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2010年1月の42件の記事

2010年1月31日 (日)

昨日の夕飯(江戸崎愛先生レシピ『ハムのパピヨット』)

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 昨日の夕飯は、ハムのパピヨット、大根とチーズのサラダ、しめじとキャベツのミルクスープでした。

 お歳暮でいただいたロースハム。使いきれないうちに、賞味期限が迫ってしまいました。

 自分では買わない上等のハムですので、せっかくの素材を生かした使いかたをしたいなと思い、うちにある料理の本を見たり、ネット検索したりしました。結局、新婚時代に買って使い続けている江戸崎愛著『肉・卵の基本料理』(家の光協会、昭和56年)の中の『ハムのパピヨット』を作ることにしました。

 昔から使っている本でも、初チャレンジでした。パイン缶がなかったので、夫に頼んだのですが、缶切りで開けていざ使おうとしたところ、パイナップルが何だか厚い……。従来の2倍の厚さにしました、と缶に華やかな説明がありました。そのぶん枚数が減っていました。

 急いでいたので、(こういうのを、よけいなお世話っていうのよ。ハム・ステーキやハムのパピヨットをする人のことも考えてほしいわ)と思わないでもありませんでしたが、迷った揚句、半分の厚さには切らずに、そのまま使うことに。

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                   その結果が↑これ。

 ハムの厚さはレシピ通りに、2㎝しっかりあるのです(わざわざ定規で測ったのです)。如何にパイナップルが、主役のハムを差し置いて自己主張しているかが、この写真でおわかりいただけるでしょう。

 ところが、パイナップルの汁が出すぎた感はあったものの、食べてみると、主役だとわかるようなパワフルな食感がハムにはあり、一方、パイナップルは立派に脇役を務めていました。でも次回は、厚みが2倍でないのにしようと思いました。

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 前掲の本からレシピをご紹介します。

[材料・4人分]
ロースハム(2㎝厚さのもの)4枚,バター小さじ4,パイナップル(缶詰)4枚,プラム(乾燥品)4個,赤ワイン大さじ4,パセリのみじん切り少々.

[作り方]

  1. アルミホイルを30センチ角に切り、中心より少し上の部分に、バター少々(材料外)をぬっておきます。同じものを4枚作ります。
  2. ハムは2センチ厚さに切り、パイナップルは水けをよくふいておきます。
  3. プラムは少しやわらかめのものを用意し、種を取っておきます。固いものは少しぬるま湯につけてもどします。
  4. アルミホイルの、バターをぬった部分にハムをのせ、その上にパイナップルをのせます。
  5. ④のパイナップルの中心に、③のプラムをのせ、バターを小さじ1ずつのせます。
  6. ⑤に赤ワインを大さじ1ずつふりかけて、アルミホイルをふわっと半分に折り、周囲を きちっと折ります。
  7. フライパンに⑥を並べ、ふたをして弱火で15分ほど蒸し焼きにします。

 わたしはオーブンでホイル焼きにしました。見栄えがするので、お客様のもてなしにもよい1品ですね。 ハムのパピヨット、家族に大好評でした。

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 大根とチーズのサラダ。ドレッシングは、フレンチドレッシングにほんの少ししょうゆを加えました。

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 しめじとキャベツのミルクスープ。鍋に、太めのせん切りにしたキャベツ、しめじ、固形スープ1個、水2カップを入れて火にかけます。野菜が煮えたら、牛乳2カップを加え、塩で味を整えます。

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2010年1月30日 (土)

これから観たい映画…バートン版『不思議の国のアリス』、太宰原作の『人間失格』(荒戸源次郎監督)

 木曜日に観た『Dr.パルナサスの鏡』の感想を書きたいけれど、時間がとれない。

 撮影半ばで逝ったヒース・レジャーの代役を、3人の親友(デップ様もその1人!)が務めて映画を完成させたという。幻想仕立てであったために、それが可能だった。

 シュールな映像、錬金術的な趣向とわたしの趣味に合った映画だったが、それだけにタロットカードの『吊られた男』や、ペルシャ辺りの古代文明を連想させる僧院の用いかたなど、もう一つ食い足りなさが残った。

 もっと詳しい映画案内を書きたいが、自作童話に集中しているので、そのうち時間があれば書きたい。

 今後観たいと思う映画は、1番にティム・バートン監督『アリス・イン・ワンダーランド』。デップ様が登場する。予告で観たデップ様は、『チョコレート』のデップ様を想わせるけったいな扮装で、思いっきり弾けていた。4月が待ち遠しい。

 『Dr.パルナサスの鏡』でもデップ様を観ることはできたが、代役という役どころを心得ているかのように他の代役と歩調を合わせていて、少し物足りなかった。ヒースは、人間的な温かみを感じさせる、今時珍しい、何というか真っ当とでもいおうか、正統派の薫りのする俳優で、若くして亡くなったのは惜しい。

 ただデップ様のあのとぼけた味わいは、ヒースにも、他の代役にもないもので、改めてデップ様に惚れてしまった。それにしても、『アリス』に垣間見たあの扮装……。童顔であるからこそ、けばけばしい化粧も海賊の険しい扮装も、下品にならず、粗野にならず、ユーモラスな、なつかしいといってよいようなムードを醸すことが可能なのだろう。

 他に、メリル・ストリープが出るナンシー・マイヤーズ監督『恋するベーカリー』、荒戸源次郎監督『人間失格』。

 『人間失格』の原作は太宰治。太宰の作品は学生時代にずいぶん読み、のめり込んだり拒絶したりと忙しかったが、無視することが難しい作家であることは間違いない。

 わたしはあまり力の籠もりすぎた作品よりも、軽く流したような作品が好きだ。『フォスフォレッセンス』とか『古典風』とか。

 太宰の暗さは、家父長制と切り離せない。

 戦前の家父長制の時代からすると、地域とのつながりも核家族の形態すらも崩壊しかけた現代日本のさまは対照的にも思えるが、一個の人間として生きることがなかなか許されなかった時代に生きた太宰の疎外感・孤立感は、社会にも家庭にも居場所の得にくくなった現在人の疎外感・孤立感に、その深さ、深刻さという点で共鳴し合うものがあるのかもしれない。

 また、薬物中毒も大きな要素であるに違いなく、今のわが国で、眠剤や抗精神病薬などの薬物がネットを通じて売り買いされたり、馬鹿に沢山処方されたりと異様な状態にあることを考えると、薬物中毒に苦しんだ太宰の分析は急務だろう。これまでにも太宰に関する評論は多く書かれてきただろうが、新らしく、分析の光を当てる必要があるように思う。

 今、自殺者も増えているが、太宰の友人だった山岸外史による『人間太宰治』(ちくま文庫、1989年)という重厚な回想記では、太宰、そして太宰と心中した女性の死体の描写が克明になされている(相手の女性のほうが熱心で、太宰は道連れによさそうな人であれば、誰でもよかったようだ)。東京帝大の哲学科卒、日本共産党員だったこの友人の筋金入りの気質がわかるような筆致に息を呑んだ。

 それでも、病気だった太宰の死はすみやかにやってきたのか、死に顔は比較的穏やかだったようだ。健康だった女性は死ぬまでに時間がかかったらしく、苦悶して死んだことが明白であるような描写は怖ろしかった。いや、いずれにしても、二つの死体の描写は怖ろしかった。

 フローベールの『ボヴァリー夫人』の中で、ボヴァリー夫人が毒を呷って死ぬさまを克明に描出したあのぞっとする箇所を読んで以来の戦慄を覚え、自殺した人間の肉体の凄まじさをあそこまで描かれると、自殺への誘惑などは吹き飛んでしまう。

 写真や映像以上の何かがあり、わたしはそのとき、文章というものの恐るべき力を感じた。

 そういえば、息子と同じ課に入った仲間の4人ではないが、同期で、他の課にシステムエンジニアとして入った人が、先日、自殺を連想させる亡くなりかたをしたという。全体講習のときには一緒だったそうで、その頃から欠席が目立ったそうだ。

 東大の文学部から大学院のマスターまで出た人だそうだが、文学とエンジニアリングというイメージが結びつかない。エンジニアリングは理系の分野というわけではなくて、むしろ文系の人のほうが多いよ、と息子はいうが、文学のムードとはなじまない気がする。不況の煽りを受けて、自分に合ったところに就職できなかったのかもしれない、とどうしても想像してしまう。在学中から調子が悪かったのかもしれない。

 文学部では何を研究していたのだろう。気にかかって仕方がなかった。 

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2010年1月29日 (金)

Notes:不思議な接着剤 #36/プロット#2

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#36
2010/1/29(Fri) プロット#2〔#1は公開していない〕

 秋芳洞に取材に出かけ、ヨーロッパ中世について調べているうちに、プロット#1ががらりと変わってしまった。で、ここで修正しておきたい。物語を進めるうちに何度でも修正の必要が生じるだろうが、まめに記録しておこう。

〇序……予定枚数80枚
 子供たちが冒険に入るまで。現在時点で78枚。子供たちが冒険に何を持っていくかだが、あと2枚あれば書けそうだ。

〇破……予定枚数170枚

  1. 洞内へ……10枚
    紘平が瞳の思いつきで、アルケミー株式会社製品のクッツケールを用い、倉庫の先に鍾乳洞をくっつける。白いネコに導かれ、子供たちは鍾乳洞に入る。天井近くの横穴から入った子供たちに明るく光っている岩が見える(竜のオーラだ)。足場の悪い地点での子供たちの助け合い。洞内の光景。白いネコを追う子供たち。
  2. 竜の来歴……30枚
    子供たちと牝の竜との出合い。恐竜時代、ここで生きるまでの経緯、竜を可愛がっていた錬金術師のことを竜の記憶として描く。
  3. 錬金術師の娘の来歴と街の歴史……60枚
    白ネコは錬金術の娘の飼いネコだった。子供たちと錬金術師の娘マリーの出会い。囚われているマリーの来歴。錬金術師の娘を見張る番人たちの四方山話として、モンセギュールの戦いが回想され、街の歴史が明らかになる。
  4. 翔太の喘息の発作……10枚
    錬金術師の娘による治療。
  5. 異端審問……60枚
    番人につかまる子供たち。子供たちはマリーの一味とされる。異端審問官との対決。翔太のピアノの泣き声は、子供たちとマリーが勝利するのに役立つ。

〇急……予定枚数50枚
 鍾乳洞からの脱出。竜は飛翔する。マリーを乗せて。彼女をもっと安全な地に連れて行くために、聖獣となった輝かしい竜はエジプト南部に位置するナイル河畔の町ナグ・ハマディの方角へ向けて飛び立つ。子供たちの帰還。元いた世界の混乱と紘平による収拾。図書館に出かけた紘平たち父子を通して後日談。

 ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 説明書によれば、接着剤の使用は6回となっている。
1.肉まんと紘平の口
2.ピアノ協奏曲の音色と弟翔太の口
3.今日としあさって

 紘平と瞳の話し合いでは、残る接着剤使用の内訳は次のようなものとなる。

4.翔太のピアノの音色をした泣き声を、元の泣き声に戻すことに使うのに1回分。
5.遊びの切っ掛けを作るのに1回分。具体的には、電器店の倉庫の中の迷路の先に巨大鍾乳洞をくっつける。
6.遊びを締めくくるのに1回分。具体的には、壁を通り抜けて延びた鍾乳洞を消滅させるために、壁に開いた穴を接着剤で塞ぐ。つまり開いた壁の端と端をくっつけて、壁を元通りに再生することで、接着剤で創り出した別の世界を切り離す。

 しかし、現実では話し合い通りに物事は進まない。

 3人の冒険は無事に終るものの、鍾乳洞が入り口となっている中世風の世界は存在したままだし、翔太の泣き声も取り戻せていない。さらには、紘平が接着剤で消した2日間のために、元いた世界は混乱していた。これら全てを解決するために、接着剤は最低3回分は必要なのだが、残っているのは2回分だけだ。

 紘平と瞳は、接着剤以降の時間をなかったことにするために、これまでのことを紘平が夜見る夢の世界にくっつけることにする。これで1回分。残る1回分は、鍾乳洞に入り込んでいた中世風の世界にいたときに紘平が願った、東西がくっつけばという願いが時を経て、古文書の発見というかたちで叶うのだ(そのことがわかっているのは紘平の父で、紘平は知らないが、そのあたりの事情は、シリーズ第1作目のこの作品では語られない)。

 白ネコはカタリ派をシンボライズ。  

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2010年1月28日 (木)

英語に翻訳してくれませんか?

当ブログでアクセスの多い記事、評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をボランティアで英訳してくださるかたを捜しています。

他の言語でもお願いしたいのですが、目下、わたしに何とか確認作業ができるのは英語文だけですので。 

英訳してほしい作品:
評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/06/post-40a4.html

連絡先:blancheur@hotmail.co.jp

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これから、シネマ『Dr.パルナサスの鏡』を観に

 朝は悪かった体調も、すっかり回復。

 夫と娘が休日で、家にいても下の部屋の改装工事でうるさいだけなので、映画に出かけることにしました。

 このところ、よく映画に出かけていますが、夫婦のどちらかが50歳以上だと(うちはどちらもそう!)、《夫婦50割引カード》が使え、2,000円で2人が映画鑑賞でき、お得感。

 本当は娘と『のだめ』にしようと話していたのですが、『Dr.パルナサスの鏡』にはデップ様が出ていると知り、そちらのほうを観たくなりました。

 娘はデップ様のファンではありませんが、レビューを観て決めました。夫は、『ブラザーズ・グリム』を制作した監督の作品と知り、見る気に。わたしの動機が一番ミーハーっぽいわねえ(間もなく52歳)。

 『アバター』が興行収入世界1位、と昨日の朝日新聞・朝刊に出ていました。

 うん、あれは本当に面白かったですよ。新体験という感じでした。3D・吹き替え版がおすすめです。過去記事で『アバター』の感想を公開しています(トラックバックも沢山……そちらも閲覧してみてください)。
  ⇒シネマ『アバター』のめくるめくばかりの魅力

 

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久しぶりの舌下錠

久しぶりの舌下錠

 いつも通り朝の薬を飲んでいれば、胸の圧迫感が起きずに済んだと思いますが、6時前、睡眠中に喉が痙攣して激しい咳が止まらず、起きてどれくらいで止まったのか……そのあとでトイレへ行き、起きているつもりが、咳疲れでまた寝てしまったのでした。

 しきりに夢を見ているところで、今度は胸の圧迫感で目が覚め、朝の薬は水がないと飲めないのですが、圧迫感でどうしようもないので、ニトロペンの舌下となったのでした。

 朝の薬はまだ飲んでいませんが、舌下錠で、嘘のように圧迫感が消えています。

 漢方薬を使っていたときは1度も舌下錠を使わずに済みましたが、ではその間、心臓がラクだったかというと、逆で、むち打たれて無理に働かされている感じがあり、わたしは変に元気でありながら、同時にへとへとだったのです。

 インデラルは心臓に働くなと命じ、漢方薬は働けと命じるという感じで、心臓は明らかにパニクっていました。そのうちパタッといきそうな不安がありました。

 飲んでいた漢方薬の構成生薬は調べましたが、一つ一つの効能はチェックしていませんでした。強心作用のある生薬が含まれていたのではないかしら。それが、わたしの心臓を一時的に元気にしたものの、基本的には合わなかったのでは。素人の想像にすぎませんが。

 身がもたないと感じ、漢方治療をやめてしまいましたが、わたしの症状が一般的ではないのが問題なのかもしれません。

 先生にうまく伝えられないうちに、ドロップアウトしてしまうなんて、自分でも予想外の出来事でした……。

 これも素人の想像ですが、喘息には薬が合っていたという感じ。

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2010年1月27日 (水)

ブルボン・プチシリーズの『ウエハーきなこ』と『いかせんべい』

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 書店勤めの娘がお菓子コーナーに仕入れたお菓子、ブルボン・プチシリーズの『ウエハーきなこ』と『いかせんべい』。例によって、実験動物になる。むしゃむしゃ、ばりばり。

 お、美味しい。ウエハースにまぶされたきなこが合っている。その甘さに、いかせんべいのほどよい塩気がこれまた合う。二つをセットで食べるのがグー!

