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2006年11月16日 (木)

『返り咲いた薔薇』は足踏み状態から脱する、パムク氏は274頁

 一人称で書いていて、どうにもしっくりこなかったが、三人称に変えてみたら、これがよかった。おかげで、足踏み状態を脱することができた。

 とはいえ、今月末の同人雑誌の締め切りまで、あまり日がない。間に合わないかもしれない。速達で出せば、1日で着くだろうから、間に合わなかったときに提出することになるエッセーの改稿に3~4日残しておくとして、25日までは小説をすすめよう。

 パムク氏の小説『わたしの名は紅』(和久井路子訳)に勇気づけられる。真に書きたいものを書こうとする情熱が燃え上がる。パムク氏の小説を読むと、文学らしさが脈々と受け継がれているのを感じ、本当に安堵する。あの涙――、いい小説に違いないという予感はあたっていた。

 「29 わしはお前たちのエニシテだ」は圧巻だった。この章で、優美さんを殺した犯人は、再び同じ罪を犯す。殺されるのはエニシテ、細密画師たちの統括者である。イタリア美術の技法を秘かにとり入れようとしていた。それは、エニシテの次のような芸術観から出たものだった。

何ものも純粋ではありえない。細密画や絵の世界では、傑作が造られた時、あるいはすばらしい絵に歓喜の涙を流したり、総毛立つような美しさを見た時、今まで一緒に用いられなかった二つの異なるものが一緒になって何か新しいすばらしい物を作り出すと確信している。

ベフザトやペルシアの絵のすばらしさは、アラビアの絵が蒙古や中国の絵と混じりあったことのおかげである。シャー・タフマスプの一番美しい絵はペルシアの様式とトルクメンの繊細さが一緒になったものだ。

今日誰もがインドのアクバル王の細密画の工房を褒め、賛嘆しているならば、それは細密画師にヨーロッパの名人の様式を採るようにと激励したためである。

東もアラーのものであり、西もアラーのものである。神よ、わしらを純粋でまじりけないようにと言う者たちからお守りくだされ。

 また、エニシテは殺人者である細密画師にこうもいう。

イタリアの名人は誰も、お前ほどの詩心も、信念も、繊細さも、色彩の純粋性ももたない。しかし、彼らの絵はもっと現実味があって、人生そのものにより似ている。

 一方、殺人者はこのようなエニシテの考えにはむしろ与した細密画師だったのだが、自分が殺人者だとエニシテに気づかれたのではないかという不安とある嫉妬、ある怒りから殺害するに至るのだった。

 大きなインク壷が凶器となる。その中には、微かにゆするとそれにつれて色合いが変わる神秘的な紅インクが入っていた。

頭と見たこととわしの記憶と目の全てが、わしの恐怖となって混じり合った。もう何の色も見えない。全て紅色であることがわかった。血だと思ったものは紅インクだった。手についたインクだと思ったものは止まることのない紅い血だった。

その瞬間、死ぬということが、どんなに不当で理不尽で無慈悲なことに思われたことか! 

 このあとこのエニシテという老人は、自分の死や死の直後に起きたことまで語るのである。それが圧巻だった。

 こうした殺人が起きる前の、恋人たち――カラとシェキュレ――の抱擁の場面もなかなかだ。シェキュレは、父親が殺されようとしていることを知らないで愛を堪能している。

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