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2008年7月21日 (月)

Diary 08.7.21/本日、創作に入った

 ついに創作に足を踏み入れてしまった。

 もうわたしは別の世界にいて、その世界全体を刺激し、震撼させてしまった。そして、その世界は元の静けさに戻りはしたが、わたしによって目覚めさせられたことで、意識の塊となっている。

 その塊の中を、歩いていかなければならないのだ。わたしには重く立ち籠める霧と後悔に似た、まだ決断のぐらついた状態にある自分自身が感じとれるだけ。

 現実に赤ん坊を孕んだときには、喜びと戦慄があったが、新しい作品を孕んだ今は戦慄を覚えるのみ。既に孕んでしまったので、産むか中絶するかしない限り、この戦慄から解放されるすべはない。

 わたしは現実には幸運にも、一度も人工中絶せずに済んだ。創作の世界ではときどきあり、そのたびに無力感に襲われる。

 今回はその中絶もままならないくらい、作品の胎児は成長してしまっている。生まれてきたところで、待ち受けているのは灰色の世界なのだ。この子の行き先は、所詮はゴミ箱という揺り籠、いや火葬場とわたしには予感できる。

 賞に応募する前から、落選を予感させる夢を見た。どんな作品が通るかは、もう何度も応募してきて、わかりすぎるくらいわかっている。

 通りそうな作品はわたしには書けない。審査員のためにも、賞のためにも書けない。こんなマナーしか身につけてこなかったので、落ちて当然と自覚できている。

 賞を、単に作品を書くための刺激剤として利用しようとしているだけ。こんな刺激でもなければ、書く気が起きない。午前中から鬱っぽい。マタニティー・ブルー。

 60枚という短編で、どう書くか。幸い今回のテーマでは、60枚というのがぴったりくる。掌編では書ききれず、100枚の短編だと弛む。

 母親の命日を過ぎたら書こうと思っていた作品を最初は計画していて、あるテーマに絞り、象徴的に仕上げれば何とか60枚の短編で処理できるかもしれないと思った。

 が、検討してみると、それは無理で、最低でも350枚は必要な社会派小説としてしか成立させようがないテーマだということがわかった。

 その場合は細かい記述を重ねることが求められ、わたしはいわば長距離ランナーとならなければならない。三枝先生がおっしゃったように、本来わたしは長編に向いていると感じるのだが、今は長編児童文学作品を抱えているので、それが仕上がるまでは、長編には手を出せない。

 そしていざ長編に手を出すとなると、邪馬台国物か伊万里焼物を書きたくなるだろう。やはりあれは、晩年用だ。

 今回の作品も、去年短編としてはわたしなりの成果を出せた作品と同じ枚数で仕上げなければならないが、両者は作品の性質上、手法が異なる。

 去年の作品では、わたしは短距離ランナーとなればよかった。今回は、限られた短い時間に華麗な演技を見せる体操選手とならなければならない。

 その中で、読者にあの世をこの世と感じさせ、この世をあの世と感じされるだけの離れ技を見せなければならないのだ。その仕事が完了できて初めて、今回の作品という赤ん坊は五体満足で生まれてくることができる。

 腹ぼてのまま、鉄棒から落ちて赤ん坊共々死ぬのかもね。ああ、しんど。書く前から。何しろ妊婦なので。現実には閉経を迎えようとしているのに、何て因果なことだろう。

 とりあえず明日は気晴らしに、家族と、大嫌いな宮崎監督の作品ポニョを観にいく予定。

 わたしから家族を誘った。なぜ嫌いかというと、行き当たりばったりのストーリー作りを彼が創造の美学と勘違いしているからだが、映像は楽しませてくれるので、行きたい。1/3くらいはファンなのかもしれない。

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