« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月の57件の記事

2009年12月31日 (木)

大晦日の食卓

大晦日の食卓

 小えびとオーロラマヨネーズ(ケチャップ+マヨネーズ)が合っていて、人気がありました。小えび、もっと解凍しておけばよかったな。切る、煮る、焼くくらいならいいけど、解凍からとなると面倒で、えびの追加はなし。

 ウインナーは多めに炒めたのですが、食事の前に家族が摘み食いして半分になりました。

 おそばは皆がお代わりし、器に盛ったパンも足りなくなったので切り……この形式だと、様子を見ながらつぎ足せるので、いいですね。

 娘が、食後のコーヒーを淹れてくれました。もう少ししたら、息子に電話しようかしら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ホテル白菊のおせち

ホテル白菊のおせち

 変に凝ったものはなく、想像したよりシンプルな感じですが、如何にも美味しそうです。

 来年、漢方にチャレンジするかどうかはわかりませんが、もう少し元気になって、おせちくらい作れる体力を取り戻したいな。

 息子に食べさせてやりたいと思いますが、息子がいたら洋風おせちを頼んだでしょうね。

 無事に年を越せるのも、娘と息子の協力のお蔭です。うちの大黒柱はわかっているのかどうか。

 父の問題も持ち越しですから、しまっていきますよ、来年は。何はともあれ、年を越せることに感謝しつつ……。

 当ブログをご訪問くださった皆様も、よい年をお迎えくださいませ。

| | コメント (0)

カウントダウンに、服部先生の一口年越しそばとお好みオープンサンドは如何?

カウントダウン・お正月に、こんなレシピは如何?
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/post-e3ee.html

「週刊 服部幸應のしあわせクッキング97号」に、カウントダウンパーティーメニューとして、口年越しそば、お好みオープンサンド、白身魚と生麩の煮物、う巻き卵が紹介されています。

 わが家は少人数なので、一口年越しそばに、お好みオープンサンドから一部を参考にするかたち。

 遅いご紹介になってしまいましたが、お正月のおもてなしや普段のパーティーにもいいと思うので、以下に一口年越しそばお好みオープンサンドのレシピを「週刊 服部幸應のしあわせクッキング97号」(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。材料は6~8人分です。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

一口年越しそば

[材料]
生そば520g,ねぎ1/4本,白いりごま,わさび少々,
A《だし2カップ,みりん1/4カップ,しょうゆおおさじ3,削り節適量

[作り方]
そばはゆでてざるに上げ、流水でもみ洗いして器に盛る。Aのだしと調味料を火にかけ、煮立ったら削り節一つかみを加え、削り節が沈んだらこして麺つゆを作る。

薬味のねぎは小口切りにし、好みで白いりごまやわさびを添える。小さめの器にそばを一口ずつ盛り、麺つゆを注ぐ。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

お好みオープンサンド

[材料]
バゲット1本g,
トッピング(ウィンナーソーセージ8本,小えび12尾,イクラ100g,チェダーチーズ〈薄切り〉80g,ローストビーフ〈市販品8枚,オイルサーディン1缶,ブラックオリーブ適量),
バター・粒マスタード・ホースラディッシュ(おろす)・サワークリーム・オーロラマヨネーズ各適量,
白ワイン1/4カップ,
サラダ油

[作り方]
ソーセージはサラダ油少々で炒め、えびは頭と背わたをとって鍋に入れ、白ワインを加えて蒸しゆでて殻をむく。

バゲットは薄切りにし、その他のトッピングや各種ソースとともに盛り合わせて味わってもらう。 

| | トラックバック (0)

大晦日の黄昏

大晦日の黄昏

| | コメント (0)

ミスドのカフェラテ

ミスドのカフェラテ

 娘は、出勤前にミスタードーナツへ行き、20個ものドーナツを買ってきました。

 わたしにもカフェラテを買ってきてくれて、朝食のあと、夫と出勤しました。

 娘が勤務する書店は、夫の通勤路の途中にあります。

 北海道から九州まで展開中の全国チェーン型書店なのですが、書店は全体に不振だそうです(今はおおかたの企業はそうでしょうが)。

 が、娘の勤めるお店は今月黒字だったそうで、嬉しそうな上司に「この辺にミスドある?」と訊かれ、「うちの近くにありますよ」と答えて、お遣いを頼まれたというわけでした。ドーナツは、従業員へのご褒美だそうで。

 出版社の受験で失敗した娘。講談社が途中まで行けたのが青春の思い出みたいです。

 地方の市立大からの出版社受験には無理があったでしょうね。堅実派の娘の友人達も皆就活に失敗した、受難の年ではありました。

 現在では、書店を訪れる出版社の営業の人々と接する機会の多い娘。本や出版社のことなら娘に訊けば、大抵のことは教えて貰えて、わたしは重宝していますが、娘は契約のままでいいとは思っていないようです。

 わたしは母が倒れたために就職がふいになりましたが、決まっていたのは児童・教育関係の出版社の博多にある支社でした。仕事は営業。

 中央の編集部に異動もあるという話に釣られましたが、営業にも興味があったのです。コミュニケーションが活発な雰囲気があったので、積極的に動いてのし上がるつもりでした。

 創作は一生続けるつもりでした。最低限のその線だけは死守してきましたが、主婦やっているうちに大人しくなってしまったなあと自分でも思います。

 タロットで占った来年の運勢は上々。作品が完成したら、営業ウーマンになったつもりで、自作を売り込みますよ!

(ここで中断)

 おせちが届きました。別府にあるホテル白菊のおせちは初めて。娘と、一度ランチに行きたいねと話しているホテルの……どんなかしら? わくわく。あとで写真をアップします。

|

2009年12月30日 (水)

カウントダウン・お正月に、こんなレシピは如何?

当ブログでご紹介したレシピの中から、カウントダウン・お正月に使えそうなレシピをセレクトしてみました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

一口年越しそば、お好みオープンサンド
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/post-6a2e.html

いり鶏
http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/04/post_fe80.html


http://noix-n.blogspot.com/2009/06/blog-post_3182.html
〔=マダムNの外部サイト〕

だし
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/post-7caf.html

ちりめん山椒のお茶漬け
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/10/post-7caf.html

ぶりの柚子焼き
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/09/post.html

ほたて貝の
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/06/post-2410.html

子レンジで作る簡単ポーチドエッグ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/01/post-d416.html

いもとまぐろのわさびじょうゆ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/12/post-2bcc.html

立貝とマッシュルームの温製サラダ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/12/post-c454.html

かきのマリネ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/11/111213-c6eb.html

えびブロッコリーとくるみのめ物
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/11/post-271c.html

だんごの
http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/09/post_3.html

| | トラックバック (0)

今年の締め括りに『バウッダ〔佛教〕』(中村元/三枝充悳著、講談社学術文庫、2009年)

  締め括りの読書は、この本でいきたい。『バウッダ〔佛教〕』(中村元/三枝充悳著、講談社学術文庫、2009年)。

 図書館から借りた『日本の名著2  聖徳太子』(編集責任・中村元、中央公論社、昭和45年)があまりに古びていて、来年聖徳太子を小説にするかもしれない必要上、ほしいと思い、一昨日ジュンク堂書店へ寄って探したが、クラシックス・シリーズの『聖徳太子』しかなかった。それには、中村元氏の《聖徳太子と奈良仏教――その普遍的理想の世界》は収録されていない。

 代わりに目に入ったのが前掲の本。

 中村元氏には、大学時代に『原始仏典』に触れて以来、魅了されている。インド哲学者で、国際的な仏教学の権威であり、比較思想でも知られた。

 ちなみに、ブラヴァツキーも比較思想の優れた研究者だったが、そのブラヴァツキーの代表的な著作『シークレット・ドクトリン』宇宙発生論・上巻の邦訳版(神智学協会ニッポン・ロッジ)には、中村元氏の推薦の言葉がある。

 タイトルのバウッダというのは、サンスクリット語のブッダを信奉する人にちなんでいるそうだ。仏教とは何か、をテーマとした著作のようだ。

 丘山新氏の解説に、

 仏教の概説書が多く出版されているなかで、本書は20年あまり前に出版されたものであるにもかかわらず、現在でも数少ない、非常に信頼しうる仏教概説書であり、また難解な仏教教理や用語をひろく一般の思想の分野にも開放して論じたものとして、定評が確立した貴重な書物である。

 とあるが、本当に読みやすそうだ。仏教に興味のある人におすすめ。

 ああ今年も煩悩まみれの1年だったが、この本に着地できてよかった。

|

年末夜話

 昨日は狭心症の発作が起きて、結果、まる1日無駄にした。

 大掃除は浴室とタンス部屋がまだだが、これはそう時間がかからないだろう。問題は年賀状で、まだ書き上げていない。当ブログの『おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2010』にまだかなりアクセスがあることで、元気づけられる。皆さん、まだまだがんばっていらっしゃるのだと思うと……。

 今日、できれば、買い物に行きたい。野菜類をどうしても自分で買いたい。蜜柑も買いたい。まだ体調が不安定で、行けば再びダウンの可能性ありだが、行ってみなければわからない。

 昨日は体調がもう1つだったので、インスタントカレー(とトマト)を作った。このインスタントカレーだが、娘の大学時代の先生にインドに詳しい先生がいらして、そのお話によると、インドではカレーを作るときに信じられないくらい油を沢山入れて具を炒める由。

 その話を聞いて以来、最初にみじん切りにしたたまねぎを炒めるときに、サラダ油を多めに鍋に入れて、じっくり時間をかけて炒めることにしている。そのあと肉と他の野菜を入れて炒め、水を入れて煮、野菜が柔らかくなったら、あとはルーを入れるだけだが、これがインスタントとは思えないくらい美味しい。ホント! ちなみに、うちはジャワカレーの中辛。

 料理の写真が溜まってしまった。先日作った松の実ごはん、結構いけた。大掃除で食料品の棚を整理したときに、松の実が賞味期限をいくらかオーバーしていることに気づき、使う必要があったのだ。そのうち(もう来年になるかしら)、溜まった中からおすすめレシピをアップしたい。

 そういえば、昨日、息子から電話があった。

 息子が帰省できないのは寂しいが、これは夫のせいで、今更の問題。この時期、特にわたしは彼との結婚を、明確に、後悔する。

 後悔はするけれど、この結婚が失敗だったかどうかは神のみぞ知るだ。要は結婚によって、互いに、霊的に進歩できるかどうかが問題で、それは世俗的な幸不幸の感覚とは別次元の問題だから、今のわたしには何ともわからない。

 だから、自分の結婚における諸問題について頭を抱えることはあっても、他人のそれとは全く比較ができないものだ。

 ただわたしは思うに、神秘主義的な人生を歩む場合、結婚がとてつもなく難解なテーマとなることは仕方のないことなのかもしれない。ブラヴァツキーやアニー・ベザントのようなスーパー・ウーマンでさえ、結婚後に自殺を実行しかけたほどだった。

 尤も、わたしの場合、そこまでこのテーマを昇華させる以前の問題といえそう。

 同人誌が縁で知り合った0さんによると、大抵の結婚後の男性は外部の女性に対して受身型に転身するのだとか。だからといって、何も、あんな色情狂じみた子沢山のおデブちゃんに……。趣味を疑うどころか、わが目を疑った。未だに信じられない。ただ、もしわたしが彼だったとしても、あの女性から逃げることは難しいだろう。鳥餅みたいな女性だった。その癖家庭は壊したくないそうで。真相とは、確かめなければわからないものだとつくづく学んだ。〔←何の話かって?  フィクションをもとにした創作の話。〕

 娘と、東京に、夏くらいに行けたらいいねと話している(希望的観測)。

 息子は、大学へ出かけ、教授と飲み屋でひっかけながら、今後の研究について話を進めたそうだ。研究室へは1~2ヵ月に一度顔を出すペースでよいそう。普段は自宅で作業することになる。今の職場の状況では、それも可能みたいだ。

 この1年、息子は大学院生ではなかったはずなのに、ずっと大学院生を続けていたような錯覚に囚われる。 

 東京に行くまでには、自作童話『不思議な接着剤』を仕上げておきたい。息子に歴史小説のプランも話した。

 やまとのあやの一人を主人公にして、帰化人の官吏としての制限された立場から、聖徳太子の国記あるいは舎人親王の日本書紀(どちらに絞ったほうがいいだろう?)編纂における舞台裏を照射してみたい。規定は70枚。コンパクトにまとめなければならないから、ある場面を印象的に切りとり、そこに説明を集約していくような描きかたがいいと思う。

 あるいは邪馬台国に関する物語。同じ描きかたで、戦闘場面を切りとり、その場面にむけて邪馬台国という国がどんなものであったかの説明を集約させる。

 先輩がテーマとした島原の乱も考えたが、あれを書くには絶対的に取材が必要で、島原に行くゆとりが持てそうにないから、今回このプランは没。

  来年の2月くらいまではたっぷり、プランを練ることに使いたいので、もし、ねたになりそうな歴史的拾いものがあれば教えてほしいと息子に協力を仰いだ。頭の隅に置いておいてくれるそうだ。息子も上の前者のねたについては、ちょっと興味を持った様子だった。尤も、息子が詳しいのは近代以降の歴史だが。 

 とりあえず、年賀状だ。

|

2009年12月29日 (火)

ゲッ、午後から正月休みだ!

ゲッ、午後から正月休みだ!

 早朝、眠りの中で発作を起こし、ニトロ舌下で鎮め、そのあと、ニトロペンの在庫が気になり、調べたら半ダースはあって、かき集めれば、ペンダントの中、バッグ、財布、トイレに設置したジャムの瓶の中とまだまだあるので、ニトロが足りなくてどうこうということはなさそう。

 しかーし! あちこちに配置したニトロは、必要があって、そこで守りを固めてくれている貴重な兵力であり、これを削ぐことは、わが帝国の弱体化を招きかねず……えっと、何の話題だったっけ?

 早い話が午後、ニトロを貰いに行くつもりだったの。でも、今診療日程を見たら、午後から正月休みモードだった。

 半ダースなんて、毎日発作を起こして2錠ずつ使えば、3日しか持たない。ここは、兵力の増強に努めたかったのに……。

 ニトロの使用で血圧が下がったためか、とろとろと眠く、気を抜くと、底なし沼に引き込まれるみたいな睡魔に襲われる。

 それでも2時間ごとぐらいに目が覚め、トイレへ行ったり、顔を洗ったりするのだけど、座った途端に睡魔が……。

 お皿のパンは、ご前中クリニックへニトロ貰いに行くつもりで、体力つけようとパン食べかけて……干からびているわ。

 もったいないから、このあとチンして食べるけど。娘につられておやつを食べることはあっても、朝昼食べなくなって久しいから、パン、少し千切って口に入れただけでも、もたれちゃうけどさ。

|

体調悪くて、動けず

 胸の痛みはニトロの舌下で治まったが、体が芯から疲れきっていて、再度発作が起きそうな不安定さがあり、動けない。

 イライラして、うなじの湿疹を思いっきり掻きむしってしまった。泣きたい気分。

 クリニックは年末、いつまでだったか? ニトロ足りなくなりそう。貰いに行かなくちゃ。

|

ニトロ、舌下

ニトロ、下舌

 6時になる頃、胸の痛みに目が覚め、すぐにニトロを舌下した。

 強い痛みだった。兆候は寝る前にあって、歯が痛い気がしたあと、喉が鋭く痛んだのだ。兆候かと思いながら、買い物疲れで寝てしまった。

 そのあと、吐き気で目が覚め、不整脈を感じ、めまいがあり、少し鎮まったところでトイレへ行き、また寝た。そのあと、この痛み。

 痛みが強くて驚いたが、すぐにはっきり目が覚めて行動でき、よかった。これを書いていた間にまずおなか、そのあと胸から喉にかけてどんどん涼しくなり、よくなった。

 ニトロペン、次の受診日まで持つかしら。もっと貰っておくべきだった。あとで、ニトロペンが何錠あるか、調べておかなくては。

|

2009年12月28日 (月)

買い物、飾り付け完了

 リース型の注連縄を玄関のドアに、鏡餅も飾り終えてホッとしました。

 買い物で走り回ったせいか、めまいがし、左股関節が痛みましたが、予定した物は皆買って、満足。

 もう1日年内に野菜類の買い物に行くかどうかは、体調によります。行けなかったら、野菜は夫に頼みます。娘のほうが、遅いと思うので。

 お年玉を貰った子供が書店に買いに来ると思うと、今から恐怖を覚えると娘。

 計算できない子供が、お菓子コーナーの10円の飴玉を、お金がなくなるまで何回も買いに来たり、あり金を残らずレジ台に載せて、買いたい本が買えるかどうか訊いたりするそうで。

 親は一緒に来ていても、離れた場所で雑誌に読みふけっていることが多いとか。

 お年玉の時期に限らず、今は、幼い子供でも無造作に1万円札を握り締めて買い物に来たりするそうです。

 デパ地下で西京みそを500グラム買ったときに、店員さんが「今年はクリスマスも年末も賑わいがなくて、静かです。去年くらいから、そうかな」といっていたのに、どうなっているのやら。

 大人のビンボー及び多忙が、子供のお小遣いの乱れを招くということなのでしょうか。

「それもあるかもしれないけど、おじいちゃん、おばあちゃんがやるんじゃないかなあ」と、娘はいっていました。

 娘は昨夜、夜なべ仕事で、明けてから書店で行われる本の読み聞かせのチラシを作っていました。

 さあて、わたしは年賀状が待っています。昨年は徹夜して2日で終えたのに、今年はやたらと日数がかかってしまって……。

|

シンプル年越し・正月買い物リスト

うちは少人数で、お節も頼み、娘は年末年始フルに出動。
お節にこれ以上お金はかけられないので、事前に作るのはぜんざいくらい。
デザート、雑煮は元旦当日。

カウントダウンは、迷っている。
服部先生のレシピを一部参考にした一口年越しそば+お好みオープンサンドにするか、以前好評だったオリジナルメニューの年越しそば+肉団子プレート(ほうれん草のバター炒め、ゆで卵、トマト)にするか。

Pc290050

どちらにしても、ダウン覚悟で30日か31日の買い物が必要だ。
こんなときは本当に病気が足手まといに感じられる。お節を頼むのもそのため。昔は、下手でも手作りしていた。今はいくらか腕が上がったのに見合わせだ。
迷ったときはとりあえず、後日食べられるものは買っておく。

○カウントダウン
そば、白いりごま、ねぎ、わさび(あり)、チェダーチーズ、ウインナー、小エビ、オイルサーデン、サワークリーム

正月用は
○アップルムース
りんご中2個、白ワイン(あり)、粉ゼラチン、生クリーム、レモン、卵白、ミント(卵とミントは次回買う)

○ぜんざい
小豆、三温糖

○雑煮
いつもはしょうゆ仕立てだが、後日も使えるので西京みそも買っておこう。鶏もも肉、かまぼこ、にんじん。いつもは、かつを菜あるいは水菜だが、小松菜にしてもいい(野菜は次回買う)

