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2006年5月の8件の記事

2006年5月29日 (月)

自作俳句「百合の花」

ふつと閉じ四方指したる百合若き

咲きそめて香気清(す)みさす小百合かな

百合の花ほのひらく度かほりきぬ

百合なれば莟の全てひらきけり

奥の力(りき)真白に放つて百合ひらく

花がめに下りハツハツと百合咲きぬ

青やかに蘂(ずい)を含める百合白く

白百合は花粉こぼして精気尽き

枯るるまで高く香りし百合の花

丘陵に白く浮かぶや百合の群れ

相眺めて百合の名語るやカサブランカ

貴婦人の衣装の如き百合活けぬ

大輪の白は深んで百合豪奢

見遣るたび未知の白なり百合の花

わが魂(たま)の谷あひの色ゆり白き

百合の花見果てぬ夢の深まりて

 こちらへもどうぞ:自作俳句「子供たち」、自作俳句「夏の思ひ出」、自作俳句「熟るる歓び」。

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2006年5月26日 (金)

久しぶりの博多、マリア・テレジアの遺品

 昨日、九州のある小都市からある中都市へ出かけた。率直にいってしまえば、大分市街から博多へ出かけた。天気のいい日にはあまい青色を湛えている別府湾は、この日は曇り空を映して大きな水溜まりのように見えた。白いソニックが傾いで、湾に沿って走る。

 小倉を過ぎ、白いソニックはすぐに寒気がしてくる土地にさしかかる。その土地には、わたしが怯え、腹の底から憎しみを覚えた人々が住んでいる。その憎しみの大きさたるや、わたし一人ではおさめきれないほどだ。わたしが死ねば、その憎しみが独自の生存権を得るかもしれないと不安になるほどに。

 そういえば、かかりつけの循環器クリニックの医師はこの辺りの出身で、どこへ行くにも出生地を避けて通るといっていた。小児喘息を病んだ土地だからだという。親はそこにはいないのだろうか。いずれにしても医師とわたしには、同じ土地がトラウマになっているという共通項がある。

 白いソニック、走れ! 速く、もっと速く、飛ぶように速く走れ! 憎い彼らの面影を切れ切れにしてほしい……。

 息を殺して体を硬くしているうちに電車はその土地を抜け出し、やがて博多駅に滑り込む。わたしは隣の席に子供のような顔をしてうたたねをしている娘を見る。そうだった、娘と一緒だったんだと思い出す。

 博多行きは、娘が遅ればせながら「母の日」のお祝いに贈ってくれたものだった。トキハデパートで服を買うか博多に行くかどちらにする、といわれ、博多行きを選んだ。

 福岡市は大学生活を送った街だし、新婚時代住んでいた町は博多駅から近かった。だからといって博多が好きなわけではない。博多は小倉よりは好きという程度なのだが、たまに変化具合を確かめに行きたくなるのだ。

 岩田屋デパートも大丸デパートも三越デパートも、中が皆同じに見えるのはどうしたわけだろう? 以前もこうだっただろうか、思い出せない。ラルフローレンもカルバンクラインもアナスイもニューヨーカーも同じに見えるなんて。

 まるで市場のようにテナントが並ぶ。別室風に設けられているブランドショップを例外として。あれはあれで大金持って来いといわれているようで、庶民には入りづらい。

 格差社会・二極化のあらわれなのか、今の流行なのか、行き着くところまでいった商業主義のスタイルなのかが判然としないまま娘もわたしも買いたいものを見出せず、「お金を使わずに済ませられてよかったね」と慰め合いつつ、新天町へと向かう。

 娘と天神に行くときはいつも寄るビクトリアという釜飯の店に入る。母もわたしと博多へ出かけ、天神に行くときはいつもそうした。ビクトリアに入ると、ほっとする。エビ釜飯も美味しい。だが往復4時間もかけてやってきて、おなかをふくらませたというだけでは寂しい。がめついわたしの心が納得しない。

 ふと「マリア・テレジアとシェーンブルン宮殿」という福岡市博物館であっている催し物のポスターが目に入る。娘と見つめ合う。ここへ行くために今日は出かけてきた、そんな気になり、地下鉄に乗るために階段を下りる。

 地下鉄を降りて博物館に行く途中、高い木立に囲まれた県立高校の横を過ぎた先で、西南学院大学が無理をして建てたらしいレンガ造りのレストランが目についた。自分が出た大学はどれくらい無理をして生徒を集めようとしているのか、確かめに行きたい気持ちに駆られたが、思いとどまる。

 福岡市は真夏のような暑さだった。小綺麗な博物館の前の庭で、社会科見学にきたらしい小学生たちが記念撮影のために並んでいた。

 マリア・テレジア。1717年に生まれ、1780年に死去。ハプスブルク家初の女性宗主、中央ヨーロッパ全域を総括する広大な領土を相続し、その相続で揉めて起きたオーストリア継承戦争を乗り切り、改革によってハプスブルク帝国を近代的な国家へと生まれ変わらせた。芸術の都ウィーンの基礎を築いた。

 20歳から39歳にかけて16人の子供をもうけた。そのうち成人したのは息子4人、娘6人。断頭台の露と消えたマリー・アントワネットは末娘である。これ以上あまりにも有名なマリア・テレジアについて解説するのは、野暮というものだろうが、イエスマンばかりを周囲に集めたがるどこかの国の首相とは違って、マリア・テレジアには人を見抜く目があり、登用の術に長けていたらしい。

 外交官として優れていたカウニッツは宰相に任命され、オーストリアの発展に大きく貢献したとされているが、彼の肖像画を見て、びっくり。何とピアニストの内田光子にそっくりではないか。

 マリア・テレジアはオシドリ夫婦であったとされるが、婚約時代の手紙があった。真面目な美しい文面の手紙で、筆跡は意外なくらいに華奢な印象を与える。細くて縦長の、几帳面な文字だ。

 少女時代のマリア・テレジアは如何にも賢そうで、落ち着いた雰囲気を湛えている。くっきりしすぎるくらいの二重瞼。灰色を帯びた鋭い、が決して冷たくはない早くも並々ならぬ才智と包容力を感じさせるまなざし。

 夫シュテファンの少年時代の肖像画の方がむしろ女性的な優美な印象を与える。黒目がちの夢見るような瞳。面長の柔和な頬の線。娘のマリー・アントワネットはこの人似だと思わせる。彼は狩猟好き、芸術家肌だったらしい。ビデオ解説に、マリア・テレジアは彼を好きにさせていたとあったから、おそらく遊び人でもあったのだろう。アントワネットはこの人のそんなところを受け継ぎすぎた。

 帝国主義者として偉大な統治を行ったマリア・テレジアも、見方を変えればその枠内に留まった旧弊な人間であり、啓蒙思想の影響を強く受けた長男との確執はそのあたりから生まれたようだ。

 わたしはキリスト教文化について書かれたものを読んでいて、感覚的についていけないと感じることがよくあるが、カタログの中のマリア・テレジア時代の宮廷モードについて書かれた次のような文章もそうである。

「残念ながら、ウィーンの美術館の服飾コレクションの中には、18世紀に宮廷で用いられていた婦人用ドレスはわずかしか残されていない。その理由の一つは、マリア・テレジアが、娘たちの上等の服や礼服、そして高位貴族の夫人たちの衣装を身分の高い聖職者に提供し、僧たちの大外衣や式服の生地として使わせたことによる。」

 婦人たちが着たドレスを、形を変えるとはいえ僧侶が着る……? この感覚が、わたしにはわからないのだ。その残されたわずかなドレスのうち2点が展示されていたが、いずれもドレスはカーテン生地のような、重たげに見える布で作られている。色が褪せていたために、よけいにカーテンのように見えたのかもしれない。

 マリア・テレジアの遺品には、彼女の朝食用の伊万里焼のカップをはじめ、伊万里を用いたものが色々とあった。東インド会社によって輸入されたそれを、彼女は「インドもの」と呼んでいたらしいが……。当時、伊万里焼がヨーロッパで人気を集めていたことが窺える。

 オランダ東インド会社は1602年に設立され、1799年に解散された。マリア・テレジアの一生は、東インド会社が活動していた後半期にすっぽりおさまる。

 中国の明王朝に替わった清王朝が施行した鎖国政策で、中国磁器が入ってこなくなることを懼れた東インド会社が、1659年、まだ技術的に未熟だった伊万里焼へ大量の発注をした。

 そして、伊万里焼の陶工たちは頑張ったのである。1685年からまた中国磁器が力を揮いはじめたが、そのときすでに伊万里焼は独自の発展を遂げ、ヨーロッパでの名声を獲得していたのであった。

 マリア・テレジアは、脂の乗った伊万里焼に魅了された一人だったのだろう。芸術の都ウィーンの基礎を創った彼女の美意識にアジアの、それも日本の美が深く影響を及ぼしていたことを想うと、何か不思議な気がする。

 邪馬台国を舞台とした小説を完成させたいという思いがわたしにはあるが、実はもう一つ、あたためている思いがある。それは、国内向けの献上品、贈答品だけを焼くことを宿命づけられた――鍋島藩秘窯の里、大川内山を舞台とした――陶工たちの物語である。

 有田地方で製作され伊万里港から積み出された磁器も、伊万里地方大川内山の鍋島藩御用窯の技術を受け継いだものも、伊万里焼と呼ばれるが、前者は特に古伊万里、御用窯製作の磁器は鍋島と呼ばれる。

 そして、今では一般に、鍋島の技術を受け継いだものを伊万里焼、それ以外のものを有田焼と呼ぶようだ。

 小さな頃から有田焼や伊万里焼に触れながら、わたしがそのよさに気づいたのは、ようやく中年になってからだった。

 参考文献

●南大路豊「やきもの 全国有名窯場めぐり」西東社、1998年。

●矢部良明「世界をときめかした伊万里焼」角川書店、2000年。

●永積昭「オランダ東インド会社」講談社学術文庫、2000年。

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2006年5月14日 (日)

ゴッホ②「ゴッホとゴーガンにおけるジヌー夫人」

ゴッホ①「ゴッホの絵、パンのオブジェ」へ

 タンシェン・ジャパンから出た「ゴッホ全油彩画」が自分のものになってすぐに確かめたのは、東京上野の「国立西洋美術館」で観た「ばら」でした。その「ばら」が、捜せど捜せどないのです。全油彩画とあるのに、収録されていないということがあるのでしょうか。

 何と数日経って、ようやく見つかりました。絵はちゃんと収録されていました。実際よりも赤茶けた感じだったこと、題名が「花咲く薔薇の茂み」となっていたことで、見過ごしてしまったのでした。この画集の明度は、全体にいくらか差し引いて観るべきかもしれません。

 画集の薔薇の絵は明るく軽やかですが、実際の絵はもっと沈んだ、沈鬱といってもいいくらいに緑味の勝った暗色――深みのあるシックな感じで、何ともいえない品のよさがありました。

 あたかも魂が息づいているかのような緑色の深みから、祈りのように、星のように、うっすらとピンクがかった白い薔薇の花々が点々と咲き出ているのです。

 ゴッホ特有の絵の具を厚く塗りつけた描き方なのですが、それだけ塗りこめないことには、あの深々とした沈鬱な感じは出せないようにも思われます。

 あのようにこってりとした絵を描くために、ずいぶんな量の絵の具が消費されたことでしょうね。ゴッホの苦闘もさることながら、そんな彼を絵画面、生活面で支え続けた弟テオの苦労も如何ばかりだったことかと気の毒に思えないでもありません。

 「ゴッホ全油彩画」を鑑賞し、痛感したことは、ゴッホの多感さ、濃やかさ、勤勉さでした。気を抜いて、いい加減に描かれたような絵がたったの一枚も見つからないのです。たったの一枚もですよ……。そして、どの絵にも、どこかしら縛りを感じさせるものがあります。

 この世に、あの肉体に幽閉されてしまっていた純真な魂といった印象に打たれずにはいられません。

 まだ子供たちが小さかった頃、充分に操れない言葉を遣って懸命にこちらに何かを訴えようとした姿を思い出させるような、何ともいじらしい、母性愛をそそるようなところがゴッホの絵にはあるのです。

 そんなゴッホと切り離すことができないのが、ゴーガンという男の存在でしょう。ゴッホを惑乱させ、やがて南太平洋の島タヒチに行ってしまった男。片耳を斬り、精神病院に入ってしまったゴッホの方の痛手は想像がつくとして、ゴーガンの方は、どうだったのでしょう?

 今すぐにはそこまで分け入るゆとりがありませんが、調べていきたいと考えています。一応、参考文献として、ゴーガンをモデルにしたというモームの「月と六ペンス」なども再読する必要がありそうです。

 ところで、ゴーガンの行動は、若年にして天才詩人と呼ばれたフランス人ランボーを連想させます。ランボーは独特の夢を育んで放浪し、やがて南アラビアのアデンで武器商人などして残る人生をむざむざ費やし、骨肉腫の悪化でマルセイユに戻り、右足切断、妹のイザベルに看取られて亡くなりました。そして、楽園を夢見て渡ったはずの南太平洋の島で、貧困と病苦のうちに暮らし、画家として果てたゴーガン。

 男性には、いや女性にだってないわけではありませんが、縛りを可能な限り逃れたい、何処かへ行ってしまいたいという欲求が強烈に存在するのでしょうか。わたしの父もそんな想いからだったかどうかは知りませんが、外国航路の船乗りになり、世界中、ことに中東へよく出かけていました。

 母に死なれて船乗りをやめてからは、本当に陸(おか)へあがった河童です。母が亡くなったのはもう20年以上も昔の話になりますが、危篤を報せたとき父は太平洋の只中にいて、下船できませんでした。

 わたしと妹が周囲の人々に助けられながら葬儀も何もかも済ませた後、だいぶ経って父は帰宅しましたけれど、以来父は被害妄想気味です。それでも結婚相手を見つけるまでは、懸命にそれを抑えていたようですが、再婚を境にそれが噴出したのです。

 自分が帰ってこられなかった癖に、わたしたちが母を死なせたように思い込んでいるのですから、たまったものではありません。どんなにわたしたち姉妹が大変だったか、知ろうともしないで。再婚してそうなるというのは、母が忘れられないのでしょうか。

 元々意志の疎通の難しい父子で、説明する機会をつくることができません。いや、つくれたところでおよそ通じない。外国人みたいに言葉が通じないのです。その癖、感性は鋭い人ですから、甚だ扱いにくいのです。

 とにかく父は自分がしたいようにしか行動しない野生児のような男――かといって社会意識は過剰に強く、変に律義にその務めだけはこなします。適性のなさを自覚していて、神経症気味なのかもしれません。

