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2007年10月の49件の記事

2007年10月30日 (火)

更新のお知らせ

ジュゲムブログ「マダムNの児童文学作品」に連載中の『不思議な接着剤』、更新致しました連載20へ)。

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10月29日の夕飯(タラの味噌ゴマヨ焼き、大根の炒めなます、豆のスープ 白いんげん豆とキャベツで)

Pa300060 Pa300052  10月29日の夕飯は、タラの味噌ゴマヨ焼き、大根の炒めなます、豆のスープ 白いんげん豆とキャベツで、冷やっこのウズラの卵のせでした。

 優しい味わいの白いんげん豆のスープ! 服部先生のレシピです。
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2007年10月29日 (月)

靴下にゃんこ~!

Pa290017

  娘の帰宅どきに、友人と電話で話していました。そして、電話を終え、娘と何か話したあとでふとパソコンに目をやると、服部先生の料理雑誌を下敷きにして、「靴下にゃんこ」が~!  「やっと気づいたんだね~」と娘。

 娘の勤務する書店に「靴下にゃんこ」が他の雑貨に混じってひっそりと座っていたそうです。この子がひとりで。で、娘が連れ帰って、わたしにくれたというわけです。この子は、税込みで840円なり。

 一度「靴下にゃんこ」のテンプレートにしてみて、やっぱりオバサンには合わないかな、と思い、変えたのですが、せっかくだから、しばらく「靴下にゃんこ」のテンプレートにしておきます。

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2007年10月28日 (日)

10月25日の夕飯(舌びらめの煮つけ、お揚げとキヌサヤのいり煮、とうもろこしのカレー風味サラダ)

Pa260036Pa250005_2   (ちょっと前の話になりますが)10月25日の夕飯は、舌びらめの煮つけ、お揚げとキヌサヤのいり煮、とうもろこしのカレー風味サラダ、豆腐とねぎの味噌汁でした。

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ひとりごと(ようやく痛みがなくなる)

 今日の午後になって、ようやく痛みをあまり感じなくなった。

 ああ、しんどかった! この検査を毎年受けている感心な女性もいるようだ。わたしもそうするべきだろうが、尻込みしてしまう。

 わたしの腫れている右卵巣をこの先とることになったとしても、虫垂炎程度の手術と考えていいのだろうが、わたしの心情にとっては大ハプニング到来ということになるのだろうな。

 先生は、気概を感じさせる人物で、ユニークで慎重そうで、なかなか素敵だけれど、患者の泣き言なんか相手にしてくれなさそうなシャープな個性の持ち主だし。

 それにしても、婦人科は想像した以上に中年以上の患者が多かった。閉経すれば、大抵の婦人病は丸く納まる(?)というわたしの考えは甘かったようだ。

 これまでに受診した婦人科は産科と一緒になったところばかりだったので、若い人のほうが割合的に多かったのだが、婦人科だけとり出してみると、どうしてどうして。中年以上がうじゃうじゃだあ~(@_@;) 2/3は中年以上だった。

  ついでにいえば、泌尿器科は圧倒的に中年以上の男性患者で占められている。前立腺関係の疾患でかかっている男性が多いのではないかと想像した。

 さて、とりあえずは、ようやくいつもの日常生活が戻ってきたという感じ。深夜、聖骸布の夢を見たあと、ブログを更新してまた眠り、今度は長々と児童文学関係の夢を見ていた。

 「マダムNの児童文学作品」に連載中の『不思議な接着剤』がほったらかしだった! ごめんね、紘平、翔太。今そちらへ行くからね~。

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ひとりごと(再び出血?&聖骸布の夢)

  現在、深夜の2時です。朝になったと思って起きたら、まだ夜中でした。

 前の記事を書いたあと、娘が買ってきてくれたお弁当を家族で食べ、元気になり、夜でしたが、気になっていた洗濯をし、室内物干しに干しました。

 そのあとでおなかがちょっと強く痛み、トイレへ行ったら、出血していました。少しだけです。でも、これは生理の始まりかもしれません。

 さっきトイレに行ったときは、出血していませんでした。

 起きたばかりのとき、下腹がしくしく痛みましたが、こうして座ってパソコンのキーボードを叩いている今は、上体を動かすと痛みますが、じっとしているとほとんど痛みません。

 子宮の中のことなので、手につけた切り傷のようには見ることができず、どうなっているのかな、と思います。

 昔検査したときは、検査中は涙が出たくらいに痛みましたが、そのあとはケロリとなったような記憶があります。今回は痛みが尾を引きます。年をとって、傷の治りが悪くなったのかもしれません。それとも、前回より、ごっそり細胞を採取されたのかしら。

 一体、わたしの子宮に何をしたの、先生? こちらは、面白い話に気をとられていましたけれど。尤も、「検査しただけだよ」と先生はおっしゃるでしょうね。

 ところで、眠っていたあいだ、わたしは聖骸布の夢を見ていました。聖骸布というのは、イエス・キリストの遺骸を包んだとされる布のことです。

 ウィキペディアより、抜粋、引用させていただきます。

聖骸布(せいがいふ、Holy Shroud)は、キリスト教でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されていることから、「トリノの聖骸布」(Shroud of Turin)とも呼称される。

本体は、縦4.36m、横1.1mの杉綾織の亜麻布(リンネル)である。生成りに近い象牙色の布の上に、痩せた男性の全身像がネガ状に転写されているように見える。裏には当て布があてられ、はがすと人物の姿は見られず、血の染みのみが見られる。布上に残された全身像の痕跡より、頭を中心に縦に二つ折りにして遺骸を包んだと見られ、頭部には血痕が残っている。また、1532年にフランス・シャンベリの教会にて保管されていた際に火災に遭い、その一部を損傷した。

 大学時代にカトリック教会付属の書店で、聖骸布についてレポートした本を購入しましたが、さっき本棚を探したときは、どこに紛れているのか、見つかりませんでした。

 台風被害に遭った時、本が一部やられてしまったり、相次ぐ引越しで、整理して並べていたものが乱れてしまい、昔買った本の居場所がわかりづらくなったのです。

 で、それには聖骸布に転写された男がどんな風だったかが詳細に書かれていました。 男は長身でがっしりしており、全身に傷を帯びていて、容貌もどちらかというとごつい感じに描写されていたと思います。

 繊細な容貌のハンサムな男性をイメージしていたわたしはがっかりしましたが、尤も、聖骸布の真偽のほどはわかっていません。

 なぜその夢を見たのかはわかりませんが、起きてから、しばらくぼんやりと、イエスが生きていた時代のことを変に生々しい感じに囚われながら、考えました。

 この人がいなかったら、世界はずいぶん変わっていたことでしょうね。あるいは、この人がいても、パウロがいなかったら、どうなっていたのか。こう前面に出ることなく、終っていたのかもしれません。

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2007年10月27日 (土)

書店勤めの娘が貰ってきたもの

書店勤めの娘が貰ってきたもの
書店勤めの娘が某出版から貰ってきたものが、なぜか『リボンの騎士』のケチャップ。非売品として出版社名が記されています。毎年、「何がいいですか?」と訊いて、本とは無関係なものをくださるのだとか。

ケチャップを見て愉快な気分になり、しばし子宮体癌の検査でついた傷の痛みを忘れました。そのうち、プレーンオムレツを作ってかけたいな。

今日はおなかの痛みでろくに家事もできず、こんなに何もしないことはめったにありません。傷に弱い自身を再認識しました。
経過観察中の腫れている右卵巣次第では今後手術ということも考えられますが、わたしにはとてもとても。

仰向けに寝ると突っ張る感じ、横向くと圧迫される感じでひどく痛み出し、起きていると、しくしく痛みます。熱があるのは傷のせいなのか、風邪なのか。

明日も今日のように痛むようであれば、病院に電話して訊いてみようと思います。たぶん、我慢が足りないだけなのでしょうけれど。

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子宮体癌の検査でついた傷が痛い!

