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2007年12月の46件の記事

2007年12月31日 (月)

よいお年を~ポール・エリュアールの詩『わたしはひとりぽっちじゃない』をご紹介

 行く年来る年に想いを馳せながら、フランスの詩人ポール・エリュアール(本名ユージェーヌ・グランデル)の清々しい詩『わたしはひとりぽっちじゃない』をご紹介したいと思います。

 よいお年を!

  わたしはひとりぽっちじゃない

にはさわやかな
をくわえ
たくさんのさまざまの
飾られ
抱かれ
かがやかしく
したしい
しあわせを
のひとしずくに
うっとりとし
よりも
きれいで

わたしはをし
わたしはみる

しかもまぎれもなくわたしは愛する。


「エリュアール詩集」(嶋岡晨・編訳、飯塚書店、1973年) 

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ひとりごと(どうにか新年を迎える準備が整う&最近の夕飯の写真)

 大掃除のラストスパートをかけた。

 全部の窓をガラスマジックリンの助けを借りてピカピカにし、網戸、全ドア、玄関を拭き、ベランダにも水を流してから雑巾で拭き、昨日の午前中に無事、注連縄も飾った。

 でも、このマンションの同じ階の住人で注連縄を飾っているのはうちだけだ。わたしは飾らないと、何となくすっきりしない。

 電気の傘を綺麗にし、あちこち掃除したあとで、全戸棚、冷蔵庫を掃除、点検、再構成。昨年までは、結構捨てるものが出てきていたが、今年は賞味期限切れで捨てたのは、小さな生クリームの缶くらいだった。

 中味はまだ綺麗に見えたが、かなり前に賞味期限が切れていたので、もったいなかったが捨てた。

 一つには、服部先生のレシピを見て料理することが多くなり、インスタント食品をあまり買わなくなったことが大きいだろうと思う。

 以前は案外利用していて、安いときにまとめ買いし、結果的に使い切れなくて捨てたりということがあったのだ。

 まだいくらか大掃除の場所は残っているが、どうしてもという部分は済ませた。エアコンのストリーマの掃除も年明けてからでもいいと思ったが、済ませた。

 おせちは注文したので、楽だ。息子が帰省しないので、いつもより少量のもの。ぜんざいは作りたい。今日は年越し蕎麦に天麩羅でもしようかと思ったが、天麩羅を食べると気分が悪くなることがあるので(そうなりません?)、肉だんごをすることにした。うちは全員、肉だんごが大好きなので――

 蒲鉾売り場では、例年馬鹿高さに驚かされる。あれは、材料以上に絵柄の芸術料にお金をとられるのだろうな。正月用の蒲鉾は、芸術作品なのだ。わたしは今回は蒲鉾に芸術を求めないことにし、いつも買って美味しいと思っている普段使いの蒲鉾を紅白で買った。

 息子のところへ行かなければならないので、なるべく出費を控えたいということがあった。いつもどこかへ行くときは、旅費もホテル代も娘と割り勘なのだが(でないと2人で行くのは無理だ)、今回は娘が自分の分と弟の分の夕飯代(ホテルでのバイキング代)を出してくれるそうで助かる。

Pc280100 写真は、来年生活をサポートしてくれる手帳と日記帳。

 日記帳は、今年はパソコン日記をつけることにしていたが、続かなかった。やはり、手書きのものがいると思い、買った。

 尤も、老眼・近眼の進行で字が書きづらいから、これも続かないかもしれないけれど。。。

 カレンダーも、それぞれ所定の位置に掛けた。

 これでどうにか新年を迎えられそうな雰囲気が整ってきたが、来年の目標は自作童話『不思議な接着剤』を完成させることだ。できれば賞に応募したい(懲りないことよ、全く我ながら)。

 そういえば、夢日記には書きそびれているが、数日前に一足先に夢の世界で「あけましておめでとう!」などといっていた。それで、何だかもう明けたような気分だ。

 体調は、一昨日はニトロ舌下錠を使った。昨日は体調がよかった。今もいい。

 近頃、夕飯の記事をアップできていない。写真だけでも、のせておこう。

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2007年12月30日 (日)

ひとりごと(年末に思うあれやこれや)

 大掃除が、絶望的に遅れている。もうだめだ~! 夫が休日に換気扇の掃除を引き受けてくれて助かった。

 注連縄を28日までにつけるはずが、買いそびれて、これも夫に買ってきて貰ったが、玄関を綺麗にして今日中にはつけなければ。屠蘇も買い忘れている。

 何だかめちゃくちゃな今年だったが、案の定、締めくくりもめちゃくちゃで、釣り合っている。

 年賀状は25日までには半分も出せず、28日までには何とか出し終えたつもりだが、もしかしたら出しそびれがあるかもしれない。

 明けて2日から3日にかけて息子のアパートへ行くので、夫に実家に行けば、といったが、何やかや理由をつけて行きたがらない。婚家には、早くから義妹が帰ってきていることだろう。

 婚家のことも、わたしの実家のことも、問題は根深い。そして、わたしの家庭そのものも。

 春に発覚した夫の不品行に息子が怒り、もう帰ってこないという手紙を夫によこした。棒のように直立した息子の怒りに対して夫はノラリクラリと対応し、意味をなしていない気もしたが、あの棒はかつてのわたしだ。

 怒るにも、それを持続させるにも、体力が要ることがわかった。それが欠如しているので、怒るより横になってしまいたくなる。わたしはまるで、息子を代理に立てているような気持ちになった。

 夫と息子がバラバラに過ごすほうが楽なら、それでいいじゃないの、という気になったのは、美容室でいつも担当して貰っている30歳に近い年齢の美容師さんと話していたときだった。

 彼女は、家に帰るくらいなら、一人旅に出るという。正月休みには京都の宇治に行くそうだ。来年の盆には帰るつもりだそうで、親はもうその来年の夏を楽しみにしているという。

  夫と息子の確執を話すと、頷きながら聴いてくれ、よくわかるのだそうだ。へえー、そうなの、世間ではよくあること(?)なのね――という気持ちになり、気が楽になった。そして、おしゃべりに夢中になっていたお蔭で髪型から注意が逸れ、注文をつけ損なった。

 わたしは、家族全員と正月を過ごしたいから、帰ってこられない家族がいれば、巡礼に出るまでのことだ。

 息子は、バイトを入れたあとで、わたしと娘が行くと決めたことで、気が重くなったようだったが、反面喜んでもいる様子。

 昼間は勝手にアパートの部屋に入っていいそうだから、どの程度清潔な暮しができているかを点検できそう。せめて、夕飯は一緒にと思い、ホテルのレストランを予約した。幸い、予約したホテルのレストランではこの時期、夜もバイキング形式をとっているようで、かえってよかった。

 海老アレルギーの息子には、上等そうな皿がしずしずと出てくる式よりは、自由に選択でき、量的にも満足できそうなバイキング式のほうがいい。

 どこへでも黒いテーシャツと黒いズボンで出向いていた息子が、恥ずかしくない格好をしてくるという。 バイト先へその格好で行って、警備員の制服に着替えるらしい。

 息子のバイトは、駅の警備員兼案内係。この時期、北からの電車が雪で遅れることがあり、そうなると、客があれこれ訊いてきて、バイトが終る時間になっても切り上げられないかもしれないそうだ。

 バイトが終るのが午後8時、レストランのラストオーダーが9時半だから、何とかなるとは思うけれど……。夫に、わたしたちがいない2日の夜ご飯はうちの隣のホテルのレストランに行けば、といったが、首をフリフリ。

 行きつけになっていれば別だが、ひとりではだめなのだ。ホテルのレストランなんかは、案外好きなほうなのに。その癖、アットホーム調は虫が好かないという難しいタイプ。来年はお手柔らかに願いたいわね~、いつもの調子で振り回されると、死んでしまいそう。

 結婚すれば、皆、何かしら苦労があるのか、40歳を過ぎてから、結婚式や葬儀や同窓会などで会った友人たちの顔も、陰影を帯びて見えた。世間慣れして屈託なく見える顔のどこかしらに、険しさ、迷い、徒労感、邪気……といったものが潜んでいるように見えたのだ。尤も、昔は刺々しいくらいに見えた友人が、結婚後におっとりとなったケースもありはするが、例外的だ。

 中野孝次著『ブリューゲルへの旅』(河出文庫、1980年)の中で、〈枯草づくり〉について綴られた文章を思い出す。

〔略〕女たちはたぶん、祖母、娘、母だろう。娘はあどけないまるい顔を、ほほえみかけるように、こっちに向けている。〔略〕母親らしい中年女は、あどけない顔をこっちに向けている娘の傍で、きっと前方に目を据えている。

かつては娘と同じようにみずみずしくまるかった顔は、いまは骨ばり、逞しくなり、疑り深いその目は、もう何事にもだまされぬぞ、甘い良いことなぞこの世に期待していないぞ、といっているかのようだ。

老婆は、喜怒哀楽の情からさえ解放されたような諦念しきった無感動ぶりで、前を見ている。画家はまるでこの三人の女によって、一人の女の一生を暗示しているかのようである。そして、それが語る言葉は、「生は険シ」だ。

 ブリューゲルの本物の絵は観たことがないけれど、中野氏の言葉に共感する。  

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2007年12月28日 (金)

パキスタンのブット元首相、暗殺される

 パキスタンのブット元首相が、選挙集会後に暗殺されたという。

 イスラム過激派からはブット元首相はアメリカと同一視されていた――というテレビの解説はわかりやすい。

 核保有国パキスタンは、これからどうなっていくのだろう。

 そしてブッシュはますますテロとの戦いを力説し、日本はそれに同調してアメリカに金銭的協力を強め、結果われわれ庶民はさらなる増税にあえぐことになるのだろうか。テロの標的になるのではないかと怯えながら。

 日本もこの辺でいい加減にアメリカべったりの姿勢を正していかないと、むしろ国として危うくなるのではないだろうか。

 以下に、ニュース記事を引用させていただく。

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ひとりごと(不服)

 昨日、美容室に行き、髪のカットやパーマのあとでマニキュア(白髪染め)をして貰った。

 前髪を掻き上げると、白髪が目立つ。白髪の目立つ前のほうはなるべく黒い色で、白髪が目立たない後ろのほうはオレンジブラウン(だったかな?)で染めて貰った。

 前のほうは本来の髪の色より黒い染め上がりなので、何だか落ち着かない。でも、これくらいにして貰わないと、すぐに白髪が目立ってくるのだ。

 思いっきりショートにしてほしいのだけれど、なかなか短くして貰えない。無理をいって短くして貰うと、「あら、短い髪が似合いますね」といわれることが多いのだが、美容師さんは大抵、フェミニンな髪型にしたがる。

 実は、わたしは髪型は、生活、特に創作に差し支えないことが第一で、見てくれはおかしくないくらいであればいいのだ。本を読んでいたり、書いていたりするときに、髪の毛がパサッと乱れかかってこようものなら、苛々して発狂しそうになる。

 昨日して貰った髪型は前髪が少しパサッとくる長さのため、苛々している。無理にでも短くして貰えばよかった。でも、そのパサッとくる前髪を除いては、全体に感じのいい仕上がりで、気に入っている。自己流の放置髪型になるのも、時間の問題だが。 

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2007年12月27日 (木)

ひとりごと(やはり昨日の背中の痛みは…)

 やはり昨日の突然の背中の痛みには、狭心症が絡んでいたとしか思えない。

 というのも、その後の家事の最中に左腕が動かしにくくなり、胸の中に違和感が生じて、不整脈(バラバラに打つ感じ)が起きた。

 そして夕飯の後片づけを済ませたあとで、つい炬燵でうたた寝してしまった。午前3時ごろ強い胸の圧迫感で目が覚め、迷わずニトロを舌下。エアコンもファンヒーターも入れていなかったせいで、室内が冷え込んでいた。

 耐性が生じているためか、ゆっくりとした効きかたではあったが、胸の圧迫感と苦しさは消えた。

 一連の流れを考えてみると、背中の突然の痛みは心臓由来のものだったとしか考えられないが、疑問の残るところはある。

 それにしても、ニトロのテープ2枚をしっかり貼っていてこれだ。先が思い遣られる。これを書いている今も、左手が微妙に痺れている。舌下錠の効きかたが鈍くなったことが、何とも寂しい。

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2007年12月26日 (水)

ひとりごと(突然の背中の痛みに驚く)

  このところ暖かかったせいか、すこぶる体調がよく、「マダムNの体調日記」の更新はほとんどブログペットのテーマに依存していたほど。

 それが午後4時ごろ、突然の背中の痛みに襲われ、身動きできなくなった。だが、いつもの心臓発作のような胸の圧迫感も痛みもなく、背中が主な症状。

 背中全体、特に上半分が板になったみたいにこわばり、しぼられるように痛む。昔慢性膵炎といわれて(現在は否定されているようでもある)投薬治療を受けているときに、これに似た背中の痛みがよく起きたが、感じが違うようでもある。

 それに、そのときは何ともいえない全身のだるさや腹部症状があったのだが、その点は何ともないのだ。

 何とか動けるようになった時点で、救急車を呼ぶ事態に備えて、着替えを済ませておこうと思った。きつい服は着られないし、洋服箪笥のある部屋までたどり着けそうにもなかったので、畳もうと思って和室に小山を作っていた洗濯物の中に、まあ見られるホームドレスがあったので、それまで着ていた人様には見せたくないホームドレスを脱いでそれを着た。

 背中の板状態に耐えながら、循環器科の先生に電話して訊いてみようかと思った。でも、そうしたら、先生は舌下錠を使ってみるように指示されるだろうと思い至り、舌下錠を使ってみた。

 舌下しても、ニトロのテープを2枚貼るようになってから耐性ができたとしか思えない、鈍い感触。以前は、舌の裏にピリピリした刺激感があり、即座に清涼感が胸から頭のほうへ拡がったものだった。

 鈍い、オブラートで包んだような刺激感。ゆっくりとした作用の仕方。どうしたっていうの、ニトロさん、とろいのよ~。尤も、今回のは狭心症とは関係がないかもしれず、効かなくて当然なのかもしれない。だが、全く関係がないのであれば、頭痛などが起きてもおかしくないだろう。

 で結局、ニトロがとろとろと効いてくれたとしか思えないのだが、背中が涼しくなり、痛みは跡形もなく消失してしまった。

 もし、あの背中の痛みが整形外科的なものだったり、慢性膵炎由来のものだったりした場合、身動きも難しいほどの痛みが綺麗に消えてしまうなどということがあるのだろうか?