 現在父は、青森からリンゴよろしく西へ西へと流れてきたという、これもまた大変に律儀でかつ意志の疎通が難しい、が清楚な若い女性と二人、ロミオとジュリエットのような意識で暮らしています。わたしと妹を含むあらゆる親戚づきあい、かつての知人づきあいも断って……。わたしにとっての父は、今も太平洋の只中を漂っている存在です。

 今は父のことが、困惑を通り越して嫌になってしまいましたが、煙草と粋なオーデコロンの香りが似合い、休暇のたびに海の香りや外国の珍しい品々を土産に意気揚々と帰宅した、宴会好きだった頃の父を時々思い出します。

 相変わらず、趣味の絵や船工芸だけは続けているのでしょうか。絵が好きだという二人目の妻の絵ごころを知ろうとはせずに、彼女を助手としてこき使いながら。彼女の絵への想いをわかってあげなくては、あの人は本当におかしくなってしまうかもしれないのに。

 こんな船乗り特有の野趣に富んだ父を持つわたしには、ゴーガンにもランボーにも、縛りを嫌い、その揚句に異様に縛られてしまうといった一面が透けて見える気がして、苛立ちを覚えるところがあるのです。

  ゴーガンは航海士として船に乗っていたことがあるようですし、ランボーには海や船をうたった詩があります。「見つかったぞ。何がだ!――永遠。太陽と手をとりあって行った海」(粟津則雄訳)というフレーズなどは、忘れ難い味わいがあります。

 ああ何て、馬鹿な男たち……! 彼らはわかりやすいようで、わかりにくい。ゴーガンについては、本当のところ今の時点では何ともいえません。彼らに比べてゴッホは、わかりにくいようで、わかりやすい。はっきり言って彼は……可愛い。

 弟テオに子供が生れたとき、すぐに絵筆をとり、誕生を祝うにふさわしい「花咲く巴旦杏の枝」を描き贈ったゴッホは、憎めません。両耳揃っていようが揃っていまいが、そんなこと構いはしません。

 背景は、シックな青です。そこに溶け込むようにも浮き出ているようにも見える絶妙な筆致で緑の枝が伸びやかに描かれ、白い小花がにぎやかに咲き出ています。アーモンドの枝と花々は、両親の腕に抱かれて笑いを弾かせる赤ん坊を連想させます。

 初々しく力強く、それでいて透明感のある、どこか古典的端麗さをも持ち合わせたこの絵が、ゴッホの数多い絵の中でも、わたしが最も好きな絵です。

 ここで、ゴッホとゴーガンの話題に戻りましょう。画集には、同じジヌー夫人という高齢域に近い中年女性を描いた両者の絵が収録されていました。これが同じ女性だろうか、と思うくらいの違いがそこにはあります。

 ゴーガンが描いたジヌー夫人の絵からは、彼がタヒチへ行ってしまった謎が読み取れるような気がします。絵の向かって右前方にカフェの女主人ジヌー夫人が、どこか皮肉っぽさを湛えた艶っぽい笑みを口の端に浮かべ、左頬杖をついて座っています。背景には玉突き台、その後ろに顔はよくわからないながらキツネのように目の端が吊り上がった客たち、奥に平板に塗りこまれた赤い壁。

 ジヌー夫人はしたたかそうで、腹黒そうで、気に入りの客には情け深そうでもある、如何にもカフェの女主人という感じの女性に描かれています。それ以上の人間でもそれ以下の人間でもないという、大雑把に値踏みしたような描き方です。

 ただ見ようによってはジヌー夫人は地母神のようにも見えます。なかなかどうして、動かそうとしても動かしえない安定感が彼女には備わっているのです。タヒチへ行って、この安定感をゴーガンは発展させたかったのかもしれませんし、あるいは逆に、ねっとりと濃厚な、底意地の悪そうにも見えるこの女性は、彼の嫌悪する社会そのものの象徴である可能性もあります。

 事実、ゴーガンは、これを描いたアルルという土地を嫌い、去ったのですから。いずれにしても、ゴーガンを知ろうとするうえで、興味深い絵ではあります。

 他方、ゴッホのジヌー夫人。この絵に関しては、あまり説明を要しない気がします。ゴッホのジヌー夫人は、精神性の勝った、思慮深げな女性に見えます。とことん精神的な描き方です。理想をこめた描き方といってもいいかもしれません。

 というのも、ゴッホのジヌー夫人はカフェの女主人には見えないからです。婦人会の会長か何かに見えます。翌年もゴッホはジヌー夫人を描いていますが、こちらはさらに彼の理解度だか理想度だかはわかりませんが、それが増した観のある、善良そのもののジヌー夫人です。

 精神的な美点を際立たせるような描き方で、彼女は純朴な、それでいながら理智的でもある綺麗な笑みをほのかに見せて、こちらを見ています。柔和さの頂点に達した修道女といった雰囲気さえ備えているのです。

 ゴッホは他人との交わりに、芯から精神的なものを求めた人に違いありません。まことに、いじらしい。社会人として生き抜くには、それが甘さ、弱点となった可能性も否定できないでしょう。

 ゴッホ、ゴーガン、両者が描くジヌー夫人の違いは、彼らが求めたものの違いでもあるのでしょう。あたかも、ゴーガンのジヌー夫人が肉体を、ゴッホのジヌー夫人が精神をシンボライズしているかのような、劇的なまでの相違がそこにはありました。彼らの衝突には、肉体と精神の相克を見るようなシンボリックなものがある気がします。

 縛りの中に息づきながら何かを求め続けるゴッホを、無能な安住者とばかりに足蹴にして、が、その縛りに徹底抗戦を挑むというより、逃走を企てたマッチョだったのか弱かったのかよくわからない男ゴーガン。

 最晩年には、タヒチよりもっと辺鄙なマルキーズ諸島に暮らし、地域の政治論争に加わったりしたことが、ネットのフリー百科事典「ウィキペディア」に書かれていましたけれど……。何か奇異な感じを受けます。

 ゴーガンは実際には、どんな人間だったのでしょう?  そして本当のところ彼は何を求めたのか、別のエッセーで、彼の軌跡も追ってみたいと考えています。

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2006年5月11日 (木)

ゴッホ①「ゴッホの絵、パンのオブジェ」

 タンシェン・ジャパンから出た『ゴッホ全油彩画』についてまとまったものを書きたいと思いましたが、すぐには無理なので、書きたいときにその都度、断片的ながら書いていきたいと思います。

 『ゴッホ全油彩画』は、ゴッホの871作品が収録されたもので、値段は税込みでたったの6,195円でした。ゴッホの油彩すべてが収められているのにですよ。その点からすれば恐ろしく安いと思いましたが、5,000円以上の出費というただその点からすれば、わたしにとっては――我が家の家計からすれば――どうしようかな、と迷う値段ではありました。

 ジュンク堂の棚にあるのを見ながら迷う日々が続いたのは、安価な画集は色彩がよくないのではないかと思ったこととゴッホが特別好きではない――嫌いではない――ということがあったからでした。ビニール袋に入れられ封をされていたため、中を確かめることはできませんでした。

 真夏の暑苦しさが伝わってきそうな『向日葵』、メニエール病のあるわたしには観ているだけで眩暈がしてきそうな『星月夜』、不穏な気配が漂う『夜のカフェ』、不吉な絵としかいいようがない「烏のいる麦畑』……。ゴーガンとの確執、耳斬り事件……。うっかり近づこうものなら情熱というより狂気に呑まれそうな恐ろしさがありました。

 そんなゴッホのイメージがほんの少し変ったのは、昨年の初春、上野にある国立西洋美術館に出かけたときのことでした。2月の終わりに、娘と東京に遊びに出かけたのです。ホテルに3泊4日し、その日娘は町田市に住む高校時代の友人と横浜へ出かけました。

 寒い日で、少し雪がちらついていました。前日までに東京メトロをフルに使ってあちこち出かけたせいか、地下と地上を繋ぐ沢山の階段の上り下りで膝を傷め、疲れも出てきていて、ホテルでゆっくりしようかとも考えたのですが、次にいつ上京できるかはわからない、もう二度と来ないことだってありうると思うと、やはり出かけずにはいられなくなりました。

 その前に上京したときは、春の最中でした。新幹線から見る途中の野山の景色は、百花というにふさわしい沢山の花々が咲き乱れる華やいだものでした。それにも拘らず、わたしは新幹線の中で泣き続けていて、喪服を持参していました。神智学の先生が亡くなったのでした。

 先生は女性で、しかも高齢でしたが、生涯わたしがあれほど胸をときめかせ、会いたいと思う人はまたとあるまいと思います。知的で、シックで、それでいて可愛らしい人でした。あれほどまでにオーラの美しい人にも、めったに会えないことでしょう。このときのこと、そしてその後に起きたことについては別に書きたいと思い、ブログの右サイドバー上で予告もしましたので、いずれまた。

 東京には、何年も前から会いたいと思っていた従姉がいました。従姉はわたしが中学1年生のときに書いた処女作「太陽のかがやき」というたわいもない作品を読み、励ましてくれた人で、わたしにとってはミューズを空想させる人です。

 彼女の娘が音大の作曲科を卒業し、その才能を惜しまれて教授から大学院進学を勧められましたが、経済的な事情からヤマハに就職しました。現在ピアノの講師をしていて幼い子供たちを教えており、そして作曲を続けているようです。交響曲を書くのが夢だとか。従姉がいうには、作曲家を目指すというのは、大変なことだそうです。作家を目指す以上に大変なことなのかもしれません。

 何しろ音楽の世界は、お金が物をいう世界でもありますから。彼女は作曲家の卵、わたしは作家の卵。彼女は受賞歴があり、わたしは詩以外ではもう一歩のところで受賞歴がありませんが、同じ茨の道を歩いている旅の仲間です。

 従姉の娘と話してみたいと思いましたが、前もって予定を知らせておくならともかく、いきなり電話するわけにもいかないでしょう(後に上京したことを話すと、従姉から、なぜ教えてくれなかったのかと叱られました)。

 ホテルのタリーズコーヒーで昼食を済ませながら考え、上野に行こうと思いました。上野は、昔、動物園に行ったことしかありませんでした。寒くて手がかじかみ、オーバーが重く感じられ、美術館で沢山の暗い宗教画を観ているうちに狭心症の発作が起きました。

 周囲に人がいなくて幸いでした。焦る手でバッグを開け、財布を取り出し、ニトロを捜しました。かかりつけのクリニックの看護師さんに、いざというときのためにニトロが入れられるような首にかけるロケット(ペンダント)を買いなさいといわれていましたが、返事だけして買っていませんでした。

 ロケットを買っておけばよかったと後悔しました(後に本気でそんなロケットを探しましたが、ありませんでしたけれど。アルミ包装のまま2錠丸ごと入るロケットなんて……。外出時のニトロは相変わらず財布の中です)。ちょっとの動作が、うまくできません。それでも何とか捜しあて、ニトロを使って発作は治まりました。

 本当にニトロが効くときというのは、まるでミントを含んだかのような清涼感が頭へ胸へ、腕の先へ……という具合に体全体にほとばしるのですが、このときは何とか胸痛が治まったという程度。あまり気分がすぐれず、帰ろうかな、と思いました。でもまたしても欲深な気持ちが起こり、いや、まだ半分も観ていない、せっかく来たのにもったいないと歩き始めました。

 何て陰鬱な宗教画ばかりなんだろう――こんなときでなかったら興味深く観られたのだろうかと思いながら、続けて宗教画を観ていきました。画集で観て心惹かれていたクロード・モネの睡蓮の絵にもなぜか心が動きませんでした。モネすら暗い感じがする……。

 ふと、緑色の中に白い星のようなものが浮かんだ一枚の絵が目にとまりました。きよらかな絵でした。そのときわたしが求めていたものを、清楚に備えた絵が目の前にありました。誰の絵だろうと思って見ると、ゴッホとあり、題名は「ばら」でした。

 ゴッホはこんな絵も描くのだと意外さに打たれ、帰ったら図書館で画集を観てみようと思いながら、そのまま忘れていました。ジュンク堂の棚に彼の画集があるのを見たときに薔薇の絵を思い出して少し心が動きましたが、ゴッホもまれには上野の美術館で観た『ばら』のような絵を描くのだろうと思った程度で、どうしても購入したいという切実さには結びつきませんでした。

 ところで、家族でときどき行くパンのレストランがあります。クルミ、抹茶、セサミ、レモン、オレンジ、玄米、黒糖、ヨモギ、ココア、といった材料を生地に混ぜた焼き立てのパンが選び放題、食べ放題。ちょっと小ぶりだけれど美味しいハンバーグにサラダが添えてある皿、それにスープかコーヒーがついて一人1,000円内で済みます。夕食を作りたくないときには、ありがたいお店です。ただそのレストランには一つの難点、というか痛ましい見物(みもの)があるのです。

 それは、大皿にこんもりと盛られて台の上に置かれている沢山のパンのオブジェです。それらのパンには食べ物としての精気がなく、売り物には見えない。かといって、作り物にしては生々しい。不思議に思い、ある日訊いてみると、何とそれらはパンの死骸なのでした。死骸というと、よかれと思って飾っていらしたお店の人に悪いのですが、売れ残りのパンをオブジェとして置いているという話でした。

 不思議なことに、黴などはパンの表面からは全くわかりません。パンを割れば、どうなのでしょう。パンのミイラといったほうがいいでしょうか。それらのパンのオブジェを見ていると、わたしには身につまされるものがあるのです。

 なぜなら、それらは拙作……丹精した揚句、放置されたままの自分の作品を思い出させるからです。古い原稿がぎっしり詰まった箱を開けたとき、そこにはあのパンのオブジェが漂わせているものと同じものが漂っています。死んでしまっていると思え、ショックを覚えます。それでも一作一作読み始めると、作品に血が通い出し、やがておぼつかなく呼吸し始めるのがわかります。

 ジュンク堂に出かけ、『ゴッホ全油彩画』を購入したのは、ある文学賞に応募したわたしの作品の落選がわかったすぐ後のことでした。落選のお祝い(?)に買おうと思ったのでした。生涯に1枚の絵しか売れなかったというゴッホの画集は、それにふさわしく思えました。

 落選したあとはなぜか、11階のマンションのベランダから見下ろすはるか下の地面が、すぐそこに見えたりします。ひょいと手摺りをまたいで降りられそうな気がしたりするのです。わたしは高所恐怖症なのにですよ。別に取り立てて自殺しようなどとは思わないだけに、わたしにとっては空恐ろしく感じられる異常な状態です。この異常な感覚を正常な状態に戻すには、報われない人生を送った偉大な芸術家の作品に触れるのが一番です。

 現在では名の通ったゴッホであっても、画家扱いされない人生を送ったのだし、激情家でもあったのだから、作品群にはむらがあるに違いない。彼の転変する心、息遣いの強弱を、絵の一枚一枚から読み取りたくなりました。案外パンのオブジェと同じものが多数見られるのではないか、とどこか嗜虐的に期待しました。

