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2006年9月の64件の記事

2006年9月30日 (土)

素敵…

 ガタンと玄関で音がしたと思ったら、「ちょっと、忘れ物した」といって夫が姿をあらわしました。忘れ物を取りに会社から戻ったようです。

 それが、いつも家で見る夫とは違って、生気に満ち、律儀そうに、きりっとしていて、それでいて感じのよい穏やかさがあり、普通男性には使わないチャーミングという言葉を使いたくなる魅力があって……すてき……。

 なあんて、すみません、みっともなくノロけちゃって。

 こんな夫の姿は年に1度見られるかどうかで、わたしには貴重な、日常の思いがけないひとコマだったのです。

 惚れ直すという言葉がありますが、まさにそうでした。

 今の夫しか伴侶にしたことがないので、働く伴侶が一般的にどうなのかは知りませんが、おおかたの働いている人は家で気をぬくものと割り引いて考えてみても、彼は家でかなり気をぬくほうだと思えます。

 ひどく間がぬけて見える夫、まれにハイドな夫――だけ見ていると家庭の波乱(←ファイヤー!に興味があるかたはこちら及びこちらへどうぞ、わたしの愛情も枯渇してしまいそうになりますが、こんな彼をたまにでも見ると、やっぱり自分は彼と結婚したくて結婚したのだということがしみじみわかります。

 だからといって、「波乱」で描いた問題点が消滅したわけではないので、彼といいかたちで添い遂げるためにも、知恵を働かせなければと思っています。

 で、外界での清爽な雰囲気を纏って一時帰宅した彼に対し、わたしはどうだったでしょう?

 だっらしなく寝ていました。

 思わず「あら、うっかり寝ちゃった。もう起きなくちゃ!」などとあわてて変な言い訳をしましたが、夫は気にする風でもなく、「今日はちょっと遅くなるから」と柔和にいって、また会社へ出かけて行きました。

 ただ、こんなわたしの態度にも、問題があるのかもしれません。具合が悪くて寝ていたということを、仮に嫌な思いをさせようと、ちゃんというべきだったという気がします。こんなことを繰り返してばかりいるから、協力して貰えるところもして貰うのが難しいということになるのだ、ということに今更ながら気がつきました。

 でも、夫は、わたしが具合悪そうにしていると、極度に怯えて怖がるし、下手をすれば逃げ出したり、プッツンすることだってあるのです(そんな過去がありました)。

 ですから、むしろ悪妻風に、自分が好きな書くことと昼寝にひたすら没頭するグータラ妻と見せかけるほうが楽なのです。

 とはいえ、これでは何かのときに自分も夫も困るだけだということははっきりしています。これも今後の課題として、真剣に取り組んでいく必要があります(こんなこと、一般公開したってはじまりませんが)。

 循環器科の先生が、こんな時期は狭心症の発作が出やすいとおっしゃっていましたが、そのせいかどうか、近頃また体調が悪く、今日も朝フラフラするわ、変な不整脈は出るわで、家事がはかどらないので、寝ました。夫が帰宅したのは午後2時を回っていました。

 その間、胸が重くて何度か目が覚め、「薬を……」と思いつつ、いつも首にかけているニトロ専用ペンダントのことすら思い出せず、うとうとしてしまいました。

 夫と会話を交わしたあと、本当に起きなきゃと思いながら、またうとうとしてしまって、あまりの胸の苦しさで完全に起きたのが3時過ぎでした。それからニトロのテープを貼ってみましたが、胸の重い症状にニトロのテープは効果的でした。

 胸痛があったわけではないので、胸の重苦しさに舌下錠を使うかどうかで迷い、作用が穏やかなテープを貼ってみたのです。するとしばらくしてしだいに胸が涼しくなり、頭がはっきりしてきて、全身が爽やか……。

 調子の悪かったのが、まるで嘘のよう。テープをいつも、少なくとも就寝時には必ず貼るようにすれば、よく睡眠がとれ、症状の改善につながるのかもしれません。幸いテープはまだあり、毎日貼っても、来週の受診日まで持ちそうです。

 入浴時には剥がすので、うまく持たせるために使いかたを考えなければなりませんが。とりあえず毎日使ってみて、それで生活レベルがあがるかどうか、実験してみたいと思います。先生は、全部使い切ったというと、驚かれるかもしれませんが。

 ああ、ニトロで本当に胸が涼しい。健康だったときの胸の中の感触がどうだったかはもう思い出せませんが、特に涼しいと思ったことはなく、胸の中のことなど何も気にせずに済む自然さだったような気がします。

それにしても、沢山の人を犠牲にしてきたダイナマイトの原料のお蔭で、わたしのような狭心症の患者が助けられていることを思うと、複雑な思いに駆られずにはいられません。

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昨日の夕飯&デパートの物産展で買ったもの

20060929203224 20060929203429 20060929204620_1   デパートで『全国有名弁当とうまいもの大会』があっているので、出かけました。

 お弁当を買いたかったけれど、お弁当は具合が悪いときのための手段としてとっておきたいので、今日のところは我慢しました。

 娘の好きなみたらし団子、大阪浪芳庵の『みたらしとろとろ』を買いました。たれが中に入っています。

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 夫の好きな愛媛安岡蒲鉾の『ジャコ天』も買いました。

 石川高澤の『妙成寺味噌』も買いました。これを買うのは初めてでしたが、さっそくごはんにかけて食べてみました。わたしの好みからすると、少し甘いような気もしましたが、遠く郷愁を誘われるような味わい……。 

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 家族全員が好きな新潟浪花屋の『元祖柿の種』も買いました。

 この柿の種、芳ばしい美味しさです。缶入り、小分けしてあるので、湿気にくくていいです。どれもネット注文できるようですね。

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 昨日の夕飯は、塩シャケ、ホウレン草とベーコンの牛乳煮、ピーナツ豆腐、落とし卵の味噌汁でした。

 シャケはバター焼きにするつもりでしたが、家族の好みは塩焼き。かぼちゃのシナモンソテーをしたときのアーモンドスライスが残っていたので、トースターでパリッと焼いて牛乳煮に散らしましたが、これは失敗でした。       

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2006年9月29日 (金)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第63回

 おしゃべりのしすぎでわたしの声が掠れてしまうとお師匠さんは笑い、手を叩いて、奴婢(ぬひ)に、高杯(たかつき)に盛った桃の実を持ってこさせました。

 ケヤキの木目をデザインに用いた木製の高杯です。器集めが趣味の叔母が見たら、眼を見張りそうな食器でした。盲目のお師匠さんの家には、趣味のいい器が数々ありました。

「桃の実でも含んで、喉を潤しなされ。そういえばじゃ。隣のフミのクニにの、道場を開いて、鬼吏(きり)の為すような病気治療をさっしゃる婆様がいられる。何でも、かの大国に渡り、じかに教えを受けなすったという話じゃよ。

 眉唾ものかどうかは知らんがの。

 そいでも、確か生まれはヤマトで、宮中に仕えたこともあられるおなごじゃ。仕えたというても、女王様のお祖父様が王だった頃の話で、女王様よりか、五つ、六つ、年上じゃろ。

 女王様のお父君は、お体が弱うあられての。祖父王が崩御なされてからは、倭国は乱れた。病床のお父君も崩御なされた。

 そこで、芳紀15歳のおとめごであられたヒミコ様が女王に君臨なされたんじゃ。神々しい、初々しい、女王の誕生じゃった。

 明君、祖父王の手塩にかけられた姫君じゃ。既に若き女王の名望は遠いクニグニにまで及んでおったが、ご苦労もたんとなされたろうの」

 女王の話題に、わたしは胸が詰まりました。家路を辿りながら、わたしは泣きに泣き通しでした。

 どうしてでしょう、と自分でも呆れるほどでしたけれども、芋名月の夜の真っ白な月のような女王のお顔、ヤエミ様の清麗な立ち姿、ダイナミックにして澄んだ光(オーラ)を持つ栗色の膚のタル。ああそれに、笹の葉のような瞳のヨモギの面まで、次々に脳裏をよぎっては、泣けて仕方がないのでした。〔〕 

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2006年9月28日 (木)

月とロルカ

20060927190129  昨日は夜空に三日月が息を呑むような美しさでした。

 娘に写真を撮って、とせがみましたが、何やら忙しい様子で、相手にして貰えませんでした。

 仕方なくベランダから自分で撮りましたが。。。 黒い空に白い点のように見えるのが三日月です。実際には金色を帯びた黄色い月で、ぴかぴか光って見えました。

 月といえば、思い出されるのがスペイン生まれの詩人・劇作家であったロルカの詩です。彼の詩には月がかなりの頻度で顔を出します。ロルカの月は、どちらかというと不吉な月です。

 ただわたしにとってロルカといえば、一番忘れがたいのは、月の出てこない次の詩です。『世界の詩集 19 ロルカ詩集』(角川書店、昭和47年)からご紹介しましょう。

          
               ロルカ作・小海永二訳

   禿山の上には
   十字架の立つ丘。
   清らかに澄んだ水と、
   百年を経たオリーヴの木々。
   路地には
   顔を覆いかくした人々。
   そして 塔という塔の上には
   回る風見。
   とこしえに
   回る風見。
   おお 見捨てられた村よ、
   泣きぬれたアンダルシーアの!

 ロルカは、スペイン内乱時の1936年、ファシスト党員たちの手によって銃殺されました。

 彼はある地方の寒村に泊まった晩、廃墟となった中世の城館で一匹の羊が黒い豚たちに襲われ、むさぼり食べられる光景を見、それが死の予兆であるかのように怯えたと詩集の解説にあります。

 豚が羊を食べるなど、とても考えられないので、実際には黒い豚と見えた動物は何だったのだろう、と思います。もしかしたら幻影だったのでしょうか。

 いずれにしても、ロルカが羊の惨劇を見たのは太陽が差し昇ってくる頃で、夜明けの青白い光の中での出来事だったようです。

 ロルカの次の詩は不吉で、しかも何処か共鳴を誘う、悲痛にして美しい詩です。この詩には月が出てきます。生きていれば、ときにこの詩のような不吉な感じをわが身に覚えることは誰しもあるのではないでしょうか。

          騎士の歌
               ロルカ作・小海永二訳

   コルドバ。
   はるか、ただ一つ。

    黒い小馬、巨大な月、
   そして、おれの鞍嚢にはオリーヴの実。
   道は知っているけれど
   おれは決して着かないだろう、コルドバに。

    平原を越え、風を切り、
   黒い小馬、赤い月。
   死が おれを
   コルドバの塔から ねらっている。

    ああ 何と長い道だろう!
   ああ 勇敢なおれの小馬よ!
   ああ 死がおれを待ち受けている
   おれがコルドバに着くより先に!

    コルドバ。
   はるか ただ一つ。

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翌日食べた卵の中華風煮物。キューピー人形とミニチュアの楽器。

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これは、本日のわたしのランチでした(と高らかにいうようなものではありませんが)。

  近頃、オニザキの『ごまスープ』のことを何度か書きましたが、実は、オニザキの味付きゴマふりかけ『醤油ごま』にもはまっています。
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 レンジでチンした昨日の余りごはんでも、これをかければ、わたしにはデラックスなランチなのです。

 しょうゆの風味が何ともいえません。

20060928150854  昨日味見程度で残してしまった卵の中華風煮物。これはこれまでにも何度かしたことがあるのですが、翌日食べたのは初めてでした。

 味がよくしみていて美味しいこと、美味しいこと。オイスターソースと卵から出る風味で、肉を使ったようなこくが一段と増していました。

20060927170837  話は変わりますが、前にミニチュアのヴァイオリンのことと向かって左側のキューピー人形についてはお話ししました。娘が今度はフルートを購入しました。

 これはキューピーには大きすぎますが、本当によくできていて安い――。楽器によっては、大きさが幾通りかありました。

20060927170253  わたしは2,300円の黒いグランドピアノを買おうかどうしようかと迷っています。同じ額で、ちょっとした単行本が買えますものね、迷います。でも、グランドピアノいいなあ、買おうかしら(※ピアノがお好きなかたはこんなエッセーは如何?→イングリット・フジ子・ヘミング)。

 書店の係りのかたに伺ったところ、これらの可愛らしい楽器は、楽譜を出している出版社がつくらせたものだとか。注文して取り寄せることもできるそうです。

 羽ペンを持っているキューピー人形は、娘がわたしに買ってくれたものです。文運が授かるかもしれません。   

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2006年9月27日 (水)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第62回

 私塾の合間を縫って、わたしは昔通ったお師匠さんの処に再び通い始めました。

 お師匠さんはめっきり年を召されて、大儀そうに見えましたけれども、身綺麗にして両眼を閉じている姿は、さながら木彫りのお人形のようでした。

「あんたが舞姫じゃった頃、確か何回か演奏にヤマトに行ったが、生憎と眼開きじゃのうての」

 わたしは赤くなって「お師匠様のお眼が閉じておいででなかったら、琴もひどいが、舞もひどいの、とおっしゃいましたでしょう」とつぶやきました。

 お師匠さんは、そうか、と答えたきりでした。

 稽古が終った後、わたしはお師匠さんに、神殿で漢字を学んだこと、難しくて身についたとはとてもいえないこと、道教にはまがまがしく卑俗な面と神聖な面があるように思えること、などを綿々と打ち明けました。

 神殿では、仙薬の授業をはじめとして道教の知識を学ぶ正式な機会があったのとは別に、官女たちの中には大人階級、ときには下戸階級の人々との秘密の接触を通じて独自に道教の知識を仕入れている者たちがいました。

 吹聴されるそれらの知識の中には、女王が耳になさったら眉を顰められるに違いないと思われるような知識も混じっていて――それはまさに玉石混淆といっていい有様だったのです。〔

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昨日の夕飯(肉だんごとキャベツの煮もの、かぼちゃのシナモンソテー)

20060926235517 昨日の夕飯は、江戸崎愛さんの本にあった「肉だんごとキャベツの煮もの」、トマトのサラダ、『かぼちゃ大好き』(集英社)という本にあった「かぼちゃのシナモンソテー」、オニザキのごまスープでした。

 ソテーに黒皮かぼちゃを使ったのですが、固いこと固いこと。こんなに固い黒皮かぼちゃは初めてでした。包丁が刃こぼれしそうだったので、レンジで柔らかくしてから切りました。

