのところ、気になっています。糖尿病と腎臓病は面倒そうなので、なりたくないと思ってきましたが、気をつけないと危ないかも。どう気をつけたらいいのやら。

 コレステロールが高くなったのも最近。中性脂肪は、昔、慢性膵炎といわれていた頃はバカ高くて、脂肪を溶かす薬を飲んでいたこともあったのですが(その頃はかなり痩せていたのに)、その後はそれほどではなくなり、しかしいつも結構な異常値でした。

 ところが、前回ここで血液検査を受けたときは確か服部先生のレシピにはまっていたときで、ナンと正常値だったのですね。ハーブ料理のお蔭かと驚きました。それが今回、また高くなっています。

 病気も飲んでいる薬もいろいろありますから、気をつけているつもりでも好ましくない変化が起こってくることは避けられないのかもしれませんが、またハーブ料理をよく作るようにしてみたいと思います。

 お手軽な乾燥ハーブは切らさないようにして、最近もよく使っていたのですが、数値がよかったあの頃は生をよく使っていました。ローズマリー、タイム、セージ、バジル、ディル、イタリアンパセリ、カーリーパセリ……。

インデラル錠10mg ⇒ 1日3回、毎食後、40日分
ヘルベッサーRカプセル100mg. ⇒ 1日2回、朝・夕食後、40日分
アイトロール錠20mg ⇒ 1日2回、朝・夕食後、40日分
シグマート錠5mg ⇒ 1日3回、毎食後、40日分
ニトロペン舌下錠0.3mg⇒胸痛発作時10回分

リンデロン-VGローション全20ml  塗布

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ガクッと寝てしまった

 昨晩、自作童話の下書きした分をパソコンで清書しておくつもりが、ガクッと寝てしまった。

 どうも近頃ガクッと眠くなったりフラフラしたりだが、今日の循環器クリニック受診でそれいっても、今更だしなあ。

「Nさん、いつも元気だねえ」「そう見えます? ホント、元気すぎて困っちゃうー! 先生のお陰ですぅー」なんて、またいっちゃいそう。

 まあでも、血圧が低いせいかどうかくらいはわかるだろう。

 これだけ心臓の薬飲んでいるのに、本当に元気いっぱいでわたしが日常生活を送っていると、先生は思っていらっしゃるのかしら。

 ただ漢方を試して心臓が我をなくした体験をしたせいで、いくらか元気はなくなっても、先生が処方してくださる西洋薬のお陰で心臓がどれだけラクになっているか、安定した働きができているかがわかったので、もう贅沢はいわない。

 自作童話は、なぜストップしていたかがわかった。長いブランクということがベースにあったが、直接的な原因は、子供たちが洞窟に入っていく動機として、テレビ番組に刺激されたというだけでは弱い、不自然だと感じたこと。

 肝腎要のところなので、時間はかかっても自然に回答が出るまで待ってよかった。これで、わたしも子供たちを遠隔操作したりせず、一緒に洞窟に入っていくことができるというわけだ。

 そのお祝いというわけではないが、クリニックのあとは休日の娘と中心街で遊ぶ予定。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 携帯からの更新ですが、レシピのご紹介を含めて長々と書いたのに、操作ミスをしたみたいで、全部消えてしまいました。

 立ち直れないので、そのうち気が向いたらプチでご紹介します。

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2010年2月17日 (水)

Notes:不思議な接着剤 #37/サブタイトルの整理

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#37
2010/2/17(Wed) サブタイトルの整理

 ここで、サブタイトルを整理しておこう。№1に収録済みの章は以下。

1章 おとうさんの部屋で
2章 くっついたピアノ協奏曲
3章 どうすればいいのか、わからない
4章 青い目のネコ 
5章 あしたは、しあさって

 サブタイトルは作品を進めるごとに考えていきたいと思う。書き上がった時点で、各章の枚数の調整が必要となる。サブタイトルの変更も必要になってくるかもしれない。

 ブランクが長かったが、今朝、何とか作品の世界に入れた。入れなかった間の惨めだったこと! 今朝下書きした分は、

6章 冒険へのいざない

 に収めたい。そして、

7章 冒険へ

 で、序破急の構成のうち、序が終了する。パソコンで清書して、原稿用紙に換算してみなければわからないが、予定枚数の80枚を超えそうな気配。まあいい、別に枚数制限を設けているわけではないから。あとで削ったり、つけ足したりといったことも出て来るだろう。

 当ブログに一気に収録したこれまでの分には№1を振った〔わたしの外部サイト『マダムNの児童文学作品』では連載1―45〕。これ以後の更新分には、その都度、番号を振るようにしよう。

 一気に読めるように、ウェブぺージを使ってサイドバーにリンクを設け、更新ごとにつけ足していくのもいい。ホームぺージ『バルザックの女弟子になりたい!』には、完成した段階で収録したい。

 まだ着工の段階だから、先は長い。破の長丁場(予定枚数170枚)を如何に乗り切るかだ。

 ところで、書店では娯楽系児童文学作品が溢れていて、純文系は縮こまっているように見える。図書館にある小学館と講談社の堂々たる世界の児童文学全集(純文系児童文学作品の宝庫だ)は、ナンとわたしが子供の頃に出たものだ。

 さすがに図書館は大事にしてくれている。わたしは子供たちに同じようなものを買ってやりたいと思ったが、それより小ぶりのものがちまちま出ているだけで、あれほどのものは見つからなかった。

 あれが出た当時、日本の大出版社はもっと地味な印象だった。ボロ儲けしていたとも思えない。儲け優先ではなく、日本の子供たちのためを思って出されたものではなかったか。

 あれからも、世界中で、純文系の重要な作家が沢山誕生したはずだか、この時代、それらをも収めた豪華版の世界の児童文学全集が出たってちっともおかしくないはずなのに。中小には無理でも、大出版社にはその力があるはずだ。それだけのものを出せる編集者が育っていないのではないかと疑ってしまう。

 娯楽系、純文系――この二つの違いに区別のついていない編集者、教育関係者すら、いるのではないかという気がしてしまう。大人向きの文学についてはここhttp://elder.tea-nifty.com/blog/2010/02/post-f584.htmlで大雑把に考察したが、子供向きのものでも同じだ。

 『ハリーポッター』は娯楽系児童文学作品だから、あんなにヒットした。娯楽系、純文系のどちらがいい、悪いではない。ただ違うのだ。娯楽系がお菓子なら、純文系はごはんなのだ。お菓子ばかりを食べさせられた子供がどうなるかは、栄養士に訊かなくてもわかることではないか。

 そのうち児童文学論を書きたいが、今はゆとりがない。

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祝:文詰まり解消!ああ長かった

祝:文詰まり解消!ああ長かった

 童話ブログの日付が2008年5月3日で止まっていましたから、自作童話『不思議な接着剤』は1年8ヶ月ぶりの更新ということになります。

 いえ、更新というにはまだ早いようよ……メモを解読して、整理しなくては。

 ああでも、ホッとしました。ブランクが長かったせいか、文章が出て来なかったんです。

 当ブログでも続きを更新していきたいと思います。あーやれやれ!

