« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月の50件の記事

2009年3月31日 (火)

わーん、遅刻だっ!

 同人雑誌に提出する作品は、今日編集人宅に必着となっていたが、まだ原稿半ばで、仮にこのあと速達で送るとしても、今日中に届くのは無理となった。

 先ほど――夕方になって――恐る恐る編集人のお宅にお電話した。編集人が電話に出られた。

「あのう、同人のNですけれど……」と発すると、編集人の引き締まった雰囲気が伝わってきた。

「原稿が間に合いそうにないのですが、遅れるというのは、まずいですよね?」と、単刀直入にわたし。すると編集人は、「いいですよー」と快くいってくださったが、「で、どのくらい遅れるの?」と続けられた言葉と共に、緊迫した厳しいといってよいような気配が濃厚に伝わってきた。

「明日か、遅くとも明後日にはこちらからお送りできると思います」とわたし。「ああ、いいですよ」と雰囲気が和らいで編集人。

 これで了解をとりつけた。

 休刊になる『日田文学』の思い出も送るようにとのことだったが、それは作品より遅くてもよいそうだ。とにかく作品をなるべく早めに送らねば。 

 できれば明日の朝には送りたい。結局明日いっぱいかかる可能性もあるが。見直しで案外時間を食ったりするので。そして、明日か遅くとも明後日には循環器クリニックと呼吸器クリニックへ行かなくちゃ。心臓の薬がなくなるう~。

 体調的に、ぼろ切れじみてきた。雑巾になれそう。床に貼りついて爆睡したり、バケツに貼りついてまどろんだりしたいなあ。雑巾が羨ましくなるなんて、普通ではないコンディションに違いない。頭が痛いのが、寝不足なのか風邪気味で微熱があるのかさえ、わからない。

 休日の娘にエクスパックを頼んだ。夕飯作りも誘いかけてみたが、のって来なかった。わたしの入院中はあんなにせっせと作ってくれていたのに。中途半端に手を出すのが嫌なのだろう。楽しそうにへ出かけていった。

 息子は寮から電話をかけてきた。荷物を持っていきすぎて入りきれず、食器棚は捨てざるをえなかったそうだ。備えつけの家具がかえって邪魔らしい。管理人さんに捨ててもいいか尋ねたところ、ノンだったそう。それはそうだろう。

 新入寮生10人を集めて、説明会があったそうだ。そこは息子の会社の寮というわけではなく、いろいろな会社の人がいて、今回も数社の人間が新しく入ったのだとか。息子と同じ会社の人間が混じっていたのかどうかはわからなかったそうだ。

 明日、息子は入社式。 

|

2009年3月30日 (月)

時間のない中で

 小旅行疲れが出ているところへ風邪と生理痛のダブルパンチで、コンディションよくありません。

 原稿の整理に時間がかかり、作業がはかどらない上に、東京のホテルにいる息子とちょっと話をするつもりが、つい長話になってしまい、もう夜!

 ところで、その――今度を最後として休刊する同人雑誌に提出する――作品のことを書いたせいか、コメントをいただきました。村上春樹のエッセーに対するコメントは現在受付停止とさせていただいているため、そのかたへはお詫びと共にコメントに対するこちらの考えなどをしたため、返信しました。

 申し訳ありませんが、今後も、仮に村上春樹に関する記事へコメントを頂戴したとしても、コメントの公開は控えさせていただくことになり、気が向けば、こちらからメールを差し上げる程度の対応になります、ご了承くださいませ。

 で、明日までに原稿を提出できるかどうかは微妙です。タイトルだけは立派なものを考えました。『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』。このような評論がなぜ、プロの間から出ないのか、不思議ですね。あるのかもしれませんが、書店によく出かけるわたしの目には触れません。

 時間がありませんので、ざっとですが、再度、村上春樹、パムク、レッシング、クレジオの作品に目を通しました。クレジオは、ご紹介済みだったかどうか忘れましたが、集英社文庫から、昨年の12月に『海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』の第3刷が出ていましたので、それを購入していました。これは短編集で、未読の作品がありました。

 クレジオの作品を一読したところでは、アメリカの作家カポーティの柔らかなカメラワークにも似た意識のあり様を連想させますが、読み込んでいくと、感触の違いを覚えます。例えば『リュラビー』で、自然描写に物理学が自然から浮き出るかの如く少女の頭脳をフィルターとして出現する辺り、フランスを感じさせます。カポーティも知的な作家ですが、自然描写は、もっとあたたかな人間臭のあるものですね。

 オルハン・パムクについては、本当はもっと読み、考えたいのですが、とりあえずは、雑感というかたちでこれまでに感じたところを書くしかありません。谷崎潤一郎に似た博覧強記を感じさせるところ、自国の文化に寄せる手放しといってよいような関心・情緒(陰性の縛りがありません)についても、考えが途中なのですが、今回はどうやら時間切れです。

 レッシングの乾いた知性、強烈な社会性は他の作品にも共通したものではないかという気がしますが、どうなのでしょう。

 この3者には、社会を鋭く包括的に見つめ、文化を継承しようとする者としての知性と責任感が多かれ少なかれ感じられますが、村上春樹には不思議なくらい、それがありません。サリン事件の被害者をインタビューするなど、社会的な行動は起こしますが、なぜ子供っぽく感じられるのか。彼の諸作品にその原因を求めるのが筋でしょう。

 そうした点で、わたしの村上春樹に関するエッセーは的を射たところがあると考えています。

 これまでにここに書いてきた記事が資料となります。訪問くださるかたがたの視線を太陽の光のように、あるいは月の光のように浴びて、わたしの記事は脱皮するともいえます。

 出だしは、次のようなものになるでしょう。

 ここ数年、村上春樹がノーベル文学賞候補として囁かれてきた。既に海外でも相当に人気があるという村上春樹現象、村上春樹産業とも呼べるようなブームがとめどもなく膨れ上がることを日本中が期待しているかのようだ。

 2006年10月12日に現代トルコの代表的作家であるオルハン・パムクが12日、ノーベル文学賞に決定したと報道されたとき、受賞を逃した村上春樹の地元で、恩師や親しいかたがたの残念がっている姿がネットニュースの画面に映し出され、日本的なそのごく普通の穏和な光景に、わたしは何か不思議なものを見たような感慨を覚えた。

 そして、藤原書店の出版物でその名と作品名をたびたび見ていたわたしは、ブッククラブ会員(年会費2千円)用の葉書で、さっそくパムクの『わが名は紅』を注文した。

 それにしても、愕然としたのは、既に欧州各国の文学賞を受けて世界的ベストセラーになっていたという98年の『わが名は紅』、ほかに『雪』が藤原書店から上梓されているだけで、トルコで最も権威ある文学賞を受けた82年のデビュー作『ジェヴデット氏と息子たち』も、83年『静かな家』も、85年『白い城』も、90年『黒い書』も、わが国の出版社からは出ていなかったという事実だった。

 一体、わが国の出版事情はどうなっているのかと首を傾げざるをえなかった。ノーベル文学賞が期待されていた村上春樹の諸著書が書店の目立つ場所に溢れていたのに比べ、また何という……。このことで、わが国における出版傾向、書店での扱いが如何にバランスを欠いた、問題を孕んだものであるかが露呈された。「知的情操」にとって、出版界は間違いなく危機的状況をつくり出しているといえよう。

 ちなみに、ここ数年のノーベル文学賞受賞者は、次の通りである。

2006年 オルハン・パムク
2007年 ドリス・レッシング
2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ

 村上春樹の名に隠れるかの如く、彼らノーベル文学賞受賞者はいずれも大して話題とならなかった。

|

2009年3月29日 (日)

作品提出を控え大童。息子の引っ越し完了。

 同人雑誌の締め切りは今月末必着ですが、間に合わないかもしれません。31日に速達で送ることになるでしょう。県内だから、運がよければその日に届くかも。

 今日明日は原稿のため、夕飯作りは無理なので、娘に弁当を頼みました。昨夜は何とか作りました。ばたばたと作った割には我ながら美味しい!と思いましたが(後日レシピをご紹介しますね)、夫にごはんをよそおうとして炊飯器を空けたら、なま米~。

 何と、スイッチを入れ忘れていたのでした。夫も年とってきたせいか辛抱強くなり、昔のようにむくれたり、嫌味をいったりということもなく、ごはんが炊き上がるまで、おっとりと待っていてくれました。

 しばしば弁当や外食に頼るようになったのはここ数年の話で、以前はよほど例外的な場合以外、めったにそうしたものの利用はなく、おうちごはんオンリーでした。こうなったのは、わたしの体力低下や便利な場所に住むようになったということもあるでしょうが、子供たちが成長したからということが大きいでしょうね。

 友人たちの家庭も、子供たちが大きい人はざっくばらんになり、そうでない家庭はしっかりと作っているようですから。

 6年間の大学生活でしっかり自炊をしてきた息子は、さすがに就活、学会、引っ越しなどが続くようになってからは外食するようになったとか。「外食は楽だねー。自炊していたときは5時に帰ってきても時間が足りないと感じたし、草臥れていたよ」といいました。

 息子の引越しは、昨日終わったそうです。本人は卒業後もまだ大学の研究室に出かけたりして、これまでいた街のホテルにいますが、明日の早朝、東京へ出発するとか。でも、寮にはぎりぎり31日にしか入れません。そして1日が入社式。ちょっと大変ですね。

 6年間住んだ街や通った大学とお別れすることに、名残惜しさがあるようです。同じような思いを抱える人々からあちこちで声がかかって食事に誘われ、このところ、やたらと人と食事をしていたといいます。

 アパートの大家さんはよくしてくださいましたが、何と敷金が結構戻ってきたとか。こちらでは、戻ってくることは、まずありません。それどころか、さらにとられることもあるほどです。

 でも、そのアパートは特別なのかもしれません。アパート探しは家族でしたのですが、わたしはそこはいいと直感しました。もっと新しくて安いアパートが他にあったのですが、そこは建物格? がよいというか、優しいオーラが出ている風に見えました。

 管理がよいのだろうなと思われた通りのアパートで、水道代が只だったため、シャワー好きの息子が水をふんだんに使っても、水道代の心配は要りませんでした。

 大学にも恵まれました。といっても研究室では結構息子はこまめに掃除や管理をしていたようで、それなりの大変さもあったでしょう。「Nくんがいなくなったら、この研究室はどうなるのかね?」と教授が秘書さんにおっしゃっていたとか。

 今日は、研究室でしてきた仕事の引継ぎをしたそうです。大学の研究室における大変さと今後の大変さはまた性質が違うかもしれませんが、人間関係の面でも、仕事の面でも、マスター生活で学んだことは、今後に充分役立つのではないかと想像しています。

 ところで、同人雑誌に提出予定の作品の話題に戻ると、エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」に、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドレス・レッシング、ル・クレジオ雑感を加えてまとめあげようというわけですが、時間の足りなさはどうしようもありません。

 パムク、クレジオをもう少し読みたいと思っていましたが、小旅行疲れが出ているのか、数ページで爆睡してしまう始末。

 パムク、レッシング、クレジオはノーベル文学賞受賞者だけのことはあり、各人が一抱えはありそうな作品世界を築き、スタイルも洗練されており、また――これが何よりノーベル文学賞というものに欠けてはならないと思われる――思想家としての風格を備えていて、一流作家と呼ぶに足る作家たちだとは思いますが、バルザック、ゾラ、プルースト、ゴーゴリ、トルストイ、ドストエフスキー、トーマス・マンといった過去の文豪クラスの人物に比較すると、現代文学の貧弱さ、つまらなさを改めて実感させられます。

 家に譬えるとすると、例えばバルザックの作品は広壮な屋敷。手入れの行き届いた庭、動物たちが飼われ、食料庫には新鮮な食べ物がぎっしりと詰まっていて、そこの住人たちや訪問客で賑わっています。

 パムク、レッシング、ル・クレジオの家は現代住宅で、それぞれに意匠を凝らしてありますが、手のかけかたに偏りがあります。どの家の冷蔵庫にも食べ物はいくらか入っているかいないかで、住人もいるのか不在なのか、わからないという風。

 村上春樹の家はスタイリッシュですが、欠陥住宅です。また、放置状態の庭には古井戸や土蔵なんかが残されていたりします。人間なのか、幽霊なのか、蝋人形なのか、はたまた家庭用スクリーンに映し出された人物なのかがよくわからない曖昧な住人の気で満ちています。冷蔵庫に洒落た食べ物が用意されていますが、中毒性の食べ物です。

 大人度からいえば、バルザック>レッシング、クレジオ>パムク>村上春樹

 その根拠は、「村上春樹とオルハン・パムクについて若干」で書きました。今日明日で、読める作品に仕上がるかどうか……。

|

お知らせ

 Googleサイトで作った新しいホームページ『マダムNの文学工房』にも、エッセーからぼちぼち作品を入れ始めましたので、左サイドバーにリンクを設けました。工房へも、お気軽に遊びにいらしてください。

 作品の収録に便利なので、将来的には工房のほうが主体となるかもしれませんが、ジオシティーズで作るホームページの楽しさには捨てがたいものがあるので、当分は工房と『バルザックの女弟子になりたい!』とを並行して管理していくこととなるでしょう。

 それに伴い、FC2小説で作成したサイトは近々、削除することに致しました。1ページの字数制限が煩わしく、収録作業が長続きしませんでした。管理人の勝手で申し訳ありません。

 わたしの場合、よりスピーディーに楽しく作品の収録ができる保管庫を探し求め、辿り着いたのがGoogleサイトでした。操作にデリカシーが必要なところはありますが、無料であれだけの充実したサービスには驚いています。 

|

2009年3月26日 (木)

やまとのあやⅠ

以下の記事は、前記事『第2回口頭弁論雑感と瓢箪(原告側の書証)から駒』から、歴史関連の部分のみ、独立した記事にしたものです。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
 ひょんなことから、大庄屋だったというわたしの母方の祖母の旧姓がN・・・とわかりました。わたしはそんなことも知らなかったのです。伯母がわたしの名をつけてくれたのですが、祖母の名からとったと聞いていました。ああ祖母の旧姓から一字をとったのだと感動しました。

 珍しい姓で、わたしは初めて目にしました。

 母方の祖母の実家が大庄屋だったとすると、少なくとも農地改革までは、古代史によく出てくるあの辺りの土地も所有していたのではないかと思っていたのですが、ネット検索してみると、あの辺りにN…の名を入れたマンションの物件を紹介しているN…という不動産屋が出てきました。そのN…不動産はやはりあの辺りにありました。
 また、劉邦系の支族にN…があるとネットに出ていましたが、話が雄大すぎてとても本当とは思えず、引っ越しを明日にして忙しいだろうとは思いつつも、歴史に詳しい息子にそのことをメールしてみました。
 すると、以下のようなメールが帰ってきました。
私も〔その名字は〕はじめて聞いたな。ネットで調べると、大蔵氏の庶流に名が出る(大蔵氏で検索すると「日本の名字七千傑」にあたる)。このこと自体は私は確証がとれないけれど、大蔵氏は知っている。大蔵氏と言えば、いわゆる東漢(やまとのあや)で、渡来系であるのは確か。同じ大蔵姓では私が知る限り、秋月氏と原田氏が有名で、どちらも筑前の有力氏族。時代的には室町以降まで勢力があり(近代まで生き残る可能性が高い)、しかも地理的に近い。N…氏自体あまりない名字なので、この曾祖母の家が大蔵姓庶流N…氏であることにまず間違いないと思う。確かだと思う。
そういえば、日田氏も豊後大蔵氏と言うね。
 またこれで、何かしら点と点が……いやいや、急ぐのはやめましょう。でも、歴史に興味のあるわたしには、興味深い駒であったことに間違いありません。
2009年3月26日(木)

|

第2回口頭弁論雑感と瓢箪(原告側の書証)から駒

 10分強の第2回口頭弁論は、弁護士をつけていないわたしたち被告の準備書面の不備を指摘し、いきなりおかしなことをいい始めた原告らに、「いいたいことがあれば、準備書面に書いてきなさい」と命じただけで終わりました。

