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2008年12月15日 (月)

親子喧嘩から連想した『トニオ・クレーゲル』の一節

 昨夜、息子と仲直り。許して貰った、といったほうがいいのかもしれない……。

 何にせよ、ホッとした。ずっと、寂しく、何をしていても空しかった。何のためにこの世に生まれてきて、その上、母親になったりしたのだろう、とまで思いつめた。

 家族といえど、表現には気をつけなければ、と反省。

 離れて暮らし、電話とメールで接することがほとんどだから、よけいに誤解が生じがちなところもある。それに、血液型がO型の息子がストレートな表現を好むのに対して、わたしは屈折した表現になりがち。自分でいうと厚かましいが、結構シャイなところがあるので、ついクールさを装い、結果的にそれが冷たいと映ることがあるらしい。

 一つには、相手が息子、それも成人した息子となると、当然、幼い頃にべたべたしたようにはできず、必要以上に距離を置くようになってしまったのだ。

 また、わたしの考えかたから、若い頃のような純粋さがなくなったことは否めない。

 中年太りするのと比例して、よくも悪くも、考えかたが丸くなった気がする。他人の立場に身を置いてみることが多くなり(若い頃よりは、それが容易となり)、清濁併せ呑むとまではいかなくとも、若い頃よりはそれに近づいている。

 悪いことに、考えかたに必要以上の世知が、贅肉のごとくつきもした。それが濁り、汚れと映ったとしても、いいわけができない。

 そんなわたしも、文学が絡むと、若い頃のように、否――若い頃以上に、よくも悪くも純粋さだけで押し通そうとするところがある。しかし、こうした部分が全面に出たとき、わたしは息子とフランクに物がいえ、ツーカーの仲となれるのだ。息子も、どこか生臭い(?)母親としてのわたしに接するよりは、こちらのわたしと接することを好むのではないだろうか。

 トーマス・マンの小説『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』(高橋義孝、新潮文庫、昭和42年)の『トニオ・クレーゲル』中に、以下のような一節がある。大学の文芸部時代に、部員の間でヒットし、わたしを大いに酔わせた言葉だった。

最も多く愛する者は敗者である。そして苦しまねばならぬ。

 小説では男女間の恋愛がテーマとなっていたけれど、この定義は、男女間の恋愛に限らず、愛のある関係には全てにおいて、当てはまるのではないだろうか。世間並みにでも、子供を愛する親には、どこか敗北感――宿命的な瘴気、生臭さ――がつき纏う。

 娘は、そんなわたしを冷静に眺め、ちょっと嫉妬を覚えるようで、わたしのことを息子に甘い母親といい、弟のことを甘えん坊という。今度のことを「カノッサの屈辱みたいだね」などという。

 大学時代に娘がアパートで1人暮らしをしていた頃は、娘と息子が入替わった立場で、娘がわたしの関心を独占している形だった。息子はそれに対して、ちょっと嫉妬している風だった。

 娘はわたしが息子に甘いというが、その実、わたしは娘にも甘い母親で、子供たちには弱い。どうしようもない。

 ところで、難航している例の短編小説が仕上がらないことにはお話にならないが、それを何とか仕上げたら、そのあと、本格的に邪馬台国を舞台とした小説を書き始める準備にとりかかりたいと思っている。

 それをスタートさせるにあたって、息子の意見を参考にしたい。物事の見方、特に歴史関係でバランスのとれた見方のできる息子の意見は、わたしには親子関係を離れて貴重なものなので、そうした意味からも仲直りできて嬉しい。

 息子に、『卑弥呼と邪馬台国は消されていた』(大野佑司)と、それとは別に、宇佐神宮関係の資料を一部送り、気が向いたときに目を通して、資料的価値を判定してくれるように頼んだ。

 特に、本の中では〈南、邪馬壱国に至る。女王の都する所なり。水行十日陸行一月〉に関する大野氏の解釈をどう思うか。また宇佐神宮関係の資料では、ちょっと引っかかるところがあるので、それを合わせて総合的に、息子から見て資料的価値は如何ほどのものと映るかをわたしは知りたい。

 こんな仕事を押しつけて悪いと思うけれど、息子が就職したら、おそらく今以上に忙しくなって、とてもこんな頼み事はできないだろうから、頼むにはぎりぎりの時期だと判断した。

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