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2010年2月16日 (火)

今日の夕飯

今日の夕飯

 今日の夕飯は、キスの塩焼き、かぼちゃのそぼろ煮、豆腐と油揚げと葱の味噌汁でした。

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③が遅れています

 体調がもう1つで、記事『悪ふざけがすぎたかな?』の③が遅れています。

 フラフラするので、横になったままで携帯でメールボックスを確認していたところ、このところ体調ブログに不整脈その他に関する深刻なコメントを連続してくださっていたかたから緊急そうなコメントが届いていると知り、飛び起きてパソコンを開きました。

 しかし幸い、朗報でした。安心したら、とたんに眠くなり、寝てしまい、変な夢を見ました。

 芒が茂る向こう側に綺麗な日本間があり、そこに生前の伯母が見えました。わたしは傍観的にそれを眺めて、「今度生まれ変わるときは、亡くなった母ではなくて、この伯母の子になりたいものだ」などと考えていました。

 変な夢を見たのも、わたしの中である希望が費えたからでしょう。 

 大手では唯一童話作家になれそうな賞を主催している出版社は持込を禁止していますが、そこの編集者に作品を見て貰えたら……という希望がわたしの中にありました。

 しかし、ツイッターをして、その一人の姿がまる見えになり、読解力の点でどんなものかのわたしの想像……。有名企業の一サラリーマン以上でも以下でもなさそうな暮らしぶりまで垣間見え、ああ、もう終わりだ、と感じました。

 娘が受験したこともあって、そこがどんな人間を採用基準としているかは知っていましたから、想像はついていましたが。娘が受験したとき、大出版社はどこも週刊誌に適した人材をほしがっていました。それで入った人材が他の部署へ異動していくのでしょう。

 それでも、自分を育ててくれるような作家とつき合うことで編集者が大きく育つ可能性もあるのでしょうが、そんな作家を育てるには優れた編集者が必要で……とニワトリが先か卵が先かの問題にまで行き着くことになり、結局わたしはそれを政治の失敗として②でご紹介したメールでは済ませたわけでした。

 一方、専門の出版社には意識の高い編集者も多いと思われますが、書店員の娘の話からも中小は経営難であることがわかります。突然、連絡のとれなくなる出版社も多いそうで……。

 新人を育てる児童書専門の出版社として有名だったA出版社の編集者とは、コントクトをとったことがありましたが、文学観の違いは感じながらも、さすがだと思わされるものがありました。しかしここも、現在では持込ができなくなっています。ここも、あそこも……。

 わが国の純文学の未来が暗いことは充分すぎるほどわかっていましたが、児童文学の未来も暗いことがわかり、生きている意味がわからなくなってしまいました。

 いえ、意味はわかっているのです。この世は魂の教室なのですから、困難は当たり前なのでしょう。

 例えば、異端カタリ派として過ごさなければならない条件とか、東漢氏として過ごさなければならない条件とかを想像してみたり、自身の修行者として暮した前世のほのかな記憶などとと比較してみても、現在の環境はそこまで厳しい条件を暗示しているとは思えませんから、世を深く憂える一主婦として人生を終わることも、魂の経験としてはそれなりに有意義だろうと思われます。

 まあ、こんな不毛なひとりごとをいっていても始まらず、全く先の見えない状態ではありますが、自作童話は完成させます。そして、時間はかかっても、前の記事でMさんに約束したことを果たしたい。

 また、わたし個人の希望が費えようとどうしようと、分析は必要ですから、「悪ふざけがすぎたかな?」の③④は書きますよ。  

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Mさんへ

M・Yさん、あなたは編集者として最高の人だということが、今頃になってようやくわたしにもわかりかけてきました。

あの頃、わたしはあなたの闘いや困難について、何もわかっていませんでした。

わたしたちはこれから毎年確実に婆さんになっていくばかりでしょうが、幸い女性の平均寿命は延びました。わたしもしぶとく生きますので、Mさんもどうか煙草を控えめにご自愛ください。

このところのわたしの記事にはハラハラなさっていることと思いますが、膿は出す必要があります。

まだあなたを酔わせるような作品は仕上げていませんが、仕上げて見せますから!

いつか、あなたの編集で本が出せるよう頑張ります。

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2010年2月15日 (月)

受診を延期&前の記事について

 前の記事を書いた時点では循環器クリックを受診するつもりでしたが、木曜日に行けば薬は大丈夫なので、延期することにしました。木曜日は午前中なので、気をつけなくちゃ。

 日によっては待ち時間の長いことがあるので、体調がよくないと、行きたくなくなります。今日は喘息気味。

 床にゴロ寝できるようになっていたらいいのにな、とよく思います。循環器クリックのソファは、長時間待ちには向かないんです。背もたれのないのもあって。

 呼吸器クリックの椅子は、気持ちがいい! 背もたれが高くて、上半身が包み込まれるようにスッポリ入る快適なひとり用の椅子が並んでいます。

 でも、呼吸器クリックでは、風邪やインフルの時期を除けば、あまり待たされないんですよね。

 レッドクロスでは、待っているうちになぜかだんだん落ち込んでくるのですが、あれはなぜでしょうか? 今ではほとんど結果を気にすることもないにも拘わらず……。総合病院では、だいたいいつもそうなります。

 前の記事『悪ふざけがすぎたかな?』は④まで予定していて、③のサブタイトルは「細る児童書とある男性の横顔」、④のサブタイトルは「瀬戸内寂聴風」。

 どうぞ、お楽しみに! なんていっても、楽しくなるような記事じゃないわね。

 タイトルはこれじゃまずいなあ。サブも変えるかもしれません。いずれエッセーとして完成させて、F氏と出す予定の冊子に載せようかとも考えています。

 F氏が難色を示されるようなら、春樹に関するエッセーにします(これはF氏の承諾済み)。

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悪ふざけがすぎたかな? ②「ある女のかたへのメール」 

 以下のメールは、当ブログをご訪問くださったある女のかたに宛てた返信です。そのかたが、これは作品のようだといってくださいました。

 今回のわたしのちょっとした悪ふざけは、そのメールで触れた、出版界の変遷(言葉にはしていませんが、児童書の細り)対するわたしの考えと無関係とはいえないことなので、恥ずかしながら抜粋します。あくまで一庶民の傍観から出た考えにすぎないので、間違っているかもしれません。

 わたしが返信したその女のかたは、わたしをとても応援してくださって、あれこれアドバイスしてくださいました。そして、純文学と絡んだ話の中で、もし体を売って世に出られるものなら、おいしい話といえないこともないのでは、という率直な意見などもお書きになっていました。それに対するわたしの考えを述べることからメールは始まります。

若い頃は、そりゃいろいろやりますよ。
わたしもそうでした。
今思えば、ひやっとするようなこともしましたもの。
その好奇心に満ちていた若い頃ではなく、今だからいえるのですが、
わたしは目的のために体を売るということを、単純に考えることはできません。

特に女性は閉経までは避妊をしたつもりでも、
妊娠の可能性があるということが一つ。
ちなみにわたしはまだ閉経前です……近いと思いますけれど。
それに、セックスをすれば、
どうしても相手の影響を強く受けがちだということです。

わたしは共稼ぎの両親に育てられました。
そして、留守を預かって貰っていた家政婦さんの息子2人から、
性的悪戯をされた経験があります。
自覚のない頃の一方的な出来事でしたから、ひじょうに惨めな出来事でした。

ですから、思春期の頃から家庭とは何か、性とは何かを考えてきて、
ときには若気の至りで、上に書いたように、
実験精神からだったとはいえ、愚かしいこともしました。
セックスから自由になりたいがゆえに、
セックスが何であるか知りたかったのですね。
いえ半分以上は、ただの若さに任せた遊び、
欲望の発散にすぎなかったのでしょうが。

