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2006年7月の38件の記事

2006年7月31日 (月)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第41回

「女王様のお跡継ぎは、あの姫君をおいては、と思っていましたのに。風姿のまばゆさもさることながら、あの知性や霊性は、まこと、女王様のお血筋ですね。それが、まさか、御輿入れなさるなんて、思いもよらないことでした」

 わたしの耳はとたんに馬鹿デカくなり、芋を食べるどころではなくなりました。

「小母さん。今宵の舞姫は、どういうお方なのですか?」

 わたしが唐突に小母さんと呼んでしまった冴えない顔色の官女は、怪訝そうにわたしを見、他の官女たちも呆れた面持ちでわたしを見ました。

 皆上品そうで、お高くとまっている感じはありませんでしたが、宮中に仕えているくらいですから、この人たちはエリートといってよい人たちでした。ただの小母さんというわけではなく、大人(たいじん)の令嬢たちの中から選びぬかれた官人(かんにん)なのです。

 それを裏書きするかのように、見るからに誇りやかで、匂やかさもありましたが、見かけよりも普通の人々のようでした。尤も、井戸端会議では誰しも、多かれ少なかれ、俗臭を漂わせるもののようではあります。〔〕 

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2006年7月29日 (土)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第40回

 宮殿に帰り、ここでの初めての食事にありつきながらも、わたしは酔い心地でした。

 あのような舞姫は、月世界にこそ置きたいものです……。芋(※サトイモ)をパクつきながらも、あの女人を使って歌劇を上演したらすばらしいだろうなあ、などと夢想してしまいます。

「あなた、よほどおなかがすいていたのね。すごい音だったわ」と、わたしに話しかけた声の主は、夕方、二通りの衣を持ってきてくれたおとめでした。

 おとめは、笹の葉のような切れ長の眼をきらきらさせ、小馬鹿にした調子で、わたしを眺めています。

 わたしが今いる室は、官女(※宮中に仕える女性)たちの食事の間でした。広い間に、大勢の官女たちがくつろいでいました。7、80人はいたでしょう。

 髪あげをしたばかりの12歳から15歳くらいまでのおとめたちが、20人ほども輪になって花吹雪のように笑いさざめていてるのをよそに、こちらの方では、年のいった官女たちが5人、今宵の舞姫について噂していました。〔

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デップ様!

 注文していた「ジョニー・デップ フォトバイオグラフィ」(ニック・ジョンストン著、菊池由美訳、小学館プロダクション)が来た。

 書店勤めの娘が本を抱えて帰ってきたとたん、体調が悪くて横になっていたのが、飛び起きてデップ様を出迎えた。

 これまでの彼の歩みが語られる中に、写真が挿入されている。何より好きな顔を見る。観る。視る。

 駆け出しの頃の写真は、意外にも、のっぺりとした顔に見える。単調な顔だ。その理由はすぐにわかった。童顔なのに、えらが張っていて、鼻があまり高くないからなのだ。かなり東洋的な顔に見える写真もある。母方にチェロキー族というインディアンの血が混じっているというが、なるほどと思わせる。

 彼には低迷していた時期があったようだが、それは彼が自身に自らの流儀でアレンジを加えていく過程を必要としたからではないだろうか。

 えらに軽くかかるくらいの髪、眼鏡、口髭と頬からの顎髭、ワイルドな、もしくはちょっぴり妖艶な化粧。そんなアレンジが彼の顔には似合う。俳優としての彼の歩みは、そんな役柄を見つける険しい過程でもあったに違いない。

 今日は疲れたので、これだけの発見に満足して、オシマイ。睡眠をとってから、また本のデップ様に会いに行くつもり……。 

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2006年7月28日 (金)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第39回

 白い装束の上に紫の衣をうち着たその人こそ、母の葬儀の日に、わたしに木の実をくれた女の人でした……! 冷たいまでの紫の衣に薪の火があかあかと紅葉のように映え、その姿は雅やかさの極みでした。

 そして、数々の月神への捧げものの中でも最上の捧げものは、女王の清爽の気みなぎる祝詞とこの女人の舞であったと思います。天来の舞とは、このような、さす手引く手に籠もった、えもいわれぬ気をいうのでしょうか。

 玉を得たような舞の花姿――、白妙の衣の、その姿かかりの幽玄な美しさに、見物する老若男女、感に入り、言葉もありませんでした。〔

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2006年7月27日 (木)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第38回

 夜空にかかる円(まど)かな月は、真っ白でした。枯れ葉色の雲が月のある澄んだ空間を紗のようにとり巻き、月は、あたかも、天上から地上を見つめる深窓の麗人のように見えます。

 やがて、後方から、白馬にお乗りになった女王が白装束の崇高な姿で現われました。その後ろから、輿が続き、輿は貴賓席の前で止まりました。

 輿から降り立ち、衆目に清麗な姿を晒した女人、その眉目は、わたしの場所からははっきりと見え、驚きのあまり、わたしのおなかは遂に、ぐわんと轟いてしまったのでした。〔

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2006年7月26日 (水)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第37回

 月が潮の満ち引きを司っていることは明らかですが、月の満ち引きは人の生死にかかわりがあるとされ、また、女人ならば、誰でも、月経と月との親和性を想わずにはいられません。

 そして、女王の一族は、月から大いなる知識を汲みとってきた一族でした。古くから、月を読んで季節の移り変わりや、天候を予測することをなりわいとしてきた女王の一族が、支配層をかたちづくるようになったのは、自然の成りゆきのようにも思えます。

 そうして、月を神秘力の源泉と見、その作用から月を神聖な女性原理の象徴と見る一族のあいだで、厳選された女人が重要なポストに就くようになったのも、当然の成りゆきであったことでしょう。

 川に辿り着いた一行の中から、供えものをかかげ持つおとめたちが進み出、お月様にお供えをします。わたしも教えられた位置に新芋の器を置きました。置きしな、別のおとめの置いたお団子が目にとまり、わたしのおなかがぐうと鳴りそうになりました。

 おお、そうです。考えてみれば、昨日から、何も口にしていないではありませんか。これは、わたしにとっては、由々しき問題でした。〔

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2006年7月25日 (火)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第36回

「早く、早く」と、彼女はわたしをせかします。わたしは彼女にいわれるがままに、黄昏の水で体を清め、白い衣を纏いました。

 あとでわかったことですが、茶色の衣はここでのわたしの普段着であり、白い衣は正装のための衣なのでした。蕁麻疹や湿疹に効能のある栗の樹液で染めた茶色の衣が、普段着として用いられていたのです。

 何が何だかわからぬまま、白い衣を纏ったわたしは、手に新芋の器を持ち、お祭りの行列に加わっていました。

 松明(たいまつ)をかざした一行は、しずしずと川を目指して進んでいきます。白い衣を纏った女性たちからなる長い行列でした。その行列を、どこからともなく集まってきた大勢の老若男女が見守ります。

 今宵はまこと、一年中で最も月の美しいとされる名月の夜なのでした。穂芒に、初物の芋や栗やお団子を備えて、月を祭ります。

 女王の一族は、月を信仰する一族なのでした。

 太陽に対して太陰とも称される月。月ほど、古代からその神秘性で人を惹きつけてきたものが他にあるでしょうか。月神を信仰するということ自体に、何かしら、太古の薫りがあって、女王の一族は、それだけ古くから続いてきている一族なのでしょぅ、とわたしは想像するのです。〔〕 

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待ちぼうけ

待ちぼうけ

娘とデパート前で待ち合わせているのですが、なかなか現れません。雨も少し降り出しました。

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2006年7月24日 (月)

前世のゆかり? ~合評会の土産話

 JRの特急電車の座席に腰を落ち着け、同人誌の小説中残る1編を読んでしまおうと、雑誌を開いた。車窓から外を見ると、真っ白に雲と霧と靄とがかかっていて、水かさを増して流れる川も山々も、その白色の厚みの中から時折偶然に見えるだけだ。

 外の景色には未練があったが、読み始めると、すぐに作品の世界に引き込まれていった。屏風のように連なる山が主題であるその作品は、同人誌の中で一番の出来であるだけでなく、名作だと思った。

 巧みな自然描写で著名なオーストリアの作家シュティフターの作品に匹敵するほどだとすら感じられた。最初に来る季節が違うが、ヴィヴァルディの「四季」を連想させる、「冬・春・夏・秋」にプロローグとエピローグが加えられた構成となっている。

 主人公の妻の死から始まり、主人公の山への傾倒、そして同じく、いやそれ以上にその同じ山を熱愛する仲間たちとの出会い、山の懐に抱かれた彼らの秘密結社めいた集まり、主人公をそうした仲間たちに引き合わせてくれた人物の死、死とはいえ優麗な余韻を伴ったその死……

 同人誌の発行人でもある作者の作品はこれまで何編か読んだことがあり、文章力・取材力共にプロの域であると思っていたし、事実、複数の出版社から本を出されている。が、作風が生真面目で硬い印象で、正直いって、わたしは読むと疲れた。

 だが、この作品では山の美しさに人間の心の機微が織り込まれて、リリカルな描かれかたをしている。何て陰影深い、ゆたかな筆遣いなのだろう……! 何枚もの山の絵画を観るようだ。まさに山に捧げる讃歌であり、山にこの作品を書かせて貰った作者は幸せであり、作者にこの作品を書いて貰った山は幸せだと思った。

 この作品に比べたら、優れた出来だと思った火葬場を舞台としたFさんの作品も、Kくんの作品も、自然を少しばかり書いたつもりのわたしの作品「台風」も、多かれ少なかれあざとさが抜けきれない印象を強めてくる。長く賞狙いに終始してきたツケが、つまり俗臭がこんな形で出ているのかもしれない。               

 そして、合評会に出席した一番の収穫は、さすが山あいの町に育っただけのことはあると思わせる同人達の自然観察力と理解力で、これには打たれた。自然を語らせたら、男性も女性も、響きのいい声音でいつまでも語り続ける。特に山のこと、樹木のこと、川のこと、葡萄や筍のこと、畑を荒らしにくるイノシシやシカのこと……。

 2年ぶりに、かつて住んでいた山あいの町を見たときは、さすがになつかしかった。タクシーで、同人誌の合評会場へ急いだ。

 夫が結婚披露宴に2度行ったことがあるといっていた宴会場が、合評会場だった。胸をどきどきさせながら、ドアを開けると、白い布のかけられたテーブルがコの字型に並べられ、物々しい雰囲気が漂い、緊張感をいや増す。もうおおかたが席についていた。

 が、馬鹿に人数が少ない。奥に座っている2人が、主幹と発行人であるに違いない。ん、意外に若いではないか。48歳にもなるわたしが若者扱いされるくらいだから、相当なおじいちゃんたちに違いないと想像していたわたしは拍子抜けした。

 初めの出席者は10名だった。午前中に1名、午後2名、さらに懇親会で3名加わったが、途中で帰る人もいた。1名は25歳の若者で、やはり若さが際立って感じられた。この倍は出席者があるつもりで、合評の時間がたっぷりとられていたのだった。ところが急病や急用で減り、本来出席者の作品だけ合評するところを全員の作品をすることになった。

 合評する中で、発行人が団塊の世代であり、主幹がそのいくらか上くらいの年齢だとわかった。とはいえ高齢者の割合は高く、同人誌を出すたびに死ぬ人があり、合評会にも病気、それも心筋梗塞とか手術といった重い病気で出られなくなる人があるとあって、合評会には一期一会の気が漂い、何だか壮絶だ。それを象徴するように、合評会はお亡くなりになった同人のための黙祷から始まった。

 わたしは病人だし若くもないけれど、合評会場に身を置くと、まだまだ若く健康だと感じられ、何だか元気になった。実は合評の中頃になって、疲れからだろう、軽い狭心症の発作が起き、ちょっと凍りついたようになってしまったが、医師でもある発行人の席からわたしの席は一番近いこともあり、その安心感からか、ニトロを出すまでもなく、胸の圧迫感と痛みは去った。

 発行人の作品はやはり高い評価を受けた。Kくんの作品も火葬場が舞台の作品も――残念ながらどちらも用事と病気で欠席だった――、才気や筆力を認められながらも、技巧に先走った欠点を等しく指摘された。

 わたしの作品は、テーマから外れた話題にしばしば熱中し、喜々として脱線してしまう欠点を指摘された。会話の妙、テーマの自然な流れ、文章力は褒められた。台風の描写も好評だった。わたしの作品は出だしで赤裸々な情欲描写への期待を抱かせるところがあるらしい。「台風」では、しつこい蛇の描写がその期待をさせるらしいのだ。

 発行人が、「テーマを考えるなら、出だしはさりげないほうがいいよ」といったが、納得できた。というのも、徐々にわかってきたことだが、発行人とわたしの文学観や資質は案外似ていて、作中で読者に情欲描写への期待を抱かせながら、肩透かしを食わせるところまで似ているのだ。

 それがなぜ彼の今回の作品ではそこが欠点とならず、わたしの作品では欠点と映るかといえば、構成上の問題と、彼の自然描写が圧倒的で恋愛願望やセックス欲などその前では自然消滅してもおかしくない徹底性があるのに比べ、わたしの自然の取り入れかたは中途半端で、人間の生臭みを消し去る力には欠けたのだ。

 前々回に掲載されたわたしの作品「白薔薇と鳩」は、内容が二つに割れているという大きな欠陥があるにも拘らず、皆が「あれは印象的で、忘れられない。あの作品だけで作者の名を覚えてしまった」と口々にいってくれたことは嬉しかった。神秘主義的傾向が濃い作品であるだけに、嬉しさは一入で、自分の創作の基本的な方向性が間違ってはいなかったとの自信を与えられた。

 ところで、火葬場を舞台とした作品を書いた女性が実は男性で、お目にかかったことはないが、K文学賞でわたしと地区優秀作を争ったことのある、それ以外でもしばしば名を見かけ、他の作品でも覚えのあるかただと知って、驚いた。何という作風の多彩さ!  そのかただとは全然気づかなかった。

 しかも、女性名と間違いかねないペンネームで同人に加わられたなんて……。主幹は皆にその男性とKくんとわたしの名を示して、「これでK文学賞で地区優秀作をいつも争うトップスリーが揃いました」などと紹介したりした。どうも、強引に作品を掲載するという同じ手法と泣き落としで、わたしたち3人は同人にさせられてしまったようだった。

 主幹と発行人がまだ年寄りというには若々しく、パワーを漲らせているとわかっていれば、高年齢化を食い止めるためという泣き落としに引っかかることもなく、入会しなかったかもしれないと思ったが、入会した今の現実からすれば、同人誌がパワフルであるに越したことはない。

 合評の終わり頃に、2人の遅れた参加者があり、そのうちのお1人は同人に加わられた前市長だった。物腰が柔らかく、遠慮されたのか、自分の作品の合評だけ聞いてお帰りになったが、合評ではジョークも交じって、皆いいたいことをいった。

 懇親会では、主幹との文学観の違いを確認しつつも会話を楽しませて貰ったが、何より意気投合したのが発行人とだった。文学観や資質が似ているだけに、彼はわたしの現状をよく察知してくれていた。スランプや過渡期にあることも、わたし以上にわかってくれていて感激した。飄々とした話し方が面白い。反対意見をいうとヘロヘロと逃げられるので、議論にはならないけれど。

 呼吸器科の先生でもあるので、ついでにフルタイドのことを聞いたりした。フルタイドについては彼は肯定的だったが、「この医者は自分に合わないとか不信感を覚えることがあれば、すぐに別の医者にかわったほうがいいよ。患者は医者に何の義理もないんだから」と忠告してくれた。

 そんな彼にも創作上の迷いはあるようで、今の路線を貫かれたらどうか、日本のシュティフターになれるのでは……などと生意気なことをいうと、喜んでいた。わたしは何より彼の私心のない創作姿勢に打たれたし、フットワークの軽い粘着力のある取材法を垣間見せられたことは参考になった。

 わたしが、鍋島藩秘窯の里、大川内山を舞台とした陶工たちの物語を書きたいと打ち明けたところ「うん、書けばいい」と即座に言葉が返ってきたので、「そんな簡単に……」といいかけるのに被せるように、大声で「Mくん、彼女の力になってやって」と禿頭の男性に呼びかけ、「彼なら力になってくれると思うよ、話してみればいい」といった。

 禿頭の男性は顔はまだ若く、発行人や主幹と同じくらいの年齢だろう。伊万里出身の元新聞記者で、焼き物の調査に密着取材したことがあるという話だった。伊万里焼には相当詳しいようだったが、「とにかく、まずは現地に行って、当時の商業目的の磁器と徳川幕府のためだけに秘窯で焼かれた磁器の違いを目で確かめてみることです。伊万里市図書館と郷土資料館に行けば、資料は豊富に揃っています」

 それだけのポイントを教えてくれただけで貝のように口を閉ざされ、それ以上は聞き出せそうになかったが、頃合を見計らってポツポツ訊くと、思わず……という感じで全て答えて貰えた。

 秘窯の里の陶工たちは、豊臣秀吉の政策で、鍋島藩が高麗からじかに拉致してきたものであること。陶工たちは男性ばかりで、女性はいなかったこと。彼らに何の楽しみもなかったかといえば、そんなことはなく、少なくとも性的慰めとしての女性は豊富に与えられていたのではないかということ。

 取材に行きたくても、わたしには簡単なことではないので、これだけでも前もって知っておきたかったのだ。「とにかく勉強してみることです」と強調されるので、「10年くらいかかるのかなぁ」とぼやくと、「そんなには……」と彼は絶句し、「陶器の専門家になるわけではないのですから」と呆れた。

 わたしなりに勉強し、作品の土台となるだけのものを形成したうえで協力を仰げば、彼は応えてくれそうだった。同人には、専門家が揃っている。行政や教育の専門家、農村社会学の名誉教授、森林の専門家、小田焼きの名匠、画家、短歌の先生、医師、新聞記者……そして、肩書きはなくても、観察眼のある多彩な経験の持ち主たち。

 かく実りの多い合評会だったとはいえ、同人誌のカラーとわたしの作風には不調和な部分もあり、いつまで同人を続けるかどうかはわからない。ただ、初めて会った気のしない人たちばかりで、同じ町に住んでいたからという理由だけでは何か納得しきれないものがわたしの中には残った。

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2006年7月23日 (日)

例外的更新2、行きはよいよい

同人誌の合評会を終え、再会を誓い合ったり握手したりして別れ、19:01発の電車で帰るつもりで駅に行ったところ、大雨のため不通。

バスセンターに行けば、窓口は既に閉まっている。電話で大分市のバスセンターに問い合わせると、今のところは何とか動いている由。

最終バスに高速道路上から乗るかホテルに泊まるか、ミスタードーナツでカフェオレを飲みながら考えたが、帰ることにした。

無事に着きますように。

それにしても、今日そんなに雨ひどかったの?

一日中合評会場に籠もっていたので、わからなかった。

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2006年7月22日 (土)

例外的更新、佳品との出合い

 今日は、明日23日に出席する合評会に備えるため、記事の更新を明日とあわせてお休みするつもりだったが、読後、不思議な感動と高揚感を覚えてぼーとなってしまった作品に出合い、つい、ご報告したくなった。

 作者は前号から同人に加わられたようだ。実は、わたしはこのかたの前作をまだ拝読していなかった。合評会に出席しなかったのをいいことに、全作品を読んではいなかったのだ。うかつだった、怠け者だった、馬鹿だった! 

 お住まいは大分市で何と目と鼻の先、お名前からすると女性、成熟した作風からすると中高年者だろうと想像する。

 同人誌に普通に作品を寄せていられるところからすると、プロの書き手ではないに違いないが、それだけに、一体何者なのだろう……と想像をたくましくしたくなる。

 素人で、これだけの綿密な作品に仕立てられるまでに、計画的で取りこぼしのない取材ができるものだろうか?  そんな疑問さえわいてくる。

 作風はあたかも地味に装っている。が、堅牢さとしなやかさとを同時に感じさせる内容は、華やぎを隠している。普通であれば、前面に押し出されて匂いこぼれる性質である華やかさというものが、この作品では隠し味として使われている感があるのだ。

 このような作品は日本人で、年齢のいった、しかも女性でないことには書けないのではないだろうか。

 小説の舞台は火葬場だ。シルバーの域にいる主人公の男性は、そこで仏さんを焼く装置、太陽釜を管理している。……ストーリーを詳しく紹介したいところだが、まだこのあと、小説だけでも5編、読まなくてはならない。4編しか読んでいないのだ。

 ひとことだけつけ加えておくとするなら、作品の中では太陽釜が一つの霊妙不可思議な世界を形作っているということだ。

 作者が、明日の合評会に出席されるかどうかはわからない。もし出席されない場合は、お目にかかることができないが、そのときは手紙か電話かで興奮を伝えさせていただきたいと考えている。

 どちらかといえば、すすめられて渋々入った同人誌だったけれど、よい作品に出合うと、入会をすすめていただいた主幹に感謝しないわけにはいかない。13日付の記事「嬉しかったこと、そしてちょっとした落胆」の中で書いたKくんの作品もある。

 そしてこれから読もうとしているのは、わたしの前作であるエッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」に丁寧な感想を寄せていただいたかたの作品だ。京都にお住まいで、高齢と思われる男性のかただ。

 自分勝手な更新となって申し訳ないが、時間がないので、今日のところはこれくらいにとどめておきたい。明日の合評会で覚えるのは失望だろうか、喜びだろうか? 何だか出席するのが怖いが、可能な限り作品を読み込んでいきたいと思っている。時間がないけれど……。 

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ため息

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わが家にある、ちょっとクラシカルな椅子。

古びていて、傷んでいるけれど、

            粗大ゴミに出すには早すぎると思う。

Photo_1

わが家のベランダから望んだ、雨の夜景。

どうです、なかなかムーディでしょ。

            カクテルなんかが似合うかも……。

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わが家にあるちょっとクラシカルな椅子に座るのは、お人形さん。

わが家のベランダからの昼間の眺めは、上の写真とは別世界です。種明かし(?)は、いつか気が向いたときにでも……。

あーあ、こんなことやっているあいだに、同人誌の作品を何編か読めただろうに。小説だけでも、あと6編は読まなくちゃならない。どれも長い!

わたしの小説も100枚あるから、あまり人のことはいえないけれど。退屈だと途中で気絶したみたいに寝てしまうから、なかなか進まない。

わたしの小説も、睡眠薬の代わりになっているんだろうなぁ……(ため息)。
今日から2日間、記事の更新しないつもりが、しちゃった。

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2006年7月21日 (金)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第35回

 タルはそのまま居残ったので、わたしはひとりで自分の室に戻り、持ち物の中から、父の形見の石と、不思議な女の人のくれた木の実をとり出しました。

 二つを置いた横に、女王からいただいた首飾りを置き、宝物が三つになったわ、と思いました。

 宝物を仕舞った後、わたしは寝床に頬をつけて、叔母の家を思い出していました。タルは戻って来ず、わたしはひとり放置されたままでしたが、呑気なわたしは、またもや眠ってしまったのでした。

『わたしの乗る馬の準備ができていませんよ』という、女王の声がわたしの夢の中で響き渡り、わたしは飛び起きました。 

 その時、わたしと同じくらいの年恰好のおとめが入ってきて、わたしを呆れたように見ました。

 彼女は左右の腕に二通りの衣をかけています。一方は白い衣で、他方は茶色い衣でした。〔〕 

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2006年7月20日 (木)

ハーボットのぬいぐるみ

Photo  わたしの枕元にはいつも、このハーボットのぬいぐるみ「ウッフ」がいます。

 何を考えているのでしょう?
 それとも、眠っているのかな?

 たぶん、わたしが起きているときは、彼は考え、わたしが眠るとき、彼もまどろむのです。

 子供の頃、娘時代も、ぬいぐるみを傍に置く習慣はありませんでした。
 こんな中年になって、そうなるなんて……。

 人間って、変るものですね。

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2006年7月19日 (水)

雨、雨、雨・・・

今日は朝からずっと雨。
乾燥機にかけられない洗濯物が室内物干しスタンドに、生乾きの状態で沢山かかっていた。仕方なく、決行することにした。クーラーを強めにつけてファンヒーターで乾かす。なぜか、ひどく贅沢な罰当たりなことをしている気分になる。

何とか乾きかけたとき、統合失調症を病んでいる友人から博多の明太子が届いた。初めて届いたときは、友人同士でお中元なんてと変な気がしたが、彼女の病状によっては連絡をとりにくいときがあるので、そんなときの橋渡し役として優れているとわかった。

こちらからはウェッジウッドの紅茶・・・ワイルドストロベリーを贈ることにしている。それが届くのを、おかあさんと楽しみにしてくれているという。一緒に我が家の分も小さめの箱入りを買う。それを飲むと、彼女とお茶しているような気分を味わえる。

夕方になって今度はパニック障害・鬱病を病んでいる友人が気にかかり、電話する。電話してよかった。声を聴かないまま、1人だけであれこれ心配するのと、実際に声を聴いて心配するのとは違う。何であっても、生(なま)に勝るものはない。

ところで、この記事は携帯電話からの初投稿だ。新しい携帯電話に慣れていないということもあるが、久しぶりの携帯での長文は、指先と老眼にこたえる・・・。

※反映後、改行など若干の訂正。

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「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第34回

 女王は、退室させようとして、わたしに何かくださりたくなったご様子でした。何もなかったとみえ、あわてて、ご自分のなさっていた翡翠でできている勾玉の首飾りをくださりながら、

「お父様から、あなたのことはよくお聞きしていました。あなた、ウリボウをつかまえるのがお上手ですってね。

 わたくしの馬の面倒を見ていただこうと思ったの。美麗な馬ですけれどもね、荒馬なのよ。ほほほ……」と、女王はお笑いになりました。

 わたしは、はあ、と気のぬけたような返事を申しあげ、爆笑するタルを尻目に退室しました。〔

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2006年7月18日 (火)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第33回

 そしてにわかに、胸襟をひらいたようなご様子で、色々とわたしを試すような質問がありました。わたしには女王が、わたしの答えを素早く採点なさっているのがわかりました。

 女王のお顔には、正直な、次のような感想が浮かんでいました。……この子は、頭の回転は速いようだけれど、そそっかしいところがあるみたい。

 それでは、と、わたしの方でも、女王をしみじみ観察してさしあげました。女王のお年は、わたしのおばあ様、といったところです(実際には55歳におなりなのでした)。

 その横顔からは、女性というより精悍な男子めいた意志力が感じられるのでしたが、美しい形の沈鬱な眼は、お笑いになると愛嬌があり、溌剌と見える体躯は華奢で、立ち居振る舞いには気品がありました。〔

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素敵な「百年の孤独」 、そしてぞっとしたことについて。

 なかなか手に入りにくかった長期熟成した麦焼酎百年の孤独がネットで簡単に手に入ると知り、嬉しいようなあっけないような気持ちだ。

 昨日の夫の誕生日にでも贈りたかったが、何せ百年の孤独……。誕生日にわたしが贈るとなると、彼は百年の呪いをかけられたと思うかもしれない(?)。

 百年の孤独は琥珀色をしているし、その味わいからも、わたしはブランデーかと思ってしまった。もう昔の話になったが、ロックで味わったときのあの感動は決して忘れない。わたしがこれ以上の美酒に出合うことは、もうないかもしれない。

 百年の孤独が喉を通ったすぐあとに、体内でシンフォニーが響きわたった。人間の体の中で音楽が生じることがあるのだ。すばらしかったとしかいえない。今はわたしはほとんどお酒が飲めない体になってしまったが、死ぬ前に飲んでみたい。

 ガブリエル・ガルシア=マルケスの幻想がかり、魔術的装飾に彩られた小説「百年の孤独」には似ていない。百年の孤独の味わいにはもっと透明感があって、むしろ「死の都ブリュージュ」を書いたローデンバックの小説を連想させる。

 百年の孤独は安くても10,000円弱で、庶民のわたしには高級感のあるお酒だが、買って決して後悔することはないお酒だ。

 ところで前のエッセーで、2年半ほど前に夫が末期癌と誤診されたと書いたことで、驚き、不思議に思った方もいらしたのではないだろうか。

 大腸内視鏡でできものが発見され、福岡県のさる大学病院で悪性腫瘍だといわれて腹腔鏡手術を受けることになったのだが、切り取った回盲部を病理検査に回してみると、そのできものは悪性腫瘍ではなく、腫瘍ですらないことが判明した。

 夫が痩せているので、医師たちにある先入観を与えたらしい。また、できものの大きさから、彼らは容赦なく「末期癌」を匂わせた。夫の痩せ方については、研ナオコ、浅丘ルリ子といった方々の痩せ方を連想していただきたい(なぜか痩せた男優が思い浮かばない)。

 腫瘍と思われていたものは実際には肉芽(にくげ)で、皮膚が傷ついたときなどに深部から盛り上がってくる紅色の結合組織だった。虫垂の炎症のためにできたらしかった。無害だし、放っておいても消えたものだそうだ。

 と、切りとってからいわれてもね。精密検査の技術が進歩したおかげで、発見しにくかった病気も発見され治療を受けることができるようになったが、近視眼的にもなりやすいようだ。それぞれの科が専門的になりすぎて、断片的になり、全体の流れが見落とされがちなところもある気がした。

 癌騒ぎで右往左往しているあいだに、下手をすれば、虫垂炎から腹膜炎を併発して危ないことになったかもしれないと思うと、全くぞっとする。一連のこのことは小説の題材となり、「白薔薇と鳩」という一風変った短編小説となった。

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2006年7月17日 (月)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第32回

 皆が謁見室を出、まさに謁見が終ろうとする時になって、わたしは女王にお伺いしました。

「女王様、人が死ねば、荒魂と和魂に分かれて、荒魂はお墓にとどまり、和魂は天に昇ると聞きました。和魂になると、ふわふわの雲のように、全体とひとつになってしまうというのは本当ですか。そして、わたしはどうして女王様のお側に来ることができたのでしょうか」

 女王は手応えを得て喜んだ人のように、輝かしいまでの鋭敏さで、とくとわたしをお見つめになりました。

「ここで暮らしていれば、いずれ、そうした問題に関する教えも得られることと思いますよ。わたくしどもにはわたくしどもの祖先から継承した、宗教上の教えがありますでしょう。

 これは本当に大事にしなければなりませんが、この教えをより解するためには、他の教えの光をあててみることも必要ですね。様々の教えに触れてみた時、どの教えをよりすばらしいと思うかは、あなたのご自由だと思いますよ。

 野の花にはそれぞれの美しさがありますが、どの花に惹かれるかは、その人の個性です。ですが、様々な表現形式をとろうとも、花が花らしさを備えているという点から見れば、花というものは一つなのです。

 その一つのものを感じとる力が大事ですが、そのためにはわたくしどもは、きよらかな者とならなければなりません」

 女王は、真摯に楽しげに語り、軽くうなずくようにしてみせました。〔

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夫の誕生日(カーリル・ギブラン『預言者』より、結婚)

 今日は夫の誕生日です。

 結婚して長いときが経過し、どこまでが夫でどこまでが自分かがわからなくなるくらい影響しあってきましたが、一方ではどこまでも彼は彼であり、どこまでもわたしはわたしでしかないという違いを噛み締めた日々でもあった気がします。

 2年半ほど前に、彼が末期癌といわれたときは、どれほど自分が彼を頼りにしてきたかを痛感しました。それは紆余曲折を経て幸い誤診だったとわかりましたが、そのときに彼のほうでもわたしを頼ってくれていることがしみじみと感じられ、日々たわいない暮らしを送っているようでも、色々と考えることは増えました。

 ところで、結婚したときに、今は亡き神智学の先生からカーリル・ギブランの訳詩を贈っていただきました。彼へのお祝いと反省とこれからへの思いを籠めて、その詩を再読しつつご紹介したいと思います。

 その詩が収録されている『預言者』(カリール・ジブラン著、佐久間彪訳、1984年)という至光社から上梓された詩集があり、これも名訳ですが、やはりここでは贈っていただいた訳でご紹介いたします。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

     結婚

         カーリル・ギブラン作/田中恵美子訳 

師よ、結婚とは何でしょう。
師はおっしゃいました。
君たちの魂は一緒に生まれたのですから、いつまでも一緒にいることでしょう。
死の白い翼が君達の生涯を離れ離れに散らせてしまってもやはり一緒におりましょう。
そうです。君達は神の沈黙の記憶の中でさえ一緒にいることでしょう。
けれども君達の「一緒」の間には隙間がなければいけません。
君達の間を天国の風が踊って吹きぬけなければいけません。

お互いに愛し合いなさい。でも愛のきずなをつくってはいけません。
君達の魂の岸辺と岸辺の間には、波のうねる海があるようにしておきなさい。
お互いの杯を満たしなさい。けれども一つの杯で飲んではなりません。
お互いに君達のパンを分かち合いなさい。でも同じ塊のパンに一緒に口をつけてはいけません。
一緒に歌い踊りよろこびなさい。でもお互いは別々の人なのです。
リュートの沢山な弦は同じ音楽をかなで出しますが、皆一本一本、別の弦です。
君達の心を与え合いなさい。
でもお互いの手の中に包みこまれてはいけません。
生命の手だけしか、君達の心を包みとることは出来ないからです。
一緒にお立ちなさい。でもあまり近くにくっついて立ってはなりません。
寺院の柱は皆離れて立っていますし、樫の木やいと杉はお互いの木蔭の中では大きくならないものなのです。

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2006年7月16日 (日)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第31回

『おとめよ。倭の習俗が中国の北よりも南と似通っていることを、そなたは知らないわけではあるまい。

 ところが、女王家は曹氏一族にゆかりがあり、大乱の際も女王家は、会稽(かいけい) (※の中国浙江省)太守をしていた男の力を借りた。この人物は、魏を建国した曹操の縁者なのだよ。

 中国で魏呉蜀(ぎごしょく)の三国が鼎立(ていりつ)するようになり、女王が魏寄りに傾くのも無理からぬことではあるが、真に倭のことを考えるならば、北の魏ではなく、南の呉。国内において女王連合国に属さぬクナ国。

 これらと大いなる同盟を結べば、侵略の懼れそのそのが消えよう』

 わたしは身を震わせて、イサエガを見つめました。『クナ国と同盟ですって……あのクニの王が、味噌も糞も一緒にする旺盛な物欲の持ち主であることくらい、わたしですら知っています』

『そなたにそう映ずるだけの話である。大陸系移民の多い女王連合国と南方人の渡来の多いクナ国とは膚合いが異なるが、同じ倭人だ。あのオールドミスの狭量も、相当なものよの』

 イサエガの本音を聞いたわたしは、ただ凍ったように彼を見つめるばかりだったのを覚えています。こうした後に聞くことになったイサエガの本音が、既に、謁見室に闇をつくっていたのです。〔

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わたしはカッパ?&イエスの弟子マリアについてちょっとだけ。

 右サイドバーに設けている「ひとりごと」に、ちょっとしたことを書くつもりで書き始めたところ、長くなってしまいました。そこで、メイン記事にするほどのこともないなと思いながらも、本日16日の「ひとりごと」も、メイン記事扱いにしました。

 もうすぐお昼。昨日の夕飯の余りごはんに納豆、胡瓜でも食べようかな。見栄を張って胡瓜のサラダと書きたいところだけれど、胡瓜を切って、軽く塩胡椒し、マヨネーズであえただけのシロモノなのだ。

 気が向くと、味噌をつけたり、醤油、それに胡麻油と唐辛子、あるいはポン酢、ドレッシング……をかけたりする。胡瓜が大好きなので、娘から河童といわれる。村上春樹について調べているとき、彼のファンサイトを見つけたが、そのサイトの主宰者は胡瓜が大嫌いだと書いていた。

 深く納得する自分がいた。好みがこうも違うと、考えが違っても当たり前だ。ただ実際に話してみて、その人と気が合わないとは限らない。友人には、わたしとは好みが正反対といいたくなる人のほうが多い。違うからこそ、惹き合うことがある。同じだからこそ、惹き合うこともある。これは宇宙的な神秘といっていいことではないだろうか。

 で、胡瓜がないときはトマト。余りごはんが少ないときはお粥か、ブイヨンと牛乳を使ってリゾット風にする。これが、わたしが1人でお昼を過ごすときの定番ランチメニューである(と胸を張っていえるシロモノではないけれど)。

 朝起きたときからずっと左腕が痺れていて、何をする気も起こらなかった。洗濯をして干し、ざっと部屋の中を片付けたら精根尽き、座り込んで左腕をさすっていた。この痺れは何だろう? 今までにないひどい痺れ方だ。狭心症の放散痛で左腕が痺れる場合もあるが、そうしたとき、わたしの場合は大抵、左耳の下から顎にかけてと、歯、ときには上腹部も痛くなる。これは五十肩に関係した痺れではないかと思うが、よくわからない。

 今日は、昼食後に同人誌を読まなくてはならない。ダン・バースタイン編「ダ・ヴィンチ・コードの真実」(沖田樹里亜訳、竹書房)も読みたい。

 イエスの弟子にマリアという人がいて近しくしていたであろうことは、福音書を読めばわかることだ。そのマリアが、イエスの恋人であったり妻であったりしたかどうかはわからないが、仮にそうであったとしても、イエスは彼女をバランスのとれた考えと情緒で愛していたに違いない。福音書に描かれた乱れのないイエスからは、そう読み取れる。

 だから、弟子のマリアだけを拡大鏡にかけるのは福音書全体の構成、味わいからもバランスを欠いたことで、いささか馬鹿馬鹿しいという気がするが、パウロを頂点としたひじょうに男根主義的なキリスト教の歴史を鳥瞰してみると、弟子のマリアを特別視したい気持ちもよくわかる。

 わたしは信者にはならなかった(知れば知るほど違和感を覚えて、なれなかった)が、福岡や実家のある町のカトリック教会は一頃、よく訪ねていた。神父さんたちとも個人的に話したり、ビリヤードをしたりした。カトリックの祈りの家である、受難修道会でもある、さる「黙想の家」で、怪奇現象を目撃したこともあった。怪奇現象というのは、まずいだろうか。だが、神秘現象というには、おどろおどろしかった。その頃、プロテスタント系の教会も訪ねた。

 また神智学を教えていただいた先生のお父様は、神智学に魅了される以前はプロテスタント系の牧師補でいらした。キリスト教には、人――ことに若者――を惹きつける力があると思う。イエスが十字架にかけられたという歴史的事実一つとっても、充分にドラマチックだ。

 そして、キリスト教の権威が強大であるにも拘らず、そこで形成された体系が人間的誤謬と幻想性に充ち、吟味に値する内容そのものがまことに乏しく、貧弱であるのは、不思議なくらいだ。

 その首をかしげたくなる土壌に、あまたの偉大な才能が豪華絢爛に咲き乱れた。それはキリスト教の教義がすばらしいからではなく、福音書に記されたイエスの言葉そのそのがすばらしいからだとわたしは考えている。

 イエスを本当に知りたいと思えば(そんなことが可能かどうかはわからないが)、第一にキリスト教がつくりあげてきたイエス像からイエスを自由にしてやることが必要だろう。これは簡単なことではないが、イエスが生きた時代をいくらかでも詳細に知りたいと思い、調べ出したことがきっかけで、わたしはいつのまにか神智学に辿り着いていた。

 映画の中でニュートンが象徴的に描かれていたが、その頃に取り寄せた『バラ十字会』の会報には、ニュートンがバラ十字会員だったと紹介されている。尤も、それには「歴史と伝説によると」と前置きがあった。外に名が挙げられていたのは、ライプニッツ、フランクリン、ドビッシィ、ベーコン、デカルト。

 バラ十字会員として明記されていたのは、リットン卿、枢機顧問官フォン・エッカルツハウゼン、パラケルスス、エルバート・ハーバート兄、ダンテ、バルザック、サン・マルタン……。

 ちなみにエジソンは神智学協会の初期会員だ。近代までの西洋で、自由に科学し哲学し文学しようと思えば、非科学的で抑圧的なキリスト教から、形を残して内面的にだけでも逃れて1人孤独に生きるか、仲間を探そうと思えば、フリーメーソンとかバラ十字会といった神秘主義的組織に入るしかなかっただろうから、ニュートンがバラ十字会員だったとしても、不思議なことは何もない。

 「ダ・ヴィンチ・コード」についてはまた書きたいが、ゴーガンや村上春樹についてのエッセーもまだ残っている。我が家を訪れた2人の死者についてのエッセーも。忘れたわけではないし、村上春樹を除いては書きたいこともほぼ固まってはいるのだが、なかなか、ほしいだけの時間がとれない。

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2006年7月15日 (土)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第30回

『女王様は民のことを、いえ、この倭のことを誰よりも考えておいでですよ……。貝の肉に抱かれて育つ真珠のように、倭という真珠母に抱かれて繊細さを深めつつある雅なるもの――。そうした気の遠くなるまでに貴いものを、まばゆい想いで見守っておいでですもの。

 女王様だからこそ、おできになることだと感じます。こういうことって、和魂の次元の事柄でしょう、あなたのおっしゃることとは別の大事さですわ。

 女王様は、いつか倭人を月にたとえられました。女王様の深遠な知識によりますと、月はお日様の光を受けて輝くのですって。月は倭人、お日様は海の向こうの人々―― 。女王様の知識の集め方が装飾的だなんて、そんなことはありませんとも。

 それは月をより輝かせるような集め方です。月が月ならではの光に輝くことが、大国に侵略されないための、最も確かな戦略ともお考えなのではないでしょうか。

 第一ですね、女王様が下戸階級のことを考えていらっしゃればこその、あなたの登用ではありませんか』〔

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携帯電話とケーキの話

 携帯電話を5年ぶりに買い換えた。

 電池はとっくに寿命がきていたので、コンビ二で買った携帯用の充電器とセットでなければ持ち歩けなかった。それでは携帯の意味がないから買い換えたら、と家族にいわれ、そうね、と応じてお店に見に行ったけれど、買わなかった。

 メールで盛んに使用した携帯電話も、パソコン購入後は家族間の電話連絡に使うくらいで、ほとんど必要を感じなかったのだ。台風被害に遭ったときはさすがに携帯電話の必要性を痛感し、買い換えなきゃと思ったが、それからまた月日が経過した。

 それが買い換えようという気になったのは、最近の体調不良から、いつ入院になるかわからないという不安を覚えるようになり、万一そうなれば、パソコンを持ち込めない場合、入院中ブログの更新ができなくなると心配になったからだ。携帯電話があれば、病院の庭からでも更新ができる。

 さらに考えてみれば、カメラ機能さえついていない携帯電話だったので、ブログに載せるために古いハムスターの写真を撮るのにも、娘の携帯電話を借りなければならなかった。買い換えれば、ブログに気軽に写真が載せられる……。そう思い立ち、お店に行くと、こちらの気構えが違うからか、フィーリングの合う携帯電話に出会えた。

 フィーリングが合うといえば、語弊があるかもしれない。それまで使っていた携帯電話にデザインが似ているというだけの話だ。デザインといっても、白くてすっきりしているというところが気に入っていたという程度のことなのだが……。

 5年間も使用したので、購入時に3,000円ちょっと安くなった。それに溜まったポイントがあったから、それを使用し、只同然で購入できた。そうやって買い換えたのはいいが、携帯電話も5年のあいだにすっかり複雑になっていて、戸惑う。学習するのが面倒だ。携帯電話は、今のところ所在なげにテーブルに横たわっている。

 ところで、同人誌の合評会で23日の日曜日、前に住んでいた山あいの町に行く予定だが、そこには行きたいケーキ屋さんがある。今回ケーキを買って帰るのはちょっと無理だろうが、いつかそれを写真撮影して、ブログでお目にかけたいと思わずにはいられない。

 地味な佇まいのケーキ屋さんだ。人目を惹く何の工夫も感じさせないそっけない外観で、何度もその前を通りながら、わたしはずっと和菓子屋さんだと思っていた。

 ところが、中に一歩足を踏み入れたとたん、そのそっけなさが、何か整った思想からきたもので、それが店内を律していることがわかる。棚にイタリアのソーダが、色はローズ、黄、白など置かれ、その棚の裏側にはクッキーが置かれている。そのそっけなさときたら、禁欲的とすらいっていい。

 正面奥には、デコレーションケーキのショーケース。白、黒のデコレーションケーキ。まるで尼僧たちのようだ。その手前一面を陣取るショートケーキのショーケースがこれまたそっけないが、ケーキに顔を向けると、目が離せなくなる。小型のケーキ一つ一つに、何という存在感があることだろう。

 どれもが大人の成熟したムードを湛え、侵し難い気品を漂わせている。まるでモーリヤックの小説の世界のようだ。このような完結した世界が忽然と姿を現していることに驚き、それを形づくったケーキ職人の腕に呆れてしまう。

 洋酒のきいた味わいがまた、大人びている。あの町にしか存在しないと想わせる独特のケーキ屋さんなのだ。 

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2006年7月14日 (金)

ジダンの怒り

 わたしはサッカーには無知で、ジダンのこともあまり知らなかった。だから、白紙の状態でワールドカップを観戦したわけだが、頭突きを見舞った直後の彼の、哀しげな動物のような目には打たれた。

 何が起こったのか、そのときは見当もつかなかった。人種差別の絡む、身内を侮辱する言葉に対しての反応だったと当人はいっているようだ。

 差別や虐めの裏側には、複雑な要因が絡んでいる。それは氷山の一角にすぎない。作家の卵としてわたしが興味があるのは、頭突きを見舞われたマテラッツィ選手の方だ。

 真相は永久に藪の中だろうが、差別や虐めということに関していうなら、それは大なり小なり、差別したり虐めたりする側の我欲に原因があるのであって、理不尽な上下関係を押しつけようとするものだ。

 より深刻な場合には、他人の苦痛を喜ぶサディズムが潜んでいる。差別や虐めは単なる無神経や粗暴とは性質の異なるものだ。差別したり虐めたりする側に、金属的な臭気を放つ、肌理の粗い性質の、条件反射的なものが潜在している。そこには、民間教育とでも名づけたくなる、何かしら刷り込みの痕跡がある。

 刷り込みの日本的典型には、男尊女卑の思想がある。この思想の解明は簡単にはいかない。わたしは家族を主たるテーマとして小説を書いてきたが、このテーマに本気で取り組もうとすれば、男尊女卑思想に分け入らないわけにはいかない。

  わたしの世代は、戦後の民主主義的勢いの強い中で育てられ、本来こうしたことへの免疫を欠いている。それに対して、親の世代は、いわば骨抜きとなって一層厄介な性質のものとなった男尊女卑思想を残している。婚家との確執から離婚したり、精神を病む同窓の女性は多いのだ。

 澄ましたがり屋で微温的平穏の中に生きたがる日本人は、このようなテーマを好まない。自分に禍が降りかかってこない限りは、不快なテーマとして封印したがる。だが、わたしには、これを不快という単純な感覚では片付けられない思い出がある。

 人種差別も男尊女卑も、本質は同じものである。真相は藪の中といっても、頭突きを見舞った後の、ジダンのあの哀しげな動物のような目。

 頭突きという行為が愚行であることはわかりきったことだ。だが、わたしにはあのときのジダンの怒りが、悲痛にして華麗な人間性の打ち上げ花火とも感じられた。

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2006年7月13日 (木)

循環器クリニックに薬を貰いに行く。整形外科受診。同人誌のこと。

 ココログのメンテナンスがあっているあいだに、同人誌が届いた。痩せさらばえていっていたはずの同人誌は、今や色艶もよく太っている。

 何しろ318頁もあり、メンバーは30人である。外観はこうだが、恰幅がいいといえるものか肥満といえるものかは、内容を吟味してみなければわからない。

 嬉しかったのは、K文学賞の授賞式で2度顔を合わせたことのあるKくん(と親しいわけでもないのに、1つ年下の彼を呼んでしまう)が同人となり、彼の作品が小説群のトップを飾っていることだった。

 前に、賞仲間のあいだからは友情といえるものは育たなかったと書いたが、唯一彼とは友人になれそうな感じがした。何より、作風に共感できるのだ。

 彼の作品はテーマ性が鮮明で、それは哲学性を感じさせる奥深いものだ。描写力があり、筆遣いは際立って美しい。あえて物足りないところを挙げるとするなら、ユーモアのセンスが欠けているところと登場人物がややステレオタイプであるところだろう。

 友情に男も女もないと思っているので、わたしは彼に無遠慮に話しかけ、同人誌を送って加入を誘いかけたが、控えめな礼儀正しい否かなと思える返事があるだけだったので、友情の夢も、同人同士として切磋琢磨する夢も、忘れかけていたところだった。

 主幹はどうやってKくんを口説き落としたのだろう、わたしを勧誘したときのように、いささか強引に作品を載っけてしまったのだろうか――と不思議に思った。

 いずれにしても、今の日本のあざとい作品が跋扈する文学界では、秀逸な彼の作品さえなかなか日の目を見られず、地区受賞した作品はともかく、他の彼の作品が保存されないまま消えることを心配していたわたしとしては、ホッとした。

 会費の払い込みの件で主幹宅に電話すると、主幹はすぐにKくんのことに触れてきた。

「あなたの意向に従って、彼を入れましたよ! 彼は今度K文学賞で地区の次席でしたから、授賞式で会ったときに、『Nさんがあなたにぜひ入ってほしいといっておられましたよ』といいました。あなたの名を出したら、彼は即座に入るといいましたな」

 またまた嘘ばっかり。主幹はK文学賞の地区選考委員だ。「ああら、そうですか。主幹の人間的な魅力に彼、参ったんじゃありませんか!」と返したが、どうして彼が入る気になったのか、心境の変化はぜひ知りたいところだ。

 主幹とはこんな風に電話で話すが、お眼にかかったことはないのだ。電話を通して互いに勝手なイメージづくりをしていることだろうから、実際に会えばどちらも驚くかもしれない。

 合評会には出席するつもりだが、午前10時半から昼食を挟んで午後4時半までの長丁場に、わたしの体力が悲鳴をあげないかどうかが心配だ。合評会のあとは懇親会があり、それにも出席する予定だが、大丈夫だろうか。

 同人誌の発行人が呼吸器科のお医者さんなので心強いが、そんな場で迷惑をかけるわけにはいかない。合評会のある23日までに、体調を整えなくてはならない。作品群も読み込まなくてはならない。それまでは、ちょっと忙しい。

                  ☆

 メンテナンスのあいだも、体調は揺らいでいた。循環器科に出かけたところ、先生は緊急手術中で受診できなかった。膀胱炎っぽいことを看護師さんに話すと、尿検査をしてくれた。コップにとるまでわからなかったが、血尿が出ていて、コップをとりに来た看護師さんも「あ……」と驚きの声をあげた。自分の尿を目の前で見られるのは、恥ずかしい。体温計を渡されて測ると、熱もあった。

 先生は手術をしながら指示を出してくださり、薬を貰って帰宅した。そして今日は、整形外科の受診日だった。先生は、わたしの肩は重症だという。初診のとき先生は、「左肩はかなり石炭化していると思う」といわれたが、五十肩の人は皆そうなのだと思っていた。「手術する場合もある」といわれたのは、一般論だと思っていた。

 とにかくもう2ケ月同じ調子でリハビリに励むことになった。先生が予定していた新しいメニューには進めなかったが、今やっているメニューに補助的なメニューが追加された。これからはトイレに行くときだけではなく、風呂に入ったときもストレッチに励むことになる。

 ホームページを閲覧したところ、先生はこの方面の専門医で、手術も手がけておられるようだ。多くの症例を見てきておられるだろうから、もしストレッチの効果がなく、手術をすすめられるようなことにでもなれば、受けないわけにはいかないだろう。

 そうならないように、本気で頑張らなければならない2ケ月となった。 

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「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第29回

『キツネの毛皮にくるまれて、捨てられていた。ただの捨て子なら珍しくないが、おとめよ。タルはお上に役立ちそうな光(オーラ)を放つ赤子だったから、上司に報告したという訳であった。

 おそらくタルは、南方(※太平洋諸島)からの渡来人とのあいだにできた子で、産み落とされて日が浅い頃に、捨てられたのだろう』

 わたしはタルを思って、胸がいっぱいになりました。『大月氏国の生まれの子だと……ナシメさんが……』

『ナシメ氏のロマンだな』と断じ、イサエガは皮肉な笑いを浮かべました。

『ところで、おとめよ。倭のことを考えるならば、大人階級をささえる下戸のための合理的な糧こそ、必要なのだ。

 道教の知識を集めているのはわたしも女王も同じだが、女王の集め方は装飾的か、さもなければ、形而上的にすぎる。

 「外丹」、古くは黄白の術ともいう錬金術があるというが、そうした実際に金銀をつくる術よりも、優雅なる女王様は、その外丹を内面的なものにし、哲学化した「内丹」理論の方がお好きという次第だ』

 その時わたしは、断崖に立った時のように冴え徹ってイサエガを見、反駁していました。〔

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2006年7月10日 (月)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第28回

『おとめよ、わたしの祖父母は誇り高いイトの人であった。イト国は朝鮮半島からの渡来人が元の住人とまとまってつくりあげたクニで、隣国のナ国を圧えて強大化した。

 118年の昔(107年)帥升(すいしょう)という王たちが生口160人を献じ、初めて中国に「倭王」と呼ばしめる史実をつくった。栄華ははかないもの。

 大乱後、イト国はヤマト国の治下に入り、祖父母の領地は召しあげられ、祖父母は命からがら、マツラに落ち延びたのであった。

 イトには大陸の言葉を解する者が少なくない。ゆえに、連合国時代になってからも、イトは交易の拠点としては健在だ。

 ここに置かれる大卒(だいそつ)という官は、交易を統制し、ヤマトのクニより北方のクニグニ全てを検察する仕事をこなすが、わたしはその下で使い走りをしていたことがあった。

 タルを見つけたのはその時だった』

 わたしは驚きのあまり、しゃっくりが出ました。『タルを見つけた、ですって』〔

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2006年7月 9日 (日)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第27回

『父は殺された。残酷なおとめよ、そういわせたかったのか』

 わたしは眼をぱちくりさせ、まさか、と答えました。この人は何という難儀をした人なのでしょう、とむしろ呆れた思いで――

『少年のわたしには、その時の渡航が失敗することが、あらかじめ、鮮明にわかっていた。そなたと同じ、霊感の持ち主であるわたしには――』と甘美にささやき、わたしの耳に凍る息を吹き込んで、わたしを抱き締めにかかったイサエガ……!

『女王律の全ては女王の属性さながらだ。女王は多くの知識を集める。真珠や翡翠を集めるように。そうした宝玉の輝かしさで民の眼をくらまし、民の上に君臨なされて久しい。

 最高の家柄に生まれ育った女王に、下戸の気持ちはわかるまいな』

 息をつめたわたしは、それを彼の不幸の深さと思おうとしたのでした。〔

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2006年7月 8日 (土)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第26回

 わたしは枇杷(びわ)を食べていたのですけれども、さすがに食べるのが恥ずかしくなりました。

 ただ、『お気の毒に。それで、お父様は持衰でいらしたのですね』と、お悔やみを述べながらも、わたしの好奇心は留まるところを知らないのです。

『おとめよ、あの嘆かわしい姿を見たことがあるのか』
『いいえ』

『わが国と中国との間の行き来は、少ないとはいえない。渡航は危険を伴う。しかも、失敗はならぬ大事である。失敗してはならぬ事柄にぶつかった時、小心者は神経衰弱になるものだが、倭は小心者の国らしい。

 命がけで願をかけるようなことをするのだから。おまけに横柄者の国でもあるらしい。その任をただひとりの男に負わせるのだから。

 任にあたった持衰は頭を梳らず、シラミを取り除かず、衣服を汚れるままにし、肉を食べず、婦人を近づけず、喪人の如くあらねばならぬ。

 渡航がうまくゆけば、奴婢(ぬひ)や財物が与えられ、失敗すれば……』

『失敗すれば?』と、わたしはごくんと唾を呑み込んで、イサエガの冴え冴えと徹った瞳をのぞきました。

 どこまで行っても果てのないような瞳でした。ひき込まれたら、そのままになってしまいそうな瞳でした。死そのもののような瞳でした。〔

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ハムスター列伝①クッキー~長老の風格があった☆その三

 さて、ハムスターはスモークダックの切れ端を食べたでしょうか、食べなかったでしょうか? 回答――食べませんでした。

 というより食べる食べない以前の問題で、全く目に入らない様子でした。何度ハムスターの目の前に肉の切れ端を置いてやっても、通行を阻む障害物としか認識していない様子でした。

 性懲りもなくハムでも試してみましたが、実験結果は同じでした。実験でおなかが空いたわたしの方が、ハムを2枚ほど、むしゃむしゃ食べました。

 これは今考えれば、当たり前といえば当たり前の話でした。ハムスターが本来雑食性であっても、ペットショップで与えられていた餌は、果物と種子でした。ペットショップでの食生活が習慣化していたのでしょう。

 ともかく、わたしは実験結果に胸を撫で下ろしました。もうこれで、たとえハムスターを放し飼いにしたからといって、自分や家族の身の肉を食料として齧りとられるのではないか、などという心配はしなくてもよくなったわけでした。

 この初代ハムスターのクッキーを飼い始めた頃は、まだハムスターに関する本はあまり出ていませんでした。ハムスターグッズも、ほとんど見かけませんでした。それでわが家でも、周囲でも、ハムスターの飼い主は大方が試行錯誤の中で飼っていたように思います。

 ペットショップのおばさんに訊いたところでは、そこで売られているハムスターはニュージーランドで交尾させて生まれた子供という話でした。クッキーはニュージーランド生まれなのでしたが、ゴールデンハムスターの原産地は、東ヨーロッパやシリアなど中近東の岩の多い沙漠だそうです。

 その後、煮干、茹で卵、チーズ、茹でた鶏肉などを餌箱に入れてみましたが、いずれも手つかずのままでした。ペットショップではリンゴの側にいたという夫の話でしたが、リンゴも好みませんでした。リンゴが嫌いだったのはこのハムスターくらいで、後から飼ったハムスターは一匹残らずリンゴが好きでした。

 クッキーが好きだったのは、ヒマワリの種、パンのかけら、豆腐、ハチミツでした。死ぬ前には老衰のような感じになり、消化機能の衰えが見られましたが、豆腐は最期までよく食べました。

 わたしたち家族は、クッキーと2年間を共にしました。ある日の彼の様子をスケッチしてみましょう。

 小雨のそば降る中、白木蓮の木にはふくよかな花が咲いています。午後3時の家々の窓は瞑目しています。春は♂にとっては悩ましい季節なのでしょう。クッキーはパンパンに張った♂の生殖器を抱いて、眠っています。あえかな、厳しい、不思議な表情をしています。

 夜になると、クッキーは起床し、丹念に洗顔と毛繕いをします。ここでもクッキーの独創性は発揮されていました。後から飼ったハムスターは自分の唾で毛繕いしましたが、クッキーは違いました。

 野菜についた水や給水器から滴る水のしずくを手につけ、それでよく毛を撫でつけていました。ポマードをつけるおじさんにも似た仕草は、忘れようにも忘れられません。〔続〕 

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2006年7月 7日 (金)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第25回

 ナシメさんの隣に同じ外交官のトシゴリ氏、その向かい側に座っているのはまぎれもない彼、イサエガでした。

 結婚の相手と間違えた失礼はありましたが、命の恩人の彼。わたしにどう声をかけてくれるのかしら、と胸をときめかせていたのですけれど、イサエガはそ知らぬ顔で座っていました。

 端麗なる男、イサエガ! ああ、けれど、精妙で冷たく、輝きのないイサエガの雰囲気は、謁見室を唯一不安にする闇でした。

 イサエガは、後になってわたしに物語りました。

『わたしはマツラのクニで生まれた。

 光きらめく磯遊びを想像するだろうか、おとめよ。生憎、そんな呑気な境遇ではなかった。わたしの父は持衰(じさい)、母は海女だった。

 大人(たいじん)の好む青大勾玉、つまりアワビ真珠を獲るために、海女がどれほどの辛酸をなめるものか、そなたには想像もつくまいな。

 アワビがとれること自体稀なのだ。ましてや、獲れたアワビを何百、何千個ひらいたところで、真珠などめったに見つからぬものだが、奇蹟に近い幸運を信じて、海女は海にもぐる。

 海の底まで沈んでアワビを獲る肉体的な辛さは、相当なものである。母は優秀な海女だったが、ある日、海からあがったとたん、おとめよ。口や鼻から血を噴いて息絶えてしまったのだ。

 あたかも、海は桃真珠色に輝いていた』〔

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2006年7月 6日 (木)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第24回

 わたしの里にある銅山のことが、これほど話題にのぼるとは思いませんでした。

「あの山容は、中国江南の茅山(ぼうざん)に似ているという話です」と、甲高い掠れ気味の声ながら、ものやわらかいアクセントを持つ声がしました。

 黄ばんだ顔の中で、瞳ばかりがすばらしさに満ちている人で、その瞳は知力を超えた何ものかを感じさせる瞳です。

 この人が女王連合国きっての外交官であり、この時から13年の後に魏(ぎ)の皇帝より、卒善中朗将(そつぜんちゅうろうしょう)という武官の称号と、銀印青綬(ぎんいんせいじゅ)※銀の印と青の組み紐)を賜ることになるナシメさんなのでした。

 中国は、異国との友好関係を結ぶにあたり、官位と印綬を与えて外臣(がいしん)の位階を授ける方式を採っていたのです。

 ナシメさんはナのクニの出身でした。

 湾に面したナのクニは進歩的なおクニ柄で、167年も昔(57年)に後漢王朝の光武帝から金印を授かった王様のことは、お母さんが幼児に話して聞かせる昔話にもなっています。

 水田の整備技術や青銅器の鋳造センターとしても、ナのクニは有名な処なのでした。〔

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2006年7月 5日 (水)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第23回

「本当に良質の銅が採れますな、あの山は。いやはや、日月そっくりの白銅の鏡でも何でも持って来いの、あの山は頼もしい。後漢鏡を入手しにくくなってからというもの、副葬に用いるにも事欠く有り様で、鏡を砕き、その欠片を一族で分け合って用いている地域すらありますからな」

 と野太い声がしたのは、女王の弟君です。繁茂した眉、ぎょろりとした眼、大きな体……見かけとは異なるやさしいお人柄で、物事を綿密にこなしてゆく、よく目配りのゆき届く方でした。

 王権は、祭事(まつりごと)を司る権限と政事(まつりごと)を司る権限とが表裏一体となって構成されていました。

 具体的には、神霊にお仕えになる祭司者たる女王と、国政を執行なさる弟君との協力体制でヤマトのクニは機能していて、それにはお二方の阿吽の呼吸が不可欠でした。

 また女王は、ヤマトのクニ最高の祭司者というだけでなく、女王連合国最高の祭司者でもありました。

 血を分けた姉弟であるお二方は、プライベートでもほのぼのとしたご姉弟であるご様子が、それとなく窺えたものでした。〔

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2006年7月 4日 (火)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第22回

 眼の前に人々が居心地よく座り、談笑をやめた顔を思い思いにこちらへ向けるのが見えました。

 白萩を生けた大きな花甕と、美しい細工を施した香炉があります。

 わたしが中に入りかけた時に、壁に寄りかかって立ち、快活な笑いと共に何かいっていた華奢なお年寄りが、あたかも銀色の漣(さざなみ)が寄せるように、わたしたちの方へ歩んできました。

 このお方こそが30ものクニグニをまとめあげている偉大なカリスマ性の持ち主であるお方、わたしたちの女王様なのでした。

 銀無垢の輝かしい髪をあっさりと結いあげ、貝紫染めの御衣(みけし)……、銀色の余韻は消えたかと思うや、波濤となって、芋名月の夜の真っ白な月のような、可愛らしい女王のお顔がわたしを見つめていました。

「お父様は、お気の毒なことでした」と、女王は、かなり昔のことになってしまったわたしの父の事故死について、お悔やみを述べました。

 はっとするほど、さわやかに響くお声でした。〔

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2006年7月 3日 (月)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第21回

 いざ、とわたしはタルに従おうとしましたが、長旅を終えた病後の体はよろよろします。タルはわたしを助けながら打ち明けました。

「女王様でも、時折、楽しい空想をなさるんです。それはね、あなたが火を跨いで僕とまみえ、僕とあなたのあいだに、玉の子が生まれる……」

 わたしはますます男の子の頭の中を疑うばかりでしたが、ああ、女王の、それはまこと、何と純で、無邪気な空想だったことでしょう……!

 この時から10年の後に女王のお体がご不自由となられてからは、お側近く出入りするようになっていたわたしなども、それまでのようにはお眼にかかることができなくなったのですけれど、タルはそうした女王のお側近くとどまることを許され、飲食を給し、辞(ことば)を伝え居処に出入りしたのでした。

 回廊を行き、女官たちの局(つぼね)と思われる清楚な趣の幾つもの室を過ぎたわたしたちは、そこを曲がってまた回廊を行き、やがて、談笑の声が賑やかに洩れる室の前に立ちました。

「ここが謁見室です」とタルは説明し、躊躇なくそこへわたしを押し入れました。〔

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2006年7月 2日 (日)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第20回

 よくはどころか、まるで訳がわからず、「あなたは何なの?」と馬鹿な質問をしてしまうと、

「僕の名はタル。僕は女王様の高床倉庫なんです。倉庫の中には、ひと粒、ひと粒が、赤く光っていて、しかも太っちょの種籾(※3が、それはもう沢山納まっているんですよ」と、男の子は誇らしげにいい終え、鼻をひくつかせて、わたしにうなずいてみせました。

 一瞬、男の子をダイナミックに取り巻くきらきらと光る緑色の太い輪が見え、その内側はほとんど透明といってよい澄明な黄色であるのが見えました。

 また、その生き生きとした風貌や、機敏な答え方は、如何にも賢そうでしたが、わたしには男の子のいうことが何ひとつ理解できず、この子が変か、わたしが変か、どちらかでしょう、と思ったのでした。

「お加減がいいのなら、まいりましょう。あなたが起きられるようだったら、連れて来るようにいわれているんです」〔

 
   
3 縄文時代に初めて日本に伝播した米はジャポニカ種(短粒)の赤米だったといわれ、邪馬台国時代や大和朝廷時代の献上米は主にこの赤米だったと考えられている。  

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2006年7月 1日 (土)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第19回

   第二章

 朝の光の中で、わたしは目覚めました。

 そびえる楼閣、めぐる城柵、威儀をただす見張りの兵、しっとりとした宮殿への道……それから……それから。

 ああ、思い出しました。そこでわたしは眠ってしまったのです。信じられないような出来事の中での不思議な気のゆるみから、わたしは眠り込んでしまったのでした。

 ほのと薫るやわらかな寝床でした。頭をめぐらし、わたしはぎょっとしました。

 寝床の傍の敷物にちょこんと男の子が座って、わたしを見ていたからです。男の子は、まあ何て、つやつやした栗色の膚なのでしょう。何て大きな、黒曜石のような瞳なのでしょう……!

「あなたは何処の子?」と、わたしはこわごわ問いました。

 すると、男の子は、睫毛をしばたいて、はにかみました。「大月氏国(※2の子、かもしれません」

「大月氏国……?」
「西方の。中国よりさらに遠い異国です。ナシメさんがそういったの。ナシメさんにも、よくはわからないらしいんです」〔

 
 
クシャナ朝の大月氏国は、今のインド北部からアフガニスタンにまたがる大国。ガンダーラ美術をうんだ。 

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