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★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 (2017年5月24日更新、2013年1月28日まで掲載済)

ライン以下に、バックナンバーへのリンクがあります(最古記事及び1月の記事のみ)。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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2019年6月17日 (月)

エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んで(加筆あり)

なぜ、ジョイスがブラヴァツキー夫人を、神智学関係者を、神智学用語を茶化したのかがどうしても気になって、エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んだ。

わたしのジョイスに関する見方は、オブライエンの評伝によって、裏付けられた気がする。

彼は様々な知識を、概念を、頭の中がパンクするくらいに蓄えたが、それらは断片のままで、纏まりを欠き、深められることもないまま、頭の中で極彩色を放ちながら散乱している状態にあったのではないだろうか。

詩的(?)小説家として、彼はそれらに勝手なイメージを付与し、いわば音律的感覚で、利己的に利用した。

わたしはジョイスの評伝を読みながら、太宰治を、あるいはフィッツジェラルドを連想した。

アイルランドの子沢山の家庭に生まれたジョイスは、幼少時には「おひさまジム」と呼ばれた可愛がられる子で、イエズス会の学校に入ってからは、まるで現代日本の児童のように、ある少年の意地悪と司祭(教師)の無理解が発端となり、養護室通学をしたりした。

カトリックの壮麗な内装や典礼に魅了され、聖母マリアを憧憬したが、司祭によって語られるありとあらゆる罰や灼熱の地獄に関する説教に恐怖し、その恐怖体験から終生逃れられなかったようである。

ジョイスは十代ですでにカトリック教会とは決別していたが、ある意味では決して信仰を離れることはなかった。離れられなかったのだ。母や司祭に教え込まれたことはあまりに強烈だった。(オブライエン,井川訳,2002,p.14)

ジョイスは、家庭の経済事情で学校を何度か変わる。優等生で、将来は聖職者になると思われていたほど敬虔だった。ジョイスの創作は早い時期に始まり、彼が作家になることを予想していた司祭もいた。

しかし、その後、ジョイスは変貌する。反抗期に入ったのかもしれない。

わずか数年のあいだに彼に起こった変化は、サムライのごとき決断によるものだった。それは子どもらしい優しさから冷淡な無関心へ、臆病ゆえの敬神から不信と反逆への移行であった。(オブライエン,井川訳,2002,p.7)

こうした反抗期が、人生の終焉まで続いたようだ。わたしがジョイスの作品を読んで感じた幼稚さは、こうしたところから来ているのではないだろうか。

しかし、成人した後も反抗期を引き摺るというのは、どう考えても知的な何かが足りない。彼の作品が如実にそのことを物語っている。

一方、ジョイスの人気の秘密が、彼のこうした、ある種の永遠の若さにあるのではないかとも思わせられる。

性に目覚めたのは12歳のときで、集英社版『ユリシーズ Ⅲ』年譜によると、14歳で娼婦との体験を持った。早熟すぎて(只というわけでもないだろうに)、このあたりの記述はわたしには信じられない。

青年期のジョイスは家を罵倒しながらも、両親をはじめとする家族に期待され、フラフラする自由を与えられている。

物書きとしてのジョイスは、ダブリンに根付けなかった。

ダブリンでは彼は周縁に追いやられ、嘲られ、文芸サークルからも締め出された。ジョイスはその都市を、徹底的に作り直してやろうと決めた。(オブライエン,井川訳,2002,p.16)

この記述は、ジョイスの主観ではないかと少々疑う。

というのも、ジョイスはアイルランド文学復興運動の指導的人物であったラッセル、イェイツ、グレゴリー夫人らの恩恵を被っているはずだからである。

また、『ユリシーズ』でジョイスはブラヴァツキー夫人のことをあくどく、見てきたように書いているが、二人に接点があったはずはないのである。純粋に、空想の産物である。

ただ、22歳のジョイスが20歳のノラ・バーナクルと駆け落ちする資金集めにイェイツ、グレゴリー夫人に無心したときは、その申し出を断られていることから考えれば(グレゴリー夫人はあとで金を送ってやっている)、彼の逆恨みがあったのかもしれない。

