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2009年10月の44件の記事

2009年10月31日 (土)

歴史の闇を彷徨っている心地

 ここ数日、東漢(やまとのあや)氏(うじ)の伝説が気にかかり、いろいろと調べていた。

 記紀を読んでいると、時代的な事柄に錯綜が見られるので、真面目に読んでいると、頭が変になりそうだ。

 が、作り話で済ませようとすると、妙にリアルな記述が現われたりする。

 そして、いろいろと調べた結果、わたしの祖先の血の中に、ごく薄くとも、東漢氏の血が入っているとすれば(母方の祖母が、東漢氏中の大蔵氏の系であったようだ。大蔵氏の系図の中に祖母の旧姓と同じ姓が出ている。従姉から聴いた祖母の実家の話からしても、この系に間違いないと思う)、どう考えても、わたしは卑弥呼の国、邪馬台国の歴史を抹殺した側の人間に属するのではあるまいか。

 そうでなければ、祖母の血に……などといえるような、歴史の表舞台で東漢氏が活躍できたはずがないと思う。

 わたしは素人にすぎないので、記紀の読みかたがよくわからない。素人読みのあやふやな解釈にすぎないので、推理のあちこちで間違っているのかもしれないが、児童文学作品『不思議な接着剤』に戻る前に、歴史の闇の中でおぼろげに見えたような気がするものだけでも、できたら、今日明日中にでもノートしておきたいと思う。でないと、児童文学に戻れない。

 歴史の闇といえば、『接着剤』の子供たちを送り込むことになる中世ヨーロッパの闇がまた凄い。

 真面目に歴史の勉強をしていると、本当に気が変になりそうだ。つい、人類の歴史は真っ当な道を歩んできたと思ってしまうが、疑いたくなる。

 人類の歴史とは、こよなく美しい、真に価値のあるものが、抹殺されてきた歴史だといってもいいくらいではなかろうか。まさに、中世南フランスの地、ラングドックで抹殺されたキリスト教のひじょうに知的な一派、異端カタリ派が考えたように、この世は悪魔の創造物と思いたくなってくる(カタリ派はこの世に囚われない霊の輝かしさを謳った)。

 いや、短絡思考はよくない。つまり、この世で起きることは、そして人類の歴史は、玉石混交ということだろう。などと、わかりきったことをいって、自分を安心させようとしている。

 とにかく、ノートをとっておこう。そして、なるべく早いうちに、児童文学に戻ろう。 

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健康保険証の裏面がドナーカードに…

 そういえば、先日、夫が健康保険証が更新になるよ、といって新しい健康保険証を差し出しました。オレンジ色から青色になっていました。

 そして何と、裏面がドナーカードになっていました。知りませんでした!

 びっくりして、厚生労働省のホームページに行ってみました。以下は、「厚生労働省における移植医療の普及啓発に向けた主な取り組み」の中からの抜粋です。

厚生労働省における移植医療の普及啓発に向けた主な取り組み

1 国民に対する普及啓発

(1) 臓器提供意思表示カード・シールの配布等
 ① 都道府県庁や市区町村役場、保健所、郵便局、運転免許試験センター等の公的機関、病院、薬局等の医療機関、コンビニ、スーパーなどの店舗等に配置など
 ② 健康保険の保険者等に対して、被保険者証の更新等の際の意思表示シール等の配布について、協力依頼
  協会けんぽにおいて、健康保険証の裏面に臓器提供の意思表示の記入欄の導入が図られている。(平成19年1月から順次)
  他、各市町村の国保及び健保組合等においても導入が進められている。

 ですと。1月から始まっていたなんて。

 こんな強引なことをして、先々問題が生じることはないのでしょうか。例えば、他人が勝手に書き変える、などという犯罪が生じる危険性が皆無とはいえないのでは?

 わたしは、脳死判定による臓器摘出には絶対反対です。

 ただ、心停止の場合については、考え込んでしまいます。亡くなった母が腎不全で苦しんでいました。あるとき、母がわたしにいったのです。「腎臓ば、くんしゃい(腎臓を、ちょうだい)」

 わたしは耳を疑いました。母はそのとき、ひどく不機嫌そうで、わたしに対してというより、虚空に向かって訴えているような感じがありました。母の性格からして、本当にちょうだいといったとは受けとれませんでした。愚痴がそんな言葉になったのだと思いますが、それくらい、病気がつらかったのでしょう。

 わたしは言葉を失いましたが、当時のわたしとしては、母にいわれるまでもなく、腎臓を片方、やりたい思いでいっぱいでした。が、自分で調べた範囲内では、血液型の違いというのは決定的でした。仮にわたしの腎臓を母に移植したところで、拒絶反応が起きるだけ……。

 脳死判定という問題が起きる以前の昔の話です。腎臓ば、くんしゃい、とさえいった母でしたが、当時まだあまり普及していなかった透析を、母は嫌がりました。透析がうまくいかず、廃人のようになったという人のことを噂話で聞いたようです。輸血も嫌がりました。肝炎のことが問題になる前でしたが、輸血をして肝炎になった人を知っていたのか、輸血で肝炎になることを懼れていました。病人の気持ちは複雑なようです。尤も、今ではわたしも病人ではあります。

 わたしは素朴な気持ちとして、命は、もちろん臓器も含めて、神様からの授かり物だという思いがあります。自分の命、臓器は、自分のものであって自分のものではない、誰のものでもない、神様の物だという思いです。医療に縋りながら、こう思うのもナンですが。

 そうした思いや神秘主義者の立場からも、仮に今、母が生きていたとして、わたしに、脳死になったら腎臓をちょうだい、といったとしても、わたしは否です。絶対にやりません。

 心停止の場合は、様々な面から考えて、迷います。腎臓には○をつけようかしら。やっぱり、やめとこうかな。うーん。嚢胞があっても、いいのかしら。膵臓と眼球もやれるようですが、わたしの膵臓の状態は怪しいし、眼球は何となく嫌。

 空白のままにしておくかもしれませんが、しばらくは健康保険証の裏面をめぐって、迷いが続きそうです。

 ホームページ「(社)日本臓器移植ネットワーク」に行くと、9月末日現在の移植希望登録者数その他について知ることができます。

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久しぶりにお世話に

久しぶりにお世話に

 胸の圧迫感。

 ずっと絶好調だったので、昨日の昼間、出しっぱなしのニトロ舌下錠、片付かないので薬袋に戻そうかと思ったほどでした。

 夜明け前のこの時間は冷えていて、そのせいでしょう。

 胸から左腕にかけて涼しくなり……治りました。

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2009年10月29日 (木)

シネマ『サガン―悲しみよ こんにちは―』を観て

 火曜日、娘とシネマ『サガン―悲しみよ こんにちは―』を観に行った。

 サガンの作品は、小説『悲しみよこんにちは』、『ボルジア家の黄金の血』、インタビュー集『愛と同じくらい孤独』しか買ったことがない。『ボルジア…』は読破しなかった。

 この記事を書くにあたって、昔買った彼女の本を捜したが見つけられなかった。自分にとって大事な作家の本は身近に置いておく癖があるので、わたしの中でサガンはその程度の扱いでしかないということだろう。サガンとデュラスは並べて語られることも結構あるようだが、わたしにとっては全く別の系統に属する作家で、デュラスは常にわたしの身近にある。

 が、サガンは相当に売れているようだったので、書店で手にとってめくってみたことは何度もあった。『悲しみよこんにちは』の印税は5億フラン(360億円)だそうだ。

 わたしにとってのサガンは、辛辣さをスパイスとしたお洒落で単調な小説を書き、芸能人のようにスキャンダラスな話題を振りまくことで有名なフランスの女性作家という印象だった。

 スピード狂で大事故を起こし、ギャンブルにのめり込む、アル中、恋愛中(絶えず恋愛中であるような恋愛中毒患者)と広告的なイメージが並ぶと、頭が足りないのではないだろうかと思えてしまい、儲けるにはあれぐらい脳味噌を掻き出さないと駄目なのだろうか、と考えて憂鬱になった。

 『悲しみよこんにちは』を読んだのは、高校のときだったか、大学に入ってからだったかはよく覚えていないが、彼女がその本を書いたのと同じ年齢ぐらいだったと思う。

 そのときのわたしの感想は、優等生が受けを狙って書いた上等の作文、といったものだった。真面目な書きかたがなされていると思ったが、稚拙であっても自身の真の発見によって書かれた作品ではなく、器用な作品という感じを若いわたしは持ったのだった。

 それは穿ちすぎた見方だったのかもしれないが、わたしの中でサガンは、ハーレークインロマンスの深刻版を書く作家というイメージが出来上がってしまった。

 本当にそうだろうかと思って、インタビュー集を買ったりもしたのだったが、誰もが考えそうな普通のことを自分が発見したかのようにいっているという印象で、つまらなかった。

 そんな、作者にとっては失礼であるに違いないサガン体験を払拭できるかもしれないと思い、映画を観に行ったのだった。こんな行動自体、ある意味でわたしは彼女に執着があるのだと思う。村上春樹に対する執着と似通ったものだろう。彼らのようなタイプの作家が出版界を牛耳っているという見方が、わたしの中にあるせいだろうか。

 で、映画は本当につまらなかった。いくら何でも、あれではサガンが可哀想ではないだろうか。サガンの伝記映画というよりは、麻薬中毒患者物語だったのだ。

 ただやはり考えさせられたのは、映画がどこまで実話を描写したものであるかはわからないという前提があるにせよ、彼女のような作家たちと出版界との関係だった。

 「君は、バルザックではない。小曲にすぎない」といいながら、ベストセラー作家に仕立て上げる出版界。彼女の作品を読みもしないでサイン会を主催する出版界。

 バルザック、ジョルジュ・サンド、ユーゴー、ゾラ、フローベル、プルースト、モーリアック……と思いつくままに、サガンより以前に出て亡くなったフランスの作家たちと比べてみると、なるほど彼女の作品は如何にも小曲だ。

 小曲といっても、ニュージーランド生まれのキャサリン・マンスフィールドの作風と同じようであるかというと、違う気がする。今の日本は純文学という言葉を嫌うから、純文学をクラシック文学といい換えてもいいが、サガンの小説はジャンルが違うという気がする。村上春樹の小説がわたしには純文学とは違うように感じられるのと同じ意味合いで、サガンの小説もそうだという気がするのだ。 〔関連記事:村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち

 出版界の扱いに、混乱が見られるのではないだろうか。ガリマール社の女性編集者が、物凄いおデブちゃんで魅力のかけらもない描かれかただったが、あれは写実の結果だろうか、何かの揶揄、象徴だろうか。

 サガンの登場によって、作家の標準的なイメージは変わったのではないだろうか。バルザック以下の前掲の作家たちを作家の標準的イメージとする社会とサガンを標準的作家のイメージとする社会とでは、違ってくるものがあるはずだ。

 サガンの背後には、彼女と同系のおびただしい現代作家たちが続いていて、バルザック以下の前掲の作家たちを、彼らは高い山々であるにも拘らず、見えなくしているほどだ。

 哲学界はどうだろうか。サガンはサルトルと親しかったそうだが、サルトルのような思想家を哲学者と呼ばなければならないほど哲学は傷んでいるともいえる。哲学の失墜があり、文学の失墜があった。サガンがそれを招いたのか、失墜の結果なのか、わたしにはわからない。出版界の迷走が背後にあることは確かで、その影響はわが国にも及び、今に至っている。

 ちなみに、現代日本文学界の大御所、瀬戸内寂聴がサガンの大ファンなのだそうだ。

 ところで、わたしはサガンの小説『悲しみよこんにちは』のタイトルに使われているポール・エリュアールの詩が好きだ。以下にご紹介しておきたい。

   ちょっぴり変形した女

悲しみよ さようなら
悲しみよ こんにちは
おまえは天井の木目に刻みこまれている
ぼくの愛する目の中にたたみこまれている
おまえは完全な悲惨ではない
最もあわれな者たちの唇も
ほほえみをもっておまえを告発するのだから
悲しみよ こんにちは
愛すべき肉体の愛
愛の権力
その愛らしさがわきおこる
肉体のない怪物のような
とがった先の折れた頭
美しい顔 悲しみよ。

『エリュアール詩集』(嶋岡晨訳、飯塚書店、1973年)
 

過去記事でご紹介したエリュアールの詩『わたしはひとりぽっちじゃない』はこちら⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/12/post_629a.html

関連記事:

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2009年10月28日 (水)

今日の夕飯(ボルシチ)

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 ボルシチ。

 牛肉の角切りが安くなっていたので買い、ビーフシチューと迷いましたが、ボルシチにしました。

 塩こしょうした牛肉を炒めて白ワインを振り、煮立ったらあくをとって、月桂樹の葉を入れ、3時間くらい弱火で煮ました。

 肉がとろけるように柔らかくなり、ビーツや他の野菜と一緒になって絶妙な味わい。家族が絶賛してくれました。わたしも満足でした。

 ビーツは缶詰を使いました。他に入れた野菜は、セロリ、にんにく、トマト、玉ねぎ、にんじん、キャベツ、じゃがいも。

 サワークリームは、準主役といった感じです。のせたほうが美味しいですよ。

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テンプレートの選択の難しさ

 新しいホームページ「マダムN図書館http://dulait.jimdo.com/」に、暇を見つけては、当ブログの記事のうちエッセーとして独立させられそうなものから収録していますが(作品閲覧室⇒コラム・エッセー・評論)、当ブログのカテゴリー「詩」をクリックしてギョッとしました。

 詩の紹介をする場合、詩の部分は引用の設定を用いて、囲っていることが多かったのですが、テンプレートを変更するうちにそうなってしまったのかどうなのか、何と、行空けが消えてしまっていたのです。

 詩では、特に改行や行空けといったことが大事になってきますから、困ったことになったと思いました。

 カリール・ジブランやリルケの詩を紹介した記事は人気があり、ほぼ毎日アクセスがあります。閲覧してくださったかたがたに、間違ったものを伝えてしまったことになりますね。申し訳ありませんでした。

 ココログはHTMLの編集もできますから、その編集画面にしていじればいいのでしょうが、面倒なので、どうしたものかと思い、テンプレートを変えてみました。すると、その変えたテンプレート「本を開いて」では、行空けが復活していました。テンプレートで違ってくるようです。

