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★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 (2017年5月24日更新、2013年1月28日まで掲載済)

ライン以下に、バックナンバーへのリンクがあります(最古記事及び1月の記事のみ)。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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2019年5月26日 (日)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (4) 

森によると(2006,p.18)、トラヴァースとジョージ・ラッセル(AE)の出会いは1925年。ラッセルは57歳、トラヴァースは25歳だった。

森によると(2006,p.18)、ラッセルはトラヴァースを「『娘、助手、徒弟あるいはその三つを合わせたもの』と考え目をかけてくれた」また、「精神世界について、妖精物語や神話の意味、東洋の宗教などについて教えを受けた。AEが重要視していたのは、アイルランドの国家ではなく、そこに広がって存在する精神的な結び付き、霊的な一族であった」。

交友関係はラッセルが1934年に亡くなるまで10年近くに及んだ。森によると(2006,p.29)、ラッセルはトラヴァースの「師でもあり恋人でもあった」。

メアリー・ポピンズ初期の作品にロマンティックなムードが漂っているのも、納得できる。

ウィキペディア英語版、日本語版の「ジョージ・ウィリアム・ラッセル」には、神智学協会やヘルメス協会は出てきても、グルジェフ関連の記述は見当たらない。ラッセルはグルジェフとは接触がなかったようである。

ウィキペディア日本語版には、ラッセルが神智学団体のまとめ役や相談役も担ったとあり、次のような記述もある。

1880年頃から神智学に興味を持ち始めた。1885年に学友ウィリアム・バトラー・イェイツがダブリンにヘルメス協会を設立した際にはすぐ加入しなかったが、この組織が神智学協会へと改組されると参加し、さらに1898年にはこの組織を抜けて自らヘルメス協会を復興させた。
「ジョージ・ウィリアム・ラッセル」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年7月24日 15:57 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org)

ウィキペディアのヘルメス協会というのは、The Hermetic Order of the Golden Dawn のことではないかと思う。

「黄金の夜明け団」と邦訳される、英国フリーメーソン系英国薔薇十字協会の3人のメンバーによって創設された神秘主義的結社である。

亡き母に捧げられた「風にのってきたメアリー・ポピンズ」は1934年に出版されたが、「ポピンズ」シリーズの基となった詩や短編が1923年から見られるという。

1935年7月にラッセルが亡くなった3か月後の10月に書き上げられ、同年出版された「帰ってきたメアリー・ぺピンズ」には、最後までこの2巻のことを心配していたラッセルの助言が生きているそうだ。

「ポピンズ」シリーズ初期の1、2巻にラッセルの影響が濃く、アイルランドの妖精物語や神話などに交じって神智学の影響が見られるのもなるほどと思わせられる。

トラヴァースがラッセルを通じてオイレジと知り合ったのは1933年である。1907年に神智学協会との関係を打ち切っているオイレジはこのころ、グルジェフ色に染まっていたと考えられるが、出会いの翌年にオイレジもまた亡くなった。

「帰ってきたメアリー・ポピンズ」に話を戻そう。

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以下は未整理のオイレジに関するノート。

英語版ウィキペディア「Alfred Richard Orage」(https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Alfred_Richard_Orage&oldid=897156548)を参照したところでは、アルフレッド・リチャード・オイレジAlfred Richard Orage(1873 - 1934)は、小学校の教師時代に独立労働党(Independent Labour Party。かつてイギリスに存在した社会主義政党)に関わり、その後プラトンを7年間、ニーチェを7年間、マハーバーラタを7年間学んだ。

1890年代後半、従来の社会主義に幻滅したオイレジは神智学に転向。その神智学に対する合理的な批判を著作で行い、それが社説的な反論を呼び起こしたことで、1907年に神智学協会との関係を打ち切った。

