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2008年10月21日 (火)

クリスティー『未完の肖像』とル・クレジオ『黄金の魚』について

 2冊の本について、少し書いておきたい。

 娘が注文・購入したル・クレジオ著『黄金の魚』(村野美優訳、北冬舎、2003年)、及びわたしが読んでいるアガサ・クリスティー『未完の肖像』(中村妙子訳、ハヤカワ文庫、2004年)について。

 どちらも女性の語りという設定で、その語りにはふくよかな甘やかさ、こまやかさがある。

 クリスティーはともかく、本年度のノーベル文学賞に輝いたル・クレジオは男性なのだから、そのデリケートな筆致には驚く。
 面白そうなので、すぐにも読み進めたいところだが、これは娘の本。娘が読み終えるか、読み飽きるかするまで待とう。
 装丁も素敵。黄金色に塗られた小さなお魚のキュートなこと!
 訳者あとがきによると、「物語は、幼児期に人さらいに遭い、故郷の記憶を無くした少女が、15年間の彷徨の中でさまざまな出会いと経験を重ね、『自分はどこから来たのか』『自分とは何者なのか』という問にみずから答えようとするものである」とあることから考えると、金色のお魚はその少女だろう。
 実は、娘がこの本を購入する前にあらすじ紹介を読んでいて、わたしもそれを読んだから、あとがきに書かれているようなストーリーであることは既に知っていた。
 そして、娘はそのストーリーに興味を覚えて本を注文し、わたしは興味をなくしたわけだった。
 というのも、わたしはストーリーから、これは悲惨なお話で、語り口も乾いたものに違いないと想像したからだった。
 昨今の悲惨なニュースに食傷気味のわたしは、悲惨なお話はノーサンキューだったから。
 ところが、休日の娘が心地よさげに『黄金の魚』を読んでいるではないか。覗かせて貰い、良質の児童書を連想させるような語り口に惹かれた次第。

 クリスティーの『未完の肖像』は、推理ものではない。作者の実人生が投影された小説と見なされているようだ。
 わたしは以前に、クリスティーの自伝を読んだことがあった。彼女のいわゆる失踪事件の原因が知りたかったのと、あれほどの量の推理ものをモノにした作者の特に内面を照射した軌跡が知りたかったからだった。
 しかしながら期待に反し、分厚かったわりにはそのような収穫は得られなかった。外界で起きる出来事が連綿と綴られている印象で、堅く閉じた作品だと感じられた。
 それが『未完の肖像』というフィクションでは、あますところなく一人の女性の内面がゆたかな情趣で描かれていると感じさせる。読んでいてわくわくさせられるような、内面性の充溢が見られるのだ。

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