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2006年10月の49件の記事

2006年10月31日 (火)

初シフォンケーキ

20061031081802_4  シフォンケーキを作ってみました。

 型からはずすのが難しいですね。竹串があったので、外側と内側の円をはずすのはうまくいったのですが(とはいえないか)、底の部分をジグザグのパンナイフで不器用にぐさぐさはずしていったために、頭の部分が傷ついてしまいました。パレットナイフ、あったほうがいいですね。

 それにこれ、メレンゲ作りが重要そうで、手動だと苦行に近い作業になりそう。ハンドミキサーを買ってよかったと思いました。わたしが買ったのは3,000円弱の製品です。もっと値の張るものもありましたが、充分使えます。

 本当によく作ろうと思えば難しいのでしょうが、ほどほどでよければ、簡単に作れるだけでなく、とっても美味しくて、感激です。ペーキングパウダーは使いませんでしたが、メレンゲの力でこんなにふくらむんですねえ。

 底の部分はカステラのように芳ばしくて、中のほうはふわふわしっとりしています。何て優しい味わいなの! もう虜になりました。

 夫が帰宅して食べるのを楽しみに会社に出かけていったけれど、うーん、それまであるでしょうか? もう一つ作る? 何てことを考えてふと、今日が循環器科の受診日だったことを思い出しました。

 ケーキなんて作っている暇はないのに、もうだめ、シフォンの虜です。今日は娘が休日で、まだ寝ているのですが、びっくりさせようと思って、わざと早いうちに作ったのでした。

 これなら、娘のブランチにもよさそうです。サラダ、コーヒーと一緒に、シフォンのブランチ。

 次回はバナナシフォンケーキを作ってみようかしら。コーヒーストライプのシフォンケーキなんてのもすてきですね。本当は、まだまだ基本のシフォンで勉強すべきなのかもしれませんけれど、本の写真を見てうっとりとなってしまって……。

 下井桂子著『シフォンケーキ 21のバリエーション』(文化出版局、1996年)という親切な本を見て作りました。本体価格1,380円でした。 

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昨日の夕飯(冷奴のみそダレ、ほうれん草といり卵のサラダ)

20061030231222  昨日の夕飯は、刺身、冷奴のみそダレ、ほうれん草といり卵のサラダ、大根と玉ねぎとセロリのスープでした。

 一昨日の体調の悪さは治りましたが、食欲は何となくありませんで、昼間はモロゾフのチョコレート2粒と紅茶でおなかがいっぱいになりました。
 夕飯は一応作りましたが、何を見てもサラダ感覚のものしか思い浮かびませんでした。

20061030231356  メインは盛りつければ済むパックの刺身、冷奴のタレはみそダレというよりマヨネーズダレといったほうがいいタイプのタレ、ほうれん草と卵とハムを使ったものもいつもの中華風にはせずに、フレンチドレッシングで食べるタイプのレシピを参考にしました。スープもブイヨンで煮ただけのあっさり系でした。

 とはいえ、マヨネーズやフレンチドレッシングは油を使いますものね、思い描いたよりはこってりとした感じでした。家族、特に夫は気に入って食べていました。目先を変えたいときには、こんな食べかたもいいかもしれません。

20061030231426 冷奴にかけたみそダレの材料を『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)からご紹介しますと、白みそ大さじ1、マヨネーズ大さじ4、卵黄1個分、レモンの皮少々。

 レシピでは、千切りにしたレモンの皮を散らして香りを添えるとありますが、輸入物のレモンの皮を使うことに抵抗があり(防腐剤が……)、横にレモンを添えて好みでかけられるようにしました。

20061030231640 20061030231938  以前はセロリが苦手でしたが、欧風のスープやソースのレシピによくあるので、使っているうちに、苦手ではなくなりました。

 スープに入れると、魚や肉を使った場合の臭みを消してくれ、セロリ自体の個性の強さは消えて、わたしでも抵抗なく食べられます。サラダに使うときはスープのときとは違って、あの個性が強烈に発揮されるほうがいいですね。みじん切りにしたり、千切りにして少量サラダに使うと、平凡なサラダでも引き締まる感じで、何だかすてきになりますね。

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2006年10月30日 (月)

昨日の夕飯(テイクアウトのお弁当)&発作の翌日のハイな気分

20061029224527 昨日の夕飯は、テイクアウトのお弁当でした。

 体調が悪かったので、娘にお弁当を頼みました。通勤バスがサッカーの試合の影響か、遅れたので、デパ地下のお弁当は間に合わず、駅前の商店街の中にある、食堂とテイクアウトのお店で買ってきてくれました。

 トンカツの定食やカレーなどで有名なお店で、テイクアウトにはトンカツ、エビフライ、ハンバーグ、カレー、サンドイッチなどがあります。組み合わせがいろいろあって、○○弁当、あるいは○○ランチなどとネーミングされています。

20061029224605_1  食べ応えが充分なので、夫はここのお弁当が大好き。トンカツにかけるソースが美味しい~。娘はサンドイッチのお弁当が好き。わたしもここのお弁当が好きですが、昨日は本調子でなかったので、トンカツのお弁当を残してしまいました。

 トンカツ熱で温まった林檎が嫌いなので、夫に林檎をやったのですが、ほかは欲張って食べきってしまうつもりで、やりませんでした。結果、残してしまったわけなのですが、さすがに食べ散らかしたものを夫に食べて……とは、いえませんでした。

 トンカツのお弁当と休養のおかげで、すっかり調子が戻り、早朝からルンルンと家事をこなしました。昨日のナーバスな気分はどこへやら、元気で明るくしたたかなマダムN復カツです。体調がいいときと悪いときでは、全くの別人なんですね。

 狭心症の発作の前触れに注意し、発作を適切な判断で乗り切り、発作時に使用するニトロで定期的に血のめぐりをよくすることで、このわたしも案外長持ちするかもしれないと思います。インデラルとヘルベッサーという薬もサポートしてくれていますし。

 そう考えれば、発作だって、人生に強弱をつける指揮者のタクトの振りみたいでいいかもしれません。あとは、このわたしがびゅーてぃふるな調べを奏でるだけでしょう(?)。

 明日は循環器科の受診日ですが、元気に受診できそうです(何か変ね)。 

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2006年10月29日 (日)

発作のあとで空想した死後の世界のシステム

 警戒していて正解だった。やっぱりきた、狭心症の発作。

 それも、何たることか、トイレで。その個室を出ようとしていたときではあったが、トイレで起きたことには間違いない。そのような場所で起きたということにデリケートな乙女、いや、おばさんごころは傷つく。

 よく聞く話ではあるが、トイレや風呂場では起きてほしくないなあと思う。ニトロのペンダントをしていて、よかった。強い痛みが起きたときはじっとしているのが唯一できることで、とても場所を移動できるような状態ではない。

 痛みは一旦軽くなったが、また襲ってきそうな気配があったので、ニトロを舌下へ。あわてていたせいか、溶け出したニトロを半分くらい飲み込んでしまった。飲んでしまうと効き目が悪くなる。

 トイレから出て、すぐにニトロのテープを貼った。汚いが、手を洗ったのはそのあと。テープのおかげで、胸の中に清涼感が拡がった。それにしても、このニトロのテープはありがたい。持続的に長時間効くので、していた仕事を中断せずに続けることができる。

 舌下錠だけ処方されていたときは、一度治まったあとでまた発作が起きることが珍しくなく、再び使って治まっても、胸の中の不安定な感じがとれなかったりした。

 ニトロのペンダントに舌下錠を2錠入れると、どうしてもアルミ包装がひっかかるので、今は1錠だけ入れている。2錠あったほうが安心なのだが、1錠だけでも、あるのとないのとでは全く違う。何といっても発作をとっさにしずめるには、ニトロ舌下錠に勝るものはない。

 眩暈や頭痛がわたしの場合には狭心症の発作の前触れとなることが多い(ほかに左腕の痺れ、歯痛など)。今回もそうだった。眩暈、吐き気、頭痛とあったので、メニエール病の症状だと思っていたが、違うのかもしれない。循環器科のお医者さんも、わたしがときどき訴えるこうした症状を、メニエール病より血圧や不整脈との関連で捉えていられるようだ。

 尤も、前に耳鼻科で聴力や平衡感覚の検査を受けてメニエール病があることははっきりしており、体調の不安定が同時期にメニエール病や狭心症の症状を招くのかもしれない。 

 ところで、心臓病に苦しんだ母方の伯母はトイレで倒れ、発見されるのは早かったが、意識不明のまま亡くなった。同じく心臓病だった母方の祖母は部屋の中で倒れ、痛みに転げまわって亡くなったという。母方で心臓や血圧に異常の出る人は多いが、就寝中に亡くなったという話はまだ聞かない。

 わたしはときどき眠っているときに、おかしなことが起きる。夢の中で起きた胸痛については前に書いたが、今日の昼下がりに寝ていたとき、夢の中で、咳の発作に襲われた。正確にいうと、咳き込みたくても咳が出ないために苦しいという夢を見たのだ。

 目が覚めると、本当にそのような状態で、咳き込みたいのに、すぐに咳が出ない。苦しくてたまらなくなったが、何とか出て、今度は激しく咳き込み、それが止まらなくなった。治まってからは何ともないが、これは喘息の発作と考えていいのだろうか。

 何にしても、睡眠中に変ったことが起きると、いい気はしない。就寝中の突然死にかなりの割合で、冠攣縮性狭心症の患者が含まれるなどと書いてある医療関係の記事など読むと、よけいに不安になる。寝ているときに死にたくはないなあ。

 死後人間がどうなるかについては、わたしは神秘主義者なので、それなりの経験と知識から、少なくとも死んで1週間のあいだの人間がどんな状態に置かれるかをこちら側から描き尽くすことはできる(あちら側からの観点というのは、わかりようがない)。

 だが、だからといって、それが死への恐怖を減じてくれるということはない。人は生きているときと同じように、死んでからも何らかの管理下に置かれることは確かなようなのだが、この世やあの世の個々の人間の小さな営みを超えたシステムがあることは安心を誘うと同時に、その正体がわからないことへの不安も生じるのだ。

 どちらにしても、死ぬということは今までの自分からすれば未知の世界への旅立ちであることに間違いはなく、慣れ親しんできた世界、人々とのお別れなのだ。この世に生きていたときの思い出をスーツケースにいっぱい詰めて、さようならをいわなければならない。

 そして、おそらくその言葉は、生きている普通の人々には聴こえないだろう。この世で築いた関係全てとのお別れが、ひどい寂しさを伴わないとしたら、そのほうがどうかしている。死者の試練の一つは、この寂しさをどう乗り切るかということであるに違いない。

 肉親が肉親であるということも、わたしが今のかたちのわたしであるということも、この世限りのことだと思えば、それぞれに対して募る日常的次元の不満などどうでもよくなり、かけがえのない、満ち足りた思いでいっぱいになる。

 とりあえずは、今日をどう生き延び、明日をどう生き延びるかだ。同じように生き延びようとする身近な人々とどう助け合っていくかだ。 

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昨日の夕飯(インスタントカレー)

20061028230513  昨日は体調が悪かったので、インスタントのルーを使ったミンチカレーにしました。

 で、紹介できるレシピも何もありませんが、このブログはわが家の食の記録と個人的な体調記録でもあるので、記事にしました。

 循環器科の診察を受けるときに前もって読めば、ひと月分の体調の変化がわかるので、今ではブログはわたしにとって遊びの域を超えた貴重な存在となっています。

 それまでも日記はつけていましたが、ほとんどが創作メモで、日常的な事柄に関しては書きかたにむらがあり、発作に関しては簡単なメモ程度でしたから、発作時の様子やその前後のことはあとで思い出そうとしても案外思い出せず、お医者さんにも適当な報告でごまかすことが多かったのです。

 カレーの話に戻りますが、カレーにもわが家なりの変遷がありまして、新婚時代は手作りのカレーでした。

 夫がもっと辛いのを、もっと……と要求するので、行き着いたのが単なるインスタントカレーでした。その頃は、ジャワの辛口を煮つめた激辛に近いようなものを作っていました。尤も、まだ激辛という言葉自体がありませんでしたけれど。

 近頃では夫はそれほど辛くなくてよくなり、むしろわたしのほうが辛いカレーが好きになりました。息子が帰省したときに作ったグリーンカレーが気に入ったのですが、夫は辛すぎるんですって。。。娘も。。。

 息子も、今住んでいるところは九州より薄味らしく、以前ほど辛いカレーを好まなくなったといいます。近頃は大抵中辛を使っています。昨日は娘がグリコの『極』カレーを買ってきました。

 そういえば、今うちで使っているしょうゆは減塩しょうゆです。一度普通のしょうゆに戻したら、しょっぱく感じました。料理の本通りに作っても、しょうゆを多めに入れる料理では味わいが異なるかもしれません。

 カレーの中に入れる肉に関しては、子供たちが小さな頃にミンチカレーを作るようになり、ルーは子供たちのは別に王子様カレーで作っていました。

 今は角、薄切り、ミンチといろいろですが、大抵牛肉です。体調が悪いときは肉を切ることさえ億劫なので、家族がミンチカレーを嫌いでなくてありがたいです。野菜はみじん切りにした玉葱、半月切りのにんじん、大きめに切ったじゃがいもです。なす、かぼちゃ、ブロッコリーが入ることもあります。

 ブログを作ってからチャレンジ精神がわいてきたので、これからはいろいろなカレーにチャレンジしてみたいなと思っています。でも。。。保守的になってきた夫についてくることができるかしらね。

 カレーのときは必ずヨーグルトが側に。夫にはラッキョも欠かせません。

 体調が悪いといっても、幸いまだ狭心症の発作は起きていません。が、変な不整脈が起きたり、不安定な感じは相変わらずなので、体を動かすのが大儀です。今日も買い物に出るのは無理かもしれません。

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2006年10月28日 (土)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第69回

 秋風が吹く頃になって、叔母が冴えない様子となりました。

 原因は、叔母の年の離れた妹の変貌が原因だったようです。その妹とはすなわち、亡き母の下の妹であり、わたしのもう1人の叔母にあたります。わたしは小さな頃のままに、ちい――小さな――叔母ちゃんと呼んでいました。

 私塾の仕事の合間に『老子』に没頭しがちだったわたしはうっかりしていたのですけれど、叔母は心痛のために幾分衰弱して見えるほどです。

「叔母さん、お体は、どこも何とも……?」とわたしは尋ねてみました。

 すると叔母は生気のない顔をあげたのですが、その両眼ばかりが変に輝いて見えました。

「マナちゃん。姉さんが、あなたのお母さんがわたしは大好きでした。妹も好きだったけれど、どうやら嫌いになってしまったようだ。ああ、ああ、あの子は吝嗇になってしまった……」と口走ると、叔母は額を押さえました。

 何でもありませんよ、と言うのを無理に寝床へ連れていきました。叔母の心痛の理由はこういうことでした。〔

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パムク『わたしの名は紅』を読み始める

 今年度のノーベル文学賞に決定したオルハン・パムクの著書『わたしの名は紅』を読み始めた。

 娘が、パムクの別の本『雪』のぶんの本代を支払ってもいいといっていたのだが、そうはならなかった。娘も買うという。現在、自分が勤める書店から注文中。でも、これは嬉しいことだった。同じ本を読み、感想を話せる相手が身近にいると思うと楽しい。

 『わたしの名は紅』はなかなか面白い。読むのに豊富な知識があったほうがいいと思わされる作品だが、物語を辿るために必要な知識はそれとなく織り込まれているので、スムーズに読めないということはない。

 学生時代に『コーラン』をざっと読み、イスラム教の神秘主義者・詩人であるルーミーの語録を読んでその典雅さに圧倒された覚えがあるが、何かしらイスラム教の世界は異世界という先入観があった。

 『わたしの名は紅』は証言集のスタイルをとった小説で、証人として登場するのは人間だけでない。屍も犬も、そしてまだそこまで読み進めてはいないのだが、おそらく紅という色も証人として登場するのだろう。

 証言を通してくっきりと人間のかたちが、生活が、生き様が描かれていく。屍の投げ込まれた井戸が匂い、犬のいるコーヒーハウスが匂い、街並みや部屋部屋が匂う。自分もそこに紛れ込んだような不安な気持ちになる。作品の世界がわたしにとって、すでに異世界ではないからだろう。

 村上春樹の嗜好品のような作品を読みながら、主人公や自分の気分にさえ酔っていればいいといった、そんないい加減さが『わたしの名は紅』にはないぶん、読むのにきついということはいえるかもしれない(村上春樹の作品は嗜好品というより、精神を眠り込ませる麻薬に近いとさえいえるかもしれない)。

 パムクの作品ではその世界に生きざるをえなくなり、その世界を知らないわけにはいかなくなるのだ。生きるとはそういうことだと改めて認識させてくれるような作品なのだ。だが文章にも話の進めかたにも文学作品らしい気品があるので、心地よい。そうした意味ではこちらも嗜好品の性質を兼ね備えている。優れて上質の……。

  ところで、12日に狭心症の発作が起きて以後はずっと調子がよかったのが、昨日あたりからおかしい。寝ても、疲れ果てて目が覚め、体を動かすのが億劫だ。パソコンの前に座っているほうが楽なので、ついここへ来てしまう。左腕が朝から痺れっぱなしだ。

 買い物日なのだけれど、どうにも億劫。どうしよう? 今日はシフォンケーキを作って買い物へ行くつもりだったのだが、ケーキという気分になれない。ああ糞、左腕が痺れる! 五十肩からきているのか、単なる寝違えなのか、狭心症の発作の前兆なのか、わかりゃしない!