 わたしたち被告にはやつれが目立ちましたが、原告である父夫婦は若返ったように生き生きとしていました。奥さんの表情は険しく、重たげでしたけれど。父には、調停のときの異常な雰囲気はなく、普通に見えました。

 ぞっとさせられたのは、またしても裁判官が訴状にも準備書面にも目を通していないらしいことがわかったという点でした。

 冷やかな面倒臭そうな表情の裁判官が登場し、裁判が始まりましたが、裁判官は書記官が揃えた準備書面と書証を確認しながら、書記官に「これは日付がない。これには印がないじゃないか。こんなのは、させといてよ。あとで、日付の記入と印を押すの、させなさい」と裁判官。

 印がなかったのはお医者さんの準備書面、日付が欠けていたのは叔母の準備書面でした。わたしの準備書面はスタイルは整っていたようですが、証拠品――乙第1号証、乙第2号証――として提出した記録ノートの写しと調停期日呼出状の写しに、乙第1号証、乙第2号証の記載が欠けていました。

 裁判官から記録ノートの写しを、それが何なのか、日記なのか手帳なのかと訊かれました。わたしは「それについては、準備書面に書いています」と答えました。すると、裁判官は、「今ここで、それは何なのか、訊いているじゃないか」と苦々しげにいいました。

 わたしたちが何かいおうとしても、遮るように「それは準備書面に」という癖に、裁判官が準備書面はおろか訴状の内容すら把握していないのは明らかでした。が、わたしには別に裁判官の職務怠慢を指摘する意図はなく、変な訴状の内容に対応するために、特殊な記録ノートを提出する必要があったので、それがどんなものかを口頭で説明するより、準備書面を見て貰うほうがいいと思い、準備書面に書いていますといったまででした。

「これは……ずいぶん日付が飛んでいるようだが、裁判が始まってから作成したものではないだろうね?」と疑わしげに裁判官。
「いいえ。当時、記録したものです」とわたし。
「何のために?」と裁判官。
「原告らの言動がおかしいと思うようになってから、記録しておこうと思い、ノートを作ったのです。でも、中断してしまいました。現物も持ってきていますよ」とわたし。

 すると、裁判官は何もいいませんでした。そして、調停期日呼出状の写しについても裁判官は尋ねようとしましたが、書記官が駆け寄って、「ああ、それは……」と小声で説明を加えていました。

 それは、前回わたしが裁判官に一昨年の調停の話をし、原告らに精神疾患が疑われると調停委員たちはいい、不成立に終わったというと、そうしたことは準備書面に書くようにと彼はいい、書記官から調停期日呼出状を証拠品として提出するように勧められたから、そうしたものなのです。

 裁判官は、今度は、印のないお医者さんの準備書面に注意を移し、「こういう文書には、印を押すのが常識だろうが」と吐き捨てるようにいいました。

 いきなり訴えられ、弁護士を雇えと書記官にいわれてもそんな理不尽なことに応じるつもりはないわたしたち被告でしたが、突然の素人芸では、準備書面に不備があっても自然なことでしょう。

 わたしはネットと本で調べましたが、証拠品にも乙第○号証と入れるべきかどうかがどうしてもわかりませんでした。下手に証拠品に手を加えたらまずいのかもしれないとも思い、そのままで提出してしまいました。送る前に書記官に確かめて、完璧に処理しておくべきだったとわかりました。

 素人ですから、裁判の進行と共に学ぶほかはないのです。サポート体制もないまま、高額の弁護士費用を捻出できなければ、自力で弁護士と同じレベルでやれ、といわれても土台無理な話です。それがわたしたちのせいでしょうか?

 裁判官が訴状の内容さえ把握してくれていたら、わたしたち被告に対する態度は違ったのではないかと想像します。原告である父夫婦は弁護士に書類作成を依頼しているようですから、スタイルだけは完璧なのでしょう。裁判官の態度は、原告らにはいくぶん柔らかです。

 ネットで調べたところでは、ろくに準備書面も読まないまま偏った判決を下す職務怠慢な裁判官は珍しくないようです。殊に傍聴人の少ない地方の裁判所などで、そうしたことが起きやすいとある弁護士はネットで語り、対策としてなるべく沢山傍聴人を連れて行くようにといっていました。

 そういわれても、10分程度の口頭弁論の傍聴に遠路遥々来てくれるほど他人は暇ではありません。日本の裁判がこんなものだったとは、本当に情けない話です。わたしは法学部でしたが、もっとましなものだと信じきっていました。文学界に幻滅し、今度は法曹界に幻滅したわけです。

 外部の目を入れるために、裁判員制度は必要でしょう。裁判を体験してから、わたしはそのように考えが変わりました。

 原告らは弁護士に作成して貰ったスタイルの完璧な――内容は滅茶苦茶な――書証を大量に持ち込んでいました。一抱えはあるそれのコピーを、書記官は被告全員に配りました。

 父方、母方のわたしの祖父母の代からの一族の戸籍謄本からの抜粋(従兄が提供を拒んだとして原告らはそれを不服としています)、原告の一人である奥さんの戸籍謄本からの抜粋、妹の結納のときの写真(原告らは不審人物が写っているとしていますが、何のことはなく、その人たちは妹のご主人のほうの親戚です)の写し、母と妹の手紙の写し、パスポート、保険、給与明細、船員保険年金、登記関係書類の写し、撤回の印の押された2通の「遺言公正証書」の写し、撤回の印の押されていない「遺言公正証書」の写し、いろいろな人々の名刺、警察本部から届いた封筒の写しまであります。

 何しろ、甲第162号証まであるのですから。

 警察本部からの封筒の写しには、「平成20年2/4午前10時頃面会刑事2人見えた待合室**(※地名)愛人の子がほかにいるやろ」と手書きでありますが、これが何を意味しているのかはわたしには不明。よくこれだけ集めたものだと感心しました。このリサーチ力に文才が加われば、第一級の文学作品を仕上げられるのではないかと想像してしまいました。

 叔母は、この膨大な馬鹿げた資料を見て嘆きの声をあげ、書記官に「わたしはこんなもの、要りません。捨ててください」といいました。すると書記官は、「いえー、お持ちになってください」といいました。わたしたち被告は受けとり証を書かされました。 

 わたしはどこか、やはり、頭のおかしな父の頭のおかしな娘です。おぞましい書証の束がお宝の山に見え、思わず目が輝いてしまいました! なぜって、これのお蔭で、父夫婦が何という弁護士に書類の作成や調査を頼んだかがわかったばかりか、これまでにかかった費用までわかったのです。

 それだけでなく、両親が金持ちだったこともわかりました。わたしには両親が金持ちに思えたり、そうでなく思えたりしていたのです。

 わたしは膀胱神経症のために思うような受験ができませんでした。両親のお金があれば、浪人できたでしょうし、重体の母の付き添いで駄目になった就職にも、両親の金銭的なサポートで再チャレンジできたでしょう。夫が羽目を外して借金をこしらえたときも、夫の両親でなくて、父にお金を借りられたでしょう(まだその頃は再婚前で、父もまともでした)。娘にも振袖ぐらい買ってやれたでしょう。本の1冊くらい出して貰えたかも。

 いえいえ、それは所詮は幻想です。しまり屋の父がそんなことにお金を出すはずがありません。少し貧乏な家の父親がするくらいのことはしてくれても、それ以上は望めなかったはずです。遺産は全部奥さんに行くことになっていますが、それで奥さんは何が不満なのでしょうか。わたしたち姉妹に遺留分があることすら不満なのでしょうか。できれば、わたしたちに死んでほしいのでしょう。

 現在、父には毎月の年金で、夫の給料の倍近くのお金が入っています。仮に貯金がゼロだとしても、普段の暮らしは質素な父夫婦ですから、ひと月でお金が貯まるでしょう。貯金もかなりの額があるに違いないと想像できます。退職金が入ったときに、税金対策をしたほどですものね。だから、遺産を狙われているのではないかという心配も生じたのでしょう。

 馬鹿なわたしは、そんな父に同情までしていたわけです。ああなったのは自業自得です。自分の欲、奥さんの欲のために、彼らは自分たちでおかしくなったのです。そんな彼らに、何の同情が要りますか?

 わたしたちはとにかく、弁護士が背後にいる父夫婦にはいくぶん好意的な裁判官から、おかしな判決をいい渡されないよう用心しなければなりません。前途多難です。どんなに立派な準備書面を作成しても、読んで貰えなければ紙屑と同じですから。しばしば文学賞応募で遭ったのと同じ目に、今度は文学界ではなくて法曹界から遭わされるなんて、御免です。

 今回の裁判の終わりがけに、奥さんが唐突に、わたしたち姉妹が最近父夫婦の家に忍び込んで、発禁になった『自殺のすすめ』を嫌がらせに置いていったといいました。そればかりか、母が亡くなったときに、わたしたち姉妹が彼女に電話をかけて何か(唖然となって、聞き逃してしまいました)をいったといいました。まだ彼女と父が知り合ってもいない頃の話です。

 奥さんは見事な狂い様ですが、原告らの訴えの内容を把握していない裁判官は普通の顔を彼女に向けて、「それは、準備書面に書いてきなさい」といいました。彼は父に、書証が膨らんで仕様がないから、もしあれば今度までにまとめて出してしまうようにといいましたが、訴えの内容を一向に把握していない裁判官自らが準備書面や書証を膨らませているとしか、わたしには思えませんでした。

 ただ、原告らの書証から、知りたかった奥さんの実家の住所がわかりました。彼女の両親は正式に結婚していないようです。30歳近くになって、父方の伯母が彼女を養女にしています。

 また、これは本当に瓢箪から駒ですが、大庄屋だったというわたしの母方の祖母の旧姓がN・・・とわかりました。わたしはそんなことも知らなかったのです。伯母がわたしの名をつけてくれたのですが、祖母の名からとったと聞いていました。ああ祖母の旧姓から一字をとったのだと感動しました。

 珍しい姓で、わたしは初めて目にしました。

 母方の祖母の実家が大庄屋だったとすると、少なくとも農地改革までは、古代史によく出てくるあの辺りの土地も所有していたのではないかと思っていたのですが、ネット検索してみると、あの辺りにN…の名を入れたマンションの物件を紹介しているN…という不動産屋が出てきました。そのN…不動産はやはりあの辺りにありました。

 また、劉邦系の支族にN…があるとネットに出ていましたが、話が雄大すぎてとても本当とは思えず、引っ越しを明日にして忙しいだろうとは思いつつも、歴史に詳しい息子にそのことをメールしてみました。

 すると、以下のようなメールが帰ってきました。

私も〔その名字は〕はじめて聞いたな。ネットで調べると、大蔵氏の庶流に名が出る(大蔵氏で検索すると「日本の名字七千傑」にあたる)。このこと自体は私は確証がとれないけれど、大蔵氏は知っている。大蔵氏と言えば、いわゆる東漢(やまとのあや)で、渡来系であるのは確か。同じ大蔵姓では私が知る限り、秋月氏と原田氏が有名で、どちらも筑前の有力氏族。時代的には室町以降まで勢力があり(近代まで生き残る可能性が高い)、しかも地理的に近い。N…氏自体あまりない名字なので、この曾祖母の家が大蔵姓庶流N…氏であることにまず間違いないと思う。確かだと思う。
そういえば、日田氏も豊後大蔵氏と言うね。

 またこれで何かしら点と点が……いやいや、急ぐのはやめましょう。でも、歴史に興味のあるわたしには、興味深い駒であったことに間違いありません。

 法を司る木星はまた、学問や外国との関わりを司る星でもあります。わたしのホロスコープにある転んでもただでは起きないとは、このことでしょうか。重圧ばかりをもたらすように感じられる今回の裁判沙汰ではありますけれど、一方では親戚とのスキンシップや史学的恵みももたらしてくれました。人生とは何て不思議なものなのでしょう。まさに、事実は小説より奇なりです。

呼関係の記事は左サイドバーにあります。 

|

2009年3月24日 (火)

かもめマークとエルモ

かもめマークとエルモ

過去記事で、白いソニックと白いかもめが入れ替わって運用されることがあると書きましたが、座席の背中にチケットを入れるポケットがあり、そこにある『かもめ』マークが見えるでしょうか?
そう、これは白いソニックの代理として走る白いかもめです。

やはり裁判の旅は疲れました。

相変わらず内容を把握していない様子の居丈高な裁判官が無能な書記官を叱りながら、10分強の確認作業があっただけ。

でも、書いておきたいことがあり、帰宅後に。

次回はほぼひと月後。宿題はありません。

裁判後、伯父、叔母、従兄、妹、娘、わたしでお茶を飲みました。心が和らぎました。

伯父たちと別れたあとで、終業式だった姪を妹の車で拾いに行き、食事をしたり、ショッピングしたりと楽しく過ごしました。

わたしはもう姪が可愛くて最初からメロメロでしたが、「伯母さん、素敵。センスいい」なんてお世辞までいわれるに及び、ついリラックマのぬいぐるみを買ってあげました。服を何かと思っていたのですが、「リラックマがいい」というのです。

クッションにもなりそうなリラックマが、わたしがほしいなと思うくらいだったので、それにしようかというと目を輝かせましたが、高いと思ったのか、1,000円くらいの小さなものに目を移し、「これ、前からほしかった」ですって。

わたしは「じゃ、それはお小遣いで買えば? 伯母さんはこの子と目があったの。嫌なら、連れて帰るわよ」といって抱かせると、嬉しそうにしました。プレゼント包装を頼みました。

娘は妹から、服を買って貰いました。

ところで、帰りは駅弁にありつけます……博多駅で食べるには早く、キオスクで買うのは面倒だったので、ワゴンサービスの駅弁を買えたらいいなと思っていました。

|

朝の5時、ニトロ舌下

朝の5時、ニトロ舌舌

胸のひどい圧迫感で目覚め、ニトロペンを舌下。つけていたニトロ専用のペンダントが役立ちました。

昨日のはしゃきすぎが祟ったのかも。結局、昨夜娘は入浴せずに爆睡。わたしは記事を更新したあと、入浴するつもりでしたが、急に疲れが出て、同じく爆睡。清潔な部屋で、不潔なまま寝てしまいました。

胸の圧迫感はなんとか治まりましたが、気分は優れません。不本意な裁判には、これくらいの浮かない気分でちょうどいいような気もします。

これから入浴します。ニトロペンをもう1錠舌下するかどうか迷うところですが、入浴中に血圧が下がりすぎるのは怖いので、使わずに入りましょう。

写真は、ニトロの殻、ペンダント、上はボディタオル。ボディタオルがあるのは、とっても嬉しい。そういえば、1階に大浴場がありました。

ところで、これまでに泊まったホテルの中で(シティ、ビジネス総合して)、最も清潔度が高かったのは、博多で泊まったモントレラスールです。

大喫茶店に圧倒されたのは、東京で泊まったニューオータニ。手頃な値段で料理が美味しかったのは、岡山の全日本ホテル1階にあるカフェ・ウルバーノ。好立地は、博多大名のグランドホテル。〔それぞれ当ブログに記事があります。〕

ビジネスでは、引っ越しのときに泊まった大分パークインホテルはいいと思いました。ここも料金を考えれば、悪くありません。

ここの枕は今流行りの……なんといいましたっけ?……で、頭に優しく快適です。

記事を書いているうちに、喘息まで出だしました。予防のフルタイドで止まればいいのですが。気管支拡張剤のメプチンエアーを忘れてきてしまって。とにかく入浴しなくては。

|

ラーメン〜!

