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2006年4月の13件の記事

2006年4月29日 (土)

イングリット・フジ子・ヘミング(Ⅰ)

 フジ子・ヘミングのピアノ・リサイタルは、素晴らしかった。あまりにも素晴らしいので、できるだけ印象を持ち帰りたいと思い、休憩時間にメモ帳を開いた。が、うまく書き取ることができない。何て無味乾燥なメモ。

 ロビーに出ると、犬たちがいた。盲導犬だ。このリサイタルの主催がボランティアグループで、収益の一部が盲導犬協会に寄付されることになっていたのだった。イエローと黒のラブラドール・レトリーバーが6匹はいた。

 触りたくなり、思わず撫でてしまった犬はイエローで、泰然としている。まるでフジ子みたいだと思った。でも、彼女はどちらかというと容貌や仕草が猫に似ている。猫を沢山飼ってきたせいだろうか。

 犬の目を覗き込むと、遠くを見るような目つきをしている。もしかしたら、眠たかったのかもしれない。実際、リサイタルが終わってロビーに出ると、帰宅を待ちかねた犬たちがぐったりと前脚の上に頭をのせて目だけ動かしていたり、眠ってしまっていたりした。

 休憩の間に、舞台の上では調律師が丁寧に音をチェックしていた。そこにはグランド・ピアノが一台、ぽつねんとあるだけだ。スタインウェイ・アンド・サンズ社の製品。世界で最も名高いスタインウェイのピアノなんて、昔の日本ではまずお目にかかれなかったのではないだろうか。さすがにいい音だと思った。ピアニストの腕だけでは、あれほどまでに透明感のある響きはつくり出せないに違いない。 

 昔のことを引き合いに出して恐縮するが、わたしがピアノ・リサイタルに出かけたのは随分前の話なのだ。年に1、2回音楽会に出かけることがあったとしても、管弦楽団と一緒だったりすると、ピアノやピアニストだけに注意を集中させたりはしない。今日の舞台はイエローのレトリーバーの毛色に似た色をしている。沙漠の色のようにも見える。そこに現われてピアノに辿り着くフジ子は、ピアノだけが生きるよすがみたいに見える。

 双眼鏡を覗いていると、彼女はピアノを弾く前に、顔をそむけるようにして、困ったような、途方に暮れたような、はにかんだような、独特の表情を見せた。テレビのドキュメンタリー番組で観たときに印象に焼きついた表情だ。わたしが絵描きであれば、この顔を絶対に描こうとするだろう。

 一旦弾き始めてからは、2、3曲ごとに小休止をとった。両手を膝にのせ、少しうつむいて意識を集中させようとする姿が、まるで祈っているようだった。そして、黙々と、ただひたすらに曲をこなしていくその姿は苦行者さながらだった。

 わたしがチケットを買うとき、あまり席が残っていなかったのだが、売り場の人が鍵盤が見える席を教えてくれた。それで、席は後ろのほうだったにも拘らず、鍵盤も、足もよく見えた。

 足は、初めは衣装のせいで見えにくかった。フジ子は髪に白い花飾りをし、着物のように見える紫の衣装をローブのように羽織り、スカートは黒いレース地のようなものを幾重にも重ねたものだった。休憩を挟んでからは、紫の衣装をゆったりと着ているのは同じだが(といっても別の衣装で、模様が違った)、下は黒いパンツだった。

 今度は衣装に妨げられることなく、ペダルを踏む足が実によく見えた。何てすばらしい足、絶妙なペダル使いだったことだろう! 彼女がペダルを自家薬籠中の物にしていることが、ペダルに置かれた足の角度の美しさが物語っていた。さりげなくおかれた足。なめらかに踏み込まれ、そっと離されるペダル。ペダルが愛撫されているかのようだった。 

 肝心の指使いに関していえば、その奏法は指を寝かせて弾く弾き方で、ペダルの使い方と同じような、鍵盤を愛撫しているかのような弾き方だった。これは、中村紘子が日本のピアニズムに残存すると憂い命名した「ハイ・フィンガー奏法」とは、全く対照的な奏法なのだろう。ペダルの使い方は勿論、指の使い方と相関関係にある。

 わたしが子供の頃にピアノを齧ったとき、2人目の先生から教わったのが「ハイ・フィンガー奏法」で、それも絶対的価値観といったていで教わった。それは、手を卵型にして指を一本一本振り上げ、上から鍵盤に叩きつけるような弾き方で、そんな弾き方をすると、音はのびず、響かず、表情がなくなる。ペダルも、音を強くしたり弱くしたり、引っ張ったり途切らせたり、といった狭く固定された域を出ない味もそっけもない使い方だった。尤も、ペダルの使い方にまでいかない初歩のうちにピアノをやめてしまったのだが。

 カチカチと爪の音のするピアノの弾き方にわたしが何となく疑問を抱き始めた頃、ピアノの上手な生徒がクラスに転入してきた。彼女は聴いただけの曲も習った曲も、自分で自由自在にアレンジして弾いた。自分には考えられもしないそんな才能もさることながら、音の響きのあでやかさを耳にし、次いでその弾き方を見たときには愕然となった。

 彼女は指を寝かせて弾いていたのだ。わたしが通っていたピアノ教室は、しばしば名のある音大に生徒を送り出し、権威をもって指を立てて弾く弾き方を教えていた。それからすると、転入生は間違った貧弱な弾き方をしているはずだった。しかしながら、あれほど多彩に音を響かせうる弾き方が間違っているとは、わたしにはどうしても思えなかったのだった。権威というものの愚かしさを、このときわたしは学んだ。

 バッハの「インベンション」をゆっくりゆっくり一音一音、指を金槌のように振るって弾かされた鍛治屋の見習いさながらだった稽古の時間を思い出す。でも、なぜかバッハは嫌いにならなかった。どんなにゆっくりと弾いても、叩きつける弾きかたをしたとしても、バッハの曲には噛めば噛むほど味わいの出るパンのような尽きせぬ魅力があった。

 フジ子には数々の不運があった。その最たる出来事は、ウィーンでのデビュー・リサイタルの直前に風邪をこじらせ、聴力を失ったことだろう(後に片耳だけ40パーセント回復)。だが、何よりも彼女は、ピアノの魅力を最大限に引き出す奏法を教わる幸運に恵まれた人であることは確かだ。彼女が日本で成長したことや時代背景を考えてみると、下手をすれば、間違った奏法を植えつけられていたとしてもおかしくはないからだ。あの中村紘子でさえ、留学先で奏法の改変を余儀なくされ、苦労したというのだから。

 フジ子の場合はそれに加えて、というより、そもそも、といったほうがいいかもしれないが、肉体的な条件に恵まれているという第一の幸運がある。()

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2006年4月26日 (水)

百年前の子供たち

 よく行くデパートで、フランス展があった。会場の一角にアンティークの店があり、そこで何気なく手にとった絵葉書に魅せられた。絵葉書には、子供たちを描いた絵を複製したものが使われている。

 眺めていると、店の人がやってきて、それらの絵は百年くらい前に工房で製作されたものだろうという。「著作権もない時代のことで、名もない絵描きたちによって製作されたものでしょうね。大雑把に百年くらい前といいましたが、スカートの長さが絵によって違うでしょう? 描かれた時代が違うのだと思いますよ」

 注意を促されて見ると、本当にそうだった。子供たちが属する社会的階級も、絵によって違っているように見える。店の人からは関西風とフランス風のミックスされた香りがしたので、不躾にも訊いてみると、京都に生まれ、パリに暮らしたことがあるのだそうだ。彼女の普段の暮らしは執筆に重点が置かれているという。本を何冊も出されているようだ。会話が弾んだ。買って帰った絵葉書を、飽かず眺めた。

 絵に描かれた子供たちの世界に入り込みたいと思うほど、どの子供も黙々と遊んでいる。背中をつついて振り向かせたくなってしまう。子供たちが生きた時代を特定しようとして図書館から服飾史を2冊借りてきたものの、大人のトップモードを中心とした服飾史では心もとない。

 スカート丈が靴を隠すくらいに長く、大きくふくらんだデザインのドレスを身につけて、お洒落に興じている少女たちがいる。そこは衣裳部屋だろうか。ドレスは華美な印象で、光沢があり、舞踏会を連想させる。色はドロップのような赤、オレンジ、菫、緑で、他の1人のドレスは白地に赤い花が散らしてある。赤が2人だから全員で6人なのだが、そのうちの3人までがヘアバンドをつけている。リボンのようにも見える。服飾史の本に、リボンのようなヘアバンドをつけた1908年代の女性を見つけたのだけれど、はたしてその頃の少女たちなのだろうか?