 ※パムク氏の記事は多くて、右サイドバーのカテゴリーに「オルハン・パムク」の項目があります。クリックなさって、ご参照ください。

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昨日の夕飯&サラダが連想させるオードゥーの『孤児マリー』

 昨日の夕飯は、銀ダラの西京焼き、なすとトマトのケチャップ煮、マカロニサラダ、吸い物でした。

 銀ダラのつけ合せに、椎茸を焼いてしょうゆをかけました。銀ダラの下に野菜を敷いたホイル焼きにしても美味しいでしょうね。いつもそう思うのですが、いざとなると、銀ダラだけ焼いて、銀ダラだけで食べたいと思ってしまいます。

20061027233141  『なすとケチャップのトマト煮』は、「栗原さんちの朝20分のお弁当」(文化出版局、1992年)を参考にしましたが、本ではトマトは軽く炒めてあって、形を綺麗にとどめています。

 わたしはペースト状になるまで、トマトを炒め煮しました。子供たちのお弁当用に作っていたときは形をとどめるようにしましたが、普段食べるぶんにはトマトを煮崩れさせてなすに味を絡めるほうが好きです。ごはんにのせても美味しいですが、パスタにもいいかもしれません。

 本に書かれている材料は、なす1個、トマト1/2個、ケチャップ・オイスターソース・しょうゆを各大さじ1/2です。

20061027233509 昔から我流で作っているマカロニサラダ。クレイジーソルトに出合ってからはほんの少し振り入れるようになりました。入れると、美味しいのです。仕上がりには、飾り程度に黒コショウを少し。

 ところで、わたしは料理をしながら、これまでに読んできた文学作品の一場面が脳裏をかすめることがよくあるのですが、マカロニサラダを作るときは必ずといっていいほど、マルグリット・オードゥー著『孤児マリー』のワンシーンが思い浮かぶのです。

 マリーは孤児院で、マリー・エーメというシスターに出会いますが、シスターは若いながら自分のまわりのものすべてを清潔でみずみずしいものに変える力を持っているかのようです。

 食堂を受け持っていた年寄りのシスターは大きな鉢の中でサラダを作るときに、両袖を肩までまくり上げ、節瘤だった黒い両腕で、しきりにサラダをかきまぜていました。その腕はやがてすっかり濡れ、しずくだらけになって出てくるので、小さなマリーは雨降りの日の枯れ枝を思い出します。

 ところが、配置交換が行われ、マリー・エーメシスターが食堂の担当になると、サラダは長い柄の匙でかき回されることになるのでした。

 このマリー・エーメシスターの魅力は、孤児マリーの目を通してあますところなく描かれていきます。清楚で意志的で、ときには若さゆえのお転婆ぶりさえ発揮するシスターは、灰色の孤児院生活の描写の中で精彩を放っています。

 シスターと司祭とのプラトニックな恋、そして苦悩と司祭の死も描かれるのですが、やがて孤児マリーとシスターには別れがやってきます。

 シスターの清新さをうとましく思っていた院長の策略で、マリーの就職先が婦人帽子店から農園に変更になったのでした。変更にさえならなければ、シスターと孤児マリーは、日曜日ごとに会うことができたばずでした。

 ですが、それは永遠の別れとはなりませんでした。永遠の別れはのちに訪れます。

 恋愛事件が原因で農園にいられなくなったマリーは、もといた孤児院に戻ります。そこにシスターはもういませんでしたが、あるとき、短い再会の機会が訪れるのです。

 その再会のときのシスターは次のように描かれています。少し長くなりますが、『孤児マリー』(掘口大學訳、新潮文庫、昭和28年)からご紹介しましょう。

「可愛いあなたよ、よくお聞き、どんなことがあっても、哀れな尼僧になぞなるのではありませんよ!」
 後悔のそれのような長い溜め息をなさいました。そして、先を続けておっしゃるのでした。
「わたしたちの白と黒のふた色の法衣は、他の人たちに対し、自分たちが光明と力の存在だと告げています。だから、あらゆる涙は、わたしたちの前にきてこぼれ、あらゆる苦悩は、わたしたちによって慰められようと望みます。でも、だれあって、わたしたちの苦悩を考えてくれる者はありません。わたしたちには、顔さえがないようなものです」
 次に、未来について、こうおっしゃるのでした。
「わたしは、布教姉の道を行くつもりです。行ってわたしは、恐怖でいっぱいな家で暮らします。わたしの目の前には始終あらゆる醜と腐敗があることになりましょう!」
 わたしは深いお声に聞き入っていました。お声の底に、一種激しいものが感じられました。どうやらたったおひとりで、ありとあらゆる地上の苦痛を引受けになる力がおありだとさえ思われました。
 わたしと組み合っていた指が解けました。それをわたしの頬にお移しになりました。
「あんたの顔のその清らかさを、深く心に刻みつけておくとしましょう」
 こうおっしゃるお声に、やさしさがこもっていました。お目の視線が、しきりにわたしを見回している間に、付け足しておっしゃるのでした。
「神は、わたしたちに思い出を賜りました。これを奪う力ばかりはだれにもありません」

 マリー・エーメシスターはこのあと、癩病患者の看護に出発したのでした。(同じ作品に触れたエッセー『百年前の子供たち』はこちら

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2006年10月27日 (金)

昨日の夕飯(ハンバーグ、蓮根とこんにゃくと椎茸の煮物)

20061026232715   昨日の夕飯は、ハンバーグ、蓮根とこんにゃくと椎茸の煮物、豆腐と葱の味噌汁でした。

 プレーンなハンバーグです。ソースも、肉汁にケチャップとウスターソースを加えて煮詰めたソース。
 ソースに関しては、あれこれ試してみた過去がありましたが、わたしはこのシンプルなソースでないとハンバーグを食べた気がしません。

 大抵のメニューでは夫や子供の好みを取り入れて、自分の好みは二の次になりがちなのですけれど、わたしの大好物のハンバーグに限っては自分の好みを最優先します。20061027085414
 で、夫は自分の好みに従い、左の写真の日本食研『晩餐館ステーキソース黒胡椒』とか近頃はまっているセロリ塩とかをかけて食べています。 

 気が向けば、大根おろしを添えてやったりしますが、気が向かないときのほうが多いのですね。

20061026233115 蓮根とこんにゃくと椎茸の煮物。

 煮汁の割合は、だし4カップに、みりん1/2カップ、薄口しょうゆ大さじ4です。一緒に厚揚げを煮ても美味しいです。

20061026233323  いりこでだしをとった豆腐と葱のシンプルな味噌汁は、わが家の食卓の原点です(ちとオーバーでした)。 

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2006年10月26日 (木)

昨日の夕飯(サワラ料理、かきのクリームスープ)

20061025235227  昨日の夕飯は、サワラの香草焼き。かきのクリームスープ。それから、インスタントの素を使ったもので、カレー風味のまぜごはんでした。

 昨日は、買い物に失敗した感のある一日でした。事は、瓶詰めのオリーブピクルスを買っておこうと、昨日が最終日だったデパートの「イタリア展」に寄ったことから始まりました。本当は、寄る予定ではなかったのです。

 閉まる時間が迫っていたせいか、生ものはおおかた半額になっていました。瓶詰めは安くはなっていませんでしたが、それでも普通のときに買うよりは安いのです。

 オリーブピクルスを2瓶買い、半額になっていた中から、サラミ、芽キャベツをつい買ってしまいました。それからイタリアのお菓子――スナックも2袋買いました。芽キャベツとお菓子は好奇心からです。この中でお買い得だった……とあとで思ったのは、意外にもスナックでした。

 地下に下りると、銀ダラの西京漬けが安く出ていました。2週間前にも買ったので迷いましたが、たまたまこのあいだと今安いからといって、頻繁にそうだというわけではなく、全然見かけない時期さえあるので、あの美味しさを思い浮かべ、買いました。

 売り場の人は、漬け込んだばかりなので、日を置いてからのほうが美味しいといわれました。5日は冷蔵庫で持つということなので、何か別の魚も買うために、奥の魚屋さんに行きました。

 買い物に出ると疲れるので、その日のメインには皿に移し換えればよい刺身のパックを予定していたのですが、手頃なものがなく、サワラを買いました。加熱用のかきも安かったので、ほうれん草とかきの中華風炒めを思い浮かべ、これも衝動的に買いました。

 この時点で、予定していた3日間のメニューがぐちゃぐちゃになりました。うまくメニューがまとまらないまま、野菜コーナーでローズマリーを見、サワラを香草焼きにしてみようと思い立ちました。これも、好奇心からです。

 おなかにニンニクを詰め、すずきにローズマリーをのせてオリーブオイルを回しかけ、オーブンで焼いたイタリア料理を書店で見た記憶があったのです。それをサワラでやってみることにしました。そして、ローズマリーに気をとられ、ほうれん草を買い忘れたのですが、そのことに気づいたのは帰宅してからでした。

 翌日の肉料理にはロールキャベツを予定していたのに、芽キャベツを衝動買いしてしまって、家族をキャベツ攻めするのもどうかと思われ、が、とりあえず合い挽き肉を買いました。合い挽き肉は安いし、ハンバーグ、コロッケ、オムレツ、肉だんご……玉葱と卵さえあれば、何か形にはなるからです。

 小さな衝動買いを重ねたために予定が狂い、頭の中が混乱したまま帰宅しました。

20061025235320_2 サワラにセロリ塩とコショウを振り、みじん切りにしたニンニクを散らして、オリーブオイルを回しかけました。そしてローズマリーをのせ、オーブンで焼きました。

 ローズマリーの匂いって、松の香に似ていません? サワラを焼くと、松に似た香りが部屋中に漂いました。とても強い清涼感のある香り。

 でも、ネットで調べてみるとシソ科なんですね。若返りのハーブとして知られ、ファラオの墓からも発見されているとか。肉が腐りにくくなり、臭みがとれ、さっぱりと胃もたれしにくくなるということです。

 本当にそう! 夫がしきりにさっぱりしているといいましたが、ハーブ効果だったんですね。このあとでご紹介するかきのクリームスープも、バターと生クリームを使ったのに、セロリをたっぷりと使うせいか、かきの臭みがなく、どぎつい感じがありませんでした。

 サワラはオーブンで焼いたので、ほくほくした感じに仕上がりました。

 芽キャベツはゆでて、ニンニクとバターで炒めました。ゆでた段階で味見をしてみたら、ほのかに苦味がありました。ネットで調べると、寒さを越えたものは甘みが出てくるそうです。正直なところ、わたしはあまり美味しいとは思いませんでしたが、栄養価は高くて、加熱してもほとんど壊れないとか。 

20061025235803  かきのクリームスープをNHK「きょうの料理」ポケットシリーズから、かいつまんでご紹介します。ほうれん草を買い忘れたので、生クリームの残りを使って、かきのクリームスープを作ることにしたのです。

 4人分16粒のかきは熱湯でサッとゆで、1つを2~3つに切り、白ワインカップ1/2で30分煮る。じゃがいも中1個は薄切り。

 鍋にバターを溶かし、1/4個をみじん切りにした玉葱、1/2本をみじん切りにしたセロリを入れて炒め、小麦粉大さじ3を加えてさらに炒めて、スープストックカップ5でのばす。

 煮立ててじゃがいもを加え、柔らかくなるので煮る。かきを加えて似立て、塩コショウで調味。生クリームに卵黄1個分を混ぜ、撹拌しながら加える。器に盛って、刻みパセリを振る。

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これは、賞味期限が気になり、早く使いたかった(といっちゃ、悪いけれど)まぜごはんの素で。。。

 便利だけれど、やっぱり手作りが美味しいかな。

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20061026071436  長くなりましたが、最後に、イタリアのスナック菓子『レオナルズクラシック』(輸入者:(株)巴商事)をご紹介。

 お皿に盛った、これはベーコン風味。ベーコンの味がしっかりついています。おつまみにぴったり。

20061026071619  ナポリピザ風味も、ピザの味がしました。

 いずれも味が濃く、大人向きのお菓子で、子供には向かないでしょう。 

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テレビで国会中継中。蔵出しのハムスターの写真。

 近頃は何だか、下手な料理の記事がメインになってきた気がする。

 テレビで国会中継中。衆議院憲法調査特別委員会質疑。テレビの国会中継を見逃しても、衆参院のホームページで視聴できるが、あとでとなるとその時間をつくりそびれるので、テレビの前にいられるだけはいたい。

 ところで、また昨日娘が蔵出しのハムスターの写真を、自分のブログに貼り付けていた。わたしも~。
P1000003 P1000004

 シャンガリアンハムスターのフレーズ(愛称フーちゃん)。3歳を目前に死んだ。

 動物を飼ってはいけないと呼吸器科のお医者さんにいわれているので、言いつけを守っているが、飼いたい! 毛のある可愛らしい生き物を。亀だったら飼えるだろうけれど。うー迷うなあ。

 それにしても、前回の国会中継のときもそうだったが、野次が飛び交い、軽薄な雰囲気だった小泉時代の国会とは違う静けさだ。始まって30分――今のところ、野次、私語、咳払い一つなし。残念だが、ここでちょっと家事。 

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2006年10月25日 (水)

昨日の夕飯(豚ヒレ料理、筑前煮風サラダ)

20061024234133 昨日の夕飯は、お料理のサイト「ドラゴンストーリー」の中の『豚ひれのオリーブソース』を参考にさせていただいた一品、「栗原さんちの朝20分のお弁当」(文化出版局、1992年)から『筑前煮風サラダ』を見て作った一品、使い残しの野菜一掃が目的の適当な野菜スープでした。

 「ドラゴンストーリー」はすてきなお料理サイト。あなた様も一度のぞいてみられては?

20061024234415 デパートの「イタリア展」で買ったお惣菜のオリーブとトマトのピクルスは、美味しく食べるには早いうちに、という売り場の人のお話でした。

 せっかくのお惣菜ピクルス。メインのお皿に添えたり、サラダに散らしたりする以外に、これを主体にした魅力全開のお料理がないだろうかとうちにある料理本を漁りましたが、見つけることはできませんでした。

 「ドラゴンストーリー」で『豚ひれのオリーブソース』を発見したときは、これだ、と思いました。サイトの管理人さんに感謝! 本当に、本当に美味しくて、家族にも大ヒットでした。お洒落なので、おもてなし料理にもなりますね。

 生クリームやバターを使うので、もっとこってりとした感じかと思ったら、不思議とあっさりしていました。豚ヒレという淡白な肉質、豚肉を焼くのにオリーブオイルを使用、ソースにオリーブピクルスを使うことなどが、あっさり感を出すのでしょうか。

 ああそれに、わたしは勝手なアレンジを加え、最後にオリーブオイルを回しかけることと、チーズを散らすことをしませんでした。その代わり、冷蔵庫で固まりかけた生クリームをスプーンで掬ってのせ、パセリのみじん切りをほんのちょっと散らしました。レシピ通りに作り、チーズが加われば、また違った感じかもしれません。絹さやを加えたのも、勝手なアレンジでした。

 正しい作りかたがサイトにありますので、どうぞ、そちらをご覧ください。

 豚ヒレブロックが安いときは、また絶対に作ろうと思います。歩いて行けるデパートのイタリア展は年に1回だけ……もうお惣菜ピクルスは買えないので、瓶詰めのオリーブピクルスを使うことになりますが、それで作ればどんなでしょうか。今回とはソースの味が微妙に違ってくるかしら。

20061024234733 めんつゆを使った栗原はるみさんのレシピ。これも盛んに作ります。

 れんこんやごぼうを使う料理は何となく面倒に感じられるのですが、味つけがめんつゆだけなので、気が楽なのです。

 本からレシピを簡単にご紹介します。詳しくは、本をご覧ください。

 材料は、れんこん1節(100g)、にんじん1/2本(50g)、こんにゃく1/2枚、ごぼう1/2本、絹さや5枚、赤とうがらし1本、サラダ油大さじ1、めんつゆ1/4。

 れんこんは薄い半月切り、水にさらす。にんじんはいちょう切り。ごぼうは薄い短冊切り、水にさらす。こんにゃくはゆでて、縦半分に切って薄切り。絹さやは筋をとり、かためにゆでて千切り。

 鍋にサラダ油を熱し、種を除いた赤とうがらしを炒め、ごぼう、れんこん、にんじん、こんにゃくの順に炒める。全体に油が回ったらめんつゆを加え、汁気がなくなるまで炒め煮する。盛りつけ、絹さやを飾る。

 わたしは赤とうがらしは今回は使わず、こんにゃくも手でちぎりました。

20061024234520  黄色いものは、さつまいものクリームあえ を作ったときに使い残した紫いもです。キャベツも傷みそうになった小さなボールみたいなのがありました。にんじんも新しいものの横に古いものが1本寂しげに。

 コンソメスープの中で、彼らはよみがえりました。味つけはスープの素と塩ひとつまみです。  

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2006年10月24日 (火)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第68回

 峠をくだり終えたわたしは谷底に下りて、流れで顔を洗いました。

 谷神不死、是謂玄牝之門、是天地根、綿綿若存、用之不動、
 谷の神は決して死なない。それは神秘な牝(ひん)と名づけられる。神秘な牝の入り口、そこが天と地の(動き)の根源である。それはほそぼそとつづいて、いつまでも残り、そこから(好きなだけ)汲(く)み出して尽き果てることがない。

 つぶやいた『老子』の中の言葉が、一掬いの谷川の水と共にわたしの体内に沁みわたりました。何て不思議な言葉なのでしょう。谷神、玄牝とは。谷川のせせらぎが、昔子宮の中で聴いたに違いない母の血液の流れる音に想われてくるのでした。

 谷の霊気は、みどりがかった白銀の尽きせぬシャワーとなって皮膚に降りそそぎます。

 明くる朝『老子』の言葉が書きつけられた木簡――テキスト――をひろげると、眼に痛かったバリケードのような黄色い光が消え、書は華(かがや)かしい純白の肌合いをあらわにしていました。

 書が放射している白い光を受けながら読むと、難解に思えた言葉が不思議とわかりやすく感じられたのです。〔

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昨日の夕飯(冷やっこのごまダレ、ポテトとハムの焼肉のたれ煮)

20061023235026  昨日の夕飯は、ぶりの照り焼き、冷やっこのごまダレ、ポテトとハムの焼肉のたれ煮、トマトと貝割れ大根のサラダ、卵のスープでした。

 ぶりの照り焼きはフライパンで作りましたが、オーブンで作ってもよかったなと思いました。

20061023235405_2   ぶりは4人分で、しょうゆ大さじ4、みりん大さじ2、砂糖大さじ1に40分つけ込みました(うちは昨日は2人分でしたので、半分とはいかないまでも、少なめにしました)。

 フライパンでぶりを焼いたあと、つけ汁を煮つめてぶりにかけました。

 実はわたしは食べなかったので、出来具合はわかりませんでしたが、家族は美味しいといってくれました。

20061024000019  昨日はあまり食欲がなかったのですが、この冷やっこのごまダレはいけました。『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)を見て、作りました。

 見かけはどぎついタレに見えるかもしれませんが、しょうがが入っているせいか、さっぱりとしていて、にんにくとラー油が食欲をそそります。“超おすすめ”です。

 タレの材料を本からご紹介します。長ねぎ(せん切り)・あさつき(小口切り)各小さじ1、すりごま大さじ1、赤みそ・砂糖各大さじ1、ラー油少々、しょうゆカップ1/4弱、にんにく(みじん切り)・しょうが(みじん切り)各小さじ1。

20061024000053  『栗原さんちの朝20分のお弁当』(文化出版局、1992年)を見て作った、わたしにはなつかしい一品。

 子供たちのお弁当に盛んに作ったからです。でも、ここ2年ほど作っていませんでした。

 鍋に冷凍ポテト、ハム、焼肉のたれを入れて煮つめるだけなのですが、冷えても美味しくて、お弁当のおかずにぴったりです。勿論、夕飯のおかずにもなりますね。昨日うちには冷凍ポテトはなかったので、じゃがいもを硬めにゆでて作りました。

20061023235652  かかっているのは、市販の青じそドレッシングです。そのうえからマヨネーズをかけても美味しいですね。

 ドレッシングもマヨネーズも、手作りのほうがさっぱりとしていて味わい深く、美味しいと思うのですが、ちょっとの手間が面倒なときもあるので、市販のドレッシングを数種類揃えています。青じそを一番使います。

20061024000325  インスタントにしようか手作りにしようかと迷う境界線上に、チキンコンソメを使って作るこの卵スープが位置します。

 味つけは気分によって、塩だけだったり、酒・塩・薄口しょうゆだったり、それにごま油を落としたり、水溶き片栗粉でとろみをつけたりといろいろですが、昨日は酒・塩・薄口しょうゆでした。

