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2008年11月の36件の記事

2008年11月30日 (日)

アナスイの神秘的なパープル

200811252109000

 娘がちょっと頑張って新調したバッグです。写真は、娘が携帯で撮ったもの。

 写真では色合いがわかりにくいのですが、アナスイらしいアンティックなデザインの、神秘的なパープルをしたバッグです。暗いパープルでありながら、ゴールドの輝きを潜ませているようなパープル!

 光の加減で、茶色にも、黒色にも見えます。横長のポケットが、とても使いやすそうです。

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2008年11月29日 (土)

内科・泌尿器科・脳神経外科受診②

 の続きです。一度に3科を回ったためか、疲れから狭心症の発作まで起こし、なかなか続きを記事にできませんでした。

 会計が心配でしたが、3科で3,060円でしたから、ホッとしました。検査が、泌尿器科での尿検査・レントゲン・エコーだけでしたから、高くなかったのでしょう。でも、これがバラバラに、3つの病院にかかったとすると、もっとかかったでしょうね。

 前置きが長くなりますが、内科外来に、入院中にお世話になった看護師さんがいらして、微笑んでくださいました。優しい看護師さんで、またお会いできてよかったと思いました。他の患者さんは番号で呼ばれていましたが、わたしには目で合図。

 また、外来でしかお目にかかったことがないけれど、前におしゃべりしたことのある別の看護師さんと再び、ちょっとおしゃべりする機会がありました。

 その看護師さんもわたしと同じ五十肩で、あまりに痛いので骨肉腫かも……とおっしゃっていたほどなのですが、「五十肩は、どう? わたしはまる半年、眠れないほど痛くて悩まされていたのに、ある日突然治ったのよ」とおっしゃるではありませんか。

 五十肩がある日突然治ったという話はときどき、耳にするところです。循環器クリニックの先生も、そうおっしゃっていました。

 先生はわたしと同じ左肩だったそうで、心臓血管外科医である先生は、手術中、メスを渡されるときに不自由を感じていたのだそうです。それが、ある日突然治ったとか。
「どうやって、治ったのですか?」とお尋ねすると、
「勤めていた病院をやめて開業したとたんに、治ったよ」とのお答え……?

 前掲の看護師さんによれば、医学書にも、あるとき突然治ることがある、と書かれているそうです。どうしてそうなるのかは、わかっていないそうです。不思議ですね。わたしの五十肩は治りませんよ~。もうさほど不自由感はありませんが。

 本題に入ります。

 内科受診。

 開口一番に「今度は高かったよ。少しだけど」と先生。

 パソコン画面に、検査結果一覧が出ていました。副甲状腺ホルモン値が確かに赤字になっていて、49。正常値は9―39ということですから、ホント、少し高かったようです。

 前に3回副甲状腺ホルモン値を調べて貰い、2回は高く、1回は正常で、正常だったときの検査法が最も信憑性がある、という先生のお話でした。

 今回もその信憑性のある検査法がとられたはずですから、いずれの検査法でも異常値を示すことがあると証明されたわけですね。

 といっても、正常値だったときも、上限ぎりぎりの値だったので、時期によってはもっと高いときもあるのではないか、とわたしは思っていたのです。

 カルシウム値はずっと正常範囲内ですが、これも、時期によっては高いときもあるのではないかとわたしは想像しています。というのも、呼吸器科の先生が、原発性副甲状腺機能亢進症は、検査でわかりにくいとおっしゃっていましたから。

 いずれにせよ、今回異常値が出たということで、これまでは内科で続けられていた経過観察が泌尿器科でも行われることになりました。副甲状腺機能亢進症の治療には手術しかなく、わたしがかかっている病院では、それは泌尿器科の担当になるためです。

 そもそも8月から9月に入院したときに、その手術が行われる予定だったのです。が、血中カルシウム値は正常、エコーと造影CTでは確認できた腫瘍が骨シンチでは確認できなかったこと、さらには前掲の最も信憑性が高いという血液検査でも、副甲状腺ホルモン値は正常と出てしまったため、手術は見送りとなったのでした。

 この件では、長引きそうです。

副甲状腺機能亢進症に関心がおありのかたは、甲状腺・副甲状腺の治療で最も著名な病院、「野口病院」のホーム(http://www.noguchi-med.or.jp/)における『病気について』をご参照になっては如何でしょうか。

 そのぺージに、《副甲状腺機能亢進症の症状》として、

以前は、腎結石、骨そしょう症、消化性かいよう、膵炎などから診断されることが大半でした。最近では、血清カルシウムのスクリーニング検査が普及し、はっきりとした症状のない方もたくさん見つかってきています。食欲がない、いらいらする、身体がだるい、集中力がない、頭痛がするなどの症状が治療後に改善することがあります。このような場合は、病気のためにこれらの症状があったと判断されます。

 とあります。わたしはこのうち、腎結石、膵炎の疑いがあり、膵炎は過去に慢性膵炎として投薬治療まで受けていました。

 腎結石については、排尿時に排出された石の現物を自分で確かめたことがありますから、あることは間違いありません。ちなみに、前掲のページに、「尿路結石患者での頻度は5%前後」とありました。

 骨粗鬆症と診断されたことはありませんが、ここ数年、五十肩を含めて、あちこちの関節のトラブルに悩まされていることは、以前から当ブログをご訪問いただいているかたがたはご存知のことと思います。

 泌尿器科(腎・泌尿器センター)受診。

「頭の病気はどう?」と訊かれたのですが、頭蓋骨腫瘍も頭の病気に入るのですね(?)。

 関節のトラブルについて、副甲状腺の件が絡んでいる可能性はあるというお話でした。

 わたしの症状から見て、「副甲状腺機能亢進症の可能性あり、だね~」だそうですが、血中カルシウム値、骨シンチが正常と出ていることを考えれば、「手術は、症状が熟してからのほうがいい」というお話でした。

 熟するのを待つということは、関節のトラブルなどが一層深刻になるのを待つということでもあるのでしょうか?

 と思いましたが、口には出しませんでした。手術を受けたからといってめでたし、めでたしというわけにはいかないようなので。

 再手術となったり、カルシウムの投与が必要になったりすることもあるようです。それに正直いって、わたしは手術なんて、1回だけで懲りました。

 次回の内科受診は1月28日、採血・採尿があります。泌尿器科受診は、内科の先生の指示で、必要に応じてということになります。

 脳神経外科受診。

 頭の凹みについて、お尋ねしなければ、という気持ちでいっぱいでした。

「さて、傷はどうかな~? あれ、手術したの、どこだったっけ?」と先生。
「ここです。ところで先生、その手術痕ですが、かなり凹んでませんか?」とわたし。すると、「あ……」と先生。

 あ……だなんて、意外そうな声を出して、と思いながら、「これ以上、凹みませんか?」とお尋ねしました。

「いや、これ以上、凹むことはないよ。若い人であれば、骨が成長して盛り上がってくることもあるけれど、もうそのお年でもないから……」と先生。

 先生、あなたね、わたしより少しばかり若いと思って、わたしを年寄り扱いしてません? 年齢に関わる話をするとき、決まって先生は軽い口調になり、わたしの顔を上目遣いで悪戯っぽくご覧になるのです。

 耳の後ろの腫瘤については、他の種瘤も含めて、急な成長は見られないため、CTは被曝の心配から、もう少し時間を置きましょう、というお話でした。

 耳の後ろの腫瘤を触診していただく際に、「脂肪腫ですか?」とお尋ねすると、「いや、これは骨だね」と先生。その言葉に、わたしはぞっとしてしまいました。

「これを手術するとなるとねえ、大変だよ」と、さらに先生。耳の後ろの骨の下は、音の響きを伝えやすくするために空洞となっているそうです。

 どう大変なのかはお尋ねしませんでしたが、下手をすれば、耳に障害が起きるとか、そういったことなのでしょうか。生検が必要とならないことを、祈るばかりです。

 実はその耳の後ろの種瘤の下に、オマケみたいに、もっと小さな腫瘤もあるのですけれど、どういうわけか、それをいうのを忘れていました。それは次回の受診時に、お話ししようと思います。

 摘出したコブ1号を含めると、わたしの頭蓋骨には、全部で骨の腫瘤が5個、誕生したことになります。全部がコブ1号と同じものなのかどうかは、生検して貰わなければわからないことですが、感触としては似ています。

 もし、多発しないタイプの骨腫が多発したとなると、*****症候群のようなものの疑いも、再び浮上してくることになるのでしょうか。

 整形外科で経過観察して貰っている骨のでっぱりについて、これらも結局は生検して貰わなければ、正体がわかりません。何にしても、骨に関しては悩ましい限りです。

 次回は、2月か3月、脳神経外科の外来に予約を入れて受診するように、とのことでした。

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2008年11月28日 (金)

これで調子が戻るかしら…

これで調子が戻るかしら…
今日になっても調子が戻らず、いくらか胸の圧迫感がありましたが、血圧が低くなりすぎると嫌だなと思い、いつもの薬(インデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマート)を服用しただけで様子を見ていました。
寝たり起きたりで家事がはかどらず、舌下錠の使用を迷い始めました。

午後2時過ぎになって、強い胸の圧迫感が起きたので舌下錠を使いました。
胸から腹部にかけてどんどん涼しくなり、次いで頭部、左手が涼しくなりました。
ニトロ舌下錠で、腹部までがこんなに涼しくなったのは初めてでした。
腹部の血流が悪くなっていた、ということなのでしょうか?
次回の循環器クリニック受診の際に、先生に伺ってみたいと思います。

舌下錠の使用による血圧の低下が心配でしたけれど、今のところはめまいも吐き気もなく、こんなことなら、もっと早く舌下錠を使うんだった……と思いました。
やっぱり血圧計、あったほうがいいですね。

この記事は、携帯からの更新で、今日はまだパソコンを開いていません。

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2008年11月27日 (木)

風船人間?

