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2006年8月の34件の記事

2006年8月31日 (木)

8月31日の暗いひとりごと

 息子がアパートに戻り、本日締め切りの文学賞のことを思い出した。ここ7年ほど、ほぼ毎年応募してきたK文学賞に今年は応募しなかった。作品がないわけではない。が、結果が応募する以前から透けて見えてしまい、どうしてもその気になれなかった。

 応募しても応募しなくても落ち込むというのは、どういうわけだろう? 年末ジャンボ宝籤を毎年買う人は、どうせ当らないからと買わなかった場合、わたしほど落ち込むのだろうか。これはもう病気だ。また11階から眺める遥か下の地面が、すぐそこに見える。

 もう作家になりたいなんて、ほぼ思わなくなったというのに、この苦しさは何なのだろう。やはり病気だろうか、文学賞中毒症……。何か今の日本の作家たちは薄汚く見え、作家のサイトなんて覗いてもつまらなくて、よけいに灰色気分をそそられる。このサイトも閉じたくなった。 

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2006年8月30日 (水)

昨日の夕飯&息子の夢と前世のわたし

20060829231459  昨日の夕飯は、秋刀魚、厚揚げの煮物、玉葱とじゃがいもの味噌汁。中華風あえ物、いかと大根の煮物は1人分ではありません。皆で取り分けて食べました。

 秋刀魚には少し早い気がしたのですが、北海道産の秋刀魚は綺麗で、脂も割合のっていました。中華風あえ物は、春雨の上に卵、ハム、きゅうりがのっています。

 夫は、わたしのそれとないブーイングを感じたのか(※28日の記事『心の痛み』をご参照ください)、遅くなるかもしれないというメールをよこしました。そして、それから間もなく帰宅しました。

 食後、夫と息子は28日の記事に書いたような一瞬の対立などなかったかのように、サーティワンのアイスクリームをコーンにのせあったりしていました。ほとんど会話もないのに、和やかな雰囲気で、いい感じ。

 いつもこうだと満足なのですが……。わたしは主婦として過敏すぎるのでしょうか。いや、やはり家庭生活には色々とあるのです。わたしの小説のテーマは大抵家族です。

 夫はこちらがどう望んでも、子煩悩なタイプにはなりえませんが、こちらのブーイングは気にするようになってくれました。それだけでも、昔とは大した違いです。

 昔に比べたら、夫は会社のこともよく話してくれるようになり、それに伴って、わたしのブーイングもそのときどきに合わせたカラーを持つようになりました。夫の会社で何かあったとき、何かありそうなときは、わたしの夢に何らかのかたちで出てきます。

 夢の話が、夫の会社での出来事を引き出すようになりました。夢については、まとまったことをそのうちに書きたいと思っています。

 そういえば、まだ高校生だった息子がわたしの夢を見たといって、こんな話をしてくれたことがありました。

 そこは昔のインドか中国かというような土地で、わたしは白い牛に跨り、上半身は裸。どこかへ行こうとしていたそうです。息子は旅の途中の商人だったとか。わたしは白く長い髭を持ち、ひどく痩せていて、頭は剥げた老人。神々しいような目をしていて、修行者らしい傷が両手にあったというのです。

「その剥げたお爺さんがママだなんて、何だってわかるわけ?」と訊くと、「だって、雰囲気がママなんだ。どうしたって、ママなんだ」といいました。そして、そのお爺さんをなつかしむような遠い輝くような目をしました。

 夢が、というより、息子のそんな表情がわたしにはとても起こりそうもない神秘に思えました。その頃、息子は反抗期の只中だったのです。

 実は、本当のことだとは思っていただけないかもしれませんが、前世、修行者として老人になってから死んだというあわい記憶が子供の頃のわたしにはありました。瞑想をする習慣もありました。今となっては、嘘のような子供時代の出来事です。瞑想のやりかたなんて、もう忘れてしまいました。

 ただ具体的なことはわたしには何もわからず、息子の夢がわたしたちの前世に絡んだものなのかどうかは知りようがありません。息子は子供の頃、お金を駒にして遊ぶ癖がありました。商人だった名残なのかしら。 

 ところで、わたしはまだアイスクリームを1個も食べていません。食事でおなかがいっぱいになってしまい、なかなか食べるときが見つけられないのです。まごまごしているうちに、誰かに奪われてしまいそう。 

追記:

2010年9月27日に息子と長話したとき、たまたま前世の夢の話になって、その内容をもう少し詳しく聞きました。

それは、以下のような話でした。

わたしは修行者らしいというその老人が、上半身は裸だったということから、乞食のような身なりを想像していました。しかし、息子がいうには、大変よい身なりだったということです。そして、息子のほうはそのとき1人ではなく、キャラバンを組んでいたそうです。そのキャラバンもみすぼらしいものではなかったとか。

わたしが乗っていた動物とキャラバンで使われていた動物は違っていたそうで、西洋馬のように大きなものではなく、ロバとかラバとか、そういった動物に見えたらしいのです。息子たちは敬意を払うかのように、ごく自然な雰囲気で、牛に跨った老人に道をゆずったとか。

息子と老人がすれ違った場所が山道だったことは、はっきりしているとか。2人は別の国の人間に見えたそうです。

「お互いに、今とどちらがよさそうだった? 境遇的に」と訊くと、息子は「いやー、夢の中では、どちらも生き生きとしていて、少なくとも不幸には見えなかったよ」といいました。「ふーん」とわたし。わたしは1人でどこかへ向かうところだったそうですが、かなりの高齢でありながら堂々としていて、尊大なくらいだったそうで。

尤も、それが本当に前世の夢だったかどうかは息子にもわからないとか。ただ、目が覚めたときに、そう思ったそうです。長い夢の一場面だったのか、その場面だけが夢に現われたのかも定かではないようです。

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2006年8月28日 (月)

心の痛み

 今日は夫は休日だけれど朝のうち会社に出かけ、今はくつろいでいるところ。娘は勤め先の書店へ。帰省中の息子は昼寝中。

 息子の帰省初日は無理をして早めに帰宅した夫も、昨日はいつも以上に遅く、娘は帰宅後にうたたね、わたしは夕飯を家族揃ってから食べ始めるべきか、息子に先に食べさせるか、わたしと息子ふたりで食べるかを決めかねていました。

 家族が揃って暮らしていた頃、息子とわたしはそんな曖昧な時間をよく過ごしたものです。そして、そんなとき、息子はいつも寂しそうな顔をしました。わたしの深読みかもしれないけれど、そのように見えたのです。

 昨日もそうでした。他県のアパートでの一人暮らしに慣れ、大学院の受験も終わり、屈託なく、いくらか大人びたいかつい顔つきで帰省した息子が、どんどん昔の子供時代の表情を取り戻していくような印象です。

 娘は仕事が大変だったのか、前日遅くまで弟とはしゃいだ疲れが出たのか起きないので、息子を促して食事を始めました。といっても、わたしはちょこちょこすることが出てきて席を立ち、ほぼ息子ひとりの食事。昔よくあったわが家の一齣です。

 息子が食事を終えた頃、夫が帰宅し、風呂を済ませ、食事となりました。わたしは大皿を梨で満たし、まだ起きそうにない娘のぶんをとり分けておきました。夫と息子は美味しい、美味しいといって梨を食べ始めました。

 そして、わたしがまた席を立ったあいだに梨はひとつを残すだけとなっていました。「あら、これ誰も食べないの」とわたしがいったとたん、息子がすばやく梨に手を伸ばし、夫に見せつけるかのように梨に爪楊枝を深々と刺したのです。

 夫は、あっ、という表情をしました。というのも、そんなとき、さりげなく父親に梨をゆずるのが常の息子の態度だったからです。

 夫から梨を掠めとった息子の表情はどこか悪戯っ子のような、清々したような、あっけらかんとしたものでした。帰宅が遅い、というより、また昔のどこか子供に無関心な父親ぶりを匂わせ始めた夫に対する、それはささやかな抗議の声のようでもありました。

 娘は、夫の帰宅が早かろうが遅かろうが、昔から大して気にしません。それが当たり前のように、むしろ、のびのびとしています。ですが、息子の場合は違うのです。

 息子にとって、帰省はなつかしく、楽しい出来事である反面、古傷の痛む、忘れていた家族の中でこそ味わうような類の孤独を思い出させる出来事でもあるのではないでしょうか。

 わたしにとっても、こんなタイプの出来事は馴染みのないものではありません。わたしにとっても、殊に娘時代は、実家に帰省するとは楽しみと痛みを伴うことでした。

 白状すれば、息子が眠ったり読書したりしているあいだを縫ってのこの記事のアップとはいえ、息子が一番寂しさを感じるのは、母親が彼に背を向けて創作に没頭していた姿を思い出させるこの姿にこそなのかもしれません。

 わたしは専業主婦でいつも家にいたにも拘らず、創作のために、まるで仕事に出かけている母親のようでした。昔も今も、仕事を訊かれ、専業主婦だというと、「何かお仕事なさっているのかと思っていました。専業主婦には見えませんよ」と驚かれます。

 息子に寂しい思いをさせた罪は夫よりも、わたしのほうが深いのかもしれません。こんな罪悪感に駆られながらも、大人びた顔に幼いときの面影を浮かびあがらせる息子に、ほっとさせられるようなところもあるのです。それは、彼がくつろいでいる証拠でもあるような気がするからです。

 さて、息子が寝ている間に、ズボンの裾が傷んだところをかがりましょう。31日の朝には家を出るというので、息子が帰省するまであとわずか。ああ、たまらない。このサイトの存在、息子にはひた隠しにしています。 

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昨日の夕飯&梨とピノッキオ

20060828025843_5   昨日の夕飯は、いつものわが家っぽいメニューで、あめたの干物、小松菜とじゃこのつくだ煮風、蓮根のきんぴら、茄子のみそ煮、しらたきのスープでした。