 マギーブイヨン、チキンコンソメ、中華スープの素はよく使いますが、なぜか和風のだしの素は全くといっていいくらい使いません。いりこあるいは削り節、それに昆布です。習慣なんでしょうねえ。

 夫が嫌いなので、魚の吸い物は全くしなくなりました。実家ではよく食べていましたけれど。この年になると、たまにはそういったものが食べたくなります。今度、作ろうかしら。夫も中年のおじさんになったので、美味しいといってくれるかもしれません。 

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2006年10月23日 (月)

村上春樹の小説とはあまりにも違う…パムク著『わたしの名は紅』『雪』

 藤原書店から、注文していた2冊の小説が届いた。本を注文したものの実は、それほど期待していなかった。1冊は娘が払うといってくれたものの、わたしの小遣いにはのしかかる額であるし、わたしにとって、つまらない本に対する出費ほど腹立たしいものはないからだ。

 巷でノーベル文学賞候補として村上春樹の名が小鳥の囀りか烏の鳴き声かと思うくらいに囁かれていたせいか、それとは無関係なのか、村上春樹の作品を疑問視するエッセーを収める当サイトに、沢山のお客様がお見えになった。いや、ノーベル文学賞が村上氏ではなく、トルコの作家オルハン・パムク氏に決定したのちも、引きも切らず昨日も、おそらく今日も……。

 アクセス解析の検索ワードで見る限りでは、村上春樹著『ノルウェイの森』のファンのかた、研究なさっているかた、疑問視あるいは嫌悪をお感じのかた、性的な興味をお持ちのかた――と様々で、一律ではない。

 村上氏の『海辺のカフカ』を読了し、パムク氏の作品との抱き合わせで――対比させて――わたしの初評論といえるだけのものを書きたいと思いながらも、気が重かった。

 そんなときに、注文していたパムク氏の『わたしの名は紅(あか)』『雪』が藤原書店から届いたのだった。宅急便のおじさんが玄関口でわたしに配達物を差し出したときから、何とはなしに胸の高鳴りを覚えた。ただならぬ客人を、取り散らかしたわが家に迎えた雰囲気が漂う。これはもしかしたら――と思った通り、それは藤原書店から送られた本の包みだった。

20061022181700 20061022181758

20061022181519  極度に緊張して、包装を解く。本は、そこにあるだけで自らの存在を明かす。その本ならではの雰囲気を纏っている。そこにあるだけで、影響を及ぼすのだ。忌まわしい本は置くべきではない。

 2冊の本をぱらぱらとめくり、出だし、あとがき、真ん中あたりの頁にすばやい視線を投げかける。いつのまにか涙が出ていた。 

 こんな興奮は、東京創元社から出ている『バルザック全集』を出版社やアマゾンやジュンク堂から苦労して取り寄せているとき以来のことだった。『バルザック全集』は品切れになっているものも多かったのだ。

 バルザックの本で、わたしを高揚させない本はただの1冊もなかった。台風被害に遭い、ホテルに避難したときは『バルザック全集』の中の書簡集とブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』を一緒に持っていった。

 もう手に入らないかもしれないからだ。自分より、これらの本のほうが大事だといえるかもしれない。台風被害を受けた家は倒壊する懼れさえあったのだが、自分の作品には一点の執着心も起きなかった。いつ死が訪れようと、家族に対する心配すらなければ、わたしは平安に死んでいけると思う。

 自分のものになるとすぐに本をぱらぱらとめくって中身を確かめるのが癖なのだが、バルザックの本を手にすると、いつも涙がにじんだ。涙がにじむのは、そのとき以来だった。本は夕方届き、今は深夜だが、未だ興奮状態で落ち着いて読めない。

 2冊の本の始めの部分から、印象的な箇所を紹介しておきたい。

わたしの名は紅
「いまや死体だ、わたしは。屍だ、この井戸の底で。最後の息を吐いてからかなりになる。心臓もずっと前にとまった。だがあの憎き人殺しのほかにはわたしがどんな目にあったか誰も知らない。奴は、あの卑しい下郎は死んだのを確かめるために、まだ息があるかどうかを調べ、脈をみた。それから脇腹を蹴り上げ井戸のところまで運んでいって下に投げ込んだ。井戸に落ちた時、その前に石で割られた頭蓋骨がバラバラになって、顔も額も頬もつぶれて見分けがつかなくなった。骨も折れて、口の中に血があふれた。

 これで四日になる、家に戻らなくなってから。妻や子供たちはわたしのことを探していることだろう。娘は涙もかれはてて、ぼんやり庭の木戸を眺めていることだろう。皆がわたしの帰りを、わたしが入り口から入ってくるのを待っているに違いない。だが本当に待っているだろうか。それも確かではない。もしかしたら、もういないのに慣れてしまったかもしれない。なんたること! こんな所にいると、以前の生活が元のように続いているかのような気がする。わたしが生まれる前にも、それまで無限の時間があったのだ。わたしが死んだ後も、尽きることの無い時間があるのだ。生きている間はこんなことは少しも考えなかった。明るい光の中で生きていた訳だ、二つの闇の狭間で。

 幸せだった。幸せだったのが今わかる。スルタンの細密画の工房で一番いい仕事はわたしが手がけていた。芸の上でわたしに近い者すらいなかった。工房の外でした仕事は金貨九百枚にもなった。こんなことを考えると死んだことがさらに耐えがたくなる。」


「雪の静寂だと考えていた、バスの運転手のすぐ後ろに座っていたその男は。もしこれがある詩の書き出しだったら、心の中で感じていたものを雪の静寂と言っただろう。

 自分をエルズルムからカルスに乗せていくバスに、彼はやっと間に合ったのだった。イスタンブルから二日かかった吹雪の中のバス旅のあとで、エルズルムのターミナルに着いた。薄汚い、寒々とした通路でかばんを手に持って、カルスに連れて行ってくれるバスはどこから出るのかと探している時、誰かがすぐ発つバスがあると言ってくれたのだった。」(略)

「しかし引き返すことなど彼の頭には全くなかった。夜の帳(とばり)がおりると、地面よりも明るく見える空に目を向けた。ますます大きくなって、風で舞い上がる雪の一片一片を、近づいてくる惨事の兆しとしてではなく、子供時代の幸せと無邪気さがついに戻ってきたしるしとして眺めていた。窓際に座っていた乗客は、子供時代の幸せな年月を過ごした町イスタンブルに、母親が死んだので一週間前に十二年ぶりに戻り、そこで四日間滞在したのだった。そして思いもかけないカルスへの旅に出たのだった。異常なまでに美しく降る雪は、何年ぶりかに見ることができたイスタンブルよりも、より大きな幸せを彼にもたらしていた。彼は詩人だった。何年も前に書いた、トルコの読者にもあまり知られていない詩の中で、雪が一生に一度夢の中でも降ったことを書いていた。」

 意表を衝く『わたしは紅』の出だし、雪の気配が次第に濃厚になっていく『雪』の出だし。いずれも瀟洒な筆遣いだ。

 訳者の和久井路子さんは、訳者あとがきを次のような言葉で締めくくられている。

「この優れた作品が、単にトルコ国内で一番有名だとか、ベストセラーだからとかいうのではなく、オルハン・パムクが現代トルコの最高の作家であり、世界中の新聞雑誌の書評欄で数年来取り上げられているがゆえに、この作品を日本の読者に紹介したいとその梗概を日本で数人の編集者に見せたところ、いずれも「素晴らしい作品だ、是非読みたい」といわれたものの、日本の出版界の不況、特に翻訳文学の不振から、「社の事情を考えると今すぐ出版は」とためらわれた中で、藤原社長の慧眼と英断で出版が実現したことに深く感謝申しあげます。」

 出版界どうなっているの、といいたくなるではないか。現在のわが国は、文学的には後進国と考えたほうがいいだろう。この国にいては、ノーベル文学賞受賞作家の作品さえ、満足に読めないのだから。

 藤原書店が出してくれていなければ、ノーベル文学賞決定の時点で、パムク氏の本はこの国では1冊も出ていなかったことになる。日本文学も翻訳文学も書店にあふれているというのに、あれはまぼろしだとでもいうのだろうか。

 パムク氏の記事は多くて、右サイドバーのカテゴリーに「オルハン・パムク」の項目があります。クリックなさって、ご参照ください。

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2006年10月22日 (日)

昨日の夕飯(写真なし)&「プラチノ」のケーキ(写真あり)

 昨日の夕飯は、豚肉のキムチ炒め(つけ合わせとしてサニーレタスを数枚敷いた上にトマト丸1個分をまず縦2つに、次に横に薄切りにして乗せました)、ところてん、スープ(クリーム状のスイートコーンに水、ブイヨン、牛乳、かたくり粉、とき卵、パセリ、ごま油)でした。

  バタバタしていまして(遅くから料理を始めたので)、写真を撮る時間がありませんでした。

 代わりにといっては何ですが、デパートのイタリア展で買ったケーキの写真がありますので、それをアップします。

P1000044 「プラチノ」というお店の『ティラミス』と『アンジュ』です。

 『アンジュ』はテレビ番組「はなまるマーケット」の“おめざ”で有名になりましたね。ガーゼにくるまれたチーズムースです。ガーゼは水分をとるためで、フランス伝統の製法だとか。。。

 中に入っているカシスジャムがすてきです。この『アンジュ』は、ネット注文できるみたいですね。クール便で届くようです。 

P1000045_1 P1000046 20061021012920  熱いコーヒーや紅茶が似合う季節になったせいか、ケーキを作りたくなってきました。

 といっても、もうずいぶん作っていません。
 8年ぐらい前の大昔に、果物で飾る生クリームケーキに凝っていたことがあるのです。パンも作りましたが、あまり上手にはできませんでした。

 作りたくなってきたのは、ケーキやパンのいい香りが漂ってきそうなブログを沢山閲覧させていただいたせいでしょう。

 作ってみようかしら、そのうちに。シフォンケーキを作ってみたいのです。夕飯作ることすら、フーフーいっている癖に、よくいうと自分でも思いますが、ケーキを夕飯に、というのもお洒落でいいかもしれません(夫は回れ右をして会社に戻ってしまうかな)。

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2006年10月21日 (土)

最愛の子にブッダと呼ばれたガブリエラ・ミストラル―その豊潤な詩また神智学との関りについて①

☆プロローグ

 前に書いた記事『ミニチュアのピアノ&文学全集、詩集』の中で、ガブリエラ・ミストラルについて触れ、彼女がラテンアメリカに初めてのノーベル文学賞をもたらしたチリの国民的詩人であり、教育者、外交官としても高名だったことを書いた。

 そして同じ記事で、まだ中学生だったわたしが、ミストラルの詩に陶然とさせられたことも語った。

 その記事から、この記事まで、予想外の時間が経過した。前の記事から次の日くらいにはミストラルに軽く総合的に触れた記事を公開するつもりだったのだが、書こうとして怖気づいてしまったのである。

 バルザックについて書こうとしたときと同じ現象に見舞われたわけだった。別にミストラル研究家ではなく、それ以前に如何なる種類の物書きですらなく、このサイトにご訪問くださっているありがたいかたがたとて、こんなド素人に何の期待をなさるというのだろう。

 軽く、いや、いっそ軽薄に、ミストラル賛を書けばいいではないか――そう思えば思うほど、ミストラルの香気に圧倒される自分がいた。

 圧倒される理由の内訳をいうなら、最も大きな割合を占めるものとして、スペイン語でミストラルが読めない苛立ちということがある。フランス語でバルザックが読めないことで、同様の苛立ちを覚えるように。

 第2には、ミストラルと神智学についてである。名もない1人の神智学徒として、私見にしかすぎないことを、当サイトへの訪問者が少ないからといって、放言することが許されるのかというおののき……。

 第3には、詩人、教育者、外交官として、社会的に多大な功績のあったミストラルの詩人としての一面だけに触れようとするバランスの悪さということがある。

 このほかにも、数えあげればきりがない。でも、書こう。書きたい衝動に身を任せてみよう。

 わたしの前にあるミストラルについて知ることのできる本は以下の3冊だけである。

  • 『世界の詩集 12 世界女流名詩集』(深尾須磨子編、角川書店、昭和48年)
    ミストラルの6編の詩が収められている。
  • 『ガブリエラ・ミストラル――風は大地を渡る――』(芳田悠三、JICC出版局、1989年)
  • 『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』(田村さと子訳、小沢書店、1993年)

 ところで、わずかばかりの幸運としてわたしは大学時代、第2外国語でスペイン語を選択していた。少ししか学習しなかったスペイン語の残滓が記憶にこびりついているにすぎないのだが、スペイン語は学習しやすい明快さを持った言語であること、歯切れのよい、シックな言語という印象がある。

 そうした言葉で、ミストラルの詩は書かれたのだ。晩年の詩集『ラガール』の中の『別れ』という詩には、さよなら、ありがとう、という言葉が印象的に登場するが、さようならはアディオス、ありがとうはグラシアスなのだということくらいはわかり、おそらく陰に籠もった、依頼心の強い日本的情緒とは無縁の感じを持つ詩なのだろうと思う。

 プロローグの締めくくりとして、その別れという詩を『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』(田村さと子訳、小沢書店、1993年)から紹介しておきたい。なお、このエッセー気ままな更新になるかと思います、あしからず。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

   別れ

      ガブリエラ・ミストラル作/田村さと子訳

いま 突風に
吹き寄せられ 散らされてゆく
おおくのさよなら、
このようなものだ、どんな幸せも。
もし 神が望むなら いつの日か
ふたたび ふり返るだろう、
わたしの求める面差しが
ないならば わたしはもう帰らない。

そう わたしたちは椰子の葉をふるわせているようなもの、
喜びが葉っぱたちを束ねたかと思うと
すぐにみだれ散ってゆく。

パン、塩、そして
孔雀サボテン、
ハッカのにおう寝床、
“語りあった”夜よ ありがとう。
苦しみが刻みこまれた
喉もとに もうことばはなく、
涙にくれる両眼(め)
扉は見えない。


ガブリエラ・ミストラル関係の記事一覧:06.10.2 10.21 07.2.14 6.7 9.5 10.31 

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昨日の夕飯(しらたきのかか煮)

20061020233915  昨日の夕飯は、秋刀魚の塩焼き、しらたきのかか煮、ポーチドエッグサラダ、じゃがいもとねぎの味噌汁でした。

 たまには別の料理法を、と思ったりもするのですが、秋刀魚を見ると塩焼きが食べたくてたまらなくなり、どうしてもこうなってしまいます。確か秋刀魚は今秋4度目です。

 この秋刀魚の容貌は、前回料理した現世に思いを残して他界したかに見える見目麗しい秋刀魚に比べると、尖った精悍な印象です。何だか鮫みたいな顔。お頭つきの魚を料理するたびに、魚の容貌を観察してしまう癖、どうにかならないものかしら。 

20061020234439 ポーチドエッグのほかに、サニーレタス、ブロッコリー、スライスした玉葱、きゅうり。それに、一昨日イタリア展で買ったオリーブとトマトのピクルスを切って散らしました。フレンチドレッシングがかかっています。

 ドレッシングは4人分で、サラダ油大さじ3、酢大さじ2、塩小さじ2/3、砂糖・コショウ少々。

20061020234801  しらたきのかか煮は、結婚して初めて買った『365日のおかずと献立』(主婦の友社)に載っていたもので、これまでに数えきれないくらい作りました。

 この本、幼児だった頃の子供たちが好きに破ってしまって、ぼろぼろです。奥付も破られてしまって見当たらず、初版年月日がわかりません。

 夫の同僚の奥さんと新婚時代に盛んに行き来がありましたが、偶然にも、彼女も同じ本を購入していました。歩いて15分のところに相手の家があり、毎日のように会っては一緒にお昼を食べ、昼寝をし、この本をのぞきながら、夕飯の献立を考えました。

 わたしの母は亡くなっていましたし、彼女も母親に甘えられない事情がありましたから、今思えば、互いが互いの母親役をもつとめていたように思います。その若さでは相談を受けたほうもどうしていいのかわからず、ふたりで途方に暮れてしまうこともよくありました。

 そんなわたしたちの喜怒哀楽と共にあった料理の本は、今なおわが家では現役です。彼女は現在福岡市に住んでいて、わたしは大分市と離れ、めったに会わなくなりましたが、たまに電話で話すと、友人というよりは肉親と話すような感覚があります。

 彼女は演歌が上手で、独身時代にはスカウトされたこともあったとか。その当時はまだ恋人だったご主人に相談すると、「行くんなら、俺と別れていけ。そのうち、ドサまわりになるのが落ちだ」といわれ、悩み迷った末にご主人を選んだのだそうです。

 幸福そうな家庭を築き、今はある会社の正社員として忙しい毎日を送っている彼女ですが、昔も今も、ちょっぱり生活に、ご主人に疲れたとき、「ねえ、Nちゃん。ご主人が好き? 愛してる?」と訊いてくる癖があります。

 わたしはその質問にいつまで経っても慣れることができず、妙に馬鹿正直な答えかたをしてしまうのですが、その何気ない、でも、ほろりとくるような物言いには、真剣に答えなければならないような気にさせられるのですね。

 彼女は歌手の夢、わたしは作家の夢、叶わなかった夢をわたしたちは抱いています。いえ、つい人生が終ったかのような過去形を使ってしまいましたが、まだわかりません、叶うか叶わないかは――

 話が脱線しましたが、しらたきのかか煮の作りかたを、本から簡単にご紹介します。

①しらたき1玉はサッとゆでてざるにとり、3~4cm長さに切る。
②鍋に油大さじ1を熱し、充分に炒めて、しょうゆ大さじ2.5、砂糖小さじ2を加え、箸でかき混ぜながら味を充分につける。
③最後に削り節を1/4カップ入れ、全体にまぶしつけるようにして仕上げる。

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2006年10月20日 (金)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第67回

 わたしは峠を下りながら、うずくようにイサエガとのことを回想しました。それは、今なお、何という荒廃した甘美さであったことでしょう……!

 締まっては解ける、解けては締まる筋肉の律動や、吐息や愛撫や、さざめくようなロマンティシズムが織り成すイサエガの魔術によって、官能の悦びが、わたしの肉体の、感覚の、穴という穴を軸として旋回し、渦巻き、霧を放ちました。

 けれども、敬虔な光は、その悦びの半ばまでしか達せません。

 貴い諸力に結ばれたその光こそわたしそのものと感じるものでしたから、イサエガと名づけうる甘美な現象は、官能、感情、思考の領域へと拡大してゆく異常な感化力の下でわたしの芯を撹拌しながら茫然自失状態へ、さらには自家中毒を経て虚無への没入へと誘う気配ゆえにわたしを怯えさせたのでした。

 それは痺れるような感覚と、浮遊するようでありながら重たげな雰囲気を伴っていました。真実の両性の結合がこのようなものであるはずがありません。

 崇高なヒューマニズムに半ば染まりつつも、女王連合国があこがれ、受容しようと努めてきた大いなるものの消息まで消し去ってしまおうとするイサエガの急進的思想と俊敏な知性が纏うほのかな腐敗臭は、彼があれほどみずみずしく生存していながらも、その内部では既に死に絶えてしまっていることを証し立てているのでしょうか?