オイレジは1907年に週刊誌「ニュー・エイジ(The New Age)」を買い取って、編集者としての腕を振るった。

「ニュー・エイジ」の寄稿者はフェビアン協会のメンバーが多かった。

ウィキペディア「フェビアン協会」(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%8D%94%E4%BC%9A&oldid=71731569)によると、フェビアン協会(Fabian Society)は1884年にロンドンで設立された。漸進的な社会変革によって教条主義的マルクス主義に対抗し、暴力革命を抑止する思想や運動をフェビアン主義(フェビアニズム)と呼ぶ。

独立労働党(Independent Labour Party。かつてイギリスに存在した社会主義政党)、神智学協会1907年に彼はTheosophical Societyとの関係を打ち切った

ファビアン協会のメンバーにはジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw,1856 – 1950)、イーディス・ネズビット、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells,1866 – 1946)など作家もいて、アニー・ベサント(Annie Besant,1847 – 1933 1907から1933年にかけて神智学協会の第2代会長)も初期のメンバーの一人だった。

オイレジはその雑誌の傾向を変化させていく。キャサリン・マンスフィールドも寄稿したようである。

オイレジとグルジェフとの関係には紆余曲折あったようだ。

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2019年5月24日 (金)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (3) 

ここでちょっと書いておくと、わたしはグルジェフに関する著作を読んだことはなかったが、オカルト情報誌『ムー』でたびたび目にしていた。

また短編小説の名手キャサリン・マンスフィールドが結核末期にグルジェフの施設に駆け込み、そこで亡くなったことをマンスフィールドの年表や伝記を通して知っていた。書店でグルジェフに関する著作を手にとってみたことは何度もあったが、読みたいという衝動が起きなかった。

マンスフィールドについて少し書いておくと、彼女の作品は一幅の絵のように印象的である。登場人物が息を呑むほど精緻に描写され、人生の深みに誘い込まれる。

一例を挙げよう。キャサリン・マンスフィールド(安藤一郎)『マンスフィールド短編集』(新潮社⦅新潮文庫⦆、1979改版)所収「パーカーおばあさんの人生」の次の断章。

「おばあちゃん! おばあちゃん!」小さな孫息子は、ボタンどめの深靴のまま、彼女の膝の上に立った。外の遊びから帰ったばかりだった。
「これ、おばあちゃんのスカートが台なしになっちゃうじゃないか――いけない子だね!」
 だが、孫は彼女の首に手を巻きつけて、頬を彼女の頬にすりつけた。
「おばあちゃん、一ペニーちょうだい!」とねだった。
「あっちへいきなさい、おばあちゃん、お金なんかもってないよ」
「うそ、もってるよ」
「いえ、もってません」
「うそ、もってるよ、一ペニーちょうだい!」
 もうそのとき、彼女は古い、ぐにゃぐにゃになった、古い皮財布をまさぐっていた。
「それなら、お前はおばあちゃんに何をくれる?」
 孫は、ちょっと恥ずかしそうな笑い声をたて、いっそう近くくっついてきた。その瞼がふるえながら、彼女の頬にあたるのを感じた。「なんにも、もってないもの」と彼は小さな声で言った。(マンスフィールド,安藤訳,1979,pp37-38)

言葉を尽くして博愛やかよわい生命のいじらしさを説くよりも、この断章一つ示すほうが効果的なのではあるまいか。

実は、この孫は既に死んでいるのである。これは、パーカーおばあさんの回想なのだ。

この孫が死なずに成長したらどうなっていただろう(とんだ祖母不幸な男に育った可能性だってある)と思ったりするが、マンスフィールドの作品の登場人物には誰にも彼にも未来が閉ざされているようなはかなさが付き纏っている。そこのところがわたしには不自然な気がするというか、物足りないところだった。