風船人間?
『内科・泌尿器科・脳外科受診②』を書くつもりが、昨日一度に3科も回った疲れからか(といっても同じレッドクロス内の1階と2階を行き来しただけでしたが)、今日はバテてしまっていました。

何となくお腹が張っているような苦しさが続いていたのですけれど、夕方になっていよいよ苦しくなり、お腹がパンパンに膨れ上がって破裂しそうな感じに(あくまでイメージです)。
石のときの陣痛のように襲ってくる痛みとは、違っていました。第一、痛みはないのですから。
いずれにせよ、昨日、腎臓に新しい結石はないことをレントゲンとエコーで確認して貰ったばかりなので、ますます石とは考えにくいということもありました。

痛みはなくて、とにかく、ただただお腹がパンパンに膨れ上がっていくような苦しさが募るばかりの中で、仰向けになると苦しいので、頭を高くして側臥し、必死で対処法を考えました。

突如、循環器クリニックの先生から、こんな症状にはニトロ舌下錠を使うようにいわれたことを思い出しました。
そのことをどうして忘れていたのか、わかりません。
心臓と腹部が、イメージ的に結びつきにくいからでしょうか。

すぐさま、ニトロ舌下。
劇的に効きました!
腹部膨満感が消えていき、胸いっぱいに清涼感が拡がり、頭まで涼しくなりました。
ホントに魔法の薬ですね、それが必要な人間にはニトロって。

予防のニトロを使っていても、寒くなってきたところへ疲労が重なって発作を惹き起したのでしょうね。
でも、今回のように、胸痛を伴わない腹部症状だけだと、何度経験していても、心臓が原因だとは、ぴんと来ないのです。
単に、わたしが学習能力のないおバカというだけの話なのかもしれませんが……。

家事ができなかったので、家の中が散らかっています。夕飯の支度も間に合わないので、家族に弁当を買ってきてくれるよう、頼みました。
『内科・泌尿器科・脳外科受診②』は、しばらくお待ちください。

メールをいただいたり、他ブログにコメントをいただいたりしました。ありがとうございます。

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2008年11月26日 (水)

内科・泌尿器科・脳外科受診①

内科で受けた血液検査で、副甲状腺ホルモン値が少し上昇していました。が、泌尿器科の先生によれば、とるのは症状が熟してからのほうがいいそうです。
ついでに石も診てもらいましたが、若干の血尿ありで、排出後だろうとのこと。
脳神経外科での触診で、耳の後ろのクリクリは骨だそうです。
まだ外出先なので、詳しくは帰宅後に。

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2008年11月25日 (火)

お楽しみのあとの憂鬱な気分

 連休は、流通業界に勤務する夫と娘が出勤なので、いつも通りだったのですが、家事の合間にずいぶんホームページに熱中してしまいました。

 といっても、新しく作品を収録する作業はなしで、ひたすら、素材屋さんから画像をお借りしてのページ作りに夢中になっていました。

 これまでお世話になったり、素材のすばらしさに感動を与えられたりした素材屋さんは、サイドバーでご紹介しています。今日は、サイト名 「赤ずきんちゃんの散・歩・道」様/サイトURLhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~petitart/index.htmの素材をお借りして、このページとこのページとこのページを作っていました。

 作品に歳時記的なテーマをとり入れていらっしゃる素材屋さんも多く、この国の味わい深さを素材を通して再認識されられたり、文様・器物に改めて関心を向けさせられたり、ファンタジックな気分をもたらされたりと、素材を眺めているだけで充実した時間が過ごせます。

 で、すっかり楽しんだあとで、ふと何気なく、頭部に手をやってみて、何となく気にかかっていたことが決定的に気にかかる結果となり、昂揚していた気分は落ち込み、憂鬱な気分になってしまいました。

 それは、骨腫を手術で摘出したあとの窪みです。何だか、頭の形が変わっているような気はしていたのですが、つい最近まで傷痕が結構うずいていたため、窪みができてしまっているわけではなくて、周辺が腫れて、一時的に盛り上がっているのだろうと思っていたのでした。

 いや、そう思い込もうとしていたのですね。ところが痛みがほぼ引いた今、改めてじっくり触ってみたところ、無残にも窪んでいるではありませんか。何とか髪の毛で隠せるとはいっても、わたしにはショッキングな事態です。

 思い起こせば、手術後に先生が、炎症が出てくるなどの後遺症を畏れてあえて人工骨を入れなかったこと、そのため、時間が経って頭蓋骨の抉った部分が窪んでくる可能性があるということを、家族に告げられたと娘がいっていましたっけ。

 わたしは、そのことを大して気にとめなかったのですね。腫瘤の正体を知りたくてお願いした手術でしたから。先生は手術前に、削るだけだとおっしゃいましたが、結果的には抉ることになってしまったとはいうものの、窪むったって、ほんの少しのものだろうと楽観視していました。それも何年もあとの話だろうと思っていたのです。

 何年もあとの話どころか、手術したのがつい8月28日のことですよ。

 そういえば、入院前にネット検索で、不吉(?)な記事を閲覧したのでした。それは、頭蓋骨の悪性腫瘍を疑われて手術した男性が某悩み相談室に苦情を寄せている記事でした。その男性は幸い良性腫瘍だったそうですが、事前に予告されたよりも広範囲に頭蓋骨を切りとられ、頭の形がすっかりいびつになったというものでした。

 男性が医師に怒りを伝えても、良性だからよかったじゃない、といわれただけだったとか。男性は、人工骨を入れることにも、仕事柄人工骨に詳しいため、後遺症の心配から反対だったのに、入れられてしまったことも怒りの一因であるようでした。人工骨を入れても、いびつになったりするものなのですね。

 男性ほどではないかもしれませんが、わたしの頭も、明らかにいびつになりました! わたしの場合も、先生に今更、不満と不安をぶつけたところで、「傷痕は問題ないし、気になるほどのものではないと思うよ」などと軽くあしらわれてしまいそう。これ以上、窪むのかどうか、次回の受診時にお尋ねしたいと思います。

 これも入院前のエピソードで、記事にもしたと思いますが、循環器クリニックの看護師さんが、生まれるときに頭を鉗子で強く掴まれたせいで、頭に相当な窪みがあるとおっしやり、わたしの腫瘤の凸と彼女の凹を触りっこしたのです。

 それは結構な凹でしたが、今のわたしの頭にある凹はそれといい勝負で、おそらく勝てるでしょう。

 そして問題は、同じタイプに見える腫瘤が頭蓋骨にあと2個は育っていること。1個は髪の生え際に近い額にあり、別の1個は後頭部にあります。これらもそのうち目立ち始めてとって貰わなければならないとしたら、わたしの頭の形はどうなるのでしょうか。

 額の腫瘤が骨軟骨腫(外骨腫)であれば削れるでしょうが、硬い骨腫ですと、抉るしかないでしょうね。とすると、額もいびつに? 額は、わたしのチャームポイントだと思ってきたのに……。 

 不安は、それだけではありません。コブ1号のように硬いと、本当に土木工事のような手術内容で、わたしは局所麻酔だったために、そのことがよくわかりました。先生が術後わたしの脳出血を心配されたのも不思議ではないと思えました。

 この先年齢を重ねてから、再び土木工事のような摘出手術を受けるとなると、脳出血のような手術の後遺症が心配になります。

 このあいだの受診で、角みたいな骨腫の写真を先生に見せられて以来、あの写真が忘れられないということもあって、頭蓋骨に厄介なものができたなあ、と思わずにはいられません。

 両脚の複数の凸にしても、どれもが過形成なのか、疑問です。セカンドオピニオン、必要かもしれません。ここ2日ほど、時折、腰が強く痛むことも憂鬱です。これも石なんでしょうか。生理が始まる時期なので、紛らわしい限りです。

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2008年11月23日 (日)

お知らせ:左サイドバーに、ウェブページを設置

 左サイドバーに、ウェブページを設置しました。

 現在わたしが作成したウェブページには、My Homepage「バルザックの女弟子になりたい!」ページ一覧があります。ここをクリックしていただきますと、ホームページではINDEX②とネーミングしたページと同じ内容のものが表示されます。

 タイトルをクリックなさいますと、ホームページの該当ページへ飛びます。ココログブログ「マダムNの覚書」にいながらにして、ホームページも体験していただけるという優れものです! 一度ぜひ、お試しを。

 話は変わりますが、新しいテンプレートにつられて、それに変更してしまいました。クリスマスが終わるまでは、クリスマスのテンプレートにしていようと思っていたのですが、つい……。