 そのような状態で生きることができるのは、憑かれた人間だけではないかとわたしはおののきながら考えます。

 益生曰祥(※7)、心使気曰強、物荘則老、謂之不道、不道早巳、
 生命に何かをつけ加えようとすることは「不吉」と呼ばれる。心を激しく使うのを「強」(粗暴)とよぶ。活気にあふれたもの(生物)には、その衰えのときがある。これ(粗暴)が「道」に反することと呼ばれる。「道」に反することは、すぐに終ってしまう。

 
 
7 〈祥〉はふつう吉祥・吉兆の意に用いるが、古くはその反対の凶事の前兆の意にも用いられた。(『老子』(小川環樹訳、中公文庫、1973年)107頁) 

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昨日の夕飯(チーズリゾット)&デパートの「イタリア展」で

20061019195610 20061019194303  
 デパートの「イタリア展」での収穫物です。実は、これだけではありませんで、ケーキと生ハムの切り落としも買いました。

 そして。。。

20061019182804  こんなものを食べたりもし、中性脂肪の数値をあげました(たぶん)。娘と一緒だと、数々の誘惑に晒されてしまいましてね(と人のせいにする)。

 「東京日本橋アルポンテ」のジェラート。3種類選べて、これはゴルゴンゾーラ、ティラミス、バニラの組み合わせ。

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P1000034_sh01 P1000036_sh01_1  そして、収穫物は、たちまちこのような姿となりました。

 ワインは、甘口の白で、ヴィン・サント・デル・キャンティ・クラシコ(1999年)。

 わたしは10年ぐらい前に肝機能が低下したことがあり(飲酒によるものではありません、念のため)、以来、お酒はほとんど飲みませんが(今は肝臓は元気で、別にドクターストップがかかっているわけではありません)、クリスマスと家族の誕生日のみ例外としてきました。

 この市に引っ越してきてからはデパートに近いとあって、ドイツ展、フランス展、イタリア展のときを例外とするようになりました。でも、わたしはせいぜい写真の小さなグラスに1~2杯。娘もあまり飲まないので、ほとんど夫が飲みます。

 このキャンティ・クラシコ、わたしの好みからすればちょっと甘すぎるけれど、有無をいわせず人を魅了してしまう味わいの小気味よさがあり、試飲した段階で惚れ込んでしまいました。娘も同意見、夫にもヒット。幸福の1杯でした。

20061019202527  夫の好物、ゴルゴンゾーラピカンテ。青かびびっしり。わたしもかなり好きです。

 羊のチーズを試食したのですが、独特の味わいがありますね。山羊は前に試食したことがありましたが、これもまた。

 山羊はわたしの子供の頃は、田舎では結構飼われていました。一度だけ、山羊のお乳を飲んだことがあります。鮮明に記憶に残っています。結構生臭くて、ほんのり甘く、牛乳に比べたら水っぽい感じがするのですが、不思議な安心感を与えてくれる味わいでした。

 出産後に自分のお乳を味見して気づきましたが、山羊のお乳は人間のお乳に味わいが似ています。だから、安心感を覚えたのでしょうか。山羊のお乳は牛乳よりも消化がいいともいいますね。羊のお乳は、どんなかしら。チーズからはうまく想像できませんでした。

 オリーブとトマトのピクルスは、いけます。わたしと娘はリゾットでおなかがいっぱいになり、ピザまでは入りませんでしたが、海鮮ピザを食べた夫は美味しいといっていました。残る2つはきのこのピザとチーズのピザです。

 収穫物のうち、緑色のキャップのものはドロゲリア社のミニエラフィーノ(岩塩細粒)です。20061019235005_1 20061019235018

 『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)の中にある「イタリアンチーズリゾット」を作りたかったので、生ハムの切り落としを買いました。切り落としでも、わが家の家計からすれば、ちょっと贅沢でしたが……。

 ちょっと燻製っぽい感じが、いい味を出しました。ただパルメザンチーズは塊のものが見つけられず、パルメザンの粉チーズを使いました。塊をすりおろして入れれば、香りが違ったでしょうね。でもまあ、これはこれで、「まさにリゾットだね」と娘が誉めてくれました。

 チーズリゾットの作りかたを本から簡単にご紹介します。詳しくは、本をご覧ください。材料は4人分です。米は洗わないほうがいいと書かれています(洗うとすればさっと。わたしはさっと洗いました)。

  1. 湯カップ4、固形スープの素2個・薄切りにした玉ねぎ・にんじん・セロリ各少々、ローリエ1枚を鍋に入れ、煮立ってて弱火にし、15分。こす。
  2. 厚手の鍋にバター大さじ1を落とし、千切りにした生ハム2枚とみじん切りにした玉ねぎ1/4を中火で炒め、米を加えて透き通ってパラパラになるまで炒める。
  3. 白ワイン大さじ2、①のスープを加えながら、20分ほど煮る。米が、芯がなく、やや硬めに煮えたら火を止め、バター大さじ3とすりおろしたパルメザンチーズ50gを加える。

20061020002501  トマトサラダには、みじん切りにした玉ねぎとパセリがかかっています。ドレッシングの材料は、ワインビネガー、サラダ油、塩、砂糖です。

 イタリア展での散財はわが家の場合、他の日で取り戻さなくてはなりませんが、こんなとき旬の秋刀魚ほどありがたいものはありません。誘惑の多いイタリア展から地下へ逃れ、3尾200円の秋刀魚を即座に買いました。

 その次の日は豚肉のキムチ炒めをしようと、その材料も買いました。このメニューも財布には優しい。 

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2006年10月19日 (木)

昨日の夕飯(鮭のみそバター焼き)

20061018231958  
 昨日の夕飯は、鮭のみそバター焼き、おぼろ豆腐、サラダ、イワシのつみれのスープでした。

 鮭のみそバター焼きは、ネットの「おかやまコープ」のサイトから『秋鮭のみそバター焼き』を参考にしたものです。

20061018232229 北海道産秋鮭が使われているところを、わたしは甘塩のチリ産銀鮭を使いました。

 作りかたをサイトから簡単にご紹介します。わたしはかなり変えていますので、正しくはサイトをご覧ください。材料は4人分です。

 鮭4切れはサラダ油で両面を焼き、酒大さじ2、みりん大さじ2、みそ大さじ2、砂糖大さじ1/2、しょうがのすりおろし少々を回し入れ、バター20gを加える。

 わたしが使った銀鮭は脂が多いので、バターは香りづけ程度に使いました。

 つけ合せは、わたしが適当に考えたものです。前に使ったさやえんどうと紫いもの残りがあったので、それに大根を加えて、サラダ油で炒め、軽く塩コショウしました。前もって、いもは湯で、大根はブイヨンでゆでました。

20061018232659_1 20061018232457 20061018232831  おぼろ豆腐。
 プリーツレタス、白アスパラガス、缶詰のホタテのサラダ。
 前に買って冷凍していたイワシのつみれ、キャベツ、葱のスープ。

 昨日は買い物に出るつもりで、出ませんでした。で、また冷蔵庫を漁っての料理となりましたが、家族が美味しそうに食べてくれたので、ホッとしました。

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『テレプシコーラ』の千花から連想した『アルゴノオト』の井亀あおい

Link soon 山岸凉子『テレプシコーラ』最終回の感想new

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 『テレプシコーラ』第1部が完結した。この先、この物語がどのようなふくらみを見せるのか、想像もつかない。山岸凉子は凄い……本当に凄い!

 同じ作者の同じバレエ漫画であっても、鋭さの中にも少女漫画らしいあまやかさを持った『アラベスク』に比べ、『テレプシコーラ』は現代日本を舞台とし、時事的な事柄を随所に織り込み、バレエという華やかな世界の裏舞台を容赦なく曝け出した、息詰るほどにリアリスティックな物語だ。

 そうした厳密な物語の構成の中で、コリオグラファー(バレエの振り付け師)としての才能に目覚めていく主人公六花(ゆき)が果たす役割は、とてつもなく大きい。物語の舞台が現実的であればあるほど、六花にそれと拮抗できるくらいの内面性が要求されることになるからだ。 

 そして周到な山岸凉子は、それだけの内面性を六花に与えている。この少女の空想癖は、単純なものではない。核心の部分に鋭い感性を潜ませているのだ。

 物語のスタート部分で、美貌、頭脳明晰、公明正大な性格と、あまりにこの世的な贈り物に恵まれすぎた姉の千花は、惜しむらくは六花のような豊かな内面性には恵まれず、先の悲劇的展開を予感させた。

 姉の千花は現実の――あるいは世俗の――価値観に縛られた結果、自ら命を絶つ。姉の死後、六花は夢を見る。トュオネラという幽界にある河で、白鳥かと見紛う美しさ、悲痛さで姉が踊り続けている夢だった。

 ここでトュオネラを出してくるとは、山岸凉子のあまりの凄さに呆れてしまう。そして、そのための伏線まできちんと張られている。前もって六花は、シベリウスの『トゥオネラの白鳥』との邂逅をCDを聴くことで果たしているのだ。

 トゥオネラで踊る千花の場面を読みながら、わたしはシベリウスの昏くうねるように始まるあの荘重な曲が聴こえてくるような錯覚を持った。『トゥオネラの白鳥』を聴きたくてたまらなくなったが、うちにあるのはレコードで、プレイヤーは壊れてしまっている。わたしがそのレコードで聴いていたのは、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によるものだった。

 六花は夢を下地としたバレエの振り付けを完成させ、発表会でコリオグラファーとしての才能を周囲の人々に印象づける。ここでの六花は単なる空想家にとどまらない、この世と同時にあの世をも見据えた透視家、あるいは神秘家の凄みさえ感じさせる。

 ただ、こうしたアクティブな六花の行動は世俗的な野望をも感じさせるものでもあって、当然ながら、この先の彼女の葛藤や試練を予感させはする。

 それにしても、千花の自殺から作者は物語をどう展開させるのか、わたしなどには想像もつかなかったのだが、これ以外の展開はありえないと思えるほどの完璧さで、第1部は完結してしまった。

 ところで、千花の死から六花のトゥオネラの夢のくだりを読んでいて、『アルゴノオト』(葦書房、1979)という日記と『もと居た所』(葦書房、1978)という作品集に収められた諸作品を残して、千花と同じように投身自殺を遂げた井亀あおいという女性を連想しないわけにはいかなかった。

 あおいは17歳で亡くなっている。日記も作品集も老成した筆致で描かれ、丹念で緻密で才気がみなぎっており、完全主義者であった生前の姿が想像される。彼女はシベリウスの愛好家であったようだ。

 わたしは大学時代に日記と作品集を読んだが、彼女は1960年生まれ、わたしは58年だから、彼女のほうが2つ年下になるわけだが、とてもそうとは思えないような感覚の冴えと立体的といっていいような物事の巧みな観察の仕方に舌を巻いた覚えがある。

 しかしながら、こんないいかたは語弊があるかもしれないが、彼女には欠如したものがあるような気がしてならなかった。『テレプシコーラ』を読んで気づいたことだが、それはたぶん、六花が備えているような感性のしなやかさ、あの世まで包含してしまうほどの内面的な広大さ、すなわち、たくましい受容力なのだ。

  それは、老子が著書の中で繰り返し重要さを語るところのたおやかさ、深さ、やわらかさだ。

 六花がともすれば自らの内面に取り込まれてしまう危うさを抱えているのとは対照的に、千花もあおいも、内面が現実に取り込まれてしまう危うさを抱えていたように思われる。如何なる空想力も発揮できなくなったとき、彼女たちは死んでいったように思われる。

 あおいに六花のような空想癖がなかったわけではない。むしろ彼女は空想しすぎるくらいに空想をした。ただ、その空想の内容は現実的すぎて、空想が過剰になればなるほど、現実の重みばかりが増していったような印象なのだ。

 わたしにしても、内面的な傾向が六花から千花やあおいに傾いてきていることが感じられ、11階から見る地面がすぐそこに見えることがある。かつてはそこそこに豊かだったはずの内面的世界は今は見る影もなく、干乾びたチーズのように小さい。創作において現実的な賞狙いに熱をあげすぎたために、内面的に蝕まれたのだろうか。それとも、これが年をとるということなのだろうか。

virgo関連記事

2007年11月16日 (金)
いよいよ山岸凉子『テレプシコーラ』第2部が始まった!
http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/11/post_78c1.html

2008年8月10日 (日)
山岸凉子『テレプシコーラ』第2部・第9回を読んで
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/08/post_f2a9.html

2010年9月10日 (金)
山岸凉子『テレプシコーラ』最終回の感想new
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/09/post-afa7.html

2006年4月25日 (火)
レニングラード国立バレエ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/04/post_b8af.html

2010年5月 1日 (土)
シネマ『パリ・オペラ座のすべて』を観て~芸術に関する国家的制度の違いに目から鱗
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-c3d8.html

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2006年10月18日 (水)

昨日の夕飯(三色ごはん、大根のごま炊き)

20061018000253 昨日の夕飯は、三色ごはん、大根のごま炊き、かまぼこと葱の吸い物でした。

 三色ごはんは前に一度同じものをアップしましたが、三色ごはんはこんなものだろうと思い込んでいたわたしは、別に珍しくもないだろうとレシピの紹介はしませんでした。

 が、念のためにネットで検索してみてびっくり! ビーフシチューのときに驚いた以上の衝撃に襲われました。

 そぼろには、鶏ミンチだけではなく、牛ミンチ、豚ミンチ、合いびき、ツナ、鮭、照り焼きチキン、などが使われています。みどりとなると、インゲン、千切りピーマン炒め、小松菜のごまあえ、ホウレン草のごまあえ、グリーンピース、水菜の漬物、大根の葉の漬物、きゅうり。みどりではありませんが、千切りニンジン炒め、でんぶを使ったものもありました。ちなみに母は千切りにしたシイタケを甘辛く煮つけたものを使っていました。黄は、おしなべて炒り卵でした。

20061018000316  わたしはみどりに綺麗なさやえんどうがないときはインゲンを使い、鮭やツナを単独でそぼろにしたりはしますが、左の写真のような組み合わせが定番です。

 改めて、うちの三色ごはんの写真をまじまじと眺めてしまいました。『十二か月シリーズ9 肉のおかず十二か月』(女子栄養大学出版部、昭和41年)を見て作っているのですが、作りかたは簡単ですから、そのレシピから材料だけご紹介しておきます。4人分です。

 さくらめし{米カップ4、水カップ4と1/2、しょうゆ大さじ3、塩小さじ1}
 とりそぼろ{とりひき肉200g、しょうゆ大さじ3、砂糖大さじ1、みりん大さじ1}
 炒り卵{卵3個、塩小さじ3/5、砂糖大さじ1、酒大さじ1/2}
 さやえんどう、紅しょうが

 次回は、定番とは違った三色ごはんを作ってみようと思っています。ブログに料理をのっけていなければ、三色ごはんの多彩さも知らずに終っただろうと思います。

20061018001051  夫が風邪気味です。ブログ散策をしていても風邪が流行っているようだな、と思います。わたしは不思議なことに心臓病になってからはほとんど風邪をひきません。20年ぐらい前に肺炎になったのを最後として、高熱の出た記憶というのが皆無なのです。鼻がぐずくずすることもめったには。喘息持ちなので、咳が出ることはありますが、それも風邪かどうか……。

 風邪によさそうな一品を栗原はるみさんの『もう一度、ごちそうさまがききたくて。』(文化出版局、1994年)から見つけて作りました。出来上がりを夫に食べさせたら、ふーふーいって食べていました。かいつまんで、ご紹介します。詳しくは本をご覧ください。

材料●大根1/2本、煮汁(だし汁2カップ、しょうゆ大さじ3~4、みりん大さじ2、砂糖大さじ1/2~1、酒大さじ1、半ずりのごま1/2カップ)

作りかた
①大根は一口大の乱切り、下ゆでしておく。
②鍋に煮汁の材料を合わて火にかけ、ひと煮立ちしたら、大根、半ずりのごまを加え、落としぶたをして、弱火で煮含める。

 わたしは大根の切りかたを変えてみましたが、乱切りのほうが大根の熱々感が出ていいだろうな、と思いました。大根を煮た汁はそう辛くなくて、飲んでも美味しいです。この汁、ごまでこくがあり、栄養もありそう。

20061018001244  こぶと削り節でだしをとった吸い物です。味加減は自己流で、薄味です。

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学生時代の思い出

 学生時代の友人2人から相次いで手紙がきた。

 同人誌を送り、わたしはその手紙の中でざっと近況報告し、ブログの存在を明かした。

 友人の1人は、パソコンはあるがまだネットにつないでおらず、つないだら訪問すると書いてくれ、もう1人の友人はすでに訪問してくれた由――わぁ、恥ずかしいなあ、でも嬉しい、ありがとっ!