 子宮体癌の検査で、細胞を採取したときの傷の痛みのことは前の記事でも書いたが(受診についての記事はこちら)、今日の午後になってもまだしくしくと疼く。出血は大したことなく、深夜のうちには完全に止まったというのに。

 何をする気にもなれない。でも、何かをしていないといたたまれない。痛み止めぐらい、出してほしかった。

 やっぱりわたしは手術なんて、到底だめ。内視鏡で夫は虫垂炎をとったが、全然痛くないといっていた。しっかり腹部に穴が開いていたというのに。神経ないのかしら。

 夫は大学時代に蓄膿症と、喧嘩で骨折した鼻の骨(何て危ない!)をつなぐ手術を受けているし、上記の虫垂炎ではその炎症でできた無害の肉芽を悪性腫瘍と間違えられて内視鏡手術、その前だったか後だったかには足の骨折で通院した。

 怪我の痛みに、夫はすこぶる強い。というより、神経があるのかないのか疑う。でも、病気には弱い。ちょっとしたことで大騒ぎし、ビビる。わたしと逆で、わたしたち夫婦なりにバランスがとれているのかもしれない。

 わたしは怪我がだめ。傷がだめ。ちょっとした切り傷でも傷がなかなか乾かないほうだし、痛み自体に耐えられず、すぐに弱音を吐く。手術なんて、本当にわたしはだめ。勘弁してほしい。

 今日はおなかが痛くて、ろくに家事もできない。パソコンのキーボードを叩いていると、少しは気が紛れる。

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ひとりごと(愚痴&感謝の言葉)

 現在、夜中の4時ですが、おなかがしくしく痛み、いくらか熱もあるようです。痛みのために、目が覚めてしまいました。

 この痛みの原因は、昨日の子宮体癌の検査で細胞を採取するためについた微々たる傷だと思うのですが、ネットで調べてみると、先生によって、人によって、あるいは先生は同じでもそのときによって、子宮体癌の検査の痛みというのは違うようです。

 中には一週間も痛む人もあるようなので、特にわたしが過敏というわけでもないと知りました。検査のとき、昔受けたときとは比べられないくらい、今回は楽でしたが、あとになって、昔もこんなに痛んだかしらね? 記憶にはありません。

 この程度の傷でもこれくらい痛むのだとすると、やはり受けずに済むものなら手術は受けたくないなあ、と思います。

 そして、今回の婦人科の件で興奮(?)しているあいだにも、ブログには書きませんでしたが、心臓の調子がよくなかったり、軽い喘息の発作が起きたりと、持病のほうは相変わらずで、このうえ手術の負担が加わるとなると大変だな、とぞっとします。

 ところが、一方では、婦人科的疾患で、わたしの不調の全てに説明がつき、もしそれが改善すれば、全ての不調が片づくかもしれないなどと虫のいいことを想像したりもしていました。

 特にこのところ悩まされている繰り返し起きる膀胱炎、腹部の張り、膨満感、めまい、アレルギー症状、体力のなさ、といったものが婦人科疾患から起きるとあったのをサイトで読み、これだわ~と勝手に納得していたのでした。

 古くからの頻脈さえもが、もしかしたら潜在していた婦人科的疾患によるもので、その疾患をクリアできれば、跡形もなく消え去るかもしれない、などとわたしの空想はとどまるところを知りませんでした。

 でも、まだ癌の検査の結果はわからないとはいえ、婦人科的なことがそれほどの悪さをしているとは考えられません。

 そして、どうやら平穏な日常が戻ってくれば来たで、終わりのないマラソンを続けなければならないような徒労感を覚えてしまいます。いつ、何を仕出かすかわからない夫との暮しも、まるで地雷を抱えているようで、夫婦和合とか琴瑟相和すといったことからは程遠いものがあります。

 母胎ブログが子沢山になったように、最初に起きた頻脈という異常が、様々な疾患を呼んで子沢山となり、今いくつの科にかかっているかというと5つですよ。循環器科、呼吸器科、整形外科、泌尿器科、婦人科。もう一つ増えれば、ブログの数と同じになります。

 こんな《平穏》には、いささか疲れてしまいました。31日に泌尿器科の受診が待っていますが、抗生剤で尿が綺麗になっていれば、こことは一応縁が切れるのではないかと思っています。

 でも、繰り返し起きる膀胱炎の原因がわかったわけではないので、これは今後も続くと思われ、ちょっと泣きたい気分。

 婦人科の先生に、手で摘まめる腹部のやわらかい部分は間違いなく脂肪だから、現実から目を逸らさないように……とユーモラスながらシャープな口調で警告されましたが、本当にダイエットの必要も感じています。

 ただこれにしたって、心臓の負担を抑えるために薬で体の機能を低下させていることが根本原因だと思われます。以前どなたかが、心臓病患者はどうしたって太る、といっていましたが、本当にそうですね。

 この市に引っ越してきてからずいぶんグルメ(?)になってしまいましたから、改善の余地は多々あるにしても――。わたしは他の部分は太っていず、おなかだけがポッコリなので、妊婦か昔写真で見たビアフラの栄養失調の子供のようです。これも婦人科的疾患で片づくと思ってしまいましたが、甘かったようです。

 とはいえ、何にしても、創作の日々が戻ってきたことは喜ばしいことです。これはこれで茨の道ですが、贅沢なことだと感謝しています。わたしの生活を支えてくれている夫や子供たち、そして見えざる加護に。

 そういえば婦人科を受診する前日の夜のことですが、炊事していたわたしの体が純白の炎とも表現すべき美しい光に包まれました。

 これは自分由来のものではなく、天からのものでもなくて、ブログをご訪問くださっているどなたかが、24日付のひとりごとを読み、白い光を贈ってくださったのだと感じました。

 これを書くと宗教ブログみたいになってしまうと思い、書かずにおこうかとも思ったのですが、書かずにはいられませんでした。わたしがこうしていられるのも、それのお蔭かもしれませんよ。ありがとうございました。

 無私の見えざる――わたしには見えることがありますが、肉眼では見えない性質の――贈り物は、自然さを装って作用するのが特徴だとわたしはこれまでの経験から感じています。

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2007年10月26日 (金)

お騒がせしましたm(_ _)m

お騒がせしましたm(_ _)m
婦人科での診察を終えて、デパートにいます。

大したことありませんでした、たぶん。腫れている右卵巣は様子を見ていきます、とのこと。子宮頸癌と子宮体癌の検査結果は、後日自宅に郵送されるそうです。

面白い先生で、笑っているうちに診察が終わりました。今は内診で多くのことがわかるのですね。子宮や卵巣の映像を見ました。子宮体癌の検査法は昔と同じと思えましたが、腕の違いなのか、ほとんど痛みを感じませんでした。

ひどい扱いを受けて卵巣も子宮も根こそぎとられるとガチガチに緊張し、恐怖と偏見の塊となって受診したのに、先生のひじょうに慎重かつユーモラスな雰囲気に、安心感を与えられました。
循環器クリニックの名を出したら「ああ、前にここにいらしたね」と先生。呼吸器クリニックの先生も前にここへ、といいかけたら、「へえー、*先生?」とおっしゃって、よくご存知のようでした。物柔らかで慎重そうな雰囲気が三者に共通しています。
このまま経過観察でいけるのか手術になるのかはわたしの右卵巣次第でしょうが、仮に手術になるとしても、安心してお任せできそう。

心配していた娘にメールしたあと、わたしの検査になんか無関心そうだった夫に電話したら、いつまでも話したがるのです。心配してくれていたのね。癌になるほどには、わたしも彼を怨んではいないということでしょう。尤も結果はまだ出ていないけど。
ああ久しぶりの婦人科受診で、汗かきました〜。でもまだ通うのですね、あそこへ。やっぱり嫌だなあ。

写真は、駅伝のラストランナーです。

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2007年10月25日 (木)

デパートのイタリア展で買ったもの

Pa240024  向かって左から、コースター、サラミ、エッグスタンド、グラッパ(ブランデー)です。

Pa240018_2 Pa240026 グラッパはアルコール度が高いので、カクテルにするといいです。夫は、割るのはもったいないといってロックにして飲んでいましたが……。ほのかに葡萄の香りがしました。 

 夫も娘もわたしも皆心地よく酔い、わたしはこのところの心配事を忘れました。昔父が作ってくれたカクテルの素敵な味など、思い出しましたけれど。。。

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10月24日の夕飯(じゅがいもと肉だんごのサブジ風、野菜のホットサラダみそドレッシング)

Pa250044_2 Pa250029 10月24日の夕飯は、じゅがいもと肉だんごのサブジ風、野菜のホットサラダみそドレッシング、卵のスープでした。

 サブジ風もみそドレッシングも服部先生のレシピです。どちらも家族に大受けしました。

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10月23日の夕飯(キスの干物、いんげんのごまあえ)

Pa220032 Pa220013_2  10月23日の夕飯は、キスの干物、いんげんのごまあえ、春雨の炒め物、落とし卵の味噌汁でした。

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秋刀魚の句(自作)

 「マダムNの体調日記」に設置しているブログペットの今日のテーマは、俳句でした。
秋の俳句大会 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 秋の俳句大会
「秋にちなんで、みんなで俳句を一句詠んでみませんか?」

白昼にさんま焼く家(や)ありにけり

秋刀魚焼く匂ひのなかを歩み去る

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2007年10月24日 (水)

わたしに関していえる嫌悪感と病気の関係

 「マダムNの体調日記」にブログペットを設置しているのだが、ペットが出すテーマに対して、つい本音で答えてしまった。あー、すっきり~。こんなことを書くと、世の良識派から非難を浴びそうだが、ご自由に。

タイムスリップ (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ タイムスリップ
「過去に戻れるとしたらあなたは何歳の頃に戻りたいですか?」