 別の一枚。踏み台らしきものの上に人形を座らせて、小さな手には余る大きな挟みを手に、今しも人形の髪を切り取ろうとしている女の子。人形はすでに幾度か、散髪ごっこの犠牲になったようにも見える。頭の上半分が、削ぎ取られでもしたように平べったいのだ。赤いドレスを着た人形の首には、白い布が巻きつけられている。女の子はあずき色がかった薔薇色のふくらはぎまであるスモックを着ていて、下から紺色のスカートがのぞいている。頭には、スモックと同色の大きなリボン。

 女の子の仕事を傍らからロウソクの光で照らし、助手役を務めているのは、女の子の弟だろうか? お姉ちゃんに叱られないように、真剣そのものの顔つきをして、ロウソクを捧げ持っている。お姉ちゃんと同じような、ふくらはぎまである水色のスモックを着ている。スモックの下には、裾にフリルをあしらった青い上着。その下にさらに黒い上着。水色の膝まであるズボン。白い襟元で、スカーフのようにも見える赤いリボンが結ばれている。

 おや、ロウソク? とわたしは改めて思う。電気の歴史をたどると、古代ギリシアの哲学者タレスが静電気による引力を発見し、それから遠く隔たった18世紀になって、ベンジャミン・フランクリンは雷が電気であることを証明する。19世紀のエジソンを待って実用化への道を歩み始めるが、一般人が電気の恩恵を受けられるようになったのは、20世紀になってからだ。ちなみにエジソンは神智学協会の会員だった。

 バルザックは1799年に生まれ、1850年に没したが、作品に出てくるのはロウソクとランプだ。これが1840年に生れて1902年に没したゾラの作品となると、もっぱらガス燈の登場となる。彼が描いた「ボヌール・デ・ダム百貨店」の絢爛豪華な百貨店の内部を煌々と照らし出しているのは、電燈ではなく、ガス燈なのだ。

 夜は、今と比べると、はるかに暗かっただろう。危なっかしげにロウソク立てを持つ男の子のふっくらとした小さな両手は、ロウソク立ての重みに震えているようにも見える。落としてしまって、火事になるようなことはなかったのだろうか?

 もっと沢山の人形たちと共に描かれた子供たちの絵葉書もある。そこに描かれた人形遊びの贅沢さといったらない。大人から子供、赤ん坊からペットに至るまで、そっくり揃っているのだ。存在感のある人形たちは、お茶のテーブルについている。

 あでやかな帽子を被った、ふくよかな顔のマダムらしい人形。金髪をお河童にした男の子の人形。黒い巻き毛の男の子の人形。栗色の頭髪を七・三に分けた少年の人形。後ろ向きになっているマドモアゼルらしき人形。服を着た熊のぬいぐるみもお相伴らしく、両手を前に伸ばしたまま椅子に座わり、テーブルについている。赤ん坊の人形も、ベッドに寝たままで仲間入りさせられている。テーブルには、人形たちを接待するための白いテーブルクロスがきちんとかけられている。

 傍らの台にキッチンの雛形があって、お茶の用意はそこで整えられるのだろう。調理器具と食器が揃っている。テーブルの上には本物そっくりの小さいコーヒー茶碗、人形たちで分け合うのに丁度いい大きさのチョコレートケーキが置かれている。ラクダ色の絨毯には、本物そっくりの小さな犬、象、犬にも猫にも見える動物がいる。子供たちは人形たちに、どんな会話を交わさせたのだろう?

 この人形遊びの絵を見ていて連想させられるのは、アナトール・フランスの「少年少女」(三好達治訳、岩波文庫、1937年)所収、「カトリーヌのお客日」という小品だ。カトリーヌのおしゃまな、真剣なだけに滑稽味のある一人何役かの会話は、一読に値する。人形は毎晩青いローブを着て舞踏会に行くらしく、そこでお立派な方々と踊るのだそうだ。将軍たちや王子方やお菓子屋さんや……。

 子供の会話の楽しさは、昔も今も、国が違っても変らないものだと思う。フランスは、「カトリーヌは他日、フランスの昔ながらの礼儀が花咲いた客間(サロン)」をもつことになるだろう」と締めくくっている。彼は1844年に生れて、1924年に没した。絵葉書に描かれたような子供たちとは、接点があったに違いない。

 他にも学校ごっこをしている子供たち、海辺で遊んでいる子供たち、本物のひよこの中に玩具のひよこと復活祭の卵を混ぜて遊んでいる子供たちなど、買わずにいられなかった絵葉書が色々とあるのだが、こうしたブルジョア家庭の子供たちを描いた絵葉書がある中に一枚、もの哀しげな絵葉書がある。

 長い棒を手に、ガチョウを追いたてている女の子の絵だ。女の子は、せいぜい幼稚園生ぐらいだろうか。女の子の向こうに板塀があるせいで、そのもっと向こうにどんな景色がひろがっているのかは想像するしかない。紫がかった山と樹木の黒ずんだ緑が見えている。女の子が歩いているのは、正真正銘の田舎道という感じだ。

 もの哀しげに見えるのは、女の子が左手に本を持っているためかもしれない。うつむき加減に本を読む姿が、どうしても哀しげに見えてしまうのだ。まるで二宮金次郎みたいだが、本は聖書ではないだろうか。何かの罰として、読むことを強制されているのかもしれない。頭には、黄色い布を被っている。飾りも何もない膝まである服は、褪せたような茄子色をしている。

 ガチョウは半ダース。真っ直ぐに前を見て、ヒレのある足を運んでいる。ネットで調べたところ、ガチョウの好物は干草、クローバー、青菜などの緑の草だそうだ。若鳥は丸ごとご馳走に、フォアグラ(肝臓)は高級食材として珍重され、羽毛は羽根布団の原料となる。女の子はガチョウたちを追い立てて、草を食べさせに行くところなのだろう。 

 この絵からは、マルグリット・オードゥーの「孤児マリー」(堀口大學訳、新潮文庫、昭和28年)を連想した。それは神々しいようなところのある作品なのだが、母を亡くし父に捨てられて修道院で育ったマリーは、やがて羊番という勤めの口をあてがわれる。意地の悪い院長は、そのことを告げるときに、こういうのだった。

「あんたは、家畜小屋の掃除をしなければならないが、臭いものですよ、それは。羊飼い女って、みんなうす汚い娘たちですよ」と。ガチョウ飼いの女の子はあるいは、農園を持つ家庭で普通に育っている子供かもしれない。だが、わたしはどうしても、いたいけな女の子がこんな風に本なんかを手にしているのが、ひっかかる。

