« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月の54件の記事

2007年9月30日 (日)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第87回

  翌238年、公孫氏は終に魏の司馬(しば)氏率いる大軍に討たれました。

その時、宮殿では御前会議の席が既に用意され、女王が自らの考えを繰りひろげておいでになりました。

「僕は会議の行方以上にね、女王様が夜ご就寝になるまでの体力の残量があとどれくらいかと、気が気ではありませんでした」と、タルがわたしに打ち明けました。

 乳人とわたしは庭で小さな姫君のよちよち歩きを見守りながら、「いくらもしないうちに、ご誕生からまる1年におなりですね」などと言い交わしていたところでした。

 滴るばかりであった草木の緑が和らいで、御子の玉のような手足に水のように優し味のある光がふんだんに注いでいました。御子のオーラがきらきらと輝く透明なケープのように見え、両手を突き出してよちよちなさるその御姿が天翔ける天の童のようで、微笑をそそられます。

 木陰でタルからわたしが会議の話を聞くともなく聞いている時(注意が姫君に奪われてしまっていましたので)、イサエガはひそかに、公孫氏政権の高官が日本列島に亡命する手引きをしていたのでした――

(イサエガ!  イサエガがこの局(つぼね)にいる!)
  御子の寝所であり、乳人とわたしが寝起きしているきよらかな局に、どうしてイサエガが忍び込むことができたのか、わかりませんでした。

 ぐっすりと寝入っていたわたしは、いつの間にか、夜の庭に連れ出されようとしていました。イサエガは、声をあげようとしたわたしの口を掌で覆いました。苔に伏した桃色の花びらのようにお休みになっていらっしゃった御子も、乳人も、幸いなことに、恐ろしい深夜の出来事には関わらずに済むようです。

 木陰にイサエガは、わたしを打ち捨てました。そして、呆然としているわたしに、彼は気色ばんで詰め寄るのです。

「何ゆえ、御子にばかりかかずらう? 聖なる御巫(みかんこ)だから、とは言わせぬ。まだ得られていない、人としてのごく普通の恵みを必要としているみどりごは、あまた、いる。そなたに、聞いているのだ。何ゆえ、あのみどりごにばかり、かかずらうのか、と」

  問い詰められて、わたしの心は大空に縋りました。どうしてこの男は、非常識なやり方でわたしの内部に入り込むだけでなく、わたしの心の琴線を、掻き切らんとするばかりに掻き鳴らすことができるのでしょう……?

  磨かれたように冷え冷えと光る夜半の月です。〔

|

昨日の夕飯(かじきの一口揚げ)

P9290028P9290048   昨日の夕飯は、かじきの一口揚げ、なすのごまあえ、大根と合い挽き肉の味噌汁でした。


■■□

続きを読む "昨日の夕飯(かじきの一口揚げ)"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

手記『枕許からのレポート』

☆ はじめに 

 わたしは自称・神秘主義者で、そのことを人様から怪訝に思われていることでしょう。

 実をいいますと、わたしが神秘主義者と自称する根拠が、『枕許からのレポート』という作品に潜んでいるのです。

 これは、23歳のときに書いたレポートなのですが、この作品で報告した体験がわたしの神秘主義的生きかたを決定づけたものでありますし、わたしはその体験を作品にすることで、思想化(血肉化)し、自身の恒久的生きかたとして様式化しようとしました。

 稚拙な作品ではありますが、この体験と作品が一体となって、わたしの自称神秘主義者たる根拠を形成しているのですね。これなくしては、わたしは自分のことを神秘主義者だなんて、とてもいえなかったでしょう。

 そして、今もよりよき生きかたを探して、他人が作りあげた思想の森を彷徨っていたのかもしれません。

 『枕許からのレポート』は、当ブログですっかりシリーズものとなった『父の問題』とも微妙に関係してくる作品でもありますので、全文をご紹介したいと考えました

 『枕許からのレポート』は、1981年10月10日発行の文芸同人誌「VIE」に発表したものです。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

枕許からのレポート

 C・G・ユングの次の言葉は、わたしが彼の言葉に遇う以前から自己の内部に感じ続けてきた、ひとつの強力な指標である。

 私の存在の意味は、生命が問いを私に投げかけてきたことにある。あるいは逆に、私自身が世界に向かって投げかけられた問いそのものなのだ。そして、私はその問いを伝えねばならない。さもなければ、私は世界がそれに答えるのに依存してしまうことになるからだ。これは努力をし困難と闘ってのみやりぬける超個人的な仕事である。〔註1〕

 そしてこのユングの言葉は、当然、ドイツ強制収容所の体験記録である『夜と霧』の中で、ヴィクトル・E・フランクルによって述べられた次の言葉を前提としていなければならない。 

 如何なる人間、如何なる運命も他のそれとは比較され得ないのである。そして、その状況ごとに人間は異なった行動へと呼びかけられているのである。〔註2〕

 わたしは危機というものに、ひじょうな関心を抱いてきた。なぜならばその人にとって危機と称されうるようなその瞬間とは、彼の複雑な精神現象を統一している意識そのものが直撃の憂き目に遭い、撹拌される瞬間だからである。

 わたしがここに述べるものは、わたしを訪れ、精神的パニックに陥れた一連の出来事がある程度治まった頃、ある友人に宛てて出した手紙の一部であって、極めて個人的色彩を帯びたレポートである。しかしながらわたしが遭遇したような出来事は、一生の間に誰もが幾度か経験するようなごく陳腐な事柄といってよい。

 以下は、ある友人に宛てて出した手紙の一部。

 今回の母の病気は、わたしの信仰を現実のものとしました。つまり、わたしの生命に直接的に関わってくるような問題を秘めていました。

 2週間程度入院すればいいというので、母を個人病院に預けて2日目か3日目、わたしは大学に成績表を取りに行きました。そして帰ってから病院に行ってみると、容体が一変していました。ベッドに座り、目を異様にポッカリ開け、半分泣きかけ、パジャマの腕は血でベットリ汚れていました。恐ろしさにゾッとしながら思わずどうしたのかと聞きました。母は泣き出して薬を呑んでいると答えました。

 返事があったのでいくらか安心しながら、ベッドの所へ行きました。焦点の合っていない瞳から、視力のないのに気づきました。戻しそうになりながら薬を呑もうとしている母に、わたしはもう呑まなくていいと言いました。その粉薬に今の母を助ける力など無いように思えたのです。こんな重病人に医師も看護婦も付き添っていないのが不思議でした。母はわたしの言ったことに対して一層泣きながら、だって呑まなきゃ治らないじゃないの、と言いました。愛おしさでいっぱいになって思わず抱き締めると、母は仔犬のようにわたしにもたれかかってきました。わたしはその時、母の生命がわたしの管轄下にあるような錯覚を起こしました。

 先生から呼び出しを受けドアを開けると、苦痛を漂わせて座っている先生が見えました。事の全体を直観し、一瞬正気を失いそうになりましたが、 〔註3〕家の事情を知っている先生は、なかなか口を開こうとしません。しかし、こういう時一番辛いのは、それがどんなものであろうと、真実を隠されることです。こちらからずばり尋ねると、駄目かもしれないということを言われました。

 航海中の父に電報を打ち、それまでも何日間か眠っていなかったのでひとりでは身がもたないと思い、親戚に電話して応援を頼みました。国立病院に腎臓血圧の名医がいるからそちらへ移れるように手配し、2、3日うちにそうできるだろうと先生が言うので、問題はその2、3日(!)を何とか切りぬけることでした。点滴は血管から漏れ、飲み薬は吐いてしまう、これでは事実上何の治療も受けていないのと大した違いはないことになります。一刻も早く注意深く明晰なまなざしの注がれる下に母を連れ出すのが第一でした。

 家に帰ると、気違いみたいに泣きながら茶碗を1個割って精神を調整し(?)、聖書と『チベットの死者の書』(不吉に思われるかもしれませんが、この本は死者の魂を導くための指南書です。

 「オー、けだかく生まれたものよ。惑わされずに十分注意して聞け。(……)死と呼ばれるものがやって来た。汝はこの世から去ろうとしているのだ。しかし、汝が唯一人の此世を去るものではない。死はすべてのものにやって来る。この世の人生を溺愛することに執着するな。汝が好きでたまらない気持ちから執着するとしても、汝はここに留まる力を持っていない。汝はこのサムサーラの中を彷徨う以上の何も得ないだろう。此世に引き付けられるな。怯弱であるな。貴重なる三宝を思い出せ。〔……〕〔註4〕」

 で始まるこの奥義書は、格調高い響きを持っています)を病室に持ち込みました。

 その夜は、わたしの過ごした夜のうち一番苦しい夜でした。母をこのような重体に陥れた大きな原因は、わたしにありました。小さい頃からわたしは母を半分は母として見、半分はひとりの人間として見てきました。母に甘え(わたしほどの甘えんぼは類を見ないでしょう)、べったり依存してきた反面、冷たいほど厳しい批判の目で見てきました。

 母は極めて孤独に弱く(わたしもどっぷりそうなのですが)、長い間そのことがわたしの不安の原因でした。

 この世における最大の課題のひとつは、ひとが自分自身に直面することだと思ってきましたが、ただしそれは長い間、ほぼ一生に亙って徐々になされるべきことであり、それが何の準備もなしに急激になされる場合はひじょうに危険であることが、自殺した従姉の例から類推できました。災難はひとに急激な精神面の進歩をもたらすことがありますが、逆に治すことのできないダメージをもたらすこともあります。死も災難の例外ではありません。死がそのひとにもたらしたものを、わたしたちは見ることができません。しかし、たとえ死後の生命の存続を信ずるにせよ、信じないにせよ、精神に治すことのできないダメージを受けて死ぬことがよいはずはないと思われました。

 大学卒業後、母をK市にひとりにして博多に住む決心を固めた理由のひとつは、母に自己に直面する機会を与えてやろうと思ったことにあります。母は不安そうでしたが、承諾していました。これはわたしのとんでもない過失でした。ひとつは母の持病が悪化してきているのをわたしが知らなかったということ、他のひとつは母の本質をよく極めていなかったということでした(そのようなこと、可能であるはずないのに)。自分の過失に気づいた時は遅く、もうわたしは神に頼る以外ありませんでした。祈ろうとしてわたしは、何と祈ればいいのか、わからなくなりました。わたしが母を重大な危機に追いやったとしても、母はわたしのものではなく、神のものではないか、神が母に必要なものをもたらされるのだ、という考えがわたしの脳には残っていました。必要なもの、というのには、生と死が例外であるわけがありません。それに対して、母の存命のみを願うわたしの側には強烈なエゴがありました。たとえ母にとって死がよきものであり、生が悪いものであったとしても、わたしは母に生を願おうとするでしょう。これはまぎれもなく低級なエゴであり、わたしがこの時母に与えられるものは自己愛しかなかったのでした。

 その夜、母の悲惨さは、ピークに達しました。それまでわたしは木偶のぼうのようでしたが、母が奇妙な呻き声をあげて、自分の離れようとする魂に取りすがろうとするかのようにベッドに起きあがりかけた時、わたしは一変しました。正確に言えば、わたしはわたしではなくなったのです。神秘的な感情がわたしの胸の中心部から、とめどもなく母に注がれるのです。力強く奥深く、しかも穏やかでデリケートな感情がとめどもなくそのあらわれを強めてゆきながら母に注がれる美しい情景は、視覚化さえできるようでした。

 わたしはこの時初めて、ヨガ行者が到達しようとして精根を傾けているもの、真我、あるいは自己の中心に内在する神というものの実存と意味を学びました。

 わたしの内部を突き進んでゆけば様々な精神上の産物に出遇います。しかし、さらに進めば、何もなくなります。無です。わたしはあの一瞬に、無になったのでしょう。無になったわたしを通して、神は母に必要な本当の愛情を注がれたのではないかと思います。あの時、精神上の産物がわたしの内部を浮遊している状態であればそれは、神の意思の障害物となったでしょう。 