 が、あれが果たして心臓由来のものだったかどうかは、判然としない。明日循環器科を受診したところで、痛みが消えてからでは検査のしようもないだろう。

 体調がいいのをいいことに、薬を飲み、ニトロのテープさえ2枚ちゃんと貼っておけば大丈夫とばかり、近頃健康管理が結構いい加減だったかもしれない。そのことに対する警鐘と受け止めて、用心して過ごそう。

 体調を崩して息子のアパートへ行けなくなったりしたら、困る。

 年賀状は25日までに出しきれなかった。あと半分ほども残っている。

 同人雑誌をお送りするようになった高校のときの国語の先生(1年生のときの担任の先生でもあり、現在はその高校の校長先生)から喪中の葉書が届いたのだが、先生には既に投函済みだった。葉書には「失礼ばかりしています。元気ですね?」とあった。

 先生はお坊さんでもあり、お亡くなりになった先生のお父様も当然お坊さんだったに違いない。わたしが高校のころはまだ青年といっていいくらいに若かった先生は、当時、お坊さんの仕事が苦痛で仕方がないといっていらっしゃったが、今はどうなのだろう?

 同人雑誌を送ったときに頂いたお手紙の内容も文字も、昔と変わらぬ若々しさだった。

 近眼・老眼の進行で葉書が書きにくいこともあり、気はあせるが、ともかく28日までには絶対に出すようにしよう。

 大掃除以前に、運の悪いことにエアコンがストリーマお掃除をいってきた。とはいえ、古い大きな借家暮らしだったときの大変さに比べたら、現在はコンパクトな賃貸マンション暮らしで助かる。

 近頃、寒さからねぐらを求めてか、鳩が一羽、ベランダに降りてくるようになった。可哀想だが、「ここはホテルにしないで」と追い立てるしかない。 

 明日は、美容室にも行かなくてはならない。幸い、いつもの美容師さんに予約できたが、「ずいぶん、お見えになりませんでしたね」と驚かれるだろうな。

 せっかくの美容師さんの作品も、白髪混じりのざんばら髪になり果てました~。これに懲りずに、よろしく。長時間座っているのに疲れて、前回は狭心症の発作が起き、美容師さんを驚かせたが、明日は起きませんように。ニトロを一錠、手に握って、椅子に座ろう。 

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2007年12月25日 (火)

スタバでクレームブリュレ

スタバでクリームブリュレ
娘とうどん屋を出たあと、ジュンク堂書店に寄り、スターバックスへ。

ここのスタバは落ち着くので、好きです。2階にいます。

写真を撮った頃までは、空いていて静かでしたが、記事にしているうちに埋まってしまいました。

いつもだと、レポートを書いているらしい学生とか、本を読んでいる人とかが多いのですが、今日は2〜3人で来て和やかに話している人々が目につきます。

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大分名物、だんご汁

大分名物、だんご汁
クリスマスを如何お過ごしでしょうか。

うちは、今日はごくフツーの一日です。

息子のアパートに新年2日から1泊2日で娘と出かけようと思い、JTBでホテルの予約をし、電車のチケットを購入しました。

息子は2日も3日もフルにバイトなので、顔を見に行くという感じでしょうか。

夫に外食してきてくれるようメールを送り、娘とうどん屋さんに入りました。

写真は、娘が頼んだ、だんご汁。ごぼう天をトッピングしたもの。

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12月24日の夕飯(ソーセージと野菜の煮込み、さやいんげんのサラダ)~クリスマスイブの食卓

Pc220023_2 Pc220022  クリスマスイブの夕飯は、ソーセージと野菜の煮込み、さやいんげんのサラダ、フランスパンのオリーブオイル添えでした。

 スパークリングワインはスペイン産です。フルーティーでありながらきりっとしたもの、それでいて手頃な値段というわたしの我がままな注文に、店員さんがすすめてくれたものがそれでした。

 いや~、本当にきりっとしていてフルーティーでした。もう大満足。

 そして、俗っぽく酔っぱらいながら、前の記事でご紹介したシモーヌ・ヴェイユの不思議なメモを想い、あのメモの中の〈わたし〉が飲んだぶどう酒はどんな味だったのだろう……と想像したりもしました。イブでしたから。

 チーズの詰め合わせは1,800円なり。 Pc220026_4

 そして、ケーキにつけた火を消したあとで、夫とくだらないことで口げんか。イブの夜とか正月とかに、こんなくだらない口げんかをするのは恒例です。

 どちらに原因があるのですかね。別々の人と結婚してみれば、わかるのかもしれませんね。

 不愉快な時間潰しをしてしまいましたが、それ以上いい合っても時間がもったいないだけと思い、料理に没頭。どうせ彼は、美味しいものを食べると、怒りも忘れるのです。わたしも怒りなんか忘れたかったから。

Pc220061_3  Pc220057そして、完成!

  ギリシャ風香辛料を振りかけて食べる服部先生のレシピ『ソーセージと野菜の煮込み』と、バジルの香る『さやいんげんのサラダ』は大ヒット!

  サラダのレシピでは、ペンネッテというペンネより小さなものが使われていましたが、わたしはペンネを使いました。その結果、ボリューム感が出ました。

 Pc220035 また、モッツァレラチーズが使われていたところを、わたしは水牛臭すぎる本格派のモッツァレラチーズを食べてから苦手になってしまったので、チーズの詰め合わせの中から幾種類か選び、小さな四角に切って使いました。

 さやいんげんの上にのっているオレンジ色の四角もチーズです。スパークリングワインとよく合いましたよ。

 ケーキもティラミス風で、料理と合いました。

Pc220046 そして、一度試してみたかったのがこれ。

 トースターで焼いたフランスパンを、塩を溶かしたオリーブオイルにつける食べかた。バターとはまた違う美味しさです。ヘルシーな感じがあり、この食べかたは癖になりそう。

 塩の分量は、好みで加減すればいいと思います。

 かくして、夫は満足、わたしも満足、夫婦喧嘩に呆れた娘も満足。やれやれだ~。  

 そしてわかったことですが、夫は、ケーキを取りに行かされたのを根に持っていたようです。

 デパートが苦手なのですね、彼は。ケーキを受けとる場所がわからなかったら、どの店員さんでもいいからつかまえて訊いて、といっておいたのですが、ぐるぐる探し回った揚句、訊いたりして嫌だったみたいです。あのデパートの地下は、そんなに広大なのか? あー(;一_一)  

 スーパーでのお使いには慣れたみたいだけれど、デパートはまだまだ難しいところなようです。夫の職場は流通業界なので、彼のこんなところは、わたくしてき七不思議。 

 でも、情けない自分の体のことを思うと、喧嘩しながらでも色々なことに慣れて貰うしかありません。子育てのほうが、よほど楽でしたね。

 では、レシピをご紹介します。 

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フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユのメモ~ノートにはさまれていた不思議なメモを田辺保訳でご紹介

 かれはわたしの部屋へはいってきて、こういった。「なにも理解せず、なにも知らぬあわれな者よ。わたしといっしょに来なさい。おまえが思ってもみないことを教えてあげよう。」わたしはかれのあとについて行った。

 かれは、わたしをとある教会へ連れてきた。新しいが、あまり美しくない教会だった。かれは、わたしを祭壇の前までみちびいてくるとこういった。「ひざまずきなさい。」わたしはこたえた。「まだ洗礼を受けておりません」。かれはいった。「真理が存在する場所の前に出たときと同じように、愛をこめてこの場所でひざまずきなさい」と。わたしは、いいつけられたとおりにした。

 かれは、外に出なさいといい、こんどは屋根裏の一室へ上らせた。そこからは、開いた窓ごしに、町の全体が、材木を組んだいくつかの足場が、荷おろしをしている船が何隻かもやってある川が見えた。かれは、すわりなさいといった。

 わたしたちふたりのほかに、誰もいなかった。かれは話した。ときどき、誰かが入ってきて、会話に加わったが、すぐまた、出ていった。

 もう冬とはいえない頃だった。といってまだ春にはなっていなかった。木々の枝は、まだ蕾をつけず、裸のまま、冷たい空気の中で、日ざしを浴びていた。

 光がさしのぼってきて、輝きを放ち、そして薄らいで行った。そのあと、星と月とが窓から入りこんできた。それからまた新しく、明けの光がのぼってきた。

 ときどき、かれは黙りこんで、戸棚からパンをとり出してきて、わたしたちは分けあって食べた。そのパンは、まさしくパンの味がした。その味にはもう二度と再び出あうことがなかった。

 かれは、わたしにぶどう酒をついでくれ、また自分にもついだ。太陽の匂い、その町が建っている大地の匂いがするぶどう酒だった。

 ときどき、わたしたちは、その屋根裏部屋の床の上に横になった。甘い眠りがわたしの上にくだってくるのだった。そして、目がさめると、わたしは太陽の光を吸いこんだ。

 かれは、教えをさずけようと約束していたのに、なにも教えてくれなかった。わたしたちは、古い友だちどおしのように、とりとめもなく、種々雑多なことを話しあった。

 ある日、かれはいった。「さあ、もう行きなさい」と。わたしはひざまづいて、かれの足に接吻をし、どうかわたしを行かせないでくださいと切に願った。だが、かれはわたしを階段の方へと抛り出した。わたしは、何もわからず、心は千々に砕かれて、階段を下りて行った。いくつもの通りを通りすぎた。そして、あの家がどこにあったのかを、自分が全然知らずにいることに気づいた。

 もう一度あの家を見つけ出してみようとは、決してしなかった。かれがわたしを連れにきてくれたのはあやまりだったのだと、さとっていた。わたしのいる場所は、この屋根裏部屋ではない。それはどこだっていい。刑務所の独房でも、つまらぬ装飾品やビロードで飾りたてたブルジョアの客間の一室でも、駅の待合室でもいい。どこだっていいのだ。だが、この屋根裏部屋ではない。

 ときとして、わたしは、おそれと後悔の気持をおさえかねながら、かれがわたしにいったことを少しばかり、自分で自分にもう一度いいきかせてみずにいられないことがある。わたしがきちんと正確におぼえていると、どうしてわかるだろう。そうわたしにいってくれる、かれはもういないのだ。

 かれがわたしを愛していないことは、よくわかっている。どうして、かれがわたしを愛してくれるはずがあるだろうか。それにもかかわらず、なおかつ、おそらくかれはわたしを愛してくれているらしいと、わたしの中の奥深くの何ものかが、わたしの中の一点が、おそろしさにふるえながら、そう考えずにいられないのだ。

☆―シモーヌ・ヴェイユ『超自然的認識』(田辺保訳、勁草書房、1976年)
   《プロローグ》より―☆

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2007年12月24日 (月)

イブのひとりごと&OPERAのXmasケーキ

Pc220008 昨日の記事でも書いた福岡市『オペラ』のクリスマスケーキです。

 こんなにオサレなバッグに入っていました~。

 大人びた雰囲気のクリスマスケーキです。サンタさんのお顔も、落ち着きのある感じ。

 さて、お味のほうは?  ううう、待ちきれませ~ん。その前に、しっかり料理せにゃ。ケーキは、今日休みだった夫がデパ地下までとりに行ってくれて助かりました。

 朝から暇を見つけては、フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユのさいごの頃のノートのうちの1冊にはさまれていた、実に不思議な覚え書を田辺保氏訳でご紹介しようと本から写していたのですが、案外長くて、写し終える前にクリスマスが終ってしまいそうです。

 学生時代には洗礼を受けようかと思ったくらい、キリスト教――特にカトリシズムに――惹かれました。連載中の『枕許からのレポート』は、その頃の作品です。

 やがて、その魅力的な部分を分析するうち新プラトン主義に行き当たり、そこから近代神智学の紹介する広大な領域へと分け入りました。

 ですから、クリスマスには、なつかしいような、心が痛むような、今は違和感があるような、昔求婚しようとしたことのある恋人を見るような独特の気持ちになります。

 ところで、今日12月24日は、74歳で逝った俳人三橋鷹女(1899―1972)のお誕生日です。そこで、鷹女の句を二句ご紹介します(鷹女の句は、こちらでもこちらでもご紹介しています)。

クリスマス前夜の鐘をもたいなく

クリスマス胡桃の樹肌あたたかに

 あらあら、料理せねば~!

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2007年12月23日 (日)

12月22日の夕飯(太刀魚の塩焼き、ほうれんそうのごま酢あえ)~楽しみなクリスマスケーキ

Pc200043 Pc200015  12月22日の夕飯は、太刀魚の塩焼き、ほうれんそうのごま酢あえ、ピーナツ豆腐、油揚げ・大根・落とし卵・小ねぎの味噌汁でした。

 それはそうと、明日はイブですね~☆。.