が、そんな時期があったとしても、
ずっとわたしなりに若い頃からテーマを追い続けて、
それを書くために作家になりたいと思ったのであって、
稼ぐためだったら他のことをしました。
収録はできていませんが、
実際に、性と家庭をテーマにした作品を多く書いてきました。

稼ぐために体を売るというのはわかるのですが、
わたしは芸術をそういう手段が通用するものだとは思っていないので、
作家になるために体を売るというのは、全くぴんと来ないのです。
借りに体を売ってその世界に入れたとしても、
そこは本当は、芸術とは無関係の場所だろうと思うだけです。

昔から芸術家は報われないのが当たり前のようなものですから、
今のわたしの(作家の卵としての)状況は恵まれすぎているくらいです。

それに元々文学は知識層に支持されるものでした。
文学にもいろいろあって、
わたしが言っているのはギリシア哲学を土台にし、
西欧の近代化と共に生まれ、
自我意識や個人主義の成熟と共に生まれてきた
あちら生まれの輸入された文学のことです。
日本では純文学と呼ばれてきました。

人間が人間らしく生きるにはどうすればいいかということを、
追究する文学。
哲学がベースにあります。
これは、芸術でありながら、
本質は学問といってよいようなものだという気がします。

源氏物語は昔の小説なのに、純文学の体裁を備えているのが不思議でしたが、
円地文子が、源氏物語は外見は優雅な衣装になよやかに蔽われているが、
その内面には中国の古典、
例えば「史記」の冷厳な史観などから学びとった逞しい骨格が巧に隠されている、
と言っていて、
なるほどと思いました。
中国の古典、諸子百家の作品などはひじょうに哲学的で、
ギリシア哲学と似たところがありますね。

日本の大出版社は経営ミスをして、
ターゲットを間違ったことが、
経営不振につながる原因を作ったのではないかとわたしは思っています。

娯楽性に重きを置いた文学ほど人気はなくても、
芸術性の高い文学にも、固定客は存在するはずです。
わたしのブログにも、春樹ほどではありませんが毎日、
リルケやカリール・ジブランといった詩人、
バルザックやパムクといった文豪を検索して見える人々が結構いらっしゃるのですよ。
それを大出版社は、
どっちつかずの誰も買わないような、
中途半端な本を大量に生み出してきたのですから、
経営悪化も当然です。

また、そこには政治の失敗が根底にあるとわたしは考えています。
中学から高校に上がる頃に、
それまで教養の象徴だった文学が「本を読む人間は暗い」といわれ出したときに、
わたしは今日の事態をある程度予見していました。

高度成長期にあたり、
政府の方針が文系中心から理系中心に変わったのです。
生産に、儲けに走るようになり、文系的な価値を切り捨てて来たのです。
文系要素も理系要素もバランスがとれていなければならないところを。

言い出せば長くなるのでやめておきますが、
〇〇さまがおっしゃるように再び、純文学が浮上する日も来るでしょう。
その日は近いような気がしています。
生きることや人間とは何かといった根源的な人生の意味を、
真剣に考え出した人は増えているのではないでしょうか。

純文学は様々な人間を多様な角度から描いて見せますから、
人間に対する理解を深めてくれます。
教育には欠かせないはずですが、
学校では昔ほど読ませなくなっているようです。
政府が昔のように文系の教育に力を入れさえしたら、
学校関係だけでかなりの文学書が売れるはずです。
そうなれば、
現在のような学力の低下も教育現場の荒廃も食い止められるはずでしょうに。
出版社の経営は楽になり、かつての気品を取り戻せるでしょうに。

話は戻りますが、
天才ではない、わたしのような頭の悪い努力型の人間が、
頭の働きをなるべくよく保ち、感性を研ぎ澄ませておこうと思えば、
あまり馬鹿なことはできないのです。
馬鹿と寝て馬鹿になれば、
作家になる資格を喪失することだと考えています。
資格のない肩書きだけの作家が、ずいぶん増えました。
勿論、今の自分に作家の資格があるというつもりはなく、
だだ志だけは高く、途上にあると思っているのです。

文学は伝統的なものですから、
伝統芸能と同じように引き継ぐ者がなければ廃れてしまいます。
でも困難ながらも、伝統的な文学を引き継ごうとする者は案外いるのではないかと思われ、
わたしもその1人でありたいと思っています。

この先のことは見えませんが、
人類の歴史はこんなふうな幻滅と困難な出来事の連続だったと思いますよ。
何だか綺麗事に聴こえるかもしれませんが、
真剣に〇〇さまが書いてくださったので、わたしもそうしました。

 ちょっとこれからクリニックに出かけようと思うので、続きはまた。書きたくなくなって、やめるかもしれませんが……。

 それからTwitterはやめました。勿論、今回のわるふざけが目的というわけではありませんでしたが、ある目的のために始めたことは確かで、その目的が一応果たせましたから。

 フォローしてくださったかたがたに、お礼を申し上げます。短い間でしたが、アロマをお仕事となさっているかたや、獣兵衛というラーメン屋さんのことを書いていらしたかたの雰囲気には癒されました。他のかたがたも、ありがとうございました。 

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2010年2月14日 (日)

悪ふざけが過ぎたかな? ①「お許しください」

 これまでの人生でしたこともなかったような、悪ふざけをしてしまいました。でも、いろいろと考えたときに、その手段しかなかったのですね。

 とにかく、ひじょうに後味の悪い、品のよくないことをしてしまって、自分の行為とも思えないほどなのですが、ではそれを後悔しているかというと、そうでもありません。どう考えても、それしかコンタクト及びこちらに関心を向けて貰う手段が他になかったからなのです。

 根本にあったのは、児童文学を思う気持ちでした。まあ、多かれ少なかれ独りよがりだったのでしょうが。

 そうした意義からいえば、危険の大きすぎる行為でしたが、目的は遂げたともいえます。

 と、何のことかというと……また改めて書きます。

 で、上のようなことで時間が潰れたということと、自作童話が行き詰まっているということで、いくつかいただいているメールにお返事ができていません。ゆとりのある、まともな精神状態でお返事したいので、もう少しお待ちくださいね。

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2010年2月13日 (土)

自作童話。健康。Twitter。社会人ドクターになる準備中の息子。

 自作童話『不思議な接着剤』に入れず、悶々とした日々です。

 長いブランクがありすぎて、プロットは作品の進行には問題ない程度に仕上がっており、それどころか早くもわたしの空想の世界では子供たちは既に鍾乳洞の天井近くに開いた横穴から中に入り込んでいるのです。

 洞内の壁に添って床に下りる道を危なげに伝う子供たちの息遣いや肌の匂いまで感じられるほどなのに、滞っているのですね。

 一つには、わたしの中に、スロベニアにあるポストイナ鍾乳洞、南フランスのラングドック地方に行ってみたいという思いがあるからだと思います。ビンボー人がこんなことを思い出すと際限がなく、仕舞いには彼の世や過去に取材に行けないから書けない、などといい出すことになるのでしょう。

 どうしても行かなくてはならなかったのは、秋芳洞だけだったはずです。だから、日曜日までにはとにかく、作品に入ることを自身に課している状況です。

 このように作品のことで頭がいっぱいであるため、Kくんにはまだメールのお返事を書いていず、O氏の作品も読んでいません。もう少しお待ちくださいね。

 体調は湿疹がかゆいことを除けば、悪くありません。そろそろ脳神経外科を受診して、頭のコブ2~4号の状態を診て貰わなければと思っています。ほとんど目立ちませんが、右耳の後ろの4号だけはいくらか目立ってきました。月曜日は循環器クリニックです。