20060926215816_1  バターとサラダ油をフライパンに熱してかぼちゃをソテーし、砂糖とシナモンをからめます。これにさらに、オーブンでカリッと焼いたアーモンドスライスを からめて出来上がりです。

 甘みの少ない黒皮かぼちゃでソテーというのはどんなものかしら、と思ったのですが、上品な甘さに仕上がり、家族には好評でした。デザートになります。

20060926233707  マヨネーズに生クリームと白ワインを混ぜたドレッシング、うちではよく作るのですが、トマトの甘みと生クリームの風味で、これもちょっとデザートみたい。 

かぼちゃとの格闘で力を使い果たし、スープを作る気力がありませんでした。安くなったときに買い溜めしておいたオニザキのごまスープは、重宝します。せめてもと、小口切りした万能葱を散らしました。

20060926235008 昨日の夕飯のメインだったこれは、肉だんごというより、和風ハンバーグといった感じです。

 前の日に買い物に行ったとき、ぼうっとして、家にまるまるキャベツ1個と卵が1パック近くあったのを忘れ、買い足してしまいました。

 昨日休日だった娘とお昼に両目焼きにして食べ、一気に卵を4個減らしましたが、キャベツを減らすには煮込むのが一番と思い、メニューを洋風のハンバーグから肉だんごに変更して一緒に煮ました。

 この「肉だんごとキャベツの煮もの」を本からご紹介します。

☆材料(4人分)
 {豚挽肉400g、葱1本、しょうが汁少々、卵1個、かたくり粉大さじ2、塩小さじ1/3、酒、ごま油各大さじ1/2} キャベツ小1個、サラダ油大さじ3、固形スープ1個、しょうゆ大さじ4、酒大さじ3、砂糖大さじ1と1/2、塩少々、かたくり粉大さじ1

①{ の材料で肉だんごの種を作る。葱はみじん切りにして加えておく。
②①の肉だんごの種を四等分して小判型にまとめ、かたくり粉を倍量の水で溶いて全体にまぶしつける。
③鍋を熱してサラダ油大さじ1をなじませ、②を両面焼いて皿にとる。
④キャベツは5センチ角に切り、③の鍋にサラダ油を熱して炒める。
⑤④がしんなりしたら、肉だんごを戻し、水1と1/2カップ、固形スープ、しょうゆ、酒、砂糖を加えて弱火で1時間煮る。仕上げに塩を加えて味をととのえる。 

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くそっ出ない!

 つい今しがた、パソコンに向かってキーを叩いていると、狭心症の発作が起き、胸痛が続いたので、ニトロ専用ペンダントから舌下錠を取り出そうとしました。

 が、しっかり折り畳んだはずのアルミ包装が一部分引っかかって、なかなか出てこないではありませんか。痛い、くそっ出ない、痛い、くそっ出やがれ! とやっているうちに、ようやく出てきました。

 軽い発作だからよかったようなものの、これでは何のための緊急用だかわかりません。アルミ包装を折り畳まずに入れられる型のペンダントも、購入しておいたほうがよさそうです。

 胸痛は、舌下錠で瞬く間に消失しました。 

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2006年9月26日 (火)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第61回

 中国で魏呉蜀の三国が鼎立(ていりつ)している状況に変わりはありませんでしたけれど、何といっても華北の魏が威容を誇っていて、国際文化の華はその都洛陽(らくよう)に咲いていました。

 人員不足に悩む呉の孫権などは、遠征軍を海外に派遣して人狩りをするという噂でした。馬80頭も載せることのできる船を所有しているともいわれていました。

 そんな話が出た内輪の席で女王は、『おぞましくって、生理的な嫌悪感さえ覚えるのよ』とおっしゃったことがあり、女王らしからぬ乱れた激しい口吻が忘れられませんが、仮に女王があの時点で、イサエガの――呉との同盟を画策せんとする――本意をお知りになったとしても、戯言(ざれごと)としかお受け取りにならなかったでしょう。

 魏都洛陽に使者を送りたいという女王の悲願が成就するには、そのための通過障害となっている朝鮮半島の公孫氏が破られる日まで待たなければならなかったのでした。〔

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昨日の夕飯(蓮根の土佐煮)

20060925235440 20060925235519_1  この季節、ついフラフラと魚屋さんの秋刀魚に足が向いてしまいます。で、わが家は今秋3度目の秋刀魚となりました。

 2度目は1度目よりも脂がのっていましたが、3度目の昨日の秋刀魚はさらに脂がのっていました。

 でも、この秋刀魚、ちょっと恨めしそうな顔をしていません?

20060925232908 20060925230549 20060925234308_1  他に、蓮根の土佐煮、ホウレン草とウインナーと卵の炒め物、豆腐とエリンギのスープでした。

 蓮根の土佐煮の作りかたを江戸崎愛さんの本からご紹介しましょう。

 材料は4人分で、蓮根(中1節)約400g、削りぶし1カップ、だし汁2カップ、砂糖大さじ1と1/2、しょうゆ大さじ2、塩少々。

①蓮根は皮をむき、輪切りにし、酢水につけてあくぬきをする。
②だし汁と砂糖、しょうゆ、塩を混ぜ合わせて鍋に入れる。
③蓮根の水気をふいて②鍋に入れ、中火にかける。鍋のふたはしない。
④煮汁が半分になったら、削りぶしの半量を加えて、煮汁がなくなるまで煮切る。
⑤味を見て、塩味が足りなければ少し加え、火をとめる直前に残りの削りぶしを振りかける。           20060926000739

 デザートはイチジクでした。                          

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2006年9月25日 (月)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第60回

 後漢王朝時代の話に遡りますが、王朝の斜陽期に、中国では多くの新興宗教が興りました。このことは、王朝の指導理念であった儒教思想がその指導性を喪失したことを意味していました。

 生きるのに苦しい人々は、それが本物の神秘性を秘めていようと、まがまがしい俗性を隠していようと、自分を救ってくれそうな〈別の何か〉に惹かれずにはいられません。

 そうした新興宗教の中に、太平道教団(※4があり、五斗米道教団(※5があって、これらが成立道教の源流となったのでした。

 五斗米道では『老子』を根本聖典とします。女王は『老子』を五斗米道筋から入手なさったのかもしれない、とわたしは想像しました。〔

 
  4 黄布軍を組織して造反を起こすが、平定される。
  5 (しょく)に興って漢中に祭政一致の五斗米道王国をつくりあげるが、曹操に降り、体制に組み込まれる。

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余った同人誌。ブログ散策。

 同人誌が余っています。何しろ、わが家は前の記事にも書いたように、本の過密地帯と化しているので、あまり書籍、雑誌の類を溜め込むということをしたくないのですね。

 自分の作品しか載っていないというのであれば、捨ててもどうということもないのですが、他の同人たちの血と汗と涙で綴られた(←ホント?)諸作品も載っていることを考えれば、罪悪感に駆られます。

 仕方がないので、友人、知人に贈ろうかと思いますが、さわやかな秋の季節を楽しんでいるに違いない彼らに血と汗と涙で綴られた同人誌なんぞ送りつけて、わざわざ重い気分にさせるのもどうでしょうか。

 うーん、困りました。

 余った同人誌をどうするかの名案が思い浮かばないので、ひとしきりブログ散策をしました。何気なく訪れた、ピンク色の綺麗な意匠のブログ。

 どうもそのブログの管理人は、込み入った恋愛事情に悩んでいられるようでした。くどくど、なよなよ……と他人の悩みはいつも軽く見えるわたしには見えました。女性らしいナイーヴさに胸を打たれるような打たれないような……。

 と感じつつ読んでいくと、ん? 男? プロフィールによれば、管理人は中年男性で、妻子あり、女あり。中年男性の不倫日記でした。

 わたしには鈍いところがあって、デザインを鑑賞し、記事を読むだけでは、年齢や性別を読み違えることが多いのです。尤も、プロフィールにしたところで、どこまで信じてよいものやら。

 こう書いているわたしはですね、実は男性なのです。年齢は32歳。妻子はありません。ちょっとかたい仕事をしておりますので、夜な夜な中年女性に化けて彼女になりきり、ブログを綴ることが何よりの開放感をもたらすのです。

 なーんちゃってね。

 娘は、若い人のブログはすっきりしていて、余計な装飾、顔文字、ぶりっ子言葉、ざーます調などは少ないといいます(最近、女性のブログで「ございます」というのが流行っていますね)。

 そういわれてみれば、クールで落ち着きのある(という気がした)中年者のブログかと思いきや、高校の部活動が……などと出てきて、驚かされたことがありました。

 これを書いているあいだに、同人誌は友人、知人に贈ることに決めましたが(それでも余るでしょう。ミイラ化してきたら捨てます)、このブログの存在を知らせるかどうかでも迷います。

 心配させたり、呆れさせたり、説教されたり……しそうです。病気の愚痴、夫の悪口なんかも書きにくくなります。でも、心を籠めて書いた記事なんかは、ちょっと読んで貰いたい気もするのですね。

 娘のいうところによると、他県でアパート暮らしをしている大学生の息子がしきりにわたしのブログを知りたがっているといいます。娘はこのブログの存在を知っていますが、息子に知られるのはまずいのです。精神年齢が若すぎる(幼い)ので、軽く読む、掌で母親を遊ばせるなんて芸当はできそうにありませんから。

 そういえば、ワープロで小説を書いていた頃、これも娘の垂れ込みなのですが、まだ中学生になったばかりだった息子がしきりにわたしの小説を画面に出して、研究していたといいます。

 わたしの文章に一目置いていて、文章を磨く手本にしていたのだそうですが、わたしは娘のその言葉に固まってしまいました。以来、フロッピーは厳重に管理し、パソコンを使うようになってからも用心を重ねていて、勿論このブログの存在も知られてはならないと警戒しています。 

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読書の秋にこちらを見ている本たち その二(レオン・サーメリアン『小説の技法』) 

読書の秋にこちらを見ている本たち その一」へ
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 9月になってすぐに、お気に入りの紅茶――ワイルドストロベリーの入ったウェッジウッドのティーバッグ――を買い、今日、今秋初めての熱い紅茶を家で飲みました。

 昨日までの数日間、体調が悪くて寝たり起きたりしていたのですが、今日は元気。ほんのり苺ジャムの香りのする紅茶は美味しい……。日本社会や自分の将来のことなど考えるとまた体調が悪くなりそうなので、少なくとも紅茶を飲むあいだは考えないことにしました。
20060924052927_1 20060924171629 20060924171721  優雅に紅茶を飲んでいると、写真に写っている、向かって右側の本棚からレオン・サーメリアン著『小説の技法』(西前孝監訳、旺史社、1989年)が、「作家の卵だぁ? どの辺がぁ? 作家の卵だなどと名乗るには50年早い。とにかく、勉強が足りんことだけは、はっきりしておる。芸術は長く、そちの貧弱な人生は短い。これも、はっきりしておる。さあ、ぐずぐずせんと、わしを開いた、開いた!」と大声でいって、わたしを凝視しました。

 写真には写っていないカラーボックスから、『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992年)が「ねーねーおばさん。近頃、料理の写真をブログにアップしたりなさっているようだけれど、ヘッタ糞でさ、とても見ちゃいられないわよ。あたしを熟読してから、そうなさればー?」といって、ほがらかに笑いました。

 で、仕方なく、今日の午後は、自分のものとしているとはいえないこの2冊と共に過ごしました。

 『小説の技法』を書いたレオン・サーメリアンは、これが書かれた時点で、作家であり、またカリフォルニア州立大学の創作コースにおいて作家志望の学生たちを指導する教師とあります。

 この本は、わが国に蔓延している賞獲りレースのための対策としての創作指導などとは何の似たところもない、格調高い小説技法の研究書であり、懇切丁寧な創作の指南書です。

 訳者あとがきには、次のように書かれています。

本書においては、目次を一覧しても分るように、場面、要約、描写、三人称、一人称、プロット、人物・性格・意識の流れ・内的独白・文章(文体)などの諸問題が、その関連諸領域にも及んで、肌理細かく、かつ、親切に説かれている。

 ポスト構造主義やメタフィクションを考える今日にあっても、なお、上の諸事項は、殊に作法・技法の観点から、等閑に付すことのできない問題を孕んでいるのである。

 この意味で本書は、文学や小説に関心を持つ全ての学生・教師は勿論、作家を志望する少年・青年・主婦などにとって、有益な知識を提供するはずである

 的を射た案内文だと思います。

 現代においては一方的に軽蔑されている感のある全知の方法についても、そうでない方法と同様にメリット、デメリットの双方が挙げられ、バランスのとれた見方がなされていて、ホッとさせられます。

 というのも、わたしが最終的な目標としたいのが、バルザックの小説において最高度に生かされた、この全知の方法だからです。全知の方法について、小さき人間が「神の視点」で書こうとする、傲慢で、愚かしい、古い方法のような見なされかたをすることに、わたしは疑問を持ち続けてきました。

  彼は、全知の方法のデメリットについて次のように考察しています。

全知に制限を加えれば加えるほど劇的になっていく。全知は本質的に作家の介入を許し、それだけ散漫になる

 全知の方法を最上の方法と信じるわたしの小説が賞の最終選考でいつも落とされ、その理由として、まとまりがない、余分なものが多すぎる、あるいはときに単調とさえといわれるのは、単にわたしが未熟だからということだけが理由ではありません。全知の方法につきまとうデメリットを、既にわたしの小説が含んでいるからなのです。

 全知の方法のメリットについて触れられた箇所を、長くなりますが、引用しておきましょう。

限定三人称視点人物というのはヘンリー・ジェイムズが完成させた。彼にとっては全知は創作方法としては無責任なものだった。我々としては、しかし、このことを決定的な金科玉条とする必要はない。

 全知にはそれなりの場というものがあり、これを最上の方法だと考える作家もいるくらいだ。

 人物視点よりもずっと広々とした領域、人物の広々と豊かな局面を取り込むことができる。散漫になるにしてもそれは同時に多様性を与えることでもあるのだ。この方法は行動を、それを取り巻いている広い世界から締め出したりしないからである。