 昨年は、別府市『ニュードラゴン』(⇒ホームはこちら)のクリスマスケーキを注文しました。今年は福岡市『オペラ』(⇒ホームはこちら)にしてみました。初チャレンジです。楽しみです~

 ところで、わたしは昨年クリスマスケーキのコーナーの店員さんから、一昨年注文した別府市『きこり』(⇒ホームはこちら)のパティシエは『ニュードラゴン』のお弟子さんだと聞いたのですが、今年は別の店員さんから、「いえ、そのどちらのかたも、『12月14日』のお弟子さんですよ。わたしはそう聞いています」と聞きました。う~ん、真相は如何に?

 わたしはまだ『2月14日』のケーキは味わったことがないのですが、真相はいずれにせよ、『ニュードラゴン』のケーキも『きこり』のケーキも、スポンジのフワフワ感と生クリームのみずみずしさが印象的で、同じカラーを感じました。大分市『2月14日』(⇒ホームはこちら)のケーキも一度体験してみなくてはなりませんね。〔『2月14日』のホームにあるオーナーシェフの言葉を閲覧させていただいて、疑問の一部が解消しました。〕

 今年は注文に行ったのが遅く、ドラゴンさんのもきこりさんのも既にありませんでした。途方にくれたわたしに店員さんが「オペラは有名で、美味しいですよ」とすすめてくれ、それでオペラにしてみたというわけでした。

 そういえば、涼しくなればまたシフォンケーキにチャレンジしたいと思いながら、体調不良のため、もう冬になってしまったというのに作らず仕舞いです。年明けてからでも、作りたいなあ~。

 若い頃はケーキにはあまり興味がなかったのに、おなかの脂肪が悩みとなったこの年になってケーキにはまるなんて皮肉な現象です。はまったから脂肪に悩む結果となるのかもしれませんが。

 でも、見るだけでも気持ちが華やぐケーキ! イブにはこれがなくては始まりませんよねheart!

 イブの料理にも迷うところです。昔は賑やかなのが好きでしたが、これも体調が悪くなってから、家族だけで過ごすほうがよくなりました。それでも、イブの料理は何にしようかと考え込んでしまいます。

 お歳暮にいただいたハムを使って、ハムステーキ? 今年の冬はまだしていない、夢見るような赤い色のボルシチ? 昨年失敗したあれに再チャレンジ? 服部先生の『ソーセージと野菜の煮込み』にも惹かれます。ギリシャ風香辛料を作って振りかけるところが、何とも粋な感じ。。。

 サイドディッシュにも凝りたい。貝割れやラディッシュにゆずごしょうを使ったドレッシング、というのは如何にも洒落ているけれど、ジェノバペーストで茹でたさやえんどうをあえてテーズ、ペンネ、トマトと組み合わせるサラダは、ワインに合いそう。

 楽しい迷いは、明日になるまで続きそうです。☆★   

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フランスの女性詩人マリー・ノエルの作品をご紹介~ノエルはフランス語でクリスマス

 その名(ペン・ネーム)をマリー・ノエルというフランスの女性詩人の作品『ろうそく祝別の日』を、田口啓子訳でご紹介します。

 註に、ろうそく祝別の日とは、「聖母マリア清めの祝日ともいう。2月2日。イエスが生後40日目に清めの式を受け、マリアがイエスを奉献するために神殿に赴いたことを記念して、ともしたろうそくを持って行列が行われる」とあります。

 また、本名マリー・メラニー・ルジェのマリー・ノエルというペン・ネームの由来については、以下に年譜から引用させていただきます。

1904年      21歳
この年のクリスマスに、二つの不幸な出来事に遇う。彼女が心を寄せていた青年が、オーセールを去っていった。さらに、クリスマスの翌日にまだ幼かった末の弟がベッドで死んでいるのを発見した。この悲しい出来事ゆえに、彼女は「マリー・ノエル」と名のるようになる。「ノエル」とはフランス語でクリスマスのことである。彼女は後に、「『マリー・ノエル』とはわたしの恩寵の名前であり、同時に不幸の名前でもある」と語っている。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

  ろうそく祝別の日

人々とその運命が
ろうそくを持って進み、
人々とその運命が
夜明けの中を進む。

ろうから炎を
外に連れ出し、
からだから魂を
外に連れ出していく。

人類に属する者たちが
――たどるべき道はどこから始まるのか?――
人類に属する者たちが
道をたどっていく。

ともされた彼らのろうそくが
神の周りを回り、
真ん中で見ている
神の周りを回る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

供物を抱いて
母親は進み、
子供を見せて
母親は進む。

彼女は朝の官能の
果実を持っていき、
彼女は夜の苦しみの
果実を持っていく。

重い捧げ物を
父親は手にし、
高価なパンを
父親は手にしている。

何も持っていない老婆は、
他人の子供以外に
何も持っていない老婆は
奪った子供を抱いてる。

疲れてよろめく老人は
その歩みさえ居眠りし、
疲れてよろめく老人は
震えながらついていく。

何もできない神に、
人を人にする以外
何もできない神に
彼らは両手に持っていく

彼らが捧げた血を
彼らのささやかな成果を
彼らが捧げた血を
生まれた息子を。

わずかな喜びとなるはずの
初々しい子供を抱き、
大きな苦痛となるはずの
初々しい子供を抱く。

生きていくように、
奪わなければならない子供、
死んでいくように
奪わなければならない子供、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人々は道を
――かすかに陽が射す――
人々は道を
ろうそくを手にたどっていく。

ゆっくりと進んでいく
神に向かって――炎がゆれる――
ゆっくりと進んでいく
神に向かって。ろうが溶ける。

彼らは神の前を通り過ぎる
――ろうそくが次々と――
彼らは神の前を通り過ぎる
今日という日に沿って。

儀式をつかさどる
永遠の司祭、神
祭壇から下りて
永遠の司祭、神は、

ろうそくの炎を
彼らの手から取り返し、
明日のためにろうそくを
彼らの手から取り返す。

神は夜明けの薄明かりのなかで
ひと吹きの風で
神は夜明けの薄明かりのなかで
一つずつろうそくを消していく。

そしてもう誰もどこで
いつ神が吹き消したのか
もう誰もどこで 魂が
去ったのかわからない。

『マリー・ノエル詩集 双書・20世紀の詩人 20』(田口啓子編・訳、小沢書店、1995年)

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2007年12月22日 (土)

12月20日の夕飯(ハンバーグ)

Pc180096 Pc180075  12月20日の夕飯は、ハンバーグ、サラダ、焼き厚揚げ、小松菜と海苔のスープでした。

 すっかり我流となってしまっている、ハンバーグの作りかたをご紹介します。●○●

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ひとりごと(新年の計画、娘から聞いた話)

 昨日の息子のことで、顔を見に行きたくなり、新年の2日から1泊2日で娘と行こうかという話になった。

 ネットで見たところでは、ホテルにもよるが、空いているようだ。火曜日まで大丈夫だろうか。旅行会社で新幹線の切符とホテルの予約をしたいと思う。

 息子は年末年始にはバイトの予約を入れたといっていたので、行くといえば、今更と怒るだろうか?  

 自身の体調も不安ではある。息子のアパートに行けば、掃除したくなるのは必至(その揚句の果て、勝手なことをして――と怒られる?)。

 1年前だったか、雪の日に同人雑誌の合評会に出かけて中程度の狭心症の発作が起き、そのとき先生から寒いときは行かないようにといわれた。

 考えてみれば、1年前は、あまり発作が起きなかった。今では、家にいてもどこにいても、油断すれば始終起きるのだから、どこにいても一緒といえば一緒だ。ニトロのテープを2枚貼っている今の段階で寒い日に遠出すればどんなものか、わからない。

 大きな病院がない街に行くわけではないのだから、薬をちゃんと携帯し、もしものときは病院に飛び込めるように保険証を持っていけば、何とかなるだろう。

 まだ計画は未定。

 話は変わるが、娘の勤務する書店に、ちょっと風体の怖いお客がきたそうだ。

「福*(註:北のほう)のムショにいる知り合いに、本を送りたい」とのこと。「自分もムショにいたときに、送って貰ったから」だそうだ。

 バイオレンスものの文庫本18巻。バイオレンスものじゃないほうが、ムショにいる人にはいいんじゃないかなあ。

 その日はコミックスを1度に400冊も購入したお客もいたそうで、漫画喫茶か何かするのだろうと従業員の間で話したという。  

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2007年12月21日 (金)

ぎょっ、息子の先生からお電話が……

 午後3時ごろ、電話がかかってきた。

 セールスかと思って無言でいたら、相手が息子の住んでいる県の名と姓を名乗ったので、今度はてっきり息子の友人と想像し、(そんな名の友人がいたかなあ……)と疑問に思っていたところ、担当の……という言葉で、ようやく息子が所属している研究室の先生だと思い当たった。

 でも、研究室の教授から実家に連絡があるなど、めったにある事態ではないはずなので、動転し、「お世話になっております」の挨拶も早口でそこそこに、「息子が何か?」と尋ねたときは完全に螺子が飛んでいた。 

 先生のお話によると、息子は前日、腹痛で病院に行き、腸の炎症だか捩れたかだったそうだ。「入院しているのでしょうか?」と訊くと、入院はしていないそうで、自宅に帰ったらしい。ところが、今日、出てくるはずの研究室に出てこなかったという。携帯にもつながらなかったらしい。

 心配してくださった先生は、実家に電話をかけてこられたというわけだった。そちらで連絡の方法がありませんか、といわれても、こちらも携帯にかけるくらいしかなく、行くにはここから特急に乗り、新幹線に乗り換えて……とすぐには無理な距離だ。

 あとは、アパートの管理人さんに様子を見に行って貰うくらいしか思いつかなかったので、そういうと、「じゃ、わたしが管理人さんに電話しましょう。番号はわかりますか?」とおっしゃってくださったので、調べてかけ直すことにし、一旦電話を切った。

 念のために息子に電話したところ、通じた。すぐに先生に電話するようにいって、再び息子からかかってくるのを待った。

 何でも、熱が出て外出できなかったので、研究室に出なかったのだという。寝ていたそうで、わたしにいわれて着信履歴を見たら、なるほど先生から電話が何本かかかっていたらしい。

「腸がどうしたって?」
「昔から、たまに腸が詰まった感じがして痛くなることがあったけど、捩れて戻ったんじゃないかと思う」と息子。
「食べすぎでハライタ起こすことは、よくあったわね。腸捻転だったとしたら、大変よ。ちゃんと検査して貰いなさいよ」
「先生に、健康管理センターに紹介して貰った病院名をいったら、あそこは『ヤブだ』って。『でも、レントゲン撮るだけですから』っていうと、『いや、あそこのレントゲンは写らない。わたしがもっといい病院に紹介状の宛名を書き換えて貰ってくる』といって、そうしてくださったから、大きなところへ行ったよ。でも、病院に着いたときは治っていて、エコーをしたけど、医師も腸が炎症を起こしか軽く捩れたのかもしれないって、整腸剤と痛み止めをくれただけだった」

 1人暮らしだと、急病のときが心配だ。数日前に電話したときに息子が風邪気味だといっていたので、変に気になり、昨夜も電話をしてみようかと思ったりしたが、そのあと食事の支度やら片づけやらでバタバタし、忘れてしまっていたのだった。 

 迷惑、心配をおかけした先生に一言お詫びと思い、研究室に電話をかけたが、時間が経っていたせいか、お留守だった。大学のホームページにメールアドレスがあったので、メールをした。

 先生は、研究においては世界的な権威でいらっしやる。それだけでなく、1人の人間として、あたたかみのあるかただと感じられた。教養もゆたかなかたらしい。息子がなつくはずだ。

 わたしが20歳くらいのときから、お亡くなりになるまで、なついていた(?)神智学の先生も――女性だったが――、様々な意味ですばらしいかたで、偶然にも息子の先生と同じ姓だった。母子して、人生の師に恵まれているとありがたく思う。  

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2007年12月20日 (木)

12月19日の夕飯(かじきの一口揚げ)

Pc170042_2 Pc170028  12月20日の夕飯は、かじきの一口揚げ、かまぼこ・水菜・大根のサラダ、麩とねぎの味噌汁でした。

 香ばしいかじきの一口揚げをご紹介します。

□□■

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ありがたい、痒い、家計にちょっぴり痛い

Pc160010 Pc160006  先日の循環器科の診察で2倍になったニトログリセリン貼付剤。

 2枚、時間をずらして貼るようにとのことで、35日分70枚。

 お蔭で、朝、快適な目覚めが訪れてくれるようになりました。ただね、痒いの~(-_-;)

 上半身に赤いタイルを貼り巡らしたようになるのも、そう遠い話ではないかも。

 暖かくなるまでの辛抱ではないかと思っています。

 出された薬は35日分のインデラル、ヘルベッサー、ニトロペン舌下錠、及び前掲の薬で、計4,560円なり。もう少し健康にならないと、家計に痛いです。自分のせいなので、自分に文句をいうしかありません。。。

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リンク集設置のお知らせ

 左サイドバーに、リンク集を設けました。普段わたしがありがたく利用させていただいているサイトのご紹介です。Ⅰ(思想)、Ⅱ(文学)、Ⅲ(健康)、Ⅳ(料理)、Ⅴ(占い)に分類しました。

 今後、ぼちぼち増えていくことと思います。

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2007年12月19日 (水)

昨日の夕飯はティールームで

昨日の夕飯はティールーム
昨日は病院、デパートでおせちとクリスマスケーキの予約など、わたしにとってはハードスケジュール(普通の人にはたぶん軽々スケジュール)だったので、仕事帰りの娘と待ち合わせてティールームへ。

夫にはお弁当を買ったら、サービスでだんご汁がついていました。

娘はパスタ(パン付。このパンは持ち帰りも可)、コーヒー、ケーキ。わたしは写真のものとコーヒー。

前に同じような写真をアップした気がしますが、美味しいので再度、大きくアップ!