評伝及びジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」を参考にすると、ノラとアイルランドを出発したジョイスはイタリア領プーラ(現在はクロアチア共和国のプーラ)のベルリッツ校に英語教師の職に就いたのを皮切りに、23歳でトリエステのベツリッツ校に転任。24歳でローマに移って銀行に職を得(父がダブリン市長に書いて貰った手紙のおかげ)、25歳でトリエステのベツリッツ校に復職。27歳で映画館ヴォルタ座を開館(翌年潰れた)。

31歳でレヴォルテッラ高等商業学校(後のトリエステ大学)にポストを得、33歳でジョイス一家は(長女ルチア、息子ジョルジオ)はチューリヒに移住。1919年、ジョイス37歳のとき、アイルランド独立戦争が始まっている。一家でトリエステに戻り、レヴォルテッラ高等商業学校に復職。

40歳のとき、アイルランド自由国成立。49歳のとき、ロンドンで妻ノーラと結婚式を行っている。1939年、57歳のとき、第二次大戦勃発。南仏に移住。58歳で、チューリヒに移住。翌1941年、1月13日に十二指腸潰瘍穿孔で死去。

作品の発表については早くから発表舞台にも、出版にも恵まれていたように思える。

なぜかジョイスには孤独癖があり、恨みがましく、僻みっぽかったようだが、常に協力者が都合よく現れていて、世渡りは上手だったとしか思えない。甘え上手だったのかもしれない。

ノラとの間では紆余曲折あったようだ。

ジョイスはノラと別れず、それどころか、ますます依存するようになっていた。スチュアート・アルバートは、一年ほど前の悶着を回想している。ジョイス夫人がホテルに移るために荷物をまとめていると、ジョイスが椅子に丸くなり、ひとりでは自分のこともできない、彼女がいないとだめだと言い、それに対してノラは、川に身投げしたらどうかと言ったというのだ。(オブライエン,井川訳,2002,p.200)

が、ノラは添い遂げ、彼の死後ノラは自分の妹に宛てた手紙で「かわいそうなジム、彼はとても素晴らしいひとだった」(オブライエン,井川訳,2002,p.196)という感動的な言葉を綴っている。

死の前年にスイスに移住したのは占領下のフランスにいるのが危険になったからだった。長女ルチアは長年精神を病んでリヴリの病院に入院しており、溺愛する娘を心配しながらの出発だった。

フルンタン墓地で行われた葬儀はささやかだった。

ポール・ルッジェロは司祭を呼んではどうかと提案したが、ノラは、ジムに対して自分にはそれはできないと言った。(オブライエン,井川訳,2002,p.204)

新約聖書「ルカによる福音書」に「放蕩息子」(15:11 - 32)という例え話がある。

ある人に二人の息子があり、弟のほうが父に生前分与を要求する。その財産を持って遠い国に旅立った弟は、放蕩で身を持ち崩し、飢えて帰郷する。

父はその弟を温かく迎え、弟は改心の言葉を父に告げて、もう自分に子と呼ばれる資格はないという。しかし、父は祝宴を開いた。

ジョイスは、キリスト教の観点では帰還した放蕩息子なのだろうか。唯物主義者の観点では、ジョイスは自由に正直に生き、世界を諧謔的に眺めた才能豊かな小説家だろうか。

一神秘主義者の観点から眺めると、ある特殊な知力はずば抜けていたにせよ、落ち着いて物事の考えられない、バランス感覚と高貴さに結び付くような高級なタイプの知力の不足した人に見える。ジョイスが死後、あの世でどのような状態にあるかは浅学のわたしにはわからない。

ところで、死んだ人を眺めると、この世にはどうも、死んだはずなのに死んでいない人々がいるようである。

そのような人々のあの世での霊的な体は、死人さながらの昏睡状態にあるようだ。

そして、彼らの強すぎる欲望のために崩壊しきれない遺物、カーマ・ルーパと呼ばれる「物質に関するあらゆる精神的、肉体的欲望と思いによって作られた主観的な形体」(H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』田中恵美子訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、「用語解説」24頁)は、時にこの世の人々に憑依してまでも、欲望を存続させようとする吸血鬼となる。

その強すぎる欲望の対象の筆頭に来るのがアルコール、麻薬ではあるまいか。

神智学の観点では、この世に有害物質を置き土産とする放蕩息子たちは、自らの意志であの世に――霊的価値観に――目覚めるしかない。人は完全に自由であり、天国も地獄も自分で創り出す世界にすぎないからだ(客観世界であるこの世が地獄である以外は)。

なぜ、この世が、この世だけが地獄というかといえば、神智学徒は自我の賞罰をカルマとの関係で考えるからである。ブラヴァツキー夫人の言葉を引用しておきたい。

自我の前世の罪が罰せられるのは、自我のために用意されているこの再生においてです。新しい人生は、この神秘で容赦のない、しかも公平さと賢明さで絶対に誤りのない法則によって選ばれ、用意されるのです。自我が投げ込まれるのは、芝居がかった焔や尻尾や角のあるばかばかしい悪魔達のいる想像上の地獄ではなく、この地上です。つまり、自分が罪を犯したこの世界でこそ、あらゆる悪い思いと行いを贖[あがな]わなければなりません。自分の蒔いた通りに刈り取るのです。(H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』田中恵美子訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、142頁)

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2019年6月15日 (土)

香港デモと中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の心臓に関する注目すべき美しい文章

※ 昨日アップした記事に加筆し、再公開するものです。

ブログを通して窺える行橋市議会議員小坪しんやさんのご活躍には、いつも感心させられています。

今、香港が大変な状況にありますが、小坪さんのブログの記事に寄せられたコメントを読んで、複雑な気持ちになりました。

わたしの香港加油の気持ちに変わりはありません。何にしても、一国二制度は、少なくとも2047年までは法的に有効なはず。有効でなければならないはずです。

複雑な気持ちにさせられた、日出処の天子さんのコメントを転載させていただきます。

【第二の天安門】守るべき民に、武器を向けたCHINA共産党に強く抗議する。: 行橋市議会議員 小坪しんやのHP
https://samurai20.jp/2019/06/china-10/

日出処の天子  のコメント:
2019年6月14日 12:51 AM
単純な二択脳では、この騒動は理解不可能。

香港とお隣の深センは江沢民は率いる上海派閥のテリトリーです。
リーマンショック以降、ウォール街は建物はNYに残したものの本拠地を深センに移して香港を舞台にマネロンに精を出して来た。

北京派は昨年あたりまで江沢民派の制圧に力を注いできましたが、米国民主党と金融街を背景に持つ資産50兆~100兆の江沢民上海派には力及ばずの処でしょう。

『一国二制度』と言う治外法権地域を作って、国内投資の7割を香港に集中させ、マネロンしてきた江沢民派が米国クリントン財閥と組んで法輪功、チベット、ウィグルの人々を弾圧し臓器売買にも勤しんできた。
米国民主党支持基盤の東の金融と西のIT企業がそれに協力して、収容所の監視カメラの導入技術提供を推進。
チベット、ウィグル、法輪功の弾圧は江沢民派であり、ファーウェイも江沢民派が擁する企業である。

香港の学生たちに銃やらゴム弾を向けて制圧している警官に扮した江沢民派の国安部員の画像や動画を世界に流布し、いかにも北京派の横暴な香港デモ弾圧のように見せかけている。
中国で凶悪犯罪を犯しても、香港に脱出すれば逮捕出来ない。 香港市民は、偽りの民主主義に踊らされてる。

トランプ大統領は、デモを支持していない。
トランプ大統領は香港の独立や中国からの離脱を望んでいない。 台湾は、地政学に米国の核心的利益です。 双方の事情は異なる。

香港のデモは、北京(習近平) vs 上海(江沢民)である。 香港の人々は踊らされている。

ソロスは、ダボス会議の時点で、既にGAFAによる搾取の限界を感じ取ってる。
もう燃やす段階に入ったのでは?
キンペーがこれをしのげるのか?
中国が燃えて、アジアが混乱で分断されると、 EUの欧州中央銀行周辺の危ない連中が息を吹き返す・・・イラン情勢も・・・・。

