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2007年5月14日 (月)

百合に寄せて☆ランボーの詩『オフェリヤ』のご紹介

P5120335 母の日には嬉しいことに、子供たちから花束の贈り物がありました。

 娘からは薔薇ばかりの花束、息子からはカーネーション、百合、カスミソウを組み合わせた花束でした。

 子供たちに贈られた花々の中から百合と薔薇に寄せて、それぞれ詩をご紹介したいと思います。

 百合といえば、小説ではバルザックの『谷間の百合』を連想しますが、詩となると、わたしはアルチュール・ランボーの『オフェリヤ』なのですね。

 わたしが大学生だった頃――怖ろしいことにもう30年ほども昔の話になりますが――、まだ養主義がいくらかでも生き残っている感じがあって、文学作品というと今よりずっと尊重され、生きる指針とされていた気がします。

 ランボーは文芸愛好家たちのあいだで、相当に人気があったのではなかったかと思います。わたしも一時期、中毒みたいになりました。

 今でも、これからご紹介する『オフェリヤ』のほか、『感覚』『びっくりした子供たち』 『谷間に眠る男』『わが放浪』『一番高い塔の歌』『永遠』などを読むと、清冽な感動の激流に押し流されそうになるのです。

 ランボーは晩年、武器の取引や奴隷の売買に手を染めたりして、やがて悪性腫瘍にかかり、右脚切断、37歳で亡くなりました。

 しかしながら、その若々しい詩は老いることなく(発表当時はもてはやされても、古びる詩が圧倒的に多い中で)、いつまでもエキセントリックなパワーと繊細さに満ちている気がします。

 粟津則雄訳で、お届けします。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

  オフェリア

   Ⅰ

星たちが眠っている静かな黒い流れのうえを、
白いオフェリヤが大きな百合のように浮かんでゆく、
長いヴェールに横たわってゆっくりと浮かんでゆく……
――遠い森のなかで、獲物を追う声がする。

もう千年ももっと前から、悲しげなオフェリヤは、
白い幻さながらに長い黒い流れを過ぎる。
もう千年ももっと前から、彼女のやさしい物狂いは、そよ吹く風のなかで、恋歌を呟いている。

風は彼女の胸に口づけ、ゆるやかに流れに揺れる
大きなヴェールを、花びらのように拡げる。
柳は身をふるわせながら、肩ごしにすすり泣き、
夢みるような広い額に、葦がそっと身をかがめる。

押され乱れた睡蓮が、彼女のまわりで溜息をつく。
流れ過ぎる彼女の気配に、かすかな羽ばたきの音が洩れる。
――神秘な歌声が、黄金の星たちから落ちてくる。

   Ⅱ

おお、蒼ざめたオフェリヤ! その雪のような美しさ!
そうだ、おまえはいとけない身で、河に流れて死んだのだ!
――ノルウェーの高い山から吹く風が、
あの辛い自由のことを声しのばせて語ったためだ。

吹く風が、おまえのたわわな髪をよじり、
おまえの夢みる精神に不思議なざわめきを伝えたため、
樹の歎き、夜の吐息に、おまえの心が
あの自然の歌声をききとっていたためだ。

狂い立つ海原の涯知らぬあえぎの声に、
やさしく情のありすぎた幼い胸をつぶされたため、
また四月の或る朝に、蒼ざめた美しいひとりの騎士が、
あのあわれなきちがいが黙って膝に座ったためだ!

天! 愛! 自由! 何という夢をみたんだ、あわれな狂女よ!
おまえはあいつに溶けてしまった、雪が火に溶けるように。
幻は膨れあがり、胸がつまって言葉も出ず、
――おそろしいあの無限が、蒼いおまえの眼を消した!

   Ⅲ

――そして詩人は語るのだ、夜毎おまえが花々を、
昔摘んだ花々を、星かげ頼りに探しに来る、と、
長いヴェールに横たわるまっしろいオフェリヤが、
まるで大きな百合のように河面を浮かんでゆくのを見た、と。
                     (1870年5月15日)

『世界詩人全集 9 ランボー詩集』(粟津則雄訳、新潮社、昭和43年)

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