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2006年11月19日 (日)

『返り咲いた薔薇』は序破急の破を進行中、パムク氏は332頁

 気分が悪くて、午前中から午後3時まで寝ていた。狭心症の発作は幸い、起きていない。発作が起きたり、ニトロを使ったりすると、疲れ、小説を書きたくなくなるから。

 吐き気がしていたのだが、おさまったので起きて、少し家事をし、紅茶を飲み、書き始めた。最初はうまくいかなかったが、乗り始めた。そして物語はふくらんでいって、モデルにしている男性の記憶で胸がいっぱいになった。

 記憶をそのまま使うわけにはいかないので、中断し、なつかしい思い出に身を任せるうちに、生きているときの彼の笑顔が生々しくよみがえり、泣いてしまった。当時は関連づけることができなかった記憶にある場面、場面が、つながって思い出される。

 あの3年間だけがなぜ、あれほど光に満ちていたかということをわたしは考えもしなかった。そのあとの短い記憶のいくつかと何通かの手紙。彼の思いに気がついたのは彼の死後のことであり、初七日までの期限切れといっていい短い仮の時間がわたしたちの初デートのときだったなんて、類を見ない話ではあるまいか。

 なぜなら、それが可能となるには、少なくとも片方が神秘主義者である必要があるから。亡くなったとき、彼はもう若くはなく、棺に横たわった彼は病苦のせいかあまりにおじいさんに見えるのでびっくりしたけれど、清潔感も凛々しさも充分すぎるほど残っていた。死んだことで、そうした特徴が結晶化しているようにさえ見えた。壮絶で美しい遺骸だった。

 彼がわたしと一緒にいることは、友人の車を降りたときにわかった。生前と同じように礼儀正しく、だが、開放感に満ち、性急で、若々しく、もう自分を包み隠さなかった。わたしと一緒にいられて、楽しくてたまらない様子だった。彼はとても感じやすかった、優しかった。わたしがどんな環境で暮らしているかを知りたがった。

 彼は彼の奥さんをわたしがどう思ったかをも、息を詰めるようにして知りたがった。奥さんは素敵な人になっていた。昔見たときよりもずっと。彼との暮らしの中でそうなったのだと感じられ、わたしは彼を褒めた。彼は嬉しそうだった、複雑そうだった。

 わたしが読んだり書いたりばかりしていることに、彼は驚いていた。生活用品のことで驚いたり、料理するときわたしがあまりに手を洗うことに驚いたり(少し不潔恐怖症気味なのだ)、ウナギの匂いに生前の嗜好をよみがえらせたりしていた(ウナギが好物だったのか!)。わたしのところにいても一向に飽きない様子だったが、ずっとわたしのところにいたわけではない。

 いた時間は長かったが、あちこち自由に行っていたようだ。初七日までの時間はまたたくまに過ぎ去った。わたしたちはある約束をした。それから、初七日頃に死者たちはどこかへ行かなければならないようだが、彼がどこへ行ったのか、死者たちがどこへ行くのか、わたしには何もわからない。

 幸い、死後にわたしに明確にわかるかたちでわが家を訪れたのは、わたしが大好きだった高齢で亡くなった女性と彼と、夫の叔父さんだけだ。夫の叔父さんは死んだことを後悔していて、雷雲のようになっていた。そして、わたしたちの家にいても埒があかないと思ったのか、すぐに去った。

 最後に夫が叔父さんを見舞ったとき、「こんなはずじゃなかった」といっていたという。普通に病死した人であっても、こんなふうなのだから、自殺なんかした人の場合はどうかと思うと怖ろしい。指定された場所へきちんと行けるのだろうか。指定は、どんな死に方をした死者にもあるのだろうか。あの世にも行政機関のようなものがあることは、間違いない。あの世の役所では、死者に対し、どんな事務手続きがなされるのだろうか。

 彼の思いを知ったのも、わたしが自分の思いに気がついたのも、彼の死後のことだった。不倫を犯そうにも、彼にはその肉体がなかった。この世にはすでに居場所がなかった。肉体を脱いだあとの美しいオーラが今や彼の体であり、彼の思想であり、彼の履歴だった。そんな彼と思いを交わしたというようなことも、不倫のうちに入るのだろうか。

  今書いている小説には、死者との恋物語という薔薇色と、別の黒い物語が織り合わされている。うまい具合に織り合わさるかどうか。きわどい部分をどうシンプルに印象的に描くかだ。

 オルハン・パムク著『わたしの名は紅』(和久井路子訳、藤原書店)では、クライマックスの緊張感が続いている。

 祝宴の夜、シェキュレのかつての夫の弟ハッサンが庭にしのびこむ。ハッサンとカラは互いに相手を人殺しとののしり、訴えるといい、拷問にかけ、かけられるつもりだ。

 こうした場面が繰り広げられる前に、シェキュレは死んだ父親のいる部屋で、父親がプロデュースし、イタリアの技法をとり入れて細密画師たちに描かせた「死」をテーマとした絵にカラと共に魅せられていた。

 黙って、恭しく、身動きもせずに、わたしたちは長い間絵を眺めていた。少しでも動けば、向かいの部屋から来る空気が蝋燭の炎を波打たせて、父の神秘的な絵が動き出すように見えた。父の死の原因となったこれらの絵に魅せられていた。その馬の妙なこと、紅の比類ないこと、木の憂い、二人の修行僧の悲しみなどに魅入られてしまったのだろうか、あるいは、父をさらには他の者をも殺した殺人犯への恐怖のためだったのか。

 細密画師のうちの優美さんが殺され、仲間内に殺人者がいるとわかった時点で、シェキュレの父親エニシテはカラにこの絵を引継がせるつもりだった。エニシテはカラがシェキュレを娶ることに一度は反対し、今度は迷っていた。そんな折に、エニシテは殺されたのだった。

 シェキュレの行方不明になっているかつての夫の弟ハッサンは、何とかシェキュレを物にしたいと思っている。カラよりもあくどい感じがあるが、まだ若く、成熟期というよりは成長期にあって、いつのまにか新しい人間的魅力を身につけていることがある。性急で、怒ると子供っぽい声になったりするハッサンにも、シェキュレは秘かに惹かれているのだった。

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