  お試しで始めたツイッター〔後日:数日でやめました〕。これは案外テレパシーの原理に似ていると感じます。恩師が亡くなったとき、当時住んでいた福岡から東京に向かいながら、これだけの距離と膨大な想念の海の中で先生の想念だけを選択してキャッチできた人間に備わる受信能力に驚きました。その原理を、ほんのちょっと想わせます。

 でも人間の受信能力のほうがもっと精妙であるためで、先生が亡くなってからもわたしはそれが働いていると感じるのですが(過去記事にまとまりなく、いろいろ書いています)、まあこんな事柄に抵抗のあるかたは、わたしの妄想とでも思ってくださればよいと思います。

 昨日、長期出張中の息子から電話がありました。息子たちはウィクリーホテルに滞在して、車系の研究所でサポートの仕事に当たっています。滞在中のウィクリーホテルは広さの点では問題ないそうですが、臭いがするそうです。一緒に出張に出た女性の先輩は、真っ先に消臭剤を買いに行ったとか。

 その先輩は、東京理大の理工を首席で出た秀才だそうです。尤も、息子の部署で学歴が一番劣るのは息子だそうで。わたしは子供たちの結婚のことが常に頭にありますから、つい「その人は独身? 素敵な人?」と訊いてしまいます。

 変わった人だそうです。「理系の女の人は皆、変わっているよ」と息子。周りの人が皆変わっているなんて、変わっているのはお前のほうではないのかい?

 息子は文系に憧れがあります。プラトンを読み始めたというので、わたしは嬉しかったのですが、息子の分類ではプラトンは文系に入るみたいで、読書は止まっている様子。息子がプラトン関係の事典にもなってくれるというわたしの期待は費えました。

 社会人ドクターになる予定の研究室の教授は、研究方面の世界的権威であるだけでなく、歴史、植物学と教養の深いかたであることが息子の尊敬と深い満足感をそそるようです。

 いつだったか、息子の急病を心配してわたしにお電話をくださった教授は、少し変わったかただなと感じました。そして、とても純粋なものを感じさせるかただと思いました。息子と教授とのおつき合いは大学の頃からですから、長いものになります。

 昨年息子は大学の研究室とは無関係の人間になっていたはずなのに、教授とはマスター時代の続きのように連絡をとり合っていたので、わたしには息子の会社の仕事がアルバイトか何かに想えるほどです。

 息子はお金がなかった――つまりわたしたち親にお金がなかった――のでマスターコースを終了したあとドクターコースへは行けず、企業に就職しました〔息子の波瀾含だった就活についてはカテゴリー:息子の就活を参照〕。

 そこで希望するような研究職に就けていたら、息子はドクターコースへの進学を考えなかっただろうといいます。息子が身を置いているのは研究開発の部署ではありますが、息子がライフワークとしたいと願う研究とは違っていました。

 会社がフレックス制で、早起きの息子は早く会社に出かけて午後4時半には帰宅できること、機密漏洩を防ぐため、家に仕事を持ち帰ることはできないこと、研究はパソコンさえあれば自宅で出来るので、研究室には1~2ヶ月に一度顔を出せばよいこと――そうした環境と条件から、ドクターコースへ会社勤めを続けながら進学することにしたのでした。

 息子の研究もわたしの創作と同じように、毎日していなくては鈍るものがあるといいます。進学すれば大変になるだろうと思いますが、会社勤めと余暇を楽しむ普通の暮らしに息子が満足できないということは、タイプの似ているわたしには理解できます。

 そういえば、偶然とはいえ、息子の師事している教授と、前掲のわたしの恩師――神智学を教わった先生(女性)――は同じ姓。深い教養とチャーミングな魅力に魅了されたところも共通していました。 

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 昨日の夕飯は、クラムチャウダー、カリフラワーとブロッコリーのソテー、焼き厚揚げでした。

 いずれもレシピはご紹介済みです。

 〇クラムチャウダー
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/11/post_3126.html

 〇カリフラワーとブロッコリーのソテー
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/11/post-30c6.html

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2010年2月12日 (金)

猫のチョコ

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 少し早いですが、バレンタインデーのチョコ。ゴンチャロフの猫顔のついたチョコです。夫に買ったチョコとは別に、娘と2人で楽しむために買ったチョコです。夫のはすんなり決まりましたが(?)、楽しむためのチョコ選びには迷ったこと、迷ったこと。

 以下は2007年2月のバレンタインのチョコ選びの記事から抜粋したもの。
             ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/02/post_1.html

 昨日のバレンタインデーコーナーは、女性客でごったがえしていました。チョコでできた愛情のシンボルを求める人々で異様な熱気でした。売り場の人とお客のあいだで交わされる会話が耳に入ったりします。

「いつ渡せるかわからないから、日持ちしないものは駄目なんです……」

 自分の楽しみのためにチョコレートを買いに来た人々も結構いそうな気がしました。こちらのほうが、無邪気な陽性の興奮に満ちているような感じではなかったでしょうか。

 恋人のためにチョコ選びをしている人々は、もっと暗い、抑えた情熱を抱えているような気がします。

 今年もつい、買い物をしている女性たちの表情を観察してしまいました。小説のヒロインによさそうな人はいないかなあ、なんてね。

 前掲の過去記事で、ガブリエラ・ミストラルの秀逸な恋愛詩をご紹介しています。恋愛という個人的な事情を突き抜けたようなスケールの大きさ、高さを感じさせる秀逸な詩です。

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2010年2月11日 (木)

アフタヌーンティーにて

アフタヌーンティーにて

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Kくんから届いたメール。O氏の師匠。

 Kくんからメールが届いた。

 Kくん、なんて親しげな、厚かましい書きかたをしてしまって失礼な話ではあるが、昔、文学賞の授賞式でお目にかかったとき、まだわたしたちは若く(といっても、既に中年ではあったが)、そのときKくんが1歳年下だと知った。中年とは思えない若々しさで、好青年といってよい印象から、Kくんという呼びかたがぴったりだと思ってしまったのだ。

 そのときに、Kくんがわたしに「好きな本は?」と聞かれ、「ハリーポッターです」と返事したときの表情が今でも忘れられない――とあったけれど、それについては全く記憶にないのよ。どんな顔したの? もしかしたら、そのときに「弟みたいなKくん」のイメージが出来上がったのかしら。

 元々わたしには、真摯に物を書いている人をファミリーのように想ってしまう癖があるのだ。現実にはKくんが文学で社会的に達成したことにはわたしは無縁であるし、また作品の完成度の高さと、どんな題材でも扱える柔軟性には、わたしは遠く及ばない。

 受賞後のことや、今後の執筆に関して淡々と綴られていて、真直ぐな誠実な姿勢が昔からずっと同じで、感動してしまった。若い頃から思いを重ねてきた「老いと死」というテーマをこれからも追究していきたいとのことだった。

 逞しさを増したという感じで、頼もしい。

 じんわりと、ここ大分の地から文学の意識革命を起こせそうではないか。

 地理的にはいくらか離れているが、過日、大分市の喫茶店に集まった物書きたちは皆、Kくんに好感と敬意と期待を持っている。活動としては個々人の孤独な作業とならざるをえないが、何か個々人を超えたところでも、よいものが醸成されつつあるような気配が感じられる。