 空想的すぎると思われるかもしれませんが(確かにそうなのですけれど)、少なくともこの時点からわたしは、神を抽象的な次元においてではなく、現実の線上で捉えるようになりました。これらのことがわたしにとっての体験の全てといってもよく、他の現象はむしろつけ足しにすぎません。母の枕許で聖書を開いたら、次の一行が示されました。

 「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。〔註5〕」 

 翌日、偶然国立のベッドが早く空いたということで(今思えば、そのベッドのひとは退院したか、死んだかしたのです)、救急車で行きました。そして主治医から空いているベッドの上で母の病歴に関する質問を受けていた時、ベッドにオーロラを縮小したような菫色のうつくしい光があらわれました。ひとを驚かすより先に安らぎをもたらすような、すばらしい現象でした(実はこれと同様な光が、本家の仏壇で祈ったあとあらわれました)。 

 こればかりが原因ではありませんけれど、この医師が母に何をもたらす結果になろうと、母にふさわしいという確信を持ちました。あの夜、わたしは結局、次のように祈ったのです。 

『母がまだこの世において霊的進歩を促進することができますならば、こののちも母をこの世にとどめおいて下さい。そして母の肉体と精神に、あなた様の聖なる健康を注いでください』

 結果的にはこの祈りの後半部と同様のことが起こったことになります。入院して数日、肉体的には適切な治療を受けて、慢性の腎臓疾患の方は別として、ずい分よくなりました。それから数日後、幻覚を見せ続けていた脳が正常になりました。

Ⅱ   

 デカルトは、

われわれは世界すなわち物体的実体の全体がその延長の限界をもたないことを認識する〔註6〕

 と述べているが、現にわたしが体験している覚醒よりもさらに高次の覚醒が、覚醒という延長の限界をもたない線上において存在しないと、どうして言えようか。

 イエス・キリストを究極の師と定めた日から、わたしは自己に直面しなければならない日がいつかくるとわかっていた。それは人生においてわたしの最も恐れているもののひとつがやってくることであり、そのパニックのさなかでわたしは自身に対してわたしが何をなしうるかを証明しなければならないだろうという、ほぼ確信に近い予測であった。わたしたちの最も恐れていることが人生において起こる。それは必ず起こるのだ。なぜなら恐れるとは叫ぶことだから。「わたしはここにいる!」と。それは必ず起こる。まぎれもないこのわたしに導かれて。そしてひとは、自分が最も恐れているものと直面しない限りは、真にこれから解放されることなどあり得ないのである。 

 物心ついた頃からわたしは母に嫌悪と好感、共感と反感、といったあらゆる感情の両極によって繋がれていた。これ程長い間わたしが母に執着したのは、母とわたしのパーソナリティーが対照的であったために、母がわたしを映し出すきわどい鏡となったからであろう。 

 わたしは母から離れることを望んだ。このことのうちには母に対するわたしの高次の希望と並行して、低級なエゴが潜んでいたことを述べておかなくてはならない。

 わたしは自由になることを欲した。わたしの過去を不当なまでにしつこく現在に持ち越すように感じられる故郷から、肉親から、母から、自由になりたかった。しかし本来、自由とは継続するある意識の状態を表現するひとつの言葉であって、低級なエゴに根を持つ破壊や逃避とは区別されねばならないのである。自由とは、調和そのものなのだから。 

 家族制度は愛という抽象の概念に特定の、また無作為のある対象をもたらすことでそれの具体化を促す、貴重な役割を果たしているといってよい。

母はわたしの母である前に、ひとつのたましいである。母がわたしの母であるということは、母にとってもわたしにとってもひとつの外観にすぎないのだ。単に母の存命を願うことは、わたしの信仰に照らしてみれば愚かしかった。母の存命を願うことのなかには、強烈なエゴ、乳臭いエゴが輝いていたからである。

 わたしの最も澄んだ愛は母を母としてではなく、ひとりのひと、ひとつのたましいとして捉えるときに訪れる。生と死の対立概念は消え去り、内省があらわれる。母の重体に際して、このたましいにとってふさわしいよいことがなされることを祈る祈りだけが、祈りとしての純粋さ、適切さを保つことをわたしは知っていたはずである。それでもなお激しさを増して、わたしは乳臭いエゴにしがみつかずにはおれなかった。母が死んだらわたしを襲うであろう、不自由とわびしさの様々の局面が次々と連想され、パノラマのように母の可愛らしい、おどけた笑顔がまぶしいばかりにわたしの脳裏いっぱいにひろがった。気違いじみた葛藤が何時間も続いてわたしは変になりそうだった。しかし、これほどまでに熾烈なエゴでさえも、薄っぺらな一枚の布切れにすぎない。なぜならそのようなエゴは究極の境地では、あられもなく姿をくらましてしまうからである。 

 母の悲惨さがピークに達し、母の精神も肉体も共に危機に晒されているのを目撃したときにわたしに起こったこと、それは味わいであって、言葉にはならない。どこまでもどこまでもわたしの内部を深く進んでいって、遂にわたしという人間を他の人間と区別するための何ものも残さない純白な一点。この一点に達しないまでには、決して、決して、わからないことがある。少なくとも、わたしには全くわかっていなかった。それ以前は、

他の者がいるよりもオレステスが不在である方が好ましい〔註7〕

エレクトラにすぎなかった。このとき初めてわたしは、C・トレモンタンの下記の信仰に関する美しい言葉を理解したのである。

 信仰とは心理学の領域に属するところの信念ではない。(……)信仰自体は霊的悟りであり、超自然的認識であって、霊によってわれわれに与えられるものである。愛とは感情的愛でもなく、心理学的諸動機または一つの気質によって説明される博愛でもない。それは感情でも情熱でもない。それは他の秩序――超自然的秩序に属している。
 希望は自然的楽観主義、幸運な気質から生まれるところの期待する能力、とは何の共通点もない。それは同様に超自然的な徳である。なぜならそれは霊的であるからである。それはあらゆる蹉跌と人間的孤独をこえて存続し続ける。〔註8〕

〔了〕   

註1 ヤッフェ編「ユング自伝」河合隼雄・藤綱昭・出井淑子訳、みすず書房、昭和38年
註2 「フランクル著作集1 夜と霧」霜山徳爾約、みすず書房、1961年
註3 当時父は外国航路の船員をしていて留守がちだったが、この時も容易には帰ってこられない状況にあった。
註4 おおえまさのり訳編「チベットの死者の書(バルド・ソドル)」講談社、昭和49年
註5 ヨハネ21・23「聖書 新改訳」日本聖書刊行会、昭和45年 
註6 責任編集・野田又夫「世界の名著27 デカルト」中央公論社、昭和53年
註7 シモーヌ・ヴェーユ著作集Ⅱ ある文明の苦悶――後期評論集――」橋本一明ほか訳、春秋社、1968年
註8 クロード・トレモンタン著「ヘブル思想の特質」西村俊昭訳、創文社、昭和38年

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

☆ 作者あとがき 

 『枕許からのレポート』は、現在中年のわたしが23歳のときに執筆した手記です。

 それを遡ること、当時は大学在学中でした。

 就職先もアパートも決まり、そのことを報告した翌日、腎臓病を患っていた母の体調がにわかに悪化し、自分で入院したかかりつけの個人病院にて倒れ、人事不省に陥りました。

 母の発病の頃に遡れば、わたしが中学1年生のとき、電話交換手をしていた母は職場検診で腎臓の異常が見つかり、佐賀市の県立病院への入院をすすめられました。が、父が船員で不在がちであるため、母は自宅から近いその個人病院に入院しました。入院期間は1年でした。

 母はその後退職し、腎臓病はかろうじて小康状態を保っているといったところでした。わたしが大学の卒業を控えていたとき、妹は大学受験を控えていました。

 母が入院した個人病院の医師からもはや重体で助かるかどうかわからないと告げられたときから、転院予定の国立病院のベッドが空くまでに経過した時間中は、絶体絶命のピンチといってよい状態にありました。

 国立病院に救急車で転院した後―――このあたりのことは手記にはあまり書いていませんが―――意識が戻った母は、完全に乳児の状態に返っていました。

 脳はそのまま回復しない可能性が高いといわれ、わたしは赤ん坊のようになった母を、まさに赤ん坊をあやすようにして看病しました。

 絶望感、赤ん坊に返った母の可愛らしさ、看病からくる疲労、おじゃんになった就職……そんなわたしの混乱状態の中で、母は薄紙を剥すように回復していきました。

 年齢を刻々と取り戻していく様は、不思議でした。3歳児のように悪戯っ子だったときの母のことは、今も忘れられません。あまりに手に負えない母を病院のベッドに縛りつけて、洗濯に行ったこともありました。憎らしくてそうしたわけではありません。

 点滴をむしりとろうとして、危なかったのです。実際、母は1度それに成功して、ベッドも何もかも、血だらけになったことがありました。完全看護といっても、家族の付き添いが当たり前の時代でした。

 まるひと月、わたしは病院に泊り込みましたが、母の脳が正常になってから、その後の回復は思ったより早く、病状が安定して退院するまでに要した日数は3ヶ月でした。

 国立病院の主治医は瞳の大きな、たっぷりした体格の優秀な医師でしたが、母の回復を奇跡だ、「こんなケースは、教科書にも載っていないよ」とおっしゃいました。

 国立大志望だった妹は母のことで動転し、受験を半ば失敗した格好で、福岡にある短大の国文科に進学しました。わたしは福岡での就職を諦め、バイトをしながら、自宅から病院まで車で片道30~40分かかる道を、母の通院にドライバーとして付き添いました。

 結婚するまでそんな生活が続きましたが、今は亡き母と過ごしたなつかしい日々でもあります。

 手記は、母が最も危なかった時期のわたしの葛藤、神秘的(?)な内省に焦点を絞って書いたものです。哲学や宗教に最も真摯に、深刻に向き合っていた若い頃の少し恥ずかしい、青臭い作品です。

続きを読む "手記『枕許からのレポート』"

|

2007年9月29日 (土)

更新のお知らせ

 ジュゲムブログ「マダムNの児童文学作品」に連載中の『不思議な接着剤』、更新致しました連載16へ)。

|

2007年9月28日 (金)

驚いたのなんのって!

 昨夜、何気なく自分の名を検索窓に打ち込んで、クリックしてみたのです。

 わたしは、ブログ以外で作品を発表するときには本名で行っているので、ときどき、そうやって、自分の作品に関する情報が漂っていないか、確認しているのですね。

 そして、わたしの目は、ある文学賞に早々と落選してしまった予選の結果とか、図書館だの記念館だのに寄贈された賞の発表誌やら同人雑誌やらに掲載された作品、新聞に投書した記事の情報などが、破れて風に吹かれるままになっているポスターさながら晒されているのを見たりします。

 でも、昨晩見た、自身の作品に関する情報には、驚いたのなんのって(@_@;)

 昔――平成4年に発行したわたしの個人誌が、何と、三康図書館にあることがわかったのです。

 個人誌といっても、そのざっくばらんさ、貧しさは半端ではありませんよ~。何しろ、束にしたコピー用紙をホッチキスで、ガチッガチッととめ、製本テープをベタベタッと貼り付けただけのシロモノですからね。

 ワープロで打って、そうやって何とか読めるだけのかたちにしたものを、友人知人に配っていたのです。現在当ブログに連載中の小説『あけぼの――邪馬台国物語』も、それに連載していたのです。

 そのうちのある号だけが、そこに眠っているらしくて、同人誌の蔵書検索に見ることができました。発行した住所も、発行者・編者として記載されている名前もわたしのものに間違いはありませんでした。

 引き出しをごそごそやって、その号を見つけ出しました。インタビュー記事が1編。寄稿していただいた、女性の評論が1編。男性2人の詩が1編ずつ。わたしの短編小説が2編(タイトルは『ジュピター』『茜の帳/付録:万子姫抄』)、わたしの俳句という構成です。32頁。

 どうして、それが、三康図書館にあるのでしょう? どなたかが図書館に寄贈を? そうでなければ、それがそこにあるはずもありませんが、あんなシロモノを、フツー、寄贈しますか?

