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2009年2月の47件の記事

2009年2月28日 (土)

ジョージア・オキーフ風…?

ジョージア・オキーフ風…?
百合は今、10輪が全開、2輪がふっくらした蕾です。

過去記事でこの百合のことをカサブランカと書きましたが、これはカサブランカではありませんね。カサブランカにしては、首をもたげていますし、茎も細い気がします。

そういえば以前、今はカサブランカはほとんど出ないとお店の人から聴いたことがありました。首を垂れているので、花粉で汚しやすいとか何とか……

百合を見ているとどうしても、バルザックの『谷間の百合』に出て来る気品に満ちたモルソフ夫人を連想します。世の喧騒とは無関係に……ではなく、何もかもわかっていながら気高く、香しく……と見えます。

家事の合間に、前の記事で書いた青森の伯母さんのことを何とか織り込めないかと思い、雑記帳に下書きしました。
早くパソコンの前に行きたいのですが、ちょくちょく横になりながらの家事ははかどりません。この記事は携帯からです。

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今日の宿題

体が鉛になったみたいな気分。何だか体中、痛い。きつい、今日も……。それがどうした? 昨日は、すっかりさぼってしまった。簡単な掃除と料理のみで、寝たきりジョータイとは情けないじゃないか。

今日は、宿題(準備書面)の2を半分は書こう。
妹からメールあり。働いているということもあり、宿題が負担のようだ。こちらが早めに書き上げられれば、妹も参考にできるだろう。

わたしは青森にいる奥さんの伯母さんに会いたい。2あるいは3にうまく関連づけるとかして、参考人として喚ぶことができないだろうか?
この裁判に勝つだけでなく、どうせなら有効活用したいものだ。でなければ、あまりに虚しい裁判に終わる。

昨日、詩人(文芸部時代の先輩)から電話があり、父夫婦のことを詳しく話し、参考になる話が聞けた。何しろ26歳で家族に病院に連れて行かれてからの精神疾患歴が、今年で30年の彼女。これほどこの方面のことを語れる人はめったにいない。

彼女と話したことや、宿題2に使えそうな過去の日記の断片など(差し障りのない範囲で)、別の記事にしたい。朝の家事を済ませてから。といいつつ、横になるんじゃないぞ!

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2009年2月27日 (金)

18時頃、ニトロ舌下

18時頃、ニトロ舌下
やはり、小旅行のダメージは大きく、疲れがとれません。息苦しさがあり、使いました。

疲れが回復した頃に、次の小旅行となりそう。

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ニトロのペンダントの件で電話あり、膨らんだり萎んだりするおなかの怪

 午後2時過ぎに、いつも循環器クリニックから出された処方箋を持っていく調剤薬局から電話がありました。

 注文していたニトロ(舌下錠)のペンダントの件でした。

 問屋さんになかったのでネット注文しようと思うが、送料がかかることになるのでお電話してみましたとのこと。

 ネット注文なら自分でしてもいいと思いましたが、薬剤師さんに選んで貰ったほうがいいだろうと思い、お願いすることにしました。値段は、送料によるが、2,000円強だろうとのこと。

 小旅行の疲れが未だにとれず、毎日舌下錠の使用を躊躇うほどの不調です。不調だからといって、準備書面を放置するわけにはいかないのがつらいところです。

 旅行の翌日、体重を測ってみると、何と1日で2kg以上体重が増えていました。普段はいくら何でも、胸よりおなかが出ているということはありません。それが……聞かないで。 

 いつもは夕飯後におなかがいくらか出ることはあっても、そこまで出ませんし、体重も増えて1kg以内です。このときは、旅行疲れでむしろ食欲がなく、吐き気もあって、朝も昼も食べたか食べないかでした。それなのに2kg以上増え、おなかは文字通りパンパン。

 博多のケーキ屋さんで、カロリーの高そうな美味しいケーキを食べたせいかと悩みました。でも普通は体を動かすと、痩せるものではないでしょうか。情けなくて、本当に悩みました。

 それが、今日体重を測ると、もとの体重に近づいていました。そして、わーい、今はおなかより胸のほうが出ているんです!(自慢することではないでしょうが)。旅行後、あまりにおなかが出ていたので、今はすっきりとした腹部に感じられます。時々おなかに手をやって、満足の微笑(よく妊娠中も同じことをやりましたっけ。ずいぶんシチュエーションが異なりますけれど)。

 でも、ふと、この現象に疑問を覚えました。

 以前から、外出中とか外出した夜、その翌朝などに、体調の悪さを覚えると同時に、おなかが異様にふくらんでいて体重も増えていることに気づいたことがありました。こういったときは、尿量が少なかったりします(朝、いつもは多い起きぬけの尿量が馬鹿に少なくて「え、これだけ?」と驚くことがあります)。

 最近のわたしの外出嫌いは、疲れることだけが理由ではなく、太るからでもありました。そう、外出すると、とたんに太る(おなかが出る)んです。疲れるとおなかが出るのですが、昔からではありませんでした。疲れると、おなかって出るものでしょうか。そして、家にいる期間が長ければ、だんだん痩せて(おなかがすっきりして)きます。

 娘が喫茶店に誘うせいと思い、娘のせいで太ると思い込んでいたのですが、今回のことで考え込んでしまいました。

 急におなかが出たり、急に体重が増えたりするのは、むくみとか腹水(まさかね)のせいなのでは……? まさかとは思いますが、今回その傾向が特に強くあらわれたので、心配になりました。念のために、次回の循環器クリニック受診の際に先生にお尋ねしてみようと思います。

 メルクマニュアル医学百科http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/index.htmlに、腹水のことがわかりやすく出ていました。以下に、折り畳んで、引用させていただきます。

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2009年2月26日 (木)

最近の夕飯から:菜の花のパスタサラダ、塩豚ヒレの蒸し煮etc.

 久しぶりの料理の記事です。

 料理の記事をアップすることは、わたしにとって幸福感の証しです。現在、生活上の難問を抱えていますが、それなりに自分のペースがつくれるようになり、料理を楽しむ喜びがいくらか戻ってきました。料理っていいですよね、食材とのふれあいには興奮や苛立ちを鎮めてくれる鎮静剤のような効果がある気がします。

P1300322 ずいぶん前の写真です。ボルシチを作ったときに余ったサワークリームの使い道を探していたら、『毎日のお惣菜シリーズ3・魚料理』(婦人之友社、1986年)に、サワークリームを使ったグラタンが載っていました。サワークリームが少なかったのですが、どうしても作りたくなり、チャレンジしました。

 耐熱皿に、スライスしたじゃがいも[塩コショウ、ナツメグを振る]を並べ、バターをのせて20~25分、170℃のオーブンで焼きます。それに、フライパンで焼いた鮭[塩コショウ、タイムかセージを振って小麦粉をつけて焼き、白ワインを振って強火でアルコール分を蒸発させる]をのせ、サワークリームをかけて、焦げ目がつくまで焼きます。

 サワークリームの量が少なかったので、グラタンというより、サワークリームがけという感じになりましたが、鮭、じゃがいも、サワークリームがよく合っていて、とても美味しいと思いました。グラタンを作るときに、ホワイトソースの代わりにサワークリームを使ってみると新鮮ですよ。

P1310337 如何にもヘルシーな服部先生のブロッコリーの黒酢ドレッシング。冷蔵庫にあると思っていたジャンボピーマンがないことに途中で気づいたのですが、それなしで作りました。「週刊 服部幸應のしあわせクッキング99号」(ディアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。材料は4人分です。

∥ブロッコリー1個|じゃがいも2個|ジャンボピーマン(黄)1/2個|塩|A〔黒酢大さじ2¦みりん小さじ2¦サラダ油大さじ1¦塩・コショウ各少々〕∥

  1. ブロッコリーを一口大に分け、塩少々を加えた熱湯で、歯ごたえが残る程度にゆでる。
  2. じゃがいもはブロッコリーの大きさに合わせて切り、水からゆでる。竹ぐしがスッと入るぐらいが目安。
  3. ピーマンはひし形に切る。
  4. Aの調味料を合わせて黒酢ドレッシングを作り、①、②、③をあえる。

P1310353  前掲と同じ服部先生の雑誌から、スパイシーな味わいの豚肉のスパイス焼きをご紹介します。材料は4人分です。

∥豚ロース肉(2.3cm厚さ・240gのもの)2枚|にんにく1/2かけ|A〔チリパウダー7g¦パプリカ3g¦黒こしょう・クミン・コリアンダー・ガーリック各小さじ1¦ジンジャー・カレー粉各小さじ1/2〕∥ほうれんそう1束|生クリーム1/2カップ|マッシュルーム・生しいたけ各4個|しめじ1/2パック|B〔にんにく、パセリのみじん切り各少々)|塩、こしょう、オリーブ油、バター∥

  1. Aのスパイスは、すべてパウダー状のものを用意し、ボールに混ぜ合わせる。
  2. 豚肉はバットに並べて、両面に塩少々を振る。
  3. フライパンにオリーブ油大さじ2と、つぶしたにんにくを入れて火にかけ、焦がさないように炒める。香りが出たら②の豚肉を入れて油をかけながら弱火でゆっくりと焼き、こんがり焼き色がついたら裏返して、両面とも色よく焼く。肉を押えてみて弾力があれば焼き上がり。
  4. 焼き上がる直前に①のスパイスの1/3~1/2量を振り、再び両面をさっと焼いてスパイスをからませる。パットなどに移し、しばらく休ませてから器に盛る。
  5. 別のフライパンにバター15gを溶かし、軽く色づいたらほうれんそうを炒める。塩、こしょう各少々を振り、生クリームを加えて煮詰める。きのこ類はバター15gで同様に炒め、塩、こしょう各少々を振る。火を止めてBを加え、予熱で炒める。ともに④の器に盛り合わせる。

 わたしはきのこはエリンギのみ使いました。

P2140449  これはぜひご紹介したいと思った服部先生のレシピです。まるでレストランで出てくるような洒落た味わいでした。菜の花のパスタサラダを『56号』からご紹介します。材料は4人分です。

∥菜の花2束|ショートパスタ100g|ベーコンの細切り3枚分|にんにくのみじん切り1かけ分|ビネガー(または酢)大さじ2|塩、エキストラバージンオリーブ油、こしょう∥

  1. 菜の花は茎のかたい部分を切り落とし、塩少々を加えた湯に根もとから入れて色よくゆで、冷水にとる。水気をしぼって4~5cm長さに切る。
  2. パスタは塩適量を加えた湯でゆで、ざるに上げて水気を切り、エキストラバージンオリーブ油大さじ1であえる。①の菜の花と合わせて混ぜ、器に盛る。
  3. フライパンににんにく、エキストラバージンオリーブ油大さじ3を熱して香りを出し、ベーコンを加えて炒める。カリッとしてきたら火を止めてビネガーを加え、塩、こしょう各少々で味をととのえ、②の上からまわしかける。

P2140468_2  「あっさり味のおかず」(主婦の友社、平成19年)のレシピ、かじきの薬味づけ。作るたびに、落ち着いた料亭風味わいに感動します。レシピはご紹介済みです。こちら

P2180536 同じ『あっさり…』から塩豚ヒレの蒸し煮をご紹介します。材料は2人分です。

∥豚ヒレかたまり肉200g|塩小さじ1/2弱|砂糖小さじ1|玉ねぎ1個|パセリの茎1本|白ワイン1/4カップ+大さじ3|塩小さじ1/4|こしょう適量|パセリのあらみじん切り適量∥

  1. 豚肉は5cm厚さに切り、塩と砂糖を両面に振って約15分おく。浮いてきた水けをペーパータオルなどで押えるようにしてふく。
  2. 玉ねぎは厚めの薄切りにする。
  3. フライパンに玉ねぎとパセリの茎、白ワイン1/4カップと塩を入れ、ふたをして中火にかける。沸いてきたら上下を返し、豚肉を玉ねぎの上に並べ入れ、残りの白ワインを加えてふたをし、中火弱にして約5分蒸し煮にする。
  4. 器に盛り、残っている汁もかけてこしょうを振り、パセリをあしらう。

 短時間でできるのに、肉の味のしみ込んだ玉ねぎの美味しさったらありませんでした。振りかけたパセリが上手に肉の臭みを消してくれます。

P2180510  これも『あっさり…』から、なすとオクラの粉がつお炒めをご紹介します。材料は2人分です。 わたしは家に粉がつおがなかったので、削り節を使いました。忙しい朝にも簡単にできそう。お弁当にもおすすめです。

∥なす2個|オクラ8本|酒大さじ3|しょうゆ大さじ1/2|粉がつお大さじ1|ごま油大さじ1∥

  1. オクラはへたを落として斜めに半分に切る。なすはへたを切り、縦に6等分して長さを半分に切る。
  2. 中華なべかフライパンにごま油を熱し、なすを加えて中火で炒める。全体に油が回ったらオクラを加えて炒める。酒を3回に分けて加え、そのつど汁けがなくなるまで炒めてなすとオクラに火を通す。
  3. 火が通ったら、しょうゆを加えてさっと炒め、仕上げに粉がつおを振り入れて全体にからめる。

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2009年2月25日 (水)

日記から拾った過去の健康に関する記録②1995年1月~3月

①1992年3月~1994年2月

 再び頻脈の治療を受けるようになった当時の記録が日記にありました。本来のわたしの心臓が病的に小さいことをご存知なのは、このときのC先生だけです。現在、C先生は福岡市の早良区で開業なさっています。

 わたしの心臓は頻脈の負担に耐え切れず、心不全の症状があらわれていたのですが、インデラルの服用で改善されたのでした。C先生との出会いがなければ、今頃この世にいなかったかもしれませんね。

