財産をめぐる争いに殉じた老婦人を高雅に描くローデンバックの『肖像の一生』(ちくま文庫)
思ってもみなかった裁判沙汰に巻き込まれて、戦慄と惑乱の日々? ですが、こんなときに慰めとなってくれるのはこの種のテーマを扱った薫り高い文学作品です。
かつて味わった作品を所々拾い読みするだけで、母の胸に抱かれたような安らぎを覚えるのです。バルザックの諸作品にはそのようなものが多く含まれていますが、今日ご紹介したいのは、過去記事で名を出したことのあるベルギーの作家ローデンバックの『肖像の一生』〔ローデンバック集成、高橋洋一、ちくま文庫、2005年〕です。
《骨肉の争い》というには、あまりにも高雅な老婦人を包含する、財産をめぐる死闘を描いた短編小説です。老婦人が孫に代わって財産を守り抜く物語と要約しておきます。
引用を挟みながら、あらすじをご紹介しましょう。
ドゥボネール夫人は若くして未亡人になります。ノートル・ダムの教会堂で祈ることが彼女の心の支えとなりますが、ほどなくして夫の不在を埋めるかのように誕生した娘クリティの成長が悦びとなりました。
しかし、その悦びもつかのまのことでした。すらりとした乙女に成長したクリティが、激情型の軍人に初々しい一途な恋心を抱いて結婚してしまったからでした。夫人にとっては賛成できない結婚でした。
娘が、いわば夫人の愛情から盗み出されるようにして、彼女のもとを去ったとき、可哀そうなドゥボネール夫人は、一層はっきりと未亡人であり、子供もいなくなった我が身を自覚した。なんという孤独。しかも、愛着を抱き、心からの愛情を注いだその後に、自分の家の中だけでなく、自分の心の中でもひとりぼっちになってしまうとは。贅沢を知っていただけに、貧窮と零落ほど物悲しいものはなかった。幸福を知り、家庭をもっていたならば、孤独ほど最悪なものが何かあるだろうか?
ドゥボネール夫人の孤独は極まっていた。閑散とした屋敷で、彼女はクリティを求めて、その思い出が蘇り、その死の時が、娘の旅立った現在という時と重なり合う亡き夫の面影求めて、部屋から部屋へと渡り歩いた。クリティも彼女にとっては死んだも同然だった。そして、死者のすべてが、永遠の中では同じ年齢をもっている。不在者はすべて、不在ということからすれば、同じ領域内にいる。
夫を亡くしたときと同じように、今度も夫人は信仰に救いを求めますが、ひとりとなった今、彼女はペギン会修道女となり、院長の地位にまで昇りつめるのです。ところが、クリティの婿が、気質も、金遣いも荒い男の正体を見せ始め、妻の持参金を使い果たしてしまうと、姑のお金をせびるようになるのでした。
ドゥボネール夫人は、婿の要求を拒否しました。それは孫に残すべき財産だったからでした。やがて、クリティは報われない結婚生活にやつれて死んでしまいます。
当然ながら痛手を負ったドゥボネール夫人でしたが、クリティの形見である孫たちを引きとる決心をし、ヴェールを脱ぎ捨て、再び俗世間の人となりました。孫のローズは婿似、ブランシュは亡き娘に瓜ふたつでした。夫人は、ローズが婿と同じ気質になりはしないかと、孫のほんのささいな気短さにも怯えますが、子供たちはすくすくと祖母の傍らで育っていきました。
そんなとき、長く不在だった婿が、わが子との面会を求めてきます。その面会の場面は圧巻です。婿である男性の気質がよく表現されており、ローデンバックの優れた人物描写が一際光彩を放っている箇所ではないでしょうか。
大佐はついにやって来た。彼は、ホテルのその部屋へ、だし抜けに入って来た。彼は、普段着を着て、老けこみ、すでに髪には白いものがちらほらとしていた。彼は、ドゥボネール夫人に、冷やかな挨拶をして、幼い娘たちの方に顔を向けた。
「その変な格好は、どうしたのかね」小さな娘たちは、頬を赤らめた。祖母は、彼女たちが、初めての聖体拝受を終えたばかりだと説明しようとした。
「さあ、お前たちのつけているそのヴェールをとりなさい」と大佐は言った。そして、彼は、近づき、軍隊の兵士を扱うように、二人を事細かに観察し始め、さらに一人ずつその姿をじっと見つめた。
ドゥボネール夫人は、震え上がった。
彼は、自分自身とローズがあまりにも似ていることに心打たれて、とりわけ彼女をじっと見つめた。彼女の黒い髪、鋭く通った鼻筋、つんと澄ました横顔やらが。
「この子は、確かにわたしの娘だ。私には分る」と彼は言った。「しかし、もう一人の子はどうだろうか……」
そして、彼は、そっけなく、疑い深い様子で、年下のブランシュを見つめた。ドゥボネール夫人は、大佐が彼女の誕生について、まだ純潔で無垢な処女だった哀れなクリティについて信用できないといったことをほのめかしているのだと思って、内心ぞっとした……。
大佐は、今や、快活な様子で微笑んでいた。
「この小さなブランシュも不器量ではないが、どうも私の本当の娘らしくないな」
とても親切で優しく、立派で金モールに飾られた父親を期待していた二人の子供たちは、このように手荒な扱いを受けて、泣き出してしまった。
わが子を前に、まるで生体解剖でもするような大佐の視線はどうでしょう。聖体拝受を終えたばかりで、二本の聖なる白百合のようになったローズとブランシュ――神聖不可侵のヴェールに包まれた孫たち――を婿に見せたかったドゥボネール夫人でしたが、彼女の価値観は通じませんでした。
彼の気質はクリティを死に追い遣ったときと同じ気質であり、金遣いの荒さにも変わりがありませんでした。祖母の警戒心は、嫌でも嵩じずにはいられません。
ドゥボネール夫人は、年をとってきた。彼女の健康は、あまりにも激しい苦悩のせいで悪化していた。密かな不安が、絶えず夫人の心の中を占めていた。もしローズとブランシュが成人に達しないうちに夫人が死んでしまえば、この娘たちは、父親にそばに戻るように無理強いされることだろう。そんなときに、一体誰が知りえようか。彼女たちの存在そのものが保証している心の平穏さという財産、父親が奪い取り、少なくともいつも借金を負い不安定な彼の金銭状態を清算するためにその一部を使ってしまうかもしれない財産のことを。いけない! そんなことがあっていいはずはなかった。ドゥボネール夫人は心を緊張させた。神ご自身さえ、そんな不幸は、望まれていないはずだった。神は、その御意の瞬間まで、二人が成人する年齢までは、夫人を生かしておいてくださるだろう。
二十歳になってしまえば、安全なのでした。法律が孫たちの財産を、それを奪おうとする肉親から守ってくれるからです。
彼女は、彼のことしか頭になかった。彼女には、金を手に入れるために彼が仕かけて来た言い争いや数々の暴力、物静かなペギン修道院のあの応接室のテーブルを彼がサーベルで叩いたあの瞬間以来、彼について、ほとんど恐怖心とも言える固定観念がつきまとっていた。死の迫り来るのを感じ取っている今となって、またしてもドゥボネール夫人には、無礼にも彼が一方的に帰ってくるのではないかという恐れ、近づいている財産相続を狙って、夫人から娘たちを奪い返そうと彼がだし抜けにやって来るという恐れだけがあった。
子供たちが成人するその瞬間まで彼女が生き長らえればよいのだが。しかし、誰に死を引き延ばすなどということができようか。自分が墓に納まる日を遠ざけようなどという大それたことを誰が思うであろうか? ドゥボネール夫人は断固としてそれを望んだ。彼女は、しっかりと祈った。昔かたぎのペギン会修道女としての信仰心が、再び彼女に蘇った。
そして、夫人は二人の孫たちの成人まで生き延びるという偉業を果たします。案の定、ドゥボネール夫人の死を聞きつけて婿がやってきますが、そのときはもう遅かったのでした。
その翌々日、祖母の死亡を友だちから知らされていた大佐が、やって来た。今度こそ、彼は、一家の主として家に入ってきて、自分の家同然に、その住まいに落ち着こうとした。命令口調で、彼は、娘たちに出発を急がねばならないこと、家財道具を運び出してもらわなくてはならないことやらを話した。しかし、ローズとブランシュは、二人同時にまるで同じ声で話しているように、自分たちはどこにもついていかないと宣言した。
「私たちは、よく知りあっているじゃないか」。父親はいらいらして言った。
「全然知らないわ」。ローズが答えた。「私たち、おばあちゃまと約束したんですもの」
そして、ブランシュも、小声で言った。「そうよ私も成人したの。私たちは、二人してこの家にいると誓ったのですもの」
大佐は、はっとして、頭の中で計算してみた。本当だ。ブランシュも成人に達していた。自分の子供の誕生日もほとんど忘れていた。罪深く哀れな父親。その通り。今では、二人っきりで、何をしようが自由だった。
少し物語を遡りますが、今や死のうとするドゥボネール夫人に残る幾ばくかの不安や恐怖、それを抱擁する大いなる歓喜……といったものを、ローデンバックは夫人と一体化したかのような生々しさで描いています。軽みが荘重さに溶解したような、絶妙なタッチです。
感激が強すぎたのか。はたまた、ぎりぎりの猶予、一風変わった延命を与えられていたのに過ぎなかったのか。その日の半ばごろ、彼女は苦しみ出した。彼女は、午後になって、静かに意識が失くなり、夕刻までに時折り眼を開けたりしたが、その瞳には、あたかも、来るのを待ち受けられていた死者以外の何者かが、扉を開けて中に入って来るのを恐れているかのような悪臭のある吐気とか、ちらりと見える苦悶にも似たある種の恐怖、閃きが見受けられた。しかし、部屋の静けさに安心したのか、まだいくらか意識が残っていたこともあって、たわいないうわ言を再び言い始めた。というのも、彼女は、決まり文句のように一本調子で、絶えず繰り返していた。成人したわ、と。救われたり、と危機が去ったときの歌のようにまたも熱狂的に言うのだった。成人したわ! さらには、鳴り方が少しずつ遅くなっていく鐘のあの衰え行く旋律のように、「成人したわ。成人よ」と。それもやがて消滅し、沈黙というふわふわした空気に吸収され、飲みこまれていくのだった……。
この『肖像の一生』が、白黒つける法律というものの性質をよく呑み込んでいる人物にしか描けない作品であるとわたしには感じられ、ローデンバックは法律を勉強したことがあるのではないかと思いましたが、果たしてそうで、大学で法律学を修め、弁護士修業もしたことが解説で触れられていました。
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