 作家の介入は読者にとってうるさいと感じることもあるだろうが、また気晴らしを与えることもある。『トム・ジョーンズ』や『虚栄の市』ではそうだ。全知の方法は作家の側での並はずれた知識が要求されるものであって、知的また精神的に厳しい限界を持つ作家にはふさわしい方法ではない。

 限定三人称視点の方法は、日和見主義者や傍観者を決め込む人間には都合がいいだろう。また商業主義に同調する作家にとって理想的な方法となろう。というのも、そういう作家は陳腐なものだけに身を任せていればいいからである。

 トルストイの方法を見ればわかるように、囚われなく全知であるためには、作家として、否、人間として、偉大でなければならない。解説するとは責任を取ることなのである

  ところで、うちでは、本棚の置き場がうまく見つからず、仕方なくダイニング・キッチンとの境目がないリビングに置いているのですが、そこには写真のような本棚が5つと小さな本棚1つ、それに本棚として使っている背の低い3段のカラーボックスが7つ、砦のように取り巻いています。

 リビングには家族全員の本があるのですが、他の部屋にも、本は行き場を求めて群れています。他県でアパート暮らしをしている息子も、本が溢れてきたといってきました。

 毎月数冊ずつでも購入していけば、本というものは溜まるもので、置き場所の確保ということが課題となります。引越しの都度、処分できるものは処分するようにしてきたのですが、また溜まります。本の虫に共通した課題なのでしょうが、皆さん、どうなさっているのかしらと思います。

 写真のような、本棚がL字を形成する一角に、マイクッションとハーボットのぬいぐるみがあり、わたしはそこによく横になっているのですが、震度2くらいでもマンションの上のほうは揺れ、本棚の上に積んだ文庫本が数冊落ちてきます。

 もっと大きな地震だと、どっと本が襲いかかってくるでしょうね。愛する本に埋もれて死ぬのであれば、本望なのかもしれませんが……何とかしなくては……と、この2年思い続けています(24日)。

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2006年9月24日 (日)

近頃のハーボットのぬいぐるみ

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                           近頃のハーボットのぬいぐるみです。

  わたしのマイクッションで、くまのぬいぐるみと眠っています。

 ところで、田辺聖子さんの『猫なで日記――私の創作ノート』(集英社文庫、1991年)の中に田辺さんとスヌーピーのぬいぐるみの話が出てきます。

 すばらしいぬいぐるみはこちらに話しかけてくるとあり、わたしはその言葉に大層共感を覚えました。

 わが家にはふたごの猫のぬいぐるみなどもいて、それはこの子たちなのですが、どうです――、向かって右側のお兄ちゃんはやんちゃそうでしょう。なかなか雄弁なのです。左側の弟くんは、おとなしい甘えん坊。

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20060924081821  わたしにはこの子たちが生きているように思えてならなかったのですが、以前住んでいた古い大きな借家には、ネズミが出ることがありました。

 冷え込んでくる晩秋の頃に、出ました。出るのはいつも、小さな仔ネズミでした。

 当時はハムスターを飼っていたので、ネズミ退治ほど嫌なものはありませんでしたが、仕方なくネズミ捕りをしかけました。そんなあるとき、仔ネズミが一匹、めったにないことでしたが、居間に迷い込んだのでした。

 そして、その本当に小さな仔ネズミは、このふたごの猫のぬいぐるみの近くを走りぬけたのです。ぬいぐるみの猫たちはびくともせず、冷たくうつろに沈黙したまま。

 当たり前のことなのに、わたしは失望し、やっぱり所詮はぬいぐるみね、と思いました。この子たちがそのような次元で生きているのでないことはわかっていたはずなのに、どこか、納得できないものがあったのですね。

 普段わたしが心の中で大事にしている女神様や聖者たちや亡くなった人たちにも、同様の失望を覚えたことがありました。窮地に陥って助けを求めても、何の応答もなかったからです。

 でも、あとで、そうではなかったことがわかりました。というのはいいすぎかもしれませんが、応答があったとしか思えないある神秘的なことが起こりました。

 かたちにならないものを求め続け、あらわにかたちをあらわすことのない確かなものへの信頼を築くために自分がこの世に生きていると思えることがあります。

 仔ネズミ騒ぎのあと、しばらくは何となく冷淡な気持ちになってしまいましたが、しだいに再びふたごの猫のぬいぐるみは精気を帯び始め、お兄ちゃんは一層やんちゃに、弟くんもときには幼児言葉でよくおしゃべりするようになりました。

 ハーボットのぬいぐるみですか? 彼はとても繊細です。そしてクールで愛くるしい。でも、しゃべるときは男の子らしいはっきりした口調ですよ。 

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昨日の夕飯(ビーフストロガノフ)

20060923233106   以前はバターライスをちゃんと作っていましたが、中性脂肪が気になるようになってからはもっぱら普通のご飯とビーフストロガノフとの組み合わせです。

 それでも、生クリームやバターをたっぷり使うことから、わたしにとっては何となく冷や冷やするメニュー。でも、たまには食べたいビーフストロガノフです。

 ちなみに写真のビーフストロガノフは娘のぶんで、わたしのぶんはこれより少なめです。大抵、写真撮影の対象となるのは、娘のぶんです。夫のぶんはそれより多めです。

 このビーフストロガノフに、先日ご紹介した北欧風きゅうりのサラダを作りました。

 ビーフストロガノフは有名なので、レシピをご紹介するまでもないだろうなと思い、ネットで検索してみると、色々なビーフストロガノフが出てきて、びっくりしました。

 で、このビーフストロガノフは江戸崎愛さんの本を見て作ったものなのですが、ご紹介しておきましょう。材料は4人分です。

《材料》
牛赤身肉の薄切り400g、にんにく2かけ、マッシュルーム250g、トマトピューレ2/3カップ、生クリーム2/3カップ、パプリカ・砂糖各少々、塩・コショウ各少々。バター・サラダ油各大さじ3、パセリのみじん切り少々。{米3カップ、たまねぎのみじん切り大さじ2、バター大さじ2、固形スープ1個。

① { 内の材料でバターライスを作る。米は洗ってざるに上げ、30分ほど置く。
②バターを溶かしてたまねぎのみじん切りをよく炒め、透き通ってきたら①の米を加えてさらに炒める。
③湯3と1/3カップで固形スープを溶かし、米が透き通ってきたら加える。
④ふたをして強火にかけ、沸騰したら弱火にして12~13分で炊き上げる。
⑤バターライスを炊いている間にストロガノフを作る。にんにくはみじん切り、牛肉は一口大に切って、軽く塩コショウを振る。
⑥マッシュルームは石づきを取り、薄切りにする。
⑦フライパンにバター大さじ1を熱して、⑥のマッシュルームを炒めておく。
⑧厚手の平鍋に、残りのサラダ油とバターを熱し、牛肉を2~3回に分けて焼く。よい焼き色がつくようにあまりかき回さず、強火でさっと焼き、全部焼けたらにんにくを加えてよく炒め合わせる。
⑨にんにくから香りが出てきたらトマトピューレを加えて、よくからませながら強火で水分を蒸発させる。
⑩砂糖、パブリカ、⑦のマッシュルームを加えてさっと炒め、生クリームを加え、塩味をととのえ火を止める。
⑪バターライスを盛り、ストロガノフをたっぷりかけてパセリを振りかける。 

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2006年9月23日 (土)

抗議の自殺未遂事件について

 構造改革が突貫工事で進められてきた感のあるわが国だが、改革の意義がどうであれ、やりかたのまずさ、いきすぎを証拠立てるような事件が、本日の朝日新聞朝刊に掲載されていた。

 記事によると、生活保護の受給を北九州市に打ち切られた66歳の男性が6月に小倉北区役所で割腹自殺を図ろうとし、銃刀法違反容疑で現行犯逮捕された事件があり、22日の公判で、男性は次のように供述したという。

「死ぬしか方法がなかった」「自分を犠牲にして、ちゃんとしてもらおうと思った」

 男性が割腹自殺をするまでの経緯で、目を疑わせる記述があった。

 土木作業をしていた男性が体調を崩し、区役所を何度も訪れて生活保護の受給を相談したところ、社員寮から住居移転することを求められ、移転手続きを進めたが、保護が認められなかったというのだ。

 社員寮で暮らせなくなった男性は簡易旅館で睡眠薬自殺を図り、入院。この時点で医療費と生活保護の支給が認められた。

 が退院の翌日に保護が廃止され、男性はホームレスとなる。再度区役所に生活保護申請を相談するが、「保護の適用期間は入院中だけ」といわれる。男性は翌日、抗議の割腹自殺を図った。

 行政側の、何という人を馬鹿にした、無責任な態度であることか……! 社員寮に住んでいては保護の支給が認められず、そこを出て住所不定になれば、保護の対象と見なされないということなのだ。

 抗議の自殺未遂に対する区役所側のコメントがまたふるっている。

「住所不定で生活保護が打ち切られるのは特別なことではない。我々は真摯に相談に乗った。どんな事情があっても、公共の場所で刃物を持ち出すことは許されない」

 自分たちが男性を住所不定者にしておきながら、何という他人事然とした言い種だろう!

 男性は、南区役所でも北区役所でも、「あっちに行け」「こっちに行け」といわれたという。一日中待たされることもあったらしい。いうまでもなく、男性は健康体ではないのである。

 わたしにはこの男性は、もろに行政の欠陥を押しつけられたとしか見えない。

 そもそも企業に対する規制緩和が、大量の失業者をさらには住所不定者を――働き口も住むところもなくなった人々を――うむ最大の原因なのだ。国はそのことに対して何の責任もとらないばかりか、こんなやりかたで人口を減らそうとしているのではないかとさえ思えてくるほどだ。

 一国は一人の人間のようなもので、国民の一人一人がそれぞれ一個一個の細胞だ。「勝ち組、負け組」などいう愚かしい考えは、ある器官が他の器官に向かって優位を主張するようなものではないか。

 ゴーゴリの「外套」、ユーゴーの「ラ・ミゼラブル」、ゾラの「居酒屋」などで描かれた世界に日本は急速に似てきている。それを読んだときには、およそ考えられなかったことだった。

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あけぼの―邪馬台国物語―連載第59回

 中国大陸に百花繚乱の景観を呈する文化現象は、朝鮮半島を経由して、また直接倭国へと入ってきました。

 舶来品の香りは、そのまま中国人の体臭といってよく、それは昔から中国民衆の生活に密着してきた道教の香りともいえました。

 この国に伝播した採掘術は道教的な呪術的儀礼を伴っていましたし(山の神様のお祭りなどもそうです)、工芸品には道教の中心思想である神仙思想に基づいた絵がよく描かれていて、道教で物の本体を映し出すとされる鏡などは、わが国では大変に畏れ多い品として、本国にあった時以上の神秘性を付加されるに至りました。

 しかし、女王連合国の知識層は、道教の精髄をじかに吸収したいと望んでいたのです。〔

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舌下錠の威力

 ニトロのテープを貼ってももう一つで、胸から背中にかけての痛いような重いような感じが耐えがたくなったので、舌下錠を使用しました。

 痛いような重いような感じは、完全にとれました。もっと早く使用すればよかったと思いました。

 インデラルとヘルベッサーは先生の指示通りに服用していればいいのですが、ニトロのテープと舌下錠をいつ使用するかについてはわたしの判断に任されているので、自分が指示を下さなくてはなりません。

 上手な指示が下せるようになるには、まだまだ経験が必要なようです。

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「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第58回

 神殿で学んだはずの漢字でしたが、整然と並んだ文字を見ると、それだけで眩暈がする思いです。書からは、オレンジがかった黄色の強い光があたかもバリケードを築くように放射されて見えました。

 断片的な写しとはいえ、タルがこのようなものを、里に帰されようとしているわたしに渡したのは、何かの間違いであったとしか思えませんでした。

 タルが自分の一存でそうしたことなのか、女王のお指図に従っただけのことなのか、それすらわたしには分明ならず、時折思い出して取り出してみても、途方に暮れるだけです。〔

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眠れぬ夜

 昨日は呼吸器科を受診しましたが、喘息のほうは安定しているということもあって、心臓のことをあれこれお訊きしました。

 循環器科の先生とはまた違った視点で話を聞いていただけ、雑学的知識も与えてくださるので、ニトロのテープの使いかたなどもこまかく伺いました。

 ここ数日どうも心臓の調子が悪いので、昨日は夕飯作りをさぼり、夫の帰りも待たずにテープを貼って寝ました。しばらくしたら、新鮮な血液が全身に行き渡っているような爽やかな感じがしてきました。

 それでも熟睡はできず、夫が帰ってくると目が覚め、起きました。それからまた何回も目を覚ましては「頭の中がすずしくて気持ちがいい」と思ってまた寝、そんなことを午前2時まで繰り返し、眠れなくなったので、起きました。

 結構寝たような、寝なかったような。胸の圧迫感はテープのおかげでなくなりましたが、体調はいいような、悪いような……。

 やっぱり、心臓の具合がもう一つです。胸から背中にかけての痛いような重いような感じがどうしてもとれず、それで充分に眠れないのでしょう。これがもう少し続けば、舌下錠を使おうと思います。

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昨日の夕飯(『東北の物産と観光展』で買ったお弁当)

20060922222956 20060922222937  昨日は呼吸器科を受診した帰りにデパートの『東北の物産と観光展』に寄り、お弁当を買って帰りました。

 左のお弁当、実はわたしは食べていません。食欲がなかったので、自分の分は稲荷寿司が四個入ったパックを買いました。

 でも、家族がお弁当を美味しそうに食べているのを見ると、自分のも買えばよかったな、とちょっと後悔しました。

 『東北の物産と観光展』では、海の幸が沢山。冷凍のいわしのつみれとハンバーグを買いました。干物や漬物も見たかったのですが、昨日は時間がありませんでした。ずんだ餅も買いたかった……!

