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2006年10月29日 (日)

発作のあとで空想した死後の世界のシステム

 警戒していて正解だった。やっぱりきた、狭心症の発作。

 それも、何たることか、トイレで。その個室を出ようとしていたときではあったが、トイレで起きたことには間違いない。そのような場所で起きたということにデリケートな乙女、いや、おばさんごころは傷つく。

 よく聞く話ではあるが、トイレや風呂場では起きてほしくないなあと思う。ニトロのペンダントをしていて、よかった。強い痛みが起きたときはじっとしているのが唯一できることで、とても場所を移動できるような状態ではない。

 痛みは一旦軽くなったが、また襲ってきそうな気配があったので、ニトロを舌下へ。あわてていたせいか、溶け出したニトロを半分くらい飲み込んでしまった。飲んでしまうと効き目が悪くなる。

 トイレから出て、すぐにニトロのテープを貼った。汚いが、手を洗ったのはそのあと。テープのおかげで、胸の中に清涼感が拡がった。それにしても、このニトロのテープはありがたい。持続的に長時間効くので、していた仕事を中断せずに続けることができる。

 舌下錠だけ処方されていたときは、一度治まったあとでまた発作が起きることが珍しくなく、再び使って治まっても、胸の中の不安定な感じがとれなかったりした。

 ニトロのペンダントに舌下錠を2錠入れると、どうしてもアルミ包装がひっかかるので、今は1錠だけ入れている。2錠あったほうが安心なのだが、1錠だけでも、あるのとないのとでは全く違う。何といっても発作をとっさにしずめるには、ニトロ舌下錠に勝るものはない。

 眩暈や頭痛がわたしの場合には狭心症の発作の前触れとなることが多い(ほかに左腕の痺れ、歯痛など)。今回もそうだった。眩暈、吐き気、頭痛とあったので、メニエール病の症状だと思っていたが、違うのかもしれない。循環器科のお医者さんも、わたしがときどき訴えるこうした症状を、メニエール病より血圧や不整脈との関連で捉えていられるようだ。

 尤も、前に耳鼻科で聴力や平衡感覚の検査を受けてメニエール病があることははっきりしており、体調の不安定が同時期にメニエール病や狭心症の症状を招くのかもしれない。 

 ところで、心臓病に苦しんだ母方の伯母はトイレで倒れ、発見されるのは早かったが、意識不明のまま亡くなった。同じく心臓病だった母方の祖母は部屋の中で倒れ、痛みに転げまわって亡くなったという。母方で心臓や血圧に異常の出る人は多いが、就寝中に亡くなったという話はまだ聞かない。

 わたしはときどき眠っているときに、おかしなことが起きる。夢の中で起きた胸痛については前に書いたが、今日の昼下がりに寝ていたとき、夢の中で、咳の発作に襲われた。正確にいうと、咳き込みたくても咳が出ないために苦しいという夢を見たのだ。

 目が覚めると、本当にそのような状態で、咳き込みたいのに、すぐに咳が出ない。苦しくてたまらなくなったが、何とか出て、今度は激しく咳き込み、それが止まらなくなった。治まってからは何ともないが、これは喘息の発作と考えていいのだろうか。

 何にしても、睡眠中に変ったことが起きると、いい気はしない。就寝中の突然死にかなりの割合で、冠攣縮性狭心症の患者が含まれるなどと書いてある医療関係の記事など読むと、よけいに不安になる。寝ているときに死にたくはないなあ。

 死後人間がどうなるかについては、わたしは神秘主義者なので、それなりの経験と知識から、少なくとも死んで1週間のあいだの人間がどんな状態に置かれるかをこちら側から描き尽くすことはできる(あちら側からの観点というのは、わかりようがない)。

 だが、だからといって、それが死への恐怖を減じてくれるということはない。人は生きているときと同じように、死んでからも何らかの管理下に置かれることは確かなようなのだが、この世やあの世の個々の人間の小さな営みを超えたシステムがあることは安心を誘うと同時に、その正体がわからないことへの不安も生じるのだ。

 どちらにしても、死ぬということは今までの自分からすれば未知の世界への旅立ちであることに間違いはなく、慣れ親しんできた世界、人々とのお別れなのだ。この世に生きていたときの思い出をスーツケースにいっぱい詰めて、さようならをいわなければならない。

 そして、おそらくその言葉は、生きている普通の人々には聴こえないだろう。この世で築いた関係全てとのお別れが、ひどい寂しさを伴わないとしたら、そのほうがどうかしている。死者の試練の一つは、この寂しさをどう乗り切るかということであるに違いない。

 肉親が肉親であるということも、わたしが今のかたちのわたしであるということも、この世限りのことだと思えば、それぞれに対して募る日常的次元の不満などどうでもよくなり、かけがえのない、満ち足りた思いでいっぱいになる。

 とりあえずは、今日をどう生き延び、明日をどう生き延びるかだ。同じように生き延びようとする身近な人々とどう助け合っていくかだ。 

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