 気になる脈の乱れがおありのかたは、一日中の心電図が全て記録されるホルター心電図をつけて貰ったらいいかもしれません。

平成7(1995)年1月21日
 昨年晩秋より市立病院にかかり、インデラルをのんでいる。社会保険病院でテノーミンをのんでいたことを告げると、「あれはねえ、確かに脈拍数は落ちるけど……よくない」とのこと。W医院で高血圧治療のためにカルシウム拮抗剤のバイロテンシンをのんでいたことを告げると、「カルシウム拮抗剤の中で、あなたの症状に使えるのは1種類しかありません」バイロテンシンはわたしにはよくないそうだ。
 インデラルはベータ・ブロッカーの中では一番古くからある薬で、副作用の点では最も信頼のおける薬だそうだが、それでも「副作用は数えきれないほどあります。糖尿病とかね。心不全になることがあるので、検査が必要です」とのことだ。
 新患で受診した際、頻脈は120くらいだったが、一時的なものとしてあしらわれようとした。主婦のアンニュイととられても仕方がないと予想はしていたが、とにかくくるしい状態がずっと続いていて、がまんできそうになかったので、主婦のアンニュイでないことをわかってもらうしかなかった。そのためにはホルター心電図をつけてもらえばいいのだが、わたしの側からは言いにくい。いちかばちかで、理系の先生の関心を文系のわたしに向けることができれば、とかけに出た。職業をきかれた時、機会は訪れた。
「主婦ですが、作家志望で小説を書いています。真剣に書いていますので、脈が速いために体力の失われるのが、くやしいです」と言った。すると、C先生の表情が一変し、何かうっとりとなった。かけは成功し、「検査と、それから、友人に不整脈の専門家がいますから、相談してみましょう」と先生。そのあと、心臓の検査(心エコー、心レントゲン、ホルター心電図)を受けることができ、脳から出ているホルモン量を調べて原因を探ってもらえた。
 原因はわからなかったが、ホルターの解析を見ながら、「あなたの言っていた通りだ。普通の人がしょっちゅう走り回っているような心電図ですね。うーん、これは治療が必要だ。うちで手におえないようであれば、不整脈専門病院へ紹介しますが、とりあえず、インデラルで抑えることをやってみましょう。血圧も寒くなって高くなってきているので、丁度そちらの方のコントロールもできていいでしょう」と先生。

平成7(1995)年3月10日 37歳
 クスリをのみ始めて、3ヵ月。昨日の受診時に胸部のレントゲン写真を撮ったが、心臓がクスリの影響で大きくなるどころか、逆に小さくなったという。わたしは心臓が縮んでしまったのだろうか、とびっくりしたが(先生も息を呑まれた様子)、今の方が心臓の状態としてはいいそうだ。つまりクスリの服用で心臓の負担が軽くなり、それまで腫れていたのが正常化したということらしい。わたしの心臓のサイズが普通からすると比率的に病的に小さいために、腫れていたのがわからなかったのだ。これで、これまで苦しくても、わかってもらえなかったわけが、ようやくわかった。
 心臓の状態がよくなった(らしい)のは嬉しいが、ここ数日は体がだるく、家事をする以外は眉根を寄せて横になってばかりいる。多少の副作用はがまんしなければ。

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バルザック作『鞠打つ猫の店』

バルザック作『鞠打つ猫の店』

 娘が岩波文庫から出ているバルザックの『ゴプセック・鞠打つ猫の店』(芳川泰久訳)を買ってきました。

 すばらしい活力剤です。

 鞠…のほうは、東京創元社のバルザック全集にも、藤原書店のバルザック「人間喜劇」セレクションにも入っていず、このバルザックの《人間喜劇》第一巻巻頭に置かれた作品を読めないことが残念で仕方がなかったのでした。

 父たちの起こした裁判沙汰は、まるで《人間喜劇》のなかに物語としてありそうな異様さ、おかしさ、せつなさがあります。わたしもその物語における登場人物の一人であるわけで、バルザックであればどう描くのでしょうか。この自ら出演する物語を鑑賞する余裕は、今はありませんが……。

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準備書面に取り組む①

 民訴の学習をしながら準備書面に取り組むというライフスタイルが定着しそう。その合間に家事、ブログなどをすることになる。同人雑誌に新しい作品を書くのは無理で、批評風エッセーに手を加えて提出することになりそうだ。

 民事裁判の仕組みはだいたい呑み込め、次回の口頭弁論までに提出しなければならない準備書面というものが何であるか、裁判におけるその位置づけに関しても呑み込めた。

 日本の裁判は書面重視であって、西洋で弁護士が流暢に弁論するあのカッコいい図は、日本ではあまり見られないもののようだ。山本和彦著『よくわかる民事裁判〔第2版補訂〕――平凡吉訴訟日記』(有斐閣)に、「法律上は、準備書面は口頭弁論の準備のために提出されることになっていますが、実際には口頭弁論は準備書面の提出期限(締切日)としての意味しかなく、期日自体は次回期日の決定およびそれまでに行う作業の打ち合わせを中心としたセレモニーと化していることも少なくないのです」とあるが、本当にそんな感じ。ナンだか、裁判や弁護士に対するイメージが変わってしまった。

 その作業の打ち合わせで、次回の口頭弁論までに、原告との身分関係、仲が悪くなった経緯など準備書面に書いて提出することになったわけだ。

  1. 原告との身分関係
  2. 原告との仲がおかしくなった経緯
  3. 原告の請求の原因に対する否認

 という感じで書いていこうと思う。答弁書を書く前に、参考書を読んでしっかり書いておくべきだったと思うが、まず裁判所に出かけてみないことには全くぴんと来ないというところがあったので、まあ仕方がない。

 原告の準備書面で、わたしの名が3箇所挙がっている。どれも否認することになるが、そのうちの一つに関して下書きした。他の一つは、わたしが知りもしなかった父の(使い古された?)財産に関することなので、証拠の提出を求めるしかない。残る一つは、父が探偵を使ってわたしたちの住所を探ろうとしたけれど、わたしたちが探らせなかったという理由で、損害賠償を請求している。こんな馬鹿な話ってあり? 

 実は、父の雇った探偵から電話がかかってきたことがあったのだ。彼の話によると、「娘さんたちの調査を頼まれたのですが、依頼主であるお父様のおっしゃっていることがどうもおかしいので、普通はこのようなことはしないのですが、お電話してみたのです」

 彼は父を認知症ではないかと思ったらしい。彼の父親も同じくらいの年齢なので、他人事とは思えなかったそうだ。同情してくれた。彼はわたしたちの住所を教えなかったらしい。それでも準備書面によると80万円を父は探偵に支払ったみたいだ。わたしと妹に50万円ずつ請求している。この請求額はどう算出しているのか。

 何しろわたしは全額で10,000,000円以上、妹となるともっと凄くて、40,000,000円以上請求されている。わたしたち姉妹のつましい暮らしとはかけ離れた金額に驚く。第一、弁護士を雇うお金どころか裁判所までの旅費にも苦労しているというのに。

 そして一層おかしなことには、父はわたしたちが住所を探らせなかったという理由で損害賠償を求めておきながら、訴状にはわたしたちの住所ばかりか電話番号までしっかり記しているのだ。ああ頭が変になりそう。尤も、妹の住所には別宅ありとしているけれど。

 また、父は調停のときに、使い古された通帳やら保険証書やら登記簿やらパスポートやらをごっそり持ってきて、わたしたちがそれらを偽装したり改竄したり解約したりしたと攻め立てたが、全部父が持っているというそのこと自体、おかしくないだろうか。今回も、それらお宝が証拠として披露されるのだろうけれど。

 こうした馬鹿げたことに弁護士を雇う気になれないのは、わかっていただけると思う。父夫婦はクルクルパーになったに違いないとわたしが考えたとしても、それのどこがいけないのだ?

 しかしながら、怖ろしい事に、馬鹿らしいからと相手にしなければ、父夫婦の言い分を認めたことになり、10,000,000円支払わなくてはならなくなるのだ。その疑いを晴らすために弁護士を雇っては如何、手付金は50万円ですと書記官は勧める。悪夢とはこのことだろう。

 一つ気になるのは、時々愛人と隠し子のことが出てくることだ。事実のないことを、わたしたち姉妹が言いふらしているのだという。それは初耳だった。まさか、本当に父に愛人と隠し子があったなんてことは……何というミステリーだろうか。  

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2009年2月24日 (火)

裁判の記事に関して

 わたしの裁判の記事に関して、まだ20歳代の若い方から 「近親同士そういったことがあったらと考えると、実にかなしく、また興味深くもあります」という感想をいただきました。

 わたしはその言葉に対して、
「裁判という形には発展しましたが、これは老人問題といっていいかもしれません。憎みあってのことではないので、かえって難しいともいえます。下手をすれば、こちらが生活の基盤を失うことになりかねず、そうすると、父たちを助けることもできなくなるので、この裁判をどう持っていけばいいのかと、真剣にならざるをえません。芸術が現実から霊感を汲み取ることを考えれば、こうした体験こそ重要だと思い、耐えています」とお返事をしました。

 わたしの裁判に関する記事が、閲覧してくださる方々の多くを悲しませていると想像すると、このような記事は公開しないほうがよいだろうか、という迷いが生じます。幸い、メールをくださった若い方は、興味深くもあるとつけ加えてくださいましたが、中には、暗い、心を冷やす記事ばかり公開する『マダムNの覚書』にはもう行きたくないと思われる方もいらっしゃるでしょう。そう思われても当然ですので、わたしとしては、それはそれで仕方がないと割り切るしかありません。

 第1回口頭弁論に出かけたとき、わたしたち親族とは別に被告にさせられてしまった方の奥様から、骨肉の争いといわれ、その言葉はわたしの胸を刺しました。どう言い訳しても、他人の目にはそう映るのだろうと思います。

 ただ、わたしはそれに対する言い訳のために、裁判の記事を公開したいと思ったわけではありません。裁判の記事は、カテゴリー『父の問題』に含まれています。

 骨肉の争いと単純化できない複雑な問題が、この裁判沙汰には潜んでいると感じられるからです。被害者の立場でこの問題を採り上げたわけではなく、作家の卵として採り上げました。また、近く裁判員制度が導入されようとしていますが、実際に被告として裁判の場に引っ張り出された一庶民の素朴な驚きと疑問、そうしたものも記録としてしっかり残していきたいと考えています。

 今後共、『マダムNの覚書』をよろしくお願い致します。

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カスミソウ

カスミソウ

 息子の贈ってくれた大きな花束は三つの花瓶に活けて、朝な夕な目を楽しませています。

 息子はわたしの百合好きを知っていて、花束を「白で統一」してくれるように頼んだとか。なるほど、カサブランカ、薔薇、トルコ桔梗、カラー、カスミソウと白ばかりで、零れんばかりの白い贅沢です。

 そのなかのカスミソウですが、これまでにわたしが見てきたものよりも、花が大きいのです。

 カスミソウによっては、当初からドライフラワーぽい貧弱さがあったりして、花束を引き立てるどころかみじめなものにしていることさえあり、それほど好きではありませんでしたが、このカスミソウは単独で鑑賞に耐えるだけの花の充分な大きさがあり、ため息が出るほどの美しさです。

 夜ですと、白い星々が点在しているように見えたり、眼鏡をかけなければ、ぼんやりした視界には牡丹雪が降っているように映ったりもします。

 白いカスミソウの花言葉は、清い心だとか。

 携帯写真では、その美しさを上手く捉えることはできませんでしたが、アップしておきます。蕾だったカサブランカも開きかけてきました。

貴婦人の衣装の如き百合活けぬ
大輪の白は深んで百合豪奢
見遣るたび未知の白なり百合の花
わが魂(たま)の谷あひの色ゆり白き
百合の花見果てぬ夢の深まりて

 わたしの百合の句ばかりを集めた自作句『百合の花』はこちら。崇高ともいうべきリルケの『薔薇』から数編をご紹介したものはこちら

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2009年2月23日 (月)

日記から拾った過去の健康に関する記録①1992年3月~1994年2月

②1995年1月~3月

 日記はほとんどが創作メモで占められていて、日常的な出来事に関する記録には極めて乏しい。妹も、家計簿にメモしている程度で、その字が自分でも読めないという。今のようにブログがあれば、詳細な記録を期待できただろうに。

 日記とは異なる動機でつけているメモ帳から、父たちの結婚がいつだったか、訪問がいつだったかなどの記録を拾うことはできるので、今度はそちらの作業にとりかかろうと思う。

 こうした作業の副産物ともいうべき、健康に関する拾いものがあった。昔は若かったせいか、自分の健康にあまり関心がなかったようで、創作メモの合間に断片的な記録を残しているにすぎない。

 悩まされてきた頻脈については――あちこちの病院へ行ったわりには――、驚くほど記録が少ない。循環器科を受診しても、それは一時的なものだといわれて再診の必要はないといわれたり、別の治療を受けるはめになったりすることが多かったからだろう。

 尤も、これ以前に社会保険病院で頻脈の治療を受けていた時期があり、それはもっと前の日記にまで遡らなくてはならない。

 わたしは、その社会保険病院の主治医と喧嘩をし、通院をやめてしまったのだった。初診から診て貰っていた主治医にテノーミンを処方されていたのだが、後任の主治医K先生にその薬が合わないことを訴えると、K先生はわたしの頻脈を主婦のアンニュイと解釈し、精神科に廻そうとした。

 無責任に感じられた医師の言動はわたしの心証を害し、看護婦長から希望の医師に替えてあげる旨いわれたが、その病院自体に嫌気がさし、通院をやめてしまった。別の通院先を探そうにも、紹介状もない頻脈だけの患者は、ホルター心電図をつけて貰うまでにはいかなかった。再び頻脈の治療を受けるようになる前年から受け始める年――平成4年から5年にかけて――までは、よほどつらかったのか、体のあちこちの訴えが目立つ。