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昨日の夕飯(卵ご飯、さやいんげんとひき肉の炒めもの、青梗菜とかきのさっと煮)

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 昨日の夕飯は、鈴木登紀子先生レシピ『卵ご飯』、土井勝先生レシピ『さやいんげんとひき肉の炒めもの』、土井善晴先生レシピ『青梗菜とかきのさっと煮』でした。このところ、夕飯の記事をサボっていたので、今日は丁寧にご紹介します。

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 「鈴木登紀子のお母さんのおそうざい帳2炊き込みご飯」(潮出版社、昭和56年)から『卵ご飯』のレシピをご紹介します。

[材料・4人分]
米3カップ,だし汁3と1/4カップ,
A《酒大さじ3,塩小さじ2/3,薄口しょうゆ大さじ1と1/2》,
卵3個,トリささみ3本,アサツキ小1束,
下味〈酒大さじ1/2,薄口しょう油大さじ1と1/2〉.

[作り方]

  1. トリささ身は、薄皮と筋をとって小ぶりに切って下味をつけておきます。
  2. 水加減しておいた米にAを加えて調味し、強火にかけます。
  3. ふきあがったらトリ肉をつけ汁ごとご飯の上に手早く広げ、再度煮立つのを待って弱火で10分ほど炊いて溶き卵を回し入れて蓋をし、さらに3、4分炊いて火を止めます。
  4. 10分ほど蒸らし、卵をほじくながらさっくりと混ぜます。
  5. 器に盛り、アサツキを散らして彩りを添えます。

 この卵ご飯、おすすめです! わたしは炊飯器で炊き、卵を回し入れて蒸らしたのですが、釜めし風の味わいを楽しめました。家族に好評でした。

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 「土井勝 日本のおかず500選」(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995年)から参考にした『さやいんげんとひき肉の炒めもの』。

 4人分の作り方を簡単にご紹介しますと、さやいんげん200gは塩を加えた熱湯でゆでて、冷水にとって水気を切り、斜めに2~3つに切ります。小口切りにした青ねぎ1/2本、みじん切りにしたしょうが5gをサラダ油で炒めます。豚ひき肉200gをほぐし入れて色が変わるまで炒め、さやいんげんを加えて炒め合わせます。そこへ、しょうゆ大さじ2、酒大さじ1、砂糖・かき油・片栗粉各小さじ1、こしょう少々を合わせて加え、味をからめます。

 わたしは、うっかり、さやいんげんを切り忘れました。切ったほうが食べやすいし、味もからめやすいですね。

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 次に土井ジュニアのレシピ『青梗菜とかきのさっと煮』を「週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.4」(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

[材料・4人分]
青梗菜3~4株(300g),かき(むき身/加熱用)10個(250g),
煮汁《だし2カップ,酒大さじ2,薄口しょうゆ大さじ2》,
サラダ油大さじ1,七味唐辛子適量.

[作り方]

  1. 青梗菜は縦4つ割りにして、軸と葉に切り分ける。根元の部分が大きいようなら切り込みを入れる。
  2. かきは薄い塩水の中でさっとふり洗いしてざるにとり、水けをきる。
  3. 鍋に油を熱し、まず青梗菜の軸を入れて炒める。しんなりしたら葉を加えてさっと炒め、だし、酒、薄口しょうゆを加える。
  4. 煮汁が煮立ってきたら、かきを加える。かきに火が通り、ふっくらしてきたら火を止めて器に盛り、七味唐辛子をふる。

「かきが全然生臭くないね」と娘。ホント! 七味唐辛子をふると、見た目もお洒落。 

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2010年1月25日 (月)

たった2週間だったとはいえ…

 思えば、たった2週間でひとまず打ち切ったとはいえ、刺激的な漢方体験だった。さすがは道教が起源のことはある……それを垣間見た気がした。

 昨日1日は、その疲れを癒すのに充てた。

 わたしの場所に早くも染みつき出していた漢方薬の臭いが、まる1日で消え去った。

 体の中で活性化と消耗が同時に起きるているかのような嵐も、なりをひそめた。

 熱を持ってぎんぎんに腫れていた湿疹も、落ち着いた。

 手はまだかろうじて温かいが、遅かれ早かれ、冷えきり、冬眠しそうな眠気に襲われるようになって、無理に動くと、目眩に悩まされる日々が始まるのだろうか。おなかは、またパンパンになって太鼓の音がし出すだろう。痰、ゼイゼイ、止まらない咳も、やがて戻ってくるだろう。関節の不具合、背中の痛みも、嬉々として戻ってくるに違いない。睡眠中によく起きていた、足のぴくぴくや痙攣も(ぴくぴくは、やめた夜からさっそく起きた)。

 振り返ってみると、短い間に、何て多くの点を改善して貰ったことか。

 それなのに、もう治療から逃げ出すなんて。

 だが、とにかく今は休みたいのだ。へとへとなのだ! 治療を続ける気力がない。姿勢もできていない。

 わたしの古代史の研究からすれば、漢方の起源は中国道教で、仙人になるための初歩的な健康術だから、仙人になるための心構えが必要……とは思わないまでも、規則正しい生活を心がけるくらいは最低限、必要と思われる。

 その心が、翼を生やしてあちこち飛び回っている今の状態ではO先生の道観、否、治療に戻れない。名医の治療を受ける資格がない。

 童話が完成した暁に、再チャレンジを考えようと思う。

 それ以前におなかがパンパンになって、やたらと眠けや目眩に襲われるようになってしまったら、土曜日は代診の先生だから、その日にまずは受診しよう。いきなりO先生を拝顔することはできない。

 とりあえず、近いうちに呼吸器クリニックを受診して、以前出して貰ったおなかのガスを吸ってくれる薬のことを伺ってみる予定。

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2010年1月24日 (日)

昨日の夕飯

昨日の夕飯

 江戸崎愛先生レシピの『芙蓉蟹(かに玉)』、土井善晴先生レシピの『こんにゃくのきんぴら』、ネットで閲覧させていただいた『大根サラダ』〔みんなのレシピ〕、『ひよこ豆のガーリックスープ』〔misbit.com〕。

 漢方治療を休止することにして、今までのペースに戻したら、おなかが空いて写真をアップしようという気になりました。

 この2週間というもの、漢方薬でおなかがいっぱいで、ご馳走を作っても、アップしようという気にならなかったんですもの。

 かに玉とこんにゃくのきんぴらのレシピは、改めてご紹介したいと思っています。

 さあ、童話も書くぞ!

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2010年1月22日 (金)

息子から電話

 息子から電話があり、宇都宮にあるお得意先に長期出張することになったという。

 東京より上になると、地理的にもぴんと来ないわたしが、栃木県にある宇都宮市について調べようとすると、「釣り天井の伝説があるところだろ」と夫。

 何のことかわからなかったが、調べてみて納得。子供の頃、祖父に連れられて講談や芝居に通い詰めた夫は、こんなかたちで歴史の雑学的知識を披露する。

 大学時代の同窓生で同じサークルだった男性からいただいた年賀状に、お嬢さんの就職が決まったと書かれていた。その企業の研究所が宇都宮にあり、息子はそこへサポートのために滞在するらしい。息子は昨年入社した若輩なので、他のオフィスにいる先輩と行くことになるようだ。

 同じ課に、週一で東京からそこへ通っている人がいるそうだが、毎日となると無理なので、「マンスリーでも借りることになるのかな」と息子。

 上司から「宇都宮だけど、行ける? 何か差し支えある?」と訊かれ、「え、いいえ」と息子がいうと、いつも多忙なその上司はうなずいて、どこかへ駆け出したそうだ。昨日、やっと会えたと思ったら、「あの件、よろしく」といって姿を消そうとしたので、慌てて期間を訊いたという。

 2ヶ月だそうだ。息子が入社したときから、デスクだけがあって、姿の見えない人もちらほらいるらしい。企画課などには、アメリカのどこかの研究所へ「2ヶ月ほど、行ってくれる?」といわれて、そのまま1年半行きっぱなしだった人がいたそうだ。

 息子は独身だからいいが、所帯持ちだと大変だろうなと思う。ドクターコースのほうはどうするのだろうと思ったが、教授は息子の都合に合わせてくださるし、研究もパソコンさえつなげれば大丈夫という。

 ところで、息子はわたしに電話をしてくる数日前には姉に電話をしてきたのだが、娘は「ママったらね、もう漢方やめようかな、なんていっているのよ。叱ってくれない?」などと告げ口をしていた。

 そのとき息子は「本人がやめたいんなら、やめてもいいんじゃない?」と答えたらしい。社会的ルールさえ踏み外さなければ、息子は基本的に人のすることには非干渉だ。

 それでも、息子は漢方のことを訊いてきた。手が温かくなったことや、ガスのことや、湿疹のことなどいうと、「確かに、昨年の旅行のとき、おなかの出かたに太っているのとは違う異常さがあると思った」といった。

 そして何と、息子はゲップを意識的に出せるという。それも、ゲップゥー!と出すのではなく、先生がおっしゃったように静かに出すのだそうだ。伝授してほしいと思ったが、教えるのは難しいと息子。 

 娘は粉薬の上手な飲み方を指導してくれた。水を飲むときに、舌先を上に丸めるようにして溜め、そこへ薬をのせて、舌先を喉へ巻き込むようにして飲むのだそうだ。

 舌の短いわたしには人間業とも思えなかったが、いくらかは上手に飲むコツが掴めた。

 とはいえ、まだ漢方を続けるかどうかはわからない。

 飲みはじめで薬がよく効いていたためか、単なるいつもの波だったのかはわからないが、快調のときは短かくて、相変わらず疲れやすく、眠くなりやすく、食事の回数が増えたぶん、おなかはそのたびに張り、左上腹部が痛い。痛む時間は短くなったが、痛む回数が増えたので、むしろ日常生活に差し支える気もする。

 心臓の調子はいいが、舌下錠の使用を迷うことはよくあり、波があることを考えると、西洋薬だけのときと、漢方薬を加えてからとで、それほどの違いはないようでもある。ただ手は、ずっと温かい。湿疹は悪化気味。

 これは単にわたしの感じかたにすぎないが、体に前よりいろいろなもの入れているぶん、体の状態がよくなっているような、いろいろな作用のために負担が起きているような、ちょっとよくわからない感じだ。

 そのことに、疲れている。まだ漢方クリニックには2回通っただけだから、あれこれいうのは早いのだろうけれど。 

「漢方は、ゆっくりと効くことが多いのよ」と娘。ホント。そうみたい。今日漢方を受診するつもりなら、もう出ないと間に合わない。間に合わないかも。 

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19日に、文学の集まり ②

『19日に、文学の集まり ①』はこちら。
 ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/01/post-bb56.html

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 仕事帰りに娘がスタバから買って来てくれた、アッサム ブラック ティー ラテ。

 昨日の日記にも書いたが、ゴンクール兄弟の日記は19世紀後半のパリの世相を感じさせて、興味深い。ティーを飲みながら、何という贅沢。

 斎藤一郎編訳『ゴンクールの日記』(岩波文庫)で、日記は1851年の12月から始まっている。出だしが、以下のような場面なのだ。

「おい、大変だ、革命がおっぱじまったぞ」
 こういいながらわたしたちの寝室に飛び込んできたのはド・ブラモン氏、われらが従弟ド・ヴィルドゥイユのお取り巻きのひとりだ。

 革命というのは、第二帝政の始まりとなったクーデターのこと。日記の書き手と共に街に飛び出たわたしの目にまず映る光景は、野営していた一連隊が大宴会の最中……という具合。描写が生き生きしているので、まるで昨日のことが語られているようだ。

 フランスの文壇の話題はよく出てくる。フローベルはしきりに出てくる。ユゴー、ゴーチエ、サント=ブーヴ……バルザックは1850年に51歳で亡くなっているが、昨日のことだから、随所に回想風に出てくる。ゴンクールの描くノアンの奥方――ジョルジュ・サンドは独特の雰囲気を醸していて、忘れられそうにない。

 日記も、こういう風に書ければ、一流の作品となるのだ。ブログであっても、同じだろう。

 その刺激を受けたから、というのでもないが、火曜日に文学の集まりを持ったことを書いた記事、あれが昨日から喉に刺さった棘のようにわたしの神経を刺激する。

 肉と知性の臭気を放つ人間の集まりがあんな、無味乾燥な綺麗事であるわけはない。人に会うのに倦む、あの感じにその日1日苦しめられ、それでいて会いたりなかったような気懸かりも湧いて落ち着かない夜を過ごした。

 『今日、文学の集まり』[『19日に、文学の集まり ①』に改題]で書いたことも嘘ではないが、あれは体裁を気にした軽いラフといったものだ。

 で今日、『19日に、文学の集まり ②』として、新たに肉づけをし直した記事を書きかきかけていたところ、昨日メールをくださった新聞系の雑誌記者で、新人賞の選考に関ったり、ライター養成講座を受け持ったりもなさっているという男性が、わたしの返信に対してまたメールをくださった。

 興味深いことが書かれていたので、そちらのほうに夢中になり、②で書こうと思っていたことを忘れてしまった。

 思い出そうと努めながら書くと、火曜日に集ったわたしたちは、外部の人々からそう見えようと見えまいと、書く人間であるという感慨をわたしは抱いたのだった。書く人間は互いに観察し合うので、会うと非常に疲れる。

 風通しのよい(いくらか寒い)お茶屋さんにわたしが入っていくと、突きあたりのカウンター席に、こちらに背を向けて座っていた男性がおもむろに振り返った。この厚ぼったい男性は誰だろう?

