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2007年12月30日 (日)

ひとりごと(年末に思うあれやこれや)

 大掃除が、絶望的に遅れている。もうだめだ~! 夫が休日に換気扇の掃除を引き受けてくれて助かった。

 注連縄を28日までにつけるはずが、買いそびれて、これも夫に買ってきて貰ったが、玄関を綺麗にして今日中にはつけなければ。屠蘇も買い忘れている。

 何だかめちゃくちゃな今年だったが、案の定、締めくくりもめちゃくちゃで、釣り合っている。

 年賀状は25日までには半分も出せず、28日までには何とか出し終えたつもりだが、もしかしたら出しそびれがあるかもしれない。

 明けて2日から3日にかけて息子のアパートへ行くので、夫に実家に行けば、といったが、何やかや理由をつけて行きたがらない。婚家には、早くから義妹が帰ってきていることだろう。

 婚家のことも、わたしの実家のことも、問題は根深い。そして、わたしの家庭そのものも。

 春に発覚した夫の不品行に息子が怒り、もう帰ってこないという手紙を夫によこした。棒のように直立した息子の怒りに対して夫はノラリクラリと対応し、意味をなしていない気もしたが、あの棒はかつてのわたしだ。

 怒るにも、それを持続させるにも、体力が要ることがわかった。それが欠如しているので、怒るより横になってしまいたくなる。わたしはまるで、息子を代理に立てているような気持ちになった。

 夫と息子がバラバラに過ごすほうが楽なら、それでいいじゃないの、という気になったのは、美容室でいつも担当して貰っている30歳に近い年齢の美容師さんと話していたときだった。

 彼女は、家に帰るくらいなら、一人旅に出るという。正月休みには京都の宇治に行くそうだ。来年の盆には帰るつもりだそうで、親はもうその来年の夏を楽しみにしているという。

  夫と息子の確執を話すと、頷きながら聴いてくれ、よくわかるのだそうだ。へえー、そうなの、世間ではよくあること(?)なのね――という気持ちになり、気が楽になった。そして、おしゃべりに夢中になっていたお蔭で髪型から注意が逸れ、注文をつけ損なった。

 わたしは、家族全員と正月を過ごしたいから、帰ってこられない家族がいれば、巡礼に出るまでのことだ。

 息子は、バイトを入れたあとで、わたしと娘が行くと決めたことで、気が重くなったようだったが、反面喜んでもいる様子。

 昼間は勝手にアパートの部屋に入っていいそうだから、どの程度清潔な暮しができているかを点検できそう。せめて、夕飯は一緒にと思い、ホテルのレストランを予約した。幸い、予約したホテルのレストランではこの時期、夜もバイキング形式をとっているようで、かえってよかった。

 海老アレルギーの息子には、上等そうな皿がしずしずと出てくる式よりは、自由に選択でき、量的にも満足できそうなバイキング式のほうがいい。

 どこへでも黒いテーシャツと黒いズボンで出向いていた息子が、恥ずかしくない格好をしてくるという。 バイト先へその格好で行って、警備員の制服に着替えるらしい。

 息子のバイトは、駅の警備員兼案内係。この時期、北からの電車が雪で遅れることがあり、そうなると、客があれこれ訊いてきて、バイトが終る時間になっても切り上げられないかもしれないそうだ。

 バイトが終るのが午後8時、レストランのラストオーダーが9時半だから、何とかなるとは思うけれど……。夫に、わたしたちがいない2日の夜ご飯はうちの隣のホテルのレストランに行けば、といったが、首をフリフリ。

 行きつけになっていれば別だが、ひとりではだめなのだ。ホテルのレストランなんかは、案外好きなほうなのに。その癖、アットホーム調は虫が好かないという難しいタイプ。来年はお手柔らかに願いたいわね~、いつもの調子で振り回されると、死んでしまいそう。

 結婚すれば、皆、何かしら苦労があるのか、40歳を過ぎてから、結婚式や葬儀や同窓会などで会った友人たちの顔も、陰影を帯びて見えた。世間慣れして屈託なく見える顔のどこかしらに、険しさ、迷い、徒労感、邪気……といったものが潜んでいるように見えたのだ。尤も、昔は刺々しいくらいに見えた友人が、結婚後におっとりとなったケースもありはするが、例外的だ。

 中野孝次著『ブリューゲルへの旅』(河出文庫、1980年)の中で、〈枯草づくり〉について綴られた文章を思い出す。

〔略〕女たちはたぶん、祖母、娘、母だろう。娘はあどけないまるい顔を、ほほえみかけるように、こっちに向けている。〔略〕母親らしい中年女は、あどけない顔をこっちに向けている娘の傍で、きっと前方に目を据えている。

かつては娘と同じようにみずみずしくまるかった顔は、いまは骨ばり、逞しくなり、疑り深いその目は、もう何事にもだまされぬぞ、甘い良いことなぞこの世に期待していないぞ、といっているかのようだ。

老婆は、喜怒哀楽の情からさえ解放されたような諦念しきった無感動ぶりで、前を見ている。画家はまるでこの三人の女によって、一人の女の一生を暗示しているかのようである。そして、それが語る言葉は、「生は険シ」だ。

 ブリューゲルの本物の絵は観たことがないけれど、中野氏の言葉に共感する。  

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