 裸足で彷徨い歩いていた孤児にも等しいあの子を引き取っていただいたばかりか、請求番号、冠称まで振っていただくとは、絹の着物を着せていただいたような厚遇に、どう感謝の言葉を申し上げたらよいのか、わかりません。

 この出来事は、わたしの人生における七不思議の一つとなることでしょう。

財団法人三康文化研究所附属三康図書館
 〒105-0011東京都港区芝公園4-7-4 明照会館1F

 「東京タワーと向かい合った場所にある小さな私立図書館」とのことです。「見かけは小さくとも、約24万冊の蔵書は、古いものでは江戸期の版本・写本類から、明治以降の図書や雑誌、最近のものでは仏教関係の図書まで多岐に渡っています。研究者の方には言うまでもなく、昔読んだ懐かしい本や雑誌に再会したい方にとっても、実物に直接手を触れてご覧いただけるうれしい図書館です。また、お仕事やお勉強にもご利用できます。どうぞお気軽にご来館ください」とあります。

 いつか、東京に出かけたときには、ぜひとも、あの子に逢いに行かねばなりますまい。しかし、一体、どなたが、どんな成り行きで???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

容器が可愛いプリン

P9280005_3 昨日、職場の友人たちと久住高原に出かけた娘が、お土産に買ってきた『シエ・タニ』のプリンです。

 そこで、ケーキパイキングを堪能した娘。

 何と、6個も食べたとか。尤も、ケーキは小ぶりではあったようですが……。

 友人のひとりは、帰り道、車に酔ったとか。空きっ腹にケーキをたらふく詰め込んだために、気分が悪くなったようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月27日 (木)

父の問題 その十二:文学作品に見る精神障害者たち

 昨日――9月26日は、父夫婦が検察庁にわたしたち姉妹や親戚の人々のことを訴えに行くといっていた日だった。

 そのこともあって、ひどく気が滅入り、昨日一日、こちらまで狂い出しそうな気分に囚われていた。

 夜になって、次の文章を『マダムNの創作ノート』に綴った。

「父夫婦のことを考えれば、何をしていても、何を書こうとしても、空しい気持ちに囚われる。あの無機的な目を思い出すと……。
 人としての品位を失くしたあの間の抜けた、それでいて金属的鋭さのある表情がたまらない。
 狂人をうまく描いた小説があっただろうか? 狂人の心理に立って書かれた佳品はロシアの作家にいろいろとあるけれど。思い出せない」

 文学に馴染んできてよかった、とつくづく思う。

 ありがたいことに、わが国の呼びかたで、いわゆる純文学と称されてきたところの格調高い芸術作品の中には、崩壊しそうな心情のときに、理性に立ち返らせてくれたり、慰めをもたらしてくれたりするものが数多く存在するからだ。

 気持ちが落ち着いた今日、改めて、精神障害者を描いた文学作品を本棚から出してきて、頁をめくってみた。

 作者自らが狂っていきながら綴った、壮絶な作品というものも、文学界には多く存在する。

 それを考えれば、精神の障害に見舞われた人々というのは、いつも狂いっぱなしというわけではなく、その症状には大小の波があって、正気に返ったり、ひどくおかしくなったり、いくらか変であったりといった変化を繰り返しながら、だんだん、全ての人間がそうであるように死へと赴くのだろう。

 現に、調停1回目と2回目の父とでは、別人のような違いがあった。勿論、わたしが父のことを、保護の必要な人として見ているか、曲がりなりにも社会人として見ているかによっても見えかたは違ってくるのだろうが、それ以上に、父のほうにやはり変化を感じさせるものがあるのだとしか思えない。

 心情的にこちらに歩み寄り、いくらか――いくらかでも――わたしたちに心を開きかけた父、また母のことで正気に返ったかのような明晰な美しい光を目に宿らせた父と、わたしたちを金光りするように見える、傲慢な目つきで拒絶し、わたしたちをからかうかのように誹謗し、追い詰めることしか目論んでいないかに見えた父とでは……。

 大学時代から友人づきあいがある統合失調症の女性についても、大小の波を感じてきた。

 第2回目の調停のとき、父夫婦は、わたしたちを苦しめる奇矯なことばかりいって平然としている、文字通り狂った人々にしか見えなかったけれど、その症状に波があるのだとすれば、いい状態のときには、自分や自分たちの状態に得体の知れない怖ろしさを覚えたり、苦しんだりしていることもあるのではないかと想像されるのだ。

 精神疾患を病むもとで書かれた佳品に、ガルシンの『あかい花』(1883年)がある。この作品では、狂った人が精緻なまでによく描写されている。その一部分を、『あかい花』(神西清訳、岩波文庫、1937年)から引用してみたい。

 彼は癲狂院にいることを意識していた。自分が病気だということさえ意識していた。ときどきはあの最初の晩のように、終日の狂おしい運動のあとに来た静寂のさなかで、四肢のずきずきする鈍痛と、頭の恐ろしい重さとを感じながら、それでも完全に意識を取り戻して目ざめることがあった。

おそらく深夜の静寂と薄明かりのなかでは外界の印象が欠けていることと、またおそらくは目をさましたばかりの人間の脳髄の働きの鈍さが、そうした瞬間に自分の状態をはっきりと認めさせ、あたかも健全であるかのような相を呈させるのであろう。

しかし夜が明けると、さし入る光とともに、また病院の生活の目ざめととともに、またしてもさまざまの印象が大波をなして彼を取り囲むのだった。病んでいる脳髄はそれらの印象をも扱いかねて、彼はまたもや狂人になってしまうのだ。

彼の状態は、正しい判断と妄想との奇妙な混合物だった。

 そして主人公は、幻覚と狂った思考の中であかい罌粟の花が諸悪の根源だと断じる。その場面は、次のように描写されている。

あの燃えるようなあかい花に、世界のありとあらゆる悪が集まっていたのだ。彼は罌粟からは阿片の採れることを知っていた。おそらくはこの考えが枝葉をひろげ、異様な形をとって、すさまじい奇怪な幻影を彼に作り上げさせたのであろう。

彼の目にはその花は、ありとある悪のこり固まってできたものと映った。その花は、罪なくして流された人類の血を一滴もあまさず吸いとり(だからこそあんなに真紅なのである)、人類のあらゆる涙、あらゆる胆汁をも吸いとったのだ。

それは神秘な恐るべき存在であり、神の反対者であり、さも内気そうな無邪気そうなふりを装う暗黒神であった。

 彼は、病室の窓から見えるあかい罌粟の花を摘みとることに命を懸けることになるのだが、その間、医療従事者たちは次のような会話を交わしているのだった。

「暴力には訴えたくないものだが」と科長がその助手に言った。
「しかし先生、あの猛烈な運動だけはやめさせなければなりますまい。今日の体重は93フントでした。この調子でいくと、2日たてば死んでしまいます。」
 
科長は考え込んだ。――「モルヒネか? クロームか?」と半ば問うように言う。
「きのうはもうモルヒネもききませんでした。」
「縛れと言ってくれたまえ。だが僕は、まず助かるまいと思うよ。」

 このあと主人公は病室を抜け出して最後のあかい花を摘みとり、また自分の部屋へ戻ると、力尽きて寝床へ倒れて死ぬ。彼が花を摘みとろうとする瞬間の描写は、何ともいえないリリカルな美しさを放っている。

 彼は昇降口のそばの例の場所めがけて、ころぶように走って行った。罌粟は花弁を閉じて、露のおりた草の上にくっきりと浮き出しながら、小さな頭を黒ずませていた。

「最後のやつだ」と病人はささやいた、「最後のやつだ。きょうこそは勝つか死ぬかだ。だがもうおれにはどっちだって同じことだ。しばらくお待ちください」と彼は空を仰いで言った。「もうすぐにおそばへ参ります。」

 定めし、わたしたち姉妹は父夫婦にとって、ガルシンの小説の主人公にとってのあかい罌粟の花にも似た存在なのだろう。

 いやいや、それにしては、父夫婦はそれほど恐るべき存在であるはずのわたしたちに対して、ガルシンの主人公の半分の緊張感も畏怖の念も感じているようには見受けられず、感じられるのはただ自分たちのことばかり。

 精神を病んでいるといっても、この違いが病気の種類によるものなのか、その人の人柄、教養、思想などの反映によって狂いかたに違いが出てくるのか、わたしにはわからない。

 他にも、ゴーゴリの『狂人日記』とか、医師であり結核患者であったチェーホフの『黒衣の僧』などは、狂っている人の内面描写に長けた優れた作品なのではないかと思う。

 それから、わたしは父たちが2人ながらおかしいことに対する疑問が長いことあったのだが、第1回目の調停のときの看護師さんの、一方のおかしさが他方に影響を与えて2人ながら……というケースは案外あるという言葉に考えさせられるものがあった。

 第2回目の調停のあとで、父たちのことを考えれば考えるほど、わたしは自分まで狂い出しそうな恐怖を感じたりもしたから。

 チェーホフの『六号室』、ギリシア悲劇作家エウリピデスの『バッコスの信女』、西鶴の『好色五人女』などは、狂気が他者に与える影響をよく描いている。

 西鶴の『好色五人女』巻一では、濡れ衣を着せられて処刑された清十郎を想うあまり気が狂ったお夏の、その狂気に影響を受けた女たちのことが、こう描写されている。『対訳西鶴全集三 好色五人女・好色一代女』(麻生磯次・冨士照雄、明治書院、昭和49年)より、抜粋ご紹介したい。

皆々是をかなしく、さまざまとめてもやみがたく、間もなく泪ふりて、「むかひ通るは清十郎ではないか、笠がよく似たすげ笠が、やはんはゝ」のけらけら笑ひ、うるはしき姿、いつとなく取り乱して狂出ける。

有時は山里に行暮て、草の枕に夢をむすめば、其のまゝにつきづきの女もおのずから友みだれて、後は皆々乱人となりにけり。

 しかし、幸い、お夏はやがて正気に返り、出家して、よい尼僧になったのだった。

 わたしたち姉妹は、父夫婦から濡れ衣を着せられているといってもいいが、まさか検察庁にまで行くとは想像していなかった。これも、世の権威ある人々からあっちへ行け、こっちへ行けと回された結果だと思えば、複雑な心境になる。

 どうして、彼らは、ここでは解決してあげられないとだけ、いってくれないのだろう。それでも粘るほどのことは、父たちもしないだろうに。

 ところで、昨日わたしは新しいブログ「マダムNの神秘主義的作品」を立ち上げ、最初にご紹介する作品として『枕許からのレポート』という23歳のときに執筆した作品を連載し始めた。

 この作品は、父からかけられた濡れ衣のうちの一つを晴らす証拠となる作品だと自分では考えている。このことに関しては、そのうち別の記事で詳しく書くことにしたい。

 10年あまりもの間、父たちがあれこれいい立てることで、わたしたち姉妹の品位をどれほど傷つけ、心身を損なってきたことかを、正気に返らせて訴えられればどんなにいいことかと思う。

「父の問題」は、サイドバーのカテゴリーにあります。 

|

一昨日の夕飯(豚ヒレ肉とじゃがいものコロコロサラダ、もやしのからしあえ)

P9250123  一昨日の夕飯は、豚ヒレ肉とじゃがいものコロコロサラダ、もやしのからしあえ、トマトスープでした。

●○

続きを読む "一昨日の夕飯(豚ヒレ肉とじゃがいものコロコロサラダ、もやしのからしあえ)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

更新のお知らせ

 ジュゲムブログ「マダムNの児童文学作品」に連載中の『不思議な接着剤』、更新致しました連載15へ)。

| | トラックバック (0)

2007年9月26日 (水)