江沢民派による法輪功弾圧の実態、それが臓器ビジネスへとつながっていることを知ったときの驚き。

儲けと、臓器ビジネスを支える病院、スタッフなどにかかる経費のためにも、臓器移植をどんどんしなければならないそうです。それには臓器がいくらあっても足りません。

臓器移植の実態を伝える記事の写真で見たところでは、臓器移植のためのとても立派な病院がいくつもあるようでした。日本人はお得意さまですってね。

「チャイナ“臓器狩り” 日本は最大の顧客か」『産経ニュース』2017年7月28日12:00、URL:https://www.sankei.com/premium/news/170728/prm1707280005-n1.html

そして、大規模なウィグル人の拘束とハイテクを駆使した管理……もうこれは有名ですね。

政治犯は臓器の鮮度を保つために、生きながら臓器を抜き取られているという話もあります。

こうした情報は以前は作り話とされていた時期すらありましたが、現在ではそうではありません。多くの情報が発信されています。

例えばBBC(英国放送協会が制作する報道番組)は2018年10月8日、『誰を信じるべきか? 中国の臓器移植』(Who to Believe? China’s Organ Transplants)という番組で、中共の臓器移植産業の闇に迫っています(YouTubeで視聴できます)。

以下の動画は、2019年1月27日に公開された林原チャンネル「ノンフィクション作家・河添恵子#11-2★中国臓器狩りの真実◉人道を超えた臓器売買&移植手術の実態」です。

以下の動画は2018年8月27日に公開されたNTDTVJP「メディカル・ジェノサイド: 中国の臓器移植産業の隠れた大量虐殺」です。

臓器移植は唯物主義の観点から進められてきたものです。日本では、臓器移植法の改正後は家族の承諾だけで臓器提供が可能になり、15歳未満の者からの脳死下での臓器提供が可能になっています。

ウィキペディア「臓器の移植に関する法律」

2009年の法改正により、2010年1月17日からは、臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示できることになった。また2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となった。これにより15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になった。
「臓器の移植に関する法律」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年10月22日 13:23 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

2009年改正の経緯を見ると、衆議院での審議において、ABCD案のうちA案が可決されたのですが、意外なことに共産党が審議不十分として全員棄権し、自民党議員を中心にA案賛成者が多く、賛成263人・反対167人でA案が可決され、衆議院を通過しています。

戦後日本人が如何に唯物主義者になってしまっているかがわかりますね。

尤も、衆議院での審議については「2009年5月に世界保健機関(WHO)総会において、臓器不正売買を目的に、移植ツーリズムの原則禁止や、生体移植、組織移植をめぐるガイドラインを決議する見込みになったことから、2009年になって、改正の機運が出てきている」とありますから、自民党議員には臓器移植希望者が移植ツーリズムへ流れることを防ぐために、国内での臓器移植の機会を高めたいという思惑があったのかもしれません。

いずれにしても、現行法では脳死判定が行われて死が確定するのです。しかし、そもそも脳死判定で本当に人の死を確定できるのでしょうか。

こうした分野においては、だまされたと思って神秘主義者のいいぶんも聴いていただきたいものです。極めて限定的な唯物主義的観点からでは、重大な見落としのある可能性があります。

生きながら臓器を抜き取られるなど、誰だってまっぴら御免でしょう。もし脳死が本当は死を意味しないとすれば、現行法下で日本人はとんでもない過ちを犯していることになりますよ。

ブラヴァツキー夫人による、現在は一般公開されている神智学論文集第12巻に収められている秘教部門の教えには、「心臓の中に、肉体の一番最後に死ぬ一点がある……」という注目すべき美しい文章があります。

ヘレナ・レーリッヒによる『ハート(アグニ・ヨガ叢書 第8輯)』(田中恵美子訳、アグニ・ヨガ協会、竜王文庫、2005・コピー本復刻)の註にそこからの引用があるので、以下に引用しておきます。

心臓の中に、肉体の一番最後に死ぬ一点がある。この点は小さな紫色の光で示され、生命の座で、すべての中心でブラフマーである。胎児の中に最初に生まれる点であり、最後に死ぬものである。(略)この点は潜在的に知性や生命やエネルギーや意識を含める。生きている間、その点は火あるいはオパールのような閃光で輝き、虹の七色を放つ。脳が知的意識の中心であると同様に心臓は霊的意識の中心である。(ブラヴァツキー,田中訳,2005,pp.176-177)