 とりあえずは、引用内でも行空けが生きる現在のテンプレートにしておくことにしましたが、デザインの好みからいうと、ちょっとしっくり来ないので、また変えるかもしれません。

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2009年10月27日 (火)

気になる伝説

 児童文学に気をとられながらも、卑弥呼関係のことで、このところ気になって仕方がない伝説がある。創作も子育てと同じなのか、一方に関心が傾くと、他方が泣き声(?)をあげて構って貰いたがるかのよう……。

 その気になる伝説というのは、わたしの祖母の家系がやまとのあやと関係がありそうという話と絡んだことなのだが――

 残念ながら、娘と映画に行くので、記事にしている時間がない。大事なことを調べかけたところなので、映画などどうでもよくなったが、帰宅後に。

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「マダムNのサイト総合案内」を更新

ウェブページ「マダムNのサイト総合案内」を更新しました。
 ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/info1.html

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 メインディッシュは、キッコーマンのサイト、ホームクッキングの『さわらのソテー シノワ風』を参考とさせていただきました。

 スナップえんどうがなかったので、代わりにインゲンを入れました。家族に好評でした。

 土井勝先生の『れんこんのきんぴら』も、とっても美味しいので、材料だけご紹介しておきますね。4人分で、れんこん250g、赤唐辛子1本、サラダ油大さじ3、調味料《砂糖大さじ2、みりん大さじ1、しょうゆ大さじ3》。

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2009年10月26日 (月)

宇佐神宮にて

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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇写真提供:娘

☆以下は、2007年1月30日(火)公開の記事を訂正したものです。

  およそ10年ぶりに出かけた宇佐神宮でした。

 阿吽の狛犬に出迎えられて、鳥居をくぐりました。狛犬の体に毛のようなものが見え、芸が細かいなあと思い、近づいてよく見ますと、筋状に生えた暗緑色の苔でした。

 本殿までこんなに距離があったかしら、と思ったくらいに境内は広く感じられました。宇佐神宮はイチイガシの森に抱擁されています。前に来たときにいた白馬はいませんでした。

 ここで、杉田久女の句をご紹介しましょう。

    宇佐神宮 五句

うらゝかや斎(いつ)き祀れる瓊(たま)の帯
藤挿頭(かざ)す宇佐の女(によ)禰宜は今在さず
丹の欄にさへづる鳥も惜春譜
雉鳴くや宇佐の盤境(いはさか)禰宜ひとり
春惜しむ納蘇利の面ンは青丹さび

 杉田久女は『息長帯姫命の瓊のみ帯について』という題の随筆の中で、「神殿の朱の御扉中に奉安してある」という「(聖武天皇奉献による)神功皇后の御物と申し奉る古い唐錦の御帯」について書いています。

 久女が、古実にくわしい禰宜から聞いたのだということです。

 神功皇后といえば、現代人のわれわれからすれば架空の存在としか想えないスーパーウーマンですが、日本書記の神功皇后の巻には、魏志倭人伝の記述が不自然なかたちで挿入されていたりして、中国の正史に残っているために抹消しようがない卑弥呼という存在の大きさ、格の高さ、業績を天皇家に取り込もうとあがいた作為の跡が透けて見えますね~。

 逆の見方からすれば、魏に朝貢した邪馬壹国の女王卑弥呼と壹与は、その時代に倭国で大いに勢力のあったはずの大和朝廷とは別の王国に属していた人々ということになるわけです。そして、魏志倭人伝によると、その女王国に敵対していたのが男王卑弥弓呼の君臨する狗奴国。

 それにしても、まぎらわしい名だわねえ。。。卑弥呼に卑弥弓呼だなんて。

 いずれにしても、大和朝廷の作為が見え見えの神功皇后ではありますが、この架空の人物には実在の人物であった卑弥呼、あるいは卑弥呼の後継者であった壹与が、屈折したかたちで、断片的に、投影されていると考えて間違いはなさそうです。

 で、その神功皇后のものだという帯は「こげ茶の地に、草花模様があり、それに五色の小い瓊を所々にぬひつけた誠に高貴なみ帯」だということです。また久女は、同じ随筆の中で次のようなことも書いています。

宇佐の女禰宜は昔は大変な勢力があつたけれども、鎌倉時代に廃絶したものゝ如く、今も女禰宜の奥屋敷跡などいひつたえるものが宇佐の古い築地町の中などにはさまつてゐます。

 鎌倉時代に廃絶されるまで、宇佐の女神官には大変な勢力があった……? うーん、様々な連想を誘う一文です。  

P1040007   上宮本殿。下宮もそうですが、3棟からなります。向かって左から、一之御殿、二之御殿、三之御殿。

 本殿の建築について、「神社紀行特装版 宇佐神宮」(薗田稔監修、学習研究社)には下記のように書かれています。

現在の本殿は江戸時代末期の再建であるが、古い神社建築のひとつとされる八幡造りの祖型を伝えるものといわれ、国宝に指定されている。

3つの本殿とも、前方の外院と後方の内院をもつ。外院には椅子が置かれ、昼間、神が腰掛けられるところ。夜は内院で休まれる。

P1040008_3 P1040006_3  祭神は、一之御殿が八幡大神、二之御殿が比売大神(ひめおおかみ)、三之御殿が神功皇后。

 八幡大神は応神天皇のことで、神功皇后は応神天皇の母神です。  

 主祭神は八幡大神なのですが、どうしたって、注目せざるをえない二之御殿。

 この二之御殿の祭神、比売大神については、宗像三神のこととされていますけれど、諸説あるようでして、歴史を遡れば、「八幡さまのあらわれる以前の古い神様、地主神とされている」ということになるようです。

 この二之御殿だけが、今回参拝したときも、前に何度か参拝したときも締まっていました。 それだけでなく、かたく閉ざされた扉の両側には、厳しい監視人の姿(お人形)が。。。

20070118151159 20070118151209  これらの写真はわたしの撮影で、ぼけていますが、格子の向こう側にいらっしゃるのがその監視人です。

 あの人たちって、ここから誰かが侵入しようとするのを防ごうとしているというより、中からの脱出劇を阻止しようとしているような顔してるわ~。あたかも、この奥に一柱の女神様が囚われの身となっていらっしゃるような感じさえ受けるのですね。

P1040004  左の写真にあるように、下宮にある二之御殿は閉ざされていませんでした。

 宇佐神宮は神仏習合の宮として有名ですが、それ以前に道教との深い関わりを感じさせる宮でもあります。

 大陸渡来の道教を継承しつつ、仏教との融合に力を尽くした8世紀の宇佐の僧法蓮を、前出の「神社紀行特装版 宇佐神宮」から紹介させていただきたいと思います。 

 日本書記には、豊国の奇巫(あやしきかんなぎ)と豊国法師なる人物が、天皇の病を治すため豊国から宮中に招かれたと記す。ふたりは大陸渡来の道教的な巫術、医術を行うシャーマンであったと思われる。

 その流れを継ぎ、8世紀の宇佐にあらわれたのが宇佐国造家出身と思われる僧法蓮であった。『続日本紀』によれば、法蓮は優れた医術・巫術により朝廷から土地や宇佐君の姓を賜っている。

法蓮は宇佐の古代仏教の指導者であり、720年(養老4)、八幡神の守護による隼人の反乱鎮圧と、それを契機に開始された日本で最初の神仏習合的な放生会にも重要な役割を演じ、朝廷と宇佐神宮を結んだ人物と考えられる。

  ここで、宇佐神宮の由来と歴史をウィキペディアから、紹介させていただきます。

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由来と歴史

社伝等によれば、欽明天皇32年(571年)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才童児となり、「我は、誉田天皇廣幡八幡麻呂(註:応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があった(扶桑略記 東大寺要録、宮寺禄事抄)と言われている。

そして遅くとも社殿を新たに建て替えたと考えられている和銅元年(708年)頃までには大神比義と関係がある大神一族が大和朝廷より宇佐の地にやってきて、あるいは大和朝廷と手を結んで、神仏習合、八幡神創出を行ったと考えられている。

また、宇佐神宮は三つの巨石を比売大神の顕現として祀る御許山山頂の奥宮・大元(おおもと)(=御許:おもと)神社の麓に位置し、豪族宇佐氏の磐座信仰が当初の形態であろうと言われている。

そこに、当初は香春岳山麓に住み、その後、現在の中津市大貞薦神社で神官もしくは巫女を務めていたと思われる、渡来系のスサノオの子、五十猛命(いそたける)が始祖と言われている辛嶋氏が比売大神信仰を持ち込み、後に宇佐辛嶋郷に住んで、辛嶋郷周辺に稲積六(いなずみろく)神社(単に稲積神社とも表記。宇佐市中561)、乙咩(おとめ)神社(宇佐市下乙女宮本1343)、さらに酒井泉神社(宇佐市辛島泉1)、郡瀬(ごうぜ)神社(昔の表記は瀬社(せしゃ)。宇佐市樋田字瀬社187-1)と社殿を建築した。

崇峻天皇(588 - 592年)の御代に鷹居社(たかいしゃ)(宇佐市上田字1435)が建てられ、和銅5年(712年)には官幣社となり、辛嶋勝乙目が祝(はふり)、意布売(おふめ)が禰宜(ねぎ)となって栄える[1]。宇佐にある葛原古墳は辛島勝氏の墓である、という説がある。

社殿は、宇佐亀山に神亀2年(725年)、一之殿を建立、天平元年(729年)には二之殿、弘仁14年(823年)には三之殿が造立され、現在の形式の本殿が完成したと言い伝えられている。

東大寺造営の際に宮司等が託宣を携えて都にのぼり、造営を支援したことから中央との結びつきを強め、宇佐神宮は伊勢神宮に次ぐ皇室第二の宗廟として崇拝の対象となり繁栄した。

宇佐神宮の神職を束ねる大宮司は、宇佐神宮を顕した大神比義の子孫(中央から派遣された氏族ともされる)の大神氏が務めた。後に菟沙津彦らの子孫・宇佐氏と大神氏の祝が大宮司職を継承し宮成氏と三氏で祭祀を行ってきた。現在では祝氏、宇佐氏、宮成氏は祭祀を離れ、終戦直後には宇佐氏の流れと云われる阿蘇神社宮司の到津(いとうづ)氏が継承し、祭祀を行っていたが、平成16年(2004年)ごろより到津宮司に代わって代務者が置かれるようになった。

平成18年(2006年)には代々宮司家に替わって、中津市薦神社宮司である池永公比古氏が79代宇佐神宮宮司に就任した。これは異例のことであり、到津克子(いとうづよしこ)禰宜への橋渡しととらえるむきもあった。ところが、池永宮司が平成20年に急死したため、平成21年に神社本庁は大分県神社庁長の穴井伸久氏を80代宮司に選出した[2]が、これに反対して、宇佐神宮の責任役員会と氏子総代会は到津克子氏の80代宮司就任を決め、神社本庁からの離脱届を出す騒ぎになった[3]。

宇佐神宮の元宮は、福岡県築上郡築上町にある矢幡八幡宮(豊前綾幡郷矢幡八幡宮。現在の金富神社。矢幡氏が社家として代々宮司を務める。)であるとする説がある。 また、宇佐神宮にある由緒書き「八幡宇佐宮御託宣集」には筑前国穂波郡の大分八幡宮は、宇佐八幡宮の本宮であり、箱崎宮の元宮であると明記されている。

「宇佐神宮」(2009年5月27日 (水) 10:42 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE

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  ところで、口伝をもとに書かれた『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』(宇佐公康、1990年、木耳社)には、驚くべきことが書かれていて、神功皇后の皇子誉田天皇は応神天皇ではないというのです。

 誉田天皇は皇后と武内宿禰の不義密通によってできた子供で、のちに神功皇后は誉田天皇とともに、豊前国田川郡香春岳の麓、勾金(今の香春町勾金)に幽閉されてこの地で亡くなり、誉田天皇もまた4歳にして亡くなったということです。

 そして、その勾金の地に葬られ、大神比儀によって弔われた……とのこと。わたしが初めて邪馬壹国に興味を持った頃に住んでいたのは、香春岳が見えるアパートでした。

 では、記紀に描かれた応神天皇は誰かというと、神武天皇が東遷の途上で滞在した菟狭国の菟狭津彦命の妻、菟狭津媛命を娶って生まれた宇佐都臣命が常世織姫命に娶って生まれた宇佐押人ということになるそうです。

 つまり、誉田天皇≠応神天皇、宇佐押人=応神天皇だという主張です。

 神武天皇が応神天皇のグランパだとすると、あいだがずいぶん飛ぶわねえ、と思いますが、宇佐家の伝承によると、神武天皇の後は景行天皇になるようです。そして卑弥呼は、神武天皇と菟狭津媛命のあいだに生まれた御諸別命の子か孫にあたり、その卑弥呼の国は、今の広島県安芸郡にある多家神社を中心とした地域であろうとのことです。

 神功皇后が架空の人物であったとしても、そこに卑弥呼、もしくは壹与に関する何らかの情報が隠されている可能性を想像すれば、当初香春岳山麓に住み、のちに比売大神信仰を宇佐神宮に持ち込んだとされる辛嶋氏の行動には考えさせられるものがあります。

 信仰を持ち込んだといいますが、それを純粋に観念的なものと考えていいものかどうかは疑問で、古代、新しい信仰を他郷に持ち込むには何らかの物証といいますか、何か高貴な存在の遺品とか遺骨とか、ご利益や威光をもたらしそうな、信仰につながる品物があったのではないかと想像するのですね。

 たとえば、国を滅ぼされて幽閉されたまま亡くなった女王についての言い伝えと、その滅ぼされた国の宗教のあかしとなるような、たとえば貴い鏡などを一緒に持ち込んだとか、ね。

  高齢で自然死したと思われる卑弥呼の後継者壹与の時代に何かがあり、女王国が徹底的に壊滅させられたとすれば、その国の中心はわたしが考えていた今の宇佐市ではなかったのかもしれない、と考えたりもします。

 大野佑司氏が『卑弥呼と邪馬壹国は消されていた』(小学館スクウェア、2004年)の中で書かれているように、邪馬壹国は大分市にあったのかもしれませんね。わたしがいるこの街に……。

 その著書によりますと、大分市では、弥生時代の後期に、九州の他の地方では見られない銅鏡の破壊やムラの消滅があったということです。

 確かに、大分市からはあまりにも何も発見されないことが、わたしの意識にはずっと引っかかっていました。そして、現在の宮崎県と思われる日向の地を出発した神武天皇の最初の上陸地点が、大分市を飛び越えた国東半島の宇佐であることに疑問があったのですね。

 でも、どういうわけか、わたしは、ここが邪馬壹国であったかもしれないなどとは思いつきもしませんでした。大分市については、これから、わたしも自分なりに調べてみたいと考えています。

  卑弥呼や宇佐神宮について書き出せばきりがありませんので、とりあえず、今日はここまでにしておきます。

P1040005  手を触れれば長寿が授かるという木に、わたしも触れてきました。

関連記事(カテゴリーにあります)
●Notes:卑弥呼⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/notes_1/index.html

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2009年10月25日 (日)

22日に、内科・整形外科受診

 22日に、レッドクロスの内科・整形外科を受診しました。

 ……。

 すぐに記事にするつもりが、雑用にとり紛れてすっかり忘れていて、大部分を忘れてしまったのと一緒に、整形外科の受診時に教わった股関節のストレッチングまで忘れてしまって……どうしましょう!

