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2006年11月 3日 (金)

『返り咲いた薔薇』を書き始める、パムク氏の小説は100頁

 昨日は思うように小説のための時間がとれなかったが、短編小説のプランを練り、書き始めた。まだ3枚。この時点では物になるかどうかわからないので、いつでもエッセーに切り替えることができるように、パムク氏の小説『わたしの名は紅』も読んでいる。

 自分の小説にのめり込むと、一定の時間が経つと疲れるので、休憩時間をパムク氏の小説にあてることにした。読書とわたしの創作は今のところ、いい関係だ。パムク氏の小説は落ち着きを与えてくれ、自分も書きたいという意欲を掻き立ててくれる。

 このところ、よく心臓の発作が起きて脅かされたが、これは創作姿勢にはいい影響を及ぼした。もし明日がこないのだとしたら、今日書く小説に何を盛りたいか、盛らねばならないかということを考えさせられ、賞狙いのときとは違った姿勢が生まれたのだ。

 以前は、もっといい医師にかかりさえすれば、という現状不満と未来への期待があった。だが、ここに引っ越してきてからはいい医師に恵まれ、現状の満足と未来が見えない感じを覚えている。だからもう、単なる楽しみや世俗的な価値観のために書く気にはなれない。自分にしか書けない小説を書きたい。

 娘が昨日、シフォンを焼いていた。うまくふくらんでいたのに、焼く時間が長すぎたのと生地から空気を抜くときにちょっとやりすぎたせいか、型から取り出してみたらぼろぼろで、がっかりしていた。

 シフォンは難しいらしい。わたしのシフォン第1作目も、高さが足りず、中のほうが少ししっとりとしすぎていた。卵の白身を泡立てて、それでふくらませるのだから、生地を安定させるのに手こずるのは当然だろう。とてもデリケートな作業なのだ。

 創作もこれに似ている。メレンゲのようにわたしの創作意欲も自ずから掻き立てられているが、作品を進める中でこれをますます掻き立てることで安定させ、作品をうまく形成する確かな力としなければならない。短編小説らしい凛とした締まりを与え、意外性と奥行きとを与えなければならない。

 長編とは違って、短編は短期決戦だ。失敗か、成功かのどちらかしかない。さあて、今日も書くぞ! オー!

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