ラーメン〜!

駅の裏手にあるラーメン屋さんに入りました。

豚骨ラーメンですが、あっさりとした感じです。量も女性向きで、男性客は替え玉を頼んでいました。餃子も小さめで、パリッとしています。娘と半分こしました。

おなかがパンパン。体調が悪いときのパンパンではなく、食べ過ぎのパンパンです。

3つの駅の階段で、また右膝を傷めました。左膝も少し痛みます。でも幸いロッキングはどちらもなし。

モーラステープを貼りましたが、気休めにしかなりません。

|

ルートイン〜!

ルートイン〜!

あの値段でこの泊まり心地は文句なし、です。

この部屋は最上階(11階)のコンフォートルームですが、値段はほんの少し高いだけ。

セルフサービスのコーヒーもありますが、22時までです。

ロビーから廊下辺りはちょっと臭いが気になったのですけれど、部屋の中は臭いません。清潔です。

|

2009年3月23日 (月)

白いかもめのデッキにて

白いかもめのデッキにて

乗り換える前に乗っていた特急電車は白いソニック、今乗っているのは白いかもめ。共に885系。

さすがに中はそっくりですが、かもめのデッキは意匠を凝らしてあって楽しいです。

面白いことに、ダイヤが乱れたときはソニックとかもめが入れ替わって運用されることがあるとか。

|

クラッカーで我慢〜!

クラッカーで我慢〜!

ナント、ワゴンサービスの駅弁が売り切れていました。

博多駅で乗り換えて、到着は23時近く。いざとなればコンビニがありますが、薬を飲まなきゃなりませんし、おなかが空いたとエルモもいいますので、コーヒーとクラッカーで腹ごしらえ。

リッツ、美味しいわ〜!

|

行ってきます

行ってきます

博多行き電車は、今のところ、がら空きです。

エルモは駅弁を待っているんですよ。

|

またエルモと出かけます

20090323161103

 出かけるのは19時ごろなので、まだ時間がありますが、ばたばたして更新し忘れるかもしれないので、今お出かけのお知らせをしておくことにしました。

 例によって裁判の用事で、小旅行です。

 ルートイン、泊まり心地はどうかしら。コンフォートホテルは、妹の旦那様が綺麗だといっていましたけれど、ルートインは泊まってみなければわかりません。泊まり心地がよければ、ビジネスマンのためにリポートします。

 先月のときは膝が痛くなったので、湿布を持っていこうと思います。今のところ、体調はまあまあです。

 息子から電話があり、パソコンに送っていた準備書面を読んだとのことでした。「このままで、何かになるんじゃない?」と息子はしみじみとした口調でいいました。作品とか本とかになりそうに思えるそうです。

 さらに、「おふくろは、長期スパンで随筆なんか書いたら、いいかもね」と息子。「エッセーなら、腐るほど書いてるじゃない」とわたし。「いや、だから短いものではなくて」と息子がいうので、「ドキュメンタリーを書けってこと?」と訊いてみたら、「うん」だそう。

 仮に準備書面(1)が法的にはあまり意味を持たなかったとしても、これが息子をしみじみさせただけでも、無意味ではなかった気がしました。

 法律は余分なものを嫌うと思うので、極力必要なことだけを採り上げ、書いたつもりですが、何しろ訴状が普通ではないので、こちらの身の潔白をわかって貰うためには、これまでの経緯を無駄のない一本の線のように辿る必要があると感じました。

 そして同時に、準備書面は、父たち原告にわたしのまじりけない気持ちを伝えるにめったにない機会だと思えたので、そうした部分を織り込みました。

 準備書面は、盾であり剣でもあるはずですが、伝書鳩でもあるのだという気がしてきました。リンドグレーンの『はるかな国の兄弟』のなかで、伝書鳩は何羽も惜しげなく放たれ、飛んでいきます。

「飛べ、飛べ。」ヨナタンはいいました。「飛べよ、ビアンカ、ナンギヤラの山をこえて、サクラ谷まで。それに、ヨッシの矢に気をつけるんだよ!」

 ソフィアのハトたちがほんとに人間の言葉がわかるのかどうか、ぼくは知りませんが、ビアンカは、わかっていたように思います。なぜってビアンカは、安心なさいというように、ヨナタンの頬にくちばしをあて、それから飛びたったのです。

 夕方の薄明かりの中に、ビアンカは、白くきらめきました。ほんとに危険なほど白く。あれが壁の上を飛びこえるとき、あのドーディクにたやすく見つけられやしないかしら!

―アストリッド・リンドグレーン『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、岩波少年文庫、2001年)― 

|

同人雑誌の主幹からお電話

 一昨日、同人雑誌の主幹からお電話をいただいた。提出作品の件。

 エッセーを考えているとお話しすると、「いやー、あなたには小説を出してほしかったんだけどなあ」とおっしゃる。

 わたしも小説を出したかったが、準備ができていないことをお話しし(さすがに裁判で予定が狂ったことまでは話せない)、何枚くらいまでならオーケーなのかを伺った。

「ああそれは、何枚でもいいですよ」と、主幹は太っ腹。ありがたい。

 村上春樹に関するエッセーに、最近のノーベル文学賞作家の作品に関する雑感も加えてまとめよう。長くてもいいというのは、この上ない恵みだ。

 ただ、いろいろとお話しするなかで、主幹(そして発行人)との文学観を含めた価値観の違いを改めて感じた。普通のおつきあいであれば、それもまた妙味ともなるが、ある文学観をカラーとして打ち出していく同人雑誌では、この違いは微妙な問題を生む。

 主幹はわたしの作風を異色としながらも、好意的に掲載してくださった(といっても、結構シビアなやりとりもあった)。ありがたいと思いつつも、カラーの違いで苦しんだ、同人雑誌体験だった。

 休刊になるのは残念だが、休刊にならなければ自ら離れた可能性もある。物を書くとは、所詮は孤独な作業だ。そこへ帰るだけ。こんなときに、いつも思い出されるのは坂口安吾の『文学のふるさと』。

 有名な結びの部分を以下にご紹介しておきたい。安吾は、これに先立つ部分で、三つの物語をアモラルな物語として紹介している。

 この三つの物語が私たちに伝えてくれる宝石の冷たさのようなものは、なにか、絶対の孤独――生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独、そのようなものではないでしょうか。

 この三つの物語には、どうにも、救いがなく、慰めようがありません。鬼瓦を見て泣いている大名に、あなたの奥さんばかりじゃないのだからと言って慰めても石を空中に浮かそうとしているように空しい努力にすぎないでしょうし、また、皆さんの奥さんが美人であるにしても、そのためにこの狂言が理解できないという性質のものでもありません。

 それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身(うつしみ)は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期することすらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。

 私は文学のふるさと、あるいは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。

 アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごであるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。……

 だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのように信じています。

 ―『文学のふるさと』(坂口安吾著「堕落論」集英社文庫、1990年)― 

|

2009年3月22日 (日)

息子の大学生活のひとこま

研究室の教授は写真が趣味だそうで、メモリーを貰ったのだそうだ。

それを携帯電話で解説を加えながら一枚一枚パソコンに送ってくれたので、娘とわいわいいいながら見た。

教授はお上手だ。学会の様子、そのあとで神社に行ったときの景色を交えたもの、研究室の学生が教授のお宅にお邪魔したときの雰囲気がよく伝わってくる。

息子はとてもリラックスした、柔らかな表情をしていて、恵まれたマスター生活だったことが窺えた。

| | コメント (0)

2009年3月21日 (土)

Googleサイト・サービスのすばらしさ。エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」について。

 過去記事で、ウィキを基盤に構築されたGoogleサイトのサービスを利用して試しのホームページ『マダムNの文学工房http://sites.google.com/site/balzaciene/』を作ったと書きましたが、このサービスのあまりの便利さ、操作の快適さに驚嘆しています。それで、今日は夕方になるまで、そこから離れることができませんでした。

 さすがGoogleですね!

 何にそれほど感心したかといいますと、わたしは作品の保管庫としての役割を十全に担えるサービスを探していたのですが、Googleサイト・サービスを利用すると、その目的をストイックなまでに追求できることがわかったのでした。

 それにこのサービスもブログサービスと同じように、簡単にサイトを増やせるではありませんか。

 ただこのサービスは、自らの意匠によるホームページ作りを心ゆくまで楽しむ目的には、合っていないでしょう。定まったスタイルがあるからです。わたしが強調するのは、あくまで保管庫としてのすばらしさです。

 閲覧してくださる方々にも、作品の雰囲気を楽しんでいただくには役不足だと思いますが、わたしにどんな作品があるのかを端的に知りたいというようなときには快適にご利用いただけると思います。

 結局ジオシティーズで作っている『バルザックの女弟子になりたい!』も、Googleサイトで作っている『マダムNの文学工房』も、わたしにはどちらも必要だということですね。並行して収録していけたらと思います。

 このところ、『バルザックの女弟子になりたい!』に作品を収録しながら、作業が遅々として進まないことに疲れを覚えていました。

 当初は、ブログで公開済みの作品であればコピーすればいいから、そのぶんだけでも素早くホームページに収録できると踏んでいたのですが、1ページ作るだけでも、たとえテンプレートは自分で作った雛形を利用するにしても、リンクさせる作業の煩わしさ、ページの名・アドレスなども一から考えて管理する面倒さ……等々に音を上げていました。サイトマップも勿論自分で作るしかありません。うっかりページを削除してしまえば、取り返しがつきません。

 ところが、Googleサイト・サービスを利用すると、こうした問題が一気に解消するのです。

 ちなみに、『マダムNの文学工房』のトップページにお出かけいただき、左サイドに設置したナビゲーションに表示した項目をクリックしていただくだけでも、その便利さがおわかりいただけると思います。

 ナビゲーションのトップに表示したSitemap_Hierarchy_Viewをクリックしていただくと、サイトマップが現れます。この優れたサイトマップは何と自動的に作成されるだけでなく、勿論、編集可能です。展開も折りたたみも自由自在で、好きな項目だけをクリックして展開していくこともできるのです。

 このサービスのうち、わたしは自分の目的に合ったごく一部分の便利さだけしか意識にありませんが、ビジネス向きの多彩な機能が備わっているようです。

 ところで、当ブログでご紹介したり、ちょっと触れさせていただいた人物の一覧を作りたいと考えていることは既にお話ししました。

 そこで、『マダムNの文学工房』では――依然試しの段階ですが――文芸作品の紹介メニューに《コラム・エッセー・評論》という項目を設け(『バルザックの女弟子になりたい!』の文芸一覧で表示した項目の全てを順次設けるつもりです)、作品名と人名の両方で検索できるように形式を整えました。

 人名のハに早速、当ブログで公開したバルザックに関するエッセーの一つを収録してみました。本当に快適な収録感……。

 同人雑誌に提出するために、エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を改稿しなければなりませんが、『マダムNの文学工房』に、上記エッセーの他、パムク、ドリス・レッシング、ル・クレジオに関するエッセーも収録し、自己資料として活用するつもりです。

 時間がないときの収録は、いくら収録が便利とはいっても、やはり面倒ですが、資料として活用しようとするときに、ページ移動がスムーズでないと、物凄く苛々しますから。

 提出期限は今月末で必着ですから、裁判に出たあとの数日間が勝負ということになります。パムクなど、最近のノーベル文学賞作家と村上春樹を比べてエッセーの内容を膨らませるには時間が足りず、消極的な改稿のみになるかもしれませんが。

 ですが、一応膨らませることも考えて、自己資料に当たってみたいと考えています。

 当ブログで、エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を公開以来、アクセス解析によると、毎日複数の閲覧者があります。わたしが書いた中では、一番のヒット作といってよいでしょう。

 その気持ちには、いくぶん複雑なものがあります。

 現在は受付を停止しているコメントをまだ受付させていただいていた頃までは、批判的なコメントがほとんどで、わたしの気持ちの複雑さは深まる一方でした。悪質なコメントもあり、コメントの受付を停止せざるをえませんでした。

 それが、いくらか前の話になりますが、何の気なしにたまたまアクセス解析を細かく見ていたところ、このエッセーにリンクしてくださっているサイト様がぽつぽつあることに気づきました。

 そして、リンク元へ行ってみると、それらは真摯に好意的にわたしのエッセーをご紹介くださっているサイト様ばかりで、嬉しい驚きでした。こうした発見が、次号を最後として休刊となる同人雑誌に村上春樹に関するエッセーを提出しようという思いを固めてくれました。リンクくださっているサイト様には、心から感謝しています。ありがとうございます。

 同人雑誌に掲載して貰えたとしても、ブログを通してほど多くのかたに読んでいただくというわけにはいかないでしょう。ただ、活字にしてみないことには、わたしは自分の作品をもう一つ客観的に見ることができません。エッセーを大きく膨らませることは、そのあとでもできますので、とりあえず、作品としてのまとまりをつけて掲載を働きかけようと思います。 

|

アフタヌーンティーで

アフタヌーンティーで

昨日は美容院を14時に予約し、終了が17時30分でした。

それほど疲れなかった気がしたのですが、あとで反動がくると思い、夕飯は娘と待ち合わせてアフタヌーンティーで済ませ、弁当のほうがいいといった夫には、デパ地下で春の行楽弁当を買いました。

やはり帰宅後に反動が出、夫に食べさせたあと、日付が変わる頃まで爆睡。
またおなかが風船状態となって苦しくなり、目が覚めたのですが、夕飯後に飲み忘れていた薬を飲んだら改善。

美容院ではずっと、『美しいキモノ』を読んでいました。
犬柄、猫柄の帯の特集が楽しくて、時間を忘れました。
確かな技術に支えられた詩情ゆたかな表現は、さすがですね。

| | コメント (0)

2009年3月20日 (金)

今日は美容院へ

 前髪が伸びてきて鬱陶しいので、美容院に出かけることにした。夫が数日風邪気味だったが、わたしに移して? よくなってきた。

 風邪気味のときに外出は億劫だけれど、決行。喘息の発作が起きないように、フルタイドを多めに使用していこう。

 準備書面を地裁に送った(つかのまの)開放感から、ついGoogleサイトで作った試しのホームページで遊んでしまった。いや、これはなかなか便利で、ジオシティーズとはまた違ったウィキを基盤としたスタイルでありながら、ライブドアのウィキに比べたら、ほんとうにお手軽な使用感。