現在のオバサン的適性を保持したまま、青春時代に戻りたい。
汗臭く(高校時代はバレー部に所属)、悩み多く(神経性膀胱。ちなみに現在は本物の膀胱炎を繰り返している)過ごした青春時代を白紙に戻して、思う存分、恋愛に身を任せたい。
両親に振り回された独身時代を白紙に戻し、両親など山に捨て、自立した生き方を果たしたい。
就職代わりの妥協的結婚に身を任せることなく、好みの男性をチョイスして、主体的な結婚生活を送りたい。

 
 

 春、夫にあるハプニングをもたらされてから、彼に対する信頼度がますます低下した。 といっても、それではやっていけないから、そこのところは普段は思い出さないようにしている。思い出しさえしなければ、結構愉快なパートナーでもあるので、わたしも普段は案外楽しく暮している。

 前に前癌病変と診断されたときのことを思い出せば、あのとき、彼はわたしに初めての深刻なハプニングをもたらしてくれ、あまりの嫌悪感に、数日後には前癌病変の症状が子宮に起きた。

 これは恐ろしいぐらいの反応だ。人間は、一瞬にして癌になることが可能だと思う。勿論、治療を受けたことが幸いしたのだろうが、わたしもそのままではいけないと思い、考え、方向転換を図った。そうでなければ、そのまま癌になっていたと思う。

 まあべつに夫とふたり暮らしであれば癌になって死んでもよかったのだが、子供たちが小さかったから、絶対に死ねないと思った。

 今回の婦人病の件は、長年のものだろうから、この春に夫が惹き起こしたハプニングが原因とはいいきれない。ハプニングの度合いは、昔前癌病変を惹き起こしたものより更に深刻なものだったが、わたしの側に耐性が備わったのか、昔ほど彼を思っていないからか、こたえなかった。

 でも、わからない。あのときにダークなことを思い、それがいつかは体に出てくると思った。それは、今というわけではないかもしれないが。

 誤解があっては困るから断っておくと、これはあくまでわたしの場合だ。夫が原因で起きるネガティブな感情は、わたしの場合、婦人科的病気を惹き起こしやすいようなのだ。他人の病気のことは知らない。原因はいろいろだろう。

 子供たちが成人したとはいえ、今自分に何かあっては困ると思うことに違いはない。息子がきちんと就職し、娘にいい人が見つかるまでは死ねない。できれば、それぞれの孫の顔を見てから死にたい。

 父たちのことは、ああなってはもう福祉に任せる他ないと思うが、妹にはまだわたしが必要な気がする。

 わたしはひどい心配性であるため、家族のことを考えるときも極端から極端に走る傾向があるが、自分のことでもそうで、たかが卵巣の腫れで婦人科を受診するくらいでも極端から極端に考えが走るのだ。

 最悪の場合を考えたかと思うと、次の瞬間には脳天気となって、考えることすら馬鹿らしくなったりする。要するに、受診が嫌で、情緒不安定になっているのだろう。いい年をして恥ずかしい。

 ところで、わたしは神秘主義者であるから(信じて貰えないだろうけど)、過去に何度か自分の体の危機を自分で救ったことがあった。お金がなくて、入院できないと思ったときだった。お金がないということは、時に底力を発揮させる。

 その方法はといえば、白い気高い光を想像して、それを患部に想像の力で放射するのだ。試しに、何でもないときに鏡に向かって自分のオーラを見ながらそれをやってみると、オーラが輝きとなめらかさを増すのがわかる。

 それは、多かれ少なかれ肉体に反映する。高いところから低いところに水が流れるように。外科的な処置が必要なことに、より効果があると思う。

 きよらかな精神状態でないとこれはできないことだから、自分のことでこれをやるのは、案外難しい。そこまで自分のことに無私になるのは。他人のためにやるほうが、圧倒的にやさしい。

 これをやるより、如何に億劫とはいえ、婦人科を受診して他人に身を委ねるほうが易しいのだ。とりあえず、そうしたい。

 でも、婦人病関係のサイトを閲覧していると、病院が気に入らなかったり、ドクハラ(ドクターハラスメント)を受けたりして、病院を変わる人は多いようだ。デリケートな部分を治療して貰うだけに、より信頼感が必要となってくるのかもしれない。わたしも、その場合は、病院を変わる勇気を持とう。

 行く前からこんなことを考えるなんて、やはりわたしは相当に動揺しているようだ。これもホルモンのバランスが悪いからかしらね。ああ行きたくない! もうあさってに近づいてしまった! 

 午後うたたねをして、息子がインスタントラーメンをなまで齧っている姿を夢の中で想像し、夢の中で心配していた。そして、これは現実のことだが、昨日娘に息子からメールがあり、スーパーで小松菜を買ったときのエピソードが書かれていたという。

 レジで、「この野菜の種類は何でしょう」と訊かれ、息子は「葉っぱ」と答えようとも思ったらしいが、小松菜というと、「小松菜」とレジの人はつぶやきながら、小松菜のキーボードを探して押したそうだ。息子が「ほうれん草」といえば、小松菜はほうれん草になれた。

 小松菜を使って料理しているぐらいだから、まさかラーメンをなまで齧ったりはしていないだろうと思うが、マスター1年の息子は金沢である学会での発表を控えて、ストレスが募っているのかもしれない。

 夫のことを考えるとわたしは惑乱するが、息子のことを考えると、冷静になれる。きちんと婦人科で診察を受け、治療が必要ならそうして、息子に救援物資でも送ろう。 

関連記事:ひとりごと(愚痴&感謝の言葉)

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ティールームでパスタ

ティールームでパスタ
昨日の夕飯は、娘とティールームで、栗と生ハムと舞茸を使った秋らしいパスタを食べました。
生ハムはパリパリで、生々しいものが好きでないわたしは気に入りました。
夫にはお弁当を買いましたが、デパートのイタリア展で買ったグラッパという葡萄で作ったお酒とサラミのお土産付きでしたから、ご機嫌でお弁当を食べてくれました。
前日の深夜にBS2であった、レマルク原作の戦争映画の傑作「西部戦線異状なし」について書きたいのですが、今日の昼間にでも書けるでしょうか。

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2007年10月22日 (月)

10月20日の夕飯(豚肉とカシューナッツの炒め物)

Pa200038Pa200027  10月20日の夕飯は、豚肉とカシューナッツの炒め物、焼き厚揚げ、キャンベルの缶詰『マッシュルームスープ』を利用したスープでした。

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ひとりごと

 泌尿器科で貰った抗生剤メイアクトms錠100mgが、わたしには合わないみたいで、つらい。

 5日分出され、飲み切るようにとのことだったので、頑張って飲んでいる。喘息が出たらすぐに中止してよいとのことだったが、この点では大丈夫。

 下痢とフラフラ感がひどいが、天気がこうもよいと布団を干したくなり、昨日は干しまくった。今日も天気がいいので干したくなったが、今日は夕飯の支度をしないわけにはいかないので、体力を温存する必要から干すのはなし。

 昨夜は娘が職場の友人たちと食事をしてくるとのことだったので、夫とわたしは宅配寿司で済ませた。

 婦人病の疑いの件は、金曜日に受診を決めた。行こうと思っている病院のホームページで婦人科の医師紹介を見ると、金曜日の先生が婦人科系の専門であるようだから。もし不順気味の生理が始まるようなことにでもなれば、次週の金曜日に。

 婦人病関係のサイトを沢山閲覧した。30代~40代前半と思われる、わたしより若い女性たちが、優れたサイトを立ち上げていらっしゃることに感心することしきり。わたしの場合は受診してみなければ、本当に卵巣や子宮に病気があるかどうかはわからないが、病気である場合はずいぶん参考になることだろう。

 昔、子宮体癌の前癌病変といわれたときは、『家庭の医学』で調べるくらいしか情報を得る手段がなく、悪戯に不安を募らせたものだった。ネットを始めて、本当によかったと思う。

 感謝の気持ちでいっぱいになると同時に、ほぼ自分のためだけに運営している自分のサイトのありかたに疑問と恥ずかしさを覚えた。

 わたしの場合、他愛精神でしている唯一のことは創作で、わたしのサイトは、そんなわたしを支えてくれる率直なものたちだから、これはこの先もどうにもできないままだろうと思う。

 ところで、わたしは妹がバセドウ病ではないかと疑っていて、何とか説得に成功したつもりだった。成功していれば、妹は中旬までに内分泌科を受診し、報告したことだろう。が、梨のつぶてなので、さては行ってないな~と思い、メールしたが、応答なし。

 これは前に「マダムNの体調日記」で書いたと思うが、実家の連中の病院嫌いは、本当に異常なくらいだと思う。

 母の悲劇の始まりは病院嫌いを発端としていたし、父だって、わたしが奥さんのことを心配して父に忠告したときに2人で精神科を訪れていれば、少なくとも、今のようなことにはなっていなかったのではなかったかと思わざるをえない。

 奥さんを愛しているなら、彼女に健やかな精神状態を取り戻してやりたいと願うのが自然な感情だと思う。自分まで一緒に狂うことを選ぶなんて、一心同体にも程がある。

 尤も、父には、世間で気違い病院と呼び、ロボトミー手術などが行われていた頃のオドロオドロシイ精神科のイメージが払拭できず、あんなところに彼女をやるわけにはいかないと思ったのかもしれない。