 この2人の友人にもう1人の友人とわたしを加えた4人は同じ大学の法学部の仲間で、くっつきあって授業を受けたり、ときどき集まったりしていた。

 それぞれが別の友人グループに属していたりもしたが、皆どこか変に生真面目でかたいところがあり、うわべだけのちゃらちゃらしたつきあいかたを好まないとあって、この4人が集うと妙に暗かった。

 というより、この4人で集まると、そうした側面が強く表に出た。ほかの友人といるときは、皆ちょっと違っていたりもした。楽しげに明るく、華やかに見えた。わたしもつき合う相手によっては、ちゃらちゃらしていたり、ヒッピー風だったり、カマトトっぽかったりした。

 ある夜、4人で映画を観にいった。なぜかオカルト映画しかあっておらず、それを4人でぼーっと観た。「オードリーローズ!」という館内に響き渡った映画の中の声を覚えている。そしておでん屋に入ったが、客が少ないのか、汁の中の種は総じて硬くなっていた。ごりごりになったコンニャクや卵を4人で黙々と食べ、友人の1人のアパートへ行った。

 わたしは女子寮暮らし、他の2人は通いとあって、その友人のアパートに泊まることになった。彼女は立派な猫を飼っていた。ライオンをフランス読みにした名をつけていたが、猫の癖にライオン、というかトラのような威容と気品があり、飼い主の友人だけにしかなつかなかった。

 友人は猫を頑丈なケージに閉じ込め、わたしたちに手を出さないようにと忠告した。誰かがうっかり手を出しかけ、瞬時に「がぉぅ」という感じで猫の太い腕が柵と柵の間から出てきたが、危ういところで難を逃れた。

 4人はそれからお酒を飲んだのだったか、飲まなかったのだったか……。夜は鬱々と更けていった。そして、わたしたちはいつしか眠っていた。

 その部屋の住人である友人は、まだ暗いうちから、何か朝ごはんを作ってくれていた。眠気を覚ますために氷水で顔を洗ったらしい。メニューは覚えていないが、春雨のスープがあった。これが、その集いに関するすべての記憶だ。

 女子寮暮らしにおける記憶、文芸部における記憶、当時の恋愛相手の寮における記憶……といろいろ思い出のある中で、なぜかあのときの4人の集いは記憶として鮮明で、学生時代の代表的な思い出となっている。

 で、トラのような猫を飼っていた友人とは、喧嘩をしてしまった。その頃、わたしは不整脈の原因がわからず、治療方針も定まっていない肉体の不調の中で、あえぎつつ、苛立ちながら日々を過ごしていた。友人はわたしを心配し、しきりに電話をくれた。お医者の娘ということもあって、医療に関することもいろいろと教えてくれた。

 ありがたかった。が、ある日、わたしはもう電話に出ることさえ億劫な肉体の大儀さからつい、うるさい、そんなに電話をかけられたんじゃ小説も書けやしない、といってしまった。悪かったと思っても、遅かった。

 今でも年賀状のやりとりはあり、彼女も本心から怒っているのではないらしいことは、伝わってくる。どうした偶然か、彼女は自分の分譲マンションの部屋、わたしは借りているマンションの部屋という違いはあるが、同じ11階に暮らしている。

 同じ高さから空を見、地面を見ているわけなのだ。わたしがこの市に引っ越した年明けの彼女からの年賀状に「11階はどうですか?」とただ一言書き添えられていて、そのことに気づいた。

20061017171227

200610171717582 喧嘩をする前の話に遡るが、坊やに、といって彼女手製の人形を贈ってくれた。人形には『かちどき』というタイトルがついていて、兜が別にあった。

 そのとき彼女は、もしわたしに何かあったら、きっとこの人形の髪がのびるから――と、不気味なことをいった。

 彼女は家に特別大事にしている人形を持っているそうで、その人形だけは決して埃をかぶらないという。手入れの必要が全くないのだそうだ。

 何かあったら髪がのびるったって、最初からこんなに長いじゃないの、とわたしは思い、可愛いお人形のために下手な俳句を作った。恥ずかしいので、彼女には見せなかった。

 手に菖蒲兜うつくし武者人形
 汝(
)が勝利何処の原ぞ武者人形
 かちどきの面(
おも)の艶なる武者人形 

 何にしても、互いに息のあるうちに会いたい、できれば4人で会いたいと思う。他の2人の友人たちの思い出も書きたいのは山々だが、本人に読まれると恥ずかしいので、書かない。

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わが国の不思議な出版事情

 現代トルコの代表的作家であるオルハン・パムク氏が12日、ノーベル文学賞に決定したと報道された。

 藤原書店の出版物でその名と作品名をたびたび見ていたわたしは、ブッククラブ会員(年会費2千円)用の葉書で、さっそくパムク氏の『わが名は紅』『雪』を注文した。

 それにしても、愕然としたのは、既に欧州各国の文学賞を受けて世界的ベストセラーになっていたという98年の『わが名は紅』、ほかに『雪』が藤原書店から上梓されているだけで、トルコで最も権威ある文学賞を受けた82年のデビュー作『ジェヴデット氏と息子たち』も、83年『静かな家』も、85年『白い城』も、90年『黒い書』も、わが国の出版社からは出ていなかったという事実だ。

 一体、わが国の出版事情はどうなっているのかと首を傾げざるをえない。ノーベル文学賞が期待されていた村上春樹の諸著書が書店の目立つ場所に溢れていたのに比べ、また何という……(絶句)。

  このことで、わが国における出版傾向、書店での扱いが如何にバランスを欠いた、問題を孕んだものであるかが露呈された。「情操」にとって、出版界は間違いなく危機的状況をつくり出している。

左サイドバーのカテゴリーに「オルハン・パムク」があります。

当ブログにおける関連記事:

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2006年10月17日 (火)

昨日の夕飯(太刀魚の中華煮、大根サラダ、さつまいものクリームあえ)

20061017000202  
  昨日の夕飯は、太刀魚の中華煮、大根サラダ、もやしの味噌汁、さつまいものクリームあえでした。

 20061017000244

 これは写真では何だかわかりにくいかもしれませんが、ネットで「おかやまコープ」のサイトから『太刀魚の中華煮』を参考に作った一品です。

 レシピは、ネットで検索してご覧ください。ちなみに、わたしの写真とはずいぶんギャップがありますので――、あしからず。この魚料理、病みつきになりそうな美味しさでした。

 写真では濃い味つけに見えるかもしれませんが、中華風の上品な甘辛さです。たおやかな太刀魚の切り身を油で揚げずにフライパンで焼くために、わたしのように料理が下手ですと、皮を剥がしてしまったり崩してしまったりするわけですが、揚げ物料理の煩わしさがなくていいです。

20061017000427

 大根のサラダ。

 これも同じサイトのものを参考にしましたが、ロースハムがわたしの料理ではベーコンに変わり、大根の千切りだったのがやや厚めの桂むきにして食べやすい長さに切ったものへと変わりました。

20061016230256_1  もやしの味噌汁。

 実は、ここ数日体調不良で外食や弁当が続いたのですが、厭きますね。どれも同じ味がしてきて……。以前であれば手作りでないと嫌がった夫が、今は素直に外食や弁当に従ってくれ、不思議です。本格的に寝込まれるより、そのほうがいいと思っているのでしょうか。 

20061016224743  『さつまいものクリームあえ』はデザートになる一品ですが、『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)を見て作りました。かいつまんで、ご紹介します。詳しくは、本をご覧ください。材料は4人分です。

 さつまいも3本(700~800g)、生クリームカップ1/2、バター大さじ3、砂糖大さじ2~3、シナモン小さじ1。

 切ったさつまいもは1~2時間水にさらす。鍋にバターを落とし、さつまいもを4~5分いためる。砂糖をまぶし、煮立ったら弱火にして15~20分、鍋を動かしながら蒸し煮にする。器に盛ったさつまいもに、泡立つ程度にかき混ぜた生クリームをかけ、シナモンを振る。

20061016220515_2 20061016220504_1

  この料理でわたしが使ったのは、鹿児島産の紫甘藷(紫いも)です。普通わたしが使うさつまいもですと、ここまで黄色にはなりません。

 写真では、紫いもの断面の淡い薔薇色がうまく出ませんでしたが、綺麗ないもだなあと思います。

20061016224815  わたしは鍋の中のいもに生クリームをそそぎ、ほんの少し煮ました。すると、バターと生クリームと紫甘藷の色が溶け合って、綺麗なたまご色のソースになります。このソースをいもにつけて食べますと、仕合わせな気分になるのです。

 なお、本では、仕上げにフライパンで空煎りしたスライスアーモンドが散らしてあります。 

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2006年10月14日 (土)

キエフ・オペラ『トゥーランドット』

 12日の木曜日にキエフ・オペラ(ウクライナ国立歌劇場オペラ)、プッチーニの『トゥーランドット』を観た。

 舞台は絢爛豪華、音楽は迫力満点だった。

 彼らは舞台マナーもすばらしかった。何度も繰り返されたカーテンコールにも嫌な顔一つ見せず、全員がチャーミングな笑顔、疲れをものともしない明るい雰囲気を絶やさなかった。

 オペラ『トゥーランドット』については不案内だったので、トゥーランドットというのが、中国は北京に宮殿を構える天子の愛娘――冷酷にして美貌の姫君の名だと初めて知った。

 彼女は求婚者に3つの謎を出し、答えられなければ死刑にしてきた。

 登場人物たちの台詞に、孔子が出てきたり、道教が出てきたりはするが、あくまでそれは異国情緒を醸すための飾りだ。「生首のような月」というとても東洋的とはいえない表現などには、ぎょっとさせられる。舞台はどう見ても、中華というよりはローマ帝国だった。

 昨年10月に観たプラハ国立歌劇場のヴェルディ『アイーダ』も、同種の異国情緒を飾りとしていた。舞台はエジプトなのだが、ハーレムの女奴隷と思ってしまった女性たちは尼僧で、祭司たちの歌はグレゴリア聖歌そっくりだった。

 西欧人が昔つくったオペラなのだから、仕方がない。いや、だからこそ、『トゥーランドット』にしても、『アイーダ』にしても、エキゾチックで謎めいた、この世のどこにも存在しない蜃気楼のような美の輝きを放つともいえる。

 わたしが観た『アイーダ』にはちょっと難点があって(というのはあくまでわたしの感想なのだが)、アイーダ役のソプラノ歌手アンダ・ルイゼ・ボグザの声が生硬で、全体に未熟な感があった。

 後半部が単調だったのは構成の問題かと思っていたが、カラヤンのCDと聴き比べてみて、歌手の問題だとわかった。プラハ国立歌劇場のそのときの公演では4名のアイーダ役が来日しており、名実共に最も有名なのはマリア・グレギーナだったようだ。王女アムネリス役のメゾ・ソプラノ歌手ガリア・イプラギモヴァのほうにむしろ華があり、声も身のこなしも優美だった。

 キエフ・オペラの『アイーダ』も観てみたいものだ。今回の『トゥーランドット』の配役はわからなかったが、トゥーランドット役をつとめた歌手には、主役としての華も、大きさも、十二分に備わっていた。

 あれくらいの華やかさと包容力、そして勿論歌唱力がなければ、自己犠牲から死んでいったリューの死を観客に無駄死にと思わせてしまったか、リューをヒロインにしてしまっただろう。

 トゥーランドットの冷酷さは、異国の王に殺された先祖皇女ローリンの悲劇を繰り返すまいとする信条と矜持とに貫かれたものだった。その頑なさが新しく生まれた愛情によってとけ、亡きリューに許しを請う姿は、誇り高いトゥーランドットならではの至純さを感じさせて美しかった。

  困ったことに、第2幕の終わり頃に軽い狭心症の発作が起きてしまった。舌下錠を使うと急に血圧が下がることがあるのでまずいかもしれないと思い、休憩になるのを待って、ニトロのテープを貼った。

 それでよくなったが、今回のオペラ鑑賞が特別劇的に感じられたのは、一つにはこの小さなトラブルがあって慌てたせいかもしれない。テープを持っていってよかった。だが、発作が前もって予感できそうなくらい体調が悪ければ、どんなに観たくてもマナー違反だ。今後、そのようなときは、涙を呑んで諦めるしかないと思っている。 

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「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第66回

 眼から鱗が落ちるとは、このようなことを言うのでしょうか?

 帰途にあって峠にありしな、アザミの咲く崖に足を踏み入れ、下方にクニを望みました。クニは相変わらず山々に抱かれています。そして空には、乳色の雲が浮かんでいました。

 あの雲の華(かがや)かしい白さの向こうに、わたしの死んだみどりごの国があるように想えてなりません。わたしは、あの雲の深々として敬虔な、薫りやかな白色に女王を感じ、みどりごを感じ、ヤエミ様を感じ、亡き母を感じました。

 我獨異於人、而貴食母、
 (だが)私には他人と違っているところがある。それは「母」(なる「道」)の乳房に養われ、それをとおといとすることである。(※6

 『老子』の中のフレーズが浮かんで、ああ、あれは、『老子』はおかあさんについて書かれたもの。母性原理の奥深さ、否、より正確には、存在原理の奥深さについて書かれたものだったんだ――と、わたしはほとばしるように思いました。

 有物混成、先天土生、寂兮寥兮、独立不改、周行而不殆、可以為天下母、吾不知来其名、宇之曰道、強為之名曰大、大曰逝、逝曰遠、遠曰反、
 形はないが、完全な何ものかがあって、天と地より先に生まれた。それは音もなく、がらんどうで、ただひとりで立ち、不変であり、あらゆるところをめぐりあるき、疲れることがない。それは天下(万物)の母だといってよい。

 その真の名を、われわれは知らない。(仮に)「道」という字(あざな)をつける。真の名をしいてつけるならば、「大」というべきであろう。「大」とは逝()ってしまうことであり、「逝く」とは遠ざかることであり、「遠ざかる」とは「反(かえ)ってくる」ことである。

 
  6 原文・口語訳共に、『老子』(小川環樹訳、中公文庫、1973年)による。以下、同。 

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昨日の夕飯(ブリと大根のスープ煮)

20061014000447  昨日の夕飯から、『ブリと大根のスープ煮』と『じゃがいものカマンベールチーズ炒め』をアップしました。

 『ブリと大根のスープ煮』は、『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)を見て、作りました。かいつまんで、ご紹介します。詳しくは、本をご覧ください。材料は4人分です。

 ブリの切り身4切れに塩・コショウ、白ワインを振り、15分置く。ザルに移し、熱湯をかけて、余分な脂肪と臭みを抜く。

 ブリと大根小1本分を鍋に入れ、水カップ4、ローリエ1枚を加えて強火にかける。アクは丁寧に取り除く。

 ブリの色が変ったら、固形スープの素2個とカレー粉小さじ1と1/2を加え、弱火で30~40分煮込む。塩・コショウで味を調える。

 本では、大根はくり抜き器で丸くくり抜いてあり、材料にブロッコリーが加えられています。丸くくり抜いたら、可愛いだろうなと思いましたが、面倒で……。四角いと、いかつい大根たちにブリが抱擁されているという感じですよね。

 でも、大根はとろけんばかりに柔らかですし、ブリの臭みもなく、美味しい魚料理でした。

20061014000050_1  『じゃがいものカマンベールチーズ炒め』は『ポテト食べたい』(集英社、1996年)を見て作った一品。

 いつもは夫の酒肴になるカマンベールチーズですが(彼が一番好きなのは青かびチーズ)、玉葱、じゃがいもと一緒に炒めました。ポテト好きのわたしには、こたえられないじゃがいも料理です。 

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2006年10月13日 (金)

トルコの作家パムク氏にノーベル文学賞

 ニュースによると、今年度のノーベル文学賞は、トルコの作家オルハン・パムク氏に決定したとのことです。

 わたしのブログに毎日何人ものかたがたが、「村上春樹、ノーベル賞」で検索してお見えになるので、お伝えしておきます。

 代表作は『わたしの名は紅』であるようですが、パムク氏の作品は未読ながら、この作品名と作者名をどこかでたびたび見たことがあると思っていたら、藤原書店の出版物においてでした。

 藤原書店から同じ作者のものとしては『雪』が邦訳、上梓されているようです。これでわたしが秘かに応援してきた(といってもなかなか本は購入できず、あくまで精神的な応援にすぎないのですが)藤原書店の本の売り上げがぐんと伸びるのでは、と期待します。

 受賞を逃した村上春樹氏の地元で恩師や親しいかたがたの残念がっている姿が、ネットニュースの画面に映し出され、日本的なそのごく普通の穏和な光景に、何か不思議なものを見たような感慨を覚えました。

 村上春樹氏の作品に関するエッセーの続きを書こうとしていたところですが、今回ノーベル文学賞が授与されることになったパムク氏の作品と抱き合わせのかたちで書いてみようかと考えています。

 わたしの初評論といえるような、少々長い、しっかりとしたものに仕上げたいのです〔仕上げました⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/06/post-40a4.html まだ不満足なものですが。そのうちもっとしっかりとした300枚くらいの評論に脱皮させるつもりです。09.6.6管理人〕。今度の同人誌の締め切りまでに間に合わないかもしれませんが、その場合は同人誌に、このブログからのセレクションとしてエッセーをいくつか選び、提出しようかしら。

 そんなんじゃだめ、といわれるでしょうか。

 間に合うかどうか……。ラテンアメリカに初のノーベル文学賞をもたらしたチリの女性詩人ガブリエラ・ミストラルについての短いエッセーを書き上げたら、まずはパムク氏の2作品を読むことから開始するつもりです。(06.10/13 7:56記) 

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2006年10月12日 (木)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第65回

 琴のお師匠さんから聞いた通りに、確かに、この方は中国に渡って五斗米道の道観(※道場)に詣でたし、そればかりか女冠(にょかん)※女道士)になるべく、鬼卒(きそつ)となって、修行三昧の生活を送ったというのです。

 この方の中国行きには、見えざる導きと加護があったということでした。

 五斗米道の信徒は鬼卒(※初めての信徒)、鬼吏(きり)(※病気の祈祷を主とする)、祭酒(さいしゅ)(※『道徳径』別名『老子』の読み方を司る)の階級に分かれているのだとか。

 柔和な面差しで訥々(とつとつ)と語る老嬢は、モモという名だそうです。話し方は弱々しい調子でしたが、玲瓏(れいろう)たる余韻を残す不思議な声音でした。

「そうですか。あんた、神殿にいたとね。女王連合国は、徳ある連合を志向する連合国です。そして、女王様は、その連合国の華(かがや)かしい首長です。

 女王様のお祖父様は、とてつもない王様でした。精妙なる霊の御姿で、あちこちに出没しなさったし、『道徳経』にも精通していられました。わたしには、あのお方は王様以前に師でした。

 口惜しかけど、わたしには、『道徳経』は少し難しいようにあっとさ。あんた、とくと勉強しなさるがよか。血の道を治し、結婚してもよかたいね。

 臍(ほぞ)の少し上辺りを、時に優しく押してみてん。体によかけんね。

 徳は、胸から出てきます。そうすると、自然に道(タオ)がわかる。

 性交のときにはあんた、局部の右側に刺激を受ければ右脚、左に受ければ左脚が強うなり、中央に受ければ頭がようなっとよ……」

 いえ、わたしはもうそうしたこととは縁を――と、口ごもったまま、わたしはぽかんとなってしまいました。

 話の内容もさることながら、モモ老嬢の話す、モモ老嬢といる屋内が、光の交響曲で七色に満ちたからなのです。その中心にいるモモ老嬢は、なめらかに光って見えました。若草に置いた露の玉のようでした。〔〕 

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昨日の夕飯(カリフラワーのスープ)

20061011235912 昨日の夕飯は、銀ダラの西京焼き、きのこのバターいため、冷奴、カリフラワーのスープでした。

 銀ダラの西京漬けは普段1切れで600円以上するのが、3切れで1,000円! 即買いました。タラは一昨日したばかりでしたが、同じタラでも銀ダラは脂が多く、違った味わいなので……(違うはずで、第一科が違う。銀ダラの顔、怖い! キツネに似た顔ともいわれているとか)。

20061012002513_2  店員さんのお話では、いつもより小さめだということですが、わたしは大きすぎると気持ちが悪くなるので、これくらいが丁度いい大きさでした。

 早い時間に買い物に行ったので、おなかのあたりがまだ沢山ありました。  

20061012001135 20061012001035 20061012001343_1  夜になると少し寒いぐらいなので、湯豆腐とどちらにするか迷いましたが、冷奴に。

 葡萄、きのこの美味しい季節ですね。前にもお話ししましたが、大分はきのこの美味しいところです。冷奴の側に控えているカボスもまた、美味しいところです。ネットに沢山詰め込まれて売られているので、焼き魚に、豆腐にと、じゃんじゃん使ってしまいます。

20061012000646   優しい味わいのカリフラワーのスープ。これが飲みたくて、思わずカリフラワーを買ってしまいました。

 和風の魚料理には合わないかな、とも思いましたが、銀ダラの和風には、案外合いました。

 『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)を見て、作りました。かいつまんで、ご紹介します。詳しくは、本をご覧ください。材料は4人分です。

 6カップの湯に固形スープの素1個を溶かし、小房に分け、下ゆでしたカリフラワー(大1個分)を入れる。弱火で煮、途中浮き実用に少々取り出しておく。30分煮る。

 柔らかくなったカリフラワーを裏ごしし、鍋に戻して、全体量が2/3になるまで煮詰める。牛乳を加えて10分。生クリーム2/3を加え、水少々で溶いたコーンスターチでとろみをつける。塩で味をととのえ、バターを落とし、浮き実の小房を浮かせる。