当ブログ以外のわたしのブログをご紹介

 すっかり子沢山となってしまった当母胎ブログですが、他のブログをご存知ないかたがたのために、トップページを写真でご紹介します。

 各ブログへは、サイドバーのリンク集「こちらへもどうぞ」からもご訪問いただけます。

P9260005  シーサーブログ『マダムNの夢日記』。
 
 睡眠中に見る夢を記録しています。まだほとんど解釈はおこなっていませんが、徐々に……と思っています。

□■

P9260002 ジュゲムブログ「マダムNの体調日記」。

 不整脈及び冠攣縮性狭心症、喘息などで通院生活を送っている中年女性として、日々の体調を記録しています。

 ブログペットのテーマに答えたりもしています。

□■
P9270020  ジュゲムブログ『マダムNの児童文学作品』。
 □
 自作の児童文学作品を紹介しています。現在連載している作品は『不思議な接着剤』です。
 □
 主人公は紘平という名の少年。別居中の父親の部屋で見つけた不思議な接着剤が様々な事件を惹き起こします。彼は、喘息持ちのひ弱な弟、幼馴染の少女瞳と一緒に遊んでいた電器店の倉庫の先に、不思議な接着剤で、いつかテレビで見た巨大な洞窟をくっつけてしまうのです。そこで彼らが出会うものは……。
 
 シリーズものとなる予定で、その構想を過去記事で簡単にご紹介しています(こちら)。
P9270017  忍者ブログ「マダムNの創作ノート」。
 
 創作に関する覚書です。エッセーの下書き、小説や童話の構想……純粋に自分のためのブログといっていいかもしれません。
 ペンで書くノートとは違って、自由に使いこなすにはまだ若干抵抗感がありますが、だんだんわたしにとってはなくてはならないものになるでしょう。
■□□
P9270015  ソネットブログ『マダムNの神秘主義的作品』。
 
 わたしの作品の中から、神秘主義的色彩の濃い作品を紹介していきます。
 
 『マダムNの児童文学作品』をジュゲムへ移したあと、しばらく空の状態でしたが、本日、上記ブログとしてスタートしました。『枕許からのレポート』という26年前に書いたエッセーを連載し始めたところです。

|

2007年9月25日 (火)

十五夜に寄せて

 毎日まだまだ暑くて、気分は夏なので、うっかりしてしまうところでしたが、今宵は十五夜ではありませんか。

 しっかり月を見なければ。。。空は白っぽいのですが、果たして綺麗に見えるでしょうか。

 陰暦8月15日、中秋の月――一年中でこの夜の月が一番美しいとされ、俳句では、十五夜、名月、明月、望月、満月、今日の月、月今宵、芋名月ともいわれます。

 月といえば、連想されるのは、物語のかぐや姫。以下は、『竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語 日本古典文学全集8』(小学館、1972年)からの抜粋です。

 この児のかたちのきよらなること世になく、屋の内は暗き所なく光満ちたり。翁、心悪しく苦しき時も、この子を見れば苦しきこともやみぬ。腹立たしきこともなぐさみけり。

 わたしなどには、この場面はオーラを表現したものだとしか思えませんが、何か、かぐや姫の高貴さがじかに伝わってくるような描写だと思います。

 かぐや姫が月に帰ろうとする前に、帝に宛ててしたためた歌がまたいいですね。こんな歌です。

今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでける。

 そして、天の羽衣を着せられたかぐや姫は、この世の思い煩いいっさいを忘れてしまいます。その場面は、こう描写されています。

(略)ふと天の羽衣うち着せたてまつれば、翁を、いとほし、かなしと思しつることも失せぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して、のぼりぬ。

 わたしは、昔、母が亡くなったときに、静謐となったその面を見て、思わずこの場面を思い出しました。

 死に顔には、そのような深々とした忘却を想わせる静けさと威厳がありますね。

 尤も、神秘主義観点からすれば、死んだばかりの人は必ずしも思い煩いいっさいが失せるというわけではないようですし、生まれたばかりの赤ん坊の顔が刻々と変化するように、死に顔もまた刻々と変化するものですが……。

 わたしには、かぐや姫は、人間なら誰にも備わっているはずの真心をシンボライズしたもののように想えるのです。神智学用語でいえばブッディ・マナス(高級自我)ですね。

 月に対するわたしの思いには、結構深いものがあります。というのも、幼い頃、電話交換手をしていた母が当直でいない夜は、窓から差し込んでくる月の光がお母さん代わりだったからです。

 ですから、わたしの作品には、どこかしらに月が顔を出してしまうほどです。その最たるものといえるエッセーはこちらです。

 つい、はしたなく、自己宣伝してしまいましたが、『かぐや姫』はどんな人物によって、そして、どんな動機で書かれたのでしょうか。謎であるところがまたいいですよね。

|

昨日の夕飯(さんまの塩焼き、れんこんとしらたきの煮物、長いものバターしょうゆ炒め)

P9250075  昨日の夕飯は、さんまの塩焼き、れんこんとしらたきの煮物、長いものバターしょうゆ炒め、小松菜と卵の吸い物でした。

■□

□■■

続きを読む "昨日の夕飯(さんまの塩焼き、れんこんとしらたきの煮物、長いものバターしょうゆ炒め)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月24日 (月)

安倍首相の記者会見

 テレビで、慶應大学病院における安倍首相の記者会見の模様を観た。

 お詫びの言葉を述べる安倍首相の顔つきは当然ながら冴えなかったが、黒ずんでいた顔色は明るみを加えて白くなっていた。徐々に健康を取り戻しつつあるのだろう。

 

| | トラックバック (0)

健康グッズ

P9220010 P9220011  手袋ならぬ足袋――アンダーソックスというそうですが――をご紹介。

 68歳になる叔母(父の妹)は、肌は艶々としていて、体は太らず痩せすぎず、血液も綺麗だそうで、本当に若々しくて綺麗です。

 でも、それは努力と工夫の賜物であるとか。

 毎朝1時間、ウオーキングをするそうですが、足にマメやタコができやすい彼女は、このアンダーソックスを靴下の下に履いて歩くそうです。足が疲れず、足の保護にいいといっていました。

 娘がさっそく、佐賀の玉屋で購入しました(余談ですが、昔の佐賀の中心街は寂れましたね~。妹が郊外に大型商業施設がどんどんできて、そうなったといっていましたが)。娘は書店で立ち仕事なので、足が疲れたり、タコができたりしやすいのです。

 翌日履いていった娘は帰宅後に、アンダーソックスの効果で、不思議なくらいに足が疲れなかったと報告しました。ただ指の間に物の挟まった違和感があり、ちょっとその部分が凝る気がするといいました。 〔24日夜の後日談:慣れたのか、指の間の違和感もなくなり、使用心地抜群、アンダーソックスをしていると全然足が痛くならないと娘はいいました。〕

 ウオーキングが挫折したわたし。もう一度、このアンダーソックスを履いてチャレンジしてみようかなあ。叔母は、ウオーキングを始める1時間前には起床して、バナナとか小型のパンなどで軽くおなかを満たし、心の準備をするそうです。

 う~ん、気構えが違いますねえ。精神的な張りも、健康の維持には必要なようです。わたしはビンビンに張りすぎているか緩んでいるかのどちらかだから、駄目なんでしょうね……。

 老いても美しく上品な叔母と話していると、幸福な気分に包まれます。わたしも叔母みたいに老いたいとつくづく思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近の夕飯から(カマスの干物)

P9200073 P9190046  またサボり気味の夕飯の記録ですが、これは最近のある日の夕飯です。

 カマスの干物、春雨の炒め物、冷やっこ、アボカドのスープでした。

★☆★

続きを読む "最近の夕飯から(カマスの干物)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月23日 (日)

父の問題 その十一:手のひらを返した調停委員たち

20070921114412 家庭裁判所の待合室には、玩具や絵本が置いてあります。子供がこうした場所へちょくちょく来ることもあるんだな――と思うと、胸が痛みました。

 父夫婦が申立人となって起こした調停は、わずか2回で打ち切られました。

 相手方のうち、佐賀県内の市役所に勤めている従兄は議会中ということで欠席。従兄の車に乗って来るのでなくては出席が無理な高齢の伯父も欠席せざるをえませんでした。

 従って、第2回目の調停の相手方として出席したのは、わたし、妹、叔母(父の妹)でした。

 父夫婦が2人一緒では、父が主導権を握って捲くし立て、それに奥さんがエールを送るの図になるのが関の山だと思ったので、わたしは奥さんだけと話したいと申し出ました。

 調停委員はそのように取り計ろうとしてくれたのですが、奥さんだけでは絶対に駄目だとの父夫婦。このまま不成立ということで、打ち切りにするか、2人一緒でもいいかと訊かれ、わたしたちはそれなら一緒でもいいといいました。

 父は調停室に入って来しな、フラフラとわたしの横に座ろうとしたのですね。ところが、ハッとしたように別の場所に腰かけた奥さんのほうを見て、そちらへ行って座りました。

 案の定、父は奥さんにいいところを見せようとして、語気を強めたり、鋭くしたりしながら、いいたい放題。無機的な目をして。奥さんも同じく無機的な目をしていました。

 欠席した従兄に対して、父は、しょっ引くぞだとか、目に物見せてくれるだとか息巻き、奥さんは、わたしたちそれぞれに詐欺罪と文書偽造罪と横領罪による3,500万円の損害賠償を請求するといいました。

 男性調停委員はあとでわたしたちに、奥さんに関していいました。「わたしは医者ではないから、個人的な感想にすぎませんが、あのかたは相当重症ではないでしょうか。あなたがたのお母さんがお亡くなりになった頃、あのかたはまだ全然あなたがたと出会ってもいなかったわけでしょう? それなのに、まるであなたがたの姉妹の1人として、お母さんが亡くなった場にも一緒に居合わせたかのような口ぶりでしたね」

 そう、わたしたちが母を殺し、父の殺害を企てているといったかと思うと、次の瞬間には父を人殺しに仕立てようとしているといったり、何年も前に高齢で亡くなった近所のおばさんと父ができていたといったり。

 そうした父が関わる変な話のとき、当の父はろくに聞いていない様子でした。

  奥さんが、わたしたち姉妹に「うちの人が死ぬときも、あなたがたには絶対に来てほしくない。財産を横取りされたくない」といったときも、父はそうそうと無邪気に同意していました。

 本当に父の頭が変だと思ったのは、妹宅に行ったときの話で、父が「穴倉みたいに真っ暗だった。おまけにガラクタだらけだった」といったことです。勿論、妹宅は一般的なものです。

 父夫婦にとってわたしたち姉妹は、神出鬼没で、この世の悪事という悪事に通ずる大魔人であるかのようです。

 わたしたちはもう言葉を返す気力も失せて押し黙り、ただ父たちのいうことに耳を傾けていました。ときどき、あまりのことに耐えかねて言葉を挟むと、それが父たちを喜ばせるようで、彼らは嬉々として盛り上がる始末。

 わたしは、昔クリスマスの頃に観た映画『グレムリン』を思い出していました。ハムスターに似た小怪物が暴れ回る映画です。

 調停は不成立ということで、今回で打ち切られることになり、父たちは帰って行きました。

 彼らが納得したと思いますか? いえいえ、そんな甘いことではなくて、何と父は検察庁に行ったというのです。

 検察庁が指定してきた今月の26日に、そこでわたしたちのことをいうつもりにしているため、もうこの調停のことはどうでもよくなっていたのであって、それで大人しく帰って行ったのでした。

 今度は検察庁かと思うと、本当に暗澹とした気持ちにさせられます。もう父たちを理解したいという思いすら失せました。

 妹は、「何も悪いことはしていないから、検察庁だろうとどこへだって行っていいよ」などと父にいっていましたけれど、一応法学部出で、冤罪のことなんかも資料漁りしたことのあるわたしとしては、どんなかたちであれ検察庁なんかとは関わり合いになりたくないという気持ちです。

 そして、今回の調停で何よりわたしが驚き、失望したのは、女性調停委員が、検察庁で話をするという父の気持ちに油をそそぐようなことをいったことでした。検察庁でよく話すようにと、励まさんばかり。