 婦人科系の疾患が原因で、わたしにこの先悲劇が起こるとするなら、それは長年婦人科にご無沙汰してしまったわたしの部分的病院嫌いが真の原因だということになるだろう。

 一方では、受診して治療を受ければ、繰り返している膀胱炎や原因のはっきりしない眩暈、アレルギー症状、腹部の張りなどが――ホルモンのアンバランス、大きくなった卵巣や子宮の圧迫から起きていた場合には――改善されるかもしれないという希望がわく。少なくとも、時々起きる生理時の大出血は起きなくなるに違いない。

 とはいえ、婦人科に行くのは抵抗があるし、怖い。怖いところだと思うと、病院が巨大な棺桶に見えてくる。

 わたしは内科的な治療には慣れているけれど、外科的な要素が絡む科は苦手なのだ。五十肩の治療を受けている整形外科を受診するときも、毎回ぐずくずして遅刻しそうになる。

  Photo_3 いい年をして恥ずかしいが、実は、注射すら怖い。怪我に縁がなかったから、指をちょっと切ったくらいでも、ダメージを受ける。

  万一、卵巣をとったほうがいいだの子宮もとったほうがいいだのといわれるとしたら、一体どんな精神状態になるのやら。あれこれサイトを閲覧したところでは、結構とったりもするようだ。勿論、経過観察ということも多いようだ。

 さて、病院嫌いの父、わたし、妹のこの先は、それぞれどうなりますかね~。どんな検査や治療が待っているにせよ、拷問を受けに行く訳ではないからね。婦人科に行くときは、お守りにブラック・ジャックの人形を持って行こうかな。。。 

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2007年10月20日 (土)

ひとりごと

 やはり、婦人科を受診する必要があるようだ。来週にでも、同じ県病の婦人科を受診しよう。わたしのおなか、中年太りにしてはおかしいと思うことがあったが、婦人病が原因かもしれないとはなぜか思いつかなかった。

 昔(そう、わたしにとっては昔話同然のこととなっていた)、子宮内膜症と診断され、「ホルモン療法を受けますか、どうなさいます? 副作用が出ることがありますが」と若い女医さんに訊かれ、「それなら、いいです」と答えて、婦人科から足が遠のいたのだったと思う(う~ん、記憶が薄れている。その頃から、体調日記をつけていればよかったのだが)。あれは福岡県に住んでいた頃のことで、病院は確か社会保険病院だった。

 もっと前には、市立病院(だったと思うが)の婦人科で子宮体癌の前癌病変といわれて治療に通った。そのときは、独特の気味の悪い症状があり、嫌でも受診しないわけにはいかなかった。

 子宮体癌の検査はまことに嫌なものだった。人工妊娠中絶と同じ方法だそう。妊娠していると、赤ちゃんが出てしまうということで、妊娠していないか、確認をとられた。検査の痛みもかなりのものだっが、今もあの原始的なやり方で検査するのだろうか?

 幸い、子宮体癌の前癌病変といわれたときのような症状はその後、一度もなかったが、子宮内膜症の症状と想像できる異常はずっとあった。

 もし泌尿器科の先生がおっしゃった卵巣嚢腫が子宮内膜症の影響だとすると、チョコレート嚢胞だろうか。子宮が大きくなっているというのも、内膜症の影響が考えられる。

 改めて鏡に全身を映してみると、どう見ても腹部が異常だ。卵巣嚢腫は、経過観察ということになるのだろうか。手術ということも、考えておいたほうがいいのか。

 今となってはポピュラーになった感のある腹腔鏡手術を、県病の婦人科ではやらない(ことにした)という但し書きがホームページにあった。子宮がんの手術では定評があるようだから、独自の考えがあってのことなのだろう。
2006年朝日新聞社発行『手術数でわかるいい病院2006全国&地方別ランキング』で、子宮がん手術全国ランキングTOP40のうち27位)

 夫は数年前に福岡県K市にある大学病院で、虫垂炎の炎症で出来た無害の肉芽を悪性腫瘍と誤診され、腹腔鏡手術を受けた。傷の治りが早く、入院日数も術前検査を含めて10日間ほどで済んだが、手術時間は長かったし、麻酔薬も開腹手術に比べて投与量が多いようだ。

 万一手術ということになれば、持病があるから、今かかっている循環器科クリニック、呼吸器科クリニックの先生とつながりのある県病のほうがいいという意識が働く。交通の便を考えれば、日赤のほうがいいが、日赤は産科と婦人科が同じというところが引っかかる。 

 もう子供をつくる予定などありえないとはいえ、卵巣も子宮も失いたくはない。失えば、様々な障害が起きてくるようだから。それに、あるべきものがあるべきところにないという光景に、わたしは耐えられない。経過観察で済むことを願わずにはいられないが、かといってこのまま腹部が出っ張り続けるかと思うと、これもまた……。 

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今夜のおススメNHK衛星2番組

 午後8時から、NHK衛星2で、ドイツ映画『ヒトラー~最期の12日間~』があります。

  第二次大戦中、ドイツ、イタリアと同盟を組んでいた日本。当ブログで、その映画のワタクシ的感想を公開しています(⇒エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」)。

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2007年10月19日 (金)

大安なのに、仏滅〜!

大安なのに、仏滅〜!

またしても、県立病院の受診が長引いてしまった。
あまりにも膀胱炎を繰り返してつらいので、泌尿器科を受診し、検査を受けている。前回同様、尿には潜血、白血球、細菌が出ていた。前回はエコーと細胞診、今回はレントゲンと、尿を溜めてエコー。どちらのときも万歳するようにいわれたが、五十肩の左手がうまく上がらなかった。
わたしは石が出ることがあるが、検査では腎臓の通りはよく、膀胱癌でもなくて、頻繁な膀胱炎の原因は今のところ不明。抗生剤が出た。
そして、卵巣嚢腫があるので婦人科を受診するように、とのこと。「悪いものでなければ、とってしまえばいいことですからね」と先生。
そりゃそうだが、お金がないのよ〜(x_x;)
検査技師は、子宮も大きいとおっしゃった。尤も生理の関係で、大きく見えることもあるらしい。中年太りと思っていたわたしのおなか、もしかしたら婦人病のせいだったりしてね。

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10月17日の夕飯(おでん風炒め煮、ブロッコリーとかぼちゃのホットサラダ)

Pa180018 Pa180015  10月17日の夕飯は、おでん風炒め煮、ブロッコリーとかぼちゃのホットサラダ、小松菜の味噌汁でした。

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2007年10月18日 (木)

更新のお知らせ

ジュゲムブログ「マダムNの児童文学作品」に連載中の『不思議な接着剤』、更新致しました連載19

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2007年10月17日 (水)

能『船弁慶』を観て

20071017025544 この市に引っ越してきたときに、能楽堂があることに驚きました。

 九州で能楽堂といえば、他には福岡の大濠公園能楽堂があるくらいではないでしょうか。

 わたしが初の能体験をしたのは30代の頃で、福岡県飯塚市にあるホールで『杜若』を観、夢心地に誘われました。

 それに触発されて、思わず当ブログで公開している掌編『杜若幻想』『牡丹』を書いたほどです。

 世阿弥の『風姿花伝』『花鏡』を読んでもう恍惚となり、ますますのめり込んで、前出の大濠公園能楽堂にも出かけたりしましたが、その後パッタリ行けませんでした。

 この街に能楽堂があると知り、行きたいと心は逸りましたが、またのめり込むことにでもなれば、楽しい反面辛いな、という思いもありました。

 でも、昨日、ついに出かけてしまったのですね。40代も終ろうとするときになって……。

 ああ、いつか新作能の台本を書いてみたいなあ。

 などといえば、ろくに能のことを知りもしないくせにと叱られそうですが、神秘主義者のわたしにはぴったりくる世界ですし、古典、新作、どちらの台本を読んでみても、大した長さではなく、俳句と同じで、ある型にはめ込めばよい気楽さがありそうで(などといっては、ますます叱られそう)、文体も頑張れば何とかなるのではないでしょうか。数年間、しっかり勉強し、取り組めば。

 前置きが長くなりましたが、能を鑑賞して不思議なのは、いつまでも、その余韻が消えないときがあることです。どれもそうというわけではありません。『杜若』の装束の薫るような美しさは、今もはっきりと記憶にあります。

 今回鑑賞した曲目は、見所の多い『船弁慶』でした。それが、舞台を観ているときは、あの一瞬、この一瞬が印象に残った程度で、実はわたしは舞台に失望していたのでした。

 シテ(主役)が予想外に小柄で、まるで女性のよう。芸も大人しすぎるように思えたのです。前シテは静(源義経の恋人、静御前)、後シテは平知盛の怨霊で、演じたのは同じ人です。

