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2008年6月 4日 (水)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第90回

「あなたが、前王と同じくらいのお齢とは存じませんでした。ところで、老子の言葉はわたしの心の深みに流れ星のように達して、燦然と輝きますが、先だって、特別に輝いた言葉がありましたのよ。

天無以清、地無以寧、将恐発、神無以霊、将恐歇、谷無以盈、将恐竭、
 天は清くさせるものがなかったら、おそらくは裂かれるだろうし、地はおちつかせるものがなかったら、おそらくはくずれ傾くであろう。神々はその霊妙さを与えるものがなければ、(その力は)発散し、尽きはててしまい、谷は満たしてくれるものがなければ、干上がってしまうであろう。 (※6参照⇒原文・口語訳共に、『老子』(小川環樹訳、中公文庫、1973年))

 というのがそうですけれど、この言葉は、神々の霊妙さを受けて与える巫女として、厳(いつく)しさに華(かがや)いておいでになる女王様が今の倭国に大事である訳や、先程の、わたしが巫女にかかずらう訳になりそうな気がします。天が裂け、神々が発散して尽き、谷が干上がるのと同じことがわたしたちにも起こってしまったら、大変ですわ」 

 それにしても、独りで読書するとき、女王様と解釈を巡らす時、綺羅星よりも煌く老子の言葉が、イサエガの前で例にとると、色褪せ、意味をなくすように感じられてしまうのは、どういう訳なのでしょうか?

 わたしは呪縛されたような苦しさの中から不思議な思いで、イサエガを見ました。

「女王様の、まるで玄牝(げんぴん)のお乳のような純良な光(オーラ)を、あなたはお感じになりませんの?
 それは、女王様の霊性の高さの度合いまでは、凡人のわたしの窺い知れないところですわ。ですが、首長にふさわしい器量をお持ちなことは確かだと思えますの。
 聖人であろうと、大人(たいじん)、下戸であろうと、人には、天から頂戴した個性というものがあることを、よくお考えくださいませ」

 星霜を経ても歳をとらないかに見える、相変わらず、端麗なる男――イサエガ。その冴え冴えと徹った瞳を無邪気にのぞき込む勇気は、もはやわたしにはありませんでした。

「女王連合国をまとめてきた理念が、一部の人間の貴族趣味、霊妙趣味を満足させる道具へと変質してきていることが、そなたにはわからぬのか――
女王家は、後漢王朝と共に亡び去るべきだった。古い器を壊すことも必要なのだよ」

「まあ、ようやく、器ができかかっているところなのですわ……!」

 イサエガを追ったわたしの叫びは一陣の風に空しく舞いました。冷気の漂う激しい余韻を残して、イサエガは夜気に消えたのです――。〔続〕                       

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