盛り沢山な野菜の中にバターをたっぷり塗ったスライスしたフランスパンが隠れていて、上にはチキン。

かかっているマヨネーズソースが、美味。

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昨日、循環器クリニックを受診(ニトロの耐性について伺う。洞性頻脈の薬剤師さん。)

 循環器クリニックへ出かけた。

 血圧の数値は理想的だった。喘息の発作のことを話したが、もうひとつ緊迫感が伝わらなかったようだ。

 フルタイドとメプチンエアーを合わせたような新薬が出たと先生。

 わたしはそれを出してほしいと思ったが、心臓への刺激を考えて呼吸器科の先生が出されない可能性もあると思うので、そちらで相談するようにとのことだった。

 ニトログリセリン貼付薬(メディトランステープ)を毎日貼るようになってから、朝、あった胸の圧迫感と湧き出るように次々に出ていた痰がなくなったことを話した。

「ヒットだね!」と、複雑な表情の先生。「ヒットです、朝がずいぶん楽になりました」とわたしも複雑な気持ち。

 楽になったのは嬉しいのだが、楽になったということは、原因があるということだからだ。

 そして、楽になったとはいえ、テープをはがしたときや、疲れたときに、狭心症の発作が起きることがあることも話す。

 すると、テープを2枚、時間をずらして貼るようにと、35日分70枚が出た。

 わたしはニトロの耐性について質問した。「耐性が生じて、舌下錠が効きにくくなるというようなことはないのでしょうか?」

「耐性はある。ニトロには、耐性があるよ。その代わり、ずっとテープを貼っておけば、発作は出にくいさ」と先生。

 気のせいではなかった。耐性はあったのだ。ニトロを舌下して、効かなくなったというのではない。ちゃんと効くのだが、以前のような即効性と清涼感が薄れたように感じられてならなかった。

「かぶれはない?」と先生。「かぶれます」とわたし。「メディトランステープはかぶれにくいタイプなんだけど、ステロイド系のかぶれの薬を出そうか?」

 ステロイド軟膏には抵抗があるというと、「じゃ、出さない」と先生。念のために貰っておいたほうがよかっただろうか。でも、つけ出すと、際限がなくなり、かつての娘の二の舞という気がする(関連記事はこちら)。

 薬局には7~8人くらいの薬剤師さんがいたが、その中でわたしと同じタイプの頻脈のある男性の薬剤師さんが今日は担当だった。

 わたしはインデラルを使わないと脈拍数が120~140になるが、彼は90だそうだ。たまに脈が速くなるのは誰にでもあることなのだが、ずっとという人には――治療を受けていないバセドウ病の人と母方の親戚を除けば――めったにお目にかかれないので、仲間に出会った気がした。

 そして彼も、血圧が高くなったこともあって、薬を使い出したというところまで、わたしは聞いていた。わたしも頻脈の治療を受ける前は、血圧が馬鹿高くなることがあった。

 先生以外の人とこんな話ができると、無性に嬉しくなる。 

「インデラルのような薬がなかったら、もう死んでいたという気がします」というと、「人生50年の時代には、わたしたちのような頻脈患者はどうしようもなかったでしょうからねえ」と、薬剤師さんもおっしゃる。

 彼も同じ先生にかかっているのだろうか、と気になり、尋ねると、別の先生だそうだ。昔からの知り合いで、胃腸科の先生だという。

「胃腸科の先生でも、心臓にお詳しいのですか?」と訊くと、「ええ。でも、あなたがかかっていらっしゃる先生はピカ一ですから。心臓に関して県下で敵う人は、誰一人ありませんよ。それはもう抜群の先生です」とのこと。へえー、本当に?

 前に患者さんたちが、先生が名医だという噂をしているのを聞いたことはあった。でも、気さくだし、飲兵衛だし、ぴんとこないところもあるのだ。ただ、先生の目の明るさ、綺麗さに感動することがたびたびあり、そんなとき、この人物は非凡だと感じられていた。

 評判を鵜呑みにするわけではないけれど、先生をますます頼りにしたい気持ちが募ったわたしとしては、お酒を控えて、いつまでも元気でいてほしいなあ。 

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2007年12月18日 (火)

12月18日の夕飯(刺身、コンビーフとピーマンの炒め物)

Pc150038 Pc150009  12月18日の夕飯は、刺身、コンビーフとピーマンの炒め物、卵の黄身のせ冷やっこ、ごぼう・キャベツ・大根・小ねぎの味噌汁でした。

 体調不良が続いたため、久しぶりの夕飯作りでした。

 まだ本調子ではなかったので、買い物は休日だった夫に頼みました。刺身があまり残っていなかったそうてすが、全体的に、なかなか上手な買い物をしてきてくれました。

 作ったのは簡単にできるものばかりでしたが、家族はとても嬉しそうに食べてくれ、幸せでした~。

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ひとりごと(日常的なあれやこれや)

 ようやく体調が戻ったが、5日ほど喘息、その前5日ほどは心臓の不調で、貴重な時間が費えた。

  それにしても、喘息には警戒が必要なようだ。

  今年はインフルエンザでひどい目に遭い(タミフルがなければどうなっていたかわからない)、少し風邪気味だと思っていたら、今度のような急な気道の腫れと痙攣で息ができなくなったことが3回(気管支拡張剤がなければどうなっていたかわからない)。

 お蔭でまともな外出ができず、まだクリスマスケーキもおせちも予約していない。もういいものは残っていないかもしれない。息子が帰ってこないので、気が塞ぐ。服部レシピの中の正月料理にでもチャレンジして元気を出そうか。

 娘がパソコンで可愛らしい年賀状を作成してくれた。25日までには出したいと思い、昨夜から書き始めたが、近眼・老眼の進行で、書きづらいこと、このうえない。

 遠近両用眼鏡をかけたままでは、字がよく見えず、眼鏡をはずして顔を近づけると、今度は全体が見えない。裏のクリーム色をした吹き出し部分にメッセージを書き入れ、表に相手の住所と名前を書くだけでいいのだが、5枚書いただけで疲労困憊する始末。

 全部パソコン任せにしたら楽かとも思うが、これくらいは自筆でと思う。

 遠近両用眼鏡だけでは、不自由さを覚える。中近、近近も必要だなあ。呼吸器科の先生が、前に雑談で、中近、近近の場合は家の中で使用することがほとんどだから、レンズの厚さやフレームに拘らなくてもよく、案外安く作れるものだとおっしゃっていた。

 といっても、そんなに安くはないし、コンタクトレンズも合わなくなってきた。ちょっと手が出ない。大分市在住の大学時代からの友人も、自筆だと何を書いているのかさっぱりわからないといっていたのには、共感と安堵を覚える。この年齢になると、皆こうなんだ!

 美容院にも行かなくてはならない。パーマがとれてきたし、白髪がチラホラ目立ってきた。長時間座っているのは苦痛だなあ。前回は会計を済ませていたときに、狭心症の発作が起きて動作が不自然になり、美容師さんを驚かせた。

 正月に着物を着ないかと娘にいったら、「えっ、何のために?」と、不思議なものを見るようにわたしを見た。

 何のためって、年頃だし。別に見合い写真を撮ろうって話ではない。見合いさせるには財産が要る。うちのような貧乏な家の娘は、自力で探して貰うしかない。

 着物くらいでも、新しいものは今はとても買ってあげられないが、わたしの母が結婚するときに持たせてくれた着物があって、それらをタンスの肥やしにしておくのはもったいないではないか。

 着付は習ってふくら雀も結べたのに、今じゃ浴衣すら上手に着せてやる自信がないから、美容院で着せて貰わなければならない。それをいうと、娘はますます億劫みたいだ。わたしはむしろ着たいが、体がね。

 美容院に行くだけでも大仕事とあっては、この先やってくる(ことを期待する)子供たちの結婚式だとかお産だとかの行事に耐えられるのだろうか。親の介護だとか。母のときのような渾身の介護、できる自信が全くない。

 何より、現在の問題として、父夫婦のことはどうすればいいのだろう?

 「父の問題」は左サイドバーのカテゴリーにあります。

 父夫婦のことを父方の親戚は熟知しているが、母方のほうは曖昧にしかわかっていないと思う。

 既に迷惑をかけた可能性のある、父が親しくしていた筋にだけにでも、事情を話しておくべきかもしれない。そう思って手紙を書きかけたが、筆が進まない。数日内にこの用事は済ませておきたいのだが……。

 年末にはしなければならないことが次々に思い浮かび、楽しくない。娘の買ったオペラのDVDや、玉さまの公演のときに買ったDVDもまだ観ていない。それらはともかく、忙しいからといって、創作のほうは、長くほったらかしにはできない。

 頭の中が縺れてきた。

 とりあえずは、クリスマスケーキとおせちの予約、年賀状、父夫婦の事情をしたためる手紙の用事を済ませることにしよう。そういえば今日は、循環器科の受診もあったのだった。 

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2007年12月17日 (月)

坂口安吾のマドンナ矢田津世子が愛した詩人レミ・ドゥ・グルモン~『雪』をご紹介

 冬、ことに雪というと連想する詩があります。レミ・ドゥ・グルモンの『雪』です。この詩は、雪にシモオヌという女性の面影を重ねた絶品ではないでしょうか。

 グルモンには他にもシモオヌを謳った詩がありますが、わたしが忘れられないのは『雪』です。初めて、読んだのは大学生の頃で、ぼーっとして時間が経つのを忘れてしまった記憶があります。

 作家坂口安吾のマドンナといわれる、この人も作家であった矢田津世子に関する評伝『花陰の人――矢田津世子の生涯』(近藤冨枝、講談社、昭和53年)に、グルモンは津世子の終生愛した詩人とあります。

 わたしは坂口安吾に対するのとはまた違った意味で矢田津世子の繊細な小説が好きなので、彼女もグルモンが好きだったんだなあと思うと、嬉しい気分になります。

 津世子にグルモンを教えたのはお兄さんだったそうですが、そのお兄さんにインタビューがなされたときのことで、次のようなことが評伝には書かれています。

 レミ・ド・グウルモンは津世子の終生愛した詩人だが、何度目かのインタビューのとき私は不二郎氏にこのことを質問した。と、彼は1冊の古めいた本をとり出すと静かに頁を開いて朗読をはじめた。

  枯葉      レミ・ド・グウルモン
シモオン、森へ行かうよ
木の葉が散つてゐる
散つた木の葉は
苔を、石を、小路を埋める
シモオン、枯葉を踏む音は好きか

 ここまで読んだ彼は、
「これすき、殺されちゃう」
 と小さく叫び、
「涙が出るほどいい詩人なんだ」
 とため息し、
「わかる。男色の詩よ」
 と解説する。妹へもこういう風な態度でいつも教えていたのだろうと私は推察するのだった。

 グルモンが男色。ちょっと混乱してしまいましたが、詩の価値に変わりはないと感じました。それでは、上田敏訳で、『雪』をお届けします。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

  
          レミ・ドゥ・グルモン

シモオヌよ、雪はそなたの頸(えり)のように白い、
シモオヌよ、雪はそなたの膝のように白い。

シモオヌよ、そなたの手は雪のように冷たい、
シモオヌよ、そなたの心は雪のように冷たい。

雪は火のくちづけにふれて溶ける、
そなたの心はわかれのくちづけに溶ける。

雪は松が枝の上につもつて悲しい、
そなたの額は栗色の髪の下に悲しい。

シモオヌよ、雪はそなたの妹、中庭に眠(ね)てゐる。
シヌオヌよ、われはそなたを雪よ、恋よと思つてゐる。

『世界の詩32 上田敏訳詩集』(編者・河盛好蔵、彌生書房、昭和41年)

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2007年12月15日 (土)

ひとりごと(対策)

 久しぶりに、パソコンからです。やっぱり落ち着きますね、ここは。

 喘息からくる息苦しさが消えないので、予防用のフルタイドの吸入を増やしました。このフルタイドの吸入を増やすことには、それほど不安がらなくてもいいと呼吸器科の先生はおっしゃいました。循環器科の先生は、あまり増やすことには賛成ではないようです。

 ステロイド嫌いのわたしは、先生に不安をいい募ってフルタイドの吸入回数を減らして貰ったということもありますが、現在は夜1回で必要によって増やすようになっています。それが、勝手なもので、苦しいとなると急に増やしたくなるのですから、こんな使いかたはまずいだろうなと思います。

 でも、娘が湿疹につけるステロイド軟膏、プロトピック軟膏でひどい目に遭い、皮膚が爛れ、潰瘍のようになったのが、幸運にも漢方の名医に出会え、綺麗になった過去がありました。以来わたしはステロイド嫌いになってしまったのです。

 全国の漢方専門医を検索できる「漢方ビュー」はこちら

 ちなみに娘がお世話になったクリニックは、こちらです。

 わたしも娘が通ったクリニックに通いたいのですが、少しばかり遠いのですね。でも、このところ迷っています。

 気管支拡張剤メプチンエアーの1日の吸入回数は最大4回(原則として成人8吸入、小児4吸入)までとあり、わたしは午前3時に1回、朝1回、午後3時に1回と計6吸入しました。今日中に吸入できるのは、あと1回です。