(Kくん、これを読んでくださったとしたら、お返事、もう少し待ってくださいね。きちんと時間がとれるときに書きたいのです。)

 O氏が小説が書けたといって、昨晩、集合ポストに原稿を入れに来た。事前に電話があり、家出少年だった彼を拾い、父親代わりとも師匠ともなってくれた経済ライターの話になった。

 生前、経済ライターとしては名のあるかただったそうだが、小説を書きたがっていたのだそうだ。150枚の未完の小説が出て来て、娘さんが対処に困り、彼に送ってきたのだという。

 何しろ未完であるため、まとまりはないが、生涯女性と如何に真剣勝負で接したかがわかる、女性論といってよいような作品なのだそうだ。

 読んでみたいからパソコンで清書して読ませてちょうだい、といったが、その清書が大変だということで、彼も仕事があるから、「臨時のバイトを雇って清書させるかな」という話だった。清書した上で、何らかのかたちにすべきだろう。

 その経済ライターであった師匠は、自分の息のあるうちにしきりに小説を書けとO氏にいっていたそうだ。その方面に人脈があるから、世に出してあげられるという思いがあったらしい。が、O氏はそのときには書けなかったという。

 わたしは、波乱万丈だったらしい師匠の人生を小説にすべきだとO氏にいっている。師匠とO氏の関りのことを書いてもいいではないか。あの世から見守ってくださっているに違いないのだ。   

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昨日の夕飯(とろろ汁)

昨日の夕飯(とろろ汁)

 昨日の夕飯は銀ダラのホイル包み、アボカドの白あえ、長いものとろろ汁、油揚げと豆腐と葱の味噌汁でした。

 携帯からの更新が続いています。

 とろろ汁を、土井勝先生のレシピで『土井勝 日本のおかず500選』(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995年)から簡単にご紹介します。

 4人分で、山のいも400gを酢水につけてアク抜きをします。だし汁1カップは塩・薄口しょうゆ各小さじ1/2で調味し、ひと煮して、さまします。すり鉢の内側でおろし、すりこぎですった山のいもに卵黄1個を混ぜ、さめただし汁を少しずつ加えて、十分に混ざり合うようにします。

 わたしは長いもを使いました。山のいもより、あっさりとした味わい。

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2010年2月10日 (水)

Twitterを始めてみました、いつもの気まぐれです

 Twitterを始めてみました。いつもの気まぐれと思ってください。

 ココログの記事にくっついているTwitter。どんなものか知らずにつけているのもナンだと思い、試しているところです。

 賑わっているところなんか、雑踏以上の賑わいで、おばさんにはついていけそうにありませんわ。ひっそりと始めてひっそりと終わるつもりでしたが、根がおしゃべりですので、ひとりごとを撒き散らして、そのうち疲れて終わりにすることでしょう。

 フォローしていただいたとしても(勿論、とても嬉しいですshine)、つき合いが悪いので、おしゃべりのお返しはできないと思いますし、いつ終わりにするかもわかりません。創作第一なので、少しでも障害になると思えば、やめてしまうでしょう。この性格の悪さ、申し訳ありません。

 アバウトミーに似ていますが、あれも続かなかったなあ。でも、あれのお蔭で、絵がお上手なうさぎさんと知り合えました。うさぎさんも闘病中ですが、そのうち組んで一つの作品を完成できたらいいですね。まずは、病状の安定が先ですね。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 昨日の夕飯は、スパゲティ・カルボナーラ、トマトスープ、サラダでした。

 創作に時間をとられていて、レシピを紹介する時間がありません。そのうち、わたしの外部サイト、プチで……。

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2010年2月 9日 (火)

久しぶりに来た、不吉な胸痛

久しぶりに来た、不吉な胸痛

 半時間くらい前(?)に、前兆らしきピリッとした歯痛があったが右側だったので、違うかもとも思った。

 が、やはり来た。刺し貫かれるような痛みが胸のど真ん中。久しぶりにフリーズしちまった。凍りついたようになったまま舌下錠に手が出せないでいたら、第二弾。怖い。動けないまま第三弾の痛み。それが遠のいたときに、ニトロペンを掴み、震える両手で破り、舌の下に。

 奥に突っ込みすぎて、唾液が出ない。焦ったが、溶け、効いた。

 4時だ。4時に4ななくてよかった。眠いわ……。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 昨日の夕飯は、魚と野菜の焼き浸し、サラダ、ほうれん草の黄身あえ、じゃがいもと葱の味噌汁でした。

 小ぶりのカマスの開き。焼いただけでは淋しい気がしたので、石窯オーブンのレシピを参考に、野菜と組み合わせて焼き浸しにしました。

 鍋に市販のめんつゆ2カップと赤唐辛子1〜2本を入れ、煮立ったら火をとめて、薄切りにしたレモン1/2個を入れます。それに、焼いた魚と野菜を入れて10分ほど味をしみ込ませます。

 レシピではブリが使われていました。いろんな魚、野菜との組み合わせに応用できそうですね。

 レモンが半分余り、《風に吹かれて豆腐屋ジョニー》の小さなパックが残っていたので、きゅうりとトマトのサラダに使いました。

 ドレッシングは土井善晴先生のレシピで、オリーブ油・薄口しょうゆ各大さじ2、レモン汁1/2個分です。

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2010年2月 6日 (土)

文学仲間F氏から送られてきた個人誌とO氏からの電話

 F氏から個人誌が送られてきた。その個人誌にわたしは招いていただいたのだった。

 喫茶店で詰めた話をしたときに、バックナンバーと、それが新聞などに採り上げられた記事の保管されたファイルを見せていただいた。

 小学校の文集を連想されるお手製の冊子で、保育園のお子さんの挿絵がある。が、内容は一目見ただけで、しっかりした洗練されたものであることがわかる雰囲気を醸している。編集後記と冊子に添えられた挨拶状は極めて腰が低く、あっさりとしている。

 文学革命を、この可憐な個人誌で??? 爆弾の代わりに彼は雛菊を用いて、革命を起こすつもりらしいとわかった。

 面白い工夫だと思った。写真入りで新聞記事になったのも、なるほどだと思えた。しかし、これだけでは事態は何ら動かないだろうというのも推測できた。

 わたしが彼の個人誌に加わることで、雛菊がアザミに、あるいは礫に変容する虞れがありはしないか?  しかし雛菊のままでは可憐すぎる。このよさを消さずに有効活用できるのか?