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2008年11月21日 (金)

ロイズのポテトチップチョコ

ロイズのポテトチップチョコ

 家族で夢中になった、ロイズポテトチップチョコレート!(⇒ホーム

 デパートの北海道展で、前回は買い損ないましたが、今回は人気が花畑牧場生キャラメル(⇒ホーム)に移ったせいか、楽に買えました。

 生キャラメルでは整理券が出る騒ぎで(その都度、対象の商品は違うようです)、娘と同じ職場の女性は朝8時に並んで300番代だったとか……。苦労の末にお口に入ったキャラメルの味はどうだったのかな。

 今日は一日、ホームページをいじって過ごしました。夫のパソコンでもときどき確認しているのですが、久しぶりにのぞいてみると、見事に崩れていたページがありました。自分(と娘)のパソコンでは、綺麗に見えるのに……。

 見えない表を作って崩れない処置を施したり、字体を替えたりしているうちに、あっという間の夕方。

 深夜観た『グレースと公爵』というフランス革命秘話に題材を採った映画が面白かったので、それについて書きたかったのですが、またあとで。料理の写真も、溜まってきました。

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2008年11月20日 (木)

驚いたこと

 大学時代の文芸部の先輩からメールをいただき、嬉しいながら驚いた。「覚えていますか」とメールにあったけれど、幹事をしていた先輩を忘れるはずもない。

 何人かの元文芸部員からはたまに音信があるが、メールをくださった先輩とは大学以来のことだったから、本当に久しぶりだった。元文芸部員だった夫にもさっそく話したら、夫も「へえー」と驚いていた。

 マダムNは勿論本名ではないが、イニシャル、生まれ年、文芸部のことを書いているので、すぐにわたしだとわかったのだろう。

 実は、このブログのことは、元文芸部員に限らず、知り合いにはあまり話していない。書きすぎの嫌いがあって、恥ずかしいから。勿論、読んでいただけることは嬉しい。嬉しいけれど、恥ずかしい(悶々)。

 駄作であれ何であれ、大学卒業以後もずっと、50歳になる今日まで書き続けてこられたのは、創作の基礎を文芸部で叩き込んで貰ったお蔭だと思っている。当時の福大文芸部の意識は高かったと思う。

 それ以後、いくつかの同人雑誌に関わったが、あそこで教わったほどのことは、どこでも教わらなかった。

 放置状態のライブドア・ウィキ。設定次第では外部からも編集できる便利な機能を利用して、福大文芸部に所属したことのある人々(現役のかたも可)のための広場にでも、できないだろうか。そう思って久しぶりにウィキに行ってみたら、やりかたをすっかり忘れていた。

 説明を読んだり、あちこちいじったりしているうちに、やりかたを思い出したが、あれに気軽に書き込んで貰うには、ちょっと難しいかな。

 でも、単なる掲示板では、つまらない。作品も載せられるような広場でなくては。しばらく考えてみたい。

 そういえば、案内を送っていただいた協会に入るかどうかをまだ迷っている。作品の長さの件で。同人雑誌も、賞も、短編中心に構成されているようで、短編ばかり書く癖がつくような不安があるのだ。

 故三枝和子先生がおっしゃったように、わたしの体質は長編だと思う。賞狙いで長年過ごし、30枚・60枚・100枚の作品ばかり書いてきたせいで、何だかずっと勘が狂っているような感じがある。

 ただ短編も書くのは楽しいから、これからも書いていきたいし、今書こうと計画している神秘主義的作風の作品も短編にぴったりの素材だ。同人雑誌に掲載していただけるかどうかは別として、そうした場があると思えば書く励みにはなる。

 うーん、どうしよう?  

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2008年11月19日 (水)

とし様、知覧茶、ありがとう!

 ここ数日、石らしきものに悩まされていましたが、お茶をがぶ飲みしたお蔭か、どうやら出て行ってくれたようです。

 まだ小用を足すときにいくらか痛みがあるものの、これはおそらく、尿路を結石が移動する際についた傷のせいでしょう。腰痛や下腹部痛は消え、トイレへ行く回数も普通に戻りました。朝、家族を送り出してから、午後3時まで爆睡……。よく寝ました~(主婦の特権)。

 よくなってみると、あんな痛みを何日も家で我慢せず、病院へ行けばよかったと思うのですが、痛い最中は、出かける支度をするのも億劫でした。

 石が出て行ったことに関しては、お茶をがぶ飲みしたことがよかった気がします。

 ほの甘くて、さわやかな鹿児島の知覧茶がわたしには飲みやすくて、大助かりでした。ジュースだと甘すぎますし、水も結構飲みましたが、夜は寒いので、大きなマグカップに知覧茶を適度に冷ましておいて、一気飲み。

 わたしは佐賀県の嬉野茶で育ち、実家を離れてももっぱら嬉野茶ばかり飲んでいました。たまたま昨年、娘にお茶を買ってきてくれるよう頼んだところ、お店の人に飲みやすいとすすめられたといって、知覧茶を買ってきました。

 本当に飲みやすく、わたしの脳で、お茶に対する意識革命が起こりました。嬉野茶はいわゆる通好みのお茶という感じがして、すばらしいと思うのですが、普段はもっぱら知覧茶を愛飲するようになりました。

 今回の石騒ぎでは、この飲みやすい知覧茶が活躍してくれたというわけです。たびたびアドバイスをくださった、とし様にも感謝です……! 次回は病院へ行きますね。

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2008年11月18日 (火)

第2弾?

結石らしきものに悩まされていることは前の記事で書きましたが、病院に行くことを迷っているうちに楽になったので行かず、が、落下傘部隊第2弾か? と思わせる腰の痛みがあります。
ただでさえ低空迷走状態の日常生活が、一段とトーンダウンしてしまいましたけれど、明日も続くようなら、病院へ行きます。昨夜は頭痛がひどかったのですが、関係あるのでしょうか。

ただ、気を紛らわせるためにホームページに集中したお陰で、工事中だったインデックス②が利用可能になりました。全ページへのリンクがここからでき、かなり便利かと思います。
「バルザックの女弟子になりたい!」をご訪問くださるかたは、お試しください。

体調ブログにコメントをくださった、とし様によれば、体を動かしたほうが石が出やすいとのことです。
水分や野菜を充分にとることも、必要なようです。

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2008年11月17日 (月)

また石? (T_T)

 昨日から、腎臓結石が下ってきて尿路のどこかに引っかかっているのではないかと思われる症状に苦しんでいる。

 ここ数日、おなかが張ったり、下腹部が痛かったりしたので、もしかしたらとは思っていたが、小用を足すときにまた排尿口が痙攣して痛い、痛い(T_T)

 頼りない出方だけれど、一応出すことはできる。が、すぐに出したくなり、充分に出しきれない感じで、股に近い部分が攣ったようになったり、何か微熱もある感じ……。石、早く流れていってくれないかなあ。

 いつだったか、最近、似たようなことがあって、そのときはいつのまにか出ていたようだから、小さなものだったのだろう。今回もそうだと思うが、小さくても結構、痛い。水分のとりかたが足りないのかしら。

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ホームページ収録のお知らせ

 山岸凉子『舞姫 テレプシコーラ』に関する記事を、ホームページ「バルザックの女弟子になりたい!」に収録しました。

 『テレプシコーラ』については今後もノートをとることと思いますので、Notes:山岸凉子『舞姫 テレプシコーラ』と題して収録しました(こちら)。

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2008年11月15日 (土)

11月12・13日の夕飯から∥鶏手羽のポトフ、かきのマリネ

Pb070070_4   11月12・13日の夕飯から、服部先生レシピ・鶏手羽のポトフかきのマリネをご紹介。

 美味しすぎたかきのマリネを、 刊 のしあわせクッキング47ディアゴスティーニ・ジャパンからご紹介します。材料は4人分です。

∥かき300g|玉ねぎ・ジャンボピーマン(赤)各1/2個|A〔ワインビネガー・レモン汁各小さじ2¦サラダ油60ml¦塩・こしょう各少々〕|イタリアンパセリ適量|塩、こしょう、サラダ油∥

  1. かきは塩少々を振り、軽く混ぜて少しおいてから流水の中で振り洗いをして、ペーパータオル水気をふきとる。玉ねぎ、ピーマンは薄切りにする。Aは混ぜ合わせておく。
  2. ①のかきに塩・こしょう各少々を振り、フライパンにサラダ油大さじ3を熱してしっかり焼く。
  3. ボールにかき、玉ねぎ、ピーマンを入れ、Aを混ぜ合わせ、しばらく味をなじませる。器に盛り、イタリアンパセリを飾る。

 わたしは、自家製の普通のパセリを飾りました。生のかきが好きではない娘が「へえー全然生臭くないんだね、美味しい!」といいました。かきを焼いているからでしょうか。

 わたしは生のかきも、加熱したかきも好きですが、加熱したものでないと好きでない家族に合わせてよく、かきにベーコンを巻いて焼きます。マリネは初挑戦でした。

 わたしはもうメロメロ~。かきのこくが、何という絶妙さで表現されることか。かきがお好きなかたは、一度ぜひ、お試しください。

Pb060003 ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 鶏手羽のポトフ92号からご紹介。

∥鶏手羽元8本|キャベツ1/4個|ウインナソーセージ4本|じゃがいも2個|にんじん1本|かぶ2個|玉ねぎ1個|ローリエ1枚|粒マスタード適量|固形スープ、塩、こしょう∥