 でも、自由なページ作りを気ままに楽しめるのは、やはりジオシティーズで作ったホームページ

 それはともかく、頭を切り替えて、同人雑誌に提出する作品の改稿に取りかからなくては。これがまた億劫……。好まなくても書かなくては、という気持ちになるから仕方なく書く。仕事として。 

|

2009年3月19日 (木)

世界恐慌の波

世界恐慌の波

昨夜、息子から電話があり、引っ越しのことなど話しました。

そのとき、同じ科の友人が、内定取り消しとまではいかないけれど、会社が工場の閉鎖に追い込まれ、給料は出すから1年間、社会人ドクターになってくれといわれたという話をしました。

彼はドクターへの進学を迷っていたそうで、社会人ドクターとなること自体に不満はないそうですが、困惑しているとか。

他にも、思わしくない話をちらほら聴いたとか。

テレビのニュースを観ていると、息子が受けて落とされた企業名をよく目にし、金融危機に端を発した世界恐慌の波がそれらを次々に呑み込んでいくかのようで、戦慄を覚えます。

息子が受験したときはあれほど堅固に、威風堂々として見えた企業があんなに次々と……と信じられない思いです。

軒並み落ちたあと、息子はそれまで受験してきた会社とは毛色の違う、が自分が研究室でしていることとは密着したことを顧客(企業)からの注文を受けて専門に手がけている部署のある会社を受験し、合格したわけですが、息子が配属される部署に世界恐慌がどう影響してくるのだろうかと気にかかります。
尤も、今の日本でこうした不安と無縁でいられる社会人はよほど特殊な環境にある人か、脳天気な人かのどちらかでしょう。

社会人ドクターといえば、いくらか前に息子に、ドクターコースに未練はないのかと訊くと、学生のままでドクターコースに行く気は全然ないけれど、社会人ドクターは考えないでもないといいました。今の段階では、あくまで頭の片隅に置いてあるだけだそうですが。

就活では息子より、見守っていただけのわたしのほうが先に音を上げ、「就職は諦めてドクターに行ったら」といっても、息子は淡々として就活を続けました。
高校時代から息子は、マスターまでは絶対に行きたい、ドクターまで行くと就職しにくくなるので、それは考えていないといっていました。息子なりの考えが早い時期からあったと思います。

自分なりの考えでしぶとくやっているところは、母子似ているのかも。

わたしのことで、心配をおかけしているかたへ。
職業作家はほぼ諦めましたが、それは本来の作家志望を貫くための選択です。今の状況下では、この二つは合流点が見い出せないまま、分かれて存在しています。
でも勿論、今後、本筋を保てる上でのよい話があれば乗ります。ご報告します。

東大志望の夫の同僚の息子さんはセンターに失敗して九大を受け、合格したけれど、浪人するとか。東大にある宇宙開発関係の科に行きたいそうです。

眩しい話ですが、家庭状況はうちと酷似していて、苦しい選択でしょう。安全策をとり、東北大の近い科を受け、院で東大へという手もあるのでは。2浪も私立もだめとなると、下手をすれば高卒です。

息子は大学受験のときにわが家の経済事情から仕方なく安全策を取りましたが、今の大学で自分に合う研究分野を知り、その方面での世界的権威に出会いました。

折衷主義は神秘主義の基本姿勢ですが、そう悪くない感触です。

|

人形焼〜!

人形焼〜!

娘がデパートの大江戸展で買ってきた第3弾です。

常盤堂おこし本舗〔浅草〕の黒糖人形焼。

娘はカスタードにするか粒あんにするか迷い、粒あんにしたとか。カステラ生地には、その名が意味する通り、黒糖がたっぷり入っています。

4年前、娘と東京に遊びに行ったとき、浅草にも出かけ、雪のちらつくなか、人形を象った焼き立てを袋に入れて貰い、歩きながら食べたことを思い出しました。雷門の下だったか、鳩が数羽、寒そうに身を寄せ合っていました。

あの熱々の人形焼の美味しさは忘れられませんが、この黒糖人形焼の優しいお味も記憶に残りそう。

| | コメント (0)

2009年3月18日 (水)

試しにGoogleの無料サービスでブログとホームページを

 iGoogleを利用するようになってから、Googleの無料サービスをいろいろと利用するようになりました。

 無料ホームページとブログの使い心地はどうだろうかと思っていたのですが、作ってみました。

 作ってみたばかりなので、まだ使い心地はわかりませんが、GoogleのブログサービスBloggerは、ひとつのアカウントで複数のブログを作れるところは便利ですね。

 尤も、簡単に複数のブログが作れるとなると、わたしなどは安易に増やしてしまう危険がありますが……。

 Bloggerのヘルプを見ても、ネット音痴のわたしにはわかりづらいところもあるのですが、それをサポートして貰えそうな『クリボウの Blogger 入門http://blogger.kuribo.info/』様のような親切なサイトがあります。

 実は、当『マダムNの覚書』のサポートブログが一つほしいと思っていました。例えば、当ブログのトップに来るように設定している『当サイトで紹介した作家・思想家一覧』ですが、ここからは当ブログで採り上げた人々のうちの作家と思想家の記事にしか行けないので、以前から片手落ちだと感じてきました。

 全人名を網羅する一覧をBloggerで作ったり、料理の記事をぼちぼち移したりといったことを考えていまして、まあ放置状態になる可能性もありますが、新しく作ったBloggerブログを『プチ・マダムNの覚書http://noix-n.blogspot.com/』と名づけました。

 ホントーに、いつになるかはわかりませんが、当ブログで採り上げた人名一覧が完成すれば、お知らせします。実は、これを作らないと、自分が一番困るはめになるのですね。『当サイトで紹介した作家・思想家一覧』を利用してくださるかたも多いので、時間はかかっても作ることになると思います。

 いろいろな無料サービスで、沢山ブログを作りましたが、当ブログのサービス、ココログが何といっても、ブログサービスの優等生だと感じています。

 そして、ブログとは違った観点から、作品の保管庫としてわたしが必要とするホームページの無料サービスはどこがいいのか、いくつか見てきました。

 FC2、忍者、ライブドア・ウィキ、Yahoo!ジオシティーズなどを試しましたが、その中ではYahoo!ジオシティーズがわたしは気に入っています。ちょっとしたホームページを作るのであれば、『ミルミルhttp://www.milmil.cc/』のサービスは、テンプレートが洒落ていて、難しい知識がなくても作れそうですよ。

 Yahoo!ジオシティーズで作った『バルザックの女弟子になりたい!』の必要度の高さはわたしのなかでは動かないと思うので、Googleのホームページサービス、Googleサイトhttp://sites.google.com/siteは本当に試しですが、Googleならではの特徴があるようですね。

 サイドバーに『最近の更新履歴』『ナビゲーション』などのアイテムを追加したら、見た感じはライブドア・ウィキで作ったホームページ(ジオシティーズで作る前に試し、現在は空にしていて、再利用を考えながら放置中)に似てきました。

 Googleサイトはwiki を基盤に構築されているそうですので、似て見えるのも当然でした。他のGoogle関連サービスとの連携が可能なところ、ボタンをクリックするだけで新しいサブページを作れるところなど、なかなか心憎いものがあります。

| | トラックバック (0)

2009年3月17日 (火)

金太郎飴〜!

金太郎飴〜!

睫毛が長い。かじるたびに容貌が変化するのが刺激的です。ちなみに写真の断面は、手で割ったものです。

| | コメント (0)

プチ日記

 準備書面を書き上げた夜、お腹が痛かったのですが、舌下錠で軽くなりました(写真を撮り忘れました)。

 準備を昨日速達で出しに行き、とりあえずホッとし、今日にかけてゆっくりしていました。

 久しぶりに料理の記事をアップしようと思い、パソコンを開くと、妹から悲鳴のようなメールが……

 参考までにと思い、準備書面をメールに添付して送っていました。

「やっぱ、日頃書き慣れているだけあって、よく書けたねえ。私はだめだ〜頼まれもののCDやDVDは、夜なべしてでも作れるのに準備書面は書こうとすると眠くなる(T_T)も〜やだあ〜」

 泣かれては仕方ないので、盲目が盲目の手を引くようなアドバイスをしました。

 弁護士が大金貰ってする仕事を、素人に期待するほうが間違っています。そのためのサポート体制も、ほとんどないようなものです。

 裁判官が白紙の状態と考えると、例え原告らがおかしいとしても、わたしたちがよからぬことをして追い詰めたせいだろうとの心証を抱くことも考えられるので、こうなったいきさつは、裁判官から宿題を出されたということもありますから、手を抜かずに書いたほうがいいと思いました。

 参考書に当たったところでは、形式には決まったものがあり、例えば、相手の主張する事実は事実に反すると主張するには否認という法律用語を用いる必要があります(そうすると、相手はその事実を証拠により立証する必要が発生します)が、案外自由な書きかたがなされているんだなと意外でした。

 提出しても、裁判に出れば、そこでまた不備を指摘され、宿題が出るでしょうからね、学生時代より学生しています。

 でも、とりあえず、今度は同人雑誌に出す原稿の執筆です! あー楽しいなあ!

 文学賞を受賞した仲間に、遅ればせながら、お祝いのカードを贈りたいと思い、昨日買ってきました。

|

コロッケ〜!

コロッケ〜!
休日だった娘が、デパートの大江戸展に出かけて、美味しそうなコロッケを買ってきました。

朝とお昼が一緒の軽いものだったので、この大きなコロッケをおやつにしました。

| | コメント (0)

2009年3月15日 (日)

イーマのど飴のハニーレモン~!

20090315194911

 近ごろ、わたしがよく咳をしているといって、娘がUHA味覚糖『イーマのど飴』(ユーハピピン株式会社)のハニーレモンを買ってきてくれました。

 以前から、わたしはこのシリーズを愛用しています。映画やコンサートに出かけるときは、必ずバッグにしのばせます。青りんご、グレープなんかも好きです。

 前の記事を書いた後、昼のあいだに5時間くらい寝られればと思いましたが、2時間しか眠ることができませんでした。

 そのせいか、またおなかが風船っぽくて、ときどき痛くなる左上腹部が痛いです。大事なものは右に集まっているから心配ないと循環器クリニックの先生も呼吸器クリニックの先生もおっしゃいますが、以前から気になっています。

 寝たら治るかもね。

|

準備書面の下書き、できました

 小説を書くのと同じくらい疲れました。

 徹夜でした。朝、娘が朝食用に入れてくれたコーヒーがテーブルの上で冷たくなっています。せっかく入れてくれたコーヒーだから、飲みます。

 飲んで、とりあえず爆睡します。おやすみなさい。

 

|

2009年3月13日 (金)

フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』(上野直子訳、岩波書店)

20090306185428

 生誕100年ということで、岩波書店から 、フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』(上野直子訳、2009年2月26日)が出た。

 ヴェイユの秀才ぶり、哲学者アランとの邂逅と薫染、本来の美貌に意義を唱えるかのような服装、赤い乙女と異名をとった社会活動、キリスト教への接近と次第に濃厚となっていった神秘思想への傾斜、風評を呼んだ死にかた、残された諸作品に散りばめられた煌くような思想の断片……哲学には馴染めない一般人にも、人気の高いヴェイユといってよいが、新しく出たこの本は、これまで書かれた評伝類でもさりげなく触れられてはいたが、ヴェイユの摂食障害(拒食症の傾向)を積極的に解明しようとし、科学の光を当てている。

 まだ全部を読んだわけではないが、ヴェイユの育った家庭が、それまでわたしが読んだ評伝類を通して想像していた以上のブルジョア家庭であったことを知った。ヴェイユの父親は内科医で、「何世紀にもわたってストラスブールに定住していたユダヤ人大商人の一族の出」であり、母親は「多くの国で輸出入業を展開していた裕福なユダヤ人実業家一族の出」なのだそうだ。相当にお金持ちの家系なのである。

 また両親の過保護ぶりも詳しく知ることができる。過保護というには病的なほどで、お金がなければ、ここまで過保護になることはできないだろう。ヴェイユには、想像以上の抑圧でもあったのではないだろうか。

 例えば、ノルマンディー海岸でのヴェイユの体験は印象的だが、その背景にも両親の保護が働いていたのだ。彼らは「娘の精神のバランスにこの種の激しい仕事が必要であることを感じとり、一足先にノルマンディーに出向いてシモーヌが漁師の仲間に加えてもらえるように骨折った」のだった。

 これは深刻である。ヴェイユの行動が、両親の過度な介入のためにどこか戯画化されるほどだ。彼女の何事につけ極端な傾向は、両親との関わりのなかで丁寧に見ていく必要があると思える。

 ヴェイユが晩年、キリスト教神秘主義に傾斜したその態度には、明晰さに忍び込むあまやかな霧のような、如何にもキリスト教的盲目性と信仰的ムードが感じられ、わたしが影響を受けてきたブラヴァツキーの神智学のような神秘主義的態度とは明らかに違う。

 例えば、よく彼女の神秘体験として紹介される覚書にあるような体験は、一般的な観点からは特異であるのだろうが、わたしはさりげなく書き残されたその覚書の彼女独特の厳密さとロマンティシズムとが溶け合わさったような美しい表現にこそ注目するのであって、彼女の体験そのものを過度に重要視することには胡散臭さを覚える。その体験ゆえに、聖女といわんばかりの書きかたをしたヴェイユ関係の本は多いように思う。この本でも、切り札のような使われかたをしていて、それはどうかと思ってしまうのだ。

 尤も、こうしたことにわたしが胡散臭さを覚えるのは、わたしがブラヴァツキーの神智学のような筋金入りの神秘主義に浸かっているからであるにすぎない(一般的観点からは、偏見に満ちた異議主張ともとれよう)。わたしが傾倒してきた神秘主義では、肉眼には見えない存在にも知性の光を当てることが重要になってくるため、ヴェイユが書き残したような現象をただありがたがったり、忌み嫌うだけといった態度はとれなくなってくるのだ。

 実は、わたしにも、生涯に一度だけの体験ではなかったかと考えている、当時は天使とも女神とも想われた存在との接触があった。その存在を見たのはありふれた場所で、塾の教室だった。わたしはまざまざと見たのに、わたしのすぐ傍にいた助手仲間にも、塾のオーナーにも、見えなかったらしい。

 わたしたちが仕事をしていたテーブルから、いくらか距離を置いたところに、さりげなくその人は立っていた。掃き溜めに――というとオーナーに失礼になるが、要するにありふれた場所といいたい――鶴、とはこのことかとわたしは思った。

 何という眉目の繊細さ、まなざしの美しさであったろう。その人は、これまで見たこともなかったような素材でできたごく軽やかにフワフワとして見える、薔薇色を帯びたドレスのようなものを纏っていた。ただならぬ美しさ、煌きに満ちたその人は、状況から考えると、おそらく生徒の母親で、パーティーを抜け出してきたとしか想われなかったが、あまりにも場違いな現象に、わたしはどう解釈してよいのかわからなかった。