 日記には何と、コブ1号についての記録があった。1号はやはり古いものだったが、ある時期に目立って大きくなったようだ。婦人病に関する記録もあり、慢性膵炎といわれて治療を受け出したときの記録もあった。

 日記からの拾いものは、すっかり病人と化してしまった今のわたしには貴重な記録ともいえるので、以下に当時の日記から写しておきたい(こんな機会でもなければ、過去の日記などまず見ないだろうから)。それ以前の記録はまたの機会にでも。

平成4(1992)年3月20日 34歳
 すっかり疲れて昼間2時間ほどウトウト、眠くてたまらない。口の中の荒れが深刻化。

平成4(1992)年4月2日
 少し暑くなったせいか? 疲労が深い。脈が昂進しているのだろう。

平成4(1992)年5月11日
 風邪が治らないので(頑固な咳が続く)、T医院へ。レントゲン、心電図のチェック。基礎代謝の検査。「何かひっかかるんよね、この心電図」と先生。

平成4(1992)年5月20日
 バセドー病ではなかった。血圧130-93。

平成4(1992)年7月1日
 疲れきった体。いつまで、このマラソンは続くのだろう。

平成4(1992)年8月23日
 どうもきついと思って血圧をはかる。97-77。病院へ行かずに夏をのりきった。あごがはずれかけて、診てもらったのを別にすれば。

平成4(1992)年8月30日
 20日ほど食欲がなく、胸が朝起きた時にムカつく。朝、ごはんを一口、ウインナー1個。昼たこ焼き2個。夜、スパゲティーを無理に食べ、もどしそうになる。何とかもどさずにすんだと思ったら、下からおりた。夏バテが今頃きたのだろうか。

平成4(1992)年9月11日
 子宮頸ガンの細胞診を受け、Ⅲaと判明した。Ⅰ~Ⅴまで段階があり、Ⅰが正常、Ⅱが炎症、Ⅳ以上がガンであり、Ⅲは前ガン段階にある症状をいう。aとbがあり、aが程度の軽いもの、bが重いものを云い、いずれにしても定期検診が必要。 

平成4(1992)年12月26日
 W医院にかかっている。病院ジプシーのようなわたし。GPT値が高く、肝臓が弱っているようだとのこと。

平成5(1993)年2月2日 35歳
 もう2ヶ月、消化剤2種類と肝臓の薬(レバラミン)を服用しているが、胃のもたれ、腸の不調が消えない。

平成5(1993)年2月12日
 数日前にゼリー状の黒色(文字通り真っ黒)の塊が膣から出る。婦人科の医者が信頼できない。異常が腺ガンを疑わせるものなら、検診毎に体ガンの検査をやってほしいものだ。便の色も黒いことが多い。

平成5(1993)年2月27日
 GTP値、正常に戻るが、?値が高く、やはり肝臓が弱っているとのこと。尿道炎になったり、風邪で戻したり、少し疲れてしまった。ウィルスの検査を念のためにお願いした。B型、C型肝炎ウィルスはマイナス。

平成5(1993)年5月21日
 肝機能の検査値がよくなるが、なぜか薬が一種類増えた。あまりよくなったという実感はない。

平成5(1993)年6月15日
 海の底に沈んでいくような眠け、胃腸の不調、夜中の息苦しさや手足のけいれんに悩まされる。婦人科の定期健診は6ヵ月後でよくなった。

平成5(1993)年7月4日
 背中の痛み、吐き気が強くなってきたので、W医院受診。エコーで胆石症のあることがわかる。放っておきましょうとのこと。ひどくなれば、石を砕いてもらうことになりそうだ。吐き気がつらく、体が熱ぼったい。

平成5(1993)年7月31日
 暑くなった今日、だるさの波が一日中襲う。不整脈によるものか、肝臓からのものか、判然としない。たぶん前者とは思うが。ドキドキするし、眩暈がするので。

平成5(1993)年8月6日
 佐賀市に行った日の疲れ、冷えた夜、ものすごい胸(まん中辺り)の痛みで目が覚めた。声も出せない。5分もしたら治った。寝ぼけて一瞬、ドラキュラと間違えられて、クイを打たれたかと思った。

平成5(1993)年9月17日
 10日ほど前、バスの中でひどい回転性のめまいに襲われた。今日耳鼻科を受診したら、おそらくメニエール病だろうとのこと。

平成5(1993)年9月24日
 脳の血流をよくするクスリを服用して1週間。左耳の難聴が回復した(右耳の聴力も落ちてはいるが、その右耳くらいには回復したとのこと)。頭痛もとれる。回転性のめまいはメニエール病からのもので、原因はまだよくわかっていないという。他の種々のめまいについては特定できないそうだ。ただこのような発作をくり返すうちに、難聴が固定してしまうケースがあるらしい。“他の種々のめまい”が脳の動脈硬化によるものではないか、心配になったわたしは「老化現象ということはないんでしょうか?」と尋ねた。「それはないと思います」とのこと。

平成6(1994)年2月8日 36歳
 1月6日に実家へ行ったが、妹一家と一緒に夜レストランに入り、外へ出て話していた時、にわかに激しい後頭部の頭痛に襲われた。無数の針が一度に刺さってくるような痛みで、こわばったようになって口を動かすことができなくなり、わたしは後頭部を押えたまま、何とかその場をごまかして、車に入ると夫に訳を話し、シートを倒して横たわったまま帰宅した。卒中の前兆でなかったか不安でW先生に話したら、「偏頭痛でしょう」という答えが返ってきた。しかし先生の表情は厳しくなり、それ以来、血圧の測定が厳重になったので、先生も幾分、わたしの懸念を受け取られたのだろう。
 そして1月13日は百貨店へ父の船工芸展を観に行った。17日、母が独身の頃からお世話になった眼科医夫人が亡くなり、お葬式に参列した帰り、妹たちと食事していた時、胸の痛みが起こった。体が疲れているのだろう。

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過去の日記からの健康に関する拾い物(2016年1月22日に改稿)

裁判に関する証拠探しのため、過去の日記を読んでいた。この街に引っ越してきて間もない頃に、父夫婦のことで市民相談に電話をかけている。

その記録は、わたしと妹が受身で来たことの証拠になると思うので、別の記事で書ける範囲内で記事にしておきたいし、裁判所に過去記事で書いたノートと合せて提出したいと思っている。コピーでもいいのだろうか、そのことも他の疑問と一緒に今週中でも書記官に問い合わせてみたい。

日記はほとんどが創作メモで占められていて、日常的な出来事に関する記録には極めて乏しい。妹も、家計簿にメモしている程度で、その字が自分でも読めないという。今のようにブログがあれば、詳細な記録を期待できただろうに。

日記とは異なる動機でつけているメモ帳から、父たちの結婚がいつだったか、訪問がいつだったかなどの記録を拾うことはできるので、今度はそちらの作業にとりかかろうと思う。

こうした作業の副産物ともいうべき、健康に関する拾いものがあった。昔は若かったせいか、自分の健康にあまり関心がなかったようで、創作メモの合間に断片的な記録を残しているにすぎない。

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7:00頃、ニトロペン

7:00頃、ニトロペン
朝、ニトロペン使用。胸が苦しかったため。まあまあよくなった。

風邪はまだ治らない。

昨夜の夕飯作りは無理だったので、娘と夫にはデパ地下の弁当、わたしにはうどん玉とつゆを娘に買ってきて貰い、煮て食べた。

まだあれこれできず、じれったい。

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2009年2月22日 (日)

気分が悪く、ニトロ舌下

気分が悪く、ニトロ舌下
今日は背景が法律の辞典です。

ここ数日風邪気味で、少し頭が痛く、喉の軽い痛み、軽い吐き気があったのですが、何ともいえない気分の悪さに襲われ、ニトロペンを使いました。

風邪症状の三点セットはそのまま残っていますが(やはり風邪にはニトロは効かないようです)、上半身に薄い皮膜をすっぽり被せられたような冷や汗の出る異様な気分の悪さは消えました。

朝メールボックスを見たら、ブログを通して知り合ったお二人からメールをいただいていました。
あとでゆっくりご返事をと思いながら、まだです。ありがとうございました、もう少しお待ちくださいね。

午前中、今後裁判でどう戦うかの打ち合わせを妹とし、古い日記を読み返していたところ、突然気分が悪くなり、寝ました。
気分の治らないまま起きたあと、15:30頃、上記の冷や汗の出る気分の悪さに襲われました。

昨日の夕飯に拵えた、菜の花とベーコンとパスタを使う服部先生のレシピがレストランで食べるような美味しさだったので、ご紹介するつもりでしたが、今日は無理かも。
いきなり猛勉強を始めた無理が祟ったのでしょうね。学生時代、これくらい勉強していればね。

でも、この年齢になってからのほうが法律は頭に入ってきやすいと感じます。昔より、親しみやすい参考書が多く出ているということもあるでしょう。

過去記事でご紹介した本などは、一般のかたにも楽しめる民事訴訟の本として超おすすめです。

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2009年2月21日 (土)

猛勉強中φ( ._.)

猛勉強中φ(<br />
 ._.)

 娘が勤務先の書店から買ってきてくれた『よくわかる民事裁判――平凡吉訴訟日記』(山本和彦、有斐閣)は民訴入門というにとどまらない、民訴の歴史、本人訴訟の割合や法テラスといった新しい情報なども織り込まれた贅沢な参考書です。

 平凡吉という土地問題に巻き込まれた一庶民を主人公に設定して、素朴な疑問や実感を日記形式で追いながら、専門的な解説を加えていくユニークな構成となっています。

 第一回口頭弁論に出頭したときの凡吉の戸惑いと疑問は、わたしのそれをそのまま代弁していて驚きました。前もってこの本を読んでおけば、自分の置かれた状況を全体的な視野から捉えられただろうにと思いました。

 庶民には痛すぎる裁判制度というわたしの印象は、この本を読んでも変わりません。

 訴えられて寝耳に水の凡吉は、弁護士費用が高すぎるので法律扶助制度というサポート制度を希望しますが、条件を満たさず、受けられません。この制度が、「貧困者に対する弁護士費用の無利子での融資の制度」にすぎないためです。制度の資金不足により、そうならざるをえないようです。

 この制度への国の補助金は長く1億円前後に据え置かれ、ようやく増加の傾向にあるそうですが、イギリス1700億円(これは凄すぎて、逆に問題がありそう)、ドイツ260億円、フランス240億円に比べると、雀の涙ですね。

 国は、規制緩和に伴って急増するだろう訴えに対処するためにも、本の中の言葉でいえば「豊富な数の弁護士のサービスをリーズナブルな価格で購入できる」よう慌てて法科院などつくり、弁護士を増やそうとしていますが、なかなか思うようには運ばない塩梅。

 善良な一庶民にとって、訴えられるということは有無をいわせぬ取り立てと同じです。実際、わたしは強盗に遭ったような気分に陥ったほどです。弁護士報酬は高額なのだから、訴状のスタイル面だけでなく、内容面も常識的なチェックくらいは行えないものでしょうか。水際作戦は、こういうところでやってほしいものです。

 凡吉は弁護士に頼まなければ勝ち目がないと思い、弁護士を立てます。着手金として基準料金109万のところを、お金がない凡吉のために弁護士はとりあえず50万円要求します。この金額は、わたしが弁護士費用を尋ねたときに、書記官が答えた手付金と同じ金額です。

 凡吉は娘の結婚資金(運よく海外結婚式となり、手付かずで残る)、ボーナス、退職金の前借りで費用を捻出します。わたしは専業主婦ですから、凡吉の真似ができません。

 父夫婦こそ、脅迫、名誉毀損、プライバシーの侵害などでわたしたちを脅かしています。精神疾患を疑わざるをえませんが、法廷では普通人として扱われている以上、この裁判で、反訴という形で損害賠償の請求ができるのではないでしょうか。しかし、証人を呼んで来なければならない大変さがあります。呼ぶこと自体大変ですが、証人への日当など用意しなければなりません。

 調べたところでは、精神鑑定にはお金がかかるようです。2人ですしね。またそうすることで、こちらに別の負担がかかる心配もしています。ここでは触れませんが。

 何にせよ、訴状に書かれた事柄の立証責任は原告にあるはずですから、その責任を強く要求していきたいと思っています。

 土台素人には無理なことをやろうとしているわけですから、精一杯やって、あとは木星と海王星の加護を祈るしかありません。木星は法の、海王星は福祉の守護星です。

 『正当西洋占星術大全』(学習研究社)によれば、わたしのホロスコープのように射手座に土星が入っている場合、「血のつながらない姻戚などから重荷や法律上の心配事を持ち込まれがちです」とあり、当たっています。婚家の趣味的としかいいようのない悪質な嫁いびりにしろ、父の再婚後に起こってきた問題にしろ。

 わたしの木星は海王星と合。金星とは折り合いが悪くて愛情問題では失望しやすい傾向をつくりますが、(水性と合の)太陽ととても相性がよく、冥王星ともよいので、起死回生といいますか、今回のことでも、転んでもただでは起きないでしょう。

 木星は幸運と膨張の星でもあります。腹部は充分、膨張しました。いずれ56歳になって、現在の木星の域から土星の域に移れば、痩せてくるでしょうよ。

 46歳で木星の域に入ってから、もろに木星のテーマに直面させられています。台風被害で示談書を作成し、夫の件で法的なことに発展しかねないある騒動があり、一昨年からは父夫婦に法絡みの難問を持ち込まれています。

 法学部の学生だった頃はまさか30年後に、法廷に月一回レポート提出しなければならなくなるなんて、想像もしませんでした。あと何回なの? 文学に熱中して、法律サボったバツかしら。でも、書く力は別の方面から鍛えられていいかも。子供(小説)も産みたくなってきました。幽霊が証言台に立つという短編を思いつきました……その作品と『台風』『侵入者』で法三部作です。

 叔母さん、準備書面を前に困っているだろうなあ。役所勤めの従兄が面倒を見るでしょうが、彼も多忙だから。

 今夜妹と、証人、精神鑑定の件など、話し合いたいと思っています。書記官への質問は、頭の中を整理してから来週中にでも。

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息子から誕生日に届いた花束

息子から誕生日に届いた花束
わたしの好きな花ばかり……!