 いつのまにこれらがわが家の定番となったのか、わたしも年とったなあと思わずにいられません。息子がアパートで作りそうにないものを挙げていき、本人の好みを訊いて、上のメニューとなったのでした。

 大好きな焼肉をそれほど食べたがらないと思ったら、友人達と焼肉屋にはちょくちょく行くとのことでした。わたしからすれば珍しくもない上のようなおかずが、普段口にしないもののようです。

 自炊が必要となった息子に食材のことから料理道具の説明まで載っている分厚い料理の本を1冊と『栗原さんちの朝20分のお弁当』(文化出版局)を持たせてやり、それには上のようなおかずの作りかたが載っているはずなのですが……。

 実沢山のトマトスープに凝ったりしてみても、和風料理は何となく作るのが面倒に感じられるようです。

 台所用品、調味料も不自由しない程度に買い揃えてやったのですが、それが息子には恥ずかしいと感じられたらしく、あんなにはいらなかった、といっていました。

 ところが、最近になって、あれだけ揃えてくれてよかったといいます。息子の料理の本が友人たちには珍しいらしく、あれこれ眺めては「これ作ろうかな。あ、でも、これがなかった。あれもなかった」となり、料理道具や調味料を一々買い揃えることから始めるのが面倒で、「やっぱり、やめた」となるのだそうです。

 でも、最近になって料理に目覚めてきた友人がいて、分厚い料理の本を借りていったとか。息子の部屋に多いときは7人くらいやってきて、鍋物やすき焼きをするそうですが、息子はそれが楽しい様子。買出しも後片付けも、友人たちにやらせる(友人たちがやってくれる)そうです。

 食後には写真の日田産の梨を大皿にこんもり。日田市にいた頃は、日田産の美味しい梨を、それが普通の梨だと思って食べていました。汁気が多くてとても甘い日田産の梨が有名であることは、こちらに来て知りました。

 梨といえば、連想するのが、『ピノッキオの冒険』です。木切れから人形になって間もないピノッキオが空腹を訴えて、作り主のジェッペットから彼の朝飯用だった3個の梨を差し出され、最初は皮と芯は食べないといいながら、あとになって全部食べてしまう場面は、忘れられません。

 わすれられない場面は、『ピノッキオの冒険』には沢山あります。気ままで、無責任で、率直で、変に素直で、無鉄砲なピノッキオは子供がその子供らしさで大人を惹きつける類の特徴を悉く備えています。

 自分が子供だったときに読んだ『ピノッキオの冒険』は、何か恐ろしい物語として印象づけられました。死んだ少女であるかのような仙女の初登場の仕方は異様だし、ピノッキオをペテンにかけるネコとキツネは嫌らしいし、ロバになったまま死んでしまうトウシンはあまりにも悲惨、フカの腹の中でジェッペットと再会するピノッキオの運命は数奇すぎる……。

 最近のファンタジーものが何か抽象的で、社会背景もおぼろげな中で、主人公が正体のはっきりしない敵を相手にむやみに戦うのに比べ、『ピノッキオの冒険』は具体的です。社会背景も、大人や子供が抱える困難もくっきりと描かれていて、ピノッキオの行動が招く神秘や奇怪や美の場面を背後からがっちりと支えています。

 ピノッキオの場合、闘う相手は、相手が反映させる自分そのものです。
 ファンタジーもので特徴的なのは、主人公は特別の能力を秘めた無垢な人間で、相手は強大でしかも内面的にはうつろというところです。そして魔法や神器などによる力(暴力)の行使で相手をやっつけます。暴力的場面だけが嫌にリアルです。

 趣味の悪い悪夢のようなファンタジーものからピノッキオに戻ると、わたしはほっとします。悪夢といえば、健康に黄信号。例によって、膀胱炎の徴候です。 喘息も少し。                 

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2006年8月27日 (日)

昨日の夕飯&わが王国のために戦い…

2006082702343120060827011703_3  これは、息子との対戦結果です。

 チェス。わが王国のために戦い、敵国の捕虜となった可哀想な者たちが、向こうのほうに見えます。

 オセロ。四隅を取られてしまい、どうにもなりませんでした。

 息子にはなぜかダイヤモンド・ゲームだけは連勝できますが、今日はしませんでした。これは2人でしても詰まらないので。

20060826224743_1  昨日の夕飯のメインは酢豚でした。息子はパイン入りが好きなので、パイン入り。

 昨日息子と書店に寄ったときに見つけた『卑弥呼と邪馬壱国は消されていた』(大野祐司著、小学館スクウェア)を読んでいるのですが、著者は邪馬壱国を大分市と比定しています。

 大分市史によると、大分市は弥生時代後期に徹底的に破壊されているということです。邪馬台国が話題となる場合、大分市の影が薄すぎることはわたしも気になっていましたが、そんな事実があるとは知りませんでした。

 少し調べてみたいと思っています。この話題も、息子とのあいだで沸騰しました。体調はまあまです。踏ん張って、家事をしています。ただ本格的な読書、創作はとても無理です。

 子供達がわたしの手をほぼ離れた今と違い、フルに子育てしなければならなかった時期を通してずっと、多分に気分的な素人創作とはいえ、よく書き続けられたものだと我ながら呆れます。病気になった一番の原因はこれかもしれません。両立に無理があったのでしょう。わたしの能力ではね。 

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2006年8月26日 (土)

昨日の夕飯&壊れたエアコン、ショッピングセンター

20060825201017  帰省した息子は相変わらず、黒のTシャツに黒のズボン。それも首のあたりは撓みかけ、ズボンの裾は擦り切れているという風。

 その構わない服装に、ハハごころは痛みます。見るに見兼ねます。

 買い物に誘い出し、デパートの紳士服売り場までは何とか引っ張って行くことができました。ひとり暮らしをするようになってから、食品売り場に行くことは嫌がらなくなったどころか積極的なぐらいですが、相変わらず服を見ることは嫌いな息子。

 息子を連れて入ったお店からは、前にジャケットを購入して送ってやったことがあり、それは息子もかなり気に入った様子でした。同じ店でズボンも購入できないかと思ったのでした。上着はわたしだけで買えても、ズボンは裾を上げて貰ったり、本人の履き心地を確かめないわけにはいきません。

 ジャニーズ系っぽい容貌のとてもハンサムな、物腰の柔らかな店員さん。息子はどこでどう間違えて、そうならなかったのでしょう? 「ズボンは自分で買うからいい」「ズボンは充分な本数持っているから、いらない」などと、ごねる息子。

 一苦労も二苦労もありましたが、めでたく購入。あとは履いてくれるかです。シンプルでありながら洒落たデザイン、履き心地もよさそうなズボンなのです。

 それはそうと、エアコンが壊れ、購入の必要が生じました。借りたマンションには2台のエアコンがついていましたが、15年、20年という古いもの。

 入居時に、持ってきていたまだ新しかったエアコンと付け替えたい旨、大家さんに問い合わせましたが、ノー。置く場所がなかったので、泣く泣く捨てました。どちらも使えなくなるのは時間の問題だろうと思っていましたけれど、案の定――

 今回壊れたエアコンは15年のほう。修理したくても、もう部品がないとのことでした。再度大家さんに問い合わせ。自由に外して付けてくださいとのこと。新しいエアコンの所有権はこちらにあります。その点はしっかり確認をとりました。

 夫の運転する車で、息子も一緒に、大分サッカースタジアム『ビッグアイ』の近くにある郊外店までエアコンを買いに行きました。途中で娘を拾いました。

 エアコン購入後、ショッピングセンターへ行き、回転寿司店に入り、サーティーワンでアイスクリームを買って帰ったのですが、一家全員、まだ子供たちが小さかった頃にタイムスリップしたかのような、はしゃいだ雰囲気を醸しました。

 郊外型のお店こそ、うちの子供たちの原風景であり、郷愁をそそるものであったことをしみじみと実感しました。息子が正月に帰ってきたときに、一家でイタリアンのお店とカラオケに行きましたが、カラオケはともかく、イタリアンの専門店は息子にはそれほど受けませんでした。

 美味しいとはいいましたが、少し窮屈だったのでしょうか。回転寿司店では思いっきり頬張り、如何にも屈託なく、のびのびとしていました。離れて暮らしていると大人になったかのような錯覚を覚えるのですが、中身はまだまだ子供だなあと実感させられます。

 このところ落ち着いて記事を書く余裕がなく、大雑把な記事ばかりになってしまい、申し訳ありません。

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2006年8月25日 (金)

昨日の夕飯&久しぶりの一家団欒

20060824230015_1   久しぶりの一家揃っての団欒でした。

 写真の中華そば、そして山盛りの葡萄も、あっという間に空っぽ。中華そばもこんもり盛りつけると、餌風です。

  一番沢山食べた息子は、それでも足りずに、冷蔵庫を漁っていました。彼は今、夫が溜め込んだ村上もとかの漫画『龍』を一心に読んでいます。

 娘もまだ起きていますが、わたしは今日はこれでエネルギー切れです、おやすみなさい。

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2006年8月24日 (木)

待ちくたびれ

 息子の帰りを待ち続けて、忠犬ハハ公は未だ報われず、ワンワン。わたしは犬年。コーギーだといいなと思う。息子は丑年。まだ牛舎を出ていないのかしら。

 帰るのは、「夕方くらい」とは聞いたけれど、「やっぱり、早いので帰ってきた」と昼間に唐突に帰ってくるのがいつものことだったから、朝早くから家中ピカピカにして(←嘘。少しオーバー)待っていたのに、まだだから、待っちくたびれちゃった。

 もう夜になるよ。これ以上遅いと、メシ食って、寝るからね~。ああ、母の愛(≒押しつけがましさ)は、報われないもの……。

 