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2006年9月22日 (金)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第57回

 ウサギのかたちをした雲が甘く光に浸されて濃淡の影を帯び、大空を溶け流れてゆきます。

 歩いていて、何かパラパラと降ってきたわ、と驚くと、粒々は瞬時に飛翔し、ああ岩燕たちだったのね――と、わかるのでした。青鈍(あおにび)色に流れる川の両岸には春の花々が咲き敷いています。

 そんなある日の午後――。家に誰もいない時を見計らって、わたしはタルから渡された包みを取り出しました。

 包みの中身は木簡で、そこに写されているのは、怖ろしいまでに貴重な『老子』なのです。否、正確に言うならばこれは、タルが写した『老子』五千余言からの抜粋でした。

 タルの写し見た『老子』が、女王の神殿の至聖所における秘宝の一つであることは、まず間違いのないところでしょう。〔〕 

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2006年9月21日 (木)

ぼやき

 呼吸器科に出かけようとしてバタバタしていたら、急にたまらなく眠くなってきて、寝てしまいました。

 1時間後に目が覚め、そのまま起きていますが、ときどきこんな変な眠くなりかたをします。血圧が下がりすぎたのかもしれません。

 昨日から今日にかけて、ブログを書きたい気分が繰り返し襲ってきて、書きすぎたのかも……と思いつつ、また書いています。ご訪問くださるかたがたにとっては面白くも何ともない記事かもしれませんが、エッセーなら(わたしの記事をエッセーと呼べるならばの話ですが)、いくらでも書ける気がします。というより、書いてないと苦しい。

 今日行きそびれた呼吸器科は、幸い、予約をせずに行けるので、助かります。看護師さんから、「お薬、足りたんですか?」と訊かれるかもしれませんが。

 今日デパ地下に、消費税込みで630円のゴンチャロフのチョコレートを買いに行った娘の話によれば、新しいお肉屋さんが入っていたとのこと(関連記事はこちら)。

 さあ、爽やかな秋も本格的になってきたことだし、いい加減に創作に入らなくては。スケジュールを……と考えたら、また眠くなってきました。

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肉を、もっと肉を……

 この街に引っ越してきてから、デパ地下とサティとマルキョウをよく利用します。以前住んでいた日田市では、ダイエーに行けば事足りたのですが、ここではこの3つに足を運ばなければ、食料品か日用品かのいずれかに不足が出てきます。そんな利用の仕方をわたしがしているだけということかもしれませんが。

 その主要な買い物先の一つであるデパ地下のお肉屋さんの一つが、一昨日閉店になるということで、出血大サービスをやっていました。

 ここで56年間営業していたと店主のおじさんはいい、うっすらと目に涙を浮かべました。事情があってやめるのだそうです。そんな短い話を交わすあいだに、人だかりは膨れ上がる一方で黒山となり、おじさんとわたしは思わずそちらに目をやりました。

 ポークでもビーフでも、半額なのでした。上等のステーキ肉でもね。わたしの行きつけのお肉屋さんでした。閉店になるというショックで、ぼんやりとしながら、ハイエナのように肉にたかる中年女性たちを眺めました。

 若い女性も、男性もいましたけれど、多いのは、わたしと同じくらいの年恰好の主婦らしき中年女性たちでした。勤め帰りの人も、専業主婦も、ブルジョアも、庶民もいたでしょう。とにかくもう、芋を洗うような騒ぎでした。

 わたしは久しぶりにビーフストロガノフをしたいと思って、肉を見にきたのでした。買いに、というよりは見に。ビーフストロガノフをするのに丁度いいような肉が安くなっていなければ、諦めて別のメニューにするつもりでした。

 ところが、ビーフストロガノフにぴったりの牛肉が、何といつもの半額なのです。が、何となく黒山の中に入って行く気になれず、隣にもあるお肉屋さんで豚のミンチを買って帰りました。

 記事のアップはしませんでしたが、昨日の夕飯のメインはアジの干物で、豚のミンチは春雨と一緒に中華風の炒め物にしました。

 それにしても、と考えました。店主のおじさんはあの光景を見て、どんな心境だったのだろうかと。おじさんはお客の誰彼となく、わたしに話したようなことをいっていたのですが、ほとんどのお客はろくに聴くでもなく、ショーケースの中の限りある肉に両眼が吸いついていました。

 別にこの街の中年女性が特にパワフルであるとか、がめついなどということはないと思います。むしろクールなおとなしい印象で、ちょっと何か訊ねても感じのよい答えが返ってきますし、地方の小都市にしては服装のセンスもいいほうなのではないでしょうか。わたしはこの街がとても気に入っています。

 だからこそ、黒山の中年女性たちを見て、わたしは思ったのです。汝よ、おまえもか……と。有能な主婦はこうでなくてはならないのかもしれません。戦時下の食糧難にあって、家族を飢えさせずに済む買い出しの名手には、こういった人たちがなるのでしょう。いや、わたしだって、いざとなれば有能になれるのかもしれません。

 でも、今のところは思わず引いて、観察してしまう自分がいます。考えてみれば、文学賞への応募だって、似たようなものですね。同質のパワーでもって、賞に群がるわたしたちはハイエナ。賞も肉も同じです。こと文学となると、結構わたしも食いつこうとしてきたと思っていますが、さすがに体力の衰えを自覚するようになり、ちょっと引いてしまうようになりました。

 あのとき――坂東玉三郎の舞踊公演に出かけたときのことも、忘れられません。あれは北九州市でのことでした。わたしは前方左寄りの席にいました。舞台は今まさにクライマックス。

 そのとき、どういうわけか、わたしは後ろを振り返ったのでした。圧倒的な視線のパワーを感じたからかもしれません。そのときの光景は、忘れようにも忘れられません。やはり中年女性が多かったのですが、まるで全員がたった一つの顔になったかのようでした。

 そして、その表情ときたら……! それは結構な見ものでした。好色なときの中年男性とも見分けがつかないような、したたるような顔つきなのです。好奇心と、わたしにはよく性質の呑み込めなかったたぐいの何らかの欲望とで両眼を輝かせ、微笑――というよりは、ほくそ笑みを湛えて舌嘗めずりをせんばかりの顔、顔、顔……。

 舞台上の玉三郎は、眼で、しっかりと犯されていました。気の毒に。

 同類の記事はこちら検索サイトよ、汝は……」へ 

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「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第56回

 冬が終ろうとする頃、クニでは高い熱の続く風邪が大流行し、わたしは熱冷ましを処方してあげるのに大童でした。

 処方してあげたのは、蚯蚓(みみず)をきれいに乾燥させて粉にしたもので、服用すると解熱作用があります。これぐらいのものは家庭の常備薬として誰にでも用意しておけるはずのものですので、作り置きしておくことを勧めながら処方しました。

 処方しながら、神殿での先進的な暮らしに身を染めて里に帰った人間としての使命感が芽生えてきました。そこでわたしは、私塾を開いてみたのでした。

 クニの文化的なレベルをいくらかでも高めたいという心意気ばかりが上滑りしがちではありましたが、十年の間に習い覚えた事柄を分類、整理して、カリキュラムを組みました。

 こうして、一年が瞬く間に過ぎ去りました。〔

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昔であれば手に入らなかったものが…昔であれば手に入ったものが…

P1000023_sh01  左の写真は、娘が昨日購入したヴァイオリンです。

 ヴァイオリンの音色って、素敵ですよね。

 わたしはダヴィッド・オイストラフのヴァイオリンの音色が好き。イ・ムジチ合奏団のヴァイオリンの音色も好きです。

 ヴァイオリンの音色は、あのときの女性の声に似ているといわれているなんてことも、聞いたことがあります。

 ヴァイオリンにまつわるオカルト話などもありますね。ご存知なければ、そのうちご紹介致しましょう。

 ところで、このヴァイオリン、高級そうに見えますか。

 実はね……、 P1000025_sh01_1この通り……、

 キューピー人形に丁度いい大きさのヴァイオリンなのです。   

 このヴァイオリンね、書店で売られていて1,000円しないのですよ。よくできているのに、安いのでびっくり。

 他にも様々な楽器がありました。わたしもどれかほしいけれど、迷います。

 ピアノはグランドピアノもアップライトもありました。ドラムとかギターとかフルートとかもいいなあ。現品限りということなので、ぐずくずしていたら、なくなってしまうかも……。

 こうしたコーナーの横に貼り紙があって、自由価格で売られている一部の本についての説明がありました。

 自由価格か……。商業主義も行き着くと、物の価値と値段がバラバラで、結びつかなかったりしますね。わたしのような庶民でも、昔であれば手に入らなかったものが入ったり、当然手に入るはずだと安心していたものが、手に入らなくなったり。

 物に限らず、文化的なものに対する社会の暗黙の了解がいつのまにか消えてしまったかのようで、この世は価値あるものもないものも雑多に入り乱れて、巨大な蚤の市のようです。

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2006年9月20日 (水)

新総裁誕生の憂い

 新総裁が誕生した。

 軍事大国への道(そして庶民生活は一層貧困化し、荒廃する)をひた走りに走らなければいいが……。

 これまでの国会中継を見てきた限りでは、不安にならざるをえないのだ。落ち着いた表情に、淡々とした口調で、超タカ派的、しかも脳天気なことをさらりとおっしゃったりするのだから。せめて、おじいさまの頭のよさを受け継いでほしかった。

 ただ圧倒的勝利とはいえ、期待されたほどには票が伸びなかったようだ(予想されたことではある)。党内での協力体制は今一つなのだろう。民主の前原みたいにあえなく潰れることもありうる……。不安定なわたしの晋三より……あ、違った、不安定なわたしの心臓より不安定なわが国の政情、盲人が盲人に手を引かれているような国民の運命……これからこの国はどうなるのやら。

 ちょっとホロスコープを見てみようかしら。彼がどんな星のもとに生まれたのか。ありがたいことに無料ホロスコープサービスがあるので、簡単にホロスコープを作成できる。とはいえ、生まれた正確な時間がわからないことには、もう一つ……。 

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昨日の夕飯(パンのオブジェのあるレストランにて)

P1030041_sh01  前に、ゴッホについてのエッセーを書いたときに、パンのオブジェが飾られているレストランについて書きました。昨晩そこへ食事に行きました。

 この写真はオブジェの近くの席にいた娘に撮って貰ったもので、写真撮影の下手なわたしより上手ではないかと思うのですが、パンのオブジェ――精気という観点からいえば、パンのミイラ――の質感はうまく捉えきれていないようです。

 実物には陶器のような見た目の感じがあり、それでいて案外温もりを感じさせる陶器ともまた違ったうつろな感じがあるのです。まさに死人のような……。

 死人(遺骸)というものは、何度見ても不思議なものだと思わずにいられません。まるで蝋人形のようなうつろさ、人としての尊厳が凍てついたままオブジェと化したような不気味さ。

 せっかくのパンのオブジェからこんな連想を紡ぐなど、お店のかたには失礼なことでした。でも、食事はとても美味しいし、居心地もいいのですよ。

P1030040_sh01 P1030039_sh01 P1030038_sh01_1 20060919201312 20060919201208 20060919201332  スープ。パンは食べ放題。ドリンク。ハンバーグは種類が色々あって値段も違いますが、このコースでだいたい1,000円ちょっとです。スープかドリンクかのどちらかだけにすれば、1,000円内で済みます。安くて美味しい、ありがたいお店です。

 この日わたしが選んだパンは、ココアとパイナップルでした。

 また、3個入りのパンをお土産として貰えます(籠にあるだけなので、いつも貰えるとは限りませんけれど、この日はしっかり貰って帰りました)。

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2006年9月19日 (火)

昨日の夕飯(栗ご飯)

200609182352232 200609182354022 200609182354182_2 200609182355032200609182354302

 栗の料理が続きましたが、鶏肉と炊き合わせにしたときに半分残った栗で、栗ご飯を作りました。米3カップに昆布の水だし、酒大さじ3、塩小さじ1です。

 昨日は体調が悪くて買い物に出たくありませんでしたが、冷蔵庫に肉も魚もありませんでした。戸棚をごそごそやっていると、小さなカニ缶が3缶見つかりました。ブロークンで上等ではありませんでしたが、これでカニ玉を作りました。

 うちのカニ玉――中華風スクランブルドエッグは、家族の好みから、固めです。わたしはどろどろぐらいのほうが好きなのですけれど。夫と娘は、洋風のスクランブルドエッグも固めでなくてはいけません。息子の好みは、わたしと似ています。現在大学生でアパート暮らしをしている息子が家にいたときは、2回に分けて作っていました。

 でも、あまり上等でないカニ缶の場合は、固めのほうがいいような気もしました。江戸崎愛さんの料理の本では、くずあんを卵が油を吸ってふくらんできたら加えてさっと混ぜ合わせるようになっていますが、この場合固めのスクランブルドエッグにするために、上からかけました。

 その江戸崎愛さんの本では、くずあんの材料は4人分で、スープ2分の1カップ、砂糖小さじ1、酒大さじ1、しょうゆ大さじ2分の1、塩小さじ2分の1を煮立て、水溶きかたくり粉(かたくり粉小さじ2)を加えます。

 キャベツときゅうりのサラダでは、キャベツをさっとゆでています。ドレッシングは、しょうゆ、酢、塩コショウ、ごま油です。味噌汁の具は、油揚げ、麩、小葱です。

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2006年9月18日 (月)

眠りの心地よさ

 昨日は台風トラウマが原因で半日頻脈が続いた。夕方には軽い胸痛も起きた。眠って2時間もしたら目が覚め、また眠っては目が覚め、朝目覚めると胸が重くて、痰も多く出(汚い話ですみません)、目覚めの悪さといったらなかった。いつものことではあるけれど。

 午前中、起きていても疲れがひどく、胸もずっと重いので、ニトロのテープ(ニトログリセリン貼付剤)を試してみた。前回使用したときと同じで、舌下錠のように劇的に効くということはなく、貼ってしばらくは、貼った意味がないようにさえ感じられた。

 一度に充分な眠りがとれないわたしの睡眠時間は昼間と夜間とに分けられる。就寝時間はその日の予定によってバラつきがあるのだが、昼間2時間から3時間、夜間は全く寝ないときもあれば、途中目覚めたりしながら5時間ぐらい眠るときもある。平均すれば、5~6時間の睡眠時間ということになるだろうか。でも、質の悪い眠りだ。

 テープを胸に貼ったあと、10時半頃に朝食兼昼食を済ませてから少し眠ることにし、布団に入った。その頃までに、何となく血のめぐりがよくなったような清涼感が両手の指先にまで感じられ、気のせいだろうかと思いながら眠りについた。