 わたしは前回ひじょうに親切で、時間を大幅に延長してまで相手をしてくれた彼女の真意を測りかねていたのですが、彼女は父たちが帰ったあとでいいました。

「このことわたしたちを訴えること)が、お父さんの仕事になっているのね。結局、どこでもこれまで迷惑だったろうと思うんですよね。弁護士事務所でも、司法書士事務所でも、どこででも。検察庁にしたってそうでしょうから、どうせ、相手にされないと思いますよ。どこでも、相手にできないから、わかったわかったといって、よそに回すんですよ」

 前回、父たちのよりよき今後につなげるために、医師を交える調停の場を設けてくれるといったはずの女性調停委員は、そして自分も同じことをなさったというわけです。

 わたしはそれはあんまりだという気がして、医師を交えるという話に期待していたといいました。が、医師の出てくる日と曜日が合わないからといって、2人の調停委員たちは、取り合ってくれませんでした。

 自分たちのほうから医師のことをいい出しておきながら。

 わたしは10年前から、父の奥さんが精神疾患ではないかと疑ってきたのです。それを父にいったことで父がわたしに態度を硬化させるという逆効果を招き、やがて父までもおかしくなっていきました。

 それでも、2人に診察を受けさせることができず、いつか他人に何かした場合でなくては行政的な強制手段がとれないというのですから、そこへ調停委員たちが医師の話を持ち出せば、そのことに期待をかけないはずがないではありませんか。

 だいたい今回は調停の初めから、彼らは何か手のひらを返したようなそっけなさで、早くこの件を終らせたいといわんばかりだったのです。前回時間を食った分を取り返したいとでも思っているかのようでした。

 その原因をつくったのは、おそらくこの件をプロデュースした書記官であるだろうと思っています。なぜなら、彼は前回、同席していた間、しきりに溜息をついていましたから。

 あとで、その書記官に父の初印象を伺いましたが、彼は「何をいっているのか、さっぱりわからなかった。だけど、調停を希望されれば、受け付けないわけにはいきませんからね」といいました。

 この日他にもうちと似たようなケースの調停がいくつか行われていたというでもありましたから、前回の調停のあとでおそらく、書記官と調停委員たちのあいだで、この件を早く終らせることに取り決めがなされたのでしょう。

 裁判所側の事情はわかります。それでも、権威を持って呼びつけておきながら、あの態度は全くひどいなという気がしました。

 でも、この際訊いておけることは訊いておこうと思い、わたしは女性調停委員に、「もし父たちが2人とも精神疾患であることがはっきりした場合、子供としてわたしたちはどうすればいいのでしょうか? どこまで関わる義務がありますか?」

 彼女はちょっと考え込み、答えてくれました。「その場合は、保健所の管轄になります」

 また書記官に、この、父夫婦が申立人となった調停について、今父たちのことでお世話になっている福祉関係者に電話で話して貰うとか、一筆書いて貰うことはできないかと訊いてみました。

 というのも、福祉関係者には妹が一方的に父たちの情報をもたらしただけで、第三者からの情報というものが欠けているからです。

 それはできないとの書記官の言葉でした。ただ、「親族間の紛争調整申立事件」「不成立」と書いただけの証明書でしたら、出せるそうです。

 父夫婦は元気いっぱいで、意気揚々と帰っていきました。父が起こした調停の相手方を務めたわたしたち姉妹と叔母は、げっそりとしてそれぞれの帰途につきました。父の問題 その十二へ)

 

 写真は、佐賀駅前に立って撮りました。

「父の問題」は、サイドバーのカテゴリーにあります。  

|

福田康夫氏が自民党新総裁に

 自民党新総裁に福田康夫氏が選出された。

 議員票は福田氏が254、麻生氏が132。地方票は福田氏が76票、麻生氏が65票。計は福田氏が330、麻生氏が197という結果だった。

 福田康夫新総裁の任期は、退陣する安倍首相の残りの任期で、2009年9月までの2年間となる。

| | トラックバック (1)

2007年9月21日 (金)

父の問題 その十:匙を投げられました

20070921114004_5  調停は、不成立に終わりました。

 あまりに父夫婦が支離滅裂なので、これ以上調停を続ける意味がないとの家庭裁判所側の判断でした。
 雰囲気としては、匙を投げられた恰好です。
 わたしたちの信用に関わる事態となった場合、逆にこちらが名誉毀損で訴えることもできるそうですが、また不成立に終わる可能性大だとか。もし訴える場合は、相手方の居住地の家庭裁判所になるそうです。

 あとで書記官から伺ったところでは、この日いくつか行われていた調停は、どれもうちと似たり寄ったりのケースだとか。認知症を疑われる申立人と、親戚一同困らされて何とかしてくれと訴える人たち。
うちが特異なのは、おかしいのが2人というところだそうです。

 実は、この先もっと大変な事態が待ち受けていそうなのですが、それは帰宅後に。

 これとは別に、妹の健康状態が心配になりました。喉のあたりが、腫れぼったく見えるのですね。バセドウ病だったらいけないから、医者に診せるようにいいました。
                                                                           父の問題 その十一へ)

 

 写真は、佐賀駅構内で撮影したものです。

「父の問題」は、サイドバーのカテゴリーにあります。 

|

博多駅で見た珍しいもの

博多駅で見た珍しいもの
 お掃除の車です。

 車の前の右足がモップになっているのが、わかりますか?
 可愛い音楽と共に、お掃除のメンテナンス車は走っていました。
おじさんは、わざわざ止まって写させてくださいました。ありがとうございました。

 これから佐賀に向かいます。妹と待ち合わせて、裁判所〜!

| | コメント (0)

ウサギがお客さん?

 そろそろチェックアウトしようかな、といったところです。
 今回の博多滞在で印象的だったのは、ホテル近くのコンビニにチョコ菓子『ブラックサンダー』の大袋入りがあったこと。断然お得と思いましたが、あれはたまに1個ずつ買うのがいいような気も。
 もうひとつ印象的というか不思議だったのは、朝食のバイキングで見た人参。
野菜スティックというにはデカすぎる(2つ割りではなかったか)人参が沢山器に置かれていたこと。有機野菜――としてあった気がします。
 誰かあの人参をポリポリかじっている人がいないかと、はしたなくキョロキョロしましたが、わたしがいた間はいませんでした。
 あれは、ウサギのお客さんのために用意されたものかもしれません。
 今日の博多は暑そうです。写真はエレベーターの天井。

| | コメント (0)

体調不良

 もう7時。起きなくてはならないが、夜中に喘息の発作が起きたりして、あまり眠れなかった。
 風呂に入るときにニトロのテープをはがしたせいか、心臓の具合もパッとしない。
さっさとテープを貼ればよさそうなものだが、はれば貼ったで、どこかしら疲れる。列車に乗るまで、貼りたくない。
 昨日久しぶりに痛んだ左脚の関節が、今日歩けばまた痛くなりそうだ。昨日、五十肩のせいで、ワンピースの左脇のファスナーがうまく上がらなかったことなども思い出され、不愉快。
 昨日は弱いカクテルに酔ってハイになり、元気いっぱいだったが、夜中から今朝にかけて反動が出た感じ。しゃーない。ファイトで行くぞ〜。
 こんなテーブルがあるので、ここなら籠もって原稿が書けそう。なあんて、いってみただけよ。

| | コメント (0)

博多〜!

博多〜!
 博多駅からすぐのホテル日航福岡に、落ち着いたところです。

 ニトロのテープを貼っていたお陰か、心臓には何の異常もありませんでした。めまいは、薬を飲んでいても起きました。が、心臓の調子がいいので、疲れはあっても、今は普通の人とそれほど変わりない状態だと思います。

 バーで、リキュールを苺ミルクで割ったカクテルを飲みました。ピアノ演奏があっていて1,360円とられましたが、あれはもう一つでした。

 このまま遊んでいられれば最高ですが、明日(いやもう今日でした)は裁判所 (絶句)。あれから父たちの様子はどうなのか、奥さんはどんな訴えを提示してくるのか、いろいろと考えていると頭が痛くなるので、風呂に入って寝ます。寝つけるかしら。

 写真は、博多駅前で撮りました。

| | コメント (0)

2007年9月20日 (木)

スウェーデンの国民作家、リンドグレーン~『マダムNの創作ノート』から

 リンドグレーンはいわゆる国民作家だった。彼女のことを調べるまでは、スウェーデンでそれほど大きな存在だとは知らなかった。

 読む以前に、スウェーデンの子供たちは映画や歌を通して、リンドグレーンに馴染むらしい。グッズがあり、テーマパークや病院もある。

 リンドグレーンの生誕100周年記念を特集した月刊誌『MOE 9月記号』(2007年、白泉社)には、次のように書かれている。

 
アストリッドは歳をとって目が悪くなって物語を書けなくなってからも長い間ずっと社会のオピニオン・リーダーでした。そしてスウェーデン中の人々が、偉い政治家をやっつける皺だらけの顔をした小さな「物語おばあさん」の快挙に大きな拍手を送ったのでした。

 文壇デビューが比較的遅かったので、人々には「物語おばさん」あるいは「物語おばあさん」としてのイメージが定着していました。「物語おばあさん」はスウェーデンの良識とユーモアの代弁者として絶大な人気者だったのです。


 「物語おばあさん」だなんて、何て素敵な響きなのだろう。国民的祖母といえる存在でもあったのだろう。

 日本人がかつて、このような存在を持ったことがあっただろうか。歌謡曲の分野では幸せなことに、美空ひばりという国民的歌手の存在があった。だが、文学の分野では? 

 紙幣になった夏目漱石、樋口一葉、紫式部は、どうか?

 国民と共に生きるには、夏目漱石は精神的に脆弱すぎた。樋口一葉は早く死にすぎた。紫式部は昔の人すぎる。

 児童文学の分野になると、もっと頼りないことになってしまう。

  赤い鳥運動の中から優れた童話作家や北原白秋のような人も出たが、もう一つだった。宮沢賢治なども、いい線いっていたと思うが、今一歩だったか。この人も早く死にすぎたし。

 わたしは少女の頃、松谷みよ子に期待をかけていたのだが、何かあらぬ方向(などと女史の民話の蒐集やお化けに対するアプローチをいってしまっては、いけないのだろうが)へ行ってしまわれた。

 松谷みよ子にファンレターを書いたのは、中学生のときだったか、高校生のときだったか。童話作家になりたい、とでも書いたのか、自筆で「がんばってください」と書かれたお返事の絵葉書は、実家の押入れに運がよければ(父に捨てられていなければ)今もあるはずだ。

 リンドグレーンの童話は、今の日本の児童文学作品には見出せないような深い闇を孕んでいる。光と影があり、様々な濃淡の影が舞台裏を支えて、豊かな光を前面に押し出している。

 リンドグレーンの童話のうちに偏在する馨しい光は、いわば、トレモンタンが『ヘブル思想の特質』(西村俊昭訳、創文社、昭和38年)の中で、下記のように述べた類のものだ。

 信仰とは心理学の領域に属するところの信念ではない。(略)信仰自体は霊的悟りであり、超自然的認識であって、霊によってわれわれに与えられるものである。

 愛とは感情的愛でもなく、心理学的諸動機または一つの気質によって説明される博愛でもない。それは感情でも情愛でも情熱でもない。それは他の秩序――霊的、超自然的秩序に属している。

 希望は自然的楽観主義、幸運な気質から生まれるところの期待する能力、とは何の共通点もない。それは同様に超自然的な徳である。なぜならそれは霊的であるからである。

 
それはあらゆる蹉跌と人間的孤独をこえて存続し続ける。


 わたしは信仰者ではなく、神智学徒なので、信仰者でなくとも、このようなタイプの愛と希望に浴することができると思っているのだが、神智学徒らしい表現に翻訳して、超自然的という言葉をブッディ的、そうでないものをカーマ(欲望)的といい換えたい。

 ご紹介すれば、神智学ではこの区別を、H・P・ブラヴァツキー著『実践的オカルルティズム』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポンロッジ、平成7年)の「用語解説」で、次のように解説している。