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2009年2月20日 (金)

循環器クリニック受診

 午前中、循環器クリニックを受診しました。

 あまり調子がよくなかったことをいうと、先生は聴診器をずいぶんあちこちに(胸と首に何箇所も)、長いこと当てていらっしゃいました。最後に目を診たあと、ちょっと考えてから、「薬はこのままでいいね? ニトロペンはある?」と先生。

 1月ほど忙しいから舌下錠は余分にほしいと思い、先生にそういうと、「忙しいって、小説で?」と先生。「いいえ。実家のことでちょっと」とわたし。裁判で、とはいえませんでした。

 毎日服用する薬は前回と同じで、インデラル、シグマートを1日3回。ヘルベッサー、アイトロールを1日2回。ニトロペンは10錠出していただきました。

 調子が悪かったとはいっても、心臓の薬は今のままでよいと感じます。気温の急な変化やオーバーワークさえなければ、快適に過ごせているといってよいでしょう。

 ところで、診察の前、処置室に頭に凹のある看護師さんがいらしたので、わたしの凸も手術で凹となったことをご報告して、互いの凹を触りっこしました。似た窪みかたですが、わたしの凹のほうが全体に大きい感じでした。

 もう1人処置室にいた看護師さんとも、凹の話で盛り上がり、そのわたしたちのはしゃぎぶり? が診察室の先生に伝わっていたのか、診察のあとで、「頭の窪み、あるよね?」と、唐突におっしゃるではありませんか。

「ええ、ありますよ。頭に窪みのある看護師さんのと、窪み加減が同じくらいでした」というと、「頭に窪みのある看護師さんがいるの? へえー、それは知らなかった」と、先生は驚いていらっしゃいました。

 こうして皆で頭の凹のことをワイワイいっているときはいいのですが、わたしはこのことでは相当にダメージを受けています。そろそろ脳神経外科の予約をしなければいけませんが、億劫で仕方がありません。

 摘出して貰ったコブ1号は一番古い、当たり障りのないコブでした。

 他のコブも同じ性質のものだとは想像していますが、頭蓋骨にある1号以外は比較的最近になってからパラパラとできたものなので、本当に同じ骨腫かどうか、気にかかるのです。いずれにせよ、この先、なるべく手術せずに済むことを祈らざるをえません。下手をすれば、頭がぼこぼこになっちゃう。

 受付で支払いを済ませたとき、看護師さんが、「お誕生日、明日みたいだけれど……おめでとう」といってくださいました。忘れていました。明日で51歳。この地球で、この時代に、半世紀以上も過ごしたことを思うと感慨深いものがあります。

 日本もいろいろと居心地が悪くなってきたとはいえ、文明国に生まれ、教育を受けることができ、楽しめる状況を作り出すこともできるという環境下に過ごせて、今生は恵まれていたと神秘主義者のわたしは思います。次にこの世に降りてくるときはどうだろう? と思えば、今生の環境と体を本当に大事にしなければと思います。

 調剤薬局では偶然、前回と同じ薬剤師さんが担当でした。ニトロのペンダントの話が半端に終わっていたことを思い出し、その話をしました。

 別の薬剤師さんが、「あれなら、今差し上げることができるけれど」といって、持ってきてくださったペンダントはわたしが持っているのと同じロケット型のもので、色が違うだけでほとんど同じでした。

「同じようなものを持っているんですけど、引っかかって出てこなかったことがあるんです」とわたし。薬剤師さんはわたしのニトロペンを借りて、いろいろと入れかたを研究してくださいましたが、結局、わたしは平べったい型のものを注文しました。

 メーカーからの取り寄せになるかもしれず、それだと10日ほどかかるそうです。3月の裁判は、朝5時に家を出て、夜帰宅する強行軍になるかもしれません。ニトロのペンダントをしていきたいと思っています。届いたら、写真でご紹介します。

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姪はアクセサリースタンドに大喜び

 姪に贈ったアクセサリースタンド。

 すぐにメールをくれた姪ですが、今日届いた妹の手紙に「Nは大喜びで、“おばちゃん、センスいいし、大好きheart01”とはしゃいでいました」とあり、くすぐったい気分。

 火曜日の裁判のあとで、駅校内のハンバーグのお店で妹、わたし、娘で食事しながら、うっかり2時間半も過ごしてしまったのですが、姪はわたしが思っていた以上に、勉強、クラブ活動、歌と頑張っているみたいで、嬉しく思いました。

 父夫婦のことは気を重くさせますが、妹とはよく会えるようになり、その点だけはよかったと思わざるをえません。

 わたしたち姉妹が独身だった頃、勿論父は正常でしたが、その頃でさえ、否、母が生きていた頃でさえ、毎日が何とも暗い気分だったことを互いに打ち明けました。妹とは幼い頃から寄り添い、懸命に生きていたという感じでした。

 あの実家の暗さは何だったのでしょうか。妹一家は明るくて屈託なく、わたしの家庭もいろいろとあってさえ、あの引き込まれるような暗さはないのです。

 これまで書いてきた小説に、断片的に表現してはいますが、捉えきれていない何かがあります。

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ラベンダーに蕾

ラベンダーに蕾
プランターのラベンダーに、花が咲こうとしています。

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2009年2月19日 (木)

わあ、民訴のお勉強って楽しいなあ!

わあ民訴のお勉強って楽しいなあ

 30年ぶりに民訴のお勉強!

 本人訴訟も結構多いようで、ありがたいことにネットにもいろいろと出ています。

 今夜中に、ざっと民訴の流れを頭に叩き込み、明日、循環器クリニックを受診後に書店に寄って、準備書面のhow-toものがないか、漁ってみたいと思います。

 身の潔白を証明さえすればいいというわけではなく、2匹のグレムリンをどう生け捕り、平和的に飼い慣らすか……しかもわたしたち姉妹に負担がなるべくかかってこないようにといった将来的なことをも見据えた戦略的な部分をうまく組み込まなければならないわけで、それが難問です。

 例えば、父夫婦は妹が広壮な別宅を所有していて、そこに住んでいるという妄想を抱いており、訴状にも記載されています。

 そうでないことを立証するのは簡単でしょうが、父夫婦のその妄想のお蔭で現在、妹は彼らの来襲に遭わずに済んでいるわけです。

 ところが妹がそうではないことを準備書面に書いたとすると、それは父夫婦に送られますから、妹は彼らの来襲に怯えなければならなくなります。妹はそうした不安をわたしに訴えました。

 父夫婦に精神障害が疑われるだけに、この訴訟をどう乗り切るかについては、独特の難しさがあります。

 あの若い書記官は少し頼りない気もしますが、わからないことはどんどん訊いて(上記のようなことも)、準備書面を作成したいと思います。

 それにしても、本を読んだ限りでは、裁判官は事件の内容を把握しておくべきであるようです。あのヘボ裁判官……!

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2009年2月18日 (水)

まずはハンドメードで裁判(自身の弁護)にチャレンジ(するしかない)。

 昨日の裁判疲れで、今日は寝たり起きたりですが、ブログに書いても構わないと思われる範囲内で、忘れないうちに記録しておきたいと思います。

以降の記録は、裁判には全くの無知、右も左もわからない一庶民の単なる覚書に過ぎないことをお断りしておきます。記憶違い、理解不足で、どんな間違ったことを書かないとも限りません。くれぐれも、信頼できる記述として参考になさったりはしませんように。

 地裁は家裁と同じ敷地内にあり、家裁が学校の古い校舎的趣だったとすれば、地裁は比較的新しい校舎という感じで、外観も内部も本当に学校そっくり。

 指示された法廷に入ると、ドアを入ってすぐに裁判官見習いの席があって、青年の裁判官見習いらしい男性が座っていました。そして、裁判官の席に裁判官、その真下に書記官の席があり、裁判官に向かって左側に原告席、右側に被告席。下方が傍聴席となっていました。

 傍聴席には自由に入れます(傍聴希望者が多くて入りきれない場合は整理券が発行されるのでしょう)。今回の損害賠償請求事件とは無関係の娘共々、わたしたち被告は指示されたように傍聴席に入りました。父夫婦は廊下に近い傍聴席に既に着席していました。わたしたち被告は窓際の席へ。

 現れたわたしたちの顔を見たときの父の嬉しそうな顔。それは、このように場には不向きな、身内に会えた喜びの表情でした。ふたりとも、一昨年の夏、家裁で会ったときとほとんど様子は変わっていず、元気そう。身なりもよく、おしゃれでした。確かに、そうした姿を見ていると普通に見えます。

 二つの別の事件に関する口頭弁論が先に行われました。最初の事件は離婚に関するものでしょうか。原告席、被告席に着席したのは、どちらも若手の弁護士という感じ。簡単な確認作業が裁判官との間でなされ、所要時間は10分ほど。次の事件は企業に絡んだものでしょうか。頭がもしゃくしゃなこれも弁護士と思われる中年男性が重そうな記録簿のようなものを抱えて原告席に座り、裁判官との間でごく簡単なやりとり。所要時間はせいぜい5分。

 父夫婦は事前に専門家のアドバイスに従って訴状と準備書面を作成したものと思われますが、本人たちで裁判を進めるようです。何がナンだかわからないまま、濡れ衣を着せられて被告席に引っ張り出されたわたしたち被告も弁護士を代理人とはしていませんでした。素人相手では裁判官もやりにくいのでしょうが、お役人的なエラそうな雰囲気を漂わせていて、態度、口調は冷淡な印象。

 まず、原告、被告席に着席した人間が本人かどうかの確認が行われ、欠席した被告の1人である伯父について理由が訊かれました。

 被告は6人です。欠席した伯父を含めて、5人は身内の人間ばかり。一昨年の調停で顔を合わせたメンバーです。他の1人は、明らかに濡れ衣を着せられた小児科医。

 伯父は高齢で、交通事故後に記憶が曖昧となり、健康状態も悪いために欠席したが、欠席については、事前に書記官から答弁書の提出があれば可能との言葉があったことを被告の1人である従兄が説明しました。

 次回からは、原則として欠席は認められないとのこと。病気などの正当な理由がある場合は、事前に診断書などを提出して許可をとるようにとのことでした。その場合も、延期になるだけなので、いずれにせよ、出席は不可欠です。そして、弁護士以外の代理人は認められないそうです。

 弁護士を雇えない人間は、張ってでも出席しなくてはならないのでしょうか?

 「前もって診断書の提出が必要とおっしゃいますが、わたしは心臓疾患を抱えており、前日までは出席可能な状態であったとしても、当日の朝、発作が起きて出かけられないという場合もありそうなのです。その場合は、欠席が認められますか?」と、裁判官に尋ねてみました。

 その場合は電話でその旨、担当の書記官に連絡し、後で診断書を提出すれば、認められるだろうという回答でした。口頭弁論の日が延びるだけですが。

 法廷では、特定のスタイルに従って事務的な確認作業が流れ作業的に行われるだけ……というわたしの印象です。

 その特定のスタイルを呑み込めている専門家同士で事を進めたいという思いが裁判官、書記官には見え見えで、若い女性の書記官から再三、「被告は人数が多いのですから、弁護士費用を頭数で割れば1人分の負担額は軽くなりますよ」と、暗に、次回からは被告全員で1人の弁護士を代理人とすることを勧められました。

 わたしは嫌ですね。いける限りは、ハンドメードでGO!です。だって、手付金だけで50万円だとの書記官の言葉です。その金額がこの先、どれくらい膨れ上がるものか、想像もできません。裁判というものは金持ちに有利という以上の強圧的な何かがあると感じさせます。 

 仮に身の潔白を証明できたとしても、父に被った被害の損害賠償を求めようと思えば、こちらが訴訟を起こさなければなりません(父夫婦が起こした訴訟と同時進行で進めることはできるそうです)。

 月一度のペースで進められることになるらしいこの裁判が終わるまでに、どれくらいの日数を要するか、従兄が裁判官に尋ねました。このような損害賠償請求事件では通常は半年、内容が複雑であれば1年以上と、はっきりしたことはいえないようです。

 裁判官は、被告全員の答弁書が全て身に覚えがないとなっており、これでは取っ掛かりが掴めず、片方はやったといい、他方はやらないという水掛論となるばかりで、裁判が進められないと困っていました。

 それなら、いくら、訴状や準備書面(口頭弁論は書面で準備されることが必要で、これを準備書面といいます)のスタイルを踏んでいるからといって、内容的にはろくに読めもしないような訴えをなぜ通すのか、という疑問がわきます。反論しようにも訴状が読めないのですから、反論しようがないのです。

 おそらく被告全員にわいたこのような疑問を従兄が代弁して、裁判官に質問しました。裁判官の回答は、スタイルを踏んでいれば、裁判所は中立の立場から、訴えを通さざるをえないというものでした。

 変な中立もあったものです。弁護士と裁判所が儲けるのに都合のよい中立ですね。 

 スタイルさえ踏んでいれば、例え、「被告は、*年*月*日に、魔法で化石から恐竜を甦らせて原告の車を踏みつけさせた、被告は原告に対し1億円支払え」というような荒唐無稽な訴えでも通るというわけです(父夫婦の訴えは、内容的にはこれと大した違いはありません)。