 あとで。
 上の記事を書いたあと、しばらくしてようやく電話があり、小倉駅ですと。牛舎(アパート)
を出て新幹線には乗っていたようだ。そうすると、大分着は20:07……。
 私大の受験で東京に行ったとき、東京ひよこを土産に買ってきた息子。ひよこは福岡県生まれのお菓子、博多区吉塚の市立病院で生まれた息子。ひよこをやたらと見て育って、貰い物のひよこを結構食べて育って、九州のお菓子と気づかなかったなんて。今日も別に、ハハは土産など期待していない(→本当は少し期待している)。

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昨日の夕飯&小森陽一著『村上春樹論』

  1. 20060823235526  昨日の夕飯は、肉じゃがでした。牛薄切り肉、じゃがいも、玉葱、人参、しらたき。

 じゃがいもはいつもはメークインを使って、いくらか煮くずれさせるのですが、昨日は息子の帰省のことで頭がいっぱいで、メークインを買い忘れました。

 男爵を使ったので、何だか、いもがしっかりと直立している感じ……(?)  前にデパートの北海道展で、インカという名の中が黄色いじゃがいもを買ったことがありましたが、栗のような風味があってほっこりとしており、美味でした。あれで一度肉じゃがを作ってみたいものだなあ……と思います。

 時間がなかったので、じゃがいもと人参の面取りもしませんでした。で、いつものわが家の肉じゃがとはちょっと違う肉じゃがになりました。

 息子という食欲の来襲(?)に備えて、買出しに出かけ、あれもこれもと買い込みました。息子の帰省が嬉しくて――ということは勿論ありますが、高校生の頃の息子の食欲ときたら、常に食べ物を用意しておかないと自分が食べられるのではないかと恐怖に駆られたくらいで、その記憶が抜けきらないということもあるのですね。

 バタバタしたせいか、狭心症の発作が起きました。めまいもしきり。心配性の息子にはニトロを使っているところなんて、見せられません。月に少なくても2錠は使うニトロですが、まだ家族に見られたことは一度もありません。見られずにすむ程度だといえます。

 ただ、息子が高校時代の頃までと比べたら、がくんと体が弱ったような気がしています。苦しい思いをすることは以前のほうが多かったけれど、今より若かったせいか、体力はもっとあったと思うのです。

 先のことを考えると、本当に不安でいっぱいになりますが、母の友人から「先のことは置いておいて、まずは今日無事であればいいと思い、今日を切り抜けることよ」と、不安時の対処法を教わったことがありました。その言葉を思い出しています。

 不安といえば、日本の将来はもっと心配なくらい。この国は近々、タカ派の頭があまりよくなさそうな首相を戴くのだろうなあ。行き着く先はどんな状態かしら? 恐ろしくて、考えたくありません。でも、こちらのほうは、考えないでいいということには決してならないと思います。

 そういえば、小森陽一著『村上春樹論』という平凡社から5月に新書版で出た本を買いました。『海辺のカフカ』を精読する――と副題がついています。この本にわたしのいいたいようなこと、感じたようなことが書かれてあれば、もう村上春樹についてわたしは書きません。

 そうであることを期待して、読み始めたところです。アクセス解析を見ると、相変わらず、村上春樹関係でお見えになるかたは多く、長く滞在していかれるかたも少なくありません。自分の病気、わが国の政治の次に気になるのが、この現象です。

 関連作品:「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ

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2006年8月23日 (水)

昨日の夕飯&息子の帰省

20060822232507_1  昨日の夕飯は、ウナギでした。

 息子が明日から月末まで帰ってくるといいます。食欲旺盛な息子が一人加われば、買い物は買い出し、料理は炊き出し、といった感じになります。

 たまに帰ってくる息子に、病人めいた姿は晒したくありません。しゃきっとしなくちゃ、しゃきっと。

 明日は、何を作りましょうか。

 息子は肉団子が大好きなので肉団子、あるいは大皿に大盛りにした冷やし中華そばを皆で食べ競うのもいいかもしれません。ちなみに、このとき、自分のぶんはあらかじめ少し取り分けておきます。

 まごまごしているうちに食い散らされて、わたしのぶんは残飯に見えるものが皿にへばりついているだけ……という有様になるのが落ちだから。

 この「冷やし中華そば」は昔買った『毎日の基本おかず400選』(主婦の友社)に載っていたものなのですが、家族だけでなく、夫の友人にも好評でした。とくにたれがいいようです。

 本から、作りかたをご紹介しましょう。材料は4人前です。

●材料●
中華そば4玉 豚肉赤身100g 高菜漬け100g ピーマン3個 ハム3枚 卵1個 
たれ{だし、または水大さじ4 ごま油大さじ1 塩小さじ3分の1} 辣油

●作りかた●
①中華そばはたっぷりの湯でゆで、水にとってさまし、ざるに上げて水けをきったら、サラダオイル大さじ2を振りかける。
②豚肉は千切りにし、しょうゆ、酒各大さじ1ずつ振り、下味をつける。
③高菜漬け、ピーマンも千切りにする。
④なべに油大さじ1を熱し、ピーマンを入れて塩、水少々振りかけ、手早くいためてとり出し、油大さじ1を足し、豚肉を入れ、火が通るまでいためてとり出す。さらに油大さじ1を足し、高菜漬けをいため、しょうゆ、砂糖、酢各小さじ1を加えていためる。
⑤卵は薄く焼き、ハムとともにせん切り。
⑥器に①を盛り、④の具、⑤をいろどりよくのせ、たれと辣油をかけていただく。

 わが家の場合は、中華そばは倍、具とたれは2~3倍作らないと足りません。 

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2006年8月21日 (月)

自作俳句「熟るる歓び」

車で浮羽郡へ 三句

道すがら子とくぐり見る秋茄子(なすび)

茄子(なす)の黒く照り合ひ列なせり

秋茄子や花うす色に地の湿り

みつみつと熟るる歓び枝の秋

みつみつと熟るる苦しさ枝の秋

実を裂いて落ちてまろんで秋の雨

熟るる地の秋蝶瞬(またた)く草の陰

体調悪し 二句

枕辺に子が甘えくる夜長かな

枕減る寝や秋の燈(ひ)を子がともし

秋夕焼けんらん豪華は恐ろしき

秋夕焼神の御召しは裾濃(すそご)なり

秋の蚊のふれては触るる壁づたひ

満月や苛(さいな)み洗ふ筆の先

一葉して昭和の女があがき死に

喪こごろや栗の甘きを尊めり

さし出でし白蛾かはせり月の下

台風圏燭光芽ばゆる紺の域

台風圏燭のひかりに家族の手

濁酒(にごりざけ)のむほど見ゆる古りしこと

木犀にゆきずりの息深くする

露草の青く光れる草の中

露草の瑠璃が点々秋を告ぐ

いよよ肥え金魚舞ひ棲む水の秋

紅茶と子供たち 二句

初紅茶じぶんでミルクを子らの秋

行秋の紅茶に火照る顔五つ

宇佐 七句

対岸に立つ大鳥や菱紅葉

秋汐に山すそぬれて輝けり

国東の海の香れる葡萄園

かりそめの色世を染めて秋夕焼

山嶺(れい)を数へし先に月りんと

大比売(ひめ)の山あり月は黄を強め

宇佐の月兔(うさぎ)半身くつきりと

             ☆

 下手な俳句の公開第4弾です。昔つくった中から秋の句を集めてみました。宇佐へ出かけてこんな句をつくっていたんだ、と自分でびっくりしました。

 こちらへもどうぞ:自作俳句「百合の花」、自作俳句「子供たち」、自作俳句「夏の思ひ出」。    

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2006年8月20日 (日)

昨日の夕飯&息子と羽

P1030022_sh01  昨日の夕飯は、鮭のピラフ、キャベツ入り牛乳スープ、サラダでした。

 5切れいくらの鮭を買い、塩焼きにしたとして、うちの場合、2切れ余ります。おなかの辺りの窪みの大きな美味しいところを塩焼きにし、端のほうは冷凍しておいて、別の使いかたをするのですが、このピラフはその別の使いかたの代表です。

 サラダには、ワインと牛乳を少しずつ入れたマヨネーズがかかっています。マヨネーズを手作りするのが面倒で、市販のものを使ったのですが、ワインと牛乳を入れただけで、別物になる感じ……。

 マヨネーズを手作りしたときには、入れるとしたら、水っぽくならないように生クリームを使いますが、市販のものには牛乳を使うと、さっぱりした優しい味わいになる気がします。

20060820121721_1  ここで中断して、トイレ・洗面所・風呂場の掃除を済ませました。そして一息つこうと座ったとき、ふとテレビの上のキュピー人形に目がとまりました。

 恥ずかしいことにわたしは、キューピーの背中に小さな羽があることを、2年前ほど前にお店でこの陶製のキューピー人形を手にとって見るまで知りませんでした。「え、知らなかったの。信じられないよ」と娘にいわれました。

 そして、並んでいた他のキューピー人形はそれほど可愛いともほしいとも思いませんでしたが、写真の(またしても暈けた写真ですみません)キューピーのうつむいた愛らしさに情感を刺激され、思わず買ってしまいました。

 このキューピーは、息子の小さな頃にそっくりです。現在の息子は、その頃からすれば、考えられないくらいいかつくなってしまいましたので、わたしの中に、小さな頃の息子――の愛らしさ――に対する郷愁があるのかもしれません。

 その同じ頃、夫が写真を加工することを楽しんでいました。ある夜、彼が「ほら、これ、どお?」とわたしに見せた、加工写真がありました。

 見ると、写真の中に、羽を生やした小さな頃の息子がいました。わたしはその写真に、なぜか強いショックを覚えました。「何てことするの、やめてよ。そんな写真、捨てちゃって!」と怒ってしまい、夫はわたしのそんな突然の激怒に驚き、わけがわからないといったふうでした。

 羽を夫がどこからとってきたのかはわかりませんが、なるほど、その写真はよく加工できていました。よくできていただけに、羽を生やして写真の中からこちらを見ている小さな頃の息子が、何か別世界に呪縛されてしまったような忌まわしさを覚えたのでした。

 夫が息子をそんなふうに玩具にしたことが、何か許せませんでした。たぶん、単純に、妖精みたいになって可愛いだろうとでも想像し、羽を生やしてしまったのでしょうけれど……。

 その写真の中の羽を持った小さな息子は、可愛いというより、もの哀しく見えました。人間に羽は似合いませんね。どんな羽だったかは、ご想像にお任せます。

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2006年8月19日 (土)

昨日の夕飯&コットンの花、惑星について

P1030019_sh0120060818054056  短い快調のときは終わり、昨日の午前中に軽い胸痛が3回、頻尿と軽い排尿時の痛み、子宮内膜症の下腹部痛・腰痛がトリプルで戻ってきました。少し喘息も……。

 水を多めに飲んで、夕方には排尿痛がほぼ消えましたが、水を飲みながら、「ちょっと楽しい思いをしただけなのに、なぜ?」と泣きたくなり、どっと暗い気持ちになりました。

 連休のあとの登校や出勤がつらいのと同じで、快適に過ごしていただけに、たいした苦痛ではないにも拘らず、もうこんな日々は耐えられないという気持ちになりました。

 調子がいいと、一度に何でもしようとして過活動(?)となり、その結果、急に体調が暗転するのだろうと思います。経験からわかっていても、普段が婆臭く生活しているだけに、快調なときの開放感といったらなく、ついついやりすぎてしまうのです。

 でも、コットンの花が咲いたのを見て、気分が明るくなりました。写真は暈(ぼ)けてしまいましたが、可憐な花だということがおわかりいただけるでしょうか。

 また、まだ国際天文学連合(IAU)総会で新定義として提案された段階ではあるけれど、太陽系の惑星が一挙に3つ増えるかもしれないという新聞記事を読み、楽しい気分になりました。

 その3つの惑星とは、太陽から遠い順からいって、冥王星より大きい「2003UB313」、冥王星の衛星とされていた「カロン」、小惑星とされていた火星と木星との間にある「セレス」です。

 なお、冥王星とカロンは、これまでのような惑星と衛星の関係ではなくなり、2つの星が周回し合う二重惑星ということになるのだそうです。

 ここで、わたしがまたしても思い出したのが、ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』の中にある奇妙な記述です。

本当の東洋のオカルティストならば、太陽系には未発見の惑星は沢山あるが、海王星は太陽と明らかに関係があり、その影響を受けるにもかかわらず太陽系に属するものではない、と主張するであろう。東洋のオカルティストたちによると、海王星と太陽の関係はマーヤ的なもの、即ち想像上のものであるという。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子、ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン (宇宙発生論 上)』p.329註34、神智学協会ニッポン・ロッジ、1989年

 うーん、どういうことなのでしょうか。海王星は巨大なガス惑星で、太陽から非常に遠く、肉眼では決して見えない惑星として知られていますが、太陽系に属しないだなんて。冥王星には惑星ではないという議論があるようですけれど。

 彼女は1891年に亡くなっていますので、その頃はまだ冥王星は発見されていませんでした。もし彼女の存命中に冥王星が発見されていたとしたら、それについてはどういったでしょうか。

 それにしても、海王星に関する彼女のこの言葉は、古代の東洋の聖典につけられた注釈のごく小さな一部分なのです。難解な著書で、わたしなどには何のことだか大半がわからないことだらけなのですが、この著書の傾向から見て、海王星に関する記述は、惑星の物質的な側面にとどまらない、霊的本質にまで踏み込んだものであるに違いありません。

 単純に嘘だぁといえないのは、こうした書きかたがされているからなのです。

 いずれにしても、星々に想いを馳せていると、いつしか体の不調なんて忘れてしまいます☆☆☆

 が、ここで生活に戻ります。昨日の夕飯のメニューは、牛肉とピーマンの炒め物、小松菜とじゃこのつくだ煮風、卵豆腐の吸い物、もずくでした。

 炒め物は、フライパンに胡麻油を入れ、ニンニクと葱で香りを出し、そこへ醤油と酒で下味をつけた牛肉に片栗粉をまぶして入れ、炒め、牛肉に火が通ったらピーマンも入れて炒め、醤油、塩、砂糖、酒で味つけします。

 元気を出すために、ニンニクをいつもよりたっぷり使いました。本当はコーン入りの中華風スープを作りたかったのですが、冷蔵庫に卵豆腐が1個とエリンギが少しだけ残っていたので、使い切るために、吸い物にしました。つくだ煮風には胡麻がかかっています。

 ※1930年にクライド・トンボーによって発見され、太陽系第9惑星とされていた冥王星。2006年14日から25日までチェコのプラハで開かれていた国際天文学連合の総会で「惑星の定義」が採択され、冥王星は準惑星に分類された。

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2006年8月18日 (金)

昨日の夕飯はカフェで&コットンと『風と共に去りぬ』

2006081719405920060818013333_1  昨日の夕飯は、娘とカフェで、とびっこあっさりカルボナーラ、玄米パン、カフェオレで済ませました。夫には、ウナギのお店で、ウナギ弁当を作って貰いました。

 台風が来るということで、普段はベランダですくすく育っているコットンを室内に入れました。一昨日は花が咲いていたのですが、今は萎れています。

 花が落ちたあとの実がふくらんで、中から白い綿がぽこんと飛び出すそうで、それを楽しみにしているところです。

 コットンといえば、映画『風と共に去りぬ』の中で、南北戦争後の荒廃したタラの大地を耕して作った綿花畑の中で、きつい監督者のまなざしをしたスカーレットが妹たちを叱咤しながら、手籠に綿を次々に摘み取っていく場面が思い出されます。

 スカーレット役のヴィヴィアン・リーと、『風と共に去りぬ』の原作者マーガレット・ミッチェルは、同じ蠍座です。どちらも魅力的で、また神経過敏であったようです。ヴィヴィアンの場合は、躁鬱病に悩まされました。

 レッド・バトラーのモデルは、レッド・アップショーといういかつい顔をした、無法者、風来坊の雰囲気を持つミッチェルの初婚の男性だったといわれています。ジョン・マーシュという献身的な編集者と結婚した後も、アップショーに対するミッチェルの思いには、複雑なものがあったようです。

 彼をモデルにしたということでゆすられるのではないかとか、暴力的行為に出られるのではないかという怯えにもつき纏われたようでした。そのアップショーは晩年弱って、ホテルの5階から落ちて死にます。事故死とも自殺とも定かでない死。

 新聞の切抜きでその事実を知ったミッチェルは、「なんて恐ろしい死にざまだろう」と静かにいい、その日は一歩も部屋から出なかったと伝記には書かれています。

 ミッチェルは自動車事故で死ぬのですが、死の数年前に友人に宛てた手紙の中で、「わたしは自動車事故で死ぬのではないかと思います。絶対にそう思えてならないのです」と書いています。

 ところで、映画『風と共に去りぬ』の配役で、わたしがミスキャストだと思うのは、メラニー役のオリヴィア・デ・ハヴィランドです。スカーレットとは対照的であるべき、日本流にいえば大和撫子的女性を演ずるには不向きな感じがするのです。品性がもう一つという気がして、スカーレットとのコントラストに今一つ欠けるというか――

 最初は、オリヴィアの妹、ジョーン・フォンテインに話が行ったということですが、誇り高いジョーンは主役でないということで、それを断ったのでした。オリヴィアとジョーン姉妹の仲はよくなかったようです。

 おそらく心(しん)は相当に強い女性なのでしょうが、ジョーンが「レベッカ」で見せた、純情で、しとやかで、穏やかな理智性の漂う、馨しい美しさがわたしには忘れられません。もしジョーンのメラニー役で映画化されていたなら、趣の異なる大輪の花が2輪咲き並んだような豪華さがあっただろうに……と残念です。

 ヴィヴィアン演ずる青春期のスカーレットの一途さ、子供っぽさも、不必要に空回りせずに済み、女優として人間としてのヴィヴィアンの内面性はもっと多彩に引き出され、ジョーン演ずるメラニーの聖母的な柔和さとの対照から、ヴィヴィアン演ずる成熟したスカーレットの凄艶なまでの気品も一段と際立ったのではないだろうか、と想像されるのです。

 ヴィヴィアン・リーと並び立つには、姉のオリビアはいささか役不足だとわたしには思えます。

 そして、あれほどの女優であったヴィヴィアン・リーが、一番なりたかったシェイクスピア舞台女優としてはコンプレックスを持ち続けたというのも、何か贅沢な話であるような、人生の皮肉と芸術の厳しさを見せつけられるような感慨に囚われます。

 記事を書いているあいだに、風雨が強まってきました。あなた様がお住まいの地域は如何ですか。台風被害に遭ってから、わたしは台風恐怖症気味です。

 この記事を書くにあたり、アン・エドワーズ『タラへの道 マーガレット・ミッチェルの生涯』(大久保康雄訳、文藝春秋)、アン・エドワーズ『ヴィヴィアン・リー』(清水俊二訳、文藝春秋)、『週刊20世紀シネマ館 №29』(講談社)を参考としました。

 ※コットン関連記事(カテゴリーにも「コットン」の項目があります)。
 ●8月19日付
昨日の夕飯&コットンの花、惑星について 
 ●9月5日付
危うしコットン&下手な詩 
 
9月6日付うちのコットンはもやしっ子だそうです

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2006年8月17日 (木)

自作詩「月とたましい」&児童文学作品を通して見る母親の幸不幸

        月とたましい

――完全なる相違のたましいと
     わたしは寝ている。

わたしの、発作のように狂気のように、母に甘えたくなった末の話で、窪みのない平板な夜に、わたしの胸の蟇蛙(ひきがえる)達もさざめかない静けさのなかで、ひときわ濃く淡く、
母のかおり、それがわたしにもたらす絶望の、何というあかるさであろう。
わたしに加担するような絶望の類(たぐい)も赤い荷車で、おとなしやかに去っていく。
母は一個のたましいではない、母は月なのだ。
母のかおりの、驟雨のような母に濡れながら地獄はあかるいところなのだろう、
と思う。

               

『月とたましい』について。及び、児童文学作品を通して見る母親の幸不幸。

 『月とたましい』は、大学時代につくった詩です。母とのあいだに葛藤があったことを忘れていたわけではありませんが、これほどだったのか、と他人事のように驚かされます。

  宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のなかに、「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸(さいわい)なんだろう」という言葉が出てきますが、子供というものは両親が――ことに母親が――幸福でないと、ひじょうに苦しむものです。

 当時、わたしは何度となく、この言葉を読み返した覚えがあります。児童文学作品には、よく病気で……そればかりではない他の要因で不幸なおかあさんとけなげな子供が出てきて、胸が突かれるような物語を繰り広げてくれます。

 エーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』『わたしが子供だったころ』がそうですし、アンデルセンの『あの女はろくでなし』もそうです。

 一見奇怪なわが子虐めの物語の体裁をとる『にんじん』も、わたしには同類の物語であるように思えます。ここに出てくる母親は、明らかに心を病んでいて、その原因なのか結果なのか、父親との関係が奇妙です。

 にんじんは屈折した思いから残酷なことをしでかしたりもしますが、賢い子で、両親の関係がどんなものかを見抜いているのです。「お母さんには、こうなったからいうけど、ぼくをひっぱたく以外に、楽しいことがないんだ」と彼は父親にいいます。

 そして、物語の終結部で、こんな息も詰まるような、にんじんと父親の会話が出てきます。「ぼくには母親が1人いる。その母親は、ぼくを愛してくれないし、ぼくのほうも、彼女を愛していない」とにんじんがいったのに対し、父親はこう返すのです。「それじゃ、わしが、そいつを愛していると思っているのか?」

 にんじんは、自分以外にも母親を愛せない人間がいたことを知り、歓喜します。まことに屈折した歓喜です。母親が自分を愛してくれず、その結果として母親を愛せなくなったにんじんが生き延びるためには、母親を否定するしかなかったのでしょう。

 にんじんと父親とのあいだにはこのような葛藤がなく、この息子と父親とのあいだには、他人同士であるかのような距離感があります。にんじんは父親に関しては、諦念を抱いているようなところがあって、にんじんの父親観は彼のつぎの言葉から汲みとれます。

「お父さんはいばり散らし、だれからも恐れられている。お母さんだって恐れているぜ。お母さんは、お父さんの幸福に対しては、なに一つ手の下しようがないのさ」

 にんじんは両親の結婚生活が父親の独りよがりなものであるにすぎず、母親は妻として容れられていないことを洞察しており、母親の女としての悲哀を子供ながらに感じ、心を痛めてきたのでしょう。

 にんじんはこの異常な家族から自立して去ろうとしていますが、母親が望みさえすれば、父親を規範とした家庭生活の地獄から手に手をとって一緒に抜け出そうとしたに違いありません。

 ルナールの母親は、井戸に落ちて亡くなっていますが、自殺の疑いがあるということです。ケストナーは、母親の不倫によって誕生した子供だともいわれています。

 青春期にあったわたしが母親に感じた不幸にも、彼女が病気だったということ以上に、結婚生活の不調和という要因があったと思っています。船員だった父が定年になって陸にあがってくることをひどく恐れ、嫌がっていましたから。父はこのことを知らなかったかもしれません。

 熟年離婚ということが流行っている世相からすれば、こんなことはありふれたことだともいえましょう。

 そして、今度は自分が母親という立場になり、自分の母親と同じように病気になり、夫とのあいだにも紆余曲折経て見ると、感性の鋭すぎる子供の存在が、母親の不幸を一層際立たせて見せ、惨めにすることもあるのではないかという考えが芽生えてきました。

 子供の感じやすさが母親のデリカシーを強め、幸福への欲求度を吊り上げることもあるのではないでしょうか。わたしのような感性の鋭い子供を持ったことこそが、実は母の最たる不幸だったのかもしれないと、そんなことを考えるこのごろです。 

  ジュール・ルナール『にんじん』からの抜粋、引用は、角川文庫版・窪田般彌訳によります。

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2006年8月15日 (火)

秋に寄せて

 まだまだ暑いにも拘らず、昨日の夕方買い物に出たとき、ふと秋の気配を感じた。

 ときめきにも胸騒ぎにも似た動揺――。どうして、そんな気がするのだろう、こんなに暑いのに……と思いながら、周囲を見渡した。

 風を受けて、微かにそよぐ街路樹の葉の色合いが、ごくわずかに薄く見える。その葉の動き具合が何とはなしに、しとやかに感じられる。夕方の日差しにほのかに加わった柔らか味。街行く人々の装いが、それほどあらわでなくなり、色合いもクリーム色、茶色、シックな青色なんかが目につく。

 いつもの街中がふいにさっきまでとは違って見える。何か別の吐息がかかったかのようだ。こんな風にある瞬間、突然の出来事のように新しい季節の訪れを感じることがあり、季節には、その季節の女神がいるのではないか、などと思ってしまう。

 今年の夏の女神はまるで霍乱を起こしたように、変調続きだった。いつもの夏らしさが感じられず、起承転結がでんぐり返ったような調子はずれの感じで、変に暑かったというだけで、夏をすごしたという満足感に乏しい。

 秋の秀句は多い。秋が秋らしくなければ、そんな秀句も紹介しづらい。

 熱中して下手な俳句をつくっていた数年間があったが、異常気象といわれる年であっても、その季節が次第に深まり衰えていくまでの過程を節目節目で絶妙に捉えた季語というものは必ず存在し、その季語を踏み外すことなく、季節は進行していった。

 が、今年の夏は違った。間違いなく異常気象だったと思う。季語がうまく当てはまらない。すこやかに季節が進行していくときには、無理に季語を当てはめようとする必要などなく、そのときを的確に表現した季語が自然に目に飛び込んでくるものなのだ。

 地球の温暖化がいわれているけれど、それでなくとも、地球は新陳代謝を繰り返してきた歴史を持つ。

 地球といえば、ブラブァツキーは、地球は月の子供だという。月は、老いぼれた老婆となっても子供を心配して、地球のまわりをぐるぐるまわっているのだと。勿論これは比喩的な表現で、地球と月の関係に関する興味深くも難解な説明を彼女は加えている。

 季節の半ばに一顆の妙なる宝石のように、名月の時を秘めた秋という季節。この秋がすこやかであることを願う。  

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2006年8月14日 (月)

わたしの病気

 アクセス解析を通し、カテゴリーの「病気」を閲覧なさるかたがとても多いことがわかりました。

 ですがこの際、中途半端に用いていたカテゴリーの「病気」を削除し、病気の絡む記事は「心と体」に一括することにしました。また当記事で、治療を受けている病気、受けていない病気を明記することにしました。

 現在治療を受けているのは、心臓疾患(不整脈・狭心症)と喘息です。過去に治療を受けたことがあり、完治しているとも思えないけれど、医療の手助けなしにやっていけるという自己判断から放置している病気として、膀胱神経症とメニエール病があります。子宮内膜症も完治していませんが、閉経も近いことだろうし……ほったらかしています。そういえば、このところ五十肩の治療も受けています。膀胱炎にもちょくちょくなり、治療を受けます。

 わたしは医療に関する専門知識を持ちませんし、民間療法に関しても一般の域を出ない曖昧な知識があるだけです。

 ブログでたびたび病気に触れるのは、単なる愚痴である場合もありますし、神秘主義者、あるいは作家の卵としての観察癖からである場合もあります。

 病気を抱えているということは、大小の冒険を日々繰り返しているようなものです。

 暗黒の谷間に放り出されたり、炎天下の白い道をどこまでも歩いていかなければならなかったり、ようやくオアシスに辿り着けることもあれば、穏やかな春の光景を楽しめることもあり、女神様を見た気がしてみたり……もちろん、健康なのが一番!

  ここでメッセージですが、アクセス解析によると、わたしのブログに心臓に不安をお持ちの方々がたびたびお見えのようです。『日本心臓財団』というありがたいホームページがあるので、閲覧をおすすめします。その中の心臓病に関する質問と回答集(検索)(セカンドオピニオン集)には様々な症例が集められていて、参考になること請け合いです。

 また、全国の漢方のお医者さんを探せる『漢方ビュー』も、漢方に関する充実したサイトです。

 落ち着いて、辛抱強く、頭を働かせて、病気と取り組みたいですね。自分が自分の名ドクターになれるように、注意深く、果敢でありたいものです。 

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2006年8月12日 (土)

伊万里のお土産

P1020016P1020011  伊萬里焼饅頭。

 『エトワール・ホリエ』の焼き菓子です。

 割ったら、中はこんな感じ。しっとりした味わいの黄身餡が入っています。頭のひび割れのところが美味しい。

 このお饅頭は、ネット通販されています。

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 秘窯の里で購入した焼物。

 色合いが、何ともいえません。

 茹で卵がすっぽり入るくらいの大きさです。 

     ※写真提供、娘。

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死者の行動について、ちょっとだけ

 お盆ということで、帰省しているかたも多いのではないだろうか。お盆は、死者たちを話題にするにはふさわしい。とはいえ、お盆に、死者たちはどうするのか、どんな行動をとるのかを、わたしは知らない。