 
マナス:人間の心、知性、マインド。
 
 マナスは二重であり、高級マナス即ちブッディ・マナスと、低級マナス即ちカーマ・マナスからなっている。

 高級マナス=高級自我は本質的に宇宙と一体であり、神聖なものである。低級マナス=人格我または低級自我は高級マナスの光線であり、この世で働くものとして動物的及び自己中心的な要素もある。マナスは、第五本質、内なる人間、人間魂ともいう。


 『ハリー・ポッター』シリーズは人気があるが、残念ながらわたしには、ブッディ的要素は見出せなかった。粗悪な印象を受けた。厳密には、芸術作品という意味での児童文学作品とはいえないとわたしは思っている。

 そうした厳密な意味で分類するなら、児童文学作品はこの世にそれほど多いとはいえなくなる。そして、そうした作品のみが糧となりうるとわたしは考えている。それ以外のものは、いい気晴らしにはなるかもしれない。

 児童文学の分野で輝かしいのは、何といってもジョージ・マクドナルドだろう。神秘主義的すぎる嫌いがあるほどだ。リンドグレーンも輝かしい。

|

2007年9月19日 (水)

今ハマっているチーズ

P9190037_2  夫とふたり、ちょっとハマっているデンマークのチーズ、マリボー。

「デンマークの代表的なチーズ」で「小さな無数の穴があり」、「生きた乳酸菌が含まれている」と解説されています。

  ナチュラルチーズですが、お乳が優しく香る感じで、何ともいえません。

| | コメント (0)

本日の俳句鑑賞」再び⑦:これまでに紹介した俳句(07.7.1~8.31)

プロローグへ/「本日の俳句鑑賞」再び①へ)

続きを読む "本日の俳句鑑賞」再び⑦:これまでに紹介した俳句(07.7.1~8.31)"

| | トラックバック (0)

パール・バック著『神の火を統御せよ』の監修者、丸田浩氏から届いた補足説明をご紹介

 パール・バック著『神の火を統御せよ』の感想を16日付の記事に書きましたが、それに対して、監修者、丸田浩氏から補足説明(8月7日に書評者に宛てて書かれたもの)をメールで頂戴しました。

 貴重な一文と思われますので、ここに謹んでご紹介します。

訳本「Command the Morning」の書評/読後感を大変ありがとうございました!
〔以下は、書評者に宛てられたものです。〕

さて、以下は、再版に補足として、付け加える予定の一文です。
「ジェーン」のモデルになった人物 (ジョアン・ヒントン)は全く奇遇にも、共同研究のため、私がこの夏3カ月滞在していた(ボルチモアにあるメリーランド 大学薬学部の)羅遠(ルオ・ユアン)教授(北京出身)の古い知り合いでした。 ジョアンの娘カレンとユアンは北京で大学時代、なんと「ルームメート」だったそうです。この世は意外に狭いものです。

補足:
これまでの通説、つまり「マンハッタン計画には、女性科学者は一人も関与して いなかった」という理解に基づいて、解説では、この小説に登場するヒロ イン、ジェーン・アールは、著者パール・バックが意図的に挿入した「架空の人 物」であると述べた。しかしながら、この邦訳が出版された直後に、朝日新聞の 菅野俊秀氏から、その通説を破る大変面白い貴重な情報を得た。実は、この原爆 開発計画には、(エンリコ・フェルミの弟子である)ジョアン・ヒントンという 女性物理学者が参加していたことが、数年前に明らかになっていた(詳しくは、 朝日新聞の2000年9月21日の夕刊に掲載された記事を参照されたし)。
彼女(当時24歳)は、1945年7月16日の「ゼロ地点」での(史上初の) 原爆実験に立ち会っていた。その3週間後に、広島と長崎に原爆が米国政府により投下されて、多数の日本市民が無差別的に地獄の苦しみを味わったのを知って、 酷いショックを受け、ロス・アラモスの原子力研究所を直ちに立ち去ったばかりではなく、科学すること自身に疑問を感じ始め、戦後間もなく(1948年に)
米国を後にして、中国大陸に渡リ、僻地で酪農業にたずさわりながら、毛沢東の人民解放戦線に加った。毛沢東の死後、北京の郊外で夫と共に酪農業を続けていた。2003年に夫が他界後も、独りで酪農業を続け、現在85歳ながら(反核)平和運動のために精力的に活動している。
彼女は今でも「(降伏寸前だった)日本に原爆を落とす必要は全くなかった」と確信している。従って、彼女がこの小説で「日本への原爆の使用に反対する70名の科学者による嘆願書」に署名した良心的な科学者「ジェーン」のモデルになっている可能性が極めて高い。

2007年8月7日、 米国ボルチモアより     丸田 浩 (監修者)

| | トラックバック (0)

2007年9月18日 (火)

ひとりごと

 体に黴が生えそうに湿気たっぷりの日々が続いたが、今日は日中、日差しが強いながら、秋を感じさせる透明感が大気にあり、心地よい。

 杉田久女の「秋来ぬとサファイア色の小鰺買ふ」という句がようやく違和感なく入ってくるようになった。今年ほど、季語がそぐわない感じを受けた年はこれまでになかった。

 ずいぶん俳句の紹介をサボってしまっているが、言い訳としては、上記したようなことで、秋の句を紹介したい気分が出なかったということがあった。

 勿論、小説を賞に応募するためにブランクができてしまった、ということが第一の原因としてあるのだけれど……。

 秋らしい雰囲気が出てきたとなると、わたしも、賞応募の疲れや期待感をいつまでも引き摺っているわけにはいかないという心境になってきた。

 賞に関していえば、傾向から考えて、全く勝算がないことははっきりしている。この夢などは落選を暗に物語っているのではないだろうか。

 まあ、この夢などはどうともとれるが、そのうち、シーサーブログの『マダムNの夢日記』に、過去の賞応募において、結果を予知していた(としか思えない)しびあな夢を沢山ピックアップしてご紹介したいと考えている。

 落選するに決まっている作品をどうするか、考えなくてはならない。別の賞に応募するか、同人雑誌に掲載して貰うか。ああ、嫌だ。まだ考えたくない。

 創作に没頭しているときが、つくづく華だ。あとに待っているのは、灰色の荒地か、黄色い砂漠……砂漠といえば、ベランダのサボテンが盛んに伸びている。そのうち写真に撮ってお見せしたい。

 話は変わるが、木・金曜日の外出が億劫だ。乗り物にひどく弱くなったし、必ず狭心症の発作は出るし。娘が付き添ってくれるのはありがたい。

 この調停のために(関連記事:サイドバーにある『父の問題』をクリックしてご覧ください)、娘の8月の5連休に一緒にどこかへ行くつもりが駄目になった。金銭的にも。

 それで、せめてもと、ホテルは泊まりたいシティホテルを選んで、前日の夜を楽しむことにしている。JTBで予約すれば、安く泊まれるのが嬉しい。意外なのは、老舗クラスのホテル。今は人気が落ちているのか、それほど高くない。

 時期にもよるのだろうか。タクシーの運転手さんによると、何でも、博多はひと頃、ホテルラッシュだったそうだ。祭りなどの行事があるときはそれでも足りないそうだが、普段は閑古鳥の鳴いているホテルも多いという。

 今度もまたホテルレポートするつもり(前回泊まったここはよかったが、それとは別に、5月の娘の連休に遊びに行ったときに泊まったあそこもとてもよかった)。

 でも、博多経由で佐賀に行く程度でさえ、用心に用心を重ねて行かなければならないとは、つくづく情けない。老人並みだ。2年半前に東京に遊びに行ったときは、ここまでしんどくはなかった。

 あのとき、いっそフランスとイタリアに行こうかと考えもしたのだが、無理にでも決行してしまえばよかった。

 海外旅行は、わたしには夢で終るのだろうか。周りの人々は、大抵どこかへ行っているのに。妹はグアムに行ったし、夫は会社の視察旅行でだが、ロスとダラスとアトランタに行った。友人たちも、どこかしらには行っている。

 30代の頃、インドに友人とタージ・マハルを見に行こうとする直前に、夫に邪魔をされたのが、つくづく悔しい(このブログで同じことを何回か書いた気がする)。

 この体を何とか丈夫にして、バルザックの『谷間の百合』の舞台となった場所へ行きたい。インドへ一緒に行くはずだった友人が、フランスなら、場所にもよるだろうが、ツアーでなくても大丈夫だといっていた。

 服部レシピで血液が綺麗になっていることだし、地道に頑張ろう。そして、賞に落ちても、めげずに、自らの信じる創作の道を歩もう。いつか報われるときを信じて。あの世でかもしれないけれどね。

 何だか自らを慰めるだけの、みっともない「ひとりごと」になってしまった。うつっぽいけど、わたしは幸いうつ病ではない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年9月17日 (月)

昨日の夕飯(白身魚のしそ焼き)

P9160052 P9160030_2 昨日の夕飯は、白身魚のしそ焼き、ピーマンとアンチョビのサラダ、さつまいものきんぴら風、焼き厚揚げ、キャベツと大根の味噌汁でした。

       Oth_pen47

◆◇◆

続きを読む "昨日の夕飯(白身魚のしそ焼き)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近の夕飯から(いんげんとさやえんどうのおかか炒め)

P9130021 また最近、夕飯の記事のアップを怠りがちですが、簡単にできて美味しい、『いんげんとさやえんどうのおかか炒め』を、『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)からご紹介したいと思います。

■■□

続きを読む "最近の夕飯から(いんげんとさやえんどうのおかか炒め)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月16日 (日)

パール・バック著『神の火を制御せよ』(径書房)を読んで

 娘がパール・バック著『神の火を制御せよ』(丸太浩監修、小林政子訳、径書房、2007年)を買った。

 原爆開発に女性が加わっていたら、という想定のもとに書かれているが、この描きかただと、特に女性でなくても、人道主義的な男性でもよかった気がする。

 スケールが大きく、かつ大味のパール・バックらしい、どちらかというと大衆小説的な描きかたではあるが、彼女らしい骨格がしっかりとした作品となっている。

 この本では、軍事的に優位に立つための核開発――という政治的動機がつくり出した一連の流れが無駄のない筆致で描かれており、その先にごく自然なかたちで広島、長崎の悲劇がくる構成になっているところはさすがだ。

「原爆投下は、戦争終結を速めるためのものだった」などという、アメリカ側の謳い文句が、その流れの中では如何にそぐわないものであるかがわかる。

 ただ、実験中に被爆する技師の描写などに関していえば、放射能汚染ということについて、当時、彼女はよく理解できていなかったようにも思える。今ほど資料も得られなかっただろうから、無理もないが――
 
 勿論被爆した技師は悲惨な様で死んでいくのだが、その事故に関しては彼ひとりが犠牲になってお仕舞いという感じで、そんなものではないだろうと思わざるをえない。

 パールバックにこのような著書があるとは、全く知らなかった。現に、邦訳はこれが初めてらしい。パールバックはこのような原爆を疑問視する著書をものにしたにとどまらず、社会的な活動に結実させたのだそうだ。


 出版後間もなく、英文原書はベストセラーになり、多くの欧州諸国で翻訳出版されたという。

 原爆について何も知らずにこの著書を読んだ場合、健康的な反核意識が育まれるに違いない。が、反面、核の怖さ自体に関しては、何かアメリカのパニック映画に出てくる類の平板な恐怖感しか与ええないかもしれないという若干の危惧も残る。

 内面的な突っ込みが不足しているのと、五感領域の描写が不足しているからだろう。それは仕方がないのかもしれないが。

 子供の頃お世話になった家政婦のおばさんは、長崎への原爆投下後、汽車で運ばれてきた負傷者の看護に婦人会から行かされたという。

 学校の講堂に寝かされた負傷者たちの傷がどんな風に崩れていくか、膿の臭いがどんなふうか、蛆がどんな涌きかたをするか、「水、水」と呻く声がどんなだったかを、嫌というほど聞かせてくれた。