 そして、訴えられた側は、応戦するか、認めて1億円払うかの道しか選べないというわけです。訴えられ損では済ませるわけにはいかない理不尽さが、現行の裁判制度には存在すると感じられてなりません。

 わたしは裁判官にいいました。「一昨年、原告は同じような内容の訴えを家裁に申し立てました。それは不成立に終わりました」

「あなたは原告とはどんな関係にあたるのですか?」と、面倒臭そうに裁判官。「原告は父にあたります」とわたし。「調停とは違い、裁判では、裁判官は何らかの結論を下さなければなりません。不成立ということにはできないのです」と裁判官。

 呑み込みの悪いわたしにも、ようやくわかってきたことがありました。要するに、裁判官は白紙の状態なのです。父夫婦が提出した訴状と準備書面のスタイルを書記官にチェックさせただけで、何の予備知識もないわけです。

 わたしは、裁判官が訴状、準備書面の内容を把握してくれているものと勘違いし、また彼がこの内容では裁判が進められないとして、中断を宣言することを期待していました。

 でも、現実には、裁判官に人間的な対応を期待するわけにはいかないということがわかりました。裁判官は人間というより、コンピュータですね。原告の訴えはインプットされているが、被告の訴えがインプットされていないため、コンピュータは作動しないのです。

 わたしが自分のパソコンにいくら話しかけたところで通じないのと同じで、コンピュータを作動させるためには、入力作業(準備書面の提出)を行わなければなりません。

 次回の口頭弁論までの課題として、被告には、準備書面を事前に提出して原告との身分関係や仲が悪くなった経緯などを書くようにとのこと、また原告には、証拠となる文書なり何なりを提出するようにという指示が裁判官から下されました。

 次回の出頭は1ヶ月後です。

 書記官は弁護士を雇う気がないわたしたちのために、準備書面の書きかたをコピーして被告全員に配ってくれました。

 原告の精神鑑定の請求ができるかどうかを尋ねると、認められれば可能となるが、準備書面には、今後、精神鑑定依頼も検討しているくらいに書いたほうがよいでしょうという書記官のアドバイスでした。

 仮に父夫婦に精神鑑定の必要が認められたとして、そのための費用は当然、こちらが持つことになるのでしょうね。いくらくらいかかるのでしょう。何を書くにも慎重にならなくてはなりません。

 妹から、裁判の前に、父夫婦が某銀行に何度も出向いて、訴状にあるようなあらぬことをいい、業務妨害を行ったと聞いていました。銀行は、訴えることまでは考えていないとか。その銀行には妹の友人が勤めていて、父は彼女と顔見知りでした。わたしと同学年の男性もいるようで、彼はわたしを知っているといっていたそうです。故郷では、どれだけ噂が拡がっていることやら。

 被告の1人である小児科医は高齢であるため、女性が付き添っていました。この女性はたぶん小児科医の後妻です。「訴状は読めたものではありませんでした。わたしはお母さんを知っていましたが、こんな財産をめぐる骨肉の争いに巻き込まれて、本当に迷惑です。今日は病院を休診にしてきたんですよ」と彼女。

「父と争ったことはありません。ご主人と同じ立場です」と、わたしはいいました。この国の法律では、人格は個別のはずです。わたしが彼女に文句をいわれる筋合いはありません。父とわたしが結託でもしているというなら、話は別ですが。

 子が親の犠牲になるのは、過去の時代のことだとわたしは思っています。ホームページに収録中の『救われなかった男の物語』は、それをテーマにした小説です。

 小児科医の先妻は、亡くなった母の友人でした。慎ましやかな、優しい女性でした。ひどい離婚のされかたをしたと聞き、ご主人はひどい人だと思っていましたが、医師は寡黙な男性で、後妻は露骨な女性。女性が主導権を握ってのことかしら。まあどうでもいいことです。

 ただ先妻の女性であれば、まともだった頃の父をご存知のはずで、力になって貰えたかもしれないと思います。力になってくれそうな人は、父が仲違いするか亡くなってしまいました。

 書記官によれば、調停のときの書類は証拠品として提出できるそうです。調停のときの書記官を参考人として招くことができたら、いいのですが。

 訴状のなかに、わたしが原告である父の奥さんを精神分裂病と侮辱したとあり、その件も損害賠償請求の対象となっています。他の記述は読めたものではないので、ここを取っ掛かりにしたいと考えています。

 わたしは父が再婚した早い時期から、奥さんには精神疾患が隠れているのではないかという漠然とした不安がありました。そして、その後、それに間違いないだろうとほぼ確信し、父にお医者に見せたほうがいいのではないか、とこっそりといいました。あくまで、身内としての心配からでした。

 わたしが奥さんの精神疾患を疑ったことが正しいのか間違っているのかはわかりませんが、その動機となった証拠品があります。それはペリカン便で届けられた小包に貼られていた宛名ラベルです。

 それには自筆で、実家の住所のところに奇妙なことが付け加えられていたのです。「ポリス前九電(?)」と。実家の近くには警察関係の建物も九電もありません。電信柱は家を出てすぐの道に立っていますが。本当に奇妙な書き込みに思えました。

 いつか裁判沙汰になることまでは予感しませんでしたが、それまでにもおかしなことがあったため、その記録をとっておこうと思い、わたしはノートを作りました。

 そのノートの書き出しのページに、わたしはその宛名ラベルを貼りつけています。ラベルにある日付は、平成10年12月13日となっていました。

 そのラベルの横にわたしの自筆で、「亡き母の遺留品(その中には父母が結婚したときの記念品の木でできた刀なども入っていた)や、わたしが家に置いてきた本などが送られてくる。小包の件で電話を入れたところ、義母が出、彼女がいうには、亡き母が夜中に出てきて、果物ナイフで、まな板をトントンやっていたとのこと。母の持物やわたしの本が家にあると気持ちが悪いから送ったという」

 父はこの頃は正常で、奥さんと仲よくしながらも、よく叱ったり、宥めたりしていました。わたしたち姉妹との交際もありました。

 この頃、奥さんが、妹にはわたしの、わたしには妹の悪口ととれるようなことをよくいっていました。後に確かめたところでは、奥さんの虚言とわかりましたが、当時はわからず、そのことで、わたしたちは疑心暗鬼となり、姉妹の仲が悪くなったほどでした。

 ノートの次のページには、2件の記述があり、
「H12.5/8 父の友人のMさんに、祖母の葬儀に出席いただいたお礼のハガキを書いたことに対し、父より怒りの電話あり。よけいなことをするなとのこと。Mさんは平服で出席されていた。そのことで父は怒りをぶつけてくる。」

「H12.8/11 妹から電話。実家に電話をかけたら、『もしもし』と言ったとたんに電話を切られたとのこと。(後日)再び実家にかけたら父が出て、Mさんをわたしと妹が共謀して葬儀に連れてきたといって怒ったらしい。お盆に行こうと思い、家にいる日を訊いたが『わからん』という怒った返事が返ってきただけとのこと。」

 この頃、父はひどく怒りっぽくなっていて、交際のあった親しかった人々を次々と切っていっていました。Mさんは、穏やかな紳士で、わたしたち姉妹とも話したことがありました。本当に優しいかたでした。

 わたしが父の友人に葉書を書いたのは、この1回きりです。だんだん変化していく父に不安を覚え、せめてMさんには父の傍にいてほしいという思いが、そんな行動をとらせたのだと思います。

 Mさんは持ち前の優しさから、勿論自発的に、車で1時間以上かかる葬儀にいらしてくださったのでしょう。Mさんが平服で出席なさっていたというのは父の言葉であって、それが事実だったかどうかはわかりません(礼儀正しい日頃のMさんから考えて、平服でというのは不思議な気がします)。

 このあと、こんなことを綴ることが虚しくなり、ノートを中断してしまいましたが、続けていればよかったと思います。

 証拠品になるかどうかはわかりませんが、このノートは提出するつもりです。

 日記にはあれこれ書いていると思うので、以前の記憶を確認するためにも、読み返さねばなりません。

 奥さんは新婚の頃、わたしに、「育ての親は伯母だけど、仲が悪くなって、好きな伯父の遺骨を持って青森の家を飛び出したの。東京に長くいたけど、寒いから大阪に引っ越して、震災で怖くなったから九州に来たのよ」といいました。父と結婚する直前に離婚していているようです。

 彼女は、地区の人の紹介で父と知り合ったときはスーパーでレジを打っていました。乙女座の几帳面そうな女性で、わたしは彼女に病的なものを感じてはいても、決して嫌いではありませんでした。

 夫と同じ年齢で、お母さんというより、お姉さんができたような感覚でした。それで誕生日にプレゼントしたり、正月と盆には実家に帰りましたが、しつこすぎても嫌われると思い、それ以外には、父から何かいってきたときくらいしか連絡しないようにしていました。

 ノートに書いた頃まではそのような交際がありましたが、その後、連絡をとるのが怖くなり、こちらからは連絡しなくなりました。でも、季節の変わり目になると、実家から何かしら怖ろしいことで電話がかかってきました。

 ノートに宛名ラベルを貼りつけたときから、10年が経過しました。その間、わたしたち姉妹には平安というものがありませんでした。

 青森には、奥さんの伯母さんがいるはずですが、夫の遺骨と共に失踪した姪を、気も狂わんばかりに心配しているのではないかという想像がわたしには繰り返し起こって仕方がないのです。

 どうしてこんなことになったのか、昔の奥さんはどんな印象の人だったのか、青森の伯母さんを訪ねてみたいくらいですが、住所も何もわかりません。あの当時でさえ、訊こうとしたら、詮索している、結婚に反対しているととられかねませんでしたから。

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2009年2月17日 (火)

わーい、赤い風船のケーキだ!

わーい、赤い風船のケーキだ!

博多の天神に来ています。
エルモや、『赤い風船』のナチュラルチーズ セレクションで、疲れを癒そうね。
人生はわびしいことだけじゃだめ。楽しまなきゃ。
紅茶はマルコポーロを頼みました。

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エルモ、疲れたね

エルモ、疲れたね

疲れました。

形式さえ、調っていれば、裁判は始まるそうです。
そして一旦始まったら、裁判官は何らかの判決を下さざるをえないとか。

月一度のペースで進行することになりそう。
詳しくは帰宅後に。

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おはようございます

おはようございます

エルモは勝手にスタンバイしています。

正直いって、パッとしないコンディションですが、レジャーではないのですから、こんなものでしょ。

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右膝関節が痛い

右膝関節が痛い

ホテルにいます。エルモは先に寝ちゃいました。

心臓はまあまあですが、博多での乗り換えの際、階段で両膝が痛くなり、目的地の駅の階段では、両膝とも曲がりにくい状態となり、何とか降りました。

今は左膝は何ともなくなりましたが、右膝が疼き、なかなか痛みが消えません。

提携しているのか、ホテルの屋上に竹下のブラックモンブランの看板があり、ロビーでそのブラックモンブランが販売されていました。

なつかしくて、1本買いたくなりましたが、おなかをこわしたらいけないのでやめました。

ああ膝痛いわ〜(>_<)。湿布、持ってくるべきでした。

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2009年2月16日 (月)

楽しそうなエルモ

楽しそうなエルモ

乗り換えた電車が走り出したところです。

エルモは窓の外の景色に夢中!

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行ってきます

20090216173702  娘の帰宅を待ち、19:42の特急電車で博多まで。乗り換えて、地裁のある街へ。ホテルに着くのは23時近いでしょう。

 息子から電話があったあと、父も正気であれば息子の就職を喜んでくれただろうに、と思いました。

 現実はこうなのだから、過去を振り返ってばかりいても仕方がありません。よりよい方向へ進むことを願いつつ、最善を尽くしたいと思います。とりあえずは、元気で裁判所に辿り着かなくては。

 バッグにくっつけて、エルモを連れていきます(いい年して恥ずかしい? かな)。入院にもお供させました。今回の遠出(プチ旅行ですが)を、エルモったら喜んじゃって……行ってきます。

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息子から電話

 息子から電話があり、入ることになる寮の住所を知らせてきた。

 都内の便利のよさそうなところで、一人部屋。冷蔵庫、ベッド、バス、トイレ、小型のキッチン(自炊は原則的に禁止)がついているという。食堂、ランドリーコーナー、ゲストルームがあって、管理人さんがいるとのこと。

 引越しを心配していたのだが、会社から運送会社の指定があり、費用も出て、あとは東京に出る旅費が必要なだけだそうだ(旅費は後日会社から口座に振り込まれる)。一安心した。

 研修後の配属が東京の場合は、そのままそこに住むことになり、大阪だと再度の引越しとなるが、その場合も引っ越しに関する心配は必要なさそうだ。

 夫や娘の職場環境から考えると、至れり尽くせりという感じがするが、求められるものもそれなりのものがあるのかもしれない。事実、入社前の通信教育を受けさせられている(只ではある)。基本情報技術者の資格を取得するためのものらしい。

 その学習と修論が重なる時期は、結構大変だったそうだ。

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2009年2月15日 (日)

姪にアクセサリースタンド

 14日の夜、ニトロペン(ニトロ舌下錠)を使ってから、体調がよくなりました。それから考えると、このところの絶? 不調の原因は、またしても宿痾――心臓疾患――だったということでしょうか。

 いずれにしても、機会を見て、肝胆膵内科を受診したいとは思っています。

 何にせよ、体調がよかったので、14日に済ませられなかった用事を済ませに、翌日また出かけました。家賃を振り込むなどの用事もあったのですが、一番の用事は姪にちょっとしたものを買うことでした。

 ちょっとしたものだから、金額的には上限で3,000円。ファッションビル、商店街のお店など、あちこち行きましたが、結局百貨店へ。

 入浴後に頭を包むタオルをそのまま帽子にしたものがあり、なかなかよさそう、と思いましたが、うーん。アロマグッズはどうでしょう。高校生だから、そんな時間がないかも。では、アクセサリーボックスはどうだろう、と思い、探し始めました。

「お小遣いのなかからちょっとしたものを買っては、結構上手におしゃれしているのよ」との妹の言葉を思い出したのです。前にペンダントをあげたとき、喜んでくれたことも思い出されました。

 きっと姪は、お小遣いから買ったアクセサリーをいろいろ持っているのではないでしょうか。だとすると、それをうまく収納・保管するための容器が要ります。もう既に持ってはいるでしょうけれど、贈られでもしない限りは、案外、間に合わせ的なもので済ませてしまうこともあるのでは?