マンスフィールドの描写力を羨望したヴァージニア・ウルフのような知的処理がなされないだけに救いがなく、真実の半分が欠落しているような気がしてしまう。

キャサリン・マンスフィールド(崎山正毅&伊沢達雄訳)『幸福・園遊会 他十七篇』(岩波書店《岩波文庫32-356-1》、1969)の巻末「年譜」(マンスフィールド,崎山&伊沢訳,1969,「年譜」p.409)に、彼女が1922年10月、「奇跡を求めてフォンテンヌブローのグルディエフ・インスティテュート(一種の精神療法を唱えるロシア人グルディエフの創立になる)にはいる」とある。翌年の1月9日、34歳で亡くなっている。

グルジェフの著作の邦訳版は次の3冊が出ているようだ。

ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判
G.I.グルジェフ (著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1990/08)

注目すべき人々との出会い 
G.I.グルジェフ (著), 星川 淳 (翻訳)
出版社: めるくまーる (1981/12/1)

生は「私が存在し」て初めて真実となる
G.I. グルジェフ (著), Georgei Ivanovitch Gurdjieff (原著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1993/08)

残念ながらわたしが利用している図書館にはない。次の4冊がある。

グルジェフ・ワーク―生涯と思想 (mind books)
K.R.スピース (著), 武邑 光裕 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1982/08)

覚醒の舞踏―グルジェフ・ムーヴメンツ 創造と進化の図絵
郷 尚文 (著)
出版社: 市民出版社 (2001/6/1)

回想のグルジェフ―ある弟子の手記
C.S. ノット (著), Charles Stanley Nott (原著), 古川 順弘 (翻訳)
出版社: コスモスライブラリー

グルジェフ伝―神話の解剖
ジェイムズ ムア (著), James Moore (原著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (2002/3/1)

ネット検索で、グルジェフに関するサイトを発見した。リンク禁止とは書かれていないようなので、紹介しておく。

グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集
http://gurdjieff.la.coocan.jp/index.html

サイトの「生涯に関する叙述」中「1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明」の次の記述を読む限り、グルジェフが神智学の影響を受けたとは到底思えない。

二分化された意識構造から生じる異常性の例として、グルジェフは、「いちおうは目が覚めた状態」にある人々がもっぱら顕在意識の支配下で見せる行動や思考の異常性にも目を留めた。戦争と動乱の絶えない時代にあって、グルジェフはしばしばその現場を目撃したが、もっとありふれた状況のなかでこれについて徹底的に解明するための研究対象としてグルジェフが目を留めたのは、ちょうどそのころロシアやヨーロッパで大流行していた神智学運動やオカルティズムを背景にして、いわゆる「精神世界」に夢中になる人たちが呈する思考と行動における異常性だった。(HC)

グルジェフは、みずからその分野での「専門家」になりすまし、神智学運動やオカルティズムを追求する組織や団体と接触し、この「哀れむべき病気」のさまさまな症例を研究する(HC)。これは「まやかしの研究と実習」として、のちにグルジェフが設立した学院のカリキュラムにも組み込まれた。
Home > Introduction > 生涯に関する叙述 4/14 1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明
http://gurdjieff.la.coocan.jp/life/life_04.htm

が、接触があったことは間違いないのだろう。

トラヴァースはグルジェフを通してではなく、直接ブラヴァツキーの著作に触れたのではないだろうか。その後、グルジェフに傾倒していったのを物語るように、メアリー・ポピンズの初期の作品にしかブラヴァツキーの神智学を連想させられるような文章は見い出せない。

だが、グルジェフの死後、トラヴァースは、神智学と関係の深かったクリシュナムルティをグルジェフの再来として崇拝したようだから、メアリー・ポピンズの物語が全体として神智学の香気に包まれていても不思議ではない。

前掲サイトから、キャサリン・マンスフィールドの最期から埋葬後までの情報を得ることもでき、貴重である。

キャサリン・マンスフィールドの思い出 (チェスラヴ・チェコヴィッチ回想録より)
http://gurdjieff.la.coocan.jp/life/PDF/quote_0801.pdf

