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2006年7月24日 (月)

前世のゆかり? ~合評会の土産話

 JRの特急電車の座席に腰を落ち着け、同人誌の小説中残る1編を読んでしまおうと、雑誌を開いた。車窓から外を見ると、真っ白に雲と霧と靄とがかかっていて、水かさを増して流れる川も山々も、その白色の厚みの中から時折偶然に見えるだけだ。

 外の景色には未練があったが、読み始めると、すぐに作品の世界に引き込まれていった。屏風のように連なる山が主題であるその作品は、同人誌の中で一番の出来であるだけでなく、名作だと思った。

 巧みな自然描写で著名なオーストリアの作家シュティフターの作品に匹敵するほどだとすら感じられた。最初に来る季節が違うが、ヴィヴァルディの「四季」を連想させる、「冬・春・夏・秋」にプロローグとエピローグが加えられた構成となっている。

 主人公の妻の死から始まり、主人公の山への傾倒、そして同じく、いやそれ以上にその同じ山を熱愛する仲間たちとの出会い、山の懐に抱かれた彼らの秘密結社めいた集まり、主人公をそうした仲間たちに引き合わせてくれた人物の死、死とはいえ優麗な余韻を伴ったその死……

 同人誌の発行人でもある作者の作品はこれまで何編か読んだことがあり、文章力・取材力共にプロの域であると思っていたし、事実、複数の出版社から本を出されている。が、作風が生真面目で硬い印象で、正直いって、わたしは読むと疲れた。

 だが、この作品では山の美しさに人間の心の機微が織り込まれて、リリカルな描かれかたをしている。何て陰影深い、ゆたかな筆遣いなのだろう……! 何枚もの山の絵画を観るようだ。まさに山に捧げる讃歌であり、山にこの作品を書かせて貰った作者は幸せであり、作者にこの作品を書いて貰った山は幸せだと思った。

 この作品に比べたら、優れた出来だと思った火葬場を舞台としたFさんの作品も、Kくんの作品も、自然を少しばかり書いたつもりのわたしの作品「台風」も、多かれ少なかれあざとさが抜けきれない印象を強めてくる。長く賞狙いに終始してきたツケが、つまり俗臭がこんな形で出ているのかもしれない。               

 そして、合評会に出席した一番の収穫は、さすが山あいの町に育っただけのことはあると思わせる同人達の自然観察力と理解力で、これには打たれた。自然を語らせたら、男性も女性も、響きのいい声音でいつまでも語り続ける。特に山のこと、樹木のこと、川のこと、葡萄や筍のこと、畑を荒らしにくるイノシシやシカのこと……。

 2年ぶりに、かつて住んでいた山あいの町を見たときは、さすがになつかしかった。タクシーで、同人誌の合評会場へ急いだ。

 夫が結婚披露宴に2度行ったことがあるといっていた宴会場が、合評会場だった。胸をどきどきさせながら、ドアを開けると、白い布のかけられたテーブルがコの字型に並べられ、物々しい雰囲気が漂い、緊張感をいや増す。もうおおかたが席についていた。

 が、馬鹿に人数が少ない。奥に座っている2人が、主幹と発行人であるに違いない。ん、意外に若いではないか。48歳にもなるわたしが若者扱いされるくらいだから、相当なおじいちゃんたちに違いないと想像していたわたしは拍子抜けした。

 初めの出席者は10名だった。午前中に1名、午後2名、さらに懇親会で3名加わったが、途中で帰る人もいた。1名は25歳の若者で、やはり若さが際立って感じられた。この倍は出席者があるつもりで、合評の時間がたっぷりとられていたのだった。ところが急病や急用で減り、本来出席者の作品だけ合評するところを全員の作品をすることになった。

 合評する中で、発行人が団塊の世代であり、主幹がそのいくらか上くらいの年齢だとわかった。とはいえ高齢者の割合は高く、同人誌を出すたびに死ぬ人があり、合評会にも病気、それも心筋梗塞とか手術といった重い病気で出られなくなる人があるとあって、合評会には一期一会の気が漂い、何だか壮絶だ。それを象徴するように、合評会はお亡くなりになった同人のための黙祷から始まった。

 わたしは病人だし若くもないけれど、合評会場に身を置くと、まだまだ若く健康だと感じられ、何だか元気になった。実は合評の中頃になって、疲れからだろう、軽い狭心症の発作が起き、ちょっと凍りついたようになってしまったが、医師でもある発行人の席からわたしの席は一番近いこともあり、その安心感からか、ニトロを出すまでもなく、胸の圧迫感と痛みは去った。

 発行人の作品はやはり高い評価を受けた。Kくんの作品も火葬場が舞台の作品も――残念ながらどちらも用事と病気で欠席だった――、才気や筆力を認められながらも、技巧に先走った欠点を等しく指摘された。

 わたしの作品は、テーマから外れた話題にしばしば熱中し、喜々として脱線してしまう欠点を指摘された。会話の妙、テーマの自然な流れ、文章力は褒められた。台風の描写も好評だった。わたしの作品は出だしで赤裸々な情欲描写への期待を抱かせるところがあるらしい。「台風」では、しつこい蛇の描写がその期待をさせるらしいのだ。

 発行人が、「テーマを考えるなら、出だしはさりげないほうがいいよ」といったが、納得できた。というのも、徐々にわかってきたことだが、発行人とわたしの文学観や資質は案外似ていて、作中で読者に情欲描写への期待を抱かせながら、肩透かしを食わせるところまで似ているのだ。

 それがなぜ彼の今回の作品ではそこが欠点とならず、わたしの作品では欠点と映るかといえば、構成上の問題と、彼の自然描写が圧倒的で恋愛願望やセックス欲などその前では自然消滅してもおかしくない徹底性があるのに比べ、わたしの自然の取り入れかたは中途半端で、人間の生臭みを消し去る力には欠けたのだ。

 前々回に掲載されたわたしの作品「白薔薇と鳩」は、内容が二つに割れているという大きな欠陥があるにも拘らず、皆が「あれは印象的で、忘れられない。あの作品だけで作者の名を覚えてしまった」と口々にいってくれたことは嬉しかった。神秘主義的傾向が濃い作品であるだけに、嬉しさは一入で、自分の創作の基本的な方向性が間違ってはいなかったとの自信を与えられた。

 ところで、火葬場を舞台とした作品を書いた女性が実は男性で、お目にかかったことはないが、K文学賞でわたしと地区優秀作を争ったことのある、それ以外でもしばしば名を見かけ、他の作品でも覚えのあるかただと知って、驚いた。何という作風の多彩さ!  そのかただとは全然気づかなかった。

 しかも、女性名と間違いかねないペンネームで同人に加わられたなんて……。主幹は皆にその男性とKくんとわたしの名を示して、「これでK文学賞で地区優秀作をいつも争うトップスリーが揃いました」などと紹介したりした。どうも、強引に作品を掲載するという同じ手法と泣き落としで、わたしたち3人は同人にさせられてしまったようだった。

 主幹と発行人がまだ年寄りというには若々しく、パワーを漲らせているとわかっていれば、高年齢化を食い止めるためという泣き落としに引っかかることもなく、入会しなかったかもしれないと思ったが、入会した今の現実からすれば、同人誌がパワフルであるに越したことはない。

 合評の終わり頃に、2人の遅れた参加者があり、そのうちのお1人は同人に加わられた前市長だった。物腰が柔らかく、遠慮されたのか、自分の作品の合評だけ聞いてお帰りになったが、合評ではジョークも交じって、皆いいたいことをいった。

 懇親会では、主幹との文学観の違いを確認しつつも会話を楽しませて貰ったが、何より意気投合したのが発行人とだった。文学観や資質が似ているだけに、彼はわたしの現状をよく察知してくれていた。スランプや過渡期にあることも、わたし以上にわかってくれていて感激した。飄々とした話し方が面白い。反対意見をいうとヘロヘロと逃げられるので、議論にはならないけれど。

 呼吸器科の先生でもあるので、ついでにフルタイドのことを聞いたりした。フルタイドについては彼は肯定的だったが、「この医者は自分に合わないとか不信感を覚えることがあれば、すぐに別の医者にかわったほうがいいよ。患者は医者に何の義理もないんだから」と忠告してくれた。

 そんな彼にも創作上の迷いはあるようで、今の路線を貫かれたらどうか、日本のシュティフターになれるのでは……などと生意気なことをいうと、喜んでいた。わたしは何より彼の私心のない創作姿勢に打たれたし、フットワークの軽い粘着力のある取材法を垣間見せられたことは参考になった。

 わたしが、鍋島藩秘窯の里、大川内山を舞台とした陶工たちの物語を書きたいと打ち明けたところ「うん、書けばいい」と即座に言葉が返ってきたので、「そんな簡単に……」といいかけるのに被せるように、大声で「Mくん、彼女の力になってやって」と禿頭の男性に呼びかけ、「彼なら力になってくれると思うよ、話してみればいい」といった。

 禿頭の男性は顔はまだ若く、発行人や主幹と同じくらいの年齢だろう。伊万里出身の元新聞記者で、焼き物の調査に密着取材したことがあるという話だった。伊万里焼には相当詳しいようだったが、「とにかく、まずは現地に行って、当時の商業目的の磁器と徳川幕府のためだけに秘窯で焼かれた磁器の違いを目で確かめてみることです。伊万里市図書館と郷土資料館に行けば、資料は豊富に揃っています」

 それだけのポイントを教えてくれただけで貝のように口を閉ざされ、それ以上は聞き出せそうになかったが、頃合を見計らってポツポツ訊くと、思わず……という感じで全て答えて貰えた。

 秘窯の里の陶工たちは、豊臣秀吉の政策で、鍋島藩が高麗からじかに拉致してきたものであること。陶工たちは男性ばかりで、女性はいなかったこと。彼らに何の楽しみもなかったかといえば、そんなことはなく、少なくとも性的慰めとしての女性は豊富に与えられていたのではないかということ。

 取材に行きたくても、わたしには簡単なことではないので、これだけでも前もって知っておきたかったのだ。「とにかく勉強してみることです」と強調されるので、「10年くらいかかるのかなぁ」とぼやくと、「そんなには……」と彼は絶句し、「陶器の専門家になるわけではないのですから」と呆れた。

 わたしなりに勉強し、作品の土台となるだけのものを形成したうえで協力を仰げば、彼は応えてくれそうだった。同人には、専門家が揃っている。行政や教育の専門家、農村社会学の名誉教授、森林の専門家、小田焼きの名匠、画家、短歌の先生、医師、新聞記者……そして、肩書きはなくても、観察眼のある多彩な経験の持ち主たち。

 かく実りの多い合評会だったとはいえ、同人誌のカラーとわたしの作風には不調和な部分もあり、いつまで同人を続けるかどうかはわからない。ただ、初めて会った気のしない人たちばかりで、同じ町に住んでいたからという理由だけでは何か納得しきれないものがわたしの中には残った。

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