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2007年7月14日 (土)

台風が来る~台風被害の記憶

 住んでいるのが街中だし、マンションの上階なので、窓にさえ気をつければ心配ないだろうと思いながらも、別の市に住んでいた頃に台風被害に遭ったトラウマから、停電に備えて、懐中電灯、替えの電池、ロウソクなど用意した。

 ベランダは既に前日に入れられるものは室内に移動させた。物干し、布団干しは下に横たえた。

P7140043 P7140044  ←台風被害に遭ったあとで、すぐに購入したラジオ。電池、リチウム電池の切り替えが効く。ライトも点く。

 自家発電式懐中電灯もせっかくあるので、出しておく。→

 台風被害に遭ったときは、その最中、携帯電話がありがたかった。電池式充電器は用意しておいたほうが安心だ。

 古い家屋はどうしたって危ないから、非難するのが一番だと思う。

 台風被害のことを話し出すと、年寄りの繰言みたいになるが、家が物凄い衝撃と共に一部損壊したあの出来事と、それに次ぐ後始末、引っ越しのことは忘れようにも忘れられない。

 2004年9月7日、午前11時48分。この時、その市で、大分県地方気象台が観測史上最大となる最大瞬間風速50.2mを記録した。

 小道と塀を隔てた向かいにある工場の敷地から、工場と工場をつなぐ連結部がわが家の2階目がけて飛んできたのは、そのときだった。

 連結部は、物凄い衝撃音と共に2階の1部屋を潰したあと、もんどりうって田圃に落下した。潰れたのは息子の部屋だったが、大学生で家を離れていたことが幸いした。もし、そのとき家にいたわたしか娘がその部屋にいたとしたら、命はなかっただろう。

 その隣の娘の部屋では、壁を鉄柱のようなものが突き抜けていて、本棚が倒れていた。2階の踊り場から階段にかけては、ガラス片が散乱していた。中2階の夫の部屋は無傷だった。

 玄関脇の天井からは雨漏りがし、庭にはいろいろなものが散乱していて訳がわからなくなっていた。洋室は天井が破れ、浅い池になっていた。本棚は主にここに置いていたため、本の一部が駄目になった。

 トイレではタイル壁が一部落ち、洗面所の床は小さな池になっていた。ミモノは台所だった。天井にいくつも水道の蛇口をつけたみたいに、天井裏経由の黒い汚水が降り注いでいる状態だったのだ。台所の床は当然水浸し。

 その日のうちに、洗面所と台所の天井は黴だらけになった。色彩もあざやかな黴。当時もしブログをしていたとしたら、写真をアップしていたことだろう。

 他の部屋は大丈夫だったけれど、衝撃で、長い間にあちこちに積もっていたらしい黒い埃が全部屋に降ってきていた。

 バケツは4つあったが、それではとても足りず、買い足して10に増やした。それでもあちこちからの雨漏りには足りなかった。翌日、大家さんのところから青いシートを被せに何人か来てくれたが、それまでにかなりの雨水が入り込んでしまっていたのだ。

 ところで、大家さんは工場の所有者でもあった。わたしたちが借りていた古い家は、工場の所有者が民家を買い取って独身寮にしていたのを、普通の借家にしたものだったのだ。

 被害に遭った借家にはとても住み続けられないことは明らかだったが、あれこれで手間取り、別の家に引っ越したのは10月14日だった。

 毎日黴掃除をしたことが災いして、それがわたしの喘息発症の引き金となった。わたしの喘息は台風がもたらした鬼子なのだ。

 損害賠償の請求をしたいと思ったが、夫は、大家さんも台風の被害者なんだから仕方がないといった。が、一応法学部出のわたしも、当時市立大の法学部の学生だった娘も、そんな馬鹿なことはないと思った。

 第一に、大家さんは工場建物の所有者でもあって、台風で予想される程度に耐えられるような措置を施しておく必要があるはずで、それを怠っていた場合には注意義務違反や設置管理の瑕疵が認められるはずだった。借家の家主としての義務もあるはずだった。

 壊すことにしたから、家を出ていってほしい――という大家さんの要求と、そのために敷金を返すというだけの交換条件はあまりにも理不尽なものだったので、損害賠償の請求書を作成することにした。

 娘が大学の先生方にアドバイスを求めてくれて、ありがたかった。先生方はよく生徒たちの相談にのってくださっているということから、お願いしたのだが、正式に専門家に依頼していたら出費だっただろう。

 民法の教授、物件法の教授(助教授だったかな)、他大学の専任の教授である民法の講師といった方々の意見を聞くことができた。

 民法の教授の意見は、娘との談話の中で伝えられた。物件法の教授の意見は娘にメールで届けられたが、その意見は物件法に傾きすぎている気がした。最も参考になったのは、A4の用紙にぎっしり4枚にもなる民法の講師の意見だった。

 それはわたしの考えと、すみずみまで一致した。意見は娘にメールで送られてきたのだが、主張の根拠となる条文が1つ1つ引用されていただけでなく、娘への温かい励ましの言葉が添えられていた。

 請求書は、講師の意見を参考に、わたしが見よう見真似で作成したが、息子が帰ってきて、それをチェックしてくれた。息子は理系だが当時法律に興味を持っていて、教養で法律の科目をとり、教授の研究室に質問に行ったりしていた。

 示談は成立し、まあこんなものかな、という結果を得た。

 10月14日に引っ越ししてホッとしたのもつかの間、転勤の話がきて、12月1日にまた引っ越しをした。これは別の話になるが、その引っ越し騒ぎの最中、わたしの気力は尽きて寝込んでしまい、寝たり起きたりの生活になったのはそのときからといっていい。 

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