以下は、ウィキペディア「ゲオルギイ・グルジエフ」の解説より引用。

ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(ロシア語: Гео́ргий Ива́нович Гурджи́ев, George Ivanovich Gurdjieff、 1866年1月13日? - 1949年10月29日)はアルメニアに生まれ、一般に「ワーク」として知られる精神的/実存的な取り組みの主導者として、および著述家・舞踏作家・作曲家として知られる。ロシア、フランス、アメリカなどで活動した。
ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。欧米の文学者と芸術家への影響、心理学の特定の分野への影響、いわゆる精神世界や心身統合的セラピーの領域への影響など、後代への間接的な影響は多岐にわたるが、それらとの関係でグルジエフが直接的に語られることは比較的に少ない。人間の個としての成長との関係での「ワーク」という言葉はグルジエフが最初に使ったものである。近年ではもっぱら性格分析に使われている「エニアグラム」は、史実として確認できるかぎりにおいて、グルジエフがこれを世に知らしめた最初の人物である。精神的な師としての一般的な概念にはあてはまらないところが多く、弟子が精神的な依存をするのを許容せず、揺さぶり続ける人物であった。
「ゲオルギイ・グルジエフ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2018年11月17日 06:22 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

前掲サイト「グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集」を閲覧した限りでは、グルジェフはロシア革命や大戦の激動期を求道的に生き抜く中で独自の思想を展開し、宗教的修行の場を形成したように読める。

「音楽に合わせてのリズム体操、ダルヴィッシュの舞踏、各種のメンタルエクササイズ、呼吸のいろいろな様式の研究」といった記述からわたしに連想されるのは、ブラヴァツキーよりも年齢的に近いシュタイナーなのだが、シュタイナーの名は出てこない。

グルジェフは治療も行ったようだ。記述からすると、これはおそらく磁気治療だろう。

これ以上グルジェフに踏み込む衝動が起きないので、ブラヴァツキーの神智学の影響をメアリー・ポピンズの物語から拾うに留めたい。

ただ、グルジェフの思想は芸術、心理学、ニューエイジ・ムーブメントなどへの影響も大きいようだから、いずれ、もう少し調べることになるかもしれない。何にせよ、ブラヴァツキーがニューエイジの元祖のように祭り上げられながら、なぜ誹謗中傷されるのか、前掲サイト「グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集」の記述(生涯に関する叙述 4/14 1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明)からもその原因の一端が窺える気がした。

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』に話を戻そう。

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2019年5月23日 (木)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (2) 

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (1) 
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-f68a49.html

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パメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lindon Trvers,1899-1996)の評伝、森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006、p.43)によると、「グルジェフの死後1952年に出版されたトラヴァースのメアリー・ポピンスの物語の第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park、53歳)にはグルジェフの考え方が織り込まれているという。

また、晩年に出版された第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane、1982年、83歳)、第10巻『メアリー・ポピンズとおとなりさん』(Mary Poppins and the House Next Door、1988、89歳)では、森によると(2006,p53)、ますます「グルジェフの神知学」の影響が大きくなるそうだ。

当記事は神智学の影響を受けたというトラヴァースの代表作であるメアリー・ポピンズの物語にどの程度、ブラヴァツキーの神智学の影響が窺えるかを調べるのが目的であるから、神智学の流れを汲むというグルジェフに踏み込むのは別の機会にしたいと思う。

ブラヴァツキーの神智学の観点から読むと、確かに、いわゆる神智学の影響が色濃く感じられるのは初期のメアリー・ポピンズの物語中第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins、1934年、35歳) 、第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back、1935年、36歳) である。

53歳で出版された『公園のメアリー・ポピンズ』は洗練された作品となっており、トラヴァースの児童文学作家としての成熟が感じられる。神秘主義的な作風であるが、格別に神智学を感じさせられる箇所は見つけられなかった。グルジェフの思想のオリジナルな部分からの影響がそれだけ強いということだろうか。

『さくら通りのメアリー・ポピンズ』と『メアリー・ポピンズとおとなりさん』には、いくらか筆の衰えを感じさせられるものがあった。

しかしながら、この2作品には幻想的というより夢幻的といったほうがいいような趣があり、現実と異世界の境界が曖昧で、このころ既にトラヴァースは異世界の住人となっていたようですらあって、夢見心地で書かれたような何か朧げな、恬淡とした味わいがある。

以上のことから、当記事で採り上げるべき作品は初期の前掲2作品ということになる。ロマンティックなところのある『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は過去記事で採り上げたから、ここでは『帰ってきたメアリー・ポピンズ』を採り上げたい。

P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店⦅岩波少年文庫 053⦆、2001新版)では、アナベルという女の子が4人の下に生まれ、バンクス夫妻は5人の子持ちになるわけだが、そのアナベルがゆりかごの中で、ムクドリの問いかけに答えて、自らの起源を語る。

私見によると、この場面でアナベルが語る3箇所に、神智学色が濃厚に表れているのである。引用する。ここに2箇所ある。

「話しておやり、アナベル!」と、親どりが、しゃがれ声でいいました。
 アナベルは、毛布の下で、手を動かしました。
「わたしは、土と空と火と水なの。」と、しずかにいいました。「わたしは闇[やみ]のなかからきたの。なんでも、はじまりはそこなの。」(トラヴァース,林訳,2001,p175)

旧約聖書の創世記にも「闇」が出てくるが、アナベルが語る「闇」とは重要度が異なる印象である。聖書から見てみよう。

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2019年5月22日 (水)

最近作って美味しかった、ごはんとおかず。銀座木村屋のあんぱん。

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ストウブで、米3合のグリンピースごはんを炊こうとして、ふと小ぶりの辛子明太子が二はらあることを思い出し、米、水、酒大さじ2、塩小さじ1、砂糖小さじ1、グリンピース、明太子二はらストウブに入れて、炊きました。とても、美味しかったです。

翌日、タッパーに入れて冷蔵庫で保存したごはんをレンジで温め、朝食のごはんはこれに。それに定番の目玉焼き、ミニサラダ、キーウイ、味噌汁、カフェ・オ・レ。転職前は大きなお握りだった娘。ちゃんと食べていってくれて嬉しい。

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結婚する気があるなら、家事能力を高めるために、お弁当を自分で作っていけばと思い、そういうけれど、あまり聞こえないみたいです。書店勤めのときは、こき使われていつもヨレヨレの感じで、そんなこと言いだせないほどでした。転職後は時間の余裕があるようで、イタリア語講座もサボらずに済みそう。

小学校高学年まではよくお手伝いしていたのになあ。周りの若い人々もボーイッシュな感じで……時代の変化もあるのでしょう。でも、食は基本ですよ。食を大事にすれば、食をはぐくみ、食にはぐくまれた伝統文化も自然に伝わる……伝統文化とは思想の華。

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有名な木村屋のあんぱん。酒種あんぱんです。明治7年に開発されたとか。生地は快いやわらかさで、あんはほどよい甘さです。さらに、おへそに埋め込まれた塩漬けの桜の花びらが、あんぱんの味を引き立てています。小ぶりのあんぱんですが、一度食べたら忘れられない味です。

ホームページのトップページには、神々しいようなあんぱんが鎮座。圧倒されますよ。

銀座木村屋::あんぱんの元祖
http://www.ginzakimuraya.jp/

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2019年5月21日 (火)

5月20日に歯科受診終了。令和元年のリヴたち。

20日に歯科クリニックを受診し、歯と歯茎の検査に合格して、歯科受診が終わりました。

2019年4月11日 (木)
歯医者さんは、いくつになっても怖い。事前に見た歯医者さんの夢。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-d52dbe.html

2019年4月16日 (火)
4月16日に親知らずの抜歯。ランキング1位の理由がわかりました。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-dfcfe8.html

2019年4月23日 (火)
4月23日に歯科クリニック受診(親知らず切開抜歯後の抜糸、次回歯磨きテスト)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-01064d.html