 長身の役者が凛々しい静と勇壮な怨霊を演ずる――といった類の派手な芸を勝手に期待していたわたしは、期待が裏切られた恨めしさを覚えながら能楽堂を出、がっかりして帰宅したのでした。

 ところが、不思議なことに、時間が経つごとに、橋掛かりに佇む前シテの無言の姿が、いじらしい、かけがえのないものとして脳裏に浮かび上がるのです。繰り返し、何度も。

  それとダブるように、後シテが物柔らかな舞の中からこちらに面を向けたときの狂気の表情(能面が表情を変えるわけはないので、雰囲気というべきでしょうか)――ああ、何と、それは気の触れた父の金光りする目を連想させました――が、ありありと脳裏をよぎり、戦慄させられます。

 そして、それに被さるように、後シテの絢爛豪華な装束の白銀の輝きが、意識にクローズアップされるのでした。その白銀の輝きは、あたかも浄化の焔のようです。

 感激は、何て遅れてやってきたのでしょう! でも、神秘主義では、高貴な影響力ほど、鈍重できめの粗いこの現実世界(物質世界)で実現するのに、時間がかかるといいます。固定観念に囚われていたわたしが、シテを演じた役者の芸をすばらしいと感じるには、時間が必要だったのでしょう。

 わたしは自分が期待したタイプではない役者から、期待したようでない『船弁慶』の解釈を贈られて困惑し、一旦は拒絶したけれど、時間が経ってそれを受け入たというわけです。結果的に、新しい感覚を身につけることができたような気がしています。いくらか生まれ変わった気がするほど……。シテを演じた武田志房氏、すばらしい能楽師ですね。

 義経は子供が演じますが、子方を演じた鷹尾雄紀くんは、小学校の中学年くらいでしょうか。子供とは思えない落ち着きで、上手でした。顔立ちもなかなかのハンサムボーイで、将来が楽しみです。「その時義経少しも騒がず」というセリフ、可愛らしかったなあ。

 船頭を演じた野村万禄氏は、狂言『附子』のシテとしても活躍されましたが、一緒に出かけた娘とわたしは万禄氏に魅了され、ずっと彼を褒めていて、「でも、船弁慶のシテはもう一つだったわね。重要無形文化財保持者だなんて、本当かしら」なんて、武田氏には失礼なことをいっていたのでした。

 それが、あとになって武田氏に……。写真は、受付でいただいたパンフレット「日本の古典 能・狂言 九州公演」にあった『船弁慶』後シテ 武田志房氏です。

 ちなみに、入場料は、一般・全席自由で4,000円、学生席で1,000円でした。

 『船弁慶』のあらすじを、「NHK 日本の伝統芸能 能・狂言鑑賞入門」(日本放送出版協会、平成2年)からご紹介しておきます。

 源義経は、讒言によって頼朝から疑われ、兄弟不和となります。そこで西国へ落ちのびるため、弁慶ら家来を作って津の国大物浦へ到着します。そこに静御前が義経を慕って来たので、弁慶は義経の了解を得て静を訪ねます。

義経に帰京を言い渡された静は、別れの悲しさに涙します。名残の酒宴が催され、静は勧められるままに、中国の越王勾践と陶朱公の故事をひきつつ、別れの舞を舞い、泣く泣く一行を見送ります。

 別れの悲しさに出発をためらう義経をはげまし、弁慶は出航を命じます。船が海上に出たところで、にわかに風が変わり波が押し寄せます。船頭が必死で船を操っていると、海上に平家一門の幽霊が現れます。

中でも平知盛の怨霊は、自分が沈んだように義経をも海に沈めようと、長刀を持って襲いかかって来ます。義経は少しも騒がず、刀を抜いて知盛の怨霊と戦います。

そこを弁慶が押し隔て、相手は亡霊だからと言い、数珠を揉んで神仏に祈ると、知盛の怨霊はしだいに遠ざかり、ついに見えなくなってしまうのでした。

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2007年10月15日 (月)

一昨日の夕飯(ごま豆腐丼)

Pa140026 Pa140018_2  一昨日の夕飯は、ごま豆腐丼とほうれんそうのミルクスープでした。

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アバター! その3

Pa150064_2 まだやってます、アバター。

 無料でやりくりしているわたしに、11歳の女の子が、向かって左のアバターの腕輪と真ん中のアバターの片イヤリングをプレゼントしてくださいました。

 わたしとお近づきになりたいとの添え書きがありました。

 全部で5点ほどプレゼントされ、49歳のオバさんは嬉しくも途惑っています。有料の品々をいただいていいのかと……。女の子のお母様から、お叱りをうけるのではないかと……。

 向かって右の世界では、雨が降っています。「この葉っぱじゃ、傘代わりにはならない~」とアバターはいっています。

 一つ一つにショート・ストーリーをつけるのも面白いかもしれません。気がむいたら、やってみようかな。これ以上ノルマを増やしてどうするのでしょう、このオバさん――とアバターがいいました。 

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2007年10月13日 (土)

バーデン市立劇場のオペラ『椿姫』雑感

 バーデン市立劇場のオペラは、うーん、まあミラノ・スカラ座によるカラスのオペラのCDなどと聴き比べなければ……。

 比べてしまったけれど。

 悲劇的な結末へと向かって雪崩れこんでいく後半部と比べると、恋人たちの背景を丹念に描き、しっとりと恋心を謳いあげる前半部により歌唱力が要求されるのではないだろうか。

 その前半部が、バーデンのュゥリィア・コォッチィーはまずかった。硬く、1本調子で、大御所カラスのCDと聴き比べれば、欠伸が出るほどのつまらなさだった。声量に欠けるのだろう、キンキンと耳に喧しい。

 後半部になると、声に潤いや柔らか味が加わって、ずっとよくなったことを考えると、前半部は調子が出なかったのかもしれない。

 横たわって歌うあたりから、声に伸びが出てきた。よくも横になりながら、あそこまで声が出るものだと感心した。この歌手、立って歌うより、横になって歌うほうが得意なのではないか、と思ったほど(一緒に行った娘も同じことをいっていた)。

 受付で手渡された『椿姫』解説書では、椿姫のモデルとなった女性について、たっぷりと頁をとってある。写真なども豊富で楽しめるが、翻訳がネーティブ・スピーカーの発音に忠実すぎるのか、はなはだ読みづらい。前掲のュゥリィア・コォッチィーというソプラノ歌手の名前の翻訳からも推し量れることと思うが……。

 わたしが持っているカラスのCDの『椿姫』ではヒロイン、ヴィオレッタ(原作ではマルグリット)が長椅子に倒れこんで終焉を迎えるようだが、ュゥリィアの『椿姫』では、短距離選手がダッシュでゴールに駆け込むが如く、恋人の腕の中に飛び込んで息絶えた(あれだけの体力があれば、死なないだろう。ついでにいえば、メイドさんが、血にまみれた枕を、ベッドメーキングのときに新しい枕の下に押し込んだのだ印象的だった)。

 いずれもしても、ヴェルディのオペラ『椿姫』は、ヒロインが恋人に再びまみえることなく身罷った原作の結末とは、かなりの違いがある。

 楽団の演奏に関しては、可もなく不可もなし、といったところか。音はよく出ていて、響きもよかったが、オーストリアの楽団らしいウィンナ・ワルツの似合いそうな微温的ともいえる音楽性で、際立った個性といったものは感じられなかった。

 と文句ばかりいうようだが、カラスと比べるわたしがいけないのだ。いや、それにしても、前半部の退屈さに思わず眠りこけそうになり、が、そこで、ヒロインの耳障りなキンキンした歌声で眠りを妨げられるという二重苦! 

 それに、カラスのビブラートの美しさに比べると、譬えれば呂律がまわっていないかのようなビブラートだった。全てにおいて中途半端な歌唱力というべきか(ほらまた、もうカラスと比較するのは止め~っ! 後半部の健闘を称えようではないか)。

 オペラは原作とはかなりストーリーが違うようだが、あれはあれでいいと思う。原作そのままでは、オペラとしてはあまりに盛り上がりに欠けることになるだろう。

  後半部、愛する人と再会し、結婚生活をスタートさせるという現実的な希望が湧き、彼の父親の祝福まで受けるというオマケまでついて、これはもう何が何でも生き永らえねばという決意が湧いたヒロインの生に対する執念は、まるでスポ根物のようだったが、演じ歌うュゥリィアの若々しさがそれを嫌味のないものにしていた。

 思えば、ヒロインはずっと日陰者として生きてきたのだった。下層階級に生まれ、家出をしてパリにきて、高級娼婦として生きてきた。彼女が望んでそうした生き方を選びとったはずもなく、そうした生き方を余儀なくさせられたのだった。

 それが、ようやくここへきて、影の世界から光の世界へと足を踏み入れることが可能となったのだ。

 地方官吏の家に生まれた恋人は、光の世界を象徴する存在であり、彼の父親は、その光の世界へと通じる狭き門のところに立って、不審者を入れまいと目を光らせている門番ともいうべき人物として描かれている。