 目が覚めたら午後2半時だった。わたしにしては、よく眠れたほうだ。それに、何という心地よい目覚めだったろう……! 胸は重くも何ともなく、よく眠れて気分爽快、痰もなかった。こんな質のいい眠りはめったにないことだった。

 胸に貼ったニトロのテープを思い出し、やはりこれのおかげだろうか、と考えた。快適な使用感だった。ただ起きていると、テープのせいかどうか少し血圧が下がりすぎているような気がしてきたので、はがした。

 そして、家事でバタバタしたあとで今この記事を書いていると、疲れからか再び胸が重くなり、発作が起きそうな不安定な感じが胸にあって、また貼りたくなってきた。どうしよう? ちょこちょこ使っていたのでは、すぐになくなってしまう。循環器科の受診は月に1度。貰ったテープは10枚。あと8枚しかないのだ。

 次に受診したときに、もっと貰えないか訊いてみたい。先生も、わたしの眠りの心地よさはニトロのテープのおかげだとお考えになるだろうか……。

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「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第55回

 やがて、女王は気落ちしたように「残念なことでした」とそっけなくおっしゃり、そして、わたしを下がらせておしまいになりました。

 こうしてわたしは神殿に来て10年目になろうという年に里へ帰らされる羽目となったのですけれども、女王のこのゆるやかな処罰は、一つには、この時代の住宅事情やら外出事情やらを含んでのことだったのでしょう、とも思います。

 さすがに女王御座(おわ)します宮殿の奥の方まで、ということはありませんでしたが、厳重な警備が敷かれている中、賊もさるもので、闇夜の宮殿の端々では狼藉(ろうぜき)を働くことがありました。

 また、官女が宮殿の外へ出る機会はそんなにはありませんでしたけれども、監禁されているわけではなかったので、野原や川原へ許可をとって出かけることもできました。

 花を摘み、沐浴をし、蝶々を追って楽しんで――と、あなや、という間に衣が散って、『行きはよいよい帰りは怖い』災厄に降りかかられる官女もなくはなかったのです。

 わたしの場合もそのようなわざわいに遭ったのだろうと、女王はお考えになったのかもしれません。否――否。女王ほどのお方が真相を察知なさらなかったはずもあるまいとも思われるのでした。〔

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検索サイトよ、汝は…

 ある小説を例外として、わたしのサイトに小説を読みに来てくださるかたはそう多くはありません。

 例外とは掌編『牡丹』でして、これだけは超ヒット、馬鹿受けしているようで、恐縮の至りです。 

 ただ、管理画面でその検索ワード、フレーズを見てみると、思わず赤面してしまうようなきわどい、エロ、グロなものなのですね。

 そのワード、フレーズをどんな検索サイトが拾いあげ、エロ・グロ小説に飢えている訪問者をここへ導いたのかを知りたいと思い、足跡を辿ってみると、なっるほどねえ、ありましたたたっ!

 わが『マダムNの覚書』をエロ・グロのサイトとして、写真つきで堂々紹介している検索サイトがあるではありませんか……!(絶句)

 な、なあぜ? あの小説には確かにきわどい言葉やちょっとした場面があるかもしれないけれど、エロ・グロ小説に分類されるようなものでは……(たぶん)。

 そのきわどい言葉やちょっとした場面から分類されたのでしょうか。

 それにしても、その手の小説ならフランス書院あたりから沢山出ていますけれどね。素人が書いたもののほうがいいのかしら。

 エロ・グロを期待してお見えになるかたは欲求が満たされずにすぐに出ていかれるのではないかと想像しますが、とどまってわが小説『牡丹』を読破してくださり、もし何らかの充足感を覚えられるかたがおいでだとすれば、考えてしまいますねえ。

 わたし、エロ小説にチャレンジしてしまおうかしら。ですが、その手の小説の執筆は持病の心臓によくない気がします。むしろ血のめぐりがよくなって、完治したりしてね。

 大学時代の文芸部の後輩に、ポルノ作家をしていた男性がありましたが、人づてに聞いたところでは、ぼろぼろになるまで働かされ、ヒットしなくなったとたん、放り出されたとのことでした。

 どの頁を開いても、エッチでなければならないそうです。彼の本を読みましたが、綺麗すぎました。元々純文学作家を志望していた人でしたから。綺麗すぎるポルノ小説は、あまり売れないようです。

 そうしたことを知っているだけに、遊びでは書けません。そしてもし書くことがあれば、カテゴリーに「自作ポルノ小説」を加えます。ああ、また、こんなワードが引っかかったりするのかもしれない……。

 エロ・グロで検索され、引っかかるわたしの小説に興味のあるかたは、こちらです(カテゴリーにもその項目、自作小説「牡丹」があります)。 

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昨日の夕飯(鶏肉と栗の炊き合わせ)&おめざの明太子

P1030037_sh01_1 200609172011051 200609172011322 200609172154572  昨日の夕飯は、鶏肉と栗の炊き合わせ、冷奴、茄子のおひたし、かつおだしの大 根・三つ葉・海苔のスープでした。

 鶏肉はもも肉です。栗は早くから水につけて、皮をむきやすいように柔らかくしておきました。スープの味つけは、薄口しょうゆと塩コショウです。

 うさぎのお皿にのっているのは、TV番組「はなまるマーケット」のおめざで紹介された『ひろしょう』の辛子明太子です。

 わたしのように48年も生きていれば、辛子明太子のお店にも評判にも移り変わりのあることがしみじみとわかります。でも、最近はどこの明太子が一番人気があるのかに疎く、この明太子もお買い得品をたまたま買ったものです。このブランドは知りませんでした。

 昔よく食べたのは、ふくやとか福太郎とか……。

 無添加、マイルドを謳ったものも増えましたね。でも、明太子に関する限り、わたしはそれは苦手です。どうしても水っぽく、生臭く感じられてしまって、健康のためといわれるんなら、じゃあ食べない、と思ってしまいます。柚子入りも好きではありません。

 栗がもう半分残っているので、栗ご飯にしましょうか。ハムスターがいれば、栗を喜ぶだろうにと思います。飼いたいけれど、呼吸器科の医師からドクターストップがかかっています。夫には熱帯魚がいます。亀でも、飼おうかしら。 

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2006年9月17日 (日)

台風…! その二

 前記事「台風…!」へ

 大分県は現在、強風域に入っています。時折強い風が吹きつけ、マンション玄関のドアがガタンと大きな音を立てます。

 とはいえ、まだそれほどでもないのに、台風トラウマのわたしは早くも頻脈になり、変調を来たしています。普段から脈拍が140と速いので、抑える薬を飲んでいるのですが、こんなときは効かない気がします。

 ああ、やだ、台風が、というより台風に対する恐怖がのしかかってくること。うわっ、今、ひどい風が……! 

 今日は栗を水につけていて、栗の皮をむき、鶏もも肉とうま煮にするつもりなのですが、何だか胸が苦しくて。でも、まだ、これからなんでしょうね、台風は。大分に再接近は午後8時頃の見込みとか。

 仕事に出かけた夫と娘の帰宅が心配です。風が強かったら、会社にとどまっているようにいっていますが。

 暴風域、強風域におありのかたはくれぐれもご用心ください。ご無事をお祈りいたします。

 関連記事:2006年9月9日付『批評を受けておもうこと

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台風…!

 大型の台風が近づいているということで、台風トラウマのわたしは、昨夜のうちに早々とベランダのサボテンたちを室内に入れ、物干し竿を下に下ろし、他にも飛びそうなものを中に入れました。

 今はマンション暮らしですが、古い大きな借家で台風というもののの恐ろしさを思い知らされた結果が、このトラウマなのですね。風圧で、近くの工場から大きな物体――棟と棟をつなぐ連結部――が飛んできて当ったために、その古い借家は損壊しました。

 後日、『台風』という小説を書きましたが、損壊した2階の1部屋の惨状などは描写のしがいがありました。1階の洋室は浅い池になっていましたっけ。

 屋根に青いシートを被せて貰いましたが、既に雨水は大量に天井裏に流れ込んでいて、その二次的雨漏りがひどかったのは台所でした。天井のあちこちに蛇口をつけたみたいに、天井裏経由の汚水がジャージャー流れ落ちてくるのです。急遽購入したバケツを、台所から洗面所にかけて9個も置きました。

 湿気も忘れられません。台風が去った日の夜にはもう天井のあちこちに黴がびっしり生え出ました。その色合いの鮮やかさといったらありませんでした。

 わたしはこのときから喘息患者となってしまい、過労から心不全の症状まで起こす有様でした。その心不全の症状だったらしく、少量ですけれど、結核患者のように血を吐いたりね。結局、借家は取り壊されることに決まり、1月後に引っ越しました。

 大型の台風がきたとき、どんな家屋に住んでいるかということがとても大きいと思います。古い家はどうしたって危ないのです。どうしようもありません。前もって避難するのが一番でしょう。

 拙作『台風』から、クライマックス場面をご紹介しましょう。

 ガラス窓は、今では持続的にがたがた鳴っていた。やがて、圧倒的な風の手が家をひと撫でした――それは台風という単なる自然現象が、この家に住む人間たちにとって、人格を獲得した瞬間だった。〔略〕

 風圧の異常な高まりの中で、家が震え耐えていた。強弱入り乱れて吹き荒れる風の音が、母子にとって耐えがたいものになっていく。パリーンというガラス窓の割れる音がした。ひとたび静寂が戻り、ザアーッという強い雨音が聴こえる。〔略〕

 とにかく、守りは破られてしまった。割れた窓から豹のように風が踊りこんでくる音は、競演のようにうなり声をあげあう別の風たちの音に交じってしまう。〔略〕

 今や風はゴォーゴォーと轟き、物にあたって砕け散っていた。そこかしこで物を蹴散らし、哄笑しながら宙に放り投げ、泳がし、地面に叩きつけ、なぶるようにまた浮かした。風たちは連動し、触発しあい、四方から押し寄せて、この家をつけ狙っていた。

 母子は、風の監視の目を逃れることも自由に息をつくことも、もはやできない。央子(ひさこ)が一番怖かったのは耳の中まで鋭い風の音でいっぱいになり、ものを考えることのできない瞬間が繰り返し訪れることだった。何という自然の恐ろしさ、いとわしさだろう!

 もの凄い風圧に家と共に耐えるだけで、母子が何も考えられなくなってほどなく、爆音――としか思えない音――が轟いた。家が回転するように大きく揺らいだ。

 午前11時48分。このとき日田市で、大分地方気象台が観測史上最高となる最大瞬間風速50.2メートルを記録していた。
 母子の上に、バラバラバラと埃と壁土が降ってきた。

(『台風…! その二』へ)

 関連記事:2006年9月9日付『批評を受けて思うこと 

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昨日の夕飯:きゅうりのサラダ(北欧風)

200609162318382 200609162318142 200609162317222_2 200609162349391_1  昨日の夕飯は、カレイの煮つけ、厚揚げと高菜の炒め物、きゅうりのサラダ(北欧風)、即席のごまスープでした。

 この『オニザキのごまスープ』は即席でも、なかなかの美味しさです。ごまの贅沢な味わいに、しょうゆの風味がほのかにします。

 炒め物の材料は、豚バラ薄切り肉、高菜漬け、万能ネギ、酒、しょうゆ、胡椒です。

 煮つけと炒め物が濃い味なので、さっぱりしたものを作ろうと思い、酢の物を考えましたが、昔買って愛用しているNHK「きょうの料理」シリーズの中のサラダが食べたくなり、それにしました。

 このサラダは本当にさわやかな味わいで、どんな料理にでも合いますので、ご紹介します。

材料(4人前)
 きゅうり…大2本、セロリ(みじん切り)…4分の1本分、刻みパセリ…少々、ドレッシング{白ワイン、酢…各大さじ3、砂糖…大さじ1、塩…小さじ1

 ドレッシングは冷やしておき、きゅうりとセロリを10分つけます。 

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2006年9月16日 (土)

昨日の夕飯(オムレツ)&児童文学作品の中の家庭事情

200609152351132  昨日の夕飯は、オムレツ、椎茸の煮物、サラダ、マッシュルームスープでした。

 わたしの住んでいる大分県は、椎茸の美味しいところです。昨日は煮物にしましたが、オープントースターで焼いて、たらりとしょうゆをかけただけといった食べかたも好きです。それにバターをのせても、美味しいですね。

 オムレツの中身は、合い挽肉、みじん切りにした玉葱・人参を油で炒め、塩コショウしたポピュラーなもの。

 子供たちが好んだので、以前はよくオムレツを作りましたけれど、オムレツって案外面倒ですよね。4人家族だと、4つのオムレツ。3つ作ったところで力尽きて、自分のオムレツは形が崩れがちでした。

 現在、大学生の息子は他県にいるため、3つのオムレツを作ればいいわけですが、どういうわけか、今は2つで力尽きてしまい、やはり自分のオムレツは崩れがちなのです。

 でも、昨日は写真をのせようと思って気を張って作ったためか、3つとも、わりに綺麗にできました。サイトの効用ですね。こうした効果のために、恥ずかしい写真を公開しているわけですけれど。

 ところで、卵料理をするときにいつも連想してしまうのは、エーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』(高橋建二訳、岩波書店)です。

 アントンは派出婦をしているおかあさんとふたり暮らしで、お母さんが病気になったため、代わりに料理をします。アントンにとっては、慣れたもののようです。

 アントンは鍋でジャガイモをゆで、フォークでジャガイモを突き刺し、出来具合を確かめます。

 次に卵を2つとって鍋に割り入れ、それに水をいくらか入れて、ムギ粉を振りかけ、泡立て器でかき混ぜます。

 シチュー鍋にマーガリンを溶かし、卵を流し入れ、塩をひとつまみ入れて、さじで焦げつき出した卵をかき混ぜます。

 こうして出来上がったジャガイモとかき卵――スクランブルドエッグ――が、母親とアントンの食事の内容でした。前日、アントンはハンバーグステーキを作ったようです。

 ムギ粉というのは、小麦粉のことでしょうか。ケストナーのこの作品をわたしが初めて読んだのは子供の頃でしたが、料理道具や作りかたが何となく不思議に感じられたのを覚えています。