 わたしにはわからないが、彼の個人誌は気に入ったので、とりあえず1号、ご一緒させていただきたいと考えている。それで雰囲気を壊すようであれば、以降はご遠慮することにして。

 喫茶店での話では年に2回の発行だということだったので、わたしは童話の目鼻がつく(完成といいたいが、夏までには無理かもしれない)予定の夏以降の号、すなわち後半の号に加わらせていただきたいと返事した。

 ところが今日の電話での話によると、次号は4月に出す計画だとおっしゃる。ムム……F氏のカレンダーでは1年は6ヶ月らしいとわかった。

 評論でご一緒させていただくつもりなのだが、今は童話を優先させたいので、4月までには書けない。それで、当ブログから生まれた作品である評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は如何だろうかと打診してみた。

 それでもいいそうなので、4月までに新しい作品が書けそうになければ、それを載せていただこうと思う。

 新聞社以外にも、知っている編集者やコンタクトをとってみたい出版社などに送ってみたいと考えている。

 F氏の作品はペット葬祭業を題材にしたもので、キツネにつままれたような面白さがあった。舞台設定も、ストーリー展開も完璧といってよい出来栄えだと思う。彼の読書は日本文学専門らしいが、身辺雑記に陥らない、ストーリーテラーである彼の作品傾向は西欧的ではないだろうか。

 人物の描きかたに不足のあるところが惜しいといつも思う。あれこれ書かれてはいるけれど、誰それがあれしたこれしたで終わっていて、感情移入できるような登場人物が見つからない。

 わざとそうしているのかと思い、尋ねてみるのだが、わざとではないそうだ。人に会ったときに、わたしたちは相手の目を見、表情を捉え、声の響きに耳を傾ける。そうした描写は、人物に厚みを持たせるためには、どうしたって必要だ。

 くどく書く必要はない。ちょっとした表情を描くだけで、泥人形は呼吸し出すのだ。この点を改善して貰わなくては、文学革命ったって、お話にならない。プロの作品として書店に並んでいたとしても遜色ないF氏の作品であるからこそ、この点が何とかなればと思わずにいられない。

 F氏の次作を拝読して、個人誌に加えていただくかどうか決めるほうがいいかもしれない。酷な、あるいは独りよがりな注文かもしれないが、遊びでやるのではないから、この点を改めて彼にお便りで触れておきたい。 

 前日、O氏からもお電話があった。彼は16歳で家出して東京へ行き、ボクサーを目指したり喫茶店でアルバイトをしたりして糊口をしのいでいたが、経済ライターに拾われて、名のある同人誌にもぐりこんだりもしていたという。

 そのときに彼が耳にした文壇の裏話の中に、わたしが裏をとりたいと思っていたエピソードがあった。男女平等が進んだのに、それと反比例するかのように、女性作家の書くものから、なぜ誇り高さが失われたのかの原因をわたしは探っていた。

 そんな裏話を聴かなくても、表に出ている情報から原因の追究は可能だったし、論の組み立ても可能だと思うが、自身のために確証となるものがほしかったのだ。ただ、何にしても、これを作品のかたちにまとめるには、時期尚早だ。

 またO氏は、ある作家になら会わせてあげられるという。童話で出た作家だから、持ち込みを考えているわたしにとって、会って損はないかもしれない。うまくいけば、その作家のコネで児童文学関係の編集者に作品を見て貰えることだって考えられる。

 しかし、こうしたことで謝礼を弾まねばならなかったり、後々までそのために縛られるのであれば、こうした餌につられることは危険だ。その作家は何しろ、関アジ関サバを食べに来る人なのだから。

 それに、編集者とコンタクトでき、話が発展したとしても、賞を背景にデビューさせてあげるなどといわれたとしたら、お笑い種だ。ミイラとりがミイラではないか。わたしは何より、応募者を、賞を華やかなものにするための道具としか考えていない賞のありかたを告発したいのに(勿論、全ての賞がそうだといいたいわけではない)。

 そうだとしても、コネもなしに持ち込んだところで、ちゃんと見て貰える可能性は極めて低いようだ。で、この件については保留ということにし、O氏にもそう伝えた。

 自身を作家の卵と表明していたとき、人々は「ああ卵か」といって通りすぎるだけだったけれど、世に出たいと表明したとたん、あれこれ話が舞い込むようになった。どれもシャボン玉のような話ともいえるが、中には正当な手段で世に出るきっかけを作ってくれるよい話もあるかもしれない。注意深く対処したい。

 わたしのサイトを通して作品に惚れ、商業出版しましょうなんていってくれる出版人に出会えたら一番よいのだけれど。夢物語なのだろうか。

 この世のどこかにいらっしゃるはずの純白の糸で結ばれた編集者様、筋金入りのあなた様をわたしはお待ちしております。

落選続き、応答なし続きの作家の卵にとって、この上なく元気が出る本。ポパイのほうれん草(ちと古いかな)。頑張って卵を割ろう、世に出よう、飛翔しよう!

◆ミステリー作家ジョセフ・ハンセンの忠告

〔略〕
――1968年以来、わたしの長編・短編・詩で、断られてから出版されなかったものはただの一篇もない。もしきみが確固たる信念を持っていれば、そのうち確固たる信念を持った編集者とめぐりあうだろう。何年もかかるかもしれないが、決してあきらめるな。
 物書きというのは孤独な作業だ。部屋で一人、タイプを相手にすわり、毎日何時間も、何ヵ月も、何年も格闘しつづけなくてはならないばかりか、それだけ血と汗と涙を流して頑張ったあとで、なお、きみの書いたものに敬意を払い、そのまま出版してくれる人間を見つけなくてはならない。しかも、信じてほしい。これはその本がきみの最初の小説だろうと、31番目の小説だろうと、まったく同じことなのだ。

(『まことに残念ですが… 不朽の名作への「不採用通知」160選』編著者アンドレ・バーナード、監修者木原武一、訳者中原裕子、徳間文庫、2004年) 

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冬眠体質に逆戻り

 漢方治療の効力が薄れてしまったらしく、昨日辺りから冬眠傾向。睡眠が足りていないわけではない。漢方治療に入る前の体質に戻っただけだと思う。手はもう温かくない。

 漢方薬で心臓は鞭打たれて必死で働いていたため、体は元気一杯でありながらへとへと、精神状態も昂揚していて、手は温かかった。

 ひじょうに活動的になれたが、心臓がその状態にいつまで耐えられるのかという不安があった。また、その時点で、わたしの病気のベースにある頻脈のことを先生にわかって貰えていないという根本問題があった。

 結局、漢方治療に関しては、入りかけた段階――まだわたしに合う薬が模索されている段階――で、身が持たないと感じ、逃げ出してしまったわけだった。

 心臓はインデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマートに守られて調子は悪くないが、負担を減らすために機能が落とされて、いわば消エネ状態にあるために、どうしても元気が出ない。精神力を振り絞らないと行動に移れず、一仕事終わると、螺子が切れたみたいに眠くなる。

 わたしのメイン業務である家事に関しても、ライフワークである創作に関しても、ここまで体が省エネ対策をとっていると、はなはだ差し支えるが、寿命を延ばすためだから仕方がない。

 漢方治療によって、頻脈そのものを改善できるのではないかと幻想に近い期待を抱いていたが、2週間通っただけでは、それが可能かどうかは全然わからなかった。仮に可能であったにしても、乗り越えなければならない山がいくつもあるという予感がした。そのためには、漢方治療を生活の中心に据える必要があった。

 いずれにしても、今年、わたしは創作に関して大事な局面に差しかかっているため、漢方治療を続けることは無理だと判断したのだった。といっても、冬眠してしまっては何もできなくなるから、この傾向が甚だしくなるとすれば、また漢方治療に戻らざるを得ないとも考えている。

 幸い、おなかに溜まっていた冷たいガスはかなり抜けていると思う。尤も、漢方の先生が診察なさったら、「太鼓の音がする」とおっしゃるかもしれないけれど。まあ、このまま、体力の乏しさや眠気と闘いながら、行けるところまでは行こう!