 男性は、自信がなさそうに頷いてみせた。3年ぶりにお目にかかるF氏だった。互いに、相手をまさぐるように見て、納得できないかのように、幻影を振り払うかのように、相手を見つめ直した。わたしたちは書く人間だから、想像力が豊かで、会わない間に自分の中で相手をすっかり作り上げてしまっていたらしい。

「痩せた?  前に会ったときとはまた感じが違う……」とF氏。「太りました? 別人に見えます」とわたし。目のまえの恰幅のよい男性が、どうしても以前の記憶と重ならなかった。F氏もそのようだった。自覚できる部分でいえば、わたしは3年分老け、いくらか痩せ(おなかはその限りにあらず)、メークが変わった。

 やがて、中原中也を明るく、やんちゃにしたような容姿のO[2]氏が現れた。彼は、わたしたちに視線を据えて足を止めた。彼とわたしが会うのは数ヶ月ぶりにすぎなかった。それにも拘らず、彼もまた書く人間らしく、過剰に想像の肉づけをやっていたらしく、わたしを見て、何かを確認し、何かを捨て去った(表情をした)。

 彼はF氏とは2週に一度は会っているはずだった。彼はそのF氏をも初めて見るかのように見、F氏とわたしを交互に眺め、かつ観察した。

 開放的で率直、それでいてどこか拗ねたようなO[2]氏が、カウンター席のわたしたちの間に加わると、3人はファミリーのような雰囲気になる。O[2]氏はF氏を見ると、突っかかりたくなるらしく――やんわりと笑いながらだが――、その雰囲気は反抗期の息子と父親のようだ。

 するとF氏は、痛い目に遭わされた顔つきになる。が、苦い気分を漂わせながらも、泰然として辛抱強く相手をする。「父子喧嘩みたいよ」というと、「八ッハッハ……それは悪いよ。Fさんは、そんなにおじいさんじゃないだろ」と、口だけであくどく笑ってO[2]氏。

「Oさんが子供みたいだって、いっているのよ」とわたしはいった。メニューを見ながら彼は、「どら焼き食べようかな」といった。「もうすぐO[1]氏が見えると思うから、あちらに移りましょうか」とF氏。

 擬似ファミリーの3人は、カウンター席から奥の大きなテーブルへと移動した。

 高齢のO[1]氏が現れたとき、わたしがここへ来てから覚えたぶれは、最大となった。

 O[1]氏は、幾分前かがみになって、入ってきた。まるで怯えたように目を見開き気味にして、入ってきた。その目がわたしを見据え、一旦拒否し、また捉え、さらに捉えつくそうとして最高に強い光を放った。わたしのほうでは、想像していたO[1]氏の像を一旦は捨てようと努力しながら、未練たらしくその像に縋りつきつつ、ぼんやりとした。

 老人と中年の主婦であるわたしは、どこかあらぬところを見ながら、見かけは普通に挨拶を交わした。O[1]氏とわたしは相手の中に、挨拶すべき像を見出せず、視線を彷徨わせていたのだ。あとの2人は、わたしとO[1]氏との間に始まったドラマ、あるいは闘いというべき、独特の気配に気づいている風だった。

 わたしは唐突にO[1]氏に向かって握手を求めた。わたしは絶望していた。本物のO[1]氏に失望したという意味ではない。あまりに想像力を働かせていたため、現実のO[1]氏が、まるでエイリアンのように、想像していたO[1]氏を食い破って猛々しく出てきたような印象を受けただけだった。

 なぜ、握手を求めるなどという、軽はずみな行動をとったのかは自分でもわからないが、わたしは本物のO[1]氏に触れることで、想像していたO[1]氏の像を消し去りたかったのだと思う。そして、感じていたからだった。この年齢の男性が秘める、権威主義や男尊女卑といった瘴気を。

 それを裏書するかのように、彼は握手を拒否した。それはわたしの思い過ごしで、単に気づかなかったようにも見えた。

 何はともあれ、見た目はごく普通に、文学の集まりらしい雰囲気のうちに、わたしたちは語り合っていた。

 角部屋のようになった一角に座るわたしたちの背後には、展覧会さながらに名をつけた絵が沢山かけられていた。

「どれも同じに見えるけれど」とO[2]氏。わたしたちは彼に同感しながら、絵を見続けた。「でも、よく見ると、違いますね。それぞれに」とわたしはいった。

 F氏は「教える人が同じなのかな」といった。「そうでしょう」とわたし。

「本当に皆同じだな。見分けがつかない」とO[2]氏。「そんなこといっちゃ、悪いわよ。わたしたちの作品だって、同じでしょう。自分の作品は……と思っているけれど、外部の人々が見たら、全部同じに見えるのよ、きっと」とわたし。一方、O[1]氏はなおも目を見開きがちに黙りながら、何かを考えているのか、いないのか。

 そのうち、O[1]氏の知り合いの老人たちが入ってきて、一角には強い加齢臭が立ち籠めた。老人パワーというべきか。

 彼らは口では愛想がよかったが、視線は強く、いくらか不躾で、「女性のゲストがいるとはありがたい」などといいながらも、女が一人、男性ばかりに混じってこんなところで遊んでけしからん――と、雰囲気そのものが語っていた。

 しばらく談笑が続き、軽いわたしとO[2]氏は、ときどき(老人会みたいね)と目で語り合って、笑い合った。

 F氏が、「出ましょうか、Nさん」といって、わたしを促した。詰めた話をするためだ。

 そのことをわかっていたはずなのに、O[2]氏は置き去りにされる子供のように黙って、前を向いたまま、不機嫌そうな、泣きそうな、惨めな目をした。訴えるようにじっとわたしを見ていた。わたしの勘違いだろうか? でも、そう見えた。白い帽子を被ったまま、本当に、まるで子供のように。いつ、わたしは彼を産んだんだっけ? 七つも上の彼を。

 その頃になってようやくわたしを受け入れたらしいO[1]氏は、相変わらず緊張したように目を見開いて、しかし、その目は柔らかな光を宿した。雲が払われたかのように。彼の作品を連想させる、彼そのものといってよい光だった。まぎれもないO[1]氏がそこにいた。

 O[1]氏は、強張った儀礼とはまるで違う、自然な微笑を浮かべて、わたしに右手を差し出した。わたしは驚きながら、悦びながら、それでも、相変わらずいささか軽佻に、その貴重な手を握った。O[1]氏の目が潤いのあまり、濡れたように黒く見えた。

 F氏との話のあとで、O[2]氏に電話を入れた。留守番をさせた子供に電話を入れる母親の気持ちそのままだった。ところが、O[2]氏はわたしの思い入れとは裏腹に、何ともさわやかに、屈託なく、O[1]氏と話したことを伝えた。

●どの程度脚色が入っているかいないかは、ご訪問くださったあなた様のご想像にお任せします。

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2010年1月20日 (水)

童話執筆の合間に読む予定の本2冊……中村元選集・日本の思想〈2〉『聖徳太子』(春秋社)、斎藤一郎編訳『ゴンクールの日記』(岩波文庫)

 どちらもまだ少し読んだだけだが、上は、聖徳太子に関する珠玉のような研究書。十七条憲法を、漢文書き下し、現代語訳、英訳で読める。

 下は、19世紀後半のフランスにおけるパリの世相を絵画的に映し出したゴンクール兄弟の日記。
 わが国の作家にも、ここまではいかなくとも、現代日本の世相をありありと描き出す類のブログを期待したいが、そんな作家のブログにはお目にかかれない。一般人のブログと見分けがつかない、ありふれたものばかり。いろいろな意味で、ため息が出る。

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2010年1月19日 (火)

19日に、文学の集まり ①

『19日に、文学の集まり ②』はこちら。
 ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/01/post-4d86.html

 午後1時から、お茶屋さんの中にある喫茶室でF氏、2人のO氏と集いのときを持った。

 店内のあちこちにカウンター席のある変わった造りで、角部屋風のコーナーには8人が座れる大きなテーブル。別室で絵画教室でもあっているのか、壁一面に展覧会のように絵が掛かっている。

 F氏の文学教室の女性の生徒さんも見える予定だったが、急用で行けなくなったとのこと。

 初めてお目にかかるO[1]氏はいくらか耳が遠いが、燻し銀を連想させる老紳士で、「生きているうちに、あなたにお会いできてよかった」とまでいってくださった。

 わたしはO[1]氏の創作の技法で確認したいことがあった。作品に様々な職業の人々が登場するが、いずれにもリアリティがあり、調査や想像の不足によるブレがない秘密を知りたかったのだ。

 知り合いに取材なさるらしい。また、長年の間に見聞きしたことが役立つという。

 O[2]氏は、相変わらず少年みたいな中年男性。よく中原中也に似ているといわれるそうだ。似ているが、中也より明るくやんちゃな感じ。

 白い帽子を被っているところは雪だるまみたいに見えたので、からかう。出版社をしていた頃の地元新聞社との絡みというか、驚くべきエピソードを聞かせていただいた。

 そのうち、O[1]氏のお友達が3人見え、さらに増えそうな勢いだったので、F氏と2人、詰めた話をするために場所を移した。

 創作活動に関する貴重な資料を見せていただきながら、実のある話ができた。

 結論として、F氏と評論で組ませていただくことにした。攻めるは、新聞社。地方だけではなく、東京など、送り先を増やす。

 不安要素として、わたしが加わることによるマイナス面をいうと、その心配は要らないと思うそうで、具体例を挙げてくれた。

 わたしは、自身の今年の予定を話した。夏頃までに童話の完成と持ち込み。秋に70枚の歴史物。

 彼はだいたい年に2回のペースで個人誌を出して来ているので、今年後半ぶんに組ませていただきたいといった。

 とはいえ、わたしは評論を書くだけのまとまった時間を得にくいと思うので、春樹のエッセーのときのようにブログを活用したい。

 これまでより大きく採り上げて貰うためには(新聞の文芸作品紹介欄は縮小傾向にあるらしく、写真などもあまり載らなくなってきたとのこと)、F氏にはこれまで以上によいものを書いて貰わなくてはならない。

 そのために、風土の匂いに人物が取り込まれるような描きかたが意図的なものかどうか、知りたかった。

 意図的ではないそうなので、人物が今一つ生彩を欠くこと、また、テーマをもっと煮詰めて自分の中に落とし込み、新しい発見がきらめくのを確認してから執筆することを提案してみた。

 人物に関しては、ドクター作家K氏に対していった言葉を繰り返したわけだ。

 わたしの言葉が刺激したのか独自の勘によるものかはわからないが、K氏は休刊前の同人雑誌で発表した作品では、自然と人物、どちらの魅力も、対位法といってよい技法で最大限に惹き出していた。

 文章力があるだけに、すぱらしい仕上がりで、酔わされた。

 わたしはK氏とF氏はよきライバルだと思ってきたが、当人たちは、ろくに知らないからと否定なさる。でも、強く意識し合っていることは確かだ。

 作風は異なるが、K氏同様に文章力のあるF氏にも、人物を描写し、謳い上げる力量はあるはすだ。期待したい。

 一度に多くのことはできない。今年はわたしとしては上に書いた課題を消化しながら、ネットの活用やサロン作りなど、自分なりに考えてみたい。

 F氏との話を終え、O[2]氏に電話した。あのあと、O[1]氏と突っ込んだ創作の話が出来たそうで、彼の口調は高揚していた。

 O[1]氏は、わたしとも改めて話をしたいとおっしゃっていた由。次回、溜まり場に行くときはO[2]氏に電話をすることにした。O[2]氏から皆に連絡がいく。

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2010年1月18日 (月)

明日、文学の集まり

 12日に、休刊中の同人雑誌の同人の一人F氏からお電話があり、O[1]氏に会わせたいとのこと。同人雑誌の合評会にはなかなか行けなかったので、わたしも以前から一度お目にかかってみたいとは思っていた。

 漢方に通い始めたところで、健康状態はパッとしないが、パッとするのを待っていてはいつになるかわからない。明日、文学を嗜む人々の溜まり場となっている喫茶店へ出かける約束をした。

 そのとき、F氏とはいろいろとお話しして、現在の硬直したわが国の文学界には、革命(文学運動)が必要だという結論に達した。

 わたしはずっと前からそのように考えていた。F氏はわたしより長生きされているとあって、そのあたりの考えはわたしよりも筋金入りだ。

 が、F氏には少年のような一途なところがあり、何と文学賞応募の原稿に添えて、公平に選考を行うための試案なる、声明文ともとれるような怪文書を送ったこともあるとか。当然、その作品は一次も通過しなかったらしい。

 彼がそのような行動に出た裏には、その賞の審査員たちの中に知り合いがいたことがあるようだ。あらゆる賞の常連であるF氏は、作家や出版関係者に知り合いも多い。彼の仲間がプロになったのに、彼がなれていないのは、作品の出来不出来、タイミング、あるいは根回しといった問題以前に、反骨精神が潜んでいることが原因していると思われる。

 そして彼は、わたしに仲間の匂いを嗅ぎつけたというわけだった。ここ数年、彼が折に触れてわたしに電話をしてきたのには、そうした話をしたかったためらしい。明日の集まりでは、そのような話はできないだろうが、そのうちもっと詰めた話をしたいという。

 裏を知りすぎている彼は、とっくにブラックリストに名が挙がっているはずだ。現代日本には多くの純文系文学賞が存在するが、そのほとんどには好ましからざる裏があって、何のコネもないみずみずしい才能の持ち主が世に出られない仕組みを作り出している。

 戦後、出版事業が復興、進展する中で、あまりに沢山の人々が文学で食べていくことになった結果、このような事態を招くことになったといえる。

 わたしはフランスにおける印象派のアンダパンダン展の話など出したが、絵画であれば、一目でわかるから、人を集めやすい。文学の刷新運動となると、どうしても知識層に訴えることになるが、その知識層が、今の日本では知識層として機能していない。