  1. キャベツは大きめのざく切りに、じゃがいも、かぶは皮をむいて1個を4等分に、にんじんは大きめの乱切りにする。
  2. 鍋に水4カップ、手羽元、①、ローリエを入れて火にかける。
  3. 煮立ったらアクをとり除き、弱火にして固形スープ2個を加えて1時間ほど煮込む。最後にソーセージを加えて一煮立ちさせ、塩、こしょう各少々で味をととのえる。
  4. 器に盛り、好みで粒マスタードを添える。

Pb060031Pb060016  粒マスタードは、あったほうがいいですね。冬にぴったりのポトフ。

 この日のポトフは少し煮込みすぎて、じゃがいもが崩れかけたのですが、かぶがとろけるようでした。

 ごはんは、おにぎりにしました。海苔を巻いたのと、すりごまを混ぜたのとです。他に、トマトがありました。

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ティールームの苺色のパスタ

200811141932000

 わあ~、綺麗な苺色! 
 と思わず、歓声をあげてしまいました。

 昨日行ったアフタヌーンティー・ティールームの季節(クリスマス)のパスタ、プロシュートのパスタです。携帯での撮影は、娘。

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2008年11月14日 (金)

息子の励まし、近所の人との会話

 昨日、大学の研究室から、ちょっとした用事で息子が電話をかけてきた。来週、息子は研究発表するそうで、その準備やポスター作りで忙しいという。

 忙しそうなわりには、もう少し話したそうだったので、同人誌の件で迷っている話をした。誘っていただいた協会のことをいうと、電話をしながらパソコンでホームページにアクセスしてみたらしい。

 いろいろと話したあとで、「入ったら?」と息子。わたしも、無気力のままではいけないと思っているが、何しろ対外的な創作活動という面で甚だ無気力になっていて、迷っている。

「へえ、文学賞もあるじゃない。12月末締切とあるよ。出したら?」と息子。
「出したってとれっこないわよ。そういうのがあれば、書く励みにはなるかもしれないけれど。どちらにしても、今年は、今からじゃ間に合わないな」とわたし。

 昔から、わたしの周囲にいる人間で、創作を応援してくれるのは、息子ひとりだけだ。夫はむしろ邪魔をするほうだし、娘はわたしの創作活動を見守ってくれている風ではあるが、距離を置いている。一編書き上げるたびに寝込んだり落ち込んだりするので、その辺りにも、応援するには複雑なところがあるのかもしれない。

 息子はわたしが寝込もうが落ち込もうが、書いていないわたしよりは書いているわたしのほうが、わたしらしくていいそうだ。例の死者と生者が登場する舞台劇風の幻想的作品についても既に話してあるのだが、再びその話になった。

 神秘主義的な話をごくさりげなくできるのも、息子とだけだ。その作品を書くにあたって、いくつか引っかかる点を挙げて、息子の意見を訊いてみた。そうした問題点が、作品への取りかかりを遅くしているともいえる。

 息子の客観的な意見は、参考になった。さらに息子は、「書いてみたら?」とすすめてくれる。そうねえ、書いてみようかな……。

 話題は変わるが、つい先ほど、マンションの同じ階の女性が用事で来た。団塊の世代で、南田洋子にちょっと似ている。彼女は近頃、わたしの健康を過剰に気遣う。

 わたしの入院中、姿が見えないので娘に訊き、入院していると知って驚いたそうだ。娘にときどき経過を尋ねていたという。……と聞かされるのは、3回目だろうか。

 彼女は忙しい人なので、たまに立ち話をする程度だが、心臓疾患で通院していることは話したことがあった。入院の件も変に深読みされるよりは、と思い、良性腫瘍をとっただけであることを、退院後に会ったときにすぐに話した。

「ごめんなさいね、寝てたんじゃない?」と彼女。いいえ、とわたし。この記事を書いていた。

「ずいぶん、顔色がよくなったわよ。それでも、白いけれど」と、わたしの顔をじっと見つめながら彼女。そうかな、元々顔色は悪くないと思うけれど、とわたしは思う。

「だいぶん、いい?」と神妙な顔で、彼女。ああ、禿ね。と思いながら、「いいですよ」とわたし。「また入院するの?」と彼女。

 わたしはびっくりして、「その予定はありませんよ~。念のために、経過観察はして貰っていますが」といった。

 ひとりになってから、考え込んでしまった。会うたびに、窺うような顔つきで、わたしに微妙な視線を送ってくる彼女。良性腫瘍をとっただけだといったのに、もしかしたら彼女、信じていないのでは。癌と思っているのではないかと思った。憂鬱になってしまった。 

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2008年11月13日 (木)

瀬戸内寂聴作『あしたの虹』を読んで

 瀬戸内寂聴がケータイ小説サイト「野いちご」に発表した、『あしたの虹』を完読。

 携帯小説であろうが、単行本小説であろうが、媒体が異なるだけで、本質のどこに違いがあろうか。読みやすさの工夫に違いが出てくるだけだ。
 
 『あしたの虹』を一言でいえば、変則型のシンデレラ物語(王子様は二人!)。イモねえちゃんのハーレークイン・ロマンスといったらわかりやすい。あるいは、エッチと出産のすすめ(周囲が何とかしてくれるから~)というべきか。

 以下、ネタバレあり。

 小説にはヒカルという、翳のある美貌の青年が出てくる。ヒロインは彼と恋をして子供を孕む。ヒカルはいつのまにか墨絵を天職とする芸術家ということになり、同じ道の大御所クラスの老婦人がパトロンとなる。そのパトロンは、作者をほのかに連想させる。

 丁寧に見ていこう。

 ヒロイン・ユーリは、愛嬌のある健康的な容貌・雰囲気の持ち主。

 両親の離婚で、心を痛めている。彼女の目下のテーマは、彼女自身の次の言葉に要約されていよう。
「あたしはセックスなんて好きでもないのに、それがどうして、男と女になくてはならないのか、知りたくて、そのことへの好奇心がつのる一方だった」。

 といっても初体験は中2のときに《軽いノリ》で終わっていて、相手はお笑い芸人を目指す同じ学年の男子。彼は、離れてからもずっとユーリを慕い続け、折に触れて連絡してくる。ユーリは他に、2人の男子と《エッチ》しているから、今更前掲のテーマでもないという気もするが、まあ簡単にいえば、あまり感じなかったということで、彼女は、もっと感じさせてくれる男を探している、早くもとうの立った若い女性といえるだろう。

 ユーリは家計を助けるために(それにしては切実さが感じられないので、単なる小遣い稼ぎ?)、2,800円の日給で、うなぎ屋に雇われる。そこで働いている《イケメン》青年ヒカルに、ユーリは即座に恋。ヒカルもユーリを憎からず思う。

 だが、ヒカルには秘密があり、罪の意識を抱いている。その罪の意識のために、自らストーブで左顔面にケロイドの烙印を押して、イケメンすぎる自分から女性たちを遠ざける工夫をしたほどだ。

 秘密というのは、父親の再婚相手ルナとの密通であった。うっかり再婚と書いてしまったが、なぜか入籍はまだだったことになっていて、事業に失敗し、脱税までした父親が莫大な借金を残して亡くなるものの、ルナがそれまでに貰った大金は無事。

 ルナの孕んだヒカルの胤かもしれない子供は流れ、ルナはヒカルの父親に懺悔する気持ちから修道女となる。修道女になったり坊主になったりするのにはお金が要るようだから、ヒカルの父親がルナにくれたお金がそのための資金となったのだろう。そんな事情のわからない閲覧者の中には、ルナのしっかり掴んだ金銭の描きかたが変に露骨な印象を与えるかもしれない。

 失意のヒカルだったが、ユーリとの新しい恋愛に活路を見出し、ユーリのおなかは膨らむ。それに対する、離婚したユーリの両親はじめ周囲の祝福も得られる幸運に、墨絵画家を目指すことにしたヒカルにパトロンが現れるという幸運が続く。そのパトロンは、ユーリがバイトを始めた頃、うなぎ屋に客として現れた《スイセンさん》。

 この人がどのような人物かというと、次のように書かれている。
「おばあちゃま。おとうさんを産んだ人。そして四つのおとうさんを捨てて恋に走り、家を飛びだしていった、いずみという女。今では雅号翠泉(すいせん)と名乗り、墨絵を描いて芸術家になっている。外国でも有名なんだそうだ。いつでも忙しくて日本じゅうを展覧会や講演で飛び回ってる。外国へもしょっちゅう出かけている。めったに逢うこともない。ひとりでマンションに住んでいる」

 こうした幸福、というより棚ボタ式幸運の絶頂の最中、ヒカルは事故に遭いそうになった子供をかばい、トラックの下敷きとなって死ぬ。それでも、ユーリは孤独のうちに放置されることはない。初体験の相手トオルが今はお笑い芸人として成功しており、ユーリと子供を見守りたいというのだ。その他大勢の登場人物全員もまるく治まり、それなりにハッピーとなって、めでたし、めでたし。