 うちだと、じゅがいもを突き刺す道具は箸か串だし、卵を焼いたりするのにはシチュー鍋なんて使わない、フライパンよね。そんなことを子供のわたしは思いました。

 おばさんになった今では、児童文学作品の中の家庭事情というものが、ありありと見えてきますし、気にもかかります。

 このときのアントンの母親の病気は、腹部に腫瘍ができて、それを手術したようでした。良性だったのか悪性だったのか、完治したのかどうか、気になるところです。 

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2006年9月15日 (金)

読書の秋にこちらを見ている本たち その一

 読書の秋ですね。

 読もうと思って買ったものの、そして面白そうであるものの、まだ読みきっていない本たちがこちらを見ています。

 ……と思うのは錯覚でしょうけれど、本に見られている気がしてしまうのですね。

 まず知人のKさんから贈られた小説集。これは早急に読んで、感想の手紙を書かなければなりません。

 ま~だ読了できていない小森陽一著『村上春樹論』(平凡社新書)。

 大好きな平林たい子、吉屋信子の文庫本を買ったのに、これも手をつけていません。平林たい子のは『平林たい子毒婦小説集』(講談社文芸文庫)、吉屋信子のは『文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊』(ちくま文庫)。

 児童文学では、評論社から出ているルーシー・M・ボストンのグリーン・ノウシリーズ5巻中、『グリーン・ノウの子供たち』しか読了していません。

 評論では、クルティウス著『バルザック論』(みすず書房)。狂喜して手に入れたというのに、半分読みして1年以上ほったらかしとは何たること! この本のこと、すっかり忘れていたのです。

 東京創元社のバルザック全集にも、まだ読み残しがあります。読もうと思っていても、家事を終える頃にはくたびれていて、本を側にぼーと音楽を聴いているだけという日が多くなって困ります。

 それにしても、翻訳物は格調が低くなるばかりだと感じます。光文社の文庫で出ているものなんか、立読みして、そのあまりのひどさに愕然としました。

 新訳が出るのはいいけれど、新訳にバトンタッチして名訳が消えていくのには耐えられません。

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「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第54回

 その翌々日のことでした。

 女王にお目もじが叶ったわたしはみ前にうずくまり、身の過失を告白しました。手の1本足の1本、否、命までも覚悟し、わたしは小動物のように怯えて、女王の断罪を待っていました。

 そのとき、戸惑いを帯びた銀色の気配が、女王の御身からわたしの方へ、薄霧のように流れてきました。

 はっとなって女王のお顔を見ると、問いかけるような、あたかも教えを乞うような、清楚なまなざしがわたしを捉えているのがわかりました。

 ああ、女王ほど女人として、リリックであった方をわたしは他に知りません……!〔

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2006年9月14日 (木)

本日のランチ&うずく左肩

200609141255322 200609141257302 P1000020_sh01_3  P1000019_sh01_2   

 今日のお昼に、休日の娘と待ち合わせて入った、イタリアンレストランのランチです。

 サラダ、ピザ(あるいはパスタ)、デザート、ドリンクのコース。

 ここのピザの美味しさったら、ありません。チーズの味が一味も二味も違うように感じられますが、他の材料との兼ね合いで、そんな絶妙な味わいがうまれるのかもしれません。

 パスタも食べたかったけれど、やはりここはピザ。

 今日は五十肩の診察を受けに、日赤へ出かけました。それが何と予約時間を1時間取り違えていて、遅刻。

 実は、恥ずかしい話ですが、前回の診察時にも、整形外科のある1階を2階と勘違いしていて、遅刻でした。

 先生は大らかに許してくださいましたけれど、こんなこと、めったにないことです。
 痛い思いをしたくない→受診が億劫、怖い→時間の取り違え、ではなかったと思います。

 前回左腕を伸ばして90度上げることさえようやくだったのが、かなり改善したと褒められました。でも、まだまだのようで、寝そべって左肘をつき、本を読めるまでに改善されなければ、通院の打ち切りとはならないようです。

 寝そべって本を読むことはなくなりました。寝そべって右肘をつくことはできますが、用心して、そんな姿勢はとらないことにしているのです。

 ネットで検索すると、片方が治ったらもう片方もなった、なんてよく出ているので、右腕にも気をつけています。

 先生の指導は痛く、道々、久しぶりに泣いてしまいました。左腕の付け根がうずき、左腕全体がだるく、痺れます。治療の後遺症?

 ここまでやらないといけないのかしら。今度も、2ケ月後。来年には、持ち越したくないなあ。リハビリにはもう飽きちゃった。でも、やらなきゃなあ。

 こんなときの最高のなぐさめは、ペットショップへ行って、うさぎやハムスターを見ることです。んんんー、かわゆい、癒される。。。

 美味しいランチを食べて更に癒されましたが、そのつけというべきか、おなかがいっぱいで夕食の支度に気分がのりませんでした。まだ左腕全体がだるく、重い。

 ところで、今日の診察代、たったの210円でした。どう考えても、安い。前にここの消化器科に通ったときも、安い気がしていたけれど……。

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2006年9月13日 (水)

昨日の夕飯&カフェで&子ぎつねヘレン

P1000018_sh01 P1030030  コーヒーの美味しい季節になりましたね。昨日の夕方、デパ地下にあるカフェに娘と入りケーキセットを頼みました。

 ここのコーヒーは、深みのある澄んだ味わいで、美味しいのです。

 休日だった娘は、料理教室の帰りでした。「料理教室の先生がね、調味料の分量は、テキトーでいいっておっしゃった!」と嬉しそうに報告しました。

 え……料理音痴の娘にそんな言葉は禁句だと思ってきたのですが。。。

 カフェを出て別れましたが、娘はそれから英語教室へ、わたしは買い物の続きを。娘は英語の長文を速読する力をつけたいようです。休日なのに、大変。いつまで、続くのかしらね。

 夕飯の報告とひとりごとは切り離すつもりだったのに、つい長話をしたくなります。食べ物の写真があると気持ちがなごんで、話したくなるのですね。

 夕飯は、刺身にしました。四角い皿のものは、もやしと竹輪の酢の物です。上に金糸卵。これ、確かわたしが持っていない(すなわち立読みした)栗原はるみさんの料理の本にあったような――

 白い皿のものは、バター焼きしたコンニャクに塩胡椒、唐辛子。油揚げと玉葱の味噌汁。

 うちの娘は大の油揚げ好き。かりっと焼いて醤油をかけただけの食べかたを一番好みます。娘のお宮参りは稲荷神社でした。まさか、それで油揚げを好むようになったわけでもないでしょうけれど。

 そういえば、話は春に遡りますが、娘と『子ぎつねヘレン』を観に行きました。なぜか夫も一緒でした。

 ヘレンケラーのような三重苦を抱えた子ぎつねとのふれあい・介護を描いた獣医夫妻の手記がもとになっているということでしたが、映画は、主人公の男の子の心理を投影した幻想まじりのいい映画でした。

 撮影には、「子ぎつね村」の子ぎつねたちが使われたということで、よく人間慣れしているためにちょっと犬のようにも見えました。

 そして、時折野生のきつね一家の映像が挟まれるのですが、それには胸を打たれるものがありました。子ぎつねたちのほどよく肉のついた健康そうな肢体に比べ、母ぎつねの痩せていること!

 凄惨なまでに痩せていて、一目で、子ぎつねたちを食べさせるために苦労していることが察せられます。野性味と鋭さの際立った、それでいて母親ぎつねらしい優しさを感じさせ、目を奪われました。

 今でもときどき、「子ぎつねヘレン」のオフィシャルサイトへ、可愛らしい「子ぎつね村」の子役たちの画像を楽しみに行きます。

 ところで、明日は日赤に五十肩を診て貰いに行く日です。リハビリ、さぼったこともありましたが、一応やって、それでもよくなったようには見えません。憂鬱だなあ……。

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2006年9月12日 (火)

難問

200609122009091 200609122009471  ニトロのペンダントが届きました。

 ニトロ舌下錠の保管上の注意書きには、「必ずアルミ包装のまま、携帯・保管してください」とあります。

 こういったロケット型にニトロを入れる場合は、アルミ包装を折り畳んで取り出しやすい形にして使うようです。

 で、そのようにしてみましたが、向かって右側の写真にあるように、相当に折り畳まないと、途中で引っかかったりして出てこない懼れがあることがわかりました。

 保管上の注意書きに「アルミ包装が破れたり、シワシワになった場合は、新しいものを使用してください。」ともあるのですが、どう見ても、シワシワ。

 アルミ包装を折り曲げず、そのまま3錠も入れられる平べったい型のペンダントもネットで見つけたものの、実際はどうかわかりませんが、あまり丈夫そうに見えませんでした。

 肌身離さず身につけるのであれば、丈夫で、水にも汗にも強いと明記されているものがいいと思ったのです。 

 もっと値が張る、装飾をほどこしたお洒落なもので、ロケット型のも平べったい型のも見つけましたが、やはり難点は防水性で、「貴金属の特性から防水性を持たせる事が難しいため」防水性はないとあり、躊躇しました。

  まあ、アルミ包装はシワシワになってしまったけれど、中身は潰れていないので、とりあえず購入したペンダントを使ってみることにし、首から下げました。

 変な感じ……。これを服の外に出して使う勇気はありません。娘も、「運動会で先生がぶら下げている笛に見えるよ」といいます。

 それに、こんなごっついペンダントを服の下からでもつけていると、お洒落をしたいという気分自体が損なわれる気がします。

 いやいや、命綱にお洒落まで求めようとするわたしが愚かなのでしょう、きっと。

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2006年9月11日 (月)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第53回

 イサエガに抱きすくめられたわたしは、自らのうちに何かを取り込みたいというおののきでいっぱいになっていました。

 そしてふくらんで、ふくらみ極まったその時に放出すべきものを放出したいという純一な衝動そのものとなっていました。

 いつしか飴色の漣(さざなみ)に浸されていたわたしの耳に、イサエガのうめき声が落ちてきました。腐敗して枝を離れた果実のように、落ちてきました。

 夢から醒めたようになってわたしは、わたしのうえでなごんだイサエガを見ました。

 そのときに見た眼を閉じた萎れたような、しかし鮮烈なイサエガの面は、わたしのお乳を飲まずに死んでしまったみどりごの面そのままでした。〔

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ミューズのお酒②

(「ミューズのお酒①」へ)

 同人の一人から電話があったあと、彼の作品のことが頭を離れず、終日考え込んでいた。

 あの作品が異常な美しさと宗教的といってもいいような求道性を帯びていた理由を電話で聴かされた気がしたが、その予備知識を得て再び彼の作品を考えてみると、いくつかの謎が浮かびあがってくる。

 小説の中の主人公を秘密結社めいた耳納連山を愛する人々の集まりに導き、死んでいく人物についてである。

 この人物は、耳納連山と俗世に生きる人間たちとの間をとり結ぶ媒介者であったがゆえに、かぐや姫がこの世にとどまることができず月に帰らねばならなかったように、この世にとどまりえなかったのだろうか。

 事実、この人物は薪能を舞う。そして曲目は羽衣なのだ。この人物をあえて男性にしたのは能との関係もあるだろうが、作中冒頭で死んでいく妻との関係を考えてみると、やはり男性でないとまずいだろう。

 能を舞う男性であるからこそ、清浄な気を漂わせるのに成功している。死んでいった妻のイメージを汚さないためには、こうしたキャラクターを配する以外にない。

 そしてこの男性は、あの世へ旅立った妻の使者のようでもあり、その人物の姿を借りて語りかける妻そのもののようでもある。

 このような作品を重病の奥さんの側で書くというのは、ぎりぎりのところでの創作、祈りにも似た苦行であったに違いない。

 わたしもかつて重態の母の側で、書いていた。苦しいけれど、それしかできなかったし、それだけが救いだった。

  美意識にも、創作姿勢にも、彼とわたしには本当に似たところがある。これまでの賞仲間には、彼のような人物はいなかった。何かあれば書くのを休止し、余裕があるときに書くといった人たちだった。

 わたしの母も、彼の奥さんも、同じ腎不全だったということすら、何かの符合めいたものに思われてくる。死んでいこうとしている人の側では、竹取物語や羽衣は神秘性をいや増すものだ。何とも切実な物語に思われてくるのだ。

 それにしても、死ぬ前にこのような作品を読まされた奥さんの心境は、どのようなものだったろう? 死を前にしてバルザックから『谷間の百合』を読まされたベルニー夫人を連想させられる。

 同人誌を、長く文通していただいているフランス文学者にお送りしたところ、2通の葉書をいただき、2通目に、彼の作品を絶賛した言葉が綴られていた。

 そのよさが、今の日本の文学界にはわからないらしい。 

 関連記事:「前世のゆかり?~合評会の土産話」「批評を受けて思うこと」 

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2006年9月10日 (日)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第52回

 イサエガが側近の立場を利用して女王の御座所にじりじりと迫ってゆく光景は、わたしの夢の中のものではありませんでした。

 タルもわたしも感じていましたし、他ならぬ女王その人こそ、その幾層にもわたる感性の中間層が曇ってしまう原因を察知し、ひそかに警戒や思案を重ねていらっしゃったに違いありません。

 女王の眉間に深く刻印された一筋の皺は、童女のように微笑なさるときですら消え残るようにおなりでしたし、お胸の痛みをときに訴えるようになられたのも、あの頃からであったように覚えます。

 そして、そんな不穏な気配に心なしかヨモギがエールを送っているようでした。

 新穀祭の舞姫となっていたわたしはその頃、女王のお側近く出入りするようになっていました。イサエガが当初からわたしに眼をつけていたのは確かでした。

 そして、わたしがそこはかとなく至聖所の雰囲気を帯び始めた頃を見計らって、衣と一緒にわたしから巫女の資格を剥ぎ取ったのでした。

 それでもいいと、わたしはあのとき思ったのです。わたしだって、女王のお側近く出入りする側近の一人でしたから、ただのおとめというわけではありませんでした。〔

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ミューズのお酒①

 わたしが所属している同人誌の同人の一人から電話があり、文芸雑誌「文學界 平成十八年十月号」(文藝春秋)の「同人雑誌評」欄でわたしたちの作品がとりあげられていたことなど話しているうちに、彼がふと思いがけない話をした。

 奥さんが亡くなったのだという。同人誌の合評会から、あまり日が経たない頃のことだ。

 評の対象となった彼の作中、主人公の妻が死んでゆく場面があるけれど、まさか彼が重病の奥さんの側でその作品を執筆したのだとは、想像もしなかった。

 合評後の懇親会で彼がお酒をがぶがぶ呑んでいたのは、そのせいだったのだろうか?

 人にはそのときにふさわしいテーマというものがあって、そのテーマを追究しようとする陰には、誰しも人知れぬ苦労や闘いがあるものだということを、改めて教えられた気がした。

 大手出版社から発行されている文芸雑誌に掲載されているおおかたの作品はどれもこれもつまらない、くだらない、汚らしいという点でも、商業主義とはかかわりのないところでいいものを書きたいという点でも話が一致したが、社会的な立場の違いというものもあって、わたしは彼ほどにはそれを徹底できないできた。

 何かある励ましを得た気がするが、そうやって互いに励まし合いながらも、世に出るための試行錯誤、自家撞着、あがき、吐息が、言葉の端々にわたしは当然、彼も出る瞬間があった。不思議にそれが美酒の味わいなのだ。

 わたしはずっと同志といえるような文芸仲間を求めてきた。詩を書く文芸部時代の先輩との変わらぬ友情を除けば、いつも空振りに終ってきた。文学を何かに利用しようとしている人たちばかりに思えたのだ。

 詩を書く先輩はすばらしい才能の持ち主なのだが、統合失調症を病んでいられるため、気懸かりも多い。最も気がかりなのは、彼女のあの珠玉のような詩の行く末だ。

 わたしは仲間がほしかった。世に出られないまま長く書いてきて、孤独に苛まれる時間が増えていた。純粋に文学や創作について語り合える友人が切実にほしかったのだ。

 そして、そんな友情を期待しなくなった今になって初めて仲間といえるような人物にめぐり会えた。

 こんな喜びは、めったに味わえるものではない。書いてきたからこそ、味わえるのだろう。これはミューズのお酒なのだ。( 「ミューズのお酒②」へ) 

 関連記事:「前世のゆかり?~合評会の土産話」「批評を受けて思うこと

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ブローチに怯えたドクター

 本日から、「昨日の夕飯」と「ひとりごと」は切り離すことにしました。なるべくセットで書いていこうとは思っています。

 ニトロのペンダントを注文しました。ネットショッピングは、以前よく携帯から本の注文に利用していたアマゾンを除けば、ハーボットのぬいぐるみを購入したときが1回目、今度で2回目です。どちらもコンビニで前払いできるのが気に入りました。

 本は今は娘が書店勤めなので、娘にいいさえすれば、娘が持って帰ってきてくれます。

 わたしはペンダントが好きで、よくペンダントをするのですが、ニトロのペンダントをするとなると、それオンリーになるのかな、とちょっとつまらない気がします。

 ニトロのペンダントがうまく上着の下に隠れたとしても、ペンダントといえど、体調が悪いときは体の負担になりますし、2つするというのも、何だかねえ。イヤリングは好きですが、耳たぶが痛いし、指輪は邪魔。結婚指輪も外してしまったくらいなのです。腕輪も邪魔。つけている人を見るのは、好きですよ。

 では、ブローチはどうでしょうね。これからのわたしのお洒落には、これがいいかな。

 ブローチといえば、まだわたしが学生の頃、大好きな従姉(関連記事はこちら)に貰ったブローチがあり、これを半ばお守りのようにつけることがあるのですが、何となく行くのが億劫になる場所に、つけて行ったりもします。

 体の具合をよくしていただくのに、億劫……不吉……などといえば罰が当るでしょうが、わたしは病院に出かけるとき、いつもそんな昏い気分になってしまうのですね。

 で、循環器科のクリニックに出かけるときに、そのブローチをつけて行ったのです。ネックレスやペンダントよりは診察の邪魔にもならないと思って。

 ところが、先生がそのブローチに目をとめ、びくっとして、こわごわと見つめられたのには、こちらが驚きました。

200609092048231  これがそのブローチなのですが、どうです? あなたは怖い?

 勿論このブローチは愛用していますが、先生を怖がらせないために、もう循環器クリニックにはつけて行きません。 

 よろしかったら、ココログに引っかからなかったこちらにもお立ち寄りください。

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9月9日の夕飯(肉だんご)

200609092339532 200609092337511 200609092336372  昨日の夕飯は、肉だんご、冷奴、味噌汁、それから小林カツ代さんの料理の本から「ホクホクかぼちゃの不思議ソース」を参考に作った一品でした。

 肉だんごはわたしにとっては、おふくろの味です。幸い結婚するときに母が愛読していた料理の本をセットで持たせてくれたので、幾分かは亡き母の味を再現できます。

 その昭和41年発行の『十二か月シリーズ9 肉のおかず十二か月』(女子栄養大学出版部)から「肉だんごの揚げ煮」をご紹介しましょう。

 肉だんごの揚げ煮(5人分)
 豚ひき肉400g、a{卵1個、しょうゆ・ごま油・酒各大さじ1・おろししょうが少量}、かたくり粉大さじ2、とうがらしのみじん切り2本分、b{しょうゆ・酢・砂糖大さじ2、スープ大さじ4、化学調味料少量}

 ①ひき肉にaをよくまぜ、かたくり粉の半量を入れ、さらによくまぜる。
 ②たっぷりの揚げ油に①のひき肉を親指くらいの大きさにつみ入れ、こがね色に揚げる。
 ③なべでbを合わせた調味料、とうがらし、揚げだんごを入れて煮たて、水どきかたくり粉でとろみをつける。

 肉だんごの下には炒めたほうれん草が敷いてあります。わたしは、とうがらしと化学調味料は入れませんでした。

 かぼちゃを電子レンジで2分加熱し、乱切りして油で揚げ、ソースをかけたカツ代さんのかぼちゃも家族にヒットしました。ソースが題名そのままに不思議な味で美味しいです。

 そのソースの作りかたは、砂糖小さじ2、粒マスタード小さじ1、みそ小さじ1、マヨネーズ大さじ1(山盛り)、牛乳大さじ2、シナモンをよくまぜ合わせるだけです。

 わたしは小さなうさぎのお皿に少量盛りたかったので、ソースが若干固めになるように牛乳ではなく丁度冷蔵庫にあった生クリームを使いました。

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2006年9月 9日 (土)

阿部謹也氏死去

 西洋社会史研究の第一人者であった阿部謹也氏がお亡くなりになったとか。
 謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

 阿部謹也氏の『ハーメルンの笛吹き男』を読んだのは、もう11年も前になりますが、そのときの鮮烈な印象が忘れられず、ときどき再読させていただいていました。

 その初読のとき、当時入会していた同人誌「くりえいと」から平成7年に別冊付録として発行された「れ・くりえいと」に寄せたわたしの読書案内がありますので、ここに紹介させていただきたいと思います。

○○○

阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男』(筑摩書房、1988年)を読んで

 子供たちが笛を吹く男によって何処かへと連れ去られてしまうお話を、グリムのもので読んだかどうかは定かではないけれど、そのお話の秘密めいた雰囲気と読後の寂しさは忘れがたい印象として残っていた。

 同じように幼児期にこのお話に魅了されたことのある著者は、お話の原型を求めて、13世紀ドイツの小さな町ハーメルンにまで分け入っていく。

 お話のもととなった伝説は、ハーメルンで起こった子供たちの失踪事件からうまれたらしい。

 それを伝える最も古い記録はハーメルン最古の教会のガラス絵とみられ、ガラス絵碑文には「ヨハネとパウロの日(すなわち6月26日)にハーメルン市内で130人の者がカルワリオ山の方向(すなわち東方)へ向かい、引率者のもとで多くの危険を冒してコッペンまで連れてゆかれ、そこで消え失せた」とあった。

 しかし、失踪事件を伝える古い中世資料にすらも失踪の原因は示されていず、その時点ですでにそれが謎となっていたことがわかる。それは何故か。

 手がかりを得るために著書は、当時のハーメルンという都市の性格と問題点を探り、探る過程で、そこに生きた人々の痛ましい現実を明らかにしていく。

 専門知識の散りばめられた歴史研究書ながら、そこには悲劇に遭遇したハーメルンの名もない人々に対する著者の素朴な共感が通奏低音として清冽に流れていて、飽きさせない。  

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今朝のコットンボール

200609091041272  今朝のコットンボールです。割れ目からのぞく白いものは、もう明らかに綿っぽいです。固い感じの。ふんわり弾けられるのかしら。

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2006年9月 8日 (金)

コットンボールに待望の割れ目です!

200609081551232 200609081557122 200609081600242_1  うちの可愛いもやしっ子……コットンは、室内で今日も元気です。

 コットンボールを見ると、あら、割れ目が……。

 中から白いものが微かにのぞいています。何だか、妊婦の側で子供の誕生を待ち望むお産婆さんの気分です。

 うまく出産、いや弾けてね、コットンボール。胸をときめかせて、見ていますよ。

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2006年9月 7日 (木)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第51回

 絶望はわたしを白く変容させました。この変容を見越して、タルはあの封印されたものを託したのでしょうか……? かつて天真爛漫なおとめだったわたしは今は、女人の苦しみを知る22歳のおばさんでした。

 そして、この時のわたしは知る由もなかったのですけれども、みどりごが死んだ丁度その刻に、女王その方が倒れられ、重症に陥らせられたのでした。女王65歳の艱難でありました。

 近所に住むお年寄りが、動物の骨を焼き、その罅(ひび)割れで凶吉を占う骨卜(こつぼく)で、「不吉じゃ、不吉じゃ」と歯無しの口でもぐもぐ口走るのを見、叔母もわたしも薄気味悪く思っていたのですけれども、あの刻の恐ろしい空模様の事なども後になって考え合わせてみると、女王大難の前兆(さとし)であったとしか思えません。

 そんなことも知らず、わたしはお産と脚気で弱った体を寝床に埋めて、新穀祭の舞姫たちに思いをめぐらせていました。

 十年前の新穀祭より定例となった5人の舞姫たちによる奉納の舞は、今回もヨモギを舞姫頭として無事におさめられることでしょう、と心寂しく想像するのでした。〔〕 

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初使用

 火曜日に出して貰ったニトロのテープを初使用してみた(※関連記事:9月4日付『眠るのが怖い 』、9日6日付『安心材料』)。

 胸から背中にかけて痛み、喉の詰まる感じがあったため。我慢できないほどの症状ではなかったが、左肩に貼ってみた。数分経っても、何も感じない。その後、気のせいか、肩が涼しい気がしてきた。もっと経って今度は、胸から背中にかけて清涼感を覚えた。

 2~3時間経つと、はっきりと効果を感じた。頭痛が起きたら血管が全開しているということなので剥がすように、と先生からいわれたことを思い出し、5時間後ぐらいに、頭痛はあまりしなかったが、どうも血圧が下がりすぎているような気がしたので剥がした。

 買い物、家事とめまぐるしかったせいか、テープのせいなのかわからないが、風邪気味のような感じが起き、少し吐き気がした。軽い吐き気は深夜まで続いた。

 初めての使用だったし、日曜日のような発作が起きたときの使用でもなかったので、はっきりとしたことはいえないのだけれど、使用感としては、ゆるやかに効いてきて、だんだん執拗に(?)効き出すといった感じ。執拗に感じられたのは、このときの症状がそれほどニトロを必要としなかったからかもしれない。

 ただ、舌下錠のような即効性はなさそう。こんなのろのろとした効きかたでは、日曜日のような強い症状にはあまり意味がなさそうだが、どうなのだろう? 尤も、先生はテープの使用について、発作が起きて舌下錠を使用した後すぐに貼るか、あるいは、これからどうも発作が起きそうだ、といったときに貼るといいといわれた。

 今回の実験(?)では、後者の場合の使用だったが、まあ何となく薬の性格は呑み込めた。やはり強い発作には、何といっても舌下錠だろう。ネットで見つけたニトロ舌下錠専用ペンダントは、買っておいたほうがよさそうだ。皮膚が弱いせいか、使用面積の狭いテープなのに、早くも痒い。かぶれた! 

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カリール・ジブラン「子供について」

 秋篠宮家に男児誕生で、日本中が華やかなムード。反面、今の日本という国は、誕生する子供たちにとって、どうしようもなく、おかしな社会になってしまっている気がします。

 商業主義のマイナス面が強く出ていることが最大の原因だとわたしは思っていますが、ただ自分も大人の一人としてそのおかしさを作り出している側の人間だと思えば、罪の意識に囚われ、誕生するどのお子さんにも幸多かれと祈らずにいられません。

 前にカリール・ジブランの結婚についての詩をご紹介したことがありましたが、子供の誕生についても有名な詩があります。これもすばらしいものなので、佐久間彪氏の名訳(カリール・ジブラン著『預言者』至高社、1984年)でご紹介致しましょう。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

そこで、子供を胸にかかえた女が言った。お話ください。子供のことを。
アルムスタファは言った。
あなたの子は、あなたの子ではありません。
自らを保つこと、それが生命の願望。そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子なのです。
あなたを通してやって来ますが、あなたからではなく、あなたと一緒にいますが、それでいてあなたのものではないのです。
子に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。
子には子の考えがあるからです。
あなたの家に子の体を住まわせるがよい。でもその魂は別です。子の魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。
子のようになろうと努めるがよい。でも、子をあなたのようにしようとしてはいけません。
なぜなら、生命は後へは戻らず、昨日と一緒に留まってもいません。
あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。射手は無窮の道程にある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼるのです。かれの矢が早く遠くに飛んでいくために。
あの射手に引きしぼられるとは、何と有難いことではありませんか。
なぜなら、射手が、飛んで行く矢を愛しているなら、留まっている弓をも愛しているのですから。

カリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年) 

 カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン)はカテゴリーにあります。

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2006年9月 6日 (水)

安心材料

200609052144382 200609052142202  昨日の循環器科の受診日に、日曜日に起きた狭心症の発作(※関連記事はこちら)について先生に話すと、ニトロのテープ(ニトログリセリン貼付剤)を出してくださいました。

 他病院に通っていた10年くらい前に別の製品名のニトロのテープ(というよりそれはまさに湿布薬という感じ)を使ったことがありましたが、それは今度出されたものよりも、大きく厚ぼったくて、わたしの皮膚はかなりかぶれました。

 これはそれよりずっと薄く小さく、上半身どこへ貼っても効くそうで、案外使い心地がいいかもしれません。日曜日の夜のような発作があると、眠るのが怖くなるのですが、24時間効くこのテープがあれば安心して眠れます。

 この記事を書く直前に、また、日曜日の発作の前のように左側の歯が痛んだのですが、ニトロとニトロのテープという安心材料が揃ったせいか、余裕をもって構えています。写真は、その安心材料たち。

 ついでにアップした、外出用の手帳に挟んでお守り代わりにしている2枚の写真の切り抜き。向かって左の御方は説明するまでもないでしょう。右の女性は、近代神智学の創始者ブラヴァツキー夫人。珍妙な取り合わせに見えるでしょうか。

 今の時期は狭心症の発作が起きやすいそうで、ましてインデラルという冠攣縮作用のある薬を常用しているわたしに発作が起きても、不思議なことは何もないようです。

 そんな会話を先生と交わしているうちに、先生が「あ、そうだ。今度のラジオ出演のときは、この話をしよう」とおっしゃいました。

 ま……まずい。ラジオ拝聴します、などといっておきながら、わたしが「拝聴」したのは初回の1度だけ。もう何回目でしたっけ? わあ、ごめんなさい。ラジオは普段聴かないだけに、つい聴き忘れてしまうのでした。

 わたしにはためになる狭心症の話が聴けることは間違いないので、「ハハッ、謹んで拝聴させていただきます!」といいました。来週の月曜日、FM大分、午後7時より。絶対に聴かなくては――絶対に。

 今また、左の奥歯辺りがズキンとしました。テープを貼るべきか、様子を見るべきか迷います。惜しまず貼ってもいいようですけれど、使えば貴重な1枚が減る……などと、思ってしまうのです。ネットでニトロが入るペンダントを見つけたので、これも購入しておこうかと考えています。

 日曜日の発作が、心理的に結構こたえたのです。何て怖がりなんでしょうね、いい年して……! 

