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2009年8月25日 (火)

新カテゴリー追加のお知らせ

 思想関係については、「文化・芸術」「神秘主義」「評論」「コラム」「歴史」で長くやってきました。最近になって「占星術・タロット」を追加しましたが、どうも手狭に感じると申しますか、こうしたカテゴリーだけでは不足だと感じることが多くなりました。

 そこで、新カテゴリー「思想」「Theosophy(神智学)」、また当ブログで比較的よく採り上げる女性哲学者「シモーヌ・ヴェイユ」を加えました。

 なかなか過去記事の整理までは追いつかないので、記事が増えるごとに使い勝手の悪いブログとなるばかりで、申し訳ありませんが、このブログに対するわたしの愛着も増すばかりではあります。

 ところで、「Theosophy(神智学)」というカテゴリーをご覧になって、ご存知ないかたは何だろう、とお思いになるかもしれません。わたしがこのカテゴリーを用いる場合は、近代神智学運動の母と呼ばれるH・P・ブラブァツキー〔1831-1891〕の思想を意味しているとお考えになっていいと思います。

 わたしは神智学協会の不勉強な一会員にすぎませが、わたしの暮らしにはTheosophyが、プラトンや女性哲学者シモーヌ・ヴェイユの思想などと同じように学生時代からすっかり溶け込んでいて、切り離すことができません。それで記録の意味を持つわたしのサイトでは、個人的に触れる必要を覚えたときにのみ神智学に触れてきましたが、これからもそうすることでしょう。

 わが国では人口に膾炙しているとはいい難いブラヴァツキーですが、彼女の著作を紐解きもせずに、怪しい紹介をした著作や文章は、しばしば目にします。そうした安易な行動に走る前に、彼女の著作に触れていただきたいものです。

 ブラヴァツキーの代表的な著作『シークレット・ドクトリン THE SECRET DOCTRINE』の副題が「総合的科学、宗教、哲学 THE SYNTHSIS SCIENCE,RELIGION,AND PHILOSOPHY」となっているように、彼女の著作はそれらの宝庫です。

 邦訳版『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)」(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)には、仏教学者として著名であった中村元先生の推薦の言葉があり、それには、この大作がアジアの人々には、「自分たちの宗教的、文化的伝統の導きを自覚させ、アジアの精神的復興に大きく貢献した」とあります。

 ブラヴァツキーの生きた時代、アジアがどんな状況に置かれていたかを考えてみると、彼女の果たした役割の重要さ、大きさが想像できるというものです。 

 ちなみに神智学とは何かという質問に対するブラヴァツキーの答えが、H・P・ブラブァツキー『神智学の鍵 The Key to Theosophy』(神智学協会ニッポン・ロッジ、昭和62年)にありますので、平成7年の改版から、以下に抜粋・ご紹介しておきます。


 神智学(Theosophy)とその教義はよく、新しい宗教だと言われますが、そうなのですか?


 神智学は宗教ではありません。神聖な知識または神聖な科学です。


 神智学という言葉の本当の意味はどういうことですか?


 「神聖な智慧」、テオソフィア(Theosophia)即ち神々の智慧です。テオス(Theos)という言葉はギリシア語で神という意味ですが、神聖な存在のことであって、普通私達が言っているような意味での「神」ではありません。ですからある人が翻訳しているように「神の智慧」ではなく、神々が持っているような神聖な智慧のことです。神智学という言葉は何千年も昔からありました。


 その名称はどこから出たのですか?


 アレクサンドリア哲学者中、真理愛好者と言われているフィラリーテイアン派(Philaletheian)から来ています。フィル(phil)は愛すること、アレーテイア(aletheia)は真理という意味です。神智学という名称は三世紀に折衷神智学を創始したアンモニオス・サッカスとその弟子達から始まったものです。


 その学派の目的は何だったのですか?


 第一の目的はその弟子達や「真理を愛好する人達」すべてに、ある偉大な道徳的真理を教え込むことでした。今、神智学協会が用いている「真理に勝る宗教なし」というモットーもここから出ています。折衷神智学派の創始者達の主な目的はこの学派の現代の継承者である神智学協会の三つの目的の一つでした。即ち、永遠の真理に基づいた共通の倫理体系のもとに、あらゆる宗教、宗派、国民を調和させることでした。


 そのことが不可能な夢ではないこと、世界のあらゆる宗教はただ一つの同じ真理に基づいていることを、何によって証明するのですか?


 宗派の比較研究と分析によります。昔は「智慧の宗教」はどれも同じでした。かつて秘儀はどこにもありましたが、その秘儀でイニシエート達によって伝えられた教えがどこでも同じだったという事実は、太古の宗教哲学がすべて同じだったことを立証しています。「古い宗教はすべて、それよりも前に神智学と言えるただ一つの体系があったということを示している。一つの宗教の扉を開く鍵はすべての宗教の扉を開くはずである。そうでなければ正しい鍵ではありえない」とワイルダー博士は言っています(アレクザンダー・ワイルダー著『新プラトニズムとアルケミー』11頁)。


 アンモニオスの時代には数種の大宗教があり、エジプトやパレスチナだけでも宗派がたくさんありました。どうしてこのような宗教や宗派を調和させることができたのですか?


 今、私達がしようとしているのと同じ方法によりました。新プラトン派は大きな団体でいろいろな宗教哲学者達が属していました。私達神智学徒もそうです。当時はアリストプロスというユダヤ人が、アリストテレスの倫理学はモーセの秘儀を表したものであると断定しました。またフィロン・ユダエオスはピタゴラスの哲学とプラトン哲学をモーセの五書と調和させようと努力しました。ヨセフスは、カルメルのエッセネ派はエジプトの治療家(Therapeutae)の模倣者であり、信者にすぎないと証明しました。現在もそうです。私達はキリスト教のあらゆる宗派をいちばん小さなものまで、その系統を示すことができます。小さな枝は大きな枝の小枝ですが、小枝も大枝も智慧の宗教という同じ大きな幹から出たものです。これを証明するのがアンモニウスの目的でした。彼は異教徒とキリスト教、ユダヤ人と偶像礼拝者に、自分達はみな、様々な法衣をまとってはいるが、同じ真理をもち共通の母の子供達にすぎないことを思い出させて、彼等の争いをやめさせようと努力しました。これは神智学の目的でもあります。

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