 しかしながら、わたしはハッーピーな気分にはなれなかった。芸術家であり、僧侶である作者に対する疑問が湧いた。

 修道女となるルナにも、墨絵画家となるヒカルにも、それらしさは何も備わっていないにも拘らず(それらしい繊細な伏線が張られていないにも拘らず)、如何にも唐突に、ルナは修道女になることができ、ヒカルは芸術家として簡単に大成できて死後の名声まで勝ちとる。わたしは、芸術と宗教に対する軽薄な扱いが感じられて不快だった。この世はコネとお金よ、要は要領のよさよ、といわれている気がした。

 携帯向きの軽い小説にしたから? それとも、この軽いノリで宗教、芸術に関わってきたのがこの人なのか? 意外にもこんな小品に、物書きの本音や本質が表れるものなのかもしれない、との新鮮な感慨をわたしは抱いた。

 大御所が秘かに絵文字など使って携帯小説を書けば、話題作りにもってこいで、それがすぐに本となりお金となって、社会を循環する血液にどろりとした血液がそそがれる。

 同じ源氏物語の訳者といっても、オリジナル作品で見てみれば、例えば、円地文子に屈折した深刻な性表現、男女の確執を感じさせるものが多いのとは対照的に、瀬戸内寂聴には、あっけらかんとした性バイタリティーを感じさせる作品が多い(といえるほど、読んではいないのだが、どの作品からも同じ匂いがする)。

 そして両者の求めるものの違いからか、同じ源氏物語を読んでも、円地訳で読むと高雅、神妙、瀬戸内訳で読むと濃い、それでいて、どこか平板な感じがする。

 わたしは以前から思っていたのだが、彼女は出家なぞ、するべきではなかったのではあるまいか。世俗に生きて、肉欲の枯れるまで男性遍歴を重ねるべきだった。そうすれば、少なくとも今の生臭い境地を突き抜けた、傑作が書けたかもしれないではないか。それだけの濃厚、タフな資質が彼女にはあっただろう。彼女自身に光源氏を生きてほしかったと残念に思う。

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2008年11月12日 (水)

昨日、買い物時に不調

  昨日、買い物時に頻脈の発作が起き、30分間、デパートの椅子から動けず。寒くなってきて、心臓が少し疲れているのだろう。おまけに左股関節が痛くて動きも悪く、苦痛だった。膝も勿論シクシク痛む(この記事を書いている夜間も)。

 膝と一緒に股関節のレントゲンも撮り、そのときには股関節の異常は見つからなかったのだが。ただ、レントゲンで写る異常となると、かなりのものだろうと思う。

 寒くなってくると厚めの服が多くなり、その服の重みで息も絶え絶え……(というのは大袈裟だが、服が重くなると体にこたえるのは確か)。この年寄りめいたムード、われながら情けなくなる。

 帰宅後はぐったり、寝たり起きたりしていた。寒くなるまでのあの快調が嘘のよう。

 そういえば、行きつけの美容院から、葉書が届いた。銀髪めいた白髪がかなり目立ちだして、行きたいのは山々だけれど、傷痕がまだ時々痛かったり痒かったりで、怖い。

 近頃、頭皮の下のほう、骨が痒いのではないかと思えるくらい、どこともわからない場所が痒くてたまらないことがある。手術痕の不快な症状に、こんなに長く悩まされるとは思わなかった。もう手術なんて、二度とごめんだと思う。

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2008年11月11日 (火)

別の同人誌からのお誘い

 過去記事で書いたが、入会している文芸同人誌が次号を出したあとで、休刊になる。

 今日、別の文芸同人誌(協会とあるけれど……)から、お誘いがあった。休刊になる同人誌の編集人が、その同人誌の責任者のお一人と親交があるようなので、その関連でお誘いの手紙が届いたのだろうか。

 入会している同人誌が休刊になるということが、案外、こたえているためか、あるいは、対外的な創作活動という点で甚だ無気力になっているためか、休刊になる同人誌の編集人に手紙を書こうと思いながら、まだ書いていず、同市に住む同人仲間から留守中電話があったというのに、まだ電話をかけていない。

 われながら、不義理なことと呆れる。きちんとした方々なので、勿論こんな非礼はいけないことだ。

 ホームページに自作を収めたいという意欲だけはあるけれど、どうやらそれはホームページを発信基地とするといった風な対外的な創作活動としての意欲ではなく、ハムスターがせっせとヒマワリの種をほっぺに溜め込むのと似ていて本能的なものだと思う。

 勧誘の手紙にあった同人誌(いや、協会……)のホームページはこちら。ネットでもひろく会員募集をなさっているようだ。〔対外的な創作活動に興味がおありの方、如何ですか? わたしはこれから考えます……〕

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2008年11月10日 (月)

ローザンヌ歌劇場オペラ『カルメン』を観て

 10月22日に、ローザンヌ歌劇場オペラ『カルメン』を観に出かけてから、今日まで、記事にしておきたいと思いながら、できなかった。違和感が大きすぎたためだった。

 闘牛場の前で展開するはずのシーンが演出家ベルナールのアレンジにより、赤い、けばけばしい寝室に置き換えられていて、ベッドシーンが長々と繰り広げられた。さすがに衣装は身につけたままなのだが、ベッドを転々としての絡みのシーンが長かった。

 闘牛場での死闘を愛欲シーンに重ねるのは、いくらなんでも無理があるだろう。

 何しろ演じるのは俳優ではなくて、オペラ歌手たち。ホセ役の男性は太め。カルメン役の女性は太めというわけではなかったけれど、脚は結構がっしりしていた。目の遣り場に困っただけでなく、見苦しかった……。このシーンだけではなく、いろいろと違和感のある演出だった。あれでは原作者メリメと作曲者ビゼーに気の毒だと思った。

 メリメの作品を読めばわかるが、カルメンもホセも鋭い知性を隠し持っている。どこにでもいそうなねえちゃん、あんちゃんではないわけだ。それは、ホセがカルメンを刺す前の二人のやりとりからもわかる。長くなるが、メリメ作『カルメン』(杉捷夫訳、岩波文庫、昭和4年)から以下に引用しておきたい。

――カルメン、おれと一緒に来てくれるか? 私は女にこう言いました。
 女は立ち上がり、器を投げ出しました。それから、いつでも出かけますという風に、ショールを頭にかぶりました。宿の者が馬をひいて来ました。女は鞍のうしろに乗りました。そうして二人はそこを遠ざかりました。

――じゃ、私のカルメン、お前はほんとに俺と一緒に来てくれるのだね? 少し行ったところで、私はこうききました。

――わたしは死ぬところまでお前さんについて行きますよ。それはよござんす。しかしもうお前と一緒には生きていないから。

 さびしい谷あいにさしかかりました。私は馬をとめました。――ここかい? こう女が言いました。そうして、ひらりと身をひるがえしたと思うと、馬からおりていました。ショールをぬいで、足下に投げつけました。腰の上へ、握ったこぶしをあてがい、私の顔を、穴のあくほど見つめながら、じっと立っています。

――私を殺そうというんだろ。ちゃんと知っているよ。書いてあるから。だがね、お前さんの心には従いませんよ。女はこう言いました。

――この通りたのむのだ。冷静になってくれ。おれの言うことをきいてくれ! なあ、過ぎたことは全部水に流すのだ。だが、これだけはお前も知っているだろう。おれの一生を台なしにしたのはお前だぞ。おれがどうぼうになったり、人殺しになったりしたのは、お前のためだぞ。カルメン! おれのカルメン! おれにお前を救わせてくれ。お前と一緒におれを救わせてくれ。

――ホセ、お前さんはできない相談を持ちかけているんだよ。私はもうお前さんにほれてはいないのだよ。お前さんはまだ私にほれているのさ。お前さんが私を殺そうというのは、そのためだ。私はまだお前さんにうそをつこうと思えば、いくらでもできるけれど、そんな手数をかけるのがいやになったのさ。二人の間のことは、すっかりおしまいになったのだよ。お前さんは私のロムだから、お前さんのロミを殺す権利はあるよ。だけど、カルメンはどこまでも自由なカルメンだからね。カリに生まれてカリで死にますからね。これが女の答でした。

――じゃ、お前はルーカスにほれているのか? 私はこうききました。

――そうさ、私はあの男にほれましたよ。お前さんにほれたように、一時はね。たぶんお前さんほどには真剣にほれなかったろうよ。今では、私は何も愛しているものなんかありはしない。そうして、私は、お前さんにほれたことで、自分をにくらしく思っているんだよ。

 カルメンは、自身及び他者を的確に把握し、その行く末を見通して自らの運命に意思決定を下すだけの感性と知性を備えた、聡明な女性として描かれているだけではなく、彼女の出自であるジプシー民族の性(さが)……そのアウトローとしての生き方、野性味、したたさか、奔放さ、情熱、情深さ、迷信深さ、滲み出る生活苦、哀感、天性の踊り子、といった特性をも絢爛豪華にまとった極上の女性として描かれているのだ。

 よく観察すれば、一見、自由奔放に見えるカルメンは、実は、ジプシーという運命共同体にがんじがらめに縛られていて、死ぬ自由しか持ち合わせていないことがわかる。複数の男たちを操る魔性の手管でさえ、商売道具として身につけざるをえなかった技能ともいえるのだ。

 それがベルナールの演出で見ると、ただの頭もお尻も軽い、気晴らしのためには何でもする類の男女の、退屈なやりとりでしかない。時代設定からして、1820年のスペインを舞台としてこそ、ジプシー民族の置かれた当時の環境から、カルメンの前掲の特性が自然に出るのであって、それを1930年代に置き換えることには無理があったのではあるまいか。

 出演者たちも演奏も、こぢんまり感はあったが、決して悪くはなかっただけに、残念だった。まあ、フランスのオペラらしい洒落た趣向をそれなりに凝らしてあったのが救いではあった。

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11日8日の夕飯∥肉だんごとキャベツの煮物、きゅうりのナムル、豆腐と玉ねぎの味噌汁

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Pb020311  寒くなってくると、いつものハンバーグが⇒
になる日が増えます。

 前にもご紹介した気がしますが、再度。キャベツではなく、家にあったグリーンボールを使ったので、柔らかい仕上がりでした。

 冷めても美味しいので、子供たちのお弁当にもよく作りました。わたしは翌日のお昼に、肉だんご不在の残り物をごはんにかけて食べました。キャベツも汁も一段とコクが出て、とても美味しいのです。卵を使って、どんぶり風にしてもいいですね!