 我を忘れるほどだったが、かろうじてお辞儀をすると、その人もお辞儀をした。それは、その人がまるでわたしの侍女でもあるかのように遜った、それでいて気高い感じを受ける、この世のものならぬ優雅なお辞儀の仕方だった。

 わたしは、鈍感な助手仲間に注意を促した。彼女は仕事の手を休めて、わたしの見るほうを見、しばらくその方向を注視したあとで不審そうにわたしを見ると、苦笑しただけだった。次いで、塾のオーナーに注意を促したところ、目で叱られた。『何をしているの、早く、仕事をしなさい!』

 その直後に、生徒に注意をとられたということもあって、その人から目を反らした少しの間に、その人はいなくなっていた。後日、喫茶店でそのときのことを助手仲間に問い質したところ、わたしが彼女に注意を促したときのことは覚えていて、そのとき彼女には、わたしが目で示した場所には何も見えず、わたしの行動を変に思ったとのことだった。

 今にして思えば、そのとき、わたしは思想の転換期にいた。大学時代からキリスト教と、それに対峙される形でヨガやいわゆる秘教といわれてきた(門戸が一般に開かれている現在では秘教ではなくなっているのだろうが)神秘主義に惹かれてきて、どちらに行こうかと迷っていた。両者の思想にはダブるところもあるだけに、迷いは深まった。

 あるとき、神父さんたちの宿舎のある黙想の家を訪ねようとしたときのことだった。そこへ出かけるのは、何回目だっただろうか。わたしは庭の像を見ながら歩き、洗礼を受けるかどうか考えていた。そのとき、ある男性的な響きがわたしの内部で響き渡り、驚いて足を止めた。「そこでは、お前の満足は到底得られない!」と声は忠告したのだった。

 人にいえば気違いと思われるので、文章にする以外は人には話さないが、わたしにはあの世の空気と前世に関する微かな記憶があり、子供の頃から見守りを感じてきた。そのひとグループの存在から来る忠告は、小さな頃はわたしには叱責と感じられることが多かったが、次第に干渉が少なくなり、最近ではその存在をほとんど忘れている。見放されたのかと思うこともあるほどだ。

 それで、そのときの忠告もわたしには自然に感じられたのだが、臍曲がりなわたしは、その声をあからさまに無視して、黙想の家のほうへ断固として足を向けた。

 わたしの迷いはその後も深まるばかりだった。そして、卒業間際に母が倒れ、『枕許のレポート』に書いた内的な体験があった。天使か女神かと思うほどに美しい人を見たのは、そのしばらくあとのことだったから、今思えば、神智学ではいわゆる『見えざる助力者』(一般的な言葉では守護霊というべきか)といわれる存在が思想的な節目に現れて、神秘主義への門出を祝福してくれたのだろう。

 わたしはもうお亡くなりになった神智学の先生に、自分の様々なフシギ体験を話した。すると、それは不思議でも何でもないそうで、便宜上神秘主義には神秘とついているが、神智学の辞書に神秘を意味する言葉はなく、人間に解明はされてなくても、全てに科学的な原因があるという。

 尤もなことだとは思ったが、何となくつまらない気がして、相変わらずわたしは自身のフシギ体験をもとに、自分は狂人か特別な人間かという観点で揺れた。幸い先生は長生きされたので、自分を特別視したり蔑視したりする習慣は、先生の手紙で叱責されたり、意見されたり、励まされたりすることで、ほぼなくなった。

 人は凡庸なわたしを見て、ヴェイユの体験とおまえの体験は所詮違うというかもしれない。だが、わたしが見た存在とヴェイユが接した存在に、神と幽霊ほどの甚だしい隔たりはあるまいと考えている。

 こうしたことを書いたのは、ヴェイユの思想のすばらしさはすばらしさとして、一方に苦しさというか、ある限界を感じるところがあるからである。

 このところ、あまり自分の時間がとれないため、今、中途半端にヴェイユのある限界を論じるわけにはいかない。したがって、ここでは、上に書いたものをヒントとして置いておくにとどめたい。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

|

息子の誕生日には早かったけれど

 3月18日が息子の誕生日。

 少し早いとは思ったが、引っ越しでごたごたし出すだろうからと思い、水曜日に百貨店でネクタイを買って他の細々したものと一緒に郵便局から送っていた。

 朝、息子から届いたというお礼の電話があった。

 今度送ったので、何とかネクタイが3本になった。

 ネクタイに限らず、必要に迫られて普段着の黒のTシャツと黒のジーンズを買う以外はめったに衣類を自分では買おうとしないので、プレゼントを送るときは大抵衣類になる。今回、息子に何を贈るか夫と話したとき、夫もネクタイに賛成した。

 夫も自分では買わないが、ネクタイだけは腐るほど持っている。ちょこちょこ貰うからだが、特に転勤したときにごっそり貰ったものがネクタイ掛けにまだあるため。それでも夫が本当に好きな柄・色となると貰いものにはあまりないようなので、昨年の夫の誕生日はネクタイにした気がする。

 それはどうやら気に入ったようで、ネクタイ掛けのお気に入りの場所に掛かっている。

 夫も息子も自分ではなかなか買わない癖に、好みは気難しい。

 息子に送った2本目のネクタイはお洒落なシーンにもいい(あまり想像できないが、結婚披露宴に呼ばれたようなときにもいい)というニューヨーカーのドット柄を送ったのだが、そのネクタイのことを息子は忘却していた。

 今回は、1本目と同じビジネスによいレジメンタル・ストライプにした。1本目はブルーに細いシルバーの線だった。これはありふれた、最も使いやすそうなタイプ。

 3本目は、一目惚れしたセオリーのネクタイにした。セオリーのものは都会的で、素敵だ。何でも、ユニクロのファーストリテイリングが買収したそうだけれど……。

 そのネクタイ地は黒に見えたが、店員さんによると紺だという。それにシルバー。紺とシルバーの割合は近く、細いストライプ。1本目より洒落た感じだが、ビジネスにはぴったりだそうで、これなら息子も気に入りそうだと思った。

 息子の電話の声は、ドットのときの今一つのトーンとは異なり、弾んでいた。これから学会で発表だというので、「それ、していったら」というと、「そうだねー、していこうかな」といった。

 ネクタイがセオリーのものだというと、勿論息子はそのブランドについては知らなかったが、「研究室の名にセオリーが入っているよ」と、軽い興奮を覚えた風。なるほど、理論化学の研究室だから、THEORETICALというのが入っている。

「名古屋で学会があったばかりなのに、また学会なの?」と不思議に思って訊くと、今日のは自分の大学であるもので、外部向けというより、どちらかというと内輪の感じのものだそうだ。

 プレゼントの他にも、下着など送ったが、息子の好きな味噌煎餅とネギ味噌煎餅も送った。

 全部を紙袋に入れて送るつもりだったので、お菓子が潰れないように箱に入れて貰ったら、その箱が大きくてメインみたいになった。

 6年間で、送って息子にありがたがられたものは、デパ地下で買った、ちょっと上等のレトルトのお粥シリーズ。風邪などで出られないときの非常用にしておくようにといったら、言いつけを守っていたようで、風邪のときに重宝したそうだ。

 やはりレトルトもので、中村屋のカレー、シチューも美味しいと好評だった。これは風邪が幾分よくなったときの体力補充が目的で送ったものだったが、保存する間もなく、届いてすぐに平らげていた様子。

 入社して、独身寮にいる間は、朝・夕食は食堂で食事することになるから、家事はこれまでよりぐっと楽になるだろう。食堂のごはんが口に合うかどうかだが。昼食は、それ用の食事券が会社から出るようで、これはいいなと思う。

 大学に入ってから、かなりスリムになってしまった息子。少し太ってほしい。

|

2009年3月12日 (木)

メールで文字化け、妹からの電話

 サイトを持つようになってから、便利なフリーメールを利用するようになった。フリーでは現在、hotmail、Yahoo!メール、Gmailを用途に応じて使いわけている。

 サイトに表示している連絡用のメールアドレスがHotmailアドレスなので、それを見てメールをくださったかたには、Windows Live hotmailのリッチテキスト形式でメールを作成し、送信していた。

 ところが、先日送ったメールが、フォントをメイリオにしていたためか、文字化けしていたという。そこで、新しいメールを別のフォントに替えて送信してみた。が、ふと気にかかり、その別のフォントで携帯にテスト送信してみたところ、メイリオでメール作成したような注意書きをくっつけて届いたではないか。

 また文字化けして届いた可能性があると思い、再度、前に送ったメールと同じ内容(と思い込んでいた)ものを、お詫びの言葉と共に、Gmailでテキスト形式にして送信した……まではよかったが、あとで気づいたら、メモ帳からコピーしたそれは古い下書きのままの内容だった。

 これ以外にも何だか、近頃、うっかりが多い。昨日なんか、お風呂で溺死するところだった。

 わたしは長風呂ではなく、入浴に20~30分もあれば事足りる。ガシガシ、シャカシャカ、バシャバシャとあわただしく頭を洗い、体を擦り、浸かって上がるか、もう一度それを繰り返して上がるかだが、いずれにしても、湯船に長くはいない。

 それが、昨夜は、熱湯を注ぎ足しながら、うっかり眠りかけ、上がらなきゃ、上がらなきゃと思いつつも、眠くて眠くて、とろとろ、とろとろとし、熟睡しかけていた。

 夫がわたしを呼びに来て、はっと目が覚めたのだった。湯が顎まで来ていて、驚いた。体はゆでダコに似たものとなっていて、下手をすれば、お風呂で溺死するところだった!

 これは笑い事ではない。知り合いのお母様が湯船で亡くなったのだ。

 熱湯を注ぎ足しながら湯に浸かっているときに、心臓発作を起こしたと推定されたらしい。ひどく火傷した状態で発見されたそうだ。わたしも下手をすれば、そうなっていたかもしれない。

 さすがに姉妹で、妹のうっかりが、うっかり屋の姉の溺死を救ったのだった。

 妹は、地裁から届いた特別送達の内容をよく確かめず、第2回口頭弁論の期日が変更になったことを知らなかった。それで、時間がないと思い込み、徹夜してでも準備書面を仕上げるつもりで、電話をかけて来たのだった。

 このそれぞれに頼りない姉妹が、幼い頃からどんなに助け合って、留守がちの両親の家を守っていたかを当の両親は意識したことさえなかっただろう。子供の必死の頑張りなくしては、両親の不在は埋められないのだ。

 父の仕打ちは、今回のことだけではない。今回のことは、まともではなくなっているところから来ているので、仕方がないが。

 しかしながら、この裁判沙汰で、わたしたちには、昔の姉妹間の絶対的な信頼感が思い出され、この裁判をうまく乗り切り、その先のことも頑張ろうとの意欲と労わりが互いの胸のうちで芽生えてきたようだ。

 これまでは互いの家庭のことで忙しくて、姉妹間のコミュニケーションさえ乏しくなってしまっていたのだった。いくら親しいといっても、意識的なコミュニケーションは必要だと再認識した。

|

2009年3月11日 (水)

脳神経外科受診

CTで、額と後頭部の腫瘤は手術前より大きくなっていましたが、この程度の変化なら、様子をみていてよいそうです。
被曝の心配があるので、次回の受診は半年後か、変わったことがなければ、1年後でもいいとのことでした。

それから、耳の後ろの凸は骨ではありませんでした。脂肪だと写らないそうですが、しっかり写っていました。筋肉性の何かだろうということです。筋肉性の何か……?
「腫瘍でしょうか?」と訊くと、「1週間で画像診断が出るから、内科か整形外科に来たときに聞きに来て」と先生。
この耳の後ろの凸は、手術前のCTでは影も形もなかったものです。

また、こんなことがありました。
「先で額の腫瘤を摘出するような場合は、ここではなく……」と先生がいいかけられたので、そうでしょうね、ここでじゃ額がひしゃげてしまうわね、形成外科でないと……と心の中でつぶやいたら、先生は、
「ここじゃなく、整形……美容整形とかで」とおっしゃるではありませんか!
わたしは呆気にとられると口がきけなくなるので、問い返し損ないました。

次回……半年後か1年後かには、確認をとりたいと思います。もし同じ回答であれば、医師を替えます。聞き間違いであればよいのですが。

いっそ早めに、額の腫瘤を形成外科で診て貰おうかしら。いずれ目立ってくることは間違いないと思うので、早いうちから形成外科医に確認しておいたほうがよい気もします。そのときは、几帳面な内科のU先生に紹介状を書いて貰いたいのですが、脳神経外科のK先生にお願いすべきでしょうか? そして美容整形に紹介され、がっぽりとられたりしてね。もし聞き間違いだったら、こんな黒いジョークを綴ってしまってすみません。

そういえば、過日、U先生から別の先生に替わる夢を見ました。信頼している先生なので、正夢にならなければいいなと思います。

それにしても、今日は気温のせいか、だるくてだるくて。買い物よして、タクシーで帰ろうかしら。

| | コメント (0)

2009年3月10日 (火)

ありがたい文芸部OBとの交際

 文芸部時代の先輩と最近になって交際が復活したことを、過去記事で書きました。偶然にも、同じ頃、かなり後輩でお顔も知らないままに、彼が大学生だった頃、作品のやりとりがあったKくんとの交際も復活しました。

 いずれもネットを通じての再交際であることを思えば、ネット社会の恩恵を感じます。わたしは魚座ですが、インターネットは12室にある魚座の管轄領域ですから、ネットの恩恵を受けやすい生まれといえます。

 ネットを通じて作品も読んでいただけ、これがなければ今頃は創作の砂漠地帯で渇きのあまり野垂れ死にしていたかもしれません。ネットには恩恵ばかりではなく、危険な面もありますが、専業主婦のわたしのような自力では狭い世界を拡げにくかった人間にとっては、思ってもみなかった人生における新局面でした。

 そのありがたみも薄れつつあったこの頃でしたが、本当に感謝しなければいけないと感じています。

 で、何をそれほど感激しているかというと、ねだった甲斐があって、先輩の短編2編を拝読したことが第一の理由です。

 正直いって、最近になって創作を再開したという先輩でしたから、急によい作品を書くのは無理だろう、お手並み拝見……とばかりに高を括っていたのですね(生意気な後輩ですよね、すみません)。

 それが、読み出していくらもしないうちに、ああ……と目から鱗が落ちた思いでした。何て汚れのない作品だろうと感じました。それは、自分でも気づかないうちに、その危険性は充分認識していながら、如何に自身が賞をゲットしたい、プロになりたいという我欲に毒されていたのかがはっきりとわかるような汚れのなさ、綺麗さでした。

 砂漠で野垂れ死に寸前の人間がオアシスに辿り着いたような心境で、おなかいっぱい、作品を通してもたらされる新鮮な水を飲みました。昔、文芸部に入部したばかりの頃に、文学の真の味わいを知らされた気がしたときの感動がよみがえりました。

 尤も、わたしは文句の多い人間ですから、感想にはいろいろと書きました(ずいぶん的外れなことも書いた気がします)。ですが、そのようなことは実は些細なことで、文学の根本にはこの汚れのなさが絶対的に必要だと再認識させられたという点で、わたしには忘れがたい2編となることでしょう。

 おまけに現在わたしがはまり込んでいる裁判についても、貴重なアドバイス、情報をいただき、とても参考になりました。さすがは先輩ですね!