 ヒロインにとっては、死は天国を約束するものではありえず、恋人と生きることこそが天国を意味するものだった。死ねば、また再び影の世界へ、地獄へと転落するかもしれなかった。

 そんな彼女の切実さ、あがきが、オペラではよく伝わってきて胸を打たれた。

 そういえば、オペラには中年のカップルが沢山きていた。そろそろ死を感じ出す年齢の男女。何を思いながら、オペラ『椿姫』を味わったのだろうか。

 上にも書いたように、『椿姫』解説書では、椿姫のモデルとなった女性アルゥpフォンシィーヌ プレsシィ マリィイ ドュプレsシィイについて詳しい紹介がなされている。それは次のような文章で締めくくられている。

女性は花に思いをよせるもの…、しかし肺を病む人は花からとおざかる…。花の薫りに咽んで肺が悶えるからだ。その人はいつも椿の花を身に添えるようにしていた。椿の花には香りがないから…。すらりとして、絹のような漆黒の髪が目をうばう…。品位をそなえた卵型の面映えに紅色の美しい唇、そして透き通るように白い肌をしたこの麗人の、著名な貴族紳士たちが名をつらねたパリの一流社交界の花形の、その死はその人々の心を悲しく痛ましめた。

 刺激臭のない花を、肺結核であったその女性は好んだということだったようだ。

関連記事:オペラ行き、強行したい~「マダムNの体調日記」から

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一昨日の夕飯(鶏肉のくずたたき梅ソース、ちりめんじゃことキャベツのおひたし)

Pa120098_2 Pa120105 一昨日の夕飯は、鶏肉のくずたたき梅ソース、ちりめんじゃことキャベツのおひたし、麩と玉ねぎの味噌汁でした。

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記念写真~!

Pa110058

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2007年10月12日 (金)

お詫び並びにお断り

 9日に、『マダムNの創作ノート』をご訪問くださった方からご丁寧なメールを頂戴致しました。

 お返事を書きながら、わたしがブログを複数持っていること、そしてそのどれもがご訪問くださる方々のためのものというよりは、自分のメモとして活用している面が勝っているために、あのブログこのブログに断片的なことを書き散らす恰好となってしまい、行き違いや誤解を生むことがあることについて考えさせられました。

 とりあえず、メールをくださった方が閲覧してくださったリンドグレーンについては、『マダムNの覚書』のトップに置いている「当サイトで紹介した作家、思想家一覧」の「8. リンドグレーン」の項目に、当ブログ以外でリンドグレーン関係の記事のある『マダムNの創作ノート』内の該当記事へ、リンクを設けました。

 また、アクセス解析でわかったことですが、せっかく当ブログにお越しいただき、サーチワードに合致した記事があるにも拘らず、あちこち彷徨われた揚句、見つけ出せずにお帰りになる方々が少なからずいらっしゃることを思うと、全ブログを網羅した、作家、思想家以外の人物に関しても記事にご案内できるような、もう少ししっかりした「一覧」が必要だな、と反省した次第です。

 何とかしたいとは考えておりますので、今少しお待ちください。

 それから、予告しました10日のオペラ『椿姫』に関する記事が遅れており、申し訳ありません。今日明日くらいには簡単ながら、記事にできると思います。何せ病人なもので、外出した翌日は大抵バテております。が、その次の日には回復するのが常ですので、ご心配なく。10日も、気持ちだけは帰宅後すぐにパソコンを開くつもりでした……。 

 俳句のご紹介も、もう1月半も滞っていますね~言葉もありません。。。紹介済みの句が増えれば増えるほど、新しく紹介する句とダブっていないか、季語のズレはないかなどの確認作業も増えて手間がかかるようになり、もう打ち切りにしようかな、と迷っているところです。

 わたしは書店の俳句コーナーによく足を運びます。でも、わたしが大好きな杉田久女、川端茅舎、三橋鷹女、松本たかしの句集は、案外置いてありません。これではいけないと思い、微力にすぎませんが、当ブログで紹介することにしたのでした。

 その当初の動機を思えば、ここで打ち切りになんかできないな、と思ったりもしております。この件につきましては、しばらくお時間をください。 

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2007年10月10日 (水)

オペラの帰りに

オペラの帰り、カフェバーからです。ここで狭心症の発作が起き、ニトロを舌下し、テープも貼りましたが、なかなか動けるまでに回復せず、粘っています。でも帰らなくちゃ。オペラについては、家のパソコンで記事にします。

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されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。

 今夜の外出は強行したいと思っているが、膀胱炎が遠のいたり近づいたりしている現状では、ぎりぎりまで行けるかどうか、わからない。
 膀胱炎も心配だが、人が多く集まる中での喘息の発作も心配なので(香水などの刺激臭だけで、発作が出ることがある)、フルタイドを多めに使わなければならない。ニトロのテープは貼っていたほうが無難か……低血圧になってフラついても困るけれど……。

 今夜の外出の目的は、『ウィーンの森 バーデン市立劇場 オペラ「椿姫」』

 アレキサンドル・デュマ・フィス著「椿姫」を読んだのは、中学1年か2年のときで、母が購入してくれた岩崎書店「ジュニア版 世界の文学(全35巻)」の中の一冊だった。

 結核を病むパリの高級娼婦と田舎の良家の出である若者が愛し合い、そして引き裂かれるメロドラマの代表みたいな作品ではないかと思うが、どうして、どうして、ただの甘ったるい悲恋物とはいえないリアルなところがあって、中学生のわたしは真の恋愛というものの凄まじさにたじたじとなった。とりわけ、小説の冒頭部分にくる場面には圧倒された。

 その場面では、アルマンが既に亡骸となった恋人マルグリットの墓を墓地移転という手段をとってまで発(あば)き、彼女の死を確認しようとするところが描かれていたのだった。

 その名場面(?)を、ブログをご訪問くださったあなた様に、ジュニア版「椿姫」から庄野誠一訳でご紹介したい。 

棺は、かしの板でできていた。人夫たちは、ふたのねじ釘をはずそうとした。が、土の湿気でねじ釘がさびついてしまったので、なかなか骨がおれた。ようやく、ふたがあけられると、とたんに、むっとするような、いやな匂いが、私たちの鼻をついた。人夫でさえ、後ずさりした。
「ああ!」
 アルマンは、思わず顔をそむけた。その顔は真青になっていた。
 棺の中には、大きな白い布が死体をおおっていた。が、その一方のはしから、死体の片足がのぞいていた。
「さあ、急いでやろうぜ」
 と、警官が、顔をそむけたままでいった。
 すると一人の人夫が、死体をおおっている白い布のはしをつまみ上げた。とつぜん、マルグリットの顔があらわれた。
 それは見るも恐ろしい光景であった。
 目はもう二つの穴になり、唇はあとかたもなく消えて、白い上下の歯並を、かたくくいしばっていた。黒くて長い髪の毛は、こめかみにへばりついていた。だが、そんなすさまじい顔の中にも、あの美しいマルグリットのおもかげが、まだのこっていた。

 こうして書き写してみると、それほどまでの描写ではないような気もするのだが、中学生のわたしにはショッキングなものだった。その前の部分に、生前のマルグリット・ゴーチェはこう描写されていた。 

その上品な卵形の顔には、まっ黒な目がかがやき、ながいまつげが、バラ色の頬にかげを落としていた。鼻はかっこうよくのび、ふっくらとしたかわいい唇がほころぶと、真珠のように白い歯がのぞいた。髪の毛は、美しい顔のまわりに黒く波うち、両方の耳には、四、五千フランもするダイヤのイヤリングがかがやいていた。

      これはまさしく、蓮如上人の御文章にあるような事態の推移といえる。すなわち――

されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたへぬれば。紅顔むなしく変じて、桃季(とうり)のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて、なげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて夜半のけむりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり、あはれといふも中々をろかなり。

 結核患者であるマルグリットの咳き込む様子も写実的で、老病死の中の少なくとも病と死が匂いを放ちすぎるこの小説を読みながらロマンティックな気分に浸るなどという芸当は、中学生のわたしには無理な話だった。娼婦、妾というようなことの意味もよくわからなかった。

 で、今夜のオペラで、仮にわたしの喘息の発作が出て大いに咳き込んだところで、演出をさらに効果的にする役目を果たすだけではないかと思うのだが……そんな訳はないか。

 「椿姫」はジュニア版でしか読んだことがない。現在のわたしが完訳版を読めば、新たなる発見があるかもしれない。ちなみに、ジュニア版「椿姫」の解説には、次のようなことが書かれていた。

 『椿姫』の女主人公マルグリット・ゴーチェは、1845年ころのパリの社交界でさわがれたある婦人をモデルにしたものだといわれている。彼女はいやしい身分の出でありながら、侯爵夫人かと思うほど優雅な気品をそなえていたそうである。そして当時の文献によると、彼女がいつも買っていた花屋の請求書には、椿の花という字がたくさん書いてあったという。マルグリットが椿の花を特に愛し、そのために『椿姫』というあだ名をつけられたという点も、おそらく事実であったようである。

 マルグリットが老公爵の妾となったのは二十歳のときだったとあることを考え合わせてみると、なかなか渋い花の趣味であるように思えるのだが、フランスでは椿はどんなイメージを与える花なのだろう? 