歯科には全部で4回通いました。昨日の受診はもっと早く予約することも可能でしたが、ブラッシングが上手にできるかどうか心配だったので、あえて日を開けて貰いました。早めに予約していたら、初診から受診終了までに、ひと月もかからなかったでしょう。

受診時に行われたことは、大体こんな感じだったかと思います。

1日目

  • 問診
  • 検査(プラーク(歯垢)・歯石付着の状態、歯茎からの出血、ポケットの深さ、歯の動揺度、エックス線写真の撮影)
  • 診断
  • クリーニング(歯垢・歯石の除去)
  • 薬の塗布(この薬が何だったか、忘れてしまいました)

2日目

  • 口腔内チェック
  • クリーニング(歯垢・歯石の除去)
  • ブラッシング指導
  • 親知らずを切開して抜歯 ※抜歯前から抜歯後まで血圧測定あり
  • 消毒

3日目

  • 抜糸と消毒

4日目

  • クリーニング(歯垢・歯石の除去)
  • 検査(ポケットの深さ、歯の動揺度、指で押して歯肉の状態をチェック)
  • 診断
    親知らずを抜いたことで、歯肉の状態が改善された。今後も歯磨きに励むこと――と、先生はおっしゃいました。

検査は周到な感じでした。初診時、検査やクリーニングのときに口をゆすぐと、血液が混じって真っ赤でした。

それが、昨日は1滴も血が混じっていませんでした。ポケットに器具を差し込まれると痛かったし、クリーニングのときも少し痛かったので、結構血が出るかなと思ったのですが、口をゆすいで吐き出した水は透明で、意外でした。口の中が爽やかなはずです。

横向きに生えた親知らずがブラッシングの邪魔をして、歯周病を悪化させていたようです。それにしても、治りが速いですね。こんなものですか? 治療のお陰であることは勿論ですが、オーラビーム(?)もいくらかは役立ったのかな?

でも、これで安心せず、半年に1度(3か月に1度が理想かな)はクリーニングに通わなければと思いました。

抜歯後、慈父のような目をしていらした先生は、今日の検査後も慈父のような目をしていらっしゃいました。間はむしろ不愛想な印象でしたが。この落差が患者の心を捉えるのかもしれません。そして、今後の注意は、歯磨きをよくするように、とだけ。

院内の設備に関して、昨日もビデオで学習しました。狭い待合室ではテレビとビデオが同時についています。考えてみれば、不思議な話ですね。2台は近くに置いてあるのに、どちらを見ていても、なぜかもう一方が気にならずに画面に集中できるのです。

歯石の除去、歯を削るなどの治療が行われるとき、口の中から飛び散る飛沫は、1メートルも飛び散るそうです。そのときに、インフルエンザウィルス、肝炎ウィルスなども一緒に飛び散って、院内感染する危険性が高まるとか。

それを防ぐために、わたしが通った歯科クリニックでは、強力に患者の飛沫を吸い込む何とかという装置が使われているそうです。歯科で院内感染の危険があるとは考えたことがなかったので、驚きました。

話は変わりますが、下の画像は最近のうちのリヴたちです。パソコンを休ませていた期間、息子がくれたアイパットが重宝しました。リヴリーアイランドへも、アイパッドからスマホ版にアクセスしていました。

でも、スマホ版はもう一つかなあ……

スマホ版ではミュラー博士の研究室へ移動できず、リヴの姿を少しだけ変化させることのできるプラステリンの利用ができませんでした。

それまでは毎月、うちのプリミティブケマリ(卵に似た外観の生き物。卵の殻に見える固い殻はフラスコの中で形成された)を研究室に連れ出して足を生やしてやっていたのですね。

それができなかった間、うちの子は鬱っぽくなり(?)、いつ行っても殻に閉じこもって寝てばかり。足を生やしてやったとたんに、元気に飛び回るようになったのには呆れました。遅ればせながら、皆で、令和時代の幕開きをお祝いしました。

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