 息苦しく、胸が重いですが、やはり心臓からくる胸の重さ、圧迫感が奥の奥のほうからくる感じと比べると、表面的な感じがあります。痛むときも、表面的な感じです。

 子供たちは小児喘息でしたが、スイミングに行くようになってから、喘息の発作が起きなくなりました。

 それまでは何度も、夜中に救急外来に連れて行ったり、あれこれ対策を練ったりしたはずですが、自分がいざ喘息患者になってしまうと、あまり思い出せません。

 子供たちとは発作の出かたが違うということと、治療が変化したということもあります。ただ、これは危ない、と思ったときは迷わず救急外来へ、ということは子供たちの喘息から学びました。

 とはいえ、子供たちを一晩中見守っていたあのようなことは、一人二役では無理というものです。

 わたしの場合、それほどの前触れもないのに、急に気道が狭まることがあって、それが怖いのです。頻脈を抑えるのに使っているインデラルの副作用でしょうか。インデラルには喘息の副作用があり、わたしの喘息はそのせいではないかともいわれています。

 このインデラルは冠動脈も痙攣させ、わたしを狭心症患者にしてしまいましたが、ここまで生きてこられたのはインデラルのお蔭なのですから、感謝しています。これがなければ、とっくに心不全で死んでしまっていたことでしょう。

 新聞の集金に見えるおじさんの奥様が、急に気道が閉塞する症状がおありだそうです。奥様は、軽症のわたしとは違い、重度の喘息患者であるようですが、この冬に病状が悪化して入院し、退院後も強い薬を使っているせいで、足が2倍にも腫れ上がってしまったのだとか。

 その奥様のお姉様が、やはり急な気道の閉塞でお亡くなりになったという話も伺いました。看護師さんで1人暮らしだったそうですが、発見されたときはすでに息がなく、気道が閉塞しているのに酸素ボンベから酸素を吸い続けたせいで、顔がパンパンに膨れ上がっていたということです。

 家に酸素ボンベの備えがあったということから考えると、軽症とはいえない喘息患者だったのでしょうが、普段は普通に勤務されていて、その日も普通に仕事をして帰ってから起きたことだという話でした。そんな話を伺うと、本当にぞっとしてしまいます。

 携帯電話、メプチンエアー、それからわたしの場合狭心症の発作も起きる可能性があるのでニトロ舌下錠を枕許に置いて、天に加護を祈って眠るしかありません。嫌でもずっと、これを習慣づけるべきでしょうね。

 もう既に夜の領域です。 

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おごちそう

おごちそう
なんて言葉につられてお見えになったとしたら、ごめんなさい。

当ブログでは沢山レシピをご紹介していますので、せめてそれを見ていってくださいね。

動くとしんどいですが、これ食べると元気になるでしょう。「わが軍に敗退という言葉はない」なあんてね。

病気でつらいと、自分が前線に立たされた子供のように若い兵士になった気分になりますが、今は将軍になった気分です。

胸のほう(喘息)は、ぼぼ落ち着きました。

これで夜さえこなければ満足ですが、「わが軍に敗退という言葉はない」。

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午後3時に、おはようございます

午後3時に、おはようございます
携帯からです。爆睡していました。

午前中に呼吸器科クリニックに行くつもりでしたが、とっくに過ぎています〜。

胸の中がぎこちなく、ハアハア速い呼吸しかできないので、メプチンエアーを吸入しました。

左胸が痛く、咳をすると、そこが鋭く痛みます。これは、狭心症の発作からくる痛みとは全く感触が異なります。もやもやした雲が胸の中いっぱいに広がっていて、息をすると、空気ではなく、その雲が肺に吸い込まれてしまう感じ。あくまでイメージです。

買い物の予定でしたが、とても無理です。

昨日から調子が悪かったので、娘に買い物を頼み、昨夜はカレーとサラダを作りましたが、最近、外食や弁当が増えているので、まともなものを作りたいのですが、困りました。

もし狭心症の強い発作と喘息の気道閉塞が同時に起きたらどうすればいいのでしょう? 今は幸い、心臓は元気です。

近頃、わたしのブログはこんなことばかりで、つまらないでしょうね。ごめんなさいね。でもわたしは、ブログが寄りどころとなっています。

今日も嫌な夜が来ます。夜から逃げて、光だけの国に逃れたい。でも、そこってあの世ですものね。踏ん張って、ここにとどまらなくては。春はまだまだ先だと思うと、気が遠くなります。

今日中に、童話と夢ブログだけでも、更新しようと思います。できれば俳句ブログも。ああ、おなかが空いちゃった。お粥に梅干しのせて食べたい。

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眠い朝

寝たり起きたりしているうちに、朝になりました。

まだ痰が絡みついて、少し苦しいけれど、それより泣きたいくらいに眠いです。だるい。

狭心症より喘息のほうが嫌。死ぬなら、心臓のほうがいいです。

朝ですが、寝ます。寝ているときに、何も起こりませんように。

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また息が(+_+)

また息が(+_+)
午前3時、携帯からです。

また息ができなくなりました。でもメプチンエアーで、何とか息が通るようになりました。まだ不安です、今にも塞がりそうで。

夕食後寝て起き、今日になってからはずっと起きていました。心臓の具合がよかったので、寝るのがもったいなくて童話の続きを考えていたのです。

ふと昨日のように喉に痰が絡んだ感じで、息がしづらくなりました。

普段のわたしの喘息はずっと咳が止まらないタイプのものなのですが、睡眠中急に息ができなくなって、目が覚めたことはこれまでにありました。

起きているときに、そうなりました。痰が喉に詰まるからというより、気道が腫れぼったくって閉じてしまったのかもしれません。

なぜなら、痰はあまりないのに、喉が塞がるのです。落ち着いて鼻と口から息をしようとしますが、喉から下に空気が落ちていかないという感じでした。

気管支拡張剤を使って、空気が通るようになりましたが、まだ少し苦しい。

またさっきのように空気の下らない感じがぶり返せば、いつでも連絡していいことになっている循環器の先生にお電話するか、救急車を呼びます。

たぶん、大丈夫だと思います。では、また。

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2007年12月14日 (金)

12月11日の夕飯(あじの干物、スナップえんどうのおひたし、せん切りメイクイーンの中華風炒め)

Pc120114Pc120099 12月11日の夕飯は、あじの干物、スナップえんどうのおひたし、せん切りメイクイーンの中華風炒め、厚揚げ・ごぼう・水菜の味噌汁でした。

 最近、スナップえんどうを売り場でよく見かけ、値段も安いので、スナップえんどう好きのわたしはつい買ってしまいます~。

 少し前の夕飯になりますが、今日はそのとき作ったあっさりとしたスナップえんどうの食べかたをご紹介します。何となく珍しくて、洒落た感じのおひたし。薄味の上品な味つけです。お客様にもいいのではないでしょうか。▲△△ 

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薬が効いた!~ベルイマン監督作品『ある結婚の情景』について少しだけ

 現在、4時半。循環器クリニックの先生にお電話しようかとまで思いましたが、3時頃にはすっかり楽になり(詳しい事情はこちら)、今は胸の苦しさも痰も、影もかたちもないのが不思議なくらいです。

 ニトロの舌下錠と気管支拡張剤メプテンエアーが、よく効いたということになります。逆から考えると、これらがなかったらどうなったか、ですね。

 いつだったか循環器クリニックの先生が、「Nさんは、インデラルがなかったらどうなるのだろう?」などと、ぞっとすることをぼそっとおっしゃったことがあって、インデラルがないとわたしは一番困るのですが、今ではヘルベッサーにニトロ、フルタイド、メプチンエアー、これら全てがないととてもやっていけませんね。

 前の前の記事で、何だか自分の病気に悲観的になってしまいましたが、薬でケロリとなった今の状態では、それがおかしなくらい。でも、また発作が起きると、いやそれより、だらだらと何とはなしの状態の悪さが続くと、たちまち悲観的になるのでしょう。つまり、単純ってことですね。

 でも、発作のあとは、楽になるとハイな気分になりはしても、体は疲れています。ハイな気分のまま、ベルイマンの『ある結婚の情景』『秋のソナタ』について書こうかという気になりましたが、体を労わることにします。

 どちらもベルイマンの生活スタイル――嫌になったらそこから逃げ出す――がもろに出ていますね。彼の映画の物足りなさは、そうした部分からくる欠如……深みのなさです。

 結婚も浮気も、文化圏の選択ということかしら。何度も再婚したベルイマンらしさが漂った映画でしたが、彼はそのことに気づいていません。知的な監督ではないなあ。感覚・感情面が強すぎる感じ。

 『ある結婚の情景』の男女は、男性が弁護士の妻に知的に管理されたいわば文明世界から原始(野性)世界への逃走を企て、女性も次いで、そのあとを追う格好ですが、実際にはあのような女性はそうならないのではないかしらね。

 お前も俺と同じだろう、なんてベルイマンの低次元の考えが透けて見えるようです。

 いわば文明世界の文化的縛りから自由になった男性は年下の女と自給自足(?)の暮しでやつれ、女性は年下の男と性愛に耽るけれど、いずれも満たされず、互いに傷を嘗めあうという結論。馬鹿馬鹿しい。

 あ、書いちゃった。ひどく半端に。気が向けば、もっとちゃんとした記事にします。何やかやいっても、最初から最後までかぶりつきで観てしまうのだから、わたしはベルイマンの隠れファンなのかもしれません。ベルイマンの考え、夫にそっくりなのよ~(-.-)

イングマール・ベルイマン監督作品を観る そのⅠ~『処女の泉』
イングマール・ベルイマン監督作品を観る そのⅡ~『叫びとささやき』

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ああ苦しかった~ケネス・ブラナー監督作品『魔笛』について少しだけ

ああ苦しかった

午後6時からの映画に家族で行き、そのあと食事をしましたが、ひどく疲れて、帰宅するなり炬燵で寝てしまいました。

午前1時に近い頃、胸が石になったようで苦しく、体を起こしましたが、石がますます石になっていくようで、同時に喉に痰が絡んで呼吸がつらく、しばらくティッシュに痰を吐きながら喘いでいました。

ニトロを舌下したら、楽になってきましたが、溶けてきた薬と痰が一緒になって喉を塞いで息ができなくなってしまったので、薬を少し出してしまうのはもったいないと思いながら、ティッシュに吐きました。

それでも何しろ痰が塞ぐので、気管支拡張剤メプチンエアーを吸入し、だいぶんよくなりました。
まだ痰の絡みが残っていていくらか苦しいので、循環器クリニックの先生に電話したいのですが、もうお休みかもしれませんね。

やはり悪いですよね、夜中ですから。胸のほうは完全に楽になり、こわばっていた首から肩にかけても、こわばりが消えました。テープは貼っていました。痰の絡みだけが、まだつらく、眠るのが怖い。

これはどういう状態なのでしょう?

携帯がなければ、寂しくて、また泣いてしまったかもしれません。もうすぐ50になるというのに。

最近体調が悪く、創作がストップしています。

また少し楽になりましたが、寝たらどうなるのか、怖いのです。

映画はケネス・ブラナー監督作品の『魔笛』でした。オペラの舞台を第一次大戦前夜に持っていくという無理のある設定でしたが、音楽は楽しめました。モーツァルトの神秘主義者的世界観が大音響で感じられました。あの神、あの光はキリスト教の神、光ではありませんね。カラーが全く異なります。

でも、あの底抜けな明るさがわたしには寄る辺のなさにも感じられ、不安定になります。モーツァルトの音楽的構築力は本当にすばらしい。

体調のほうはかなり楽になりましたが、もう少し様子を見ます。

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2007年12月13日 (木)

洞性頻脈の治療を受け始めたときのこと。この街に引っ越してきたときのこと。

 病気のことや薬のことをあれこれ書き散らしてきたが、ずいぶんいい加減な素人判断で書いていることが検索に引っかかって、鵜呑みにされたりすると困るなあ、と心配になることがある。

 とりわけ、冠攣縮性狭心症やニトロ貼付薬については……。

 テープを貼りながらも、ネットで閲覧した耐性の記事などが気にかかる。それには10時間くらいははがしておく時間を作るべきとあり、さらにははがしている間に発作の起きる頻度が高くなることから有効性が疑われるとまであった。

 そんな記事を複数見た。そうでないものも見た。素人のわたしは混乱する。やはり、次回の診察日には循環器科の先生の意見をよく聴いておくようにしたい。

 テープの連続使用によって、胸の圧迫感が減り、特に朝の耐え難いそれと、とめどもなく湧き出てくる痰がなくなった。

 だが、そもそもこの症状が何であったのかが素人のわたしにははっきりしないのだ。先生もはっきりとしたことはおっしゃらなかった。ただ、気管支拡張剤を使うより、毎日テープを貼るようにとおっしゃって、テープが出た。

 テープは、狭心症の予防の他に、心不全による呼吸困難にも効果があるとネットにあった。

 以下に書く過去の出来事は、別の記事で書いたことと重複する部分が出てくるかもしれないが、お許し願いたい。

 今の先生にかかる前には、福岡県の市立病院に長くかかっていて、循環器科ではなく、内科だった。膵炎の疑いで、通院を始めたのだった。慢性膵炎と診断されて、薬を飲むことになったが、本当はわたしはずいぶん前から頻脈の治療を受けたかったのだった。

 だが、どの病院を受診しても――望む治療を求めて病院を転々とする人間を当時、病院ジプシーといった――生理的なものだといわれ、一時的な頻脈だから放置しておくようにといわれた。

 そういわれても、体のつらさは相当なもので、日中は何とか堪えていても毎晩寝ているときにうんうん呻るようになり、夫がそれに怯えてギャンブルに走ったのはその頃のことだった。