 この国ではまともな文芸評論にお目にかかれなくなって久しいという事実が、このことを裏書している。

 また、大正から昭和初期にかけて活躍した女性作家たちを思い浮かべてみるとわかりやすい。彼女たちは作品の中で、正々堂々と男女関係を、情の絡みを熱く追究した。実に誇り高かった。

 現在の女性作家たちはどうか。あの誇り高さはみじんもない。男性の性に媚びたものか、あるいはそれとなく嫌悪するものか、いずれにしても、何だかパッとしないものが多い。

 そこにはやはり、何か原因があるはずだ。

 わたしはそのことを感じとってはいたが、Fさんは具体的なエピソードとして知っていた。彼自身が女衒のようなことをいう。「僕が女で、あなたくらい綺麗だったら、体を売ってでも出たよ」などと。彼の知り合いが組織にいた頃であれば、紹介できたようなことまで匂わす。女でさえあれば買う人間が、少なくとも以前はいたということか。

 仮にそれが一部の風潮にすぎないものであったとしても、その影響は大きい。

 経済事情からにしろ、風俗事情からにしろ、裏があって、それが世間の眼から不合理なものに映ったとしても、真の才能の揺籃となるものであるなら、これは極論だが、裏がいくらあっても構わないとさえわたしは思う。が、大した作品が出ないということは、そんな裏ではないということだ。

 そうした裏が文学の質を決定し、大衆に影響を及ぼして現代風俗をつくり上げた。

 それにしても、F氏という人には複雑なところがあって、よくわからない。わたしに対する接しかたには微塵も嫌らしいところや俗っぽいところがないので、何の抵抗もなく話せるのだが……。

 互いの作品の話になり、F氏が、まわりにはわたしくらいしか作品を鋭く批評できる人がいないというので、わたしはいった。「Fさんは、安全圏で書いていると思います」

 会話が止まり、沈黙が漂った。

 F氏は、これまで個人誌を30部ほど作ってあちこちへ送り、新聞の同人雑誌評欄などで採り上げられて来たという。わたしの作品と組みたいといっていただいたが、わたしと組むことで彼の作品が採り上げられなくなる可能性があると思うのだ。

 いずれにしても、明日は、F氏と互いの作品の話や文学革命(?)といった、込み入った話はできないかもしれない。

 16日に、O[2]氏(O[1]氏とは別人)からもお電話があった。O[2]氏は作品を見てほしいという。純粋に作品として見てほしいというのであれば見るが、賞狙いのお手伝いならできないというと、純粋に見てほしいのだそうだ。

 O[2]氏はF氏の文学教室の生徒さんなのだから、F氏に頼めばいいのにと思い、そういうと、文学観という点からわたしに見てほしいらしい。F氏がわたしを講師に招きたいといっていた由。

 冗談だろうが、作家という肩書きが出来たら、わたしは文学塾を開いてみたい。よく人から、なぜ教師にならなかったのかとか、どこかで教えていらっしゃるのですかなどといわれることがあるが、算数教室で働いていたとき、教えることは楽しいな、とよく思っていた。前で教えるとなると、最初は足がわななき、声が震えるかもしれないが。

 スケッチを徹底させるマダムNメソッド――という広告でいくつもり。尤も、それ以前に、持ち込む童話さえ、完成できずにもたもたしている現実がある。

 明日はO[2]氏も集まりに行くそうだ。

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昨日の夕飯(焼き厚揚げのゴマ油仕上げ)

 昨日の夕飯は、太刀魚の塩焼き、水菜と豚肉のさっと煮、焼き厚揚げのゴマ油仕上げ、味噌汁(茄子、じゃがいも、白菜)でした。

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 太刀魚の切り身を、グリル設定で塩焼きにしたものです。東芝の石窯スチームオーブンレンジを購入してからはもっぱら石窯で。3人分一度に焼け、崩れやすい太刀魚も綺麗に仕上がりますし、見た目はこんがり、身はふっくら……と家族にも好評。

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 土井善晴先生のレシピ『水菜と豚肉のさっと煮』を参考にしました。最後にふりかける粉山椒がよい働きをします。レシピは、わたしの外部サイトになりますが、以下。
 ⇒http://noix-n.blogspot.com/2009/04/blog-post_535.html

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 うちではよく焼き厚揚げをします。厚揚げは、石窯よりも素早く焼けるオーブントースターで焼いています。

 そのままポン酢やしょうゆをかけて食べても美味しいのですが、昨日は「やりくりおかずと節約献立」(扶桑社、1999年)のレシピ『焼き厚揚げのゴマ油仕上げ』を参考にしました。レシピをご紹介します。

[材料・ 4人分]
厚揚げ2枚,万能ネギ(小口切り)2本,ゴマ油大さじ2,おろしショウガ1かけ分,しょうゆ適量.

[作り方]

  1. 焼き網をよく熱し、弱火にして厚揚げをのせ、上下を返しながら、ほどよい焦げ目がつくまで両面をじっくりと焼く。万能ネギは小口切りにする。
  2. ①の厚揚げを、食べすい大きさに切って器に盛り、万能ネギの小口切りをたっぷりのせる。
  3. 小鍋にゴマ油を熱して煙が立つまで熱くし、②の上にジュッと回しかける。おろしショウガを天盛りにし、しょうゆをかける。

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2010年1月17日 (日)

復活した朝ご飯と迷走気味の生活

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 腹部の不調で長らく1日1食が普通だったが、今朝は納豆ご飯を食べた。漢方薬を1日3回食前に服用するのは、わたしには一仕事。ご飯を食べずに飲むと、おなかの具合が悪くなる。でも、朝ご飯が食べられるくらいにガスが抜けた。

 とはいえ、漢方治療、この先も続けるかどうかはわからない。体質改善には根気が要りそうだ。漢方治療で得た体力を、漢方的生活に使うことになりそうな不安、不満。不健康でも、元の自由感のある文学的生活に帰りたい欲求が早くも生じている。

 今は薬をきちんと飲み、水を不必要に飲まず、ゲップを出す宿題が出ているだけだが、そのうち快眠快便、早寝早起きの宿題が課せられそうで、僧侶的生活を目指すことになりそうな気さえする。第一、ゲップを出せといわれたって、無理だ。自然と出て来るのを待つことしか、わたしにはできない。

 今度、当帰湯に加えて新しく飲み始めた、安中散料という薬は飲みやすい。構成生薬は、桂皮(ケイヒ)、延胡索(エンゴサク)、牡蛎(ボレイ)、茴香(ウイキョウ)、甘草(カンゾウ)、縮砂(シュクシャ)、良姜(リョウキョウ)。どれが飲みやすくしているのだろう?

 茴香(ウイキョウ)は、別名フェンネルだそうだ。わたしもときどき料理に使う、甘い芳香を持つフェンネル。初めて安中散料を飲んだとき、ハーブの香りがすると思ったのは、フェンネルが入っているためかもしれない。

 胃腸の具合がよくなって始めて、胃腸の具合が悪かったことに気づいた。漢方薬を飲み忘れて夕飯を食べてしまうと、覿面、左上腹部が痛くなる。毎日毎日、こんな圧迫痛が当たり前だったなんて信じられない。楽には人間、すぐに慣れるものだなと呆れる。

 問題は、いろいろなことを先生に、これからわかっていただかなくてはならないということだ。物凄く、面倒臭い。

 先生はわたしの心臓発作の痛みを上腹部痛と混同していられるようだが、それは違う。痛みの種類がまるで違うのだ。また、慢性膵炎の治療を受けていたのは大酒飲みだからとも疑っていられるようだが、それも違う。結婚してからは、記念日などにワインをグラスに1、2杯飲む程度だ。慢性膵炎には、大酒飲みがなることが多いという。だからこその疑いなのだろう。

 わたしに慢性膵炎と思われる症状が出たのは、頻脈を放置していたときだった。膵炎かどうかのいろいろな検査を受け、投薬治療を受けていた。そのときは肝機能もいくらか低下し、血圧は高く、心臓は頻脈の負担に耐えられずに大きくなっていた。わたしは全て、頻脈の放置から出たものだと思っている。

 頻脈を放置していたのだって、好きでそうしていたわけではない。検査もなしに、ときどきそうなるだけだろうと思われて、相手にして貰えないことが続いたからだ。24時間のホルター心電図を装着して貰って初めて、わたしの訴えに偽りがないことが判明した。治療前後の2枚のレントゲンを撮って貰ってようやく、心臓が本来のサイズより大きくなっていた事実が判明した。

 循環器クリニックの先生は、初診時にインデラルの切れたわたしの頻脈の状態をご存知だから、インデラルは必ず出してくださる。漢方の先生には、これから説明するしかない。狭心症と喘息についても話せば長くなる。

 本当は、心臓のことは説明せずに、腹部の状態と湿疹だけ改善して貰うつもりだったが、それはわたしの勝手すぎる考えだった。漢方では全体を見る。それはわたしの哲学的観点からは理想的な物の見方だと思うが、現実には大変なことだ。

 わたしが一番怖れるのは、インデラルと下手な薬を取り替えられること。そして、心臓が壊れてしまうこと。頻脈の出ない体に改善して貰うことが理想だけれど、ガス抜きだけでひどく手間がかかりそうじゃないか。

 体が弱ることは避けられないが、これまでのように西洋医学だけにしておこうかという考えが、通院2回目にして出て来るとは思いもしなかった。ガスを吸収してくれる薬を、確か呼吸器クリニックで出して貰ったことがあった。ガス抜きには、その薬を出して貰えばいいことだ。

 何しろ、問診、舌診、脈診、腹診が漢方の診察のようだから、問診に自ずから力が入るのか、15日の診察はまるで尋問のように思えた。それが早くも通院に嫌気がさした第一原因となっている。

 わたしは長年医療に頼り、助けて貰って来たけれど、ずいぶん屈辱も忍んで来た。でも、大酒を飲むんじゃないかなんて、ひどすぎる。もしそうであれば、そういう。それは単に問診にすぎず、間違いのない薬を出すためのものなのだと頭ではわかっている。でも、気持ちではおさまりがつかないのだ。

 ただ、体が冷え切っていることを指摘し、その体を温めてくれる薬を出してくれたドクターなんて、西洋医学の世界にはいなかった。

 どうでもいいことだけれど、漢方のO先生は、上から見たときと下から見たときでは、お顔が違う印象を受ける。上から見ると、杉村春子みたいだ。O先生は精悍そうな男性だが、どこか古典芸能の趣があるのだ(星座は牡羊座に違いない)。

 ああ、支離滅裂な文章綴っている。こんなんじゃ、童話書けない。 

 あ、納豆ご飯の上にぼんやりと見えているのは、携帯につけている鉄腕アトムのフィギュアです。

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2010年1月15日 (金)

ロッシェにて

ロッシェにて

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漢方(内科)クリニック受診

 宿題を忘れないうちに、外出先から。

 ガスが溜まりすぎると、圧迫のために、かえってゲップが出にくくなるのだそうです。

 前回の受診時、わたしのおなかは太鼓のような音がしたそうですが、だいぶんガスの溜まりが減ったそうです。

 でも、まだ溜まるので、第一にはガスを極力入れないこと。先生によると、ガスは吸収されないので、一旦入ると、ゲップとなって口から出るか、オナラとなって肛門から出るかしかないからです。

 水を飲み過ぎるのではないかといわれ、漢方薬を飲むときにガブ飲みするといいました。

 また、膀胱炎になりやすいために、水をよく飲むように泌尿器科でいわれた旨いうと、砂漠の民ではないから、体が必要とする以上の水はいれないように、と先生。

「膀胱炎の予防の問題はどうなるのでしょう?」と尋ねると、「膀胱炎になったときはちゃんと対応しますから、極力飲まないように」とのこと。

 水を飲むと、どうしても空気を一緒に飲み込むのでガスが溜まりやすくなり、おなかも冷えてしまうのだとか。

 とにかく、ゲップをよく出すようにといわれました。また出しかたにコツがあるそうで、ゲップゥー!という勢いのよいのは駄目で、ゲ・プと静かに出すのがよいそう。

 湿疹の痒みが強まったといいましたが、わたしに我慢できるなら、胸からおなか、背中の痛みの改善に専念したいそうです。

 湿疹はわたしにはつらいのですが、先生にお任せしますと答えました。でも、湿疹になったうなじと左耳の写真を撮られましたよ。

 本をお書きになるからなあ、嫌だわ、写真。今日は、見習いらしい男性もいらして、何だかモルモットになった気分でした。〔後日:すぐに画像を見せていただいたので、わたしに湿疹になった患部を見せるための撮影だったのかもしれません。〕

 薬が変わりました。トウキトウ(当帰湯)は同じですが、湿疹に出ていた薬が消え、アンチュウサンリョウ(安中散料)が加わりました。

 このアンチュウサンリョウを検索して出て来た副作用、何か嫌だなあ。過去に治療を受けていた慢性膵炎の話が出て、アンチュウサンリョウはそれにも効能があるようですが……。

 ネット検索してみると、胃腸を安らかにする薬とありました。

 構成生薬は、桂皮(ケイヒ)、延胡索(エンゴサク)、牡蛎(ボレイ)、茴香(ウイキョウ)、甘草(カンゾウ)、縮砂(シュクシャ)、良姜(リョウキョウ)。

 わたしは頻脈の症状についてお話ししたかったのですが、今日はできませんでした。

 頻脈さえ治していただければ、砂漠の民になろうが何になろうが……ああ、週一の通院は、わたしには続きそうにありません。

 方針の定まる最初だけだとは思いますし、治れば、通院も必要なくなるわけですが、通院2回目にして何と、早くも挫けそうなわたしです。湿疹、痒いわ(T^T)

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シネマ『アバター』のめくるめくばかりの魅力

 3Dの吹き替え版で観た。

 昨年から、芸術性を謳っているわりには俗っぽいシネマにばかり当たって、食傷気味だったが、これは当たりだった。最高級の娯楽映画の一つといってよいだろう。

 たまたま時間帯の関係から吹き替え版で観たが、3Dで観る場合は吹き替え版も悪くない。目の疲れかたが少なくて済むのではないだろうか。

 3Dの映像はまさに飛び出す絵本ならぬ、飛び出す映画だった。

 映像がこちらに限りなく接近してきたり、こちらから入っていけそうな錯覚を覚えたりする。少し汚れた戦闘機の窓から下界を眺める登場人物に、乗り移ったかのような臨場感。

 羊水のような液体に浸かって育っていたアバターのすこやかな目覚め。アバターに入り込んで、その肉体を操縦し始める主人公。

 それは肉体を魂の乗り物と解説するヨガ哲学の奥義を、動く知育絵本にしたかのようで、娯楽を極めれば東洋哲学に近づくという、アメリカ的商業主義の爛熟の極み――ある到達点――を示しているとさえ思えた。