 わたしはコーンスターチでとろみをつけるのを忘れ、バターも落としませんでしたが、銀ダラの和風には、それでよかったかも……。 

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2006年10月11日 (水)

最近の夕飯から(白身魚のオレンジソース)

20061009233610_1  昨日はダウンしていたので、夕飯は作りませんでした。一昨日の夕飯を記事にしていなかったので、アップします。

 栗原はるみさんの『もう一度、ごちそうさまがききたくて。』(文化出版局、1994年)の「白身魚のオレンジソース」を参考に作った1品。『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)を見て作ったペイザンヌ・スープ。舞茸、椎茸、シメジを使った茸ごはん。20061009234454

 これは、栗原さんの本の写真とはずいぶん違ってしまいましたが、それでも見かけがお洒落で、電子レンジであっという間にでき、しかも美味しかったので、かいつまんでご紹介したいと思います。詳しくは本をご覧ください。

 白身魚4切れに塩コショウし、耐熱容器に入れて、白ワイン少々、玉ねぎのみじん切り1/4個分、オレンジのしぼり汁大さじ5、レモン汁少々、うす口しょうゆ小さじ1をかけ、ラップをし、電子レンジで4分。魚を取り出す。

 蒸し汁が熱いうちに顆粒コンソメ大さじ1を加えてとかし、冷めたところで、マヨネーズ大さじ5、生クリーム大さじ1を混ぜ合わせ、塩コショウ少々で味を調える。器に白身魚を盛り、ソースをかける。

 わたしはタラの切り身で作りました。薄塩をしたものだったので、塩はせず、コショウだけにしましたが、それでもマヨネーズの塩分で、結構塩辛くなりました。塩を控えめにしたマヨネーズを手作りしたほうがよかったかもしれません。

 でもこの料理、スピーディにできるところがいかしている気がしました。魚の生臭みも全く感じられません。この魚料理に、次も簡単にご紹介するペイザンヌ・スープ、パン、サラダを組み合わせれば、お友達を招いてランチ、なんていうのに向いていそうです。

20061009233339_1  ペイザンヌ・スープ。素材の美味しさで食べるスープという感じです。

 バターを溶かした鍋ににんじん、長葱、湯を入れ、煮立つ直前に弱火にして10分。さらにキャベツ、じゃがいもを加えて10分。トマトを加えて5分。塩少々で味を調える。皿に盛り、バター、生クリーム、パセリを散らす。

 わたしはパセリを切らしていて、使いませんでした。

20061009234001  茸ごはんは、半端に余っていた茸を使って自分で適当に作ったものなので、レシピはありませんが、秋の味わいでした。 

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2006年10月10日 (火)

悪夢&メッセージ

 夜、いつものように2~3時間くらい寝たところで目が覚め、その後は眠れず、ひとしきりブログの更新ハムスターの可愛い写真付記事をしたり、テレビで北朝鮮の核実験に対する海外の反応を見たりして過ごした。

 朝、燃えないごみを出す日だったので出し、あとは洗濯をしたり、トイレ掃除をしたりと、午前中済ませることにしている家事を済ませ、10時頃に布団に入った。2時間程度眠る予定だった。そして、夕方疲れがひどければ30分から1時間横になって過ごすというのが、わたしの一日の過ごし方の平均的パターン。

 午前中の眠りの中で夢を見、いくつかの場面が移り変わり、夢の中で映画を観ていた。そのうち、自分が映画の中の登場人物になっていて、役者だという自覚がある。

 突然、胸に杭を打ち込まれたような強烈な痛みを覚え、苦しくてたまらなくなる。わたしはいつのまにか側にいる友人に、「ねえ、これって映画よね。実際には撮影はもう終っていて、こんなシーンも過ぎ去ったことなんでしょ? この痛みも……ああでも、痛い!」ともがく。

 友人は軽くうなずくようにしながら、見守るように側にいるだけだ。苦しさがひどくなるので、仮にこれが過ぎ去ったことだとしても我慢ができないから、人を呼ばなければと思う。だが、声が出ない。夢の中でもがきにもがく。

 そして、目が覚めた。実際に眠っているあいだに狭心症の発作が起きていたらしく、痛みの名残があり、圧迫感が残っていて、苦しかった。左腕も少し痺れていた。

 わたしの狭心症は安静時に発作が起きる冠攣縮性狭心症なので(ただ、労作時にも起きることがある)、睡眠中にしばしば発作が起きることがあるのだ。

 そんなときは、夢の中で、あまりの苦しさに目が飛び出そうになったところで目が覚める。目覚めた時点では、夢の中で感じたほどのことはないのだが、どの程度の発作が起きたのやら、いつか記事で書いた度合いの発作が起きて、おさまりかけたときに目覚めたのかもしれない。

 普段は目覚めがいいほうなのだが、夢で発作が起きたときは極端に悪く、まるで麻酔でもかかったように容易に目が覚めず、目覚めてもしばらくは朦朧としている。ニトロですぐに楽になれるというのに、首から下げているニトロ専用ペンダントのことを思い出せないどころか、この世にニトロというありがたいものがあることすら忘れてしまっている。

 どうにか目が覚めてニトロのテープを貼ったが、なかなか圧迫感、左手の痺れがとれなかった。次いで舌下錠を使い、ようやくおさまった。テープはまだ貼っている。24時間効くテープなので、明日まで持つが、わたしはだいたい6~8時間で剥すことが多い。テープは小さいが、結構かぶれる。

 ここまで恐怖に駆られる発作はめったに起きないのだが、何しろ発作の発端が夢の中であるだけに、全貌がつかめない。そのことが不安につながる。睡眠中に致命的な発作が起きて、悪夢にもがいたまま、家族を呼べず、ニトロも取り出せないままで、死んでしまったら――と、怖ろしくなるのだ。

 ここ数日調子が悪いので、むしろオペラに行く日は快調かもしれない。膀胱炎も、今一つすっきりしないが、よくなった。

 ここでメッセージですが、アクセス解析によると、わたしのブログに心臓に不安をお持ちの方々がたびたびお見えのようです。『日本心臓財団』というありがたいホームページがあるので、閲覧をおすすめします。その中の心臓病に関する質問と回答集(検索)(セカンドオピニオン集)には様々な症例が集められていて、参考になること請け合いです。
 落ち着いて、辛抱強く、頭を働かせて、病気と取り組みたいですね。自分が自分の名ドクターになれるように、注意深く、果敢でありたいものです。
  

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北朝鮮が核実験。蔵出しハムスターの写真。

P1000031 P1000032  テレビに軍事評論家の江畑謙介氏が珍しく出ていたので、何があったのだろうとは思ったが、娘が撮った写真のハムスターを見てなつかしがっていたため、見逃してしまった。

 北朝鮮が核実験を行ったという。ああそれで、江畑氏が出ていたんだな、と思った。

 実験を行った北朝鮮には勿論、対する日本を含めた諸国々のトップの方々にはくれぐれも短絡行動に出ないでいただくことを願うばかりだ。

 地下のどの程度深いところで核実験が行われるのかは知らないが、その地下の上の方、地球の皮の部分ではハムスターたちも暮らしている。

 写真のシャンガリアンハムスターは、最後に飼ったメスのハムスター、フレーズ(愛称はフーちゃん)。もうちょっとで3歳になろうという日に死んだ。

 近頃、ハムスターが恋しくて、林檎の記事を書いていても、八ツ橋の記事を書いていても、丸味や柔らかさからハムスターを連想してしまう始末……。

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林檎の家族(ジョージア・オキーフについて、ちょっとだけ)

 林檎を2個、つがると王林を買ってきました。つがるはサラダに使ったので、結果、王林が取り残されました。

 白いテーブルの上に1人(1個)ぽつんとしている林檎を見ていると、ジョージア・オキーフの『林檎の家族Ⅲ』(チャールズ・C・エルドリッジ『ジョージア・オキーフ 人生と作品』道下匡子訳、河出書房新社、1993年)という絵が思い出されました。

20061009111501  実物を見たことがないので、実際に見たらどう感じるかはわかりませんが、少なくとも画集で見る限りでは、わたしは彼女の絵が大好きです。

 近代神智学の勢いある流れに浴したカンディンスキーの絵画に触発されること大だったと思われるオキーフについては、いずれ記事にしたいと考えています。

 これから公開するつもりの(といっても、目下他のことに気をとられているので、もう少し時間がかかりそうですが)、記事の女性詩人ガブリエラ・ミストラルもどうも神智学の影響を受けていると思われ(私見ですが)、直接、間接的に神智学の影響を受けている芸術家は案外多いようです。

 このサイトで、そうした神智学に薫染したと思われる人物、あるいはバルザックのような、ブラブァツキーの神智学協会と傾向を同じくする別の神秘主義的組織に関わったと思われる芸術家を発掘し、採りあげていきたと考えています。

 絵画好きのあなたに、当サイトのおすすめ記事:『百年前の子供たち』『ゴッホ』 

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2006年10月 9日 (月)

昨日の夕飯(フライドチキン、小松菜の白あえ)

20061009003458  昨日の夕飯は、フライドチキン、小松菜の白あえ、林檎とレタスのサラダでした。

 家族はフライドチキンが大好きで、わたしも食べるのは好きですが、作るのはあまり好きではありません。

 そもそも揚げ物をするのって、面倒で……するときは何となく義務感でするという感じ。でも、昼間、前にも話題に出したことのある『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)(関連記事はこちら及びこちらを見ていたら、これまでわたしが下ごしらえに加えたことのない溶き卵を使ってあったので興味をそそられ、作りたくなりました。
20061009002511

 下味は3段階。4人分鶏骨つき手羽元16本につき、まず、しょうゆ大さじ1と1/2、酒大さじ1と1/2をふって軽く混ぜます。次に塩、コショウを振り、まろやかさを出すために砂糖を小さじ1弱加え、30分置きます。

さらに、コクをつけ仕上がりをカラッとさせるために溶き卵1個分を加え、手でよく揉み込みます。ラップをかけて、15~30分置きます。

 衣は、上新粉(米の粉)大さじ、片栗粉大さじ2を混ぜ合わせます。好みで、2等分した衣の片方に白ごまを。

 わたしは上新粉は使いませんでしたが、使えばもっと芳ばしくカリッと仕上がったのでしょう。家族に好評だったのは、衣に白ごまを加えたほうでした。美味しいの一言でした。ちなみにうちにある小林カツ代さんの本では、白ごまは使われていませんが、下味にごま油が使われています。20061009002619  

 小松菜の白あえも同じ、『nonno お料理基本大百科』を見て作りました。厚揚げを使うちょっと変った白あえですが、簡単にできて、普通の白あえとは違う芳ばしさがあります。

 4人分で、小松菜1/2、厚揚げ1枚、しょうゆ・みりん各大さじ1、塩少々です。3cm長さに切って湯に塩少々入れてゆでて水にさらした小松菜の水気をよくしぼり、しょうゆをまぶしておきます。

 熱湯をかけて油ぬきした厚揚げの水気をペーパータオルで拭き取り、包丁で厚揚げの四方の皮をとり除きます。白い豆腐の部分をすり鉢ですり、みりんと塩で調味します。細長く切った厚揚げの皮を加え、小松菜も加えてあえたら、出来上がりです。20061009003828

 サラダ。りんごとレタスを、塩コショウ、りんご酢、サラダ油であえています。さっぱとしたこの手のサラダ、揚げ物料理には欠かせませんね。

 美味しくフライドチキンを食べた翌日の今日の朝、わたしは食欲がありませんでした。病人だからでしょうが。 

20061009110737 20061009105807_2  で、こんなブランチ。ヨーグルトにパンではないところが、何だか年齢をあらわしているような……。

 前にも書きましたが、わたしはごはんが大好き。ところが、不思議にも、本当に、物凄く具合が悪くなると、なぜかパンしか受けつけなくなるのです。

 それも、ふわふわのパン。それでも、蒸しパンのようなものは嫌。家族は、パン好きもごはん好きもいますが、病気のときにはお粥を好みます。それが普通なのかもしれませんね。

20061009101743  これは、昨日娘がむさぼり食べていた聖護院の『ブラウンシュガー』八ツ橋です。琉球産黒糖が使われている生八ツ橋。

 

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2006年10月 8日 (日)

残念

 夢のような快調のときは、終わりました。

 午前中、ちょっと疲れて横になり、眠ってしまいましたが、もう寝ているうちからだめ。胸が重くて目が覚め、重いなあと思いながら眠っては覚め、また眠っては覚めました。

 ニトロの舌下錠かテープを貼らなければこの状況から解放されそうになかったので、起きてテープを貼りました。胸が涼しい。薬の効果はありがたいけれど、心底がっかりしている自分がいました。

 今朝まで続いていた快調のときが、とこしえに続きそうな錯覚を覚えていたのです。循環器科を受診した頃から心臓の調子はよかったから、5~6日は快調な日が続いたことになります。まるまる5日間も! 1日1日が、熟した果実のようにすばらしい味わいでした。

 どうして元の状態に戻ってしまったのか、わかりません。とくに無理をしたわけではなく、横になったのが悪かったのでしょうか。でも、昼間横になった日はあって、それでも何ともなく目覚められました。今、首から下げているニトロ専用ペンダントは重たく感じられます。

 元気だったときの胸の中の感触、気分、精神状態を思い出せれば……と思っていたので、心臓が頑張って、その願いを叶えてくれたのかもしれません。

 胸の中の自然な感じ、ラフでしっかりとした精神状態、スピード感のある頭脳の使いかた……何もかもが、元気だと違いました。わたしが健康だったら、全く違った作品を書いていたでしょう。書かずに、別のことをしていた可能性すらあります。

 夫のことをジキル博士とハイド氏なんていいましたが、こうしてみるとわたしも立派なジキルとハイドです。元気なときのわたしと今こうして記事を書いているわたしとでは、全く別人の感があるのです。 

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ニトロ専用ペンダントの重量

 体調がいいと、昨日みたいに長い記事を書きたくなりますが、夕飯のアップはしたくなくなります。自分への励ましなどなくても料理ができるので、わざわざ恥ずかしい、面倒なことをしようという気にはなれないのです。

 心なしか、体調のいいときのほうが、料理に心が籠もらず、大雑把になるみたい……。他にしたいことがどんどん出てきて、そちらに時間を割きたくなるためです。

 体調が悪いと、夕飯づくりこそが成し遂げなければならない義務、というより使命とすら感じられ、ひたむきに作るという感じになるのですね。わたしは不調なときのほうが、どうも女らしいようです(単に弱っているだけともいえますが)。

 ニトロ専用ペンダント――これが、病状をチェックする道具としても使えることがわかりました。

 ここ数日のように快調なときは、ペンダントをつけていても全く苦になりません。これが苦になるときは、心臓の調子が悪いときなのです。そんなときはしきりに外したくなりますが、無理にでもつけていたほうがいいようです。

 木曜日に、オペラを観に行きます。それまでこの快調を持たせたいのですが、どうすれば持つのかはわかりません。なるべく疲れないようにすることでしょうけれど。

 喘息のコントロールは絶対に必要、膀胱炎もきちんと治しておかなければ……。歩いてオペラを観に行けるなんて、本当に便利です。能楽堂もバスで少しのところにあるのですが、バスを使うというだけで億劫になり、まだ出かけたことはありません。

 この街に引っ越してくる前は、福岡市の会場まではるばる出かけるという感じでした。そこへ出かけるということ事体が、わが家には贅沢なイベントであり、小旅行でした。

 ここ数日のようにずっと快調というなら別ですが、いつものように病人そのものといった感じだと、この街に引っ越して来なければ、もうオペラもコンサートも遠いものとなってしまっていたかもしれません。

 「年々弱っていくようだ」と人にいわれ、ギョッとしたことがありますが、確かにそうです。前には、快調な日がもっとあったような気がします。そして、前のようなわたしだったら、ブログに料理のアップなんてしないでしょうし、そもそもブログを作っていたかどうか……あなた様にもお目にかかっていないかもしれませんね。

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2006年10月 7日 (土)

非正規雇用者の問題。わたしと子供たちのホロスコープ。

 ここ数日体調がよく、まさに爽快な気分です。天気もよくて清々しいこと、このうえもありません。

 不調の日が続くと、自分でも好きで病人をやっているのではないかと疑いたくなるのですが、こんな快調の日に、そうではないということがわかります。

 テキパキと家事も片づき、半ば書きあげた記事の題材ガブリエラ・ミストラルのことで気にかかっていたところも、わたしなりの解釈を見い出すことができまして、さて一服しようと、熱いコーヒーを淹れかけたところでした。

 息子からの電話。

 息子からの電話はいつも、嬉しさとある戦慄を伴います。というのも、息子がわたしに電話してくるときというのは、その内容によって嬉しさをそそられるケースと問題を背負い込まされるケースとが半々ぐらいだからです。

 おしゃべりしたいときの無邪気な電話、母親を事典代わりにするときの電話、メイドとして使いたいときの電話くらいまでは、嬉しい。

 が、親知らずを大学病院で抜くとか、テストの成績が思わしくないとか、中学時代からの親友と仲たがいしたとか、家庭教師の斡旋業者が夜逃げした、などという電話は軽い戦慄の部類に入ります。

 今日あった電話も最初の頃は楽しい、卒業論文にとりかかった話で、ギャンブラーも利用するというモンテカルロ方式という特殊な計算方法(簡単にいえば、サイコロを振るようなものと息子はいいました)ですることにした、などという話をしていました。

 そのうち就職の話になり、息子の場合、まだこれから大学を卒業して、その先の修士課程の2年間があるわけですが、2年なんてあっという間ですし、心配症のわたしの話や、姉の失敗を見ているということもあって、早くも準備に入ったようでした。

 娘は就職に失敗し、現在は書店勤めですが、契約社員という不安定な立場です。求人がとにかく冷え込んだ年の就職活動でした。娘の高校時代の友人、大学時代の友人のうち、女性でまともに就職できた人は1人もいません。

 卒業した大学はいろいろなのですよ。国立もいれば公立も私立もいて、以前であれば当然就職できただろうと思われるような大学ばかり。互いにメール交換をして、情報を与え合ったり、励まし合ったりしていました。

 こうした冷え込みが小泉元首相の政策と無関係でないことが実感としてわかるだけに、彼に対しては未だに恨みがましい気持ちが消えません。

 娘は現在、正社員と全く同じ仕事をこなしているようですが、立場の違いは歴然としており、傍から見ていても、この違いは不当に思われてなりません。

 わたしの場合は、就職が決まっていたにも拘らず、母の看病という理由から就職できませんでした。一時も気のぬけない意識不明の重態が続き、完全看護といっても付き添いが必要な時代に、わたししか側にいられる人間はいなかったのです。娘にはわたしのようなことになってほしくないと思っていただけに、浮かばれない気持ちです。

 新卒で就職できるかどうかということは一生響くというのが、母娘2代の経験からいえることです。どうかしたら、生きる気力まで損なわれてしまうのです。自分を低く、低く見る癖がつきます。ひいては、結婚したいという希望に満ちた若々しい意欲すら刹那的なもの、希望を小さく見積もるものへと変質してしまいます。