 オードゥーは1863年に生まれ、1937年に没した。天使のように清らかと謳われた彼女のつつましい家は、芸術家たちのオアシスだったという。「孤児マリー」が出たのは1910年のことだから、絵葉書がだいたい100年くらい前のものだとすると、このふたつが同じ時代背景を持っていたとしてもおかしくはない。100年前のわが国はというと、日露戦争が終わり、自然主義文学が興った年だった。 

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2006年4月25日 (火)

レニングラード国立バレエ

 中年女性の間で、バレエが流行っているようだ。知り合いにも1人、バレエを始めた人がいる。子供の頃にバレエを習っていたという人が多いようだ。中年期というのは、気軽に稽古事を始めたり再開したりしやすいのかもしれない。それ以前の年齢域では、それを職業にしたいという欲望につき纏われやすいだけに、挫折という苦い体験にも遭遇しやすい。

 わたしもこの年になって、何か楽器を習いたいような気がしている。三味線か小鼓を。子供の頃ほんの少し齧った程度にしては、ピアノでは散々嫌な目に遭った。劣等感に苛まれたのは勿論のこと、練習曲に多いモーツァルトにはトラウマがあり、彼の曲が流れると、戦慄せずにはいられないし、何かしら不吉な予感にさえ駆られてしまうほどだ。

 バレエには縁がなかった。それでも、ほのかな憧れがあり、山岸凉子の少女漫画「アラベスク」、新作で連載中の「テレプシコーラ」のファンであるし、黒木瞳の主演ドラマ「プリマダム」も観ている。

 アンデルセンの童話「赤い靴」も記憶に残っている。狂ったように踊り続ける赤い靴。あの物語に出てくる天使は、悪魔さながらだ。赤い靴に魅せられたカーレンに骸骨になるまで踊るよう、命じるのだから。アンデルセンはなぜ、無慈悲ともいえるようなあんな凄惨な物語を書いたのだろうか?

 再読してみると、カーレンに罰が下ったのは、彼女が成人儀礼とも見なされる堅信礼を受け、大人になったあとだということに気づかされる。彼女はそのとき、通常であれば分別を手に入れ、成熟するはずの年齢に達していたのだ。それに気づいてまた読み返すと、カーレンは赤い靴に魅せられたにとどまらず、憑かれ、ついには囚われの人となってしまった中毒患者のようにも見えてくる。

 こんな女に、天使は、骸骨になるまで踊れと命じ、そう命じられたカーレンは首斬り役人に足を斬り落としてくれるように頼む。新約聖書の中でイエズスが「もしあなたの手または足があなたに罪を犯させるならば、それを切り取って投げ捨てなさい」(フランシスコ会聖書研究所訳)といわれたように。

 しかし、それでも罰は下り続ける。彼女は、斬り落とされてなおも踊り続ける赤い靴を目にしなければならなかった。こんな彼女に再び天使が現れるのは、彼女があらゆる虚飾も欲望も剥ぎ取られ、まる裸となり、魂まであらわになったかに見えたときだった。それは彼女が、自身の内なる声に耳を傾けた瞬間でもあったろう。

 救いは天使という外的なイメージをもって描かれるが、物語を辿っていくと、救いはカーレン自身の内面からやってきたことがわかる。無慈悲な天使も救いの天使も、彼女自らが想い描いたものだったといえるだろう。このアンデルセンの童話を取り入れた映画「赤い靴」も悲劇だった。こうした諸々の記憶が紗のように重なり合い、バレエは、はかなく手が届かない、美の象徴ともいえるようなイメージを伴う。

 オペラやバレエのチケットは高い。なかなか公演に行く機会をつくれなかったが、娘がチケットをプレゼントしてくれたり、半額出してくれたりするようになったおかげと、この街に引っ越してきてから公演会場が歩いて行ける距離にあるという幸運も手伝って、昨年の秋から今年の冬にかけて、プラハ国立歌劇場「アイーダ」、次いでレニングラード国立バレエ「ドン・キホーテ」を観る機会を得た。

 レニングラードというと、少女漫画「アラベスク」のヒロイン、ノンナが所属したバレエ団ではないか。自ずと胸が高鳴ったけれど、その前に行った「アイーダ」の豪華さがわざわいしたのか、演目のせいか、中だるみが印象に残り、全体として単調に感じられた。バレエを観たのは初めてだったから、わたしの方に楽しく観るだけの知識が不足していたということもあったのかもしれない。

 オーケストラの方は、前に聴きに行ったことがあり、首席指揮者アニハーノフのもじゃもじゃ頭には見覚えがあった。オーケストラだけとってみると、演奏の粗さが幾分気になるが、盛り上げるコツは充分に心得ているという印象だ。

 ヒロインのキトリ役は、東洋的な容貌を持つ大柄なオリガ・ステパノワというプリマだった。つま先で立った片足を軸にして他方の足を振るい、ぐるぐると旋回するグランフェッテアントールナンなどは軽業師のように楽しげに仕上げて見事だったが、むしろわたしは、第2幕第2場のドン・キホーテが夢見る場面で『森の女王』を踊ったオクサーナ・シェスタコワの方に華があったと思う。

 それには肌色が大きいように思えた。ほのかに薔薇色を帯びた輝かしい白色の肌が「白鳥の湖」を連想させる白い衣装に映え、何とも美しかったのだ。絵画のようだった。対照的に、ステパノワは褐色の肌色だ。

 ただシェスタコワの踊りにはどこか作為的というかわざとらしい、媚びているように見えるところがあって、それがなければもっとよかっただろう。彼女は「ラ・シルフィード」、「白鳥の湖」のオデット(オディール)、「眠りの森の美女」のオーロラ姫といった見所を踊り慣れたプリマのようだから、実力的にも主役を食ってしまったのは当然だったのかもしれない。

 生のバレエを観ると、生身の人間が苦労して踊っているということがリアルに伝わってくる。いつもは公演に出かける際にオペラグラスしか携帯しないのだが、この日は夫の双眼鏡を借りて行った。それで、衣装の模様や風合いから、ダンサーたちのちょっとした動きや表情の変化まで、見えすぎるくらいに見えたのだった。トウで立つのが、大変そうだ。尤も、要所で瞬間的に立つ程度で、やたらとトウで立つわけではないようだ。

 双眼鏡でドン・キホーテが夢見る場面を観ていたら、少し汗ばんで上気した白人女性たちの豊麗かつ彫刻的な白色の肌と肌が重なり合っては離れ、また重なり合うのが視界いっぱいに拡がり、美しさと生々しさと迫力との三重奏に圧倒され、何か純白の皿にてんこ盛りにされた生肉を見るような膨満感をすら覚えた。

  次期主役を狙ってでもいるのか、勝気そうな表情で、必死に目を動かしてステパノワの動きを追っている若いダンサー、背後に退いたときに無責任にも私語しているダンサー、終幕を控える前の幕際に疲労困憊から無表情になっているダンサーたち……そうした姿の一つ一つを双眼鏡はしっかりと捉えた。

 主役の魅力や構成について、考えさせられた。あれだけの見せ場を用意できるのであれば、もう少しストーリーと構成を何とかできないものかと思った。観客を喜ばせるために彼らはどうあろうとしたか、どうあらねばならなかったのかを考え、自分がこれから読者を喜ばせるためにどう書かねばならないかについて、多くのヒントを与えてくれた初のバレエ鑑賞だった。

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2006年4月24日 (月)

シモーヌ・ヴェイユ、マルグリット・デュラスに関する断章

 バタイユをはじめとして、シモーヌ・ヴェイユと関わった多くの人々がいう彼女の極端さ。バタイユは書いている。彼女はいつも黒なのだ、と。服も髪も黒、顔色も黒ずんだ褐色なのだ、と。ヴェイユとは、大学時代からもう30年近いおつき合いだ。彼女の文章に接すると、いつも目の覚める想いがする。最初に出会ったのは、書店「リーブル」だったと思う。