 股関節の筋肉によいストレッチングには確か3ステップあったはずですが、最後の1ステップがどうしても思い出せません。もしかしたら、2ステップまでだったかしら? 次回の受診までの6ヶ月間、股関節のストレッチングを日課とするようにとのことでした。

 風呂あがりにするようにとおっしゃったんだったか、どうだったか、それもあやふや。

 「はい、次はこう~♪」という、ストレッチングの指導のときは先生の声まで違う、優雅な(?)動きについてしたストレッチング。座ってできる簡単な体操です。思い出せるぶんは、日課にしたいと思います。

 股関節が寒くなると痛んだり、力が入らなくて脚を前に出せなくなることがあるといったら、骨のレントゲンには異常が見られないため、それは筋肉が弱くなっているからだろうということで、ストレッチングを教わったのでした。

 五十肩のときのことを参考にするように、とのこと。軽い運動は股関節のためにいいが、決して無理な動きはしないようにとのことでした。

 話は戻りますが、最初に内科を受診したので、内科受診のことから記録しておきたいと思います。

 内科のU先生は、卒業式のときの担任の先生というムードを漂わせて祝福してくださいました。

 何の祝福かというと、3ヶ月に1度の経過観察を卒業したことに対する、おめでとう、でした。

 そして、すぐに、6ヶ月に1度の経過観察に入学(?)したのですが、担任の先生は同じU先生。でも、22日の診察は卒業式のムードを演出してくださり、いつもはちょっと怖い先生が終始にこやかでした。ユニークなU先生だこと。

「時々副甲状腺ホルモンの値は高くなることがあるけれど、それほど高い値ではありませんし、カルシウム値も正常ですから、体質的なものかもしれない。このまま経過観察を続けていきましょう。次回は半年後でいいですよ」とのこと。

 さらに「ご不満もおありでしょうが」と、わたしの表情を用心深く窺いながら先生。

 わたしは、このときとばかりにいいました。「そうですね。脚の関節が不安定になったり、腫瘍や嚢胞があちこちにできたり、といったことの原因がわからないのが不安です」

「嚢胞、あれは心配いらない。頭のほうはどうかな」と先生。「腫瘤が大きくなってはきていますが、悪いものではないようです。次の受診は来年です」とわたし。

「関節のほうは、生活に差し支えるほどではないんでしょう?」と先生。

「気候に影響を受けるようです。寒いと、膝関節と股関節の動きが悪くなったり、痛んだりすることがあって、杖を買ったほどでした。そのあと暑くなって調子がよくなったので、使わずに済んでいます。寒くなってきたので、この先、要ることがあるかもしれません」というと、先生は身を乗り出し、「本当?」と問い返されました。

「老化現象でしょうか。先生と同じ年なのに。先生には、こんなご不自由はないでしょう?」と恨みがましく、わたし。「それは……。普通の人には起こらない度合いの老化現象が、たまたまNさんに起こったということでしょうね」と、気の毒そうに先生。

 気の毒がってないで、その原因を突き止めてよ! といいたくなりましたが、よく検査していただいているので、見捨てないでくださるだけでもありがたいと思いました。

「関節の不安定の原因は、やはり副甲状腺とは関係ないのでしょうか?」とわたしは念を押しました。「ええ、関係ないと思います」と先生。

 では、なぜ、今後も経過観察が必要なのだろうと思わないでもありませんでしたが、ここで観察を切られるのも不安なので、いっそ大きな態度で、「これからも、半年に1度は調べていただけるのですから、ありがたいと思って、満足することにします」といいました。    

 わたしは3ヶ月に1度の経過観察を卒業した記念に卒業証書……検査結果をコピーしていただけないか、伺いました。「あ、いいですよ」と快くU先生。

 そのときは、訳のわからないアルファベットと数字の羅列が目に飛び込んできて、何が何だかわからなかったのですが、あとで調べてみると、先生がくださったのは、22日の検査結果と、その前の7月16日の検査結果だけでした。

 22日の結果では、カルシウム値はわかりますが、ホールPTH(副甲状腺ホルモン精密測定)の値は次回でないとわかりません。診察ごとにコピーをいただいておけばよかったと思いました。 

 前回7月16日の値は異常値で、42でした。9―39が基準値です。ちょっとだけはみ出ています。で、このときのカルシウム値はというと、9.7。基準値は7.5―10.0ですから、微妙な数字。

 整形外科の受診では、先生のほうからこれまでの検査結果をくださいましたが、それは、内科で受けた血液検査の結果から整形外科の診察に必要なものだけを拾ったものでした。それを見ると、カルシウム値は、昨年の7月の分から全部わかります。

 カルシウム値は基準値内にとどまっていますが、上限ぎりぎりというのが多いのです。9.9なんてのもあって、はみ出したのがないのが、不思議なくらい。

 ほかに、先生と一緒にパソコン画面で数字だけ見て、中性脂肪と勘違いしていたものがありましたが、それはALPというエネルギー代謝に関わる酵素のひとつでした。肝胆道系疾患、悪性腫瘍、骨疾患が疑われるときに検査されるそうですが、この値が高いときがあります。

 検査結果からすると、素人目には何とも微妙な感じで、U先生が経過観察を3ヶ月から6ヶ月に1度に変えて今後も続けるという判断をなさったのも、なるほどと思われました。

 整形外科では、内科での血液検査を参考に判断なさっているようです。次回の受診も、内科に合わせてくださいました。時間帯までぴったり同じの予約だったので、戸惑いましたが、看護師さんによると、どちらを先に受診しても連絡が行くからいいそうです。

 整形外科では、脚の関節の具合を診るために、先生が足首を掴んで、伸ばしたり曲げたり。小さなハンマーみたいなもので、脚の関節と腕の関節を指に至るまで細かく調べたりということも。

 もし膝の関節が腫れたときは、すぐに電話をするようにとのことでした。

 そして、股関節のストレッチングを教わったのでした。

 診察時に脚を動かしすぎたせいか、帰宅時に股関節が痛みました。

 内科、整形外科、共に次回の受診は、来年の4月21日です。   

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2009年10月23日 (金)

お知らせ

 予告していましたが、新しいホームページ「マダムN図書館 http://dulait.jimdo.com/」の開設に伴い、「マダムNの工房」は閉鎖いたしました。

 「図書館」には、作品閲覧室のコラム・エッセー・評論を中心に、どんどん作品を容れているところですので、ぜひ一度ご訪問くださいませ。

 また、当ブログで公開しておりましたエッセー『宇佐神宮にて』は、現在書き直しているため、非表示になっています。ご不便をおかけして、申し訳ありません。しばらくお待ちください。

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2009年10月22日 (木)

Notes:不思議な接着剤 #25/中世の生活#2 

#25
2009/10/22 (Thu) 中世の生活#2

 一昨日から昨日にかけて再読した本。

阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫、1988年)
阿部謹也『西洋中世の男と女 聖性の呪縛の下で』(ちくま学芸文庫、2007年)
原田武『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991年)
アーサー・ガーダム『二つの世界を生きて――精神科医の心霊的自叙伝』(大野龍一訳、コスモス・ライブラリー、2001年)

 本日、再読中の本。

ハンス・ヨナス『グノーシスの宗教』(秋山さと子/入江良平訳、人文書院、1986年)

読みたい本。

堀越孝一『パンとぶどう酒と中世』(ちくま学芸文庫)
アマン・マアルーフ『アラブが見た十字軍』(牟田口義郎/新川雅子訳、ちくま学芸文庫)

 中世と十字軍を切り離して考えることはできない。《ハーメルンの笛吹き男》の伝説の原型といわれる、ドイツのハーメルン市における、1284年6月26日の子供たちの失踪事件の解釈には様々あるが、子供の十字軍という説もある。

 南フランスの異端カタリ派に対する大軍の派遣は、アルビジョア十字軍と呼ばれている。

 共に、13世紀の出来事である。

 子供たちの失踪事件の起きた当時のハーメルン市における、庶民の経済的困窮。

 原田武『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991年)によると、異端カタリ派が栄えたラングドックは当時、ひじょうに富裕で文化的、医学の面でもアラビア医学の知識を取り入れるなどして先進的な地域だったという。カタリ派はどちらかというとエリートの宗教で、貴族的、都会的であったといわれる。

 十字軍の裏には、経済的理由が潜んでいる。また、支配欲だけでなく、ある種の嫉妬が潜んでいる場合もあるようだ。

 以前にもカタリ派やグノーシスについては触れたことがあったが、カタリ派の思想はひじょうに高度で、難解だ。デフォルメしたような解釈で、幼稚な批判がなされることがあるが、アーサー・ガーダム『二つの世界を生きて――精神科医の心霊的自叙伝』の別註の引用からもわかるように、単純なものではない。

 キリスト教の異端カタリ派は、アルビ派とも呼ばれ、その起源については諸説あってはっきりしないが、キリスト教信仰に古代のゾロアスター教や、マニ教、グノーシスなどの二元論宗教が混交されてなったものと考えられている。ガーダムが指摘するように、それはピタゴラス、プラトン、プロティノスと続く、古代ギリシャ神秘思想の継承者としての一面も持つ。それは仏教とも著しい親近性を示し、「キリスト教の中の仏教」と呼ばれることすらある。全体的に東方的・神秘的な色彩が濃い。

 ブルガリア、ボスニア、ラングドックなど地中海文化域全体を染めた異端の思想の流れはテンプル騎士団に引継がれ、その迫害後、薔薇十字会に新たな現れを見せるとあるが、バルザックがラングドック出身で、薔薇十字の会員だったらしい〔詳しくはこちら〕ことを考えると、興味深さが募る。

 カタリ派は輪廻を信じた。二元論を特徴とする。完全者(司祭)は性行為を断ち、魚を除き菜食中心の食制限を守った。また彼らは人間も動物も殺してはならず、徹底した無抵抗主義者であった。カタリ派信者には女性が多く、完全者の半分近くは女性だったようだ。

 カタリ派はヨハネ福音書を重要視した。集会のたびに福音書が朗読、解説された。一般信者は聖書を読むことが禁じられていたカトリック教会とは異なり、カタリ派では自由に聖書を読むことができた。

 カタリ派だったときの前世の記憶があると認めるガーダムは同じようなカタリ派の生まれ変わりの人々と出会い、『二つの世界を生きて――精神科医の心霊的自叙伝』に書いている。

 カタリ主義では神秘主義と神への直接の接近は、厳しい労働や良識、そして現象への真に科学的な態度と結びつけられていたことを学ばねばならなかった。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 スミス夫人はしばしば、カタリズムは単純な、愛の宗教であったと述べた。これは、カタリ派の神学がどれほど理解するのが困難なものであるにしても、そのとおりであったにちがいない。どんな宗教の神学も、神学者にとっては別として、難解なものである。われわれはそれを、その力の表われ方と、単純なアピール、カタリ派思想が当時の社会に広まり確立された、その早さと深さの観点からしか説明できない。スミス夫人が善性を、無意識的な、無努力のものとして語るとき、彼女はフォレスト夫人がキリストの精神について、自然な、開放的で心軽やかな原始キリスト教の性質について語ったのと同じものをこだまさせているのである。

 中世には、恐るべき迫害に拮抗するだけの、外観においてはシンクレティズム、本質においては純粋、孤高の神秘主義の純血種ともいえるような思想がまだヨーロッパの巷に堂々と生きていたのだ。

 わたしは創作の世界の中でとはいえ、何という怖ろしさも馨しさもある時代に現代日本の子供たちを送り込もうとしているのだろう! 

 もし、ということは常にありえたことだと思っているが、もし――カタリ派が生き延び、大きな拡がりを見せていたなら、世界は今とはずいぶん違っていただろう。少なくとも東西の思想的、感覚的な分裂感は淡いものになっていたに違いない。

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意外なカード⑥

の続きです。〔①当記事トップ頁

 8月31日のことになりますが、わたしは政権交代で今後の日本がどうなるかが気にかかり、以下について占ってみました。

  1. 民主政治によって、わが家の家計に何がもたらされるか?
  2. 民主党の政治はどんなものになるか?
  3. 自民党は今後どうなるか?

 意外な結果が出ました。ケルト十字法で占い、解釈に関する主な参考書はマルシア・マシーノ著『タロット教科書』(栄チャンドラー訳、魔女の家BOOKS)です。

 3.の占いで、⑥のポジションの結果までは、解説済みでした。

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⑦のポジション―質問者の態度……女帝
 自民党自体を占ったので、このカードは自民の態度を表します。
 女帝はエジプト神話のイシス、ローマ神話のヴィーナスです。彼女は美しい自然の中にいます。手に杖を持ち、足元に置かれた盾にはアンクの紋章が入っています。
 豊かさを表すカードが出ました。母性愛を意味するカードでもありますので、意外な感じがします。しかし、このカードの基本的意味は「計画や事業の成長」ということのようですから、第一党の地位を明け渡した自民の態度は、客観的なゆとりのある姿勢で、党の立て直しを図っているというところでしょうか。
 男性原理あるいは父性原理でやってきた自民に女性原理あるいは母性原理という、これまでになかったムードが出てきているのかもしれません。
 ウィキペディアでイシスについて調べたところ、次に引用する箇所に目が留まりました。

オシリス神話により献身的な母や妻としての印象が強いが、他の神話的物語では強力な魔術的的存在として描かれ、その力を用いて父ラーから支配権を強引に奪い取ったという神話も残っている。

⑧のポジション―環境……ペンタクルスの2
 無限記号を手にした人物の絵柄。無限記号は2個のペンタクルス(コイン)をとり巻いています。
 民主主導の政治が始まり、コインをあっちへやりこっちへやり……といった印象をわたしなどは持ってしまいますが、いずれにせよ、自民をとり巻く環境という以前に、わたしたち国民をとり巻く環境というものが、定まりのなさ、不安定感を一層増してきたような感じがします。そういった状況を表しているのでしょうか。心なしか、コインの無限記号を操っている人物は童顔で、鳩山総理に似ているようにも見えてきます……。

⑨のポジション―質問者の期待と懼れ……
 
自民党自体を占ったので、このカードは自民の期待と懼れを表します。
 は、裸体の女性が両手に水差しを持ち、右手で池に、左手で大地に注いでいる絵柄。空には一際大きな星が輝いています。政権交代によって失ったものが大きかったにせよ、ある種のしがらみから解放されて、裸のように自由となった自民は、大きな夢を抱いているようです。

⑩のポジション―最終結果……カップの9
 裕福なムードを漂わせた男性が、ずらりと並んだカップを背後に、満足そうに腕組みして座っている絵柄。カップの9はウィッシュカードと呼ばれ、願望の達成を表すカードとされています。カップの中に何が入っているのかはわかりませんが、とにかく男性を満足させる状況が訪れたのです。
 いずれ、自民党を満足させる状況が訪れるようです。それが再度の政権交代を意味するのかどうかまではわかりませんが、そういう可能性も大きいと見ていいと思います。

 ただし、この占いはあくまで素人の遊びです。
                                            〔おわり〕  

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2009年10月21日 (水)

昨日の夕飯(脇雅世先生レシピ『ポークソテー はちみつ黒酢ソース』)

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 脇雅世著「しょうが焼きからステーキまで。」(小学館、2009年)のレシピ『ポークソテー はちみつ黒酢ソース』を見て作りました。

 ポークソテーに、さっぱりとした味わいをもたらす、如何にもヘルシーそうなソースです。レシピをご紹介します。

[材料・2人分]
豚ロース(とんかつ用)2枚(250g),下味(塩・こしょう各少々),A《はちみつ大さじ2,黒酢大さじ2,しょうゆ大さじ1~1と1/2》,サラダ油小さじ2,ロメインレタス(または好みのレタス)4枚.

[作り方]

  1. 下ごしらえをして焼き始める(筋を切り、塩・こしょうをふり15~20分置いて室温に戻す。粉をつける。フライパンにサラダ油を熱し、表を中火で3分。裏を弱めの中火で3分。
  2. Aを混ぜ合わせる。
  3. 肉の両面に焼き色がついたら、キッチンペーパーでフライパンの脂を軽く拭き、②を回し入れる。煮立てながら、肉全体にからめる。食べやすくちぎったロメインレタスを添える。

 ところで、過日、はちみつを切らしたので、売り場に行ったら、今季はレンゲはちみつの採取ができなかったとの説明書きがありました。アカシアとレンゲが同じ値段になっていました。

 優しい味わいのレンゲはちみつ、採取が難しくなったとは寂しい話です。

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2009年10月19日 (月)

京都展で買った、大根の浅漬

京都展で買った、大根の浅漬

 土井志ば漬本舗の『はんなり漬大根』。

 他に試食した玉ねぎ丸ごとの『お玉はん』も珍しく、お洒落で、しかも美味しかったのですが、大根の美味しさは捨てがたく、迷った末に大根のほうをチョイス。

 いずれも、ホームページからネット注文できます。

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2009年10月18日 (日)

Notes:不思議な接着剤 #24/中世の生活#1 

#24
2009/10/18 (Sun) 中世の生活#1

 中世といっても長い。中世ヨーロッパに関する論文を書くわけではないから、年代の特定が必要というわけではないが、目安を、1244年に異端カタリ派がモンセギュールの陥落によって壊滅的ダメージを被ったあとに置きたい。

 錬金術師の娘は、南フランスのラングドックで栄えた異端カタリ派とも、その地とも無関係であったかもしれないが、異端カタリ派の終焉(厳密には、最後の指導者が捕らえられたのは1321年のことだから、その後も細々と80年くらい生き延びたことになる)は、ヨーロッパにおける神秘主義の歴史にとっては大事件であったと思う。その前か後かくらいは、考えておかなければならない。

 昨日、以下の本をジュンク堂で購入。図書館から借りることも考えたが、繰り返し読むことになるだろうから、購入が必要だと考えた。ざっと確かめたところでは思った通り、わたしの選択、間違っていなかった。中世を知る教科書として、優れた本をセレクトできたと思う。中世ヨーロッパの生活というおぼろげなイメージが姿を現し始めた。

アンドリュー・ラングリー『「知のビジュアル百科 25」中世ヨーロッパ入門』(日本語版監修者:池上俊一、あすなろ書房、2006年) 

 63頁の図鑑で、当時の文化から基本的な物を拾い上げて具体的に目で知ることができる構成になっている。

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 農民の衣服。

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 露店。

J・ギース、F・ギース『中世ヨーロッパの城の生活』(栗原泉訳、講談社学術文庫、2005年)

J・ギース、F・ギース『中世ヨーロッパの都市の生活』(青島淑子訳、講談社学術文庫、2006年)

 この2冊がすばらしいので、同じ著者による『中世ヨーロッパの農村の生活』も購入したいと思っている。

 『中世ヨーロッパの都市の生活』は「第一章 トロワ 1250年」で始まる。北フランス、シャンパーニュ地方の都市トロワを舞台に、生活模様が濃やかに描かれていくようだ。

 わたしが知りたかった明かりのことも、生活背景として出てくる。以下は、その部分の抜粋。

 では、裕福な市民の家に入ってみよう。家に入るとまず控えの間がある。控えの間には扉が二つあり、一つは作業場または執務部屋へ通じ、もう一つの扉を開けると、急な階段へと通じている。二階の大部分は大広間または日光浴室となっており、リビングルームとダイニングルームを兼ねた役割を果たしている。巨大な煙突の傘の下では、暖炉の火がちらちらと輝いている。部屋に窓はあるが小さく、油を塗った羊皮紙で閉じられているため、昼間でも暖炉の火が室内の照明代わりだった。オイルランプが壁から鎖で吊るされているが、その火は外が完全に暗くなってから灯されるのが常だった。家庭の主婦たちはロウソクも節約していた。料理用の脂をためてはロウソク職人に渡し、安価なロウソクを作ってもらうのである(煙がよく出て、刺激臭がするのが難点だった)。蜜蝋を使ったロウソクは教会か、儀式のときしか使用されなかった。

 何て生き生きとした描写だろう! 読んでいるうちに、自分がこの時代のこの家庭の主婦になったような気分になってくるほどだ。

 瞳に、現代日本のお洒落なロウソクも持って行かせようか? ライトは現代的すぎるが、当時高価だったという蜜蝋のロウソク。面白い場面を生みそうじゃないか!

 奇しくも、この舞台は1250年。そのたった6年前の1244年に、南ではカタリ派の最後の砦が陥落したわけである。わたしが知りたいと思った時代の生活を、詳しく知ることができるのだ。ありがたい。

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計画の見直しとたっぷりの睡眠は、健康によい

 昨日循環器クリニックで、めまいに対処するために、リーゼを飲んでよく眠るようにいわれた。

 リーゼは飲まなかったが、よく眠るようにという先生の言いつけには従い、よく眠るように努めた。

 といっても、張り詰めた神経、興奮し昂揚した精神状態では、頭は疲れ果てていても眠るどころではない。

 この先展開していくだろう創作の細かな事柄が、頭の中で縦横無尽に張りめぐらされていく感じで、興奮して眠れないのだった。

 眠ってしまえば、全てが失われそうな怖ろしさもあった。いずれにしても、頭の中の光景のほとんどは消えてしまう。メモに残せるのはほんの一部で、いざ執筆するときになると、ほとんどは握り締めた拳から滑り落ちてしまうだろう。

 創作の緊張に加えて、先の不安も、マイナー方向への興奮に拍車をかける。仮に、満足のいく作品に仕上がったところで、持ち込める出版社は今、どれくらいあるのだろう?

 数年前に調べたところでは、児童書専門では本当にわずかだった。そんなことを考えていると、眠るどころではなくなるのだが、どうしても考えてしまうのだった。

 いくらリーゼを飲んだところで、こうした状態が続く限り、良質の睡眠はとれないに違いない。いずれ心身に壊滅的ながたが来て、創作も行き詰まるだろう。

 不眠の根本原因が、焦りにあるのだとわたしは気づいた。年齢や置かれた状況を考えれば、焦らないわけにはいかないのだが、焦っても始まらないことを肝に命じた。

 そして、これほど今回の創作で興奮しているのは、本当に書きたいものを書こうとしているからだということにも気づいた。

 今回の創作の素となる、これまでに培ってきた知識は単なる上辺の知識ではなく、身をもって体験してきた生きた知識なのだから、神智学的に考察すれば、そう簡単に消え去るものではないことを自分に言い聞かせた。

 自身の創作能力を信頼して、ゆったりと進もう。文学賞への応募は考えていないのだから、時間の制限があるわけではない。急ぐことはないのだ。

 その先の作品の運命(出版という実用化)は、よいものが仕上がって初めて開けてくるのだと考え、作品の完成のことだけに心血を注ごうと思った。体力や生活とのバランスをとりながら。大船に乗ったつもりで。

 そして目を閉じると、眠れた。すぐに目が覚めたが、大船に乗っていると思うと、再び眠れた。そんなことを繰り返しながら、ついに熟睡に成功。朝、薬を飲む時間にも眠っていたので、お昼に目が覚めたときは胸の圧迫感があったが、いつもの心臓の薬を飲んだらよくなった。

 今後も、睡眠不足が募ったときはこのやりかたで、たっぷりとした眠りを意識的にでもとるようにしたい。

 とにかく、リーゼなしで眠れたぞ。第一、飲もうにも、捨てたので、リーゼ、持ってない。

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2009年10月17日 (土)

循環器クリニック受診

 前の記事の続きです。

 クリニックに戻ると、患者さんはずいぶん少なくなっていました。このあと、手術があるそうです。

 今日の診察のテーマはめまい。

 下瞼を押し広げられ、「貧血はない。めまいって、失神しそうなめまい?」と先生。「酔っ払ったときのような、足元が定まらないめまいです。近頃めまいがちょくちょくするのですが、一昨日のめまいはこれまでとは違って、じーんとした頭痛を伴いました」とわたし。

 3日ほど頭がズキズキしたので、薬が効きすぎたのではないかと思い、インデラルを控えてみたことも正直に話しました。「で、今はちゃんと飲んでるんだね?」と先生。「飲んでいます。一昨日も、飲んでいました」とわたし。

 診察前に測った血圧の値は140-80で、正常でした。 

 「めまいがしたときに、血圧を測ってみたほうがいいね。下がりすぎていないか、注意したほうがいい。根を詰めて何か書いてたんじゃない?」と先生。図星でした。

 ただ、血圧が下がりすぎているというのはどうなのでしょう? アイトロールの飲み始めのときだったか、ひどく血圧が下がってフラフラしていたことがありましたが、あのときは確かに血圧が下がりすぎていて、上が100とか90とかになっていました。

 血圧が高いときは下が110になることもあることを考えると、普段から血圧が低い人ほどわたしは低血圧に慣れていず、めまいを起こしやすいのかもしれません。そうはいっても、あのときとは何となく違う感じ。今日の血圧の値も低くはありませんでした。

 根は最高に詰めています。完全に創作モードで、24時間、寝ても覚めてもフルに緊張状態が続いているといった感じです。この作品が世に出る最後のチャンスだとまで思いつめているので、その度合いは大きいでしょう。

 いずれにしても、先生がおっしゃるように、血圧を測るほうがいいんでしょうが、自分ではうまく測る自信がありません。血圧計を買っても、壊してばっかり。それに、頑張って血圧表をつけたところで、血圧の値の上がり下がりが激しすぎて、怖くなるだけですし。ちゃんと測れていないせいなのかどうなのか、わからなくて終わったのが過去の数回の血圧表体験でした。 

「一心集中は、めまいを起こしやすいよ。睡眠不足も、めまいを起こしやすくするからね。前にメリスロンをあげたことがあったけど、リーゼをあげてみようか。10日分出しておくから、様子を見てみて」と先生。

 めまいに効く薬にメリスロンがあるそうですが、以前処方されたとき、わたしは何かいったそうです。合わないというようなことを。先生はそのときのカルテを見て正確におっしゃいましたから、過去記事を見れば出てくるでしょうね。

 リーゼは安定剤だそうです。それを飲んで緊張を和らげ、ぐっすり眠るようにとのこと。それが一番いいのかもしれませんが、わたしは安定剤、眠剤のたぐいは飲みません。万一、入院した場合は、例外として指示に従いますけれど。

 でも、角が立つので、出していただきました。単に睡眠不足からなっているめまいであれば、怖くはありません。

 リーゼは薬剤師さんも飲んでいて、安全な薬だそうですが、信用していませんね、わたしは、この手の薬。

 「もしめまいが耳鼻科とか、あるいは……から来ていた場合は、リーゼでは効かないと思います。そのときは、そちらへ行かれたほうがいいかもしれませんね」と、薬剤師さん。頭、と口の形は開いていながら、声に出してはおっしゃいませんでした。

 なるべく自力で緊張をほぐし(書かなきゃいいだけの話ですが、そういうわけにはいかないので、難問ではあります)、よく眠るように努めようと思います。

 それでも、もしまた、頭の芯がじーんとする痛みがあり、めまいがするようであれば、怖いという感じを拭えないので、脳神経外科を受診してみたいと考えています。

 本当は他にもいろいろとお尋ねしたかったのですが、返って来る答えはだいたい想像できたので、いいませんでした。

 患者さんが少なくなっていたので、何枚かの秋吉台、秋芳洞の写真を先生に差し上げました。「この日は曇っていたの?」と、カルスト台地の写真を見ながら、先生。

「そうですね、少し曇っていました。洞窟の中は暗いので、あまりよく撮れませんでした」とわたし。「なつかしいなあ。修学旅行で行ったんだけど……」と先生。「よかったですよ、秋芳洞」とわたし。

 すると、またもや先生から、前回の受診時に秋芳洞へ行くことを話したときと同じような、妬ましそうな、ほとんど小さな敵意のようなものが伝わってきて驚きました。

 よほど行ってみたいのだと気の毒になりました。下のお子さんはまだ小さく、仕事は忙しいしで、旅行どころではないと前回おっしゃいましたっけ。差し上げないほうがよかったかもしれない、と少し後悔しました。

 前回、童話の取材で行くといったときに、「へえー童話も書くの? 出来上がったら見せて」と、社交辞令というより、子供のようにおっしゃいましたが、もし本になれば、サインして進呈しようと思います。

 そう思うと、ますます張り詰めちゃう、びんびんに。

 ニトロ舌下錠はまだあるので、処方されませんでした。めまいが起きたときは、舌下錠は飲まないほうがいいそうです。血圧低下でめまいが起きているのだとしたら、舌下錠なんか飲むと、それこそ下がりすぎて失神モノですものね。

インデラル錠10mg ⇒ 1日3回、毎食後、40日分
ヘルベッサーRカプセル100mg. ⇒ 1日2回、朝・夕食後、40日分
アイトロール錠20mg ⇒ 1日2回、朝・夕食後、40日分
シグマート錠5mg ⇒ 1日3回、毎食後、40日分

リーゼ錠5mg⇒不眠時 10日分

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循環器クリニック受診…のはずですが


 あまりの多さに、一旦退散。家で、携帯からです。

 今日の診察は午前中だけのはずで、当然わたしも午前中に行きましたが、エレベーターを降りて玄関へ向かいかけたら、向こうからやって来たおばあさんが「今日は多かよー。皆、帰りよる……」といいました。

わたしも本当は薬だけ貰って帰るはずでしたが、看護師さんにめまいのことを話したら、診て貰ったほうがいいといわれました。

 そういわれると、話を聞いて貰うだけでも違うという気がし、診ていただくことにしました。

 体重・血圧測定のとき、看護師さんに「まだ当分回ってこないから、お昼を食べていらっしゃい」といわれ、わたしもクリックにいるよりマックででも時間を潰そうとマックへ。

 が、マックも土曜でいっぱいでした。それでも席はありましたが、アイスコーヒーとポテトのSを頼み……おばさん一人じゃ時間が潰せませんわ。

 13時までには戻るようにいわれたので、そろそろまた出かけます。

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2009年10月16日 (金)

Notes:不思議な接着剤 #23 おさらいと読むべき本、竜の光源について

#23
2009/10/16 (Fri) おさらいと読むべき本、竜の光源について

西洋史での中世の区分は、一般的には西ローマ帝国が滅亡した476年から、15世紀末まで。

真空白熱電球はスワン(英)が1878年に発明、翌年エジソン(米)が電球を製造。ガス灯の設置は、1797年英にて。

中世ヨーロッパの主な光源は蝋燭若しくはランプ。

 いろいろ資料を見ても、もう一つ、中世の暮らしぶりがぴんと来ない。以下の本が読みたい。知のビジュアル百科シリーズの中の1冊で、わかりやすそうだ。

『中世ヨーロッパ入門』
2006年3月10日金曜日 初版発行
アンドリュー・ラングリー 日本語版監修 池上俊一
定価2,625円(税込)
あすなろ書房

 苔を嘗めながら、あまりにも永く生き続けている竜は、今や、半分は光の体(彼の世の体)で生きている。

 竜の光は勿論オーラだが、漆黒の闇だとオーラは見えにくい。それでも見えるほど、竜の輝きは増していて、聖獣に脱皮しようとしているところなのかもしれない。

 わたしにはたまにしかオーラが見えないが、薄暗いときなどはふいに自分のオーラがありありと見えることがあり、心身を浴したような心地になることがある。グリーン系→ブルー系→バイオレット系へとわたしのオーラは変化してきたので、考えかたもそれなりに変化しているはずだ。バイオレット系になってからも、その色合いは変化してきた。

 人間は、というより全ての本質は光なのだ、と嫌でも想える瞬間。

 嫌な光が見えることもある。不浄な光を発散しているように見える書物は、本当に嫌なものだ。本好きなだけに。

 しかし、わたしも、精神レベルが低下しているときには嫌な光を発散しているに違いない。

 わたしはお亡くなりになった神智学の先生のオーラを見たくてたまらなくなることがある。先生のオーラは本当に美しかった……! 

 あまり他人のオーラを見ることはないけれど、先生のオーラは最後にお目にかかったときにありありと見た。あのときは、先生の美点も、先生の苦悩や欠点すらも光の形態で見たということだ。

 先生自身は、自分にはオーラは見えないとおっしゃっていた。こんなにすばらしい光の芸術品を自分で作り出しておきながら、それが見えないなんて、もったいないことだとわたしは思った。今は嫌でも見ていらっしゃるに違いないけれど。

全身から美酒のように溢れていた物皆あまねく照らし出すかのような光や御身を取り巻く黄金色の光のリボン……

 ごく一部を自作小説『あけぼの――邪馬台国物語――』に卑弥呼のオーラとして描写したが、先生のオーラをスケッチしたメモを、何とわたしは紛失してしまったらしい(以前、半日かけて探したけれどなかった)。

 頭を、いくらか暗い趣のあるブルーが円形に包み込んでいた。その色合いはわたしには意外で、先生の苦悩ないしは欠点を連想させた。全身から、美麗な白色の光が力強く楕円形に放射されていて、その白い楕円の周りをなぞるように、金色のリボンが、まるで舞踏のステップを踏むように軽やかにとり巻いていた。金色の優美さ、シックさ、朗らかさ。あのような美しい白色も、生き生きとした金色も、肉眼で見える世界には決してない。

 彼の世で、先生のオーラはどう変化なさっただろうか。煌く星の形態で、彼の世からの先生のお便りを、わたしは時折受け取ったという確かな感じを受けるのだけれど、それはわたしの錯覚にすぎないということはないのだろうか。

 ノートが、横道に逸れてしまった。 

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昨日のめまい

 ここ数日、ズキズキする頭痛がしていたが、昨日、電器店に行った帰りに、頭の芯にジーンとする痛みがあり、その前からかその後からかはよくわからないが、めまいがして酔っ払いのようにフラついた。

 昔、平衡感覚と聴力の検査などからメニエールと診断されて、脳の血流をよくする薬を飲んだことがあったが、そのときは――病院にはいつものように治ってから行ってしまったが――、天井がぐるぐる回転した。

 いつくらいからか、たまにめまいがするようになったが、原因がよくわからない。それについて以前、循環器クリニックの先生にお話ししたら、心臓が原因かもしれないとおっしゃり、呼吸器クリニックの先生はメリエール症候群ではないかとおっしゃった。この2つのクリニックでは、結局のところ、はっきりしない。

 最近ではレッドクロスの耳鼻科に行って、本当にメニエールあるいはメニエール症候群かどうか調べて貰いたいと思い、受診したら、めまいがあるときでないとわからないといわれ、脳神経外科のほうがいいのではないかといわれた。

 そして、本筋ではない外耳炎の診断と治療、蓄膿症と喉の検査で顔のレントゲン、ファイバースコープ、その結果、喉に腫瘍はなく、鼻孔は完璧に綺麗だといわれた。

 めまいがあるときに来いといわれても、難しい。脳神経外科ではコブたちの経過観察をして貰っているが、受診は来年に入ってからだ。何かあったらいつでも来て、とおっしゃったが、めまいで行ったら、何だ別口でか? と思われるだろうな。

 昨日のジーンとする頭痛は嫌なものだった。酔っ払いのようにフラついためまいも。脳が原因でなければいいけれど。ぐるぐる回転するめまいだと安心するのだが。今度同じことがあれば、仕方がない、脳神経外科を受診しよう。

 幸い、今日は何ともない。ただ、昨日の外出疲れからか、また瞼が腫れた。以前はめったに瞼が腫れることはなかったのに。呼吸器クリニックでのアレルギー検査で、アレルギーはほとんどないことがわかるまでは、アトピーで腫れるのだと思っていた。

 旅行中も瞼がひどく腫れ、膀胱炎のような痛みもなしに馬鹿に尿が近かったが、あれは何だろう。

 明日は循環器クリニックを受診しなくては、薬がなくなる。午前中だけだから、忘れないように行かなくては。

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Notes:不思議な接着剤 #22 明るい光源LED

明るいLED

#22
2009/10/15 (Thu) 冒険の準備

 昨日、自作童話の取材で電器店へ行き、購入したサンジェルマンのランタン型ライト。1,920円。単4形アルカリ電池4本。連続点灯約14時間。電池含んで112g。高さ127㎝。
 可愛い軽いランタンですが、かなりの明るさ。

 豆球しか知らなかったわたしにはLEDの明るさ、寿命は驚きでした。わたしがお店で見たこのタイプのものでは明かるさが一番小さいものでしたが、点してみないとぴんとこなかったので買いました。災害時の備えになりますし……。

 濡れても安心、衝撃に強い防弾ガラスと同じPC樹脂採用とあり、アウトドアによさそうです。

 パナソニックのやはりLEDライトの懐中電灯、1,480円で、連続120時間というのがありました。

 120時間だなんて、まる5日間点しっぱなしにできるということですよ。また、強力ライトのタイプでは、一体どれだけ明るいんだろう、と思うような表示のものがありました。

 ただ瞳なら、素敵だと思って、ランタン型のを選ぶだろうと思うのです。

 彼女は、万一ということを考える慎重な少女ですが、まさか自分たちが洞内で寝起きする数日を過ごすことになるとは考えないでしょうし、それにロマンティックな面もありますから、鍾乳洞のなかでランタン型ライトを点してみたいと思うでしょう。

 紘平は頭につけるタイプのものを、恰好いいと思って選ぶのですが、弟を助けなければならないので、両手を自由に使えるものを選んで正解だったということになりそうです。

 翔太には、身につけることができるバンド型かストラップ型を瞳が選びます。

 これはお試しができて、小さい割には明るいと思いました。翔太の目印によさそうです。連続40時間。

 どれも、子供たちの小遣いで購入できる金額のもの。

「今日は、お金、持って来なかった。後払いでいい? 翔太の980円も」と紘平。
「いいわよ。わたしが、3人分の代金を貯金箱から支払っておくから」と瞳。

 それでも漆黒の闇の洞内。

 錬金術師の娘は、羊の脂を固めた蝋燭と、寝るときのための薪を明かりとしていました。竜も、明るいことがあります。

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2009年10月15日 (木)

Notes:不思議な接着剤 #21 冒険の準備

#21
2009/10/15 (Thu) 冒険の準備

「郊外の大きな電器店では、高価なものが、コードでつながれていたりするけれど、ここのは違うんだね」

 それに対して、瞳はいくらか心配そうに、いいました。
「うちは、まちの電器屋さんのなかでも、マイナーな部類ですもの」

 瞳の父親が経営する電器店は、お客の予約注文で成り立っていました。お客さんのなかには、わざわざ遠方から電話をかけてくる人もいました。

 実は、瞳の家――電器店――の倉庫はアルケミー株式会社製品の宝庫なのだが、この作品ではそこまでは書かないほうがいいだろう。

 アルケミー株式会社臭くなりすぎてはまずい。この作品ではあくまで、ほのかな存在にとどめておきたい。

 ウィキペディアで調べたこと。

  • 電器店
  • 家電量販店
  • 盗難防止コード

  鍾乳洞の中で子供たちが動き回るには、ライトがいる。暗い洞内では、命づなの役割を持つ。錬金術師の娘が持っている明かり、竜の明かりがあるのが救いだが、そこまで辿り着くだけでも子供たちにとっては大変な冒険になる。

 その持ち運べるライトをPanasonicのホームページで調べてみたら、作品に使えそうなものだけでも、以下のようにいろいろとあって驚いた。

 
 ライト・懐中電灯

ヘッドランプ
ハンズフリー&キーライト
・ネックライト
・フレキシブルライト
・ウォーキングライト
・クリップライト
・キーライト
・ペンライト

ランタン・蛍光灯
・プチランタン
・マイクロランタン
・蛍光灯ランタン
・蛍光灯付強力ライト

ハンズフリー&キーライト
・ネックライト
・フレキシブルライト
・ウォーキングライト
・クリップライト
・キーライト
・ペンライト

ハンディライト
・メタルライト
・ラバーライト

強力ライト・懐中電灯
・懐中電灯
・強力ライト
・電池がどれでもライト
・キャンドル懐中電灯
・クセノンライト
・常備灯
・ラジオ付強力ライト

◆LED懐中電灯(単3電池3個用) BF-BG20F
球切れの心配なし!電池寿命約60時間。豆球ライトより、約8倍長もち!(BF-211F/C比)
明るい200lxで、広い範囲を明るく照らします!
◆キャンドル懐中電灯(単1電池2個用) BF-1000F
災害時・アウトドアに役に立つロウソク機能付き(特許出願中)
持つ・置く・吊るすの3Wayの使い方が可能
より均一な照射を実現するオプティカル球採用
雨の中で使用可能な防滴構造

 ネットには、こうした商品を細かく調べてくれている明かりマニアのサイトがあり、それらを参考にすれば、電器店に出かけるまでもない気もしたが、やはり自分できちんと調べておきたい。

 で、これから電器店へ。行ってきます。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 昨日の夕飯は、味噌汁代わりにプチうどん。

 3人で1玉。

 土井勝先生のレシピでかけ汁を作ると、うどん屋さんのうどんみたいに美味しくなるので、かけ汁の材料をご紹介します。

[かけ汁の材料・4人分]
薄口しょうゆ大さじ6,みりん大さじ3,水7と1/2カップ,昆布10㎝角1枚,かつお節・さば節各25g.

※さば節を使用するとだしにこくが出るが、かつお節だけでもよいとあります。

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2009年10月14日 (水)

風邪気味? 明日はちょっとした取材

 ここ3日ほど頭がズキズキするので、心臓の調子がいいときに薬を飲むと、血管が必要以上に拡張して、そのせいで痛いのだろうと思い、控えたりした。控えると、血圧が高くなったと思わせる頭痛と肩凝りに見舞われ、慌てて薬を飲む。それでも、ズキズキ。

 だからどう、という大変な痛みではないが、もしかしたら風邪気味なのかもしれない。娘が5日ほど風邪気味なので、昨日の休みに病院に行くことをすすめた。

 漢方の名医で、かつてレッドクロスの内科部長だったという先生の病院へ娘は行った。研修医っぽい若いドクターが2人いて、先生は横文字の専門用語を交えながら講義しつつ、診察。インフルの検査はなく、既往症の確認、漢方医らしい腹部と舌の観察があったという。先生は、校長先生を連想させる風貌だったとか。

 季節性の風邪だろうとのことで、ツムラの滋陰至宝湯を5日分処方され、娘は帰宅した。インフルの検査なしで大丈夫かしら、とわたしは心配になったが、娘は今日も出勤し帰宅した。まだ風邪は抜けていないが、まあまあだという。

 それにしても、漢方の薬はネーミングが凄い。如何にも効きそうな、ありがたそうな名がつけられているではないか。

 わたしの頭痛は相変わらずで、ズキズキするときに創作は難しい。作業をするに限るので、この機会にと思い、前の記事でご紹介した「工房」に代わるホームページ「マダムN図書館」を作ったのだった。

 明日は、自作童話『不思議な接着剤』のちょっとした取材で、電器店へ行く予定。

 子供たちが鍾乳洞の探検に持っていくライト、懐中電灯のたぐいを見に行くのだ。暗い洞内で、ライトは命づなの役割を持つ。錬金術師の娘も何らかの明かりくらいは持っているだろうし、竜の明かりもあるが、彼らのところへ辿り着くまでにもライトはいる。

 今週末には薬が切れるので、そろそろ循環器クリニックへも行かなくてはならない。

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改めて、新しいホームページ「マダムN図書館」開設のお知らせ

 新しいホームページ「マダムN図書館 http://dulait.jimdo.com/ 」を開設しました。

 まだグーグルとヤフーに登録したばかりで、検索しても出てこないと思いますが、ご紹介しておきます。

 「図書館」は、これの前に開設したホームページ「マダムNの工房」と同じように、作品の保管を主な目的として作ったもので、今後はこちらを使っていきたいと思っています。「マダムNの工房」は近々閉鎖いたします。

 尚、ジオシティーズで作ったホームページ「バルザックの女弟子になりたい!http://book.geocities.jp/du3lait/ 」は自作文芸作品を展示するギャラリーとしての目的を持たせたものなので、閉鎖の予定はなく、今後も閲覧していただけます。フリー素材屋さんの素敵な素材をお借りして気ままに作っており、そのぶん収録が進みませんが、わたしにとっては大切なホームページです。

 グーグルサイトで作った「工房」は、他のグーグルサービスとの連携が可能、一頁一頁のアドレスを自分で考える必要がない、スマートなサイトマップが自動生成される、うっかり消してしまった記事のパックアップがかなり可能……等々、作品の保管庫としての魅力に溢れていました。

 が、思うように収録が進まなかったのです。その原因として、わたしの使い方に問題があるのかもしれませんが、フリーズするなどのトラブルが生じやすいということがありました。

 「マダムN図書館」はJimdo(ジンドゥー)というドイツ生まれのホーページサービス(KDDIと業務提携)の無料版で作りました。

 グーグルサイトの使い心地に似ていますが、わたしにとっては長い作品を一気にアップできることがありがたく、しかも、操作は驚くほど軽いのです。ブログ、掲示板、メールフォーム、フォトギャラリーなど、便利な機能がパーツとして利用可能です。

 ただ、ページを増やす場合に、わたしにはある縛りがあるように感じられましたが(まだ使い方がよくわかっていないだけなのかもしれませんが)、このことは、サイドバーを収録作品の索引としても使える……という驚きの発見にもつながりました。

 また、一頁一頁のアドレスを自分で考えなくてもよいのはありがたいのですが(それこそが利用動機の大きな部分を占めますが)、トップページはともかく……あんなんでいいのかしら? 検索ロボットに拾って貰えるかどうか心配。まあしばらく様子見です。どちらにしても、このホームページが保管庫として優れものになることは間違いありません。

 Jimdoのサービスは、ブログとホームページの中間型といってよいのかもしれません。難しい知識がなくても作ることができる、本当に便利なサービスです。

 以下は「図書館」のトップページにある案内です。

・ホーム……当ページ。
・自己紹介……管理人の紹介。
・作品閲覧室……管理人オリジナルの文芸作品を閲覧できます。
・資料室…… 管理人の創作ノートを閲覧できます。
・マダムNのサイト総合案内……管理人の運営中のホームページ、ブログのご案内。
・フォトギャラリー……旅行中に撮った写真、花の写真、ブログにアップした料理の写真などを、ご紹介していきたいと考えています。準備中。
・ブログ……当ホームページは、Jimdoのホームページサービスを利用させていただいて開設しましたが、そのサービスにパーツとしてついていたブログ。当ホームページに関わる事柄を綴っていきます。
・リンク……管理人おすすめのサイト。準備中。
・ゲストブック……感想など、どうぞ。 
・問い合わせ……管理人に連絡なさりたい方は、ここからどうぞ。
・サイトマップ……自動生成されるサイトマップ。

 以下は、自己紹介で書いた新しいホームページについて。

 ホームページを作るのは、実は4度めです。他の方々に作品をじっくり楽しんでいただきたい思いと、迅速に作品を収録していきたい思いとがぶつかり合います。「マダムN図書館」もそんな思考錯誤の産物です。

 これまでに作ったホームページのなかで、ジオシティーズで作った「バルザックの女弟子になりたい!」は、自作文芸作品を展示するギャラリーとして機能しており、わたしにとって大切な存在となっています。
 「図書館」には保管庫としての役割を持たせながら、図書館のようなムードを作り出せたらと思っています。

 作品の一作一作を本のつもりで収めていきます。唯一の価値があるとしたら、書店では決して手に入らない作品をここでお読みいただけるということでしょうか。

 「マダムN図書館」なんて、図書館なんて、大それたホームページ名かしら、と心配になりましたが、家族は全然変じゃないといってくれ、ホッとしました。図書館は、わたしがこの世で一番好きな場所です。

  それに、「図書館」の作品閲覧室コラム・エッセー・評論をクリックしていただければわかるように、わたしのこのカテゴリーに属する作品では作家、思想家、芸術家の紹介が多くを占めますので、既にささやかながら図書館的ムードを作り出せているかもしれません。

 いずれにせよ、どうにも使えなくなっていた「工房」に代わる保管庫ができ、これで安心して創作に励むことができそう。

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ちょっとお待ちください

 これまで保管庫として作品を収録しかけていた「マダムNの工房」に代わる新しいホームページの紹介をしましたが、もう少し手を加えてから改めて。

 

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2009年10月12日 (月)

SF医療歴史ロマン、JIN―仁―が始まった!

 集英社から出ている村上もとかのコミックスのドラマ化、『JIN―仁―』がTBS系で始まった。

 夫と娘は16巻まで読破しており、まだまだ続きそうだと楽しみにしているのだが、わたしは5巻目くらいまでで挫折してしまっていた。

 絵も作風も濃くって……。それに、頑張って読んだ前作の長編物『龍―RON―』はスケールが大きくて面白かったとはいえ、何となく竜頭蛇尾に終わったのが物足りなくて、『JIN―仁―』に取り組む根性に欠けた。

 しかしドラマのほうは、いくらかストーリーにアレンジが加わり、原作に比べれば薄味の作りとなっていて、わたしにも楽しめた。歴史上の重要人物がギャグ系俳優ばかり、というのは重厚さに欠ける気がするが、それもご愛嬌……味があっていいかも、という気もする。

 2人の登場人物が受けた頭の手術は、昨年わたしが受けた頭蓋骨生検術を思い出させた。手術の方式・特徴は、「骨腫瘍の周囲をドリルで削り、のみやパンチを用いて削り取る」というもので、土木工事さながらだった。ドラマの仁先生も、のみだの金槌だので奮闘していた。

 また、幕末にはそれほど興味がなかったのだが、先月下旬の山口旅行で、維新の志士たちが密談を交わしたという宿に泊まり、彼らが汗を流した湯に浸かったりもして、何となく身近なことのような錯覚を覚えた。それで、よけいに楽しめたのだろう。

 『JIN―仁―』は、当記事のタイトルが示すように、現代の医療現場に生きる外科医が幕末にタイムスリップするというSFタッチのドラマであるが、SF、医療、歴史のこの3種類の要素がいずれも主調音を奏でながら絶妙に絡み合うのだ。

 第1回目に登場した子役の力演は泣かせた。わたしは最近になってなぜか葛飾北斎に熱中しているということもあって、江戸時代の風俗にも興味がある。コミックスもドラマも、過去の時代に向ける視線が清潔でいい。

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2009年10月11日 (日)

昨日の夕飯

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 服部先生のレシピ『若鶏と野菜のオーブン焼き』。本当に、舞茸がよい働きをしますね。レシピは既にご紹介済みです。⇒こちら

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2009年10月10日 (土)

美味しい!

美味しい!

 フォンタナフレッド社のGAVI。

 やや辛口。

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昨日の夕飯(土井善晴先生レシピ『さつまいものごま揚げ』)

 衣にベーキングパウダーをプラスする土井善晴先生のレシピ『さつまいものごま揚げ』を「週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.6」(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

 衣のサクッとした歯応えとごまの風味、たまらない美味しさです! それに、ベーキングパウダーのお蔭か、しっかりした衣で、時間が経っても美味しいですよ。 

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[材料・4人分]
さつまいも1と1/2~2本(300~400g),《小麦粉1カップ,片栗粉大さじ2,ベーキングパウダー小さじ1,砂糖小さじ1,水1/3カップ,しょうゆ大さじ1,サラダ油大さじ2,白ごま大さじ5》,揚げ油適量.

[作り方]

  1. さつまいもは皮つきのまま洗い、7~8cm厚さの輪切りにして水に放し、30分以上さらしてアク抜きをする。
  2. 白ごまは香ばしくいってすり鉢で粗くする。小麦粉、片栗粉、ベーキングパウダーを合わせてボウルにふるい入れ、砂糖と水、しょうゆ、サラダ油を加えて泡で立て器で混ぜ合わせ、最後にごまを加える。
  3. 揚げ油を170℃に熱する。①のさつまいもの水けをふき取り、②の衣をつけてこんがりと揚げる。手に残った衣はさつまいもの上にふり落とすと、衣に凹凸ができて、見た目もおいしそうになる。

 わたしは、片栗粉をつけて太刀魚も揚げました。

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2009年10月 9日 (金)

Notes:不思議な接着剤 #20 枚数調べ

#20
2009/10/9 (Fri) 枚数調べ

 恐竜展を観に行ったり、秋芳洞を取材したりしたことで、自作童話『不思議な接着剤』のストーリーが変わってしまった。当初は250枚の予定だったが、枚数が増えそうだ。

 序破急のうち、序の出来ている部分だけで78枚。だいたいこれで80枚。急は50枚くらい。真ん中の破は短くても170~200枚にはなるだろう。

 鍾乳洞での子供たちのこと、竜の来歴、錬金術師の父子の来歴を語り、子供たちのうちの一人翔太の喘息の発作、また鍾乳洞の向こう側に広がる街の景観、時代背景、人々の様子を描き、裁判をクライマックスとしなければならないのだ。

 170枚として300枚か。ちょうどよい枚数のような気もする。

 ここで、岩波少年文庫からわたしの好きな作品を拾って、400字詰原稿用紙換算で何枚の作品なのかを調べてみたい。

○バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』(徳永康元訳、2001年)

 9頁から始まっている。童話は挿絵が多いので、本文の枚数を探るためには、その分を除いたほうがよい。挿絵を、頁全体、2/3頁、半頁、1/3頁、1/4頁に分類して、頁数に直してみよう。

 そうすると、『ほんとうの空色』の場合、

 146頁-8頁=138頁。挿絵はだいたい15頁分だから、138頁-15頁=123頁

 (123頁×36字×11行)÷400字≒121頁

 『ほんとうの空色』は400字詰原稿用紙で121枚の作品だ。

 以下、同じやりかたで調べてみる。

○ジョージ・マクドナルド『かるいお姫さま』(脇明子、1995年)……142枚

○エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』(上田真而子、2000年)……222枚

○アストリッド・リンドグレーン『長靴下のピッピ』(大塚勇三訳、1990年)……262枚

○アストリッド・リンドグレーン『ミオよ わたしのミオ』(大塚勇三訳、2001年)……318枚

○アストリッド・リンドグレーン『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、2001年)……484枚

 わたしの作品は『ミオよ わたしのミオよ』くらいの枚数に仕上がると見ていいだろう。 

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意外なカード⑤

の続きです。〔①当記事トップ頁

 8月31日のことになりますが、わたしは政権交代で今後の日本がどうなるかが気にかかり、以下について占ってみました。

  1. 民主政治によって、わが家の家計に何がもたらされるか?
  2. 民主党の政治はどんなものになるか?
  3. 自民党は今後どうなるか?

 意外な結果が出ました。2.の占いの結果までは、解説済みでした。

 占った時点では、鳩山首相の祖父、故鳩山一郎氏(1954-1956年に首相を務めた)がフリーメーソンの会員だったとは知りませんでした。

 孫の鳩山首相がフリーメーソンの会員なのかどうかはわかりませんが、わが国では何となく浮いてしまう言葉、友愛の連発は、その辺りのことと関係があるのかもしれないと思えば納得できます。神秘主義を連発するわたしのブログも、相当に浮いていることでしょうが……。  

 2.の結果で、現在の状況を表す①のポジションに力という博愛主義を意味するカードが出たのも、さもありなん、という感じではないでしょうか。

 続いて3.の結果を見ていきたいと思います。

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3. 自民党は今後どうなるか?

 ケルト十字法で占い、解釈に関する主な参考書はマルシア・マシーノ著『タロット教科書』(栄チャンドラー訳、魔女の家BOOKS)です。

 ただし、これは一素人の単なるお遊びです。硬直した未来しか想い描けない自身の想像力に風を吹き込ませるためのお遊び――。遊びと思ってくださらないかたは、閲覧しないでくださいね。

①のポジション―現在の状況……ペンタクルスのキング
 冨を意味する大地の恵みのなかに玉座があり、そこにキングがペンタクルスを膝にして座っている絵柄。
 自民党自体を占ったので、このカードは自民の本質を表していると見てよいと思います。ペンタクルスキングは、財力と人脈に恵まれた管理能力のある保守的な男性、大組織のトップを表します。まさにそれが、かつての自民像ではなかったでしょうか。

②のポジション―助けてくれる力または障害……ペンタクルスの8の逆位置
 職業訓練に励む若者の絵柄。かつては老獪ささえ発揮した自民も、野党に墜ちた今では初心に帰らずをえないという意味合いでしょう。
 ちなみに民主を占ったときに、近い未来を表す⑥のポジションにペンタクルスの8が出ました。

③のポジション―過去……吊し人
 逆さまに吊るされた若者の絵柄。しかし、その表情は瞑想的といいたいくらい静謐、頭からは後光まで射しています。
 吊し人は、放棄、犠牲、あべこべとなった状況を表すカードです。
 自民と民主が入替わった状態を、第一党の地位を手放さざるをえなかった自民の敗北と損害を端的に物語るカードでしょう。
 わたしは吊し人が赤いタイツを履いていることに注目しました。赤というと、政治思想的には革命が連想されますが、この占いが自民をテーマとするものであることから考えるとどうしても小泉改革を想起します。また、①で見たように、自民の本質がペンタクルスのキングという落ち着いた中年男性を表しているにも拘らず、この吊るされた人物は若者です。新自由主義思想に染まって、理念が先走りがちな、若者のようになってしまった自民を表しているのかもしれません。そんないささかラジカルで、痛みを伴いすぎた自民の改革が国民の拒否反応を招き、自民と民主が入替わる選挙結果となったことを見事に表現したカードだと思います。

④のポジション―最近の出来事……ワンドの5
 遣り合っている人々の絵柄。ワンドの5は争い、対立を表すカードです。選挙戦での闘い、そして自民の内輪もめを表しているのでしょう。

⑤のポジション―起こりうる未来……カップのペイジ
 感受性に富む、創造的なムードを持った青年が、カップの中から顔をのぞかせた魚を見ている絵柄。自民は全体的に若返り、創造性を大事にする、ソフトなムードの党に変化する可能性があります。

⑥のポジション―近い未来……カップの8
 
並べたり、積んだりしたカップを捨てて、立ち去ろうとしている人物の絵柄。空には、月がかかっていますが、それは三日月と満月が組み合わさった不思議な月です。満月は達成を、三日月は達成の断念を示すようで、長年第一党でやってきた自民には、そうした両面がありました。
 カップの8は力の交代を表すカードで、この占いは8月31日に行ったものです。自民から民主へと権力の交代があり、自民にとっては寂しさを感じさせる現実が訪れました。⇒

 あと少しなので、解説してしまいたいのですが、今日のところは時間切れです。また今度。

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ノーベル文学賞はドイツの女性作家、ヘルタ・ミュラー氏

 2009年のノーベル文学賞は8日、ルーマニア出身のドイツの女性作家、ヘルタ・ミュラー氏に決定したとのこと。

 作家自身の体験から政治色の強い作風のようだが、例によって、わが国では未開拓の作家で、代表作『狙われたキツネ』(1992年)が三修社から邦訳、出版されているものの、品切れの状態。

 読んでみたいと思い、県立図書館の蔵書検索をしてみたところ、以下のような情報が出て、幸いにもあったが、やはり予約が入っていた。

狙われたキツネ
書名ヨミ ネラワレタ キツネ
著者名 ヘルタ・ミュラー/著
  山本 浩司/訳
シリーズ名 ドイツ文学セレクション
出版社 三修社
出版年月 1997.3
ページ 366p
大きさ 20cm
価格 ¥2900

 訳者、山本浩司氏のホームページがあった。⇒早稲田大学文学部 山本浩司研究室の公式ページhttp://www.f.waseda.jp/hiroyam/

 その中にブログがあった。⇒陽気な黙示録

 更新が10月7日で止まっているけれど、急に忙しくなったのかしら。

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2009年10月 7日 (水)

台風18号

 非常に強い勢力の台風18号が接近しているようです。

 8月の台風9号のときも書きましたが、台風というと過剰反応気味のわたし。連載中の『意外なカード』を書いていたところですが、落ち着きません。夜になり、風が強くなってきました。以下は、台風9号のときにアップした記事の引用です。

 わたしは2004年9月7日に台風被害に遭い、5年も経つというのに、そのときの恐怖が未だにこびりついています。小説にもしました。⇒自作小説『台風

 民家に住んでいる場合、危ないと思ったら、早い時期に躊躇せず、避難すべきです。風雨が強まったら、避難しようと思ってもできなくなるからです。避難場所としては、地区指定の学校、自分で予約してホテルなど、堅牢な建物を選択。

 避難しない場合は、外にある物干し竿を地面に下ろし、観葉植物などを室内や無難な場所に移動させ、雨戸がない場合は、窓ガラスが破れたときに備えて補強をしておくといいと思いますが、網戸、カーテン、ブラインドなど、何でもいいから窓に蔽えるものがあれば、蔽っておくと違います。窓ガラスは、暴風雨下では最も凶器になりえます。

 懐中電灯、ロウソク(ライター・マッチ)、携帯電話(携帯電話機用充電器)、電池式ラジオは、必需品です。断水に備えて風呂桶・薬缶・鍋などに水を溜めておけば安心。

 ヘルメット、フード付レインコートがあれば、助かります。危ないとなったら、家の中にいても危ないし、室内にいても風雨に晒されることになりかねないのですから。

 ペットボトル入りの飲料水とカロリーメイト・乾パンなどの保存食が身の近くにあれば、安心できます。

  東京に住む息子には、雨量が多いときは地下に下りないほうがいいが、どうしても必要な場合は、まずは細心の注意を払って様子を窺うようにといいました。

 台風の影響の強い地方の方々は、くれぐれもご注意ください。避難は、絶対に早めのほうがいいです。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 昨日の夕飯は家族に好評だったので、全部説明します。

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 ホームクッキング【キッコーマン】のサイトを閲覧させていただいて、作った『ぶりのねぎみそかけ』。

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 前にもご紹介しましたが、再度。きゅうりの炒め物というのは、最初に作ったときは抵抗がありましたが、美味しいですよ。おすすめです! お弁当にもいいのではないでしょうか。

 「毎日のお惣菜シリーズ1 野菜料理(1)」(婦人之友社、1985年)の中から『胡瓜と牛肉の炒めもの』のレシピをご紹介します。

[材料・4人分]
胡瓜2本,塩大さじ1/2,牛赤身肉60g,合わせ調味料《しょうゆ大さじ1/2,砂糖小さじ1,葱みじん切り大さじ1,にんにくすりおろし小さじ1/2,胡麻少々,胡麻油小さじ1》,胡麻油大さじ1/2,半ずり胡麻大さじ1/2,唐辛子粉(なくてもよい).

[作り方]

  1. 胡瓜は薄く小口切りにし、塩をふって少しおいてしんなりしたらさっとすすいで、水けをしぼります。
  2. 牛肉はみじん切りにたたき、合わせ調味料でまぜます。
  3. フライパンを熱して牛肉を炒めとり出します。
  4. 胡麻油を加えて熱し、胡瓜を強火で手早く炒め、塩を少々ふり、牛肉を合わせてかきまぜ、粉唐辛子、半ずり胡麻を加えてから、まぜればでき上がりです。

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 「やりくりおかずと節約献立」(扶桑社、1999年)の『ネギスープ』を参考にして作りました。本からレシピをご紹介します。

[材料・4人分]
ワカメ(塩蔵)10g,長ネギ1/2本,味つきメンマ20g,《顆粒鶏ガラスープ小さじ1,水3  カップ,塩小さじ1/2,コショウ少し,ラー油少し.

[作り方]

  1. ワカメは戻してひと口大に切る。長ネギは3cm長さに切り、縦4つ割りにする。
  2. を鍋に入れて煮立て、①とメンマを加え、再び煮立ったら火を止め、ラー油を落とす。

 メンマがありませんでしたが、ザーサイがあったので、それで作りました。

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 山口旅行に出かける前に、ちりめん山椒をデパ地下で買いました。たまに買うのですが、もう一つ美味しい食べ方がわかりませんでした。それが、最後に泊まった宿の食事でちりめん山椒を使ったお茶漬けが出て、とても美味しかったのです。さっそく真似してみましたら、夫が「おお、うまい!」と喜びました。

 ごはんにちりめん山椒をのせ、小口切りにしたみょうが、葱、わさびをのせ、熱いお茶をかけるだけです。みょうが、どちらかというとわたしは苦手のほうですが、これにはあったほうが美味しいと思います。

 冷やっこには、梅の果肉とみじん切りにした大葉を混ぜてのせました。

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2009年10月 6日 (火)

Notes:不思議な接着剤 #19 断片

#19
2009/10/6 (Tue) 断片

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「あれは何だろう? すごく明るいよ。大きな岩だ。岩が光っているんだ。何てきれいな光なのだろう。あの岩があれば、懐中電灯なんか、いらないね。あれ? 見えなくなった。光る岩が……」

 子供たちは洞内に入ってすぐに(そこは巨大鍾乳洞の天井付近に開いた穴から入った場所で、洞内を遠くまで見通せる高い場所だから)、竜を見つけるが、巨大な岩だと思う。写真のような岩が美しい、やわらかな光を放っていたのだ。

 竜の光が見えなくなってからは、白いネコが道案内をするかのように現れる。錬金術師の娘が飼っていたネコだった。

 冒険に入る前に、瞳。

「だって、紘平くん。遊びといっても、洞窟は本物なのでしょう? 本物の洞窟の入口が、この倉庫の通路の先に、くっつくわけよね? だったら、わたしたち、 用意ばんたん、ととのえなくてはならないわ。何があるか、わからないと思って。すぐに、もどるつもりでもね」
 幸い、瞳の家は電器店でした。

 以下は当ブログの記事から引用する断片。

婦人たちが着たドレスを、形を変えるとはいえ僧侶が着る……? この感覚が、わたしにはわからないのだ。その残されたわずかなドレスのうち2点が展示されていたが、いずれもドレスはカーテン生地のような、重たげに見える布で作られている。色が褪せていたために、よけいにカーテンのように見えたのかもしれない。

 これはマリア・テレジア( 1717―1780)の時代の話。

 ノートにメモとして書きつける字は殴り書きで自分でも読めなくなったりするので、それもなるべくブログに書いておくことにしました。訪問くださる方々には、意味不明の文章で、申し訳ありません。

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Notes:不思議な接着剤 #18 子供たちの宿題

#18
2009/10/6 (Tue) 子供たちの宿題

 もし錬金術師の娘が竜に食べられてしまえば、娘は人間であって、魔女ではなかったという無意味な証明になった。しかし、10日経っても生きているようであれば、悪魔のしもべである竜と結託している魔女とみなされて火あぶりにされることになる。

 このようにして連れてこられた人々のほとんどが火あぶりにされたか、逃亡を企てて洞内のどこかで遭難した。なかには、竜を見たショックで心臓麻痺を起こした者もあった。竜は植物食で、苔を嘗めて生きているだけだから、人間を食べない。

 子供たちは錬金術師の娘と竜を助けようとするが、見つかってしまう。

 裁判で、子供たちは、自分たちが錬金術師の娘に食べられるために捕まったのではなく(※子供を捕らえて食べるという魔女像がある)、洞内に入り込んだよそ者であること、また竜が聖獣であると証明しなければならなくなる。裁判官のモデルは、勿論彼。権力づく、職務怠慢の彼以外にありえない。容貌もぴったりだ。白い鬘も似合いそう。

 翔太のピアノの音をした泣き声が役に立つ。

 瞳は、怖いと思いながらも人々の衣服、装飾品などに興味を持つ。

 東西いずれも古い時代は様式の時代だということを忘れずに、儀式ずくめの雰囲気が出せたらと思う。

 竜は、苔を嘗めてばかりいたせいで、緑色の体をしているが、半分は光の体(彼の世の体)であるため、エメラルドグリーンに輝いて見えることがある。竜の周囲は明るいことがある。

 錬金術師の娘は子供たちが救うが、父親の運命を考えているところ。父親は、竜の生態を娘に教えて、火あぶりになる寸前にいなくなった。それが娘が魔女として捕らえられる原因を作るのだが、父親は自ら逃げたわけではなかった。 

 このお話の背後には、時空を超えて商売の手を拡げる商社の存在があり、その商社はこのお話ではほんのり姿を感じさせる程度だが、その商社の属する企業グループか、あるいはそれと敵対する別の企業グループかのいずれかに父親は招かれたのだ。シリーズ物となる予定の何巻目かで父親がフルに出てくることになるだろうが、このお話ではいなくなったことくらいしか描かれない。 

 頭の中では順調に肉付けがなされていくが、実際のお話の続きは一行書いただけ。
「子供たちは、世界の鍾乳洞を紹介するテレビ番組にすっかり夢中になってしまいました。」
 できれば今週中に、子供たちが鍾乳洞の入り口に辿り着くくらいまでは書いてしまいたい。

 紘平は接着剤で、電器店の倉庫の通路に鍾乳洞をくっつけるが、通路は鍾乳洞の天井に近い穴の部分にくっついてしまう。わたしが秋芳洞の冒険コースで辿ったのと同じようなコースを辿らせよう。

 冒険コースとは違って手すりなどないから、幼稚園児の翔太などには大変な道だ。子供たちは冒険ごっこのつもりだから、リュックを背負い、懐中電灯を手にしている。リュックの中にはお菓子が沢山入っている。個別パックされたチョコ、クッキー、ゼリーも。ゼリーは洞内で喘息の発作を起こす翔太が食べるのにいいだろう。

 子供たちが見つかったあとは食べ物が与えられるからいいが、鍾乳洞で過ごす数日間を子供たちは、錬金術師の娘に分けて貰った食べ物とお菓子で過ごさなくてはならない。

 お話の洞内の水は、モンドセレクション金賞を受賞した龍泉洞の水並みの美味しい水ということにしよう。龍泉洞は、日本の三大鍾乳洞の一つで岩手県にあり、探検し尽くされていない広大な鍾乳洞。大きな地底湖があるという。三大鍾乳洞のあとの二つは高知県の龍河洞、山口県の秋芳洞。

 お話に登場する緑色の竜は、地底湖に棲んでいる。

 以下に、参考のためにフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「魔女狩り」より抜粋しておく。

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可愛い花

可愛い花Ⅰ

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 日曜日、結婚披露宴に招かれた娘が貰ってきた小さな花束は、可哀想なことにくたっとなってしまっていました。

 茎を短く切られていて、元気回復は難しいかと思われましたが、やはり半分は駄目でした。

 写真は、ミルクポットの中で元気になった花たちを昨晩撮ったものですが、今日……火曜日の朝はますます元気になっています。

 秋は結婚式のシーズンですね。夫も日曜日、結婚披露宴に出席するため、湯布院へ行きました。街は観光客でいっぱいだったとか。

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2009年10月 5日 (月)

Notes:不思議な接着剤 #17 竜をイメージ化する

#17
2009/10/5 (Mon) 竜をイメージ化する

 遠い遠い昔の恐竜の卵。昔の錬金術師が孵したのか自然の神秘的作用のうちに孵ったのか……。

 動植物に乏しい鍾乳洞内で長く生きている竜は、半分以上は光の体(彼の世の体)で生きていて、大きな体なのにコケを嘗める程度で生きている。今(中世)の錬金術師はそれを知っていた。知らない街の人々は、魔女裁判にかけられた人々を生け贄として捧げてきた。竜はそれを食べたことなんかなく、生け贄は逃げ切れたか、広い暗い洞内で遭難したかだろう。

 洞内に入り込む中世風の世界は架空の世界で、東西の習慣やムードが混じるが、ヨーロッパ中世のムードを主調としたいと思い、ユイスマンス研究のおこぼれに加えて、ホイジンガ『中世の秋』をざっと読んでいるところ。

 竜のイメージ作りのため、恐竜展で買った『BBC BOOKS よみがえる恐竜・古生物【超ビジュアルCG版】』(ティム・ヘインズ&ポール・チェンバーズ著、椿正春訳、ソフトバンククリエイティブ、2006年) を観、ホイジンガとユイスマンスを読んでいたら、頭の中がぐしゃぐしゃになって、疲労困憊してしまった。

 が、恐竜から竜といえる存在になって鍾乳洞に生きる生き物のイメージは鮮明になってきた。

 最初のプランでは、竜をリンドグレーンの『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、岩波少年文庫、2001年)に出てくる牝の竜カトラみたいな物凄いやつにしようと思っていた。恐竜展で肉食恐竜の中でも巨大なやつの骨を見ると、そうしたイメージも掻き立てられたが、一方では、植物食恐竜(今は草食とは呼ばないらしい)の朴訥な優しげな骨を見て、どうしてもそれを竜のモデルにしたいと思ったのだ。

 それに洞内に入り込む子供たちは錬金術師の末裔であり、囚われているのは錬金術師の娘なのだ。東洋の神秘主義では、竜の出現はドラゴンなんかとは違い、だいたい吉祥に決まっている。それにふさわしい存在にしたい。それでいて、人々がドラゴンと恐れるだけの背景を持たせたいのだ。どす黒い恐怖は竜ではなくて、ずさんな法制度・経済政策・衛生事情、痩せ干乾びた思想がもたらす。

 リンドグレーンの『はるかな国の兄弟』では、キリスト教思想とはとても思えない死後の世界が展開していくが、牝の竜カトラが落ちるのがカルマ滝というところを読み、ハッとした。カルマ滝とあるが、原語ではどう書かれているのだろう。まさか、東洋のあのカルマの意ではないだろうな? 

カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」を追加しました。これまでの#1から16までは、折り畳んで当記事に収録しておきました。

 カテゴリー、増やしすぎですね。あったほうがワタクシ的には便利なので、つい。そのうち整理したいとはおもっていますが……。

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ホイジンガとユイスマンスに関するメモ

 次の抜粋は、ウェキペディアより。

ヨハン・ホイジンガ(または「ホイジンハ」)(Johan Huizinga、1872年12月7日 - 1945年2月1日)はオランダの歴史家である。学位論文のテーマは古代インド演劇。

 そして、次の抜粋は同じくウィキペディアから、ユイスマンス。

ジョリス=カルル・ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans, 1848年2月5日 - 1907年5月12日)は、フランスの19世紀末の作家。イギリスのオスカー・ワイルドとともに、代表的なデカダン派作家とされる。フランドルの代々画家の家系に生まれ、父の代でフランスに帰化した。

 ユイスマンスとホイジンガは親子くらいの年齢の開きがある(親子くらいの年齢の開きしかなく、ホイジンガはオランダ、ユイスマンスはフランドルの画家の家系)。中世に対する強烈な興味、精密作業のような分析の仕方には似たところがある。

 県立図書館からユイスマンスを借りっ放し。2週間×3回。独占して悪いけれど、ほとんどが地下の保管庫に眠っていたものだから、まあいいか。読み終えたものから、返すようにしよう。 ホイジンガの『中世の秋』は中公バックス、堀米庸三(責任編集)で持っていた。

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2009年10月 2日 (金)

山口旅行エピローグ…秋芳洞余談と大正時代の文学運動について若干

 まだ旅行の余韻が残っていますが、シルバーウイークを外して行って正解だったな、と思っています。一緒に旅行した娘と息子が、そんな休みのとりかたができてラッキーでした。

 地元の宿の人達やタクシーの運転手さんのお話では、シルバーウイーク中は大変な人出だったとか。ゆっくり、気ままに観光できたのは、人が少なかったからでしょう。

 一番の目的だった秋芳洞にしても、シルバーウイーク中に行ったのであれば、満足に見物できなかったかもしれません。

 というのも、秋吉台までの山道は渋滞し、肝心の秋芳洞内では、秋芳洞入口と黒谷口の二手に分かれて入った人達が真ん中で押し競饅頭をする騒ぎだったと聴かされたからです。

 そんな中では、洞内をしみじみ味わうことも、わたしのようにゆっくりとしか進めない人間が、冒険コースにチャレンジするなど、難しかったかもしれません。

 あのコースを行ったことは、長編児童小説『不思議な接着剤』(Notes)の資料とする上で、貴重な体験でした。

 秋芳洞には30年近い昔、行ったことがありましたが、そのときの印象とはいくらか違っていました。長い間に記憶がぼやけ、空想が混じってしまっていたようです。再訪して本当によかった!

 旅行前の受診で、循環器クリニックの先生に秋芳洞に行く話をしたら、「子供の頃に行ったけど、あそこは本当に神秘的で……」と遠くを見る目をなさり、わたしに視線を戻すと、心底羨ましそうな、妬ましそうな目をなさいました。

 わたしは先生にちょっと怒っていることがあるのですが、それはそれとして、秋芳洞の写真を何枚かプリントして差し上げたいと思っています。

 また、旅行中訪ねた、中原中也記念館では特別企画展『月光とメルヘン』、山口県立萩美術館・浦上記念館では『海のシルクロードの出発点 福建』が開催されていて、それぞれ見応えがありました。

 大正デモクラシー(民主主義・自由主義運動)の波を受けた文学運動にはすばらしいものがあり、以前から関心がありましたが、特別企画展『月光とメルヘン』を見て、児童文学という観点からあの運動の大きさを改めて考えさせられました。

 記念館に、明治から昭和初期頃までに出された児童書の完全復刻版が置かれていました。ほるぷ出版が手がけたシリーズです。

 それで見た、明治時代に出された児童書は、児童書といってよいのかどうか途惑うようなもので、わたしはお経の本を連想してしまったくらいでした。

 挿絵はないか、あっても、子供向きとはとても思えない渋いものです。それが、鈴木三重吉の赤い鳥運動を契機として変化が起きたのでしょう。

 その変化を辿るのは、オーブンの中でケーキが膨らんでいくのを見るかのようです。

 本当に、わたしには香ばしく焼きあがったケーキのようにすら見えた2冊がありました。こんなすばらしいケーキには、現代ではお目にかかれません。 

 昭和5年に金襴社から出された『木馬のゆめ』。文、酒井朝彦。絵、初山滋。定価、1円30銭。〔ほるぷ出版の昭和46年復刻版〕

 昭和12年に子供研究社から出された『七階の子供たち」。文、塚原健二郎。絵、深澤省三。1円10銭。〔ほるぷ出版の昭和53年復刻版〕

 わたしは評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』の中で、「過去の文豪にあった大きさ――その源を、われわれは改めて調査すべきではないかと思うのだ」と書きましたが、同じような感慨を中原中也記念館でも覚えました。

 過去、わが国で起きた文学運動の志士達は、自国における文学の現状を分析し、新しい理想を掲げるだけの知性と精神力を持っていました。ついでにいえば、戦前であったからこそ可能であった財力との関係も持っていました。

 ところで、子煩悩であったことで知られる中原中也は、以下のような文章を日記に書きつけています。文也は中也の愛児です。

『遺言的記事』――文也も詩が好きになればいいが。二代がゝりなら可なりなことができよう。俺の蔵書は売らぬこと。それには、色々書き込みがあるし、何かと便利だ。今から五十年あとだつて、俺の蔵書だけを十分読めば詩道修業には十分間に合ふ。迷はぬこと。仏国十九世期後半をよく読むこと。迷ひは、俺がサンザやつたんだ。(「日記」昭和11年7月24日)

 しかし、中也の遺志を継ぐべき文也は、このあと、11月10日に小児結核で亡くなります。

 わたしには、『遺言的記事』という中也の文章と愛児の死が、その後のわが国の文学界に起きたことを象徴するもののように思われてなりませんでした。

  今、この国の文学は、誰が見ても行き詰まっている状態にあると思われますが、中也の遺志を無駄にしないためにも、平成に新しい文学運動を起こす手がかりとするためにも、大正時代の文学運動を再調査することは必要だと感じられます。  

9月24日から25日にかけて、中也の街を訪ねました。以下は、そのときの記事。

2009年9月24日
湯田温泉街
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/09/post-31f6.html

2009年9月24日
中也も見たカイズカイブキ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/09/post-f28c.html

2009年9月25日
既視感のある通り
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/09/post-763c.html

2009年9月26日
中也関係のメモ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/09/post-63bc.html

 アマゾンのキンドルストアで販売中の電子書籍、評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』。サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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2009年10月 1日 (木)

雁嶋別荘の夕食

 前のような記事のあとにグルメの記事は何となく体裁が悪いのですが、山口旅行で泊まった宿のうちで、盛りつけかたが勉強になりそうな、萩八景 雁嶋別荘の夕食を『長月の献立表』からの引用と共にご紹介します。料理長は神野一明氏。

━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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食前酒 自家製 萩の夏みかん酒

先附 万願寺豆腐
       大徳寺麩 いくら

前菜 初秋の味覚
      焼き栗毬盛り
      栄螺香草焼き
      おばいけ酢味噌掛け
      川海艶煮 石垣真丈
      丸十レモン煮 珍味

座付吸物 清汁仕立て
         ふくつみれ 松茸
         朧昆布 香柚子

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向付 萩の旬の地魚五種盛り
        平政 鯛 鮪
        雲丹 烏賊

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洋皿 和牛ロースのソテー
          サラダ仕立て

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洋皿 ボテコのグリル
        トマトソース

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凌ぎ にぎり寿司ジュレ仕立て
       ふく 平目 椎茸

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酢の物 萩産鮑薄造り

食事処 萩産ちりめん山椒茶漬け

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水菓子 特製プリン
       キウイフルーツ添え

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 お吸物とお茶漬けを撮りそこないました。

 お刺身の盛り合わせは三人前です。

 洋皿にボテコというのがあって、何のことだかわからなかったので、給仕の人に尋ねたところ、これはボテコというお魚のことで、わたしがアラカブと呼んできたものでした。ボテコのグリル、美味でした。

 食前酒の夏みかん酒が結構強くて、食事の途中からボーとした夢見心地。わたしには多い量だったので、少しずつ息子にやりながら食事を進め、お茶漬けまで来たときに、どれも美味しくて完食したいのは山々でしたが、もう駄目だ~とギブ・アップしそうになりました。

 息子に、「ママのお茶漬けも食べて」といったら、わたしのやる分も平らげてきていた息子はさすがにおなかが膨らんでいたと見え、断りました。

 残すのはもったいないので、箸をつけたところ、さっぱりとしていて、いつのまにかお茶碗が空になっていました。

 恥ずかしいことに、ちりめん山椒の食べ方をわたしは知りませんでしたが、お茶漬けにすると美味しいんですね。ごはん、ちりめん山椒の上に、小口切りにしたみょうがと葱、山葵をのせ、熱いお茶をかけました。

 料理の本を見たり、ネット検索したりしても、今一つ盛りつけかたがわからなかったりするのですが、今回の旅行では随分勉強になった気がします。

 今回の山口旅行は息子からのプレゼントでした。これに応えて、本になるような児童文学作品を完成させてお返しをするからね、と約束しました。

 旅行中に息子には嬉しいこともあり、よかったと思いました。 

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