○ぜんざい、雑煮、焼き餅用の餅(焼き海苔)

○その他
とそ、とそ用清酒、鏡餅、注連縄、干し柿

休日の夫が電灯、換気扇、自室の掃除を引き受けてくれて助かった。わたしは棚の人形、プラモに時間が取られた。年賀状はあと3分の1。

これから買い物に出かけ、外食(作ると寝込む)。

| | トラックバック (0)

2009年12月27日 (日)

チャロまで……

チャロまで……

 プーが、パソコンを乗っ取ったまま、返してくれません。

 そこへチャロまで見に来て……困ったわ。わたしもパソ使いたいのよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プー便り

Pc120126

ぼく、プー。腕にハチくんがとまっていて、あまりマウスを
動かせないんだよ。これは休憩中〕

でね、「ぬいぐるみのクマの視点で考察するこんにちの日本」という論文を、
書きかけていたところなんだ。

それがすんだら、「はちみつの尽きせぬ魅力」というのを書くつもりなの。

|

創作中のプー

創作中のプー

 大掃除で忙しくしている間に、パソコン前の椅子をプーに乗っ取られてしまいました。

 プーは、メールを書いたり、創作したりしていたようです。

 まだ大掃除は半分も……。食料品棚とベランダに時間を取られました。

 もう少ししたら、今日のところは切り上げて、夕飯の支度。

 ねえプー、わたしの代わりにまだ書き終えていない年賀状を書いてくれない?

|

シネマ『ファッションが教えること』を観て

 娘とわたしは、『プラダを着た悪魔』も観に行ったのだが、その『プラダ』でメリル・ストリープが魅力的に演じていた鬼編集長ミランダに興味を持った。

 多分に戯画化されているだろうが、ミランダの独裁性は鋭い感性を基盤とするゆるぎない自信から出たものだろうと想像された。

 『ファッションが教えること』は、ミランダのモデルとされた女性アナ・ウィンターを描いた映画ということで、娘もわたしも即、興味がわいた。観る前から、鋭い感性を極上の宝石のようにきらめかせる、嫌味、かつ崇高な女性を観に行こうと盛り上がったのだった。イブにうってつけの映画をチョイスしたつもりでいた。

 映画が終わって室内が明るくなったとき、娘は変な顔をしてわたしを見た。わたしは警戒する顔つきになっていたと思う。なぜなら、娘は映画がつまらないと、わたしに当たる癖があるのだ。娘は映画にどう感想を持ったのだろうかと上映中から気になっていた。

 感想を聞くまでもなく、娘の顔つきが、映画を気に入らなかったと主張していた。わたしも気に入らず、時間とお金を無駄にした気がして虚しかった。親子だからといって、こんなに感性が似ていいものだろうか。

 『ファッションが教えること』は、1988年からの長きにわたって、アメリカ版『ヴォーグ』の編集長を務めているアナ・ウィンター及び編集スタッフを追った、気どりのない映画だった。それがアナの突っ張りであり、相棒グレイスの美意識なのだろう。

 父親のコネで、ファッション誌に就職が決まったアナ。モデルだったが、交通事故のため、編集者への転身を余儀なくされたグレイス。2人の女性は、長年のコンビだ。

 商業的処理能力と操作術に長けたアナ。アナの独裁性は、大衆に受けるかどうかという商売能力から出たもので、彼女は商業の神様の巫女、あるいは霊媒といってもよい。

 芸術的な拘りを見せるグレイスが、即物的なアナに欠落した部分を幾通りもの柔らかな線で補い、ヴォーグに潤いと輝きをもたらしている。とはいえ……。

 人間的には、アナにも、グレイスにも好感が持て、素人が想像するより遥かに素朴で地味で忍耐のいる編集作業というものが淡々と描かれており、感心した。だが、退屈だった。

 同じ業界の人々には参考になる映画なのだろうが、一般人のわたしには、華やかなファッション誌の舞台裏を延々と見せられても、つまらないだけだった。お菓子が好きでも、お菓子工場の見学が面白いとは限らないというのと同じことだ。

 何より、実話であるだけに、実際に出来上がった誌面や仕事内容まで克明に観察することができ、彼女たちの感性に触れてみると、案外、アナとグレイスという最強のコンビは、ごくありきたりの感性の持ち主なのではあるまいかという気がした。

 過去に他者の手によって出来上がっていたものを、こっちから少し、あっちから少し寄せ集め、それを見てくれよく仕上げているだけのポテト的感性(といえば、ポテトに失礼か)。大衆レベルの感性であるだけに、大衆受けする雑誌を作り続けることができたともいえよう。

 その弱味を、アナは自覚しているという気がする。そんなナイーヴな一瞬の表情を、わたしは見逃さなかったつもりだ。その自覚こそが彼女の強味となって、アメリカ版ヴォーグは商業主義路線を戦闘的に突っ走って来られたのだともいえる。

 そして、あのチープで指標のないアナの感性こそ、アメリカを、日本を蔽い尽くし、今や世界を蔽い尽くしてしまおうとしている、ある戦後勢力の一断面であるとも見えてしまう。アナによるセレブの起用など、そのわかりやすい象徴だ。

 わたしの解釈は間違っているのかもしれないが、少なくともアメリカ版ヴォーグが現在、動脈硬化を起こしていることは確かだと思う。世代交代の時期ではないのか?

「同じアナなら、デザイナーのアナ・スイの物語を映画にしてくれたらいいのにね」と娘と話した。娘は、先日買ったトラさんのネックレスをつけていた。

|

2009年12月26日 (土)

年末の焦りと体調

 年賀状が半分も終わっていないため、年末の予定が狂い、焦っています。

 年賀状を今日の深夜までには仕上げて、明日は頭の中を大掃除モードに切り替えなくてはなりません。

 というのも、翌月曜日が可燃ゴミの年内最後の収集日なのですね。

 注連飾りを飾らなくてはならないので、玄関と通路からの掃除は夕方までに済ませました。といっても、注連飾りの購入はまだです。

 月曜日休みの夫につきあって貰って、注連縄はじめ、まだ買っていないお餅、お屠蘇用のお酒など、重い物の買い物はこの日に済ませなくては。

 体調のほうは、心臓はときどき寒い場所なんかで、ウッとなることはありますが、しばらく息を潜めて静かにしていると、それ以上のことはなく、お利口にしてくれています。

 ただ、ここ数日、ここに書くのもナンですが、生理の出血量が馬鹿に多くて夜間用ナプキン1枚ではとても間に合わず、重ねていますが、重ねるのも2枚が限度。2枚でも、オムツを履いているような鬱陶しさ。

 全然ない月があったかと思うと、こんな風。更年期真っ盛り。来年は52になるんだから、こんなものなのでしょう。

 それと、本格的に寒くなり始めてから、これまではなかったうなじに湿疹ができ、下手をすれば頭の中に広がりそうで、シャンプー・リンスはファンケルの無添加を使い、とにかく掻かないようにしているのですが、痒いわ(T^T)

 かかっている呼吸器・アレルギー科で過日、沢山の項目に渡って調べたアレルギー反応の検査ではほぼ完璧に近いくらいゼロで、アレルギー体質ではないとわかったのに、不思議です。

 左耳の中もよくありません。

 湿疹があるのはこの2箇所だけとはいえ、痒みが強くて困っています。過去、お尻の痒みに何年も悩まされていたことがあり、皮膚科でステロイド軟膏が処方されましたが、婦人科では、それは湿疹ではないという診断。

 そのとき婦人科で処方されたアンダーム軟膏(非ステロイド軟膏)とレスタミンコーワクリーム(非ステロイド系の鎮痒消炎剤)で綺麗に治りました。必要なときは、いつでも処方して貰えるということでしたが、今のところはぶり返していません。

 左耳には、耳鼻科でステロイド軟膏が処方されました。

 うなじの痒みで皮膚科に行っても、たぶんステロイド軟膏が出されるだけだと思うので、この機会に、前に入院仲間から勧められた漢方専門医のところへ行ってみようかと考えています。食後に左上腹部に覚える圧迫感や軽い痛みも、まだ続いていますし。

 ネットでそのお医者さんのことを検索してみると著作や、過去のラジオ番組の紹介などが出てきました。

http://www.mmjp.or.jp/kampo-ikai/genba/genba-34oribe.html

http://t-shoten.com/BASE/21/58.HTM

http://www.tsumura.co.jp/password/m_square/today/tkt/b036.htm

 年末年始はお休みでしょうし、その前後も患者さんで混み合うでしょうから、明けて循環器クリックと呼吸器クリックの受診を済ませたあと、漢方専門医の内科クリックを受診してみようかなと考えています。

 そういえば、事業仕分けで漢方薬が保険適応外になるとか何とかの騒動は、その後どうなったのでしょうか?

 反対署名活動が行われ、集まったぶんが長妻昭厚生労働大臣宛てに提出されたというニュース記事を見ましたが、その後の動きはまだないのか、新しいニュース記事は見当たらないようです。

 わたしが若かった頃、漢方薬には保険が利かないという話でした。そのためか、漢方専門店には何となく怪しいイメージがあったほど。

 参考のために、サイト「漢方ビューhttp://www.kampo-view.com/index.html」の『漢方を知ろう』より以下に抜粋。

Q17
漢方薬は高価なイメージがあります。


医師の処方する漢方薬はほとんどの場合、健康保険が適用されます。

昭和51年にエキス剤が保険適応になって以来、現在では148種類の漢方薬が健康保険適用の対象になっています。なじみのあるほとんどの病気に対応していると言えるでしょう。ただ、病院によっては自費診療をおこなっているところもあり、そういう病院では健康保険が適用されないので、漢方薬は自費で購入することになります。心配なときは、あらかじめ健康保険が適用されるかどうか確認をとっておくとよいでしょう。

また、一般薬局で買う漢方薬は、健康保険がききません。

 漢方の世界に変化が起こり始めた頃、不整脈で悩むようになったわたしに、当時、漢方の勉強会に行っていた薬剤師の友人が、わたしの不整脈には漢方がいいと思うから、漢方外来のある病院に行ってみたらどうかと勧めてくれました。

 でも、漢方外来のある病院はまだ全国でも数えるほどで、彼女が勧めてくれた麻生太郎氏関係の病院が隣の市で一番近かったのですが〔ちなみに、幼かった息子が肺炎と喘息で危なくなったときに救ってくれたのはここ〕、その頃は不整脈のために極端に体力を奪われていましたから、通院は体力的に困難に思えました。交通費も馬鹿にならないと思いました。結局、決断できなかったのでした。

 あのとき、決断できていたら、あるいは、別の人生となっていたかもしれませんね。

 その頃に比べたら、漢方薬も、漢方外来も珍しいものではないポピュラーなものとなりました。

 過去記事で書きましたが、大学生だった娘の皮膚は湿疹に皮膚科処方のステロイドとプロトピックを使いすぎてひどい状態になっていたにも拘らず、大学から近かった漢方専門のクリニックに通院して綺麗に治して貰ったのです。

 漢方がこの国にすこやかに根付いたかに思える今、このよい状況を短絡的な政治判断で暗転させないでほしいと願います。

 参考のために、前掲と同じサイト「漢方ビュー」の『漢方を知ろう』より、以下に抜粋。

Q16
日本全国の大学病院に「漢方外来」ってどれくらいあるの?

全国の大学病院の約7割に、漢方治療を中心に行う診療科「漢方外来」があります。

漢方治療を中心に行う「漢方外来」。大学病院でこうした診療科を設けるところが増えており、2006年現在、全国にある80施設の大学病院の約7割で漢方外来が設置されています。
※漢方外来のほかに東洋医学外来など別の呼び方をしているところもあります。

|

2009年12月25日 (金)

別府、洋菓子の店「きこり」のクリスマスケーキ

200912250241000

 瞳に「わしの弟子におなり」といったのは、このサンタさんです。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

〇別府、洋菓子の店「きこり」のブログはこちら。
  ⇒http://blog.livedoor.jp/yumi_kikori/

〇自作童話「すみれ色の帽子 その5/サンタさんの弟子にはなれないわ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月24日 (木)

イブに、映画鑑賞

シネマ『ファッションが教えること』の感想はこちら。
 ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/post-224f.html

 イブを如何お過ごしの予定ですか?

  わたしはこれから娘と映画を観に行きます。『ファッションが教えてくれること』。娘の休日は来週1日あるだけで、年末年始はフルに出勤です。

 そこまでして働かされても、少ないボーナスは半額になってしまうなど、気が滅入るような話です。さらに、わが家では夫の定年を再来年に控えており、その後のことを考えると、不安すぎて思考が止まってしまいます。

 まあ、これはわが家だけの問題というより、この国自体が破産するかしないかの綱渡りをしているようなものですからね。

 子供手当てはせめて所得制限を設けるか、できれば、直接、教育機関にお金が行くようにしてほしかったと思います。飲んだり、ギャンブルしたりして子供を泣かせる親、うちの子供たちが子供時代を過ごした街には沢山いました。そんな親を喜ばせるようなことにならないよう願っています。

 そもそも子供手当て以前に、景気対策、失業対策、福祉に最も力を入れてほしかったのですが(→だから民主には入れなかった)。学校を出ても就職できなければ、これほど虚しいことはありませんし、いくら子供に給付が来ても親が失業しては元も子もありません。また、国のお金は母子家庭、障害者を抱えた家庭など、一番苦しい人々に優先して行くようにしてほしいものです。

 うちも金欠病ですが、せめて映画でも観て、気を晴らそうといったところでしょうか。そのあと、夫と待ち合わせて浜勝に行く予定で、イブのご馳走はトンカツとなります!

 あー年賀状、間に合わないかも。

|

女友達と電話でおしゃべり

 最近、2回、詩人(と呼んでいる文芸部時代の先輩で女友達)と電話でおしゃべりした〔彼女の詩はこちら〕。

 秋に会えなかったので心配していたが、その秋にはわたしと同じ年齢のボーイフレンドが出来たということで明るく、冬になってからの最近の電話でも、彼女は彼に熱くなりすぎて距離を置かれたと報告しながらも、それが軽い出来事ででもあるかのように明るい。

 彼女は昔から恋愛至上主義で、恋愛の好不調は彼女の持病である統合失調症に即作用していた。

 それが、秋に電話したときから、雲間から太陽が覗いて、青空がぐんぐん広がっていくような雰囲気が感じられる。いや、そのきざしは夏前からあった。

 あれほど恋愛に一喜一憂していた背景には、もっと基本的な問題が潜んでいたのではないだろうか。その基本的な問題がなくなった、とはいわないまでも軽くなったために、彼女の生活はすこやかさを取り戻したのだという気がする。

 夏前にあったことといえば、彼女と童話の交換をし出した(わたしは出来上がっているぶんの『不思議な接着剤』とその副産物『すみれ色の帽子』を送った。そして、彼女にわたしの『不思議な接着剤』の構想と取材旅行の話をした。彼女からはコミカルな童話――というより、大人対象のコントといったほうがいいだろうか――2編とエッセーが1編送られてきた)。

 また、その頃、彼女と電話で話したときに、彼女の元夫であり、今も交際がある男性のことが話題になった。彼女がときどき彼の言動に傷つけられているのは感じていたが、わたしはそのことをそれほど重い問題としては捉えていなかった。夫婦喧嘩、否元夫婦の喧嘩は犬も食わない、と相手にしていなかったというのが正直なところだ。

 わたしも、大学時代の先輩として彼、Hさんのことは知っている。機知に富む男性で、独特の個性と包容力を感じさせる面白い人だが、寸鉄人を刺すような皮肉も得意で、冗談なのか真面目なのか、人を惑わすような物言いをよくする。ハンサムではないが、女性の友人は多い。

 彼女のほうもユーモラスなところがあり、また、鋭い物の見方を冗談に交えて口にすることはあるが、真面目な話題とそうでない話題はきちんと区別して話す。薫るばかりの誠実さ、優しさを込めて話をする人だ。

 彼女にとって、創作は昔から彼女の生命の一部を担っているほどに重要なものだ。ところが、彼女のこれまでの全ての作品にHさんは否定的なのである。

 わたしの夫は、彼女の詩に特に何も感じないという。子供たちは彼女の詩が綺麗だといい、感動を見せた。わたしはといえば、当ブログで彼女の詩だけでなく、あえてこうしたプライバシーに関るようなおしゃべりの内容まで、貴重な記録だと思って紹介しているくらいだから、そのココロはわかっていただけると思う。

 創作物に対する人の反応が様々なのは当然だが、Hさんの場合、彼女の創作物を宝と思っているにも拘らず、創作が彼女の病気に及ぼす影響を考えてあえて否定しているだとわたしは深読みしていた。

 ところが、夏前頃の長電話でわかったことからすると、どうもそうではないらしい。本当に評価していないのだ、と彼女の話から判断せざるをえなかった。彼女の創作物は、暗くて気持ちが悪いとまでいうのだそうだ。

 そうした彼の評価が彼女にこれまでどれだけダメージと支配的な影響を与えてきたか――そういえば、思い当たることは数々あった。彼女が調子を崩す前には必ずといっていいように、彼女の創作物をめぐる一連の出来事があったことを思い出す。

 彼女は作品を否定された屈辱から、わたしに同じ作品を送ってくる。よくできていると思うことも、そうでないと思うこともあって、わたしはだいたい思った通りの感想を伝えることにしてきた。すると、彼女は少し安心する。そして、彼を納得させる作品を書こうと、さらに創作する。彼は否定する。わたしにまた作品を送ってくる。彼女はわたしの評価に力を得て、また書く。彼は否定する。そうしたことが続くと、彼女は完全におかしくなるのだった。

 Hさんが彼女の創作を喜ばないとは知っていた。彼の立場からすれば、それはそうだろう。

 しかし彼女にとって、彼女の創作物や、ましてや創作すること自体を否定されるということは、彼女の物の見方(すなわち価値観)を、拡大解釈すれば、彼女の存在自体を否定されるに等しいのだった。

 わたしは賞応募に熱中していた頃、先方に作品が届いたのかどうかさえわからないことがあり、ブラックホールに投じたようなやりきれなさを覚えることがよくあった。たまに評価されることがあったとしても、的違いに感じられる称賛であることがほとんどで、虚しかった。そして、誰一人として、わたしが創作しようがしまいが何とも思わない。どうだっていいことなのだ。

 そんなわたしの虚しさは、彼女の虚しさにオーバーラップする。彼女の場合、彼を頼りにしているだけに孤独感を深めることに繋がった。

 彼女はとても綺麗でスタイルもよい人だったが、彼とつき合うようになり、結婚し離婚して、それでも腐れ縁のように続いている彼との長い交際の中で、どういうわけか、彼に似た容貌(眼は全然違う)と、彼にちょっと近い体型になってしまった。

 わたしは、ようやく事情が呑み込めた。彼女に訊いた。「それだけ否定されて傷つけられるのに、なぜ彼とおつき合いを続けるんですか?」

「わたしはこんな病気だし、彼のようにわたしを思ってくれる人はもう現れないだろうから」と彼女はいった。正直、それまではわたしもそう思っていた。しかしそのとき、疑問が頭をもたげた。

「本当に彼はY子さん(わたしは彼女を名前で呼んでいる)のことをわかっているのかなあ? つき合いが長いからといって、理解し合えるとは限りませんよ。彼がY子さんのある面を気に入っていることは確かでしょうが、自分の好みからのみY子さんを見ていて、Y子さんを理解しようとは全然していないみたいに思えます。自分には彼しかいない、と決めけなくてもいいんじゃないでしょうか。はっきりいって、センスという点からすれば、お2人は全くちぐはぐな感じを受けますものね。Y子さんの創作姿勢は完成されたもので、それは誰にも侵せないものです。作品も高度なもので、童話などはずいぶんリラックスして、少し悪ふざけしてお書きになっていますが、文学的な素性の正しさは隠しようもありません。それがわからないおバカに縛られることはありませんよ。Y子さんには幸い、Y子さんに理解の深いご家族がいらっしゃる。彼から自由になってみては如何ですか?」と、わたしはいいたいことをいってしまった。

 しかし、その言葉に思うところがあったのか、次に電話で話したとき、彼女は新緑の森を吹き抜ける風のような雰囲気を漂わせていた。

 憑き物がとれたような雰囲気、とでもいえばいいだろうか。そして、新しいボーイフレンドができたという楽しい報告を受けた。彼女自ら招いた呪縛から、解放されたのかもしれない。まだHさんとの交際は続いているのかもしれないが、彼女の意識に変化があったことは間違いないだろう。

 そのあと、彼女はもう一つの呪縛からも解放された。病院を替わったのだった。

 彼女の長年の精神科の主治医が、Hさんに似たタイプの男性だということは知っていたが、彼女がかなり前から、ドクターを替えたいと思い詰めていたとは知らなかった。彼女はそのドクターとの関係が長いため、自分のことを何もかも知って貰えていると思い込んでいた。それで、ドクターを替える勇気が出なかったようだ。そのときも、わたしの言葉はたまたま、彼女に決断のヒントを与えたようだ。

「わたしも昨年、あっけにとられる経験をしましたが、長いおつき合いだからといって、そのドクターが自分のことをよくわかってくれているかというと、そうとは限らないと思います。患者にとってはただ一人の大事なドクターですが、ドクターにとっては大勢の中の一人ですから。ドクターだって、人間ですしね」

 彼女は、主治医に病院を替わりたい旨伝え、ドクターはそのとき、冗談めかして「僕も、解放されて嬉しいよ」とおっしゃったとか。

 病院を替わってしばらくの間、彼女は不安を覚えている様子だった。が、どうやら病院を替わったことは彼女にとって、今のところはプラスに作用しているようだ。

 彼女は長年、睡眠薬の量を減らしてほしいと訴え続けてきたが、前のドクターにはその希望が受け入れられなかった。彼女は睡眠薬を多量に服用して自殺を図り、病院に容れられたことがあったが、ドクターに対するレジスタンスだったのかもしれない。

 新しい主治医は、彼女の希望に副い、睡眠薬を減らしてくれたそうだ。体がずいぶん楽になったという。昨日彼女はわたしが電話したとき、買い物に出かけていて留守だった。帰宅した彼女から電話があり、おしゃべりのあと、電話を切る前に、「今から、夕食の準備?」と尋ねると、彼女は弾んだように「ええ、今から」と答えた。

 いつも眠くてどろんとした意識だと病院を替わる前にいっていたが、その状態がかなり改善され、体が楽になり、苦痛だった料理も楽しく感じられるのだろう。

 専門家ではないから、新しいドクターと前のドクターのどちらの判断が正しいのかはわからないが、自殺をするくらいなら、ドクターを替えてみるほうがまだましだと思う。あるいは今流行のセカンドオピニオンもいいだろう。九州ではまだまだ根付くのに時間がかかりそうだが……。

 わたしは自分のこととして考えたから彼女にアドバイスができた。彼女を襲った二つの問題は、自分の問題でもあったからだ。同じというわけではないが、似た要素があるのだった。尤も、わたしにはまだ解決できていない。解決を急ぐつもりもない。甘い考えかもしれないが、問題そのものがいつの間にか自然消滅してくれればよいと思う。

 ところで、『不思議な接着剤』に登場する錬金術師の娘は彼女がモデルだ。娘は魔女と疑われて、鍾乳洞に囚われの身となっている。

 偶然の出来事にすぎないとはいえ、『接着剤』の続きを書くことを諦めかけたとき、彼女の自殺未遂が起きた。作品の取材旅行に出かけ、舞台のモデルとなる中世ヨーロッパについて調べ始めたら、彼女の病状は好転し、生活も快適なものになった。

 自分の病気について彼女は、キリスト主義の学校で過ごしたことに原因があると分析している。別の人には同じ学校が逆に作用することもあるだろうから、何ともいえないが、彼女に合わなかったことは確かだろう。

 当時、その学校はシスターの養成機関だったそうだ。必要でないから、笑うことはなかった。そこでは誰も笑わなかったそうだ。

 わたしが昔カトリック教会のアメリカ人の神父さんと話していたとき、その神父さんが「シスターを育てる学校は非人間的な場所だ」と眉を顰めて批判したことがあって、変な気がしたものだが、彼女がいたのは、そんな傾向の学校だったのかもしれない。30年も昔のことだから、今はどうか知らないが……。

 わたしはそもそも、中世のカトリック教会だの異端カタリ派だのについて調べるつもりはなかったのだ。それが、いつのまにか調べてしまっていた〔Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派参照〕。

 わたしは錬金術師の娘を、冒険に出かけた現代の子供たちに救い出させようと漠然と考えていた。でも考えてみれば、救うには、娘を捕らえた側について作者のわたしが熟知していなければ、不可能なことだったのだ。

 それはそうと、機が熟してきた。子供たちの冒険のときだ。

|

2009年12月22日 (火)

同人誌の仲間からお電話

 休刊になった同人誌の仲間、というより先輩というべきだが、Fさんからお電話をいただいた。

 互いの作品の長所短所を率直に指摘し合うなど、長話をしてしまったが、16:00までデパート近くの喫茶店にいるから出てこないかとお誘い。もう一人、大先輩(品格のある作風、年齢も高齢)もいらっしゃるという。

 出かけたいが、例によって、お誘いが直前だなあ。間に合ったら行くが、たぶん間に合わないといった。

 Fさんは率直で面白い。以前、わたしの作品Aを読んで、この人は壊れていると感じ、精神病かと思ったという。あるいは、髪を振り乱した淫乱女かのどちらかと思ったそうで。

 その作品Aは賞を狙った作品だった。壊れた作品でなきゃ賞がとれないと思った。とにかくあくどい作品にしたかったが、所々で本来の趣味が露出してしまったりして、半端なものとなり、それが壊れた人間が真面目に書いたような印象を与えたのだろう。

 実際いいところまでいったが、舞台裏ではデビューを控えた人物が既に待機していた。賞がいつもそうした人物のためのセッティングとは限らないから、そのときの候補者であるわたしたちは運が悪かった。デビューはお膳立てを伴うものらしいから、どちらにしてもデビューは望めなかっただろうが、せめて平等感のあるレースを闘いたかった。

 とはいえ、あれで賞がとれていたらいたで、賞の舞台裏のことを知らないまま、賞がとれたのになぜデビューできないのかと異様な無力感に苛まれていたかもしれない。

 わたしに実際に会ったら(二人まとめて、同人誌主幹のEさんに呼び出されたときのことだ)、あまりにまともな人だったので、驚いたとか。

 そのとき、Fさんは本当に髪を振り乱した淫乱女に会うと怯えていた様子で、初対面なのに、わたしを見てハッとし、次いで胸を撫で下ろす風であったから、変な気がしたが、そういう訳だったのか。

 そういうFさんだって、泥臭い民話調の作風から、田舎じみたおじいさんをわたしに想像させた。実際には若々しく、教師だったせいか、学生みたいな雰囲気のある人だ。

 ついでにいうと、書いている専業主婦というだけで、家事一つしない悪妻と思う人は多い。Fさんは、わたしの夫は天使みたいな良夫と思っているらしい。想像に任せるが。

 物を書いてきて、世俗的にはいいことなんか、一つもない。

 でもKさんがいっていたけれど、書くように生まれついているわたしたちには、どう世間にあしらわれようが、書く生きかたしかできないのだ。書いたりやめたりは、できない。Fさんも、Kさんも、わたしも、同類だ。こうした連帯感は、世俗的なメリットを求めて後天的(?)に書き始めたり、書いたりやめたりできる人々との間では生じない。

 これ書いているうちに、間に合わなくなった。バタバタして出かけていたら、それこそ髪振り乱して行くことになった。

|

2009年12月21日 (月)

ドラマ「JIN ―仁―」最終回を観て

 配役の妙もあるのだろうが、登場人物がそれぞれ魅力的だった。また、ストーリーが違うという点で、村上もとかの原作とは一味違う面白味があった。

 最終回にしては、あまりに謎が謎のままに放置されていると怪訝に思い、検索してみたら、続きは映画で……ということらしい。あら、そうなの?

 時代劇は観ないが、これだけは観た――と書かれた記事をちらほら閲覧したが、わたしも大人になってからは時代劇はほとんど観ない。子供の頃は、親に合わせてよく(仕方なく)観ていた。

 で、思うのだが、「JIN―仁―」は時代劇ではない。まぎれもない現代劇だと思う。

 時代劇には、どこかしら上から目線というか、形式重視というか、あの時代はこんなものだろう、という想定の下に、ストーリーも人間も型にはめたつくりかたが一般的で、自ずから俳優さんたちも型にはまらずを得ない。

 しかし、「JIN―仁―」の場合は、江戸時代という過ぎ去った時間に生きた人々を上から目線では見ていない。復古趣味ともまた違う、馥郁とした、初々しい描きかただった。

 あの時代はこんなものだろう、という想像力が働かないほど、江戸時代は遠くなったのかもしれない。そして、そのために、あの時代がかえってエキゾチックな輝きを放つようになったのかもしれない。主人公がタイムトラベラーであるという神秘が、よいスパイスともなっていた。

 その風通しのよい自由な、物柔らかな雰囲気の中で、俳優さんたちは各人の魅力を気ままに遊ばせていた(ように見えた)。

 ドクター仁は、野風=未来[みき](咲の言葉を引用すれば、どちらも形を変えた水。つまり姿を変えた同じ人物)と咲のどちらを選択するのだろう、というのがわたしの第一の興味だった。

 野風=未来は仁にとって、魅力的にすぎる。妖艶かと思うと堅気風、また粋であり、才華をほしいままにしているかと思うと、それら全てを手放しても構わない風の無欲な、無垢な素顔を覗かせたりもする。

 野風=未来はユング風にいうと、グレートマザー的な色彩の強い女性だ。偉大すぎて、魅惑的すぎて、仁は彼女に取り込まれ、彼女のうちに溶解しそうになってしまう。

 仁は、常に野風=未来を通して最大級の試練を与えられる。一人で試練に立ち向かえない彼には、仲間が現れる。

 タイムトラベルする前の現代では、そんな仲間は存在しなかった。だから、仁は試練に打ち勝てず、自己喪失した彼はカオスに墜落してしまったのだ(自殺の変形ともいえる)。

 墜落(タイムトラベル)した仁を、またしても江戸時代の花魁・野風に身をやつした未来(グレートマザー)が彼を招き寄せようと待ち構えている。

 が、自分探しの旅に出た仁は江戸時代という異界で仲間に出逢う。その中でもリーダー格は咲だ。

 まるで咲は仁の欠けた半身のようで、窮地に現れては首尾よく彼を救う。仁に欠けがちな決断力とインスピレーションを備えた最高のパートナーだ。追い詰められた仁の状況をしばしば逆転させる辺りは、トリックスター的役割も持つ(咲の動機は常に潔癖そのものだが)。

 ドラマでは、仁は咲を選択するという無難な判断を示して、グレートマザーである野風は撤退した(あまりにも美しく去った)。

 が、それは、そこが異界であったからこそ可能だった。彼の成功はあくまで幻なのだ。もう一度、元いた世界にタイムトラベル(輪廻転生)し、咲なしでグレートマザーである未来と対決しなければならないのではないだろうか。仁にとって、本来いるべき時は、あくまで現代なのだから。 

 打ち勝ったときに真の恋人が仁の前には現れるはずだ。それは、未来なのかもしれないし、違うかもしれないが、その恋人は、対等に接することのできる相手として出現するだろう。そうなって初めて、仁には可能になると思う。愛の行為が。

 何だか、ドラマから完全に離れて勝手な放言をしてしまった。別の物語を作っちゃった。

 映画に注文するとすれば、せっかく勝海舟だの坂本龍馬だのを出したのだから、ダイナミックな歴史の捩じれなども期待したいところ。

 龍馬は憎めない男に描かれているが、あれではだだの遊び人だ。それに、ペニシリンの発見者だというアレクサンダー・フレミングさん(わざわざググった)は、どうなるのさ? 胎児型腫瘍は神? 全てが胎児の夢だったりして……。ああまた、お話作っちゃう。もう、よそう!

|

2009年12月20日 (日)

おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2010

new2016年版はこちら⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/12/2016-8206.html

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 クリスマス、お正月などのイベントもすぐそこに来ていますね。大掃除もしなくてはならないし、気忙しいこの頃。年賀状は早めに済ませたいと思いながら、いつもこの時期になってしまいますが(今年は早いほう!)、またフリー素材屋さんの年賀状テンプレート・イラストを利用させていただこうと、検索してみました。

 昨年気に入った素材屋さんには、やっぱり今年も惹かれました。新しいところはあまり開拓できませんでしたが、それでも、4軒発見できて満足です! 今日は例によって、満足しただけで終わりそう。。。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

〇individual locker
http://www.individuallocker.com/
スタイリッシュ!

〇KF STUDIO
http://www.kfstudio.net/
キッズ風の年賀テンプレートが置かれています。

〇ふわふわ。り
http://shimizumari.com/fuwa2li/
ファンタジックな独自の世界を展開されているふわふわ。りさんが、寅年の年賀状を発表されています。

〇年賀状イラスト【睦び月(むすびづき)】
http://mt.first-moon.com/
幻想的。アニメ風の天女のイラストに悩殺されました。

〇キャノン クリエイティブパーク:年賀状作成おたすけサイト
キャノンのサイト。許可が要るようなので、リンクはしませんが、閲覧の価値ありです。綺麗なテンプレート、パーツが揃っています。ちなみに、うちのプリンタはキャノン。

☆ここからは昨年もご紹介した素材屋さん

〇無料/年賀状わんパグ
http://www.wanpagu.com/
もう食べちゃいたいほど可愛い虎くんたち。何ともいえない「トラのしっぽ」。ご家族の近況を伝えるのによさそうな写真フレーム年賀状素材も充実しています。わんパグさんの素材は、色が美しいですね。
娘は、わんパグさんしか見えないほど、お気に入り。

〇赤ずきんちゃんのかわいい☆無料年賀状
http://nengaakazukin.web.fc2.com/
年賀状からメルヘンの世界が拡がります。
わたしは前年、利用させていただきました。

〇わん太の素材屋
http://wantasozai.net/
サイト内の以下のコーナーが気に入っています。わたしは前年、ここから利用させていただきました。カードのようにお洒落です。
     ↓
 年賀状テンプレート
 http://wantasozai.net/gyoujinengatem/gyoujinengatem01.html

〇年賀状桜屋
http://www.sakurasozai.com/
女性向きの意匠です。

〇年賀状のイラスト屋さん
http://www.1fuji-2taka-onenga.com
前年わたしはここの縁起物テンプレから「祝い鈴」「歌舞伎・鏡獅子」をチョイス。格調高い年賀状になり、感謝!

〇初春年賀状工房
http://hagakisozai.com/
寅年をテーマとした更新はないようですが、落ち着きのある縁起物テンプレートが充実しています。

〇郵便年賀.jp
http://www.yubin-nenga.jp
努力を怠らない郵便事業株式会社のサイト。

| | トラックバック (0)

腕の痺れ

腕の痺れ

 寒いと発作が起こりやすい。昨日から不調だった。でも、わたしの場合、舌下錠があれば、憂いなし。

 昨日、エアコンの掃除を完了。テレビ中継中の女子高生の駅伝からパワーを貰おう。

 年賀を明後日くらいまでには済ませたいな。

 おすすめ年賀状テンプレートにアクセスが増えているので、2010版おすすめをこのあとアップする予定。

| | コメント (0)

2009年12月19日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #34/ペテロとパウロについての私的疑問/『マリヤによる福音書』についての私的考察#1

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#33
2009/12/15(Tue) ペテロとパウロについての私的疑問/カタリ派について#6/グノーシス主義の福音書『マリヤによる福音書』

☆『マリヤによる福音書』についての私的考察

20091217184509

 岩波書店から1997年から98年にかけて刊行されたグノーシス主義の文書――ナグ・ハマディ文書シリーズは全4冊、荒井献・大貫隆責任編集。内容構成は以下のようになっている。

Ⅰ救済神話 荒井献・大貫隆・小林稔訳

ヨハネのアポクリュフォン/アルコーンの本質/この世の起源について/プトレマイオスの教説/パシリデースの教説/パルクの書/解説

Ⅱ福音書 荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳

トマスによる福音書/フィリポによる福音書/マリヤによる福音書/エジプト人の福音書/真理の福音/三部の教え/解説

Ⅲ説教・書簡 荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳

魂の解明/闘技者トマスの書/イエスの知恵/雷・全きヌース/真正な教え/真理の証言/三体のプローテンノイア/救い主の対話/ヤコブのアポクリュフォン/復活に関する教え/エウグノストス/フィリポに送ったペトロの手紙/解説

Ⅳ黙示録 荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳

パウロの黙示録/ヤコブの黙示録1・2/アダムの黙示録/シェームの釈義/大いなるセツの第二の教え/ペトロの黙示録/セツの三つの柱/アロゲネース/解説

『マリアによる福音書』は『ナグ・ハマディ写本』には含まれていないが(『ベルリン写本』『オクシリンコス・パピルス』『ライランズ・パピルス』から見つかったものが知られている)、このナグ・ハマディシリーズに収録されている。

 わたしは真っ先に『マリヤによる福音書』を読んだ。

20091217174041

 冒頭で紹介されている『マリヤによる福音書』の内容構成は、以下。

(1-6は欠損)
 一 救い主の弟子たちへの教え(の続き)(7の1-9の5)

物質の消滅についての問いと答え(7の1-9)
世の罪についてのペトロの問いと答え(7の10-20)
人の死について(7の20-8の2)
パトスについて(8の2-11)
内にいる人の子について(8の11-21)
宣教命令(8の21-22)
法についての指示(8の22-9の4)
救い主の退去(9の5)

 二 その教えに対する反応(9の5-10の6)

彼が去った後の弟子たちの悲しみ(9の6-11)
マリヤの勧告(9の12-25)
ペトロのマリヤへの要請(10の1-6)

 三 マリヤが救い主から受けた啓示を語る(10の7-10、15の1-17の9)

幻について(10の7-10)
(11-14は欠損)
心魂の上昇の叙述(15の1-17の9)

  マリヤの話に対する反応(17の10-19の2)

アンドレアスの否定反応(17の10-15)
ペトロの同調(17の15-22)
マリヤの抗議(18の1-5)
レビの叱責と勧告(18の5-21)
弟子たちの出発(19の1-2)

 一はイエスと弟子たちの対話篇。

 二はイエスが去った後の場面。弟子たちは、イエスの宣教命令に対する困難を想像して動揺し、涙を流して嘆く。それに対して、マリヤ(このマリヤはマグダラのマリヤとされる)は彼らを力強く励ます。弟子たちはよい刺激を受けて、イエスの言葉について議論し始める。そこへペトロがいう。他の女性達に勝ってイエスに愛されたマリヤにだけ話されたイエスの言葉を聴きたいと。

 三は、マリヤがペトロの頼みを受けて語る場面。わたしが神秘主義的観点から特に興味を惹かれた箇所を、以下に抜粋しておきたい。

 マリヤが答えた。彼女は「あなたがたに隠されていること、それを私はあなたがたに告げましょう」といった。そして彼女は彼らにこれらの言葉を話し始めた。「私は」と彼女は言った、「私は一つの幻の内に主を見ました。そして私は彼に言いました、「主よ、あなたを私は今日、一つの幻の内に見ました。」彼は答えて私に言われました。
「あなたは祝されたものだ、私を見ていても、動じないから。というのは叡智のあるその場所に宝があるのである」。
 私は彼に言いました、『主よ、幻を見る人がそれを見ているのは、心魂〈か〉霊(か、どちらを通して〉なのですか』。
 救い主は答えて言われました。「彼が見るのは、心魂を通してでもなければ、霊を通してでもなく、それら二つの真ん中に〔ある〕叡智、幻を見る〔もの〕はそ(の叡智)であり、そ(の叡智)こそが……

 ところで、話題はここでパウロに飛ぶが、わたしは以下の2点において、パウロに疑問を抱いてきた。
①イエスによる啓示の強引さ。
②パウロの言葉が発する女性蔑視の臭気。

 神秘主義的観点からすれば、高級霊が①のように強引にこの世の人間に関わることはありえない。わたしが高級霊といったのは、パウロの体験に見るイエスの出現の仕方と、イエスが神的であるとするキリスト教の主張を折衷させて考えるとすれば、この存在しかありえないからだ。

 それでも、高級霊の出現の仕方としては俗っぽすぎて、何なのだろうと思っていた。キリスト教の信者ではない率直さでいうと、わたしはパウロのいうイエスは、イエスではないと思う。パウロの体験は、トンデモ宗教の神に憑かれたトンデモ教祖の体験と区別がつかない。

 それが『マリヤによる福音書』に描かれる内的体験としてのマリアが受けた啓示は、高級霊の関わりかたとして見ても、彼女の内なる神性との関わりかたとして見ても、おそらくその双方であろうが、キリスト教の信者ではないわたしには納得のいくものだ。

 神秘主義的には高級霊は、その人に潜む神聖な意識(高級我)を通してしか関わることができないからなのだ。高級なものは高級なものにしか関わることができない。このことは、以前わたしが過去記事:エッセー『卑弥呼をめぐる私的考察』の中で紹介したような、宇宙と人間の七本質に関する基礎知識がなくては理解に苦しむだろうと思う。

 わたしには今それをここで詳しく解説するだけのゆとりがないが、再度、H・P・ブラブゥツキー著『実践的オカルティズム』(田中恵美子、ジェフ・クラーク訳、竜王文庫、1995年)の用語解説より、その七本質を紹介しておく。

神智学の教えによると、人間を含めて宇宙のあらゆる生命、また宇宙そのものも〈七本質〉という七つの要素からなっている。人間の七本質は、(1)アストラル体(2)プラーナ(3)カーマ(4)低級マナス(5)高級マナス(6)ブッディ(7)オーリック・エッグ

 アストラル体はサンスクリット語でいうリンガ・シャリーラで、肉体は本質というよりは媒体であり、アストラル体の濃密な面にすぎないといわれる。カーマ、マナス、ブッディはサンスクリット語で、それぞれ、動物魂、心、霊的魂の意。ブッディは高級自我ともいわれ、人間の輪廻する本質を指す。ブッディは全く非物質な本質で、サンスクリット語でマハットと呼ばれる神聖な観念構成(普遍的知性魂)の媒体といわれる。

 ブッディはマナスと結びつかなければ、人間の本質として働くことができない。マナスはブッディと合一すると神聖な意識となる。高級マナスはブッディにつながっており、低級マナスは動物魂即ち欲望につながっている。低級マナスには、意志などの高級マナスのあらゆる属性が与えられておりながら、カーマに惹かれる下向きのエネルギーも持っているので、人間の課題は、低級マナスの下向きになりやすいエネルギーを上向きの清浄なエネルギーに置き換えることだといえる。

 人間は、高級マナスを通してはじめて認識に達するといわれており、マリヤが伝えるイエスの言葉は、わたしにはそのことを意味しているように思われる。

 なぜなら、このあと『マリヤによる福音書』ではイエスの教えとして、心魂の上昇する旅が描かれているからで、心魂は七つの権威(煩悩と解釈できよう)――闇、欲望、無知、妬み、肉の王国、肉の愚かな知恵、怒っている人の知恵――に打ち勝ち、時間の、時機[とき]の、永久の安息へと至るのだ。

 では、弟子たちの前にイエスが復活したという福音書におけるリポートをどう解釈するかであるが、他の弟子たちはマリヤほどの高い境地には達していなかったため、死んだイエスには、《復活》するしか彼らと接触する手段がなかったということは神秘主義的に考えれば、充分ありそうなことだと思われる。

 パラマンサ・ヨガナンダ著『ヨガ行者の一生』(関書院新社、昭和35年)では、ヨガナンダの師匠であったスリ・ユクテスワァが死後に出現する場面が、感動的なタッチで描かれている。

 尤も、ヨガナンダの場合は優れた弟子であったから、ユクテスワァは、イエスがマリヤに出現したのと同じような、死者自身に負担の少ない出現の仕方もできたはずだが、ユクテスワァはヨガナンダを喜ばせるために、あえて《復活》してみせたのだろう。

 その場面を、少し長くなるが、前掲の『ヨガ行者の一生』から紹介しておきたい。

 1936年6月19日の午後3時――つまり、ボンベイのホテルでベッドの上に座っていた私は、名称しがたい歓喜の光によって瞑想から覚まされた。すると、驚いたことに、部屋中が不思議な世界に変わっている。天来の光輝が日光にとってかわっているのである。

 肉体の形をとったスリ・ユクテスワァの像を見た私は、恍惚の波に包まれた。
「私の息子よ」先生は天使のように魅力的な微笑をたたえながら優しくいった。
 私は生まれてはじめて跪座の礼も忘れて、飢えたように先生を両腕に抱きしめた。ああなんという素晴しい瞬間だろう! 今私の上に降った奔流のような至福に比べるならば、過去数ヵ月の苦悩は物の数ではなかった。
「私の先生、私の心の愛するお方、あなたはどうして私を置いて行かれたのですか」私は喜びの余りわけのわからぬことを口走った。「どうして先生は、私にクムパ・メラに行くことを許されたのですか。私はあの時先生の傍を離れたことをどんなに後悔したか知れません!」
「私は、ババジと私の邂逅の地を見たいという、お前の美しい期待をさまたげたくなかったのだ。私はお前とほんの暫く離れているだけだ。お前もいつかは私の処に来るのではないかね?」
「でも、これは本当に先生なのでしょうか、あの神のライオンである先生なのでしょうか? 先生が今着ておられるその肉体は、私がプリの庭に埋葬したあの肉体と同じものなのでしょうか」
「そうだ、子供よ。同じものだ。これは血の通う肉体だ。私の眼にはエーテル体に見えるが、お前の眼には物質に見えるであろう。私は宇宙原子から全く新しい体を創ったのだ――お前が夢の国で、プリの夢の砂地に埋葬した夢の肉体と全く同じ肉体を、わたしは実際に復活したのだ。此の世でなしに、幽界に――幽界の居住者達は、此の世の人々よりもずっと容易に私の高い水準に順応することができる。お前も、お前の愛する高弟達も、いつかは幽界の私の許に来るであろう」
「ああ、死を知らぬ先生、もっと話してください、お願いです!」
 先生は愉快そうにクスクス笑った。「ヨガナンダ、お願いだからもう少し抱擁を緩めてくれないか」
「ほんの少しだけですよ」私はまるで蛹のようにしっかり先生に獅噛みついていた。私には彼特有のほのかな香りよい体臭が感じられた。今でもこの時の輝かしい会合を思い出すと、両腕と掌の内側に先生の神々しい肉体のぞっとするような感触が蘇ってくる。

 ちなみに、ヨガナンダの死に際して起こったことを前掲の『ヨガ行者の一生』から紹介すると、晩餐会における演説を終えたヨガナンダはマハーサマージ(ヨギが肉体を脱する際の意識状態)に入った。そして遺骸に関する検証は、20日経って柩に青銅の蓋がかぶせられる直前になっても死体の状態には何ら分解の色が見えず、死臭が漂うことも全然なく、生前そのままの状態を維持していた……と驚きを持って報告している。

 前掲のブラヴァツキー著『実践的オカルティズム』では、アデプト(イニシエーションの段階に達し、秘教科学に精通されたかたをいう)は、特別な場合に使うために作られるマーヤーヴィ・ルーパー(幻影体)を自在に使うことができると解説がある。

 そこまでレベルを落とさなければ、マリヤ以外の弟子たちにはイエスは出現できなかったのだとしたら、イエスの復活は、復活という負担を師匠に強いらねばならなかった弟子たちの――弟子に選ばれたにしては――一般人とあまり変わらない劣等生ぶりをあかし立てる恥ずかしい事態以外の何物でもないとわたしは思う。その後、イエスの《復活》が満艦飾にイルミネーションされ、広告塔に使われたことを考えると、恥ずかしいというより、人類を知的に退化させるあまりの愚かしい事態に戦慄を覚える。

 マリヤは『マリヤによる福音書』の中では、イエスが愛した女性として、そして、イエスに愛されるに足るだけの高い境地に達した愛弟子として描かれている。しかしマリヤの言葉が、ペトロはじめ弟子たちの嫉妬と不審を買ったらしいことが四のくだりでわかる。その様子は、あまりにも人間臭く、生々しい。

 すると、アンドレアスが答えて兄弟たちに言った、「彼女が言ったことに、そのことに関してあなたがたの言(いたいと思)うことを言ってくれ。救い主がこれらのことを言ったとは、この私は信じない。これらの教えは異質な考えのように思われるから」。
 ペトロが答えて、これらの事柄について話した。彼は救い主について彼らに尋ねた、「(まさかと思うが)、彼がわれわれに隠れて一人の女性と、(しかも)公開でではなく語ったりしたのだろうか。将来は、われわれは自身が輪になって、皆、彼女の言うことを聴くことにならないだろうか。(救い主)が彼女を選ん〈だ〉というのは、われわれ以上になのか」。
 そのとき、〔マ〕リヤは泣いて、ペトロに言った、「私の兄弟ペトロよ、それではあなたが考えておられることは何ですか。私が考えたことは、私の心の中で私一人で(考え出)したことと、あるいは私が嘘をついている(とすればそれ)は救い主についてだと考えておられるからには」。
 レビが答えて、ペトロに言った、「ペトロよ、いつもあなたは怒る人だ。今私があなたを見ている(と)、あなたがこの女性に対して格闘してるのは敵対者たちのやり方でだ。もし、救い主が彼女をふさわしいものとしたなら、彼女を拒否しているからには、あなた自身は一体何者なのか。確かに救い主は彼女をしっかりと知っていて、このゆえにわれわれよりも彼女を愛したのだ。むしろ、われわれは恥じ入るべきであり、完全なる人間を着て、彼がわれわれに命じたそのやり方で、自分のために(完全なる人間)を生み出すべきであり、福音を宣べるべきである、救い主が言ったことを越えて、他の定めや他の法を置いたりすることなく」。〔    ±8    〕したとき、彼らは〔告げるため〕、また宣べるために行き始めた。

 ペトロたちを、ここではレビが諭すことにどうやら成功したかのようだが、その後にマリヤが排斥、追放されたことはありえることだ。でなければ、『マリヤによる福音書』が隠されてなどいただろうか。『マリヤによる福音書』の欠損が惜しい。

 わたしにはイエスを仏陀のような、この世という学校を卒業したけれど、後輩の指導のために、あえて母校を訪れてくれた親切なOBの一人としてしか、思い描くことはできない。

 もし、パウロがイエスに由来すると思い込んだ体験が茶番劇でなければ、彼の精神を受け継いだ教会のその後の強引で暴力的な行いと、世俗的な成功は何だろう?  その哲学性ゆえに男女平等の立場を貫くグノーシス主義が勝っていたら、キリスト教にも女教皇が当然のようにいただろうし、東西の思想的な分裂もそれほどではなかったかもしれない。

 正統性を声高に暴力的に主張するカトリックとの関わり合いの中で、グノーシスの精神を受け継いだカタリ派がデミウルゴス(創造神)を悪魔とまで言い切る姿に、わたしは彼らの歴史的に形成されたトラウマ(精神的外傷)を見る思いがする。

 後世に希望を託して写本を隠した人の思いは、如何ばかりであったろう。このことを逆から見れば、それまでは隠す必要がなかったわけだ。

2009/12/19 10:25

|

腰が痛い

 真夜中になってから、ときどき腰が抜けるようにだるくて痛くて、冷や汗が出るほど。

 ここ数日、膀胱炎になりかけみたいな排尿時の軽い痛みがあって、水を飲むように努めていたけれど、石かしら。

 腰のだるさ、痛みで眠れない。この忙しいときに……困ったわ。

 明日いや、もう今日ね……エアコンのストリーマお掃除を済ませ、年賀にとりかかる予定なのに。昨日書いた記事も中途半端。クリスマスが近づいたこの時期に何だって、カタリ派だのグノーシスだのが気になるんだか。

 だからこそ、気になるのかもしれない。調べれば調べるほど、彼らの程度の高さがわかり、ショックを受けている。そして、そんな彼らが受けた扱いに……。何かこの数週間で、人類に関するイメージが変わった。人間は凄い、そして怖ろしい。

 ああ腰が痛い。石なら、出てさえくれたら万事解決なんだけど。フー痛いわ!

〔朝になった段階では、痛みは休止中……でもまだ腰もおなかも変、だるい。〕

| | コメント (0)

2009年12月17日 (木)

マリヤによる福音書

 休日の夫に頼んで、また図書館に行って貰い、4巻からなるナグ・ハマディ文書シリーズを借りて来て貰いました。

 一番に目を通したのは『マリヤによる福音書』。マグダラのマリア(マリヤ)が語ったイエスの言葉が記録されていて、それは彼女の内的な体験と見てよいもののようで、パウロの体験のように派手なものではなく、表現も飾りけがないだけに、わたしには生々しく感じられました。

 また神秘主義的観点からは、ひじょうに興味を惹かれる箇所があります。

当ブログ内における『マリヤによる福音書』を私的に考察した記事はこちら。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/notes347-68b3.html

 携帯からなのですが、テレビでERがあってるし、その後入浴もしなくては。でも、今夜は宅配寿司にしたので、元気だぞぅ! 夜更かししてやるわ。

 聖徳太子の思想も知りたくなり、中央公論社の日本の名著シリーズから借りてきて貰いました。

 あ、娘にパソコン取られた! 娘とパソコンを共有しています。画面を分けて使っているので、プライバシーは保てます。

 わたしは昼間使えるので、夜は基本的に彼女が就寝するまでは娘のパソコン。その間、読書したり、考えたりできるので、一人で独占できるより好ましいかも。

 話は変わりますが、文学の協会は更新手続きをしないことにしました。会誌に惹かれる作品がなく、自作の発表の場として期待できず、会費はわたしにはいささかお高い。で、掌編の計画はなかったことに。

|

2009年12月16日 (水)

昨日の夕飯(江戸崎愛先生レシピ『牛肉とピーマンの炒めもの』)

Pc010069_2

 たまには牛肉料理が食べたくなりますが、国内産は高くて、なかなか手が出ません。ところが、安い切り落としがさらに安くなっていたので300g買いました。

 その肉で、江戸崎愛先生のレシピ『牛肉とピーマンの炒めもの』を作りましたが、何だかふっくらとした味わいで、薄切り肉を使ったときとはまた別の美味しさがありました。

 ちなみに、カルビで作るのも、わたしは好きです。タケノコや細切りにしたジャガイモを一緒に炒めても、美味しいですよね。

 『牛肉とピーマンの炒めもの』のレシピを、江戸崎愛著「肉・卵の基本料理」(家の光協会、昭和56年)からご紹介します。

[材料・4人分〕
牛赤身肉の薄切り200g,ピーマン6個,にんにく1かけ,しょうゆ大さじ1/2,酒小さじ1,かたくり粉小さじ2,ごま油大さじ5,
{しょうゆ,塩小さじ1/2,砂糖小さじ1,酒大さじ1}.

[作り方]

  1. 牛肉は5ミリ幅のせん切りにし、しょうゆと酒をまぶして15分おきます。
  2. ピーマンは種を取って斜めせん切りにします。
  3. ねぎは粗くみじん切りにし、にんにくもみじん切りにします。
  4. 中華鍋をよく熱し、ごま油を入れて油をなじませてから、③のねぎとにんにくを炒めます。
  5. ①にかたくり粉をまぶしつけてから④に加え、強火で手早く炒めます。
  6. 牛肉に火が通ったら②のピーマンを加え、同じように強火でさっと炒め合わせます。
  7. { }の調味料をよく混ぜ合わせ、⑥の鍋肌から手早くまわし入れます。水分を蒸発させるように強火で手早く炒めて味をなじませ、火を止めます。

Pc010075

 柿が美味しい! 林檎は紅玉です。わたしは林檎の中でも酸味の強い小ぶりの紅玉が一番好きなので、見かけるとすかさず買うことにしていますが、昔と違って、なかなか見かけません。紅玉はサラダにも合うので、もっと市場に出ればいいのになと思います。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月15日 (火)

Notes:不思議な接着剤 #33/カタリ派における祈り

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#33
2009/12/15(Tue) カタリ派について#6/資料#4/カタリ派における祈り

☆カタリ派における祈り

 神秘主義における祈りの分類(ここではブラヴァツキーの解説による)。
①嘆願。
②神を呼ぶ、まじない。
③「隠れたるところにおいでになる父」との霊交。

 ③を唯一可能にする、神秘そのものの清浄な意志の祈り(これは、祈りを錬金術でいう哲人の石に変えるので、霊的変質の過程といわれる)以外の祈りは、容易に黒魔術の手段に堕ちる。

 神秘主義では祈りについて、それが人間の自信をなくさせ、生まれつきもっている以上のひどい自己本位を育てる畏れがあるとしており、祈ることが脳天気に奨励されることは決してない。〔わたしは過去、重体の母の枕許で祈りについて徹底的に考えさせられた。祈ることができなくなり、そのあとですばらしい内的体験が訪れた→当ブログの過去記事:手記『枕許からのレポート』参照。〕

 戦争では殺しさえ神の名のもとになされることがあり、自分だけのメリットを願う祈りは広く一般化している。神秘主義は、こうしたありふれた祈りが放つ臭気に怖気をふるうのだ。

 宇宙と人間の構造に関して神秘主義の哲学(表現の違いはあっても、東西の神秘主義は同一の知識を共有していることがわかる)を採用していたカタリ派は、祈りの危険性に敏感だった。だから帰依者(一般信者)に祈ることを禁じたのだ。

 神秘主義に通じてさえいれば、この辺りの事情はすぐにわかるのだが、『モンタイユー ピレネーの村1294~1324』(エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ著、井上幸治/渡邊昌美/波木居純一訳、刀水書房、1991年)を著したアナール派にはわからなかったようだ。

 『モンタイユー』が凄腕のエリート異端審問官ジャック・フルニエによる異端審問記録をもとにした貴重な民俗誌であるのに、異様に読みづらく、この読みづらさは何だろうと思っていたら、キリスト教的分析という以上の独断、偏見といえる感想が夥しく混じっているからだと、カタリ派の祈りが採り上げられた箇所でようやく気づいた。

 何としたことか、カタリ派は中世と現代における二重の異端審問の禍に見舞われたのだった! それにしても、またしてもアナール派だ! カトリックの牙城なのか?

 以下に、『モンタイユー』から問題の箇所と、『異端カタリ派の哲学』(ルネ・ネッリ著、柴田和雄、法政大学出版局、1996年)から、カタリ派における帰依者に対する祈りの禁止の一件を解説した箇所から抜粋しておく。

以下は、『モンタイユー』から問題の箇所。

 忘れてならないのは、サバルテスにはフランチェスコ会の影響が低平地ほど強くなかったことである。そのため、頻繁かつ熱烈な、いわゆる集中祈祷の習慣はフォア伯領高地部の本来のカトリックには見出されない。かえって、この地域の異端にその習慣が見られた。それも、完徳者が、あるいは完徳者だけが、熱心に祈っているのだ。ベリバストは一夜に六度も寝床から起出して、下着のままで熱心な祈りを捧げた。ひどくこみあう宿舎では、ベリバストが飛び出して跪くたびに一つの寝床に寝ている他の客が目覚めるので、わざわざ寝床の端に寝させたほどである。同室の客たちが聖人に倣うなどということは問題にならない。彼の敬虔な習慣は誰にも感染していない。そもそも、ベリバスト自身、自分をお手本にせよとは信者に全然要求していないのだ。それどころか、信者には祈るなと申し渡しているのだ! 普段の暮らしのせいで帰依者たちの口は不浄だから、彼らが祈れば「われらの父」という言葉まで汚れてしまう。いみじくもピエール・セリが言っている。

「まことの道にあるお師匠さまたち[ノ・セニユール](善信者)以外には、誰もわれらの父[パテル・ノステル]などと言ってはならないのであります。このわたしどもがわれらの父を口に致しますならば、大罪をおかすことになるでありましょう。それは、わたくしどもがまことの道に入っていないからであります。わたしどもは肉を食べたり女と寝ることもあるからであります」

 したがって、あたかも近代国家が塩と煙草を専売にしたように、ベリバストは主の祈りを独占しているのだ。もともとサバルテスの農民は、純朴なカトリックの伝統の中でも、長々と熱心に、心を込めて祈る習慣などもってはいない。アルビジョア派の帰依者になってから余計祈らなくなったのは、この習慣のベリバスト版にすぎないのだ! 実に、彼らは「カタリ派」完全主義の名において、世にももっとも祈らぬ者たるべく指導されているのだ。完全主義はごく一部の者を天使、そして大多数の者を野獣扱いする結果となったのである。

 以下は、『異端カタリ派の哲学』から、カタリ派における帰依者に対する祈りの禁止について解説した箇所。

 『ヨハネによる福音書』には悪魔がしばしば登場する。しかしこの世の創造者としてではなく、この世の〈王〉としてである。真の神は物質界の「父」にあらずというキリストの断言――もちろんこれをいろいろに解釈できよう――が、この福音書に見出せる。霊的な意味合いからすれば、罪人とは悪魔の申し子である(それゆえにカタリ派では、単なる帰依者[クロワヤン](カタリ派における一般信者)たちは「彼らの父」〔=悪魔〕に呼びかけることになるから、「主の祈り[パーテル]」を神に向けて唱えることはできないとされたのである)。キリストはこう言っている。「あなた方は悪魔を父とする。だから父の欲望をあなた方は満たそうとする!」(同8-44、クレダ版175ページ)。

 カタリ派における帰依者に対する祈りの禁止は、祈りの本質を厳密に分析した結果の用心深さであって、『モンタイユー』の著者が鬼の首でもとったように批判するような(人道に反するとでもいいたいのだろう)、理不尽な差別を原因とするものではない。それは神秘主義における祈りの定義を踏襲した結果の科学的判断といってよい。

 マドレーヌ・スコペロ著『グノーシスとは何か』(入江良平/中野千恵美訳、せりか書房、1997年)の日本語版への序文の中に、次のような一文がある。

 グノーシス主義者――この名称は彼らの思想を反駁したキリスト教の反異端者が用いていた通称なのですが――は、二世紀と三世紀における知的エリートでした。彼らは、哲学的な文化およびさまざまな伝統(ギリシャ、ユダヤ、キリスト教)に養われた繊細な聖書の釈義者であり、寓意の技術にたけており、自分たちの思想学派を創設して、その教義をローマ帝国内に普及させました。

 カタリ派がグノーシス主義の影響を受けたのだとすると、グノーシス主義では寓意が好まれたことをよく考慮せねばならない。悪魔、とはある科学的な性質、現象、段階といったものを寓話で語った場合の表現に他ならないのかもしれないという想像が働く。

 ところで、グノーシス主義とは何か?について、アカデミックな学会はどう定義づけているのか、前掲のマドレーヌ・コスペロは述べている。

 グノーシス主義とは何か?
  ここではグノーシス主義を、ローマ帝国で後二、三世紀に発展した、知識の概念を中心とする一つの思想運動という意味で用いる。
 グノーシスというのは、彼らの共通する思想傾向を指す。これは知識の概念をめぐって見出される彼らの公分母である。この意味においては、マニ教、マンダ教、カバラもまたグノーシスの諸形態とみなしうる。
 つまり、グノーシス主義という術語には明確な歴史的含意があるが、グノーシスという術語にはそれがない。
 グノーシス主義とグノーシスのこの区別は、ウゴ・ビアンキ教授を議長としてメッシーナで開催されたグノーシスをめぐる学会(1966年)における討議を通じて定められたものである。

 ここで話題は、今一度『モンタイユー』に戻るが、 異端審問官ジャック・フルニエが凄腕を発揮したのは、1290年から1320年にかけてのことだった。

 カタリ派最期の砦モンセギュール陥落が1244年だから、フルニエは彼の管轄した地域に残るカタリ派の余韻を徹底して消し尽くそうとしたわけなのだ。フルニエはその後出世して、1327年に枢機卿、34年にはアヴィニョンの教皇に選ばれた。法号はベネディクトゥス12世。

 ところで、ブラヴァツキーは『シークレット・ドクトリン』で、彼女の『アイシス・アンヴェールド』ではグノーシス派や初期のユダヤ人のキリスト教徒やナザレ派やエビオン派の体系が充分に考察されたといっている。

 神智学協会ニッポン・ロッジの前会長の死後に二つに分裂した会のどちらでも『アイシス』の邦訳が会誌に連載されていたはずだと思い、捜してみたが、一方ではナザレ派に関する章は見つかったのに、グノーシス派に関するまとまった章は既に訳出されたのか、まだなのか、見つからず(こちらに入会するのは遅れたので、わたしはある時期からの会誌しか所有していない)、他方では邦訳の進行状況がナザレ派よりずっと前の段階にあって、グノーシス派が考察された章には届いていないことがはっきりしている。

 いずれにしても、まだどちらも本になっていないので、仮にグノーシス派に関する邦訳部分があったとしても、ここで勝手に引用するわけにはいかない。

 ただ、『シークレット・ドクトリン』でも、ブラヴァツキーの他の著作でも、グノーシス派の文献からの引用はあちこちに散りばめられている。例えば、マドレーヌ・スコペロの『グノーシスとは何か』に、グノーシス派の著者たち自身の文献として『ピスティス・ソフィア』と呼ばれているものが紹介されているが、『シークレット・ドクトリン』にはこれが出てくる。

 ナグ・ハマディ叢書の発見は1945年のことで、ブラヴァツキーは1891年に亡くなっているから、彼女にとって『ピスティス・ソフィア』は特に貴重な文献と思われたに違いない。

 以下はブラヴァツキー著『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子/ジェフ・クラーク訳、神智学紹介ニッポン・ロッジ、平成元年)の付録――議事録――からの断片的な抜粋にすぎないので、ここで質疑されている内容についてはわかっていただけないだろうが、ブラヴァツキーがグノーシス派を出す場合の方法をお目にかけることはできると思うので、あえて以下に抜粋、紹介しておきたい。以下は質問に対するブラヴァツキーの答えで、ここで話題になっているのは、『ジヤーンの書』と呼ばれる書に出てくる“第二の七者”と“原初の七者”及び“神聖な四者”との関係。

〔略〕魔術師シモンから史上で最も高尚な哲学体系である『ピスティス・ソフィア』にいたるまで、西暦の最初の二、三世紀のグノーシス派の体系を先ず勉強すれば、その関係をもっとよく理解できる、というよりもすべての理解力を超えたものであることが分るでしょう。そうした体系はみな東洋から得たものです。私達が“原初の七者”と“第二の七者”と呼ぶものは、魔術師シモンに“アイオーン”、そして第一、第二、第三のスズキー(対[つい])のシリーズと呼ばれます。それらは等級制の発散物であり、根源的な原理からますます深く物質に降下するものです。シモンは根源的な原理を火と呼び、私達はスヴァバヴァットと呼びます。私達の体系でもそうですが、その火の背後に、顕現したが、沈黙を守る神、即ち、“有り”、“有った”、“永遠に有るであろうもの”が存在します。シモンの哲学体系とそれとを比較してみましょう。
 『フィロソフメーナ』即ち、『哲学的思想』の著者はシモンの著作の言葉を引用します。“ 最初の顕現した原理である‘火’(第三ロゴス)は永遠の安定性と不死性を持っているが、その不変性はは活動を排除するわけではないし、そこから発する第二の原理は知性と理性(マハット)をもっているので、火は活動の可能性から活動そのものへと移った。この一連の進化から六人の存在が形成された。即ち無限の力からの発散物である。それらは対の形をとった。つまりそれらは二つずつ炎から発せられたものであり、一方は能動的、他方は受動的であった”。シモンはこれらに霊(ヌース)と想念(エピノイア)、声(フォーネー)、と名称(オノマ)、理性(ロギスモス)と反省(エンテュメーシス)という名前をつけました。“これら六人の原初の存在それぞれの中で、無限の力の全体が存在していたが、活動としてではなく可能性として存在した。その本質と美徳と壮大さと影響力が完全に現れるために、イメージ(模範の)を通してその中で確立されなければならなかった。するとはじめて親なる力のように無限永遠なものとなることができる。一方、もしイメージを通して形成されなかったら、その潜在力は決して無力となり、活動に移ることはなく、使用されないので、なくなってしまう。文法あるいは幾何学の才能を持っている人がその能力を役に立てないと、まるで才能がはじめからなかったように、なくなってしまうのと同じことである。”
 アイオーンが高級、中級、低級の世界のいずれかに属するにせよ、みな一つであり、その質料の濃密度が違うだけであるとシモンは言います。質料の濃密度はアイオーンの外的な現れとそこから生じる結果を決めますが、同一のものであるその本当のエッセンスと、不変の法則によって永遠に定められたそれらの相互関係を決めるわけではありません。
 さて、第一と第二と第三あるいは原初の七者とリピカはみな一つです。それらが一つの階層から別の階層へと発散して行く場合、それは“上の如く、下も然り”の反復です。質料と濃密度という点で分化していますが、特性では分化していません。同じ特性は最後の階層である私達の世界にも降りて来ます。人間には最高のディヤーニ・チョーハンと同じ可能性が備わっていますが、それをどのように展開したらよいのか分りません。
 アイオーンのヒエラルキアに関して、シモンは三つの対を示しますが、七番目のものとは、一つの階層から次の階層に下降する四番目のものです。
 リピカはマハットから発します。彼等はカバラでは、四人の“記録する天使”、インドでは人間の各々の思いと行為を記す四人のマハーラージャ(四天王)と呼ばれ、『黙示録」では聖ヨハネは“生命の書”と呼びます。彼等はカルマ及びキリスト教徒が“最後の審判”と呼ぶものと直接関係があります。東洋では、それは“マハーマンヴァンタラの翌日”あるいは“我々と共にあれという日”と呼ばれます。大変に神秘的な教えによると、その時、すべてのものは一つとなり、ありとあらゆる個体は一体となりますが、同時にそれは自らを知るでしょう。しかし、今、私達にとって非常識あるいは無意識と思われるものが、その時に絶対的な意識となるでしょう。

 魔術師シモンと呼ばれる人物は、前掲の『グノーシスとは何か』で、グノーシス主義の大物、重要な教師たちとして紹介される人物のうちの筆頭に来ている。ブラヴァツキーは、『ジヤーンの書』に出てくるある重要な寓意を、ここではそれに当てはまるグノーシス派の寓意で解説しようとし、さらにそこに隠された科学的な意味合いを近代的な用語で解説するという骨の折れる作業を続けているのだ。

 『ジヤーンの書』については、前掲の『シークレット・ドクトリン』宇宙発生論の上巻に補遺(その1)として編者による註がある。以下。

『キウ・ティ』Kiu-tiは、顕教的にも有名なオカルト文献のチベット語のシリーズの総称的な題目であって、これには寓話と象徴の形で深遠な秘教の教えが含まれている。キウ・ティ=シリーズの最初の巻の一つは『ジヤーンの書』である(ジヤーンはサンスクリット語のディヤーナのチベット風及び蒙古風の発音)。その書には本来の古代の教えが含まれているので、HPBがそれをもとにして書こうと、特に選んだものである。明らかに本来の秘教はキウ・ティ文献中の外部からの関係のない沢山な材料で包みかくされている。『ジヤーンの書』の本当のオカルト部分はキウ・ティ諸巻の最初のほうの一巻であって、主に宇宙発生論を扱っている。

 中世のカトリック教会はカタリ派を、そして自分たちの力の及ぶ範囲からグノーシスを根絶したつもりだったのかもしれないが、グノーシス派の哲学はブラヴァツキーの著作の中で生き生きと息づいている。その後、ナグ・ハマディ叢書と呼ばれる大量のグノーシス派の著者たちの文献(古いコプト語の写本)が密封された大きな壷の中から出てきて(発見したのは上エジプトにある村の農民で、発見された場所はナグ・ハマディという場所の洞窟の中)、学術機関での研究も進んできたようだ。

 カタリ派はヨハネ福音書を偏愛したことで知られるが、福音書の中ではそれが原始キリスト教の精髄を伝えるものと思われたからだろうし、ヨハネ福音書がそれにふさわしいだけの哲学性(科学性)を備えていたからに違いない。  

|

一昨日の夕飯(つくねとがんもの含め煮、きゅうりとトマトの中華風酢の物)

20091213000529

 一昨日の夕飯です。

Pb280058

 『つくねとがんもの含め煮』を「毎日のお惣菜シリーズ4 肉料理」(婦人之友社、1986年)からご紹介します。

[材料・4人分]
とり挽肉200g,
A《葱(みじん切り)大匙3~4杯,卵1/2個、小麦粉大匙2杯,味噌大匙1杯》,
がんもどき5個(300g),
煮汁《醤油大匙1と1/3杯,砂糖大匙1と1/2杯,塩小さじ1と1/2杯,みりん大匙1と1/2杯,だし1カップ》,
さやえんどう(茹でて)50g,針生姜適宜.

[作り方]

  1. とり挽肉とAの材料を、よくまぜ合わせます。
  2. 肉をしゃもじにのせ、沸騰湯の中にナイフで切り落としていきます。再び煮立って、つくねの中まで火が通ったら、とり出します(残りの茹で汁はあくをとって、汁ものに使います)。
  3. がんもどきは、熱湯を通して油抜きをします。
  4. 煮汁の材料を煮立てた中にがんもどきと、つくねを入れて煮含めます。
  5. 残りの煮汁で、さやえんどうにさっと火を通して、一緒に盛り、針生姜を添えます。

Pb280061_2

 使い切りたいトマトときゅうりがあったので、両方使えるサイドディッシュはないかと探していたら、メインディッシュとも相性のよさそうなレシピが「365日のおかずと献立」(主婦の友社)にありました。

 切ったトマトときゅうりを盛り合わせたところへ中華酢をかけるのですが、その中華酢の材料をご紹介しますと、酢・しょうゆ・みりん・だし各大さじ1、ごま油小さじ1/3です。泡立て器でよくまぜてかけます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月14日 (月)

息子の初プラトン体験

 昨日電話してきた息子が、最近プラトンを読み出したといった。

 息子は理系、わたしは文系と綺麗に棲み分けているところがあり、息子は哲学を文系に容れて近寄らないところがあった。しかし、哲学は理系の要素も強い分野のはずで、だからわたしは理系的な部分はわかったような、わからなかったような気がし、明らかに高度となると飛ばす(しかない)。それでは、哲学書が本当にわかるとはいいづらい。

 哲学書からの引用をふんだんに散りばめたブラヴァツキーの著作などには数学、化学、物理の公式が盛んに出てきて、ちんぷんかんぷん。とはいえ哲学書を読みこなすには高度な文系的な教養が不可欠で、要するに隅々まで教養にあふれていなければ、満足のいく理解は難しいということになる。そんな人は、少数派に属するのではないだろうか。

 尤も、あのアリストテレスでさえ、プラトンの解釈で許せない間違いを犯した。アリストテレスは哲学を低級なものにしてしまった。

 わたしは、わからないながら、わかる部分だけでもと思い、哲学書の薫り高さに惹かれて読む。その中でプラトン哲学は文系にも理系にもとっつきやすいだけでなく、哲学の最高峰に位置するものであることは間違いない。

「プラトンはわかりやすいね」と息子。哲学書を初めて読んだ初々しさを感じさせる謙虚な言葉の響き。なかなかいいね!と言外に匂わすムードも伝わって来る。「西洋の哲学書では、プロティノスとかフランシス・ベーコンとかデカルトとかロックとかライプニッツなんかも面白いけれど、プラトンは何しろ最高よ。プラトン以外は、どれを読んでも、部分的な感じがする」

 東洋のものでは、諸子百家は、息子も結構読んでいる。インド哲学の深遠さにも気づいてはいて、インド神話は大層好きだ。

 ブラヴァツキーは『アイシス・アンヴェールド』の中で、プラトン哲学は難解な古代インド哲学の諸体系の最もよくできた要約としても読めるという。

「もっと早い時期に読んでおけばよかったなあ」とも息子はいう。「そうよ。だから大学に入学したときにプラトンの2冊とバルザックの『谷間の百合』をプレゼントしたでしょ」とわたし。

 プラトンの作品には、人として生まれたからには読まなければ損だと思う知識、心底人を満足されてくれる知識が詰まっていると思ったから、プレゼントした。

 『谷間の百合』は、女性の心理が精緻に描き尽くされているだけでなく、優雅さとは何かをこれほど教えてくれるものは少なく、しかも処世術が織り込まれた珍しい著作だと思い、プレゼントしたのだった。この本を読むと読まないでは、人間の見方、接しかたに違いが出てくるような気がする。核には、バルザックの神秘主義哲学体系があり、エレガントな見かけからは想像もつかない骨格のしっかりとした作品なのだ。どうせ読まないだろうな、と思いつつ、プレゼントした。

 それから7年近く経って、息子はプラトンに触手を伸ばしたわけだった。一旦読むとなったら徹底して読むほうだから、プラトンの主要な著作は読破するだろうし、歴史的背景もがっちりと捉えてくれるに違いない。現在『ソクラテスの弁明』『クリトン』『法律』を読んだところだそうだ。

 この方面でも、息子を事典代わりにできそう。。。

 息子の友人達の話もいろいろと聞き、楽しかった。その中にユニークな女友達がいる。彼女は大阪の化学会社に就職していて、頻繁に会うわけにはいかず、また頻繁に会うとなると息子は引いてしまうようだが(何しろ変わっているらしい)、得がたい友人の一人となるのかもしれない。

 わたしも得がたい書き仲間(というより大先輩というべきだが)のKさんの文学的近況を知りたくて、この間から電話をしたいと思っているのだが、紳士的な人であるだけに、遠慮が先に立ってしまう。

 純粋な友情に男女という性の障壁が立ちはだかるのは何とももったいなくて、惜しいことだと思う。主婦だと特に動きづらいところがあって困ってしまう。

|

よかったね

 夕方、息子から電話があり、米国の雑誌に載った化学論文をネットで閲覧できるというので、アクセスしてみた。勿論、ちんぷんかんぷんだが、甘い親の目には後光が射して見えた。

 博士課程に進む前のひとくぎり。おめでとう!

|

うずくまるパトラッシュ

うずくまるパトラッシュ

 昼間寝ていたので、夜中になってもお目めぱっちりで、本でも読もうと開いたが、胸の軽い圧迫感がとれず、ぐったりとなり、また横になる。夕飯は娘に弁当を頼んだ。

 眠くはない。それなのに、何もできないのは、時間がもったいなくて、つらい。

 圧迫感が強まったので、またニトロ舌下。これで改善なるか? パトラッシュは重たげにうずくまっている。

 カタリ派、グノーシス関係の読書に年内に目鼻をつけ、明けたら童話の執筆を再開したいが、体調次第だ。

 エアコンの掃除と年賀状は今週中に片づけたいが、どうなるやら。

|

2009年12月13日 (日)

結局、使いました

結局、使いました

〔以下の記事は15:00くらいに携帯で書いたものですが、アップしそびれたので、もう夜ですが、今からアップします。今日は何もできませんでしたが、体調はよくなりました。風邪でもインフルでもないようで、単にこのところの本の読みすぎと昨晩の間食が祟っただけのようです。〕

 朝から体調が回復せず、寝ていたら咳が出て止まらなくなり、涙は出るし、もうちょいでお漏らしモノでした。

 今は大丈夫ですが、気管支拡張剤を近くに置いています。

 そのあと、胸の圧迫感が強まったので、ニトロを使用しました。

 天気が悪くなり、室内が冷え込んでいますが、それに気管支と心臓が過敏に反応したんでしょうね。

 朝、ニトロの使用を迷った時点で、使ってしまったほうがよかったのかも……。

 カタリ派調べに熱中しているせいか、夢を見ていて、知りもしないカルカッソンヌだのモンセギュールの城だのが出てきましたが、日本語で事態は推移していました。

 あの地裁での最初の裁判官が、中世風の出で立ちで出て来ました。日本人にしては似合ってましたよ。

 わたしは傍観的に、牢は湿気があるからつらいけど、この先のことを考えると、思考を停止せざるをえない、なんて思っていました。カタリ派のことが夢にまで出て来るなんて……。

|

何だか…&カタリ派について若干

 ううっ何だか……気持ちが悪い。

 原因はわかっています。自業自得なのです。

 夜中に無性にお菓子を食べたくなり、食べてしまって、ああいい年して。

 不摂生すると、すぐに体に出ます。口内炎ができ、胸の圧迫感があり、おなかもパンパンですが、この現象、心臓が原因なのか胃腸が原因なのかわからないので、朝の薬を飲んで様子を見ているところです。

 夜中にお菓子を、それも小袋のスナック菓子を半分食べたか食べなかったかなのに、この過剰反応……。

 口内炎は、わたしの場合、柿が効きます。柿を食べると、一発で治るんですよ。

 薬が効いてきて、胸の圧迫感とおなかパンパンがいくらか和らいできました。この苦しさをすっきりとるには、やはりニトロ舌下錠かなあ。

 でも、あれ飲むと疲れるわ……もう少し様子を見ます。携帯のキー叩けるくらいだから、どちらにしても大したことはありません。

 今日は半端なままの記事「考察…異端カタリ派の祈り」を書いてしまい、少々骨の折れる読書を続けたいと思います。

 しかし頭が疲れるだけではなく、時間を無駄にさせらると感じてしまう、中身のない近代以降の哲学書に比べたら、古代の思想はゴージャスで中身が詰まっていますわね。哲学という観点だけから考えると、人間、退化しているとしか思えません。

 これも図書館から新しく借りた本ですが、昨日パラパラとめくったグノーシス哲学入門といった感じのわかりやすいマドレーヌ・スコペロ『グノーシスとは何か』(入江良平/中野千恵美訳、せりか書房、1997年)の日本語版への序文の中に、次のような一文があります。

「グノーシス主義者――この名称は彼らの思想を反駁したキリスト教の反異端者が用いていた通称なのですが――は、二世紀と三世紀における知的エリートでした。彼らは、哲学的な文化およびさまざまな伝統(ギリシャ、ユダヤ、キリスト教)に養われた繊細な聖書の釈義者であり、寓意の技術にたけており、自分たちの思想学派を創設して、その教義をローマ帝国内に普及させました」

 そう、グノーシスを教義に映したカタリ派はカトリック教会によって血祭りに上げられ、貶められましたが、51歳になるまであれこれ哲学書をかじってきたわたしは、彼らについてよく知る前から、何かしら心惹かれる上質の薫りを感じていました。

 それだけでなく、写真で見たオック語のカタリ派典礼書のページ。読めもしないのに、心を奪われました。美しい花を見たときのように胸がときめいてしまうのです。カタリ派について多くを書いたガーダムによると、カタリ派聖職者はしばしば深青色のローブを纏っていたということですが、その姿が浮かんでくる錯覚さえ覚えます。カタリ派であった前世でもあるのかしら、と自身を勘ぐるほどに。

 しかしカタリ派について、意識して調べたのは初めてのことです。調査を進めた今の段階では、カタリ派は中世ヨーロッパを知るための鍵となる重要な歴史的要素だと思っています。

 童話の子供たちを、知らない世界へやることはできません。中世ヨーロッパ風の世界を作り出すためには、カタリ派の研究をもう少し続けなくてはなりません。

 有名な異端審問官ジャック・フルニエが凄腕を発揮したのは、1290年から1320年にかけてのことです。

 カタリ派最期の砦モンセギュール陥落が1244年でしたから、フルニエは彼の管轄した地域に残るカタリ派の余韻を徹底して消し尽くそうとしたわけです。

 フルニエはその後出世して、1327年に枢機卿、34年にはアヴィニョンの教皇に選ばれました。法号はベネディクトゥス12世。

 如何なる思想も人類の共有財産だと思っています。どの思想を人類の宝と感じ、瑕と感じるかは、人それぞれでしょう。わたしの記事に不快を覚えるかたがいらっしゃるかもしれませんが、それも当然だろうと自覚しています。そんなことに頓着していられないほど、悪い頭と乏しい体力で歴史を読み解こうと夢中になっているためだとお考えください。

 携帯で記事を書いているうちに、気分の悪さもどうにか治りました。

|

2009年12月12日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #32/カタリ派について#5

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#32
2009/12/12(Sat) カタリ派について#5/資料#3

 先日夫に図書館にお使いに行って貰い、借りた1冊なのだが、この本は凄い。異端の研究を真っ向からやっている人は筋金入りが多いようだが、この本もそんな研究者による著作のようだ。
 目次は細かい。以下。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

第1章 二元論宗教革命―古代のイラン、ギリシア、ユダヤ

     二つの原理―二元論的伝統の諸相
     双子の霊―原始ゾロアスター教の二元論
     古典ギリシアの二元論的伝統
     創造者と破壊者―ゾロアスター教とその世界宗教への道
     光と闇の父―二元論的伝統の動揺=ズルワーン教の出現
     「油を注がれたる者」と「バビロンの王」―アケメネス朝とオリエント諸宗教
      の変容
     造物主と告発者―ユダヤ教における二元論的展開
     光の王子と闇の天使―秘教的ユダヤ思想の誕生

第2章 融合と正統

     三つの帝国―ヘレニズム、ペルシア、インド
     東方における融合―大乗仏教とガンダーラ美術
     仲立ちのミトラス―ローマ帝国とミトラスの隆盛
     ミカエルとサマエル―ユダヤ教の天使論と悪魔論
     デミウルゴスと救済者―グノーシス主義二元論の諸相
     玉座と祭壇―ササン朝と国家宗教としてのゾロアスター教
     バビロンの予言者―マニ教の教理と開祖マーニーの生涯
     「偉大の父」と「闇の支配者」―マニ教とその宇宙論体系
     「光の宗教」の伝播―マニ教とその世界宗教への道
     ビザンツの継承者―マニ教とキリスト教の異端

第3章 大異端の勃興―東方キリスト教世界の異端諸派

     ステップからバルカンへ―ブルガール人のバルカン半島進出
     汗(ハーン)と皇帝―ブルガリアとビザンツの確執
     異教、異端、そしてキリスト教―異端パウロス派とビザンツ帝国の危機
     ローマ、コンスタンティノープル、テフリケ―ビザンツ皇帝の異教討伐
     ゾロアスター教の記念祭
     「暗黒のマニ教」の末裔―異端ボゴミール派
     ボゴミール派、始まりの謎
     試練の時
     アナトリアの異端―エウテュミオスの報告するボゴミール派
     トラキア・エウキテス派の三大原理―ミカエル・プセロスの報告するボゴミ
      ール派
     アレクシオス・コムネノスの十字軍―ビザンツ皇帝の反異端活動
     コンスタンティノープルの審判―異端告発の夜
     マヌエル・コムネノスとステファン・ネマーニャ―二人の君主による異端弾圧 

第4章 二元論教団―西欧のカタリ派異端

     西方の異端―カタリ派に先立つ二元論異端
     カタリ派の勃興
     ラングドッグのカタリ派―絶対的二元論の信奉者へ
     サン・フェリクス信徒集会と二元論教会―カタリ派教会秩序の構成
     大分裂―絶対的二元論派と穏健的二元論派

第5章 二元論主義への十字軍―二元論教団と正統教会

     公会議と十字軍―アルビジョア十字軍の快進撃と停滞
     抑圧と抵抗―カタリ派信徒と異端審問団の睨み合い
     モンセギュール陥落
     ローマとバルカン半島の異端―バルカン異端への教皇の敵意
     カタリ派の衰退―異端審問の仮借ない締めつけ
     異端教皇
     ボスニア教会とスクラヴォニア教会―ボスニアの二元論信徒
     静寂主義とボゴミール派―限りなく異端に近い正統思想とその衝撃
     異端とボスニアの政治―ボスニアにおける二元論宗教の行方
     バルカン二元論の運命―墓碑に現れた古代の二元論信仰

第6章 二元論伝説―ボゴミール派=カタリ派の世界観

     キリスト=ミカエルとサマエル=サタン―異端派の宇宙創生論
     善なる神と邪悪の神―ボゴミール=カタリ派が明かす世界の秘密
     ベツレヘムとカペナウム―ボゴミール派=カタリ派の聖書解釈

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

 以上、目次を見ただけで、スケールの大きさがおわかりいただけよう。書かれているのは、ヨーロッパ、小アジア、中東といった地域における古代から中世に及ぶ宗教史なのだ。ついでに、日本語版への序文の冒頭部分を抜粋、ご紹介しておきたい。
 本書の原題となった『ヨーロッパの隠された伝統』とは、中世ヨーロッパで異端派が取り沙汰されるときに流通していたある見解を指す言葉である。それは、異端派自身がそう考えていたばかりできなく聖俗にわたるその敵手たちのあいだでも、当然のことと受けとめられていた。この見解によれば、ボゴミール派とカタリ派という中世ヨーロッパの二元論異端は、行きつくところ、古代末期からその時に至るまで「隠され」、秘密のうちに伝承されてきた、とある伝統に由来する。カトリック教会やオーソドックス教会に属する、二元論異端の敵手や迫害者たちは、おおかた、この「隠された」伝統を、アジアやヨーロッパのキリスト教の古代における敵、マニ教と見なすか、時には、古代のほかの異端諸派と関連づけて考えていた。が、その一方で、当の二元論異端者たちが説くところによれば、この伝統こそ、キリスト教揺籃期の使徒たちの「純粋な」キリスト教精神の直系の末裔なのであり、この使徒的伝統はやがて教会によって堕落させられたというのであった。このような訳で、あるコンテキストにおいては、この「隠された」伝統の復権は、一種の「秘められた歴史」とも考えられることができたので、乏しい、あるいは、敵意に満ちた史料やそれについての言及から、宗教的発展の抑圧された、あるいは、秘匿された底流を再構築する努力が払われてきたのである。〔以下略〕
 この方面のより徹底した、西洋のみならず東洋をも覆い尽くしたほどによりスケールの大きな、精緻を極めた研究者がブラヴァツキーだとわたしは思っているが、彼女の指針を連想させるような研究書に出合えるのは嬉しい。しかしこの著作も内容は盛り沢山で、読み終わるには時間がかかりそうだ。

 図書館から借りた本の中で、どうしても所有したい本が何冊か出てきた。この本はそのほしい本の候補となりそうだ。過去記事「考察…カタリ派における祈り」が中途半端なのだが、昨晩読みかけたこの本のことを先にメモをしておこうと思った次第。

|

最近の夕飯から(まさにイタリアンなミートソース)

 『おうちでシェフ味 おいしい基本のイタリアン』(世界文化社、2004年)に「ミートソースのタリアテッレ」というのがあって、本格的だなあと思って眺めていたのですが、ミートソースにチャレンジしてみることにしました。

 タリアテッレ、何となくだごを連想してしまうわたしは、いつものパスタを使いました。娘はだごが好きゆえに、タリアテッレにしてほしそうでした。そこは作る者の独断ということで。でも次回これにチャレンジするときはタリアテッレにしてみようかしら。レシピ通りに作ると、ミートソースは沢山できるので、うちでは食べ切れないぶんは冷凍しました。

 で、仕上がり具合はといいますと……炒める時間と煮込む時間を短縮したにも拘らず、イタリアンのレストランで出てくるような本格的な味わいでした! 家でこれだけの味が出せるとなると、満足です。倹約したいわが家にはありがたいレシピ。

Pb250045a_2

 前掲の本から、ミートソースのレシピをご紹介します。

[材料・6~8人分]
牛ひき肉500g,豚ひき肉500g,玉ねぎ(みじん切り)大1個,にんじん(みじん切り)大1/3本,セロリ(みじん切り)1と1/2本,にんにく(みじん切り)大1片,EXヴァージンオリーブ油80ml,塩・こしょう各適量,赤ワイン250ml,ホールトマト(缶詰)300ml,ブロード(ブイヨン)200ml,ローリエ(半分にちぎる)1枚,ローズマリー(細かく刻む)・ナツメグ各小さじ1. 

[作り方]

  1. 深鍋にEXヴァージンオリーブ油とにんにくを入れて中火にかける。
  2. にんにくがきつね色になったら、野菜類をすべて加え、塩を軽くふって中火で約1時間、ときどきかき混ぜながら、茶色になるまで炒める。
  3. ②に肉類を入れ、中火で炒める。肉の色が変わり、水分が出てきたら、塩ひとつまみ、こしょう小さじ1/2をふり、ローリエ、ローズマリーも加えて、焦げ目がつくまで炒める。
  4. ③に赤ワイン、ホールトマト、ブロードを入れてかき混ぜる。ナツメグを加え、弱火にして3時間煮込む。

200912120002000_3

 これは、昨日の夕飯。服部先生のクラムチャウダー。既に紹介済みです(こちら)。アサリは前日に買い、以前売り場の人に教わった通り、ポリ袋に入れたまま新聞紙でくるんで保温してやって野菜室に入れていました。大丈夫、おおかた生きていました。

 酒蒸しにする段階で、どうしても開かないのがありました。今、中世ヨーロッパの異端カタリ派について調べているせいか、その貝が口を割らない筋金入りの異端者に思えてしまい……。

 彼らが異端狩りに遭い壊滅させられたのは、カトリックが覇権を握りたがった時代のヨーロッパに誕生したゆえの悲劇です。西洋と東洋を結ぶ鍵になったかもしれない彼らでした。

 調べるほどに増す彼らの魅力と悲劇性に惹かれ、今年のクリスマスは異端カタリ派風にしようかと思ったほどでしたが、カタリ派の聖職者が菜食主義者だったことを考えると、クリスマスに精進料理となりますかね? まあ一般信者はかなり自由に任されていた (奔放すぎる、と謗りを受けたくらい)ようですが。

 やっぱりいつも通り、八百万の神が息づく日本の土壌にふさわしい、キリスト教の神様もその一柱として祭る風の弾けたクリスマスにしたいと思います。

Pb270049

 ところで、昨日はクラムチャウダーにひじきごはんを組み合わせてみました。洋風のごはんものも考えたのですが、あっさりとしたものにしたくて、なぜかひじきごはんになりました。同じ海のものが入っているせいか、結構合いましたよ。このひじきごはん、家族にヒットしたので、次回作ったらそのときにレシピをご紹介します。

 ちょっとおしゃべりしすぎた今日のレシピ紹介でした。わたしのおしゃべりがうるさいかたは、「プチ・マダムNの覚書」へどうぞ。収録記事はまだ少ないのですが、レシピのみご紹介しています。

| | トラックバック (0)

「マダムN図書館」の左サイドバーに、最新の更新情報のコーナー設置

 「マダムN図書館」の左サイドバーに、最新の更新情報のコーナーを設置致しました。更新のお知らせから、最新の件のみピックアップしています。どうぞ、ご活用ください。

 「図書館」に収録したエッセーの数は、「バルザックの女弟子になりたい!」を上回りました。

 保管庫としての機能に重点を置いた図書館のようなムードのある「マダムN図書館」、フリー素材屋さんの素敵な素材をお借りして作品を収録したギャラリーのようなムードのある「バルザックの女弟子になりたい!」。

 家事雑事の合間の創作、その合間のブログ更新、そのまた合間の2つのホームページの更新とあって、なかなかホームページの更新までは手が回らず、「女弟子」のほうなどはタイトルだけで中は空、というものも少なくありませんが、これからも地味に地道に更新を続けていきたいと思いますので、当ブログ、他のブログと共に2つのホームページをこれからもよろしくお願い致します。
〔⇒マダムNのサイト総合案内

 また、当ブログの左サイドバーには管理人行きつけの魅力的なサイト様のリンク集を設けています。興味が湧いたら、一度ご訪問になってみてください。

| | トラックバック (0)

2009年12月11日 (金)

熱帯魚~!

熱帯魚〜!

 夫の可愛い熱帯魚たち。携帯で、撮しにくいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛媛の蜜柑~!

愛媛の蜜柑〜!

 いただいたものです。美味しいわぁ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

考察…異端カタリ派における祈り

 神秘主義における祈りの分類(ここではブラヴァツキーの解説による)。
①嘆願。
②神を呼ぶ、まじない。
③「隠れたるところにおいでになる父」との霊交。

 ③を唯一可能にする、神秘そのものの清浄な意志の祈り(これは、祈りを錬金術でいう哲人の石に変えるので、霊的変質の過程といわれる)以外の祈りは、容易に黒魔術の手段に堕ちる。

 神秘主義では祈りについて、それが人間の自信をなくさせ、生まれつきもっている以上のひどい自己本位を育てる畏れがあるとしており、祈ることが脳天気に奨励されることは決してない。〔わたしは過去、重体の母の枕許で祈りについて徹底的に考えさせられた。祈ることができなくなり、そのあとですばらしい内的体験が訪れた→当ブログの過去記事:手記『枕許からのレポート』参照。〕

 戦争では殺しさえ神の名のもとになされることがあり、自分だけのメリットを願う祈りは広く一般化している。神秘主義は、こうしたありふれた祈りが放つ臭気に身震いするのだ。

 宇宙と人間の構造に関して神秘主義の哲学(表現の違いはあっても、東西の神秘主義は同一の知識を共有していることがわかる)を採用していたカタリ派は、祈りの危険性に敏感だった。だから帰依者(一般信者)に祈ることを禁じたのだ。

 神秘主義に通じてさえいれば、この辺りの事情はすぐにわかるのだが、『モンタイユー ピレネーの村1294~1324』(エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ著、井上幸治/渡邊昌美/波木居純一訳、刀水書房、1991年)を著したアナール派にはわからなかったようだ。

 『モンタイユー』が凄腕のエリート異端審問官ジャック・フルニエによる異端審問記録をもとにした貴重な民俗誌であるのに、異様に読みづらく、この読みづらさは何だろうと思っていたら、キリスト教的分析という以上の独断、偏見といえる感想が夥しく混じっているからだと、カタリ派の祈りが採り上げられた箇所でようやく気づいた。

 何としたことか、カタリ派は中世と現代における二重の異端審問の禍に見舞われたのだった! それにしても、またしてもアナール派だ! カトリックの牙城なのか?

 以下に、『モンタイユー』から問題の箇所と、『異端カタリ派の哲学』(ルネ・ネッリ著、柴田和雄、法政大学出版局、1996年)から、カタリ派における帰依者に対する祈りの禁止の一件を解説した箇所から抜粋しておく。

《……ここまで、体調不良のため不精して携帯からなので、あとでパソコンから続きを書きます。記事が完成したら、カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」に組み込みます。
島原の乱についても、メモしておきたいことがありまして。
今日は寝たきりでしたが、今からスピーディーに(まるく)掃除し、洗濯して、夕飯はクラムチャウダーを作る予定。冷蔵庫のアサリがへばらないうちに、食らわねば。もうへばっているかしら?》

|

2009年12月10日 (木)

久しぶりのソフトクリーム

久しぶりのソフトクリーム

 カフェに入る前にお歳暮を買ったのはいいけれど、そこで傘を忘れ、デパートを出るときに気づきました。

 安物だけど、クリーム色に細いホワイトのラインが入った、お気に入りの傘なのです。

 (大袈裟かもしれませんが)青くなってカフェに戻ると、そこにはなく、遺失物係を教わりました。

 ああ可愛いわたしの傘がありました! 今日だけで結構な忘れ物があり、寂しく、来ないご主人様を待っていました。

 あー動きの悪い左股関節でよい運動しましたわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 9日 (水)

昨日の夕飯(土井善晴先生レシピ『ブロッコリーと豆腐の煮びたし』)

20091209000253

 メインディッシュは、ホームクッキング【キッコーマン】のサイトから『ぶりとねぎの豆板醤炒め』を見て作りました。

Pb240037

 綺麗なぶりがよく出ているので、近頃よく買うのですが、照り焼きも塩焼もぶり大根も何となく飽きてきたし……ということで、作ってみましたが、これは家族に受けました。おすすめです。

Pb240030

 土井善晴先生のレシピ『ブロッコリーと豆腐の煮びたし』は組み合わせが面白く、とっても美味しいので、気に入ってよく作るのですが、レシピのご紹介がまだだったようです。『週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.3』(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

[材料・4人分]
ブロッコリー1株(約300g),油揚げ1枚,絹ごし豆腐1丁、サラダ油大さじ1,二番だし1カップ,薄口しょうゆ大さじ2.

[作り方]

  1. ブロッコリーは小房に分け、軸の部分はかたい皮を包丁でむき、それぞれ食べやすい大きさに切る。油揚げは短冊切りにする。
  2. フライパンにサラダ油を熱して、ブロッコリーを加えて炒める。ブロッコリーに火が通ったら、油揚げ、豆腐を入れる。
  3. だしを注ぎ入れ、薄口しょうゆを加える。
  4. 玉じゃくしの背などで、豆腐を粗くつぶす。中火弱の火にかけ、豆腐が温まるまで3分ほど煮る。

 わたしは家にあった木綿豆腐で作ったのですが、このレシピにはやはり柔らかな絹のほうが向いていますね。 

 喉ごしのよい長いもで作ったとろろ汁をご飯にかけて……ワタクシ的に満足感の高い夕飯でした!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

12月は焦り月

 最近、当ブログでは、昨年紹介した年賀状のフリー素材屋さんの記事にアクセスが増えている。

 となると、わたしもそろそろ……となるし、大掃除、あっその前にクリスマスか(今年は異端カタリ派風クリスマスにしてもいいな。どんなだ?)、いやお歳暮は明日にでも……と12月は何かと気ぜわしくて、嫌い。

 こうした日常のあれこれで時間がとられると、よけいに一年の総括として、頭にのしかかる創作の不作。ううっ岩のようだ。これが黄金の山ならいいが、過去に惨敗した紙屑の山と年月と今後の生活不安。

 創作は人間にも翼を与えてくれるが、来年の今頃には自作創作物を売り歩く行商人になっていたい。それにしても……何て時間がかかるんだろう。よいものをつくろうとすると。1日が2倍あっても足りない。はっきりいって家事が邪魔だ。わたしのメイン業務は家事であるべきなのが、この家事が創作にのめると転倒してきて、双方こなそうと馬力を出すと体が壊れる仕組みだ。定期受診以外に医者にかかる時間もお金もないので、睡眠と栄養と衛生には気をつけなくてはならない(→となると、家事の手抜きができないという循環が始まるわけだ。家族のため、わが身のため。いやはや、これがこの世の人の暮らしということで、それをこそ書くんじゃないか。おバカ。)

①自作童話『不思議な接着剤』の下準備が長引くが、これはおろそかにできない。シリーズ物にしたいので、土台の手抜きは後々まで響くことになるからだ。カタリ派≒グノーシス調べが完了すれば、鍾乳洞の横穴をくっつける先が定まるから、冒険に入れる。今年中には無理だろうか。
 副産物の『すみれ色の帽子』は年末までに一話追加したい。

②入っている創作の協会から、掌編小説特集のお知らせが来た。2,000字ときた。ムムッ涙が出る短さじゃないか。原稿枚数のお恵みを……パスするか? 例の、死者と生者が対決する舞台劇風の神秘主義的作品のクライマックスを取り出して卓上に飾ってみるのもいいかもしれない。ホント、もうすぐクリスマスだし。
 掌編の締切は明けて10日。〔⇒その後、更新手続きをしないことに。http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/post-b40a.html

③先日書き仲間から作品が送られてきたが、それは歴史小説の賞に応募する目的で書かれたものだった。歴史の下調べから副産物的にわいた興味をもとに小品をつくるには、よい刺激となる賞かも。賞アレルギーのわたしだが、自分も出したくなった。次の締切は来年の後半になる。予定に入れておこう。小品にしたいのは、今の時点では、聖徳太子の『国記』をめぐって。もう一つ、書き仲間に刺激されて島原の乱に関すること(このあとの記事を参照されたし)。
 来年の執筆のメインは自作童話だから、この計画はあくまでサイド的なもの。ただ持ち込みの際、児童専門の出版社でない場合、歴史物で関心を惹くことも考えているのだ。現に、以前A社には卑弥呼(エッセー『卑弥呼をめぐる私的考察』)で関心を持って貰えた。卑弥呼を小説にするにはまだ何年もかかるが、蛸みたいに手(あれは脚か?腕か?)を何本も持たないとすぐにへばるぞ。

|

2009年12月 7日 (月)

従姉からの電話

 数日前、東京に住む従姉から電話があった。「Nちゃん、家がなくなったんだって!」と息せき切った声音。

「うん、まあね。実家が土地だけ残して消え失せたのは本当よ。父夫婦が勝手に壊しちゃったんだもん」とわたしがいうと、従姉はわたしの冷めた反応に拍子抜けしたようだった。

 従姉は、わたしたち姉妹が両親及び父の奥さん(母の死後に父が再婚した女性)に振り回されてきた歴史(?)にそれほど通じていないから、定期的にこれまでハプニングをもたらされ、ずっとこんなものだったことを知らないのだった。

 その度に対応を迫られてきたわたしは、同じハプニングをもたらしがちなタイプの男と結婚したために、事情を知らない人には、独身の頃は恵まれて見え、結婚してからはお気楽な専業主婦に映っているかもしれないが、物心ついてこのかた、何となく戦場の一角で暮してきたような感じを持っている。

 父に裁判を吹っかけられた辺りから、昔のことも従姉に少しずつ話すようになって、従姉はさぞ驚いているだろう。「NちゃんもJちゃんも恵まれたお嬢さんにしか見えなかったよ。でも、そういわれれば、Jちゃんがちょっと暗く見えたことはあったけど。Nちゃんは明るかったね」と従姉はいう。「猫かぶってたんだもん」とわたしはいった。

 明るいどころか、家政婦さんの息子たちからセクハラされたことなどもあって、この世は闇だと思ってきた。両親からもいろいろと持ち込まれて、そちらのほうの悩みも深かった。

 それでも、結婚してからは、夫とも子供たちとも感覚的にフィットするという基盤があるせいか、いろいろあっても楽しい。妹も結婚して楽しそうだ。まあ妹とも話せば、彼女にもいろいろと気苦労はあるようだけれど。独身の頃のあの暗さはどちらにもない。「あの頃は暗かったよね」と妹としみじみ話したことがある。当然、今も、父のことは常にわたしたち姉妹の頭にある。

 従姉も独身の頃はいろいろとあったはずだが、両親の知性と愛情に包まれて幸福だったらしい。むしろ結婚後に苦労したのだそうだ。

 確かにそうだ。最初のご主人にも、再婚したご主人にも先立たれたのだ。いずれも仕事中の事故だったため、幸い労災が下り、従姉は経済的には死ぬまで――贅沢しなければ――安泰だそうだ。それでも、裕福であれば、音大の作曲科に進んだ娘を大学院にやりたい思いはあっただろう。従姉がデパートに勤めていた当時、そんなことを聞いた記憶がある。

 この従姉は母方の従姉で、沢山いた母の兄姉のうちの長姉(わたしの伯母にあたる)の娘だ。末っ子だったわたしの母とその伯母は親子ほどの年齢の開きがあった。

 成人する前に両親を亡くし、高校も子守りのバイトなどしながら通った母にとって、伯母が母親代わりで精神的支柱だった。伯母にとっても、母は賢い頼りになる妹だっただろうと思う。

 わたしは、従兄姉たちの中では、この従姉が一番好きだ。芸術好きで、いろいろなことが話せて楽しく、ボルテージが上がって弾けてしまう。従姉は独身の頃から踊りを習ったり絵画に熱中したりしていたが、今は句会に入っているそうだ。俳句の話もできるのは嬉しい。

 ところで、前に電話をしたときにわたしたちの祖母の実家がやまとのあやNotes:卑弥呼を参照〕に繋がるだろうことを話した。その続きというか、わたしには確かめたいことがあった。

 長女だった伯母はまだ両親が健在であった戦前に嫁いだはずで、その嫁いだ相手が、伯母の恵まれていたはずの環境と釣り合いがとれていないように思えたのだった。

 従姉は3人兄妹のうちの真ん中だが、彼女の父親(わたしにとっては伯父)は当時問屋業のようなものを営み、伯母はそれを手伝っていた。裕福に見えるどころか、貧乏に見えた。おまけに、伯父は、一時期女の人をつくって遁走していたことがあった。慎ましく見えた伯母だったが、愛人の家に乗り込んで夫を奪い返したそうだ。それ以後は傍目にも睦まじい伯父と伯母で、伯母が亡くなると後を追うように伯父も亡くなった。

 しかし伯父は、お姫様といわれて育ったような祖母が嫁がせた相手とは思えない迷走ぶりだった。本当に、祖母はやまとのあやに繋がるような家系の出だったのだろうか。このところ、そんな疑問がわたしにはあった。

 母方の親類はよく集まって宴会などやっていたにも拘らず、親類の素性に関することはなぜかほとんど知らないのだ。宴会では伯父を中心にわたしの父も絡んで弾け、大いに盛り上がったものだが、皆、貧乏そうで、その中では外国航路の船員をしていた父は――母も働いていたし――お金を持っていたほうではないだろうか。

「父はただの商人だったけれど、頭はよかったと思う」と従姉。元は三菱商事の社員だったそうだ。脱サラして満州で手広く製麺業を営み、成功してリッチだったという。彼女の母親である伯母はそこへ嫁いだのだそうだ。戦争でまる裸になり、日本に引き揚げてからはうまくいかなかったのだろう。

 考えてみれば、伯父は複雑な人だった。楽しむことが大好きで底抜けに陽気で、わたしなども始終伯父の軽トラックでどこかへ連れて行って貰ったものだが、テレビで政治番組を観るときは人が変わったように真剣だった。近寄れないほどだった。知性の塊に見えた。何を考えていたのだろうか。

 グルメぶりときたら並みではなく、美味しいとなったらハイカラなものから悪食に近いことまでやってのけた。伯父は、沼から生け捕りにしてきた大きな食用蛙を常に3匹くらい甕に飼っていた。勿論食べるためだ。その蛙が夜になるとヴォーヴォーと甕の底で鳴いて、わたしは恐かった。

 恰幅のよかった伯父は顔立ちも悪くなかった。祖母は、好感の持てる成功した商人に娘を嫁がせたのだろう。伯母はこの夫によく仕え、貧乏しても家庭を完璧に清潔に保ち、家族一人一人のプライバシーを保つ工夫をしていた。

 問屋業のようなことをして島原から仕入れていた味噌と、どこからか仕入れていたおかきは美味しかった。わたしはあの味を求めて久しいが、あんなに美味しい味噌とおかきには出合わない。伯父が満州でのように成功していれば、あの美味しい味噌とおかきを毎日食べられただろうに、とわたしは思う。

 このところ異端カタリ派の研究に没頭していたのだが、従姉の電話で卑弥呼関係に引き戻された。メモである「やまとのあやⅡ」を中断したままだったが、なぜか今日になってとんでもない思い違いをしていたことがわかった。西漢氏と秦氏を混同していたのだった。無知で恥ずかしい。また今夜から『Notes:接着剤』に戻る。

|

昨日の夕飯(栗原はるみ先生レシピ『ザワークラウト』)

20091205234016

 昨日の夕飯は、服部先生のレシピを参考にしたきのこのリゾット〔レシピはこちら〕。それに、ハーブ入りウインナーソーセージとザワークラウト、春雨スープでした。

Pb210011

Pb210014

 ウインナーソーセージはオーブントースターで焼くことにして、つけ合わせにザワークラウトを作りたいと思い、『栗原さんちの朝20分のお弁当』(文化出版局、1992年)から同名のレシピを見て作りました。

 『栗原さん…』は子供たちのお弁当に活躍した本ですが、今でも重宝しています。さっと作りたいときに、本当にありがたい本です。レシピはどれも心地よい家庭の薫りがして、短時間で作る工夫に満ちていながらほんのりお洒落で……大好きです。子供たちがアパート暮らししたときは、百科事典的な分厚い料理の本1冊とこの本を持たせました。

 前掲の本から、ザワークラウトのレシピをご紹介します。

〔材料〕
キャベツ400g,固形コンソメ1個,水1カップ,塩・こしょう各少々,ワインビネガー大さじ1と1/2.

〔作り方〕

  1. キャベツは5mm幅のせん切りにする。
  2. 鍋に、キャベツ、水、コンソメを入れて煮立たせ、塩、こしょうをふり、しんなりとやわらかくなったら火を止めてワインビネガーを加え、味をなじませる。

    ○冷蔵庫で3~4日はもちます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やまとのあやⅡ

 東漢氏は阿智使主(あちのおみ)を氏祖とする帰化氏族であるが、記紀では応神天皇の在位中のこととされている。

 東漢氏は、おそらく後漢―呉―百済、宗教的には仏教と親和性があり、魏、宗教的には道教と親和性のある卑弥呼とは、明らかに別の系譜に属する。彼らの行動……。

 尤も、東漢氏の先祖が帯方郡から来た後漢の亡命貴族であったという伝説、坂上刈田麻呂(征夷大将軍として有名な田村麻呂の父)が桓武天皇に対する上表文で、彼らの氏祖である阿智使主が後漢・霊帝の子孫であったと述べたという内容を真実と見るか、また渡来した応神天皇20年を西暦に直した289年と考えるか、古事記に従い4世紀半と考えるかで話が違ってくる。

 要するに、応神時代の話に、ありえないことだが、両時代の話が混在しているのだ。

 応神天皇の在位は日本書記に従えば、270年2月8日―310年3月31日で、在位中の時代は弥生時代になるという。古事記に従えば、4世紀半になるそうだ。

 日本書記を読むと、おかしなことにぶつかる。百済は346年―660年に存在した国だが、この国が出てくるかと思うと、呉は222―280年に存在した国だが、これも出てきて、この2つの国のうちのどちらかがまるでタイムスリップでもしたかのように、同時期に存在したとしか思えない書かれかたなのだ。

 ちなみに、 卑弥呼が初めて難升米らを中国の魏に派遣したのは、魏の大尉・司馬懿によって公孫氏が撃たれた翌年の239年のことだった。何というタイミングのよさだろう!

 帯方郡は、204年、後漢の遼東太守・公孫氏によって創設された。呉と通じた公孫淵が撃たれたのちは魏の直轄地となり、その運営は313年まで続いた。 

 もし、東漢氏の先祖が帯方郡にいたとすると、その先祖が公孫氏政権や卑弥呼とどこかで絡んでいた可能性だってあるのだから、大きな問題なのだが――

 漢王朝の亡命貴族が朝鮮半島の帯方郡に、あるいは、さらにそこから百済に逃れたという話には信憑性があるようだが、東漢氏がそれに当たる人々であるのかどうかとなると、どうとでも考えられるわけだ。流浪の民ではなく、朝鮮半島土着の人々だったことだって考えられる。

 ただ彼らがどこから来ようと、先進技術を身につけた優秀な人々だったことは確かで、例えば、今、わたしたち一家が、親類と共にどこか未開な国へ移住したとしても、そこに現代日本の文明を根付かせることができるかどうかというと、たぶん無理だろう。少なくとも、東漢氏が、ポートピープルになって当時の日本に来た朝鮮半島土着の庶民だったわけではあるまい。

 いずれにしても、その後、東漢氏は本拠地を飛鳥とし、蘇我氏に協力した。東漢駒(やまとのあやのこま)は、蘇我馬子の命令で崇峻天皇を暗殺した(その後、東漢駒は別件で処刑されている)。

  聖徳太子の活躍と死。

 天武天皇の発意により、舎人親王らの撰で、奈良時代の養老4年(720年)に完成した日本書紀はわが国最古の歴史書とされているが、それ以前に、聖徳太子にらよって編纂された『国記』、『天皇記』があった。それは大部分、蘇我蝦夷と共に炎上したが、焼け残ったものは天智天皇に献上されたという。

 なぜ蝦夷は『国記』『天皇記』を道連れに自殺しようとしたのか不思議だ。『国記』『天皇記』が失われたのは、惜しいことだと思う。それは、どんなものだったのだろうか? 記紀とはカラーが違ったはずだ。

 ところで、東漢氏は蘇我氏の没落と共に衰微したが、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側について返り咲く。

 その後、平安時代に東漢氏出の坂上田村麻呂が、征夷大将軍として活躍することになるが、その父、前出の坂上苅田麻呂は、奈良時代、宇佐神宮の神託で有名な弓削道鏡事件で、道鏡の動きを封じ込めることに力を尽くしたりした。

 ここで改めて、宇佐神宮の由緒記を見てみると、主祭神は三柱の神々で、一之御殿が誉田別尊(応神天皇)、二之御殿が比売大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多記理姫命の三女神)、三之御殿が神功皇后(息長帯姫命)となっている。

 前述したように、東漢氏は、記紀で、応神天皇の在位中に渡来したとされるが、弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)を氏祖とする秦氏も、同じ応神天皇の在位中に渡来したとされる。しかし秦氏は、秦―新羅と親和性がありそうだ。

 秦氏の氏寺である広隆寺の弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)は、新羅色が強いとされる。余談だが、わたしは広隆寺を訪れたとき、弥勒菩薩半跏像のえもいわれぬ美しさに恍惚となって、しばらく動けなかった。少し体が宙に浮いたような錯覚にとらわれたほどだった。その一室の空間に金色の光の帯が絶えず織り成されていくかに見えた。他の仏像が何だかその辺のおばさんをモデルにしたかのように見劣りして見えた。

 確かにこの弥勒菩薩半跏像は、写真で見る百済系の仏像とは感じが違う。新羅系に思える。秦氏は、過去記事『帰化人について、押えておく必要性』でも引用した平野邦雄氏の言葉にあるように、わが国の神祗信仰とは切っても切れない帰化氏族で、宇佐神宮とも関係が深い。

 ところで、宇佐神宮における二之御殿の祭神は宗像三女神ともいわれているが、宗像というと、日本書紀にある阿智使主が呉に遣わされた話を連想してしまう。 

 応神天皇の在位中、縫工女を求めて呉に遣わされた阿智使主らは高麗経由で呉に行き、王から4人の縫女を与えられた。応神天皇崩御の月に阿智使主一行は呉から筑紫に着いたが、そのとき、宗像大神が工女らをほしいといわれ、縫女のうちの兄媛を奉った。あとの3人は天皇崩御のため、その第4子である大鷦鷯尊(仁徳天皇)に奉った……という話。阿智使主らは呉に行って戻るまでに、4年もかかっている。

続きを読む "やまとのあやⅡ"

|

2009年12月 6日 (日)

ちょっと冷えると、これね

ちょっと冷えると、これね

 グズグズせずに、朝の薬を服用していたら、胸の圧迫感と左腕の痺れは防げただろうが、起きてしまったので、とりあえず、水なしで直ちに使用でき、即効性のある舌下錠を用いた次第。

|

2009年12月 4日 (金)

パンのレストランにて

パンのレストランにて

 家族で来ています。

 写真は季節のシチュー。かぼちゃ、かぶ、など実沢山です。

| | コメント (0)

ヘッセはおバカだ

 昨夜、ヘッセの『デミアン』を読了したが、思春期に読んで変な小説と思ったのは確かな過たない見方だった。何とも気持ちの悪い小説だった。

 ヘッセはなるほどグノーシスをかじった節があるが、体系の一部分を拡大解釈した間違った捉え方で、危険きわまりない。

 ヘッセは平和主義者で通っているようだが、『デミアン』の後半部などはヒトラーの登場を用意したとしか思えないし(それが自覚できるほど、知的だったとは思えない)、知識人としてきちんと分析すべきところで酔っていたり、夢想していたりする。

 異端カタリ派はさすがに知的で、ヘッセのような馬鹿な間違いは犯さなかった。解釈の表現にキリスト教的臭さがあるが、肝心のところはわかっていた。

 ヘッセはグノーシスに興味を持っただけでなく、東洋哲学に親昵した作家かと思っていたが、彼にはキリスト教的定型思考法が叩き込まれていて、東洋哲学……その核心といえる神秘主義を理解することは難しかったのではないだろうか。案外サリンジャーに似た捉え方だ。これでは、何もかも、戯画化したような幼稚な、否むしろ有害なものになってしまう(両者、大真面目なだけに厄介だ。また彼らの信奉者も多いだけに……)。

 西洋人にも、バルザック、ホフマン、ラーゲンレーヴ、ジョージ・マクドナルドのように神秘主義が血肉となっていた人はいくらでもいるのだから、西洋人としての限界というわけではない。あくまで個人としての限界なのだろう。

 デミアンとエヴァ夫人からは、グノーシスよりもニーチェの影響のほうが濃厚に感じとれる。

 もっとちゃんとした感想を書きたいが、今日は出かけるので、無理かもしれない。

|

2009年12月 3日 (木)

アナスイのCharming Tiger

200912012137000_3

 来年は虎年ですが、アナスイファンの娘が購入した虎さんのネックレス。

 なかなかシックな白虎ですが、バイオレットの蝶、ファーと意外に似合っています。虎さんがちょっとウルトラマンに見えたりして。

 虎さんとファーは取り外し可能です。それに虎さんはリバーシブルで、裏は黒(目は同じブルーです。ナンと足の裏に肉球がちゃんとありました)。シーンに合わせた楽しみかたができそう。わたしもほしくなっちゃった! [豚さんのネックレスはこちら。]

| | コメント (0) | トラックバック (0)

昨日の夕飯(土井勝先生レシピ『かれいの煮つけ』)

20091202234753

 『かれいの煮つけ』は『土井勝 日本のおかず500選』(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995年)を参考としました。

Pb180096

 前掲の本から、レシピをご紹介します。

[材料・4人分]
かれい4尾(1尾150g),塩少々,わかめ(もどしたもの)60g,ごぼう120g,
A《水1カップ,酒1/3カップ,砂糖・みりん各大さじ3,しょうゆ大さじ4,木の芽適量.

[作り方]

  1. かれいは両面のうろこをこそげ、裏側の胸びれの下に切れ目を入れ、内臓を指で押し出し、包丁で切り取ります。薄い塩水で洗って水気をきり、皮に斜めに飾り包丁を入れます。
  2. わかめは堅い筋を取り、ひと口大に切ります。ごぼうは皮を包丁の背でこそげて洗い、4~5cm長さの割りばしくらいの太さに切り、30分さらします。
  3. 鍋にAを入れ、②のごぼうを並べ入れて火にかけ、煮立ったら①のかれいを入れて煮汁をかけ、落し蓋をします。ときどき煮汁をすくいかけながら、中火で煮汁が1/2量になるまで煮ます。
  4. 器に③のかれいとこぼうを盛り、残りの煮汁で②のわかめをひと煮して盛り添え、煮汁を少しかけて木の芽を飾ります。

 木の芽なしは、少し寂しいですね。

 土井勝先生と服部幸應先生のレシピにはこつが絶妙に織り込まれているので、レシピ通りに作ると、綺麗に仕上がります。

 同じかれいの煮つけでもレシピによって味も見かけも違ってくるので、違うレシピにチャレンジしたときは、違う料理店に入ってみるような楽しみがあります。自己流を試みたりもしますが、よく考えられたプロの味つけには到底敵いません。

 この土井勝先生の『かれいの煮つけ』では、煮るときからごぼうの香りが煮汁の匂いと混じって漂い、生臭さが全く感じられませんでした。かれいと白葱は合うので、もっぱらかれいには白葱を添えていましたが、ごぼうとわかめも、よく合っていました。

Pb180101

 服部先生のレシピ『さやいんげとコーンの炒め物』。塩少々を加えてゆで、切ったさやいんげんと缶詰の粒コーンをバターで炒め、塩・こしょう各少々を振ります。もう1品というときに重宝しそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 2日 (水)

類は友を呼ぶ…のかも&つまらなくなり出した『デミアン』

 孤立を決め込んで始めた当ブログだったが、ありがたいことに訪問してくださるかたがたも増え、メールやコメントをいただいたりもするようになった。

 そのメールやコメントをくださるかたがたであるが、分野は違っても、何かの卵であったり、過去にそうであったりしたかたが多いように思う。

 卵であることを露骨に強調しているわたしのブログは、よくも悪くも、創作に関る某かを刺激したりもするようだ。

 しかし、このご時勢では、創作意欲を下手に刺激されても苦しいだけだったりもするだろう。仕事及び生活との折り合いをつけることが難しいことが普通だ。

 わたしと何らかの関係を持とうというかたは、才能という点では案外半端ではないかたが多いのではないだろうか、これはあくまで想像にすぎないが。

 趣味としても楽しめるはずのものをそうできないということは、半端ではないからなのだ。

 わたしのカタリ派研究(あくまで自作童話の下地とするためのものにすぎない)から借りていえば、そうした人々はいわば表舞台での活躍の場を奪われた、あるいは獲得できない異端派といってもいいかもしれない。

 ところで、異端カタリ派に影響を与えたといわれるグノーシスの哲学は高度な体系のはずだが、そのグノーシスが織り込まれているという情報を得て読み始めたヘッセの『デミアン』。

 少年時代までの主人公の物語は秀逸だった。悪友にそそのかされて悪事に手を染めようとする辺りは、簡潔な美しい表現で微に入り細を穿ち描かれていて、傑作だと思わせる。

 が、キリスト教の教えに一風変わった解釈をほどこすデミアンを媒体として作者が宗教哲学のテーマに本格的に入っていく辺りから、とたんにつまらなくなり出した。ヘッセには哲学を解する力がなかったのではないだろうか。まだ途中なので、読み終えてから改めて感想を書きたいが、現時点ではうーん、グノーシスを織り込んだにしてはねえ……という感じだ。

|

2009年12月 1日 (火)

昨日の夕飯

 前日の反動からか、和食を作りたくなり、鮭の味噌漬け焼き、だし巻き卵、かぼちゃの甘煮、グリンピースごはん、雷豆腐汁にしました。主菜の鮭は取り損ないましたが、以下――

Pb160059 Pb160073_2

Pb160083

Pb160061a

Pb160090_3

 久しぶりにだし巻き卵を作ったせいか、何か緊張しましたけれど、しょうゆをかけた大根おろしと一緒に食べるだし巻き卵は格別ですね!

 材料は、土井善晴先生のレシピ「土井善晴のわが家で和食」(2号・デアゴスティーニ)を参考にしました。2人分(2本分)で、卵6個、二番だし3/4カップ、塩小さじ1/2、サラダ油適量、大根おろし・しょうゆ各適量。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Notes:不思議な接着剤 #31/カタリ派について#4

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#31
2009/12/1(Tue) カタリ派について#4/資料#2

 佐藤賢一『オクシタニア』(集英社、2003年)。読みかけたが、オック語が関西弁に変換されているというだけで、わたしはパス……。

「棄教したら、土壇場でも命は助けてもらえるんやろ」
「それはそうや」
「だったら、しょぼくれた顔せんとき」

 関西弁で読むと、モンセギュールのあの峻厳な岩山がどうしても浮かんで来そうにない。パリのある北よりも当時は洗練された先進地域だったというカタリ派の栄えた南に関西を重ねる試みはわからないではないが、日本の風土が匂いすぎて、わたしは抵抗を覚えてしまう。

 ただ、『オクシタニア』には、『モンタイユー』という異端審問の記録をもとに書かれた民俗誌の雰囲気に似たものがあり、人間がどんな思想のもとにどんな人生を送ろうと、生活面の記録だけを拾っていけば如何にも俗っぽい素描が出来上がるのだと思わされる。

 しかし、『モンタイユー』の読書もまだこれから――で、たぶん後回しになる。エレーヌ・ペイゲルス『ナグ・ハマディ写本 初期キリスト教の正統と異端 』(荒井献/湯本和子訳、白水社 1996年)が、まさに歴史ミステリーといってよい、ぞくぞくするような面白さに満ちているので。訳者あとがきによると、著者は才気と美貌で知られた人物らしい。同じ著者のものを今回、2冊借りている。

 カタリ派はグノーシスの影響を受けているといわれているが、著書の初めのほうから、グノーシスについて書かれた部分を以下に抜粋しておく。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 異端排斥運動は、異端の持つ説得力を不本意ながら認めたことになるが、しかし、司教たちのほうが優勢を占めた。コンスタンチヌス帝改宗の頃、キリスト教が4世紀に公認宗教となった時には、かつて官憲によって苦しめられていたキリスト教司教たちは、今や彼らを支配する立場になった。異端として排斥された本を所持することは、犯罪的行為とされた。これらの本のコピーは焼却され、破壊された。しかし、上エジプトで誰かが、たぶん近くの聖パコミオス修道院の僧侶の一人が、禁書を持ち出して、破壊から救った。――これが壷の中に、ほぼ1600年埋もれていたのである。
 しかし、これらのテクストを書き、それを流布した人々は、自らが「異端者」だとは思ってもいなかった。文書の多くはキリスト教の術語を使い、まぎれもなくユダヤ教の伝統に関っていた。その多くは、2世紀に「カトリック教会」と呼ばれるようになったものをつくった「多数者」の目から隠されていた、イエスに関する秘密の伝承を提供しようとしている。このようなキリスト教徒たちは現在グノーシス主義者と呼ばれているが、この呼称はギリシアのgnosis(グノーシス)に由来し、通常knowledge(「認識」)と訳されている。究極の実在は知り得えないと主張する人々のことをagnostic(不可知論者――字義通りには、「知らないこと」)と呼ぶが、他方、そのようなことを知り得ると主張する人々のことをgnostic(グノーシス主義者――字義通りには、「知ること」)と呼ぶ。しかしグノーシスは、元来合理的認識ではない。ギリシア語では、科学的ないしは反省的認識(「彼は数学を知っている)」と、観察や経験を通して知ること(「彼は私のことを知っている」)とが区別されており、後者がグノーシスなのである。グノーシス主義者がこの用語を使う場合、われわれはこれを「洞察[インサイト] 」と訳すこともできるであろう。というのは、グノーシスは自己を認識する直観的過程を意味するからである。また、彼らの主張によれば、自己を認識することは、人間の本性と人間の運命を認識することである。小アジアで(140-160年頃)著作活動をしたグノーシス主義者の教師テオドトスによると、グノーシス主義者とは、次の問題の認識に達した人のことである。

われわれは何者であったのか。また、何になったのか。われわれはどこにいたのか……どこへ行こうとしているのか。われわれは何から解き放たれているのか。誕生とは何か、また再生とは何か。

 しかし、自己をもっとも深いレベルで認識することは、同時に神を認識することである。そして、これこそがグノーシスの奥義なのである。グノーシス主義のもう一人の教師モノイモスは、こう述べている。

 神とか、創造とか、これに類したことを捜し求めるのはやめなさい。あなたがた自身を出発点にして、彼(究極的存在)を求めなさい。あなたがたのなかにあって、すべてのことを思う通りになし、「わが神よ、わが心よ、わが思いよ、わが魂よ、わが身体よ」と言う者は、誰であるかを知りなさい。悲しみ、喜び、愛、憎しみの源の原因を知りなさい。……あなたがたがこのようなことを注意深く吟味するならば、あなたがた自身のなかに、彼を見出すであろう。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 ここまで読んだ時点では、グノーシスの哲学とは、わたしの知る限りヨガ哲学以外の何ものでもない。  

|

夜更かししていたら、来ました

夜更かししていたら、来ました

 来たのは発作です。

 あれはアンデルセンの童話だったか、心臓が鉛でできた兵隊の人形の話。発作のとき、よくその人形になった気がするのですが、今もそうです。圧迫感がそんな空想をもたらすのでしょう。

 まだ人形になった気分(圧迫感)が完全には消えず、もう1錠舌下したい気がしますが、血圧が下がりすぎるのは嫌なので、様子を見たいと思います。

※朝、アンデルセンの童話を調べたら、全然違っていました。すずでできた兵隊のお話で、最期は男の子の気まぐれからストーブに投げ込まれて、恋愛した紙でできた踊り子と火の中で果てるのです。兵隊は小さなハート形のすずの塊になり、踊り子は黒こげの金モールの飾りだけとなって……ずいぶん、残酷なお話です。
 鉛の心臓は、ワイルドの幸福な王子でした。
 次の発作時に、わたしはすずの兵隊になるのやら、幸福な王子になるやら……。

|

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »