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2009年11月16日 (月)

Notes:不思議な接着剤 #26/カタリ(Cathares)派について#1

#26
2009/11/16(Mon) カタリ派(Cathares)について#1

 自作童話『不思議な接着剤』のための創作ノート、Notes:不思議な接着剤では、カタリ派に執心したところで中断していた。どこかで書いた気がするが、児童文学の世界は神秘主義と深い関わりのある世界といってよい。それは、現代にも存在する神秘主義の扉なのだ。

 カタリ派は神秘主義的な一派だった。彼らの活動は、中世ヨーロッパで起きた神秘主義運動ともいえる側面を持ち、それはわが国の教科書にも載るような大事件を招いた。アルビジョア十字軍の派遣である。傍観的表現をとれば、アルビジョア十字軍とはカトリック教会による血の粛清であり、異端とされたカタリ派はそれによって壊滅させられたのだった。

 子供たちが冒険に出かける先の鍾乳洞には、中世ヨーロッパ的世界が入り込んでいるという設定。わたしはその中世ヨーロッパ的な世界の目安を、#24で書いたように、1244年に異端カタリ派がモンセギュールの陥落によって壊滅的ダメージを被ったあとに置きたいと思っている。

 カタリ派は、調べれば調べるほど魅力的な一派だ。都市部での活動を断たれ、農村に生き延びたカタリ派だったが、その終焉を描いた原田武著『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991年)の中の以下のような箇所を読むと、悲しい。

 ルネ・ネリは、最終段階でのカタリ派信仰は農民のなかでもとりわけ女性によって担われ、彼女たちの社会への不平不満と結びつく一方で、妖術的なものへの傾斜を深めがちであったと述べる。
〔略〕
 1412年8月3日、イタリアのトリノの近くで15人のカタリ派信者の墓が暴かれ、死骸が火刑にされるという事件があった。これがおそらくヨーロッパ全体での、異端カタリ派についての最後の消息である。

 カタリ派は追い詰められて本来の知的な性格を失い、迷信的になり、遂には途絶えたのだろう。 

 が、彼らの思想がプロテスタンティズムや、もっと濃厚には神秘主義的秘密結社を組織したバラ十字派の思想などに流れ込んだのだとすると、それはバラ十字派の一員となったフランスの文豪バルザックに一つの見事な結実を見たわけだ。

 バルザックのあの底抜けの明るさが思想の純度の高さを証明している……! 

 カタリ派は二元論と転生を説き、遅かれ早かれ全ての魂が救われるといった。この世は悪魔の創造物だと説いた。前掲の著書に、実際に次のように説教した例があるのには驚く。

 それに、カタリ派は地上のすべての営みに神が介入することはないとする宗教であるから、恵み深き神が花を咲かせ、実を実らせるのだという考えも成り立たなくなる。末期の説教で、作物が実るのはほかでもなく汚い肥料のおかげなのだ、と説いた記録があるという。

 さらに、前掲の著書は述べる。

 「科学的」といえば、カタリ派は「奇跡」なるものもまた排除した。聖フランチェスコもほかの誰も、奇跡など行っていないというのである。神がこんな形で人間を助けることはないのである。当時のカトリック世界で奇跡、とりわけ聖遺物による奇跡がどれほど待望され、またどれほど実際に生起したかを考えれば、このような見方が時代の大勢とおよそ相反する立場であったことがわかる。
 カタリ派信仰は転生のような神秘的部分を含みながらも、自然あるいは物質が神格化されるのとは逆の宗教意識から成り立つ。

 こうして見ていくと、カタリ派の教義は一見、単純明快というか、逆にいえば、味も素っ気もない教義のように映るが、教義の要約からは微妙なニュアンスや雰囲気といったものは除外されてしまうことや、またカタリ派の教義には神秘主義らしい一面があって、一般向けのものとPerfecti(パルフェクティ。完全者あるいは完徳者と邦訳されている。資格を得たカタリ派聖職者)向けの秘教的なものとがあったことを考慮する必要がある。

 アーサー・ガーダム著『二つの世界を生きて――精神科医の心霊的自叙伝』(大野龍一訳、コスモス・ライブラリー、2001年)から以下に断片的に引用する馥郁とした言葉を吟味すれば、二元論、この世は悪魔の創造物であるという公式的な教義のイメージは一変する。

 カタリ派にとって、かたちあるものと物質の妨害的な慣性は、悪魔によって創造されたものであった。それはたんなる形態から見えざるものへの移行一般の問題ではなかった。カタリ派では、すべてのかたちあるものは霊的な同等物をもっているということが、われわれを取り囲む精霊の世界が存在するということが含意されている。

 カタリ派にとってすべての生命は、動物のそれも含めて、神聖なものであった。

 大地に湿り気を与える古代の球根によってかたちづくられたざらざらして乾いた石灰質の荒地には魔法があった。その土壌には生きた生命が宿っていた。ローズマリーとラベンダーの香りはそこから発出される精霊である。

 これはブラヴァツキー著『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学紹介ニッポン・ロッジ、平成元年)の付録――議事録――で交わされた次の質疑応答を連想させる。

 しかし、これは、植物界の数えきれぬ種(シュ)をどう説明できますか?

 植物などの様々な種は、一条の光線が分裂して生まれた光線です。光線は七つの世界を通る時に、各世界で弱められ、何千も何百万もの光線になり、そうした光線はそれぞれ、自分の世界で一つの有知者になります。だから、各植物には有知者があり、あるいは、いわば、生命の目的があり、ある程度の自由意志があるということがわかります。とにかく私はそのように理解しています。植物には感受性の強いものも弱いものもありますが、例外なく、どの植物もものを感じるし、それ自体の意識があります。その上、オカルトの教えによると、巨木から最小のシダや草の葉に到るまで、どの植物にもエレメンタル実在がおり、目に見える植物は物質界でのその実在の外的な装いです。だから、カバリストと中世のバラ十字派はいつもエレメンタル即ち四大元素の霊の話をするのが好きでした。彼等によれば、すべてのものにはエレメンタルの精がいます。 

 ガーダムはこうもいう。

 二元論者の自然と宇宙に対する態度は明らかにポジティブなものであり、それは医師としての私には大きな助けとなった。善と悪、霊と肉〔精神と肉体〕、天体と季節の影響、植物と鉱物が発する作用、これらすべては神秘的であると同様、科学的なアプローチの一部をなすものである。二元論者にとって、神秘と科学は互いに敵対するものではない。現代ヨーロッパにおける科学と宗教的体験の分離は、われわれの霊的、科学的貧困の徴である。われわれは神学を宗教と、テクノロジーを科学と取り違えている。私は二元論者であるがゆえに、星や月が患者の精神状態に影響を及ぼすということをたやすく受け入れることができた。そして、地球のヴァイブレーションに影響を受けやすいそれらの患者たちにあって、病気のパターンがいかにして季節に関係づけられているのかを理解した。

 いずれにしても、カタリ派の教義は重層的な構成を持つ、神秘主義的な教義であることが察せられるのだ。

 ところで、カタリ派の生まれ変わりと称し、カタリ派について多くを書いたアーサー・ガーダム(1905―1992年)は、人物紹介によると、オックスフォード大卒の医学博士で、英国サマセット州バースで大病院の精神科医長を30余年にわたって勤めた人物であるが、50歳頃から精神医学から宗教、小説にわたるまで旺盛な執筆活動を開始した。

 過去におけるカタリ派との関係の再現は、メニエール症候群の発作をきっかけとしていた。

  私は、自分が巻き込まれている音の網目が、時間の外部から立ち現れたヴァイブレーションなのだということを知らなかった。この病気が私を襲ったのは1954年のことであった。私は何世紀も前に打ち鳴らされた音楽の調べが、自分がそれを病気の兆候と見てそのメッセージを拒否してしまったがために、不協和音としてしか聞こえないのだということに気づかなかった。カタリ派が呼んでいるのだということを、わたしは知らずにいた。

 ガーダムは他の転生についても書いているのだが、13世紀のファンジョー県ラングドックに転生していた当時の彼は、パルフェクティになるための訓練を受けていたところだったらしい。パルフェになるための訓練のメニューには、瞑想の基礎、ヒーリング・薬草に関することといった医学的知識の習得なども含まれていたようだ。

 カタリ派としての転生で、わたしはギラベール・ド・カストルのお気に入りの弟子の一人であったように思われる。彼のもとで、私は瞑想を学んだ。その人生で、私はかなりの程度の覚醒を達成し、それが20世紀の人生において私が瞑想に立ち戻ることを不要にした。それを試みると私は病気になったが、それは私が運命から逸脱することを意味したからである。一カタリ派として私はヒーリングに魅せられたが、その訓練を受けたことはなかった。今度の転生で、私は医者となった。私は前世での哲学的研究から、時間の性質についての関心を持ち越したが、それは私が心理療法を行う上ではかり知れない価値を持つものとなるはずだった。

 文中のギラベール・ド・カストルという人物は、1240年頃に亡くなったとされるカタリ派の司教である。カストルの弟子だった当時のガーダムは異端のかどで逮捕され、カルカッソンヌ獄舎で死亡した。死因は肺病だったという。ガーダムはカタリ派の一員としての過去が自身のうちで甦るのと並行するように、同じように過去世でカタリ派だったらしき人々と出会うようになる。

 その中の一人であるスミス夫人は、火刑に処されたときの生々しい記憶を持っていた。前掲の原田武著『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991年)から、恋人同士だったガーダム(カタリ派だった当時はロジェ・イザール)との関係に触れた箇所と合わせてご紹介しておきたい。

 夫人の前世での素性は、貧しい農家の娘で、恋人から 「プエリリア」と呼ばれていたこと以外、本名もわからないままで終わる。だが恋人(つまり今の博士)については、やがて身元がはっきりつかめる。彼はベック・ド・ファンジョーの息子、ロジェ・イザールであって、「完全者」になることなく終ったけれど、終始熱心な帰依者として活躍し、拷問のあげくおそらく結核で獄死した人物である。女性完全者として有名だったその姉アイリス(エリス)が1243年8月5日、異端審問所で行った供述には彼のこともふれられ、その存在は決して疑うことができない。
 恋人の死後、彼女もまた逮捕される。トゥールーズのサンテチエンヌ聖堂の地下礼拝所で拷問を受け、彼女もまた完全者ではなかったけれど、その強固な異端信仰のゆえに最後は火刑台で息を引きとるのである。
 〔略〕 なかでも、最後に火刑台に上ったスミス夫人=プエリリアの感じ方は、体験した者しかけっして知りようのない、なまなましさをそなえているといえよう。火あぶりになるときには熱気で血が乾いてしまうと思いこんでいたのに、実際には多量に出血することに彼女は気づく。「炎のなかで血がしたたり、しゅっしゅっと音を立てていたのです。わたしは炎を消せるだけの血があればよいのにと思いました。もっともひどかったのは目です。(中略)瞼を閉じようとしても、どうしても閉じることができませんでした。瞼は完全に焼け落ちてしまっていたのに違いありません」。 

 ガーダムは、壊滅させられたモンセギュールについて以下のようにいう。難解な表現であるが、この厳密さ、匂やかさ、そして宇宙的といってよいスケールの大きさこそが、中世ヨーロッパで花開き、それに惹きつけられた人々を堪能させたカタリ派の教義の特徴だったのではあるまいか。 

私はモンセギュールが古い思想の実現であり、新たな夢の誕生であるのを知っている。それは記憶の受肉であり、生きられるべき人生のパターンの小高い石の山である。別の世界で、それはわれわれの思想の中身から再創造されるだろう。肉体から解放されて、それを別の目で、地球的な形態の尺度を超えて見るとき、われわれはそれをもっと明確に見、感じることができるのである。われわれはその美を、来るべき次の世界ではヴァイブレーションのシステムの中に見るのだ。

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