 自分が社会の正当な一員に加えられていない気がして、倦怠感につき纏われるのですね。幸い、わたしには文学がありました。娘が英語などに力を入れだしたのも、ただの気晴らしではないだろうと思っています。

 非正規雇用者を大量に生み出すということ――どう言い訳しようが、このことは政府の無能ぶりを示しているとわたしは考えています。

 フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユ(1909-43)は、こうした根こぎにされた人間、それをつくり出す社会について次のように分析しています。昔書かれたものですが、現在でも充分通用する分析内容ではないでしょうか。以下は、『シモーヌ・ヴェーユ著作集5 根をもつこと』(春秋社、1967年)からの抜粋です。

 世界から隔離されたきわめて狭い社会のなかで、閉じこもった雰囲気のうちに、一つの文化が発達することになった。それは、いちじるしく技術の方向をめざし、技術によって影響を受け、きわめてプラグマティズムの色彩が強く、専門化によって極度に細分され、彼岸の世界との接触も、彼岸の世界へと通じる道もまったく有しないという文化だった。

 根づくということは、おそらく人間のもっとも重要な要求であると同時に、もっとも無視されている要求である。これはまた、定義することがもっとも困難な要求の一つである。人間は、過去のある種の富や未来への予感を生き生きと保持している集団の存在に、現実的に、積極的に、かつ自然なかたちで参加することを通じて根をおろすのである。自然なかたちの参加とは、場所、出生、職業、境遇によって、自動的に行われた参加をさす。人間は誰でも、いくつもの根をおろす要求をいだいている。つまり、道徳的、知的、霊的生活のほとんどすべてを、彼が自然なかたちで参加している環境を介して受け取ろうとする欲求をいだいているのである。

 同じ一国内部における社会関係が、根こぎのきわめて危険な要因となる場合もある。今日、わが国の諸地方においては、征服を別にしても、二つの毒が存在して、この病をひろめている。その一つは、金銭である。金銭は、その進入するところ、いっさいの原動力を駆逐して金銭の欲望をのさばらせ、もろもろの根を破壊する。この欲望は、いとも容易に他のすべての原動力を打ち負かしてしまう。なぜならそれは、他の原動力にくらべて、きわめて小さな注意力しか要求しないからである。数学より明瞭かつ単純なものは存在しない。

 一生涯、完全に金銭にしばられている社会階級がある。それは賃金労働者である。とりわけ、出来高払いの賃金が、労働者めいめいにたいして、注意力をつねに金銭勘定に集中させるようになってから以後の彼らである。根こぎの病がもっとも悲痛なものになるのは、この階級においてである。

 失業は根こぎの二乗である。

 正規雇用であろうと、非正規雇用であろうと、能力給の割合が高まれば、それだけ〈注意力をつねに金銭勘定に集中〉させられることになり、根こぎの病にかからずにはすまされません。

 小泉政権下で一気に日本の隅々にまで浸透した新自由主義は、市場原理を重視する経済思想ですから、それは金銭欲の正当化を伴っていて、弱肉強食の風潮をうんだり、こうした社会の王者として、極めて注意力の小さな人間――つまりオツムの軽い人間をヒーローに祭り上げたりするようになるのも当然の成り行きだったわけです。

 このままでいいのでしょうか、日本は。先日の国会の雰囲気は、小泉時代の軽薄な国会とは打って変わって、物静かなものでした。ずっとテレビの前に座っていることはできませんでしたが(幸いネットで見ることができますが、まだ見ていません)、安倍時代の国会を国民の1人として、できるだけ注意深く見守っていきたいと思っています。

 そこで、息子の電話に話は戻ります。息子が入った研究室の教授は専門分野における国際的な権威で、研究室の資金も潤沢なようです。が、いわゆる基礎研究であるため、企業との提携などということはない様子で、就職するにも、教授のコネでどこかの企業へというわけにはいかないらしいのです。

 少人数のその研究室に、大学生は息子だけ。教授は今から息子の就職を心配してくださり、それはとてもありがたいのですが、とりあえず受けといては、と国家公務員の受験をすすめられたとか。それも1種。

「そっれは難しいんじゃないの、先生は先生の頭脳のレベルで物をいってらっしゃるんじゃない?」「うん、そうかも」

 幸い、所属している研究室はコンピュータを使ったシュミレーション実験を行っていて、試験管を使ってする実験に比べると時間があるとか。

 研究室の性質上、コンピューターには詳しくならざるをえず、IT関係の企業に就職していく先輩もいるようです。

 息子が修士課程に進む頃、現在修士課程にいる先輩は卒業していくため、息子を除いては博士課程の先輩ばかりになります。息子も博士課程に進みたいのでしょうが、何しろ息子は大学に入ってから奨学金のお世話になっています。修士課程でも頼りにさぜるを得ず、それが博士課程までとなると、返済のことを考えたら、こちらの気が遠くなってしまって……。息子もそれは避けたいようです。

 それに博士課程まで進むとなると、かえって就職が難しくなるようで、教授を目指すのはわたしが作家を目指すのと同じかもっと大変な茨の道であるようですし、博士課程を出て確実に企業に就職したいと思えば、アメリカへ渡るほうがいいようです。先輩の1人はそれを考えているといいます。その先輩は見るからにつましい暮らしをしているとか。

 1種合格はとても無理だろうから、就職活動には力をそそぐつもりでいるようですが、どこかぬけていたり、要領が悪かったりする息子。わたしの心配は続きそうです。

 息子が公務員試験の一般教養の問題集をやってみて、知識として一番ぬけていたのは芸術関係だったとか。そうだろうなと思います。絵本を読んでやっても、ストーリーより、こまかな雑学的なところにばかり興味を示し、絵本も事典として読む癖がついにぬけきれませんでした。

 が、わたしの教育ばかりが悪かったとはいいきれません! なぜって、息子のホロスコープを見てみると、なるほどと思わせるものがあるのですね。

 松村潔著『最新占星術入門』(学習研究社、1996年)に「第4ハウスから第6ハウスまでは、エモーショナルで人間的な面の発達を表します。人間的な感情などにはまったく関係しない計算能力やリズム感などの才能は、第1ハウスから第3ハウスまでで考えてみましょう」とありますが、息子は第1ハウスから第3ハウスまでに6つの惑星があるのに、第4ハウスから第6ハウスまではゼロなのです。

 純粋といえば純粋、幼いといえば幼い傾向は息子の場合、一生続くのではないでしょうか。芸術も、楽器の演奏などはともかく、文学書を味わうといった姿は望めないのかもしれません。

 わたしの母のホロスコープは生まれた時間がわからないので作成していませんが、息子にそっくりなところがありました。とにかく頭の体操のような、ゲームがかった数学や物理の問題ばかり楽しんでいて、今思えば、変な親でした。そして、どこか無垢なところがあり、精神的にはわたしが親のようなもので、目が離せないといったところがあったのです。息子は、亡きおばあちゃん似に違いありません。

 娘のホロスコープは息子とは対照的で、それからすると、娘はエモーションと人間性だけで生きている生き物であるようです。それも創造、恋愛、子供といった人生の楽しみを意味する室だけに、何と9つもの惑星が集中。いや、このうちの1つは惑星ではなくなりましたっけ。

 ここまで楽しみの室に惑星が多すぎると、楽しむことを期待しすぎて逆に楽しめないかもしれません。ちなみに夫のホロスコープは、どんな女性と結婚したとしても、相手を悪妻にしてしまうような星の配置です。

 でも、夫の妻像を表す月とわたしの天職を表す土星は重なっていて、サビアン占星術では同じシンボル「玩具の馬に乗っている小太りの少年」を持っています。

 このシンボルは創造活動を意味しているといわれ、小説家などに頻出する度数であるようですが、わたしの場合、見かけだけがそうなりつつあるのかもしれません。今のところはどうにか腹部だけにとどまっていますが、その腹部は明らかに小太りで、それが他の部分にまで及ぶとなると、まさに小太りの……(絶句)。  

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2006年10月 6日 (金)

映画『フライトプラン』で連想した〈消えた貴婦人〉の話

 夫が、ジュディ・フォスター主演の映画『フライトプラン』のDVDを借りてきた。デップ様の『パイレーツ・オブ・カリビアン』も借りてきて、今夜帰宅したらお店に返しに行くといっていたから、それまでに観なくては……! 

 『フライトプラン』は、例えば同じジュディ・フォスター主演のトマス・ハリスの小説を映画化した『羊たちの沈黙』などの構想のゆるぎのなさ、内容の重厚さに比べたら、構想、ストーリー展開の稚拙さは目を覆うばかりだった。

 それでジュディ・フォスターの熱演がすっかり空回りしてしまっているのだが、ジュディは容貌から年とったなあと感じさせるとはいえ、知性美は健在だし、目に宿る人間的なあたたかみは増していて、よかった。

 わたしは先にこの映画の話づくりに不満を述べたが、前半部は悪くないと思った。主人公の女性は娘と搭乗することになる飛行機の設計に携わったエンジニアで、夫が不審な死を遂げる。帰国の途につくべく娘と乗った飛行機で、娘が行方不明になり、機内を捜し回る主人公に対し、乗客も乗務員も皆がそんな子供は見なかったし、搭乗記録もないという。

 機長だけが同情的だった。が乗客の1人だが、もっともらしいことをいう保安官の話を真に受けて、惑乱する主人公につき合いきれないという思いを強めていく。やがて外部の情報から子供は夫と共に死んだことが判明し、主人公は気が触れた人間であるかのような扱いを受けることになる。

 この時点までは、もしかしたらこの映画は主人公の心理に添って描く手法を用いたもので、実際に彼女は夫と娘を一度に亡くした精神的な打撃から、おかしくなっているのではないかと思わせる。主人公は幻想の中で、死んでもうこの世にはいない娘と一緒に飛行機に搭乗したのではないかと疑わざるをえないストーリー展開となっているのだ。

 面白かったのは、ここまでだった。全てが、身代金目当ての男女により仕組まれたことで、その男とは保安官、女とはスチュワーデスであって、飛行機の設計に詳しいために活劇を可能にする主人公の職業は単にそれに利用されたにすぎなかった。終盤で、子供は主人公に助けられる。

 大掛かりなことを目論む犯人の動機は軽すぎるし、協力者も死体安置所の職員1人と貧弱なわりには犯人にとって物事がうまく進行し過ぎる。いや、うまく進行するというよりは、後半部、ほころびを露呈しながらも話は強引に進んでいくといった風だ。 

 前半部の重み、生々しさを後半部が支えきれていない。そして、着想だけが卓抜で、竜頭蛇尾に終る映画内容から、この着想が借り物であることを感じさせるのだ。

 もしこのような失踪事件が1889年5月のパリ万博のときを舞台とし、ホテルの1室で起きたことであればどうだろう? 1人の人間をいなかったことにしなければ、1都市に大打撃を与える可能性が大だったある事情があったのだとしたら?

 万博が開催されているパリに、インドから、イギリス人の母子がやってきた。どこのホテルも満員で、ようやく泊まれたホテルには1人部屋しか空いておらず、娘は上に母親は下に部屋をとった。勿論母子はフロントで宿帳に署名した。

 部屋に落ち着いてホッとする間もなく、母親が苦しみ出す。医師が呼ばれ、診察をするが、母子がどこからきたのかがわかると、医師は部屋の隅で支配人と何か相談し始めた。娘はフランス語がわからない。

 相談の結果か、娘は医師の家に薬をとりに行かされる。道中、馬車は馬鹿にのろのろと走り、医師の家でも長い時間待たされた。そして戻ると、母親の姿はなく、支配人もホテル専属という医師も、そんな女性は知らないという。

 宿帳からも母親のサインは消え失せて、そこには別人の名があり、母親がとったはずの部屋は内装も違い、別の泊り客が数日前から滞在していた。娘は1人でホテルに泊まったのだと支配人はいう。

 悪い夢か陰謀の虜になったのかと娘は当惑し、イギリス大使館、警察、新聞社へ助けを求める。が、皆が彼女の話に驚き、同情はするものの、信じてくれるものはいなかった。仕舞いには娘は気が狂って、本国に連れ戻され、精神病院に収容された。

 真相は、このようなことらしい。

 ペストの発源地として有名なインドからきた母親は、実はペストにかかっていた。万博のパリでペストの発生が知られれば、伝染の心配がなくなるまで、パリは麻痺状態に陥る。市にとって死活問題だった。

 とりあえず、医師と支配人は娘を外にやり、時間稼ぎをすることにした。その間に母親は死ぬ。市当局との相談の結果、彼らは、インドからきて娘と共にホテルに滞在していた貴婦人をいなかったことにしたのだった。

 ホテルの全従業員に箝口令をしいて、貴婦人の死体をよそへ移し、専門家を呼んで貴婦人がとった部屋の内装も変えさせた。

 ぞっとさせられる話だが、この話の出どころは不明で、はじめは口から口へと伝えられたらしいということだけがわかっている。実話かフィクションなのかもはっきりとしないという。この話をもとに、小説が書かれたりもしているらしい。

 『フライトプラン』がストーリー的にわざとらしく感じられるのに比べ、この話が面白いのは、母を思う娘の気持ちが生々しく伝わってくるだけでなく、パリ市のやむにやまれぬ事情も同時に生々しく伝わってくるからだと思う。

 万博という華やかな催しを遂行するために生まれた悲劇。根っからの悪人はいなくても、このような事件が起きてしまっても不思議ではない――と納得させられるものがあるから、面白いのだろう。

 この〈消えうせた貴婦人〉という話は、庄司浅水著『世界の神秘』(社会思想社、昭和49年)に収録されている。他にもいろいろと、戦慄させられるが面白い不思議な話が載っていて、わたしはたびたび再読している。

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昨日の夕飯(大根サラダ&娘が作ってくれたデザートのチーマースウチュウ)

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  昨日の夕飯は、豚肉の味噌漬けを焼いたもの、小林カツ代さんの『パリパリ大根サラダ』を参考に作ったもの、万能葱と豆腐と油揚げのスープでした。

 デザートは、娘が作ってくれた芝麻薯球(チーマースウチュウ)でした。

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 豚肉がのっているお皿も、大根サラダがのっている宮内庁御用達で知られる深川製磁のお皿も、前の記事で書いた眠らせてしまっていたうつわ達です。

 どちらも貰い物なのですが、有田焼伊万里焼に魅了されている今いただいたのであれば、有田焼のメーカー、深川のお皿を戸棚に仕舞い込みはしなかったでしょう。箱から出てきて、びっくりしました。また、当時は使い途のわからなかった左側のお皿もこうしてお肉など置いてみれば、いいものですね……。

 大根サラダのドレッシングを小林カツ代さんの『決定版 小林カツ代の基本のおかず』(主婦の友社、2002年)からご紹介しておきましょう。

 4人分で、大根12~14cmを繊維に添って縦千切りしたものに、薄口しょうゆ大さじ2、米酢大さじ1、レモン汁大さじ1、砂糖 3本指でひとつまみ、ごま油小さじ1です。

20061005212012 娘が作ってくれた芝麻薯球(チーマースウチュウ)は、デザートにも、おやつにも、もてなし用のお茶請けにもなる一品です。

 蒸したサツマイモを裏ごしし、俵型にまとめて卵白をくぐらせ、ごまをまぶしてフライパンに油を敷き、焼きます。好みでシナモンを。

 娘が次回は夕飯のおかずを作ってくれるそうで、楽しみにしています。  

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2006年10月 5日 (木)

昨日の夕飯(小松菜と油揚げの煮びたし)&仕舞いこまれていたうつわ

20061005000335  昨日の夕飯は、いわしのみりん干し、春雨の炒め物、小松菜と油揚げの煮びたし、大根とキャベツのスープでした。

 下手な料理を毎日の生活の励みのために公開するようになり、2ケ月ちょっとになります。 携帯電話で写真を撮るのはわたしには難しく、無我夢中で……というと大袈裟になりますが、カシャッ、カシャッとやるのに夢中の日々でした(進歩ないなあ)。

 そして昨日ふと、食器が単調すぎることに気がつきました。転勤族らしい性癖から、不要な食器は使わないできたところがあり、箱に入れたままの貰い物の食器というのが結構ありました。

 箱から出せば、出した食器の置き場所を確保しなければならず、箱と食器とで倍の場所をとるようになります。収納スペースは限られていますから、食器を生かそうとすれば箱を処分しなければならなくなり、そうすると引越しのときが心配でした。

 そのうちどこかに落ち着いたら全部出そうと思ってきましたが、そんなことをいっていたら、結局使わないままで終わりそうな気がしてきたということもあって、昨日おおかたの食器を箱から出しました。箱は置き場所がなくなったので、今朝のゴミ出しのときに捨てました。

 仕舞いこんだままの食器には家族には半端な数というものが多く、使いにくさを覚えて出さなかった面もあったようです。でも、全員が同じものを使う必要はないと思え、使ってみることにしました。

  春雨の皿、小松菜の小鉢は、長年仕舞いこんだままのものでした。若かった頃のわたしには、この系統のやきものの価値がぴんとこなかったのかもしれません。仕舞いこんだままでごめんなさい、と食器に謝りたくなりました。

 料理の話に戻ります。

20061004235824  春雨の炒め物は、栗原はるみさんの『栗原さんちの朝20分のお弁当』(文化出版局、1992年)の中の『春雨とひき肉の炒めもの』を味付けの参考にしましたが、材料は家にあったものを適当に使いました。ハム、卵、しいたけを入れました。

 まず、長ねぎ、ショウガをサラダ油で炒めて香りを出し、味つけは、春雨50gに、しょゆう大さじ2、砂糖小さじ1/2、酒大さじ1、水1/2カップ、ごま油少々を加えて汁気がほとんどなくなるまで炒めます。

 栗原さんのこの本、使いすぎて、もうぼろぼろです。お弁当作りには勿論大活躍しましたが、ハンディータイプで、短時間でできるものが多いとあって、普段も参考にすること頻りです。20061005000011_1        

 娘が料理教室から固形スープの素を3本も貰ってきたので、これはそれで作りました。他に、味つけは塩だけ。

 娘は近頃、公文系の「S・R・S教室」(SPEED READING SYSTEM)にも通っています。英語の長文読解力をつけることを目的とする教室です。これが予習復習を要求するなかなか厳しいもので、時計を見ながらプリントと格闘している姿は高校生……。仕事をしていても脳が活性化しないから、と娘はいい、結構楽しそうでもあります。

 公文教室は、独身時代のわたしの職場でした。その頃は速かった計算もめっきりとろくなり、近頃は手と足の指で……というのは冗談ですが、わたしも脳の活性化のために何か始めようかなあ。

 また話が脱線しましたが、その近頃多忙な娘が今夜何か作ってくれるそうで、ハハの胸は高鳴っています。 

20061005000044 『小松菜と油揚げの煮びたし』を、『朝日クッキングサークル2000.12』から、ご紹介しましょう。

 材料は4人分で、小松菜 小2把、油揚げ3枚、出し汁1と1/2カップ、A{薄口しょうゆ大さじ2と1/2、みりん大さじ2、酒大さじ1}です。

 作りかた
①小松菜は長さを3等分に切る。
②油揚げは、熱湯でサッとゆでて水けを絞り、縦半分に切って2cm幅に切る。
③なべに出し汁を入れて強火で煮立て、Aを加える。再び煮立ったら油揚げを加え、弱火で2分煮る。小松菜を加え、ふたをして2~3分蒸し煮にし、煮汁ごと器に盛る。  

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「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第64回

 数日後、わたしは私塾を休み、まだ薄暗いうちから隣のフミのクニに出かけました。

 隣とはいえ、女の足で歩いての道程です。峠がありますし、浅瀬を選んで渡らなければならない川もあり、結構かかりそうでした。

 それにしても、これからわたしの訪ねようとしている〈婆様〉が、女の身で中国大陸に渡ったなどという話は、とても本当とは思えない話です。それともそれは、そのひとが運営しているという道場とやらを流行らせるためにでっち上げた話なのでしょうか?