 市立病院の先生は腎臓が専門で心臓にもかなり詳しかったが、少しでも疑問が生じると、循環器科の先生に回してくださった。

 そして、わたしが頻脈のことを訴えた初回に心電図とレントゲンをとり、頻脈は問題のない洞性頻脈で、心臓の大きさも普通だから、治療の必要はないといわれた。

 ここで頻脈を何とかして貰えなければ、わたしももうこれで終わりだと思いながら、しつこく体のつらさを訴えた。先生の頭の中は完全に膵炎のことでいっぱいのようだったが、ホルター心電図(24時間心電図モニター)をつけて貰え、解析は循環器科の先生に頼まれたようだった。

 その結果、わたしの訴えが正しかったことが証明された。起きているときも寝ているときも休みなく一日中走り回っているような心電図だったそうで、ただちに投薬治療が必要だということになった。

 そしてインデラルを貰い、長いつき合いとなった。それを初めて飲んだときの感激は忘れない。石のように重かった心臓が、シュワシュワ~と一瞬のうちに溶けて消えたような爽快感があった。

 次の診察時に再びレントゲンを撮り、写真をご覧になった先生の驚愕の表情。。。

「心臓が……」と先生。「心臓が、どうしたのでしょう?」とわたし。「縮んでいる……」と先生。びっくりして「縮んだ……」と鸚鵡返しに訊くと、「ちょっと待って」といって、先生は2つの写真に写し出されている心臓のサイズを几帳面に測り始め、そのあと循環器科のほうへ行かれた。

 戻ってきた先生は説明してくださった。

 正確にいえば、心臓が縮んだわけではなかった。わたしの心臓は生まれつき小さいらしい。それが頻脈に堪えきれず大きくなっていたのが、インデラルの作用により拍動が抑えられることによって本来の大きさに戻ったということらしかった。

 わたしはそのとき2枚の写真をよく見たので、覚えている。本来のわたしの心臓はなるほど、小さいなあと思った。疲れて大きくなっている心臓に比べたら、本当に縮んで見えた。小さな心臓のほうが、健康な状態だということだった。

 慢性膵炎と診断されるまでにも色々な検査を受け、薬まで飲んでいたのに(その頃はひどい背中の痛みや粘っこいだるさ、腹部症状などがあった)、同じ市立病院で医師の異動が何回かあったり、引っ越して循環器科クリニックに変わるまでには、いつしか慢性膵炎は否定されてなかったことになり、心臓も普通の大きさということになってしまっている。

 今の住まいに引っ越してくる前に、市立病院の先生に紹介状を書いて貰うことになったとき、その若い先生はこの県の病院に関しては知識がないとのことで、わたしが自分で選んでいいということになった。

 それまでかかっていた市立病院では内科にかかっていたが、もう膵炎の薬はやめていて、頻脈を抑えるインデラルだけになっていたから、循環器科にかかりたいと思った。県立病院の循環器科に通いたいと考えていた。

 ところが、丁度引越し作業の最中に生まれて初めての喘息の発作を起こしてしまい、引っ越す前の市で処置を受け、発作は治まったものの、引っ越し先で呼吸器科を緊急に探す必要が出てきて、中心街にある見知らぬ呼吸器科クリニックに飛び込んだ。

 呼吸機能検査を受けたら、グラフは典型的な喘息患者の型を示した。先生はわたしに心臓疾患があることを知ると、循環器クリニック宛ての紹介状を書いてくださった。わたしは仕方なく(という気持ちだった、そのときは……)、その先生の紹介状と市立病院の先生の紹介状の2通を持って循環器クリニックを初受診した。

 わたしは県立病院に行くつもりだったのだが、どちらの先生も開業前にはその県立病院で部長をしていらっしゃったことがわかった。循環器クリニックの先生は心臓血管外科の部長だった。

 で、めでたく心臓を専門医に診ていただいているというわけだが、気になるのは心臓の大きさなのだ。クリニックでレントゲンを撮ったとき、先生は普通だとおっしゃり、わたしにはそれは昔見た大きくなっているときの心臓に見えた。昔の話をしたが、それは単なる昔話で終った。わたしの勘違いと思われたようだった。

 長年お世話になっているインデラルはわたしの頻脈にはぴったりなのだが、喘息、冠攣縮性狭心症、心不全などの副作用が出ることがある薬だ。

 ニトロのテープを連続使用するようになってから、胸の圧迫感が少なくなり、湧き出るように出た痰が出なくなった。胸痛も連続使用前に比べたら起きなくなったので、冠攣縮性狭心症の発作を予防していることは間違いないが、心不全の症状にも作用しているのではないだろうか。

 冠攣縮性狭心症の人々のブログを閲覧させていただいても、湧き出る痰という症状に触れたものには出くわさない。わたしほど疲れていらっしゃるような感じも受けない。発作が起きる以外のときは普通の暮らしぶりに窺える。とすると、痰や極度の疲労感は、狭心症の症状ではないのだろう。 

 以前かかっていた市立病院の先生たちはわたしに心不全の症状があるとたびたび口にされ、が、その対策は何も練られなかった。呼吸困難が起きたりしてつらいときは、体を起こしてひたすら耐えるようにという指示だった。

 今かかっている循環器クリニックの先生の口からは、心不全という言葉は聞かない。心臓のレントゲンもあれ以来撮っていないので、心臓の大きさがどうなっているのかわからない。先生の焦点は、頻脈と冠攣縮性狭心症に絞られているように思える。

 でも、もしわたしに心不全の症状があり、テープがそれに効いているのであれば、連続使用のほうがいい気がする(あくまで素人考え)。

 が一方では、テープを貼りっぱなしにしていると耐性が生じるとか、貼っていないときに発作が起きやすくなるからむしろテープなど使わないほうがいいというネットの記事は気にかかる。

 舌下錠に前ほど切れ味がなくなった気がするのは、耐性が生じたためではないのだろうか。気のせいだろうか。

 ベースに長年の頻脈があり、喘息も絡むので、症状が複雑になっているところがあり、頭の中がこんがらがってくる。なかったことになっている慢性膵炎も、本当になかったのかも気にかかる。

 腹痛が起きても、それが婦人科的なものなのか、心臓疾患からきたものなのか、もしかしたら慢性膵炎が隠れているのか、さっぱりわからない。この記事に何を書いているのかも、わからなくなってきた。

 とにかく、テープのことは、循環器科の先生によくお伺いしようと思う。

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2007年12月12日 (水)

コーヒータイムにブランディーシュガー

Pc120123 昨夜、娘とお茶しようかとなったときに、前に買って忘れていたバラ売りのブランディーシュガーが何個かあったことを思い出しました。

 カェ・ロワイヤルとティー・ロワイヤルとどちらにしようかと迷いましたが、カフェ・ロワイヤルにしてみました。

 シュガーにはブランデーがたっぷりと染み込ませてあって、コーヒータイムが楽しめました。(写真のブランディーシュガーはばら印。 

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2007年12月11日 (火)

ひとりごと(呼吸器科でニトロ貼付薬の使用法を伺う、息子との会話)

 暖かくなるまで、あと何日? と毎日思うようになった。冬という季節は、心臓病患者にはつらい。

 といっても、春になればなったで、不整脈の抑えがききにくくなり、喘息、湿疹に悩まされ、夏は膀胱炎、結石が喜ぶ季節、秋は必ずといっていいように何か新しい病気が名乗りをあげる――今年の秋は卵巣嚢腫だった――という風。

 わたしの今の夢は、行きたいときに図書館に出かけること。県立図書館も、市民図書館も、健康な人であれば自転車、いや徒歩で楽に行ける範囲にあるのに、今年はほとんど利用できていない。

 外出は何しろ疲れるので、買い物ですら娘に頼むことが多くなっている。家にじっとしていれば、だいたい安全に1日を送れるけれど、それでも夜など暖かな部屋から冷える場所に出ただけで、狭心症の発作が襲いかかってくる。

 風呂に入るときも、テープは貼りっぱなしだ。テープを貼って、湯船に浸かっているときが至福のひととき。

 普通の人ならテープと湯による血管拡張作用のダブル効果で脳貧血でも起こすところなのかもしれないが、わたしは頭がすっきりとして、気分がよくなり、整形外科の先生から浴槽でするようにといわれた左肩のストレッチのメニューをルンルン気分でこなしたり、低い声で鼻唄を歌ったりする。

 あれはシートン動物記だったか、野生の熊が天然温泉に浸かって傷を癒す場面が出てくるのだが、その熊になったつもりでいたりもする。

 昨日の午後、呼吸器科を受診したときに、先生にニトロのテープの使いかたについて、伺った。循環器科の先生とは別の角度からきめ細かなアドバイスをしてくださるので、最近は当の循環器科の先生により、呼吸器科の先生にあれこれ訊くことが多くなった。

 循環器科は混んでいて、大変な患者さんも多そうな雰囲気があって、あまり先生から時間を奪ってはいけない気がしてしまうということもある。

 といっても、この風邪の季節、呼吸器科の先生もお忙しそうだった……。

 わたしのテープの使いかたはよいそうで、テープを1枚貼っていても、心臓の具合がよくないときは、むしろもう1枚貼ったほうがよいとのこと。テープはしだいに効果がなくなり、すぐには効果が出ないので、テープを交換する場合には時間的に重なるように貼るように、とのことだった。

 風呂に貼ったまま入るのはOK。

 めまいのことを訊かれたが、テープを連続使用するようになってから、あまりめまいが起きなくなったといった。卵巣疾患があるので、どうしても生理時に出血量が多くてフラフラするけれど、これは原因がはっきりしている。

 テープを使う前までは、この婦人科系からくる貧血症状と心臓疾患からくるめまいとが混在している状態だったのだろう。循環器科の先生が、わたしのめまいは心臓からきているのではないかとおっしゃったことは当っていた。

 何だか体調日記みたいになってしまったが、呼吸器科を出たあと、目と鼻の先のデパートに入り、正月に帰省しないという息子に、具をゼリー状に固めた雑煮セットを送った。

 雑炊もついていて、半年は冷凍保存できるということだから、これは風邪のときの予備用にしておくといいと思う。といっても、息子のことだから、すぐに食べてしまうだろうけれど。

 数日前の夜、夫に息子から電話があり、夫はぎこちない口調で就職活動のこととか、研究のこととかを訊いていた。息子はぽつん、ぽつん応えているようだった。

 電話を切った夫に、「あなたからかけたの? まだ怒っているんじゃない?」と訊くと、「そうみたいだ」と夫はいっていた。

 翌日、息子に別件で電話をかけたときに、前夜の電話のことを話題に出すと、やはり先に電話をかけたのは夫で、「親父が昼間の2時ぐらいにかけてきたけど、実験室で作業中だったからかけ直した」とのこと。

 珍しいこともあるものだ、わたしからいわれてしぶしぶかけるのが常の夫にしては。「パパも、パパなりに反省しているんでしょうよ。正月、帰って来れば?」というと、「それはできない」ときっぱり。

 息子が、春に一家の主人らしからぬ行動をとった夫に怒り、手紙をしたため、わたしはそれを読んだのだが、まるで昔のわたしが書いたのかと思うような文面に驚いた。

 それを息子にいうと、「そうかもしれない。若い頃のお袋に、俺は似ていると思う。お袋は昔、理想の旗を掲げて雄々しく突き進んでいる感じがあったけど、今はその旗を降ろしてしまったように見える」と息子。

 理想も何も、昔も今もわたしはその日を無事に送ることで精一杯――

「帰ってくればいいのに」と、わたしはまたいってしまう。「暮れから正月にかけて、警備のバイトを入れたから、どっちにしても帰ってこない」と息子。

「そんなときにバイトだなんて、やめなさいよ。帰ってくれば、いいじゃないの。旅人として。でなけりゃ、お姉ちゃんとママにだけ会いに来れば? パパを囲んで家族団欒、なんてやらなきゃいいでしょ? もともとパパには、それは合わないんだから。それとも、お金がないの?」

「いや。充分足りてるよ。前にもいったように、研究室からも給料が出てるし。それに、親父に書いた手紙は勘当される覚悟で書いたから、もう卒業まで、仕送りして貰わなくていいくらいは貯めているよ」

「へえー、それじゃ、こちらのお金にはゆとりが出てくるから、お姉ちゃんとそっちに行こうかな。でも、就職活動にはどれくらいかかるのか、見当つかないとこ、あるわよね。何しろ、決まるまでだから。それはいくらくらい予定しているの?」

 息子は予定している金額をいう。予備としての金額もいう。それだけあれば足りそうな気もするが、何ともいえない。正月、息子のアパートに行きたいが、もし就職活動費が足りなくなると応援が必要になってくることを考えれば、息子の就職が決まるまでは大きな出費は控えたい。

 息子が帰ってこないと思うと、何だかわびしくて、まだクリスマスケーキもおせちも、予約していない。 

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2007年12月10日 (月)

12月8日の夕飯(魚介のターメリッククリームスープ)

Pc090078 Pc050029 Pc080048_2  12月8日の夕飯は、魚介のターメリッククリームスープ、大根の炒めなます、ベーコンと水菜のサラダでした。

  魚介類とターメリックの相乗効果で、肝臓にいいメニューとのことです(わたしは服部先生のレシピを多くとり入れるようになってから、そのお蔭だと断言はできませんが、血液検査の値がよくなりました→詳しくはこちら)。

 向かって右側の写真は、記事にし損なった夕飯の写真です。■□□

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2007年12月 7日 (金)

イングマール・ベルイマン監督作品を観る そのⅡ~『叫びとささやき』

イングマール・ベルイマン監督作品を観る そのⅠ~『処女の泉』へ〕 

 イングマール・ベイルマン監督作品『叫びとささやき』を観た。

 深紅に染まってしまったかのような画面、登場人物の動き及び回想シーンが織り成す緊迫感、音の効果が相まって心を奪われ、最初から最後まで目が話せなかった。

 が、就寝して目覚めると、あれほど強烈だった印象は薄れて、病、愛憎、性、死といった重いテーマを仰々しく持ち出しているわりには、それらへの肉薄度の薄い、案外薄っぺらな作品に想えてきたのだから不思議だった。

 その前に観た『処女の泉』に好感を抱かなかったせいだろうか、とも考えてみたが、そんな先入観は観ているうちに消えていたのだ。

 何しろ登場人物――3姉妹の長女カーリン、次女アングネス、三女マリーアを演じたイングリット・チューリン、ハリエット・アンデション、リブ・ウルマンの熱演ぶりが圧倒的だったから。

 それにも拘らず、前回と似た感想に落ち着いてしまった。時間が経って、作品全体を俯瞰してみたとき、女優たちの秀逸な演技もポーズばかりが際立つという印象を受ける。テーマとは別のところで、彼女たちの熱演は空回りをせざるをえなかったかのようだ。

 内容に欠陥があるのだ。

 例えば、外交官の夫を持つ長女カーリンが、夫婦愛の欠如に苦悩し、体ばかりを求めてくる苛立ちから、食事中にうっかり壊してしまったワイングラスの欠片で陰部を傷つける衝撃的な場面。

 血だらけになった股間を彼女は夫に曝け出すのだが、彼女がそこまでする相手である夫は、一面的な描かれかたで、戯画的というか、あまりにもステレオタイプなのだ。豚に真珠も度を超すと、無意味なだけでなく、滑稽になってしまう。

 また、次女アングネスが死後に、早くも遺体が腐りかけているという状況下で、愛情の欠乏感から成仏――いや昇天できず、三女にすがりついてくるホラーさながらの場面。幻想シーンと見るには、生々しい描きかただ。

 では、なぜ、そこまでアングネスは愛情に飢えているのかというと、一応は、子供の頃に母親の愛情を充分受けられなかったこと、3姉妹のなかで1人だけ独身を通し実家に残っていることなどで理由づけがなされている。

 自分の子供を亡くしている忠実な召使いアンナが、病んだアングネスの母親代わりとなっていて、苦しむアングネスの頬に豊満な乳房をあてがう場面などあり、このアングネスは子宮回帰願望があるのかと想わせるが、考えてみれば、彼女は立派な中年なのだ。

 アングネスには子供時代と現在しか存在しないような描かれかたで、彼女の人生はまるで書き割りであるかのよう。大邸宅の女主人として中年まで生きるとすれば、それらしい交際や仕事がいやでも出てくるはずで、お人形のようにはしていられないはずだ。

 女主人としての矜持や上流階級人らしい生活の複雑な襞が微塵も感じられないのは不自然だし、第一、あれほどの大邸宅なのに、アングネスの死後、使用人の今後として遺族の話題に上ったのはアンナだけ。

 アンナひとりで、大邸宅の家事から病人の介護までこなしていたというのか? アングネスの母親代わりまで務める余裕はないだろう。

 話が前後するが、ここでストーリーをざっとご紹介しておくと、上流階級に生きる3姉妹のうち、次女のアングネスだけが独り身で、実家である大邸宅で暮らしている。

 長女も三女も、結婚生活はうまくいっていない。三女マリーアはかかりつけ医でアングネスの主治医でもある通いの医師と不倫関係を続けている(この設定も不自然ではないだろうか)。夫はそれに気づいていて、自殺未遂した過去があるにも拘らず――である。

 アングネスの病が篤くなり、姉カーリンと妹マリーアは実家を訪れる。3姉妹の仲は装われたもので、特に姉カーリンと三女マリーアのあいだには確執がある。カーリンは偽善的なマリーアが嫌いなようだ。

 アングネスは、ほとんど悶死という格好で亡くなる。たが、安置された遺体からすすり泣きが聴こえ、愛情を乞う声がする。姉カーリンはそれを拒絶し、三女マリーアは一旦死者に寄り添おうとするが、腕を巻きつけられて絶叫し、逃げ出す。

 召使いのアンナが、遺体に寄り添い、辛うじて死者の迷いを鎮めるのに成功したようでもある。

 弔いが済み、召使いアンナは解雇されることになる。間もなく去らなければならない大邸宅にひとり残された彼女は、女主人であったアングネスを偲びながら日記帳を開く。

 そこにはありし日のアングネスの字で、気分がよかった日に姉と妹が見舞いに訪れてくれ、白い日傘をさし、白い優美な衣装で庭に出た、至福のひとときのことが綴られていた。

 そしてこの映画は、「こうして、ささやきも叫びも沈黙に帰した」というエンディングの言葉で終る。

 ベルイマンはおどろおどろしい赤色の世界から姉妹を回想の美しい自然の中に配置して、感動的に映画を終りたかったのかもしれないが、どうしてどうして、それは無理というものだろう。

 妄執と化したアングネスの霊がこれで昇天できたとは、とても思えない。

 ベルイマンはこの映画で、病、愛憎、性、死といったどれも一筋縄ではいかない、互いに関連し合った重いテーマに真摯に取り組んだのではなく、飾りとして散りばめたのだ。

 だから、登場人物にしても、設定にしても、適当なものでよかったのだ。彼は細部に懲りたかったのだろう。

 ただ、ベルイマンの真情らしいものが籠められているとしたら、それは『野いちご』でも感じられたことなのだが、幸福は過去の回想の中にしか存在しないという結論なのではあるまいか。

 だが、過去にしか存在しないような幸福とは、感覚的なものか幻想かであって、そこへの回帰願望とはデモーニッシュなものなのだ。

 なぜなら、それは新約聖書にあるイエスの御言葉――心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし……というような生きかたに反するからだ。

 なるほど、大邸宅の壁、カーテン、絨毯など、ふんだんに使われていた赤色は、不安をそそる如何にもデモーニッシュな色合いだった。マリーアが不倫相手を挑発したとき、彼女は赤いものを身につけていた。カーリンの血の赤。

 過去を美化し神聖視するには、現在はデモーニッシュな、忌まわしいものでなければならない。

 アングネスの今わの際が必要以上に怖ろしげに描かれ、死後ですら安らぎを与えられなかったのも、カーリンとマリーアが事情のはっきりしない結婚生活の泥沼で苦悩し続けなければならないのも、そのためなのだ。

 ごく若い頃にこの映画を観たとしたら、映像美に酔い、内容を深読みできたかもしれない。

 でも、わたしは幸か不幸かオバサンで、現実には――人の死は、大自然と不可分なものであり、愛憎も相手あっての複雑な事情が絡んだものだと知っている。

 人が今わの際に発することのある叫び声も、下顎呼吸の音も、確かに怖ろしいが、それは決して、ベルイマンが描くような悪戯に騒々しいだけのホラー的なものではなく、大自然との結びつきを想わせるだけの何かが籠もっているものだ。

 何度か経験した人の死のあとの遺体の傍で、わたしはいつもバルザックの『谷間の百合』に描かれた場面を思い出した。その描写は美化されたものではなく、事実に忠実だと思わせ、人の死はバルザックの時代も今も同じなのだなあ、と感動してしまうのだ。

 あれほど苦しんだ同じ場所で、今や彼女は安らかな眠りについています。それは私にとって、死と親しくまじわるはじめての経験でした。

私は、すべての嵐がしずまったことを示す彼女の清らかな表情と、その肌の白さに目を奪われて、いまなお私の目にはあまたの感情を宿すかに見えながら、もはや私の愛にこたえようとはせぬアンリエットの顔を、一晩中ただじっと見つめてすごしました。

そこにはどれほどの考えが示されていたことでしょう。その絶対の休息には何という美しさが、その不動の姿にはなんという人を威圧する力がこもっていたことでしょう。

そこではまだすべての過去があとをとどめながら、すでに未来がはじまっているのです。

◇バルザック『谷間の百合』(石井晴一訳、新潮文庫、昭和46年)◇ 

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2007年12月 6日 (木)

イングマール・ベルイマン監督作品を観る そのⅠ~『処女の泉』

 BS2で深夜に、89歳で亡くなったイングマール・ベルイマン監督作品『夏の夜は三たび微笑む』『野いちご』『処女の泉』を観た。

 ベルイマン監督は、スウェーデンの巨匠なのだそうだ。名前は知っていたが、あまり意識したことがなかった。ネットで調べたら、代表作として『ファニーとアレクサンドル』が挙げられていたのを見、ああこれも観た……と思った。

 確か、借りてきたビデオとテレビで。途中で飽き、どちらも完全には観なかった。何かありそうで何もなさそうなところが、何とはなしにフランスの作家プルーストの作品を連想させた。

 『夏の夜は三たび微笑む』は、何か奇妙な映画だと思って見続け、ベルイマン監督作品だと知った。

 『野いちご』も、どんな結末なのだろうと結末を楽しみにしていたら、あってなきが如きの結末だった。これもベルイマン監督作品だとあとで知った。

 『処女の泉』も、テレビをつけたときは既に始まっていた。

 昔のどこの国の話か知らないが、人々の荒んだ暮らしぶりに圧倒されていると、北欧神話に出てくる名高いオーディンが、呪いを叶えてくれる邪神として扱われている場面があらわれ、衝撃を覚えた。

 気高さ、克己心で知られるオーディンが邪神扱い――となると、映画で舞台となっている時代にはキリスト教国となっているような北欧圏の話だろうと思いながら、さらに見続けた。

 少女が、3人の浮浪者にレイプされ、殴殺される場面で、戦慄を覚えた。この場面が、レイプされる少女の側ではなく、レイプする側に立って描かれていると感じたからだ。

 邪推かもしれないが、この映画を撮った人物は、この場面を楽しみ、賞味しているとすら感じられた。

 少女に嫉妬を覚えて呪いをかけた若い女が、一部始終を目撃していた。

 少女を襲った3人は兄弟で、1人だけ、年が離れていて幼い。傍観していたにすぎないこのあどけない子供には、罪の自覚がある。むくろとなった少女の番をするように兄たちにいわれて、ひとり、とり残される子供。

 寒さが募ってくる。おなかも空いてくる。少女が彼らにくれたパンがあり、それを子供は食べかけるが、受け容れがたい現実を感じている風で、吐く。この場面を撮る側の目は突き放した冷たさに徹している。

 わたしはそれをも、撮る人間の芸術家としての徹底ぶりではなく、本性だと感じてしまった。それで、わたしも、子供と同じように怯え始めた。 

 3人は、知らずして、少女の家に一夜の宿を求める。キリスト教徒の祈りと食事。子供は怯え、また吐く。明らかに心因性の嘔吐だ。兄弟だけになったときに、兄たちに脅されたり、殴られたりする子供。

 被害者の両親は、3人の旅人が犯罪者であることに気づく。両親は、子供には憐憫を覚えている。だが、怒り狂った父親は、周到に準備し、何やら儀式めいたことをしたあとで、彼らを皆殺しにする。子供の浮浪者が死んだことで、母親の悲しみは倍になる。

 強い自責の念に駆られる父親。少女に呪いをかけたと告白した女が、むくろとなった少女の場所へと家の者たちを導く。

 沈黙を続ける神に問いかけ、赦しを乞う父親。教会を建てることを、神に誓う。少女のむくろを父親が抱き上げると、そこから泉が湧き出た。

 ベルイマンは牧師の家に生まれながら、キリスト教に疑問を抱き続けたということだが、この映画はどんな意図で制作されたのだろうか。

 荒れ狂う現実世界の無情さと、とってつけたような奇蹟の出現。これでもか、これでもか、と残酷さを見せつけられたあとで生じるこの奇蹟は、わたしには途方もなく怖いものに感じられる。

 この世の救いがたさが、奇蹟の出現のために一層救いがたいものに感じられてしまう。ロシア正教徒であるドストエフスキーが小説で描いたような疑問が生じるところだ。

 ただ、わたしはキリスト教徒ではないので、別にドストエフスキーを真似て悩む必要などなく、キリスト教の説く世界観、一切切合財を一笑に付してしまえばいいだけの話なのだが、牧師の家に生まれたベルイマンはどうだったのだろう?

 キリスト教といっても、勿論諸派あって、ベルイマンの生まれたスウェーデンは――児童文学作家リンドグレーンについて調べていて、『はるかな国の兄弟』などに描かれた彼女の世界観に異様なところがある気がして調べたのだが――ルター派が国教ということだ。

 宗教の側さえよければ、一応好みの宗教を自由気ままに選べることになっている現代日本人であるわたしには想像もつかないのだが、国教の下に生まれ、育つということはどんな感覚を伴うものなのだろう?

 そういえば、霊能力者として著名なスヴェーデンボリは、スウェーデン人だった。著作としては、霊界探訪記である『霊界日記』が有名で、邦訳もされている。

 『ニルスのふしぎな旅』の著者である、ノーベル賞作家ラーゲンレーヴもスウェーデン人で、キリスト教の寓話的作品でも知られるが、彼女には非常に神秘主義的な作風の『幻の馬車』(石丸静雄訳、角川文庫、昭和34年)がある。

 こういった著作は国教の側からすれば、当然、国教を逸脱した作品ということになるはずで、事実スウェーデンボリの諸著は当時国教によって断罪され、彼はスウェーデンを去ったという。

 キリスト教については断片的な知識しかないので、ずれた感覚なのかもしれないが、『処女の泉』は、わたしには「新約聖書」的というよりは「旧約聖書」的に想えた。義の人ヨブが度重なるサタンの試しに遭い、遂に呪いの声を上げる『ヨブ記』などを連想させられる。

 神やサタンが完全な脇役に思えるほど、ヨブの苦悩は真っ当で、彼の一途な疑問の声は人間臭いがゆえに荘厳なのだが、一見、そのヨブに似た人間として描かれているかに見える父親の苦悩はどうだろうか。

 彼は、呪った女を懲らしめず、自分も娘に嫉妬したことがあると打ち明けた妻の言葉を受け流す。復讐のときに、3人の浮浪者のうちの子供をも発作的な怒りに駆られて壁に投げつけて殺してしまうが、直後にそれを悔い歎くさまは立派だ。

 そう、立派すぎるし、復讐のときには復讐の鬼に徹しすぎる。野卑な浮浪者の兄弟のうちの子供は如何にも無垢すぎるし、犯されて死んでいく少女は可愛いが平凡すぎる。頭も、いいとはいえないだろう。

 呪いをかける女は、藁人形に杭を打ち込む日本の女ほどの凄味はなく、少女の母親も、娘を可愛がっているわりには、お供もつけずに遠方にお使いに出すなど、無用心すぎるのではあるまいか。

 登場人物の全員がどこかしらステレオタイプ、操り人形的なのだ。

 少女が死ぬ直前に、口から血を流し、乱れた髪の毛の中から加害者を見た瞬間はホラーのように怖ろしすぎたし、子供を壁に叩きつけようとして近づいた父親の顔も、怖ろしすぎた。この2つの場面で、わたしは撮る人間の趣味を感じないわけにはいかなかった。

 うまく描かれていると思いながらも、登場人物の誰にも感情移入ができなかった。それは映画を撮る側の意識の質が、そうだからではないだろうか。

 生々しい映像であるわりには、血が通っていないというか、どこかしら他人事、象徴的というより絵空事で、これは高尚さを装った悪趣味な作り物でしかないと思わせるところがある。

 時間の経った少女のむくろが死後硬直も演出されず、柔らかいままだったところが生々しいというよりは生臭く、そのむくろの下から、まるで、教会を建てるご褒美とでもいわんばかりに泉が湧くところなどは本当に気持ちが悪い。

 そこのところで、わたしはあの壁に叩きつけられた子供のように吐き気がしてしまった。

 わたしにはトラウマがあり、映画の中の少女のように殺されなかったのは、運がよかっただけだと思っている。運悪く殺された少女の話は浮かばれない話だが、奇蹟が起きることで、一層浮かばれなくなるような心境にさせられた映画だった。

 新聞を見ると、ベルイマン監督の映画は7日も0時40分から予定されているようだ。

イングマール・ベルイマン監督作品を観る そのⅡ~『叫びとささやき』へ〕 

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2007年12月 5日 (水)

12月4日の夕飯(かきのクリームグラタン)

Pc050209 Pc050206  12月4日の夕飯は、かきのクリームグラタン、いんげんのごまあえ、サニーレタスのサラダ、卵スープでした。

 かきとクリームが、冬の味わいを贅沢に演出してくれるグラタンですよ~。

 ホワイトソースを作らず、生クリームと卵黄でとろみをつける、手間入らずのレシピですので、ぜひご紹介したいと思った1品です。

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12月2日の夕飯(白身魚のイタリア風煮込み、スナップえんどうの和風サラダ)

Pc030136 Pc020107  12月2日の夕飯は、白身魚のイタリア風煮込み、スナップえんどうの和風サラダ、キャベツのミルクスープでした。

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2007年12月 4日 (火)

生活保護引き下げだと? これではもう日本は文化国家とはいえない

20071204033546_2  ここ数日、体調が不安定で、気になりながら記事にできなかったのが、厚労省の生活保護引き下げ計画。

 以下は産経ニュースからの引用である。

生活保護引き下げ 厚労省
2007.11.30 13:39

 厚生労働省は30日、生活保護費のうち食費や光熱水費など基礎的な生活費となる生活扶助の基準を大幅に見直し、生活保護費全体の引き下げを決めた。具体的な引き下げ額は来年度予算編成の過程で詰める見込み。

 昭和59年から続く算定方法を検証する専門家の検討会が同日、まとめた報告書によると、平成16年に行った全国消費実態調査と現在の基準額を比較したところ、収入が低い方から10%以内の低所得者世帯で夫婦子1人の場合だと約1600円、70歳以上の単身世帯だと約1万2000円、基準額が上回っていた。このため、検討会は基準額の引き下げが可能と指摘した。

 このほか、地域によって6段階に分かれていた基準も実際には地域差が小さいと判断。この結果、来年4月からの生活保護費引き下げは、特に都市部の単身世帯に大きな影響が出る見通し。

 また、報告書は生活保護を受ける就労者が、受けていない就労者の収入を上回る逆転現象が問題化している点を指摘したが、具体策は示さなかった。

 舛添要一厚労相は同日午前、閣議後の記者会見で「反発はあると思うが、きめの細かい手当をして、激変緩和の措置をとる。支給額が若干下がるにしても、生活保護を受けている人の暮らしが立ち行かなくなるようなことは絶対に避ける」と話した。

 これは本当に情けないような話である。政府が無情な上様に、というよりは、もはや馬鹿殿に見えてくる。

 これは、ワーキングプアの生活レベルが生活保護を受けている人々以下のひどさであるという問題提起を事の発端としている。あくまで、ワーキングプアの生活レベルを引き上げなければならないという方向性をもった事柄だったはずなのだ。

 それが、何ということか。生活保護のほうをワーキングプアのレベル目指して引き下げるというのである。何という厭らしさ。とうとうこの国では、こんな頭がおかしくなるような理屈までまかり通るようになってしまった。

 そんなにお金がないのなら、もっと賢い外交をして、海外への金銭の垂れ流しを引き締めたらどうだ? 規制緩和の見直しこそ、急務ではないのか?

 こんなことでは、もうわが国は文化国家とはいえない。何しろ国は、弱い立場の人々に、可能な限り――食うな、電気をつけるな、水を飲むな、入浴するな、洗濯するな、といっているようなものだから。

 しかも、そういう政府の新自由主義政策によって、生活保護を受けざるをえなくなった人々は相当な数に上るはずである。

 雛たちを守る親鳥にも似た憲法第25条はすすり泣いている。

第二五条〔生存権、国の生存権保障義務〕すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 この国で生きていくことは、大衆にとって日々困難になっていく。否、政府の浅墓な方針によって、そうされていくのだ。

 小泉政権以来、国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の低下及び減退にこれ努めている。

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2007年12月 3日 (月)

路上のシクラメン

路上のシクラメン
整形外科の帰り、路上に置かれたプランターの中で冬の日差しを浴びていたシクラメンです。

整形外科の予約票を見ると、ドクターの名が違っていたので、今度はどんな先生だろうとドキドキしながら行くと、前と同じ部屋(゜-゜)、同じ先生(・・?
なあんだ、入力ミスだったのね。

次回の診察予約は来年の4月、それで左の五十肩を発症してほぼ2年ということになります。

寒くなって時々疼くのは、心配ないとのこと。ストレッチを続けるようにとのこと。

整形外科の待合室は、お年寄りの患者さんでいっぱいでした。

テレビで、11時からメロドラマが始まりました。

ラブホテルのベッドで女性が男性に覆い被さった(その逆ではありませんでした)かと思ったら、今度は家の中でヒロインらしき人物が苦しそうに倒れました。
そのヒロインの手を、夫ではないらしい男性が握り締め、病院に運ばれた女性は手術室へ。
点滴ひとつ付けずに病室に戻ったヒロインはすぐに目覚めて「楽になったわ」といい、夫でない男性と甘い、しっとりとした雰囲気。
そこへ、ラブホテルで押し倒されていた夫らしき男性が入ってきて・・・

ドラマの終わり際にヒロインの病気がわかりました。急性虫垂炎でした。

ドラマの間中、待合室は異様に静まり返っていて、真剣に見入る顔、顔、顔。

同じ経験を、泌尿器クリニックでしたことがありました。老人はメロドラマがお好き?

そういえば、フランス書院の本を買っていくのは、男性のお年寄りがほとんどだと書店勤めの娘が言っていました。

ヨロヨロしながら、まとめ買いしていく人もいるとか。中年女性も時々買っていくそうです。

文芸部の後輩にフランス書院専属でポルノを書いていた男性がいましたが、売れなくて解雇されたのは、対象年齢域を取り違えていたからかもしれませんね。

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2007年12月 2日 (日)

ハーボットと寝ていました

ハーボットと寝ていました
ジタバタした昨日の夜でしたが、今日も幸い昼間はよい天気。

朝、風邪気味の娘に、仕事を休んだらといいましたが、鼻をグズグズいわせながら出かけました。

わたしは日中、少し動いてもひどく疲れるので、這うようにして家事をするほかは、ハーボットと寝ていました。

これから、わが身に鞭打ってご飯作らねば。

娘にはお粥を作ることになるかもしれないけれど、今日はイタリアン風の服部先生のレシピ。昨日、バジルやらホールトマトやらを買ってきました。

さあ、起きなくっちゃ。
ヨガなどでは、肉体が乗り物にたとえられますが、わたしの体は時々エンストを起こして立ち往生する小さな車です。

こればかりは、買い替えるわけにはいきませんものね。大事にしなくては。

明日は整形外科の日。左の肩に油をさして貰うわけにはいかないのかしら。それはそうと、予約票をよく見たら、先生の名が違うではありませんか(+_+)

担当医が変わるときには、いってほしいものです。それでなくとも、整形外科の受診は緊張するのよ〜。今度はどんな先生なのでしょう。

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2007年12月 1日 (土)

夜になって、また暗転(T_T)

20071201222745_2 写真は携帯で撮った、痛みと悔しさのあまり、ヒステリックに封を破ったニトロの舌下錠とテープの袋の残骸です。

 朝から夕方にかけて絶好調だったのに、夜になって寒くなったとたん、午後10時前でしたが、流れにくい排水管を沢山の水がゴボゴホ流れていくような感触の変な不整脈が起きたと思うと、しばらくして、いきなり胸痛が起きました。

 発作は治まりましたが、夕方までの輝くばかりの元気のよさは嘘のようです。

 この体調のアップダウンの激しさについていけないものを感じます。ニトロのテープの連続使用で、これまでにない健康感が味わえるようになっただけに、寒さのような些細な刺激で守りが破られたとなると、失望と不安も大きくなりがちなのでしょう。

 確かに、高く上昇すればするほど、落下したときの衝撃は大きいはずですから。もう少しこのアップダウンに、慣れなくてはなりません。結局今はまたテープを2枚貼っています。

 キーを打っているうちに、落ち着いてきました。ニトロペンを舌下しながら、泣いてしまったのです。家族には見られていません。娘は風邪気味で早く休みましたし、夫は月末処理が残っているらしくて遅いのです。

 この記事、あとで見たら、また削除したくなるでしょうね。

 ところで、オルダス・ハックスリーの「恋愛対位法」が岩波文庫から出ていたので買ってきました。この人の記事を、この間から書きかけていたのです。

 文学はやっぱりいいですね。文学の領域にさえ入れば、もう安全、何が起きても大丈夫だと想えるのです。

 おや、夫が帰ってきました。普段愚痴をこぼしていても、こんなときはいてほしいと勝手なことを思います。

 お騒がせしました、変な記事ばかりで本当にごめんなさいね。

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インフルエンザの予防接種済む

インフルエンザの予防接種済む

予防接種を済ませてホッとし、喫茶店で遅いランチしています。

写真は、キッシュ・ロレーヌとシフォンのセットです。

今朝は天気がよくて暖かく、体調がよかったので、接種に行きました。

インフルエンザの予防接種なんて、学生の頃にしたきりでした。

で、ドキドキしながら「力は入れるんでしょうか、抜くんでしょうか」と訊ねますと、「楽にしていていいですよ〜、力抜いていてください」と看護師さん。

ブスッーと針が刺さり、「はい、フーッと息を吐いて〜」といわれ、何だかお産のときの掛け声みたいねと思いながら、いわれるままにしたところ、全然痛くありませんでした。もう片方の腕にもしたっていいくらい。看護師さん、上手〜o(^o^)o

注射したところを擦りさえしなければ、お風呂に入れるそうです。注射したところを揉む必要もない由。

ひとりだけで痛い思いをしたくなかったので、家族に誘いをかけましたが、
2人ともノン(-_-)

痛くないので、改めて勧めようかしら。

診察はどうなさいますか、と看護師さんに訊かれ、昨日の不調を先生に報告したい気もしましたが、もう少し自分だけでニトロのテープを試したかったので、注射だけにしました。

テープは今日は1枚貼っていて、最高のコンディションだと感じていましたが、注射前に測って貰った血圧の数値は看護師さんにも「抜群にいいですよ」といわれるほどの高すぎず低すぎず、いい数値でした。

昨日はニトロのテープが1枚では足りなかったから、あるいは血圧ももっと高かったのかもしれません。

体調が急に変わりやすいところが自分でも怖いのですが、体調が悪いときには躊躇せず、ニトロの舌下錠やテープを追加してみようと思っています。

喫茶店に入る前にお歳暮の用事を済ませたのですが、送料の無料サービスを利用して息子に野菜ジュースとチョコレートを送りました。

食べ物は何を送っても一気に平らげる癖があるので、お友達にもあげてねというのですが、うん、とはいうもののどうかしら。せっかくのゴディバで鼻血なんて出してほしくないなあ。ヨックモックの詰め合わせと迷いました。

昨夜娘と盛んにメールしていましたが、息子はどうやら無事に学会での発表も済んだ様子。父親とのことさえなけりゃ、屈託なく帰省するでしょうに(T_T)

これから書店へ行き、買い物を済ませて、気が向けば、中心街にある市民図書館へ行きます、では、また。

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