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2006年10月23日 (月)

村上春樹の小説とはあまりにも違う…パムク著『わたしの名は紅』『雪』

 藤原書店から、注文していた2冊の小説が届いた。本を注文したものの実は、それほど期待していなかった。1冊は娘が払うといってくれたものの、わたしの小遣いにはのしかかる額であるし、わたしにとって、つまらない本に対する出費ほど腹立たしいものはないからだ。

 巷でノーベル文学賞候補として村上春樹の名が小鳥の囀りか烏の鳴き声かと思うくらいに囁かれていたせいか、それとは無関係なのか、村上春樹の作品を疑問視するエッセーを収める当サイトに、沢山のお客様がお見えになった。いや、ノーベル文学賞が村上氏ではなく、トルコの作家オルハン・パムク氏に決定したのちも、引きも切らず昨日も、おそらく今日も……。

 アクセス解析の検索ワードで見る限りでは、村上春樹著『ノルウェイの森』のファンのかた、研究なさっているかた、疑問視あるいは嫌悪をお感じのかた、性的な興味をお持ちのかた――と様々で、一律ではない。

 村上氏の『海辺のカフカ』を読了し、パムク氏の作品との抱き合わせで――対比させて――わたしの初評論といえるだけのものを書きたいと思いながらも、気が重かった。

 そんなときに、注文していたパムク氏の『わたしの名は紅(あか)』『雪』が藤原書店から届いたのだった。宅急便のおじさんが玄関口でわたしに配達物を差し出したときから、何とはなしに胸の高鳴りを覚えた。ただならぬ客人を、取り散らかしたわが家に迎えた雰囲気が漂う。これはもしかしたら――と思った通り、それは藤原書店から送られた本の包みだった。

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20061022181519  極度に緊張して、包装を解く。本は、そこにあるだけで自らの存在を明かす。その本ならではの雰囲気を纏っている。そこにあるだけで、影響を及ぼすのだ。忌まわしい本は置くべきではない。

 2冊の本をぱらぱらとめくり、出だし、あとがき、真ん中あたりの頁にすばやい視線を投げかける。いつのまにか涙が出ていた。 

 こんな興奮は、東京創元社から出ている『バルザック全集』を出版社やアマゾンやジュンク堂から苦労して取り寄せているとき以来のことだった。『バルザック全集』は品切れになっているものも多かったのだ。

 バルザックの本で、わたしを高揚させない本はただの1冊もなかった。台風被害に遭い、ホテルに避難したときは『バルザック全集』の中の書簡集とブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』を一緒に持っていった。

 もう手に入らないかもしれないからだ。自分より、これらの本のほうが大事だといえるかもしれない。台風被害を受けた家は倒壊する懼れさえあったのだが、自分の作品には一点の執着心も起きなかった。いつ死が訪れようと、家族に対する心配すらなければ、わたしは平安に死んでいけると思う。

 自分のものになるとすぐに本をぱらぱらとめくって中身を確かめるのが癖なのだが、バルザックの本を手にすると、いつも涙がにじんだ。涙がにじむのは、そのとき以来だった。本は夕方届き、今は深夜だが、未だ興奮状態で落ち着いて読めない。

 2冊の本の始めの部分から、印象的な箇所を紹介しておきたい。

わたしの名は紅
「いまや死体だ、わたしは。屍だ、この井戸の底で。最後の息を吐いてからかなりになる。心臓もずっと前にとまった。だがあの憎き人殺しのほかにはわたしがどんな目にあったか誰も知らない。奴は、あの卑しい下郎は死んだのを確かめるために、まだ息があるかどうかを調べ、脈をみた。それから脇腹を蹴り上げ井戸のところまで運んでいって下に投げ込んだ。井戸に落ちた時、その前に石で割られた頭蓋骨がバラバラになって、顔も額も頬もつぶれて見分けがつかなくなった。骨も折れて、口の中に血があふれた。