 当のおばさんは淡々と話すだけなのだが、話が長くなるとうわ言にも聴こえてきて、何しろリアルだった。お蔭で、人生が暗くなった気がするが、原爆というものの怖さを植えつけてくれた。

 そういえば、新しく出た同人雑誌に、わたしより少し若い男性の同人が爆撃を題材にした戦争小説を書いている。

 体験者に取材して書いた作品のようだ。ざっと読んだところでは、何ともいえない。映像的描写や雰囲気づくりなど、効果的すぎるところが、不自然さをつくり出している嫌いがないではない。

 とはいえ、意欲作というべきだ。

 ところで、これは余談だが、蛆は傷の修復に役立つ虫だそうで、治療用の蛆を糖尿病患者の壊疽に役立てる研究が進められていると前に新聞で読んだ。

神の火を制御せよ』の監修者、丸田浩氏から補足説明のメールをいただいた(こちら)。

| | トラックバック (0)

ひとりごと

 夕方、統合失調症を煩っている友人(大学時代の文芸部の先輩で、すばらしい詩がある。関連記事はこちら)から電話があり、唐突に「才女Nという詩の、『彼女は走っていた』を『走っている』に訂正してください」という事務的な口調で、事務的な用件。

 う~ん、体調、よくないみたいだなあ。体調が悪くなると、平凡極まりないわたしを才女に仕立てた詩を書く癖が彼女にはある。

 いつもであれば、礼儀正しい彼女であるのに、いきなり、こういったかと思うと、何か話しかけたわたしを遮り、「わかりました? 訂正箇所……」と、いくらか苛立たしげ。

 ファックスで自作の詩を送ったそうだが、届いていない。ファックスの調子が悪いことを伝えたが、「うちのもそうよ」といったなり、彼女の頭の中ではもう詩がわたしに届いた設定になっていて、当然わたしはそれを読んだことになっている。

 届いていないことを再度伝えるが、聞いているようないないような……。大丈夫かしら。このような季節の変わり目に、彼女の病状は悪くなりがちだ。

 今週の金曜日にも、2人のおかしい人に会わなきゃならない。今日のように雨降りのだるい日には、何だか、彼女の惑乱したような内容の電話がこたえる。

 娘に、「心を病んでいる人の保母さんみたいだ」といわれたことがあり、それがわたしの処世術でもあり、限界でもあるのだろう。 

続きを読む "ひとりごと"

| | トラックバック (0)

ティールームのヘルシーメニュー

 昨日の夕飯は、娘とティールームで、ヘルシーと謳ってあった料理を頼みました。
 写っていない部分に、グリーンサラダがあります。
 大根を厚めの輪切りにして煮、大豆などの入ったトマトソースをかけたもの。
 その横に、円い大きめのパイが2枚立てかけてありました。
 とろみのある白いスープには、ごく薄いパイ(?)と温泉卵がのっていて、上からぱらぱらと極細に切って油で揚げたゴボウがかかっています(このゴボウが美味しいのです!)。
 リンゴのジャムをかけたヨーグルトには、スライスした葡萄(この葡萄の断片がまた美味しくて、ほんの僅かしかないところが、心憎い)、かたく焼いた細長いクッキー(?)。
 これに、紅茶またはコーヒーがついていました。
 
 おなかがいっぱいになりましたが、ケーキを一緒に頼んでしまった娘は、頑張って食べていましたよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月15日 (土)

総裁選

 もともと小派閥出身で、孤立しやすい麻生氏だったとはいえ、他派閥がここまで福田氏へと雪崩現象を起こすとは(絶句)。

 何だか政界の舞台裏を垣間見たような怖ろしさがあった。森氏あたりが動いたのだろうか。息子はそういう。

 庶民で、主婦のわたしとしては、何よりこれからの生活が気にかかるところだ。小泉、安倍と、庶民に対する搾取に次ぐ搾取が続いた。

 庶民の生活ということから考えると、タカ派の麻生氏よりもハト派の福田氏のほうがまだ希望が持てそうな気もするが、どちらもどちらという気がしないでもない。

 外交は福田氏が選ばれた場合だと、アメリカべったりというよりは、彼が父親に学んだアジアにも目を向けたものとなるのではないだろうか。

 福田氏ということになると、民主党にとっては痛手だろう。フニャフニャとして手応えのない福田氏相手だと解散、総選挙に追い込みにくくなる。そうなると、小沢氏のパッとしない健康状態から考えて、政権交代の機会はなくなるかもしれない。

 息子は、短期間であれば民主党に政権をとってほしいという。そうでないと、このままでは民主党内の優秀な人材が埋もれたままで終るからだとの考え。わたしは、短期間であったとしても、ひどくバラバラな印象の民主党に政権が渡るのは怖い。

 血筋からいえば、どちらも輝かしい。吉田茂を祖父にもつ麻生氏、首相も務めたが何より大蔵大臣としての手腕が光った福田赳夫を父にもつ福田氏。

 今、吉田茂と福田赳夫がこの世にいてくれたらなあ。。。

 これは余談だが、福岡県飯塚市にある病院で、幼かった息子は命をとりとめて貰ったことがあった。

 当時、小児喘息だった息子を、かかりつけの小児科医に連れて行き、心配ないといわれて帰宅した。だが、どうも様子がおかしい。重症だという気がして仕方がなかった。

 夜になって、夜間診療を行っている隣の市の飯塚市にある病院へ車で駆け込んだ。すると、担当してくれた女医さんから、もう少し遅ければ、危なかったといわれた。息子は肺炎だった。

 ひと月間、入院した息子に付き添ったが、そのときに同室の子供のおかあさんから、そこが政治家、浅生太郎氏関係の病院だと教わった。

 そんなことから、麻生氏をテレビで拝見すると、わたしは独特の情感が湧くし、政治抜きで人物の好みという点からいうと、実はどちらもわたし好みなのだ。庶民の人気者だった小泉氏は、わたしの好みからいうとはっきりブー! あのいつも笑っているような変な目が嫌。

 占星術でいうと、麻生氏は1940年9月20日生まれだから、乙女座だ。安倍氏も確か、乙女座ではなかったか。福田氏は1936年7月16日だから蟹座(おお蟹座! 夫と1日違いというところがひっかかる……)。

 あとで両氏のホロスコープを作成してみよう。ああ話がすっかり横道に逸れてしまった。

|

2007年9月14日 (金)

増えたブログたちの世話が大変

 ブログの整理をつけるために、だんだん増やして6つになったのはいいが、ひとりっ子が6人きょうだいになったからといって、産みっぱなしというわけにはいかないだろう。

 そう思って、まだ使い道を考えていない『マダムNのフリーノート』、既に登録済みの当ブログと『マダムNの夢日記』をのぞいて、他の子どもたちも「サーチエンジン一発登録・一発太郎」に登録することにした。

 これに登録するのとしないのとでは、訪問者の数が違う気がする。ランキング参加などが面倒なわたしは、それ以外の方法で、なるべく沢山のかたがたに来ていただく方法を考えることになるのだ。

 やはり、まずはこの一発太郎かなと思った。Ping一括送信サービスの「Pingoo! 」なども便利な気がしている。

 で、久しぶりに一発太郎に3つのブログを登録したわけだけれど(ネットアイランドに、サーチ女史……なつかしかった!)、これが案外記入欄が多くて、作業を完了したときはヘロヘロになってしまった。。。

 アクセス解析もどの子にも、と思い、「AccessAnalyzer」にしようかと思ったが、比較のためにも別のサービスはどうだろうと考え、「i2i」のアクセス解析サービスを利用してみることにした。

 これがなかなかいい。結局どの子にもAccessAnalyzerとi2iをつけた。どの子にも、入浴させて、服を着せ、櫛で髪を撫でつけてやったといったところだろうか。でも、ご訪問くださるかたがたにとっては、左上方に出てくる怪しげな忍びのやつらが不気味かも。。。

 当ブログのアクセス解析は、何と昨日の分はAccessAnalyzerとi2iで一致し、訪問者のユニーク人数はどちらも125人だった。たまたま一致しただけなのかもかもしれないけれど。他の新しい子どもたちのところは、まだ訪問者があるかないか、といったところ。

 当ブログに次いで古い夢日記には、案外訪問者がある。夢に興味のある人が多いのか、Seesaaあるいは一発太郎のお蔭か、単に古いからか。

 このココログブログのいいところは、新着記事の紹介がわかりやすくて、充実しているところだろう。そのお蔭で、当ブログの訪問者数が安定していることは間違いない。

 そんなこんなで、ブログの子たちにかまけているうちに、日が暮れてしまった。今日の予定はサボりまくっている俳句紹介をまとめて記事にするはずだったのに。。。

| | トラックバック (0)

一昨日の夕飯(鶏肉のココナッツミルク煮)

P9120038 P9120019  一昨日の夕飯は、鶏肉のココナッツミルク煮、きゅうりと五目揚げのサラダ、春雨スープでした。

●○

○○●

続きを読む "一昨日の夕飯(鶏肉のココナッツミルク煮)"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年9月13日 (木)

童話『不思議な接着剤』の続編~構想を少しだけ(NINJAブログ「創作ノート」から)

 朝、『不思議な接着剤』の連載14回目を公開しようとして、うっかり消してしまい、そのあとすぐに公開するはずが、夜になってしまった。

 記事を書きながら、久しぶりに物語の中の兄弟に会えて嬉しかった。この童話、まだまだ先が長く、長編童話となる予定だ。続編もいろいろと考えている。

 作品は一作ごとに完結し、それを可能な限り続けていきたい計画だ。いわゆるシリーズものにしたい。

 以前、短編童話を数編、児童文学専門の出版社の編集者に見て貰ったことがあり、そのときに、シリーズものでないと弱いといわれたことから考えついた。
 
 2作目では、ドラキュラ伯爵の末裔(?)が工場を建てて、そこで生血のジュースを製造しているという設定。
 
 連れてこられるのは、この世に希望を失い、自殺しようとした人々。どうせ死ぬ命なら、血を絞ってジュースをとってもいいだろうというわけだ。

 そうやって末裔は吸血鬼人口を増やし、莫大な儲けを蓄えている。そこに取引にやってきた紘平の父親。彼は吸血鬼の国で何を思い、どんな商取引をしようとするのか……。

 ――と、これは冗談でいったことで、ストーリーを本気にしていただくと困るが(いくら何でもこんな子供に不向きなものは書かない)、二作目では、紘平の父親が神秘主義者としての本性を表して、活躍する――この設定はたぶん動かない。

 父親の勤め先は、一見したところでは普通のこぢんまりとした商事会社だが、本質は時空を超えて商売の手を拡げる商事会社なのだ(とここで種明かしをしてしまえば、『不思議な接着剤』を読んでくださっているかたがたに悪いけれど……)。

 父親はそこの営業マンで、時空を超えて製品を買いつけに出かけたり、神秘的な工場を管理したり、売りに出かけたりする。

| | トラックバック (0)

安倍首相の病気、再び~慶應大学病院の会見 

 テレビで見たのだが、安倍首相の病気について、午後2時から慶應大学病院が記者会見をし、『機能性胃腸症』であると発表した。

「少なくとも、3~4日の入院が必要」とのことだった。

 それほど重大な病気というわけではないようだが、疲労の度合いはかなりのもののようだ。ストレスからきた部分が大きいのだろう。

| | コメント (0)

安倍首相の病気

 昨日は、突然の安倍首相の辞意表明に驚かされたが、首相の病気は、潰瘍性大腸炎だとテレビでいっていたその後、慶應大学病院の記者会見があり、正確な病名が発表された⇒こちら 。

 以前から、病人みたいな顔色だな……と思っていたけれど、腸の病気だったのか。

 都合が悪くなると病気になったり、入院したりする癖のある政治家もいるが、安倍首相の場合は本当に具合が悪かったようだから、やめる理由として、病気を前面に押し出したほうが、無難でよかったのでは? 