 書店で、「超自然的認識」(田辺保訳、勁草書房、1976年)を何気なく開いたとき、ごく淡くクリームがかった白い頁がきらきらと輝き、自分の体がいくらか宙に浮いた気がした。買って帰り、大学の女子寮の私室で、むさぼり読んだ。こんなものは、初めて読んだと思った。高校時代に、こんなものは初めて聴いたと思った音楽があったが、それは女性ロック・ボーカリスト、ジャニス・ジョプリンの歌声だった。入魂の文章であり、入魂の歌声なのだ。(※ジャニス・ジョプリンについては、また改めて書きたい)。

 この年齢になったからなのか、多くの人々がいうヴェイユの極端さ自体青春の特徴であって、まさに彼女は青春の精みたいに思える。黒好みなところ(うちの息子も黒しか着ない……わたしはブルーしか着なかった)、詩のような哲学論文、ヒロイズム、生活臭のなさ、不摂生からくる不健康。ヴェイユの場合、勤勉のあまりの不摂生だが。

 逆からいえば、亡くなったときは青春を過ぎた年齢だったはずなのに、青春から一歩も出なかったところに、彼女の限界があったようにも思える。フランスに留まることを望みながら素直に両親について行ったあたり、両親の庇護下にあるお嬢さんという印象なのだ。兵士として戦争に出かけたり、劣悪な環境下にある工場に入ったり、といったあのヒロイズムも(みずみずしい、気高いヒロイズムだが)、そのような自身の限界――脆弱――に気づいていてこそではあるまいか。

                         ☆

 マルグリット・デュラスの書くための苦悩。孫のように年齢の隔たった愛人というより盟友・助手であったヤン・アンドレアが書いた「マルグリット・デュラス 閉ざされた扉」「デュラス、あなたは本当に僕を愛したのですか」(河出書房新社)を読むと、空恐ろしくなる。

 創作の世界に半ば取り込まれてしまっていて、この世に生きるための自分を常に獲得しなければならない彼女の孤軍奮闘ぶり。ヤン・アンドレアは、彼女に臨終の聖餐をさずけようとして傍に控え続ける司祭のようにも見える。

 ヤン・アンドレアの支えなしでは、晩年の成果は得られなかっただろう。アンドレアは、彼女の中からやってきたともいえる。このアンドレアがまた彼女の創作世界に取り込まれてしまった人で、作者本人でもない人間が――何とまあ、ここまでも――このことは神秘以外の何物でもない。デュラスが彼を創造したかのようだ。 

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2006年4月23日 (日)

創作の神秘(Ⅴ)

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 ハーブ専門店で喉によいハーブを訊くと、「エルダーフラワー(西洋ニワトコ)かネトル(西洋イラクサ)がお勧めです。エルダーのほうが飲みやすいでしょう。これはエルダーの花の抽出シロップで、10倍から20倍に薄めて飲んでいただくようになっています。マスカットのような香りが楽しめますよ。エルダーは風邪・インフルエンザの特効薬として知られていて、炎症を鎮めますし、アレルギーにも効果があります。保湿効果があるので、お肌にもいいですよ。特に注意すべき副作用もないとされています」といって、湯で割ったものを試飲させてくれた。

 レモン抽出シロップが加えてあって、ホット・レモネードのようで美味しく、喉が優しくフワッと包まれるような感触があった。特効薬といわれるだけあって即効性があり、すぐに痛みがとれ、咳がとまった。「あら嘘。こんなに効いていいの?」と思わずいうと、お店の人がちょっと窺うような半信半疑の顔をし、次いでいくらか笑った。

 わたしは薬物に限らず、いろんなものに過敏に反応するほうかもしれない。この「創作の神秘」に書いてきたことは、あくまでわたしの観点から書いていることであって、わたしにしか当てはまらないことかもしれない。その点は、読者のかたによくわかっておいていただきたいと思う。ステロイドのことも、ハーブのことも、わたしに関することは何であれ……。

 購入したエルダーシロップは炭酸で割ったり紅茶に入れたりしても楽しめるようだが、湯で割ると、蒸気とともに喉にフワッとくるので、荒れた喉には気持ちがよい。その夜、10ccのシロップを100ccの湯で割って飲んだが、夫と娘にも試して貰った。風邪気味だった娘は「あ、喉が気持ちいい。へえー、こんなにすぐに効くんだね」といった。

 いくらかアトピー体質で鼻が悪く、煙草飲みの夫は夜間、あるいは明け方、よく咳をするので、エルダーが効くかどうかを確かめるつもりだったが、わたしは朝までぐっすり眠ってしまい、確認しそびれた。少なくとも、朝5時半にわたしが起きてからは、彼は咳をしなかった。わたしはお店で試飲したあとは咳が出ず、夜家族とエルダー湯を飲んで眠りに入るまで、何と一度も咳をしなかった。

 その眠りはといえば、沢山の花びらに包まれたような優しい眠りだった。病気になってから長年馴染んできた不快な苦痛に満ちた、まるでくたびれるために眠っているような眠りとは、比ぶべくもなかった……。

 リンドグレーンの「ミオよわたしのミオ」(大塚勇三訳、岩波少年文庫)の中で、『はるかな国』の住人となった主人公のミオが友人のノンノに「ああ、なんておいしいんだろう! いったい、このパンはなんていうの?」と訊く場面がある。するとノンノは「さあ、べつにかわったパンかどうか、ぼくは知らないな。ぼくらはね、『ひもじさをしずめるパン』っていっているけど」と答える。ミオはひもじさをしずめるパンを食べ、かわきをしずめる泉の水を飲む。その味わい豊かな表現をわたしは思い出す。わたしは疲れをしずめる眠りを眠ったのだ。

 が朝起きたときはまた痰があり、咳も出始めたので、エルダー湯を飲んだ。

 ネットで調べたところ、エルダーには脂肪酸、フラボノイド、タンニン、ビタミンCなどが含まれているという。フラボノイドもタンニンもいわゆるポリフェノールの類、植物細胞の生成・活性化を助けるもので、抗酸化作用があり、健康にいいということでブームになった。脂肪酸については、脂肪酸不足を警告する論文を見つけた。

 必須脂肪酸が不足すると、細胞の機能低下を惹き起こし、病気を発生させる原因をつくるが、ほとんどの医師はこのことに何の注意も関心も払わないという。現代人の多くは必須脂肪酸不足で、特にこの不足が関係している病気は、高コレステロール血症、高血圧を含む冠状動脈疾患、アレルギー皮膚炎、癌、自己免疫疾患だそうだ。

 わたしは中性脂肪値が1月末に受けた検査で、基準値40-150のところを341だった。これはいいほうで、総合病院にかかっていた頃は500以上ということがあった。わたしは大飯食らいではないし、少し間食しても全くしなくても、こうなるのだ。一方善玉コレステロール値は低い。自己免疫疾患は、どれがいつ発病してもおかしくないといわれている。血圧は、薬を飲まなければ160-110くらいになってしまう(140の頻脈になってしまう)。癌になったことはないが、随分前に子宮体癌になる惧れがある(前癌病変)といわれて、治療を受けたことがあった。よほど脂肪酸が不足しているのだろうか?

 いや、わたしには難しいことはわからない。自分の中で頼りになるのは、感覚ばかりだ。同じように咳をとめるといっても、ステロイドは力づくで、エルダーのほうは優しく包んで、という雰囲気の違いがあり、わたしの感覚的な好みはステロイドよりもエルダーのほうに傾く。このままステロイドと縁が切れると期待するのは早計かもしれないが、これからもハーブを試していきたい。

 そうはいっても、今月末にフジ子・へミングのピアノリサイタルに行く予定があり、そろそろフルタイドを使い始めなければならないと考えている。でなければ、リサイタルに行くのを諦めるかだ。ステロイドは使いたくないのだが、咳をすることも席を立つことも人に迷惑をかける惧れのある場所へ出向くときだけは、例外とせざるをえない。そんな吸入ステロイドの使用の仕方は、おそらく問題のあることに違いないのだが。

 エルダーの花や実はワインやジャムにして楽しむことができ、花だけでなく実にも葉にも根にも薬効があり、ヨーロッパでは「万能の薬箱」として、庭に植えられてきたそうだ。そんなエルダーは多彩な民間伝承を育んだようで、古代から中世にかけて人々はエルダーの木を「守神」を招くとして村の入り口に植えた。伝説では、不老長寿の薬の調合にも用いられたという。錬金術師はエルダーを研究し、その薬効を知っていたに違いない。主導権を握りたいキリスト教は当然ながらエルダーの木を敵視したと見え、ユダはこの木で縊死し、キリスト処刑の十字架をつくったのも、この木でなのだそうだ。

 エルダーの即効性を考えると、わたしの児童文学作品で主人公の弟が薬草で喘息が癒える場面に使えそうだ。錬金術師の娘には、夢で出てきた女神様が投影されるだろう。 不思議なことに、自分の書いたものが人生に思わぬ展開をもたらしたり、新境地を拓いたりすることがある。薬草も、錬金術師も、わたしにとっては創作のためのちょっとした思いつきにすぎなかった。それが、これほどの重みを持つようになろうとは想像もしなかった。錬金術師の娘にどんな薬草を持たせればいいかもわからなかったが、今はもうわかった。

 わたしはその作品の結末部分で、主人公の心臓病で入院中の祖母を出し、祖母が前夜見た夢の話をする場面を設定していた。花瓶に生けられた花々を見ながら眠りについた祖母は、花の妖精たちがあでやかな貴婦人の姿で現われて、お茶会を開いてくれる夢を見たと主人公に話す。祖母が話してくれた妖精たちの中の女王の眉目や装いは、異次元の鍾乳洞の先にある竜から解放された町で、主人公一行を饗応してくれた錬金術師の娘にそっくりなのだ。

 錬金術師の娘に人間を超えた優美な存在感を持たせたいという衝動が起き、そんな衝動を自分でもいぶかりながら、結末でついに花の女王にしてしまったわけだが、そんな衝動が起きたことも、今では自然なことだったように思える。(了)

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2006年4月19日 (水)

創作の神秘(Ⅳ)

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 わたしが通っている循環器クリニックでは予約をしなくてもいけるのだが、薬のなくなり具合で、どの日に行くかは決まってくる。4月の受診予定の日に出かけたら、緊急手術で、受診できなかった。心臓血管外科医の先生は、入院設備のないオフィス型のクリニックで、週に2回静脈瘤や人工透析のための内シャントといった日帰りでできる手術を行っておられる。

 クリニックは歩いて15分で行ける距離だし、わたしは何しろ三食昼寝付きの専業主婦なので、受診できなかったことを別に苦にすることもなく、また翌日出かけた。前日受診できなかった患者でいっぱいだろうと予想した通り、ロビーは患者で溢れていた。受付の看護師さんが「昨日は申し訳ありませんでした」とおっしゃる。体重と血圧を測り、様子を窺い患者の不安を訊いてくる看護師さんも同じことをおっしゃる。診察時に先生も、「昨日も来てくれたんだってね。悪かったね、緊急手術でさ」とおっしゃった。

 前日にわたしがちらと顔を見せた程度のことまで、報告が行き届いている。心臓から送り出された血液が、体内に張り巡らされた血管の隅々にまで届くみたいに。以前同じように受診できなかったとき、夜になって先生から様子を窺う電話があったこともあった。そういえば、検査にだけ出向いたときも、先生が何気なく出てきて、わたしの顔を確認だけしてまた引っ込んだ。あれも、変化がないかを確認するために出てきたのだろう。一見アバウトに見えないこともないクリニック内では、実に循環器科らしい管理がなされているということだろう。

 ロビーで、わたしの隣に座っていた2人の女性が、先生の噂をして、頻りに褒めていた。何でも、先生は何とかという難しい研究を修めた権威で、他所で匙を投げられた患者が随分助けられた、噂を聞いて自分は車で片道1時間かけて、通っている……というようなことをおしゃべりしているのだった。左隣の綿貫衆義院議員に似ている女性は、弁膜症で、バセドー氏病もあり、ある日病院で点滴を受けていたときに血液が袋の中に逆流してしまったという。総合病院に搬送されて治療を受けたが、先生の評判を聞き、通院先をここへ替えたそうだ。他所の市から、半年に1度受診しているという。

 そのまた左隣のリッチそうな、贅沢な装いの女性は、総合病院で部長をしていた時代の先生から大動脈瘤の手術を受けた。手術には6時間かかったとのこと。その総合病院にずっとかかっていたが、そこでは午前10時の予約で、実際に受診できるのは午後2時。ごく短時間しか診て貰えない、脈もとってくれない。診察を受けたという満足感に乏しいため、丁寧に診察してくれ、人間的にもよくできたここの先生に診て貰いたいと思ったという。

 わたしも、ここへ通うまでは総合病院にかかっていた。リッチそうな女性がこぼしていた愚痴の内容と同じようなことを、わたしも感じていた。尤も、わたしには脈拍異常があるので、脈はとって貰えたが……。わたしは先生の評判については何も知らず、最初に受診したときに「おや、 ここは何だか血の匂いがする。ここの医師はドラキュラなのでは……」と思ってしまった。

 この市へ引っ越してきたとき、それまで通院していた総合病院の主治医から紹介状を書いて貰っていたのだが、引っ越し先の街で見知らぬ呼吸器科に飛び込むという想定外の事態が生じた。そして、そうやって受診した呼吸器科で、この循環器クリニックを紹介されたのだった。迷いながらここへきたわたしに、先生は「本当に、うちでいいの?」と訊いてきた。いいのかどうか、そのときはわからなかった。

 診察時に、先生に「患者さんたちが先生の噂をして、先生のことを褒めていましたよ」と教えると、先生はにやにやして、「えっ、本当? 何て?」と嬉しそうだった。気さくなので、本当に権威? 何の? と疑ってしまうほどだが、いつ見ても明るい先生の目には、感心させられる。まなざしの明るさは、春の光がその目を愛でて差し込んだかのようだ。目が釣り上がって見えるときは、緊急事態が発生したときなのかもしれない。

 いつでも行ける理想的なホームドクターがほしいと、わたしはずっと願っていた。先生は、そのホームドクターの理想像に近かった。呼吸器科の先生も、またタイプは違うが、理想像に近い。ステロイドの常用という、ただ1点の不安材料を除けば……。両医師との関係は続けていきたいし、医療不信から民間療法に走るといった風の愚を冒すつもりは決してないのだが、試せる範囲内と自分で感じられることは試してみたかった。()   

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2006年4月17日 (月)

創作の神秘(Ⅲ)

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 ただ全身的に爽快だったのは、カモマイルを最初に使用した日だけだった。それでも、カモマイルはわたしの湿疹に合っていたらしく、5年間毎日掻き毟ってきた湿疹が、ほとんど気にならないまでになり、今では思い出したように塗るだけだ。ひどかったのが、嘘のようだ。1000ml入りの青い壜に入った「ローマンカモマイル」は、まだ使い切っていない。

 そして、話は4月に飛ぶ。その間、健康状態には紆余曲折あった。現在服用している薬は、心臓の薬がインデラル、ヘルベッサー、ニトロペン(狭心症発作時の舌下錠)。整腸剤がコロネル、エンテロノン。気管支喘息の薬がフルタイド(吸入ステロイド)。

 作家の卵として壁にぶつかっているのと同様、喘息治療でも壁にぶつかっていた。というのはわたしの側の認識であって、医師は壁になどぶつかっておられず、わたしの治療の受けかたに問題があるばかりだとおっしゃるだろう。

 わたしはこれ以上、どんなかたちであれ、ステロイドを体内に入れたくなかった。それは、生き物としてのわたしの勘がそう思わせるのだった。わが国では、フルタイドのような吸入ステロイドに副作用はほとんどないとされているけれど、そうではないとする薬害摘発関係者もおられるようだ。

 わたしが喘息治療を受け始めて、まだ1年半ほどにしかならない。台風被害の後始末や引越し作業で埃や黴菌を吸い込んだことが原因なのかどうか、咳が出てとまらなくなった。立て続けに長時間咳き込むといくらでも尿が漏れ、本気でオムツをしようかと思ったくらいだった。喘息の発作だった。

 呼吸機能の検査で、喘息だということがはっきりした。喘鳴がなく、咳が続いていただけだったから、喘息といわれて驚いた。ただ、これまでこれほどの発作に発展したことはなかったとはいえ、異常に咳がとまりにくいことは小さな頃からあり、自分で気づかなかっただけで、元々が喘息体質だったのだろう。呼吸器科と循環器科どちらの医師も、頻脈を抑えるために飲んでいるインデラルの副作用である可能性も指摘されている。原則として喘息患者にインデラルは厳禁らしいが、わたしの頻脈をうまく抑えてくれる薬は他に見つからなかった。

 とにかく、わたしはこれ以上ステロイドを使いたくない気持ちだったが、今の喘息治療の主流は吸入ステロイドで、毎日使用しなければならない。今年に入ってからなるべく使わないようにしてきたが、そうすると痰にむせて目覚めることが多くなって日常生活に差し支え、ときには命の危険すら感じないわけではない。でも毎日使っていると、全身的にいろいろなことが起きてくる。それら全てがステロイドのせいとはいいきれないが、ステロイドを使っていないときには、そんな気味の悪い現象は起きないのだ。

 わたしがほとんどステロイドを使わなくなっていることに、呼吸器科の医師は気づいておられるようで、先生との関係が悪化しそうだった。診察日に、勇気を出して吸入ステロイドは使いたくないというつもりでも、いえない。これまでにも何回かステロイドを常用する不安を訴えたことはあったが、そのたびに理路整然と説得された。

 患者のいう細かなことまで逐一パソコンのカルテに書き込む、記憶力も管理力も優れた、とてもプライドの高い先生なのだ。循環器科の医師と連携して治療にあたってくださり、最新の吸入ステロイド治療を売り物にしている医師に、他の治療法を選択できないかを伺うには、蛮勇が必要だ。何より循環器科の医師との関係を壊したくないだけに、万全の対策が必要だった。

 4月に入ってから、喘息の発作が出ていた。大きな発作に発展することはなかったが、ときどき休止状態を挟みながら絶えず咳き込み、咳と痰で眠りを妨げられ、当然体調はよくなかった。こうなるともうステロイドなしではやっていくことが難しいのだったが、あえて使わずに、咳き込みつつ、不快な気分でカモマイルを購入したハーブ専門店に出かけた。

 夢の中で、ハーブの女神様(?)は、「あなたの身も心もさわやかに」とおっしゃった。ハーブは確かに湿疹には効いたけれど、ハーブが、ハーブなんかが、喘息にも効くのだろうか。この時期にわたしは書きかけの児童文学作品の中で、主人公の弟の喘息が薬草で癒えることを書かなければ作品は進行しないのだったが(ここのところをどうしても書けないでいた)、これも不思議といえば不思議なことだった。

 わたしの喘息がハーブで癒えなければ、中世の西欧に通じる異次元の巨大な鍾乳洞の中で苦しんでいる、あの小さな可愛い男の子は死んでしまうのだ。自分がつくり出した作中人物と運命を共にするとは、何と壮絶な悦びであることか! (

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2006年4月16日 (日)

創作の神秘(Ⅱ)

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 高貴な存在といったが、そのようにわたしには感じられるからそういったまでで、実際には、その存在をどう分類すべきかわたしにはわからない。「女神様」といったのも、あくまで仮の名にすぎない。目に見えない領域の体験を重ねれば重ねるほど、また神秘主義を生半可ながら知るようになればなるほど、目に見えない領域の広大さ、複雑さに目の眩む想いがする。そして、神秘主義の解説するその世界は実に整然としているため、そこには一分の狂いもないだろうと想像しないわけにはいかなくなる。まさに「大自然は幾何学的に創造する」であろうことを。

 ブラブァツキーは、植物界の様々な種は一条の光線が分裂して生れた光線であり、光線が7つの世界を通るときに各世界で弱められ、何千も何百万もの光線になり、そうした光線はそれぞれ、自分の世界で一つの有知者になるという。そして、どの植物にもエレメンタル実在がいて、目に見える植物は物質界でのその実在の外的な装いだというのだ。

 わたしが仮に女神様と呼ぶ存在は、そうしたいわば植物界の精と無関係とは思えない、否、何らかの深い関係があると想像せざるをえない、植物的な、清涼な光と香りを発散させていた。それで、アロマテラピーの女神様、あるいはハーブの女神様と呼びたくなったのだった。()

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創作の神秘(Ⅰ)

 35年間もアマチュアで書いてきて、年齢も48歳ともなると、世に出られる可能性はほぼゼロに等しいだろうと推測せざるをえない。この年齢は、母が亡くなった年齢だ。

 母はわたしが中学1年生のときに慢性腎炎を患い、それが終生の宿痾となった。その年、わたしは月経が始まり、神経症がスタートし、創作が芽ぐむという波乱に満ちた年だった。なぜ神経症が始まったかといえば、小学生のときに親しい若い男性2人に性的な悪戯を受けたことが、重い意味合いを持って迫ってきたからだった。神経症といっても、内容は大したものではなく、頻尿になったというだけのことだ。

 だからこそ、やりきれなく、苦痛だったともいえる。現在、わたしは不整脈、狭心症、喘息、メニエール病、子宮内膜症と病気を沢山抱えているが、他愛ない頻尿を惹き起こすにすぎない強迫神経症ほどつらく感じられる病気は、まだ経験がない。それは別に肉体的な痛みをもたらすものではないのだが、何か人間の尊厳に関わる部分を剥奪されるかのような実感を伴う厭らしい病気なのだった。

 とりわけ母にいてほしかったその年、母は1年間の入院生活を強いられた。父は外国航路の船員で留守だったが、家政婦さんがきてくれていたので家事に困ることはなかった。わたしはそのうち母の留守をいいことに、したいことをするようになった。つまり、読みに読み、書きに書いた。そうやって、神経症を叩きのめそうとしていたともいえた。文学の世界は、光と香りでいっぱいだった。

 今でもそれは変らず、たとえアマチュアの物書きで終わろうとも、この世界から受け取っためくるめくばかりの悦びだけで、わたしは人生から過分の好意をもって遇されたといえよう。つい最近も、特筆すべきことがあった。

 尾籠な話題で申し訳ないが、わたしはここ5年ほど、お尻がお猿さんのように湿疹で赤くなっていた。ステロイドのつけすぎで患部は悪化し、日に5回は掻き毟らなくては気が治まらなかった。左耳の中もよくない。ステロイドはもうつけたくなかったが、つけなければどうしようもない窮地に立たされていた。

 なぜか、ふと、中断している児童文学作品のことが頭に浮かんだ。作品の中で、主人公の幼い弟が中世の西欧に通じる異次元の巨大な鍾乳洞の中で喘息の発作を起こす。それを錬金術師の娘が持っていた薬草で癒される場面がある……のだが、わたしの筆は進まなかった。薬草で、薬草なんかで、喘息が癒されるのだろうか? そういう疑問がわたしの中にあったためだった。

 デパートに新しく入ったハーブ専門店が連想され、わたしは衝動的にそのお店へと向かい、湿疹に効能のあるというカモマイル精油を勧められるままに買った。遮光性の青い壜に入っていた。化粧水としても使える、濃度の低いものだという話だった。

 その夜つまらないことで夫と喧嘩し、湿疹は痒い、おなかの具合は悪い、喉はゼロゼロするで、不快感もピークに達した感があった。でも、せっかくだからカモマイルを試してみようと思い、耳に塗り、肛門部にはナプキンに染み込ませて当てた。そして、本を読みながら炬燵でうたた寝してしまった。

 夜中に、高貴な清々しい雰囲気に包まれてはっとして目が覚め、女神様が「あなたを身も心もさわやかにしてさしあげますよ」とおっしゃったのを聴いた気がした(声を聴いたわけではない)。同じようなことが、もう一度あった。

 朝、目が覚めて不思議な夢を見たと思ったが、夢で女神様が約束してくださったように、爽快な気分だった。朝はいつも大量の痰を吐くことから始まるのだが、この朝はその必要がなかった。湿疹で傷んだ患部も、ほとんど痛みがない。心臓も重くなく、気分も爽快で、創作に関する焦りさえ消えていた。

 夢に現われた女神様を薬師如来と呼ぶべきかアロマテラピーの女神様(ハーブの女神様)と呼ぶべきか、ただ女神様と呼ぶべきかはわからないが、このところ長い間忘れていた高貴な存在のことを思い出した。創作の動機となってきたそうしたものへの信頼が、このところ薄らいでいたことをしみじみと反省した。それが1月の話で、これには続編がある。()

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2006年4月15日 (土)

児童文学作家リンドグレーンが放つ不気味さ、なつかしさについて

 『長くつ下のピッピ』で有名なスウェーデンの児童文学作家リンドグレーンは、わたしにとって常に近しい、かけがえのない存在だ。

 リンドグレーンは偶然、娘と誕生日が同じだ。その前日は父の誕生日で、その1週間前はわたしにとってとても大切な人の誕生日だ。全員が蠍座生まれということになる。そして、その全員が、わたしにとってはちょっと謎めいた存在となっているのだ。共通する天真爛漫さ、雄大あるいは型破りといってもいいようなスケールの大きな考え方。それと相容れない神経の過敏さ、底深いシビアさ。 一見無邪気なお転婆少女に見える長くつ下のピッピにも、そうした性質を見出すことができる。

 幼い頃に死に別れたママは天国、難破して行方不明になったパパはどこかの島の黒人の王様になっているとピッピは陽気にいう。「ニルソンくん」という小さなサル、馬と共に「ごたごた荘」で一人で暮らすピッピは、まだたったの9つなのだ。彼女は料理が上手で、世界最強といってもいいくらいに力が強く、奇想天外なことばかりやらかすが、すばらしく頭がいいことも見てとれる。おまけに金貨を沢山持っていて、一人で暮らしていくには何も困らないかに見える。行動面だけ見ている限りにおいては、何の憂いもなさそうに見える。

 このピッピに憂愁の影が迫り、孤独をじっと見つめ続けるピッピ自身が、闇に呑み込まれそうになる危険性と隣り合わせにいることを印象づけられる場面がふいにあらわれることがあって、実にぎくりとさせられる。子供の頃の孤独は、この世に強くアプローチする手立ても原因を分析する方法も乏しいだけに、底なしのところがある。大人になると、そうした面を忘れがちなのだが、リンドグレーンは終生忘れず、否子供独特の孤独感を自身が共有していて、それを見事に描き出した作家ではないかとわたしは思う。

 殊に、こうした側面が強くあらわれた『ミオよわたしのミオ』『はるかな国の兄弟』においては、憂愁の帯び方が強烈すぎ、不気味なくらいだ。子供にこれらを与えていいかどうか、迷うほどに。それはリンドグレーン自身の抱え込んだ闇を連想させ、解決不能の死後の問題にまで発展していく力強さと救い難さを持っている。彼女はそうした抜きさしならぬ問題を決してごまかそうとしない強靭さに加え、優美といってもいい注意深い優しさ、また豊かな幻想性と何よりユーモアに恵まれた人物でもある。それらが一つに溶け合って、忘れがたい、なつかしい味わいを残す。

 あれは何年前のことになるだろう? 新聞記事でリンドグレーンの訃報に接したときは、ショックだった。大きな星が落ちたような気がした。彼女は著名な作家になってから、福祉的な様々な社会活動に身を投じた。子供専門病院の設立も、彼女の事業の一つだった。

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マザコンのバルザック?

 所属している同人誌『H文学』用に、バルザックと母親の関係を書くつもりで準備を進めていたが、バルザックは大きすぎる。まだ書けない。

 母親のことを大層冷たく書くバルザックは、実は自分でも意識していないマザコンだったのではないだろうか。この部分に光を当てた評論は見当たらず、バルザックが母親に与えた評価(酷評)がそのまま罷り通っている。書簡から、彼が母親をメイド、アッシーにしていたことがわかる。

 母親が何もしてくれない、冷たいとバルザックが愚痴を零すのが不可解に思われるほど、母親は彼のために尽くしている。あるいは幾分かは息子に貸した大金を返して貰いたかったからかもしれないが、それにしても彼の大変な局面に、母親が顔を出しすぎる。

 彼は書簡で母親に、性欲の処理がうまくいかないことをさえ、訴えているのだ。こうなるともはや、マザコンの域を超えて、バルザックは母親を人間扱いしていなかったとすら想像されるほどだ。わたしにも息子がいるが、そんなことを訴えかけられたときの母親の気持ちというものは、どんなものなのだろう。大変なこと、つらいことは全て母親に投げかけて苦労を共にさせ、余裕のある小綺麗な自分を彼は、永遠の愛人と謳うベルニー夫人や結婚相手となったハンスカ夫人に与えたのではなかったか?

 また、母親の知的理解力は、相当なものであったと思われる。母親は校正を手伝い、作品に鋭い感想を述べたりする。そしてバルザックは、母親が集めた神秘主義関係の蔵書をかなり活用したらしい。これは余談であるが、バルザックはバラ十字会員だったのではないかと思う。

 なぜなら、わたしが神智学協会を知る前にバラ十字会にコンタクトをとり、資料を取り寄せたことがあって、その入会案内にバルザックがバラ十字会員であったことを記載してあったからだ。父親はフリーメーソンだったと伝記作家たちは述べているが、母親はバラ十字会員だった可能性がある。当時西洋で神秘主義を知ろうとするなら、この二つのどちらかに入会せざるをえなかっただろうと思う。

 東西の神秘主義を総合し、近代神智学を創始したブラヴァツキーは、彼女の代表的な著書である『シークレット・ドクトリン』の中で、バルザックのことを「フランス文学界最高のオカルティスト(本人はそのことに気づかなかったが)」といい、創造に関わる数の秘密について触れたバルザックの文章を紹介している。

 実際、『ルイ・ランベール』のような難解極まる、それでいて統一のとれた理論を展開した近代神秘主義の申し子ともいえるような作品は、人が自分一人で考えついて書けるような代物ではない。

 当時の神秘主義者たちを邸に招いたり、書物を集めたりした謎めいたところのある母親に比べ、バルザックの賛美の対象であったベルニー夫人やハンスカ夫人の方は、書簡から察せられるに、如何にも常識的なキリスト教徒という感じだ。尤も、神秘主義はバルザックが生きた時代には今とは違い、古くて新しい、がキリスト教からすれば当然危険な、心躍らせる流行の思想でもあったようだ。

 それにしても、フランス語ができず、フランス語で書かれた文献が読めないのは、何とも不自由だ。せめてもの慰めに、フランスのバルザック『人間喜劇』のホームページから、神秘主義思想が芳醇に香る『ル・リス・ダン・ラ・バレ(谷間の百合)』の初めの部分を引き出して、原文の香りを堪能した。

 こうして用紙に印字したバルザックの作品を手にしてみると、邦訳されて製本されたものとは一味違った、生々しさを覚える。長大な『谷間の百合』といえど、額に汗して、一頁一頁書かれたのだということが感覚的に伝わってくるのだ。

 バルザックの文章は悪文だといわれるが、なるほどと思う。説明に説明を次ぐ書き方で、だらだら、くどくどと続くのだ。文章の美観より、思想の美観に気を配り、読者に伝えたいことを率直に愚直に書いていくタイプの作家なのだろう。だが、決して無骨ではなく、文章はポタージュのようにこくがある(ように感じられる)。

 翻訳などとても無理でも、原文に接してみることは大事だと改めて思った。ブラヴァツキーの原文に接したときのように。だいたい翻訳された書物と原書とでは、本から出ているオーラの色合いが違う。

日本の作家のものでは、泉鏡花、織田作之助の文章のようなものは、翻訳すれば、その香気が失せてしまうだろう。世阿弥の『風姿花伝』『花鏡』のような妙なる調べを持つ文章はいうに及ばない。

 話はすっかりバルザックの母親から別の方に逸れてしまったが、今回はこのエッセーのプランは棚上げにすることにしようと思う。

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08412

 伊藤幸次著『バルザックとその時代』(渡辺出版、平成16年)によると、バルザックの父親の家系は バルサという姓で、南フランスの地中海岸、ラングドック人であったということだ。母親はパリの裕福な商人の娘。

 バルザックが「二十歳になる迄、自分をラングドック人として意識し、かつそれを表明していた」にも拘らず、それ以降、父方の家系を意図的に拭い去ろうとした形跡があるそうだ。その理由として、次のような事実が挙げられている。

 父親の弟ルイ・バルサが「定額小作人の娘セシール=スイエを殺害したかどにより逮捕されていた。娘がルイの子供を宿したため、彼が暴力によって解決を図ったと見られたのである。1819年6月アルビの重罪裁判所にて有罪判決を受け、同年8月16日、恐らく無実であったらしいルイは、アルビにてギロチンにかけられる」。この事件はバルザックの作品『村の司祭』を連想させる。

 わたしにとって、バルザックがラングドック人であったという事実は、興味深い。なぜなら、ラングドックというと、異端カタリ派を連想しないわけにはいかないからだ。

 ラングドックは異端カタリ派の牙城となった。異端カタリ派が活発な活動を行っていた12世紀頃のラングドックは、原田武著『異端カタリ派と転生』によると、経済活動の活発な、文化的な先進地域だった。異端カタリ派には本来、知的で都会的な傾向があったということだ。至純の愛を謳う吟遊詩人たち――トゥルバドゥールの華やかな活躍もあった。

 バルザックが二十歳以降ラングドック人としての自分を消そうとしたにも拘らず、その思想にはラングドック人の雰囲気が感じとれる気がする。

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パルムの僧院、バルザック、ヴェイユ

 「パルムの僧院」に出てくるジーナは、さっぱりとしていて明快極まるところが女性らしくない。あれは男だろう。女性らしい微妙さ、厚みに欠ける。バルザックの描く女性が如何に完璧であるかが、改めてわかる。大抵の男性作家が描く女性からは、無理もないことだが、女性の生理がごっそり抜け落ちているのだ。生理というメカニズムがもたらす憂鬱や気難しさ、鈍さや濁り、奥床しさ等々が練りこまれていない。

 そういえばつい、果敢なフランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユには、生理がなかったのではないかと思ってしまう。ところが、彼女が女生徒へ宛てた手紙に表れた濃やかな、憂いに満ちた気遣いはまさに女性的で、さすがにこれは愚かしい疑いだったと感じる。

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文学賞落選、夢の中のプードル

 作家の卵を続けてきて、35年目に入った。処女作は中学1年生のときに書いた『太陽のかがやき』という題名のジュニア小説だった。そのとき、もう作家になった気分でいたものだ。肉体はもう壊れかけているというのに、その気分だけが今もぬくぬくと生き続けている、この異様さ。

 今回の文学賞落選のショックは大きかった。その賞を受賞したからといって、作家になれるというものでもないだろうが、作品が公開され、いくらかでも多くの人々の目に触れる戦慄と喜びを味わいたかった。受賞できるチャンスなんて、めったにない。

 もっとも、落選は最初から予見できていた。『O賞』の最終選考委員たちの顔ぶれとこれまでの選評傾向から落選は火を見るより明らかだったのだ。それなのに、夢を……夢を見た。

 夢といえば、わたしの夢の記録ノートは9冊目に入った。分析は進んでいる。夢については、後日また書きたいが、近代神智学の創始者ブラヴァツキーは『実践的オカルティズム』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、竜王文庫、平成7年)の議事録の中で、深みのある考察を行い、こんな興味深いことを書いている。「透視力が進歩するのは『夢を見る』といわれている力を育てることによります」

 わたしの眠りの夢の中で、そのとき手がけている作品は赤ん坊、創作意欲は雪のように白いプードルとなって現れる。以前、『K文学賞』で賞を逃したとき、その中央選考のあるあたりの夜、赤ん坊が何者らかに殺害される夢を見た。青いおくるみを着た赤ん坊の愛らしさはあまりに生々しかったため、赤ん坊を襲った惨劇……その衝撃と悲嘆は、わたしには現実のことと区別がつかないほどだった。

 あの作品は欠陥のある作品だったかもしれないが、条件さえ整えば、世に出られるだけの文学的価値を秘めていたのかもしれないと思う。そして、プードルはいなくなった。再び書く意欲が湧いたある日、野原に埋まっていたらしいプードルが土を押しのけて出てくる夢を見た。今回は、赤ん坊を死産する夢を見た。プードルはどこでどうなったのか、ずいぶん姿を見ていない。

 ところで、わたしはプードルにひ弱な印象を抱いていたのだけれど、最近になってイメージが変った。うちは賃貸マンションで犬を飼えないが、犬が好きで、ときどき『犬のカフェ』という名のお店に寄り、犬たちと遊ばせて貰う。そのお店では、犬用品の販売、トリミング、一時預かりをしているが、何しろ犬のカフェだから、飼い主に伴われた犬がやってきて休憩したり、遊んでいったりする。

 その日は、クルミ色の毛色をした活発なプードルが4匹いた。プードルはボールが好きで、飼い主がとめないと、気絶するまで遊ぶそうだ。自動で転がる機械仕掛けのボールを、彼らは憑かれたように追う。他にダックスフンドとシュナウザーがいたから、幼稚園さながらの騒ぎだった。

 プードルは『鉄腕アトム』的な脚をしている。長くて、先が太い。そして、いとも自然な様子で立ち上がる。下顎は、相当に頑丈そうで、口を開けると、ちょっと鬼みたいだ。そして何より、プードルは賢いことで有名だ! 夢で、このプードルがわたしの創作意欲のシンボルとして現れるということは、わたしの創作に関する力量は、そのような特性を持っているということに違いない……!

 わたしの白いプードルは、落選の憂さを晴らすために遊んで跳ねて、どこかで遊びつかれて気絶してしまったのかもしれない。そのうち、きっと帰ってくるだろう。

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