 万単位の高価なジュエリーボックスならいろいろとあって、オルゴールつきのや、書物や楽器や卵を象ったものなどありました。わたしがいいなあと思ったのは、整理箪笥のミニチュアといってよい、レザーで出来たジュエリーボックス。黒とベージュの段が交互に来るように配置されています。値段は8,000円くらい。

 でも今回のちょっとしたもの、という趣旨からは、大幅にはみ出してまいます。

 それにそれはジュエリーボックスなので、ペンダントとかネックレスが棚の中で絡まりそう。その下の陳列棚に、ジュエリーボックスというより、いわゆるアクセサリーボックスがありました。

 箱の中には、ペンダントなどが絡まないように引っかけるところが並んでいて、ピアスや指輪置き場もちゃんとあり、小型ながらよく工夫もされています。木製でさわやかなデザイン、色は若草色。蓋は透明です。取っ手が洒落ていました。値段も、何と2,000円弱。それでいて、安っぽさがありません。

 お店の人に、高校生にも無難かと尋ねると、「ええ、ええ、高校生にもいいと思いますよ。社会人になってからも、自分一人ぶんであれば、これで充分足りると思います」とのこと。

 それに決め、包んで貰っていました。姪はあれを喜んでくれるかしら。歌が好きで、昨年のジュニア対象のコンテストでは、2人のユニットで姪が歌い、いいところまで行ったようです。もう少し華やいだ気分にさせるものをあげたい気もするけれど……と思いながら、ふと見ると、上のほうに、女性を陶器で象った素敵なアクセサリースタンドがありました。

 すんなりとした体に貴婦人のような長いドレスをまとい、丸い玉となった頭部から真珠を模した玉がついた金色の細いアームがいくつも出ています。そこに、ペンダント、ネックレス、ブレスレット、指輪などをかけられるようになっていました。

 眺めるだけで、夢見心地に誘われる優雅さです。まあ、素敵、10,000円は下らないだろうなと思って値段を見ると、何と3,000円弱でした。この安さは何でしょう。円高のお蔭? 尤も、万単位のものから目を移せばナンですが、それだけ見ると、とてもその値段には思えません。

 木製のアクセサリーボックスを包んでくれている人は別のところにいましたから、売り場で、別の人と話しました。「それ、いいでしょう? 珍しいですよね、こういうのは。飾り物としてもいいと思いますよ」と静かながら、おすすめの口調でした。

 それと交換して貰いました。見ようによっては、トロフィーにも見えます。これを見て、華やいだ気分になってほしいと思いました。

 姪は高卒後は就職することに決まっていて、妹は「勉強は嫌いだから、就職のほうがいいと思う」といっていましたが、姪は大学進学を迷っていた時期もありましたから、当人の心はもう揺れてはいないのだろうか、と少し心配になります。

 歌に関しては妹より、外野のわたしのほうが慎重な態度。夫の会社の同僚の奥様で、わたしのママ友であるHちゃんは、歌がとても上手です。若い頃、演歌歌手としてスカウトされたことがあり、そこは名のあるプロダクションで、契約金は当時のお金で2,000万円だったそうですが、それでも将来のことを考えると、ドサ回りが脳裏に浮かび、踏み切れなかったとか。

 わたしの作家志望と姪の歌手志望には、どこか似たところがある気がします。夢を追い続けることに関する懸念材料としては、姪の声は高音部に弱く、それが付け焼刃的な訓練でどうにかなるものかどうか、わたしには専門的なことはわかりません。タレント性はあるかもしれません。

 短大か大学へ進めば、サークル活動、レッスン、バイトなどの時間がとれたりもするでしょうから、この先、歌とどう付き合っていくかをはっきりさせる期間を持つためにも、わたしはそちらを勧めたいところですが、他人の家庭のことにそう口出しはできません。

 奨学金を利用するとしても、お金がかかりますし、今も男の子を重んじがちな郷里の風習を感じないわけにはいきません。難しいところでしょう。

 姪は今、簿記の資格にチャレンジ中のようです。そんな生活のなかでも、たまにグループ(あるいは2人のユニット)で、イベントなどへ出かけて歌うことがあるとか。

 就職するのであれば、将来よいかたちで歌っていくためにも、慎重に決める必要があるでしょうね。就職活動は秋からになるのでしょうが、この今の厳しいわが国の環境の中、踏ん張ってほしいものです。

20090215162429_2  わたしも文学活動を続けるためには就職が大事と考え、何とか決まったのですが、実家に戻らざるをえませんでした。その後結婚してしまったために、足場を築けないままという不安定感を未だに拭いきれません。

 カードに、その伯母としての気持ちをさりげなく書けたらいいなと思いますが、日頃文章を書き散らしている癖に、こういうのは苦手で、なかなか思うように書けません。

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時間のない朝に

時間のない朝に
食パンの真ん中を少しとってくぼませ、アルミホイルに載せたら、卵を割落とし、塩こしょう。それをトーストにするだけ。
これなら、わたしが起きられない朝も、家族が無理なくできそう。美味しいと好評でした。

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2009年2月14日 (土)

ニトロを溶かしながら横断歩道

ニトロを溶かしながら横断歩道
芸がないので、今回はニトロペン(ニトロ舌下錠)を取り出したあとのアルミ包装を、マーガレットのコースターに載せてみました。

循環器クリニックを受診すると、ニトロ舌下錠を何錠使ったか、必ず訊かれます。
診察に出かける前に、ブログを開いて写真を数える習慣が定着しました。
これ、我ながらグッドアイディアでした。
それ以前はメモ帳に記録したり、ブログに言葉で記録したりしていましたが、忘れがちでした。
今では、昨夜のように外出中に起きた場合でも、空になったアルミ包装を持ち帰り、写真を撮って記事にするまでは、テーブルに置いておきます。
ブログにアップしたアルミ包装の写真付記事を読むと、発作時の状況がよくわかり、本当に役に立っています。
記事は、ちょっとくどいくらいに書いておいたほうが、あとの参考のためにはいいです。

来週、妹に会うので、姪に何かちょっとしたものをと思い(甥は大阪の大学に進学していて、家にはいません)、出かけました。他にも、用事がありました。

でも体調よくなく(やはりだるい)、左股関節も痛み出し(この痛み、気になりますが、レントゲン上は不審なものはありませんでした)、デパートの椅子に座りに行ったようなもので、思うようには用事を済ませられませんでした。

娘と待ち合わせて帰りかけ、駅前の横断歩道を渡ろうとしたとき、喉の中を下から刃物で突き上げられたかのような鋭い痛みが走りました。

これまで家族に発作やニトロの舌下を見られたことはなかったのですが(なぜか見られるのが嫌で、何とかごまかしてきました)、そのときの状況ではすぐに舌下しなければ強い胸痛が起きることが確実でした。

「ちょっと喉が」とわたし。「ああ風邪? 今流行っているよね。会社でもね……」と娘。
「ううん、これは違う。心臓」と、切羽詰まってきたわたし。「え〜!」と慌てる娘。
「大丈夫。ニトロ。ある。これで。すぐに」と、バッグからニトロを出しながら、外国人みたいな口調になるわたし。

幸いニトロはすぐに効き、スッと喉の痛みが消えたばかりか、胸から頭にかけて涼しくなりました。何という気持ちのよさ。まさに、狭心症患者には魔法の薬ですね!

信号が変わり、横断歩道を渡ながら、錠剤の1/3くらいは舌の下でゆっくりと溶かしました。

「もう治ったわよ」と、ケロリとしてわたし(内心はぶり返さないか心配でしたが)。「水なしで飲めるの?」と娘。

そんなことも話していなかったんだと思い、この際いろいろ話しておこうとも考えたのですが、娘には恐怖だったようで、聴きたくなさそうでした。
わたしは舌下錠の作用で体が軽く、ハイな気分だったので、また今度でいいやと思ってしまいました。
ただ左股関節から、次いで両膝まで調子が悪くなり、帰宅にはいくらか難儀しました。

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2009年2月13日 (金)

バレンタインデーと娘の読書感想文

 明日はバレンタインデーですが、チョコレートの買い物はお済みでしょうか?

  わたしはいつだったか、観察のために、チョコレート売場に長居したことがありました。その観察結果では、男性のためにチョコレートを買う人よりは、自分のためにチョコレート選びをする人のほうが、顔つきがはるかに真剣です。

 真剣になるあまり、凄味を帯びているかたさえ、いらっしゃるくらいですよ。わたしは、そのかたによほど思いつめた恋があり、その思いを叶えるための使者としてのチョコレートを必死になって探し求めていられるのだろう、と想像しました。

 しかし、バレンタイン包装を必要ないからと断ったそのかたの行動から、恋人のためにではなく、ご自身でチョコレートの造形を楽しみ、味わうために求めたのだとわかりました。

 あるいは、自分でオリジナルの包装にチャレンジなさった可能性もないわけではありませんが、わたしは他の類似した複数例から、そう結論づけた次第です。

 包装を頼むかたのほうがむしろ、あっさりとした客観的な態度でチョコレートを求めるケースが多いと見ました。

 ところで、1週間ほど前に遡りますが、夫とわたしとで合計200冊ほどの本を処分しました。家族全員本好きなので、時々はこうして処分しないと家が本でパンクしてしまうでしょう。今回はめずらしく、夫のほうから決行しました。

 その日、本棚の隅から手作りの小冊子が出てきました。娘が小学校だったときの読書感想文集でした。娘は、ジーン・ウェブスターが1912年に発表した『あしながおじさん』を選んでいます。

 その読書感想文を読んで、思わず噴き出してしまいました。娘にそれを見せると、娘も噴き出しました。夫にも見せましたが、やはり夫も噴き出しました。以下に、『あしながおじさん』というタイトルの娘の読書感想文をご紹介します(当人の許可を得ました)。

 この本の主人公ジェルーシャ・アボット(本人はこの名をきらって、ジュディーにしたそうですが)は、ひょんなことで、ある人に手紙を出し続け恋するようになるのです。

そのひょんなこととはジェルーシャ(ジュディー)の『ゆううつな水曜』という作文を裕福な評議員さんが読み、その人がジュディーを大学へやろうと申し出たことです。

しかも、おこづかいも送ってくれるというのです。私は、なんと心の広い人と思いました。それにたいしてジュディーがその人に手紙を書くこと。手紙はジョン・スミス様あてです。

本名は違う名だけどかくすということです。その手紙の内容は大学のことやスミスさんのこと。ジュディーは手紙をすなおに書いていると思います。

いろいろと書きますが最後にはジュディーが始めてのラブ・レターを書くのです。ジュディーはスミスさんに手紙を読んでもらって幸せと思います。もし、スミスさんに読んでもらえなかったら不幸せだったでしょう。 

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2009年2月12日 (木)

今日も体調がもう一つ

昨日までは病院に行こうかと思ったくらいだるかったのですが、今日はましになったような気がします。

肝胆膵系の疾患があると、だるいといいますね。昔(よくなったのか、誤診だったのか、潜在しているのかわかりませんが、現在ではなかったことになっています)、どれも異常があるといわれたことがあり、当時胆石があるといわれたものを除けば治療を受けました。肝臓はどれくらい薬を飲んでいたか、覚えていません。どちらにしても、大したことはありませんでした。ただその薬、何だったか忘れましたが、服用したあと不快で、嫌いでした。膵臓の薬は何年も飲んでいました。

肝臓の数値が悪かったときの纏わりつかれるような粘っこい、執拗なだるさ。慢性膵炎といわれたときの猛烈な背中の痛みこわばり、腹部症状、だるさは忘れられません。それに比べたら、今のは軽いだるさなのですが、その頃にやはり唐突に眠くなることがあったのです。

で、過日内科で受けた血液検査で、先生を考え込ませた数値が何だったかが気になってきました(ちゃんと訊いておけばよかった)。
過去に別の科で受けた血液検査のデータを出してきて、数値から推測してみると、正常値ぎりぎりだったのはアルカリフォスターゼではないかと思うのです。異常値ではなかったにせよ、前より数値が大きくなっていたのでしょうね。
ネット検索したところでは、肝臓や骨の異常で、高値となることが多いようです。考えられる疾患の中には、骨腫瘍や副甲状腺機能こう進症が入っています。腫瘍マーカーとして使われることもあるようです。
異常値だったのが何かですが、数値からすると、肝機能のどれかではなかったかと想像したりもしますが、わかりません。どちらにしても心配ない範囲だったのでしょうが、だるかったり骨に頭から角が生えて? きたりすると、いろいろ考えたくもなります。

だるさがとれないときは、脳神経外科を受診するついでに肝胆膵内科を受診して、念のために肝臓を診て貰うのもいいなと考えたりしています。肝嚢胞も、定期的に検診を受けるようにいわれましたし。何となく、低血圧から来る眠気やだるさではない気がして……まあそれから来たものかもしれませんが。

話は変わりますが、うちのベランダから、お隣りのベランダに置かれた背の高い家具か何かの上で、仲睦まじくしている鳩夫妻が見えます。
暖かくなって繁殖し出すと、深刻な問題となってきますが、寒いなかで静かに寄り添っている鳩夫妻につい見とれてしまいます。

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2009年2月11日 (水)