 わたしは今冷たい手でパソコンを打っているが、執筆には冷たい手のほうが向く。温かい手になると、家になぞ、じっとしていないのだ。 

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2010年2月 5日 (金)

のだめ、だめじゃん…シネマ『のだめカンタービレ最終楽章 前編』の感想

 Yahoo!映画レビューで閲覧した『のだめカンタービレ最終楽章 前編』の評判は比較的よかった。オーケストラの演奏に臨場感があってすばらしいという感想も、複数あった。

 最近オケを聴きに行けなくて飢えていたわたしは、コンサート気分を味わえるのではと淡く期待して出かけた。

 といっても、映画に生演奏と同じ種類の感動を求めるつもりはなかった。映画ならではのオケの描きかた、劇場ならではの大音響をうまく活用した映画的昂揚を期待した。のだめ(上野樹里)・千秋(玉木宏)というコンビの活躍も、原作者二ノ宮知子のファンとして当然ながら期待した。

 前後編仕立てという映画構成は、シリーズ物でも一話完結を暗黙の了解としてきた、これまでの映画提供のありかたを覆すやりかただが、そうするだけの何があるのか、知りたいとも思った。

 そして、期待は裏切られ、作品作りの甘さと商業主義の厚かましさを感じさせられただけだった。

 ドラマのほうがよかった。映画に比べると丁寧に作られていて、ストーリーにめりはりがあった。

 ピアニストを目指す若い女性――のだめのハチャメチャなキャラに包まれた心が時折、星のように孤高に光る。そんなのだめを誰よりも理解し、見守りながら、同じ音楽家として脅威も覚える中で自らも成長しようとする千秋。ふたりの絡みが、若者らしい爽やかさで描かれていた。

 ところが映画では、そんな事前の了解を観客に期待した横着さからか、唐突に始まり、間延びしたような工夫のないストーリー構成の中、これ見よがしに押しつけてくるパリの景観、大音響の音楽に寄りかかった手抜き手法がまる見えで、うら悲しくなった。

 前編の終盤でとってつけたかのように強調されるのだめの芸術家の卵としての苦悩は、説得力を欠いた。アニメや人形の使用は過剰だった。脇役たちの扱いはいい加減だった。

 生の演奏だと立体的に感じられる音楽が平板に感じられたのは、録音というものの限界から来た部分もありはしただろうけれど、それ以上に、映画作りの緊張感のなさに原因したのではないだろうか。せっかくのよい演奏が生かせていなかった。玉木宏扮する千秋の指揮ぶりも悪くはなかっただけに、もったいなかった。

 前後編にしなければならなかった意味など、何も見い出せなかった。

 原作の軽やかな味わいは、映画になったばかりに、どきつい、雑なものにトーンダウンさせられていて、気の毒だった。

 が、娘は結構気に入っていたようだ。夫は『サロゲート』を観て、もう一つと感じたような口吻だった。

 わたしは家で留守番して、恐竜の図鑑を見ていたほうがよかった(出かける前、自作童話に登場させる竜の参考とするため、図鑑を見ていた)。 

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2010年2月 3日 (水)

福は内

福は内

 そんなに沢山はいらないっていったのに、余っていたのか、売り場の人がこんなにお面つけてくれちゃって……。

 コレじゃ、顔と後頭部にお面つけなくちゃなりません。

 おまけに、豆まきの主役であるべき夫は、今夜は宴会。「豆まき、すましておいて」なんて、朝、すずしい顔でいい、出かけました。

 夫がいると、こういうイベントは盛り上がるのですが、それが夫の愚行の前奏曲であったかのような例年。

 今年は娘と2人、厳粛に豆まきするのもいいかもしれません。

 悪いことできないように、夫の部屋には念入りに豆をまいておきましょう。

 年齢の数だけ豆を食べるのも大変なので、バースデーろうそくの要領で、1粒で10歳カウントしようかしら。

 ところで、悪妻は哲学者をつくるそうですが、おそらく悪夫もそうでしょうね。

 妻は占いや宗教にはまり、それが進めば芸術に、さらに進めば哲学……それより進むとなると、もはや仙人になるしかありませんわね。

 わたしは仙人を目指す前に、作家になりたいです。

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蠅の最期

 昨日から室内に蠅が入り込んで騒ぎ立てるので、何とか出してやりたいと思いながら、その姿を追うのに時間を費やした。

 11階なので蠅の侵入は珍しい。電灯に潜り込んでは羽音と摩擦音の混じった狂騒曲を長々と奏でる。

 天井にじっと止まる姿は体格のよい立派な蠅であるだけに、目障りだ。黒い体のまるいお尻。

 一応蝿叩きは備えている。ピンクの蝿叩きで、潰さないように蝿を追い払い、大きく開いた窓から出そうとしたが、蝿は「嫌~!」といわんばかりに、お尻を振り振り死に物狂いで逃げ回る。

 諦めて、童話の文章を考えていたが、蝿が気になって気が乗らず、テレビをつけた。

 国会中継があっていた。鳩山首相がどこか遠くを見ている眼で、抽象的な回答をしていた。絵に描いた餅を食え、といわれているみたいだ。

 わが国はどうなるのだろう? 小泉以来、幾度となくつぶやいてきたこの言葉をまたつぶやいてしまう。

 国会が終わる頃、精根尽き果てた蝿は墜ちて来た。悪いことに生きていて……虫の息に違いない。どのみち虫の息しかしたことがないだろうが、虫である蝿は。

 蝿叩きの先で掬うと、もがいた蝿を、外に出した。どちらで死ぬかの違いがあるだけだろうけれど、あんなに出たがった外だもの。

 湿疹が痒い。ステロイド軟膏をつけても悪循環なので、治せるものなら娘のように漢方で治したいが、同じ漢方医ではないので、治して貰えるという確信がもてなかったところへ、ブログを通じて知り合ったかたからのメールに、漢方治療で皮膚病を誤診された体験に短く触れられた箇所があり、迷いは募る。

 西洋系治療でも誤診はよくある。現に皮膚科で湿疹と診断されたわたしの肛門周辺の痒みは、婦人科ではただの引っ掻き傷と診断され、ステロイド軟膏ではなく、傷の炎症を抑える薬を出されて、それで治った。

 誤診の原因は、皮膚科のドクターが検査を怠ったからだ。が、漢方ではそもそも、西洋式の検査は存在しない。

 わたしは西漢折衷でやってほしいが、別の体系に属するものの折衷は難しいのだろう。

 グノーシスやカタリ派や神智学のようには、いかないのだろう。

 カタリ派の文明、オク語の文明について、シモーヌ・ヴェーユは論文『一叙事詩をとおして見たある文明の苦悶』『オク語文明の霊感は何にあるか?』(「シモーヌ・ヴェーユ著作集 ある文明の苦悶―後期評論集―」春秋社、1968年)で惜しんでいる。

《携帯からなので、続きはパソコンを開いたときに書き継ぎ、蝿や国会のことと切り離してカテゴリー「Notes:不思議な接着剤」に入れます》

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2010年2月 2日 (火)

昨日の夕飯(土井勝先生レシピ『豚バラ肉の梅干し煮』)

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 昨日の夕飯は、イカの刺身、豚バラ肉の梅干し煮、トマトと貝割れ菜のサラダ、ごぼうと厚揚げののっぺい汁でした。

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 土井勝先生のレシピ『豚バラ肉の梅干し煮』はさっぱりとした上品な美味しさで、家族に好評でした。ごはんが進みますよ。

 『土井勝 日本のおかず500選』(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995年)からレシピをご紹介します。

[材料・4人分]
豚バラ肉(塊)400g,梅干し3個,サラダ油大さじ2,
A《だし汁2カップ,酒2/3カップ,みりん大さじ3,しょうゆ大さじ3》,
さやいんげん10本,塩少々

[作り方]

  1. 豚バラ肉は7~8mmの厚さの色紙切り、たけのこは5mm厚さの同じく色紙切りにします。
  2. 梅干しは種を出し、身をほじくます。
  3. 鍋にサラダ油を熱して豚肉を入れ、表面に軽く焼き色をつけて炒め、たけのこを加えてさっと炒めます。
  4. 梅干しを加え、Aのだし汁、酒、みりんを入れて4~5分煮、それからしょうゆを入れて火が通るまで5~6分煮ます。
  5. さやいんげんは筋を取り、塩を入れた熱湯でゆでて3~4㎝名長さに切り④で一煮します。
  6. 器に盛って煮汁を少量かけ、⑤のさやいんげんを散らします。

 わたしは豚バラの薄切り肉を使いました。3人で200g、梅干し2個で丁度よいくらいでした。たけのこはゆでて切ってあったものを使い、さやいんげんもありませんでしたが、レシピ通りに作ると見栄えがするでしょうね。たけのこだけではなく、じゃがいもや大根など、他の野菜でも美味しくできそうです。

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 トマトと貝割れ菜のサラダ。市販の青じそドレッシングをかけました。隠れマヨラーのわたしはマヨネーズも。P1180258_3
 『ごぼうと厚揚げののっぺい汁』は「あっさり味のおかず」(主婦の友社、平成19年)のレシピを参考にしたもので、既にご紹介済みです。
 こちら。⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/01/post-24b2.html

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舞い戻るべきか?&出張先の息子

 湿疹が悪化した。このところの湿気がよくないようだ。漢方クリニックに舞い戻るべきか?

 が、そうなると、また漢方中心の生活となり、創作に集中できなくなる。それにO先生が「これくらいは、よか、よか~ ! 他を先に治療しよう」とおっしゃる可能性もある。

 治療をサボったわたしは、O先生のお叱りも覚悟せねばならない。バケツを持たされ、立たされるような怖さ……(O先生はドクターというより、ティーチャーというイメージなのだ)。

 また、西洋薬との兼ね合いの問題、治療や通院から来る当面の体の負担や、金銭的負担(西洋系治療と比べて高いわけではないが、単純に通院先が増えるだけで出費は増える)の問題など、あれこれ考え出すと、頭が痛い。

 心臓の調子がよいだけに、心臓を静かに置いていたい気持ちもある。

 同じ病気の方々のブログは概ね不活発。つまり、皆さん、調子がよいのだ。

 冠攣縮性狭心症は刺激で発作を起こすので、気候の影響は無視できず、調子の悪い時期が重なることは多い。

 迷っていたら苛々して、つい激しく掻いてしまった!

 ナンにしても、海岸の岩になったつもりで、しぶとく、童話を進めなくては。

 昨日、長期出張に出かけた息子から電話があった。

 ホテルからで、間もなくウィクリーホテルに移るのだそうだ。

 ウィクリーマンションがとれなかったのだという。違いがわからなかったが、ホテルだと、あまり荷物を持ち込めないらしい。

 サポートに出かけた先の研究所は、バカでかいという。その車系の研究所の広さからすると、化学系の研究所は小ぢんまりしているとか。

 何しろ、車の衝突実験なども行わなくてはならないわけだから、広いのだ。

 研究員といえども、そこでは歯車のように見えるらしい。あちこちに機密情報が転がっているから、あまりウロウロできないそうだ。

 自分の会社にいるときより拘束時間が長いとあって、自主研究の時間がうまくとれないと息子はぼやいている。

 この時期、ドクター入試も控えていて、既に手続きは済ませ、受験票も手元にあるのだそう。

 入学しても、息子がマイペースで研究を続ける状況に変わりはないようだ。教授は勿論テーマやアドバイスはくださるが、基本的に放任らしい。「一応首輪はついているけれど、鎖はついていない」と、マスター在学中の息子はいっていた。

 今も息子は自分がしたいから自主研究をしていて、どう見ても、息子は仕事より研究に重きを置いているかのようだ。

 息子にいわせれば、それはわたしが常に創作に重きを置いてきたのと同じことだという。

 それが可能なのは、仕事柄、(機密漏洩を防ぐために)一切自宅に会社の仕事を持ち込めないということがある。拘束時間もきっちりしていて、フレックスで朝早く出社することにしている息子は午後4時半には会社を出るのだ。

 出張先では、一緒に出張に出たメンバーとレンタカーを借りて出勤するため、遅く出て遅く帰ることになり(それが普通だろうが)、「早寝早起きの習慣を変えたくないから、朝、出勤前に研究しようかな」と息子。

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2010年2月 1日 (月)

右寄りの作品と勘違いした

 九州芸術祭文学賞の発表が既に行われていたようだ。以下。

2010/01/23付 西日本新聞朝刊

第40回九州芸術祭文学賞(九州文化協会など主催、西日本新聞社など後援)の最終選考結果が22日発表され、最優秀作に大分県佐伯市の無職伊藤香織さん(34)の「苔(こけ)の、むすまで。」が選ばれた。佳作には沖縄県宜野湾市の病院事務長、玉木一兵(本名・玉木昭道)さん(65)の「コトリ」が入った。

〔略〕
「苔の、むすまで。」は、独身でいることの恐怖を苔のようになることで逃れる妄想をもつ32歳の女性が、東京から九州に帰郷して過ごす日々を方言を使って描いた。「センスがあり、将来性に期待できる」(五木氏)、「皮膚感覚のある独特の文体」(村田氏)と高く評価された。

 伊藤さんは元新聞記者。〔略〕

 ということらしい。「苔の、むすまで。」の内容について、大分合同新聞には以下のようにある。

受賞作「苔の、むすまで。」は、心の病で体調を崩した30代の女性が故郷に戻り、自然や肉親との触れ合いの中で活力を取り戻していく過程を、大分方言を交えた柔らかい文体で描いた。最終選考では「軽快で個性的な文章は最近の若い世代のセンス。構成も面白い」と高く評価された。

 何と2年続いて大分県から……だから、めでたい、とは単純に思えなくなってしまっている。文藝春秋『文学界』の定期購読をやめてしまったので、購入するか図書館で読むか迷うところ。

 何しろ、タイトルを見て、わたしはあの歌を連想してしまった。

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで

 そう国歌『君が代』。そして、右寄りの作品とまで勘違いしてしまったほどだが、新聞で紹介されているストーリーからすると、そうではなさそうだ。

 傷んだ神経が里の自然や人情に癒されるというストーリーは、古めかしい型に属するが、国歌からタイトルをとってくるというのは、当世風の軽さだろうか。もしかしたら、究極の懐古趣味かもしれないが、いずれにしても、「センスがある」と評した五木氏のセンスを、わたしはこのタイトルからして疑ってしまう。

 いつ頃からか、この作品に限らず、文学賞に挙がる作品には奇を衒ったような、おかしなタイトルをつけられているものが多い。内容もそんなタイトルに釣り合ったものが多く、わたしはこうしたわが国の文学界の傾向に何の価値も見出すことができないままで、今日まで来た。

 まあ、でも、癒される里がある人は幸せでいい。文学も要らないんじゃないだろうか、里があれば。わたしには癒されるような里はない。実家も叩き壊されてしまったし……。文学だけがわたしの里だ。

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