 『アバター』のストーリーを見ると、アメリカが生んだ物語の原型ともいえるインディアン物語だった。それはアメリカの良心が生んだ物語といえる。

 戦闘による負傷で脚が不自由な主人公ジェイク・サリー(サム・ワーシントン)は、資源の枯渇した地球の商業的プロジェクトの一員に選ばれ、意識体として参加することになる。

 パンドラという星に、そこの住人を肉体的になぞった生命体アバターの意識として送り込まれたのだった。

 プロジェクトの目的とするところは、パンドラに眠る資源――特殊な鉱物――の獲得だ。パンドラの住民にとって、それは縦(先祖)と横(動植物)の関係を支える森の基盤となっているため、その獲得には交渉か略奪かしかない。

 交渉は難しいと判断され、武力行使が行われる。

 アバターになりきったジェイクは住民側につき、戦う。その戦闘のなかで、地球人の科学者として中立の立場を貫いてきたグレース(シガーニー・ウィーバー)は、命を落とす。

 グレースを死なせてしまったところに、この映画のテーマに迫る力不足を感じさせるだけでなく、そこから何か、若くして帝国主義を完成させたアメリカという一国家の文明的限界点までも透けて見える気がした。

 グレースという知的指導者を失ったジェイクは、最終的に人間としての自分を棄て、アバターとして生きていくことを選択するが、それはロマンティックな盛り上がりによるテーマの誤魔化しともとれるのだ。

 なぜなら、住民の具体的な生活面が描かれていないために、パンドラは一見、ある種の桃源郷のようにも見えるが、彼らの内面の動きは人間と何ら変らず、地球の人類の問題は彼らの未来の問題でもあることは明らかだからだ。

 ジェイクもまたアメリカンヒーローらしく、考えることはそこそこでやめ、アットホームな情愛という羊水に退行していった。

 ……と、まあ、作品の深みという点で物足りなさが残ったとはいえ、ジェイクの意識を容れたアバターの表情と行動はみずみずしさに満ちていて、魅了された。

 彼がパンドラの植物と触れ合い、奇怪な動物に対峙し、住民と交わって恋をする場面は、3D映画の立体的表現により、手を伸ばせば届きそうなリアリティがあった。それだけに、蜃気楼のようなはかない美しさを際立たせてもいて、2時間42分が長いとは感じられなかった。

 おすすめ映画。

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遊びすぎのツケかな

遊びすぎのツケかな

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2010年1月14日 (木)

これからアバター

 パークプレイスに行ったら、機械が壊れていて、2Dだったら観られるとのこと。

 わさだタウンで3Dを観ることに。丁度いい時間が吹き替え版しかありませんでしたが、まあいいかということでGo-!

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8日に、漢方クリニック(内科クリニック)/呼吸器クリニックを受診

 8日に、漢方クリニック(O内科クリニック)、呼吸器クリニックを受診しました。以下の記録には、過去記事と重複する部分があるかもしれないことを、お断りしておきます。

クリニック内科クリニック)

 午後3時を回っていた時刻で、待っている患者さんは10人もいないくらい。娘が一昨年季節性インフルの予防接種、昨年冬に風邪で受診したときは大変多かったみたいだったので、少なくてよかったと思いました。

 初診でしたので、問診表に記入しました。具合の悪いところの記入欄には、湿疹・食後に上腹部に圧迫感や軽い痛みがあると書きました。飲んでいる薬の記入欄には、心臓病薬インデラル・ヘルベッサー、アイトロール・シグマート・ニトロペン(頓服)、喘息薬フルタイドと書きました。

 手術歴の記入欄には、例として盲腸手術が挙げられていました。書く必要があるのかどうか迷いましたが、一昨年の(頭蓋骨腫瘍)生検術を記入しました。

 診察室は、ごく普通の内科のそれという感じでした。

 娘が風邪で受診したとき、O先生の第一印象を尋ねたわたしに、娘は「校長先生みたい」といいました。診察室に呼ばれて入ったときにこちらに顔を向けられた先生はなるほど、校長先生……。あるいは行政機関の長といった、総合力、統率力を秘めた人物という印象でした。きりっとした感じの人。

 でも、初対面のような気がしませんでした。夢で3回もお目にかかっていたからでした。以下はその夢〔わたしの外部サイトになります〕。

2008年12月14日
http://clail.seesaa.net/article/111223177.html

2008年12月2?日
http://clail.seesaa.net/article/111814209.html

2009年01月08日
http://clail.seesaa.net/article/112303868.html

 先生のお写真をネットで2枚閲覧したことがありましたが、そのときはぴんと来ませんでした。

 というのも、1枚は若いときのお写真なのか、別人みたいでしたし、もう1枚は実際より相当に老けたように写っていらっしゃいましたから。夢のほうが、現実に見る先生の全体のご様子やお顔を精確に写しとっていました。

 ただし、夢の状況やストーリーは、現実とはかなり違っているようです。夢解釈ではどうなるのかはわかりませんが。レッドクロスのU先生とご一緒の場面は、以前O先生がその病院の内科部長をしていらしたからでしょうか。いずれにしても、夢の世界では、1年も前に先生にお目にかかっていたのでした。

 診察では、最初に手を出すようにいわれました。先生は、わたしの右手を鷲摑みにするようにぐっと握り締めて、目をのぞき込むように見つめられ、ちょっと怖いくらいの真剣なお顔で、「芯から、冷えているね」とおっしゃいました。そして、「脈を測らして」といって脈をとられ、次に舌を出すようにいわれました。

 漢方の診察では舌とおなかを診られると聞いていたので、事前に舌の観察をしていきました。

 いつもより時間をかけて歯を磨いたのは勿論のこと、舌も歯ブラシで軽く手入れし、鏡に向かってべーして、どんな風に見えるか、観察してみました。平均的な舌がどんなものかがわからないので、こんなものかなと思うしかありませんでした。

 先生は、お手本にご自分の舌を出して見せてくださいました。先生の舌もそうですが、何かの拍子に他人の舌を見て、わたしはよく思うことがありました。舌が長い、そして血の色に近いくらいに濃く赤い。

 逆にいえば、わたしの舌は短くて、薄い白っぽい色をしているのですね。薄い珊瑚色をしています。舌が短いから、おしゃべりなのかしら。短い舌って、ひらひらおしゃべりするには好都合なんです。

 そのわたしの舌を見て、先生はホラー映画の一場面か何かのように、目を見開いて後ずさりなさるではありませんか……!  わたしの舌のどこがどうだというのでしょう!

 一呼吸置いて、先生はおっしゃいました。「冷え性そのものの舌だね」

 冷え性の舌とは、漢方医にとっては怖いものなのでしょうか。自分が冷え性だという自覚がなかったので、それも意外でした。そういわれると、自分には雪の女王の息がかかっているような気がしてきました。先生のリアクションの強さに、舌のどこを診て冷え性だとわかるのか、質問しそびれました。

 考えてみると、わたしは昔から夏のほうが好きで、食欲も増進します。長靴下のピッピのように足を出して寝る夫は手も温かですが、わたしは冬はアンカがほしくなり、手もいつも冷たかった気がします。ただ、とても痩せている夫は皮下脂肪をたっぷりと蓄えたわたしより、明らかに寒がりです。わたしは、しもやけになったことはありません。

 若い頃は別々の知り合いから「Nちゃんの傍にいると温かくなる。子供みたいに体温が高いのね」といわれたことも一度ではありませんでしたから、加齢や病気、投薬治療などによる体質変化により、昔より冷え性になったのかもしれません。また、漢方でいう冷え性という概念が、わたしが素人感覚で漠然と想像している冷え性と同じかどうかもわかりません。

 そのあと、診察台に横になり、血圧測定と腹部の診察がありました。先生は、ご自身の左の手を反響板に見立てたかのように、掌を広げて患者であるわたしのおなかに当て、その左手の甲に、拳にした右手でノミを打つかのようにトントン。おなか一面――上腹部から下腹部まで――トントン、トントン。まるで大工仕事を見るかのようでした。

 先生は「胃に冷たいガスが沢山溜まっている」とおっしゃいました。わたしは、慢性膵炎といわれて治療を受けていた昔のことをお話ししました。そのときも、今と同じような状態だったのだろうとのこと。

 食後、左上腹部に圧迫感や痛みを覚えるのは、食べ物が入ることによってガスが胃の上部に押し上げられるためだそうです。時間が経つと、そのガスは腸へ下りてきて、今度は下腹部が張ることになるわけです。そして、ガスは排便と共に排出されている現状なのだとか。

 冷たい物は控えるようにとのことでした。柿、梨もいけないそうです。どれも好きなわたしには酷なドクターストップでした(早くも、翌日のランチ・バイキングでうっかりアイスクリームを食べ、禁を破ってしまいました)。早食いもいけないとのこと。恥ずかしながら、わたしはかなりの早食いをするほうです。

 先生と机の前の椅子に戻り、わたしはこれまでのことを、まとまりを欠いたままお話ししました。いろいろと訴えすぎて、許容量を超えていたらしく、先生はパニック気味のお顔。反応や表情の豊かな先生です。また先生は、患者から話を引き出すためのムード作りがお上手ということもいえるでしょう。それで、わたしはしゃべりすぎたのです。

 カルテにペンを走らせながら、「心臓は完璧な薬が出ているね」と先生。そして、何度か「喉が痛くない?」「夜中に動悸がして目が覚めることはない?」と訊かれました。それに対してわたしは、「いいえ。狭心症の前兆らしい鋭い喉の痛みがまれに起きることはありますが、ニトロで治りますし、動悸はインデラルのお陰でしません」なんて、答えてしまいました。

 帰宅後に自分の体を改めて観察してみると、喉には狭心症の前兆から来る鋭い痛みとは違ったヒリヒリする痛みが慢性的にあること、睡眠中に動悸で目覚めることがあることにも思い至りました。

 クリニックでは建て前で回答した――というわけでは決してないのですが、当たり前のことになってしまっていて、意識化できなくなっていたのです。冷え性の件についてもそうでしょう。

 わたしの様々な訴えや症状は先生を「うーん」と考え込ませ、深いため息をつかせてしまいました。2度も。そして、当帰湯という薬を出してくださいました。その薬は、「胃痛、狭心症の痛みもとる薬でね。胸から胃、背中にかけての痛みをとるんだよ」と先生。

「湿疹もあるっていったね? 湿疹はねー、困るんだよね。どこ?」と訊かれ、わたしは左耳を先生のほうに向けて、「左耳の中に湿疹があり、耳垂れがします。耳鼻科でステロイドを出していただきましたが、つけなくなると、またすぐに湿疹になります。うなじにもあります」といいました。

「汁が出るんだね? それじゃ、あれだな! うん、僕は、絶対にあれがいいと思った」と、先生はまるで見えない識者と話しているみたいに不思議な会話(ひとりごと)をなさり、消風散という薬を出してくださいました。「薬は、食事をする前にたっぷりの湯で飲んで。来週、また見せてくれる?」と先生。「はい。ありがとうございました」といって、わたしは診察室を出ました。

 診察室のすぐ前の椅子には、次とその次に受診する患者さんが待機していました。ロビーで薬と会計を待つ間、ドリンクサービスの種類の中でコーヒーが目に入り、飲もうとしたら、呼ばれてしまいました。3割自己負担の会計は、初診料、投薬料合わせて1,790円でした。以下は、今回の処方。

トウキトウ(当帰湯)2.5g⇒1日3回、7日分。毎食後。
ショウフウサン(消風散)2.5g⇒1日3回、7日分。毎食後。

 漢方薬を飲みだして気づいた体調の最も大きな変化としては、冷たかった手がずっと温かなこと。それにつれて、ひどかった眠気が軽くなりました。体がひどく冷えるせいで、眠くなっていたのでしょうか。まさか、本当に冬眠しかけていたのかしら。喉のヒリヒリする痛みも軽くなりました。

 また、食後の上腹部の圧迫痛がほぼなくなりました。そして、ゲップがしきりに発生します。そのゲップがうまく出ず、30分くらい苦しい思いをすることがあります。お通じは、いいような悪いような感じで、腸が活発に蠕動しているせいか、下腹部が不快なことがあります。

 心臓の発作は起きかけても小さなもので、ニトロを舌下せずに済んでいます。脈がバラバラに打っているように感じられる不整脈が、何度かありました。股関節の痛み、膝の痛みも起きませんが、心臓や関節の調子には波があるので、漢方薬の作用によるものかどうかは、わたしにはわかりません。

 湿疹の痒みは、体が温まるせいか、副作用のせいかはわかりませんが、むしろ強まりました。

 ネット検索してみると、体を温め、胃痛や胸痛をやわらげる当帰湯には、湿疹の副作用があるとのこと。反面、湿疹に出して貰っている消風散には、下痢・食欲不振・胃部不快感などの副作用があるようです。薬の組み合わせって、難しいもののようですね。

 当帰湯の構成生薬は、当帰(トウキ)、桂皮(ケイヒ)、芍薬(シャクヤク)、半夏(ハンゲ)、厚朴(コウボク)、人参(ニンジン)、黄耆(オウギ)、山椒(サンショウ)、乾姜(カンキョウ)、甘草(カンゾウ)。

 消風散の構成生薬は、荊芥(ケイガイ)、防風(ボウフウ)、蒼朮(ソウジュツ)、木通(モクツウ)、石膏(セッコウ)、知母(チモ)、苦參(クジン)、地黄(ジオウ)、当帰(トウキ)、牛蒡子(ゴボウシ)、胡麻(ゴマ)、蝉退(ゼンタイ)、甘草(カンゾウ)。

 ずいぶん、いろいろなものが入っています。

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 出していただいた漢方薬を飲むと体が温かになり、いつもの心臓薬を飲むと体がさっと涼しくなります。体の中で起きる温冷の変化がありありと感じとれ、神秘的に感じられるほどです。

呼吸クリニック受診

 呼吸器クリニックでは、新型インフルエンザワクチンの接種を勧められました。「足りないとテレビで騒いでいましたが」というと、「大丈夫ですよ~、在庫あります」と看護師さん。

 子供たちのぶんを奪うことにはならないみたいなので、接種を希望し、打って貰いました。この地区では、子供は下火で、大人がチラホラかかり出したとか。

「ワクチンの効果が出るまでには、2~3週間かかるので、注意してください」と先生。接種後に、『新型インフルエンザ予報接種済証』という証明書をいただき、驚きました。季節性のときとは違うんですね。