 これで四日になる、家に戻らなくなってから。妻や子供たちはわたしのことを探していることだろう。娘は涙もかれはてて、ぼんやり庭の木戸を眺めていることだろう。皆がわたしの帰りを、わたしが入り口から入ってくるのを待っているに違いない。だが本当に待っているだろうか。それも確かではない。もしかしたら、もういないのに慣れてしまったかもしれない。なんたること! こんな所にいると、以前の生活が元のように続いているかのような気がする。わたしが生まれる前にも、それまで無限の時間があったのだ。わたしが死んだ後も、尽きることの無い時間があるのだ。生きている間はこんなことは少しも考えなかった。明るい光の中で生きていた訳だ、二つの闇の狭間で。

 幸せだった。幸せだったのが今わかる。スルタンの細密画の工房で一番いい仕事はわたしが手がけていた。芸の上でわたしに近い者すらいなかった。工房の外でした仕事は金貨九百枚にもなった。こんなことを考えると死んだことがさらに耐えがたくなる。」


「雪の静寂だと考えていた、バスの運転手のすぐ後ろに座っていたその男は。もしこれがある詩の書き出しだったら、心の中で感じていたものを雪の静寂と言っただろう。

 自分をエルズルムからカルスに乗せていくバスに、彼はやっと間に合ったのだった。イスタンブルから二日かかった吹雪の中のバス旅のあとで、エルズルムのターミナルに着いた。薄汚い、寒々とした通路でかばんを手に持って、カルスに連れて行ってくれるバスはどこから出るのかと探している時、誰かがすぐ発つバスがあると言ってくれたのだった。」(略)

「しかし引き返すことなど彼の頭には全くなかった。夜の帳(とばり)がおりると、地面よりも明るく見える空に目を向けた。ますます大きくなって、風で舞い上がる雪の一片一片を、近づいてくる惨事の兆しとしてではなく、子供時代の幸せと無邪気さがついに戻ってきたしるしとして眺めていた。窓際に座っていた乗客は、子供時代の幸せな年月を過ごした町イスタンブルに、母親が死んだので一週間前に十二年ぶりに戻り、そこで四日間滞在したのだった。そして思いもかけないカルスへの旅に出たのだった。異常なまでに美しく降る雪は、何年ぶりかに見ることができたイスタンブルよりも、より大きな幸せを彼にもたらしていた。彼は詩人だった。何年も前に書いた、トルコの読者にもあまり知られていない詩の中で、雪が一生に一度夢の中でも降ったことを書いていた。」

 意表を衝く『わたしは紅』の出だし、雪の気配が次第に濃厚になっていく『雪』の出だし。いずれも瀟洒な筆遣いだ。

 訳者の和久井路子さんは、訳者あとがきを次のような言葉で締めくくられている。

「この優れた作品が、単にトルコ国内で一番有名だとか、ベストセラーだからとかいうのではなく、オルハン・パムクが現代トルコの最高の作家であり、世界中の新聞雑誌の書評欄で数年来取り上げられているがゆえに、この作品を日本の読者に紹介したいとその梗概を日本で数人の編集者に見せたところ、いずれも「素晴らしい作品だ、是非読みたい」といわれたものの、日本の出版界の不況、特に翻訳文学の不振から、「社の事情を考えると今すぐ出版は」とためらわれた中で、藤原社長の慧眼と英断で出版が実現したことに深く感謝申しあげます。」

 出版界どうなっているの、といいたくなるではないか。現在のわが国は、文学的には後進国と考えたほうがいいだろう。この国にいては、ノーベル文学賞受賞作家の作品さえ、満足に読めないのだから。

 藤原書店が出してくれていなければ、ノーベル文学賞決定の時点で、パムク氏の本はこの国では1冊も出ていなかったことになる。日本文学も翻訳文学も書店にあふれているというのに、あれはまぼろしだとでもいうのだろうか。

 パムク氏の記事は多くて、右サイドバーのカテゴリーに「オルハン・パムク」の項目があります。クリックなさって、ご参照ください。

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