 感激の第二の理由は、後輩からいただいたメールでした。2年越しでとり組んでいる作品があると書かれていましたが、文面から昔と変わらぬ瑞々しい意欲が伝わってきて、楽しい刺激をもたらされました。

創作…何と申しますか、最近独自のテキトーな文学観が形成されつつあり、
昔はよく、日常(例えば仕事とか生活とか)に創作が飲み込まれるかどうかという論点で考えていたのですが、
近頃は、文学が日常を飲み込んでしまったなぁ・・・と思います。
なんだそりゃ。。
という感じですが、要するに仕事をやるのも、家族と過ごすのも、皆文学活動の一環としてやっています(笑)。

 と彼はユーモラスに書いていますが、この姿勢こそ文学の神髄ではないでしょうか。同じようなことを考えていても、わたしの硬直した姿勢とは異なり、彼の大らかな姿勢には、これもまた目から鱗が落ちるような思いがしました(あ、勝手な引用でごめんなさいね、Kくん)。

|

2009年3月 9日 (月)

シャネルのアイシャドウ~!

20090309192423 20090309192707_3 娘が誕生日のお祝いに買ってくれたシャネルのアイシャドウです。

 これまではパープル系を控えめに使うことが多かったのですが、最近少し浮く気がしていました。

  51歳という年齢。はっきりいって、病人の顔色をしていることもありますし。

 そこで、ブウラン系をセレクト。 自然でシックな感じ。気に入りました、とっても。

当ブログのおすすめ記事:ポール・モラン著「シャネル―人生を語る」を読む

|

脳神経外科の予約

 2月か3月に脳神経外科の予約をとるようにとの先生の言葉だったが、もう既に3月。外来に電話を入れたところ、水曜日に受診することになった。

 左こめかみに新しい種瘤ができかかっている気がしたが、思い過ごしだったようだ。頭蓋骨に目立った変化はないように思う。

 額の種瘤は、触ると、しっかりしたものに育ってきてはいるが、見た目にはわからない。レントゲンには写る後頭部の種瘤は、わたしにはどこにあるのかさえわからない。右耳の後ろの種瘤は新しいもので、昨年のある時期に急に大きくなり、ぞっとしたが、その後はほとんど変化がない。

 両膝周辺のいくつかの凸も、その中に骨腫瘍が混じっているのかどうか、もう一つわからないところではあるけれど、今気にかかるのはそれよりも両膝と股関節の不安定さだ。でも、その改善には手術しかないとすれば、当面のところ放置するしかなく、経過観察して貰うしかないだろう。 

|

息子に電話

 昨夜、息子に電話をしました。

 学会のことや引っ越しについて聞きたかったからでした。

 学会は、可もなく不可もなし、といったところだったようです。アメリカの雑誌に息子の論文が掲載されたら、記念にコピーを送ってほしいといいました。息子の名前で掲載されるそうです。

 6年間学生生活を送った街には、名残惜しいものがあるようで、一昨日は大阪の大学院に進んだ友人の一人に会いに行き(彼は半年繰り上げて既にドクターコースに進んでいるという話です)、今日は同じ大学院の友人と倉敷に遊びに行くとか。もう少しあとには、四国の金比羅さんへ研究室の皆で遠足に行くそうです。

 父親との確執のある息子にとって、父親代わりともいえた教授とのお別れには寂しいものがあるのではないかと思いますが、就職してからも、学会に行きたいといえば行かせて貰えるのではないかと思うので、その折にお目にかかれる機会があるかもしれないといっていました。

 一緒にお酒を飲んだりもしているようです。

 そういえば、同じ研究室の後輩に、教授の京大時代の知り合いからたまたま話がきて、わたしでも知っている某メーカーに男子学生の一人はすんなり決まったとか。その学生はドクターに行く予定だったそうですが、就職することにしたのだそうです。もう一人就活中の学生がいるのですけれど、そこへは興味がわかなかったということです。

 こんなものなのですね。

 息子は下旬に引っ越し。寮に入居するまでの数日間は、今の街か東京かでホテル暮らしになるようです。

 そして入社、研修と続き、秋頃に配属先が決まって、東京であればそのまま研修時と同じ寮、大阪であれば引っ越しです。どちらに決まるにせよ、それぞれの土地に友人たちがいます。

 親の目から見れば、まだ子供っぽいところがある気がして、いろいろと気にかかりますが、本人も新生活に向けて、いろいろと考えるところがあるようです。

 息子が東京で入る寮のある街にはわたしの友人が住んでいるので、どんな街か訊いてみたいと思っています。同じ区といっても、広いでしょうけれど。 

|

ブログパーツ『KiTT』

 ブログパーツ『KiTT』を左サイドバーにつけてみました。

 ブログパーツをつけると、どうしても重くなってしまうので、すぐに外すかもしれませんが、解析結果を見ていると、結構面白いです。

 動いている人物画像をクリックしていただくと、当ブログの内容を解析したページへ飛ぶことができます。

「このブログからは尊敬の思いを時折感じます。話題に関しては本みたいなことを書いているようです。」だそうです。 

 バイオリズムでは、最近が最悪で、「やな思いをしている感じ」「疲労感」。当たっていますね。

 もう少しご紹介してみますと……以下は、折り畳んで。

続きを読む "ブログパーツ『KiTT』"

|

2009年3月 8日 (日)

舌下錠は使いましたが…

20090308114442  今頃(15:00近く)になって、記事を書いていますが、朝使ったニトロ舌下錠の殻です。

 狭心症というより心不全の症状にも効くのではないかと思い、使いました。今の時点では、薬のお蔭か安静? のお蔭かはわかりませんが、まあまあかな。だるいし、何となく手脚、まぶたも腫れぼったい気がするのですが、胸の不安定感はかなり改善。

 早朝、喉のずっと奥のほう(胸ということになります)が不安定な感じで、ゼイゼイと音はしないのですが、その雰囲気があり、洗面所で血痰を吐きました。

 以前の話になりますけれど、台風被害に遭った夜、胸がゼイゼイし、横になると息がとまりそうで、泡立つような血痰があとからあとから出てきてペーパーに吐くのに忙しく、ひどく苦しい思いをしました。当時の主治医M先生によると、それは鬱血性心不全の症状だということでした。

 そのときに比べると、今朝のは軽いのですが、いくらかその症状が出ていたのではないかと思います。

 心不全に使われる薬のうちのベータ・ブロッカー、硝酸イソソルビド、ニトログリセリンに当てはまる薬は飲んでいますが、インデラルは心不全に使われるベータ・ブロッカーとは成分が違うようですし、「硝酸イソソルビドには一硝酸イソソルビドと二硝酸イソソルビドがあり、単に一般名で硝酸イソソルビドといった場合は後者を指す」とウィキペディアにあり、アイトロールは一硝酸イソソルビド。

 でも、ニトロペンの成分は間違いなくニトログリセリンです。心不全の症状に効くのではないかと考えました。今かかっている循環器クリニックの先生は、どこか具合が悪くなったときはニトロペンを使ってみるようにとおっしゃるので、いずれにしても使って悪いことはないと思いました。

 頻脈のために、常にごく軽い心不全の症状はあるのだと思いますが、どうかしたことで、それがいくらか強く出てくることがあるようです。このところ、何となくパトラッシュ(わたしの心臓の愛称)の元気がなく、体が腫れぼったい気がします。

 高血圧は心不全を悪化させるようです。今朝の症状が、裁判が延びたことで立腹したツケというわけではないでしょうけれど。

 メルクマニュアル医学百科に、心不全についてわかりやすく解説してありました。

 以下に、自分に必要のありそうなところだけ抜粋しておきたいと思います。興味がおありのかたは上記ホームをご訪問ください。 

続きを読む "舌下錠は使いましたが…"

|

2009年3月 7日 (土)

お知らせ:ホームページのサイドバーに『Diary過去ログ1』『ひとこと』を設置

 ホームページ『バルザックの女弟子になりたい!』に関するお知らせです。

 このところ放置しがちなホームページが気にかかり、全体の更新情報Diaryと現在読める作品情報Informationに『すみれ色の帽子』の更新記録がないことに気づき、Diaryに書き込もうとしたところ、日記ツールの容量不足で書き込めませんでした。そこで、『Diary過去ログ1』にこれまでの記録を移すことにしました。サイドバーのDiaryの下から飛べるようにしています。

 また、ホームページに関してお伝えしたいことがあるときに書き込む『ひとことhttp://d.hatena.ne.jp/madame-nn/』をサイドバーに設置しました。

 ココログブログ「マダムNの覚書」セレクションⅠ2006年の収録が済み、舞台裏で2007年の収録作業を進めているところですが、なかなか時間がとれませんで、もう少しかかりそうです。小説『銀の潮』『救われなかった男の物語』の収録も途中ですが、気長にお待ちくださいませ。 

|

2009年3月 6日 (金)

ありつけなかったウェルカムコーヒー

 第2回口頭弁論の期日が変更になったので、コンフォートホテルに予約し直そうとしたところ、何と喫煙タイプしか残っていなかった!

 喘息のわたしは避けたほうが無難。安く泊まれても、喘息で救急車で病院に直行なんてことになればホテルに迷惑がかかるし、お金だって飛ぶ。娘も煙草の臭いは嫌いだ。

 今回はウェルカムコーヒーにはありつけない定めだったと諦め、ホテルルートインに予約した。ここも口コミから清潔という点では、安心できそうだったので。

 禁煙コンフォートツイン〔2週間前10%OFF〕を予約した。大人2人で10,350円。

 コンフォートというのがまぎらわしいが、これはホテルルートインのコンフォートタイプの部屋という意味。コンフォートホテルの大人2人8,200円より少し高くなるが、まあ仕方がない。

 朝、この期日変更の件でなぜか無性に腹が立ち、今回の裁判沙汰に対する怒りが一気に募ってくらくらし、具合が悪くなって、夕方近くまで寝ていた。血圧が急上昇したのだと思う。

 父夫婦はまともではないのだから、それこそ仕方のない話であって、こんな馬鹿げた憤りかたはよそうと思いつつ、どうにも気持ちが鎮まらなかった。たぶん長年の鬱積したものが一気に迸ったのだろう。

 脳出血を起こさずに、裁判の勝利まで無事にこぎつけたいものだ。

 そういえば、息子は今日、名古屋で学会だったはずだ。発表するといっていたが、息子のマスター生活最後を飾る学会での発表はうまくいったのだろうか。

|

ムカッとくる期日変更

ムカッとくる期日変更

地裁から特別送達。裁判所からの郵便物を持ってくるとき、配達員は決まって神妙なお顔。物々しさが漂っているものね、何事で裁判だろうと思うわよね……

期日変更のお知らせで、出頭の日が延びたのだった。腹が立つ、予定が総崩れではないか!

これが同じ被告仲間による都合が反映したのだとすると、仕方がないと思うが、もし期日変更の原因が父夫婦だとすると許せない。

すぐにホテルの予約をキャンセルしたが、コンフォートホテルのありがたいところは、当日20時以前のキャンセルは、キャンセル料がかからないところだ(今後もこんなことが起きる可能性大なので、念のためにホテルに電話確認した)。

仕事を持っている人は、わたし以上に困ったり、ムッときたりしていることだろう。

脳神経外科の予約を口頭弁論日以降にとるつもりだったが、それ以前にとることにしよう。

確実に血圧が上がった。裁判は長期戦となる確率が高いから、初っ端から短気を起こしていては始まらないが、短気な性分はそう簡単には治りそうもない。

|

2009年3月 5日 (木)

ニトロペンダント~!

20090305135543

 注文していたニトロペンダント……くすり携帯ペンダントケースシンコハンガー株式会社〕。

 写真は3錠入れた状態です。楽々入ります。「シリコンパッキンを使用していますので、日常的な水しぶきや汗を気にせず、いつも身に着けておけます」とありました。

 軽くて、体の負担にならずに済みそうです。試しに、まる一日つけてみます。

20090305134057_4

「ボールチェーン(約70cm)は取り外しができますので、お好みのチェーンやストラップ(太さ4.0mm以内)と取り替えることができます」とあるので、そのうち好みのものと取り替えるかもしれません。

 アマゾンさんからだと、お安く買えるみたいですよ。こちらのページにありました。

 3錠も入るペンダントをつけていると、安心できそうです。さあ、どんどんいらっしゃいという太っ腹になった気持ち。サバイバルですものね、この病気って。ぬかりなく対処しましょう!

| | トラックバック (0)

真夜中に目覚め、現在の健康状態と今後の創作について若干

 このところ、横になっていても(どうかすると、横になるとよけいに)、呼吸が苦しかったりしたが、昨日から今日――まだ真夜中だけれど――にかけて、仰向けになっても気持ちがよくて、すばらしかった。

 胸からの圧迫感も、腹部から? の圧迫感も全然感じられず、元気いっぱいという感じで横になっていられた。こうして起きていると、若干胸の圧迫感を感じ出すが、小旅行の疲れがようやくとれたという感じだ。

 石かと思われた痛みは、前の記事のあと、起きていない。 

 今日はさすがに買い物に出なければならない。料理用のワイン、エルダーフラワーなどは自分で買いたいし、休日の娘が誕生日の前からシャネルのアイシャドウを買ってくれるといっていたので、できればそれも済ませたい。

 シャネルの店員さん、感じがよいので、アイシャドウのつけかたを教わりたいのだが、どういうわけか、このところずっとまぶたが腫れている。これまではどんなに寝ようが、まぶたが腫れるなんてことはなかったのに、いつも腫れている。少しましになった気はしているが、それでもまぶたが重く感じる。

 少し鼻がぐずくずしているので、花粉症かもしれない。アレルギーからまぶたが腫れているのかも……? この腫れたまぶたで習うのは、気が重いなあ。

 とここまで書いて気になり、ネット検索してみたところ、やはりアレルギーが原因でまぶたが腫れることは多いようだ。他に眼の病気や、「 痛みの無い、両方のまぶたの腫れなら、心臓病や腎臓病も疑う必要があります」と書かれている眼科のサイトもあった。

 わたしの場合、心臓病は疑うまでもないので、そのせいかもしれないが、急にまぶたが腫れるようになったのだから、アレルギーの可能性が高いのではないかしら。

 せっかくよくなった体調が今日買い物に行けば、また少し崩れ、裁判のための小旅行でがくっと崩れ、それを立て直すのに、半月かかり……まともに使える日はひと月のうち何日残るのだろうか。

 体調が悪くても準備書面は書けるが、小説や本格的なエッセーとなるとちょっと苦しい。小説は裁判が終わるまで難しいかもしれない。1~2年も続いたら、それこそわたしは父夫婦を呪ってしまうかもしれない。

 1~2年も本格的な創作から遠ざかるわけにはいかないので、次回の裁判後に、今後の創作計画を練り直そう。

 同人雑誌の仲間が大きな賞に輝いたことで、わたしはその賞とは縁がないとはっきりとわかった。彼はずいぶん傾向を研究し対策を重ね、賞に恭順の姿勢を貫いた。その成果が出たのだ。彼が培った実力があれば、出版社のどんな注文にも応じられるだろう。仲間として、心から成功を祈っている。

 そのような努力はわたしにはできない。わがままで、自分勝手な書きかたしかできないのだ。純文学で世に出るのは、今度こそ完全に諦めた。それでも、例の死者と生者が出てくる神秘主義的な短編小説は仕上げたい。児童文学作品を完成させたい。

 準備書面を来週提出したら、そのあと裁判の日まで数日空く。ここに、同人雑誌に送る原稿の改稿(村上春樹に関する例のエッセー)を持ってきたい。裁判後にも、5日間はほしい。その原稿が済めば、今後の創作に関する計画を練るとしよう。

 児童文学作品の舞台へ取材に行けないなら、別の舞台を持ってくることも考えなければならない。でも、やっぱり鍾乳洞にしたいなあ。イメージを重ねてきたから、頭の中には出来上がったものがあるのだ。ほしいのは、取材を通した実感。それはどうしても、あの鍾乳洞の空気、感触を通してでないと、本物のエッセンスとはならない。

 以前出かけたときの古びた記憶では、掻き立てられるものがないのだ。裁判の期間中に何とか決行しようか?

 その『不思議な接着剤』に登場する子供たちの一人、瞳が『すみれ色の帽子』で生き生きとし出したのはいいが、下手をすれば、『不思議な接着剤』の瞳から遊離するかもしれない。『接着剤』を深めるために『すみれ』は存在するのであって、そのような逸脱をわたしは一番恐れる。

 すみれ』に新しい章をプラスするときは、必ず『接着剤』を読み返してそこから出発するようにしよう。

 とりあえずは、取材に行かずに書ける短編だ。綿密な再計画は、裁判のあと、同人雑誌に原稿を送ったあとで。

 そういえば昨日、調剤薬局から電話がかかり、ニトロのペンダントが届いた由。問屋さん経由で手に入れることができたそうで、従って送料は無料とのこと。1,860円だそうだ。夫も今日は休みなので、これは夫にとりに行って貰おう。

|

2009年3月 4日 (水)

石みたいです

 腰に響く痛みが出たりしたので、左下腹部の痛みは、結石ではないかと思います。現在はどちらの痛みもありませんが、石が出て行ってくれたかどうかは不明。
石だとすると、大した心配もいらないかと思いますが、一応警戒中です。

|

お腹が痛い/ ウェルカムコーヒー

昨日の体調は良好でした。夕方からお腹が少し痛くなったことを除けば……
生理がほとんど終わったところで、変な時期に生理痛かしらと思ったのですが。
左下腹で、食事とは関係なさそうだから、石か婦人科系でしょうか?
寝たら治るかもしれないと思い、夕飯後に寝て2:00に目が覚めました。まだ痛い。
我慢できない痛みではありませんが、持続的な痛みというのは神経にこたえますよね。
循環器クリニックの先生が、大事なものは右に集まっているので、左なら心配ないとおっしゃっていましたが、心配ありませんかね?

ところで、そろそろ次回の口頭弁論のために、ホテルを予約しておこうと思い、JTBでは裁判所のある街の駅近くは選択肢が少なすぎたので、ネット検索して、コンフォートホテルを予約してみました。楽しむための旅行ではないので安く抑えたいけれど、不潔なホテルだけは我慢できません(朝ご飯はどうだっていい)。口コミではその点は期待できそうなので、チャレンジ。

7日前までの予約プランですと、大人2人1部屋[2ベッド]で、一人朝食込4,100円(第2回口頭弁論にも娘が同行してくれることになりました)。
この安さだと、失敗しても気分的に回復が早いでしょう。ビジネスマンのためにリポートします。ウェルカムコーヒーがあるんですって!
実は前回ネット検索したときから、このウェルカムコーヒーというのを飲んでみたくて飲んでみたくて。結局竹下のモンブランにしたんですけれど。

う…J'ai mal(>_<)

|

2009年3月 3日 (火)

雛祭り雑感(杉田久女の句をご紹介)

 雛祭りに寄せて、大学の文芸部時代のⅠ先輩が、奥様とそのお母様が手作りなさったというお雛さまの写真を送ってくださいました。

 よくできていて、感心しました。草の上に置かれたお雛さま、素敵でした。

 Ⅰ先輩は1学年上の先輩なのですが、最近になって偶然、ネット検索時にわたしのブログにご訪問くださり、メールをいただいて以来の交流の再会でした。

 たぶん、後輩の乱調気味のブログには驚かれたことと思いますが、何かと気にかけていただいてありがとうございます。さすが幹事をしていただけあって、面倒見がよいですね、先輩! この場から改めて、御礼を申し上げます。

 51歳になっていても、先輩からメールをいただきますとね、すっかり大学時代の気分に戻っちゃいますよ。

 Ⅰ先輩は、奥様の了解を得て、創作を再開なさったということです。本気ですね! 歴史小説に中心を据えて書き始めた旨伺い、わたしと興味の共通する嬉しさがありました。

 刺激しあい、高めあいながら、互いによいものを完成できるのではないかと思います。これからも、よろしくお願いします。

 話を雛祭りに戻しますと、手作りのよさを感じさせるⅠ先輩の奥様とそのお母様のお雛さまには、心温まるばかりです。しかしながら、雛祭りというと、わたしは微妙な気持ちになるのが常でした。歳時記などを見ても、何とはなしに寂しさを感じさせる句が案外あるように思います。なかには、

闇のなか髪ふり乱す雛もあれ 〔桂信子〕

という怖い句もあったりして…… 

 御祓いのための流し雛が起源というところから、そんなムードを引き摺っているのでしょうか。あるいは、結婚に関するクラシカルな概念を含んだ伝統というものの重み。そこにひそむ雅やかさと瘴気。世俗の観点から見れば、雛祭りという行事には商売の絡んだ金の力が跳躍する一面もあります。

 源氏物語も連想されます。光源氏の手によって、後ろ盾に乏しい貧困気味の境遇から救い出された紫の上でしたが、新しい環境にまだ怯えているなかで、源氏が一緒に雛遊びをしてあげる場面は印象的です。

 今年も、わが家はお雛さまを飾らずじまい。仕事で忙しい娘も、忘れ気味。来年は飾ってあげなければ。亡き母が、当時はまだ赤ん坊だった娘に似ているからと選んでくれていた、真多呂のお雛さま。里帰りしていたわたしはそのお雛さまを、母の死期を予感しながら、道々泣き泣き、玩具屋にとりに行きました。

 娘時代はそれこそ、自分の命を捧げてもいいと思うほど母が好きだったのに、その母を殺したなんて、実の父から、いくらボケているとはいえ、いわれ、裁判でもあれこれ苛まれ、ああ何という壊滅的な今年の雛祭り。

 ただ、わたしは行事に先駆けて、自作の児童文学作品『すみれ色の帽子』に「ひな祭り」という小品を追加していました。自身がつくり出した瞳という名の少女のクールな感性に救われた今年の雛祭りでもありました。

 この雛祭りに、大好きな杉田久女の雛の句をご紹介して、この雑感を終わりたいと思います。

大江戸の雛なつかしむ句会かな
雛菓子に足投げ出せる人形たち
手より手にめで見る人形宵節句
ほゝ笑めば簪(かんざし)のびらや雛の客
幕垂れて玉座くらさや雨の雛
函を出て寄り添ふ雛の御契り
古雛や花のみ衣(けし)の青丹美し
雛愛しわが黒髪をきりて植ゑ
古雛や華やかならず﨟たけれ
髪そぎて﨟たく老いし雛かな
古りつつも雛の眉引匂やかに
紙雛のをみな倒れておはしけり
雛市に見とれて母に遅れがち
雛買うて疲れし母娘食堂へ
瓔珞揺れて雛顔暗し蔵座敷
雛の麻色紙張りまぜ広襖

――杉田久女――

|

近藤くん、おめでとうございます!

 応募できなかったけれど、ふと三十九回九州芸術祭文学賞の結果が気になってネット検索したところ、近藤(勲公)くんが最優秀作に選ばれたとのことでした。

 わあ、すごいな! おめでとうございます。このまま芥川賞もゲットしてください。

 こうなると、『日田文学』が休刊になるのは惜しくはありませんか?  わたしは一生賞には縁がなさそうだけれど、ホームグラウンド的な発表の場は切にほしいです。

 それにしても、発表を1月も知らずにいたなんて、相当ぼけているようです。

|

2009年3月 2日 (月)

花よりだんご〜!

花よりだんご〜!
今日食べるか明日食べるか、迷っています。

| | コメント (0)

財産をめぐる争いに殉じた老婦人を高雅に描くローデンバックの『肖像の一生』(ちくま文庫)

 思ってもみなかった裁判沙汰に巻き込まれて、戦慄と惑乱の日々? ですが、こんなときに慰めとなってくれるのはこの種のテーマを扱った薫り高い文学作品です。

 かつて味わった作品を所々拾い読みするだけで、母の胸に抱かれたような安らぎを覚えるのです。バルザックの諸作品にはそのようなものが多く含まれていますが、今日ご紹介したいのは、過去記事で名を出したことのあるベルギーの作家ローデンバックの『肖像の一生』〔ローデンバック集成、高橋洋一、ちくま文庫、2005年〕です。

 《骨肉の争い》というには、あまりにも高雅な老婦人を包含する、財産をめぐる死闘を描いた短編小説です。老婦人が孫に代わって財産を守り抜く物語と要約しておきます。

 引用を挟みながら、あらすじをご紹介しましょう。

 ドゥボネール夫人は若くして未亡人になります。ノートル・ダムの教会堂で祈ることが彼女の心の支えとなりますが、ほどなくして夫の不在を埋めるかのように誕生した娘クリティの成長が悦びとなりました。

 しかし、その悦びもつかのまのことでした。すらりとした乙女に成長したクリティが、激情型の軍人に初々しい一途な恋心を抱いて結婚してしまったからでした。夫人にとっては賛成できない結婚でした。

 娘が、いわば夫人の愛情から盗み出されるようにして、彼女のもとを去ったとき、可哀そうなドゥボネール夫人は、一層はっきりと未亡人であり、子供もいなくなった我が身を自覚した。なんという孤独。しかも、愛着を抱き、心からの愛情を注いだその後に、自分の家の中だけでなく、自分の心の中でもひとりぼっちになってしまうとは。贅沢を知っていただけに、貧窮と零落ほど物悲しいものはなかった。幸福を知り、家庭をもっていたならば、孤独ほど最悪なものが何かあるだろうか?
 ドゥボネール夫人の孤独は極まっていた。閑散とした屋敷で、彼女はクリティを求めて、その思い出が蘇り、その死の時が、娘の旅立った現在という時と重なり合う亡き夫の面影求めて、部屋から部屋へと渡り歩いた。クリティも彼女にとっては死んだも同然だった。そして、死者のすべてが、永遠の中では同じ年齢をもっている。不在者はすべて、不在ということからすれば、同じ領域内にいる。

 夫を亡くしたときと同じように、今度も夫人は信仰に救いを求めますが、ひとりとなった今、彼女はペギン会修道女となり、院長の地位にまで昇りつめるのです。ところが、クリティの婿が、気質も、金遣いも荒い男の正体を見せ始め、妻の持参金を使い果たしてしまうと、姑のお金をせびるようになるのでした。

 ドゥボネール夫人は、婿の要求を拒否しました。それは孫に残すべき財産だったからでした。やがて、クリティは報われない結婚生活にやつれて死んでしまいます。

 当然ながら痛手を負ったドゥボネール夫人でしたが、クリティの形見である孫たちを引きとる決心をし、ヴェールを脱ぎ捨て、再び俗世間の人となりました。孫のローズは婿似、ブランシュは亡き娘に瓜ふたつでした。夫人は、ローズが婿と同じ気質になりはしないかと、孫のほんのささいな気短さにも怯えますが、子供たちはすくすくと祖母の傍らで育っていきました。

 そんなとき、長く不在だった婿が、わが子との面会を求めてきます。その面会の場面は圧巻です。婿である男性の気質がよく表現されており、ローデンバックの優れた人物描写が一際光彩を放っている箇所ではないでしょうか。

 大佐はついにやって来た。彼は、ホテルのその部屋へ、だし抜けに入って来た。彼は、普段着を着て、老けこみ、すでに髪には白いものがちらほらとしていた。彼は、ドゥボネール夫人に、冷やかな挨拶をして、幼い娘たちの方に顔を向けた。
「その変な格好は、どうしたのかね」

 小さな娘たちは、頬を赤らめた。祖母は、彼女たちが、初めての聖体拝受を終えたばかりだと説明しようとした。
「さあ、お前たちのつけているそのヴェールをとりなさい」と大佐は言った。そして、彼は、近づき、軍隊の兵士を扱うように、二人を事細かに観察し始め、さらに一人ずつその姿をじっと見つめた。
 ドゥボネール夫人は、震え上がった。
 彼は、自分自身とローズがあまりにも似ていることに心打たれて、とりわけ彼女をじっと見つめた。彼女の黒い髪、鋭く通った鼻筋、つんと澄ました横顔やらが。
「この子は、確かにわたしの娘だ。私には分る」と彼は言った。「しかし、もう一人の子はどうだろうか……」
 そして、彼は、そっけなく、疑い深い様子で、年下のブランシュを見つめた。ドゥボネール夫人は、大佐が彼女の誕生について、まだ純潔で無垢な処女だった哀れなクリティについて信用できないといったことをほのめかしているのだと思って、内心ぞっとした……。
 大佐は、今や、快活な様子で微笑んでいた。
「この小さなブランシュも不器量ではないが、どうも私の本当の娘らしくないな」
 とても親切で優しく、立派で金モールに飾られた父親を期待していた二人の子供たちは、このように手荒な扱いを受けて、泣き出してしまった。 

 わが子を前に、まるで生体解剖でもするような大佐の視線はどうでしょう。聖体拝受を終えたばかりで、二本の聖なる白百合のようになったローズとブランシュ――神聖不可侵のヴェールに包まれた孫たち――を婿に見せたかったドゥボネール夫人でしたが、彼女の価値観は通じませんでした。

 彼の気質はクリティを死に追い遣ったときと同じ気質であり、金遣いの荒さにも変わりがありませんでした。祖母の警戒心は、嫌でも嵩じずにはいられません。

 ドゥボネール夫人は、年をとってきた。彼女の健康は、あまりにも激しい苦悩のせいで悪化していた。密かな不安が、絶えず夫人の心の中を占めていた。もしローズとブランシュが成人に達しないうちに夫人が死んでしまえば、この娘たちは、父親にそばに戻るように無理強いされることだろう。そんなときに、一体誰が知りえようか。彼女たちの存在そのものが保証している心の平穏さという財産、父親が奪い取り、少なくともいつも借金を負い不安定な彼の金銭状態を清算するためにその一部を使ってしまうかもしれない財産のことを。いけない! そんなことがあっていいはずはなかった。ドゥボネール夫人は心を緊張させた。神ご自身さえ、そんな不幸は、望まれていないはずだった。神は、その御意の瞬間まで、二人が成人する年齢までは、夫人を生かしておいてくださるだろう。