 新婚時代に買って、25年以上頼りにしてきた江戸崎愛先生の肉・卵の基本料理」(家の光協会、昭和56年)から肉だんごとキャベツの煮物をご紹介します。材料は4人分です。

∥〔豚挽肉400g¦葱1本¦しょうが汁少々¦卵1個¦かたくり粉大さじ2¦塩小さじ1/3¦酒¦ごま油各大さじ1/2〕|キャベツ小1個|サラダ油大さじ3|固形スープ1個|しょうゆ大さじ4|酒大さじ3|砂糖大さじ1と1/2|塩少々|かたくり粉大さじ1∥

  1. 〔 の材料で肉だんごの種を作ります。葱はみじん切りにして加えておきます。
  2. ①の肉だんごの種を四等分して小判型にまとめ、かたくり粉を倍量の水で溶いて全体にまぶしつけます。
  3. 鍋を熱してサラダ油大さじ1をなじませ、②を両面焼いて皿にとります。
  4. キャベツは5センチ角に切り、③の鍋にサラダ油を熱して炒めます。
  5. ④がしんなりしたら、肉だんごを戻し、水1と1/2カップ、固形スープ、しょうゆ、酒、砂糖を加えて弱火で1時間煮ます。仕上げに塩を加えて味をととのえ、火をとめます。

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 『きゅうりのナムル』は服部先生のレシピです。こちら

  1.  味噌はしばらく米味噌を使っていたのですが、麦味噌に替えたので、新鮮な感じです。でも、米味噌の優しい味わいがなつかしいので、次は米味噌かなあ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 以下は、別々の日に作ったものです。 

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Pa310256_2太刀魚の中華煮。これは、優しい味わいのお魚料理です。レシピは、コープCSネット「コープクッキング」『太刀魚の中華煮』を参考にさせていただいています。

 さやえんどうのサラダ(自家製パセリに隠れて、ほとんど見えませんが。みじん切りにしていないものは、飾りのつもり)にかかっているのは、江戸崎愛先生のオニオンドレッシングです。美味しいドレッシングですよ!

 ドレッシングの材料をNHK「きょうの料理ポケットシリーズ サラダ」(日本放送協会、昭和54年)からご紹介します。

 オニオンドレッシング∥溶きがらし小さじ1|おろしたまねぎ大さじ1|塩小さじ2/3|こしょう少々|砂糖小さじ2/3|サラダ油大さじ3|酢大さじ2∥

Pb010284_2  夫が絶賛した、さつまいものマヨネーズサラダ。彼はセロリがあまり好きではなかったと思い、控えめに入れたのですが、そのセロリが美味しく感じられたのだとか。

 さつまいもやコーンの甘さ、マヨネーズの酸っぱさ・こくに、セロリのさわやかさが加わって、確かに美味しいサラダでした。「週刊 服部幸應のしあわせクッキング91号」(ディアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。材料は4人分です。

∥さつまいも160g|セロリ60g|粒コーン(缶詰)35~40g|マヨネーズ、塩、こしょう∥

  1. さつまいもは皮をむき、さいころ状に切る。熱湯に入れてやわらかくゆで、ざるにとって水気をきる。
  2. セロリはさいころ状にに切り、塩少々でしんなりさせて水気をきる。コーンはざるにとり、水気をきる。
  3. ボールにマヨネーズ35gと塩、こしょう各少々を混ぜ、①と②を加えてよく混ぜ合わせて器に盛る。

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2008年11月 9日 (日)

7日の立冬にちなんで、橋本多佳子の句をご紹介

 うかうかしているうちに、立冬も過ぎてしまいました。杉田久女、川端茅舎、三橋鷹女、松本たかしの俳句紹介もさぼりがちで、いけないなあと思っています。

 立冬から雪を連想し、雪から、わたしは橋本多佳子を連想しました。そこで、杉田久女に俳句の手解きを受け、その後、山口誓子に師事した橋本多佳子の遺句集『命終』から少しばかり、ご紹介したいと思います。

 橋本多佳子の句には、どこか中途半端なものが多いようにわたしには感じられて、それほど好んではいないのですが、勿論すばらしい句が沢山あり、特に、死期に近い頃に詠まれた句には透徹したものが感じられて惹き込まれます。

 迫りくる死を意識する、その意識の高さが句にえもいわれぬ輝きを与えたのでしょう。

雪はげし化粧はむとする真顔して
雪映えの髪梳くいのちいのりつつ
ガラス透く春月創が痛み出す
晩春やベッドの谷に附添婦
一羽鳩春日を二羽となり帰る
風に乗る揚羽の蝶の静止して
雪の日の浴身一指一趾愛し
雪はげし書き遺すこと何ぞ多き

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2008年11月 8日 (土)

昨日知った、マイケル・クライトンと筑紫哲也の死

 昨日、マイケル・クライトンと筑紫哲也の死を知った。

 マイケル・クライトンは4日、66歳で亡くなったという。過去記事「BS2で『ER緊急救命室ⅩⅢ』が始まる」で書いたように、迫真に満ちたドラマによって彼の名を知り、大ヒットした『ジュラシック・パーク』なども映画で観ていたことを知った。

 『ER』が面白いので、その原作『五人のカルテ』(ハヤカワ文庫)や、医学サスペンス『緊急の場合は』(ハヤカワ文庫)を購入しようと思っていた矢先のことだった(先にクリスティーを買ってしまったのだ)。

 まだこれからの一層の活躍が期待される人であっただろうに、残念だ。

 新聞記者を経てテレビキャスターとなったジャーナリスト筑紫哲也は、大分県日田市の出身で、その街に以前わたしは住んでいた。日田市の住人にとっては、お馴染の著名人という感じだった。だからというわけではないが、『筑紫哲也 NEWS23』はずっと観ていた。

 筑紫哲也のコメントには、ちょっと鼻につくところもあったけれど、彼の姿が消えたり現れたりするようになり、ついには番組名も変わって、それでも、たまに姿が見えていた彼の姿を全く見なくなると、何か物足りないなあ、彼の《多事争論》がないのはつまらない、筑紫だったら、どう解説するかしら……などと思っていたのだった。

 7日に亡くなった筑紫哲也は、73歳だったという。

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2008年11月 7日 (金)

更新のお知らせ

ホームページ「バルザックの女弟子になりたい!」に、純文学作品『救われなかった男の物語』PAGE6を収録しました。96頁からなる作品で、現在38頁です。

また、『アストリッド・リンドグレーンnote』の収録も開始しました。1頁、note5まで収録済みです。当ブログ及び「マダムNの創作ノート」で断片的にご紹介していた、スウェーデンの児童文学作家リンドグレーンに関する覚書です。今後も、更新の予定。いずれ、まとまったエッセーにしたいと思っています。

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お誕生日、おめでとうございます

Mさん、お誕生日おめでとうございます。

よき59歳となりますように……。

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2008年11月 6日 (木)

久しぶりの……

久しぶりの……
21時30分、久しぶりに舌下錠を使いました。
胸痛は消えましたが、まだ肩から喉辺りにかけて、つるような、重く響くような痛みが残っていて、あまり動けません。もう1錠使うかどうか、迷うところです。

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とろける美味しさ、ルタオのドゥーブルフロマージュ

Photo

 ルタオのドゥーブルフロマージュは、とろける美味しさでした! こんなに美味しいチーズ・ケーキを食べたのは、初めてでした(ホームはこちら)。

 娘が買ってきてくれました。ほかに六花亭のマルセイバターサンドとロイズのポテトチップチョコレートも……。写真は、娘が携帯で撮ったものです。

 体調がパッとせず、ほとんど寝ていたのですが、チーズ・ケーキで元気回復。さすがに写真の量は食べられませんでしたが。

 しばらく、おやつのお楽しみが続きます。

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またドッと寝て、夜中にオッハー

寒くなったせいか、パトラッシュ(わたしの心臓)の元気がもう一つ。

大した家事をしているわけでもないのにつらく、買い物は考えるのも嫌で、昨日は仕事帰りの娘に肉を頼んでインスタントカレーにしました。一昨日歩き回ったために、両膝もシクシク痛むのです。
そして、食事のあと、いつもだとすばやく片付けを済ませるのですが、その元気がありませんでした。
薬を飲み、薬を飲んだのに何だか息苦しいなあと思ったのは覚えているのですが、ドッと寝てしまったようです(炬燵で)。
シャカシャカ、ジャーと音がするので目覚めると、娘が食器を洗ってくれていました。悪いわね、といってまた寝て、真夜中に目が覚めました。