 いや、あの辞意表明の中味、あれはやはり国民に対する言い訳というより、アメリカに対する言い訳のようにも思える内容だった。安倍首相にとっては、あれでなければならなかったのだろう。いずれにしても、国民のひとりとしては、全く情けなかった。  

|

2007年9月12日 (水)

一昨日の夕飯(豆腐チャンプルー、ししとうと五目揚げの旨煮)

P9110038  一昨日の夕飯は、豆腐チャンプルー、ししとうと五目揚げの旨煮、もやしの味噌汁でした。

■□

□■□

続きを読む "一昨日の夕飯(豆腐チャンプルー、ししとうと五目揚げの旨煮)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

安倍首相の唐突な辞意表明

 安倍首相が本日、突然に辞意を表明した。

 研究室にいた息子からの電話で知った。それまで家にいた先輩が研究室に入ってきて、教えてくれたそうだ。息子は廊下から電話をしていた。

 驚いた。。。

 う~ん。無責任首相というしかないが、裏側でアメリカの圧力が如何に大きかったかを物語る出来事のようにも想像される。

 党首会談で、そのあたりの事情を小沢代表にわかって貰う意図があったのが、会談を蹴られたということで、もうだめだと思い、全てを投げ出してしまったというところだろう。

 しかし、こんなことでは、国民は納得できっこないが、世界の世論がどんなものになるのか心配だ。そもそも、アメリカはどんな顔をしているのだろう?

|

2007年9月11日 (火)

息子のメール

 リンドグレーンが生きた時代のスウェーデンの歴史について知りたいと思い、歴史好きの息子が電話をかけてきたりしないかなあ、と思っていたら、丁度かかってきた。

 

続きを読む "息子のメール"

|

2007年9月 9日 (日)

昨日の夕飯(鶏肉のワインビネガー煮)

P9080123 P9080109_2  昨日の夕飯は、鶏肉のワインビネガー煮、冷やっこ、ひよこ豆のサラダ、クラムチャウダー(缶詰のキャンベルスープ利用)でした。

△▲▼

                          

続きを読む "昨日の夕飯(鶏肉のワインビネガー煮)"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

一昨日の夕飯(サワラの香味焼き、つるむらさきのおかかあえ)

P9080084 P9080078_2   一昨日の夕飯は、サワラの香味焼き、つるむらさきのおかかあえ、きゅうりとかまぼこのサラダ、中華風かき卵汁でした。

■□■

続きを読む "一昨日の夕飯(サワラの香味焼き、つるむらさきのおかかあえ)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近の夕飯から(大根と豚肉の梅煮)

P9050045_2  この日は、娘が夜、料理教室だったため、夫と2人の夕飯。

 「主婦の友生活シリーズ あっさり味のおかず」(主婦の友社、2007年)から大根と豚肉の梅煮を作りました。

 新入りの料理の本です。書店で立読みしているうちに、これなら食欲がない日も入りそう……と思い、購入しました。

 『大根と豚肉の梅煮』は、本当にあっさり味で、わたしはお皿の中の残った汁に御飯を入れて食べましたが、洋風茶漬けのような感じでした。

 いい本に出会った! と大満足のわたしでしたが、夫には物足りなかったみたいです。写真のわたしの皿のものより多くよそったのですが、味そのものが少し物足りなかったみたいでした。

 帰宅した娘が、翌日のお昼にわたしが食べるはずだった残りの『大根と豚肉の梅煮』を食べてしまいました。☆★☆

続きを読む "最近の夕飯から(大根と豚肉の梅煮)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 8日 (土)

書きたいエッセー、増えたブログの件

 今日は、児童文学作家リンドグレーンの作品を考えることに費えてしまった。その考えたことについての詳細はこちら

 まとまったエッセーにするには、時間がかかるだろう。だが、何しろ、リンドグレーンはわたしの本格的な読書体験の最初にくる作家といっていいから、大きい。時間はかかろうと、書かないわけにはいかないのだ。

 他にも書きたいエッセーは沢山ある。詩人ガブリエラ・ミストラル、ハムスター列伝は止まったままだ。

 俳句と料理に訪問してくださっているかたがたには、更新が遅れていて申し訳ない。また料理の写真が溜まってきた。自分や家族の健康管理のためにも、料理はきちんとアップしておかなければと思っているのだが――

 現在、わたしのブログはこのココログ、シーサー、忍者、ソネット、ジュゲムへと拡がってしまった。どれにも長所、短所がある。シーサーはよくいわれるように自由度が高いが(相当いろんなことができそう)、わたしにはいささか使いにくい。テンプレートに関しては、はっきりと不満足。

 ソネットは初心者向けというべきか、あまりの機能の少なさに驚いたが、きちんとしていて、ブログであれこれ試みたいというのでなければ、安心して楽しめそう。

 忍者は今のところ好感触。ジュゲムもそれに似た感触。テンプレートの充実が嬉しい。昨日は忍者のテンプレートをくらくら変えて楽しんだ。

 とはいえ、何といってもわたしにとっては、初めてのブログとなったココログが基本という感じ。操作、雰囲気にややかたいところがあるけれど、本拠地はやはりここ。

| | コメント (0)

2007年9月 7日 (金)

どちらがわたしのでしょう?

昨日、よく行くデパ地下のカフェで娘と注文したものです。
近頃デパートのペットショップに、ハムスターがいません。入荷しにくい時期なのでしょうか? ウサギはいろいろといました。
ちょっと珍しかったのは、鳥のウズラ。結構可愛らしかった。
中心街に新しく犬猫専門のペットショップができていて、時間があればよくそこにも見に行きます。
買いたいけれど、賃貸の住まいはペット禁止、喘息でドクターストップもかかっていて、二重に飼えません。
もし飼えたら、猫のアメリカン・ショートヘアーか犬のミニチュア・シュナウザーを飼うのになあ。

| | コメント (0)

2007年9月 5日 (水)

昨日の夕飯(さんまの塩焼き、ほうれん草のサラダ、冷やっこ~ごまダレ)

P9050058 P9050046_3  昨日の夕飯は、さんまの塩焼き、ほうれん草のサラダ、冷やっこ~ごまダレ、じゃがいもとねぎの味噌汁でした。

  この秋初めてのさんまは、肥えて脂がのっており、美味でした。   

●●○

続きを読む "昨日の夕飯(さんまの塩焼き、ほうれん草のサラダ、冷やっこ~ごまダレ)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わあ、リンドグレーンのお部屋だ

P9050004_2 娘の買ってきた雑誌で、リンドグレーン生誕100周年を記念し、特集が組まれています。
リンドグレーンの童話や彼女の伝記を読むのとはまた違った楽しさが、この種の雑誌にはありますね。

  いつか会いに行きたいと思っていたリンドグレーンが亡くなったときは、ショックでした。
彼女の誕生日が父と同じというのが、何だか割り切れない。。。

  リンドグレーンに関する評論を、いつか書きたいと思っています。彼女の作品には明るい、楽しい、子供らしいものばかりではなく、不気味なまでに暗い世界観を感じさせるものや、彼女の心身のコンディションがよくないときに書かれたのではないかと想像せざるをえないような作品もあります。
  人気シリーズのピッピにしても、続編の中には、これは、と首を傾げたくなるものがあります。
  が、そうした部分をも含めて彼女の大きさを感じずにはいられません。

| | トラックバック (0)

2007年9月 4日 (火)

最近の夕飯から(キャベツとキュウリのサラダ)

P9020043  最近の夕飯から、ごま油風味の浅漬けサラダ『キャベツとキュウリのサラダ』をご紹介します。

 やりくりおかずと節約献立」(扶桑社、1999年)から、手軽に作れて美味しいキャベツとキュウリのサラダのレシピをご紹介します。材料は4人分です。

キャベツ4~5枚、塩少し、キュウリ1本、A〔水1カップ、塩小さじ1〕、B〔しょうゆ大さじ1、酢大さじ2、塩・こしょう各少し、ごま油大さじ1〕

  1. キャベツは塩を加えた熱湯でゆでて水にとり、芯を除いて3cm角に切り、かたく絞る。
  2. キュウリは薄い輪切りにしてAの塩水に漬け、かたく絞る。
  3. Bを混ぜ、①と②をあえる。      

続きを読む "最近の夕飯から(キャベツとキュウリのサラダ)"

| | コメント (2)

2007年9月 3日 (月)

携帯から

歩道橋から写しました。
わたしは歩道橋が嫌いです。心臓にこたえるから。
五十肩で日赤の整形科を受診したのですが、帰宅するにはここを通らないわけにはいきませんでした。
 
通院は今日で終わりと思っていたら、違いました。
次回は3ヶ月後。湿布薬が沢山出ました。
痛くなるくらい、リハビリに精を出すようにとのことでしょう。
諦めないでリハビリするようにとのこと。
確かにすっかり諦め、サボっていました。
久しぶりに先生に左肩をいじられ、ズキズキ疼きます。吐き気がするくらい。これくらいしなきゃだめなんでしょう。
といっても、少し力を入れてあっちやこっちに動かされただけなのですが。肩固まってるとしか思えません。

| | コメント (2)

2007年9月 2日 (日)

創作ノート⑫

  応募小説は、締切日の31日にじかに応募先の県庁に持っていった。午後5時までにあと15分で、ぎりぎりセーフといったところ。

 作品に施したライトアップ効果は、はずした。ライトアップしたいシーンは、行数を3行に限定し、その前後に間を置いて際立たせるというやりかただったのだが、確かにライトアップ効果はあった。

 が、そうすると、何か時間の流れが頭に入ってきにくくなり、馴染まないかなと思ったので、スタンダードなかたちに戻した。

 今回の作品を書いたことによる収穫は大きかった。とはいえ、これは賞の勝算とは無関係だ。賞の傾向も審査員達の頭の中ももうわかっているので、勝算ははっきりいってない……といったほうがいい。審査員達の脳味噌でレボリューションでも起きれば別だが。

 書いているときの高揚感、そして賞応募後の暗鬱な気持ちのこの違い。賞の結果はわかっているようなものだが(だめだと)、内心ほしくてたまらないらしく、早くも落ち込んでいるというわけで、結果発表後はどうなることやら。考えるのもおぞましい。

 これに打ち勝つには、新しい作品か、あるいは書いている途中の別の作品に没頭して、ネガティブな気分を上回る高揚感を得るしかない。

 実生活における辛辣な体験からテーマを見つけたのだが、そのむごい体験をさせられているときに、わたしの書いたような小説に出会えたら、目から鱗が落ち、勇気を貰い、ユーモアで明るい気分になれただろうに。

 わたしだって、読者の1人で、世界中捜せば、わたしの背後にはわたしに似た人たちの列ができるばずだ。

 その人たちは、わたしの作品にブラボーといってくれるに違いない。こんな自らする慰めが、今回も、執筆の労働に対する唯一のご褒美だ。いや、書いているときの高揚感が最高のご褒美だな。そのときは、もう過ぎてしまったけれど。。。

 もうひとつ、創作ノート用のブログを作ろうかしら。どこまで子沢山になるつもりかしらね、この人は。今度はハーボットでお世話になっている、ソネットさんあたりはどうかな。ハーボットのテンプレートで楽しく創作メモをとるというのも、いいかも~。ねえ、ウッフや。 

|

2007年9月 1日 (土)

最近の夕飯から(キャベツのサラダオリエンタル風)

P8300039最近の夕飯から、美味しかったサラダをご紹介します。

P8300054_6   

           

続きを読む "最近の夕飯から(キャベツのサラダオリエンタル風)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ティールームにて

これは昨日撮った写真です。
小さなサイコロ状のサツマイモが入ったケーキです。
わたしがケーキを横倒しにしたわけではなくて、
この状態で運ばれてきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お侘びとお知らせ

 応募小説に没頭していたために、俳句紹介連載小説オルハン・パムクの作品を読んでの読書ノート料理童話ブログ『不思議な接着剤』など、放置状態でした。申し訳ありませんでした。

 本日から平常に復帰(?)しましたので、徐々に上記記事を更新していこうと思っています。

 今後共よろしくお願い致しますm(__)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »