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2006年7月16日 (日)

わたしはカッパ?&イエスの弟子マリアについてちょっとだけ。

 右サイドバーに設けている「ひとりごと」に、ちょっとしたことを書くつもりで書き始めたところ、長くなってしまいました。そこで、メイン記事にするほどのこともないなと思いながらも、本日16日の「ひとりごと」も、メイン記事扱いにしました。

 もうすぐお昼。昨日の夕飯の余りごはんに納豆、胡瓜でも食べようかな。見栄を張って胡瓜のサラダと書きたいところだけれど、胡瓜を切って、軽く塩胡椒し、マヨネーズであえただけのシロモノなのだ。

 気が向くと、味噌をつけたり、醤油、それに胡麻油と唐辛子、あるいはポン酢、ドレッシング……をかけたりする。胡瓜が大好きなので、娘から河童といわれる。村上春樹について調べているとき、彼のファンサイトを見つけたが、そのサイトの主宰者は胡瓜が大嫌いだと書いていた。

 深く納得する自分がいた。好みがこうも違うと、考えが違っても当たり前だ。ただ実際に話してみて、その人と気が合わないとは限らない。友人には、わたしとは好みが正反対といいたくなる人のほうが多い。違うからこそ、惹き合うことがある。同じだからこそ、惹き合うこともある。これは宇宙的な神秘といっていいことではないだろうか。

 で、胡瓜がないときはトマト。余りごはんが少ないときはお粥か、ブイヨンと牛乳を使ってリゾット風にする。これが、わたしが1人でお昼を過ごすときの定番ランチメニューである(と胸を張っていえるシロモノではないけれど)。

 朝起きたときからずっと左腕が痺れていて、何をする気も起こらなかった。洗濯をして干し、ざっと部屋の中を片付けたら精根尽き、座り込んで左腕をさすっていた。この痺れは何だろう? 今までにないひどい痺れ方だ。狭心症の放散痛で左腕が痺れる場合もあるが、そうしたとき、わたしの場合は大抵、左耳の下から顎にかけてと、歯、ときには上腹部も痛くなる。これは五十肩に関係した痺れではないかと思うが、よくわからない。

 今日は、昼食後に同人誌を読まなくてはならない。ダン・バースタイン編「ダ・ヴィンチ・コードの真実」(沖田樹里亜訳、竹書房)も読みたい。

 イエスの弟子にマリアという人がいて近しくしていたであろうことは、福音書を読めばわかることだ。そのマリアが、イエスの恋人であったり妻であったりしたかどうかはわからないが、仮にそうであったとしても、イエスは彼女をバランスのとれた考えと情緒で愛していたに違いない。福音書に描かれた乱れのないイエスからは、そう読み取れる。

 だから、弟子のマリアだけを拡大鏡にかけるのは福音書全体の構成、味わいからもバランスを欠いたことで、いささか馬鹿馬鹿しいという気がするが、パウロを頂点としたひじょうに男根主義的なキリスト教の歴史を鳥瞰してみると、弟子のマリアを特別視したい気持ちもよくわかる。

 わたしは信者にはならなかった(知れば知るほど違和感を覚えて、なれなかった)が、福岡や実家のある町のカトリック教会は一頃、よく訪ねていた。神父さんたちとも個人的に話したり、ビリヤードをしたりした。カトリックの祈りの家である、受難修道会でもある、さる「黙想の家」で、怪奇現象を目撃したこともあった。怪奇現象というのは、まずいだろうか。だが、神秘現象というには、おどろおどろしかった。その頃、プロテスタント系の教会も訪ねた。

 また神智学を教えていただいた先生のお父様は、神智学に魅了される以前はプロテスタント系の牧師補でいらした。キリスト教には、人――ことに若者――を惹きつける力があると思う。イエスが十字架にかけられたという歴史的事実一つとっても、充分にドラマチックだ。

 そして、キリスト教の権威が強大であるにも拘らず、そこで形成された体系が人間的誤謬と幻想性に充ち、吟味に値する内容そのものがまことに乏しく、貧弱であるのは、不思議なくらいだ。

 その首をかしげたくなる土壌に、あまたの偉大な才能が豪華絢爛に咲き乱れた。それはキリスト教の教義がすばらしいからではなく、福音書に記されたイエスの言葉そのそのがすばらしいからだとわたしは考えている。

 イエスを本当に知りたいと思えば(そんなことが可能かどうかはわからないが)、第一にキリスト教がつくりあげてきたイエス像からイエスを自由にしてやることが必要だろう。これは簡単なことではないが、イエスが生きた時代をいくらかでも詳細に知りたいと思い、調べ出したことがきっかけで、わたしはいつのまにか神智学に辿り着いていた。

 映画の中でニュートンが象徴的に描かれていたが、その頃に取り寄せた『バラ十字会』の会報には、ニュートンがバラ十字会員だったと紹介されている。尤も、それには「歴史と伝説によると」と前置きがあった。外に名が挙げられていたのは、ライプニッツ、フランクリン、ドビッシィ、ベーコン、デカルト。

 バラ十字会員として明記されていたのは、リットン卿、枢機顧問官フォン・エッカルツハウゼン、パラケルスス、エルバート・ハーバート兄、ダンテ、バルザック、サン・マルタン……。

 ちなみにエジソンは神智学協会の初期会員だ。近代までの西洋で、自由に科学し哲学し文学しようと思えば、非科学的で抑圧的なキリスト教から、形を残して内面的にだけでも逃れて1人孤独に生きるか、仲間を探そうと思えば、フリーメーソンとかバラ十字会といった神秘主義的組織に入るしかなかっただろうから、ニュートンがバラ十字会員だったとしても、不思議なことは何もない。

 「ダ・ヴィンチ・コード」についてはまた書きたいが、ゴーガンや村上春樹についてのエッセーもまだ残っている。我が家を訪れた2人の死者についてのエッセーも。忘れたわけではないし、村上春樹を除いては書きたいこともほぼ固まってはいるのだが、なかなか、ほしいだけの時間がとれない。

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