« ウィンナ・コーヒー | トップページ | サイト再編のお知らせ »

2008年10月12日 (日)

ノーベル文学賞作家、ル・クレジオの光と風

20081012024534 本年度のノーベル文学賞に輝いたル・クレジオ。

 その名は昔からたびたび耳にしたり、見たりしたことがあったものの、何も読んだことがなかったので、リサーチしてみようと思い、ジュンク堂書店へ出かけた。

 海外文学のコーナーに、地味に置かれていた。彼も、これまでに選ばれた多くのノーベル文学賞作家と同じく、日本ではマイナーな存在であるようだ。村上春樹氏がゲットしていれば、どんな(ドンチャン)騒ぎだっただろうか。文学状況は、まぎれもなく「オラが村さ」の日本……。

 そんな愚痴をこぼしても淋しくなるばかりなので、ともかく、本を手にとってみた。上下巻の『はじまりの時』(原書房、2005年)。一冊買うとするなら、これだなと思った。他にエッセーで、『アフリカのひと』(集英社、2006年)、『歌の祭り』(岩波書店、2005年)があった。

 単行本は3冊しか見当たらなかったが、2006年発行の「現代詩手帖特集版 ル・クレジオ――地上の夢」(思潮社、2006年)があり、作品としては『地上の見知らぬ少年』『雲の人びと』の抄訳、『宝仏殿』、エッセー『他なるものはすぐそばに』『私がフランス語で書く理由』などを読むことができ、よきル・クレジオの案内書であるようなので、それを買うことにした。

 ル・クレジオの作品からは光と風が姿を現わし、何というかヨーロッパにしか存在しない類の明晰さが感じられる。ヨーロッパの多くの国々が植民地を所有していたことと、無関係ではないと思う。

 残酷なことをし支配し搾取した一方で、彼らはその土地と人々と文明に惹かれ、渇望し、あたかも光や風となってそれらを抱擁したいとでも思っているかのようだ。

 ベトナムと切り離せないデュラス。アフリカと切り離せない詩人ランボー。そして、モーリシャス島に祖先を持ち、父親から影響を受けたことからモーリシャス島と結びつきが深く、またのちに見出したメキシコとも切り離せないル・クレジオ。 

 昨夜、前掲のいくつかの作品を読んだだけなので、はっきりとしたことはいえないが、ノーベル文学賞にふさわしい作家であるように思った。少なくともル・クレジオは、無責任な作家ではないと感じさせる。

 彼からすると、パムクでさえも、趣味的というか、打算(というのはいいすぎかもしれない。創作する上での遊び心というべきか)が感じられるほどだ。よくも悪くも、ル・クレジオの文章も方向性も学者的といおうか、探求的といおうか、厳正で、純粋さが漲っている。

 娘もル・クレジオに興味を持ったようで、何か注文しようかと考えているようだ。図書館で借りるより、なるべくなら自分のものにしてから味わいたい思いは親子して共通している。

 ル・クレジオの作品を雑誌で読みながら、チリ生まれのガブリエラ・ミストラル(彼女もノーベル文学賞を受賞している)の詩やエッセーを連想した。ミストラルの作品から感じられるのも、光や風だ。彼らが共通してメキシコ体験を持っていることは、偶然だろうか。メキシコの同じ光と風が、彼らの知性と感性を磨いたのか。彼らの認識の基礎には、しっかりとした、確かめられた何ものかが、存在している。

 彼らの作品からは、同じ成分が検出されるのではないかと思わせる。光や風、大地や水に対するまなざし、また動物や植物に対するまなざしにも似たものを感じさせる。しかしながら、ミストラルが創作において、あくまでも自然体を感じさせるのとは異なり、ル・クレジオの場合は観察から実体へと、どこまでも、観念の操作を用いて入り込もうとするかのようだ。ル・クレジオは、やはりヨーロッパ的知性を感じさせる。

 ル・クレジオの文章を引用しようかとも思ったが、それはまた別の機会に。彼の文章を読むと、浮世の垢が落ちるかのようだ。ノーベル賞のお蔭で、よいものに出合えてよかった。                

|

« ウィンナ・コーヒー | トップページ | サイト再編のお知らせ »

文化・芸術」カテゴリの記事

文学 №1(総合・研究) 」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事