 もし本当だとしたら、船の中でしもの始末は? 月経になったりしたら、おお、大変。人間は、というよりわたしは、こうしたことに一番囚われるもののようです。

 そうしたことばかり考えて、はっはっと肩で息をしながら歩きました。そうこうするうちに、眼が霞んでしまいました……。

 あら? ここは何処でしょう? わたしは誰?

 「うんうん、気がついたとね。あんた、血の道と違いますか? やっぱりねえ。隣のクニから歩いてきたぐらいで、卒倒もなかさ。え、何て?  道場。それはここです」

 血色のよい、丸顔の、純朴そうな老嬢が、小さな眼をぱちくりさせています。わたしは運よく、目指す道場の庭先で失神したのでした。〔〕 

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2006年10月 4日 (水)

最近の夕飯から(ビーフシチュー)

20061002235624_1  一昨日の晩の夕飯にビーフシチューを作りましたが、前に別の記事でご紹介したことのある本――『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)――を参考にして作りました。

 この本は娘が大学生なってアパート暮らしを始めたときに持たせてやり、いいなと思った本でした。娘が家に戻ってから、今度は息子が大学生になり、アパート暮らしを始めました。

 娘は弟にその本を譲りましたが、その間ずっとわたしは自分でもその本がほしいと思い続けていました。でも、今更こんなに分厚い料理の本を、と思わないでもなく、買う踏ん切りがつきませんでした。

 本は、前に住んでいた街でも、今住んでいる街でも、ずっと書店にありました。それがあるとき、本の姿が消えていたのです。わたしは品切れになったか絶版になったのだと思い、喪失感を覚え、ひどく淋しい思いをしました。

 ところが、次に書店に行ったときにはちゃんとあったのです。よい本ですもの、人気があってロング・セラーを続けているのでしょうね。そのときにはわたしは迷わず、その本を購入しました。買って、家に連れ帰ったときのあの充実感……! よい本にめぐり合うというのは、よき知人が1人増えるようなものですね。

 購入しただけで安心してしまったところがあり、まだあまり活用しているとはいえませんけれど、ビーフシチューの作りかたをその本からご紹介します。『ライト・ビーフシチュー』と料理名にある通り、あっさりとした味わいです。

20061003000400_2 材料(4人分)
 牛角切り肉400g、小玉ねぎ12個、にんじん1本、じゃがいも2個、ブロッコリー1株、ローリエ2枚、セロリの葉少々、白ワイン カップ1/2、スープ(固形スープの素1個を湯カップ8で溶いたもの)8カップ、トマトピューレ カップ1/2、トンカツソース大さじ1、薄力小麦粉大さじ3、バター大さじ3、塩・こしょう・あさつき少々。

 作りかた
①小たまねぎは皮をむく。にんじんは1cm幅の輪切り、じゃがいもは4つ割りにして皮をむき水にさらす。
②フライパンにバター大さじ2を熱し、塩コショウした牛肉を軽く焦げ目がつくように焼きつけ、粉を振り入れ、からめながら炒める。
③粉に熱が通ったら煮込み鍋に移し、白ワインを加え、アルコール分を飛ばす。スープを加える。スープの一部は肉を焼いたフライパンに入れ、こびりついた肉のうま味を溶かして鍋に加える。
④煮立つまでは強火。あくを取り除き、火を弱める。ローリエ、セロリの葉を加え、肉がやわらかくなるまで煮る。
⑤残りのバターで野菜を炒める。
⑥ トマトピューレ、トンカツソースを加え、野菜がやわらかくなるまで弱火で煮込む。小房に分けて塩ゆでしたブロッコリーを仕上がり際に加え、塩コショウで味を整える。好みで浮き実にあさつきの小口切りを。

 本では、もっと丁寧な説明がなされています。材料に小たまねぎが使われていますが、わたしは値段で迷い、結局普通の玉ねぎを使いました。あさつきは浮かしませんでしたが、使い残しの生クリームが冷蔵庫にあったので、それを少量かけました。  
 
 わたしはシチューはとりかかるまでは何となく面倒に感じられるのですが、いざ作り出して煮始めたら、材料がやわらかくなるまでに他のことができるので、いいですね。

20061003000735  トマト・きゅうり・貝割れ大根のサラダには、豆腐ドレッシングがかかっています。自分で適当に作ったものなのでレシピのご紹介はしませんが、白あえ風味で、まあまあの出来でした。 

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循環器科、欧風料理店、ペットショップを梯子の一日

 昨日の循環器科クリニックは、患者さんたちで芋を洗うようでした。わたしも、その芋の1個だったわけですが。

 膀胱炎には、前回の2ヶ月前とは違う薬が出ました。ガチフロ。前回はクラビット。泌尿器科で診て貰っていた頃は、バナン、オゼックス……など。それ以前となると、『おくすり手帳』を作る前の話になり、記録がありません。 

 泌尿器科で出される薬の中には、きついなと感じられるものがありました。循環器科で出されるものは体に優しいと感じられるのですが、体への負担という点で、実際のところはどんなものなのか、素人のわたしにはよくはわかりません。

 ネットで調べたところによると、抗菌剤ガチフロにはときに、血糖不良を惹き起こす重篤な副作用が出ることがあるようです。

 体調への影響という点で、つい心臓疾患・喘息関係のことばかり頭にのぼりますが、たびたびなる膀胱炎とその治療薬というのにも、案外無視できないものがあるのかもしれません。膀胱炎も癖のようになってしまうと、つらいものがあります。

 胸痛のときにはニトロの舌下錠を、胸が重いときにはニトロのテープを使い、テープを使い切ったことを先生にお話ししたところ、一瞬シーンとなられたので、使いかたがまずかったのだろうかと思いました。

 が、そのあとで、「じゃあ前の2倍の20枚あげとこう……」とつぶやくようにおっしゃられたので、使いかたは間違ってはいなかったのでしょう。

 ラジオ出演のことで、「なかなかの美声に聴こえましたよ。狭心症についての説明もわかりやすかったですし」と、先生を励まし(からかい?)ました。弾みでまた次回も拝聴するといってしまい、ま……まずい、聴き忘れないようにしなくては。でも、心臓疾患の人にはためになるお話です。

 クリニックと調剤薬局を終えた頃には、ランチの時間に間に合うかどうかといった時間でした。この日休日で、料理教室に出かけた娘が、ランチをおごってくれることになっていたのです。娘は料理教室で食べてくるので、ランチが入りそうになければ、飲み物だけにするといっていました。

 その欧風料理店には、一度行ってみたいと前々から娘と話していたのでした。ところが、その日は定休日にあたっていたことを、娘もわたしもすっかり忘れてしまっていました。

 締まっている店の前に立っていると、中から出てきたシェフと目が合いました。シェフは、この日は昼間店を締めていて、予約のあった夜のお客のための仕込みに出てきたのだといわれました。

 帰ろうとしかけたわたしたちを、シェフは躊躇するように引きとめ、せっかく来ていただいたのだから、ランチでよければ作りましょうといってくださいました。悪いと思い、断ったのですが、それでも引き止めてくださるので、店に入りました。

 サラダ、サワラを使った魚料理、フランスパンとバター、アイスコーヒーのコースを作っていただきましたが、どれもはっとするような美味しさでした。野菜も、魚も新鮮で、魚には臭みがまるでなく、コーヒーも何だか違っていました。こくがあるのにさっぱりしていて、さわやかなコーヒーという表現は変ですが、その言葉がぴったりくる味わいでした。

 アイスコーヒーが出てくる前に、透明な液体をなみなみと湛えたコップのようなものが出てきたので何かと思っていたら、それがシロップなのでした。あのさわやかさの秘密がコーヒーに潜んでいたのか、シロップに潜んでいたのかは謎です。

 食材は、朝、獲れたばかりの新鮮なものを仕入れてくるのだそうです。夜の注文では、客の好みを容れて作るのだとか。なるほど、メニューには2人で3,500円くらいのお得なコースがあり、自由に好みをいっていいと書かれていました。勿論1人でも何人でも自由に注文できるし、シェフお任せでもいいのだそうです。

 まだ若そうなのに、飾り気のない、あたたかみのある人間的な魅力が印象的なシェフでした。カッコいいというより、可愛らしい感じの男性シェフ。一度夜にも行ってみたいものです。ランチは大満足を与えてくれて、1人840円でした。

 娘は結局、料理教室と欧風料理店とで2度、ランチをとったことになります。食べきれるのかとこちらが心配になりましたが、ぺろりと平らげ、「自分のおなかが信じられない。料理が何だかさわやかな感じで、いつのまにか食べてしまっていた」のだとか。

 その後、ペットショップにハムスターを見に行きました。白いふかふかした毛並みのシャンガリアンが2匹いました。黒い目。メスのほうは、顔がうちで飼っていたショコラという名のハムスターにそっくりでした。飼いたくてたまらなくなりました。

 呼吸器科の先生にとめられていなければ、間違いなく買ったでしょう。いえ、とめられていても、買ってしまう寸前でした。あの可愛らしさの前には、喘息の悪化ぐらい、どうでもいいような気にさせられます。思いとどまったのは、3匹の綺麗で小さなカメが目に入ったからでした。そして結局、カメも買いませんでした。 

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2006年10月 2日 (月)

お知らせ

 今日は読んでいただきたい記事があったので、何度か反映し直しましたが、ココフラッシュには採りあげられませんでした。

 明日メンテナンスということで、今日は記事のラッシュなのかもしれません。

 その読んでいただきたい記事の続編、ガブリエラ・ミストラルについては、メンテナンス終了後の公開になります。

 クッキングは、今夜はいつもとは違うやりかたで(違う本を見て)ビーフシチューにチャレンジしました。まだ家事が残っているので、この記事についてもメンテナンス終了後の公開ということになります。

 今日中に公開予定だった『あけぼの――邪馬台国物語――』の続きも、メンテナンス終了後の公開になりそうです。終了後にはまた記事が殺到するでしょうから、明後日ということになるかもしれません。

 夫がわたしのブログをちらりとのぞいて、「文芸雑誌が総合雑誌みたいになってきたね」といいました。そういわれれば……。自分の楽しみを、この場に増やしすぎたかしら。もう一つ別にブログを作るかどうかを思案中。

 その前に、村上春樹の作品に関するエッセーの続編を書き上げなくては……。現在公開中のエッセーとひとつにしてきちんとしたものに仕上げ、同人誌に発表したいと思っています。発表に編集人の許可がいただければの話ですが。

 アクセス解析によると当ブログに、村上春樹では、毎日頻繁に訪問者があります。ノーベル文学賞が期待されているのでしょうか。期待していないわたしのエッセーなのです、ファンのかたがたには申し訳ありません。

 日本人作家がノーベル文学賞をめぐって話題になること自体は、同じ日本人として嬉しくないわけがありません。ですが、文学に国境はなく、よい作品かどうかがあるだけです。

 ところで、また膀胱炎で困っています。今回は菌の増えかたが速いのか、痛いこと痛いこと! 幸い明日が循環器科の受診日です。心臓の調子がいいと思ったら、こんな風ですからねえ。

 それでは、また。この記事もココフラッシュには採りあげられることなく、風に吹かれるばかりなのかしら。。。 

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ミニチュアのピアノ&文学全集、詩集

20061001190130 20061002000752   娘がミニチュアのヴァイオリンフルートを購入したことは前にお話ししましたが、わたしは迷っていたグランドピアノを購入しました。

 茶色もあり、サイズももっと大きいものがありましたが、置き場所のことを考え、これにしました。

20061001190247_1  
 写真がぼやけてしまいましたが、おわかりいただけるでしょうか。ちゃんとペダルもあります(写真をクリックしてご覧ください)。

 書店の係りの人もおっしゃっていましたが、この楽器シリーズは人気商品だそうで、贈り物にする人もいらっしゃるそうです。

20061001184602_1 20061001185405  

 ご覧のように、きちんと箱に入っていますし、値段もこんなもの(右の写真)です。  

 たとえミニチュアであっても、楽器のある暮らしっていいものですね。

20061001193547_2 
 ところで、音楽性と切り離せない文学作品というと、詩がその代表的なものとして思い浮かびます。

 わたしは岩崎書店から昭和44年に刊行された『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』の中の35、『世界名詩集』(山本和夫編)によって詩のすばらしさを初めて知りました。

 このシリーズはジュニア向けの文学全集として、本当によく編集されたものだったと思います。娘が中学生になる頃に同じものを買ってやりたいと思い、岩崎書店に電話をしましたが、昔のもので、もうありませんとのことでした。

 これと同じようないいものは、どこにもありませんでした。実家にしか。妹との共有のものでしたが、妹の子供たちが講談社の『世界の名作図書館』にいい時期に達していたことと考え合わせて、妹はそれを、わたしは岩崎書店のものをそれぞれの家に持ち帰りました。

 現在では、このいずれかに匹敵するほどの児童向け、ジュニア向けのものは残念ながら出ていないようです。児童、ジュニア向けのよい文学全集が出版されるよう、文科省は力を入れるというわけにはいかないのでしょうか。

 抽象的な事柄を血肉化し、生きた事例として見せてくれる教科書として、世界の名作といわれるような文学作品に勝るものはないと思います。

 ただ巷で人間を眺めているだけでは、その人生まではなかなか見えてこないものです。それを知るには、先人たちが心の中までつぶさに開示して見せてくれ、渾身の力をこめて人生について語ってくれた薫り高い文学作品を読むのが一番なのではないでしょうか。

 子供はそのような文学作品の中で様々な人生模様を見、恋愛の仕方を学び、理想的な生きかたを模索するでしょう。

 命の尊さ――などといわれても、ぴんとこなくて当たり前なのです。よき文学作品を読めば、そのことが叩き込まれます。生きた水となって土壌に滲み込みます。逆のいいかたをすれば、そのような文学作品がよき文学作品ということなのでしょうね。

 話が脱線しましたが、詩に目覚めたわたしが自分のお小遣いで買った詩集は、『世界の詩集12 世界女流名詩集』(深尾須磨子編、角川書店、昭和43年)でした。中学1年生のときでした。それはまさに大人の女性の世界の薫りでした。その中でも、格別な大人の女性の薫りに陶然とさせてくれたのがガブリエラ・ミストラルでした。

 ガブリエラ・ミストラルはラテンアメリカに初めてノーベル文学賞をもたらしたチリの国民的詩人で、教育者、外交官としても知られ、「ラテンアメリカの母」といわれました。

 詩集は、「女に生まれて」「恋愛と結婚」「あこがれ・孤独・別離」「自然――四季おりおりの詩」「時と永遠」「世界の苦悩――平和への祈り」というカテゴリーに分けられていますが、ミストラルの詩は一編にその全てを網羅しているような詩です。

 彼女の詩については、また別の記事で書きます。 

音楽好きのあなた様に、当サイトのおすすめ記事:「イングリット・フジ子・ヘミング  

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昨日の夕飯(広島浜吉のたこめし)&体調のこと

20061001233406 20061001233526 20061001233440  昨日の夕飯は、デパートの「全国有名弁当とうまいもの大会」で買ったお弁当でした。

 夫には、イクラ・シャケの刺身・ウニがのったちょっぴり豪華なお弁当、娘とわたしは写真の広島浜吉の「たこめし」でした。

 夫のお弁当も写真に撮りたかったのですが、とき既に遅く、彼が手をつけてしまったあとでした。

 「たこめし」は、たこの味付けがよくて、とっても美味しい……。夫も、自分のお弁当を美味しいといって食べていました。

 お弁当は、体調が悪いときには助かります。この街に引っ越してきてからは、住んでいるところからデパートまで歩いて15分もかからないくらいで行け、デパ地下にはお弁当売り場もいろいろとあり、お弁当は閉店に近くなるほど安くなりますし、物産展のお弁当にしてもそう。

 外食をするにも不自由はありません。わたしみたいな病人にはありがたい環境です。尤も、同じ環境に住んでいたとしても、子供たちが高校を卒業していなかったとしたら、こんなわけにもいかなかったでしょうけれど。

 ニトロのテープを毎日就寝時に貼って寝れば生活レベルがあがるのではないかと思いましたが、早計でした。体が必要としていないときに貼っても、頭痛が起きるだけだからです。

 前の夜に狭心症の発作の徴候らしきものはなかったにも拘らず、深夜に発作が起きないよう、予防のために貼って寝てみました。が、たぶん、このときはさして貼る必要などなかったのです。4時間ほど熟睡はできましたが、起床時に頭痛がしました。

 テープで血管が全開状態――効き過ぎたのでしょう。仮に効き過ぎたところで副作用といっても、軽い頭痛が起きる程度なのですが、読むことや書くことに差し障りがあることはなるべく避けたいのです。時間がもったいないから。

 前の晩はそんな風でテープは必要なかった、じゃあこの晩も必要なかったかというと、そうではなく、貼っています。胸が重くて眠れず、深夜になる頃に胸から背中にかけて胸痛がありました。今はテープで胸が涼しく、爽快な気分。左手まで涼しい。気分がいいときに寝るのはもったいないので、記事を書いています。

 ニトロの舌下錠・テープの使用については、毎日ケース・バイ・ケースで、自分でこまめに判断を下していくしかないようです。この見究め、案外難しいのです。強い痛みや締めつけがあるときには、使用を迷うことはありません。

 ですが、そこまでいかないときというのが多くて、そのまま自然によくなることもあれば、ひどくなることもあり、また、とても調子がよくても暗転するときがあり、その逆に悪くなりそうで何でもなく終るというときもあるのですね。

 健康なかたがたにとっては病人の愚痴としか思えないに違いない、このような話をくどくどとすることに、以前は迷いがありました。が、アクセス解析を通して、似たような迷いや悩みを持ち、率直な体験談を求めてご訪問なさるかたが予想外に多いらしいことがわかり、少し自信がつきました。

 そういえば、ニトロのテープは上半身に貼らないと効かないかと思っていたのですが、呼吸器科の先生はどこに貼っても効くとおっしゃいました。ただ脚に貼った場合は吸収がよくて効きすぎるとのことでした。舌下錠を切らしたときに強い発作が起きた場合、胸より脚に貼ったほうが効き目が強くていいのかしら。

 ところで、前にミニチュアのピアノを買うかどうかで迷っていることをお話ししました。結局、注文することにし、届いたという連絡が書店から入ったので、受けとりに行きました。そのことにガブリエラ・ミストラルの詩をからめて書きたいのですが、長くなったので、記事を改めましょう。

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