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2019年6月13日 (木)

香港における民主主義の危機

香港が「逃亡犯条例法」をめぐって、大変な事態となっています。

この法案には日本も無関心でいるわけにはいきません。条例は香港在住の外国人にも適用されるからです。

2019年6月13日付読売新聞朝刊には、「外務省によると、香港には2017年10月現在で日系企業約1400社が進出し、在留邦人数は約2万5000人に及ぶ」とあります。

香港における民主主義の危機、すなわち一国二制度の危機です。今後の世界情勢を決定しかねない際どい局面です。外務省海外安全ホームページに「香港:『逃亡犯罪人条例等改正案』に反対する抗議活動に関する注意喚起」という情報も公開されました。

 

問題となっている法案についてご存じないかたは、以下の解説を閲覧なさるといいです。

以下のツイートには、防具をつけていない海外記者をデモ参加者が気遣って、防具をつけてやっている動画があります。香港の人々(今回のデモの参加者というべきかもしれませんが)は民度が高いですね。

2017年3月に中国へ温泉探査に行った日本人男性がスパイ容疑で拘束され、先月(2019年5月)、実刑判決(国家機密情報窃盗罪で懲役5年6月と財産3万元(約48万円)没収をいい渡されました。

この男性は70歳代だそうですが、定年退職後の再雇用か、あるいは思うような職がなくて温泉探査の仕事に就いた可能性だってあります。誰にでも、起こりうることです。

2017年当時のニュース記事からの引用です。

日本政府関係者によると、拘束されたのは、いずれも中国側の要請で温泉開発調査をしていた技術指導者だった。うち4人が勤務する日本地下探査(千葉・船橋市)の佐々木吾郎社長は、「初めて(現地に)行ってるわけではありませんから、例えば、軍事施設的なものをカメラで撮るとか、立ち入り禁止に立ち入るとか、そういう可能性はほぼないと思います」という。
2017年5月23日付「J-CASTテレビウォッチ(モーニングショー)」『中国の依頼で温泉開発調査に行った邦人技術者6人が拘束 スパイ容疑の可能性も』https://www.j-cast.com/tv/2017/05/23298625.html

2015年以降、中国では少なくとも9人の日本人がスパイ罪などで起訴されており、今回の男性を含め、これまでに6人が実刑判決をいい渡されているとか。

国は見ているだけです。戦後70年以上経つのに、自衛隊の位置づけさえ曖昧で、スパイ防止法すらないのですから、日本には手も足も出ないのでしょう。中共下にある中国は怖ろしい国です。

一般人の冤罪に対する不安だけでなく、中共の側近、否トップですら身の安全に不安があるようですから。臓器ビジネスに関する情報に接したときには背筋が寒くなりました。

香港のデモには、トップに挙げたツイート以外にも、人民解放軍が投入されているようだとの情報は昨日の時点から頻りに発信されています。

以前ウィグル自治区に関する動画を見ていたとき、人民解放軍が少年を囲んで袋叩きにしているものがありました。ああ、あれにそっくりだと思った動画が今回の香港デモのツイートの動画にあったので、信憑性があるように思います。

香港、台湾は、古きよき中国を思わせてくれる希望の地です。思想によって、人間は本当に変わるのです。香港加油!

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2019年6月11日 (火)

上皇后陛下が診断された「血液の逆流」

宮内庁の7日の発表で、上皇后陛下の症状が報じられたときから、もしかしたら心臓弁膜症ではないかと思っていた。記述された症状に覚えがあったので。

上皇后陛下は84歳のご高齢。これまでの激務を思えば、本当に大事になさっていただきたいと思う。

心臓の病気を持っていると、どうしても疲れやすい。そこを押して無理をすると、動悸、息切れ、不整脈が起きる。気候も影響する。

自分のことになるが、この時期はどうしてもエアコンの掃除や衣類の整理などの家事が増え、創作にまで手が届かなかったりもする。

普段は家事の合間にブログを書いたり、創作のための資料を確認したりといったことをやって、深夜、本格的な作業に入る。そして、昼間に仮眠。

ところが、近頃は余分な家事のためにくたびれて寝てしまい、深夜の集中作業がなかなかできず(今日はブログを書いている)、焦る、焦る。焦っても仕方がないのだが。

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2019年6月10日 (月)