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うちのコットンはもやしっ子だそうです

 ガーデニングショップで、うちのやわなコットンについて、訊いてみました(※うちのコットンについての過去の記事は、ここここここです。若干、いや大幅に別の話題が同居しておりますが)。

 この時期のコットンは、ふくらんだ実が弾けて中から綿がこぼれ出、全体的に枯れていくのだそうです。10月にはすっかり枯れてしまうので、綿の中にできた種を来年のためにとっておくといいとか。

 で、うちのコットンですが、外に出すとたちまち弱り、室内に戻せば元気になるというこのことから、いわゆるもやしっ子ではないかということでした。コットンには日の光が生命であるにも拘らず、室内に慣れすぎてしまっていて、なまの光も風も刺激が強すぎるのではないかということでした。

 こうなってしまったら、窓の側に置くことさえ用心が必要だそうで、注意すべきことを教えていただきました。本来コットンは日にも風にも強いそうですが、湿気は嫌うそうです。

 うちのコットンは戴き物なのですが、うちに来る前の環境というのはわかりません。が、現在、もやしっ子であることは間違いないようです。

 大きくふくらんでいるコットンボールは、現在1個だけです。無事に弾けてくれるでしょうか。 

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2006年9月 5日 (火)

あけぼの―邪馬台国物語―連載第50回

 叔母の家に帰ったわたしは春と夏を通り、秋を迎えて、新穀祭の頃に、小さな、萎れたみどりごをお産のために造られた室(むろ)で産みました。

 稲妻がひらめき、雷の鳴り轟く最中での、心細いお産でした。

 その子は生きることができませんでした。みずみずしい光を魂に籠もらせたままで、死にました。こうして、イサエガの子は、わたしをおとめと呼ぶ習わしだったあのイサエガの子は、死にました……!〔

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9月5日のぼんやりとしたひとりごと

 小森陽一著『村上春樹論』を読んでいる。『海辺のカフカ』に引用された諸作品にも丁寧な学術調査の目が行き届いていて、充実した評論といっていい。

 が、なぜか読んでいて眠くなる。村上春樹の作品を読んでいるときと同じ現象が起きて、半分読むあいだに何度眠ったことか。どうしてだか、わからない。

 一昨日の夜遅くに狭心症の発作が起きてから体調が不安定なので、そのせいかもしれないとも思ったが、それ以前に読んだときも眠くなったのだ。

 よく書かれているが、何かが足りないのかもしれない。例えば、シモーヌ・ヴェイユの著書を読んだときに感じられる、みずみずしい生気のようなものが。

 とにかく読み終えないことには、眠くなる理由も、評論の感想も出てきようがない。

 当サイトに公開したエッセー『卑弥呼をめぐる私的考察』に率直なコメントをくださった白い空虚さんとの約束(※2冊の本を読み、感想を述べるという約束)も期日が迫っているというのに、まだだ。

 白い空虚さんはどこかへお出かけのようだが、遠くへお出かけなのだろうか。そういえば、昨日知人から手紙が届き、夕方別府市のホテルにいるので、よかったらきてほしいとの文面だったが、手紙を郵便受けからとってきて見たときは、既に指定の時間を大分まわっていた。

 30日に投函され、うちに配達されたのが4日。かかりすぎではないだろうか。いくら交通の便の悪い山陰から大分市への配達とはいえ……。

 秋の九州は本州の人々を招くのか、ご親切から文通をしてくださっているフランス文学者(※わたしが大学時代からだから、もう30年近くにもなる)も、お葉書によれば、この時期に大分から日田を通って湯布院へ行かれるようだ。

 うーん、京都から湯布院へ行くのにそれというのは、頭が混乱しそうな道順だ。行ったり戻ったりするのが、お好きなのかなあ……(?)。ご家族と一緒らしいから、心配はしないけれど。

 どちらにしても、大分を通過なさるようなので、お目にかかりたいと返事を出せば、そうしていただけた可能性もあるが、通行の妨げになっては悪いような気がして、出さないままだった。

 以前に比べて、人に会うことに消極的になった気がする。読書にも、幾分消極的かもしれない。つまり、全般的な意欲の低下ということだろう。

 関連作品「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ

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危うし…コットン&下手な詩

200609042204212 200609042211462 200609042214242  ベランダに置くと、茶色に変色してきて、やつれ、危うし……となってしまう、うちのコットン。

 うちのコットンに危機があったことが、写真からわかっていただけると思います。

 室内に戻したとたん、枯れ、萎れていた葉も見る見る力を取り戻して、左の写真のように反り返りました。真ん中の写真は上から写したもので、新しい葉と一旦萎れかけて元気になった葉がまじっているのがわかります。

 コットンボールは大丈夫でしょうか……心配です。室内の日の入る場所に置いて、様子を見ていこうと思います。

 コットンの元気な葉の緑色は、何ともいえない美しさです。眺めていたら、下手な詩ができました。

   茶に変色し、萎れかけていた葉が、張りを取り戻した。
   葉は、自信を回復し、生きる力の芳香を放つ。   

   反り返るほど力を得た葉は、空間を緊張させ、
   羽ばたこうとしているかのようだ。

   わたしの日々の想いも、部分的な死と再生を繰り返しながら、
   心の空洞に、命の香りを放つ。

   みずみずしい葉は、空間を生気づかせ、空間を飾る。

   わたしの想いは、空間を濁らせたり、きよめたりしながら、
   どんな花を描き、どんな実を結ぶ……?

   葉は、思想を取り戻したかのように、落ち着いている。
   外の世界の何が、葉のおまえには耐えがたかったのか?

   なまの光と風は、室内には訪れない。
   葉は、生と死の只中で均衡を保ち、みどり色に満ちようとしている。

   日に焦げ、萎れかけた葉は、
   日々のわたしの幼稚な苛立ちにも、悔いの涙にも、
   萎れることはしない。

   あふれる生気でわたしを招くので、わたしは見つめ、
   葉とわたしとは、静けさを分かち合う。

 いやあ、下手糞ですな。ずっと詩は書いてなかったもので……。尤も、書いていたときも下手だったけれど! 詩に呆れて枯れたりしないでね、コットン。それにしても、想像していたよりも、コットンは繊細なようです。注意して見守っていこうと思います。 

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2006年9月 4日 (月)

あけぼの―邪馬台国物語―連載第49回

   第三章

 女王の神殿とそこで暮らした日々――。それが今は遠く想われます。

 わたしは身篭り――その子の父の名を明かさないまま!――、おとめで無くなった女人は巫女職を続けることも、後にその職に復帰することもできませんでした。

 里に下りしな、タルがある封印されたものを手渡しました。『それから。ね、これ、女王様からマナさんへの御言葉ですよ。――出産は神聖な儀式です。どうぞ玉のようなお子さんを産んでください――と』

 タルが告げた何の責めもない女王の御言葉に、わたしは泣きました。〔

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眠るのが怖い。。。

  日付が変わる前、23時頃の話ですが、いつもより大きな狭心症の発作が起き、怖くて。。。 お化けの話なんかを、期待させましたか。

 変な時間にですが、風呂場の掃除をしていたのです。そのとき、よく心臓を鷲摑みにされるなんて聞きますが、そんな感じの猛烈な痛みが起き、同時に、胸から上腹部の広い範囲に締め付けられるような圧迫感が起きました。

 とても立っていられないくらいでしたが、何とか風呂場から家族のいない部屋へ行き、ニトロを取り出しました。ニトロを取り出そうとするあいだに、締め付けがどんどんひどくなるので、家族を呼んで救急車を呼んで貰おうと思ったくらいでした。

 尤も、その頃には声が出せない状態。立っていられないけれど、うまく座ることもできず、ニトロが効かなければどうしようと怯えながら、舌下へ。

 で、いつもより時間がかかりましたが、効きました。1錠だけで、すっかり。効いてしまったら、嘘みたい。でも、これ、家の中で起きたからよかったけれど、外で起きていたら、見苦しいことになっていたかもしれません。

 こんなに強い締め付け感は初めてでした。ニトロを使うと、疲れて眠くなるのですが、眠るのが怖い。眠っているあいだにまた発作が起きて、死んでしまったらどうしよう……と思ってしまいます。

 いつ死んだっていいや、なんて思うことも多い癖に、やっぱりまだ死にたくありません。

 一昨日の夜から昨日にかけてときどき左側の歯が痛み、虫歯はないので、狭心症の前触れかもしれないと思っていましたが、そうだったのかもしれません。今、また左の歯が痛みました。もう一度くらい発作が来るかもしれません。

 あさってが循環器科の受診日ですが、たぶん、「先生、日曜日の夜遅く、いつもより強い胸の痛みがありました」「そう。で、ニトロは効いた?」「効きました、ばっちりでした」「気をつけないとね。ちょっと胸の音聴かせて。ニトロはまだある?」といった会話で、あっさり終るでしょう。

 ここに書いたら、怖くなくなりました。お休みなさい。ご訪問、ありがとう。あなた様も、ご自愛ください。 

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2006年9月 3日 (日)

あけぼの―邪馬台国物語―連載第48回

 宮殿に帰ろうとして城柵に沿って歩いていたわたしは、裏門の処で思いがけない姿を眼に入れ、フラフラと歩を速めました。

 風にいちゃん! イノシシそっくりの後ろ姿をした男でした。

 風にいちゃんに瓜二つの後姿の男は、見張りの兵と二言三言、言葉を交わし、すんなり裏門をくぐりました。

 正門であろうと裏門であろうと、容易に宮殿の門をくぐれるのは宮中に暮らす人間、女王の親族、及び側近に限られましたので、それに該当しない者は、厳重なチェックを受けることになります。

 やっぱり風にいちゃんではなかった、とわたしは思いました。わたしが門を通り抜けた時は、黄葉の美しい内苑に、それらしい人影は既にありませんでした。〔

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2006年9月 2日 (土)

あけぼの―邪馬台国物語―連載第47回

 類は友を呼ぶとか申しますが、ヨモギは諜報団ともいうべき、三度の飯よりも噂の方が好きなおとめたちのグループを形成していました。

 その中でも一番油断のならない、すなわち最も垢抜けした外見を持ち、最も頭脳明晰なおとめがヨモギでした。端麗という類似点から連想してしまうのかもしれませんが、彼女を見る時、わたしはふとそこにイサエガを見てしまうのです。

 イサエガにあって、彼女にないものがありました。哀感の漂う、謎めいたヒューマニズムがそうでした。そんなイサエガに恋をしかけていた、あの頃の哀れなわたしでした……!

「そんな風ではなかったわ。だって、お月様のお祭の夜も」
「今日明日どうこうってご病気ではないんじゃない。いわゆる慢性病なのよ。次第に衰弱してゆく、蛇の生殺しのようなご病気……。お可哀想よねえ」

 お可哀想よねえ、とささやいた甘ったるい声と、きらきら輝くヨモギの眼がわたしにはいたたまれず、ヨモギをうっちゃって、宮殿から抜け出し、遁走しました。

 月読みの授業をさぼったわたしは、猿のように柿木に登って、そこで秋の実りをたらふく頬張りました。柿の木のなかにいると、里にいるようでした。〔

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2006年9月 1日 (金)

あけぼの―邪馬台国物語―連載第46回

 とうとうお眼にかかれないまま、ヤエミ様は御輿入れなさり、秋も深まっていきました。

 秋の大祭である新穀(しんこく)(※収穫儀礼)が迫っていました。官女たちのあいだでは、新しい舞姫の話題でもちきりでしたが、それが誰であるのかを知る者はいませんでした。

「あなた、知ってる? ヤエミ様のことだけれど。御輿入れには、ふかあい秘密があったみたいよ」

 ヨモギとわたしは、回廊を歩いているところでした。

 ヨモギの諜報的物言いは、それに耳を寄せる者まで浅ましくしてしまうものがありました。わたしの眼には、彼女が、赤い輝きのある沼のようにどろっとした暗緑色の光にとっぷり隠れて見えることがありました。

「ヤエミ様はねえ、大病を患っていらっしゃるらしいわよ」

 わたしはぽかんとヨモギを眺めました。

「女王様のお力をもってしても、どうにもならないご病気らしいわ。それで、巫女職をお続けになることができなくなったらしいの。女王様が体(てい)よく、トシゴリ氏に押しつけなさったんじゃなくって? そう推測している者もいることよ」〔

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