マスコミの麻生首相バッシングに潜む、根本的なおかしさ

 10日付、毎日jpに『麻生首相:郵政選挙で迷走発言…また弁解http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090211k0000m010085000c.html』という記事があり、閲覧した。

 最近、麻生首相に対するマスコミの批判的報道がやたらと目につくが、前掲の記事を例にとってみても、その報道の仕方自体に、わたしは根本的なおかしさを感じる。

 いきさつを掻い摘んでいうと、麻生首相は、郵政選挙が民営化を問うただけのもので、国民は内容をよく知らなかったとして、4分社化を見直す考えを示した。が、その後、釈明に追われた。

 記事によると、麻生首相は10日、小泉元首相に電話し、自らの発言について説明。小泉氏は「あの当時は皆反対だったからな」と問題視しない考えを伝えたという。

 麻生首相は、記者団とのやり取りでは、「言っていることが矛盾しているとは考えていないのか」と追及されたりしている。

 あの当時の独特のムードを知るには、当ブログにおけるわたしのエッセー、映画『ヒトラー最期の12日間』を観てを読んでいただければ足りると思う。

 郵政4分社化がなぜ必要なのか、国民の大半はよくわからないまま、マスコミが盛り立てた小泉劇場に喝采し、何となくそのことで政官財の癒着が断ち切られると期待し、それが自分たちの生活をよくしてくれるような錯覚を起こして賛成したというのが実態ではないだろうか。

 あの郵政選挙自体が異常なものだったのだ。そのことは、前掲の記事の中の小泉氏の言葉で証明できる。小泉氏は言ったそうだ。「あの当時は皆反対だったからな」。そう、皆が反対だったにも拘らず、通った法案だったのだ。こんなおかしなことがあるだろうか? マスコミはなぜ、それを問題にはしないのか。

 麻生首相の言葉も、マスコミの採り上げかた次第では、郵政民営化の推進力となった新自由主義の欠陥をあぶり出し、小泉氏によって骨抜きにされた民主主義を国民の手に取り戻す助けともなるだろうに。

 マスコミを味方につけることのできない麻生首相が憐れだ。

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体調がもう一つ

先日の異様な眠気は何だったのか、もう一つわかりませんが、このところ特に疲れやすく、足は無意識的に炬燵に向かい、横になってしまいます。おまけに石? と感じさせる右下腹部の痛みもあったので、よく水分をとるようにしています。

横になっている自分の眉根が険しく寄っていることに気づき、やはりただ怠けて横になっているわけではないと一人納得したりしています。
こんな確認でもしなければ、生産性のない今の自分の状態は自責の念を引き起こす、耐え難いものです。

来週の小旅行が本当に嫌です。

昨日から書こうと思っていた記事が2つあります。気になったニュースのことが一つ。上田秋成の『雨月物語』に絡んで書きたいことが一つ。
眉根を寄せて横になりながらも、それらを考えていました。
これからパソコンに移動して、それを書きましょうかね。

家事の中では、目下、掃除が一番疲れます。それもなぜか、掃除機かけが……。

料理は、今日はメインを魚にする日。
肉と魚を、一日交替でメインに持ってくるようにしています。
わたしは血液検査で赤点をとりがちですが、再来年定年になる夫は結婚してから健康診断の血液検査で一度も異常が出たことがないので、まあまあわたしの料理はバランス的に悪くはないだろうと考えています。
夫も、もう若くはないのですが、酒と煙草はやめたくないみたいで、それなら、せめて量を少なくしてほしいところです。風邪の季節に、風邪に効きそうなレシピを選び、果物、ハーブなどで気を遣っても、夫は煙草でそれを+−、ゼロにしてしまう気がします。

何にしても、小旅行までに、もう少し元気をつけたいものです。コピーロボット、ほしいなあ。

さて、娘に何の魚を頼もうかしら。

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2009年2月10日 (火)

チーズの贅沢な味わい、グリコのチーザ〜!

20090210151633 グリコの『チーザ』は、おつまみに、大人のおやつにグッド。〔ホーム⇒GO!

 チェダーチーズ味とカマンベールチーズ味がありますが、どちらにすべきか迷ったときは、しっかりとチーズそのものの味がしますので、どちらが好きかで、チョイスすればよいでしょうね。

 娘はカマンベール、わたしはチェダーが好みです。

 書店勤めの娘。レジ業務を中心に、雑誌の配本の改正、注文品の管理、ポップ作り、読み聞かせ……様々な仕事をこなしています。お菓子の仕入れと陳列も、娘の担当。

「手頃なカロリーと手頃な値段、本格的なチーズの味が楽しめるスナックということで、特に女性に好評です」との取次店の人のすすめで、仕入れたそうです。

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更新のお知らせ

 ホームページ「バルザックの女弟子になりたい!」に純文学作品、小説『銀の潮』 を収録中……page1page2

 個人誌「月の捧げもの」作品集1(1995年11月)に収録。

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2009年2月 9日 (月)

息子から電話

午前中、息子から電話があり、これから修士論文を出しに行くという話だった。
先週くらいまでは徹夜を繰り返したりと、大変だったらしい。
その発表会が今月中にあり、来月には学会があるという。
引っ越しなどもあるから、来月は多忙となるだろう。

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カラヤン指揮・監督のカルメン

今朝になって、一昨日からの不調は風邪だったことがわかりました。

測ったらたぶん熱があるのではないかと思います。喉は、まだ少し痛い程度。腰が痛く、体が動きません。昨日程度の家事も無理と感じますが、昨日のあれは異常でしたよ。今朝は、頭は痛くとも、はっきりしています。これが裁判のある来週でなくて、よかったと思います。

深夜観た『カルメン』は、カラヤン指揮・監督によるオペラ映画でした。

途中寝てしまって、最初と真ん中と最後しか観ていないのですが、黒人グレース・バンブリーのカルメン役は、違和感がありました。歌いかたは、素直な印象。が、ビゼーの曲が生かされた無駄のない構成だったと思いました。

ローザンヌ歌劇場のカルメンは、オーバーオールのポケットに手を突っ込んで始終うろうろしている女工というよりニートに見え、少し頭が足りないように見えましたが、カラヤンのこのカルメンはそれよりはましでした。女工の衣装は、ミニっぽい変なデザインでしたが。
何より、ローザンヌ歌劇場ではだらだらと続くベッドシーンは、カラヤンでは闘牛で盛り上がる華のあるシーンで、ビゼーの曲と絶妙に絡み合っていました。カルメンの心変わりも、自然な描かれかたでした。

ああでも、メリメの『カルメン』を知るわたしには、カルメンの描きかたが物足りない。文学作品に描かれたカルメンの純愛、痴態、宿命の瘴気……とりわけ知性が描かれていない。カルメンの険しさもクールさも多面的魅力も、そこから出ていると思えるだけに物足りなさも募ります。

演劇的に見れば、本当に物足りないものがあるのですけれど、これはオペラ。何よりビゼーは音楽で、そうした部分をあまやかに、やや俗っぽく表現してみせたのだと思えば、それほど文句はありません。

カラヤンの音楽は、硬質。アニハーノフのレニングラード国立歌劇場管弦楽団なんかのほうが、大雑把でもカルメンには合う気がします。

当ブログにおける関連記事:ローザンヌ歌劇場オペラ『カルメン』を観て

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BS2でカラヤン指揮カルメン〜!

BS2でカラヤン指揮カルメン〜!
昼間眠ってばかりいて、夕方になり寒くなったせいか、少し眠気がとれました。
そうすると、眠気に隠れてわからなかった体調の悪さがわかりました。
夕飯の支度は無理だと思い、娘に弁当を頼みました。帰宅した娘が、まだだった掃除機もかけてくれ、情けない気持ちでした。

夕食後も寝ていたのですが、ふと目を覚ますと、テレビでオペラ『カルメン』をやっているではありませんか。オケの指揮がカラヤンですから、古いフィルムなのでしょうね。
昨年観たローザンヌ歌劇場の、はっきりいって破廉恥な(とわたしには感じられた)演出による『カルメン』に割り切れない思いがあったので、比較するにはよい機会です。また途中で寝てしまわなければ、記事にします……。

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2009年2月 8日 (日)

(_ _).oO

どういうわけか、今日は朝から眠くてたまりません。いや、眠いのは昨夜からで(料理するのがつらかった……でも頑張って、ご馳走?作りました)、夕飯の皿を洗おうと考えながら炬燵で寝てしまいました。だから、睡眠不足ということはないのです。

早朝、胸の圧迫感を覚えて目覚め、食後に飲む心臓の薬インデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマートを早めに飲みました。そして、あら〜皿つけっぱなしじゃないの、何てこと……と舌打ちしながら洗ったりし、そのあと洗濯機を回したところで何だかガクッと疲労感に襲われ、「一休み」と思いながら爆睡。

朝食は娘が簡単に用意したのでしょう、家族は仕事に出かけていました(わたしの役立たずの主婦ぶりに家族が慌てなくなったのは、慣れもあるでしょうが、昨年のわたしの入院のお陰かも)。

当のわたしは10時過ぎに再度目覚め、わあ洗濯物……と思って干し、そこでまたガクッときて、「一休みしてから、ブランチといこう」と思いながらテレビを見ているうちに(サンデープロジェクトで『第2弾スクープ証言!派遣法誕生の真実』)、うたた寝。

胸が苦しくなり、起きると、正午過ぎ。また早めに、(ますます血圧が下がってヤバいかもと思いながら)インデラルとシグマートを飲み、「朝ご飯もブランチも食べ損なったけど、お昼ご飯はちゃんと食べよう」と考えながら、またまたなぜか爆睡。

起きたら午後2時過ぎで、携帯からこの記事を更新しているというわけです。

暖かいこともあって、血圧がかなり低くなっているのでしょうね。高いよりは低いほうがいいけれど、これはこれで困ります。

裁判も近づいて来たというのに、これでは昨年の春に博多で《詩人》(文芸部時代の女性の先輩)に会ったあと、美術館のロビーで失神したように寝てしまったときの再現になるかもしれません(そういえば12日に《詩人》から電話がありました。元気そうでした。記事にするつもりで、忘れていました)。「Nさん、何か異議がありますか?」と裁判長。(_ _).oOとわたし。そうなった場合は、叱られるの、罰金なの?

尤も第一回は、打ち合わせだけみたいですが。この眠気には、戦意も喪失します。

心臓も疲れているようです。これからメディトランステープを貼り、何か食べ、家事をして、一休みにはパソコンのところへ行こうと思います。今日は創作は無理かもしれませんが、ホームページに小説『銀の潮』の続きを収録したいのです。

何だかこの記事を書いたところで、またガクッと来ましたよ。

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2009年2月 6日 (金)

5日に、呼吸器クリニック受診

 5日に、呼吸器クリニックを受診しました。

 血圧は上が100いくつか、下が50いくつか、とわたしにしては低め。脈拍も、65と少なめ。

 ずっとお目にかかっていなかった看護師さんが「お久しぶりですね。互いの時間帯がずれていたみたいですね」と優しくおっしゃってくださいました。「1年ぐらい、お顔をみていない気がします」とわたし。

 この看護師さんには、フルタイドをサボっていた頃に、厳しく叱られたことがありました。そのときの看護師さんは、わたしが主人に愚痴をこぼすときのような、怒りを抑え様もないといった雰囲気で、言葉は穏やかでしたが、目を遠くに据え、とりとめのないお叱りの言葉が長く続くという印象に残るものでした。

 看護師さんのおかあさまが喘息で、ずいぶん大変なのだそうです。それで、わたしのようなことをしていれば、先でどんなことになるのかがわかるし、その不真面目さには腹が立ちもし、心配を通り越した感情は怒りに変わらざるをえない……という感じでした。

 そのとき、わあ苦手だなあ、この手の看護師さん……と思いましたが、普通に接すると、とても優しいかたです。

 ただフルタイド、今でもときどきサボることがあります。わたしは、肌がひどく弱いように、粘膜も弱いのではないかと思いますが、使っているうちに口の中が荒れ、(気のせいかもしれませんが)黴臭いような臭いがしてきて、続けられないと感じたときは、調子がよければ、しばらくやめます。そのときは、ハーブのエルダーフラワーなどで予防しています。

 ちゃんとうがいをしていても、わたしの声は変わってしまい、高い声が全然出ません。無理に出そうとすると、掠れて咳き込んでしまいます。フルタイドの副作用なのか、風邪とかインフルエンザとかの後遺症なのか、自分ではわかりませんが。

 ところで、指にクリップのような器械を挟んで測る酸素飽和度は、96でした。

 看護師さんによると、95までは、よいそうです。100が満点。95までは大丈夫。94になると、鼻にチューブを入れて常時酸素を吸っていなければならない状態だそうです。普通の人は、だいたい99、98あたりだとか。

 発作時などに、一時的に酸素飽和度がぐっと落ちることはあるでしょうから、看護師さんがおっしゃった94という目安は、普段で94しかない場合をいうのでしょうね、きっと。

 薬局で、わたしと同じように大人になってから喘息を発症したという中年女性と話しました。彼女は酸素飽和度が90くらいに下がったことがあるそうです。幸い80代には、なったことがないとか。94という目安からすると、90などという数値は大変だという気がしますが、彼女の鼻には別にチューブなんか入っていなかったので、発作時に一時的に下がっただけで、普段はいいということなのでしょう。

 酸素飽和度、わたしは体調がよいときにしか測って貰ったことがないので、発作時にはどんなものなのか、一度測って貰いたいものだと思います。

 でも現実には、発作時には今にも喉が閉じてしまいそうで、動くどころか声も出せず、メプチンエアーなどで、ある程度症状が治まったときには、精根尽き果てて爆睡してしまうといった風。風邪・インフルエンザにかかりさえしなければ、そんな事態を招かずに済んでいますが、元気なときの記録しかないというのは、何となく、参考資料(?)に乏しい気がしてきました。

