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2006年11月12日 (日)

新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について

 1週間前の11月5日付朝日新聞朝刊、教育の欄に『少女漫画の過激な性表現は問題? 抑えるも、完全回避は不可能という見出しの記事があった。

 少女漫画の過激な性表現について、富山市の主婦(45)からメールがあった。主婦は小学5年生の娘(11)のタンスの中で見つけた少女漫画を読んで驚いた。観覧車の中や高校内での性行為や、強制的な性行為などの激しい場面、女性を冒涜するようなセリフが出てくるという。『漫画を作る人、売る人、見て見ぬふりをする大人、みんなが問題だと思います』

 それに対して、主婦が読んだ漫画を掲載していた少女漫画誌の大手出版社編集長(47)は答えている。

恋愛は少女漫画の大きなテーマ。恋愛の延長線上にある性行為のシーンを完全にシャットアウトするのは不可能。

指摘を受けた漫画は2年前に出版されたもの。現在は漫画家とも相談し、有害図書と判断される可能性がある表現をなくしている。

子どもが性にかんする情報に接する機会が増えた。親も以前より口うるさくないこともあり、過激な表現に対する抵抗がなくなっている。

 また、日本雑誌協会編集倫理委員会の山了吉委員長は次のようにいう。

恋愛の自然な流れで、キスやSEXのシーンが出てくるのはある程度許容できる。ただし、性技や強姦といった、性を興味本位で描くことは避けるようにしている。

現実社会にも、強姦やチカンといった事件があることは子どもも知っている。また、子どもであっても、漫画の中身はフィクションと認識し、現実との境はわかっており、漫画の通りに行動して事件になることはまずない。もし、親が問題と感じたなら、その漫画を材料に、親子で話し合えばいいのではないか。

「倫理教育委員会が過激な表現を抑えるよう求めることができるのは、加盟社に限られる。また、少女漫画など未成年向けの雑誌のみを対象にした組織はないという」と担当記者は記事を結んでいる。

 真摯な主婦の問題提起に対し、何て不毛な公的回答だろう……!

  娘に、富山市の主婦が読んだような少女漫画があることを教えられたのは、間もなく24歳になろうとしている娘がまだ高校生のときの話であるから、もう6~7年も前のことになる。

 が、そのときは実際にわが目で確かめたわけではなく、娘も具体的にどんなものであるかをいったわけではなかったので、それほどひどいものだとは思っていなかったのである。

 その2年後ぐらいに、大学生になっていた娘とのあいだで再び同じことが話題に出て、今度こそ書店に出向いて調べたわたしは、肝をつぶした。

 わたしは何とかしなければと思い、近所に住む議員さん、まだお子さんが小中学生であるお母さんがた、知人である中学の先生、知り合いの編集者などに話して運動を起こそうとしたが、主婦の微力では不可能だった。

 幾度となく新聞にもこの問題について投稿したが、全て没だった。他のテーマでの投稿は採りあげられたりもしたのにである。

 現在は当時と比べてどんな状況にあるのか、わたしはまだ調べていないが、現在書店勤務の娘がいうには、実態は変っていないのではないかという。やはり小学生が問題のある少女漫画を買っていくそうだ。

 当時わたしが調べたところでは、問題のある少女漫画は沢山あった。中でもわたしが一番危惧したのはある大手出版社から出ているある少女漫画誌だった。

 表紙には可愛い絵がのっていて、中学生ばかりか小学生なども抵抗なく手を出しそうな、また親は問題のある中身とは気づかないような少女漫画誌だと思った。が、仰天するばかりの中身だったのだ。

 それには性行為を描いた漫画作品が複数掲載されていたが、学校内での理事長による女生徒を目隠ししたうえでの性行為、生徒同志の性行為が赤裸々に描かれた作品では、何と、性技に伴う膣の音まで書かれていたのだった。

 これが社会問題でなくて、何だろう! その出版社の出版物にはわたしは子供の頃、数々の児童文学の名作でお世話になっており、良心的な出版社というイメージがあっただけに衝撃だった。

 メールをした主婦も、回答した大手出版社編集長も、わたしと年齢が近い。わたしたちが子供の頃、また少年少女の頃も、良心的な出版物に恵まれ、意識の高い大人たちによって見守られていたというのに、そんな恩恵を受けて大人になったはずのわたしたちがまた何という社会をつくり出してしまっていることか……。

 その頃は福田清人氏なども、日本文芸家協会理事、日本児童文芸家協会会長を歴任されていて、意識の高い大人たちの中核をなす一人となっていられたはずである。

 福田氏が作法叢書 童話の作り方』(福田清人著、明治書院、昭和46年)の中で述べられた、今となっては崇高とさえ思われる次の言葉を紹介して、今日のところはこの記事を閉じたい。

  ところで、少年少女時代は、肉体的にも精神的にも半ば大人であり、半ば子どもである。低学年を対象とした童話は、かなり超現実、非現実的な、たとえば妖精の出没する世界でも、子どもをひきずってその作中に没入させることができるが、少年少女時代はようやくこうしたものからさめて、現実社会へ関心を持つものである。

いきおい現実社会が題材にとられるが、なおその現実を踏まえつつ、その年齢の心理、生理の要求するフィクションが求められる。サスペンスや、また少女小説では清純な感傷性にうったえるものも忘れてはならない。こうして一つの制約はあっても、少年少女小説は成人小説に接近している

 ではその制約とはどんなものか。

 まず精神的に未発達であり、批判力が大人に比して十分でない、ということを考慮しなければならない。それで、だいたい次の五つの制約の条件がある。

一、テーマ、表現の制約。成人文学では、どのようなテーマを選ぼうとも、どんな深刻、残虐な描写をこころみようとも、また解放的な性愛描写をしても、いちおう自由である。ときにはその方面の新しい実験で、むしろその文学的価値が高く評価されることすらある。

しかし、童話・少年少女小説の場合は、そのテーマのとり方、表現には、節度、制約がおのずから要求される。そのテーマに著しく反道徳的なものとか、残虐、また性愛について露骨な描写はさけねばならない。

 児童たちは未来に向かって、向日的に生きている。この人生の本然的な要求を曲げたり、殺したりするテーマは否定さるべきである。少女小説でも、清純な精神的な愛の季節に対して、自然主義的な愛欲を早く示すことは冷酷といわねばならない。

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