戦後日本の文学を支え続けてこられた優れた昭和の作家、田辺聖子さんが逝去された

ウィキペディア「田辺聖子」より

田辺 聖子 (たなべ せいこ、1928年3月27日 - 2019年6月6日)は、日本の小説家。
大阪府大阪市生まれ。淀之水高等女学校を経て樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科卒。恋愛小説などを中心に活動し、第50回芥川龍之介賞など数多くの文学賞を授与されている。文化勲章受章者。 (中略)
幼少時は古典文学に親しみ、多くの少女小説を愛読した。戦時中は愛国心にあふれた軍国少女としての時代を過ごし、戦争で死ぬことを本望としていた。1943年『少女の友』の作文欄で川端康成の選により掲載された「さら」が最初の活字作品。敗戦後ではその反動と喪失感から複雑な思いを抱く中、古典文学の世界に癒しを見出した。大阪の金物問屋に就職で勤める傍ら文芸同人の『文芸首都』『大阪文学』に参加、『花狩』がラジオドラマに採用され放送作家となった時期もある。1956年『虹』で大阪市民文芸賞受賞し本格的な作家活動に入り、恋愛をテーマにした小説や大阪弁を用いた一種の方言文学の制作に取り組んだ。1964年に『感傷旅行』で第50回芥川賞に選出され、若手女流作家の寵児となる。以降は人気作家として多くの執筆依頼を受ける様になるが、純文学の賞である芥川賞の受賞者としての立場を枷に感じ、後年に「直木賞の方が欲しかった」と冗談含みで語っている。1987年の第97回直木賞から2004年第132回まで直木賞の選考委員を務めた。 (後略)
「田辺聖子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年6月10日 05:47 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

戦後日本の文学を支え続けてこられた、優れた昭和の作家がまた一人逝ってしまわれた。深い喪失感を覚えずにはいられない。

何といってもわたしが忘れられない田辺聖子さんの作品は、閨秀俳人・杉田久女の評伝『花衣ぬぐやまつわる… わが愛の杉田久女』。

花衣ぬぐやまつわる… 上 わが愛の杉田久女 (集英社文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1990/6/20)

花衣ぬぐやまつわる… 下 わが愛の杉田久女 (集英社文庫) 文庫 – 1990/6/20
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1990/6/20)

微に入り細を穿った描写により、久女の人生と心の機微が余すところなく伝わってきた。俳句のすばらしさも同時に伝わってきて、自分でも句作をするようになった。以下は、以前大宰府に行ったときに詠んだ下手俳句。

大宰府は底冷えの町久女の忌

古典の教養、社会を鳥瞰し人性を見抜く眼力、絶妙なバランス感覚、そうしたところから生まれる確かな筆力。

わたしは賞狙いをしていたころ、執筆に疲れたら『猫なで日記』を読んだ。賞狙いというギャンブルのために人生が狂わなかったのは、田辺聖子さんの作品のお陰かもしれない。

猫なで日記 私の創作ノート (集英社文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1991/1/18)

賞狙いは不発に終わったが、「芸術は長く人生は短し」で、わが創作人生はようやく中盤に差しかかったところだ。

大衆に絶大に支持される田辺聖子さんは、芥川賞作家である。「田辺先生の文章の確かさはな、出発点が純文学だったところにあるんや」と、文学を教えていただいた横井三保さん(織田作之助賞を主宰する大阪文学振興会事務局長。関西文学散歩の会代表)は以前おっしゃった。

感傷旅行 Tanabe Seiko Col (ポプラ文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: ポプラ社 (2009/2/2)

田辺聖子さんはスヌーピーのぬいぐるみがお好きで、ぬいぐるみ好きのわたしはその点でも、いたく共感を覚えたものだった。

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