 わたしが知っているのは、死んだあと初七日までのあいだに、どんな行動をとった死者がいたかということだけだ。

 それが死者の一般的な行動の特徴にあたるのか、死者全てにおけるものなのか、そうではなくて特異なものだったのかは、わたしにはわからない。参考となりそうな事例は全部で5例ほどあるが、サンプルにできるだけの、死者のオーラを目撃したことから自分なりに確証をつかんだといえる例といえば、たったの2例に限られるのだ。

 神秘主義は明らかにこのことについて熟知している癖に、紗をかけたような物言いをするので、どうにも曖昧なのだ。生きている人間には、そんな知識はあまりもたらさないほうがいいだけの何らかの理由があってのことに違いないけれど……。

 だから、わたしがどんなことをいおうが、他人は妄言として片付けることができるのだし、誤診を犯しやすいわたしにしてみれば、むしろそのほうが都合がよい。

 ブログの右サイドバーで予告したエッセー「わが家を訪れた2人の死者たち」を書き上げるだけの踏ん切りがまだつかないのだが、せっかくのお盆。死者についてちょっとだけ語ってみたい。

 リルケの『或る女友達のために』(※『鎮魂歌』所収)という詩は神秘的な作品で、彼はその中で死者(産褥熱で死んだ女友達)の訪れに対する彼自身の戸惑いをあらわに表現している。

私はあなたがもっと進んでいると思っていたどんなほかの女のひとよりももっと多くのものを変容したそのあなたが迷って帰ってきたのにわたしはとまどいを感じる(『新潮世界文学32』より抜粋、引用。富士川英郎訳)

 リルケが、それと感じただけなのか、幽霊を見たのか、あるいはオーラを見たのかはわからないが、女友達が死んだあとで彼の家を訪問したのを彼は知り、その女友達が、日本流にいえば、成仏できずにさ迷っているのだと思い、ショックを受けたのだろう。

 わたしはサンプルのうちの初めの事例のとき、死者が迷って帰ってきたのだとは思わなかったけれど、葬式に出席したあと(厳密にはお寺に急いでいたときから)、ときどき死者の存在を感じ、死者の思いが伝わってくる感じを味わうたび、ブラヴァツキーの『神智学の鍵』を思い出した。

 そこには、死んだ人の霊が生きている人と交流できる例外的な場合は死後、2、3日の間とあった。したがって、その間を過ぎてもまだ死者の存在を感じたりするのは妄想だと考えた。

 死者が身近にいるように感じられるのは、妄想なのだ。そもそも、いっさいが妄想だったのだ。そう考えて気を抜き、わたしは人様には見せられないだらしない日々を過ごしていた(悲しみのあまり、食っちゃ寝を繰り返していた)。

 そうしたところ、ある瞬間、死者の呆れた感じが伝わってき、次いで苛立ちが伝わってきた。それと相反する母性的な感じも伝わってきた。そうこうした感じを、わたしは蝿でも追い払うように打ち消そうとした。

 ところが、ついに死者の、生前と変わらぬ美麗なオーラまで目撃するに及んで、これは自分の妄想で片付けられることではないと実感したのだった。ちょくちょく感じてきた死者の気配を感じなくなったのは、死後1週間近くも経過してからだった。

 その年の暮れ、ブラヴァツキーの著書にたびたび出てくる、ピュタゴラス派の思想が流れ込んでいるとされるカバラにいくらかでも近づきになりたくて、箱崎惣一著『カバラとユダヤ神秘思想の系譜』(青土社)を読んでいた。

 そのなかで『ゾハル』の説話が紹介されていて、こんな一文があった

(死後)7日間のあいだ霊魂は彼の家と墓地の間を行き来している。〔略〕7日をすぎて死体が腐敗し始めると、霊魂は(指定された)場所へ赴くという。 

 これを読んだ時点では、カバラの説をとるべきか、ブラヴァツキーの説をとるべきか、どちらもとるべきではないのか、わからなかったが、上記のサンプルとなった事例を体験した結果、この点に関してはわたしはカバラの説をとることにしたのだった。

 ブラヴァツキーのいうことが信用できないということでは、決してない。ただ彼女は、一般公開するには早いと思われる事柄については、アレンジを加えたり、ぼかしたりした形跡があるので、信仰書的に一言一句を信じるということはわたしはしていない(たとえば、人間の7本質に関することがそうだ。オーリック・エッグについては、神智学協会内部に形成された秘教部門にだけ伝えられた事柄だった。現在では一般公開されている)。

 いずれにせよ、初七日の供養というのは、死者にとっても生者にとっても意味のあることに違いないとわたしは思う。

 もし、わたしたちが死んだとして、あの世に赴くまでのある限られた時間を、透明人間として過ごすのだとしたら、どうだろうか。楽しいような気もするが、生きている人々のあらわな姿を目撃して失望したり、彼らに働きかけようとしてできずに落胆するかもしれない。

 煩悩を断て、という仏教の教えは、死の裏舞台を知る人々の老婆心から出たものであるようにさえ思えてくる。

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2006年8月11日 (金)

8月11日のひとりごと

 旅行疲れで、家事がつらい。が、秘窯の里に行った興奮は残っている。

 耽美的とすらいっていい、秘窯で製作された献上用の「鍋島」。管理されシステム化された中であれだけのものがつくられたということは、管理しシステム化する側によほどの焼物の鑑賞力、美意識、思想があったはずだ。

 漠然と思ってみただけでも、ひもとかねばならない本は多い。ぼちぼちいこう。小説にするには、何年かかかるだろうから。とりあえず、体力の回復。それにしても、暑いこと!

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2006年8月10日 (木)

鍋島藩秘窯の里にて

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 鍋島藩秘窯の里、伊万里市大川内町大川内山にて。写真提供、娘。各写真をクリックして、ご覧ください。

 特異な山容が、おわかりいただけるでしょうか。
 右の写真は、復元された関所です。藩窯時代の196年間、秘法を漏らさないために、ここで出入りのチェックが厳しく行われたといいます。

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 鍋島藩窯橋の上の色鍋島の壷。

 欄干には、陶板があしらわれています。

 まことに贅沢な、焼物尽くしの橋です。

 

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P1020003_1  陶工橋を渡ったところにある、めおとしの塔。風を受けて、澄んだ音を鳴り響かせています。

 右の写真は、陶石を砕いていた唐臼が復元されたものです。

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8日10日のひとりごと

 まだ伊万里行きの名残があり、何となく夢心地。充実感たっぷりのいい旅だった。

 大川内山は、本当によかった。よかったからこそ、秘窯で製作された「鍋島」の不思議に一層囚われる。こまかな疑問が次々にわいてくる。

 ところで、鍋島藩の有能な役人であった山本神右衛門は、有田皿山(窯場)の代官として重要な人物であるようだ。彼は、『葉隠』の著者の父であるという。

 焼物のことで頭の中がいっぱいで、とてもK文学賞には応募できそうにない。焼物のことを考えていると、賞なんか、どうだってよくなる。

 また、すぐに伊万里に行きたいが、今度はいつ行けることか。交通の便が悪いので、旅費に案外かかるのだ。

 車を使えばいいに違いないが、ペーパードライバーのわたしは、車で行こうと思えば、夫に尻尾を振るしかない。

 が、夫と一緒では、思うところを思うままに観てまわるのは、難しい。焼物より、夫のことで頭の中がいっぱいになりそうだ。

 大川内山で、茹で卵を置くのにいいくらいの小皿2つを買った。綺麗な青色と空色のを。朝からぼーっとして、見とれている。

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2006年8月 9日 (水)

もう、歩けない・・・

有田の丘の上にいます。ここは「佐賀県立九州陶器文化館」です。

陶器に関心のおありのかたには、訪れて損はない場所だと思います。

でも、ここにも展示されている大川内山で製作された「鍋島」を観ると、その前を動きたくなくなります。

「鍋島」のすばらしさは比類がない、他の焼物とは別物だと思われてなりません。

昨日行った秘窯の里を思い出します。

でも、あそこに行くにはわたしには気構えがいるのです。今日はとてもだめ。

伊万里の秘窯の里を再訪問するどころか、くたびれてこの丘から下りられません。

助けて。。。

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うちの朝食の何日分?

うちの朝食の何日分?

朝からこんなで、とても食べきれません。うちの夕食より豪華。

昨晩は夜食のお握りまでついていました。

何より嬉野茶が美味しい。ロビーで自由に飲める冷茶は絶品。

サービスこまやか、おかみさん綺麗、嬉野温泉「元湯白珪」おススメです。

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宿から

鍋島藩秘窯の里、佐賀県伊万里市大川内町大川内山へ行ってきました。

観光名所として整備されてはいますが、岩肌を一部晒して迫りくるごてごてした山々、白色の大きな石が無造作に転がる川、飛び交う図体の大きなトンボ・・・秘窯の面影は残っていました。

胸を衝かれたのが、朝鮮から連れて来られ、この地で果てた陶工たちの供養塔です。

これほど異様な景観の供養塔を見ることはもうあるまいと思うほど、生々しい寄せ集めかたをされた880柱の墓。

それらはピラミッド状に隙間もない積み上げられかたをしているのです。

彼らの手で焼かれた完成度の高い、沈思しているかのような、美しい焼物とのあまりの違いに、目を奪われます。

暑さと緊張感とでバテ、頻脈となり、風邪気味ですが、嬉野温泉でだいぶ癒えました。

この宿には貸切風呂があり、泊まり客は一定時間、好きなタイプの風呂を選んで借り切ることができます。

露天風呂も五右衛門風呂も檜風呂も塞がっていましたが、有田焼の風呂は空いていて、何だか焼物尽くしの旅でした。

疲れました。明日も伊万里に行く予定でしたが、繰り上げ、ここから近い有田に少し寄って帰ろうと思います。

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2006年8月 7日 (月)

アクセス解析で思うこと

 1泊2日の伊万里行きの準備で、まわるところをチェックしたりしながらも、ついアクセス解析が気にかかり、管理画面を開いてしまう。

 というのも、わたしは(ブログを)愛されたいと願って、この「マダムNの覚書」を立ち上げたのだが、嬉しいことに、常連と思われる方々が足しげくご訪問くださっているらしいことがアクセス解析を通してわかった。

 コメントしてくださる方が少ないので、常連があるのかどうか、アクセス解析を利用するようになるまではわからなかったのだ。

 意外だったのは、検索サイトを通してお見えになる方が非常に多いことで、それも、こちらが困惑してしまうほど、深刻なキーワードを打ち込んだ結果として迷い込む方々が沢山いらっしゃることには驚かされるばかりだ。

 医療関係は断トツで多い。トイレが近くてお困りの方をはじめ、神経症、あるいは精神病でお悩みの方。精神安定剤、眠剤の中毒症状は今や社会問題なのではないだろうか、と思われるほどだ。

 喘息にステロイドを使いたくないとお思いの方。症状を緩和させるためにハーブを使ってみたいと、わたしが考えたのと同じことをお考えの方がお見えになるが、わたしが書いたことはあくまで素人感覚からのことだとご理解いただきたい。

 心臓に不安をお持ちの方も多い。子宮の病気。これは母のことを書いたからだろうが、慢性腎炎、人工透析。村上春樹の「ノルウェイの森」に登場する直子のことを書いたからか、不感症、膣障害でお悩みの方がお見えになる。病気の妻との性交に迷いがおありの方もお見えになる。
心臓に不安をお持ちの方々にわたしからのメッセージですが、『日本心臓財団』というありがたいホームページがあるので、閲覧をおすすめします。その中の心臓病に関する質問と回答集(検索)(セカンドオピニオン集)には様々な症例が集められていて、参考になること請け合いです。
 落ち着いて、辛抱強く、頭を働かせて、病気と取り組みたいですね。自分が自分の名ドクターになれるように、注意深く、果敢でありたいものです。 

 思春期のお子さんに手を焼いている方々も、お見えになる。

 ハムスターが鳴くかどうかについて知りたいとお思いの方々も、ちょくちょくお見えになる。
動物病院のお医者さまのサイトによれば、ハムスターは超音波の声を出し、人間の耳に聴こえる声では普通は鳴かないとのことです。鳴いた場合は、人間でいえば、悲鳴をあげたのと同じことになるそうです。うちで飼ったハムスターの多くは、ペットショップから家に連れ帰ったときだけ鳴きました(1度も鳴かなかったのもいました)。ハムスターにとっては、得体の知れない不安な旅路で、強制収容所にでも連れて行かれるような恐怖を覚えたのでしょうね。

 他に、ピアノの奏法、バレエ、美術、文化人類学関係の専門知識を求めてお見えの方々。すみません、お役に立てません……。俳句のことでも、頻繁にお見えになる。下手な素人俳句を目にし、呆れられたことでしょう。それから詩。宗教関係も多い。神秘主義、神智学関係は案外少ない。元々がマイナーな分野だからだろうか。

 文学関係はやはり多く、純文学をはじめ、児童文学、文学賞、同人誌。それからブログ名が誤解させるのか、官能小説を期待してお見えになる方が多くて困ってしまう。バルザック、谷間の百合で検索してお見えになる方が、ほぼ毎日あるのは、バルザック・ファンとしては嬉しい。

 シモーヌ・ヴェイユ、デュラス、カリール・ジブラン、杉田久女は隠れた人気を誇っているようで、ちょくちょくお見えになる。

 村上春樹でお見えになる方が毎日結構ある。わたしの放言に中にはお怒りの方もいらしたようで、「調子に乗るな、死ね!」などというコメントが届いたこともあったが、一方では、長く滞在して丁寧に読んでくださる方々もおいでのようだ。

 マリア・テレジアに関心をお持ちの方も多い。ヒトラーに関してもほぼ毎日。卑弥呼関係は当然ながら多い。

 検索サイトに、いつのまにかふんだんに種をばら撒いてしまったらしい。書くことには責任を持たなければならないと実感させられたが、萎縮してしまっても、せっかく開設したブログの意味がない。バランスが大事なのだろう。作家の卵としては、勉強になることばかりだ。では、伊万里に行ってきます。 

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しっとりした情感を描いてみたい&昨日の夕飯

  早くも習慣になってしまったようで、ついご報告したくなります。昨日の夕飯は、チャーハンでした。それに、きゅうり・かまぼこ・大根の酢の物、しらたき・油揚げ・小葱の味噌汁でした。

 買い物を頼んでいた娘が明日からの4連休に備えて残業となり、買い物が無理となったので、冷蔵庫に半端に残っている野菜を使ってチャーハンを作ることしたのです。

 幸いベーコンがありました。キャベツは沢山、サラダにするには量に乏しいレタス、マッシュルーム、絹さや、頼みのベーコンが材料です。塩だけで味つけしました。夫は外食のチャーハンは脂っこいといって嫌うのですが、このあっさり塩味のチャーハンは「美味しい、美味しい」といって、どっさり食べます。

 夫はかなり痩せているのですが、小食ではありません。年とってきて、馬鹿食いはあまりしなくなりましたけれど。痩せてはいても、学生時代から体重も体形もそのままなので、まあ代謝は安定しているということなのでしょう。

 でも、痩せている原因の一つはたぶん、煙草です。少しのあいだでしたが、禁煙したら、とたんにふっくらとなってきましたから。でも続きませんでした。健康のためにも、やめてほしいのですけれどね。

 わたしのおなかはぽっこり出ていて、娘が洋梨とかキューピーとかいって、からかいます。いわゆる中年太りです。上着など使って、おなかを隠すのが大変。同人誌の主幹は情念を描くように助言してくださいますが、こんなおなかで、そんな想像力がわくと思いますか?

 でも、昔のロードショーなど観ていると、案外名優と呼ばれたような女優さんは中年ですよね。女優さんだから、プロポーションは普通の女性に比べたらいいに決まっていますが、それでも、じっーと見ていると、案外腰のあたりは豊満、腹部あたりはふっくらだったりします。

 昔の映画に露骨なシーンが少ないのは、若いスリムな女優さんではなく、成熟した大人のムードを出そうとして中年の域にいる女優さんを使っているために、露骨にしたくてもできない事情があったのかもしれません。

 わたしも、あまりベッドシーンは書きたくありませんが、しっとりとした情感は描いてみたいと思っています。

 この国には今、大人のためのしっかりとした文学作品が少ない気がします。昔の作家のものやエンター系のものはあっても、シックな香りのする重厚なタイプの文学作品というと、あまりに乏しい……。中高年人口は膨らむ一方なのだから、純文学界も、若い作家や若向きの小説ばかりに花をもたせるのは、賢くない気がしますけれど。

 さて、つべこべいってないで、伊万里へ、鍋島藩秘窯の里へ出かけるとしましょう。そこで書きたいと思うだけの刺激が得られるかどうか……何だか怖い。

 連載小説の更新はできないこともないのですが、この先の原稿にちょっとひっかかるところがあって、伊万里から帰ったあとで、ゆっくり再考してみたいのです。ですから、「あけぼの――邪馬台国物語」の更新は、早くとも、10日以降ということになります。ご了承くださいませ。

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2006年8月 6日 (日)

自己流の危険な断食の思い出

 病気のために、外食や弁当に頼ることもしばしばですが、食事というものの重要さは、わたしなりにわかっているつもりです。というのも、大学生だったときに、自己流の断食を試みたことがあるからで、その体験を通して身に沁みてわかったことがあったのでした。

 ただ、自己流の断食については、それがどんなに危険で愚かしい試みであったかは、その後神智学と出合って知ったことでした。今であれば、まあ常識でわかるはずのことですけれど。

 文芸部の仲間も、寮の友人も、半ば面白がって、声援を送ってきました。まる4日しか続きませんでしたが、水もほとんどとらず、いきなり食を断った……そのことの危険さは、わたしもまわりの若い人間も知りませんでした。

 わたしは若さに任せて、よく物語の中で聖者がするような断食というものを、やってみたくなったというわけでした。

 その断食の記録は大事にとっていたはずですが、長いあいだにどこかへ行ってしまいました。覚えているのは、たった4日の断食でおなかがぺったんこになったということ、水もほとんど飲まないようにしたせいか、無茶な断食が吐き気との闘いであったということです。仕方なく、とまらない吐き気をとめるときだけ水を飲むようにしました。

 異様に軽く感じられる体で、授業にはしっかり出ました。普段は平気でさぼったりした癖に、なぜ律儀に出たかというと、人間から食べるという習慣を取り除くと、時間がたとえようもなくゆるやかに流れ出すようになり、めりはりがなくなって、広大な沙漠を歩いているような不安に駆られるのです。授業にでも出なければ、やりきれませんでした。

 たったの4日間がひと月にも感じられました。断食をして一番つらかったのが、この時間の感覚の変化でした。時間というものは、意識のありようによって、いくらでも伸び縮みして感じられるものなのですね。食事というものが、ともかく人間の生活にリズムを与えることは確かです。

 体の中に食べ物を入れなくなると、自分が空気を吸い吐いて生きている、つまり空気を食べ排泄しているということがクローズアップされてきました。普段宇宙などというものは意識の外にあったけれど、自分は宇宙の一部を食べ排泄している宇宙の子供なのだと感じました。

  そこから発展した感じかたとして、飛躍した表現になりますが、この世に自分と無関係なことなど何もなく、全てが連帯責任関係にあるのだとしみじみ感じられました。3日目があるポイント地点だったのか、自分がきらめきわたる宇宙の只中を漂っているような高揚する感覚が訪れました。

 が、一転して、沙漠を歩いているような、そこで野垂れ死にしてしまうような、とてつもない空虚感と疲労感に襲われたりしました。そのうち、死臭かと思うような嫌な臭いがどこからともなく漂ってくるような感じさえしました。さすがに自分でも危険だと感じ、断食を中止しましたが、無知な仲間や友人は「なーんだ、たった4日しか続かなかったの?」とつまらなさそうにしましたっけ。 

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2006年8月 5日 (土)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第45回

 それから、琴の稽古。そして、わたしにとっては一からの歌舞の稽古が始まりました。他に、月読みや仙薬に関する授業もありましたから、わたしの一日は大変な忙しさでしたけれども、どういうわけか、わたしの眠気はかえってとれてしまったのでした。

 望みに叶った意味のある暮らしをしているという思いが、わたしにとりついていた睡魔を払ったとも思えますが、あるいは、ここでの滋養に富んだ食事、山の幸、海の幸のおかげでもあったことでしょう。

 食事といえば、女王は、祭事の期間は少しのお神酒(みき)を口になさるだけで絶食なさいますが、普段は少量ながら、けものでも魚でも食され、食事の回数は常人とは異なる、日に1度のことでした。

 女王は、内輪のくつろいだ席では、かなりの量の美酒をきこし召すこともおありになるようで、このことはわたしには意外でした。

 後に、女王のお側近く出入りする身分となってからの話ですが、わたしは女王がきこし召したあまり、嘔吐なさる姿を眼にし、仰天したことがあります。

 お背をさするわたしに、荘厳なまでに美しい銀髪の頭の下から、「これしか、楽しみがなくって……」などと、はにかんだような弱々しい声でおっしゃるのでした。

 そういう次第で、側近のあいだでは「女王は酒豪である」というのが定説となっていましたが、こうしたことは一般の官女の知らない話でした。〔

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4日に循環器クリニック受診(「それは狭心症の典型的な症状だよ」)。お祭り。

 昨日は、七夕祭りを見物していて、連載小説『あけぼの――邪馬台国物語』の更新が間に合いませんでした。

 デパートに買い物に行き、すぐに帰るつもりだったのですが、お祭りに訪れた人々でデパート前はごった返しており、お祭り好きのわたしはつい長居してしまいました。お祭りの進行がゆっくりだったためか、倒れた男性がいました。

 わたしも狭心症の小発作が起きたので、帰ろうかとも思いましたが、お祭りは見たい! 昨年は見損なって、この街の七夕祭りがどんなものか、知らないでいたのです。もう1度発作が起きたら帰ることに決めたとき、街路樹の下にいたわたしの背中に小鳥の糞が落ちてきました。

 やがて、オープンカーに乗ったキャンペーンガールたちが登場し、また鎧兜姿で馬に乗った若者たちも登場して、いよいよ「セイヤ!」という掛け声と共に踊り子の子供たちが登場。勤め帰りの娘が合流して一緒に見ていましたが、人混みが嫌いな彼女は先に帰ってしまいました。

 可愛らしい法被姿です。うちの子供たちも昔、神輿を担ぎ、法被を着ましたが、それを思い出しながら見物しました。この七夕祭りは商工会議所青年部が主催するお祭りだそうです。企業・団体の名を記した幟と共に山車も次々に登場し、大人の踊り子たちも登場……。

 昨日は循環器科の受診日でした。お祭りも見物して、疲れ、遅くなりましたが、こんなときに作るのが手早くできる「三色御飯」です。鶏そぼろ、絹さや、卵。卵はわたしは錦糸にしたいのですが、娘がふわふわ卵の方が好きなので、そうします。サツマイモと油揚げと葱の味噌汁。デザートはイチジクでした。

 お断りですが、わたしの料理の写真では、食器の並べ方は作法とは無関係に、わたしなりに写真に撮りやすいように適当に配置したものです。携帯電話のカメラで撮るって、難しいですね。機能もあれこれついているようですが、まだ活用できていません。そのうち、ちゃんと説明書を読むつもりではいるのですが……。

 循環器科での診察のとき、先生に、近頃フラフラすることをいいました。メニエールのことを話しましたが、家で血圧を測るようにいわれました。血圧計は壊れています。この日、血圧を測って貰うまでは、自分では低いだろうと思っていたのですが、高く、自分の勘は当てにならないとわかりました。血圧計、新調しなくては。

 また、別の気になる症状のこともいいました。胸の圧迫感や痛みと関係するかのように、左耳の下から顎にかけて痛むことがよくあり、歯も痛くなったり、左腕が痺れることもあることを。「それは狭心症の症状の典型だよ」とのことです。やっぱりね。そうだろうとは思っていたのだけれど。来週の伊万里行き、何だか億劫だなあ、と思いながらデパートに行きました。

 でも、つい足が向いた食器売り場で有田焼など見ているうちに、伊万里に取材に行きたい思いが昂まりました。 

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2006年8月 4日 (金)

メイベル・コリンズが書いた神秘的な物語について&昨日の夕飯

20060803234252_2  昨日も頑張って夕飯を作りましたが、買い物のあとでダウンした1時間のために、遅い夕飯となりました。文句をいわない(いわなくさせられた?)家族に感謝。

 ご覧のようにプロポーションのいい新鮮なイサキが、「5時の市」で安くなっていたので、買い、塩焼きに。

 ブロッコリーとふんわり卵の炒め物には、セロリ入りの塩が合います。もやしと椎茸のスープには、胡麻がかかっています。

 写真にはあまり写っていませんが、蓮芋を鶏の切り身と一緒にうま煮にしてみました。

 シャキシャキした歯応えのある、特徴のないというところが特徴であるような味わいの蓮芋が、わたしは好きです。切り口には、蓮根のように穴が沢山あることから蓮芋と呼ばれるようになったらしいのですが、穴は蓮根の穴よりずっと細かく沢山で、白いスポンジみたい。そして、サトイモ科。 

 ところで、蓮根といえば、わたしは蓮の花を連想し、蓮の花といえば神秘主義では神聖さのシンボルです。メイベル・コリンズが書いた古典的な神智学の作品に、“The Idyll of the White Lotus”という独特の美しさを帯びた神秘的な物語があります。

 神智学を教えていただいた田中先生が『白蓮の田園詩』という題で訳されたのをわたしは最初に読みましたが、これはコピー本しか出ていず、その後、「書肆 風の薔薇」発行の『蓮華の書』(西川隆範)という邦訳本を書店で見つけて即座に購入しました。これも美しい訳です。

 それはエジプトの神殿を舞台とした物語で、魂の旅路を描いたといえる作品です。

 いつ頃からか、ファンタジーものが大層流行っていますが、本来神秘主義のものであるところの神聖なシンボルやイメージ、エピソードなどが玩具のように扱われ、流通する実態をわたしは痛ましいことだと感じてきました。

 それらが玩具であるなら、“The Idyll of the White Lotus”は命の糧というにふさわしい作品だとわたしは思います。

 “The Idyll of the White Lotus”の魅力についてうまく語る自信はないけれど、久しぶりにその作品に心を捉えられ、夢み心地でぼんやりしてしまい、夜更かししてしまいました。      

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2006年8月 3日 (木)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第44回

 この宮中にあって、わたしがしなければならないことは、叔母の家にいた時とほぼ同じとわかりました。まずは、機織りでした。

 月神にお仕えになる女王の下で働くわたしたちの心持ちもまた、純にゆたかにあらねばなりませんから、わたしたちは人様の衣を織る時も、自分たちの衣を織る時も、神衣を織る心ばせで織ります。

 工房に歌声を響かせながら官女たちは、上糸、下糸を上げ下げしたり、緯打具(よこうちぐ)で締めたり、できた布巻具(ちまき)に巻きとったりするのでした。その歌は、このような歌詞でした。

          月光をたぐらば
              糸となるとかや
          きよらなる きよらなる
              糸となるとかや
          きよらなる きよらなる
              ヤ、
               糸となるとかや

 織りあがった布の染めは、宮中に組織された染色のための研究班の手に委ねられました。〔

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2006年8月 2日 (水)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第43回

 ヤエミ様の御輿入れは、プライベートなこととして、女王側とトシゴリ氏側の近親者だけでささやかに執り行われるのだとか。

 お二方の新居はこのヤマトの都に用意されているということで、宮殿に里帰りなさる機会も少なくないに違いないと、官女たちは希望的観測をしていますが、これからはヤエミ様に朝夕にお目にかかるというわけにはいかなくなるお側近く仕えてきた官女たちなど、殊の外、哀しがっている様子です。

 わたしは、かけ離れた室においでになるヤエミ様をお見かけしたことは全くなく、お会いしてみたいというわたしの思いは、刻一刻、あまく、白く、輝かしい夏雲のように、もくもくとふくらむのでした。〔

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2006年8月 1日 (火)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第42回

「あのお方を知らないなんて、めずらしい。ここへ来たばかりなのですか。

 あのお方は女王様の姪にあたられ、この秋、20歳になられたばかりです。わたしども、ヤエミ姫とお呼びしておりました。

 聡明なお方でね、わたしどもの宮中の暮らしにもなくてはならないお方でしたのが、今宵の巫女職を最後として、もう20日もしないうちに、外交官のトシゴリ氏のもとへ御輿入れなさいますのよ。

 何でも、相思相愛を貫かれてのご成婚だとか……」

 わたしが話の内容を整理しているあいだに、官女たちのおしゃべりは更年期障害の話題へと移ってしまいました。

「あなたって、ナウくも、田舎じみても見える不思議な人ね。早く食事を終えてしまいなさいな。もうすぐ、あかりを消されてしまうわ。

 わたしの寝る室には5人いるのに、あなたには1人だけの室が与えられているのね。すっごい特権……。わたしの名はヨモギ。あなたは」
「マナ」

 こうして、ヤマトのクニでの2日目も暮れてゆきました。〔〕 

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