 画集を求め、小動物を抱えるようにして家に持って帰り、本を覆っていたビニールを剥ぎ取りました。紙質は悪くなく、色彩は鮮明で、お買い得だったことはすぐにわかりました。『ゴッホ全油彩画』については、また別のエッセーで語ることにします。  

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2006年5月 7日 (日)

村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ(Ⅲ)

当小論をもとにした評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
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  『ノルウェイの森』の主な登場人物

●ワタナベ君……主人公。神戸高校を出、東京の私大に進学。●キズキ……主人公の高校時代の友人。高校在学中に自殺。動機は不明。●直子……主人公に恋される女性。キズキの幼ななじみであり、恋人でもあった。東京の女子大に進学するが、精神を病むようになる。療養施設に入るが、やがて自殺。●永沢……主人公が寮で知り合いになったハイセンスな年上の男性。東大卒業後、外務省。その後ドイツへ。●ハツミ……永沢の恋人。永沢がドイツへ行ったあと「ふと思いついたみたいに」自殺。●緑……主人公と大学が同じで、同じ授業を受講したことから恋人同士になる。実家は書店を経営していたが、父親が亡くなり、姉と決めて店を閉じる。●レイコ……精神療養施設で直子の同室者。ピアニストを志すが挫折。ピアノ教師をしていたときに教え子の少女の悪意から社会的迷惑を被り、精神を病む。

 『ノルウェイの森』の主な登場人物を一応挙げてみたが、いざ挙げようとして戸惑った。というのも、主な登場人物ともそうではないともどちらともいえない登場人物が多いからだ。

 例えば、小説の始まりの部分で、37歳になった主人公がドイツのハンブルク行きの飛行機の中でBGM『ノルウェイの森』を聴いて動揺を覚え、顔を覆う場面に登場するスチュワーデス。主人公を気遣って言葉をかけるのだが、一度離れたあとで再び主人公のもとへやってきて、隣に腰を下ろしてまで気遣う。

 「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから」と主人公がいうと、スチュワーデスは「そういうこと私にもときどきありますよ。よくわかります」といい、立ち上がって素敵な微笑を主人公に向ける。

 このスチュワーデスがなぜ主な登場人物ともそうでないともいえないのかというと、『ノルウェイの森』に登場する女性はほぼ全員がこのスチュワーデスと同質の役割を担っていて、主人公の慰安――性的処理が含まれる場合もある――を司る存在であり、そういった意味において象徴的な存在ともいえるからなのだ。

 女性たちは過剰なまでに、ときには異様なまでに主人公に理解を示す存在として描かれる。ある女性で足りなければ別の女性が追加され、それでも足りなければさらに追加されるという風だ。物語のスタート地点にスチュワーデスがいるとするなら、ラスト地点でタオルをひろげて主人公を待つのはレイコという女性だ。主人公にとって必要がなくなれば、彼女たちはタイミングよくどこへともなく消えていったり、死んでいったりする。

 『ノルウェイの森』はリアリズムの手法で書かれているといわれるが、これでもそうといえるのだろうか。現実には、物事はそう都合よく運ばないものだと思う。頁を多く割いて語られ、主人公を最も悩ませる存在であるはずの直子も自殺を遂げて消えていくし、最終的に主人公が女性たちのあいだから選択したといえる――直子と一見対照的に映る――溌剌とした前向きな女性である緑でさえ、同じ運命をたどることが暗示されていないでもない。

 小説の終わりの部分で、主人公が緑に電話をかける場面が出てくる。主人公は「何もかもを君と二人で最初から始めたい」という。すると緑は長いあいだ電話の向こうで黙り、沈黙を続けたあとで「あなた、今どこにいるの?」と静かな声で問いかける。主人公はそれに対して、答えることができないのだ。自分がどこにいるのか認識できない。認識できないまま緑を呼び続けるという主人公の心象風景だけが描かれて小説は終わっている。

 その後、主人公と緑の仲はどうなったのか。それが読者に明かされることはなく、18年という月日が経過し、初めの飛行機の中の場面となるわけなのだ。緑もまた他の女性たちと同様、消えていったとも考えられる。そう考えれば、この小説は一見ノスタルジックな繊細なムードをまとっているようでありながら、実際には死屍累々たる小説だといえる。勿論、そうしたのは作者以外にありえない。

 男性たちは不必要だからか、極めて存在感に乏しい。主な登場人物として挙げていいのかどうか迷ったくらいだ。わたしは先に、村上春樹の小説は哲学的な構築がなされていず、日常的な思考域の中での思いつきを綴り合わせたにすぎないと放言したけれど、人物の気ままな扱い方からも、そうとしか思えなかった。

 ネットで、『海辺のカフカ』について新潮社が作者の村上春樹にインタビューした記事を見つけた。そこで「この小説はいくつかの話がばらばらに始まって、それぞれに進んで、絡み合っていくわけですが、設計図みたいなものは最初からあったのですか?」という問いに答えて、彼は次のように答えている。

〔いや、そういうものは何もないんです。ただいくつかの話を同時的に書き始めて、それがそれぞれ勝手に進んでいくだけ。なんにも考えていない。最後がどうなるとか、いくつかの話がどう結びつくかということは、自分でもぜんぜんわかりません。物語的に言えば、先のことなんて予測もつかない。〕

 『ノルウェイの森』が『海辺のカフカ』と同じような書き方をされたかどうかはわからないが、わたしには同じご都合主義の臭いがする。『海辺のカフカ』を読みながら、本当にわたしが憔悴してしまうのは、死屍累々の光景が拡大され、即物的な描写が目を覆うばかりにリアルなものになっているからだ。以下は、そのごく一部分だ。

〔ジョニー・ウォーカーは目を細めて、猫の頭をしばらくのあいだ優しく撫でていた。そして人指し指の先を、猫のやわらかい腹の上で上下させた。それからメスを持ち、何の予告もなく、ためらいもなく、若い雄猫の腹を一直線に裂いた。それは一瞬の出来事だった。腹がぱっくりと縦に割れ、中から赤い色をした内臓がこぼれるように出てきた。猫は口を開けて悲鳴を上げようとしたが、声はほとんど出てこなかった。舌が痺れているのだろう。口もうまく開かないようだった。しかしその目は疑いの余地なく、激しい苦痛に歪んでいた。〕

 このような息も詰まる残酷な場面が、何の設計図もなしに書かれ、無造作に出てくるというのだから驚く。作品が全体として現実とも幻覚ともつかない雰囲気に包まれており、主人公がまだ15歳の少年ということを考えると、作者の筆遣いの無軌道さには不審の念すら湧いてくる。『海辺のカフカ』については、また別に見ていきたいと思っている。

 ただここでわたしは、『海辺のカフカ』で猫が殺害される場面を読みながら、それに、『ノルウェイの森』で直子がワタナベ君にフェラチオをする場面が奇妙にも重なってしまったことに触れておきたい。

 恋愛小説には型というものがあり、『ノルウェイの森』とバルザックの『谷間の百合』は類似したスタイルをとっている。『ノルウェイの森』の主人公ワタナベ君も、『谷間の百合』の主人公フェリックスも共に、甚だ障害の多い叶えることが困難な恋愛をする。ワタナベ君の場合は精神を病む直子が相手であり、フェリックスの場合は2人の子持ちの人妻モルソフ夫人(アンリエット)が相手だ。

 そして両者が相手を裏切ることは共通しているが、その内容にはかなりの違いがある。フェリックスの場合は単純に肉欲に負けてしまう。モルソフ夫人は敬虔なキリスト教徒で、彼に決して肉体を与えようとしないことから、乗馬とセックスの達人ダドレー夫人との肉欲に溺れてしまうのだ。それが原因で、フェリックスは全てを失くす。彼には仕事が絡んだ社会的な立場の確保、維持ということの大変さが常につきまとっている。モルソフ夫人はこの点でも、こよなき助言者だったから、フェリックスは二重三重の苦境を味わうのだ。

 フェリックスのあやまちに対して、周囲の人間たちは皆、非情すぎるくらいに非情だった。『イブの娘』という別の作品でバルザックは、フェリックスのその後の姿を描いている(随分昔邦訳されたことはあるようだが、わたしは梗概しか知らない。現在娘が英語版からの訳を試みていて、悪戦苦闘中)。その作品では今度はフェリックスが妻に苦杯を嘗めさせられることになるのだが、そのときの彼は人間的に成熟していて経験ゆたかな動きを見せるようだ。ここにかつての愛人ダドレー夫人の復讐が執拗に絡んでくるところも、芸が細かい。

 一方ワタナベ君も肉欲に負けるが、この場合は当の直子にフェラチオをして貰い、直子の恋敵である緑にも手で射精に導いて貰うという奇怪な展開となっている。直子は膣が乾いていてペニスを挿入できない状態にあり、緑に対しては、彼女との希望に満ちた関係を再スタートさせるまで挿入しない決意を固めていたため、どちらとも性交しない結果となったのだった。彼はのうのうと次のように物語る。

〔僕が最初に思ったのは、直子の手の動かし方とはずいぶん違うなということだった。どちらも優しくて素敵なのだけれど、何かが違っていて、それでまったく別の体験のように感じられてしまうのだ。〕  

 そして、感傷的に完結することができる程度の精神的な痛手を被ったことを別にすれば、彼が健康的で日向的な志向性を持つ緑を選んだことで被った損害は大したことがないように思える。作者は、直子に本当はワタナベ君を愛してはいないということを繰り返しいわせて、主人公を罪の意識から遠ざける仕掛けさえほどこしている。これを直子の恋ごころの綾ととれないこともないが、もしそうだとすると、主人公の鈍感さは歯痒いばかりだ。 

 直子が自殺したことの喪失感すら主人公は、直子と療養施設で同室だったレイコから手紙を贈られたりセックスをして貰うことで、慰められる。主人公との最後の夜、直子はどう読んでも、やむなくフェラチオをしたというのにだ。直子は、自分が捨てられようとしていることを予感していたため、乾いていたのではないだろうか。

 いずれにせよ、乾いているにも拘らず直子が自ら性的な行為に及んだのは、自己犠牲から以外は考えられない。『海辺のカフカ』で猫が殺害される場面にこの彼女の自己犠牲が重なるのは、この場面を描くときの作者の姿勢にあるのだろうと思う。この場面を描くときの作者の筆遣いは極めて軽快で、即物的な無邪気さを湛えている。だからこちらも軽く読んでしまうのだが、あとになってなぜか残酷な場面として甦るのだ。女ごころはこんなものではないと感じられるからだろうか。

 ただ、こうして直子が不感症になったりならなかったりするのも不自然な話ではある。直子の幼ななじみで元々の恋人だった本当に愛していたというキズキに対しては不感症、直子の20歳の誕生日にワタナベ君とセックスしたときはそうではないのに(このとき直子にはもう精神疾患の徴候があらわれている)、療養施設ではまた不感症となっている。不感症になったりならなかったりと、作者の勝手な都合で操作されているとしか思えない不自然さだ。

 それに対して、モルソフ夫人が今わの際でフェリックスに対して示す愛欲の念は、わたしには自然に感じられるのだ。以下にその部分を引用(石井晴一訳、新潮文庫)してみたい。

〔私の目に涙がにじんできました。私は花を眺めるふりをして、つと窓の方に顔を向けました。ビロドー師は急いでそばにやってきて、花束の上に身をかがめながら「涙をお見せになってはいけません」と私の耳にささやきました。

「アンリエット、それでは私たちの谷間がもうおきらいになったのですか」私は自分の不意な動作をつくろうように彼女にいいました。

「いいえ、好きですわ」彼女は甘えるように、私の唇に額をさしだしながら言いました。「でも、あなたがいらっしゃらないと、谷間もひどく物悲しくて……そう、私のひとがいてくれないと」彼女はその燃えるような唇で、私の耳にかるくふれながら、この最後の言葉を溜息のようにささやきました。

 二人の神父の恐ろしい話を上まわる、この狂おしいばかりの愛のしぐさに、私は思わずぞっとさせられました。〕

 ぞっとさせられたというフェリックスの言葉に、わたしも共感できる。モルソフ夫人が気品に満ちた女性であることを知っているからだ。同様に、直子も病んでいるとはいえ――病んでいるからこそかもしれないが――精神性の勝った、繊細で、透明感のある女性であることも知っている。だからこそ、心理的に今わの際にあったといっていい状況でフェラチオをする直子にいたたまれなくなるのだ。だが、その痛みを最も感じうるはずの作者が感じていない。

 『ノルウェイの森』は、日本の伝統的な娼婦小説の系譜に連なる作品といえないこともない。近頃では女性自ら、娼婦小説を書くのはどういう訳だろう? そうした男性の性に媚びたような作品に、文学賞の最終選考でわたしはいつも蹴落とされる。

  ざっと『ノルウェイの森』を見てきたが、気力が回復すれば続いて『海辺のカフカ』を見ていきたい。露骨な表現の散見されるエッセーになってしまったことを、お許し願いたい。〔了〕

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2006年5月 5日 (金)

村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ(Ⅱ)

当小論をもとにした評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
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(Ⅰ)へ

 ここで少し話が横道に逸れてしまうが、昨日、文庫本上下で出ていた「海辺のカフカ」を購入した。まだ読み終えてはいないのだが、この時点でもこれだけはいえると思う。これはゲーム本のような書かれ方をしている。要所で、世界的に著名な古今の哲学や文学の本からの引用が行われるが、それらは徹頭徹尾アイテム、便利な道具として使われているのだ。悪用されているといえる。

 プラトンの「饗宴」、バートン版「千夜一夜物語」、フランツ・カフカ「流刑地にて」、夏目漱石「坑夫」、「源氏物語」、ソフォクレス「エレクトラ」「オイディプス王」、T・S・エリオット、上田秋成「雨月物語」、ヘーゲル、アントン・チェーホフ、ジャン・ジャック・ルソー……哲学、文学ばかりではない。音楽も、映画も。

 村上春樹という男は、触ったもの全てに自分の臭いをこすりつける性癖がある。作品の中で、ある世界観を物語るためだけに一面的に引用されたこれらは、食い散らされて、本来の持ち味を、意味合いを、香りを、輝きを失わざるをえない。何という惨憺たる光景であることか! これらについては、一つ一つ細かくチェックしていく必要がある。評論家たちは、一体何をしているのだろう。勢力のある作家、それと同じ匂いのする新人をよいしょする以外に、仕事はないとでもいうのか?

 これがカフカ賞? ノーベル賞の可能性? 全くぞっとする。これはもやは社会問題ではないだろうか……! 村上春樹はこれを娯楽小説として書いたのだろうか、純文学作品として書いたのだろうか? 仮に娯楽小説として書いたとしても、娯楽小説であれば、何を書いてもどんな書き方をしてもいいというのだろうか。

 オウム真理教が惹き起こした地下鉄サリン事件の被害者たちへのインタビューを行ったのは、この人ではなかったか。その当時、なぜ村上春樹がそこまでするのだろうと怪訝に思ったものだが、今はなるほどと思う。オウム真理教の教祖麻原彰晃(松本智津夫)と村上春樹の物の考え方には共通点があるからだ。先に挙げた引用の仕方などは、まさにそうだ。一方が引用を小説を書くためのアイテムとし、他方が聖典からの引用を説教するためのアイテムとしたという違いがあるだけなのだ。

 自分の話になってしまうが、わたしは神智学を知りたいと思い、もうお亡くなりになったが、当時の神智学協会ニッポンロッジ長に手紙を書いたのがきっかけとなって、長年文通していた。会長は、わたし以外の会員たちともよく文通されていたようだ。その文通の中でだったと思うが、彼女に注意を促がされて、記憶に焼きついたことがある。

 それは引用の仕方に関することで、引用というものは、引用しようとする著作を背負ってなされなければならず、著作全体の意味合いとのバランスを考えてなされなければならないということだった。自分の都合で勝手な引用をしてはいけません、ということだろう。

 そういわれても、現実にはなかなか難しい。悪用する動機からでなかったとしても、自分ではその著作を理解しているつもりで実は理解できていないということがあるだろうし、そうすれば結果的に悪用することになってしまい、もし完全に理解するまで引用してはならないというのであれば、わたしなどは死ぬまで引用することができないだろう。

 そこでわたしは必要を覚えたら引用してしまうことにしているのだが、そうしようとするたびに彼女の警告の言葉が頭の中で鳴り響く。図書館へ行かなくてはならなくなる。畏怖の念を覚えながら、こわごわ引用する(それくらいでは軽率さは否めないのだが)。

 ありがたい忠告だったと思う。これは自分自身との関係も含まれる対人関係についてもいえることで、人間理解の鉄則でもあるだろうから。ある人の一面だけを見て、決めつけたり利用したりしてはならないということ。いや、人間についてばかりではない。動物、自然、大宇宙、次元の異なる世界についても同様に……。観察力を研ぎ澄ませ、注意深くあろうと努めることは、様々なものとのバランス、可能な限りの共存という点で、無意味ではない。

 バルザックは、人間を描く場合でも、容貌から生い立ち、時代背景、何を食べ何を着、どんなところに住んでいるかまで細密に描くことから始めた。導入部の長さから退屈だといわれ、現代では敬遠されがちな作家であるが、退屈ならいくらか飛ばしながらでも構わない、先へ先へと読んでいくと、そのうち視界がひらけて、やがて、この世で体験できるとは予想だにしなかった光と影、香りを知り、甘露が味わえるのだ。

 村上春樹は人物であろうが状況であろうが、お気に入りを手軽に拾ってくる。そして彼の作品の特徴は断言と断定で、それが日常的な些細な事柄でも思想を語る場合でも、同じ調子で繰り返し行われる。全く同じ調子で――というのが、際立った特徴となっている。一種悟りをひらいた人の言葉であるかのような装飾がほどこされているのだ。

 だが、そうされることによって、こちらの既にひらけていた視界、ひらけようとしていた視界は閉ざされ、先へ先へと読み進むほどに閉じていくばかりの世界を体験していくことになる。そして読後に味わうのは、虚無感、倦怠感だ。尤も、これはわたしの特異な感じ方にすぎないのかもしれない。何しろハンバーガーが売れるように売れる人気作家なのだから。

 ただ、わたしが思うには、村上春樹は「ノルウェイの森」を書いた時点ではどちらに行くこともできたはずだった。精神を病む直子の描写は丁寧で繊細、その筆遣いは時に抒情味を帯びて美しくさえあり、わたしの友人に統合失調症の女性がいるけれど、病態の特徴がよく捉えられていると思う。この場合も、捉え方が一面的にすぎる嫌いはあるのだが。

 ここで話を元に戻して、「ノルウェイの森」の主な登場人物を挙げてみたい。〔

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2006年5月 3日 (水)

村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ(Ⅰ)

当小論をもとにした評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
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 村上春樹の「ノルウェイの森」が発売され、ブームを巻き起こしたとき、わたしの妹もそれを買い、読んで感動したと語った。上下2巻、赤と緑で装丁されたその本を自分で買って読んだのか、妹に借りて読んだのかがどうしても思い出せない。いつの間にか、本はなくなっていた。その後、研究したい気持ちに駆られて既に文庫になっていた「ノルウェイの森」を買った。

 村上春樹の本は、1988年10月に講談社から書き下ろしとして出版された「ダンス・ダンス・ダンス」くらいまでは読んでいる。少女漫画のように読みやすいということ、食べ物・音楽・ファッションなど衣食住に関する描写が心地よく感じられること、それからさらに何か得体の知れない薄気味の悪さがあるという点で、次々に読みたくなったのだった。

 居心地がいいけれど、厨房の奥に底知れない闇があるような、そんな喫茶店を行きつけとしていた時期があったといったら、いいだろうか。あくまで気晴らし、怖いもの見たさといった気分から出かけていたのだ。わたしには帰る家はちゃんとあったのだから。バルザック・パパのいる家が。その喫茶店は、グリムの「ヘンゼルとグレーテル」に出てくるお菓子の家のようでもあり、人さらいのいるサーカス小屋のようでもあり、着飾った女性たちのいる遊郭のようでもあった。

 こんなわたしの読み方、感じ方は特異すぎるだろうか?

 そんな遊びごころも、「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだときにさめた。これはとって食われると、本当に恐ろしくなったのだった。とって食うものの正体を見究めるには、きちんと研究する必要があるだろう。

 研究するには全部を読まなければならない。時間がもったいないだけでなく、村上春樹の本を読むと、セックスをしたあとのような倦怠感に囚われるのが嫌だ。カフカ賞を受賞したという彼が、本当にノーベル賞をとることにでもなれば、嫌でも全部を読み、研究しなければならないとの危機感を覚えるだろうが……。そうならないことをミューズに祈り、ここではとりあえず「ノルウェイの森」にのみ焦点をあて、感じたことを書いてみたい。

                          ★

 文庫本の帯に「限りない喪失と再生を描く究極の恋愛小説」(上)「激しくて、物静かで哀しい、100パーセントの恋愛小説!」と謳われている「ノルウェイの森」。新聞広告でも、「ノルウェイの森」の読者から賛辞が沢山寄せられ、その多くがそのような読み方をしているだろうことを物語っていた。

 だが果たして、この小説は本当に恋愛小説といえるのだろうか? 本当に恋愛小説として読まれているのだろうか? 精神病者の観察記録やポルノグラフィーとして読まれている可能性はないのだろうか? もし本当に恋愛小説として読まれているとするなら、ハーレークインロマンスのようにだろうか、純文学作品のようにだろうか?

 「ノルウェイの森」は、乳の匂いのする独特の雰囲気を持つ小説だ。それというのも、作者が、物語の語り手であり主人公でもある《ワタナベ君》を終始、良識的な第一級の人物として扱っていて、万感を籠めた信頼を寄せているからだ。この関係は、息子を溺愛しすぎて、自分の物の見方も息子の物の見方も共に見失った母親のようだ。

 ワタナベ君にわからないことは作者にもわからないし、作者が作品全体を通して読者に語りかけるという純文学作品ならではの読書の妙味や芳醇な味わいなどはこの作品では体験できない。そうしたものは期待するだけ間違っている。そこに読んだままのことしか存在しないのだ。だが、期待させるだけの変に飾った雰囲気をこの作品はまとっている。

 作者と語り手の距離感のなさは、「ノルウェイの森」が日常的な思考域での思いつきを綴り合せたにすぎないことを示している。純文学作品において不可欠な、哲学的構築ということが考慮されていないのだ。ここのところが実は、娯楽作品と芸術作品を分ける分岐点なのだが……。

  村上春樹がカフカ賞を受賞し、さらにノーベル賞受賞の可能性を取り沙汰されるに及んでわたしが驚いたのは、これが理由だった。勿論、ノーベル賞が娯楽小説に与えられる賞に変ったというのであれば、話は別だ。

 ところで、ワタナベ君であるが、彼が誰かに似ているとずっとわたしは思っていて、思い出せなかった。ところがつい最近になって、思い出した。ワタナベ君は「源氏物語」に登場する人物中、最も魅力に欠ける男――続編「宇治十帖」に登場する――薫に似ているのだ。

 いや、優柔不断で、恋する女性が最も精神的なつながりを求めているとき、その女性にフェラチオをさせて平然としている男、そして、その場面を美しく謳いあげることすらするような男が魅力的だと大方の人は思うのかもしれない。(さすがに「宇治十帖」では露骨な描写はないが、薫は優柔不断で甚だ頼りないにも拘らず、がめつくとるものはとる、つまりセックスだけはしてしまうような男だ)。

 恋愛小説にセックスの気配が漂うのは当たり前の話だ。それはときに宝物のように扱われ、ときには瘴気を漂わせるに任される。それは微妙なもので、一応恋愛関係にある男女の場合であっても、ふたりの意識に乖離がありすぎる場合のセックスは、悲哀や失望をもたらし、程度が甚だしい場合には強姦に似たものとすらなるだろう。

 どう描かれようと大抵恋愛小説にはなるのだが、「ノルウェイの森」の場合には、そこのところさえ危ぶまれるのだ。なぜなら、作者の意図と作中の女性の意識が甚だずれているように感じられるからだ。

 登場人物である男女ふたりの意識がいくらずれていようと一向に構わないのであるが、ここでも作者とワタナベ君のみ息が合っていて、女性ばかりが蚊帳の外という感じなのだ。恋愛小説で、作中人物が如何に鈍感であろうとも、作者が鈍感であることは許されない。そのような滑稽さ、苛立たしさを感じるのはわたしだけだろうか。

 もう少し丁寧に作品を見ていこう。〔

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2006年5月 1日 (月)

イングリット・フジ子・ヘミング(Ⅱ)

承前
 プログラムには、ドビュッシー、ショパン、スカルラッティ、リストの名があった。ドビュッシーは『版画』の3曲。ショパンはノクターン2曲、ワルツ1曲、エチュード8曲。スカルラッティはソナタ2曲。リストは6曲。そして、フジ子がアンコールに応えて弾いた曲はドビュッシー「月の光」とモーツァルト「トルコ行進曲」だった。彼女はこのリサイタルで、全24曲をよどみなく弾いたことになる。呼吸は整えられていて、演奏に乱れは感じられなかった。

  実は、テレビで奏楽堂でのリサイタルの模様を観たとき、また、わが家にある5枚のCDを聴いたとき、曲によるのだが、重い、まどろっこしい、うまくオーケストラについていっていない、といった風なことを感じさせられることが皆無とはいえなかった。

 何しろフジ子自身が、「人間なんだから、少しくらい間違えたっていいじゃない。機械みたいに完全すぎるのは嫌い」というのだ。それで彼女を、危うさを爆弾のように抱え込んだピアニストと捉え、彼女が少しとちったくらいでは失望しないだけの心の準備をし、わたしはリサイタルに出かけた。

 ところがそうした危惧は、プログラムの早い段階で消え去った。演奏にはびくともしない安定感があり、この夜の彼女は最初から最後まで見事だったと思う。高年に入ってからの再起を賭けたデビューだったけれど、フジ子は1曲弾くごとに舞台慣れし、円熟味を増しているのではないだろうか。少なくとも、それだけの努力を自身に課す人であることは間違いないようだ。

 世に出られない長い、気の遠くなるような時間を、拾ってきた猫たち、ピアノと共に過ごし、自分の能力をいつでも直ちに大舞台に立てるほどの水準に保ってきたのだ。それが並大抵の努力では済まないことくらい、わたしにも想像がつく。照明を落とした夜の部屋で、フジ子の演奏を聴いてきた猫たち。猫たちは、今日どれほど彼女を好む聴衆よりも、一等優れた聴き手であったのに違いない。

 休憩時間に後ろの席の女性が、「彼女の演奏って、どこか他の人とは違うのよね。心に沁みるわね……」といっていた。他の人と違う理由は、いろいろと挙げることができる。日本人――ことに日本女性――のピアニストには、演奏中、何かが憑いたのではないかと訝りたくなるくらいに眉を顰め、目を固くつぶり、身をくねらせる人が少なくない。あれは一体、何なのだろう?

 ありがたいことに、フジ子はそんな見苦しいパフォーマンスとは無縁であって、演奏中ずっと理性的な、静かな表情だった。リストの「ため息」が、物憂げに、物哀しげに、それでいて敬虔なおもむきで奏でられるには、理性による客観視と自己制御が必要であるのに違いない。演奏中のフジ子はそれを想像させるような、自己陶酔とは無縁の、多方面に意識を働かせている統監者の顔、分析者の顔をしていた。

 わたしはこういうところに、彼女が半分血を受けた欧州の自然や文化の香りを感じるのだ。実際に、生で見るフジ子は日本人というより白人に見えた。手も大きく、肉厚で、指はかなりの太さだろう。白人の男の人のような手だと思った。鍵盤を充分制圧できるだけの手だ。

 日本人のピアノ演奏は、どうしても、線が細くなりがちだ。彼らの技術も精神力も、牛のように屈強なピアノという楽器には、追いつかないところがあるように見える。ところでわたしは昔、お産のとき医師に、「顔でお産をするな」といわれた。そういわれても、力を入れるべきところにうまく力を入れられないと、つい顔だけで力んでしまうのだ。

 日本女性のピアニストに多い顔や身振りを使った過剰なパフォーマンスは、ムードづくりのための演技かと思ったこともあったが、むしろそうした余裕のなさのあらわれではないだろうか。自己陶酔である可能性もあるが、それも芸術性の欠如からくる。

 ずんぐりむっくりしたフジ子の指を長くすれば、ロシア人の巨匠リヒテルの手になるに違いない。あの手は、女性であるということ、東洋人であるということのハンディを軽く吹き飛ばす。わたしが先に、彼女が肉体的な条件に恵まれているといったのは、こうした点を指す。

 反面、彼女が調子が悪いとか、オーケストラと相性が悪いとかいう場合には、あの指の太さがわざわいに転じて、いらぬ鍵盤に指をひっかけさせたり、演奏を鈍らせたりするのだろう。それくらいのことは仕方がない。心に沁みる音色をつくるにはどうしたって、あの肉の厚みが鍵盤を沈めることでつくり出す陰影が必要なのだから。

 フジ子が弾いた曲はどれもこれもすばらしく、それぞれに忘れがたいのだが、プログラムの中で1曲といわれるとするなら、ドビュッシーの「雨の庭」を挙げたい。この曲では、まるで波紋のように、幾重にも音色が重なったのだ。どうペダルを踏めば、あのように、混濁しない、紗のように重なる音色がつくり出せるのだろう?〔了〕  

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