 証明書には、優先接種対象者などの範囲(わたしの場合は基礎疾患を有する者に〇)、予防接種を行った年月日などが記入されていました。

「次回の接種からは、新型と季節性が混合になると思います」と先生。「1回で済むようになるのですか?」とお尋ねすると、「ええ」とのことでした。

「とにかく、寒い間は注意していてくださいよ。メプチンエアーは大丈夫だったですか?」と先生。使わずに済んだので、まだありますと答えました。

フルタイド200ディスカス 1回1BL 夜1回 

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2010年1月12日 (火)

今日の夕飯

今日の夕飯

 サボっていた夕飯の記事ですが、極力作るようにしています。

 向かって右上のサイドディッシュは、サイト「ウーマンエキサイト」レシピの『サヤインゲンの炒め物』を参考にさせていただきました。

 ツナと野菜の炒め物に、オイスターソースとしょうゆが絡んで、バターがほのかに香り……とても美味しくて、家族に好評でした。

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遊び呆けた昨日

 深夜に目が覚め、携帯から更新しています。

 昨日はランチしたあと、わさだタウンに出かけ、遊び呆けました。

 夫は映画『アバター』を観に行き、わたしは娘の服選びにつき合いました。

 独身の頃は全くファッションに興味がなかったので、もっぱら母の服選びに仕方なくつき合ったものでした。現在はおなかが治って萎んでくれないと、ファッションどころではないのですが、服を見るのは楽しいので、娘の服選びにつき合うかたち。

 告白すると、わたしはランチでおなかを壊し(胃腸の治療中なのに、バイキングに行くなんて、子供のすることでした )、半分はわさだタウンの個室で過ごしました。

 娘は、ケティで白いキャミソール(襟元にあしらった銀色の水玉模様がお洒落)と、膝上くらいの丈をしたグレーのショートパンツ(折り返しが可愛い)を買い、iiMKで芥子色のカットソーを買いました。

 近頃、外出のしすぎで、ろくにパソコンも開かずじまいなので、今日と明日は、真面目に記事の更新(漢方クリニックの受診記録をかきかけていました)と自作童話をやり、木曜日に今度はパークプレイスに遊びに行きます。

 そして、金曜日は漢方クリニックの受診。

 ところで先日、同じ市に住む同人誌仲間(先輩というべき人)のFさんから留守電が入っていました。

 またかけますとありましたが、会合のお誘いだろうと思い、こちらからのかけ直しはしないままです。金曜日のクリニックの帰り、会合場所になっている(溜まり場というべきか)カフェに、顔を出すつもりなので。

 火曜日と金曜日は、そこにどなたかいらっしゃると聞いています。空振りでも、そのカフェに行ってみたいと思います。

 わたしは昨年の暮れ、Fさんと話題にしたある文芸事情(文芸風俗というべきか)について意見があり、彼の意見を聞きたいのです。

 クリニック疲れで行けなければ、電話してでも意見の交換がしたいのですね。文学にとっては、大事な問題だと思えるので。この件については、また後日。

 映画に行った夫によると、『アバター』のストーリーは火星物を連想させる単純さだったそうですが、3D映像には迫力があったとか。

 人がいっぱいで最前列しか座席の空きがなく、ずっと仰向きになっていたため、首が疲れたそうです。目も、いくらか疲れたとか。

 パンフレットを観ると、シガニー・ウィーパーが出ているみたいだし、観たくなりました。木曜日に娘と観る予定。『のだめ』を観るつもりでしたけれど。夫は、今度は『2012年』を観るんじゃないかしら。

 4連休中の娘は、水曜日には職場の仲間と遊びに行くそうです。

 わたしは今月と来月で40枚書かなくてはならないのに、今年に入ってから遊びすぎている気がします。

 遊んでいるか体調崩しているかのどちらかだなんて、ミューズに見放されちゃうわ!

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2010年1月11日 (月)

東洋ホテルのランチ・バイキングⅡ

東洋ホテルのランチ・バイキング

 灯台下暗し、とはこのこと。ホテルのバイキングは、値段に関わりなく、質も様々ですが、ここのは想像以上によいものでした。

 大分東洋ホテル1階、VISTA Terraceです。

 ワタクシ的ランキングでは、岡山全日空ホテルのカフェレストラン、ウルバーノに次ぐ位置です。

 以下は、ウルバーノに関する過去記事です。

ディナーにもランチにも超おすすめ、『フレンチ カフェレストラン ウルバーノ』
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/01/post-05a1.html

1月2日の夕飯(メインディッシュに選んだ肉料理)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/01/post_783b.html

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東洋ホテルのランチ・バイキングⅠ

東洋ホテルのランチ・バイキング

 自宅から歩いてすぐの東洋ホテルに、休日の夫、娘と一緒にランチに来ています。

 美味しそうなものが沢山あるので、おなかの不調を忘れて、つい、あれこれ……味噌ラーメン、焼き上がったばかりのクレープも美味しそう!

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2010年1月10日 (日)

薬の飲み疲れ

 パソコンから、漢方クリニックの受診記録をアップしておかなければ、と思いつつ、薬の飲み疲れ(?)で横になっています。

 おなかの具合も悪いのです。

 クリニックに出かけたとき、自分としては、おなかの具合はよいほうで、すっきりしたいい感じ(のつもり)だったのですが、診察時、わたしの胃には冷たいガスが沢山溜まっているといわれました。

 他にかかっているどの先生も、わたしのおなかの膨らみはガスとおっしゃいましたから、同じ見立てです。

 で、それによい薬を処方していただいき、昨夜はおなかの具合がすばらしくよく、上腹部の圧迫感も痛みも全くありませんでした。食事をすると、ガスが胃の上部に押し上げられていたための症状だったそうです。

 今日は、昼に薬を飲んでから、よくありません。

 ガスが、喉から腸に至るまで薄く充満している感じで(あくまでイメージです)、何ともいえない不快感です。自分のガスで、ガス中毒になったりしてね。ほほほ……。

 わたしはいつ頃からか、ゲップやオナラがうまく出ません。

 ここに引っ越して来てまる4年になりますが、越して来た頃は、おなかがパンパンになって、やたらと小さなプスプス……公害を発生させたりしていました。循環器クリニックでも呼吸器クリニックでも、あれこれ整腸剤を出して貰っていました。

 今はゲップもオナラも出にくく、胃や腸に妊婦かと思われるくらいに、冷たい――と先生は強調なさいました――ガスが溜まっていたというわけです。

 以下の写真は、恥ずかしながら例の旅行中の写真ですが、これで何と食事なのです。1日1食にしてからは、食事前にここまで出ることはありませんが、何にしても異常に思え、何とかしたいと思っていたのでした。

 漢方クリニックを受診した理由の一つがそれでした。

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 食事をして時間が経つと、ガスが胃から腸に下りてきて、今度は下腹部が膨らみ、そのガスは排便時に排出されている現状だそうです。尾籠な話が続いて、すみませんでした。

 錠剤だと何錠でも難なく飲めますが、わたしは顆粒状が苦手です。漢方薬を沢山の湯で飲み、苦いのでキャンディをガリガリ……1日1食でわたしなりにバランスのとれていた食生活がキャンディの間食で乱れたせいか、あるいは湿疹に出して貰っている薬の副作用のせいか、気分が悪く、何だか薬の飲み疲れといった模様でもあります。

 ネット検索してみると、湿疹に出して貰っている薬には、下痢・食欲不振・胃部不快感などの副作用があるようです。反面、胃腸の働きを改善し、狭心症の痛みをとる薬には、湿疹の副作用があるようで……。薬と薬がボクシングしているみたいだわ。

 わたしの様々な訴えと症状は、「うーん……」といって考え込まれた先生に、深い溜め息をつかせてしまいました。2度も。

 でも、漢方薬の作用でしょう……服用を始めてから、手があったかいのです。

 受診時、わたしの手は、「芯から冷えきっているね」といわれました。案外、自分では気づきませんでしたが、いわれてみると、手はだいたいいつも冷たかった気がします。

 やはり受診記録は、パソコンからきちんとつけておかなくては。もう少し、気分がよくなったらね。

 午前中、自作童話の今後の執筆計画を再考しました。それを考えると、横になってばかりも、いられないのですが……。

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2010年1月 9日 (土)

朝の薬を飲み損ないました

朝の薬を飲み損ないました

 漢方クリニックを受診した昨日。

 その夜から、いつもの心臓の薬(インデラル・ヘルベッサー・アイトロール・シグマート)と喘息の薬(フルタイド)に加えて、漢方の薬(当帰湯・消風散)を飲み始めました。

 気のせいか、夜遅い時間になって、わたしの胃に小さな煙突でもできたみたいに、ポカポカした温もりが上がってくる気がしたのです。不思議だわと思いながら、寝てしまいました。

 真夜中にぱっちりと目覚め、よい目覚めに驚きましたが、午前4時でした。また寝ようとしましたが、肩が痛くて眠れません。

 外出した翌日に当たるその時間帯には狭心症の発作が起き、ニトロを舌下しているのが、いつものパターンです。

 肩の痛みは狭心症の発作の前兆なのかもしれないと思いましたが、胸には何も感じられないままでしたので、眠るように努めているうちに眠ったようで、次に起きたときは正午でした。

 家族が出かけたのも知らなかったわけで、こんな時間まで薬を飲まずにいると、胸の圧迫感や動悸で苦しく、薬を飲もうにも思うように身動きできず、半べそかきながら何とか薬を飲むのが、いつものパターン。

 それが、この余裕ですからね。先に、携帯で記事が書けるんです。さすがに胸の圧迫感は感じますが、この余裕……ちょっと楽しみたいの。

 また、これまで胃もたれがあったことを知りました。他にも、慢性化していたために気づかずにいたのが、狭心症の前兆として起きるのとは異なる慢性的な喉の痛み。

 時々起きる動悸も、あまり意識していませんでした。インデラルでコントロールできていることが多いのですが、確かに時々起きています。

 漢方の先生からしきりに「喉は痛くない?」「夜中に動悸がする?」と訊かれたとき、わたしは「いいえ。狭心症の前兆らしい鋭い喉の痛みがまれに起きることはありますが、ニトロで治りますし、動悸はインデラルのお陰でしません」なんて、いいました。

 まるで建て前で回答したかのようですが、いつもそうだと、当たり前のことになってしまい、意識化できなくなったりするのですね。

 漢方の服用によって、いつもとは体調が違うせいか、自分の体を見つめ直したせいか、慢性的な喉の痛み・胃もたれ、時々起きる動悸に気づきました。 

 あ、やばい! 記事に時間をかけすぎて、左腕が痺れてきました。それに、心臓がたった今、変な打ち方をしました。

〔ここでニトロを舌下。記事など書かずに薬を飲んでいれば、使わずに済んだはずのニトロペンでした。反省。〕 

 これから薬を飲みます。

 昨日の詳細な受診記録は、あとでパソコンからアップします。

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2010年1月 8日 (金)

漢方の先生が後ずさり

 漢方クリニックと呼吸器クリニックを受診しました。

 漢方クリニックで、わたしの舌は先生を後ずさりさせたほどに(驚きましたよ)、「漢方的にいうと、冷え症そのものの舌だね」だそうです。

 自分が冷え症だとは、知りませんでした。

 胃腸に作用し、狭心症の痛みもとる薬と、湿疹によい薬を貰いました。

 いろいろとお話ししたことや、珍しかった漢方の診察の仕方など、外出先なので、詳しいことは帰宅後に書きます。

 ちなみに、わたしに循環器クリニックで出されている心臓の薬について、「心臓は、完璧な薬が出ているね」とのことでした。

 呼吸器クリニックでは、新型インフルエンザワクチンの接種を勧められ、「足りないとテレビで騒いでいましたが」というと、「大丈夫ですよ~、在庫あります」と看護師さん。

 子供たちのぶんを奪うことにはならないみたいなので、接種を希望しました。この地区では、子供は下火で、大人がチラホラかかり出したとか。

「効果が出るまでには、2~3週間かかるので、注意してください」と先生。また、「肺の悪い人(と先生はおっしゃいました)は、家中で一番よい部屋で寝てください」とのこと。夜間も、あたたかな空気の中で過ごすように、という意味らしいです。

 漢方の先生に初めてお目にかかり、大きなものにフワッと包まれた気がしました。勧めてくれた入院仲間や娘に感謝……です。

 詳しいご報告は帰宅後、明日になるかもしれませんが、気持ちが明るくなっただけでも漢方クリニックを受診してよかったと思っている旨、お伝えしておきたく、外出先から書いた次第です。

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2010年1月 7日 (木)

循環器クリニック受診(「薬を使わなかったら140からある脈が58だよ」)

 3軒回る予定が、1軒しか受診できていません。

 循環器クリニックを受診したあと、漢方へ回るには時間が足りなくなり、一旦帰宅したのがいけませんでした。疲れて、爆睡。

 血液検査の結果は次回。「先生から追加オーダーということで、心電図とレントゲンを希望したいとのことですが、如何なさいますか?」と、採血前に看護師さん。

「お願いします」とわたしはいいましたが、クリニックというところは、ずいぶん患者に対して恭順とさえいえるような姿勢を示されるものだなと改めて驚きました。

 この市に引っ越してきてずいぶんになりますが、それまでのかかりつけは総合病院で、患者から検査を希望するなど、あまり考えられませんでした。いや、この市でも、副甲状腺を診て貰っているレッドクロスの内科では、あくまでドクターの指示に患者が従うというかたちです。

 クリニックを主たるかかりつけとしてから、ちっとも血液検査がないのね、と不満でしたが、昨年も暮れになってようやく、絶対的に必要でドクターから命令が下る最低限の検査以外の検査は患者が心がけるべきものだと知りました。これは、呼吸器クリニックでも同様で、漢方のクリニックを受診した娘によれば、漢方でも、こちらからオーダーしたもののみ診ていただけるようでした。

 病院の多いこの市では、そのような総合病院と個人病院の棲み分けがなされているのでしょうか。

 心電図は通常の心電図の他に、手首と足首だけの長めの心電図もとられました。「うん、基本形は崩れていない」と満足そうに先生。 そして、正面にはわたしの心レントゲンの写真がライトアップされたまま、先生はおしゃべりに夢中。

 何でも、主婦作家がテレビに出ていたそうで、「頑張ってねー、Nさん。Nさんが作家になってテレビに出るときは、僕も一緒に出して貰うから。その賞をとった女の人はね、すごく痩せた、ごく普通の女の人だったよ。それで作家なんだそうだ。Nさんにはぜひ、頑張って作家になって貰いたいなあ」と、何やら興奮気味の先生ですが、そういう場合は、先生は先生でも、主治医とではなく、恩師とテレビ出演するのが一般的なのではないでしょうか?

