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2006年9月11日 (月)

ミューズのお酒②

(「ミューズのお酒①」へ)

 同人の一人から電話があったあと、彼の作品のことが頭を離れず、終日考え込んでいた。

 あの作品が異常な美しさと宗教的といってもいいような求道性を帯びていた理由を電話で聴かされた気がしたが、その予備知識を得て再び彼の作品を考えてみると、いくつかの謎が浮かびあがってくる。

 小説の中の主人公を秘密結社めいた耳納連山を愛する人々の集まりに導き、死んでいく人物についてである。

 この人物は、耳納連山と俗世に生きる人間たちとの間をとり結ぶ媒介者であったがゆえに、かぐや姫がこの世にとどまることができず月に帰らねばならなかったように、この世にとどまりえなかったのだろうか。

 事実、この人物は薪能を舞う。そして曲目は羽衣なのだ。この人物をあえて男性にしたのは能との関係もあるだろうが、作中冒頭で死んでいく妻との関係を考えてみると、やはり男性でないとまずいだろう。

 能を舞う男性であるからこそ、清浄な気を漂わせるのに成功している。死んでいった妻のイメージを汚さないためには、こうしたキャラクターを配する以外にない。

 そしてこの男性は、あの世へ旅立った妻の使者のようでもあり、その人物の姿を借りて語りかける妻そのもののようでもある。

 このような作品を重病の奥さんの側で書くというのは、ぎりぎりのところでの創作、祈りにも似た苦行であったに違いない。

 わたしもかつて重態の母の側で、書いていた。苦しいけれど、それしかできなかったし、それだけが救いだった。

  美意識にも、創作姿勢にも、彼とわたしには本当に似たところがある。これまでの賞仲間には、彼のような人物はいなかった。何かあれば書くのを休止し、余裕があるときに書くといった人たちだった。

 わたしの母も、彼の奥さんも、同じ腎不全だったということすら、何かの符合めいたものに思われてくる。死んでいこうとしている人の側では、竹取物語や羽衣は神秘性をいや増すものだ。何とも切実な物語に思われてくるのだ。

 それにしても、死ぬ前にこのような作品を読まされた奥さんの心境は、どのようなものだったろう? 死を前にしてバルザックから『谷間の百合』を読まされたベルニー夫人を連想させられる。

 同人誌を、長く文通していただいているフランス文学者にお送りしたところ、2通の葉書をいただき、2通目に、彼の作品を絶賛した言葉が綴られていた。

 そのよさが、今の日本の文学界にはわからないらしい。 

 関連記事:「前世のゆかり?~合評会の土産話」「批評を受けて思うこと」 

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