 何かのときは、循環器クリニックのほうへ行ってしまいがちであることも、資料に乏しい一因かも。前に、循環器クリニックの先生から、「こんな症状のときは、Mくんのところへ行かなきゃあ」と、呼吸器クリニックへ行くように促されたことがありました。

 呼吸器クリニックでの受診に話を戻しますと、12月に受けたインフルエンザワクチンはどのインフルエンザに効果があるのか、尋ねてみました。ワクチンには、A香港、ソ連。B。だいたい全部といってよいくらい入っているそうです。

「それでも、パーフェクトに効くというわけではありませんから。用心は必要です」と、先生。娘の勤め先では今、Aが流行っているそうです。

 副甲状腺の話題になったとき、ついでに骨腫瘍の不安を先生に吐露してしまいました。先生は、心配ないことを、いろいろな例を挙げて力説してくださいましたが、わたしは、これが生命に係わるかどうかということより、この先、腫瘍を摘出することによる陥没などの見た目の変化を第一に心配しているのです。

 先生はわたしの頭の陥没に触ってみてくださり、「これくらいなら、髪で充分隠れるから、平気、平気。わたしは頭に穴が2つ空いている人を知っていますよ」と、先生。穴……。そんな状態の人と比べて平気といわれたところで、不安が解消するどころではありません。

「先生、額なら、どうなりますか。髪では隠しきれません。もし陥没したときは、形成手術だって、できますよね」と、わたし。先生は、「どれ」と額の腫瘤にも触れられ、「こんなに小さいものなんだから、放っておいて構わないでしょう?」

 わたしは、この先、これが大きくなって摘出せざるをえないときのことを心配しているのです。少しずつでも大きくなっていることが、わかりますから。

 削るだけのはずが、硬い骨腫であることが手術中にわかり、土木工事のような手術になってしまった、その内容が、局所麻酔だったために、全部わたしにはわかりました。術後に先生が脳出血を心配された理由も、その手術時に頭が受けなければならなかった衝撃の度合いから、わかりました。今後、同じような手術を受ける場合、そうしたこともわたしは不安です。が、専門違いの先生をこれ以上困らせたって仕方がないと思いました。

 そろそろ、脳神経外科の予約をとらなければなりません。 

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2009年2月 5日 (木)

更新のお知らせ

 ホームページ「バルザックの女弟子になりたい!」に純文学作品、掌編『風疹』を収録しました。

 1987年、個人誌「ハーモニー」6号に発表した習作です。

 

 

 

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2009年2月 4日 (水)

最近の夕飯から~アスパラガスといかの炒め物、厚揚げの香味だれがけ、しらたきとベーコンの炒め物

P1200212 最近の夕飯の中から、美味しいと思ったサイド・ディッシュをご紹介します。

 切ったいかのトレーが安かったので買い、冷凍していたものを、「わあ、美味しそう!」と一目惚れしてしまったレシピに使うことにしました。 水道水を流して解凍。

 そのアスパラガスといかの炒め物を、「あっさり味のおかず」(主婦の友社、平成19年)からご紹介します。材料は2人分です。

∥グリーンアスパラガス1束(100g)|するめいか小1ぱい|しょうがのせん切り1/3かけ分|A〔スープ2/3カップ¦塩小さじ1/2¦砂糖小さじ1/2¦こしょう少々¦しょうゆ小さじ1〕|水どきかたくり粉(かたくり粉小さじ1.5+水大さじ1)|サラダ油小さじ2.5|塩(塩ゆで用)∥

  1. アスパラガスは根元のかたいところを切り落とし、下から4cmほど皮をむいて約5cm長さに切る。
  2. いかは軟骨を抜いて胴と頭をつなぐ筋をはずして足を抜き、わた、目、くちばしを切りとる。胴は縦3等分にし、包丁をねかせて表面に縦に細く切り目を入れ、横1cm幅に切る。足は一口大に切る。
  3. 塩少々を加えた熱湯で②を約1分ゆでてざるに上げる。
  4. フライパンにサラダ油小さじ1を熱して、アスパラガスをさっと炒め、ひたひたの水と塩少々を加え、数分ゆでてざるにとる。
  5. フライパンをふいて残りのサラダ油を熱し、しょうがと④のアスパラガスを炒め、Aを加える。煮立ったらいかを加え、水どきかたくり粉を回し入れてとろみをつける。

 とても上品な味つけなので、いかを自分で丁寧に処理したら、お客様にもいいでしょうね。

P1240257_2 うちではよくする焼き厚揚げ。お手軽に電子レンジ用の焼き網にのせ、オーブン、あるいはトースター設定で焼きます。

 ある夜、青じそがありませんでしたが、それなしの服部先生の香味だれを作り、焼き厚揚げにかけたところ、家族に好評でした。こくがあって、それでいてさっぱりとした美味しさ。次回は、青じそをちゃんと入れて作りたいと思います(なしでも、充分美味しかったです)。

 厚揚げの香味だれがけを「週刊 服部幸應のしあわせクッキング49号」(ディアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。材料は4人分です。

∥厚揚げ2枚|香味だれ〔しょうゆ・酢各大さじ2¦砂糖小さじ2¦ねぎ5cm¦青じそ4枚¦しょうが小かけ¦にんにく1/2かけ¦ごま油大さじ4強〕|ねぎ適量∥

  1. 厚揚げは、焼き網で両面をこんがり焼き、1枚を6個の三角形に切る。香味だれ用のねぎ、青じそ、しょうが、にんにくはみじん切りにする。
  2. ボールに①のねぎ、青じそ、しょうがと、香味だれの調味料を入れておく。フライパンに、ごま油とにんにくを入れて火にかけ、香りが出るまで炒め、ボールに流し入れて混ぜ合わせる。
  3. 器に厚揚げを盛り、②の香味だれをかける。薄く小口切りにして水にさらしたねぎをのせる。

P1240255 ネットで閲覧させていただいたキッコーマン様のレシピ、しらたきとベーコンの炒め物。赤唐辛子は七味唐辛子で代用しましたが、食が進みました。〔レシピはこちら

 ベーコンがちょっと余ったときなんかに、重宝しそうなレシピです。

P1040113_5 ところで、そろそろ春が恋しくなってきた、この頃。カレイの煮つけに菜の花を添え、春への恋心を表現してみました(というと、ちょっとオーバーかな)。

 軽く塩ゆでした菜の花を、カレイの煮汁に入れ、ひと煮立ちさせました。

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2009年2月 3日 (火)

豆まきはお済みですか?

豆まきはお済みですか?
東北東を向いて一心に食べた、プチ恵方巻。

お面の鬼が、父に見えてしまいました!
今日、JTBへ行き、(裁判所に近い方がいいと思い)博多ではなく現地の駅近くにビジネスホテルを予約してきました。博多なら、同じ値段でシティクラスのホテルに泊まれるのに、田舎はかえって高いです。同じ田舎ではありますが、ここよりあちらのほうがホテル事情はよくないみたい。観光地まで行けば、いろいろあるのでしょうが。

2回目からは、(5時に家を出なければならない)日帰りを決行します。長引けば、倒れちゃう。父が正気でさえあれば、とっくに訴え返しているところですけど、まあ正気であれば、父もこんなことはしなかったでしょう。
両親には、子供の頃からわたしなりに精一杯尽くしてきた(と今になって過去を振り返り、そう思います)し、父の再婚にも気を遣ったのに、どうして……と思います。虚しい。悪い鬼は去ってほしい。

それにしても、年々豆を完食するのが大変になってきます。

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Kさんのこと

 入院中にずっと同室だったKさんのことをお話しすると過去記事に書いておきながら、忘れていました。たまたま、彼女から電話があったので、思い出しました。

 実は、もう思い出してやらない……なんて、思っていたのですね。

 過日、レッドクロス近くの調剤薬局でKさんに会ったときに、元気いっぱいという感じのKさんを見て驚き、嬉しさと疑問でいっぱいになり、「年賀状を出したのに~。応答がなかったから、また入院でもなさったのかと心配していましたよ」といいました。

 するとKさんは「え、くれた、年賀? 本当?」なんて、しらばくれるではありませんか。だって、Kさんの目、泳いでいましたからね。自分のほうから住所を教えてくれた癖に、と思いながら、「出しましたよ、出しました。確かに出しました!」とわたしは、Kさんの目を覗き込んで、いい張りました。

「そうー? くれたー? もしかしたら、来ちょったかもわからんな。病院での住所交換は、あれは社交辞令やからな。わたしは出さんかったわ」と、Kさん。わたしはいささかムッと来ましたが、そのあっけらかんとした物言いには、さすがに人を憎みやすいわたしでも憎めません。

 いいわ、たとえKさんにとってわたしはゴミみたいな存在でも、この人と話していられる間は話していたい……と考え、Kさんも話し出したら長いので、ついつい話し込んで、そのうち互いにハッとしたように席を立ち、一緒に薬局を出ました。Kさんは、山のような薬を持って。

 別れるときに、「電話するからな」とKさん。「社交辞令のお言葉、ありがとうございます」と、わたし。「違うで。電話、するで」と、繰り返してKさん。

「あら、じゃ、わたしの名前、フルネームでいってみて」と、テストしました。「○○○○さんやろ」とKさんは笑いながらいい、驚くべきことに、わたしの住所をマンションの名までスラスラとおっしゃるではありませんか。

 わたしはKさんの住所、いえません。病衣を着ていたKさんは、今はしっかりお化粧をし、サングラスっぽい眼鏡をかけて、毛皮のついた半コートを着、如何にもマダームという感じでした。わたしは、ほどよく華やかな人が好きです。

 この記事を書きながらふと思い出しましたが、同室になった人々から一様に韓国旅行を勧められました。本物のブランドもの、ではない、何というべきでしょうか、デパートなどに普通においてある、いわゆる大衆向きのブランドもの(わたしがときどきこのブログで記事にしている類のものです)が、あちらでは大変安く買えるそうです。Kさんからも、韓国旅行を勧められましたっけ。

 わたしはKさんがわたしの名前と住所を覚えていてくれたことに気をよくして、ちょっと毛皮に触れ、別れました。

 そして、今日の電話では開口一番に、「あんたのとこの郵便番号は何?」とKさん。そんなもの、覚えていやしません。「年賀くれたというあんたの言葉が気になって調べてみたら、年賀状の一枚だけがな、差出人の住所も名前もなくて、郵便番号だけ書かれていたんや。あんた、小さい牛を2頭、描いたやろ?」

 「牛は描きません。わたしのは、全部パソコンで印刷した年賀で、絵は鞠です」と、わたし(絵と文面は一人一人違います。Kさんには、歌舞伎役者の絵と迷いました)。調べてみましたが、名なしの年賀状とは郵便番号も違いました。どうも、わたしが出したはずの年賀状は、本当に、Kさんに届かなかったようです。

「デパートへは、よく行く?」とKさん。「いいえ、あんまり。せいぜい1週間に1度くらいかな」とわたし。「それは激しいな」とKさん。「だって、デパートまで歩いてすぐですから。食品街の5時の市なんか利用したら、スーパーよりよほど、経済的ですよ」とわたし。「魚なんか、すごく安くなるな」とKさん。「魚だけじゃありませんよ。その安くなったのを漁るんですよ。品物が綺麗だから、デパ地下に行き出すと、止まりませんね。弁当をときどき娘に買って来て貰いますが、あれも半額になっていたりしますから、大助かり!」とわたし。

 それから、話題は、Kさんのカラオケ教室に飛び、カラオケ教室の先生夫婦に関する込み入った話を聴かされ、次に韓流ドラマの話、紅白歌合戦の話から芸能界の噂をし、わたしは病院で会った再入院中のおばあちゃまの話もしました。そうそう、Kさんは電話する前に国会中継を観ていたそうで、その話もしました。

 Kさんはこれから、節分の恵方巻を買いに行くそうです。料理好きのKさんですが、1人暮らしで糖尿病であるため、自分で巻き寿司を作っても残るだけだそうで、恵方巻は買うことにしているのだとか。

 電話の向こう側で、玄関のチャイムの音がしました。「じゃまたな」と、Kさん。「はい、また」と、わたし。楽しいKさん、本当に、またお話ししましょ。

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2009年2月 1日 (日)

同人雑誌の編集人から届いた葉書

 同人雑誌の編集人から、お葉書をいただいた。

 次号までで休刊になるということ、ひと月延期して3月末を締切とすること、休刊に際して同人雑誌への思い出などを作品とは別に原稿用紙1~2枚にまとめて提出するようにとの文面だった。

 また自筆で近況を問いかけてあり、力作を寄せてほしい旨の言葉が書かれていた。

 わたしは一応、過去記事で触れた協会に入り、また気休め(?)に某文学にも入っているが、間もなく休刊になる同人雑誌のような、いわゆるホームグラウンドといってよい同人雑誌は未だ見つからず、発表の場を求めて気持ちは彷徨っている。

 同人雑誌を自分で立ち上げる時間もお金もない。

 とりあえずは締切までに力作(?)を仕上げ、ミューズの女神たちに加護を祈ろう。

 父のことや自身の健康問題などで時間が潰れるだろうから、2月末が締切だとすると、間に合わせの作品を提出することになりかねなかった。ひと月延びたからといって、イソップ物語の兔のようにお昼寝していては駄目だろうけれど。

 小説をとにかく仕上げたい。それが編集人の好みに全然合わないことはわかりきっているから、できれば村上春樹と最近のノーベル文学賞の受賞者オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ル・クレジオに触れた評論も書きたい。

 いいものに仕上げてやるぞ!  毎日ミューズとバルザックに祈りを捧げて。ふつふつとエネルギーが湧いて来た。

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