やっぱり胸の中が不安定な感じで、すっかり以前に戻ったみたいです。パトラッシュは、寒さに弱すぎ〜。

気軽に循環器クリニックに行くには、近頃患者さんが多くて……。
このあいだ受診したときに、入院中に診ていただいたレッドクロス・ホスピタルの循環器科医に替われないだろうか、と思ったくらいでした。

今診ていただいている先生がいくら名医でも、わたしにとってはいつでも行けるホームドクターとしての魅力が大きかったのですね。
でも、ああ多くては総合病院以上の慌ただしさだし、風邪やちょっとした症状の訴えくらいでは遠慮しないわけにはいきません。
なまじ予約制ではないだけに、待ち時間も長く、考えてしまったというわけです。

ただレッドクロスでは他で診ていただいているとはいっても、あそこも当然ながら患者さんが多くて、骨の症状に大して変化がないとなれば、たまに行くぐらいか通院の打ち切りになるのではないかと思うし、最大のネックは、総合病院ならではの医師の異動。

いろいろと考えていると疲れて、また眠くなってきました。

今日、休日の娘は友人と出かけますが、デパートの北海道展に寄って、ロイズのポテトチップチョコと、六花亭のマルセイバターサンドをゲットするそうです。うまくいけば、花畑牧場の生キャラメルもゲットするそうで……。
嬉しすぎますが、わたしは近頃コレステ高くて、複雑な気持ち。

昨日の昼間、回覧板を回しに出たちょっとの間に、留守電が入っていて、同じ街に住む同人雑誌のメンバーからでした。今日、お電話してみようと思います。

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2008年11月 5日 (水)

米大統領選、オバマ氏の当選確実

 13時をまわったところ。米大統領選で、民主党のオバマ氏が当選確実になったことをABCニュースが伝えたという。

 朝から家事の合い間に、テレビのチャンネルを替えながら観ていたが、終始オバマ氏がリードしていた。圧倒的な勝利となった。アメリカ史上初の黒人の大統領が誕生した。

 午前中のABCニュースで、オバマ氏の親戚が住んでいるケニアから中継が行われ、オバマ氏を見守る人々が集まっていた。その人々は、オバマ氏の勝利を祈っているわけではなく、アメリカのためによりよき状況になることを祈っているということだった。

 このムードが、これまでの強きアメリカを全面に押し出したやりかたとは異なるオバマ氏の政治理念を象徴しているような感じを受けた。オバマ氏は、バランス感覚を重視した政治手法をとろうとしている、といっていいだろうか。

 これまでのアメリカのやりかたでは、行き詰まり感が強かった。オバマ氏の当選は、必然の帰結といっていいだろう。ただ、オバマ氏の政治手腕で、アメリカ自身が招いた現在の苦境を乗り切れるのだろうか? アメリカはどう変わるのだろうか?

 日本人としては、今後の日米関係がどうなるかが何より気になるところだ。マケイン氏が当選するとしたら、よくも悪くも、日米関係にそう大きな変化はないだろうとの想像ができた。オバマ氏の場合は、未知数といってよい。

 さっぱり想像できないので、現時点では心配性のわたしにとって、期待感以上に不安感が勝っている。オバマ氏の今後に注目していきたい。

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映画『ブーリン家の姉妹』を観て

映画『ブーリン家の姉妹』
 真夜中に目が覚めました。映画を観て、くるくる寿司に入り、帰宅した後、ドッと寝てしまっていたのです。余韻の残っているうちに、ネタバレありの映画の感想を記事にしておきます。

 16世紀……ヘンリー8世統治下におけるブーリン姉妹を描いた映画、『ブーリン家の姉妹』を観ました。家族全員、最初から最後まで目をスクリーンに釘付けにされたというのは、『ヒトラー最期の12日間』以来のことでした。展開に遊びがないともいえます。

 一言でいえば、女たらしヘンリー8世(エリック・バナ)のために妾の立場に置かれたブーリン家の姉妹、アン(ナタリー・ポートマン)、メアリー(スカーレット・ヨハンソン)の駆け引きと苦悩を描いた物語です。

 意志のはっきりしたアンは妾の立場に甘んじることなく、正妻の地位を要求。それがために、ヘンリー8世は離婚を認めないローマ教皇庁と決別してイギリス国教会を設立。でも、ヘンリー8世はアンに飽きるや、断頭台に送るのですね。刑死したアンの産んだ娘が、かの有名なイギリス初の女王・エリザベス1世です。

 映画は、史実通りというわけではありませんでしたが、要点は捉えられていました。創作物として見た場合は、ブーリン姉妹の確執と情愛がよく描かれていたと思います。

 世継ぎの男の子を産まなければ、一族の失脚、下手をすれば粛清を受けることにすら、つながりかねないというのですから、子宮も縮み上がりそうな話ですね。まあ今の世にあってすら、お世継ぎ問題は、よその国に限った話というわけでもありませんが……。

 愛人は複数ありながら、一生を独身で通して処女王と呼ばれたエリザベス1世は、女性たちの悲劇と父親の暴君ぶりを反面教師として、黄金時代をつくり上げたということのようです。

 パンフレットの史実解説によれば、ヘンリー8世の6番目の妃が賢母といってよい人だったようで、エリザベス王女はこの人の教育と庇護を受け、また、この人のとりなしにより、剥奪されていた王位継承権を回復されています。

 ヘンリー8世がローマと決別しなければ、イギリスの歴史はずいぶん違ったものになったでしょうね。その辺りのところを血肉化して見せてくれる、歴史好きにはたまらない映画でした。

 それにしても、アンの処刑法が斧で斬首されるというのは、何とも悲惨。ギロチンは、フランスで受刑者の苦痛を少なくするために発明された処刑道具だと、以前に何かで読みましたけれど、映画であのような場面を見ると、なるほど一度で成功しなければ、それこそ阿鼻叫喚モノだろう、と納得してしまいました。 

 ファッションについて。重厚そうな衣装は豪華ですが、ごわごわしていて、如何にも重そう。こうした重い、不便な衣装から女性の体をすっかり解き放ってくれたのは後の世のフランスのデザイナー、シャネルでしたっけ。

 アンのつけていた真珠のネックレスには、ブーリン(BOLEYN)家のBの字を象ったものがついていて、素敵でした。肖像画に、描かれているそうです。現代の女性がつけていても、違和感がないでしょうね。

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2008年11月 4日 (火)

石……

まだ石はあったみたいで、小用のとき、また尿道口が痙攣し、痛みにブルルとなりながら済ませました(T_T)
もう石、出たのやら。

今日は、休日の家族と映画に行く予定です。『宮廷画家ゴヤは見た』を観たかったのですが、終わっていました。

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石?

 昨日、小用を足すときに痛みがあった。膀胱炎にしては、痛かったのはそのときだけだった。数時間して再び小用で、トイレへ。用を足すとき、尿道口が痙攣を起こし、とても痛かった。

 腎臓結石が下りて来たのだろうか? このところ、それを想像させる腹痛は何回かありはした。石が出たかどうかはよくわからなかったが、おそらく出たのに違いない。

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2008年11月 3日 (月)

バルザックと神秘主義と現代 そのⅡ

バルザックと神秘主義と現代 そのⅠ

 幼い頃から神秘主義的な傾向を持ちながら、そのことを隠し、まだ恥じなければならないとの強迫観念を抱かずにはいられない者にとって、バルザックの名は母乳のようにほの甘く、また力そのものと感じられるのだ。小説を執筆しようとする時、強い神秘主義的な傾向と、これを抑えんとする常識とがわたしの中でせめぎあう。こうしたわたしの葛藤には、当然ながら時代の空気が強く作用していよう。

 バルザックが死んだのは1850年のことであるが、彼が『あら皮』(この作品もまた神秘主義的な傾向の強い作品である)を書いた年、1831年にロシアの貴族の家に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、《秘められた叡智》を求めて世界を経巡った。インド人のアデプト(《達成した者》を意味するラテン語)が終生変わらぬ彼女の守護者であり、また指導者であった。

 インドの受難は深く、西洋では科学と心霊現象とが同格で人々の関心を煽り、無神論がひろがっていた。ブラヴァツキーは神秘主義復活運動を画する。アメリカ、インド、イギリスが運動の拠点となった。

 なぜ、ロシア出身の女性の中に神秘主義がかくも鮮烈に結実したのかは、わかるような気がする。ロシアの土壌にはギリシア正教と呼ばれるキリスト教が浸透している(ロシア革命が起きるまでロシアの国教であった)が、ギリシア正教には、ギリシア哲学とオリエント神秘主義の融合したヘレニズム時代の残り香があることを想えば、東西の神秘主義体系の融合をはかるにふさわしい媒介者がロシアから出たのも当然のことに思える。