 心臓のレントゲン、前のものと大きさを比べてほしかったのですが、気持ちよさそうにおしゃべりしている先生に対して、物がいえませんでした。見ただけで大丈夫だとおわかりだから、おしゃべりを楽しんでいらっしゃるのでしょうけれど。

 昔話になりますが、まだインデラルを使い始めた頃、その前後の心臓のレントゲン写真を、そのときの主治医が2枚並べられたときは、大きさの違いが歴然としていました。頻脈にひたすら耐えていた治療前の写真と比べて、治療後の写真は心臓が縮んで見えました。縮んで見えるほうがわたし本来の心臓の大きさで、インデラルの服用により、心臓の状態がよくなったのだと説明を受けました。

 今回も、形式的にでも2枚を並べて説明してほしかったと思いました。今日はいい出せませんでしたが、また撮って貰ったときは(いえ、わたしがそれを今度オーダーしたときは)、前のものと並べていただくよう希望したいと思います。

 「薬を使わなかったら140からある脈が、ここまで抑えられるんだからなあ。58だよ」と、データを見ながらひとりごとのような、しみじみとした口ぶりの先生。時々、自分の世界に浸っていらっしゃるように見えたりもする、先生です。

 わたしは「えっ、いくつとおっしゃいました?」と訊き返しました。「58……」と先生。普段、わたしの脈拍数はだいたい70~80くらいです。「少なすぎませんか?」といってしまいましたが、先生は微妙な表情をなさっただけで、問題ないようでした。

 体重は、昨年の同時期より4キロ減ったそうです。「痩せたねー」と先生。見かけが変わらないのは、喜ぶべきなのか、哀しむべきなのか。「バナナダイエットは利くそうですね」とわたし。「へえー」と感心したように先生。わたしはやってませんが。おなかの問題をここで繰り返す気はありませんでした。前に何度も訴えて、問題ないといわれたことですから。

 血圧は120―80。それなのに、よくめまいがするのはなぜなのか、先生に伺いましたが、原因はわかりにくいようです。日頃、自分で血圧を測ってみるのがいいようです。 何だかずいぶん不満を書いてしまいましたが、先生の治療のお蔭で、心臓の状態は良好に保たれているようです。

 考えてみると、これだけ心臓系の薬を飲んでいれば、体力が低下したり(まさに機能を低下させることで心臓の負担を軽くしているわけですし)、めまいがしたり、といったことは不思議でも何でもないな、という気がします。

 何にしても、先生から大丈夫といわれると安心します。作家になって、先生とテレビ出演しなくてはね。頑張りますわ、わたし。そうお約束しましたよ。薬はいつもと同じです。

インデラル錠10mg ⇒ 1日3回、毎食後、40日分
ヘルベッサーRカプセル100mg. ⇒ 1日2回、朝・夕食後、40日分
アイトロール錠20mg ⇒ 1日2回、朝・夕食後、40日分
シグマート錠5mg ⇒ 1日3回、毎食後、40日分
ニトロペン舌下錠0.3mg⇒胸痛発作時10回分

 漢方に回らずに帰宅したわたしに、がっかりしたらしい休日の娘は、まるで母親みたいに「漢方のクリニックに電話して、湿疹だけでも見て貰えるか、訊いてあげようか?」といいました。湿疹だけでもいいとなると、心臓にさわられるかもという不安で受診できないわたしでも、軽い気分で受診できると思ったようです。

 それだけ娘に対して、わたしの体力低下は不安を与えている様子。わたしは眠くて、電話をかけるのがしんどかったので、電話をかけてくれるという娘に任せました。「湿疹だけでも普通に診てくれるみたいよ」と娘。

「ありがと」と返事して、寝てしまいました。明日、漢方のクリニックと呼吸器クリニックを受診する予定です。 

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相変わらず、携帯から

 めまいがしたり、やたらと眠かったりで、もしかしたら、わたしには冬眠の習性があるのかもしれません(?)。

 明日循環器クリニックを受診すれば、血圧の低いせいかどうかがわかります。

 前にフラフラするので、てっきり血圧が低くなっているせいかと思っていたら、むしろ高かったことがありましたから、案外(わたしの場合は)自覚症状があてになりません。

 ちなみに、わたしは生まれて一度も貧血というものには、なったことがありません。

 午前中は心臓の調子が悪かったりするので、支度しかけて座り込み、受診せずに終わった……なんてことにならないよう、明日の循環器クリニックの初受診をきちんと済ませなくては。

 午後には、呼吸器クリニックを受診する予定。そのあと、休日の娘と待ち合わせてランチかティータイムといきたいです♪

 漢方のクリニック、明日の午後は休診となっています。循環器クリニックが早めに終われば、漢方も受診したいと考えています。

 漢方を受診できたら、食後に左上腹部に圧迫感を感じたり軽い痛みがあったりすること、悩まされている湿疹のことなどを訴えたいと思っています。

 便通は普通にあるのだから、循環器クリニックの先生や内科のU先生がおっしゃるように、何の心配も要らないだろうとは思いますが、わたしの感覚からすると、便通が正常なのに圧迫感や痛みのあることが不思議なのですね。以前はそんなこと、ありませんでしたから。

 ところで前の記事の創作メモ……付け足しや直せつ的すぎるエンディングの再考など、書き直しておきたいのですが、パソコンが遠いわ。

 話は変わって、夕方、息子から電話がありました。

 息子の勤務はフレックス制です。早起きの息子は、早朝に出勤し、午後4時半に会社を出ます。

 で、寮の食堂に食事に行くのが午後6時半。その間ぐらいに、わたしには電話があることが多いです。バランスをとっているのか、わたしと娘に交互に電話があるのですが、娘には就寝前にかかることが多いです。

 息子はまだドクター進学をしていませんが、既に研究に入っていて、難問が一つ解決したとか。ずっと大学院生みたいで、不思議。

 正月三が日は、寒いので引きこもっていたそうで。暮れに友人の女性と会ったとか。

 彼女とは同じ大学の同じ科。研究室は違いましたが、マスター時代も近い存在。就職も同じグループの会社とあって、彼女は大阪、息子は東京と離れていますが、彼女の実家が関東で、息子は何かと関西方面に行くことも多いので、ちょくちょく会うようです。

 彼女には古風な趣があるそうで、華道などのたしなみがあり、文学も好きで、理系に進んだのは生活のためだとか。

 外交官のお嬢さんらしいのですが(英語はペラペラだそう)、経済感覚は息子と同じように地味らしいです。ちょっと変わったところがあるらしいのですが。

 いやいや、息子の話を聴いていると、彼女に対する温かなものが感じられて、なかなかよい感じなのですが、「友人だよ」と息子はいいます。

 何にしても、一緒に過ごして楽しい人みたいなので、大事にしてほしいなと思います。

 携帯で長話しているうちに、こんな時間! 明日はクリニックめぐりで忙しいので、入浴して寝なくては。では。

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2010年1月 6日 (水)

Notes:不思議な接着剤 #35

〔※携帯からのメモです。この文字が消えるまでは、書きかけと思ってください。〕

 電器店の倉庫の先にくっついた鍾乳洞の天井近くの横穴から入ると、うっすらとした湿気が子供たちの体にまとわりつく。
 岩には所々に緑色の苔。洞内はあちこちにある穴から洩れてくる光がわずかにあるが、概ね闇であるはずだった。それが、かなり広範囲にわたってほの明るいのは、竜のオーラのためだった。

 子供たちは、それを光る岩と思う。

 竜はあまりにも長い間、苔だけを舐めて生きてきたため、今や半分はあの世の体で生きているのだった。竜は、自分でも気づかないまま聖獣になりかけていたのだ。

 洞内に囚われている錬金術師の娘の名は、マリー(Marie)。

 マリーは、『マリヤによる福音書』をシンボライズする娘。彼女はまさに、東西の思想を一つにするためのミッシング・リンク、失われた輪をシンボライズする。

 鍾乳洞に入り込んでいる中世ヨーロッパ風の世界は、異端カタリ派の最期の砦モンセギュールが陥落したのちの世界をモデルとする。

〔※J・ギース,F・ギース『中世ヨーロッパ城の生活』(栗原泉訳、講談社学術文庫、2005年)に、モンセギュールの包囲戦で、カトリック教会・フランス王家の連合軍によっても使用された武器……投石機の記述がある。わたしのお話に、モンセギュールの戦いを回想的に……錬金術師の娘を見張る番人たちの四方山話として……挿入したいので、ここに投石機について解説された部分を抜粋しておくこと。〕

 異端カタリ派の宝をめぐってはいろいろといわれている。

 〔※ここに、原田武『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991年)より、198頁・200頁から宝について触れた部分を抜粋しておくこと。〕

 わたしのこのお話『不思議な接着剤』では、その宝の中にミッシング・リンクがあったのだ。『マリヤによる福音書』のパピルス文書だ。

 ファンタジーの世界であるという特質を生かすために、鍾乳洞内に入り込んだ中世ヨーロッパ風の世界と子供たちとの間に、言葉の障害は設けまい。

 最終的に、竜は飛翔する。マリーを乗せて。彼女をもっと安全な地に連れて行くために、聖獣となった輝かしい竜はエジプト南部に位置するナイル河畔の町ナグ・ハマディの方角へ向けて飛び立ったのだった。

 お話のエンディングで、冒険が夢と化したのちの紘平、翔太が、別居中の父親と図書館へ出かける。

 工作で恐竜を作ったためか、恐竜好きとなった紘平は、ビジュアルCG版の恐竜図鑑を借りる。翔太は、竜の出て来る童話ルース・スタイルス・ガネット『エルマーのぼうけん』(渡辺茂男訳、福音館、1963年)を借りる。父親は『マリヤによる福音書』が収録されたナグ・ハマディ文書に関する研究書を借りる。〔←直截的すぎる。〕

 アルケミー株式会社製品のクッツケールは、実に想念という領域で、東西をくっつけることに一役買ったわけだった。

 白い猫が洞内で子供たちを錬金術師の娘マリーのもとに導くのを忘れるな。

 白い猫は既に駐車場で、カレンダーで子供たちを導いていた。

 この猫は、シリーズものとなる予定の続編でも出て来るだろう。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 ちょっと体調が悪かったのですが、材料があったので、頑張って作りました。

 服部幸應先生のレシピ『あさりとじゃがいものスープ』、土井善晴先生のレシピ『青梗菜と牛肉の炒め物』、焼き厚揚げです。

 携帯からなので、レシピのご紹介はしませんが、『あさり……』のレシピは過去記事の検索で出て来ると思います。

 焼き厚揚げには好みで 柚子胡椒か七味唐辛子、ぽん酢かしょうゆをかけました。

 前日に買ったあさりは、新聞紙に包んで野菜室に入れておきましたら、使うまで1個を除いて生きていました(煮るときに若干の罪悪感)。

 ずいぶんアップし損なった料理の写真が溜まっています。

 料理は健康を支える基本的な作業ですので、今年も可能な限り、しっかり作っていきたいと思っています。

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2010年1月 5日 (火)

トラの夢

 携帯からです。

 昨日、買い物のために外出したら、めまいがして困りました。

 今日は例によって疲れて体調がパッとせず、トイレ以外は横になっていました。午前11時頃に時計を見た後で、寝てしまったようでした。夢を見ていました。

 今年に入ってから見た夢は、どれもはっきりしないものばかりでした。ところが、この夢は鮮明で、何とトラが出て来る夢。

 とても大きな綺麗なトラで、黄色い部分が白く見えました。頭の毛がたっぷりしているため、トラの模様のあるライオンのようにも見えます。

 飼い慣らされたトラらしく、わたしはそのトラを何度か「ガイア」と呼びます。

 ガイアは、毛繕いをしたり、ゆったりと歩いたり、わたしのほうを穏やかな表情で見たりします。

 そのトラの夢の前後に、別個のパッとしない夢を一つずつ見ていました。

 トラの夢は美しくて、癒されました。何だか、元気が出ました(といっても、まだ心臓が不安定な感じで、横になっていますが)。

 ガイアというと、ギリシア神話に出て来る大地の女神ですよね。

 そういえば、当ブログに訪問くださっているというかたから、昨日2通目の興味深いメールを頂戴し(買い物に出かける前に拝読し、まだお返事しないままですが)、その中にトラのことが印象的に出て来ました。

 年末年始にメールや年賀状を沢山頂戴し、花々に包まれたような心地です。

 一昨年の入院中に知り合ったうちの二人からも年賀状を頂戴して、そのうちの一人はあのKさんでした!〔カテゴリー『入院』参照。〕

 嬉しくて、まじまじと眺めました。しかし、文章の意味がよくわかりません。「お元気ですか? 私は長期で頑張っています」とありまして、仕事を頑張っているという意味なのか、長期入院中という意味なのか、はかりかねています……前者でしょうね。入院中は養生に専念する人ですから、もしそうなら年賀状は来ないと思います。

 もう一人はパワフルかつ魅力的なMさんで、友人づきあいをスタートさせるまでに5年くらいかかるとおっしゃっていましたっけ。「今度一度お食事でもしましょう」とありました。友人づきあいのエンジンがブルル……とかかり始めた段階?