 白薔薇などと比較すると、白椿からはどうしても陰性の感じを与えられる。白椿の花弁の美しさは何ともいえないし、花が丸ごと落ちてしまう椿の花は、日陰者として生き、若くして亡くなる薄幸の美女にはぴったりの花だという気がする。

関連記事:バーデン市立劇場のオペラ『椿姫』雑感

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昨日の夕飯(栗ご飯)

Pa090039 Pa090029  そろそろ栗ご飯をしなければ――と強迫観念(?)に駆られていたところへ、折りよく、マンションの同じ階の奥様から、栗をいただきました。ご主人が拾ってこられたそうです。

 沢山いただいたので、贅沢な栗ご飯ができました。ありがとうございました。
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2007年10月 9日 (火)

昨日の夕飯(あめたの干物、豚キムチやっこ、さつまいものきんぴら風)

Pa090073 P9010001_2 昨日の夕飯は、あめたの干物、豚キムチやっこ、さつまいものきんぴら風、しいたけと万能ねぎの味噌汁でした。

 デパートの物産展で買った『うすき味噌』が昨夜で無くなりました。美味しいお味噌でした。

 もっと買っておけばよかったな~(゜_゜)
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一昨日の夕飯(豚肉の蒸し煮、かにかまと水菜のサラダ)

Pa080030 Pa080011  一昨日の夕飯は、豚肉の蒸し煮、かにかまと水菜のサラダ、しいたけのミルクスープでした。

 豚肉の蒸し煮には、マスタードを添えてもよかったな、と今この記事を書きながら思いました。

☆★★

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アバター! その2

Pa090087 アバターのご紹介、2回目です。

 今回はおズボンでまとめてみました。向かって右は、学生時代のわたしの格好に似ました。

 尤も、シャツの裾はジーンズの中に突っ込んで着ていました。その頃は、皆さんそうでしたよ。今ではほとんどしなくなったイヤリングは、必ずといっていいくらい、していました。

 無料で使えるイヤリングは1つだけだったので、それを使っていますが、このスタイルにはちょっと合いませんね(え、見えない? 写真をクリックしてみてください)。 

 今若かったら、向かって左のような恰好をしてみたいな。髪の毛をブロンドにして……。先日、ブロンドの母子を見ましたが、3歳くらいの男の子の髪は本当に綺麗なブロンドでした。 子供の髪は染まりやすいのでしょうか。でも、あんなに小さな頃からでは、傷みませんか? 

 銀幕のスター、マリリン・モンローの髪はプラチナブロンドでしたが、染めているとは思えない輝かしさでしたよね。

 そういえば、わたしも白髪染めにそろそろ行かなくては。赤っぽい実際の髪より若干黒くなってしまうのが、違和感があります。実際の色に近づけて貰ったこともありましたが、そうすると染まりにくいようでした。

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定期購読している文芸雑誌が届いたが… ~「マダムNの創作ノート」から

 現代日本文学の動向及び流行に触れていたいという動機から、今年もまた某文芸雑誌の定期購読更新の手続きをした。

 そして今月も、数日前にその雑誌が届いて嬉しい気分になったが、いざ雑誌を開いて読もうとすると、とてもだめ。読めない。

 わが国の作家では、遠藤周作、円地文子あたりまでしか体質的に受け付けなくなってしまっている。わたしの感覚は古いのだろうか?

 だが、『竹取物語』や『源氏物語』といった昔々の作品の冴えを思うとき、文学作品の価値は書かれたときの時間的古さ、新しさでは測れないもので、よい作品は常にみずみずしいとの思いを新たにする。

 バッハやモーツァルトの音楽が今も第一級のものとして受け容れられているのと、事情は同じだろう。

 普段わたしが多く読むのは翻訳物なのだが、例えば、モーリアック著、遠藤周作訳『愛の砂漠』(講談社文芸文庫)の、何気なく装われた次の一場面の文章の香気は如何ばかりであることか。

 父が食卓から急に立ったあの晩の翌朝、夜が明けるやいなや、食堂でココアを飲んだことを覚えている。窓が外の霧に向かって開かれていたので、彼はひきたてのコーヒーの香りの中で寒さを感じて震えた。小径の砂利が古いクーペの車輪の下できしんだ。医師はその朝、出かけるのに手間どった。クーレージュ夫人は桃色の部屋着をはおり、夜、いつもそうする引っつめて編んだ髪のままで、中学生の額に接吻した。だが息子は食事をするのをやめなかった。

 どこにでもありそうな朝の情景、それでいて、この家庭だけに潜在する特殊な事情がおぼろげに見えてくるような描写だ。この父はあの晩、なぜ食卓から急に立ったのか?  この母親の接吻を気にも止めなくなった、この成長した息子。

 食堂に漂うコーヒーの香り(嗅覚)。霧が立ち籠める外気の冷たさ(触覚)。古い車がきしませた砂利の音(聴覚)。ココアを飲んだ記憶(味覚)。部屋着の桃色(視覚)。

 短い文章であるにも拘らず、作者の五感が隅々まで働いていることがわかる。

 ところが、今の文芸雑誌で読む作品は、これとは全く対照的で、五感のうちのどれかしか働いていない感じだ。効果をあげるために、あえて、どの感覚かに絞って書くという手法もあるだろうが、それほどの考えが読みとれる書き方でもない。

 描写された場面から、ある特殊な事情が浮かび上がってくるという書き方でもない。不自然に予告されるか、いきなり事が起きるかのどちらかなのだ。よほど計画的でないと、モーリアックのような書き方はできず、不自然なものになってしまう。

 汚い色で描き殴った、絵本のような作品がつくづく多い。

 すばらしい絵本は芸術作品以外の何ものでもないだろうし、大人向きの絵本というものもあるが、ただ絵本というものは、子供向きに制作されることが多いのではないだろうか。

 言葉の理解が不充分な子供に、絵で物事を理解させようとして。文盲の庶民が多かった時代の宗教書が、壁画や天井画に頼ったように。言葉の理解が進んだ子供は、文字の量が多くなった本に手を出すようになる。物事のもっと複雑な面を知ろうとして。

 絵本のような作品が巷の書店に溢れている現状は、日本人の子供返りを、五感や情操の低下を物語っているのかもしれない。

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2007年10月 8日 (月)

更新のお知らせ

ジュゲムブログ「マダムNの児童文学作品」に連載中の『不思議な接着剤』、更新致しました連載18)。

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2007年10月 7日 (日)

昨日の夕飯(サワラのカボス風味焼き、イカと大根の煮物、里いもといんげんのバター炒め)

Pa060006Pa060041 昨日の夕飯は、サワラのカボス風味焼き、イカと大根の煮物、里いもといんげんのバター炒め、水菜としいたけの味噌汁でした。

 昨日のメニューは、家族に大受しました。美味しそうに食べてくれると、作り甲斐がありますよね。
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2007年10月 6日 (土)

最近の夕飯から(ポテトとハムの焼肉のたれ煮)

Pa030010Pa030007   最近の夕飯から、以前お弁当によく作った栗原さんのレシピ『ポテトとハムの焼肉のたれ煮』をご紹介します。

 この日は他に、この秋3回目だったさんまの塩焼き、小松菜のくるみあえ、落とし卵の吸い物でした。 ■□

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今はまっているもの

Pa060061_3 ヤフーのアバターにはまっています

 まだ、冒険ができなくて、ファッションセンスにオバさん臭さが漂ってしまいますが、そのうち、磨かれることと思います。

  向かって右は、パーティーに出席している若い女性のつもり。

 手袋と靴下・靴で隠れてしまいましたが、マニキュアとペディキュアもしているのですよ。パープル系アイシャドーも。ストッキングは、イチゴ柄です。

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2007年10月 5日 (金)

こたえられない安さ!

Pa050041_2  デパートで、ワイシャツが安く出ていました~
\(◎o◎)/

 なんて、普通の体型の人々には珍しくもないことなのでしょうが、わが夫はなにせ、37-80なのです。めったにありません。本当は、36-80がベストという夫は身長173cmで、首は細く長く、腕は身長に見合った長さ。

  昔は36が作られていましたが、現在は作られていないとか。

 で、現状で最も夫の首にフィットする37だと、74とか、よくて78くらいを見かけるのがせいぜい。デパートの店員さんに伺っても、夫は特殊な体型になるようです。

 オーダー・メードできればいいのでしょうが、よほどのよそ行きというならともかく、庶民には現実味のないことで、すぐに着潰すことを考えると、バーゲンで手に入れたいと考えざるをえません。

 それがなかなか夫のサイズは出ていず、いつも泣く泣く高いワイシャツを買っていました。ところが、どうしたことか、夫にぴったりのサイズがありました~。

 それも、普通であれば、7,000円台のワイシャツが、1,575円!!!