 二十歳になってしまえば、安全なのでした。法律が孫たちの財産を、それを奪おうとする肉親から守ってくれるからです。

彼女は、彼のことしか頭になかった。彼女には、金を手に入れるために彼が仕かけて来た言い争いや数々の暴力、物静かなペギン修道院のあの応接室のテーブルを彼がサーベルで叩いたあの瞬間以来、彼について、ほとんど恐怖心とも言える固定観念がつきまとっていた。死の迫り来るのを感じ取っている今となって、またしてもドゥボネール夫人には、無礼にも彼が一方的に帰ってくるのではないかという恐れ、近づいている財産相続を狙って、夫人から娘たちを奪い返そうと彼がだし抜けにやって来るという恐れだけがあった。
 子供たちが成人するその瞬間まで彼女が生き長らえればよいのだが。しかし、誰に死を引き延ばすなどということができようか。自分が墓に納まる日を遠ざけようなどという大それたことを誰が思うであろうか?  ドゥボネール夫人は断固としてそれを望んだ。彼女は、しっかりと祈った。昔かたぎのペギン会修道女としての信仰心が、再び彼女に蘇った。

 そして、夫人は二人の孫たちの成人まで生き延びるという偉業を果たします。案の定、ドゥボネール夫人の死を聞きつけて婿がやってきますが、そのときはもう遅かったのでした。

 その翌々日、祖母の死亡を友だちから知らされていた大佐が、やって来た。今度こそ、彼は、一家の主として家に入ってきて、自分の家同然に、その住まいに落ち着こうとした。命令口調で、彼は、娘たちに出発を急がねばならないこと、家財道具を運び出してもらわなくてはならないことやらを話した。しかし、ローズとブランシュは、二人同時にまるで同じ声で話しているように、自分たちはどこにもついていかないと宣言した。
「私たちは、よく知りあっているじゃないか」。父親はいらいらして言った。
「全然知らないわ」。ローズが答えた。「私たち、おばあちゃまと約束したんですもの」
 そして、ブランシュも、小声で言った。「そうよ私も成人したの。私たちは、二人してこの家にいると誓ったのですもの」
 大佐は、はっとして、頭の中で計算してみた。本当だ。ブランシュも成人に達していた。自分の子供の誕生日もほとんど忘れていた。罪深く哀れな父親。その通り。今では、二人っきりで、何をしようが自由だった。

 少し物語を遡りますが、今や死のうとするドゥボネール夫人に残る幾ばくかの不安や恐怖、それを抱擁する大いなる歓喜……といったものを、ローデンバックは夫人と一体化したかのような生々しさで描いています。軽みが荘重さに溶解したような、絶妙なタッチです。

 感激が強すぎたのか。はたまた、ぎりぎりの猶予、一風変わった延命を与えられていたのに過ぎなかったのか。その日の半ばごろ、彼女は苦しみ出した。彼女は、午後になって、静かに意識が失くなり、夕刻までに時折り眼を開けたりしたが、その瞳には、あたかも、来るのを待ち受けられていた死者以外の何者かが、扉を開けて中に入って来るのを恐れているかのような悪臭のある吐気とか、ちらりと見える苦悶にも似たある種の恐怖、閃きが見受けられた。しかし、部屋の静けさに安心したのか、まだいくらか意識が残っていたこともあって、たわいないうわ言を再び言い始めた。というのも、彼女は、決まり文句のように一本調子で、絶えず繰り返していた。成人したわ、と。救われたり、と危機が去ったときの歌のようにまたも熱狂的に言うのだった。成人したわ! さらには、鳴り方が少しずつ遅くなっていく鐘のあの衰え行く旋律のように、「成人したわ。成人よ」と。それもやがて消滅し、沈黙というふわふわした空気に吸収され、飲みこまれていくのだった……。

 この『肖像の一生』が、白黒つける法律というものの性質をよく呑み込んでいる人物にしか描けない作品であるとわたしには感じられ、ローデンバックは法律を勉強したことがあるのではないかと思いましたが、果たしてそうで、大学で法律学を修め、弁護士修業もしたことが解説で触れられていました。

|

最後の百合が開きました…!

200903021151131

 百合なれば莟の全て開きけり

わたしの百合の句ばかりを集めた自作句『百合の花』はこちら

| | コメント (0)

2009年3月 1日 (日)

今後の課題

 体調悪く、手抜き気味の家事だけで精一杯という感じ。衰えた体に鞭を打っても、反応が鈍い。次回の口頭弁論には日帰りを考えていたけれど、1泊したほうがよさそうだ。

 今以上にしんどければ、診断書を提出して延期して貰うことも考えなければならないが、わたしの病気は時間を置けば治るというものではないので、それこそ文字通り這ってでも行ったほうがいいかも。弁護士は雇えない、雇いたくない。

 期間中に下手をすれば、倒れるとかいってしまうとかいうこともありうる。その場合は裁判所に連絡してくれるように夫と娘に頼んだ。

 このまま細く長く生きられそうな気もするが、案外早くいってしまう場合のことを想像すると、一番心配なのは、娘のことだ。夫のことは何の心配もしていない(それだけの理由がある)。その場合の対策は、娘とたまに話す。わたしの健康状態から考えれば、そう大袈裟なことではない。

 父夫婦の今後だが、ここに引っ越してきて間もない頃に、土地の件で電話があった。そのときに相談に乗ってくれた「市民相談室」の女性担当者の言葉が指標になると思う。彼女は行政に任せたらいい――といった。

 現実はホームドラマのようにはいかない。現実をシビアに見据えなければ、自分だけではなく、周囲の人間をも巻き込んで困った事態を招きかねない(いや、既にそうなっている)。今書いている準備書面に「原告の精神鑑定を検討している」とまで書くかどうかは、迷うところだ。

 この先、父夫婦を精神科で診て貰うことができたとしても、入院になった場合は保証人の問題が出てくるだろう。退院後の問題も出てくる。下手に引き受けてしまうと、責任がかかってくる。今のわたしに、その責任を負うのは無理だ。

 父の再婚前には父との同居を考えていた妹も、今は恐怖心が先に立つようだ。下手な感傷を起こして引き受けることは避けなければならない。

 父は妹夫婦と同居するつもりで、財産のほとんどを妹に行くようにしていたようだ。わたしの息子に通帳を作ってくれたりもしていたと妹から聞いた。再婚後に父は、奥さんの要求で、前掲の土地の件を除けば、すべて彼女のものとなるように変更したらしい(だからといって、骨肉の争いをした覚えはない。全て父があれこれしたにすぎない)。

 わたしたち姉妹はいろいろいわれてきたけれど、奥さんの若さ、曖昧模糊とした過去と合わせて考えれば、わたしたちが父の財産を狙っているというより、彼女のほうに結婚詐欺を疑うのが自然ではないだろうか。実際、当時わたしたちはその心配もいくらかしていた。が、やはり結婚当初から、どこかしら彼女には異常を感じさせるものがあったために、その懸念を発展させなかったのだった。

 昨日、夫とこの件を話していたとき、「一目見たときから、俺には奥さんがおかしいとわかったけれど、それをNにいったら、嗜めたじゃないか。Nは奥さんに本当に好意的だったよ」といった。彼女に、わたしのかけがえのない友人である詩人[文芸部の女性の先輩で統合失調症患者]の面影を見ていたのかもしれない。こうなった今も、奥さんを嫌いにはなれない。裁判では敵対せずにはいられないが、一方では彼女のよりよい今後を願っているのだ。

 治療を受ければ、彼女も詩人のように、とときどき入院しながらではあっても、父と睦まじく暮していくことができるだろうとわたしは期待していた。しかし、こうなった今となってはお手上げだ。裁判に、赤の他人まで巻き込んで迷惑をかけてしまった。銀行や公共機関にまで迷惑をかけるようになった。

 裁判に勝ち、精神科で診察を受けさせ、行政にうまく託す。それしかないと思う。それがわたしの今後の課題で、それを成し遂げることができたら、いってしまってもいい。

 話は前に戻るが、土地の名義について、母の若い頃からの相談相手だった眼科医夫人と母が話すのを、わたしは偶然聴いていた。

 「あなたが死んだあとのことを考えてごらんなさい。土地の名義だけは、あなたにしておいたほうがお嬢さんたちのためですよ。男の人は、どうしてしまうか、わかりませんからね」と母に話していた。

 母の退職金は、両親が建てたこの2軒目の家に注ぎ込まれたのだから、母にはその権利があったと思う。

 わたしはそのことを忘れてしまっていたのだが、父が土地のことをいってきたとき、思い出した。母と眼科医夫人が話していたのは、このことだったのだなと思った。売っても大した額にはなりそうにない土地の、その1/4にすぎない価値は、わたしにとっては亡き2人の女性の懸念が籠もった形見としての価値といってよかった。

 名義変更に応じるには、父夫婦との信頼関係が損なわれすぎていると判断した。また、わたしと妹は父夫婦に怯えながらも、土地を売ってふたりがどこかへ行ってしまうことを懼れた。父は老人なのだ。心身共に崩壊しかけた今、古くからの顔見知りのいるこの土地の見守りの中で暮していてほしかった。

 それに、ふたりしてどこかへ行ったあとで、奥さんが父を捨ててドロンしたらどうなるのだ? 老耄して気の触れた父がボロを纏い、シェークスピア劇に登場する悲劇の父親さながら、人々に馬鹿にされながら見知らぬ街を彷徨う場面が想像された。

 今父の要求に応えるのは危険だと思ったが、場合によっては応じることも考えておかなければならなかった。いずれにしても、そのとき、父夫婦に自分たちで会うのは怖いと思う段階にわたしたちはいた。また、彼らとこの先わたしたち姉妹はどこまで関わらなければならないのか、土地の件と合わせて確認したいと思い、わたしは『市民相談室』へ電話をかけた。そのときの記録が日記にある。

2004年4月11日
 土曜日、実家がある市の*不動産から[妹宅へ]電話があり、父から土地を売却したいと言ってきたという。私と妹の承諾がほしいそうだ。すぐには返事ができないと[わたしたち姉妹は*不動産に]答えた。土地は母名義で、わたしたち姉妹にも1/4ずつ権利がある。家は父名義。
 父の要求に応じなければならないのか、父の妻*さんの扶養の義務が私たち姉妹にあるのか、土地の売却の仲介を専門家に頼む場合の適任者、の3点について「市民相談室」に問い合わせた。
 だいたいは法律相談ということで弁護士さんに相談すべく予約をとるつもりだったのだが、電話に出た相談員は、このケースは、弁護士さんに相談するような性質のものではないということだった。土地・家屋の売却に関しては、土地に私たち姉妹の権利があるので、父の勝手にはできない、ということ(私たちの承諾がない限り父は売却できない)。
*さん[奥さん]の扶養については、私たちと養子縁組していない限り、赤の他人だということだった。
 土地の売却で仲介者を頼むのであれば、親戚などの信頼できる人か司法書士がいいとのこと(弁護士は高いし、私たちが弁護士に依頼するケースでもない)。*さん[奥さん]に精神障害を心配するのであれば(本来私たちが心配する必要はないのだが、迷惑が及びそうな場合)、毎週行われているその種の相談室へ行けば、本人を連れていかなくても話を聞いて助言してくれるのだそうだ。
 ついでに言えば、父に関してさえも、面倒をみるみないは感情論にすぎないのだとか(相談員はそう断言した)。「一人暮らしをなさっている方も多いですよ」とのこと。親子なので、遺産に関する法律問題は発生するが。以上だ。

 引用した日記の断片は、わたしたち姉妹が受身できたことの証拠になると思うので、提出を考えている。このときの話を参考に、妹が父の住む市へ福祉相談に出かけてくれ、父夫婦を行政に見守っていただいているというわけだ。

 一昨日、詩人から電話があったときに父夫婦のことを話した。福岡市であれば、よい精神科や高名な医師を知っているといって、一応教えてくれたが、遠すぎる。彼女が最初に病院にかかったときのことを聞いた。家族に「どっか行こう」といわれて着いた先が、精神科だったそうだ。

「逃げたり、抵抗したりしなかったの?」とわたし。「あっとは思ったけれど、抵抗はしませんでしたね。注射を打たれて、気づいたら、病室だったの」と彼女。

 ドクターによって、患者との相性、治療法、投薬はいろいろだそうだ。

 父夫婦のことや裁判の重圧に圧し拉がれているわたしに、彼女はしずかに、温かくいった。「宗教は、その人が担える以上のものは背負わされないといいますでしょう、どうかそう思ってしっかり……」まるで、女神さまの言葉のように聴こえた。

 本当に……神智学でも、そういう。詩人は、そう思って長年病気とつき合ってきたのだろうか。彼女の用件は年に一度会う約束のことだった。「裁判のことが落ち着いてから、会うことにしましょうか」と遠慮してくれたが、5月の裁判の行きか帰りに会うことにした。このところ、調子がいいそうだ。

 娘が彼女のファンで、「目がね、バルザックの目にそっくりで、何もかも見透かされてる気がしたといっていましたよ」というと、「そんなに有名な人に似ているだなんて、わあ嬉しい!」と笑った。娘は彼女に「すごく緊張するけれど、お会いしたい」そうだ。

 娘が、彼女の童話をパソコンで清書して挿絵を描いているというと、喜びながら、「あの童話がわたしの地でしょうね」といった。娘はその童話を『おしっこ猫』と呼んでいる。何かというと、シャーとおしっこをする猫が登場する童話だからだ。彼女の詩はこちら。左サイドバーのカテゴリーにあります。友人の詩/行織沢子小詩集 http://elder.tea-nifty.com/blog/cat20484287/index.html

 いくら父がおかしくなっているとはいえ、準備書面にわたしたち姉妹が母を共謀して殺したと書いている下りには情けなさと悔しさのあまり、涙が出た。そうなると刑事事件じゃないか。いや、どれもこれも事実とするなら、父夫婦の提出した訴状と準備書面に書かれていることは、ほとんどが刑事事件に該当するようなものばかりだ。実際に、父夫婦はこの件あの件で14回も検察庁や県警に足を運んで相手にされなかったようだが。

 実母殺しと濡れ衣を着せられたわたしのそれに対する否認は下書き中だが、感情が先走りがちでペンが止まる。

 昭和55年、母親が腎臓障害と脳障害のため重体に陥ったとき、被告Nは内定していた就職を犠牲にしてまで3カ月間病院に缶詰めとなって献身的に尽くした。この件のときは乳飲み子を抱え母親を頼っていた状況下にあり、その状況下で母親の死を願うはずがあろうか。原告は夫として、妻のことが心配なら、仕事を替わるなどして傍にいることもできたはずである。不在中の不可抗力な出来事の責任まで全て子供たちに負わせようとする原告の父親としての無責任、身勝手をこそ問いたい……

 無責任、身勝手、冷酷、非情、卑劣、男根主義、女性蔑視、アホ、バカ、まぬけ、とんま……と、どこまでも続けそうになる。再婚した癖に、いつまでも亡き妻を最愛の人のように錯覚するのは止めろ。今の妻を愛しぬけばいいじゃないか。もし、その方向性でいけていたら、奥さんをお医者に連れて行っていただろう。そして自分も狂わずに済んだかもしれなかった。だから忠告したのに。こうなってはもう遅い。お前の人生は失敗だった。それにわたしたち姉妹を巻き込むな。

 こんな声は父の耳には届かない。壁に当たって、わたしに返ってくるだけ。痛いじゃないか、バカ。

|

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »