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2007年11月 3日 (土)

バルザックの『動物寓話集』に端を発した、とりとめもないひとりごと

   娘がバルザックの『動物寓話集 他』(オノレ・ド・バルザック、私市保彦・木下祥枝訳、水声社、2007年)を購入した。これで、「バルザック幻想・怪奇小説選集」の全5巻、娘は揃えたことになる。

 彼女には、バルザックはどちらかというとフレグランス(情操の香水)の役目を果たしているようで、わたしがせっせと読ませて貰っているが、この選集に関しては、バルザックの多彩さにわたしの頭が追いつかない感じだ。

 でも、すばらしい! バルザックはやはり最高だ。近代神智学の確立者ブラヴァツキーが『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子・ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)の中で、バルザックのことを「フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)」と讃えているのも頷ける。

 ちなみにブラヴァツキーは、オカルト科学を次のような意味で使っている。

「物質的、サイキック的、メンタル的、霊的な自然の秘密を探る科学で、ヘルメティックな科学とも、秘教的な科学ともいわれる。その例として西洋ではカバラがあげられ、東洋では神秘主義、魔術とヨガ科学があげられる。

  こうしたオカルト科学は、昔から今日まで俗世には秘められて来た。なぜなら当然なことだが、自己中心的なインテリ階級はその真価を決して理解せず、自分たちの利益のために誤用して神聖な科学を黒魔術にしてしまうであろうし、また無教育な人々はこれを少しも理解できないであろう」(『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、昭和62年)

  その秘められてきたものを、近代になって、湧き出でる泉のように惜しげもなく俗世にもたらしてくれたのがバルザックであり、ブラヴァツキーであった。

 そうした領域でのバルザックの凄さを知るには、《人間喜劇》中、『ルイ・ランベール』一作を読むだけで事足りる。

 これはひじょうに晦渋な哲学的作品で、わたしなどにはちんぷんかんぷんなのだが、何しろ本から美しいオーラが出ているため、つい手にとってしまっては、読めず、敗退するの繰り返し。丁度、『シークレット・ドクトリン』に対する反応と同じ。

 読めもしないのに、以前わたしは邦訳版だけでなく、『シークレット・ドクトリン』の原書を購入した。この原書から出ている光の美しさときたら!  サファイアのような、いやそれすらもはるかに及びないほどの美しい色彩の光が出ているではないか。

 翻訳版となると、どうしても翻訳者のオーラが混入してしまうのか、わたしの目には色合いが違ってくるように見える。それでも、美しいけれど、わたしにはこちらは白く見える。

 過去のみっともない話になるが、婚約するとき、わたしはサファイアがほしかった。ところが義母が、サファイアは若い女性には地味だといって勝手にダイヤモンドに決めてしまった。お金は夫が出したのに、彼は母親のいいなりだった。

 わたしは、お洒落のためにサファイアがほしかったのではなかった。あの神秘的な色合いをときどき眺めたかったのだ。あとで、サファイアの最低価格はダイヤモンドよりも高いと知り、それが義母の独り決めの本当の理由だったのかどうかは判然としないが、いずれにしても、わたしは哀しかった。

 専業主婦としてやってきて、宝石になどとても手が出ないが、わたしはサファイアより、はるかにはるかに安い価格で、サファイア以上の色合いをいつでも観賞できる特権を手に入れた。原書の『シークレット・ドクトリン』を購入することで……。

 あまりにも高貴な深みのある色合いに、恍惚となってしまう。読めないけれど、わたしにはこの本の真価は感じとれるといえる。

 わたしがこうやって書くものも色彩を帯びた光を放ち、何らかの影響を読む人に与えると思えば、何か恐ろしくなってしまう。

 ところで、オノレ・ド・バルザックは、「家系からいって明らかに南フランスの地中海岸、スペインよりのラングドック出身」と『バルザックとその時代』(伊藤幸次、渡辺出版、平成16年)にあるのを読み、そうだったのか――という衝撃を覚えた。

 ラングドックといえば、異端カタリ派の牙城となったところではないか。勿論異端とはカトリシズムから見て異端であったということであって、要するにカタリ派の思想はカトリシズムとは別もの――起源及び本質を(おそらく)異にする思想だったということだ。

  今ここでカタリ派の思想に詳細に触れる余裕はないが、カタリ派の思想はグノーシス主義的なものといえるようだ。

 グノーシス派について『実践的オカルティズム』(H・P・ブラブァツキー、田中恵美子・ジェフ・クラーク訳、竜王文庫、平成7年)の用語解説には、「1~4世紀に広まった、霊知(gnosis)を重視した宗教思想。その中ではキリスト教的な宗派もあるが、ギリシア哲学、東洋思想、中近東の従来の宗教思想を調和させようとするシンクレティズム(異教統一)の傾向が強い」とある。

 12世紀にラングドックで栄えたカタリ派は、『異端カタリ派と転生』(原田武、人文書院、1991年)によれば、「社会的にも政治的にも『エリート』の宗教」であり、「民衆的であるより貴族的かつ市民的、農民的であるより都会的であった」とされる。

 当時、南フランスの「都市は栄え、経済活動も活発であって、進んで東方の文化を吸収しながら学問・芸術も隆盛に赴いていたから、この地の人々は新しい時代の空気を充分に吸っていたのである。トュールーズではパリよりも古くからアリストテレスが研究されていたという。トュルバドゥールの華やかな活動もあって、オック語は当時もっとも洗練された言語として知られていた。のちにダンテは『神曲』を当初オック語で書こうとしたのである」

 また「ここでは人々は早くからアラブの文化を受け入れ」、「ユダヤ人が多く住んで南部の人々に彼らへの偏見は乏し」かった。「ラングドックは多様な価値、多様な思考様式の並存に慣れ、知的な寛容の態度を身につけやすかったのである」。

 そして、「南部の社会では階級差が比較的小さかった」。「ここは上下社会であるより平面的な連合社会であった。カトリック教会はむしろ、社会がきっちり階層化されることを望む。こんな柔軟な社会が、『霊』の観点での人間の基本的な平等性を信じる異端思想にとって、好都合だったということはありうる」。

「ともかく、このような一種の民主制、あるいは相対的にゆるやかな階層関係は、個人の自由、独立、あるいは相互理解の精神が育つよき土壌となることができる。ラングドックの人々には、一人一人が自分の好みで信仰を選ぶのがそれほど不自然にはおもえなかったのであろう」。

 つまり、カタリ派の思想はこのような空気にフィットする思想であったということだろう。ひじょうな禁欲と節制で知られるカタリ派が、こうした雰囲気の中で醸成されていったとは、わたしには意外だった。

 だが、原田氏の文章を読みながら、わたしは何かバルザックの肌の匂いを嗅ぐような感じを覚えずにはいられなかった。バルザックの文学に特徴的である、豊麗な異端性の起源を辿っているような心地がした。

 彼の父親がフリーメーソンで、彼自身はおそらく薔薇十字会会員であったと思われるが、なるほどラングドック人であったとしたならば、それもごく自然なことだと感じられる話となる。

 あら、一体わたしは何を書こうとしていたのだっけ?  まあいいや。このとりとめもない文章を書いたために、お昼を食べ損なってしまった。

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