 興奮して4枚も買いました。夫の会社では白が基本で、色物はごく薄いベージュくらいしか駄目です。ビジネススーツとして使える白いワイシャツ2枚を、ワゴンから掘り出しました。ここ掘れ、ワンワン。

 他のうちの1枚は、ドレスシャツとして、準フォーマルとして使えると店員さんがいっていたワイシャツで、白地に、限りなく白に近いグレーのストライプが入ったもの。残る1枚はタウン着によさそうなカジュアルなタイプのもの。

 夫のワイシャツを買うときは、いつも割り切れないもの(?)を覚えていたのですけれど、いや~今日は満足の行く買い物ができました。ズボンやジャケットも、いいものが安い値段で出ていましたよ。下着もまとめ買いしました。

 期間中(この嬉し涙が出るバーゲンは10日まで)、できたら夫を引っ張ってきて、ズボンなども見たいものです。わたしが独断で買えるのは、下着とワイシャツだけなのです。

 夫は服を見るのも、試着も嫌いですが、気に入らないと絶対に着ません。そして、気に入るものを買ってしまえば、とても嬉しそうにします。本当はお洒落がしたいのかもしれません。恥ずかしいのかしらね。

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おうどん食べて、病院の梯子

Photo  午前中、県立病院へ出かけたら、たっぷり午後までかかりました。おうどんを前にこんな話も何なので、これは帰宅後に体調ブログへ書くことにします(あとで:書いた記事はこちら)。

  これから、買い物して一旦帰宅し、循環器科へ回る予定です。こちらは今日も真夏の暑さですよ。へばりそう(x_x;)

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2007年10月 4日 (木)

最近の夕飯から(しいたけのひき肉詰め煮)

Pa010024 Pa010011  最近の夕飯から、しいたけのひき肉詰め煮をご紹介します。

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ひとりごと~ホームページ、アバター、シモーヌ・ヴェイユ、息子の就活、同人誌のことなど

 ブログが増えすぎて、機能的でない気がし、いっそホームページを作ろうか、という気になった。夫が前に買った『超図解 HTMLでつくるホームページ入門』(エクスメディア、2003年)を貸してくれた。

 夫は、新し物好きで、収集癖があるが、すぐに興味を失い、使いこなすまでにはいかないで終ることが多い。それを、あとになって、わたしがせっせと使うパターン。

 夫は、「Nのために買ってやったんだよ」などと、いっていた。

 無料ホームページサービスを利用させて貰うことにし、ヤフーに登録してホームページの住所はできた。テンプレートを使えるので、基本的なことを学べば、そう時間がかからずに作れそうだが、せっかく作るのなら、オリジナルなものを作りたいなあ。

 ホームページはそのうち仕上がればいいから、時間をかけて、ぼちぼち。いつか、できるだろう。まずは、本でお勉強。

 ホームページ作成の副産物というべきか、ヤフーのアバターにはまってしまった。着せ替えをして楽しんでいる。今日は、バルーンスカートを着せてみた。娘が前に買ったワンピースから、バルーンスカートの部分だけ切り離せば、そっくりだ。

 無料で、かなりの着せ替えが楽しめる。

 この年で、着せ替え遊びにはまるなんて。子供の頃より、もっとはまっている。絵柄はリアルで、あたかも自分が試着しているかのような楽しみかたができるのだ。

 バルーンスカートなんて、着てみたくても、さすがに50歳に近いとあっては、はばかられる。かなわぬ夢をアバターで果たしている。

 若い頃はストイックで、ファッションには全く興味がわかなかった。服などにお金や時間を使うのがもったいなかった。

 それが、おなかが出た中年の今頃になって、興味が出てくるなんて、何という皮肉であることよ! 昔であれば、何を着ても、そこそこは似合っただろうにと思うと、悲しい。

 でも、小説を書くためには、こんな興味も必要だ。若い頃は、純粋に思想面を極めたいと思い、その姿勢で何とか骨格を作り上げた。現在は、それに肉づけをしている段階なのだと思っている。

 松村潔氏の占星術の解説では、わたしの年齢では木星をテーマとする域にあり、この前の年齢域のテーマだった痩せる(積極的攻めの働きを持つ天体である)火星とは対照的で、太る(拡大と発展)。

 中年が中年太りするのは、自然なことなのだ。とわが豊満な腹部を見ながら思ったところで、この腹部のうっとおしさがどうなるものでもない。 

 わたしが年をとって変化したからか、若い頃に熱中したシモーヌ・ヴェイユの欠陥なども見えてくる。彼女の明快な分析は爽快なのだが、近頃では、こうも単純に結論づけていいのかな、と考えさせられる場面が増えた。

 肉を削ぎ落としたような考えかたで、肉を取りこぼしていることが気にかかるようになったのだ。若書きの欠点といえるだろう。とはいえ、彼女の思想の詩のようなみずみずしさ、美しさは、その欠点が長所としても働くということを物語っている。

 どの年齢にも、その年齢なりのよさがあるのだ。

 ところで、ドクターには行かないマスター1年の息子にとっては、就活スタートの今月だ。11月末に学会に行く予定があるといっていたが、その準備に追われていて、両立が大変そうだ。

 不器用なところがある息子であるだけに、心配。つい、よけいな口出しをして、怒らせてしまう。でも、牛年の息子には案外呑気なところがあるので、犬年のわたしがキャンキャンいって追い立てるぐらいで、ちょうどいいかもしれない。

 また話が変るが、同人誌主幹が、次の締め切りをいってきた。今度は、ヘンリー・ジェイムズばりの短編を書いてみたいものだ。発行人をぎゃふんといわせられるような作品を書きたい。

 彼に比べたら、まだまだなのに、この頃、妙にわたしの側で一方的にライバル意識を燃やしているのだ。文学観に共鳴するところと対立するところがあり、意識せざるをえない。尤も、彼には宿命のライバル(?)ともいうべき男性がいるのだが(彼らは共にそれを否定していたが)。

 合評会に行けなかったのは、残念だった。節目を迎えないまま、出発しなければならないような物足りなさがある。K文学賞の結果はまだわからないけれど、駄目だろう。駄目だとしても、既にこの新しい作品を考える段階に入ってかなり吹っ切れているといえる。

 まだ、どんな作品にとりかかるかは決めていず、何かわくわくしている。賞が駄目だったとしても、あの作品を書く中で、新しい確かな手法を掴んだことは確かだ。その感触を、次の作品で味わいたい。使いたい。

 このところ体調がよくなかった。しかし、精神的には昂揚していた。

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更新のお知らせ

 ジュゲムブログ「マダムNの児童文学作品」に連載中の『不思議な接着剤』、更新致しました連載17へ)。

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2007年10月 3日 (水)

最近の夕飯から(百貨店の『全国有名弁当とうまいもの大会』にて)

Pa010036_2 Pa010041 Pa010042_2  向かって左は北海道《喜速久》のお弁当で、夫が選びました。

 娘とわたしは、前にもご紹介したと思いますが、広島《浜吉》の『たこめし』を選びました。

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2007年10月 2日 (火)

タロットカードの女帝を連想させたヴァイオリニスト、ムター

 昨日、深夜にBS2で見た音楽番組に、ヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターが出ていた。弾き振りをしていた。

 完璧な演奏、堂々とした様、容姿は、まるで女王様のようだった。タロットカードの女帝を連想した。

 彼女のねっとりとした演奏には、催眠的なところがあり、妖気が漂うとまではいわないが、どこかしら人を不安にさせる要素がある。

 その謎というか、原因を探ろうとして、懸命に視聴していたが、わからなかった。

 たびたび大映しになる美しい唇が、女性のわたしから見てさえ、濃艶な感じ。濡れたように光る口紅。右手の薬指に嵌めていた銀色の細かな細工が施された指輪、体の線に添った裾広がりの青色のドレスと、何とも、ムーディ……。

 子供からすぐにオバさんになってしまう日本女性と比べると、何たる違いであることか。溜息が出てしまった。

 モーツァルトにご執心であるようだが、ちょっと違うなあ。彼女が弾くと、モーツァルトじゃないみたい。隅々まで完璧に感じられるのだが、モーツァルトの宇宙的といっていいような明快さ、清浄さには欠ける気がする。

 うちにあるCDの中のサラサーテ『ツィゴイネルワイゼン』とか、タルティーニ『悪魔のトリル』とか、マスネ『タイスの瞑想曲』などのほうが彼女にはしっくりくる。

 それにしても、譬えるなら、五嶋みどりは体操的、ムターはバレエ的といっていい。

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昨日のランチ(カフェで、ジャムトースト&キッシュ・ロレーヌとサラダ)

20071001152324_3 20071001152246_2  昨日のお昼ご飯は、夫とデパート内のカフェでとりました。

 夫が頼んだお皿には、トーストの代わりにミックスサンドがのっていました。

 他に、本日のケーキ、シフォンケーキの4種類のうちどれかと組み合わせることができます。 

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