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2007年9月20日 (木)

スウェーデンの国民作家、リンドグレーン~『マダムNの創作ノート』から

 リンドグレーンはいわゆる国民作家だった。彼女のことを調べるまでは、スウェーデンでそれほど大きな存在だとは知らなかった。

 読む以前に、スウェーデンの子供たちは映画や歌を通して、リンドグレーンに馴染むらしい。グッズがあり、テーマパークや病院もある。

 リンドグレーンの生誕100周年記念を特集した月刊誌『MOE 9月記号』(2007年、白泉社)には、次のように書かれている。

 アストリッドは歳をとって目が悪くなって物語を書けなくなってからも長い間ずっと社会のオピニオン・リーダーでした。そしてスウェーデン中の人々が、偉い政治家をやっつける皺だらけの顔をした小さな「物語おばあさん」の快挙に大きな拍手を送ったのでした。

 文壇デビューが比較的遅かったので、人々には「物語おばさん」あるいは「物語おばあさん」としてのイメージが定着していました。「物語おばあさん」はスウェーデンの良識とユーモアの代弁者として絶大な人気者だったのです。

 「物語おばあさん」だなんて、何て素敵な響きなのだろう。国民的祖母といえる存在でもあったのだろう。

 日本人がかつて、このような存在を持ったことがあっただろうか。歌謡曲の分野では幸せなことに、美空ひばりという国民的歌手の存在があった。だが、文学の分野では? 

 紙幣になった夏目漱石、樋口一葉、紫式部は、どうか?

 国民と共に生きるには、夏目漱石は精神的に脆弱すぎた。樋口一葉は早く死にすぎた。紫式部は昔の人すぎる。

 児童文学の分野になると、もっと頼りないことになってしまう。

  赤い鳥運動の中から優れた童話作家や北原白秋のような人も出たが、もう一つだった。宮沢賢治なども、いい線いっていたと思うが、今一歩だったか。この人も早く死にすぎたし。

 わたしは少女の頃、松谷みよ子に期待をかけていたのだが、何かあらぬ方向(などと女史の民話の蒐集やお化けに対するアプローチをいってしまっては、いけないのだろうが)へ行ってしまわれた。

 松谷みよ子にファンレターを書いたのは、中学生のときだったか、高校生のときだったか。童話作家になりたい、とでも書いたのか、自筆で「がんばってください」と書かれたお返事の絵葉書は、実家の押入れに運がよければ(父に捨てられていなければ)今もあるはずだ。

 リンドグレーンの童話は、今の日本の児童文学作品には見出せないような深い闇を孕んでいる。光と影があり、様々な濃淡の影が舞台裏を支えて、豊かな光を前面に押し出している。

 リンドグレーンの童話のうちに偏在する馨しい光は、いわば、トレモンタンが『ヘブル思想の特質』(西村俊昭訳、創文社、昭和38年)の中で、下記のように述べた類のものだ。

 信仰とは心理学の領域に属するところの信念ではない。(略)信仰自体は霊的悟りであり、超自然的認識であって、霊によってわれわれに与えられるものである。

 愛とは感情的愛でもなく、心理学的諸動機または一つの気質によって説明される博愛でもない。それは感情でも情愛でも情熱でもない。それは他の秩序――霊的、超自然的秩序に属している。

 希望は自然的楽観主義、幸運な気質から生まれるところの期待する能力、とは何の共通点もない。それは同様に超自然的な徳である。なぜならそれは霊的であるからである。

 
それはあらゆる蹉跌と人間的孤独をこえて存続し続ける。

 わたしは信仰者ではなく、神智学徒なので、信仰者でなくとも、このようなタイプの愛と希望に浴することができると思っているのだが、神智学徒らしい表現に翻訳して、超自然的という言葉をブッディ的、そうでないものをカーマ(欲望)的といい換えたい。

 ご紹介すれば、神智学ではこの区別を、H・P・ブラヴァツキー著『実践的オカルルティズム』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポンロッジ、平成7年)の「用語解説」で、次のように解説している。

 マナス:人間の心、知性、マインド。
 
 マナスは二重であり、高級マナス即ちブッディ・マナスと、低級マナス即ちカーマ・マナスからなっている。

 高級マナス=高級自我は本質的に宇宙と一体であり、神聖なものである。低級マナス=人格我または低級自我は高級マナスの光線であり、この世で働くものとして動物的及び自己中心的な要素もある。マナスは、第五本質、内なる人間、人間魂ともいう。

  『ハリー・ポッター』シリーズは人気があるが、残念ながらわたしには、ブッディ的要素は見出せなかった。粗悪な印象を受けた。厳密には、芸術作品という意味での児童文学作品とはいえないとわたしは思っている。

 そうした厳密な意味で分類するなら、児童文学作品はこの世にそれほど多いとはいえなくなる。そして、そうした作品のみが糧となりうるとわたしは考えている。それ以外のものは、いい気晴らしにはなるかもしれない。

 児童文学の分野で輝かしいのは、何といってもジョージ・マクドナルドだろう。神秘主義的すぎる嫌いがあるほどだ。リンドグレーンも輝かしい。

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