 大きな碧眼が印象的な獅子にも似た風貌、ピアノの名手であったという綺麗な手、論理的で、素晴しい頭脳と火のような集中力と豊潤な感受性に恵まれたブラヴァツキーはうってつけの媒介者であった。

 ちなみに彼女には哲学的な論文のシリーズの他に、ゴシック小説の影響を感じさせる『夢魔物語』と題されたオカルト小説集がある。変わったものでは、日本が舞台で、山伏の登場する一編がある。

 彼女の小説を読みながらわたしは何度も、映像的な描写に長けたゴーゴリの筆遣いを思い出した。また内容の深刻さにおいてギリシア正教作家であったドストエフスキーを、思考の清潔さにおいてトルストイを連想させる彼女の小説には、ロシア文学の強い香がある。

 ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン』の中で、バルザックのことを〈フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)〉(田中恵美子・ジェフ・クラーク訳)と言っている。

 そして、ブラヴァツキーより少し前に生まれ、少し前に死んだ重要な思想家にマルクス(1818―83)がいる。一世を風靡したマルクス主義の影響がどれほど大きいものであったか、そして今なおどれほど大きいものであるかを知るには、世界文学史を一瞥すれば事足りる。

 史的唯物論を基本的原理とするマルクスが世に出たあとで、文学の概念は明らかに変わった。

従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。

 昭和36年に東京創元社から出された、「バルザック全集」弟3巻における安土正夫氏の解説からの引用である。解説にあるような昭和36年当時の《現代》を用意したのは、誰よりもマルキストたちであった。

 エンゲルスは、バルザックが自分の愛する貴族たちを没落の運命にあるように描いたというので彼を〈リアリズムの最も偉大な勝利の一つ〉と賞賛した。バルザックが自らの《階級的同情》と《政治的偏見》を殺して写実に努めたこと、また、そうした先見の明を備えたリアリスティックな精神を誉めたのである。

 わたしなどにはわかりにくい賞賛の内容だが、それ以降バルザックは、マルキストたちの文学理論――リアリズム論――にひっぱりだことなる。次に挙げるゴーリキー宛のレーニンの手紙なども、わたしには不可解な内容である。  

 だが、宗教を民衆のアヘンと見るマルクスのイデオロギーに由来するこの神のイメージは――階級闘争うんぬんを除けば――今では、日本人の平均的な神の概念といってよい。

神は社会的感情をめざめさせ、組織する諸観念の複合体だというのはまちがいです。これは観念の物質的起源をぼかしているボグダーノフ的観念論です。神は(歴史的・俗世間的に)第一に、人間の愚鈍なおさえつけられた状態、外的自然と階級的抑圧とによって生みだされた観念、このおさえつけられた状態を固定させ、階級闘争を眠り込ませる観念の複合体です。(山村房次『マルクス主義の文学理論』弟2部)

 神という言葉には人類の歴史が吹き込んだおびただしいニュアンスが息づいているにも拘らず、この問題をこうも単純化してしまえるのだから、レーニンはその方面の教養には乏しかったと思わざるを得ない。

 神秘主義は、宗教自身の自覚のあるなしは別として、諸宗教の核心であり、共通項である。従って、マルキストによって宗教に浴びせられた否定の言葉は何よりも神秘主義に向けられたものであったのだ。

 マルキストたちが招いた文学的状況は、今もあまり変わってはいない。

 日本には今、心霊的、あるいは黒魔術的とでも言いたくなるような異様なムードが漂っている。娯楽の分野でも、事件の分野(サリン事件、酒鬼薔薇事件)でも、純文学の分野ですら、こうしたムードを遊戯的に好むのである。

言葉の中身りも、まず声、息のつぎ方、しぐさ、コトバの選び方、顔色、表情、まばたきの回数……などを観察する。するとその人の形がだんだん浮かんでくる。オーラの色が見えてくる。/彼のオーラは目のさめるような青だった。/風変わりな色だったが、私は彼が好きだった。/「また、おまえ、変なモノ背負っているぞ」/「重いんです。なんでしょう」/「また、おまえ、男だぞ」/「また男……って、重いです」/私は泣きそうになった。/(略)/「前のは偶然くっついただけだから簡単に祓えたけど、今度のは生霊だからな。手強いぞ」/笑いだしたいほど、おもしろい。ドキドキする。/「おまえ、笑いごとかよ。強い思いは意を遂げるって、前に教えたろう?」/わたしは彼がしゃべったことは一字一句違えず記憶していた。しぐさや表情や感情を伴って、すべての記憶がよみがえるのだ。/殺したいぐらい怒ると、わずかな傷でも死んでしまうことがあるって、言った」/「同じことだよバカ」/彼が心配しているのがわかってうれしくなった。若い女はどこまでも脳天気である。わたしの悩みは、彼が愛してくれるかどうかだけだった。/彼はその日の夕方、ホテルで私を抱いてくれた。/冷たい体を背負っているよりは、あたたかい下腹をこすり合わせながら彼のものを握りしめているほうがずっと楽しい。私の穴に濡らした小指を入れたり、口の中に互いの下を押し込んだり。(大原まり子『サイキック』、文藝春秋「文学界3月号」、1998年)

 このような文章は、神秘主義が涙ぐましいまでに純潔な肉体と心の清らかさを大切なものとして強調し、清らかとなった心の力で見たオーラをどれほど敬虔に描写しようとするものであるかを知る者には、甚だ低級でいんちきなシロモノとしか映らないだろう。

 現代のこうした風潮は、マルクス主義が産んだ鬼子といってよい。神秘主義が〈無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている〉ことからきた社会的弊害なのだ。

 つまり、そのような性質を持つものを神秘主義と見なすようになったことからくる混乱があるのである。時を得て世界にひろがったマルクス主義のその貴重な側面は、絶対に否定しさることはできない。だからこそこの問題は、今こそ充分に検討されるべきではないだろうか。〔了〕 1998年執筆 

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 

 関連作品:マザコンのバルザック?
        卑弥呼をめぐる私的考察

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2008年11月 2日 (日)

回復

舌下錠使わずに、回復。体を起こしたら楽になり、そのまま様子を見ていた。
もう朝の薬を飲むので、大丈夫だろう。

寒くなってくると、どうしても胸の圧迫感、胸痛が出てくる。横になると、苦しくなって目覚めることが多いが、寝ないわけにはいかないし……。それに、普段から予防用のニトロ系の薬を使っているためか、いざ舌下錠を使っても効きにくくなっている。
とはいえ、インデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマートの組み合わせはわたしには効果的で、ずいぶん快適に過ごせるようになったのだから、贅沢はいえない。

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少し(>_<)

現在3時44分。
目が覚めたら、胸の中が変で、いくらか苦しい。昨夜左側の歯痛(虫歯はない)があり、狭心症の前兆かと思ったが、今の感じからすると、如何にも起こりそう。
でも血圧は低いのではないだろうか。舌下錠を使うと、体力も落ちるし、嫌だな。
しばらく様子を見て……。

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2008年11月 1日 (土)

最近の夕飯から∥えび・ブロッコリーとくるみの炒め物、ごぼうとしらたきの炒め物(服部先生レシピ)

Pa190110Pa190119 最近の夕飯から、『えび、ブロッコリーとくるみの炒め物』をご紹介します。これは如何にも中華という感じで、抜群に美味しかったです!

 この日は、他に、ごぼうとしらたきの炒め物、サラダ、いんげんと豆腐の味噌汁でした。

 えび、ブロッコリーとくるみの炒め物刊 服部幸應のしあわせクッキング82号」(ディアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。材料は4人分です。

∥えび12尾|ブロッコリー1個|くるみ50g|はつみつ大さじ1|にんにく、しょうがのみじん切り各1かけ分|A〔酒・中華スープの素各大さじ2、塩・こしょう各少々〕|酒、塩、こしょう、かたくり粉、サラダ油、ごま油∥

  1. えびは殻と背わたをとり除き、酒小さじ2と塩・こしょう各少々を振り、かたくり粉小さじ2をまぶす。ブロッコリーは小房に分けて塩ゆでにする。
  2. くるみは軽くフライパンでいり、はちみつをからめておく。
  3. フライパンにサラダ油大さじ1をなじませて、にんにく、しょうがを炒め、香りが出てきたら①のえびとブロッコリーを加えて炒める。Aで調味し、②のくるみを加えて混ぜ合わせ、ごま油小さじ1で香りをつける。

Pa190095 もう一品というときに重宝しそうな、『ごぼうとしらたきの炒め物』を47号からご紹介します。材料は4人分です。

∥ごぼう1/2本|しらたき1袋|赤とうがらし1本|サラダ油、しょうゆ∥

  1. ごぼうはささがきにし、水につけてアクを抜き、水気をきる。しらたきは、食べやすい長さに切り、下ゆでする。赤とうがらしは種をとり、小口切りにする。
  2. 鍋にサラダ油大さじ1を熱し、赤とうがらしとごぼうを炒め、しらたきを加えて炒め合わせる。
  3. しょうゆ大さじ3を少しずつ加えながら、蓋をしないで汁気がなくなるまでさらに炒める。

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