 かつて陸上競技で国体に出たこともおありのMさんは、自己管理に優れたタイプがお好きです。わたしは年齢より若く見える点は合格みたいでしたが、顔のシミに気をつけるように注意されました。

 清潔には気をつけても、美容には案外、無頓着なわたし。お食事のときまでに、何とかしなくては……。普通ですと、顔のことなどをとやかくいわれるのは苦手なのですが、Mさんの注意の仕方は厳密で濃やか、それでいて、さっぱりとした快さがあり、気持ちが引き締まる感じで好きです。

 大学時代に同じ文芸部で同学年だった男性の年賀状に、上のお嬢さんの就職が決まったとあり、有名な企業名が書かれているのを見、心の中で「やったね!」と喝采を送りました。

 というのも、過去にわたしは、「国立の理系の場合は、マスターまでは行ったほうが就職時に有利なようよ」などと無責任なアドバイスをしてしまったのです。わたしの言葉などとは無関係にマスターに進学されたのかもしれませんが、お嬢さんの就職が気になって、昨年から落ち着かない気持ちでしたから、ホッとしました。

 句会に入ったという東京在住の従姉に、作った俳句を見せてとせがんでいたのですが、見せて貰えませんでした。それが年賀状に一句したためてあったので、にやりとしてしまいました。

 夏頃までに自作童話を完成させて、東京に行商へ行きたい(出版社に持ち込みに行きたい)と考えています。上京時には会いたい旨、従姉二人はじめ東京方面在住の友人数名に書いてしまいました。

 あるいは、「声をかけてください」といってくださった当ブログの訪問者のかたもいらして、ブログを通じて知り合ったかたとお目にかかったことはまだないので、そういうことも一度はしてみたいのですが、金欠旅行なので、どのかたとも《行商》の合間に慌ただしく会うことになるかもしれません。

 そもそも、アポのとれる出版社があるかどうか……大前提が崩れる可能性もあり、そうなると東京行きそのものがおじゃんとなる可能性もあります。

 会う約束といえば、年に一度か二度は会うことになっていたはずの同じ市に住む大学時代からの友人と、わたしの都合で昨年は会わずじまい。年賀状に「今年は……」とありました。詩人(と呼んでいる文芸部時代の女性の先輩)とも、昨年は会えませんでした。

「今年こそはいい加減、会おうよ。年賀状に会おうと書き合うばかりで、ずうっ……と会わないままじゃない」と、昨日の朝、夫同士が会社の同僚で、子育てを共にしたママ友――長年のおきあいで親戚感覚――から電話がありました。

 そう。会わないまま互いに老けていくのは怖いし、電話だけではメンタルのデリケートな部分が伝わりにくいので、わたしも会いたいのですが、フットワークの軽かった昔のわたしとは別人になったわたし。

 同じ市に住む書き仲間(先輩というべきかた)の行きつけのカフェでの文学の会合にも今年は参加するといってしまい、実際、わたしはその欲求を覚えています。敬慕するドクター作家Kさんにもできればお目にかかって、文学状況を確認したいと考えています。

「会う約束を夏以降に集めまくって、どうする気?」と、娘に呆れられました。

 確かに。ただ、わたしの楽観的な予測では、約束を果たすことは可能です。

 というのは、今週中にでもわたしは漢方専門医のクリニックを受診する予定でして、そこで劇的な健康回復を遂げる予定(?)だからです。

 そして、フットワークの軽い以前のような自分に生まれ変わったわたしは、アクティブに行動し、計画を遂行、約束を実行できるはずなのですね。

「行く行くって、いつ漢方に行くのよ? 木曜日?」と娘が怒りました。「いや、木曜日は循環と呼吸器に行くから」とわたし。「漢方にも回れば?」と有無をいわせぬムードの娘。
 
 木曜日に、3軒のクリニックを掛け持ちするかもしれません。

 わたしの不健康の根本原因は頻脈で、喘息と冠攣縮狭心症は、頻脈を抑えるために服用している薬の副作用によるものともいわれています。

 最近あちこちに出て来た良性と思われる腫瘍や嚢胞、また膝周辺の骨の過形成は何なのかわかりませんが、西洋医学では放置(経過観察)するしかないようです。

 こうした状況に東洋医学の光を当ててみたいと思う反面、副作用を伴うとはいっても、1995年、頻脈にインデラルを使い始めて以来、脈拍がずっと安定した状態に保たれてきたことを思うと、ここに別の治療を加えることで、この状態が暗転しないかという不安があるのです。

 狭心症や喘息は(今のところは)一時的な発作を我慢すれば、済みます。根本原因の頻脈さえなければ、もっと普通に暮らせるはずです。第一、その根本原因がなければ、狭心症も喘息も発生しないはずのものかもしれません。

 そして、来る日も来る日も走り続けているような頻脈の苦しさは、思い出すだけでもたまらないものです。インデラルに出合う前のあの緩慢に心不全の進行で死に至るのをただただ地味に待つばかり……といった状態にもう一度戻るくらいなら、死んだほうがましです。

 とはいえ、このままではわたしの体力低下は年々ひどくなるばかり。この辺りで、何か、手を打つ必要があります。作品の持ち込みと同じように、新しい治療も試してみないことには始まりません。でも、怖いわ! 

 そんな劇的なことを想定して、期待したり、怖れたりするのは無知のきわみかもしれません。少しでも体調がよくなればいいな……くらいの気持ちで受診すればよいのかもしれません。

 ところで、神智学を通じて知り合い、昔から賀状のやりとりをしている男性(何年もお目にかかっていませんが、もう高齢のはず)から来た年賀状の文面の意味をわたしは考え続けています。

 笑っているトラの版画の年賀状には、このように書かれていました。「上昇の時が来たようです。古着を捨て、新調しましょう」

 物静かな学者のような風貌のそのかたを思い浮かべ、今までになかったような文面に戸惑いを隠せないわたしです。

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2010年1月 4日 (月)

衝動買いしたメモ帳

衝動買いしたメモ帳

 ロフトで、クマのシルエットがワンポイント的に入ったメモ帳、1冊税込360円を3冊衝動買いしてしまいました。

 開いているのは、イエロー。

 とにかくわたしはよくメモするタイプで、近くにノートやメモ帳がなければ、新聞紙、ティッシュの箱、ダイレクトメールの封筒、カレンダーなど、白いところには手当たり次第です。

 その字がまた読めなかったりして、解読に時間を要することがあります。

 これらのメモ帳も、たちまち汚くなるでしょう。

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2010年1月 3日 (日)

すみません

 数日チェックを怠っていたメールボックス。

 昨夜チェックして、慌てました。

 緊急のもの、早くいただいたものから返信させていただきましたが、じっくりお返事したいものなどもあり、返信に時間がかかる場合があります。

 悪質メールを除いては、決して無視するようなことはありませんから、お待ちくださいね。

 まれにメール、コメントなどのチェック漏れがあるかもしれません……5日経っても無反応の場合は、まことに失礼ながら、お手数ですが、ご指摘いただければ幸いです。

 何だか、エンジンのかかりが遅い今年です。ブログの更新も、ほとんど携帯からで……この記事も。

 雑用もたまっていて、今日もパソコン開くまでに、遠い道のり。早く本来のペースを取り戻したいものです。

 新年早々、お詫びのメッセージでした。

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2010年1月 2日 (土)

東漢氏の首長の墓

 前の記事を書いたあと、炬燵で寝てしまい、ふと目が覚めたらテレビがついていました。娘は入浴中、夫は就寝していました。

 テレビを消そうとして画面を観ると、ヤマト王権だの百済だの……えっ、わたしが興味のある時代だわと思い、消さずに観ていると、小休止後に同じシリーズの中の『渡来人がもたらした飛鳥文化』というのが始まるのだそうで……。

 そのまま観ていました。その番組(NHK教育:新春特別アンコール『日本と朝鮮半島2000年』)では、仏教の導入をめぐる蘇我氏と物部氏の対立が描かれ、やがて蘇我氏の権力を支えていた渡来人の中でも代表格であった、東漢氏の首長の墓が現れました。

 ひぇー新年早々、居ながらにしてご先祖様の墓墓参りができる(墓参りをさせられる)とは……とびびりましたわ。

 ご先祖様だなんて、傍系も傍系のわたしにいえることではありませんが、昨年、困ったちゃんの父が引き起こした件〔カテゴリー『父の問題』参照〕からわたしの母方の祖母の旧姓がわかり(そんなことも知らなかったわたし)、祖母は実家が大庄屋でお姫様と呼ばれて育ったと誰からか聴かされた過去の記憶(ビンボーな庶民の寝言とわたしは解釈していて興味もありませんでした)が蘇り、どんな家系かがにわかに気になり始めました。

 珍しい姓で、ネットで調べると、祖母が出た辺りにある賃貸物件及び不動産屋、そして大蔵氏の家系図などがヒットしました。

 大蔵氏は東漢氏という帰化人(渡来人、帰化人の呼び方で議論あり)につながる家系で、東漢氏は日本の氏族の中では珍しく家系図がしっかりしているほうであるようです。

 従姉に電話して祖母についてリサーチしたりした結果、祖母の実家が大蔵氏の支流であることに間違いないだろうなと思われましたが、家系図を入手したわけでも何でもありませんから、間違っているかもしれません。

 それはわたしにとっては、本来何の興味もなかった日本史に興味と意欲を掻き立てる刺激物にすぎませんから、どうでもいいことでもあり、ただ、わたしは子供の頃から日本人でありながら日本人に違和感があって、よく他人からも毛色が違うだの、変わっているだのといわれてきた原因がわかった(のかもしれない)興奮を覚えさせられたということはありました。ほのかにでも自分の血に、帰化人として生きなければならなかった祖先の血が反映しているのだと思うと、何だか慰められるのです。

 またこのことは、同じく何の興味もなかった卑弥呼〔カテゴリー『エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 』参照〕についてリサーチさせられてきた(と感じています)ことと同じ要素を含む地続きのテーマである気がしているのです。

 これは単なる空想ですが、東漢氏から出た一官吏がいて、日本書紀編纂の裏事情に通じていたとします。彼は邪馬台国の歴史が抹殺されることに疑問を感じています。中国の歴史書を知る帰化人としての洗練された文化的、科学的な感覚からして許されない事態が進行していくことに強い疑問と罪悪感を覚えているのです。彼のその無念な思いは、私心なく文学に取り組んでいるほのかな子孫のわたしに活路を見出したというわけです(本気にしないでちょうだい)。

 話は戻りますが、飛鳥の檜隈が蘇我氏を支える渡来人たちの住まいでした。

 東漢氏の首長の墓に関しては、最初に番組が放送された、その前年の発掘調査でわかったのだとか。直径40メートルに及ぶ円墳だそうです。

 墓の内部は、大小の天然の岩をそのまませり上げるように組み合わせてドーム型の天井を形作った、見かけは素朴そのものでありながら、技術面を考えると高度で凝った代物でした。

 天井岩の中でも、最大のものは30トンもあるそう……。

 番組では、仏教伝来のときを日本が文明の敷居を跨いだときと位置づけて、東漢氏などの渡来人がそれにどんな役割を果たしたのかを追及していました。

 百済と倭国は同盟関係にあり、仏教を通じて百済は倭国を取り込もうとしていました。6世紀に勃興して渡来人たちを支配下に置いた蘇我氏は百済系ではないか、と番組では語られていました。

 中国で隋が興ると、朝鮮半島全体が震撼させられるようになります。

 聖徳太子は百済一辺倒の外交から脱皮しようとしたばかりか、随との直接の、しかも対等の外交を望むのです。

 向こう見ずとも僭越ともとれる政策の裏には、聖徳太子の政治上の読みの深さがあったことは間違いのないところでしょうが、それにしても……と番組を見終わったのちも太子の政策の真の動機をわたしははかりかね、考え続けていました。

 そして、午前中に閃いたのです。

 太子が、いわゆるバウッダ(仏教の信奉者)であったことが核心にあったのではないかと閃いたのでした。

 仏をまつるといった倭国化された仏教の信仰者ではなく、バウッダであるという自覚があったのではないでしょうか。一人一人が一家をなす、仏法の信奉者、遵守者、修行者であるという自覚です。輪廻を経ながら一ブッダとして完成されるまで、自分の面倒はとことん自分で見なければならないというのが仏教本来の教えです。

 世俗的的、政治的力関係から見れば太子の感覚は常識を欠いて見えますが、バウッダとしての感覚からすれば生きとし生けるものは対等な関係にあるわけですから、その感覚を貫いたまでではないかとも想像できるのです。

 少なくとも、太子には仏教に対して、それくらいの思い入れと改革意識があったのではないでしょうか。

 中村元責任編集『日本の名著2 聖徳太子』(中央公論社、昭和54年)を図書館から借りていますが、まだ読んでいないので、読んだらわたしの上の考えは変わる可能性もあります。

この記事は見直しをしないままです。この文章が消えるまでは、書きかけと思ってください。〕

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2010年1月 1日 (金)

初めての白みそ仕立ての雑煮

初めての白みそ仕立ての雑煮

 これまでしょうゆ仕立ての雑煮しか、味わったことも、作ったこともなかったのですが、服部幸應先生のレシピ『京都風雑煮』を参考に、白みそ仕立てにチャレンジしてみました。

 肝心のもちが丸形ではなく、角形なのですが、うちは雑煮には柔らかなもちが好みなので、角はなくなり、まったりとしたもちになっています。

 煮しめの多いおせちに、西京みそを使った優しい味わいの雑煮は、よく合いました。家族にも好評でした。

 娘は今、息子と電話でおしゃべり。夫はテレビ。ゆったりと元旦の夜が流れています。

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初ニトロ舌下

初ニトロ舌下

 前の記事を書いたあと、胸の圧迫感が強まったので、ニトロペンを使用。

 元旦からニトロ舌下だなんて、自慢になりませんわね。ほほほ……

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初眠気で、ピンぼけ元旦

初眠気で、ピンぼけ元旦だけど

 年頭に当たってのご挨拶(ちょっと広告的でした?)を済ませたとたん、睡魔に襲われ、その前もしっかり寝ていたのですが……初日の出を見損なってしまいました。

 夫によると、「曇っていたよ」とのこと。見えなかったのかしら? もう何年も毎年、初日の出に立ち会って来たのに、どちらにしても夢の中でした。

 初出勤の娘に「行ってらっしゃい」したあと、また睡魔に襲われ、次なる目覚めは午後2過ぎでした。

 眠気覚ましにベランダに出ると、素晴らしい元旦日和になっているではありませんか。

 ラベンダーが撮ってほしそうだったので、撮って部屋に戻ると、たったそれだけの運動で脈の乱れと胸の圧迫感。

 どうやら、大晦日にフルに主婦業をした疲れで、心臓がくたびれていることが原因のよう。ニトロペンは使っていないので、ニトロペンの使用による血圧の低下が原因ではありません。勿論、眠剤などは使っていません。出されたときは、すぐに捨てちゃったし。

 眠れない人にこの眠気、分けてあげたいくらいですが、心臓の不安定感を伴うので、おすすめできないかな。

 とろとろとした底なし沼に引き込まれるような眠気には、抵抗しがたいものがあります。

 本番は娘の帰宅を待つ夕方からなので、それまでまた寝ます。元旦にふさわしい詩を何かご紹介したいのですが、眠くて今は不可能……。

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新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
ご訪問くださったあなた様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 今年は、当ブログで連載、中断中の自作童話『不思議な接着剤』を完成させ、
出版社に持ち込むところまでこぎつけたいと思っています。あたたかくお見守りくだされば幸いに存じます。

 もし、上記作品に限らずマダムNの作品を出版したい(商業出版に限ります)、あるいは一緒に組んで挿絵を担当したいというかたがいらっしゃいましたら、下記のアドレス宛へお問い合わせください。
 
 blancheur(at mark)hotmail.co.jp

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